過去への旅路その12 出町、百万遍への進撃を再開せよ

 およそ25~6年ぶりのキャンパスは、相変わらず狭かった。それ以上にせわしなく感じたのは耐震補強の工事をあちこちの建物で行っており、やたら振動がしたり騒音がしたり、足場や足場を隠すためのネットがあちこちに貼られている、その風景だった。M地下を出た僕たちは、文学部のあった寧静館をうろつき、学園祭で良く使った至誠館に行って授業か試験が終わったばかりの学生たちが出てくる姿を眺めたりしていた。壁には学生向けの様々な情報が書かれたビラが貼ってあった。もっとも学生自治だとかサークル運動などのあっち系のものは皆無で、唯一反原発の官邸前デモと連帯して関電前で抗議行動をしようというビラがあった。N谷君は冷ややかに、そのビラを見て「アカンな」と一言。元文学部自治会の活動家として、反原発に対して意見があったようだが忘れた。良く考えてみたら、もう2ヶ月前の記憶だ(笑)。もしかしたら反原発のビラではなく学友団とか卒業アルバム制作委員会のチラシを見て「アカン」と呟いたのかもしれない。

 デューク先輩、N谷君と3人でキャンパスをうろつき、工事の警備をしていたおじさんに記念写真を数枚撮ってもらった。クラーク館の前や神学館の前などで記念写真を撮るようなことになるとは学生時代は夢にも思わなかった。そうしているうちに有終館の前に来た。ここは移転反対や学費値上げ反対のストを行うたびに封鎖される建物だった。当時の学長室などもあったし、一般学生が立ち入ることなどほとんどない場所である。それなのにN谷君は「懐かしいなぁ。ここ、な、学長室あるやん。ドアぶち破ったことあるんや」とか「部屋の中、わやくちゃにしてやったやつもおったで」とか、不思議な話をするので、いったい何のことだろうと頭の上にたくさんの疑問符を浮かべながら聞いていた(笑)。

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 しかし、来年は某国営放送で本大学の創始者の配偶者(役者は何と『JIN』の咲ちゃん役で全国民の心をほんわかさせてくれた、あの女優)のドラマが放送されると聞いたが、改めていろいろな文化財のある学校だったことがわかる。何しろオリジネーターというかオルガナイザーというか、要するに設立者である新島先生の直筆の文章があちこちにやたら掲示してある。「苟も真正の文化を興隆せんと欲せば、須らく人知を開発せざるべからず」などということがガラスの掲示板の中に墨痕淋漓と書かれてある。しかし、悲しいかな、大学中退者の僕は「え、えーと、ジュンもシンショウのブンカをコウリュウせんとヨクせば、スラク、ん、スラクってなんや、スラムの間違いちゃうか」とか「シンセイの文化ってのは、タバコのしんせいのことか、それとも落語家の志ん生、あ、あれは『しんしょう』か?」などと解釈が出鱈目なので、ありがたみがない。しかし、徳富蘇峰の書で「致遠館」などという額を見ると、やはり気が引き締まる。もっとも、こういう気持ちを30数年前に持っていれば、もう少し真面目な学生生活を送ったことと思うが、いまさらしょうがない。

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 キャンパスを出てアーモスト館を左手に眺めながら河原町今出川に向かった。そうそう、あえて名前は伏せるが「アーモスト館って、どこや。昔はよくアモ館、アモ館っていうとったけど」という元学友の問題提起に誰一人答えられずに、キャンパスを出て初めて、その存在に気がついたという出来事もあったが、あまりに悲しい話なので内緒にしたい。男3人、ぶらぶら歩いて「ほんやら洞」の前を通る。誰一人として中に入ろうなどと言うものはいない。この手の文化風俗は苦手だったのだ。いわゆる京都文化人というか、フォークとか現代詩とか手作りとか陶芸とか、いわゆるああいう「高尚」な文化人の人たちの集まる場ってやつが(ちょっと悪口言うと文化人気取りの人ってたくさんいた。いや、今もいるんだろうな。普段は反権威みたいなこといいながら、有名人とちょっとしたコネがつきそうだと誰彼なく口を出すというか、友達の友達は皆友達だみたいなことを平気で言える人っているよね)。まあ、「ほんやら洞」は相変わらず存在していて、入り口の所に古本(写真集とか地方の出版社の本とか)が無造作に置いてあって、「どれでも1冊500円」なんて書いてあった。僕の地元で農家の人が組合に出せないキュウリやトマト(ちょっと曲がっていたり形が悪いだけで味は全然ノープロブレム)をビニール袋に入れて、横に箱があって「どれでも100円」なんて書いてあるのと同じだと思うと、なんだか可笑しかった。

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 ぶらぶら歩きながら「ああ、このあたりに冷麺屋があったっけ。看板に『京風ラーメン』って書いてあって、急な階段を上ると4人掛けのテーブルが几帳面に置いてある店だったな。4月の終わりには冷麺を出していて、冬場の寒い時だけラーメン出していたな」とか「お、カジマヤは確か、あのあたりにあったな。今は立派なビルが建ってるやないか」とか「わ、レノマのあったビルは、そのまま残ってるな。あそこの確か3階の角にあったんやな、レノマは。ちょっと訳ありのママさんがいて、オレ達のミニコミを置いてくれて回収に行ったら1冊も売れてなくてな、うん、創刊号の時だったと思う。そしたら、ママさんが『私も1冊もらうわ』って買ってくれて、嬉しかった。でも見栄を張って『同情はいらんよ』と言ったら『いや、私も学生さん相手の商売やし、こんなん読んで勉強せんと』なんていうてくれて、オレ一瞬惚れてしまいそうやった。あのとき周りに客がおらんかったら、オレ…」などとあらぬことを口走りそうになった。「あ、そのレノマの前の道路に夜になると屋台のソバ屋が出てたの、N谷知らへんか」「知らん」「たしかな、『大将蕎麦』っていう名前で、もちろん半分茹でたソバやうどんをテボに入れて、沸騰したお湯の入ってる寸胴の中にさっと通して具を乗せて汁をかけるという、いわゆる立ち食いソバなんだけど冬場に食べると美味しくてな。そうそう、昔から疑問やったんやけど、なんで京都はニシン蕎麦が一番高級なんやろ。天ぷら蕎麦より高いもんな。オレ、魚好きやけどニシン蕎麦はそれほど旨いと思わん。」とか、まあ人間思い出すものである。しかし、僕が思い出すのは呑むか食べるかの話がほとんどで、それも高級なものはまず出ない。大衆とか学生向けとか格安などという名詞がつくものばかりだ。

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 「その大将蕎麦なんやけど、マッシュルームカットに鼻ひげ生やした、若いんだか年取ってるんだか分からんオッサンが一人でやっててな、あるとき確か麻雀した帰りやと思うけど、H本やO原なんかと一緒に蕎麦食おうという話になって、そう、なんでかO畑もおって、みんな蕎麦やうどんを頼んだけどO畑だけ腹が減ってないからってかやくご飯頼んだんや。そうそう、あれなんでかやくご飯いうんやろうな。オレ最初かやくご飯って聞いたとき、うわー、京都の人は物騒やな。メシにダイナマイトでも入れるんかいやとか思うたもんな。そうそう。そのO畑なんやけど、かやくご飯頼んだのはいいけど代金を渡すときに落としてしもて、小銭が屋台の下に入ってわからへんのや。オッサンがマジな顔になって「お前、なんぼはろた、今落としたのはなんぼや」っていいよるねん。O畑が「100円玉です」いうてその場は釈放されたけど、後でO畑が「あれ10円ですねん、あの大将後で拾っても金額足らんかったはずですわ」ていうたのは笑ったで」。まあ、セコな話でした。

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 そしてカジマヤ、レノマを過ぎて、ついに出町の商店街、桝形通りに出た。ここは僕が3回生から4回生になるまでの2年間住んでいたところで、この小さなアーケードの商店街にはしょっちゅう買い物に来た。スーパーなんかにいくより、このアーケードは楽しくて当時はうどん玉などはガラスケースの中に入っていて、「2玉」とか頼むと経木をもっと薄くした、いやあれはやはり紙だったのか、三角形に折り曲げた紙の底に長い箸でつかんで来ように入れてくれた。惣菜や野菜、めったにないけど肉なども買っていた。サバ寿司も美味しくて、ってキリがないな(笑)。その商店街を北に抜けると、我らが王将、出町店である。相変わらずの外観で、店のガラスにはメニューがべたべた貼ってある。ショーウィンドウの中の見本は、これは何十年そのままなんだろうというたたずまい。金が無い学生には30分間皿洗いしたら腹いっぱいご飯を食べさせるなんて張り紙がある。このルールは僕が学生の頃もあったらしいが、張り紙は出てなかったと思う。実際、皿洗いしてタダメシを食べたやつなんていなかったから、やはり80年代以降に始まった約束事かもしれない。しかし、いかにも学生の街の王将らしい。

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 王将を見たら、次は中島食堂である。あの広くて薄暗い、おかずの品数はいったいどれだけあるのか、想像もつかない不思議な食堂であった。何度もここに書いたが、料理の注文は受け付けの兄ちゃんに食べたいものを言って、その後名前を名乗る。すると4~5分して長髪の薄汚い兄ちゃんがエプロンして、「なんとかさ~ん、レバニラと卵焼きと納豆を頼んだなんとかさ~ん」などと言いながら料理を持ってくる。周りの客は黙々とメシを食いながら「こいつレバニラに玉子に納豆って、何考えてんのや。やたらネバネバ系で精のつきそうなんばっかりやないか、あ、もしかして今からグラスホッパー行ってナンパする気やろか」などと邪推したり、注文した客の名前が受け狙いのタイムリーなものだったら、笑いが起きたり、まあ摩訶不思議な食空間であった。

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 すこし迷ったが、中島食堂はあった。いや正確に言うと中島というお弁当屋はあった。土曜日の夕方が近いというのに休業のようで、外見から見る限りではあまり流行っている様子は無かった。少なくとも、僕達が学生の頃、正確に言うと貧乏学生だった頃の夕方の活気とは無縁の静かな場所になっていた。そういえば中島でご飯食べてる女子学生って見なかったなとか、あの受付に座って注文取ってたのはR命館大学の学生だったはずだが、その後そのまま中島食堂に就職した。僕達が大学で学食が営業していない時期に一定程度まとまった弁当が必要だったとき、ああ、めんどくせー、要するにストとか入試情宣をやっていたときに弁当を注文すると配達に来ていて、最後の方ではお店の経営なんかに関わっていたとか養子に入ったとか噂になったが、お元気なんだろうか。ホカ弁や格安の牛丼屋などが進出するこの業界で、いかな老舗の中島食堂も経営状態は厳しいのかもしれない。しかし、どんなに間違っても訳の分からない経営コンサルタントなんかに洗脳されないでほしい。いつの日か、中島食堂に来てみたら、従業員は全員黒のTシャツを着て胸にはみみずののたくったような字で「なかじま。私たちには笑顔しかありません」かなんか書いてあって、店に入ったら全員で「いらっしゃいませ~」と絶叫され、注文したら大声で「幕の内弁当並み、サービスドリンク付き、ご注文いただきました」「ありがとうございます(一同絶叫)」「1000円札入ります」「ありがとうございます(一同絶叫)」「お客様のお帰りです」「ありがとうございます(一同絶叫)」なんて店に変わってほしくないのだ。壁にやたら「お客様の笑顔が私たちの元気の源です」とか「たかが弁当、されど弁当。弁当哲学一辺倒」とか「造反有理、ホカ弁×滅、打倒米帝牛丼主義」とか書いていて欲しくないのだ。

 ええと、久しぶりのアップでどうなることかと思ったが、なんだまだまだ行けるじゃないかと手ごたえを感じております。もっとも今日はちょっと頭痛がするので、ここで終わります。続きは延々と、ネバーエンディングで行くのだ。過去への旅路は終わらないのだ。

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昔、流行った謎々で



電線に止まっていた雀が鉄砲で撃たれたが、死ななかった。何故だ。


というのがあって、正解は「根性があったから」。


そのデンでいくと、このバッタ(ウマオイじゃないかと思うが、自信はない)も、相当根性がある。何しろ鹿児島との県境から自宅まで車のフロントガラスにへばり付いたままだった。

何と言うこともない彼岸の出来事だったが、なぎらの歌を思い出した。尤も、今日の墓参は身内の所だったので、SNSで因縁つける奴もいないか(笑)。


大脱線 JEP-OB CAMP STORY

 分かってます、分かってます、みなまで言うな、皆の衆。「過去への旅路」の続きを書く、書くんですよ、ワタクシは。え、いや、そんなこと言って、お前さんの場合はこういうシリーズものは途中で必ず飽きてきて、寄り道というか脱線話を間に入れて、いつの間にか立ち消えになった話ばかりじゃないか、ええ、どうなんだ、というご指摘があることは重々承知の助ですわ、はい。それでも、やはりこれだけは先に書いておかないと鮮度が落ちてしまうので、「過去への旅路」をもう1回だけお休み(前の話から随分あいだが空いているというところは、また別の問題だとして、笑)させていただいて、先週行ってきた恒例のJEP-OBキャンプの話を書いておきたい。

 そうそう、それともう一つ。ちゃんと書いておくべき話があるのだ。先日、仕事が終わって家に帰ったら、机の上に茶色い封筒が置いてあった。郵便物で、表に書いてある文字からsugarmountain君からだとすぐにわかった。手に取るまでもなくCDかDVDだと思い、急いで封を切ったらBingoでした。下地勇の新作、前回は彼のキャリアの総決算で2枚組のベスト、しかも全曲新たに録り直しという素晴らしいものだったが、今回のベストも下地が標準語で歌ったものや誰か別のシンガーのために書き下ろした曲のセルフカバー集。テレビのワイドショーの挿入曲になり話題となった「一粒の種」とかBeginの島袋優と組んだユニット、シモブクレコードでおなじみの「AKICAN」、そしてその島袋がプロデュースした名曲「また夢でも見てみるか」等、実に聴きごたえのある曲ばかり。しかも、ご丁寧にボートラが3曲も入っている。中には沖縄でしか聴けなかったオリオンビールのCM曲も入っている。いやー、いいものを頂きました。

 そういえば彼は「過去への旅路」シリーズでも書いたけど、淀屋橋の居酒屋で「大坂夏の陣」と銘打った元DRACメンバーによる呑み会の時にも、商売道具のCDやDVDを大量に持参して、僕もマリーンやノラ・ジョーンズなどの女性シンガーのアルバムなどをもらった。そうそう、その時に初めて会った後輩のT花君などは「drac-ob先輩を手ぶらで帰すわけにはいかない」などと、まるでどこかのオリンピックに出た水泳選手のようなことを言って、宴の終わりに僕にさりげなく高級フランス菓子を持たせてくれた。たかが大学のサークルの先輩・後輩の間柄でこれである。いわんや就職先の上司部下の関係においてをや。などと、その昔、古文で反語などと教わったフレーズがつい出てしまうのは、先日のキャンプで、あれほどいろいろ仕事を教えたかつての部下の諸君が手ぶらですよ。手ぶら。え、盆暮れの付け届けはしっかりするのが社会人の常識ではないのか。メロンだとか幻の焼酎だとか強欲なことは言わんが、それなりの手土産のひとつやふたつはないもんかね、いったい。

 こういうことを書くと、Zappy君が大声あげながら「いや、僕はちゃんと手土産持ってきました」というのは目に見えている。うん、確かに頂きました。以前、僕が欲しいといった好みをしっかり覚えてくれていたのは感心したし、ちょっと感動した。しかし、しかしである。僕もいい大人なのだ。何が悲しゅうて薩摩剣士隼人のストラップを、それも「つんつん」「コンコン」「隼人」の3タイプもらわなければいけないのか。いや、これは嫌がってるわけでは全然なくて、当然嬉しいのだが、どうせなら「ヤッセンボー様」のストラップも欲しかった、などと無い物ねだりをしてみるワタクシであった。まあ、これくらい書いておけば次回、冬のキャンプの時には「さつま揚げセット」とか「錦江湾獲れたて、ぴちぴちのキビナゴの天ぷら」とか何かそういう気の利いたものを持ってくると確信している。

 てな前フリを終わって、毎年9月と11月に行われる昔の会社の仲間のキャンプ、場所はいつもおなじみの伊佐市のキャンプ場にまたもや行ってきました。今回は、宮崎から昔の上司だったM木さんと当キャンプを最初に始めたN村君の車で3人雁首そろえて走った。今考えてみると、M木さんは九州ブロックの支社長だったし、僕はそのM木さんをサポートする営業管理課の元係長、そしてN村君は熊本の元営業所長。かつてのJEP九州ブロックの中間管理職ご一同様である。車中、例によって昔のさまざまなメンバーの話が出てくる。今回は宮崎に所属していた女子社員の噂話で盛り上がった。ここに書くことが出来ないのが残念なくらい、面白い話ばかりだった。ひとつだけ書くと、夫イケナイ妻フリン、いやいや、おっといけない、その一言が命取り。どんな話だったかは皆さんの想像にお任せする。

 このキャンプもここ数回は参加メンバーが固定して、それはそれで楽しいのだが、今回は熊本出身熊本採用、生え抜き肥後もっこすのN村君が初参加すると聞いて、楽しみにしていた。あ、苗字が被るので、こちらのN村君は名前の方でM男君と表記する。このM男君と会うのは、彼がJEPを退職してからなので四半世紀ぶりだ。中途採用の即戦力として期待された男で、その期待にたがわない働きをした。ルックスも甘い二枚目で、結構隠れファンが女性社員の中にいたと思う。しかし、生粋の熊本人、肥後の男である。ここで、熊本の人間かどうか、誰でも簡単に判定する方法を拙blogをお読みの皆さんにだけ、こっそり教える。『あいつクマモン(熊本のマスコットに同じ名前があるが、この場合は熊本者、という意味のクマモンである)と違うか?』という疑問が生じたときは、先ずその人間をどこか個室、まあ個室でなくてもどこか区切られたスペースに呼び出す。ポイントは区切りに開き戸、無い場合はドアでもいい、要するに出入り口がちゃんとついている場所というのがポイントである。アコーディオンカーテンでも無いよりはいいが、移動式のパーティーションでは判定がちょっと難しい。クマモンらしき人間をその場所に呼び出し、相手がその場所に来た瞬間、「アトゼキッ!!」と叫ぶ。相手がハッとした顔をして後ろを振り返ったら、間違いない。そいつはクマモンだ。意味は、クマモンに聴けばすぐ分かる。似たような県民判断ノウハウとして、向かい合った相手に「ヘガフッ」と叫び、相手が空を見上げたり大急ぎで洗濯物を取り込んだりしたら、そいつはサツマモンである。ヒュウガモンを見極めるには、箒を準備し、その前で「ハワケッ」と叫んでみる。相手が箒を取り周囲を掃きはじめたら、間違いなくヒュウガモンである。以上、南九州3県の見極め方、必殺技であった。ためになるなぁ。オレのblog。

 などとバカなことを話しているうちに、車は小林という県西の街に着いた。昼過ぎだったのでメシにした。むろんラーメンである。N村君は仕事で宮崎県内を、いやいや九州・沖縄エリアを飛び回っているので、あちこちの街の噂を知っており小林だとここが旨いらしいというラーメン店に入った。「こち」とも読めるそのお店は国道沿いにあり、築50年は経っていると思われる古いお店であった。ラーメンと餃子専門みたいで、入ると4人掛けのテーブルが4つほど、それにカウンターと座敷という昔風の作り。爺ちゃんと婆ちゃんで切り盛りしているようで、テーブルに着いてちょっとしたら婆ちゃんがにこにこ笑いながら「何しましょ」と注文を取りに来る。あれ、お冷はと見渡すとキャンプや運動会などで見かけるウォーターサーバーが店のあちこちに置いてあり、セルフサービスと書いてある。注文をして、そのサーバーに水を取りに行くと、コックから出てくる水は勢いがなく、ややぬるい。僕はチャーシューメンの大盛、二人はラーメンとライスと餃子がセットになったものを頼んだ。

 出てきたラーメンは、昭和40年代あたりの雰囲気。スープの色はやや黄色く、そこに麺ともやしとチャーシューだけという潔さ。メンマなんて、ありゃ昔はシナチクと呼んでいて、シナのタケノコに出汁で味付けしたものだからシナチク、どこが悪いんだよ一体、というような反東アジアという意識が明確、なわけないか、要するに具が寂しいんだよ。ま、いいけど。味、ですか。九州の男はそぎゃんせからしかことは言わんとです。味がうまかとか、まずかとか、そぎゃんこついうとるとションベンばちびりますたい、と左門豊作で居直りたくなるようなお店であった。いや、まあ、そんなに悪くは無かったけどね。トイレの入り口がアコーディオンカーテンで、しかも丈が中途半端で閉まりも悪い。まあでもそんなちっちゃいことを気にしていると桜島とか阿蘇山みたいな立派な人間になれないから、いいんだ、いいんだ、と流行歌(はやりうた)口にして後にした。

 午前11時に待ち合わせして、キャンプ場に着いたのは午後2時半くらいだった。いつものキャビンの前に車が1台も止まっていない。一番乗りだと思って、近づいてみると入り口のドアに紙袋を破いたものが挟まっている。見ると、H君の書置きでキャビンは2棟借りていて、そのうちの1棟はカギをかけていないから、そちらに荷物を入れるよう指示してある。どうやらH君一家は川に魚釣りに行っているようだ。キャビンに荷物を置いて、3人でゆっくりしていると軽トラがやってきた、串木野から駆け付けたK瀬さんである。仕事用の軽トラで毎回参加するK瀬さんだが、M木さんとは久しぶりなので話が盛り上がる。しかし、大の男が4人も集まって、おしゃべりばかりじゃ間が持たない。せめてビールくらい飲むかという話になったが、飲み物や食料は、幹事役のH君が買い込んでおり鍵のかかったキャビンに置いてある。近くにコンビニや売店などない。「しまったな。途中でビール買えば良かった。つまみだけは買ってきたんですけど、しようが無いからつまみだけでも食べますか」とK瀬さん。ちょっと小腹もへって来たから、そうしようということになり、K瀬さんがバッグから取り出したのは、裂きイカ、裂きイカ、裂きイカである。いや、微妙に加工の具合が異なっていて、ソフト裂きイカもあればアタリメなどと書いてある固いイカもある。いや、しかし、どれだけイカが好きなんだと久しぶりに皆にバカにされるK瀬さんであった。この人、営業センスは抜群で、どんな商品でも売りまくるのだが、どこか抜けているところがあり憎めない。その昔関東で働いていた時、会社の看板車でラブホテルに入った男がいて、それは一体誰だと噂になった。現場を見たK瀬さんは、常務から口止めされていたにもかかわらず「苗字に風のつく人」と漏らしてしまい、何、あの呑み屋のねーちゃん口説いてラブホにいったのはK間主任だったのか(伏字になってない、笑)と水戸の事務所全員が知ってしまったなどという心温まるエピソードの持ち主である。

 そうこうしているうちに、H君一家(もっとも今回は二番目の子供さんだけ参加。上の子供は高校のイベントのため欠席、そしてその世話のため奥さんも欠席)もやってきて、ようやくビールが配給された。気がついたらいつの間にかZappy君夫婦もいる。I上レーニン夫婦もいる。そこにやってきました、熊本ナンバー。「あれ、M男さんじゃないですか」「わ、白髪だらけ」「いや、顔や雰囲気は変わらないな」などと25年ぶりの再会は大いに盛り上がった。キャビンでビール飲みながらグダグダしていたら、怖いことで定評のあるZappy君の奥方が「パパ、ちゃんと動けるうちにバーベキューの準備をしたら」と一言。これはどういう意味かというと、どうせバーベキューが始まったら、あなたはグデグデになって動かなくなるんだから、まだそんなに飲んでいないうちに準備くらいしたらどうか、という意味だが、当然、Zappy君だけに言ったわけではなく、職場ではいざ知らず、こういう遊びになると誰一人建設的な行動をしないというかリーダーシップを発揮する人間はいないという我々のグループに対して、薩摩おごじょの怒りが爆発した訳だ。

 そそくさとキャビンを出て、全員でバーベキューの準備をする。そこにケータリングというのか、1台の車が来て何やらやはりバーベキューのセッティングを始めようとする人間がいた。話を聞いてみると、ケータリングを注文した客がまだ来ていないので、どこにセッティングしたらいいか分からず待機状態だという。雨が降るかもしれない空模様だったので、1か所しかない屋根つきのあずまやを即時「実効支配」するのだというスローガンのもと、我々は敏速に行動した。普段、だらだらしていても共通の敵(いや、そんな大層なもんじゃないか、笑)を発見したら、即座に協力してコンロを組み立て炭をおこし、ドラムで延長の電気をひっぱりランタンつけて、準備万端である。H君の息子は釣って来た魚をさばいて割り箸を口に突き刺し、こちらもバーベキューにしようとしている。しかし、中学生だが魚の鱗も落とせるし、包丁も使える。オレなんかよりずっと役に立つ。

 炭の火を起こす間にM男君が何やら取り出した。「川辺」と書いてある一升瓶だ。相良村の焼酎だという。米から作られる球磨焼酎である。1杯もらったが旨い。以前、繊月という、これも確か人吉あたりの球磨焼酎だが、旨い焼酎を飲んだことがあるが、それにも劣らない。飲んだ人間全員が旨い旨いとお替りするので、あっというまに1升ビンが空になった。すると今度はIWハーパーとブロック氷を取りだした。わざわざ熊本から持参したのだ。彼は昔から、こういう準備のいいところがあったが、そのあたりの性格は全然変わっていない。やはり使える男は違う。隼人の携帯ストラップを持ってきただけで、オレは使えるなどと豪語している男に爪の垢を煎じて飲ませたい。しかし、このあと使える男もそうでない男も五十歩百歩という現実を知ることになるのだが。そのIWハーパーをこちらも遠慮なくいただく。そうするうちに肉も焼けて、野菜も焼けてビールも焼酎もバーボンも乱れ飛び、どさくさまぎれで塩コショウたっぷりの魚をZappy君が食べさせられている。

 しかし、今回のZappy君の飛び方は早かった。まるでスーパーズガン豊臣君である。バーベキューが始まって、ものの30分もしないうちに呂律が怪しくなりまっすぐ立っていることが出来ない。やたらふにゃふにゃしている。会話が成立しない。中学生相手にむきになる。奥さんに怒られると一瞬大人しくなる。という、およそヨッパライというのはこういうものだという生態をキャンプ参加者全員の前に披瀝してくれた。普段、天文館でZappy君の尻拭いというか、後片付けというか緊急搬送班というか、まあ保護者的立場であるI上レーニン君が、こっそり僕に「録画しておいて後でZappyさんに見せてください」などという。「いやいや、こんな面白い動画はFBにアップして世界中に教えないと」と答えたが、キャンプのあと見直してみて、こういうものをFBにアップすると尖閣に中国の護送船団が一気にやってきて2国間の緊張関係がますますややこしいことになる、はずもないが、しかし、我がポンニチの恥を世界にさらすわけにもいかないので、とりあえず伏せておくことにした。Zappy君の冬のキャンプの動向次第で、その処置を考えてみたい。

 さて、バーベキューも大いに盛り上がり、キャビンで明日の朝食の準備をしていた奥方2名も、台所で作ったばかりのおにぎりを大量に持参して合流した。昔はお酒を飲んでいるときは一切ご飯類を食べなかった僕であるが、最近はやたらお米が美味しく感じる体質に変わったせいか、お酒を飲みながらのおにぎり、全く違和感なし、全面賛成とばかりに手に取ってかぶりついた。旨い。お米が美味しい。これが伊佐米か、侮れんな~などと話しているうちに、山の夜は一気に更けてきた。ランタンの明かりの下で、昔の仕事仲間の近況報告や、今回参加していないメンバーの噂話やよもやま話は尽きることが無い。話題はどうしても、今回初参加のM男君に振られるのだが、気がつくと彼の姿が無い。誰かが一人で川を見に行った、という。バーベキューをしているあずまやから川までは、ちょっとした坂を上って下るだけで、徒歩で往復10分もかからないが、とにかく今は夜で真っ暗。足元も悪くて、酔っぱらって川にでもはまったら命取りになるというのも、そんなに大げさではない。至急、探索隊が組織され迎えに行こうとしたら、ひょっこり本人が戻ってきた。人騒がせな男である。

 それから、小一時間もしなかったと思う。夜のとばりがすっかり降りて、ちょっと肌寒い感じになって来たので、キャビンに入って話の続きをしようということになった。皆、お酒が入っているので、外に出しているとマズいと思われる食材などを手に持ち、後はそのままにしてキャビンに入った。僕もあとから入ろうとしたら「え、え?」という、やや素っ頓狂な声がした。見ると、キャビンのリビングのテーブルに誰かが倒れている。見るとM男君だ。どうした、心臓発作か、あるいは某国のテロリストの仕業か、と一瞬緊張感が走ったが(大げさだな、笑)、要するに酔っぱらって寝ているだけだと判明。いったいいつの間にキャビンに来ていたんだろうと、皆で話したが川に行った後、すぐに姿が見えなくなったからその頃だろうという結論になった。

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 そして、キャビンでまたまたバカ話に花が咲くのだが、Zappy君もヘロヘロになりながら参加する。勿論、脳細胞はアルコール漬けになっているので、会話がかみ合わないというか、やたらM男君にちょっかいを出したがる。「M男さん、起きましょうよ。いつまで寝てるんですか」みたいなことを言うのだが、如何せん、本人も泥酔状態なのでふらふらして仕舞いには、M男君の上に倒れかけたりする。見かねた奥方が、注意すると「ハイッ」と返事だけはいいのだが、ものの4~5分もしないうちにまた「M男さん、起きましょうよ。いつまで寝てるんですか」を繰り返す。面白かったので、その時の様子も動画に撮ったが、これまた公表すると今度は桜島と新燃岳が噴火するんじゃないかと思われるくらいひどい。しかし、酔っぱらっていても一抹の羞恥心は残っているようでカメラを向けると「ちょっと待った、またblogにアップして笑うんでしょう」と、こちらの行動を見透かしたようなことを言う。何年か前のキャンプでは3次元ORZという必殺技を披露してくれたこともあるし、面白かったので写真を撮った(笑)。今回の出来は如何でしょうか。

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 さて、このところ晩御飯を食べると眠くなるという超健康優良児のワタクシ、その頃多分22時前だったと思うが、眠くてたまらなくなり遂には隣のキャビンに行って寝てしまった。これはある面不覚であるが、ある面正解だったと思う。何と、その夜の宴は延々と続き午前2時過ぎに及んだという。そして、恐るべきは肥後もっこすの根性。その時間になるとM男君も起き出してきて、再度酒盛りを始めたらしい。このあたりは、翌朝聴いた話なので詳細は良く分からない。キャビンの窓を開けたまま寝たのだが、9月上旬というのに伊佐の夜は寒くて、しかも天井に付いていたシーリングファンが空気をかき混ぜるのだが、冷たい風が巻き起こり寒くて目が覚めた。体の上に掛けていたシュラフのジッパーをしめて、きちんと寝袋状態にしてその中に入ってようやく熟睡できた。

 朝は、やはり最年長のM木さんが一番に起き出して、その後はこれはイカの効果だろうか、K瀬さんも起き出して話を始めた。僕はいぎたなく寝ることこそ、人生の幸せだと考える人間なので、そのまま寝ていたが耳に入る話が面白くて、とうとう起き出してしまった。せっかく起きたので、昨日は行けなかった川の方に散歩に行ったら、反対側からM男君が歩いてきた。心なしか顔色が良くない。「おはよう」と声をかけると、「おはようございます」と返事はするのだが、その後に小さな声で「ああ、体の節々が痛い」というのを聞いて思わず笑ってしまった。そりゃ、テーブルの上に大の字になって寝ていたら、体も痛くなるだろう。それでも朝の光は、昨日の過度の飲酒行動を反省しているワタクシたち全員にさんさんと降り注ぎ、そして恒例の朝カレーが始まった。そうなのだ。このキャンプの朝ごはんはカレーライスと決まっているのだ。これまで参加してきたキャンプの朝は、当然呑みすぎて二日酔いなのでとてもカレーなど食べられないのだが、今回は早く寝たおかげで食欲満点。なんと2皿も食べるという快挙。欲をいえば、朝のビールと共に摂取したかったが、それは控えた。まあ、宮崎まではN村君の車に乗せてもらう訳だから、呑んでもいいが合流地点に置いた車を自宅まで運転するわけだから、朝ビーは控えたわけ。もちろん、運転してくれるN村君にも気を使ったわけだが。

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 朝の食事も終わり、片づけをしてキャビンの清掃も終わり、最後は皆で記念写真を撮った。そして、11月のキャンプでの再会を約束してそれぞれが帰途に就いた。いったいいつまでこんなバカ騒ぎが出来るのかと、ちょっと考えたが、まあ人生なるようにしかならない。先のことを考えるより、来年の夏は菊池渓谷とか人吉とか、いつもと違う所でやるのもいいな、と楽しいことを考えるようにした。そうなんだ、それでいいんだ、いいんだと流行歌(はやりうた)口にしながら。



途中下車 幻のセブンスターショー

 ここ数日、「過去への旅路」の続きを書くのをさぼって本を読んだり、ネットで動画をみたりしていた。今日も、もう寝ようと思い、その前にちょっとYOU TUBEをのぞいてみたら、とんでもなく懐かしいものを発見した。1回生の春休み、田舎に帰省していた時にテレビで見た『セブンスター・ショー』の吉田拓郎バージョンである。この『セブンスター・ショー』は毎週一人のミュージシャンを取り上げて90分の番組にしていたのだが、拓郎の前がムッシュとデビューしたばかりのユーミンだった。そして拓郎は出るとか出ないとかいろいろ話題に上がったが、前の週にムッシュが「吉田の拓やん、来週出ますから」とアナウンスしたので、大いに期待して見た。バックはティン・パン・アレイだし、拓郎も選曲も歌もベスト・テイクではないか。「あこがれのハワイ航路」をハミングで歌う所や、「襟裳岬」の歌詞を間違う所もはっきり覚えていた。今、再生しながら見ており、「結婚しようよ」を歌っているところだが、番組の後半、泉谷しげるが乱入し一緒に「三軒目の店ごと」を歌うはずだ。36年前にたった1回しか見ていない番組(もちろん再放送もなかった)なのに、覚えているな。取り急ぎ、削除される前にご覧ください。



 0時42分、今見終わった。記憶違いが2点。「三軒目の店ごと」で演奏が中断するのは、泉谷の乱入ではなく拓郎のシャレというか演出だった。泉谷はステージの前をうろうろしていただけ。またバックがティン・パン・アレイというのも思い込みだった。前回のユーミンのバックがティン・パンだったのでごっちゃになったと思う。松任谷正隆が音楽監督だが、演奏は松原正樹がいたガルボシンが中心だった。だからギターがビンビンだったんだな、ナットク。

過去への旅路その11 出てくるなよ、F田君

 30数年ぶりに会ったHさん、20数年ぶりに会ったマス坊と阪急の茨木駅で名残を惜しみながら別れた。またいつかこういう形で皆と会えたらいいな、次回はもっと多くの仲間と集まりたい等と言いながら二人は帰途につき、僕達はそのまま阪急に乗って京都へ向かった。N谷君は、この日京都駅近くのホテルを予約していたので八条口で降りた。僕も今出川大宮のホテルを取っていたので、それぞれホテルに一旦荷物を置いて、午後4時に同志社のキャンパスで合流しようと約束をした。阪急から地下鉄に乗り換えて今出川に着き、デューク先輩と一緒に地上に出てみたら、昔とあまり変わらない懐かしい景色が目に入った。大学の建物に足場が沢山組まれていて、やたら工事の音が大きいのと昔は古い喫茶店だった建物が、シャレたテナントビルに変わったくらいで、それ以外の、なんというか、その場所の空気は全く変わっていないような気がした。

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 もちろん、それは単なる気のせいであり、烏丸今出川を歩いている学生たちは皆こざっぱりしてスマホ片手にさっそうと歩いている。ヘルメットを被りハンドマイクを片手に持ち、汗だくになったタオルを口に巻いてシュプレヒコールを叫んでいる学生なんかどこにもいない。そうだ、昔と大きく変わった風景にキャンパス前に立て看が一枚もない。道路にビラが散乱していない。これは僕の地元の国立大学もそうだし、日本全国もう立て看などないのかと激怒しかけたが、実は後程、百万遍にある某国立一期校(いまどきのお子達は知ってるかな、この呼び方。昔は国立大学というのは一期校と二期校とあって、おおざっぱにいうと戦前は帝大なんて呼ばれていた大学が一期校、戦後全国の県庁所在地に新しく作られたものが二期校、口の悪い評論家は駅弁大学などと腐していたが)に行ってみたら堂々としたものがあった。だから、あるところにはあるのである。まあ、日本全国探しても今や百万遍だけかもしれないが…。

 デューク先輩と二人で、しばし烏丸今出川の交差点に立っていた。昔、書店だった場所がレンタルビデオ店になっている。時代だなと思う。しかし、地下鉄から降りて(いや地上に出て、だな)、ほんの数分歩いただけだが、京都のギラギラ太陽は容赦がなく全身から汗がしたたり落ちる。先ほどお昼を食べているときに実はホテルに電話して、夕方に予定していたチェックインを早くできないか尋ねたが、午後3時半にならないと部屋の準備が出来ないと言われていた。時計を見ると、まだ2時半くらいだったので水分補給とエアコンの冷気を求めて喫茶店に入ることにした。烏丸今出川だったら釜飯が旨かった駱駝艦か、二日酔いの日に良くカレースパを食べたデュークに入りたかったが、どちらもとっくの昔に無くなっている。しかし、しかしである。その昔、日本×産党ミンシュ×年同盟御用達の喫茶店、ト×オは健在だった。学生時代は、まだ何も知らなかった1回生の頃に何度か入ったことがあったが、なんとなく空気がヘンというか、真面目そうな男女がグループを組んでお茶を飲んでいる光景は普通なのだが、なんかちょっと別館の人たちとは違うな~などと呑気なことを考えていたのだが、後になって民×のたまり場だと聞いて、それ以来足を踏み入れることは無くなった。

 しかし、別館にたむろする演劇関係者御用達の駱駝艦、またその他の別館サークル関係者御用達のデュークは別館が無くなるのと前後して廃業というか、閉店というか影も形もなくなったのだが、その点、やはりヨヨギの人たちは粘る。粘るというかしつこい。というか、まあある意味大したものである。その昔、ある活動家が「トロツキストは卒業したら社会人になるけど、ヨヨギは死ぬまでヨヨギだからな~」といった言葉を思い出す。親子代々ヨヨギなんていうのも、京都では珍しくないだろう。ということで、何が「ということで」か良く分からないが、多分37年ぶりにト×オに入ってみた。そこは完全に時間が止まっていた。1975年がそのまま、そこにあった。まず第一に室内が暗い。節電で照明を落としているのかと考えたが、昔からこんな感じだったような気もする。4人掛けのボックスもあったが、ゆっくりしたいので6人掛けの長いテーブルの席に座った。テーブルの上には、100円入れると星占いの巻物が出てくる灰皿が置いてあった。そして、この後トイレに行くときに気がついたが、奥の通路にインベーダーゲームのついている2人掛けのテーブルが何台も置いてあった。さすがにそちらは使っていないようで、壁際にぴったりくっつけて並べてあった。

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 お店のママさんに、デューク先輩が「30数年ぶりにここに来たんですよ、つまり30数年前は学生でした」などと説明したため、「どこから来たんですか」と尋ねられた。「満州です」、と答えようかと思ったが、あまり冗談の通じない感じがしたので、素直に「九州の宮崎からです」と答えたら、「み、宮崎って、あの、1年中アロハで過ごせるという、噂の宮崎ですか。全てのサーファーとラスタの人たちの聖地と呼ばれる」みたいな反応を期待したが、当然そういう反応は無く少し目を丸くしただけだった。冷たい飲み物を注文して、エアコンの風に身をまかせていたら汗は引いたが、気がついたら黒のTシャツに白い模様が浮き出ている。汗が渇いて塩が噴出したのだ。そうしているうちに5、6人の団体が入ってきて、隣のテーブルに座った。単位のことや学校のこと、友達のことを話しているのは僕たちの学生時代と変わらない。しばらく休んで、元気も取り戻したのでお店の人に記念写真を撮ってもらい、そこからバスでホテルに向かった。

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 今回宿泊するのは今出川大宮にあるプチホテル京都という所で、もちろん初めてである。ネットで安いところで連泊できる条件で検索したらヒットした。しかし、名前の通り小さいホテルというよりペンションだったが、とても静かで落ち着いた雰囲気の良い所だった。看板を見ないと外見はまるで小さな自転車屋さんみたいだ。3時半には、なっていなかったが、フロントに尋ねると部屋はもう使えるというので荷物を置いて、シャワーを浴びて着替えた。時計を見ると4時を回っている。デューク先輩に、「N谷もホテルでゆっくりして来るから、まだ来てないでしょう。念のため電話します」といってコールしたら、「お前ら何してんねん。ワシ、もうとっくにキャンパス入ってるで」と返事。こりゃマズイと大急ぎで、また二人してバスに飛び乗った。同志社に着くと冷泉邸の横の門が空いていて、そこから入れたのでそのままキャンパスに出た。7月の終わりだったら夏休みで学生は少ないだろうと思っていたが、とんでもない。たくさんの学生が行き来していた。翌日、職員のK君から教えてもらうのだが、今はちょうど試験期間で8月の10日くらいまで続くらしい。その後9月いっぱいまで夏休みになるという。

 キャンパスの一番目立つ場所、通称M(明徳館)前の石のベンチに座って、N谷君と合流した。しかし、この炎天下で石のベンチが熱くてゆっくり座っていられなかった。3人になって、先ずは明徳館という食堂や生協のお店が地下にあった建物に入っていった。さすがに建物の中に入ると陰になっていて、すこしひんやりする。先ずは学食に行ってみたが驚いた。Mチカ食堂なんて洒落た名前がついていて、椅子もテーブルも昔のイメージは無い。僕たちが学生の頃は、長方形の大きなテーブルに学生が10人くらいは座れて、椅子もパイプの丸椅子みたいなものしかなかったと思う。それが今は、こじゃれているんだ、内装も。中途半端な時間帯だったので、食事をしている学生は少なかったが、それでも陳列台に並んだおかずやショーケースに展示してあるサンプルを見て、時の流れを感じた。メインがフライもののおかずに大きなハム、その上に半透明なソース、大抵グリーンピースがまぶしてあり、添え物にキャベツの千切りが乗っていることが多かったBランチなど、今の学生諸君には残飯みたいに見えるかもしれない。しかし、しかしだよ、美味しかったんだよ、腹ペコの貧乏学生には(涙)。ランチの油ものの多いおかずとお椀の底が見える味噌汁と食券を買わずにパチってきたサラダをお盆に乗せて、食べた学食の旨かったことよ。あれはお金は無かったが時間だけはあった学生時代、遠慮と勉強はしなかったがやたら体力だけはあった学生時代の味なんだろう。今同じものを食べても、美味しいと感じるかどうかは疑問だが、それでも食べてみたい。これは終戦の日に大根飯など食ってありがたがる倒錯した心理と同じものだろうか。

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 ランチに必ず付いてくるキャベツの千切りに何をかけるかでサークル内が揉めたことがある。圧倒的多数派はウスターソースだという。ごく少数派が醤油という。ドレッシングなどというものは学食にはなかった。ちょっとランクが上の喫茶コーナー(学生会館にあり、そこで僕はF田敏雄君にトマトジュースを奢ってもらい、それ以来別館にずぶずぶになってしまった話は以前書いた。あのとき「一緒にご一緒しませんか、冷たいものでも奢りますよ」という一言をどうしてオレは断らなかったのか。歴史に「もし」は無いが、あの時F田君の誘いを断っておけば、僕はBoxに入り浸ることもなくクラスの仲間と楽しく学び、恋と青春を謳歌したはず。ん、ちょっと待て、そのクラスにN谷がいたな、F田の誘いを断っていても大して変わらなかったかもしれん。これが歴史の修正力というものか、なことは無いか、笑)にしか置いてなかったような気がするが、自信は無い。もしかしたら大きな容器に入れて置いてあったかもしれないが、記憶が定かでない。

 キャベツの千切りの問題であった。実は僕はソースもかけるが、たまに醤油をかけるとキャベツの甘みが増して美味しくなる(これはカネナ醤油でやると最高である。山盛りの千切りキャベツの上にカネナ醤油を丸くかけて一気に食べる、食べる、食べる、至福の時である)ことを知っていたので、どっちもと答えたら、ソース派、醤油派双方から日和見主義者とか鳥無き里の蝙蝠とか無茶苦茶言われた。実は、アジシオをかけて食べることもあったのだが、それを言わなくて良かった。お金が無い時(一か月のうち20日くらいかな)はご飯にもアジシオをかけて食べることがあったが、一度それをF田に見られてボロカスに言われたことがある。だいたい、あいつは秋田の山林王の孫とか言って、また実の兄は慶応医学部でオヤジは伊藤忠に勤めているエリート社員の一族とか言って、やたら食い物とか風呂の入りかたなどに文句をつけるやつだった。結局、多数決でキャベツの千切りにはウスターソースが正解だということになったが(もちろん僕は異論があったが)、今度はどれくらいかけるのがいいかという話になった。F田君がいうには、ソースをたくさんかけるのは下品らしい。キャベツの山にふんわりと、まるでカリフォルニアシャワーのように、朝日のように爽やかにかけるべきだという。僕と同じ宮崎出身のA水さんという先輩がいたのだが、この人は親の仇のようにソースをドボドボかける人だった。それを見るたびF田君は苦々しい顔をして、「A水さん、ソースそんなにかけたらソースの味しかせーへんでしょうが。これやから田舎モンは困るわ」などという。

 F田君は僕と同級ではあるが一浪しているので、実年齢はA水さんと一緒である。そうはいっても学年が1つ違うのだから、普段は敬語を使うのだが、このF田君、妙に先輩に媚びるのが上手くて甘えながら「センパイとて容赦はせんぞ」とか「あ、先輩、drac-obがあんなこと言ってますよ、いいんですか」などと言っていた。もっとも、A水さんは先輩後輩というのをあまり気にしない人だったので、F田君はかなりきついことを平気で言ったりするのだが、その時もA水さんは「ソースはこれくらいかけたほうが美味しいっちゃが」と宮崎弁でスルーした。ところが、それ以来F田君はA水さんとメシを食う時は、必ず「ほら、またソースかけすぎですよ、センパイ~。もう九州の人は味とか分からんのかな」などという。あんまりしつこいもんで、元祖ボーリョク学生のT原さんが「F田、おまえいい加減にしとけや、宮崎や鹿児島は暑いんや、南国なんや。分かるか、南の国や。暑いところに住んでいる人は汗をたくさんかくから塩分を補給せんといかん、だからソースもお前ら関西人より多くかけて当たり前や。お前はそういうことも分からんのか」と一喝され、さすがにその時はしゅんとしていた。

 えーと、なんでこんな話になったのか、こういうことを書いているととても話が進まない。進まないが思い出すものはしょうがない。8月はここまで。続きは9月、セプテンバー、そしてあなたは、セプテンバーである。そういえば「あいろん」さんから、ネバーエンディングストーリ―ですねと言われた。確かに果てしない話が延々と続くのだ。



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