旅の終わりは



心地好い疲労感と何か忘れてたことがあるような微妙な感覚がある。この間の再会と連夜の宴の疲れのせいか、軽く眩暈がするなと思っていたら、バスチケットの売り場のおっちゃんが、良かったな、気温が一度下がって39度になったで。


眩暈は、そのせいだったのか…。
スポンサーサイト

DRACは消滅していた



新町キャンパスに来てみた。学生会館がこちらに移転したと聞いたので、今のサークルはどうなっているかを自分の眼で確かめたかったのだ。広告研究会や、映研、三劇、ライラックにとんがり、ましてや人力車友の会まで残っているのに…。しかし新聞局はあったが放送局が無くなっている。これも時代か。

天一で激怒なう



学生時代に真夜中の腹拵えにしょっちゅう通った今出川の天一。並チャーシューのこってりを注文。写真のラーメンが出てきた。どう見ても、麺もネギも少ない。チャーシューは余りの薄さで、その先には起きぬけの路面電車が見えたくらい。だから僕も風を探すより、ネギの入っていると思われる器を取った。フタを開けたら漬物が入っていた。そうこうしていると、外国人のグループが入ってきた。ウェイターの兄さんが『英語のメニューをお持ちします』等という。

いやインターナショナル大いに結構だけどよ、何か間違ってないか、コノヤロー。

出町の商店街で



京漬物を買って、クール宅急便で送るよう手配した。土産は後は空港で買うことにして、旅も終わりに近づいてきた。しかし、何か忘れてる気がする。そうだ、天一のラーメンだ。ということて今出川に向かう。

キララ湯なう



37年前に住んでいた下宿は変わっていた。大家さんの家は、あったが名前が変わっていた。すぐ近くの下宿を斡旋してくれた人の家の表札も変わっていた。あれから37年だから仕方がないと思いながら、道なりに自転車をこいでいたら銭湯の前に着いた。雲母と書いてキララと読むことを教えてくれた銭湯だ。とにかく客が多くて、壁側のシャワーの付いた洗い場は、毎回満席。発言権のない若い連中は、真ん中の噴水みたいな洗い場で、髪を洗ったものだ。

サッ、サッ、サッ、 サイクリング・ブキ



京都の最終日は、ホテルの自転車を借りて、修学院まで一走り。37年前、すべてはそこから始まったのだ。そして、僕の過去への旅路も完結する。

君は一休さんの苗 字を知ってるか?



田辺一休が本名とは知らなかった。

別館無情



拙blogのタイトルにもなっている、かつての学生会館に来た。烏丸通から吹き抜けで、室町通に出るという建物の構造には、昔の名残があるが実にオサレな空間になっている。立て看もペンキで大書したスローガンも見当たらない。そもそも、ビラや破れたポスターすら足元に散乱していない。出入りする学生は、みんなこざっぱりして、スマホ片手に足早で通り過ぎる。薄汚れたアーミーにボサボサ頭の汚れた学生は一人もいない。


いったいどうなっているのだ。このままで大学はいいのか。


しかし、一点だけ当時と比較して羨ましいところがある。


それは、おねいさん達がみんなきれいだということ。チクショー。

串八なう



同志社から出町に出て、そのまま百万遍まで歩いた。あまりに暑く、腹も減ったので串八に。道路を挟んだところに大きな看板が出ていた。がくせいじちさいごのとりで、と書いてあったが、どういう意味だろうか?

京都なう



およそ四半世紀ぶりに、京都は今出川に来た。地下鉄出たら、そこには某私立大学があった。ここに6年在籍したが、特典サービスは何もなかった。もっとも8年通って、もっと通いたいと言った同級生がいたことは内緒の話だ。

会食なう



大学時代の同級生(珍しく女子同伴)と茨木でランチ。迎え酒のルービーがマイウー。

ホテルなう



地下鉄を出た後、反対側に歩いてしまい汗だくになって、ようやくチェックイン。精算が自動販売機になっていて、ちょっと戸惑う。いくら合理化だとか、人件費の節約だとかいっても、人民の血と汗と涙で稼いだオアシを、なにが悲しゅうて機械に吸い取られないといけないのだ。

プンスカ、怒りながら部屋に入るとシングルで予約したのに何故か浴衣が二枚。ま、まさか、こちらに人件費を注ぎ込んでるのでは…。期待が高まる午後である。

梅田に着いたら



タワレコがあったので立ち寄る。とん平のヘイ・ユウブルース発見。さすがは上方である。

伊丹なう



かなり荒っぽい運転の飛行機を降りたら、真夏の大阪だった。35度の気温で南国人を迎えるとはナイスである。さて、これからホテルに向かうか。

エアポートなう



この空港に来たのは、もしかしたらジェイク・シマブクロのライブ以来かもしれない。あと少ししたら伊丹空港に向かう。旅のお供の本を忘れていたので空港内の書店を冷やかしていたら、『つぶやき岩の秘密』を発見。長らく出版されておらず、図書館で借りてワードで入力して保存したことがある。過去への旅路にちょうどいい。

近況報告というか心境報告というか、いったい何の話だ

 『ジャズナイトな夜 その1』を書いておきながら、その後まったく知らん顔するのはどういう態度だ、と自分をちょっと叱りつけたくなるのだが、ここ最近のblog更新サボり癖はどうしようもない。いやいや、若干の言い訳をさせてもらうと、実は週末に多分四半世紀ぶりだと思うが京都に行くことになり、その準備で各方面に連絡を取ったりスケジュールを組んだりして忙しかったことがひとつ。そして、実はこちらの影響がはるかに大きかったのだが、以前『ウェブはバカと暇人のもの』という、いや良くぞ言ってくださいました、ホントそうですよ、あのヤフコメの気持ち悪さとか質問サイトで繰り返される、君の首から上についているものは見ることと聞くことと食べること、あ、もう一つ息をするということしか機能の無いカタマリなのかと言いたくなるようなおつむをお持ちのお歴々のご質問に、これまた慇懃無礼に回答する人々の親切丁寧、小さな親切大きなお世話、横断歩道青信号でも油断すな、とでも形容したくなるようなぬるま湯的コミュニケーションを最高だと言い切る気持ちの悪さを一刀両断にしてくれた、中川淳一郎の『今ウェブは退化中ですが、何か?』を読了し、それと並行して読んでいた『ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること』のせいもあって、もうblogの更新とか止めてしまおうか、こんなこと書いていたってどうせ誰も読まないし、書いていることに何等か意味はあるのかという、まあ1年に3回か4回くらいの割合で浮かんでくる疑問というか、ちょっと憂鬱な感じに支配されていたのだ。

 いや、自分でblogをやっていながらこういうことを書くのもアレだが(オッサン、アレって何やねん、アレはアレやんけ、ザット・イズ・ザットちゅうこっちゃ。そんな意味わからんわ~、大人って何でも誤魔化すからずるいんや~、っていつまで一人二役やってるんや、ちゅうてんねん)、ネットが発達して世の中良くなったのか、それとも悪くなったのか。確かに、それまでのメディアであれば日本中に、いや世界中に散らばっている昔の友人や知人、先輩後輩などと再び会う機会というものはそれほどなかっただろう。ところがネットを通すとそのような人達と瞬時に再会できて、双方向のメリットでお互いの存在(場所、つまりアドレスなんか)が分かればメールでもなんでもすぐ送れて、それまでの空白の年月があっという間に氷解してしまうとか、これはblogを通して経験したが、それまでの人生で一度も会ったことが無い、そしてこれからの人生でも多分会わない可能性の方が圧倒的に高い人達と共通する趣味や話題で盛り上がることが出来る、などということは、これはとてもいいことだと思う。さらに何かを調べるときに、それまでは辞書を引いたり、その辞書や資料そのものが家にはないのでわざわざ図書館まで行って調べないと分からなかったことが、ググってしまえばあっという間。お湯を注いで3分待たなくても大丈夫。これも便利な機能だし、地図を調べるのも簡単だし、などと利点は枚挙に暇がない。

 が、しかし、ネットが発達することで悪くなったことは沢山ある。例えば、などと書き始めるとボロカスに書いてしまい、それこそ読んだ本の丸パクリになりそうなので止める。要するにエントリーを書くのが、億劫だったわけだ。いや、ちょっと説明不足かな。自分のblogの意味が無いと、これは実はblogを始めたときから心のどこかにあったトゲトゲみたいなもので、それでも学生時代の仲間と再会出来たり、学生の頃確実に同じ時期に同じ場所にいたはずだが、全く話をしたことのなかった人と出会ったり、予想もしなかった人からコメントもらったりとか、継続する動機づけになることは沢山あって、それで何とか続けてきたけど、ふー、と、このようにため息が出るのである。まあ、ええか。オレが自分で読んで、あの時こんなことがあったとか、こういうことを考えたとか、あ、あいつはアホやったよな、とかオレもいい加減バカだなといった自分自身の備忘録でいいじゃないか、そうだ、それでいいじゃないか、いいじゃないか、ご意見無用だ(by モップス)。

 というところで気を取り直したのだが、が、しかし、好事魔多し。最近は比較的パスしているフェイスブックだが、そこであの悪の鹿児島人を打倒するために決起した勇気ある志士の姿を見てしまって以来、またエントリー書くのが面倒になったというか、こりゃ面白いとついつい見ていくうちに、最初は単にポケモンのパクリ、いやローカル的パロディと思っていたけど、もしかすると薩摩の琉球支配(奄美諸島、沖縄諸島、宮古諸島、八重山諸島への植民地支配)が根っこのテーマとしてあるのではないか、と考え始めたら止まらなくなって、それでもキャラクターが面白いので見続けてしまった、薩摩剣士隼人の動画を貼って今日は終わり。いやー、しかしこの一見お子様向けのドラマだが、奥が深いよな。また登場人物がピュアなカゴンマ弁で話すし、主人公の「つんつん」が文章としては標準語だが、アクセントはありえないだろうというくらい、ネイティブな薩摩弁で微笑ましい。で、一体オレは今日何の話を書こうとしていたのだ。あ、もう一つこのドラマの見どころは、1話1話に登場する地元のおねいさんがいるのだが、なかなかにナイスなおねいさんが多し。あ、シリーズ最後の方に出てくる3人組はパスですたい。



ジャズナイトな夜 その1

 昨年、久しぶりに見たジャズナイトが今年も開催された。今回のテーマは「classic is new style」。偉そうに書いたが、実は先ほどジャズナイトのホームページを見ていたら書いてあった。なるほど、それでメインはナベサダとヒノテルという両巨頭だったのか。この手のイベントというかライブには必ず参戦するY尾君と、前の週にROCK BARでじっくり傾向と対策を練って迎えた今回の野外コンサートだが、いつもと違ってメンバーも増えて旧交を温めながらの楽しいイベントであった。というのも、ROK BARのマスターから同級生のS尾君が転勤で宮崎に帰ってきていることを教わり、その場から電話して一緒にライブを見ないかと誘ったら、ちょうど彼も知り合いのジャズピアニストが出るので見に行く予定だったと二つ返事でOK。さらに前回一緒に遠藤ミチロウを見たS藤君にもメールで誘ったら、確定ではないが行けたら行くとの返信があった。

 去年は18時ちょうどに会場に着いた途端、阿川泰子の「A列車」が流れてきた記憶があったので、今年もそれくらいの時間に行けばいいかと思ったが、何しろナベサダとヒノテルという我が国のジャズ界を代表する両巨頭が出るイベントなので、推定3万人くらいの観客が予想され開演時間の18時に行くと立錐の余地もないのではないか、とこれは普段から心配性な僕の予想。もっともその可能性は無くは無いと判断したY尾君と、それじゃ当日は16時にバスターミナル兼ダ○エー、まあ地元の人には宮交シティといえばわかる場所で待ち合わせをした。そこで飲み物と食べ物を買って、土曜の夕方から半日じっくりジャズを聴こうという算段である。ところが、この毎度毎度色気のない野郎ばかりの集まりに、ちょっとした浮いた話が飛びこんだ。先述したS尾君はメディア関係で働いているのだが、なんと当日仕事仲間の女性を連れてくるというのだ。名前を聞いて僕は驚いた。え、ウソ、あの人が来るなら、いや、ちょっと服装も考えないと、食べるものや呑むものをいつもの発泡酒とかカップの霧島なんかじゃバイヤーだろう、せめてスパークリング・ワインとか、あ、ハイボールなんか壱岐対馬地方、いやいや粋でいいんじゃない、などと妄想していたら、何のことは無い。当日、S尾君から電話があって、「ちょっと相手の都合が悪くなったからオレだけ参加する、だから飲み物とか買いすぎなくてもいい」などと、まあご本人はほとんど下戸だからいいんだけど、そういうことで好事魔多しというか、取らぬ狸の皮算用というか、下心行動委員会は不発であった。

 それでもこういうイベントの準備というのは楽しくて、随分昔に業務用で買い込んでいてブルーシート(3.6m×5.4mだからおよそ12畳の広さ)とタオルや保冷剤などをリュックに詰め込み、ついでに飲み物はダ○エーで買うより近所のドラッグストアの方が安いと思い、缶ビール半ダース、黒霧島5合、ノンアルコール飲料2本、ミネラルウォーター1.8リットル、乾きもののおつまみなどなどを買い込んで準備に怠りなかった。そうこうしているうちに約束の時間になり、Y尾君から催促の電話は入るし、S藤君からも少し遅くなるが行けそうだというメールは届くし、そうそうS尾君からは先に車で行くので17:30くらいには現地で待っていると電話が来た。

 リュックを背負い、手には保冷バッグに入れたビールなどを持ちながら、待ち合わせのバスターミナルに向かって歩いた。おかしい、普段なら5分もかからない距離なのに、歩いても歩いても小舟のように 私はゆれて、ゆれてあなたの腕の中に入ってしまうとブルーライト・ヨコハマであるが、変だ、15分歩いてもまだたどり着かない。ようやくバスターミナルが視界に入った時に気がついた。普段は自転車で行くことが多いので、自転車の移動時間で計算していたのだ。待ち合わせの時間に20分も大遅刻をしてしまい、ひたすら謝りながらY尾君に合流。バスは16時30分と次が17時17分と2本あるらしい。もっとも僕が遅刻したために、まだ食料品の購入が出来ていない。そのため不本意であるが17時17分のバスで行くことにした。ということは到着時間は昨年と同じく18時前後になりそうだ。とりあえずS尾君に電話して、そちらが先に着くはずなので4人がゆっくり座れるよう場所取りしてくれと頼む。それを聞いていたY尾君が、一人で4人分の場所取りをさせるのはかわいそうだと言っていたが、何、S尾君は昔から押しの効くタイプというか、この手のことは苦にしない奴だから大丈夫だと無責任に答えるのはワタクシであった。

 ダ○エーの総菜コーナーでフライドチキンにメンチカツなどの揚げ物やキュウリの漬物やオクラの丸ごと1本の酢の物など、いかにもオジサン好みのつまみを買って、さらに焼酎のロック用に氷を買おうとしたが、氷は溶ける。これはバスの時間ぎりぎりに買おうと相談し、とりあえず買い物客がスナックやファーストフードを食べたり休憩したりするスペースに座っていたら、Y尾君がにこにこしながらつべたい缶を手渡してくれた。缶入りチューハイである。こりゃ喉の渇きにイイネ、なんていいながら呑んでみると結構きつい。胃にごつごつ来る感じ。いや、これはライブの前に出来上がるなどと喚きながら呑み干し、時間も来たので氷を買って大急ぎでバスに向かった。

 僕の予想では、このコンサート会場に向かうバスには長蛇の列が並んでいるはずだったのだが、定刻に登場したバスに乗り込んだのは僕とY尾君の二人だけであった。そうか、他の人たちはそれぞれのバス停から乗り込んでくるわけか、あれ、バス停をいくつか通過したけど地元のお年寄りとか高校生とかしか乗ってこない。あ、パイプ椅子を持ったカップルが乗って来た、この人たちはジャズナイトに行くんだろうな、お、また中年カップル発見、こりゃ不倫だわ、うん、間違いない。こういう時男は意外と小心で女の方が堂々としてるな、職場の上司と部下なんて関係ですかね、それとも、などとまたもや妄想しているうちにバスはどんどん目的地に向かう。しかし、バスが満員になることもなく乗る客あれば降りる客ありで、会場に着いたとき降りてきたのは十数人だった。

 去年も感じたのだが、このイベント会場、バス停からかなり歩かないといけない。5分以上は優に歩く。会場が松林の中だから仕方がないかと思っていたが、よく見ると会場に入り口直ぐ近くに駐車場がありバスの乗り入れも可能である。ま、いいんだけどホテルの駐車場や通路を歩いて会場に向かうのはあんまり風情があるものではない。関係者各位はこのあたりの改善を図ってはどうだろうか、え、歩いてる途中で南国宮崎の暑さにヤラレテ、爺様や婆様が倒れたらどうするのだ、などと八つ当たりをしているうちにやっと入り口テントを発見。サービスのスポーツドリンクを1本手渡してもらいながら、チケットをもぎりのおねいさんに渡す。そこからステージ横まで歩いて、S尾君にメールしたら前から5列目くらいのかなりいい場所を体一つで確保してくれていた。さっそくミニパイプ椅子を組み立てようとしたら、この場所は椅子はダメ、地面に直接座ってみないといけないとS尾君が仕切る。まあ場所取りしてもらってるので、素直に従いブルーシートを広げて男3人、食べ物と飲み物を広げてステージを見た。

 オープニングはJABBERLOOPというメンバーの一人が地元出身のクラブジャズのバンドだったが、そちらは17:30スタートだったので見ていない。僕が見た最初のグループはギラ・ジルカと矢幅歩という男女のボーカルをメインとしたユニットだった。ステージに出てきたギラ・ジルカを見てクリビツテンギョウ。パイオツのカイデツなこと、まるでロンメかカイスである。いや、その、嫌らしいとかスケべとかそういう不謹慎な視線ではなく、なんというか純粋にですね、いや、その、とにかく前かがみになったら会場の男性陣から「オーッ」という声ならぬ声が聞こえてきたのは間違いない。1曲目のイントロが軽快に流れてきた。♪Raindrops on roses and whiskers on kittens~、おっと、「マイ・フェイバリット・シングズ」ではないか。その昔、五木寛之のエッセイに「わたしの好きなもの」みたいなテーマの話があって、レモンの切り口とか洗ったばかりのブルージーンズが好きという女の子に会ってみたいなんて書いてあったが、まあ、異議なしである。そんなことはどうでもいいか。



 去年は最初から最後まで女性ボーカルのユニットだけのコンサートだったので、楽しい反面やや食傷気味なところもあったが、まだ青空が残っている海沿いのサッカー場で聴くジャズのボーカルはなかなか良かった。S尾君にも「オープニングはこんな感じでゆったり始まるのがいいな」などと話していたら、先ほどのチューハイでやや酔いが回ったY尾君が「いや、ボーカルはもっと暗くなって回りが見えなくなってからの方がいい」などと言い始める。まあこちらも軽快にビールを飲んでいたので、適当に話を合わせていたら、前の席にいた人から突然「どういう順番がいいんですか」などと話しかけられてきてちょっと焦った。その圧倒的な胸で、会場の半数である男性ファンの心をしっかりとらえたギラ・ジルカと、あ、お前もおったんか的存在では決してなかった矢幅歩のラストは「スペイン」で決めてくれた。まるで早口言葉みたいな歌詞と切れのいいリズムの歌で会場を大いに沸かせた。

 最初のグループが終わり、ビールを大量摂取した結果引き起こされる余剰水分を体外から排出するために、しかるべき場所へ移動しようとしていたら地元のテレビ局のアナウンサーが「次はこのコンサートのための特別ユニット、土神です」などと紹介している。何、いきなり2番目に土神の登場かと大急ぎでトイレを済ませて席に戻った。用意してきたプラスチックのコップに氷を目いっぱい入れて黒霧島をトクトクトクと注ぐ。準備はOKである。臨戦態勢十分である。

 何の挨拶もなくメンバーが出てきた。サックスの林栄一は何度かライフタイムで見ている。ドラムの本田珠也はZEK3として宮崎に登場して以来、ライブは1度も欠かしたことが無い。そしてピアノのスガダイローだが、この人は全然知らなかった。中国人みたいな服を着て(それも金ぴかの)、ピアノに座ってから演奏が全て終わるまでの小一時間、手は一時も休まず額から汗を滴らせながら弾きまくった姿に会場中が注目した。もともと林栄一もタマヤさんも愛想のいいほうではないので、MCに期待はしていなかったが、いやもう挨拶なしでブッ飛ばすこと甚だしい。3人が3人とも個性を発揮して圧倒的な演奏であった。オレの脳髄にヒイヒイと響いてきたこの3人組をオレは一生忘れないだろうと殿山泰司が生きていたら間違いなく断定しただろう。



 実は、この土神はジャムナイトの前の水曜日にライフタイムでライブを行っていた。S尾君の職場の人が見に行ったらしくて、「凄く良かったですよ、見逃したのはもったいない」と散々言われたらしい。いや、僕もそのライブに行きたいと思っていたが、なにせシホン主義の国に住んでいるために働く能力はあっても収入に格差があり、いや競争の自由はあるがライブを見る自由は束縛されている、早い話がお小遣いが足りないしどうせジャズナイトで見られるからいいとパスしたのが不幸の始まり。こんなことなら借金してでも見に行くべきだった。とトラタヌを数えて涙を浮かべていました。しかし、このユニット、この時期だけの限定ってのはモッタイナイ。ぜひともZEK3と一緒にまた来てくれと切に願うのだった。もうね、この演奏のすさまじさは筆舌に尽くしがたい。このライブ見られた人は本当に幸せ者です。いつものライブならこっそりデジカメで録画したりするんだけど、この日はそういう姑息な策動も出来ず、というかあまりの物凄さに一点凝視でまるで地蔵のように固まって見ていた。実際、彼らの演奏が終わった時に地響きのような拍手と歓声が上がった。これは決して誇張じゃない。何しろ特別ユニットなのでYOU TUBEにも動画が無かったので、林栄一のソロを貼っておく。先ほどの2人の演奏にこのサックスが絡んだものを想像、出来ないか。1+1+1が∞に変化したユニットだからな。こういう例えをして土神の3人には大変申し訳ないのだが、70年代の山下トリオをちょっと連想してしまったことを正直に書いておく。



この次に演奏するグループはやりにくいだろうなと話していたら、中学生ドラマーの大我のユニットが登場してきた。うん、上手いんだけどね。さっきの土神のような人の生き様というか、思念というか魂というか、そういうものが感じられないのだ。もちろん、まだ中学生なのにスーパーテクニシャンだというのは分かるんだけど、オレの魂をヒイヒイ言わせるような演奏するにはウン十年早いで~とタイちゃんが乗り移った僕は叫ぶのだった。その昔、まだフェニックス・ジャズインといってオールナイトのコンサートだったときに見た渡辺カズミの演奏と同じ感想を呟いた僕は成長が無いのだろうか。という問題提起をして第一部を終了する。あ、大我君もそれなりに良かったんだよ、ただその前に化け物ユニットがいたのがちょっと可哀想だったというお話。




ナベサダなう



ジャズインも最後の演奏。やはり、我がポンニチのズージャを一貫してやっていたナベサダがトリ。みんな納得なのだ。

バスは走る



ジャズインに向かって。真夏の夜の夢に向かって。ああ、ジャズ喫茶に出没する謎の美少女との再会はあるのか…。

ジャズインの打ち合わせの筈が



何故かロックバーでZeppの動画を見てる。いいんだ、いいんだ、と、流行り歌、口にしてショーチューのロックを呑む。あと少しでコミュニケーション・ブレークダウンである。

ただいま打ち合わせです



来週のジャズインをどのように取り組むべきか、これからじっくり話し合う。ナベサダ、ヒノテルはもちろん、ワタクシの注目株は林栄一と本田タマヤのスペシャルユニットである。スペシャルって、ワクワクドキドキするな。という感想をお持ちのあなたは、間違いなくワタクシのご同輩だ。スペシャル好きや~。

マーマレード興亡史 マーマレードな人達

 先月、ひょんなことから学生時代にやっていたミニコミ『マーマレード』が全巻手に入った(マス坊ありがとう!!)。懐かしく読み返しているうちに、故人になってしまった松原君の原稿を誰かに読んでもらいたいと思い、ちょうど彼が担当していた記事が、シリーズものだったので連続でアップした。当時まだ20歳になるかならないかの頃なので、表現にあちこち青臭いところはあるが、彼のロックに対する姿勢がはっきりと表れた良い原稿だったと思う。まだまだ彼の原稿はあるのだが、そもそも『マーマレード』というのは一体なんだったのか、それに関わったのはどんな連中だったのか、そのあたりの話を今回書いておきたい。こちらの記憶力も少々ヤバくなってきて、思い出せないこともあるのだが、創刊準備号から見直して書いて行こう。そうそう、このことがきっかけと云えるかもしれないが、20数年ぶりに今月末に京都に行くことにした。随分変わってしまっているだろうが、このまえ花の75年度生の1人であるPurple_Hazeさんが「変わったところもあるし、全然変わっていないところもある」なんて感想を書いていたので、僕もちょっと楽しみである。

 さて、ミニコミ『マーマレード』はいつ、どういう形で生み出されたか。正直、知らないのである。実は、僕自身は創刊準備号からスタッフとして参加しているものの、最初の立ち上げには参加していない。ただ、こうだったんじゃないかと想像は出来るし、それほど大きな間違いはないと思うが、如何せん、検証のしようがない。うーん、どう書き始めていいか困ってしまったので、要するに一番最初のメンバーは誰だったかというところから始めて見よう。

 マーマレードの編集長はMilkというペンネームの法学部の学生だった。M川君という木之内みどりが大好きな男で、同志社プロダクションというサークルに1年間所属していた。あ、このマーマレードがスタートした時、つまり77年には2回生になっていた。このM川君と松原君が友達というか、学部が一緒でクラスも一緒だったと思う。当時のサークルの力関係で言うと同志社プロダクションには活動家が多くて、文化団体連盟という上部組織の中でも結構ブイブイ言わせていた。当然、そこのサークルに所属しているからM川君も鼻息が荒かった。まだ彼らが1回生の時だった。僕が一人でサークルのBOXに居たら松原君が誰かと一緒に入ってきた。手には学食の定食のお盆を持っている。「あ、drac-obさん、すんません。こいつ同じ学部のM川と言って同プロのサークル員です」と松原君が紹介した。こちらは軽く会釈をしたが、M川君は知らん顔してBOXの壁の落書きなどを見ている。挨拶もしない態度のデカい1回生であった。そこでどんな話をしたかは覚えていない。僕の印象に残ったのは、人様のサークルに遊びに来るのに学食の定食をもってやってきて、挨拶もろくすっぽできない野郎という、もう二度と付き合いたくないタイプのやつだった。しかし、その後マーマレードの打ち合わせなどで話をして、親しくなっていくと誕生日にプレゼントをくれたり、細かな気遣いのできる、見た目以上にナイーブな男だった。

 そのM川君と高校時代からの同級生だったのが、ペンネームはネバネバライオンとかピクピクライオンとかやたらライオンに拘ったT田君。彼は広告研究会に在籍していた。この二人の出た高校は、あの偉大なる筒井康隆を生んだ高校である、ま、それを唯一自慢していたこのM川君とT田君のコンビは仲が良くて面白くて、二人は夫婦だという説もあった。いや、マジのモーホーの世界ではなく当然疑似モーホーであるのだが、確かにわがまま旦那のM川君に、甲斐甲斐しく尽くすT田君という場面は何度も見かけた。マーマレードの編集会議という名目でM川君のアパートで良く飲み会をしたのだが、この二人は中々に料理が旨くて、鶏のから揚げなんかをあっさり電気ヒーターで作ってしまうのだ。一人が鶏肉に衣をまぶして、もう一人が油で揚げる。お互いに「オレがやったほうが上手く揚がる」「いや、オレは隠し味がある」とか言いあうさまは、まるで子供がじゃれてる感じがした。

 大学2回生(今思い出したがT田君は一浪していたので学年は1つ下だった)にもなって大の男二人、異常なくらい仲がいいのだが、T田君に言わせるとMちゃん(M川くんのことをこう呼べるのはT田君だけだった。僕は大抵君付けで呼ぶか、呼び捨てにしていたが同学年の松原君や後述するK木君などがMちゃんと呼ぶと「お前にそういう呼ばれ方する覚えはない」と結構マジで反応していた)とは、高校時代1度離婚したという。よっぽど派手な喧嘩でもしたのかと思い、理由を尋ねてみたら、ある日の昼休み、T田君はその日クラスの当番で黒板の板書を消したり、ラーフルを叩いたり、おっとラーフルが分かるのは南九州オンリーだった、つまり黒板消しね、あれをぱたぱた叩いたり、そうそう、黒板消しを叩くときに窓から身を乗り出して校舎の外壁に叩いたりした経験はお持ちだろうか、そんなことはどうでもいいか(笑)、雑用があったのでM川君にお昼は購買部でパンを買ってきてくれるよう頼んだ。少したって、手に紙袋を持ったM川君が戻ってきた。T田君はにこにこしながら「Mちゃん、おおきに。オレの好きな焼きそばパンまだあったけ」と尋ねたところ、「え、お前の分はこうてないで」と一言。その言葉にカチンときたT田君は「オレさっき頼んだやんけ」とちょっとクレームを言うと、「そんなん知らん、それより早くいかんとパン売り切れるで」。その言葉を聞いて頭に来たT田君は、その後高校を卒業するまでM川君と口をきかなかったという。もっとも、この話は毎回編集会議、つまり飲み会の度にT田君が「こいつはひどい奴や」という例えで出すのだが、肝心のM川君は「それは何かの間違いや。オレは何度もお前のためにパンを買いに行った」と走れメロスのようなことを言い出すので、まあどっちもどっちだったんだろう。ちなみにT田君は経済学部だった。

 そして、以前の記事に少しだけ登場したが大牟田出身のK木君。ペンネームは「どんぶりくん」。もっとも一番最初は「ちびろく」というペンネームを使おうとしていた。要するに当時のインスタントラーメンの名前である。「ちびろく」というのは阿佐田哲也の名作『麻雀放浪記』の青春篇に登場する名脇役のことではない。あれは「チン六」だ。ええと、要するに袋入りラーメンなんだけど、いわゆる1人前は多すぎる子供用に普通サイズの2/3くらいの麺が6個入っているので「ちび(なラーメンが)ろく(個入っている)」という意味で「ちびろく」だったのだろう。結構インパクトのある商品で、テレビコマーシャルも「僕はちび1、ママはちび2、パパはスゴイ、ちび3だ」などと、後年ハウス食品だったか「僕食べる人、私作る人」というのが男女ベサツだと問題になった事件もあったが、それに近い感じもしないでもないCMだった。

どんぶりくん

 ただ、この「ちびろく」、最初は重宝して買い込んでいたのだがどうもコストパフォーマンスが良くない。どういうことかというと、普通食サイズの「ちび2」だと少し物足りない感じがして、ついつい「ちび3」で作って食べることが多くなる。そうすると、たった2回で1袋のラーメンが無くなってしまう。「ちび2」で食べていけば3回、要するに1日3度の食事は「ちびろく」で済ませることが可能なのだが、「ちび3」に慣れてしまうとそれが出来ない。思い切って、朝は「ちび1」にすると昼おなかがすいて「ちび3」食べてしまう。夜はなんといってもメインディッシュだから「ちび3」にキャベツでも刻んでサラダと一緒に食べるなどとやっていくと、あれどうしたのか、買い置きの1袋では足りなくなる。そこで考えたのが朝を「ちび3」にして昼を「ちび1」にしたらどうだというとサルどもは大喜びした、このことから「朝三暮四」ということわざが、こらこら話が全然違う方向に行ったではないか。脱線ついでに、この「ちびろく」問題をどのように克服したかを書いておく。あるときインスタント焼きそばが食べたくなった。食べたくなったが部屋にはインスタントラーメンしかない。じゃ、お店で買ってくればいいかというと仕送り前の金欠病で悲しいことに手元にはハイライトを買う80円を残しているのみ。

 どうするか、我慢してインスタントラーメンを食べるべきか。いや脳内はすでにウスターソースの焦げるにおいが充満していて、焼きそば・ボンバ・イエ、という感じなのだ。さあ困った、こまった。『困った狸は目で分かる』という高知の格言を唱えながらインスタントラーメンの袋を見ていたら、閃いた。インスタント焼きそばもインスタントラーメンも麺は同じ工場で作られているフライ麺ではないか。これを沸騰したお湯の入った鍋にぶち込んでぐつぐつ煮ればラーメン。フライパンに少量のお湯を入れて、そこに麺を投入し水気を切ったら焼きそば。なんとこのラーメンと焼きそば、実は兄弟のように良く似ている。味付け、味付けはウスターソースがあるではないか。このニュートン的大発見により僕は1袋のインスタントラーメンから焼きそばを作り、ラーメン用に入っていたスープの素に野菜やありあわせの具をぶち込んでチャイニーズスープ、あなたのためにチャイニーズスープ、今夜のスープはチャイニーズスープと軽くユーミンを鼻歌で歌う食生活が生まれたのだ。以上、前も書いたことがあるけど1袋のインスタントラーメンで充実した食生活が送れる話は終了。話を大急ぎで元に戻す(笑)。

 えー、そのK木君も一浪していたので、年齢は僕と一緒なのだが学年が1つ下、つまり松原君と同学年になる。このK木君は、僕のいたサークルに松原君とほぼ同時期に入って来たのだが、半年くらいしたらさっさと辞めてしまった。そのくせ飲み会だとか麻雀とかの遊びになると臆面もなく登場する。まあ悪気はないのだが、研究会とか肩ひじ張ったことが嫌いだったのだ。もっとも彼がサークルに来なくなり始めたのは、同じサークルに彼女が出来たせいでもある。別段、年頃の男女なんだから付き合っても何も問題ないし、オープンにすればいいものを何やら陰獣的な付き合い方で、BOXに人が来たら急に離れるみたいな、なんていうのかな、ちょっとアレな感じ。などと書くとK木君も怒るだろうな(笑)。要するに彼女のいない連中ばっかりだったので、からかわれるのが嫌だったのもサークルを辞めた理由の一つかもしれない。松原君とは音楽的な好みははっきりと分かれるのだが、相性がいいというか良く二人で中古レコード店や輸入盤店なんかにいって戦利品を競い合ったりしていた。

 こうやってマーマレードの初期スタッフのことを書いていると一つの共通点があることに気がつく。それはメンバーそれぞれが、サークルに対して一種の失望というか幻滅した経験があるということだ。M川君は同プロの次世代を担う活動家として、かなり期待されていた。特に直接の先輩であるT井君からは「オレの二代目や」とかなり目をかけてもらっていたにもかかわらず、1回生の終わりにはサークルを抜けている。このあたりの理由を何度か聞いたがはっきりとは答えてくれなかった。ただサークルを抜ける際に相当大変だった(暴力とかそういうことではなく、何故辞めるのだ、逃げるのかという理論的な部分で)らしい。松原君もK木君も僕のいたサークルに76年の新入生として入って来たものの、自分たちでやろうとしたサークルの会報作りも上手くいかず、新しいイベントを企画しようとしたら理解の無い先輩(オレじゃないよ、笑)から時期尚早と反対されたりして落ち込んでいた。松原君はただ音楽を聴いてその感想をいいとか悪いとか言ってるだけじゃ何にも始まらないと再三研究会で発言したが、残念ながら同調する人間がいなかった。そういう彼らの思いを何とか形にしようとして、夏の合宿で僕がサークルの会報を作ることを提案し、編集スタッフとして松原君を抜擢したのだが、僕自身の根気の無さからついに会報は完成せず、それも一つのきっかけとして彼はサークルを辞めた。

 T田君と僕はサークルに在籍したままでの参加であったが、所属しているサークルの活動が本当に充実していたらわざわざミニコミ作成などと言う手間のかかることは始めなかったと思う。やはり、日々の活動に一抹の物足りなさを感じてはいたんだな。

 おっと、それともう一人偉大なメンバーを忘れるところだった。拙blogに何度も登場している偉大なるF田敏雄君である。一体全体、どうして彼が最初のミニコミスタッフに参加していたのか。そして創刊準備号にも創刊号にもPUBLISHERとしてクレジットされていたのか。彼は創刊準備号に「HOBO CITY」というジャズの軽薄化を厳しく糾弾する(笑)記事を1つ書いたきりで、編集会議にも1度も顔を出したことが無かったし、それ以降一切記事を書くことは無かった。本人いわく断筆といっていたが、断筆もへったくれも彼がその手の原稿というか文字を書き連ねることは、このミニコミの前も後も一度もなかった。今考えてもなんとも不思議であった。

 ひとつ、それらしい理由がある。当時松原君が住んでいた下宿は北白川にあったが、実はそこはF田君の遠い親戚が経営していて、そもそもF田君の紹介で伊東荘という名前のその下宿に入ったいきさつがある。同じ下宿にはもう一人S戸君という、僕と同学年、つまりF田君とも同学年の男が住んでいた。同じ下宿に同じサークル(もっともその時点では松原君はサークルを辞めていたかもしれないが)の先輩後輩が住んでいたわけだから、いろいろ話をすることがあり、要するに実務能力はからきしないのに、妙に貫禄があり大人びたところのあるF田君を持ち上げて、ミニコミを立ち上げる最初の関門、つまり資金作りに上手く活用したのではないか。もちろん、出資して配当があるなんてものじゃないので、同人としての費用負担をしてもらう分、名誉職として持ち上げたのではないか。何しろ見事なくらい、その後原稿も書かないしミニコミ運営にかかわってこなかった。編集会議という飲み会にも参加しなかった。

 と、まあ、こういうメンバーが、それでも自分にとってロックとは何かとか、多くの友人との交流形態の獲得を求めてとか、相互討論相互批判相互浸透を通して新たな関係を構築しようとか、七面倒くさいことをああでもないこうでもないと云いながら始めて行ったのだ。さあ、この後どうなっていったのか。続きをどうするか、今日はもう遅いから改めて考えてみたい(笑)。



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