ウクレレ抱いた渡り鳥リターンズ 藤井康一ライブレポート

 虫の知らせというものがある。一種の予知能力だなどと言う人もいるが、そこまで大げさにすると話がややこしくなる。どういうことかというと、普段から気にしていること、普段はそれほど気にしていないけど、何かあったらいざ鎌倉で絶対オレはやるぞみたいなことが、長い人生の中一度や二度はあると思う。回りくどい書き方だが、実は藤井康一の1年半ぶりの来宮ライブのスケジュールを見つけたのは、全くの偶然と言っても過言ではない。ましてや華厳ではない。あれは滝だ。滝田といっても修ではない。あれは日和った、などと余計訳が分からなくなった導入部であるが、要するにブクマしている藤井康一のHPを久しぶりに覗いてみるか、しばらく日記も更新されてなかったが、もういくらなんでも新しい話がアップされているだろうと思ってクリックしたのが、多分10月の終わりか、11月のはじめだった。

 藤井君の旅日記は彼がライブで行った町の、そこに住むネイティブでないと知らないような呑み屋や食堂、それも麺類に限らず海産物というか海のもの山のもの、それぞれの地方の特産物の写真を載せたうえで彼らしいコメントが書いてあり、読むだけで日本全国回った気になれるという便利なものだ。その彼の日記を久しぶりに読んだ後、ちかちか点滅しているスケジュール・バナーをクリックして、画面を下にスクロールしていったらライブの予定が書いてあり11月から広島、福山、宇部と西日本を南下してきて、一足飛びに鹿児島はT-BONEで加川良と一緒にマスターの還暦祝いのライブをするなんて告知があり、そしてまた福岡。この段階で諦めていたのだ。所詮、九州は西高東低。要するに九州の西側は新幹線も通り、「九州は1つ」なんて実感もあるのだろうが、その反対側、つまりワタクシの生活する場である東側、こちらは相も変らぬ陸の孤島。ロンリー・アイランド・オブ・ザ・ランド、などとこんな表現があるかどうか知らんが、本当に鳥も通わぬ九州東側。そのくせ鳥フルは発生しやがる。しかしながら最近それじゃいかんと大分県も奮起して綱引き映画を作ったりはしているが、それでも本当に九州の太平洋側はミュージシャンも避けて通ることが多いのだ。藤井君もしょっちゅう九州に来てはいるが、やはり西側ばかりで、どうせ今回も鹿児島来て福岡行って、そのついでに佐賀とか長崎でチャンポン食って帰るんだろうと思っていた。思い込んでいた。

 しかし、天は我を見放さず。天は自らタスクるものをタスク、吉岡タスク、なんつって。そのスケジュールを良く見ると、11/14延岡、11/15宮崎、11/16高鍋と何と宮崎3連荘、怒涛のライブだ。こりゃ万難を排しても行かねばならぬ、イカネバの娘である。さっそく、ライブ仲間の連中にメールを一斉配信した。今までは毎度毎度のY尾君しかいなかったが、今年になって高校時代の友人が宮崎に異動になってきたことがきっかけで、結構ライブを誘えるメンバーが増えてきたのだ。とりあえず、前回も前々回も一緒に行ったY尾君、ジャズナイトを一緒に行ったS尾君にS藤君、遠藤ミチロウを一緒に見てその後一切コメントしなかったロックバーのマスターにもメールした。

 すぐに返事があったのはY尾君で、「チャンポンの人ですね、面白かったから行きます」。いや、チャンポンの人って、間違いじゃないがもう少し言い方があるような気がするが…。あとのメンバーはS藤君が出張でダメ、ロックバーのマスターも店番する人間がいないのでダメ。S尾君は、なかなか返事が来なかったが、仕事の調整が上手くいき参加。都合3名で、藤井康一のライブに参加することになった。19時開場、19時半開演なので、18時過ぎにはどこか手頃な飲み屋でエネルギーを注入し、それからライブを見ようと話はまとまり、ライブの会場が繁華街のど真ん中なので、その前の呑み屋さんも地元で有名なせんべろ酒場の「たかさご」と決まった。そういえば1年半前の藤井康一のライブの時もここでY尾君とおでんをつついていったような記憶がある。

 その「たかさご」に18時ちょっと過ぎに行ったら、S尾君が手持無沙汰な顔して立っていた。えらい、時間厳守である。Y尾君は多分18時半くらいになるだろうから、先に入って飲み食いすることにした。もっともS尾君は下戸なので烏龍茶である。僕は例によっておでんと鶏関係、今回はチキン南蛮と焼鳥などを注文。もちろんツベタイビールは瓶で1本。頼んだ後に壁の張り紙を見るとダレヤミセットというか晩酌セットが書いてあり、生ジョッキにサンマの塩焼き、アツアツカキフライで1100円である。しまった、そっちを頼めば良かったと思いながらも、後の祭り。しょうがないからY尾君が来たら注文させて、どんなものが出てくるか見ることにした。

 体が少しポカポカしてきたころにY尾君がやって来た。誰か1人連れてきている。職場の同僚らしいが、今日のライブがどんなものか全く予備知識ナシで連れて来たらしい。その初対面の相手に、「絶対、損はさせません。しかもライブを見終わったら、必ずCDが欲しくなるはずです。私はウソは申しません」と最後は昭和の時代の政治家みたいなことを言って安心させようとしたのは僕である。しかし、Y尾君は以前も取引先の人間を予備知識なしでライブに誘い、その時の彼(確か本人も楽器を演奏する)は「今日は勉強になりました。また機会があれば是非」と言って別れたきりである。このあたり難しいというか微妙なんだよね。もっとも藤井康一のライブは基本的に音楽が好きであれば、歌が好きな人であればだれでも大丈夫である。ということで、総勢4名で19時半開演のライブハウス、じゃなかった繁華街の雑居ビルにあるスナックに向かった。そこが会場なのだ。

 3階のお店に向かうと、ちょうどドアが開いて女性が二人出てきて何やらごそごそしている。「藤井君のライブ会場はここ?」と尋ねると笑顔で「ハイ」と返事。前売りは買ってなかったので当日券を買ってお店に入った。去年は入ってすぐの場所、つまり藤井君が演奏する正面に座れたが、今回はお客さんがフルハウス。もっとも小さなお店なので、全部で20人くらい。お店のカウンターは満席、奥のボックスも一杯。しょうがないのでS尾君は床に体育館座り、僕はその後ろに小さなクッションを見つけて座った。Y尾君と同僚は後ろのボックス席に無理やり入った。しかし、見渡す限り人生の先輩方が多い。はっきりいうとオジジとオババばかりである。ちょっと待て、じゃお前は何だと言われるかもしれないが、もちろん僕もオジジのワンオブゼンかもしれないが、まだまだ現役、ロックンロールにゃ歳だけど死ぬにはちょいと若すぎるってなもんだ。しかし、どうもお客さんの雰囲気がこれからソウルやリズム&ブルースに影響を受けた藤井康一の音楽のファンという感じがしない。なんだか昔、国営放送でやっていた故郷の歌合戦だったかのど自慢だったか、そんな感じ。

 アロハを着て、ウクレレ着た男が出てきた。どう見ても藤井君ではない。自己紹介を聞いたら藤井君が登場するまでの間、客席の空気を暖めておけと、つまりはオープニング・アクトなんつったらカッコいいが、俗にいう前座ですな。ゼンギは決して嫌いではないが、前座はスカな奴だと嫌だ、などと考えていたら、どうも宮崎ウクレレ愛好会みたいなセクトがあってそ、そこの御一行様が本日のライブに参加している様子。なるほど、それで前期高齢者の方が多いのか。その中にぽつりぽつり中学生だか高校生くらいの女の子も交じっている。出てきた男はハワイアンを何曲かやり、最後は全員強制参加で「上を向いて歩こう」なんかやった。RCバージョンならノリノリだが、正調「上を向いて」だったのでちょっと疲れた。

 それでもBGMはレゲエが大音量でかかっていて、S尾君に「マリファナの煙が漂ってきそうな雰囲気ですな」などと話しかけ、先ずは気合を入れるためにアルコールを摂取する。ぼんやりBGMを聴いていたら、どこかで聴いたメロディが流れてくる。歌詞もさっと歌える。” Baby, I'd love you to want me The way that I want you, the way that it should be”「あれ、どっかで聴いた歌だな、この後が確か…」、” Baby, you'd love me to want you The way that I want to if you'd only let it be”「let it be、let it be~あれ、シャレじゃん。確かこれロボの歌だよな。何だっけ『僕と君のブー』じゃなくて。え~と、『片想いと僕』か~」などとS尾君と話していたが、誰が歌っているか良く分からなかった。後日、その時のBGMを調べたらジョン・ホルトという非常に有名なレゲエ・シンガーであった。結構白人のヒット曲をレゲエにして歌っていてなかなかいい。



 BGMの「片思いと僕」のメロディにいつの間にかウクレレの音が重なっていた。前を見るとアロハを着て背の高い男が音楽に合わせてウクレレを弾いていた。藤井康一の登場である。さて、拙blogのライブ話はここからステージの様子などを記憶便りに書いていくのだが、今回は何とICレコーダーで録音(盗み録りじゃないよ、藤井君も写真も動画も何でもOKと言ってくれているんだ、と言い訳。良い子は真似しちゃだめだよ)し、それをCDにして海賊盤を作ったという設定でライナーノートを書いてみた。イカそれを転載してみるので、ご愛嬌で読んでみてください。

帰ってきたウクレレ抱いた渡り鳥
藤井康一ライブ・アット・カリビアン 2012.11.15

 およそ1年半ぶりに宮崎に登場した藤井康一の熱いライブの記念すべき海賊版が出来た。もっとも海賊版と言っても、本人公認の録音なので著作権がどうしたこうしたなどというセコな話とは縁が無い。大して腕も実力もない自称『アーティスト』が、やれライブ中の写真はダメだとか、動画などもっての外だとか、つまらない規制をかけて自らの価値を高めようとするが(そしてそれは決して効果を上げているとは思えないが)、我らが藤井康一は写真も動画も録音も、はてはYOU TUBEへの投稿もどんどんやってよとおおらかなのである。自らの腕に自信があるミュージシャンはこんなものである。

さて肝心の藤井康一、彼の名前をご存じの方は少ないかもしれないが、この道30年以上のベテラン・ミュージシャン。音楽にジャンルは不要だが、あえてジャンル分けすればR&B、ソウル、ブルース、歌謡曲、カリプソ、ラテン、ボサノバ、などとキリが無いが基本的には黒人のブルースをもとにした音楽と言っていいだろう。デビューは78年のイースト・ウェスト(ヤマハが主催していたアマチュアバンドのコンテスト、サザンもシャネルズもここからデビューした)で見事最優秀賞を受賞したバンド、『ウシャコダ』である。

 もっともデビュー当時のいでたちは『スターリン』もビックリの千葉の百姓スタイル。麦わら帽子にたすき掛け、そう、まるで田んぼの案山子のような恰好をしており、なんといってもデビュー・アルバムのタイトルが『土一揆』。そして歌う歌は借りた金を返せなくなり、挙句は傷害事件を起こして一家は離散してしまうという「サラ金ブルース」とか、♪千葉県良いとこ、一度はおいでよ、薄暗い道も多いけど~と自虐的に出身地を歌う「キン作カッポレ」など。初めてライブハウスで彼らを見たときは、その恰好も凄まじかったが、演奏中に2人のギタリストが空中高くギターを放り投げ、お互いのギターを取り換えて演奏したり、小さいほうのギタリスト(ギターは2人いて、曲によってリードを交代していた)が大柄なベースに肩車されて会場中を一周したり、とにかく見ているものを飽きさせない。そして必ず最後はバンドと客全員がジャンプして終わるという、どちらかというと関西系のブルース・バンドのノリに近いものだった。

 もっとも、先ほどのイースト・ウェストはグランプリを獲ったバンドは成功しないというジンクスがあり、サザンもシャネルズもグランプリは獲っていない。サザンが出た年にグランプリを獲ったのは『たぬきブラザーズ』である。どなたか彼らの行く末をご存じの方がいるだろうか。しかし、神ならぬ身の彼らは、そんなことは知る由もなく、見事グランプリを獲得し、レコード会社も決まり全国ツアーも始めた。もっとも学生バンドだったので、ローディやスタッフが付いたりすることもなく、中古のバンを購入し、そのボディに自分たちで作ったカッティングシートを張り付けた。本人たちは「ウシャコダ号」と付けたつもりだったが、接着が甘かったせいか「シ」の中棒と「ャ」がはがれてしまい、そのせいでどう見ても「ウンコダ号」としか読めなかったという。その「ウンコダ号」で日本全国、47都道府県をまたにかけてライブハウスを回ったことが、今の藤井康一のライブ活動のベースになっている。おっと、彼らの名誉のために付け加えると、決して売れたとは言えない『ウシャコダ』であったが、解散後のブランクを経て1997年に再結成。もっとも元メンバーの中で未だに音楽活動を継続しているのはボーカルの藤井康一とベースの恵副の2人だけで、後のメンバーは本業を持っているため、活動できるのは土日だけと限定されている。その制約の中で千葉県松戸市の市長まで巻き込んで、年に1回の松戸一揆というイベントを行なったり、減二酸化炭素の運動のテーマソング「愛のゲンコツ」なども作曲している。

 さて、昔話はほどほどにして今回のライブの曲解説をしておこう。オープニングはエノケンでおなじみの「月光価千金」。東京を中心とした文化圏にはエノケンに対するリスペクト(「敬意」でいいと思うが、今の流行言葉を使いました)の念が強いようで、東京ロッカーズの『リザード』もコピーしている。当日の客の99%が地元のウクレレ愛好家だったためにコードを説明するとか、ウクレレの説明をするとかどうもライブのノリがいまいちだが、とにかくショーは始まった。2曲目の「ウクレレマン」は彼の作詞・作曲、関ヒトシと組んだバンド、『リトル・ジャイブ・ボーイズ』のオリジナル。この曲のあと、客がトイレに行こうとしたのでアドリブで「ベサメ・ムーチョ」を演奏する。藤井らしいお遊びも入っている。3曲目は古いジャズ・ナンバー「ブルー・スカイ」。ついでに「マイ・ブルー・ヘブン」も聴きたかった。

 藤井の音楽のキャリアは牧伸二のウクレレを聴いたときから始まっているが、そのせいか古い歌謡曲を良く歌っている。4曲目は三橋美智也の「星屑の町」である。私は彼より1歳年上であるが、それでもこの曲は聴いたことがあるくらいの印象しかない。いったいどこで仕込んでくるのだろうか。しかし、ウクレレの音もしんみり聴かせる熱演である。そして続いては服部良一の曲。我が国の生んだ、ある意味最初のポピュラーミュージックの作曲家と言えるだろう。その「胸の振り子」というバラードからそのままサム・クックの「ユー・センド・ミー」につながっていく。本人は多少照れているが、実に見事な展開である。そして、「サム・クックと来たら」という問いかけに「レイ・チャールズ」と答える痴れ者がいるが、そいつが(あ、オレだった)慌てて「オーティス・レディング」と答えた後、意外なイントロが続く。ボーカルが入って初めて、名曲「(シッティング・オン)ザ・ドック・オブ・ザ・ベイ」だと分かる。彼も長年、この歌は歌い続けてきただろうが後半のホイッスルに表れるように、常にオリジネイターに対する敬意は忘れていない。

 曲は一転して「プリーズ」。どうか、どうぞ、どうにかして、と、このあたりのフレーズからついビートルズの「プリーズ・プリーズ・ミー」を連想する方は、多分ヤングではない。そしてまたもや古いジャズ・ナンバーで「君去りし後」、要するに「アフター・ユーヴ・ゴーン」。吉田拓郎に「君が去った後は」という歌があるが、多分この曲がどこかに残っていたのだと思う。そしてファースト・ステージのラストを飾るのが「ラブ」。ジョン・レノンではなく、ナット・キング・コールの歌で有名な曲。その昔、西条秀樹が「ヤング・マン」で体を使ってアルファベットを表現していたが、ここで客席と一体になったL-O-V-Eのボディ・ランゲージはいかにも藤井康一らしい表現である。この歌で前半が終わり、怒涛の後半に入る。


藤井シングズ

 やってみると結構それ風なものが出来て悦に入り、続編もライナーノート風に書いてしまった(笑)。そうそう、この時の演奏、興味のある方はメールでご連絡ください。シェアしようぜ(笑)。

怒涛の後半戦、そして終わりなきジャムへ
藤井康一ライブ・アット・カリビアン 2012.11.15

 まず最初にお詫びして訂正をしたい。前回書いた文章の中で『ウンコダ号』に関する話だが、ベースの恵福が書いた日記で確認したところ、事実は次の通りだった。以下引用<ちなみに当時われわれの乗っていた車は白のハイエ-ス。オレは「ウシャコダ」のロゴを車にペイントするために、ダンボ-ルで型抜きし、茶色いスプレ-で吹き付けた。恐る恐るダンボ-ルをはずしてみると、「アッ」・・・・・・・・ 「ウシャコダのシの字がンになってる」そう「ウンコダ」になってしまったのである。結局、それからは「ウンコダ号」のまま全国ツア-に出かけていた。>引用終わり。

 何しろ、およそ30年以上前の話なので大筋間違いはないが、他にも細かなところで事実と異なることがあるかもしれないが、勘弁してほしい。JAROに言っても消費生活センターに言っても多分力になってくれないと思う。それはさておき、ウシャコダ時代の藤井康一はボーカリストとしての才能は既に十二分に発揮していたが、作曲あるいは楽器演奏者としての能力はどうだったのか。意外かもしれないが、1枚目、2枚目のアルバム中に藤井が作った曲は1曲もない。全てリード・ギターの菅野賢二(数曲共作あり)の手によるものだ。つまり名曲「何年たっても」もテーマ曲と言える「カモナ・ウシャコダ」も「キン作カッポレ」も全て菅野の作曲である。その菅野がバンドを離れた後(菅野は元ウェスト・ロード・ブルース・バンドの永井隆のブルー・ヘブンに参加するが、その後の足取りは不明。音楽業界から完全に足を洗ったようだが、実にもったいない才能である)作った3作目のアルバム『Soul To You』になって初めて藤井のオリジナルが登場する。

 当時ウシャコダのライブを見た人間は、これはコミックバンドではないかと思ったかもしれないが、彼らの歌や楽器演奏者としての能力は知る人ぞ知るで岡林信康、遠藤賢司、三上寛などの録音に参加している。ブルースの大御所、マディ・ウォーターズの前座をやったこともある。これは確か憂歌団が盲目のブルース・マン、スリーピー・ジョン・エスティースの来日の際に前座を務めたことが刺激になったはずだ。そうそう、ウシャコダ全盛期は良く憂歌団やサウス・トゥ・サウス、そしてあのRCサクセションと(一瞬だったが)比較、ライバル視されたこともあった。

 いつまでも昔話をしていてもしょうがないので、その後の藤井康一について簡単に書いておく。ウシャコダ解散後、『独立宣言』という初ソロアルバムを発表(確か廃盤)。92年に北海道が生んだブルース・ギタリストの関ヒトシと組んで『私の青空』を発表。ここで初めてウクレレプレイヤー、サックスプレイヤーとしての才能を見せる。前半のステージで歌った「ラブ」はこのアルバムで初レコーディング。その後、関ヒトシと『あつ燗と中華』、『ウクレレでごめんね』と連続して発表。『ウクレレ~』の録音時にリトル・ジャイブ・ボーイズのメンバーが揃い、サウンドが確立。『Little Jive Boys』、『Ukulele Man』とLJB名義のアルバムが続く。宮崎とも結構縁が深く、彼がライブを行う予定のマスターが急死したことを追悼して、宮崎でしか演奏しない「バイバイ・バードランド」という曲も作っている。私が藤井康一と再会したのも2007年のLJBのライブだった。しかも、それはラッパ会という宮崎の金管楽器愛好者のクリスマス発表会(プロ、セミプロ、アマチュア、一番若いのは中学生も出ていたと思う)の時だった。

 26,7年ぶりに再会した藤井康一は、若い頃と比べて少し太った感じだったが歌もステージアクションもウシャコダ時代と全く変わっていなかった。いや、それどころかますます円熟して冴えわたっていた。ウクレレという弦が4本のシンプルな楽器が、これほど表情豊かな楽器だと初めて知ったと言ってもいい。

 などと、またもや昔話に花が咲きそうになったので、後半のセットリストを最後に紹介したい。後半1発目は、なんと牧伸二メドレー。昔、彼が持っていたFM番組のゲストに牧伸二がゲストで出て、その時に強制弟子入りして牧伸三の芸名をもらったらしい。MCに出てくる「大正テレビ寄席」という番組は、宮崎でも一時期日曜の午後にやっていた。漫才やコントなどの演芸番組で司会がマキシン。番組の中ほどに「あゆみの箱」のコーナーがあった。交通遺児や経済的に恵まれない子供たちへの寄付を募るという趣旨は大変立派なものだったが、そのコーナーのオープニングに歌われる童謡が「結んで開いて」。それはいいが歌の途中で「ま~たひらいて、て~をうって」の所に来るとマキシンは必ず股を開くポーズをした。また会場のちびっこをステージに上げるのだが、その子たちがマキシンのいうことを聞かなくなると「制作担当者」と言って父や母を呼んだりするので、世の良識ある方からはひんしゅくをかっていた。私?もちろん大好きだったので欠かさず見ていた。しかし、マキシンのボックス・セット、1回聴いてみたいが欲しいかといわれると微妙である。

 2曲目はマキシンのノリのまま観客参加の「ウクレレベイビー」。今回の観客は地元のウクレレ同好会みたいな団体で、藤井康一のことはウクレレ名人みたいな感じでライブに来ていたため、前半はややノリが悪かったが、後半ステージに慣れて来たのか「ハイハイ~」の合いの手も「ツンパッ」の合いの手楽しく盛り上がった。3曲目はジャズ・サックスの巨匠、ソニー・ロリンズの名演でおなじみの「セント・トーマス」。カリプソを豪快に吹きまくるロリンズに対して、我らが藤井君はちょっとおしゃれな歌詞を付けて歌い上げる。曲の雰囲気を盛り上げるためにカモメの鳴き声まで大サービスだ。

 そして4曲目に、ついに待ちわびていたウシャコダの曲を歌ってくれた。実は、休憩中に藤井君に話しかけて、後半にウシャコダナンバーをリクエストしていたのだ。昨年はウクレレで演奏したことが無いといいながら「何年たっても」をやってくれたのだが、今年は藤井君から「メンフィス・テネシーやろう」。藤井康一作詞作曲のこの曲は81年の自主制作シングル。2008年には松戸市のライブ録音を加えて、ついにCD『ライブ松戸一揆』にした思い入れの深い曲。実は、このCDは藤井君のHPから注文した。彼のサイン付だったし(笑)。注文してかなり待たされた(ツアー中でなかなかサインする時間が無かったらしい)が、届いたCDには彼のミミズの這ったような文字でサインがあって嬉しかったな。この曲の終わりに「次はダーク・エンド・オブ・ザ・ストリートだ」と叫んだヨッパライがいたが(あ、オレだ)、『ライブ松戸一揆』もこの曲順で入っている。
 「ダーク・エンド・オブ・ザ・ストリート」。この美しいメロディを持つ曲は、なんと白人のダン・ペンとチップス・モーマンの2人が会議の休憩時間の30分で作り上げ、こちらはもちろん黒人のR&Bシンガー、ジェームス・カーが歌った名曲。私が初めて聴いたのはライ・クーダーのアルバム『流れ者の物語』でインスト・ナンバー。世の中にこんなに美しいメロディがあるのかと、当時のワタクシ涙しました。機会があれば是非ご一聴を。その後、作曲したダン・ペンのアルバムも入手して聴いたけど、こちらはなんというかカルビーのポテトチップス、ようするにイモでした。

 そして6曲目に「愛のゲンコツ」。ゲンコツってなんだと思ったら、減CO2。つまり二酸化炭素削減のこと。なんとマジな話、藤井康一氏は松戸市減CO2大作戦(松戸市地球温暖化対策地域推進計画)で「まつど減CO2大使」を任命されていて、ちゃんと市のホームページにも彼の音源と写真がアップされている。Moccoly(大きな声で読まないほうがいいかもしれない)という女性振付師が藤井君のライブには良く参加しているが、彼女がこの曲にも振り付けをして松戸市ではコンテストまでやったっていうから凄い。そしてMoccolyの作った振り付けで最高のものが次の「チャンポンダマンボ」。こちらは長崎市の幼稚園児が全員踊り狂ったという記事が確かにローカルニュースで流れました。これもLJBのミニアルバムとして2004年に発表されている。前回だったか、前々回のライブの時だったか、藤井君からもともと「みんなのうた」みたいな番組のために作ったけど、ノリがいいのでシングルにしたとか言ってたような気がするが自信が無い。

 この「チャンポンだマンボ」でライブは終わるはずだった。終わるはずだったが、しつこいヨッパライがいて「ピンガでへべれけ聴かないと帰れない」などと喚き(あ、オレだ)、圧巻のアンコール。ボサノバスタイルのこの歌、歌詞をじっくり聴くと酒飲みならだれでも経験のある、「ちょいと一杯のつもりで呑んで」という反省歌。もっとも歌ってる本人は反省なんかはサルに任せておけばいい、とにかくノラなきゃ、ノレば都さ、などと考えているから始末が悪い。ところで、この歌の途中に入るモノローグをずっと「モナリザ」と思っていた。どうしてサンバというかボサノバというか、ラテンの歌にモナリザだろうと疑問だったが、今回ようやく分かった。あれは「小野リサ」と言ってるのだ。小野リサならぼっさぼさのボサノバで問題ない。この歌は体力使うと最初はちょっと渋っていた(もちろんシャレというかポーズ)の藤井君、ついにスイッチ入ってしまいトリニダード出身の店のマスターにスティール・ドラム叩かせ、エンドレスのジャムセッションに突入。曲は「Let The Good Times Roll」。ここは本当にスナックなのかという疑問が湧きながらも踊り狂うお客さんの姿があった(あ、オレだ)。


セッション

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免許更新なう



五年ぶりに免許更新。前に来た時は耐震性は大丈夫かと不安になるようなおんぼろビルだったが、今は写真のように立派なビルになっている。何故か不愉快。ビルに入ると親切な人がいて、手続きの段取りを説明し、僕の免許証と添付書類をクリップ留めしてくれた。

最初の受付で証紙代を払うと次に行けという。見ると交通安全協会の受付である。バカヤロー、安全協会の加入は任意だろうが、と毒づく。しかし、この安全協会の加入については相当批判があり、講習をしている部屋には入ってこれなかった筈だが、いつの間にか復活している。先ほどの親切な人も良く見たら、安全協会の人だった。当然、無視して次のコーナーに進む。免許証を読み取って暗証番号を入力すると、申請書類が出来上がる。以前、上手く使えなくて大恥かいた大阪のホテルのチェックインを思い出した。それから視力検査して、あっというまに講習の教室に誘導される。なんだかベルトコンベアみたいだ。

などと考えているうちに無事、講習終了。新しい免許証を貰ったが別人の写真が貼ってある。文句を言おうとして、よく見るとまごうことなく我が写真。5年間は長いとボウイの「Five Years」を力無く口ずさみ帰途についた。

2時間並んで



ようやくゲットしたステーキ肉二枚とスライス三枚。宮崎牛のほかにも地鶏や肉巻き、魚の天ぷら(いわゆる天ぷらではなく、魚肉のすり身を揚げたもの、さつま揚げみたいなもの)など、地元の美味しいものが沢山売っていた。

テントの下で食べる手もあったが、アルコールの販売は17時からだったことと、しとつく雨が冷たかったので家に帰り、妻地鶏を肴にウイスキーのハイボールを呑んでいる。もちろん風子さんオススメの核、違う、角だ。うちのハイボールは角だから…。

no titleって、要するにタイトル付け忘れただけ



宮崎牛日本一2連覇のイベントにやって来た。あいにくの小雨模様だったが、県庁の樟並木通は長蛇の列。日本一になった宮崎牛を格安に購入出来るので、普段から勤労を感謝されることが少ないロードーシャがうじゃうじゃ。ゴキブリみたいにうじゃうじゃうじゃうじゃうじゃうじゃ…。

その最後尾に並ぶ悲しいワタクシ。関係者の「残りが少なくなりました」の声に、ちょっとビビりながらも、今日は口蹄役から復興しつつある宮崎牛のお祝いに来ただけだと負け惜しみ。

またまたLAMENTABLEな話



美味いと評判の回転寿司店に行ったら長蛇の列。とても待つ気力がない。そういえば、この近くに栄養軒(僕が高校の頃から、いやそれ以前から営業していた宮崎ラーメンのロウホ、いや老舗、笑)から暖簾分けされた店が出来た事を思い出し、直行。本日の晩飯にありつく。

味はまずまず。ラーメン食った後、食べるタクワンに幸せを感じるのだった。

しかし、オレの食い物の話はラーメンばかりだと少し反省した。

アベックラーメン3分クッキング

 今回のエントリーはデューク先輩へのコメント返しなので、九州のソウルフードに興味のない方はスルーしてください。

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 先ず、アベックラーメンを購入します。こちらでは量販店で税込105円で売っています。袋にはあの肥後のマスコット、クマ野郎が映っています。この間実物を見たけど、結構子供たちから毛をむしられていたな。またラーメンだけでは寂しいとお嘆きのあなた、ごもっともです。ネギとチャーシューとメンマは必ず準備しましょう。ネギは九州特産の細いネギ、浅葱とも違うんだけど、それを大量に準備することが肝心。まあどうしても無い場合は長ネギでもいいけど、とにかくネギだけは必ず入れたい。うどんにせよ、蕎麦にせよ薬味のネギが無いなら食わない、これくらい潔くありたいものだ。

 大きな鍋に水をたっぷり入れて、そうそう忘れないようにタイマーを3分間セット。BGMとして大塚愛の「ラーメン3分クッキング」をかけてもいいが、ストラングラーズはダメだ。彼らをかけると5分間になってしまう、などと分かる人にしか分からないネタをさりげなく挿入しつつ、ガスのスイッチを入れる。鍋にはふたをしよう。エネルギーの無駄遣いはやめよう。そうそう、もう一つ大事なポイントは、ラーメンを作る鍋にスープを混ぜると不味くなるので薬缶でお湯を別に沸かす。そちらをスープ用にする。このあたりは百福理論で武装したインスタントラーメン共闘会議の諸君であれば常識である。したがってアベックラーメンのペースト状のスープは先に丼に入れておく。

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 ちょっと写真で見ると、なんだかバッチい感じがしないでもないが、このペースト状のスープを完全に丼に入れるテクニックを、もったいない気がするが伝授しよう。先ずは袋の先を丁寧に切り取り、指の圧力で少しずつ丼に入れる。丁寧に丁寧に押し出す感じでやれば九割以上のスープは丼の底に鎮座しているはずだ。しかし、しかしである。まだスープの袋の中には、その旨味を十分に感じさせる粒子状のスープが残っているはずだ。僕がまだアベックラーメン思想に目覚める前は、このスープの袋に箸を突っ込み、残ったスープの粒子をこそげ落して舐めていたが、そういうことをすると塩分取り過ぎなので注意しよう。あ、もちろん箸に付いたスープの残りを丼に入れるという手もあるが、完璧にスープを搾り取ることはできない。さて、どうするか。こするのである。いやちょっと違うな。なんというか、スープの袋を揉むのである。心を込めて、美味しくなれ、美味しくなれと念じつつ揉んでいくと、なんと、袋にこびりついていたスープの素が「そこまで期待されてるなら本望、思い残すことは無い」とばかりに丼に入っていくではないか。疑う御仁は是非トライアリトルテンダーネス、である。

 さて麺を湯がく時間は3分間、それ以上だとちょっと柔らかいラーメンが出来てしまい、それはそれで少し風邪気味の時とかお腹の調子が良くない時にはちょうどいいが、今日はハードボイルドに決めたい、オレは蘇る勤労だ、いや金狼だというときは3分。オレはインロータキンだというときも3分が望ましい。そして、麺を湯がいているその間にネギ、チャーシュー、メンマを手際よく準備する。勿論その時も鍋の様子を細かくチェックし、菜箸で麺が固まらないよう混ぜ、水を時々足して理想のアルデンテ状態にする。などとえらそうに書いたが、本当はアルデンテがどういう意味か知らん。アンデルセンは知ってる。放浪のシンガーソングライターだ。あ、アンダンテも知ってるぞ、歩くようにって意味だと音楽の時間に教わった。などとくだらないことを言ってるうちに、麺が茹で上がった。素早くお湯を切って丼にうつす。もちろんその直前に丼にお湯を少なめに注ぎ、スープは作っておく。麺の上に、チャーシュー、メンマを乗せ、さらにネギをこれでもかというぐらいぶち込んで感性完成である。

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 出来たラーメンは一気呵成に食う。まだアベックラーメン思想に目覚めていなかった頃は、新聞や雑誌、場合によってはローカルの列車の旅番組など見ながらチーハク的にふっはふっはしていたが、それは大きな間違いだと気がついた。このラーメンの名前を思い出してほしい。アベックラーメンである。その昔、ランデブーとかガガーリンとか私はカモメのジョナサン(ジョナサンは余計か、笑。しかしどこへ行ったんだ、やもめのジョナサン~)などという言葉が流行った時代の、つまり大きいことはいいことだイデオロギー時代の産物である。一袋に二人前入っているからアベックラーメンなのである。つまり1人前食べたら、間髪入れずもう1人前を食べるのが本来の姿である。もちろん麺はその都度茹でてもいいが男の料理(そんな大層なもんでもないが、笑)は、ちまちましたことを嫌う。麺は先に茹でておいたものを、再度湯通ししてもう一杯食べるのだ。そして食べ終わったら静かにステアウェイトゥヘブンメタボを歌う。これぞアベックラーメンの正しい食べ方である。

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これから始まる



藤井康一ライブ、楽しみである。
※ライブレポートは近日中にアップ予定。

喫煙者のゲットー



歩行者天国のど真ん中にスモーカーの収容所があった。隠れ喫煙者がハイライトやセブンスターを踏まされて己の思想を全う出来るかという政権政党の陰謀だと思われる。ノブタが喫煙者であるはずがない。タバコ吸って、あんなに太れるはずはないのだ。

しかも一番人気はこいつだった



肥後の手先、クマ野郎だ。そのあたりに薩摩犬のつんつんが潜んでいて『田原坂の仇!!』と絶叫しながら切り付けるのを期待したが登場せず。我等が日向犬、ひぃ、むぅ、かぁの三位一体となった、ゲリラ戦を期待したが南九州安全保障条約でも締結したのか非常に和やかな雰囲気だった。去年は国際夜市というイベントがあったが、今年は古事記がなんたらしたということで、奈良と島根とタイアップした歩行者天国。右傾化はこういう形で浸透するのか。んなこたぁねえか。

去年は、akikoのライブだったのに



今年は、ゆるキャラショーである。

速報、阿木譲 ストーカー規制法でパクられる(笑)

昼休みになにげに大阪のホームレス襲撃事件のニュースを読んでいたら、こんなニュースがあった。かつてのロックマガジン教信者にはショックだろうな。しかし、いい歳こいてよくやるな。包丁持ち出して一緒に死んでくれって、演歌の世界だろ。どこにロックの精神性があるんだ。しかし、まあ考えてみれば68歳のシド・ビシャスって心意気だったんだろうか。10年前は58歳と38歳、ということは・・・。オレもまだまだ諦めないぞ!!

タイトル:音楽評論家を逮捕=殺人予備、ストーカー容疑―京都府 Yahoo!ニュース(NEWS)

 別れ話のもつれからピアノ教師の女性(48)を包丁で脅したなどとして、京都府警中京署は8日夜、殺人予備とストーカー規制法違反容疑で、音楽評論家の阿木譲(本名・近藤周平)容疑者(68)=大阪市西区西本町=を逮捕した。同容疑者は「殺すつもりはなかった」と話しているという。
 逮捕容疑は3日午前3時ごろ、京都市内の女性宅を訪れ、女性に「俺と一緒に死のう」と言って、持っていた包丁を見せた疑い。また7日午後、女性の携帯電話に「また包丁を持って行く」「何度もチャンスをうかがう」などと書いたメールを計10回送ったとされる。
 阿木容疑者は女性と10年近く交際していたが、先月末に別れ話を切り出された。復縁を迫ったが拒否され、腹を立てたという。 

アリバイ的続編てか、デビッド・ミードいいぞ!!

 夕方、車のラジオで萩原健太の短い音楽番組を聴くのが好きだ。CMとか入れると多分10分もないくらいの短い番組だが、セレクトするミュージシャンもいいし選曲も渋い。荒川強啓との掛け合いも面白い。今日は、デビット・ミードというシンガー・ソングライターだった。『バッド・フィンガーやラズベリーズが好きな人はきっと気に入る』という言葉通り、とても気持ちのいい音楽だった。歌詞もやや意味深な感じがするし、あまりSSWという感じはしなかった。もっともラジオで聴いた後、YOU TUBEやMy Space、そしてもちろん彼のホームページを調べて他の曲も聴いたら、確かに70年代のSSWの香りは十分ある。さっきAMAZONをチェックしていたら、「自らのルーツを、ガーシュイン/コール・ポーター/ポール・マッカートニー/エルヴィス・コステロだと明かすシンガー・ソングライター。」とあった。もっともどういう訳か、デビューアルバムは本邦未発売。さらに、今日のラジオで聴いたが、デビッド君、あまり経済的に恵まれていないようで(ああ、このあたりシンパシーを感じる。貧乏は嫌だな~)、ニューアルバム出すための予算が無い。それでファンが基金を募り、その積み立てに参加した人にデビッドが15曲入りのデモテープを送り、その中からリクエストで11曲選び、それに1曲加えて新作を発表したらしい。萩原のケンちゃん曰く『こういうミュージシャンこそ、わが国で応援していきたいですね』って、異議なしだ。



 中々いいでしょう、この歌。途中のEギターも結構ハードってか、パワフルです。それで、今日はこのミュージシャンの話ってわけでもなく、実は今までこういう、あ、これはいい曲だなとか、いいミュージシャン見つけたなんて小ネタはFBにアップしてたんだけど、よくよく考えるとFBは所詮FBで人様んちなんだよな。オレは自分のblogがあるわけだから、何もFBにアップする必要はない。まあ気が変わるかもしれないが、当面FBには関わりたくない。何となく面倒というか、しんどいんだよな。ということで、この後の話は何も考えてなくて、もうこれだけでアップしてもいいかと思ったけど、昨日ズトさんがコメントくれた話の続きをちょっくら書いておく。要するに、古本の話だ。オレのblogは音楽か古本か、ときどき頭に来た話くらいしかないか(笑)。

 午前中に12冊の古本と図書館の延長した本1冊持って家に帰ったと書いたが、実はもう少しおまけがある。古本の置いてあるテントを出たら、そこに大きなブルーシートが敷いてあり、雑誌があちこちに積んであった。但し書きがあったので読んでみると「ご自由にお取りください」とある。このフレーズ、大好きなのだ。たとえばうどん屋とか蕎麦屋に入る。江戸時代からやってる由緒正しいお店なんかじゃない。古くても戦後焼跡闇市時代、新しいものはバブル以降の脱サラうどん屋で全然いいのだが、その手のお店に入ってテーブルにこのフレーズが書いてあると嬉しい。要するに漬物取り放題とか天かす(揚げ玉なんて気取った言い方してるんじゃねえ、あれは天ぷら作った時のカスじゃないか、と、以前山上たつひこが8コマ漫画で怒っていた。ごもっともな怒りである)入れ放題なんてのが嬉しいのだ。儲けた、モウケタと心の底から喜びが込み上げる、この貧しきプレカリアートを誰が笑えるか、え、どうなんでぇ、社長!!

 そういう意味ではラーメン屋は風来軒がいいね。なんつったってああた(ここ巨泉風に、って、クドイ)、辛子高菜、紅ショウガ、ゴマ、胡椒、ニンニク醤油、さらに餃子用のたれ、ラー油、全て取り放題である。これは嬉しい。あのこってりした豚骨ラーメンを食べ終わるときに、ぶち込む紅ショウガや辛子高菜。特に風邪気味で微熱があるときは、こってりした豚骨ラーメンに辛子高菜をこれでもかというくらい丼にぶち込んで、割り箸で混ぜてはふうはううはううう、と最後は口まで痺れながら完食すると断言します。38度までの熱なら下がる。紅ショウガはこってりした口の中をさっぱりさせて、もう一口二口豚骨ラーメンを食べたいと、これは包丁人味平だったかカレーに何故福神漬けやらっきょうを添えるのかという問いに対する回答に近いものがある。

 えーと、そんな話ではなくて、ブルーシートに積まれた雑誌はよく見ると2年くらい前の雑誌で図書館に置いてあったものでお役御免になったものを広げているようだ。音楽雑誌に総合誌に明るい農村みたいなものもある。こういったらなんだが、僕はハードカバーや文庫、新書も好きだが雑誌も大好きなのである。当然、物色してぱらぱらやったが、なんといっても13冊の本をバッグに入れているので、これ以上モノを増やしたくない。しかし、タダでもらえる雑誌だから普段は決して買わないようなものをと探した結果、JAZZ LIFEを2冊と中央公論を1冊頂戴した。JAZZ LIFEは山下洋輔と佐山雅弘のインタビューが掲載されていたのと、もう1冊は表紙がチック・コリアと上原ひとみの師弟コンビが載っていたからだ。昨日寝る前にめくっていたらザッツ中央線ジャズなどというシャレオツな記事もあり、これまたもうけものだった。中央公論は『いま隣にある貧困』という特集で佐藤優と雨宮処凛の対談が出ていたし、東国原英夫とかいう人が『菅さん、それでも道路は必要です』とかいう、多分地方都市、それも高速道路が整備されていないド田舎の話が書いてあるんだろうと予想した(うわーん。見栄です。九州はひとつなんて言いながらも沖縄とうちのところは疎外されたままだぞ、この野郎)。

 ということで、都合13冊の本と3冊の雑誌を抱えて家に帰った僕は、やはり移動販売車で買っておいたホテルのカレーを食べて腹ごしらえし、まだまだ古本の交換チケットがあると配偶者を誘ってリターンマッチに向かったのだ。もっとも最初は、もう自分の本はいいので配偶者の好きな本を4冊くらいは恵んでやろうという「滅多にない家庭サービス」のつもりだった(良く考えたら、こんなもんが家庭サービスになるはずもないが、笑)。

 しかし、人間、見直しは大事である。午前中に何回も巡回したはずの古本群の中に、やはりまだまだ欲しいものはあった。あれもこれも欲しいと物欲のおもむくまま本を選んだらダメだと自分を戒めて、眺めるだけのつもりだったが結局もう3冊セレクトした。山田風太郎『忍法剣士伝』~ご存じ山田風太郎の忍法シリーズである。これに手を出してしまったら地獄に落ちること必定。なんつったってああた、何冊あると思ってんですか、このシリーズ。だから山田風太郎は老後の楽しみに取っておけば良かったんだよな。しかし昭和43年講談社から発刊されている。村上豊の表紙も独特のタッチで、ソフトカバーにぴったりマッチしている。お、タッチとマッチで韻を踏んでしまった。ぱらりとめくった感じもいかにも古本、何人かが熱心に読んだ感じが伝わってくる。

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 倉橋由美子『大人のための残酷童話』~はっきりいうけど、これ持ってます。確か大学時代に購入して、面白く読んだ記憶がある。その後、しばらく倉橋由美子は読まなかったが『アマノン国往還記』でまた読みはじめ、その時も再読したはずだが、その後行方不明になった。人に貸した記憶は無いので、我が家の押し入れの中か、どこかの段ボール箱の中に眠っているはずだ。もっとも今回入手したのは綺麗なハードカバーなので、中のイラストも楽しめる。前の持ち主が少し神経質な方だったのか、表紙がずれないようにセロテープで止めてあった。消費税が3%の頃に48刷で出されている。長部日出雄『桜桃とキリスト もう一つの太宰治伝』~長部日出雄が酒乱であることは有名だ。僕も彼の武勇伝はあちこちで読んだ記憶があるが、良く考えてみたらこの人の本は読んだことが無かった。なんだかんだエラそうなことをblogで書いておきながら、聴いたことのないミュージシャン、読んだことのない作家、たくさんあります。世の中知らないことだらけ、いったい幾つになったら落ち着けるのか、幾つになっても甘かぁねぇなぁ(by エンケン)。

美術館で会った人だろ



高校時代の同級生の個展なう。青をモチーフにした作品が多く、気持ちが落ち着く。額縁もシャレオツだが、窓ガラスを割ったり、火を点けたりはしないのだ。

古本市の戦利品 

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 自分の番号が呼ばれるまで、しばらく時間があったので図書館の内外をぶらぶら散歩。若松監督の本は結局もう一度読み直したくなり、貸し出しを延長してもらった。少し空腹だったので、移動販売の車の所に行きフランクフルトを注文。パクつきながらあたりを眺めていると、風船を持った親子連れが多い。今日は市民文化祭なる催しを行っていて、ジャグリングとか体験英会話とか親子の紙芝居とかやってるらしい。まあ、そういうことを喜ぶ子供もいなくなったので、通り過ぎる親子連れを微笑ましく眺めていた。チンピラみたいな父親がめんどくさげに3歳くらいの子供を連れて歩いていたが、子供が転びそうになると慌てて抱き寄せる。何となく視線が合ってしまったが、随分照れ臭そうにしていた。いいんだ、いいんだよ、そんなもんだよ、親子ってのは、などとフランクフルト1本分の優しさで頷いたりしていた。

 そのうちに時間が来て、ようやくテントの中に入れたが人の流れがあり、あまりじっくり本を探すことができない。しょうがないから回遊魚よろしくぐるぐるぐるぐる何回も巡回して面白そうな本を探す。しかし、そういう流れを阻害する物体が必ず何か所かあって、見上げると必ずと言っていいくらいオババが仁王立ちしている。それはまあ、いいとしてひどいのになると本箱を置いてあるテーブルに、自分の読みたい本を広げて立ち読みしている。そりゃ気になる本は手に取ってパラパラやるのは、当然の行為であるが熟読するなよこんなところで。だいたいどの本も1冊100円か、事前に不要な本を持って行っておけばチケットをくれるから、ほとんどタダみたいなもんだ。気になるなら手に取って買えよ、クソババアと大声で(心の中で)叫んでやった。

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 1時間ほど巡回し、入手した本は下記の通り。今江祥智『明るい表通りで』~イラストが長新太である。タイトルを見て『オン・グリーン・ドルフィン・ストリート』を連想し、表紙を開くと『…1960年、日本が新しい時の流れに一歩をふみだそうとしたその時代がジャズのしらべにのって鮮やかに描かれる』と書いてあった。面白そうななのでゲット。佐藤愛子『血脈・下』~当然、上下揃って入手したかったが、上巻が見当たらず下巻のみ。サトウハチローという国民的詩人がいかにだらしのない人間だったか、その父親の、こちらも国民的大作家だった佐藤紅緑も、これまたいかに女性関係がだらしなかったか(裏山、いやなんでもないったら)。確か、僕が足のけがで入院していた前後にNHKでドラマ化されてずっと見ていた。唐沢寿明が実に良かった。20世紀少年のケンジよりはるかに良かった。本田靖春『私たちのオモニ』~こんな時代だからこそ、もう一度本田靖春を読んでおきたい。『我、拗ね者として生涯を閉ず』は、あまりに痛々しくて最後まで読めなかった。硬派のノンフィクション作家って、良く考えると最近いないよな、などと考えて手に取った。

 柴田翔『されど われらが日々―』~高校生の時に文庫で読んだ。やたら挫折とか敗北とかいうイメージで、とにかく暗い小説だなという印象だった。「斬鬼の念」という表現があるが、それを単体で「斬鬼、斬鬼」という使い方を、この小説だったかもう1篇のほうだったかで知った。いわゆる60年安保世代の人だが、その後のゼンキョートー世代のように大声で「われわれわぁ~」という所が無くて良い。しかし、この小説の題名が『されどわれらが日々』ではなく、『されど われらが日々―』だとは知らなかった。つまり、スペースと全ダッシュも題名に含まれるということ。新潮現代文学シリーズの71巻目。ロウ紙というかパラフィン紙で包まれているハードカバーなど、今の世の中ではお目にかかることが無い。それはいいのだが、本に手あかが全くついてなくて、さらに中に注文カードと新潮社新刊案内が入っていて、よく見ると1979年7月号の波の広告が書いてあった。ん、オレが大学5回生の頃に出された本なのか。面白くなって、リーフを開くと新刊で紹介されている本が檀一雄の『火宅の人』や、水上勉の『金閣寺炎上』、会田雄次の『リーダーの条件』など。重版では阿川弘之の『米内光政』、円地文子の『食卓のない家』、吉行淳之介の『夕暮れまで』などがあった。夕暮れ族っていましたな~。あの方々は何処に消え去ったのか。ビフォアバブルの時代のあだ花だったのか。しかし、注文カードなどがそのまま入っているということは、この本の所有者は一度もページを開かなかったのか。所有してしまい安心したのか。一番嫌な想像は万引き本ではないかという判断だが、紙箱の背表紙が日焼けしてそのほかは焼けてないから長期間書棚に入ったままだったんだろう。心配するな、オレがしっかり読んでやるからと本に声をかけた。

 文庫は2冊入手した。まずは、『ちくま日本文学全集 色川武大 1929-1989』~非常に良心的な文庫の日本文学全集だった筑摩書房の1冊。僕は阿佐田哲也名義の方が好きだが、あれは色川さんが演じたもう一人の自分なんだろう。麻雀小説で一斉を風靡した人だが、もともとは寄席や喜劇映画、ミュージカルなどに大変な造形のある人だ。何かのエッセイで実は席亭になりたかったと書いてあった。僕と同世代で麻雀を知っている人間で、この人のお世話にならなかった人はいない筈。麻雀新撰組とかイレブン麻雀とか、麻雀の暑いが熱い時代だった。そういえば、この間タモリのコマーシャルを見ていたら、カメルーンの人たちが映っていて、その人だまりの後ろの方でバシッと牌を叩く音がした。4人で麻雀をしているのだ。そうか、カメルーンは麻雀打ちがいるのかと嬉しくなった。もう1冊は保坂正康の『昭和良識派の研究』。さきほど、硬派のノンフィクション作家がいなくなったと嘆いたが、どっこい保坂正康がいた。感情を入れず、淡々と事実関係を描き、時々に自分自身の考えや疑問を提示するルポは読みごたえがある。『農村青年社事件:昭和アナキストの見た幻』を読むまで、ああいう事件があった(功を焦った権力主義者のデッチアゲだが)ことは知らなかった。不勉強である。しかも大学の大先輩である。もっとも大学の先輩だからと無批判に受け入れるのは愚の骨頂だと最近知ったが。

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 この間、全巻読破した山田風太郎の明治小説全集に森まゆみが山田風太郎にインタビューする企画ものがオマケとしてついていた。御大風太郎先生を上手にヨイショしつつも、作品の背景や無意識の意図を引き出す、なかなかに面白いインタビューだった。ということで、森まゆみ『大正美人伝 林きむ子の生涯』~林きむ子、決して消臭剤のキムコを考案した人ではなく美顔水の考案者である。大正三美人の一人と言われたらしいが、全然知りません。世の中知らないことだらけである。よくもまあ、今まで大手を振って歩けたものだ。己の無知に恐れ入る。こんなことだから生活能力が無く妻子からも小馬鹿にされるのだ。反省しよう。本の帯に林きむ子を彩る人々とあって、適当にピックアップすると九条武子、三角寛、頭山満、杉山茂丸、星亨、与謝野晶子、平塚らいてう、嘉納治五郎、三船久蔵、松井須磨子、野口雨情、宮城道雄、中山晋平など。いったいどんな人物なんだと興味津々である。

 森まゆみと何故かイメージが重なってしまう中野翠『ムテッポー文学館』~1986年から94年までの読書目録がメインではあるが、明治から昭和までの有名作家の作品論や作家論が収録している。キャッチコピーは『草枕』から『マディソン郡の橋』まで、だってよ。今、ぱらぱらと黙示を見ていたら、なんと「風太郎ワールドに見せられて」という項目があり、作家・山田風太郎氏との対談が20ページ強あった。チラ見したら『戦中派不戦日記』のことも話している。うーん、読まねばの娘であるが、しょうもないWebをやっている時間を削減して読書の時間をしっかり取ろう。所詮、『ウェブはバカと暇人のもの』(by 中川淳一郎)なんだから。そして、最後の1冊はなんと五木寛之・井上陽水『青空ふたり旅』~ペップ出版って今もあるのだろうか。わりと青春向けの作品を多く出版していた印象がある。この本も陽水の同名タイトル曲、あっちは『ひとり旅』だが、から拝借してきた企画だろう。二人とも九州出身で麻雀は下手だが、やたら強い。リーチかけると裏ドラが必ず乗るとか一発でツモッてくるタイプらしい。なるべく卓を囲みたくない、いや一人ならいいけどこういうタイプが二人いると場が荒れて筋もワンチャンスも関係なく、ブンブンブンブンの力任せの勝負になる、あ、何の話だ。奥付を見ると昭和51年である。しかも初版が1月で三版が3月。つまり僕が大学1回生、修学院で初めて迎える冬から春の季節に出されている。その当時、一世を風靡した二人の対談を今読むとどんな感じだろうか。楽しみである。

 車谷長吉『世界一周恐怖航海記』~何故か縁のない作家っていませんか?僕にとっては村上春樹とか、この車谷長吉がそれにあたる。多分、読んだら絶対面白いと思うのだが、なんとなく手が伸びないというか、接する機会が無かった。実は森見登美彦も以前はその一人だった。シチュエーションは京都の左京区あたりで、四畳半の貧乏学生が登場する話が多いから、すぐに読んでもいいはずなのに何故か書店で平積みされている『夜は短し、歩けよ乙女』も少し立ち読みし、よっぽど買おうかと思ったけど、なんとなく買いそびれてそのままになった。もちろん、その後に『太陽の塔』の文庫本を読んでしまいそのほかの作品も続けて読んでファンになったのだが。まあ、老後の楽しみに取ってあるという言い訳を自分にしてって、いったい誰に言い訳しているのだオレは。M・スコット・ベック『平気でうそをつく人たち』~タイトルを見て、この国の最高権力者の顔が浮かんだのは僕だけではないと思う。しかし、どうして、いったい、平気でうそがいえるのだ。ホラはいいよ、ホラは。僕も好きだし、僕のエントリーの多分98%はホラで出来てると言われても怒りはしない。しかし、うそは確かに人生に必要ではあるが、平気で、自己を正当化するために、他人を落としいれるために、自分だけが利益を得るために、そして、理由などなくただ単に快感を得たいからと平気でうそをつく人間のなんと多いことか。まあ、心理学大好きの紅毛碧眼人の書いた本なので、どこまで真実を突いているか分からないが、とりあえずジャケ買いならぬ、タイトル買い。

 以上12冊、あれ、1冊足りない。あと1冊は文庫のマンガだった。まあ、そちらはここに書くようなものでもないので端折る。この12冊プラス貸出期間を延長した1冊の合計13冊をバッグに入れて、充実した気持ちで家に向かった。まさか、昼ごはんのあと、配偶者とリターンマッチで再登場するとは夢にも思わずに。

図書交換市なう



ブンカ薫る本日、借りていた『若松孝二全発言』を返しに行くついでに古本市に乱入。下鴨神社の古本市には遥かに及ばないが、それでも楽しみである。しかし、貰った整理券は522番、呼ばれているのは350番。持久戦である。

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