怒涛のライブ3連荘 その1というか1から2

 さて、前回は一体何の話だったかというと、単なる昔話。高校の同級生は出世しているが、オレは河原の枯れすすき。世の中を斜めに見ていた天罰で、渡る世間の厳しさを、ようやく分かったこの歳で、年金ナンボになるんやろ、ナンボになっても食っていけん、食っていけんと人は死ぬ、死にたくないならゼニ稼げ、ああ、幾つになっても甘かぁねぇ、と最後はエンケンのフレーズをパクったが、いかんいかん、こんなことを書いているから話が進まない。一足飛びに3連荘の2日目の話を書こう。

 23日の土曜日は酒井春佳が地元(もちろん宮崎市のライフタイムだ)で凱旋ライブをやるというメールが、FBを通して本人からあった。この酒井春佳は、いつものライブの相方Y尾君の職場の同僚の娘さんで、その関係で4年前だったか、彼女が大学で結成したドンバ(BONOBONO BANDって名前がいかにも若い女の子だね)のライブに誘われた。しかしY尾君は、もっと前に彼女の存在を知っていた。実は富士通が主催しているイベントで100 GOLD FINGERSというものがあって、キャッチコピーが「ニューヨークからジャズピアニストが居なくなった」。普通、人間の手の指は10本(もちろん中には9本とか不始末の連続で8本とか不慮の事故で10本無い方がいるのは先刻承知だが、まあそういうところはとりあえず見逃してくれ)だから、100ということは10人のピアノ弾きが一堂に会して演奏するという大イベント。それの何回目かの、さっきネットで調べたら多分9回目のイベントが、地元は宮崎の新富町というところであり、そこにY尾君は見に行ったわけだ。実はY尾君、秋吉敏子のミーハー的なファンで、しかもその時はドン・フリードマンというもう一人大好きなピアニストが来ていたので、これはどうしても行かねばの娘(フィル・ラモーンが亡くなった、合掌)。で、ライブ終了後の打ち上げに、これは何度か拙blogに御登場いただいているM原先輩の伝手で入り、念願の秋吉敏子と話をしたりサインをもらったりしたのだが、その打ち上げの現場で制服姿の女子高校生がソロピアノを弾いていたのを目撃した。そのことを、会社の後輩に話をしたら、何とその高校生は実は彼の娘であったという顛末。世の中は狭い、実に狭いのだ。

 世の中が狭い話の実例が最近もう一つあった。以前の日記に書いたように僕の首が回らないから、いや、その比喩的な意味じゃなくて現実にって、こういうエクスキューズはもういいか。まあ首の調子が悪いので整骨院に通っている話を書いた。その整骨院は、ちょっとユニークで治療室にBOSEのスピーカーが2本、壁に固定してあるし床には手作りじゃないかと思われるツィーターが2本、にょっきり立っていて、そこから時々ジャズが流れていることがあった。ボーカルやスタンダードが多く、もちろん治療室にいるのは首や肩や腰が痛くて施術を受けに来ているわけだから、音量も控えめでいわゆるBGMとして流している。豚のいななきとたとえられるエリック・ドルフィーなどかけられた日には、電気治療のコードを引き抜いてアバレ始める患者が続出するにきまっている。

 ある時、僕のほかにも治療を受けているやや年配の人が先生に「これ(音楽のこと)CDを流してるの?」。先生、「いやインターネットの番組を適当に」「へえー。いいね、なかなか」「いやー、いい選曲の時もあれば全然ダメなときもあるよ」。などとやり取りしていた。僕はぼんやりその会話を聞いていたのだが、そういえばここの先生と世間話らしいことは何もしていないことに気がつき、せっかくのチャンスだから山下洋輔の4.30コンサートのチラシを置かせてもらい、ついでにチケットもなどとトラタヌを考えていた。しばらくして僕の治療が終わったので、おもむろに「先生は日本のジャズは聴かないんですか」「いや。聴かないこともないよ」「山下洋輔なんか、どうですか」「いやー、ああいう激しい音はね~」「あ、70年代みたいな無茶苦茶はもうやってませんよ。ここ最近はメロディもはっきり分かるし、『チュニジア』とか『アイル・リメンバー・エイプリル』とかスタンダードもやってるし」「ふーん、あ、さっきの人にその話すれば良かったのに、息子さんがドラムやってるんだよ」「…。え、息子さんがドラム?もしかしてさっきの人は香月さん?」「なんだ、知ってるの」「娘さんが今、ニューヨークで修行中ですよね」「詳しいね、なかなか」「いや、この前の土曜日に香月さんのドラム聴いたばかりなんですよ、酒井春佳という新人ピアニストのライブで」「あ、そう。実は僕の甥っ子もピアノ弾いてるんだよ」「…。甥っ子がピアニスト、ここ荒武整骨院ですよね、てことは荒武裕一郎?」「あ、知ってるの」「いや、去年だったかジャズナイトの前日にLIFETIMEに飛び入りで演奏していたあと、一緒に飲んだりして」「あー。そうなんだ」。

 ことほどさように世間は狭い。ところで何の話をしていたっけ。そうそう、酒井春佳の凱旋ライブだった。そのライブが3.23土曜日の19:30スタートだから、その前にY尾君と春佳ちゃんのお父さんと一緒に飲むという予定だった。ところが、そのライブの数日前だったか、Y尾君から電話があり同じ23日の17時からH高時計本店で山下洋輔コンサートのパーティがある、もっとも山下洋輔本人は来ないが、かわりに大西洋介が演奏するので、そちらにも顔を出そうという。さらに、そのパーティに酒井春佳も呼んでH高社長やM原さんを紹介し、彼女の宮崎での人脈を広げるのに貢献したらどうだという。いや、至極ごもっともな提案で、そりゃいいや、で、どうやって彼女に連絡するんだ、そうか、キミは彼女のお父さんと同じ職場だから、え、オレ、オレがメール。いや、そりゃやるけど、いきなり中年のオジサンからメールが来てパーティ行かないかって胡散臭くないか、いや、分かった、もちろん下心はない、そんなものはとっくに捨てた(嘘だけど)。などというやりとりがあって、とりあえず春佳ちゃんにメールしたら、喜んでくれて、以前にH高社長とは面識があるなんて書いてあった。

 で、話を急ぐと当日ドタキャンが来た。良く考えれば当たり前の話で、当日の19:30から本番のライブがあるのに、その前にパーティで一杯やるっていうのはベテランミュージシャンでも二の足を踏むのではないか、まあ、ナベサダ・ヒノテルクラスだと違うのだろうが、何しろ当人は23歳のギャル(死語、死語なのか)である。当然のごとく「リハーサルがある」のでパーティは欠席と連絡があった。Y尾君にもすぐ伝えたが、彼は気落ちしたせいか、「了解」と実にシンプルな返事が届いた。最近携帯の絵文字やデコレメールを覚えて、何かあるたびに訳の分からない背景やぴょこぴょこ動く文字を嬉しそうに送って来たのに、今回は「了解」の二文字だけ。いかに落ち込んでいるかは長年の付き合いのワタクシピンと来ました。

大淀小吹奏楽部

 そういうわけで、当日17時にH高時計本店前で、Y尾君と合流し、そのまま2階のロビーに行った。受付にM原さんが、そして2階のグランドピアノの前にH高社長がいた。お招きいただいたお礼を言った後に、実は今日は19:30から酒井春佳のライブを見に行くと話し、パーティは途中で抜けますが何卒宜しくみたいなことを伝えた。僕がY尾君から聞いた話では山下洋輔のコンサートを成功させる決起大会みたいなイベントで、そこで地元のピアニストである大西さんが演奏するという話だったので、気楽に構えていたのだが、実はとんでもない真面目な話だった。何しろ、ピアノの横にあるスクリーンにはPPTで『宮崎国際ジャズデイ』という文字とロゴが大きく映し出されている。そしてH高社長から、今回のイベントの趣旨説明があるのだが、その前にラグタイムを2曲、大西さんのソロで聴かせてもらった。スコット・ジョップリンの『ジ・エンターティナー』というより、映画『スティング』のテーマ、あるいは僕と同世代の人ならマイン・ブロイというキリンが出したビール(お、そうだ、Y山君、これ読んでたら、マイン・ブロイの復刻を上の方に掛け合ってくれ、ついでに許可が下りたら試飲用に1ガロンほど送ってくれ)のCM曲でおなじみのメロディが終わると同時にH高社長の今回のイベントにかける熱い思いが発表された。



 国際ジャズデイというのは「2011年11月、ユネスコ総会で、4月30日を『国際ジャズデイ』と定めることが宣言されました。『国際ジャズデイ』の目的は、平和と結束、対話、人々の協力関係を推進する力、および教育的ツールとしてのジャズの価値を、国際社会において深めることにあります。制定後、初の2012年4月30日の『国際ジャズデイ』では、ユネスコ親善大使のハービー・ハンコック氏を中心に、多くのアーティストがこの日を祝福するコンサートを世界各地で開催しました。この『国際ジャズデイ』の趣旨に賛同し、宮崎でもジャズの価値を広めていくため、「宮崎国際ジャズデイ2013」を開催いたします!」というもので、詳しいことはこのHPなどを見てほしいが、単に山下洋輔のコンサートをやる、地元の小学校と一緒にやるだけではなく、芥川仁さんの写真展やレコードコンサートなども複合的に、同時多発的に行い、発展定着を図り、いつの日かジャズウィークに、そしてジャズマンスにするぞ、宮崎にジャズの花の咲く一か月を断固として構築するのだ、みたいな感じ。ま、この手のスローガンより僕なんかは昔から「いらん子部隊」で行動あるのみ、理屈はいらんなんてほうだったから、とりあえずビラの配布とチケット販売は頑張ろうと思った次第。

 その宮崎国際ジャズデイのサポーターの決起集会だったことがようやく分かり、その後屋上でH高社長お手製の豚シャブなどを頂きながら、ゑびすビールやワインをがぶがぶ飲んで、そして18:30から大西洋介さんのグループのライブが始まった。メンバー紹介はとりあえず、こちらからの引用でそのままパクリます。

大西洋介(pf)
5才からピアノを始め、宮崎大学特音課程入学後はクラシック、ジャズ、シャンソン、ラテン音楽を勉強。自己のバンド 「TRINITY」や、キム ジョン、甲斐和代、馬渡松子、坂本梨奈のサポート等、ジャンルを越えて活躍中。2009年には日野皓正クインテットのベース奏者:池田芳夫トリオの一員と してツアーを行う。

Whoopin(vo)
86年にポニー・キャニオンより CD デビュー。日本だけでなく欧米でも音楽活動を行う傍ら、大貫妙子、久石譲、加藤いずみ、アルフィ、小林武史、桐島かれん、森川美穂、高橋研、舘ひろし他、 国内外の様々なアーティストのコンサートツアーに参加。2009 年 ソロのジャズシンガーとして、第 10 回神戸ジャズボーカルクィーンコンテストにてグランプリを獲得。

Tony Guy(perc)
30年以上のスティールパンと パーカッションでのコンビネーションの演奏経験を持ち、イギリス、フランス、インド、アフリカ、アメリカ、カナダ、メキシコ、バミューダそして日本やカリ ブ諸国他、世界中のあらゆる国をツアーで訪問している。現在はスティールパンの講師としても、宮崎や鹿児島で活躍している

 大西さんの演奏もずいぶん久しぶりだったが、僕が勝手につけたコピー、「宮崎のビル・エバンス」の名前通りのリリカルなピアノ。それにさりげなく絡んでくるTony Guyのパーカッション。実は僕はひょんなことから彼の住まいにお邪魔したことがある。和室2間の純日本風のアパートにPCや楽器などが沢山おいてあって、そうそうちょうど西藤ヒロノブのライブを見た直後でその話をすると、西藤ヒロノブとは彼が宮崎に帰ってくるたびにジャムセッションをしている、などと聴き驚いたことがあったっけ。そして、Whoopinは、スキャットが強力で客席の雰囲気もようやくほぐれていい感じになってきたその時、時計を見ると19:00を回ってしまっていた。ヤバい、春佳ちゃんのライブに遅れる。僕とY尾君はH高社長、M原さんに挨拶もそこそこに、駆け足でライフタイムに向かったのだ。うーん、話は全然終わらない。

パーティ会場

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傘がなくても



行かな~くちゃ、君に会いに行かなくちゃ、君の街に行かなくちゃ…。

怒涛のライブ3連荘 イントロダクション

 怒涛の3連荘が終わった。非常に疲れた。疲れたが楽しかった。いったい何の3連荘かというと酒と音楽の日々だ。大変残念なことに酒と音楽につきもののおねいさん関係は全くなかった。無かったどころか、3連荘の間、ずっと行動を共にしたのは、毎度毎度のY尾君である。代わり映えがしないのだ。まあ、彼とは父親の代からの付き合いがあったので、こういうのを腐れ縁というのだろう。父親の代からの付き合いというのは、実は今を去ることウン十年前、ワタクシがまだ紅顔の美少年だった花の高校1年生のときのお話です。無事、入試を突破し、それまでは坊主頭だった中学生が晴れて高校に入学し、新しい担任とクラスの仲間と出会い、当時は個人情報がそれほどうるさくなかったので、クラス名簿なるものを各自受け取った。今、思い出してみると生徒の名前、住所、電話はもちろん、保護者名から職業から書いてあった。中には保護者名が女性のものもあり、いわゆる母子世帯であることがあからさまに分かるわけだが、それでなんら問題も無かったから、まあおおらかな時代だったんだろう。しかしながら、ああいうのは妙に隠そうとするから、いろいろな問題が発生するのではないか。だいたい、人間は隠してあるものは見たい。特に誰かがこっそり隠してあるものほど、見てみたい。いったいなんだ何を隠しているのだ、お天道様の下に堂々と出して見せろと、ええと話が妙な方向に進みそうなので軌道修正する。

 そのクラス名簿を家に持ち帰り、そのあたりに投げ散らかしていたら偶然父親が見つけて叱られた。大事なものはきちんとしまえという、これはまた至極もっともなお説教だったので、素直に聞いていたら突然「このY尾というのは、これこれこういう感じの顔立ちじゃないか」などという。言われてみれば確かにそういう顔つきで、いったいなぜ知っているのかと尋ねてみたら、Y尾君の父君の名前に見覚えがあり、高校生の時一緒のクラスだった人ではないかと思ったらしい。実はこの父親の高校時代の同級生というのは、もう一人同じ高校にいて、こちらは中学の頃から知っていた。知っていたから別にどうという話ではない。

 その親子二代の付き合いのあるY尾君とは、ライブの情報交換をして予定が合えば大抵一緒に行動している。3月は23日に酒井春佳の久しぶりの故郷凱旋ライブ、翌日の24日は日南まで粥川なつ紀のライブを見に行く予定をしていた。それはいいのだが、実は僕はその前日の22日が職場の飲み会だった。勿論、次の日その次の日と二日連続予定があるので、職場の飲み会はおとなしく二次会など誘われても行かないと固い決意で、それでも会費分は飲み食いせねばの娘と化して、お行儀よく運ばれてくる料理を次から次に平らげ、それでもお酒はビールだけにして抑えていた。もっとも、いい加減お腹がいっぱいになった頃合いに、大好物のタケノコご飯が出た。食いたい、食いたいが腹がきつい。ううん、どうしようかと迷っていたその時、若き日の町田町蔵の叫び声が聞こえた。「おまえらはまったくじぶんというなのくうかんにたえられなくなるからといってメシばかりくいやがって」というアレである。僕は箸を置いた。そして、飯(この場合はアテだが)ばかり食わずに、少しは周りの人と話をしようとしていた、その時携帯が振動した。

 もちろんこういう場であるから携帯はバイブにしておいたのだ。そうそう、以前いた職場での話だが、取引先の偉い人が亡くなりお通夜に参列した。お坊さんの読経が続くその時に闇を切り裂くような携帯の呼び出し音が。どこのバカだと思って、音のする方を睨みつけたら僕の上司だった。ああいう時に人間性というものは出るとつくづく思った。というのは、仮に僕の携帯が鳴ったとしたら、素知らぬ顔をしてポケットの中で携帯の電源を切りオレ違うもんねという顔をすると思う。ところが、正直一辺倒、真面目一本やりで部長職まで上り詰めたその人は「ハイ、××でございます。あ、どうもお世話になります。今、今ちょっとですね、ええ、ハイ、ハイ、その件は」などと電話に応対しながら、もちろん早足でその場を去っていったが、実に残念なことにそのセレモニーに社長、会長というエロい人が、違った、偉い人が二人も参加していたので、当然、後日呼び出されて説教。そのとばっちりで当月営業数字が良くなかった僕の部署の役職は全員休日出勤を命じられて、あ、何の話だったか、最近、どうもこういうことが多くてイカン。MRIの電磁波がまだ頭に残って悪さしているんだろうか。

 ええと、そうそう携帯がぶるぶる震えていたが、僕はその時話をしていた人達には気づかれないようにこっそり電源を切った。そしてタイミングを見てベションゲル(これは、ベション=小便、ゲル=逃げる。という語感からお分かりのようにトイレに行くふりして、その場をずらかるというジャズマンの必殺技である)した。着信履歴を見るとROCK BARのマスターからだった。かけなおすと、「今、高校時代一緒だったY山君が久しぶりに来てる。S尾もいるし来れないか」というお誘い。コンマ五秒ほど考えた。明日は酒井春佳のライブ、しかもその前にH高社長のビルの屋上でパーティが17時から入っている。体力温存、暴飲暴食接して漏らさず、インロータキンは頭の上、などと呪文を唱えつつ口を突いて出た言葉は「あ、今から行く。多分20分位で行けると思う」。

 こういう後先考えない行動が僕には多い。小学校に入る前からその傾向があって、何度も何度も失敗している。特に大学時代は明日は試験だというのに、雀荘で麻雀をしてしまい、そのまま踏ん切りがつかずにずるずる下宿に帰って徹マン。朝は泥のように眠ってしまい試験放棄、単位未収、挙句は留年、そして、という悲しい歴史を何度繰り返したらタマシイが入るのか、人間幾つになっても修行だ。そもそも今日のエントリーにしても、3回のライブを簡潔にまとめて、特に宮崎国際JAZZ DAYという素晴らしいイベントのプロパガンダもさりげなく入れた印象深い話にするのだ、と思いながらも、あの時の話は面白かったからそれも入れて、あ、あの落ちも入れんといかんだろう、さもなくばショルダーハンドドロップ(その心はショルダー=肩、ハンド=手、ドロップ=落ちる、ということから「片手落ち」でした、チャンチャン)になるなどと考えてしまったら、もう収拾がつかない。今回は前夜という話でいいかなどと勝手に考えている。

 というわけで、職場の飲み会が終わると僕は脱兎のごとく会場を出て、ひたすら地元の浮かれ街、繁華街をROCK BARに向けて歩いた。シータクで行けばいいじゃないか、せいぜいツーメーターかスリーメーターだという考えもあったが、いやいや無駄なお金を使ったらイカン。明日以降、ライブのチケット代も必要だし、当然飲食費も使う。そして、そしてだ。そのライブで、もしかしたら訳ありのおねいさんと親しくなって、もう一軒行こうてなことにならないとも限らない。その時に実弾が無ければ無念の撤退をしなくてはならない。花の75年度生は常在戦場、いついかなる時でも素振りは欠かさない。多少高めのボール球でも振らないとヒットは生まれないのだ、などと絶叫しながら、いや頭の中で叫びながら、さらにもう少し冷静に考えるとあれだけ大量のアテやルービーを飲み食いした訳だから、カロリーを消費しないとまずい。小金は貯めてもいいが、というか積極的に貯めたいが、貯めてはならぬ中性脂肪、手を上げて止めるシータク、メタボの元、などととっさに考え付いたマイ格言も唱えながらひたすら歩いた。

 ROCK BARの扉を開くとカウンターに二人の客がいた。奥のほうにいる客はちょっと思い出せないが、どこかで見た気がする。そして手前にいたのはY山君その人であった。確か大学の2回生くらいの時に会ったのが最後なので、確実に30年以上は会っていない。しかし顔つきは全然変わっていない。体形も少しふっくらしたようだが、大したことはない。マスクをしていた僕に向かって、「drac-ob君?太ったね~。一瞬分からんかった」と非常に不愉快な一言を放った。さらに「花粉症、そのマスクは?」などと聞いてくるので、敵権力に素顔をさらさないためだと言おうとしたが、良く考えるとこの人は非常にまじめな人で、そんな事を言おうもんなら、「やめときない、drac-ob君。オレが付いて行ってやるから一緒に警察に行こう、自首したら罪は軽くなるから」などと言うのは明らかで、そうなると僕もつい「いや、オレも痩せても枯れても自由の戦士や。権力に投降する位ならいっそこのまま」っていつまでやってるのだ、オレは。

 マスクを外して横に座ると「うわー、変わってない。マスクしているときは分からんかったけど、変わってないよ、昔と」と、今度はちょっと嬉しいことを言ってくれる。このY山君は、その昔航空大学校に行きパイロットになるという大きな夢を持って高校に入ってきた。残念ながら勉強のし過ぎで視力が落ちてしまい、パイロットの夢は諦めるしかなかった。しかし、やはり優秀な人は優秀であって、福岡にある元国立一期校、旧帝大、ドグラマグラに登場する正木教授や若林教授が所属する大学に現役で合格。そのままストレートに卒業し、渡辺 香津美のいたバンドと同じ名前のビール会社に就職したという立志伝中の人物である。高校時代にロックなどを聴いて髪を長くして、校則違反の服装して学園祭の自主運営などを計画し、進路指導の教官に恫喝かけられるようなカス学生、ま、ワタクシであるが、そういうワタクシにも何故か良く話をして、そうそう大学の2回生に上がる春休みに京都の僕の下宿に遊びに来たことがあった。その時に銀閣寺のサーカス&サーカスに連れて行ったのだが、非常に感激して「すげえ、京都はすげえ。博多にはこういう所はない」と叫んだことを覚えている。いや、何、真面目な学生だったY山君が知らないだけで博多にもライブハウスは沢山あったはずだ。

 しかし、高校時代の友人というのは懐かしいもので会って数分ですぐに昔の感覚が戻ってくる。いろんな昔話をしていた、その時に彼が妙なことを言い出した。「そういえばdrac-ob君は大けがして学校に来たことがあったよね。その怪我の理由を聞いてオレは君を尊敬したことがある」。「え、オレ、そんな大けがなんてしてないよ」「した、した、包帯巻いて学校に来たが、今でもはっきり覚えいているって」「うーん、思い出さないな。オレは何で怪我したんだっけ」「ミッシェル・ポルナレフのレコードをかばって自転車から落ちたんだがね」「はあ、ポルナレフのレコードかばって?」「そう、自転車が倒れるときのそのまま倒れてしまうとレコードに傷がつくから、レコードを両手でしっかり守って倒れ、それで確か骨にひびが入ったんだよね」。

 本人はとんと記憶がありません。いや、それに近いようなことは確かに何度かあった。僕の高校は自転車通学がほとんどで、当時はCDなどないから音楽は全てLPレコード。30㎝角のアルバムを3枚くらい学校に持って行くことはしょっちゅうだった。3枚位ならレコード店が無料でくれるビニール袋に入れれば自転車に乗るときもそんなに心配ない。ただそれ以上を持ち運びするときは、自転車の前かごにバランス良く乗せて自転車を操作するテクニックが必要だ。自転車というのは低速で走っているときは力がいるが、ある程度スピードに乗ると軽快になる。しかし好事魔多しで、そういう時に良く段差にタイヤが乗り上げてバランス崩すことがあった。多分、その時もそんな感じで自転車が倒れそうになり、当時好きだったポルナレフのレコードを傷つけないように身を挺して守ったのだろう。木口小平である。死んでも喇叭を放しませんでした、である。要はアホである。

 などというような奇想天外な話を2時間近くして、その日は家に帰った。そして、その翌日から怒涛のライブが始まるのだ。続く。


楽しいライブだが



呑めないのが辛い。シラフでライブを見るのは初めてかも。それにつけても、ナッチはカワユス。

花見して風呂入って



これからいよいよ粥川ナツキのライブ。はるばる日南まで来てくれるナッチも素晴らしいが、宮崎からわざわざ見に行く僕達もなかなかではないか。しかし、車なのでノンアルしか呑めないのが辛い。

ジャズのライブに来てるのだが



何故か、若いおねいさんが沢山いて、窒素しそうな…。頑張れ、頑張れ。

メシ食うな



おまえらはまったく、じぶんというそんざいに、たえられなくなるからといって、メシばかりくいやがって、メシばかりくいやがって、メシばかりくいやがって…。という歌詞が染みてくる宴の終盤。





メシばっかり食ってると豚になる。ブータに真珠が、ブータに真珠が、ブータに真珠が、のさばっている~



連チャンスタート



先週も憂き世の義理で飲み会に参加したが、今週も以下同文である。しかし、何といっても明日、明後日と続く怒涛の三連チャン。明日は地元のジャズシーンの影の黒幕主催のパーティーに乱入、そのまま酒井春佳のピアノトリオのライブ。

そして、明後日は北郷温泉で一風呂浴びて、その後は長年待ちつづけた粥川ナツキのソロライブだ。どうだ、どうだ、この間のレポートは後日詳しくアップするのだ。そして、この三連チャンの間に関西ではサークルのプチリュニオンが!!

最近の傾向



10ccをまとめて聴きたくなり、密林でボックスセットとドイツ盤の1stを注文。これまでに買ったボックスセットはジャケットもカバーもいかにもヤンキー好みの安っぽいものばかりだったが、今回はかなり丈夫で長持ち、渥美清てな感じでなかなかよろしい。ボートラも入ってる。良く考えると既にCDで持ってるものも多いが、廉価でまとめて手に入れる事が出来たので良しとしよう。さて、順番に聴くか。

桜の木に桜の花咲く



何の不思議があるのか、いや無い。などと思わす呟いてしまう。彼岸の中日に配偶者関係の墓参に出かけたが、既に桜が満開。本日の雨で散りはじめたものもある。日本をトリコモナスしなくても花は咲くのだ。

いらいらもやもや日記

 某月某日 ズーン、ズシーン、ズーン、ズシーン…、重低音が響いたかと思うと、カンカンカンカンとまるで踏切の遮断機が下りてくるようなやや甲高い音もする。いつの間にかうとうとしてしまったようだが、耳元で鳴っている雑音、騒音で目が覚めた。ただ目を開いてみても、うすぼんやりした影しか見えない。あたりを見渡そうとしても、頭も体も固定されている。裸眼の焦点がようやく定まって、自分がカプセルの中に入っていることに気がつくまで何秒かかかった。そうか、6年ぶりにMRIの検査を受けているのだ。

 1か月くらい前からだろうか、片頭痛がちょくちょくあって、その時は首が回らない(何度も書くが、比喩的な意味で首が回らないのは社会人になってからずっとなので慣れっこだ。悲しいことだが)ことと、肩が異常に硬くなっている、つまり肩こりが原因の頭痛ではないかと思い整骨院に通った。おかげで首回りは楽になり、その結果経済的にも楽になるかと思ったが、やはり慣用句でいう「首が回らない」状態は整骨院で治療しても、当然ではあるが一向に効果はない。まあ、しかし本来の物理的な首回りの痛さは解決した。しかし、頭痛は収まらないのだ。以前、何度か書いたが僕は小さいころからいわゆる「天気頭」で、曇りの日や雨降りの日は頭痛がする。いや、いっそ大雨だとかえって気分爽快なのだが、雨の降る前、つまり低気圧が近づいてくるときに一番頭痛がひどくなる。

 それなのに、ここ最近は晴れた日でも頭が重かった。また両手の痺れ、特に左手が痺れるのが気になった。僕の父はクモ膜下出血、弟は脳梗塞でそれぞれ寿命を縮めたので、血管関係は気をつけないといけない。これは一度専門医でちゃんと見てもらったほうがいいという結論に至った。それで6年ぶりに脳外科にかかろうと思い病院の会員証というか、ポイントカードみたいなやつ、あ、診察券か、あれを探してみた。以前に安くで検査してもらった脳外科のそれがどこかにしまいこんであるはずだ。病院の診察券やGSのカード、レンタルショップやスーパーなどのカードは、あれは油断しているといつの間にかたまってきて、財布がパンパンに脹れる原因になる。何かの支払いの時に、丸々と膨らんだ財布から万札をさっと抜いて支払うのはカッコいいが、カードやクリーニングの交換券、さまざまなレシート類をかいくぐってなけなしの札を払うのは大変悲しいものがある。そういう悲しい目に合わないためにも、財布にたまったカード類は別の場所にしまうのが整理整頓というものだ。

 しかし、整理整頓はどこに何をしまったかをしっかり記憶しておくか、どこかにメモをしておくことが肝心であり、どこかにしまったはずだがいったいどこにやったかなどと探し始めるようでは本末転倒である。それでもかすかな記憶を頼りに、本棚の後ろに隠れていた書類入れの中から以前診てもらった脳外科の診察券を見つけだし、仕事を休んで検査に行ったのは先日のことだった。そして、受付の人に症状を話して、検査室で血圧を測り先生の問診の結果、じゃ念のため今日MRIを撮って調べましょうという結論に至り、その日の午後に再度出直して、身に付けた金属類は全てロッカーに入れてMRIのカプセルに入っていき、拙エントリーの冒頭部分に戻るのだった。

 生まれて初めてMRIを撮った時は緊張していたのを良く覚えいてる。確か技士の人が音がうるさいからといって耳栓をくれた。そしてカプセルの中に体と頭を固定して送り込まれるのだが、今、この瞬間地震が来たらどうなるかとか突然大停電が起こって手動でカプセルが外せなくなったら、ずっとこのまま、つまりさなぎのような状態で過ごさないといけないのかとか、そういえば初期の筒井作品に反抗的な若者再教育のシステムとして「さなぎ」というのがあったな、などと妄想しているうちに検査が終わっていた。別にどこも痛い思いはせず、あ、その後支払いの時に身を削るような痛い思いをしたが、あれはあくまでメンタルな痛みであってどこかをぶつけたとか叩かれたとかいう痛みとは異なる。その時の検査では異常なしだったが、今回は何か出てくるのではないか。場合によってはそのまま入院などになったらどうしようかとか、検査前はいろいろ考えたが、カプセルに入れられたらまな板の上の鯉で、どうにでもなれとさあ殺せといったのは何処のどなた様~などと「やけっぱちのルンバ」の歌詞を思い出しているうちに寝てしまった。

 目が覚めたのは多分検査も終盤に近づいたころだと思う。冒頭のような金属音が何度も繰り返され、そうそう、途中でチューニングの狂ったエレキベースの単音が何度も繰り返され、非常階段か螺旋階段か、などと70年代末から80年代にかけて活躍した関西のノイズグループの出す音みたいな、ええと、すまん、オレにとっては騒音以外の何ものでもない音が鳴り響いたりして、かなり気分は落ちこんだ。それでも明けない夜は無いわけで、一瞬全ての音が止まったと思ったら、技士の人の「お疲れ様でした、終わりました」のアナウンスと共にカプセルから下の寝台部分が動きだし、晴れて娑婆に復帰した。

 検査が終わり、のどが渇いていることに気がついて自動販売機で缶コーヒーを買って飲んでいたら、先生が僕の名前を読んでいるのが聴こえた。さっき検査したばかりなのに、もう結果が分かったんだろうか、ちょっと緊張しながら診察室に入った。先生は、何も言わずに大きな紙袋からフィルムを取り出す。机と垂直に設定されているボードというのか、レントゲン写真をはさんで説明するところに今撮影したばかりの僕の脳の断面写真が貼られた。「うーん」と先生は言ったきりで、何秒か沈黙が続いた。おもむろに口を開いて出たのは「こっちは6年前に撮った写真で、この時は何にもなかった」。え、この時は?というと、今回はと緊張しながら言葉を待った。「今回も何にもないんですよね~。どうなってるのかな~」。「この点線部分からずっとあなたの頭の断面図を撮っていったんだけど、実に何もない、綺麗なもんだ」。「念のため血管も全部調べたけど、何もないんだよね、なんにも」。と、まるで僕が仮病を使って仕事をさぼってきたような言い方をする。

 「頭のどのあたりが痛いの」「えーと、この辺です(と左側側頭部を指で指した)」。「ふーん、で、手のしびれはどっち」「両方共ですが、左手が特に強いです」「ふーん、でも何にもないんだよね。そうそう、6年前はボルタレンという痛み止めを出したけど、あれは効いた」「あ、少し効きました」「じゃまた処方しようか」「お願いします」。ということで、いったい僕の頭痛や手のしびれは何が原因だったのか解明されないまま。とりあえず頭の中や血管関連は異常がないわけだから、その日は胸を張って呑み会に行き浴びるほど飲んでしまい、本来は野獣と化して若いおねいさんたちを食べ尽くす予定だったが、それも果たせず帰って寝たのだった。

 某月某日 以前から見たかったテレビドラマ『命のあしあと』をとうとう見ることが出来た。2010年に宮崎で発生した口蹄疫の始まりから終息までのドラマである。主演は陣内孝則、あのロッカーズのリーダーというか、パンク映画『爆裂都市(バーストシティ)』の主役というか、博多出身の役者である。そういえば泉谷しげるも悪役で『爆裂都市』には出ていたっけ。ストーリーは非常にシンプルで、児湯町(架空の町、軽トラ市のエピソードがあったので、口蹄疫で一番被害を受けた児湯郡川南町がモデルだろう)で親子三代にわたって牛養い(うしやしない、牛飼いともちょっとニュアンスが違うかな。要するに畜産農家)をしてきた陣内一家の周囲で口蹄疫が発生。懸命の防疫体制を引くが、行政の判断でまだ発症していない牛にもワクチンを接種し、殺処分を行う。翌日が殺処分という夜に、1頭の牛が出産。などとストーリーを書いているだけでも、少しうるうる来てしまう。



 ドラマの中で、泉谷が経営する居酒屋で飲んでいた地元農家の若い二人が風評被害で収入が全くなくなってしまった、それに比べて(口蹄疫の原因を作った)畜産農家は国から見舞金が入っていい身分だという嫌味を言う場面があった。聴いていた陣内が立ち上がろうとすると、泉谷が止めて代わりに何故この困難に町が一つになって戦おうとしないのかと叫ぶ。そうなんだよな、畜産農家だけが大変だったんじゃない。周囲の米や野菜を作っている農家も被害者だったし、町の小さなお店や飲食店も全て被害者だった。ドラマの中で当時の政権政党の口蹄疫に対する認識の甘さや、県と国との交渉とかそのあたりはどう描かれているか気になったが、そのあたりは一切登場しなかった。結果的に、それは大正解だと思う。政治が出てくるのは温水演じる町の役場の関連だけ、それも非常に淡白に描かれていた。

 1時間のドラマだが、当時のいろいろなことが思い出されて、やはり泣いてしまった。牛の話しか出てこなかったが豚も相当数殺された。拙blogでも地元紙に掲載された豚の市街の記事をアップしたことがあった。しかし、ドラマを見てちょっと驚いたのは、このパンデミックが実はたった3年前のことだという点。口蹄疫で畜産を止めてしまった農家も多かったと思う。ドラマの中でも陣内の尊敬する牛養いが、殺処分のため精神に異常を来たし、認知症と診断される。そのようなさまざまな悲劇を乗り越えて、昨年宮崎牛は日本一になった。それはとても素晴らしいことで、僕も誇らしく思ったのは「どうだ、復興したぞ」という表現は当事者の誰からも出ず「全国の皆さんの支援のお蔭」という謙虚な表現をしていたことだ。僕を見ていると嘘だと思われるかもしれないが、南九州の人間は謙虚なんだよ。

 さてドラマを見終わって現実に戻ると、「ぶれない」とか「日本をトリコモナス」とか「TPP断固反対」とか言ってたはずの現政権政党のアベチャンが、聖域が確認できたからTPP交渉参加すると胸を張って宣言した。農業は3兆円ほどの被害を受けると試算しているにも関わらず、そのほかで儲かるからエイントチャウとか言うのだ。いや、ことは農業だけじゃなくて国民皆保険制度や郵政システム、全ての我がポンニチの存在に関わるものじゃないのか。だいたいTPPなんつっても、相手はあのアメリカ様だろうが、宗主国ですよ。勝てっこないだろ。地元選出の国会議員は全員TPP反対を公約として当選した。口蹄疫の時に一生懸命当時の政権政党に交渉や批判をして男をあげた江藤議員も先日の新聞では、交渉の実を如何に有利にするかという、条件闘争にシフトした。だいたい、中韓が参加していないことみても、TPPの胡散臭さは分かるんじゃないか。

 うーん、このところの頭痛の原因はこんなところにもあるんじゃないかと考えてしまうここ数日でした。

良く見る台詞だが



憂き世の義理で本日は飲み会。入れる前に出すものを出そうとシェルターに。用を足そうとしたら、壁に何やら書いてある。まあ毎度毎度の文句だが、最初は良くても乱れ始めるのは時間の問題だ。

さて野獣と化すか(笑)。

舐めとんのか、お~~~!



と、思わす絶叫したポスティングチラシ。ご存知、餃子の王将である。貧乏学生時代は大変お世話になった。お金が無いときの餃子二人前とライスで何度窮地を救われたことか。バイトで小金が入ったときのホイコーロ、リャンガーコーテーにライス大盛りが如何に充実していたか。コンパの翌日、二日酔いの胃を優しく包んでくれたムースーロなど、想い出は果てしなく母なるイングランドに続く…。

いや、話が逸れた。その王将が、天下の王将が、確か一部上場の、あ、もしかして二部だったか、とにかくユニクロか王将かというくらいブラックな企業が、いやちごた、リクルート学生人気赤丸付き急上昇の王将がセコなバイショーしてませんかと言いたいのだ。

配るならタダ券配れと言いたいのだ。昔貰った王将のタダ券綴りがどれだけ有り難く、王将出町店を起点に、京都中の王将を巡った日、あの当時配れたタダ券が今ではたかが50円引きとは。

ま、怒るオレもセコか(笑)。

もうすぐ春が



「サドンリー・イッツ・スプリング」という名演がフィル・ウッズにあったが、後少しで春がくる。宮崎の春一番と僕が勝手に呼んでいるストリート音楽祭がやってくる。本日は、その前祝いとスケジュールの確認を兼ねてメシ会である。整骨院で処置してもらった頭を抱え、夜の街に出る。先ずは酒井春佳の帰省ライブ、次に粥川ナツキちゃんの日南ライブと今月は忙しい。山下洋輔もなかなかに渋いメンツで4月にライブがある。オープニングは「アイル・リメンバー・エイプリル」ではないか、という話をダラダラとするのだ。

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