イズヒーアライブ?



身内の法事に来て、お寺の傍で発見。彼は生存していたのか、それとも魔界転生したのか。キューミン永続カクメイ、やっているのか(笑)。
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お前、試験どやった?



その心は…。






何点?ナンテン、南天、なんちゃって。






え、これ南天と違うの?

サクラ咲く



南国のこちらはサクラが満開である。昼間の気温もうなぎ登りで暑いくらいだ。このサクラも間もなく散りはじめ、まるでサクラの花びらが爆発したようになるんだろう。





ん、サクラ、爆発…。CHERRY BOMB!!!!!!


東京ロッカーズなう



元パンクのおねいさんと意気投合した。ということで。

お前の体はフェイスブック



ロックバーなう。洋盤しかかけないお店だが、無理を言ってINUをかけて貰う。これこそパンク。

だめだなぁ



どうしようもないカスだな、と思う。自分のダメさ加減をROCKのせいにしてしまう。ROCKがダメなんじゃない。オレがダメなんだ。

嫌だ、イヤダ



本日も、浮世の義理で飲み会である。先週も先々週も週末は飲み会だった。いかんなあ、こんなことじゃ。と、反省をしたところで、いざ戦闘開始だ。全国のプレカリアート、団結せよ。みたいな話は、おねいさんに嫌がられるので要注意(笑)。

宴のあと



ちょっとブンガク風なタイトルだが、グダグダである。当面の闘争課題であるおねいさん関係だが、戦略的に大きな収穫があった。具体的には、あ、あかん、携帯の充電が…。

宴会なう



浮世の義理で、宴会に来てる。先週はせんべろだったが、今回はただべろと喜んだが、良く考えたら会費を積立していた。とたんに元を取らねばの娘と化す。

Battito del Soleライブ・レポートというかせんべろ日記

 非常に疲れた1日だった。しかし、充実した1日でもあった。山下達郎の全国ツアー・メンバーに選ばれた宮里陽太のバンド、イタリア語で『太陽の鼓動』を意味する、Battito del Sole(バッティト デル ソーレ)のライブを見に行ったのは、先日の土曜日だった。あ、ちなみにイタリア語でというところから、バンド名まではmixiのコミュのコピペ。いまだにバンド名をはっきり覚えておらず、通称、『陽太のバンド但し若いもん向け』と呼んでおります。ちなみにオーソドックスなジャズを聴かせる宮里陽太カルテットは、ちゃんと陽太カルテットと呼んでいます。年取ると長い名前が覚えられないのよ。もっとも若いころは、プレミア―タ・フォルネリア・マルコーニとかファー・イースト・ファミリー・バンドとかブラッド、スエット&ティアーズとか長い名前のバンドを簡単に覚えていたのだが、これも1日100万個は死んでいく灰色の脳細胞の劣化のせいだろう。

 まあ、そんなことはどうでもいいが、このBattito del Sole、やっぱ面倒だから陽太バンドと書いてしまうが、ライブは10日土曜日、午後7時からニュー・レトロ・クラブというライブハウスで行われるという情報をゲットしたワタクシは、持てる限りのネットワークをフル活用して動員をかけた。まずは、毎度毎度の相方であるY尾君に、このところライブ参戦率がアップしてきたS藤くん、さらに海外生活四半世紀のS谷君という高校時代の学友諸君に声掛けし、全員の参戦を確認。さらに若い友人たちにも声をかけ、そちらも最低二人、もしかしたら三人になるかもしれない。さらにさらに、今度の陽太バンドは若いもん向けだから、そら、きれいどころっちゅうか、まあ、その、おねいさん関係がいないと寂しい。男ばかりで元ディスコであるニュー・レトロ・クラブに行っても気持ちがすさむだけではないかと思い立ち、20代のきれいどころにメールしたけど、返事なし。しょうがないな、じゃ、同年代なら二つ返事で参加するだろうと思って高校の同級生関係にメールしたが返事なし。もっともこちらは、メールチェックが多くて週1回、下手すりゃ月1回という大おねいさんたちなので、メールに気がつかなかった可能性がある。

 だったら電話して誘えば良かったじゃないかという気がするが、実は直前まで若いおねいさん関係の参戦が、その可能性が高かったわけよ。で、その場合のワタクシの態度というものを考えた時に、これは圧倒的に若いおねいさん関係に話しかけるというか、当然このバンドのことやミュージシャンのことを知らないだろうから、まあ年長者の義務として説明するわけだ。そうするとですね、これまでの経験から言うと大おねいさんがたは10人が10人怒る。いわく「私たちを邪魔者扱いしている」「若い子だけちやほやしている」「これって明らかにサベツじゃない?」「あんたたちも今は若いから、そういう態度取れるけど、歳を取るなんてのはあっという間だからね。いい気になってるんじゃないわよ」みたいなですね、悪貨が良貨を駆逐するってんですか、ちょっと違う気もするが、まあ無用のトラブルが発生する可能性が高い。で、あればぎりぎりまで若いおねいさんの参戦確認を待って、それでどうしてもダメなときに大おねいさん方に電話すればいいか。などと、今考えるととんでもなく甘い見通しを立てていたのだ。まあ、でもこういう甘さがあってもいいじゃないか、人間だもの。

 で、最終的には上に書いた野郎だけの集まりになってしまい、それも当日になってY尾君から急用で参戦できないとメールがあり、じゃあ、ライブ前の17時からのせんべろ大会は同級だったS藤君、S谷君、そして若手組の2人の、僕を入れて都合5人の参加ということになった。当日になり、いろいろ雑用を済ませて自宅からせんべろ会場である「たか×ご」という大衆飲み屋に向かった。17時集合で連絡していたので、僕がお店に着いたのは、その5分前。やはり海軍生活が長かったせいか、5分前精神がばっちりしみこんでいるワタクシであった。ウソです。営業マン生活が長かったので、客は待っても待たせるなの鉄則で、どんなに横着しようとしても早く着いてしまうのだ。

 この「たか×ご」という大衆飲み屋は地元では知る人ぞ知るせんべろ酒場で、いまでこそ改装して小奇麗なビルになっているが、その前はもうなんというか、こんな薄汚いところで飲み食いしたら絶対ヤバイぞという感じの凄まじい飲み屋だった。出入りするお客さんも第一次産業というか、建築というか土木というかニッカボッカの似合う方が圧倒的多数で、それ以外のお客さんも赤黒い顔で、くわえたばこの気性のちょっと荒そうなおじさん関係しか出入りしないところだった。学生時代は、その店に出入りするのは絶対詩人ばかりだと確信していた。その心はアルチュール・ランボー、なんちゃって。

 まあ、しかし、月日は経ち、学生の頃のような皮相な対労働者観というものは無くなり、昼間からやっていてビールを頼むとすかさず大瓶が登場してきて、おでんは24時間ぐつぐつ煮込まれているは、単品のあんかけ焼きそばやチキン南蛮が結構いけてて、焼鳥も通ぶった奴は必ず塩でなどと注文するが、てやんでい、たれで食ってみなって、本当の鶏の味がしっかりわかるからよ、え、おい悪いこと言わないから塩分取り過ぎは高血圧の元だぞ、などと後半はちょっと錯乱したが、まあ、かような居心地が良くて安くてお腹一杯飲み食いできる酒場はちょっとない。ブ・ナロードなどという言葉があったが、そんなことを言う前にオレこそがれっきとしてルンペン・プレカリアートだからして、実にお似合いのせんべろ酒場であるのだ。

 その「たか×ご」に5分前に来たのはいいが、誰も見当たらない。念のために参加予定の皆様に電話すると「今から出ます」「これから帰って着替えていく」「あ、もうそんな時間でした?」「只今電話に出ることが出来ません」などの、要するに定刻に来たのはオレだけか。オレは反帝国主義者であるが、定刻主義者でもあるのだとこの怒りをどこに向けたらいいか分からず、店ののれんをくぐり「ビール、おでんは大根とちくわと蒟蒻」と一瞬のためらいもなく注文し、しょうがないから携帯からエントリーをアップした。そうこうしているうちに1人、2人と参加者は増えてきた。ようやく4人そろってビールから焼酎に変わって、つまみも鳥皮だとかまぐろの山かけだとかタラの芽の天ぷらとか地鶏だとかパワフルなものが増えてきて、まあ飲んだ呑んだ。ちなみにこのお店の名前は正確には「宣伝酒場たか×ご」というのだが、いったいどこにプロパガンダの要素があるのか、ゲッペルスからなにがしか学んだのか、それとも電通の鬼十訓をお店のスローガンにしているのか、謎が解けないまま時間が来たので店を出た。そうそう、もう一人のS藤君はせんべろには間に合わないので、直接会場に来るとのことだった。おっと会計報告を、4人でたらふく飲んで食って一人当たり1,900円でした。厳密にはせんべろではなくてにせんべろだったが、この程度の誤差は「想定の範囲内」である。

 お店を出たのが18時半くらいで、ちょうど日がすっかり落ちかかる、いわゆるたそがれ時であった。ふと目の前を背の高いミニスカートの良く似合うおねいさんが歩いていた。どういう訳か、僕たちの先頭をどんどん歩いていく。歩く方向が一緒だったので見ようによっては僕が後ろから付いて行ってるようにも見える。S谷君がからかい半分で「おい、drac-ob、お前、ストーカー行為はいかんぞ、もっと離れろ」などというが、いかんせん進行方向が全く同じなのだ。僕たちの話し声にせかされるように歩いて行ったおねいさんの目的地はなんとニュー・レトロ・クラブであった。そこで俄然、オトコ4人の目つき態度が変わる。「おい、見たか、今みたいなおねいさんがもしかしたら入れ食い状態かもしれんぞ」、などと品の無いことを言ったのが誰だったか記憶にないが、こうなると人間あさましいもので我先にと会場への階段を上って行った。

 ここで、陽太君の関係者ご一同にワタクシ深々と頭を下げてお詫びしないといけないのだが、正直、ニューレトロであれだけお客が入っているとは夢にも思いませんでした。実は、せんべろの「たか×ご」でライブのことを話していた際に、ついこの前このニューレトロで友達のバンドが出たという話をした男がいて、その時はオール・スタンディングだったけど今日もそういう形式じゃないかときかれた。僕は、「まあ、若い人も多いかもしれんが、椅子を取っ払ってのオール・スタンディングはないだろう。ちゃんとテーブル椅子があって、ナイトクラブみたいな感じでライブするんじゃないか」と、これは普段見慣れているライフタイムのライブの雰囲気を話していたのだ。

 ところが入ってみてビックリ。4人まとまって座るスペースが無い。というか、壁際のソファのところはすでにお客さんが座っているか、予約席になっているか、パンフや上着などで確保されていて、空いてるところが無い。18時半開場、19時開演なので18時40分くらいに入れば大丈夫と思っていたのが大誤算だった。それでも、なんとか丸椅子を確保し開演を待った。

 19時ジャストにメンバーが登場した。その時の客席の反応はオーッという軽い地響きみたいなもの。いや、これ、なんだ、いつの間にこんなに人気が出ていたんだ。やはり達郎のツアーに参加して、一気に知名度が上がったのか。真っ暗なステージにメンバーが登場して、カウントとともにいきなり演奏が始まった。ファンキーなナンバーだ。陽太のオリジナルじゃなくて、Papa Grows Funkあたりの曲かもしれない。感心したのは、演奏が始まった瞬間に客の反応が、そのボルテージが一気に上がり、その中でメンバーそれぞれが自信を持って演奏したいたこと。特に、陽太のプレイはそれ以前から彼ならではの音色というか音があったが、この日の陽太はそれまで以上に堂々と自信たっぷりに吹いていた。やはり、達郎のバックで圧倒的多数の耳の肥えた観客とそれ以上に鋭い耳を持つミュージシャンたちに揉まれていった中で生まれた来た自信がそうさせているんだろう。

 2曲目は彼のオリジナルで、「Happy Tree」。人の様々な縁や関係を木のように表現したというか、諸星大二郎のマンガに出て来そうな進化の木みたいなイメージのきれいなバラード。陽太の才能は、もちろん演奏者としても素晴らしいものがあるがメロディ・メイカーとしても能力も演奏能力に勝るとも劣らない。今回のライブでは演奏してくれなかったが「ベーコン・レタス・エッグサンド」という名曲もある。東南アジアをツアーした時だったか、そこのホテルで食べたベーコン・レタス・エッグサンドがあまりに美味しくて曲にしたというエピソードの曲だ。一緒に行った連中の反応も、あまりに室内が暗くて良く分からないが、十分楽しんでいる感じは伝わって来た。手を叩いたり、体を揺さぶったり、暗くても振動は伝わってくる。そういえば以前はなかったパーカッションが入っている。新しいメンバーだろうか。あっという間に第一部は終了して、メンバーがステージを降りた。



 さて、その後の第二部だがこれがまた強烈だった。Battito del Soleのメンバーの中でプロとしてやっているのはバンマスの陽太とキーボードの大西さんの二人で、あとのメンバーはいわばセミプロ(もしかしたら違っているかもしれない。その時は御免)だが、もちろん音としては十分楽しめるし聴けるものだった。個人的にはギターのTaNNy君がサンタナを連想させる音を出したりして頑張っていた。もちろん、このメンバーのまま最後まで走ってもらって全く異議なしだったのだが、なんととんでもない仕掛けがしてあった。山下達郎の宮崎公演は前日の9日金曜日で、翌土曜日は移動日で日曜日は大分での公演だったらしい。その移動の1日を陽太はBattito del Soleのメンバーとして演奏したのだが、なんと山下達郎のツアー・メンバーであるドラムの小笠原拓海とギターの佐橋佳幸の両名がスペシャルゲストとして登場。いやはや何とも圧倒的な音でした。Battito del Soleのドラムも決して悪くは無いのだが、小笠原の叩く音は同じドラム使っていてどうしてここまで違うのだ。このタイトな音はどうなっているのだ。自分のスティックを持ってステージに上がったが、もしかしたらあれは魔法のスティックなのかと言いたくなるくらいの、まあ言葉に出来ないくらいの強烈なタイコでした。またギターも、流石りゅうせき、ながれいしってくらいのもんで、もうめんたんぴんいーぺーこーどらどらばんばん、バカッタレてなもんで、とにかくまあものすごいメンバー率いて山下達郎はツアーをしているんだなというのがしみじみと感じさせられたライブでした。

 このライブに実は、デジカメ持ち込んでいてそれでも演奏に集中したかったのであまりカメラは使わなかったのだが、このスぺシャルゲストが参加した1曲目だけは夢中で録画した。しかし、しかしである。音楽いや音というものはその瞬間のものであることを再認識しただけであった。今まで何度も拙blogでライブレポートを書いてきたが、どうあがいてもライブの瞬間の音というのは切り取れない。言葉では無理だし、録画したものでも無理だ。デジカメに入っているデータを何回見ても聴いても、もちろん生で聴いたときの感動はよみがえるが、音は死んでしまっている。やはり音楽は生き物で、とくにレコーデッドされた音楽は別として(今ふと思ったけどRECORDEDという言葉そのものがDEADというニュアンスを含んでいるんじゃないだろうか)、ライブでの音楽を再生できるのはライブだけ。つまり生きてる音を聴かないとダメだという当たり前だの結論だった。



 ゲストミュージシャンとの強烈な演奏を聴かせてくれた後は、本来のメンバーに戻ってステージは終了した。本当に汗を感じるいいライブ、いい演奏でした。しかし、これだけ陽太がビッグになるとこれまで出ていたストリート音楽祭には出なくなるんじゃないかという不安と、まあ無い物ねだりなんだけど、ハードバップなカルテットの演奏も聴きたいよう、電気電気と威張ってるんじゃなくてアコの楽器で勝負するのが男じゃ、などとわけのわからないことを考えて、この日の感動を誰かに伝えたくなり、思わず宮里さん(陽太のお父さん)に電話して感想を話した。山下達郎のツアーに参加して一回り、二回り大きくなって自信をつけたというのが僕たちの結論でした。

 そうそう、S藤君だがライブの開演前にぎりぎり間に合った。そこでは話す時間もなかったので、その後ROCK BARに行ってその日の感想や今後のライブの予定を話し合ったのだが、実は4月3日にあの遠藤ミチロウが来るのだ。そのことを彼に話すと、ちょうど吉祥寺で友川かずきを見て来たばかりで、やはり言葉を持っているミュージシャンはいいと二つ返事で一緒に行くことになった。しかし、ミチロウについて僕が話すことと彼が話すことがどうもすれ違う。思わず「お前、遠藤ミチロウ知ってるよな」と尋ねたら、「知ってる知ってる、アコギでパンク風な歌歌う男ジャン」などという。まあ、それほど違ってはいないが、「パンク風というかパンクそのものだろう、ミチロウは」と答えて、はっと頭にひらめいたことがあった。「お前、もしかして『東京ワッショイ』の遠藤賢司と間違ってないか」。ちゃんちゃんであった。もちろんケンジであろうが、ミチロウであろうが中年パンクスのオジサンたちはライブに参戦するのだ。

ア・ロット・オブおねいさん



ライブの合間に沢山のおねいさんが。今夜は入れ食いじゃ。…なにかが壊れた希ガス…

もしかしたら、物凄い時間に立ち会っているかもしれない



せんべろ決起大会は満場一致で終了しライブ会場に来たら、物凄い人の数。圧倒的に若いおねいさんばかり。いや、元おねいさんじゃない。今、現在進行形のおねいさんたちだ。おっと、演奏が始まった。

連帯を求めて、孤立を



待ち合わせの時間の5分前に着いてしまう悲しい営業マンの性。しかし誰もいない。参加予定者にそれぞれ電話するが、今向かってますとか、これから出ますとか、君たちそういうことだから日向時間と言われるのだ、とやや怒りビーム。定刻主義者の怒りはさらにヒートアップするのだ。

どこでもある話 その2

 さて、前回書いたサークルのクーデター話の続きであるが、放逐されたのは74年度生のO西さんという人。この人は姫路の出身で、実家が八百屋だか果物屋かをやっていた関係で、営業用の白いマツダ・ファミリア・バンを持っていた。70年代半ばに、学生が商業用のバンだとはいえ車を持っているというのは、たとえて言えばポケモンで幻のポケモン、ミューを持ってるようなもの、あ、例えが古すぎますか。そうですね、もっと分かりやすく言うと大貧民でジョーカーと2を4枚持っているようなもの、これはちょっとチープすぎてニュアンスが伝わらなかったな。要するに当時の学生の交通手段といえば、徒歩・自転車・バス・電車という選択肢(あ、タクシーというのもあったけどあれは基本4人で割り勘で乗るものだった)の時代に、ガソリンさえ入れれば自由に日本海でも琵琶湖でも、あの天狗が住むという鞍馬にも移動できるツールを持っているというのは、いかに恵まれた境遇であったか。何かちょっとした用事があるときに「なんや、お前、足ないんか、ならオレの車に乗ってけや」という必殺トークが何度BOXで炸裂したことか。そして、その車を持っているという権力(当時の貧乏学生にしてみれば立派な権力である)を駆使して、自分の手下を作り、サークルの決め事を自分のやりたいように改変、いや改悪だな、していく人だった。それも、自分はその意見に反対だけど、賛成するサークル員がこんなにいるのなら、その通りにするしかない。不本意だが、この件は決定します。というやり口なんだな。誰かのやり口に似ているなと考えてみたら、『動物農場』のナポレオンである。こういう人間って、人が何人か集まってグループ作るとその中に絶対いるんだ、悲しいことだが。

 ちょっと分かりにくかったかもしれないが、このO西さんは76年度のDRACの執行部の最高責任者、つまり会長であった。前回少し書いたが、76年の執行部はT原さんが会長でI上さん、Nさんあたりが副会長か会計で、サークルを動かしていくだろうというのが、その時のサークル全体の、嫌らしい言い方だが「空気」だったと思う。まさかO西さんが権力を握るとは予想すらできなかった。当時のDRACの74年度生メンバーは中心にT原、I上、N、N田といった九州・四国勢、そしてF森、O崎、O石、O西といった関西勢、確か唯一の東京勢のY本、そして2回生で入会したので一歩下がった形で活動していたデューク中島、A水という構成だった(すんません、面倒なので敬称を略しました)。はっきり言うが、この中でO西さんと親しかったのはY本さんくらいだったと思う。あ、もちろん、みんな普通に付き合いはしていたけど、サークル終わった後に一緒に飯食ったり、どこか行ったりするときにリーダーシップを発揮する人ではなかった。

 さらに、この74年度生が1回生だった時にすでに麻雀を知っていたのがO西さんだけだったという事実も無視できない要素であった。実はO西さんは岡崎に下宿をしていて、そこは老夫婦が大きな一軒家を持て余して下宿にしていたので、部屋は純粋な日本間でふすまで隔てた6畳間を自分の下宿として使いながら、なんと隣接する6畳間が空室でそこでいつでも麻雀をしていい、要するに一日中フリースペースとして使っていいという、およそ天国に一番近い下宿に住んでいたことも、その後の人間関係に影響を及ぼしていくのだ。縁あって、同じサークルに集まった人たちだが、前回書いたように鬼のような先輩たちがいて、この人たちが1回生に対して容赦なく即金(つまり半荘4回とか終わった段階で、その場で現金精算するというルール。本来あまり親しくないメンバーとやるときは当然のルールだが、同じサークルで毎日顔を合わせるメンバー同士であれば、ツケや貸し借りもありでやらないと人間関係がぎすぎすしてくる。まあ、そういうことを考えない人たちだったので追い出されたともいえるのだが)での取り立てをするものだから、まだ麻雀のルールや役を良く覚えていなかったT原さんやNさんは、毎日O西さんの下宿に集まり麻雀をやってルールや役や筋などを覚えた。毎回、毎回現金をむしり取る先輩に一泡吹かせたかったのと、「お前たち弱いな。もう少し勉強しろ」などと舐めれらるのが悔しかったからだろう。したがってO西さんの下宿は別名、岡崎麻雀道場と呼ばれるくらいになっていった。しかし、麻雀などというのは全くの初心者の時は上級者にかなわない(まあ、これも構成される面子に寄るんだよね。ド素人3人と上級者1人が同じ卓を囲んだ場合、ほぼ間違いなく上級者の一人凹みになる。要するに、セオリーが通用しない)が、ある程度経験を積むと当然それなりの技術やノウハウは覚えるので、そこそこの力は付く。それから先は、個人個人の博才というか、読みの鋭さ、大局観、要するに知力と判断力で決まる。

 O西さんは、最初は74年度生の中で師範、先生などと呼ばれていたが、そのうち弟子のNさんやT原さんのほうが力をつけてしまい、74年の後期には前回登場したUさん達の先輩グループと対局しても決して先輩たちに負けなかった。そうなると人間汚いもので、「今日は手持ちがないから、また今度」などとツケで処理しようとする。ひどい時はO西さんの一人凹みで、O西さんのお金を巻き上げているはずなのに、その前にツケにしていたお金を払わないなんてことを平気でやっていたようだ。おっと、話はUさんじゃなくてO西さんだった。つまり、O西さんは自分の持っていた麻雀の知識や技術を教えてやったのはいいけど、あっという間に抜かれてしまい仲間内での立場がなくなってしまったわけだ。いわゆる出藍の誉れってやつですな。あ、そういう立派なもんじゃないですか。そりゃそうだ。

 ここで公平を期する意味で補足すると、O西さんは決して弱くも下手でもなかった。他のサークル連中や、ゼミの仲間とやるときは連戦連勝とはいかなくても勝率8割くらいの腕はあったと思う。そのO西さんも僕のいたDRACでは麻雀レベルはB級と言われていたのだ。何しろ、別館中で一番麻雀の強いサークルという噂が立ち、76年だったか、その噂を聞いてS害者問題研究会、略してS問研という、ちょっとうるさ型のサークルにいたM君(本人も自分は別館で一番か二番に麻雀が強いと自信を持っていた)が、掛け持ちで入部してきたことがあった。自己紹介でそんなことをいうものだから、腕に覚えのある僕達
(正確に言うとT原さん、Nさん、そして不肖ワタクシ)は、さっそく室町今出川にあったグリーンという雀荘に誘った。席決めして座り、開口一番、M君が「レートは当然点5ですよね」などというので、「いや、俺たちは仲間内では点3でやってる」と答えると、「天かぁ。それじゃ勝っても飲み代にもならないな。オレ先輩とやるときは点ピンの赤ありでやってるんですけど」などと僕たちの怒りに触れる大言壮語をした。あ、すいませんね、麻雀の専門用語が続きますが意味は適当にググってください。で、僕達3人は、ちらっと目配せして、こいつはボコボコにしてやるほうが本人のためだということを確認した。その結果はどうだったか。東の1局目、親がT原さんの時にM君の捨て牌にダブロン。親の跳満と子のマンガン(ちなみに、オレね)。開局1番でいきなりハコテンになるM君。ドボンルールを採用してなかったので(ダブル、トリプルハコテンが出ないと面白くないだろ)、当然続行。放銃したM君、負け惜しみで「ついてますね。親が。ただツキ麻雀は続きませんよ」。で、次に親になったM君の場をNさんが絶妙の食いタンのみで和了。という、感じで半荘4局終わり、結局M君の一人負けで点3ながら、マイナス160点ほどで支払額は4800円。もちろん即金でもらい、T原さんが「お、飲み代出来たな、これから呑み行くか。M、お前も来るか」と追い打ちを(笑)。次の日からM君はBOXに登場しなくなりました。もっとも、このときの恨みつらみからか、文連の会議の時はオレ目の仇にされたっけ。

 話が、大きく外れてしまったが(いやいや、この途中に入るエピソードも実は計算の上なのよ、などと負けず嫌いのワタクシです)、これから77年2月のクーデターの話に入るはずだったが、うーん、お酒飲んじゃったので、もうあかんのよ。最近、全然飲まないもんだからちょっとでもアルが入るとダメなんです。アルつってもアル・スチュワートじゃないよ。ましてやアール・ハインズでもない、ってほらもうこれくらいべろべろです。なんつっても、先日図書館で借りて読んだ、中島らもの『せんべろ探偵が行く』が面白くて、うん、オレも南九州せんべろ探偵事務所を設立して日夜研究にいそしむのだ。てなくらい、出来上がってしまったので、続きはまた今度だ~。とりあえず、スローガン、打倒権威主義者、権力志向主義者、エスタブリッシュメント志向者!!誰のことかって顔してるあんたのことだ~。



自由になりたい



 モンキーズのデイヴィー・ジョーンズが亡くなった。今日配信だったWolfgang's Vaultの動画が2001年のモンキーズのコンサートのもので、懐かしい「デイドリーム・ビリーバー」や「アイム・ア・ビリーバ―」、「恋の終列車」、そしてセックス・ピストルズのカバーが強烈だった「ステッピング・ストーン」なんかを見て(聴いて)、ついついFBのLikeボタンを押してコメント書いたら、すぐにレスがあり、そこにデビッド・ボウイの本名もデイヴィー・ジョーンズだったので間違われないようにボウイにしたという話と一緒に彼の訃報が記されていた。最初は、そこに気がつかず後でもう一度読んでびっくりして、ググってみたら2.29に亡くなったみたいだった。大急ぎでYOU TUBEを検索したら、なんと昨年の7月に結成45周年記念コンサートをニュー・ヨークでやっており、その時の動画がアップされていた。もちろんリード・ボーカルとタンバリン(これ結構必殺の楽器でした。アーチーズやスパイダースも効果的に使ってたっけ。日本での第一人者はスパイダースのボーカルで順じゃないほう、って要するに孫悟空の役をしたあの人、隠し芸に出てるあの人)は、デイヴィー・ジョーンズその人だから、多分急病だろうと思って調べたら心臓発作で亡くなっていた。

 60年代から70年代にかけて、この「モンキーズ」もそうだけど、他にも「パートリッジ・ファミリー」とかアニメだけど「アーチーズ」とか、コメディ仕立てのバンドものってのがあって、そこからヒット曲が量産される時代があった。もちろん、出演者にそれだけの音楽的スキルがあったわけではなく、プロの作詞・作曲家とプロフェッショナルなスタジオ・ミュージシャンの存在なくして、彼らがスターダムに登場することは出来なかったのだが、このあたりの研究、調査は『鳥肌音楽』の管理人に任せておけば、しっかりやってくれるはずだ。アーチーズは確かエントリーを読んだ記憶がある。まあ、とりあえず今日は、デイヴィー・ジョーンズが亡くなったことの報告まででした。彼が歌うヒット・ナンバーに珍しくバラードがあって、青い鳥のように自由になりたいと歌うその歌のように今頃は天国に向かって飛び立っていることだろうな。合掌。



卒業式なう



有休取って卒業式に参加した。この手のセレモニーは窮屈で性にあわんな。内ゲバ尊師、という歌を歌うらしい。一体何だと思ったら、仰げば尊しだった。

プロフィール

Author:drac ob
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