香月保乃 凱旋ライブ・レポート おねいさん登場

 待ち合わせの中華料理店に入ると、一番奥の席にY尾君がいた。テーブルには既に生ジョッキと料理が2品置いてある。一皿はから揚げだが、もう一品が良く分からない。「ホイコーロとから揚げを頼んだけど、いいやろ」とY尾君。どうやらその良く分からない料理はホイコーロのようだ。しかし、ホイコーロと言えばキャベツと豚肉とピーマン(個人的にはタケノコのスライスが入っていると嬉しいし、豚肉は茹でで片栗粉をまぶしてから炒めてほしい)を辛子味噌で一緒に炒めた、どちらかというと油ギトギトの、ちょっと塩分多めで血圧高めのオトーサンは注意してねというような料理だが、そのお店のホイコーロは非常にあっさりした感じで辛子味噌ではなく水気の多い醤油みたいな調味料で味付けしてあって、それはそれで美味しかった。生ビールを飲みながら、僕はY尾君に4月のストリート音楽祭で見た「勝手にしやがれ」のCDや、翌日連チャンで見に行った山下洋輔代打スガダイローのカルテットの話などをした。メールにあった美女二人なんてものはY尾君の作文じゃないか、あるいは幻想じゃないかと頭の中をよぎりもしなかった。

 1杯目のビールがそろそろ空になろうとしたその時に、Y尾君の携帯が鳴った。誰かにこの店の場所を説明し始めた。この近くまで来ているが、場所が特定できなくて電話してきたような感じだ。そしてその電話が終わった後に、Y尾君が衝撃的な話を始めた。「オレの会社にお前のblogの読者がいて、その子が以前からお前と会ってみたいと言っててな」。僕は我が耳を疑った。ハァ、オレのblogの読者?オレのこんなしょうもない話を読んでくれて、あろうことか会ってみたいなんてよほど奇特なお方じゃないか。でも多分、同世代だろう、でないとこんな70年代をベースにしたエントリーなんか読んでも意味が分からないだろうな…。そんなことをぼんやり考えていたら、「ただ、その子も一人じゃ来にくいだろうからもう一人仲のいい女の子を呼んだ。どっちもまだ20代」などと、Y尾君はさらにショーゲキ的な話を続ける。僕は黙って頷いているだけだ。「彼女たちもお前のblogに載るのを楽しみにしているから、ちゃんと話を書けよ。そうそう、名前は、あ、オレの名刺の裏に書いてやる」。いや、Y尾君、それはマズいだろう。僕にそんな情報を与えたら猫にマタタビ、女郎に小判、泣く子に乳房、河童にエビセン、やめられないとまらない、ネバー・エンディング・ストーリーの暴走列車と化してしまう。

 等と妄想している間に、Y尾君、さっそくボールペンで何やら書き始めた。しかもぶつぶつ呟きながらの作業だ。何を言っているのかと耳を傾けると、「えーと、あの子の苗字は××だから、あ、N藤か、うんうん、もう一人は、えーとS竹、うん、これでいこう、これでいい」。いや、Y尾君、イニシャルにするのはオレの仕事であって、キミはそこに女の子たちの本名と携帯番号、それにメルアドが分かれば、それを書いてくれればいいんだけど、と口をはさもうとしたら、「うん、こっちのN藤さんがお前の読者だ。それと会社にもう一人お前の書く『おねいさん』の話が好きな女の人がいるんだけど、その人は高校の先輩にあたる人で、残念ながら今日は都合が悪いってよ」。いや、その、高校の先輩ならずっとご都合悪くて構いません。ショーセイは大した人間ではないので、エントリーでイメージして頂くだけで結構です、いや、決して年上だからどうこうというのではなくて(汗)、その、目下の課題はこれから登場する20代のおねいさんたちのハートをいかにゲットするか、いえいえ、決して下心行動委員会がどうこうという話ではなくて。などと妄想していたら、二人がやって来た。

 「お疲れ様です」「あ、どうも初めまして」「こんばんわ」「あ、いやどうも、わんばんこ」みたいな外交辞令が展開されたのは、ほんの数秒で二人とも生ビールを注文し、料理もさっと注文した。海老のマヨネーズ何たらというのと、なんだったか、やはりから揚げ系のものだったか、とにかく乾杯して話を始めた。僕は当然初対面だったので、最初はY尾君が二人に話題を投げかけてそれに彼女たちが答えるというパターンがほとんどだった。僕が不思議に思ったのは、いったいどうやって僕のblogの存在を知ったかということと、どんな話を面白がって読んでくれているのかという2点。いや、Y尾君がいなければ、もちろんそんな話よりももっとオトナの話をしたかったのだが、如何せん、職場の上司のY尾君の監視があるのでそんなわけにはいかない。

 結論から言うと、Y尾君が自分自身の登場するエントリーをプリントアウトして職場の人間に見せたところ、興味を持ったのがN藤さんと先程登場を阻止した(笑)、高校の先輩、まあ「おおおねいさん」のH原さんのお二人だったらしい。しかし、Y尾君が登場する話は、僕のblogの中でもライブレポートというか、タグで言うと「My Music」に分類される話がほとんどで、あまり僕の加筆訂正というか、まあ心無い人は「デッチアゲ」とか「大ボラ」などというが、文学的表現で言うと脚色の少ないエントリーである。話のパターンは僕かY尾君のどちらか、あるいはそのほかの誰かから入手してきたライブの情報から始まり、当日どこかで飲んでその勢いのままライブハウスやコンサート会場に乱入し、演奏が終わった後は反省会と称して、その日のライブのことを好き放題話す。ライフタイムの時は演奏を終えたばかりのミュージシャンに無理難題をふっかける。たまに、おねいさんが登場することもあるが、これが絶妙の擦れ違いばかりで、まさに戦後、その放送時間帯になると女湯の客をゼロにいたという『君の名は』と同じパターン(などと書いても20代のおねいさん方はご存じないだろう。下手すると、そのお母さん世代もご存じないかもしれん、涙)。全くもって奇跡的な擦れ違いばかりか、場合によっては僕たちなど単なる路傍の石で、一瞥もされないなどという悲しい経験も多かった。たまにはウソでも、おねいさんが出ずっぱりの話を書いたらどうだと、これは自己批判を兼ねつつ思う次第。

 それでも4人で飲み食いしながら、いろいろな話、もちろん4人のうち3人は同じ職場なので、その3人にしか通じない話も多かったが、ビールのジョッキが新しく運ばれるにつれて会話も盛り上がってきた。僕とY尾君は、そろそろビールから卒業し、あの無色透明な人民の友というか労働者の味方というか、要するに焼酎ですね、そちらにチェンジしようとお店の人に注文した。その店はコックがご主人で、給仕は奥さんという典型的な家内制手工業というか、零細、いやいやその、まあご夫婦で経営されているお店であった。要するに注文取ったり、空いたジョッキを下げたり料理を運んできたりするのは、オバちゃんが一人だったので、4人分の注文は何かと時間がかかることが多かった。それでも、笑顔で焼酎の入った徳利を持ってきたオバちゃん、僕達のテーブルを見て思わず、「あらら」と一言。

 ♪どうしたんだ、ヘヘイベイベ、バッテリーはビンビンだぜ~、などと歌う暇もなく、いったい何があったかとオバちゃんの方を全員が振り返ったら、僕達が食べていた海老マヨを、やや咎めるような視線で見ている。実はこの料理を注文したのはN藤さんで、この子は流石にワタクシのblogの読者だけあって、実に気が利く(ファンサービス、笑)。大皿に盛られた海老、その下にはトマトのスライスがある、というかトマトスライスの上に海老が乗っているという方が正しいのか。その海老・ウィズ・トメィトゥを1人に1セットずつ、小さな取り皿に盛ってそれぞれに配ってくれたのだ。実に小ぶりな取り皿で、ちょうどトマトの半円がきれいに収まり、これはこの料理のための取り皿だと全員思い込んでいた。その皿をじっと見たオバちゃん、小声で「これは餃子のたれを入れる皿なんですけど」。しかし、それがどうした。確かにお宅の店ではこの小皿は餃子のたれを入れるために置いているかもしれんが、これはどう見てもトマトと海老を載せるのに最適ではないか、水は方円の器に従うと古の人はいっておるぞ、ええい、貴様では話にならん、主をよべ、あるじを、と突然海原雄山と化して、N藤さんをかばおうかと思ったが、あまりに露骨な下心行動委員会だと思い、じっと我慢した。こういうあたり最近僕は丸くなった。というか、N藤さん、僕のblogの読者だけにおっとりしていて上品なんだよ。まあ、言い方を変えると天然というか、ぼんやり、いや、その、「待機は番制す」、違った「大器は晩成す」だ、要するに物事に動じないお嬢さんだった。

海老ウィズトメィトウ

 もう一人のS竹さんは、逆にてきぱきした感じで話もサバサバしていた。入社はN藤さんが1年早いが、学校の関係で実年齢はS竹さんの方が1つ上らしい。どうして、二人のウマが合うのか、そのあたりをY尾君はいろいろ聞いていたが、特にこれというものはないようだった。家庭環境も家族構成なんかもよく似ていたし、他にもいろいろ話を聞いたが、どこまで書いていいか分からないのでこれくらいにしたい。ちょっと笑ったのは、お二人とも父上が「浴びるように」お酒を飲むタイプで、母上は全くの下戸らしい。女の子は父親に似るという法則を発見したのはメンデルだったか(ウソです)、遺伝の法則は正しいことが今回の飲み会でも証明されたわけだ。

 しかし、しかしだ。Y尾君は確かに彼女たちの職場の上司であるのは間違いないが、せっかくうら若きおねいさんたちとプライベートな話が出来るのに、話題が鬼平犯科帳はないだろう。以前書いたが、Y尾君はある時期から鬼平に目覚めてしまい全シリーズをDVDで完全制覇(最後の方は、もう見るのが苦行のようだったと言っていたが、だったら見なければいいだけの話だ)。鬼平の若い頃の過ちの話だとか、鬼平グループの子分や関係者はみんな脛に傷もつ人間で、その経験から犯罪者に対しても心優しいなどと、呑みはじめると延々と語り、ある時はついにジャズのライブより鬼平の方が好きだ、などと妄言を言い出したこともあった。しかし、まさか、このライブの前の楽しい語らいの場で鬼平を出すとは夢にも思わなかった。その原因は店のオバちゃんである。僕たちが注文した焼酎をこともあろうに、白い陶磁器の2合徳利に入れて持って来たのだ。よせばいいのに僕が「これじゃまるで日本酒だな」と言ったのがきっかけで、Y尾君の鬼平話が始まった。

 会社などという組織には、退屈な上司の話を延々と聞かされる朝礼だとか黙って聞き流すのが一番の会議とか、その手の不毛な時間がいくつかあるが、この時のY尾君の鬼平話はそのワン・オブ・ゼンと言っていいだろう。明らかに女の子二人は退屈して、表面的な相槌を打っているだけなのに、喜々としてY尾君は語る。熱く鬼平を語る。ありがたいことに二人とも『鬼平犯科帳』という名前は知っていた。もっともドラマは見たことが無いので、役者の名前や作家の名前をあげても反応はいまいちだった。笑ったのは、S竹さんが「決めのセリフというか、そんなのは鬼平に無いんですか」「決めのセリフって?」「たとえば水戸黄門の『控えおろう、この方をどなたと心得る』とか、そういうやつですよ」「『てめえたちゃ人間じゃねえ、たたっ切ってやる』とか、そういうの」「『この桜吹雪が目に入らねェか』とかそういうやつ?」「あ、それと『銭の花は白い』なんてのもそうか」、と最後のたわごとはワタクシでした(笑)。

 こういうバカ話ばかりしたわけではなく、この後に行われるジャズのライブについての話、音楽は生が一番、ビールや飲み物の生が一番、人生何事も生が一番じゃとドサクサまぎれにシーモネータに持ち込もうとした大技はY尾君に軽くダッキングされたが、それでも今から見るライブは花のニューヨーク留学から一時帰国する地元が生んだ歌姫の貴重なライブなので心してみるよう、オジサン二人は説教して、そうこうしているうちにライブの開演時間が近づいてきた。20時開演だがFBでの反応を見ていると、結構大勢のファンや関係者が来そうだったので、19時30分前には、その店を出てライフタイムに向かって歩いて行った。Y尾君が居なければ、腕を組んだり手をつないだり、♪あいうぉなほーじょは~ん、あいうぉなほ~じょうは~ん、つまりビートルズの「抱きしめたい」の世界に入れたのだが、誠に残念ながら男・男、女・女の二列縦隊は粛々と「あみーろーど」を歩いてライブ会場に向かった。

 ライフタイムに着いたときは、既にお客さんが半分以上入っていた。レジでチケットを買って飲み物を注文していると、カウンターの奥の席に香月さんがいた。「どうも、久しぶり」などとあいさつすると、一緒にいた二人の女性を見ながら、笑顔で「ジャズの好きな彼女ですか」と聞かれた。実は、以前FBで今度のライブには現在口説き中のジャズが好きな彼女を連れて行くとワタクシ豪語していたのだ。僕は目標達成に向けてベストを尽くすことで有名だが、その時も全力を尽くして口説いていた彼女はいたのだが、直前に体調不良を理由に断られた。まあ、仕方がない、体調が悪いのに無理してライブに行っても楽しくないよね、などと言いながら心の底では悔し涙を流していた。しかし、天は我を見放さず。今回この記念すべきライブにN藤さんとS竹さんという二人のおねいさんを届けてくれた。まさに天は自ら助くるものを助く。ん、ちょっと意味が違うか。どちらかというと天からぼたもち、いや、棚からぼたもちである。ちなみにワタクシ、餡子はつぶあん派である。どうでもいいか。お客さんは既にかなり入っていたが、幸運なことにステージの目の前のテーブル、しかもちょうど四人座れるところが空いていた。次は席順である。こういうときに、気配りのできる男はさりげなく男女男女となるように、場所を決めるものだが、もちろん保護者代理のY尾君はしっかり男・男、女・女という組み合わせにしてくれた。チクショー。

香月ライブ

 大勢のお客さんの温かい拍手の中、トリオと歌手がステージに上がってきた。香月保乃、2年ぶりの宮崎、2年ぶりのライフタイムのライブである。オープニングは「デイ・バイ・デイ」。久しぶりに香月さんの歌声を聴いてクリビツテンギョウ。以前は、高い声が印象的な歌い手だったが、随分ドスの利いた歌い方というか、迫力が増した歌声に変わっている。挨拶代わりに1曲歌って、メンバー紹介。ベースとドラムは以前からおなじみのミュージシャンだが、今回はニュー・ヨークから連れてきたピアニストがいた。David DeMotta、奥さんが福岡のご出身で、そちらで何やら祝い事があるので、じゃあ一緒に九州で演奏しようかというノリで連れて来たそうだ。リズミカルな、ちょっと打楽器ぽいピアノで実に心地よかった。演奏終了後握手をしたが、ニュー・ヨーク訛りが激しくて何を言ってるか聞き取れなかった。いや、ほら僕が学んだ英語はクィーンズ・イングリッシュだから、ヤンキーのスラングまみれの英語はどうも苦手で、う、ウソじゃないぞ。に、新島襄先生の作らはった学校に6年も通っていたさかい、そんなん、当たり前だのクラッカーやっちゅうの。…えー、話がそれたので軌道修正する。

 2曲目は「恋とは何でしょう」、エーゴで言うと” What Is This Thing Called Love?”、コール・ポーターがミュージカル用に作曲した、まあスタンダードですな。そして、3曲目は60年代の懐かしいヒットポップスから、ビートルズの「アンド・アイ・ラブ・ハー」。そういえば、香月さんのライブに良く通っていた頃、レパートリーの中に70年代コーナーというのがあって、そこではジャズ以外のロックやポップスなどを良く歌っていた。印象に残っているのは、クラプトンの「ティアーズ・イン・ヘヴン」やキャロル・キングの「ソー・ファー・アウェイ」、「君の友だち」、そしてロバータ・フラックの「やさしく歌って」など、ジャズのスタンダードの合間に聴く70年代の歌というのは、実に新鮮に響いた。せっかくそうやって、ミュージシャンがライブの工夫をしてくれているのに、「次はジョニ・ミッチェルのナンバーをやってくれ」とか、「ダニー・ハザウェイとロバータ・フラックが一緒にやったアルバムの中から1曲歌ってくれ」とか、無理難題をいうヨッパライの客がいた。あ、オレか。

 ところで、この有名な曲をY尾君は演奏前に「知らない」などというから、僕があの印象的なリフを口ずさんだら、それに香月さんも反応してくれた。こういうところの気配りがいいんだよな。ちなみにこの曲のインストナンバーを地元テレビ局が、良く流していた。それも、いまどきの人たちに話しても信じてもらえないかもしれないが、その昔、まあ、あれは60年代かな、少なくとも70年代には入ってなかったと思うが、昔、テレビは良く映らなくなった。いや、うちのテレビが故障したということではなく、放送上のトラブルが発生して画面がストップすることがあったのだ。番組の静止画像を、そのまま放送しておくのは問題があったためか、あるいは別の理由かもしれないが、テレビの画面が止まるとすぐに「しばらくお待ちください」というテロップとヤシの木のイラストの画面が出てくるのだが、そこにビートルズの「アンド・アイ・ラブ・ハー」のタタタタ~ン、タタタタ~ンという印象的なギターのリフが流れていた。パブロフの犬ではないが、そうやって刷り込まれていたので、あの曲は地元テレビ局の音楽だと思っていた。後年、ビートルズのアルバムで「アンド・アイ・ラブ・ハー」を始めて聴いたときに、『なんでMRTの曲をビートルズが知ってるんだ』とちょっとパニクッたりしたのも、今ではいい思い出である、違うか(笑)。

 香月さんの小話がステージでは行われていた。ニュー・ヨークに留学して早2年経過したが、最初は歌を歌うことは隠していたらしい。別に秘密にするつもりは無かったそうだが、ユーフォニアム専攻科として学校に通っていたので、歌も歌うとなるとボーカル科に通っている生徒から嫌がられるんじゃないか、などとこのあたりはいかにも宮崎人らしい気の小ささ(笑)。しかし、そういうことはいつかは分かる。天網恢恢疎にして漏らさず、というのはちょっと違うか。まあ、半年くらいは私は歌いませんみたいなポーズを取ってたけど、学校のビッグバンドで歌い始めて、今では月に4,5回は歌の仕事も入るようになったらしい、パチパチ。



 今回の香月さんのライブで非常に興味深かったのは歌手として、またユーフォニウムプレイヤーとしての実力を付けたことはもちろん、作曲・編曲の力を見せつけてくれたことだ。ファースト・セット、セカンド・セットの両方に地元の民謡をアレンジして歌ってくれた。ファーストでは「のさん節」、セカンドは「ひえつき節」だった。どちらも秀逸な出来で、特に「ひえつき節」は圧巻で動画を撮ったのだが、何故かピントが上手く合っておらず、残念ながらYOU TUBEにアップ出来なかった。地元の人なら、どちらの歌もよくご存じだと思うが、世間的には「のさん節」はどの程度の知名度があるんだろうか。「のさん節」、エーゴでいうと”Never Be Relax”。あ、これはワタクシのいい加減な訳ではなく、From New Yorkの香月さんがステージで言ってました(笑)。

 実は、我が地元の宮崎には有名な山と田圃と樹木がある。「ノサン」と「ダレタ」と「ヨダキ」である。これらすべて「疲れた」状態を表現する言葉なのだ。エーゴだと、せいぜい”tired”の一言だろうが、我がポンニチの、その南の果ての陸の孤島では「疲れた状態を」本人の意志がどういう状態でつかれているか、この3つの単語で使い分けが出来るのだ。純粋に肉体的に披露した状態の時に「だれた」と使う。「だりー」などと語尾を変化させると、より強調される。この「だれた」に「止める」あるいは「とめる」という意味の「やみ」を合体させると、「だれやみ」、即ち晩酌の意味にある。「もう、こん仕事は、はよ切り上げてだれやみすっが」などと使うことが出来る。

 本人にやる能力はあるのだが、気が進まない時に「のさん」と「よだき(ぃ)」を使う。「よだき」、地域によっては「よだきい」と最後に「い」または小さく「い」を付けるところもあるが大意はおなじ。よく学校の先生から「よだき、よだきで掃除をすんな、やるときはぴしゃっとやれ」などと怒られたものだ。え、「ぴしゃっと」とはどういう意味か、ですか。「ぴしゃっと」は「ぴしゃっと」である。適当ではないのだ。「のさん」は強調するときは「さ」と「ん」の間を長く伸ばすとネイティブっぽくなる。「こら、お前ははよ仕事に行かんか」「のさ~~~~ん」などと使えると、あなたは今日からネイティブ・スピーカー。ただ残念ながらTOEICには何もプラスにならない。

 この疲れ方を表す言葉が豊富だということは、やはり僕らの住んでるところの県民性はナマケモノが多いんだろうな。あ、いつの間にが言語学のお話になってしまった。香月さんのライブの話は、また今度ね(という手段で何度エントリーをボツにしてしまったか、ゴッドオンリーノウズである、笑)。

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あえてドヤゴエ君を弁護する

 別に同郷のよしみでもなんでもないし、実は以前からテレビでその顔を見るたびにうざい奴だと思っていた。毎回テレビで「どや、ワシ、エライやろ、この歳でオゼゼをぎょうさんかせいどるさかい、サカイ、そうかい安いのかい」などと後半はどこかの運送会社のコピーをパクってしまったが、要するにあの人である。料理人の川越君である。僕はドヤ顔の川越、略してドヤゴエと呼んで家族からひんしゅくを買っているが、そのドヤゴエ君が最近ひんしゅく買いまくってると聞いて、ちょいといきさつを調べてみた。すると、どう読み直してもドヤゴエ君は間違っていないというか、まずもって正論。ドヤゴエ君何も間違ったことを言っていないのに、なんだか随分叩かれている。こりゃおかしい。なんで彼が叩かれないといけないのか、ちょっと検証してみたい。

 いきさつは、サイゾーという雑誌、かっては噂の真相の後継誌などと持ち上げられたが、記事が面白くないのと雑誌のサイズがデカくて持ち運びにくいため、少なくともワタクシはここ最近全く買って読んではいないのだが、その雑誌のインタビューがきっかけだったと思われる。面倒なのでヤフーニュースからコピペする。

騒ぎとなったのは5月19日に公開された雑誌「サイゾー」のインタビュー記事での発言。川越氏はインタビューのなかで、「タツヤ・カワゴエ」が以前に飲食 店評価サイト「食べログ」にて、ある一般ユーザーから酷評され、「注文していないのに水代として800円取られた」などと非難されたことについて言及。食 べログのような評価サイトについてどう思われるか、との質問に「くだらないです」と即答し、その理由として、年収300万円~400万円の人たちには、高 級店がそこまでの店になるまでに費やしてきた企業努力や歴史はわからないと思う、などと持論を展開。800円の水代については、良質の水を提供しているの で妥当な料金だとした上で、「1000円や1500円取るお店だってありますよ。そういうお店に行ったことがないから『800円取られた』という感覚にな るんですよ」と反論した。


 今、もう一度読み直してみたが、これのどこが問題なんだか全然理解できない。食べログとかなんとかログとか、ウェブ上には「ワシ食道楽じゃけん」、とか「あたくしこう見えてもグルメよ」、とか、「もう何がなんだか良く分からんがとにかく5分間でカツ丼大盛3杯食えるけんねワシ」、みたいな「一般大衆」が何のためのそんな情熱かけているのか知らないが写真付きであちこちの食い物屋等の情報をアップしているサイトがある。正直に言うと僕もラーメン・サイトとか読んで、「あ、こいつ味のことなんにも分かってないじゃん」とか「違うんだよ、ここはそういう店じゃないんだからよ、サルが分かったようなこといってんじゃねーよ」などと悪態ついて日ごろのストレス発散をしていたこともある。いや、今でも積極的やっている(笑)。

 もっともこの食べログはちょっと前にサクラが書き込みして、店の評価をアテにならないモノにしたなんてことがあったと思う。こういうのをウェブの集合知なんていってありがたがってるおめでたい人たちもいるようだが、それはそれで笑って無視すればいい。

 ええと、問題になったのは水1杯で800円取られたという書き込みに対して、ドヤゴエ君が「年収300万円~400万円の人たち」に分かる価値観じゃないといういい方が傲慢だとか低所得者をバカにしていると非難されたわけだな。しかし当方もワンオブ「年収300万円~400万円の人たち」だけど、怒らない。というか当たり前である。「年収300万円~400万円の人たち」は水1杯800円の店など入らなければいいし、入ったところでそのありがたみ、価値観なんぞ分かるわけがないだろうという単純至極な理屈。考えてみなよ、「年収300万円~400万円の人たち」は、ざっくりした計算だけど1日の収入が1万だ(1ヶ月30日と考えて)。その中から家賃や光熱費や食費や教育費や、まあ何でもいいがお金を払っていくわけだろう。そうすると昼飯に使えるお金はマックス1,000円、でも出来れば500円以内で済ませておきたいというのは、これぞ生活の知恵である。

 そういう人間が、何が悲しゅうて水1杯800円の高級レストランに入るのかって、入る前に服装とか、そういう場でぼろが出ない程度の知識というか教養というか、そういうものは本来インスタントに身にはつかん。だいたい、貧乏人が高望みはじめてから世の中おかしくなってるのよ。話はそれるかもしれんが、クレジットとかローンとか、あれも貧乏人をバカにしているというよりダマしていることに何故気がつかないか。ある人に買いたいものがある。でもお金が無い。大丈夫、あなたは明日も元気で働くでしょう、そうすると来月の給料でるでしょ、それは来年、再来年も出るでしょ、だったらそこで払えばいいから、とりあえず貸してあげるから心配しないで。でも一応何かあった時のために親兄弟、いや血縁関係は面倒だったら、お互い助け合うという会社もあるからそこの保証を受けて、ね、ね、ね、何も心配ないから、などという業者の声を本当に信じているのか、キミは。

 あなたが、つまりそれは僕でもあるのだが、明日元気で働いているかどうか、ゴッド・オンリー・ノウズなのだ。要するにそんなもん分かるはずがない。今夜あなたが、僕が心臓まひで死なない保障などどこにもない。僕の場合はフクジョウシする可能性は、残念ながらゼロに等しいが、それはどうでもいい。明日のことなんか誰にもわかりゃしねえ(by Panta)。まあいい。こちらの体が元気で明日も働けるとしよう。じゃ、働く場、つまり職場は安泰か、この不透明な時代、地方自治体が倒産するという時代に、あなたの働いているところは絶対安全だ、安心だと言えるのか。などと考えると、ローンを組むなんていうのは狂気の沙汰だということがわかるだろう。人間いつもニコニコ現金払い。欲しいものがあれば貯金して買え。なんてことを書くと、こいつは経済のダイナミズムが分かってない。金は動かしていかないとダメなんだなんてこというオジジが必ずいる。分かった、了解、それでいい。ただそれはオレタチ貧乏人を除外して、3%(by 下地勇)の大金持ちの間でやってくれ。

 その昔、貧乏人は麦を食えといった政治家がいた。ごもっともである。貧乏人は麦を食ってりゃいいのよ。それを何をトチ狂ったが、イタリアンだフレンチだ、中華だ、ロサンジンだって面倒なんだよ。所詮、俺たちゃ味の素、おっと今はうま味調味料というのか、あるいはサッカリンやチクロなんかで味蕾はボロボロついでに未来もボロボロ、原子力発電の未来もボロボロの時代に生きているんじゃないか。もうなんだか、書いていて嫌になるけど、身の丈に応じた生活すりゃいいじゃないか。「座りゃ半畳寝て一畳の暮らししてれば気が楽な」なんてこと言った人もいたけど、まさにそれだよ。もういい加減成長神話とか、右肩上がりの暮らしなんて夢見るのやめようぜ。貧乏人は貧乏人の楽しみもってりゃいいじゃねーか、たとえば世界同時革命とかよ(笑)。

これから陽太のライブなのに



ノミホ千円に誘惑されて、かなり出来上がってて良いのかワタクシ。あ、ズトさん、本日はおねいさん関係はゼロです(涙)。

※追記:結局、ライブハウスに着いたら20時過ぎで、すでに演奏はスタート。しかし、ポスターをよく見たら、開演19時30分でした。普通に20時に行ってもアウトだったのね(涙)。

香月保乃 凱旋ライブ・レポート イントロダクション

 いや~、実に楽しい充実したライブでした。やはり肉食中心の紅毛碧眼人が闊歩する魔都、大ニューヨーク帰りはちょっと違う。などと2年ぶりの香月さんのライブの話を今日はするのだ。実はこんなにうれしがっているのは、もちろんライブが良かったことが、その大きな要因ではあるのだが、一緒に見に行ったメンバーが良かった。うん、実に良かった。そうなのだ、拙blogでライブやコンサートの話に毎回からんでくるY尾君が今回実にいい仕事をしてくれたのだ。わははは、それではそのあたりから話を始めたい。

 香月保乃ちゃんが宮崎に一時帰国してライフタイムでライブをやるという情報は、僕がFBで香月さん本人からゲットし、Y尾君に6月にあるぞと伝えておいた。そして、ライブが6月17日の月曜日にあることは、酒井春佳のライブの時に香月さんのお兄さん、つまりドラマーの宏文さんから聞いた。『日曜の方が、お客さんが来やすいだろう』という、流石はプロのドラマーの宏文さんのアドバイスに対して、我らが保乃ちゃんは『日曜日はニューヨークから連れてくるピアニストに市内観光をさせたいから』というナイスな回答だったらしい。ま、こちらは日曜だろうが月曜だろうが、久しぶりの香月さんのライブなので行くことに躊躇はない。ただ、ここ最近のライブでちょっと困ることがひとつあった。それはライブ前の軽い飲食、いわゆるガソリン注入という儀式をどこでやったらいいかという、結構重要な課題である。課題といっても薩摩の国にその昔あって、国立二期校と分類された大学ではない。あちらはカゴシマ大学、略して鹿大。などと南九州ローカルな話題は止める。ちなみに「鹿大」を「シカダイ」と読まれてしまったら意味が全く見えなくなる、って余計なお世話か。

 ライブ会場のライフタイムは『あみーろーど』と呼ばれる商店街の一角にあり、近くに焼鳥屋や居酒屋、小料理屋は結構あるが、ここがいいというお店が少ない。帯に短し、たすきに長し、なのだ。いや、以前は家族3人、父・母・娘というトリアンヴィラ―ト体制の居心地のいい縄のれんのお店があった。拙blogでも何度かアップしたことがあるが、串焼きやおでん、魚介類も新鮮で玉子焼きを頼むと、アレはどう見ても卵を3つ入れてるのではないかという、その圧倒的な重量感と食欲をそそるまっ黄色の楕円形。箸をその黄色く太い腹の所にざっくりという感じで入れると、ちょっと中からクリームっぽい半熟っぽい卵汁が出てきて、そして箸につかんだ卵焼きを口に入れると甘い。甘いのだ。砂糖たっぷりの卵焼き。ああ、書いていて涎が出てきた。そういう旨い肴とチューショーやルービーをガンガンやって、お愛想っていうと「一人1,350円」などと、厳密に頭割りした金額を言ってくれる。まあ、気も心も休まるお店だったが残念ながら昨年末に閉店。それからは、あちこち開拓はしたもののここだというお店が無かった。

 しかし、この手のお店探しはしっかり押さえるY尾君が電話で「駅前に中華料理屋があって、結構いける」と連絡してきて、そのお店は僕も以前から気になってる店だったので、じゃ当日、ライブは20時からなので、18時15分をめどに集合と計画したのだった。そしていよいよその日。僕は仕事を大急ぎで片づけて家に帰り、待ち合わせの店にどうやっていくかと考えた。自宅から待ち合わせの場所までJRの駅で1駅なので、いつもは歩く。となりのトトロの「さんぽ」などを口ずさみながら軽快に歩く。しかし、あなた方は南国宮崎の晴れた日の6月を知らない。歩いていったりした日には確実に熱中症、昔は日射病と言ったが、そういう恐れが十分ある。さて、どうするか。シータクなどで行ける身分ではないので、正座して両方の人差し指に唾をつけて、その指を頭にってオレは一休さんか!!ちなみに一休さん、フルネームでは田辺一休という。ウソだと思うなら、京田辺市のHPかなんか見たらいい。あの駅降りたら、一休さんの銅像があってそこに「田辺一休」と書いてあった。何なら証拠写真を見せてもいいぞ、ハァハァとオレは何を興奮しているのか。

 とにかく考えることもなく、ネットで時刻表を調べたら17時59分発のJR特急にちりんがあった。ラッキーなことに1駅なので普通乗車券で乗れる。え、何、何とここで引っかかったあなたは都市生活者か、またはそのふりをしている田舎者である。要するに、うちらのような田舎(ちほうとし、と読んでくれたまえ)ではね、特急電車に乗るには特急券てのがいるわけよ。そしてそれは決して安いものじゃない。さらに指定席なんて選ぶともう大変。毎年春先に発生する特急、準急、急行パス事件とは宮崎や鹿児島あたりから進学や就職で大都市圏に引っ越した人間が一度はやってしまう通過儀礼。要するに普通電車というか各駅停車以外の電車に乗るときは別料金を払うというのが小さいころから刷り込まれているので、恐れ多くて乗れない。都会暮らしに少しずつ慣れてきても、阪急電車の特急で梅田に行くときはいつもちょっとビビっていた若き日のワタクシを思い出す。えーと、何の話だったか、そうそう、ちょうど特急電車が来たので、それに飛び乗って目的の駅に着いた。到着時間は18時3分、早いのである。流石は特別急行列車と名乗るだけある。しかし、早すぎる。15分合流だったので、駅の中の売店でマンガを立ち読みした。すぐに携帯がなった。Y尾君で、もう店に着いたから先にルービーをやっとくという。その時、Y尾君から珍しく届いたメールをもう一度開いた。そこには「本日のライブ:美女2人が参戦します。駅前の中華に6時15分くらいには行きますぜ。」とあった。

 『6時15分くらいには行きますぜ』、である。いやそれよりなにより『美女2人が参戦します。』のほうだ。僕はこれを頭から否定していた。あるわけないだろ。いや百歩譲ってあったとしても、美女ってのは、『ああた、何をおっしゃってるの』と、ここは何故かデヴィ夫人の口調が移ってしまったが、我らがY尾君である。悪いが高校1年からの付き合いなので、かれこれ40年以上お互いを知っている。まあ、彼が女性関係でその力を発揮したことは、はっきり言います。過去一度もない。人間は経験によって学ぶ動物だから、40年以上、彼の関係で『美女』なるものに遭遇したことはないことから、つまり今回のもガセ。まあ、僕を喜ばせようというところだろうが、同級生の女性とか連れて来たら全く無視してやろうくらいに考えていた。ここで皆様に謹んでお詫びと訂正をいたします。奇跡が起こりました。マジで美女2人が参戦しました。あ、しまった、もう夜が遅くなった。この続きはまた。

 とりあえず、今回のお話を理解してもらうためにY尾君が登場するエントリーをいくつか貼っておきます。

・大学時代の話 「サンダカン八番娼館 望郷 その2
・あるライブでの再会 『誰かが私の歌を歌ってくれる、私が死んだ後も(byカルメン・マキ)
・衝撃のZEK3 『ZEK3 Live at the Life Time
・香月保乃ちゃんとの出会い 『27年ぶりのジャンプ~ちょっとマジな話もあり 前編

 この他に検索してみたら全部で71件のエントリーがあった。次回はもう少し整理してアップするので乞うご期待(笑)。

父の日だから



晩御飯は回転寿司に行くことになった。最初に行ったお店は駐車場いっぱいに客があふれ、とても入る余裕無し。仕方ないので初めての店に行ったが、こちらも整理券に12組待ち(汗)。

それでも少し待っただけでカウンターに座れた。配偶者の支払いだと思ったので最初からウニやトロ等食べていたが、バカ娘二人の割り勘と聞いて軌道修正。サバやイカ等の大衆迎合路線に変更。ビールもコナマ一杯で我慢。

それでも結構お腹は膨れ、さあ帰ろうとしたら伝票を配偶者が掴んで精算。しまった、こんなことならイクラにカツオにフグに、と頼んでいたらサザエさん一家大虐殺である(笑)。

しかし、ウニをもう一度たのめば良かった。

父の日のプレゼントに



甚平が欲しいと言ったら家族で相談し、某格安衣料品店に連れて行かれた。ブラック企業と噂されてる雲丹黒ではない。アイランド・ヴィレッジである。

そこで腹黒さに定評のある某三木ネズミの甚平とポロシャツを買って貰った。アロハシャツも欲しいと言ったら、贅沢だと批判された。

レジで見ていたら、総額三千円ちょっとであった。オレの価値は、その程度である。情けない(涙)。

好かれる先輩、嫌われる先輩 DRAC興亡史外伝

 この前の週末に天国と地獄を見た。というと大げさだが、とても嬉しくてハッピーな気分になれた瞬間もあったが、お返しにくそムカつく出来事もあったという訳だ。『どっちの話を聞きたい?』というように突然の質問で笑いを取るのが、大木こだま・ひびきの漫才で僕は結構あれが好きだ。そんなことはどうでもいいか、まあアップするこちらもウザイ話はしたくないので、先ずは楽しかった話を一発。

 『ウェブはバカと暇人のものだ』、などとここ最近もブーたれてるワタクシですが、先々週の日曜日の午後、その日は午前中からしとしと雨が降って、まさに梅雨の雨、アジサイは嬉しいかもしれんが、生憎僕は紫陽花ではないので、ましてや趙紫陽でもないので、家に居ても鬱陶しいから例によってブコフめぐりをしていた。いつもなら携帯を持って行くのだが、その時は何故か充電器に差し込んだまま部屋に忘れて出かけてしまった。雨の中行ったブコフは収穫が無くて、いや、ちょっと欲しいなと思った本やCDはあったのだが、物欲に任せてそういうものを際限なく購入していくと社会主義的計画経済の我が家の家計は簡単に破たんしてしまう。「何を言ってるんだ、たかが古本、中古CD」と侮るものではない。ルンペン・プロレタリアートあらためルンペン・プレカリアートの僕は、本年になりますます収入が減って、それと反比例して食費やその他の雑費が増えて、あああ、こんなことを書くと気持ちが滅入る。もしかしてオレはウザイ話から書き始めたのか、と自問自答する。

 違った、違った、要するに古書店めぐりでは大した収穫が無くて(何しろ購入したのは森見登美彦の『宵山万華鏡』とECの『EC自伝』の2冊を税込630円でゲットしただけ)、それでも好きな本やCDを物色したので、まあまあいい気分で家に帰ったら携帯のカラータイマーが点滅している。どうせメールだろうと手に取ってみると、あら、珍しや、大学時代のデューク先輩から2回も着信が入っているではないか。何かあったのかと思って、慌てて電話すると「ああ、携帯忘れて行ったんだって、まあいいや。今ね。実に珍しい人と一緒なんだよ、サプライズだな、ちょっと代わるね」。え、どうしてオレが携帯忘れたこと知ってるんだろうという疑問を頭の中に浮かべつつ電話を持っていたら、「こんにちは、ご無沙汰してます」という女性の声がする。え、誰、誰、以前このパターンで同級生だったHさんと話をしたことがあったけど、この声は分からない。記憶にない。僕が黙っていると、先方はいたずらっぽく「わ・た・し、旧姓、U村明子です」。ええええええええ、うううううそおおおおおお、というような声にならない声を上げたのは僕であった。

 何と大学のサークルの先輩、しかも同じ文学部は英文科だったU村さんが電話の向こうにいたのだ。僕が1回生の時に3回生だったが、もう何というか大人の雰囲気漂う美人だった。タバコも吸っていて、お酒は斗酒猶辞せずの九州出身の女傑だった。いや女傑なんていうのと違うな。そう西岡恭蔵の歌う『プカプカ』のモデルのような女性だった。大学に入ってまだまだ右も左も分からず、サークルのBOXでも小さくなってレコードを聴いていた当時1回生のワタクシなど、めったに口もきけない雲の上の存在であった。今でもはっきり覚えている、U村さんとある先輩の会話。何やら分厚い本を手に持ち、それを読んでる先輩に「N田君、何読んでるの」とU村先輩。「あ、『ドグラ・マグラ』だけど」「ふーん、また暗いの読んでるね」。たったこれだけの会話だったが、その間にBOXに居たのは僕とU村先輩と読書中だったN田先輩の3人だけ。床に吸い殻の散らかった殺風景なBOXに紫煙が3本。お二人はその後何事もなかったかのように、チャーリー・パーカーのレコードをかけるのであった。

 なんだ、それがどうしたの、などと冷静に聞けるのはあなたがもう大人になった証拠です。当時ワタクシ大学入ったばかりで、まだ18歳。見栄張って煙草を咥えていたけど、煙を吸い込まない「ふかし煙草(byウシャコダ)」で格好つけていました。そこにハイライトのメンソールを、マニュキュアを塗った指で挟んだU村先輩と、丸い銀縁メガネに750用のヘルメットを脇に抱えたN田先輩。もちろん机の上にはロングピースとジッポーのオイルライターですよ。そして会話が夢野久作ですよ、「そんなもん誰だって読んでるのよ、当然よ」、みたいな会話ですよ。こりゃ当時南九州から出て来たばっかりの田舎者のワタクシには刺激が強すぎた。ああ、こういう世界に足を踏み入れたらカタギに戻れなくなると思いながらも、来年はオレが後輩の前で女子部員に向かってああいうこと言うんだ、オレはロシア文学が好きだから、ガルシンの話でもしてこましたろうか、チクショーと最後は何故か絶叫してしまった修学院の夜、なんてことがありました。

 そのほかにも、このU村さんにはいろいろお世話になった。2回生の時は夏合宿に参加するお金の無かった僕のために、他の女子部員に相談してくれてみんなで合宿の会費を負担してくれたこともあった。もちろん、それは借りたお金だから返済の義務がまともな人間ならあるはずだが、大変残念なことに当時の僕は全然まともじゃなかったので、見事全部踏み倒した。同級生のHさんにも確か5,000円くらい借りたはずだが、しかし、この借金は昨年の大阪での再会の時に許してもらった。後は、このU村さんとT永さんだけど、お二人とも器の大きい人だから笑って許してくれるはずだ、などと都合のいいことを書いて誤魔化す姑息なワタクシであった。あ、それと消滅時効でもある、などと苦しい時のブルジョワ法律頼みでもあった。

 この時のきっかけは何だったか。僕が2回生の時だから、76年の夏だ。当時、ジャズ班に所属しつつも、心はロックだったワタクシ。もっとも、研究会に参加しても何というか、些末主義的な話ばかりで、「これは名盤」とか、「あれは駄作」などと心象批評ばかりで、なんら生産性がない。しかも研究会参加者しか分からない話ばかりで、アルバイトや私用でその研究会に参加できなかったメンバーに情報の伝達も出来ない。研究会のノートを取って、参加できなかったメンバーに閲覧させたらどうかという提案をしたものの、工学部や商学部の連中が字を書くのをめんどくさがって(100%に近い確信をもって言うが、こいつらは漢字を知らなかった)、研究会ノートもいつの間にか落書き帳みたいになってしまい、麻雀の誘いを断った男の名前を大きく書いて、呪いの言葉をその横に書くとかそういう使い方しかしなくなるのに、かかった時間はごくわずかだった。

 しかし、当時入部してきたばかりのM原君やS木君という若手メンバーと話し合い、サークル活動の記録として会報を作るべきではないか、DRACも以前は会報があったが、別館闘争を経ていつの間にか廃止になった、などという歴史的事実を知ったりして、これはオレがやらないと誰もしない、というか出来ない。よし分かった、次の夏合宿でジャズ班からの問題提起としてロック、クラシック、ブルース全てのサークル員に問題提起して会報を作成するのだ、と盛り上がったのは良かったが、あてにしていたアルバイトがダメになり、本来合宿用に取っておくべきだった仕送りを使い込んでしまい、にっちもさっちもどうにもブルドッグになってしまった。仕方ないので、「オレは考えるところがあって合宿には参加しないから、今回の会報復活の話は新入生の提案として合宿で上げてくれ。万一、そこで否決されても後期のEVEの準備の総会の時にオレが改めて提案するから」などと1回生の諸君に託したが、しかし、そういう提案はあっさり否決されるだろう。まあ、その時はその時だなどと開き直っていた時期。

 BOXに行ったら、珍しく男性部員は誰もおらず、レコードを聴いていたのはU村さんと確かT永さんだったと思う。いつも明るく元気なワタクシが(自分でも信じられないが、75年、76年くらいまでの僕は常にハイテンションで、大きな声で話す活発な少年であった。これがどうして、今は「男は日に三言」の寡黙な南九州の高倉健と呼ばれるようになったのか、人生は謎ばかりだ)、自分から口も開かずぼんやり煙草を吸っているのを見て、T永さんが話しかけてきた。「もうすぐ合宿やね、鳥取の民宿ってどんなとこなん?」、そう彼女は1回生の後期から入って来たので、夏合宿は初めてだった。「あ、えーと、スイカが甘くて美味しい。イカと甘海老の刺身が旨い。それとビールはキリンのラガーの大瓶が300円で飲める」などと力なく答えた。「なにそれ、食べるものばっかりやん」と笑いながら答えるT永さんとのやり取りを見ていたU村さんがおもむろに「ところで、合宿で何か提案するとか言ってたよね」。「あ、その件ですか。ちょっと僕は都合がつかなくなったので、趣意書を書いて1回生の連中に発表させるつもり…」「何、どうして、キミが行かないのかな。1回生の子たちじゃ荷が重いし、先輩たちに言いくるめられて終わりって結果見えてるよ」「まあ、それはそうなんですが、とりあえず彼らもそういう経験してもええんとちゃいますか。もっとも会報の件は後期の総会で改めて提案すれば何とかなると…」「なんで合宿行かないの、キミが行かないと意味はないよ」「いやその先立つものが…」「なんだ、お金なの。大の男がだらしのない。いくら足りないの」「その、ほんの3万ほど」「はぁ、合宿代全額じゃない、ははあ、またS賀君やT原君と一緒に飲み歩いていたのね、そういうことはきちんとしないと、あんた大人になって困るよ」。というようなやり取りがあって、U村さん、「お金は私が女の子たちに話をして、何とかするから、合宿絶対行くようにね」と念を押してくれた。世の中にはこういう人もいるんだとワタクシ、心の中で両手を合わせておりました。

 さて、無事に合宿に参加できたワタクシは先ずは各班の打ち合わせの中でジャズ班独自の会報作成を提案し、何故かそれにすぐ同調したF田敏雄君、早速原稿の段取りを始め、S賀さん、Nさんにジャズとのなれ初めや私の薦める名盤などの話を書くよう段取りし、ご本人は倉橋由美子の文体を意識した一大ジャズ小説を書くと豪語しておりました。後年この「名作」は幻のミニコミと呼ばれたマーマレードの創刊準備号に『HOBO CITY』というタイトルでアップされるとは神のみならぬワタクシ、想像すらできませんでした。このジャズ班の会報ですが、編集責任者がリーダーのF田敏雄君だったため、後期始まってすぐに、「それどころやなかったんや。秋田の山の木が大変なことになってな、お前知らんやろ。1本30万以上する天然秋田杉が1山に何百本も何千本もあるんや。オレの爺ちゃんはそういう秋田杉の山をなんぼも持っていてやな、それの財産管理をオレがせんといかんのや」などというような話をされて、意味は全く分からなかったが、とにかく剣幕だけは凄かったので、僕達下々の者には分からない大金持ちの家の苦労があったんだろうと、え、それが会報とどんな関係があるのか、それは誰も分からなかった。恐らくF田君本人も分かってなかったと思う。

 結論からいうと、この時は会報を復活させることは出来なかった。合宿中の会議ではとりあえず承認されたものの、前述のM原君とS木君以外は誰も協力的ではなく、僕自身も他のサークル員、先輩や同級、後輩を上手くまとめることが出来ず、企画の途中でとん挫してしまった。このことがきっかけでM原君はサークルを辞めて(退部はしたものの何かあるとしょっちゅうBOXに来ていたし、住んでいる下宿は会長のS戸、副会長のF田君と一緒だったので、外部から見るとサークル員と何ら変わらなかったのはご愛嬌だ)、連続射殺魔というおどろおどろしいロックバンドのマネージャーを、今もイベント関係の仕事をしているN部君と一緒に始めることとなる。

 結局、DRACで会報が完全に復活するのは79年、当時音楽ジャンル別の研究会スタイルを続けていたサークルを一度解体し、再度サークルとは何かを問いかけつつ構築するのだとN谷君を中心としたサークル改革を行ってからである。勿論「レコード音楽研究会」としての「研究会活動」は存続させるが、ただレコードを聴いていいとか悪いとか、アンケートを取ってそれを自分たちの手柄にして喜ぶような、まあ、簡単に言えばマスターベーション的研究会はそれを大事にしたがる守旧派もいるので、そいつらはそいつらでやらせておけばいい。それより、音楽を聴いてそれを各自がどう考え何を表現するか、そしてそれを共有することにより積極的な意味を考えようとして、イベント企画班、ミニコミ班(対外的)、そして内部的な研究会を発表する場としての会報班などを作り、それが80年代のDRACの大きな骨子になっていった(と思うが、この辺りは「鳥肌音楽」のSM君のほうが詳しいだろう)。

 と、まあぱっと思い出しただけでもいろいろな意味でお世話になったU村先輩だが、本人いわく「もう昔のことはすっかり忘れ」ていらっしゃるそうだ。これ以外にも面白い話はたくさんあって、あ、あの時の一乗寺のU村さんのアパートで聴いた石川セリはよかったとか、コンパで酔っ払って絡んでしまったとか、まあその手の話はごろごろあるが、今は堅気になっている先輩の過去の悪行の話を書き綴るのはあまりいい趣味ではないので、このくらいにします(笑)。そういえば拙blogを始めたばかりのころ、懐かしさに任せて同級生だったS戸君の話をたくさん書いた。僕としては悪意はなく、あくまで昔話のつもりだったが、ネタがシャレにならなかったせいか、いまだにこちらから何度呼びかけても無視される。今回のU村先輩からも無視されないように、今回はここまで。え、S戸君の話ですか。うーん、もう大抵書いた話ばかりなんだけど、まあせっかくなので(笑)。

いやそれが、大した話じゃないけど、1回生の時に車の免許を取ろうと一生懸命バイトして当時としては大金をため込んだのだが、京福の、あ、今は叡山電車というのか、その通学定期を偽造したのを駅員に見つかり、血と汗と涙でためた貯金をすべて罰金として没収された話とか、試験中にカンニングがばれて全科目零点となり見事に留年した話(よく考えたら彼は経済学部で75年入学の彼は4年間中2回はストためレポート切り替えになったから普通にやってればダブルはずなかったんだが)とか、ねずみ講に引っかかって頼れる友人知人は誰一人としていなくなり、そう、その時も副会長のF田君と一緒だったので、二人して無い知恵を絞りだしていたら、突然、F田君が「あ、あいつがおった。俺の連れで俺が困ったときは必ず助けてくれた男や、あいつに頼めば間違いない」というので、深夜車を飛ばしてそのF田君の親友のアパートに行ったら、玄関のドアも開かず、「誰や、F田?お前、どの面下げてワシのとこ来たんや。お前がかけた迷惑、一つや二つで済まんぞ、ボケ、今度はなんや、なにやらかしたんや。もっとも何やってもワシとお前は赤の他人や、頼むんやったらどっか別のとこ行けや、まあ、どこいってもお前を助ける物好きはおらんわ」などと嘲られ、さすがにその時のF田君の顔はまともに見ることができなかった、とこれは後年、S戸君から聞いた話で、まあ、こういう話はまだまだあって、と話はネバーエンディングストーリー。あ、むかつく話は今回の話の中にちらっと入れてるけど、粗野な先輩の話なので、そのうちまとめてアップしてやらぁ、首洗って待ってろ、クソジジィ。



やっぱり基地外で酒はマズイぞ



昨日、ああいうエントリーをアップしたら、今日の新聞には、こんな記事があった。アマデウスという立派な名前を持ちながらのご乱行。サリエリにカストリでも飲まされたのか?

目撃者の話では「上半身裸の外国人が木材で車を叩いている」と、通報があったらしい。やることがまるでボーリョク学生である。こういう輩の暴発を防ぐために、ある地方自治体の長は、ヤンキーゴーフーゾクと言ったのかも知れない。きっと先見の明のある人にちがいない。

え、そりゃマズイだろ、キチ…



キチガイに飲酒を許可したら、絶対にマズイと思います(キッパリ)。

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