ワタクシとジャズ(喫茶)の出会い~テイク2

 高校時代のジャズに関係した思い出ではないのだが、その後ジャズ喫茶につながる思い出がある。僕のいた高校は、比較的生徒の自由が通った学校で特に放送部は長い歴史があり、昼休みなどに流す音楽は全て生徒の主体性というか、その時の放送担当者の好みで好き勝手にさまざまな音楽が流れていた。流石にジャズが流れたことはなかったと思うが、結構ハードロックやプログレも流れたし、フォーク(神田川とかああいうのね)やヒットポップス(シンセのポップコーンなんかよくかかったな)なんかも流れた。だいたいが清掃の時間のテーマソングは、ビター・スィート・サンバで、これは明らかにオールナイト・ニッポンの影響のはず。多分何年か上の先輩たちが、オールナイト・ニッポンのテーマを気に入って、掃除の時間のテーマソングにしたのだろう。そもそも高校に入ったばかりのオリエンテーションで、応援団が応援歌の歌唱指導をしたのだが、その時に突然「遠い世界に」の歌詞カードを配り、『これは我が高校の第2校歌なので全員覚えること』なんて言われたこともあった。考えてみれば音楽に対して非常に寛容な学校だったんだな。

しかし、その時の経験があるので、ビター・スィート・サンバを聴くと未だに落ち着かず雑巾やモップを持ってあちこち掃いたり拭いたりしたくなる。あ、ここで余談ですが(いやこんなことを断らなくても、このblogそのものが大きな余談みたいなもんだ、という指摘には「その通りです」としか答えようがないが)、九州の方言で箒などを使ってその辺をきれいにすることを「はわく」という。もちろん「掃く」が正しいのだが、「はわく」というのも何となく標準語だと思い込んでる人も結構多くて、学業優秀にして普段は標準語しか話さない女子学生なんかも使っていた。あるときその手の女の子から、「drac-obクン、掃除の時間は、ちゃんとはわいてください」などと注意されたこともあり、その時に「あのさ、『はわく』ってのは方言だよ。正しくは「掃く」っていうんだ」と僕なりに訂正したこともあるのだが、日ごろの行いのせいか、僕の発言は却下というか完全無視され、僕の正しい指摘を無視したあの子は東京の大学生活でさぞ恥をかいただろうと思うと痛快である。もとい、もっとちゃんと伝えるべきだったのではないかと反省しきり、こういうところにますます人間が出来てきたdrac-obである。

 おっと、ジャズ喫茶につながる思い出話だった。実は、ある日の昼休み僕は別のクラスの友人に用があって、彼のクラスに行き内容は忘れたが話をしていたら、教室のスピーカーから結構ハードなギターが流れてきた。それまでは、その友人と話に夢中になっていたので、どんな音楽が流れていたか全然気にならなかったのだが、話が一段落ついたので余裕が出来て、そこに延々と続く強烈なギター・ソロが聴こえてきたのだ。思わず僕は「これ誰」と独り言をいったら、そのクラスのH後という男が、「うーん、このフレーズは…」などと口を挟み、腕組みして数秒考え「テリー・キャスだな、××のところが××だから、当然××で、うん、やはり奴のフレーズに間違いない」とかなんとか言った。要するにロックギターの専門用語だかなんだか分からないが、こちらが聞きもしないことをべらべらしゃべって、挙句は独りで納得している。変な奴だなと思ったが、流れている音楽がテーマの部分に差し掛かり、それがシカゴの「長い夜」だということが分かり、だから多分『シカゴ・アット・カーネギー・ホール』だったんじゃないかと思う。まあ、結論的にはお見事でいいのだが、その時のそいつの得意そうな顔つきが妙に印象に残った。この男は、その後も僕たちがロックの話をしていたり、レコードの貸し借りをしてたりすると、よそのクラスのくせに妙に目ざとくやってきて、話に割り込んだり、ひどいときには「あ、そのアルバム駄作。聴くだけ時間の無駄」だとか、「え、まだこんなの聴いてるの。新作とっくに出てるぞ」とか要するに”Don’t poke your nose into other person’s affair”(おお、ちゃんと覚えていたぞ、当時の英語の教科書に出ていた長めのイディオム、「他人ごとに首突っ込むな」とか「他人事を詮議立てするもんじゃない」って意味だった)の男だった。今のはやり言葉で言うKYってやつ。

 僕はこの男がどうにも苦手というか、はっきりいうと嫌いだった。もっともはっきり言うと喧嘩になるし、友人の友人みたいなやつだったので極力気にしないようにしていたのだが、何かちょっと音楽に関わる話をしていると、ホント他所のクラスのくせにしっかり聞き耳立ててやってくる男だった。まあ、それでも数少ないロック仲間というか、ロックの話が出来る男だったので、よっぽど癇に障らない限りは仲間に入れて結構いろいろ話した。基本的にブルース系のロックが好きで、こちらがツェッペリンだというとヤードバーズが本物だとか、パープルがいいというとアイアン・バタフライはもっといいとか、キャプテン・ビヨンドこそ本物だとか、まあ天邪鬼なんだ。あ、僕はそんなことはない。天真爛漫な、って自分で書いて吹きそうになったのでやめる。

 で、幸いなことに彼とは3年間ずっと別のクラスだったので、話をするのも放課後だけだったし、ま、話をするたびに「おまえそんなの聴いてるのか。遅れてるな。オレは最先端だぜ」みたいなことを言われ続けた気がする。また、「ロックのほかに神は無し」みたいなこともしょっちゅう言っていた。あるとき、僕がたまたま加藤和彦の『スーパーガス』を持っていたら、「おまえフォークなんか聴くのは女の腐ったやつだけだぞ」みたいなこと言いやがって、頭に来たから反論していたら、たまたまその会話を聞いていた女の子が「それはdrac-obクンのほうが正しいと思うよ」みたいなこと言われて、ああ、あれが青春だったな。さて青春とはいったいなんだろう、その答えはひとそれぞれで違うだろう。あ、話題違いますか、そうですか。

 まあ、その不愉快ロック男とは大学も全然別だったし、そう簡単に再会することもないだろうと考えていた僕はトーシロだった。何せ、わが故郷のMIYAZAKIシティは小さい街で、間に人を3人通せば必ず知り合いにぶつかるという東村アキ子先生の名言通り、僕は75年の夏休みにこいつとばったり出会った。そう、大学に進学した最初の長い休みだったので、お互い地元に帰省していたのだ。しかし、住んでいた町は全然方向が別なところだったから、そう簡単に会うはずもなかったのだが、悲しいかな我がシティは小さな町なので、音楽好きの若者の集まる場所はだいたい同じだったわけだな。

 大学のサークルでジャズをほんのちょっぴりかじった僕は、帰省した夏休みの間にジャズ喫茶で復習と予習をしようと思い、当時できたばかりのLIFETIMEに行った。今もしょっちゅうお世話になっているジャズ喫茶というかライブハウスなんだが、当時は大きなアーケード街の入り口の細長いビルの確か4階か5階くらいにあった。店の扉を開けると片面は窓で、その反対に長いカウンターがあり奥にテーブル席があったように記憶している。僕はそのお店に缶入りの両切りピースを持込み、2時間いや3時間は貫徹するぞと気負いこんで入り、あ、独りです当然。神聖なるジャズ喫茶にナオン連れで来るような奴は仏罰が落ちること間違いなしと信じ切ってましたから、当時。あ、こういうところがジャズ喫茶お寺説になるのか、ユーリカ!!

 えーと、仕切りなおして、そのLIFETIMEの扉を開いて適当な席に座ろうとしたら奥のボックスにナオンと2人っきりでジャズ聴いてる奴がいた。僕はジハード開始、とばかりにそいつをにらみつけようとして、ん、あいつ、見たことある、なんか嫌な感じ、とよーく見たら、なんとH後ではないか。しかも連れてる女の子は確か同じ高校だった、えーと名前は忘れた。美人じゃないけどちょっと愛嬌のある子だった。で、女の子はちらっと僕のほうを見て気がついたようで会釈してきた。そして向かいのH後に僕が来ていることを話したようだった。チッ、鬱陶しいな。せっかくの休みにじっくりズージャ聴いて、勉強しようと思ったのに、などと思いながら様子を見ているとなんだかおかしい。これまでのパターンだったら、犬の子が尻尾を千切れんばかりに振ってくるような感じで奴が近づいてくるハズと思ったら、全くこちらを見向きもしない。なんだか丸まって固まってるような感じである。おかしいな、あいつらしくないけど一体どうしたんだろうと不本意だったが僕のほうから近づいてみた。

 そのテーブルに来て気がついたのだが、H後は目を固くつぶり、額にしわを寄せて左の手は上下にしきりに動かし、右手はテーブルのあたりに置いてせわしなく動かしている。しばらく眺めているうちに、ウッドベースを弾いてる真似をしていることが分かった。こいつは高校の頃、エレキを買ったけど弾けずに押入れで眠らせているとかいう噂があったよな、と過去を振り返っていたのだが、H後は一向にこちらに気がつかない。いや、気がつかないふりをしていた。レコードが終わったので、僕はH後の肩を叩いて話しかけた。「しばらく、いつ帰って来たんだ」みたいなことを言ったと思う。その瞬間、「シーッ」という声が聞こえて、他の席にいた客から睨まれた。ジャズ喫茶で死語ちがう、私語をするのは固く禁じられていた時代だったのだ。ようやく目を開けたH後は、僕を胡散臭げに見て「お前、ロックを好きで聴いてたんじゃないか。ジャズは無理だ、やめとけ」とかなんとかいう。頭に来て、「てめえこそ、ロック命のロックが神様だったろうが。いったいいつからジャズになったんだ」と声をひそめて言うと、「いや、昔からロックの限界を感じていたんだよな。やっぱりジャズこそが人間を解放する」。ムカついた僕は、彼に解放とはどういう意味だ、君は中国共×党との党派闘争をどうとらえるんだ、組織された暴力とプロ×タリア国際主義について、え、こら、おまえ、展開してみ、え、こら、え、とまるでボーリョク学生のような恫喝をしたらしいが、生憎その日は深酒をしてしまい覚えていない。覚えているのは奴と一緒にいた女の子が、次から僕を見る目つきが変わったことくらいだ。

 うーん、爽やかな青春時代の一こまだったが、肝心のジャズとの出会いはまだまだこれからである。これからといったらこれからなのだ。つづく。



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ワタクシとジャズ(喫茶)の出会い~イントロは軽快に

 しかし、以前も書いたがすっかり本を読むのが遅くなっている。もっとも、本を読むのはもっぱら夜寝る前の布団の中なので、ちょっと読んでいるうちにタイマーならぬスイマーが襲ってきて、しおりを挟んで爆睡ということの繰り返しなので、そりゃ父として、いや、乳として、うんにゃ、遅々として読書のペースが進まないのは当たり前である。例によって、図書館の返却日が来たが、読み終えた本以外に途中までしか読んでない本があり、そちらは貸出期間を延期してもらった。『戦後日本のジャズ文化』という、そのハードカバーはタイトルの通り、マッカーサーがやって来た時期から現在に至るまでの日本のジャズ文化を様々な角度から考察していて面白い。論文臭くなくて、文章も読みやすい。その本の中に「ジャズ喫茶解剖学」という章があり、そこにジャズ喫茶は時代とともにその役割が大きく変わっていったことを書いているのだが、1950年代の「学校」(=School)としての役割、1960年代の「寺」(=Temple)としての役割、1970年代の「スーパー」(=Supermarket)としての役割、そして1980年代(個人的には「以降」という言葉をくっつけておきたい)の「博物館」(=Museum)としての役割、などという区分は面白かった。もっともこの区分はオーストラリア人の日本研究者であるエクハート・デルシュミットなる人のジャズ喫茶論から引用したらしい。しかし、どうして外国の人が日本のジャズ喫茶を研究するのか、要するにジャズ喫茶なんてものは我がポンニチ独自の文化であり、ダブルスタンダードとネズミ―ランド帝国主義のヤンキーの国には存在しないから、だろうな。

 ジャズ喫茶の役割が学校からスーパー、そして博物館へと変わっていくのは説明しなくてもニュアンスで分かると思う。その中で、僕が一番興味深かったのは「寺」としての役割だった。どうしてジャズ喫茶が寺であるかというと、“暗い内装の店が増え、オーディオ装置が整ったおかげで、大音量でレコードがかけられるようになり、会話はほぼ不可能(あるいは禁じられている)、アルコール類の飲み物を出さない禁欲的趣向と店内の規則厳守を徹底する「マスター」をありがたく押し戴く、<お寺>やカルトなみの宗教的空間のジャズ喫茶が増える”からである。このあたり、良く分かるな。僕がジャズを聴くようになったのは大学のサークルに入ってからだから70年代半ばからであるが、その当時もまだまだそういうジャズ喫茶はたくさんあったし、ジャズを聴くことが一種の修行というか求道者みたいな人はたくさんいた。

 ということで、今回は恒例の「出会い」シリーズとして、「ワタクシとジャズ(喫茶)の出会い」と題してお届けします。しかし、「出会い」シリーズってあったかな、あ、例によって未完の「ワタクシと北関東の出会い」ってのがあったな(笑)。

 初めに書いたように、ジャズとの出会い、最初の出会いはどうだったか。高校生の時にキース・ジャレットのソロ・コンサート(アナログの3枚組で確か紙箱に入っていた)を買った友人がいて、それを聴かせてもらってなかなかいいと思ったことがあった。ただ、ジャズとして聴いたのではなく、当時好きだったプログレの進化形というか変形みたいな理解だったと思う。また音楽の授業の時にプレイバッハのレコードを流してもらったことがあり、こちらも気に入ったが、対象がバッハだけにクラシックのイージー・リスニングみたいなイメージだった。後はデオダートのレコードを買って聴いたくらいだが、なんで突然そんなレコードを買ったかというと、1作目の『ツァラトゥストラはかく語りき』が大ヒットし、その次に出たこのアルバムも雑誌なんかの評価が高く、FMでちょっと聴いていいなと思ったからである。もっともこのアルバム挿入曲に「サテンの夜」があったし、「ラプソディ・イン・ブルー」もカッコよかったがジャズだと思って聴いたことはなかった。当時の僕の印象では、突然出てきたアレンジャー兼プレイヤーだったが、どうしてどうしてボサノバの有名アルバムに結構参加しているビッグミュージシャンであった。そしてまだこの頃には「フュージョン」という言葉もなければ、前身の「クロスオーバー」などという言葉もなかった時代である。

 ジャズと接点を持てなかったもう一つの理由は、僕と同じ高校でジャズを聴いているのは本当に少数のごく一部の連中だったし、そいつらがみんないわゆる不良だったので、ああいうものは不良が聴く音楽だと思い込んでいたのだ。じゃ、ロック聴いてたお前はどうなんだと突っ込まれそうだが、ロックは異議申し立ての音楽であって、ナオンをリーヤーするためのズージャは素行の悪い連中がいきがって聴く音楽だと、これは明らかな偏見があった。すまん。今ここで自己批判しておく。

 まあ僕のいた高校の不良といってもたかが知れているのだが、それでもやはり制服のズボンを超スリムにして、内ポケットにトランジスタ・ラジオならぬショートピースを入れてる連中が、2~3人固まって何やらレコードを見せ合っていたので、「お、何だそれ、誰のレコードだ」と聞いたら、鼻の先でフンという感じで「マイルス、『ビッチェズ・ブリュー』」とか「ウェザー・リポートの1枚目」などと聞きなれない名前をぶっきらぼうに答えたり、「それどんなレコードだ」と聞いても碌に答えないような連中だった。今にして思えば、ハード・バップやフリー・ジャズではなくクロス・オーバーというかエレクトリック・ジャズなので当時僕たちが聴いていたロックに比較的近かったはずだが、彼らは頑なに自分たちの仲間だけで懇談し、決してロックを聴いてる僕たちと音楽に限っては交流する気が無かった。それでも、同じクラスだったので何度か話はしたが、ロックはガキの音楽、音楽的に未熟、演奏レベルが低いみたいなことを言うので、いつしか音楽の話をすることはなくなった。この時に、ジャズは大人の音楽(17,8くらいから見た大人だから、早い話、ジジィの音楽だと思っていたんだな)、ジャズなんか聞くやつは偏屈、とりわけ若いのにジャズ聴くやつはウルトラ偏屈と思い込んでいた。

 さらにジャズで使われている楽器に興味が持てなかったというのもあった。ジャズコンボのスタイルはアルトやテナーといった管楽器に、ピアノ・ベース・ドラムのリズムセクションがつくというパターンが多いが、サキソフォンの音色が苦手だったのだ。ロックのサックスというとボビー・キーズのように豪快に吹きまくるか、イアン・マクドナルドみたいなクールな無表情なそれでいて思いつめたような音色か、あるいは人をおちょくってるのかお前はと言いたくなるようなデビッド・ボウイのちゃらちゃらサックスくらいしか思い浮かばず、なんというのかあまり慣れない楽器だった。あ、今思い出したけど、ブラス・ロックなんちゅうのもあったな。シカゴとかBS&Tなんかが一時代を作った。彼らはジャズ・ロックなんて呼ばれ方をしていたよな…。

 それと忘れちゃならない、チェイスというバンドもいた。「黒い炎」の大ヒットを出したグループで、リーダーのビル・チェイスを筆頭にトランペットが次々にチェイス(これ意図的シャレに非ず)していくスリリングな演奏が売りだったけど、セカンド・アルバム出した後に飛行機事故でメンバーが亡くなった悲運のグループだったっけ。うーん、このあたりからジャズに接近できなくはないのだが、つらつら考えてみると今あげたチェイスにしてもシカゴにしても、そしてこれらの中では一番ジャズっぽいBS&Tにしても、全部ボーカルが入っている。つまり歌プラスバンドの演奏というスタイルなので、僕にとってはこれらはロックであり、ジャズとは全く違う音楽という考えだった。

 うーん、こうやって振り返ってみるとやはり高校生の時にはジャズとの接点がほとんどなかったんだな。もっともキース・ジャレットやプレイバッハを気に入るくらいだから、ピアノのジャズは抵抗が無かった。高校3年の時にデューク・エリントンが亡くなり、いくら当時ロック小僧であったとしても「サー・デューク」はさすがに知っていて、FMで彼の追悼番組をやっていたのを聴いた記憶がある。本来のビッグバンドの演奏は全然いいと思わなかったのだが、エリントンが自分の家族同様に可愛がっていたビリー・ストレイホーンのためにソロで演奏した「ロータス・ブロッサム」をその番組で聴いた。レコーディングの終わりにエリントンがふらりとピアノに向かい演奏し始めたのをディレクターが見ていてテープに録音したのだが、周囲の人の話し声や足音などが入ってはいるものの、ソロ・ピアノのタッチや音色に亡くなった人をしのぶ感じが伝わり、いいなと思ったことがあった。今思えば、あれがジャズとの出会いの前触れだったのだろうか。というところで、イントロは終わり次はいよいよ本格的なジャズとの出会いの話になる。なるったらなるのだ。



エミちゃんって昔井上順の奥さんの名前だったな

 トヨタのCMで流れる歌が気になっていた。ちょっと初期のリッキー・リー・ジョーンズに似た声で、メロディもなんとなく70年代風でつい聴き入ってしまうのだが、いったい誰が歌っているのか、全然わからなかった。今日、CMの終わり間際にEmi Meyerというクレジットが出ていたのに気がついて、多分これがミュージシャンの名前だろうと思って調べてみた。ただ、Emiという名前が気になった。あちらの人であればEmmyとかEmilyって名前になるんじゃないかな、ってところが引っかかったけどエミー・メイヤーとでも発音するんだろうと勝手に思っていた。あ、みなさんもうご存知かもしれないけど、このCMソングね。



 イントロのベースは、まるでメッセンジャーズの「気になる女の子」だけど(しかし例えが古いな、我ながらと思いつつ、あれだけヒットした歌なので当然YOU TUBEにあると思っていたら、オリジナルがアップされてない。いや、以前はあったと思うけど、それこそCMの版権の関係なんでしょうか、フィンガー5バージョンとかはあるけど、メッセンジャーズのテイクが無い。代わりに「ビッグ・ステップ」なんかがあったけど)、リフのギターはちょっとカッチョイイ。しかし、このところいいなと思う歌い手は、ほとんど女性シンガーなのよね。それもいわゆるシンガー・ソングライター系の人たち。数年前に元ヤング(≒オジサン)に大ブームを起こしたダイアン・バーチもそうだし、この間人妻シンガーであることが分かってさらに気に入ったニッキー・ブルームもそうだし、もちろん我がポンニチには中山うりがいるし、そして今日エミ・マイヤーの存在を知った。さっそくホームページを見ると、なんと彼女は日本人の母とアメリカ人の父親との間に産まれたらしい。つまり名前のEmiは「エミ」であって、もしかしたら「恵美」かもしれないし、「絵美」だったかもしれないし、意外に「映見」ってのも似合いそうだし、などと勝手に妄想族をしていますが、なんだ、エミちゃんが歌っていたのか、と妙に納得。

 ホームページの動画を見て、その後My Spaceに行ったりして彼女の歌を何曲か聞いてみた。驚いたのは日本語の歌もあって、これはホームページの紹介記事の丸パクリなんだけど、歌詞に中途半端な英語が出てこないところがいい。「じぇーぽっぷ」とかいうんですか、滑舌の悪い日本語に妙に巻き舌の英語らしき単語を入れた今時のワカイモンの歌う歌より、血は半分アメリカ人ではあるがこの子の歌う歌のほうがはるかに詩にリアリティがあるし、伝わるものは多い。「登り坂」という歌があって、イントロなしでいきなり歌から入るんだけど、そしてやはりどうしても発音は多少たどたどしい感じもあるんだけど、またバックの演奏と少し歌が離れている感じがしないでもないけど、歌が歌として存在している、主張しているってのとはちょっと違うんだけど、ええと面倒だ。聴いてみてください。



 ジャズ系の出身みたいだけど、それほどジャズ・ジャズしてないし僕なんかには、最初に書いたようにリッキー・リー・ジョーンズか初期のジョニ・ミッチェル、キャロル・キングの雰囲気はあるけど、かなりポップな印象を受ける。あ、歌の上手いメラニーなんて感じもあるな。曲のバリエーションもいろいろあるみたいで、夏の歌とか冬の歌なんてのはとても楽しい。本当は、この人の歌の話をイントロにして、エントリーを書いて行こうと思ったけど、今日はエミ・メイヤーっていう素敵なシンガーを紹介して終わり。しかし、こういう個性的な声が受け入れられるってのは、いやもっとはっきり書くと嫌いな言葉だけど「癒してくれる声」が流行るのは、それだけ時代が尖って住みにくいからなんだろうか。考えようによっては、嫌な都政である、あ、違った渡世である。ま、都政も都政も同じだけどな。



 そうそう、ここ1週間ほどblog拍手が毎日あって、もとい、頂いてとても嬉しいんだけど一体どういう関係の方が来られているのか。コメント残していただくとか、メールフォームからメールして頂くとか何らかの足跡残してもらえると嬉しんだけど。

駆け足日記アゲイン

 「週記」というものをご存じだろうか。「週記」、つまり週に起こったことを記すものである。日々起こったことを記すのが「日記」、エーゴではDiary、ダィアリーである。週記は1週間ごとの出来事を記すもので、エーゴではWiary、ウィアリーという。しかし、そんなことで驚くのはまだ早い。我がD大の大先輩、偉大なるブルース・マスターの故塩次伸二先輩など「月記」、つまり月に1回しか更新しない、下手すると四半期に1回なんてもこともあった。あ、エーゴではMiary、ミ、ミィアリーという。その昔、日記をちゃんとつけない小娘がいて、そのことをポールが歌にしたことがあった。題して「ミィアリーの子羊」、歌いだしは♪みぁりーはっどありとるらむ~、ミディアムテンポの素朴な歌でウィングスのセカンド・シングルになった。…、自分がblogを更新できないからと言って架空の単語を作って言い訳するのは良くないと思う。

 と、まあ、のっけから言い訳三昧の導入部であるが、早いものであっという間に1週間である。またもや駆け足で振り返るこの1週間。しかし、こういう風に駆け足で走って行ったら、あっという間に雛祭り、あらま、桜が咲いたぞ、藤も咲く、黄金週間はどこに行くか、なんて考えているうちに梅雨も来て、梅雨来たりなば春遠からじなんて洒落てるうちに、もうお盆だ、列島大移動だ、夏の電力は全然問題なくて、クソッタレの原発なんぞの垂れ流し電気は一切使わず、セプテンバー、そしてあなたは、セプテンバーなどと歌っているうちに、おお、秋晴れの体育の日、赤勝て白勝て、運動会にはゼッケンつけてクーコーフンサイ、トーソーショーリ、ありゃ運動って、そっちか、などと慌てているうちにメリクリ、メリー・クリスマスみすたーろーれんす、などと絶叫してごおおおおおおおんと響く除夜の鐘、明けましておめでとうございます、あ、もう正月だ。というように、月日の経つのは早いので、若者よ、書を読んでしっかり学ぼう。ネットばっかりやってるとヒッキ―になっちゃうぞ。と、これは余計なお世話だったか。というわけで、またもや駆け足でつづるこの1週間。今、とっさに思ったけど「駆け足」と「架け橋」って似てるよね。栄光の駆け足、なんつって。

某日、ええと週末だったので例によって図書館に行って、お気に入りのソファで借りていた本を読もうとしたら、なんと図書館が超満員というか、孤独なオジサンたちが右往左往していて、窓際のソファは先客でいっぱい。しょうがないので、あちこちあるいて単体で置いてある小さな椅子(背もたれが無いけど、大きな台があってそれが壁になり背中を預けることが出来る)に座って、本を読んだ。読み進んでいくうち関連書籍を調べたくなり、検索機の所に行き、チェック。次に読みたい本は書庫の中にあった。借りようかと思ったが、今借りている本を読み終えてでないと、また次の本、次の本と手を出してしまうと頭が混乱してしまうし、第一期間内に読み終えることが出来ない。ちょっと後ろ髪をひかれる思いだったが、とりあえず目的の本のデータをプリントアウトしてポケットに入れた。

 それから、先ほどの椅子のほうに戻ろうとしたら、気に入ってるソファが空いていたのでそこに座って読書の続きを始めた。いつ来ても、そのソファにもたれているマフラー、ジャンバーのオジサンがやはり雑誌を何冊かサイドテーブルに置いて、パラパラ開いている。せっかくの週末なのに、図書館で一人本を読んで寂しくないのか。家族から見放されているのか、気の毒なことだと同情しかけて、良く考えたら僕も同じだということに気がつき、それでも親愛の情を示すことはしなかった。人間死ぬときは独りだ。読書に夢中になっているうちに、なんだか一定の感覚で聞こえる音に気がついた。良く聞いてみると、例のオジサンの寝息、というか、明らかにいびきである。ちら、と視線を送ったが、ソファに丸くなって器用な体勢で熟睡している。時々、ものすごい音になる。

 いびきというのは本人は気がつかないのだろうが、はたで聴いていると結構大音量である。僕も疲れているときは、いびきをかくのだが、以前は疲れすぎていると目を開いたまま寝てしまうこともあり、ずいぶん家族に気味悪がられた。それ以上にバイヤーなのは、僕は睡眠時無呼吸症みたいで、寝ているときに呼吸をしていないことがあるらしい。配偶者に言わせると、しばらく全く息をしておらず、死んだんじゃないかと心配して覗き込むとふぅううううと苦しそうに呼吸をするので、生存確認して安心するなどと言われたことが何回かあった。本当は安心じゃなくて、保険が降りなくて残念とでも思っているかもしれない。クソッタレ、周りはみんな敵だ、油断するな。などと家庭内不和の話をしている場合ではなく、オジサンのいびき、いよいよものすごく、そのあたりで笑っていた係りの人も、ちょっとマジになって体をゆするが目を覚まさない。女性の係り員だったので、声もあまり荒げた感じではなく、優しく「ちょっと、ちょっと、すいません」とか言いながら体をゆすった。「ハッ」と言ってオジサンは起きたが、体をゆすられて起きたというより、自分のいびきに驚いて起きた感じだった。係りの人が「風邪をひきますよ」と注意したが、「はぁ」と気のない返事をして、それでも照れ隠しだろうか腕時計を見て、「もうこんな時間か」とつぶやきながら帰って行った。

某日、通勤中の車のラジオから「坂崎幸之助と吉田拓郎のオールナイト・ニッポン・ゴールド」という番組の予告が流れ、てっきり特番だと思い家に帰ってラジオを引っ張り出し夜10時から聞き始めた。いやー、ラジオの番組を時間通りに聴くなんて経験はずいぶん久しぶりだ。いつ以来かというと、前の県知事が宮崎からオールナイト・ニッポンを放送したことがあり、その時以来じゃないかという気がする。坂崎も拓郎もしゃべりが面白いというかラジオ向きのキャラクターだと思っているが、放送は予想以上に笑いあり、マジな楽曲の裏話ありで大いに楽しめた。しかし、深夜放送を聞く感覚でいたが良く考えてみると22時から23時50分までである。ラジオを一生懸命聞いていた頃だったら、大橋巨泉のポップスナウが終わったくらいの時間で、こんな時間帯は深夜放送とはいわなかった。やはり午前1時以降の番組が深夜放送だよな。拓郎の深夜放送と言えば、あれは高校生の時だったか、地元では放送されていないのでラジオのチューニングを調整しながら聞いたセイ・ヤングでその日のDJだった拓郎が「僕は四角佳子と結婚します」という宣言を聞いたことがあった。あれはずいぶん驚いたが、それ以上に驚いたのは四角佳子と離婚したと思ったら、なんと歌うレッド・バルーンこと浅田美代子と再婚し、ま、それは別段羨ましくはなかったが、その後、おい、お前、また離婚はええけど再再婚なんかないな、無いよな絶対、などという声は当然届きもせず、おお、森下愛子とまたもや結婚した時は羨ましかった。森下愛子ですよ、森下愛子。分かってるのかな、って、オレは誰に語りかけているのだ。

 まあ、坂崎と拓郎のかけあい漫才みたいで、あっという間の2時間近く。途中、加藤和彦の話題がちょっと出たり、79年に篠島で24時間コンサートをやったのだが、途中でゲストとして出演した小室等と長淵剛の二人には強烈な帰れコールが起こったなんて話は面白かったな。帰れコールなんて、拓郎が一番やられて「そうか、じゃ帰る」といってコンサート(当時は単独のコンサートはまず無くて、いくつかのグループやシンガーの合同ライブという形がほとんどで、ファンは目当てのミュージシャン以外には「帰れ、帰れ」と大ブーイングということが多かった)で、1曲も歌わず帰ったこともあった。で、その「帰れコール」を受けなくなったのは、例の金沢事件から後らしい。それまでは、ぼろくそに「帰れ、帰れ」と言われていたが、金沢事件(拓郎がファンの女の子をゴーカンしたというデッチアゲ事件)でマスコミにめちゃくちゃ叩かれて、それ以来なんだか妙な同情をされて「帰れコール」は収まったなんて話していたな。

FOGGY MORNING

某日、朝起きたらあたりには霧が立ち込めていた。霧のロンドン、ベーカー街である。幻想的な景色の中、車のエンジンをかけて職場に向かう。ここは余計な話を書くより写真を見てもらったほうが分かりやすいだろう。朝は一面の霧だったが、お昼前から太陽が射してきて今度はだんだんあったかくなり、日差しも強くなり夕方散歩してたら大淀川に沈む夕日がきれいだった。風景の不思議さに振り回された1日だった。

サンセット


某日、健康診断の一環でVDT検査を受ける。視力や眼圧やいろんな検査があって、結論から言うと全然問題なしだった。ちょっとおかしかったのは僕はもう裸眼では何も見えないと言ってもいいくらいの近視なのだが、視力検査で例の丸い形のどこが空いているか、「右」とか「下」とかいう検査ですよ。その検査を担当した女性スタッフが「6番は?」「えーと、右かな」「右ですか(ちょっときつめの口調)」「あ、いや下、下か」「ハイ正解です。じゃ7番」「いや、もう見えないから」「そういわずに頑張って、どっち」「じゃ、上」「ほら、出来たじゃない。じゃ次」みたいな検査だったけど、あれは頑張って見て数字をあげるべきものなんだろうか。違った答えを出した時の返事が、ずいぶん怒った感じだったけど、その後言い直して正解だと凄く機嫌良さそうな声になるんだよね。おかしかったのは、「そうじゃないでしょ」「うーんと、左、かな」「もう、最初になんて答えたか思い出しなさい」って、思い出して答えるってのは絶対オカシイよな。

某日、先週試験前だというのにバイトに行き、そのことを叱って以来一言も口をきかなかった下の子と久しぶりに話をした。この日もかなり遅くなって疲れて帰ってきたので、またバイトかと小言を言おうとしたら、いきなり「南こうせつ、ウザイ」などという。話を聞いてみると合唱の部活で宮崎の復興を願うコンサートに参加することになり、そこで南こうせつと一緒に歌うらしい。配偶者に「南こうせつって誰?」と、お前その質問ってちょっと変じゃないかと言いたくなったが、要するに南こうせつというのは何者かと尋ねているのだろう。配偶者が、その昔フォークのグループで有名で、とか、お隣の大分出身の歌手とか説明したが、なんだかぴんと来ないようだった。で、止せばいいのにオヤジが「あ~。こうせつか、『うちのお父さん』なんか歌ってる人だな。デビューはロック・キャンディーズといって女の子3人組で確か『普通の女の子に戻りたい』つって解散した。あ、あれは本家キャンディーズだった。ロック・キャンディーズも違うな、あっちはちょび髭にアポロキャップの中国好きだった。ええと、確か日本昔話から取ったようなグループ名で、『金太郎』違うな、あ、思い出した『もののけ姫』だ、で、ヒット曲が『道頓堀川』つってイントロがバイオリンで歌詞は、赤いマフラーをタオルにして、横町の風呂屋に行ったけど男がスポーツ刈りで先に上がって、女を待っていたから風邪をひいて、それ以来月に1度おでんを洗面器一杯に…」などと言ってるうちに全く相手をされなくなった。

人生は駆け足日記

 またもや近況を駆け足で報告だ。オレの人生、一生駆け足なんだろうか。悔んでみても始まらないので、さっそく走り出す。

 某日、正月休みも終わりハッピーマンデーとかいうこじつけ連休も終わり、ようやく日常に復帰する。正月とか連休はマックスで3日でいいな。それ以上あると人間が堕落する。朝起きるのも遅くなるし、夜も遅くまで起きているし、かといって昼間は何も生産的なことはせず、ネットで遊んでいるかせいぜい自転車転がすか、散歩しているかくらいである。本が中々読めない。集中力が無くなっている。ここ最近の、平均的な休日の過ごし方は午前中は布団の中で「夢の中(by ボ・ガンボス)」で、昼前に起きてコーヒー入れて新聞を読む。昼飯は大抵麺類で、九州人なら異議なしの声が上がること必定のアベックラーメンであったり、手ごろな野菜とベーコンをニンニクと一緒に炒めてサッポロ一番味噌ラーメンの上に乗っけて食べたり、ホウレン草とベーコンをバター醤油で味付けしてパスタを絡めるとか、まあ、お湯を注いで3分待つだけ(by リザード)よりは多少マシな程度。食ったら眠くなるが、そこで寝ると家族全員の非難が待ち受けているので、ぐっとこらえてフルモト、あ、最近はあんまりいかないか、それよりは図書館に行ってうたたねしながら本を読んでるかな。とにかく、生産性が全くないのだ。

 某日、借りていた本の返却日だったので、仕事が終わった足で図書館に行った。窓口で本を返して、止せばいいのに書架のほうにふらふら行ってしまう。僕が気に入っているスペースは窓際の大きなソファなのだが、そこに先客がいた。室内なのにごついジャケットを着こんでマフラーを巻いて、頭にはアポロキャップといういでたち。ん、この縞模様のマフラーには見覚えがある。先週の土曜日にここに座っていたオッサンだ。そして、1日於いて祝日の月曜日、遅い午後にも何冊か雑誌を横に置いてぱらぱら眺めては外の景色を眺めてぼんやりしていたっけ。これで3回連続見かけている。服装からヒッピーというかフーテン(どちらの単語も今時死語であるが、まあ風来坊ってこと。あ、風来坊も死語ですか)というか野外生活者ではないと思われるのだが、これだけ図書館に入り浸っているというのは哲学関係の人なんだろうか。それとも単に家庭に居場所のない人か。ま、家庭に居場所が無いのは僕も同じか。しかし、そういう視線であたりを見渡すと、中高年のオッサン達が結構いる。それぞれ単独行動で来ているようだ。皆様方の心の中の風景を想像すると、ここ何日かの気温以下の氷点下の寒さを感じるのは気のせいだろうか。

 今回は借りないつもりだったが、別段金利がかかるわけじゃなし、善良なる市民の当然の権利だ、バカヤローと誰に対して怒っているのか良く分からないが、やはり面白そうな本を借りてしまう。マイク・モラスキーという人の『戦後日本の(映画・文学・アングラ)ジャズ文化』という青土社から出ていたハードカバーに、四方田犬彦編集の『ザ・グレーテスト・ヒッツ・オブ平岡正明』、そして植垣康博の『連合赤軍27年目の証言』の3冊。1冊目は出版されていたのは知っていたが、地方ではなかなか書店で見かけることが無く読む機会が無かった。ぱらぱら立ち読みしたら面白そうで、著者が同い年なのも気に入って借りた。2冊目は、毎度おなじみの宣言評論家というか、3馬鹿トリオ(この言葉も死語かなぁ)の一人だった平岡正明。この間借りた『昭和ジャズ喫茶伝説』も面白かったし、時々正調平岡節が読みたくなるのよね。こういう本は万年床でキャイン、キャインといいながら読みたいものだ。死なずに読めるかと、何故か殿山のタイちゃんか内藤陳かというフレーズが出てきてしまった。今、気がついたが、みなさん故人だ。3冊目は、ちょうどオウムの逃走犯が自首して来たり、それをかくまった元女性信者も自首して来たり、というニュースが続き、時効を逃れるための逃亡というと、これは元祖逃亡者、只今潜航中だった滝田修に連想が行きそこから連赤にイメージが飛び、去年DVDで見た、あ、一昨年だったか若松監督の『実録連合赤軍』まで一気加速に飛んで行ってしまい、思わず手に取った。この人の『兵士たちの連合赤軍』は出版されてすぐに読んだのだが、風景画が上手だったのといろんなエピソードにさりげないユーモアがあったりして、読みやすかったイメージがあった。今回借りて失敗したのは、最初のインタビューが以前読んだ鈴木邦男の『右であれ、左であれ』に収録されていたものと同じだと分かったことだ。ま、こういうことは良くあります。今度は締め切りまでに、全部読んでちゃんと返そう。しかし、読書のスピードは落ちているし、布団の中で読んでいると30分もしないうちに寝てしまうんだよな。

 某日、朝、下の子がなかなか起きてこない。配偶者が何度も起こすが、何かぶつぶつ言って出てこない。「きつい」、とか「しんどい」みたいなことを言ってる。配偶者が「バイトで遅くなって疲れたんじゃないの。ほら頑張って起きて」などと言ってるが、なかなか起きてこない。ふと、壁に貼ってあるカレンダーを見たら、翌週から学年末試験と書いてある。ここで無理して体を壊したらいかんから、どうしてもきつかったら休むかと声をかけたら、「休んだらバイト先に迷惑をかける」などという。どういうことか聞き返すと、今週は日曜までずっとバイトのスケジュールが入っているという。「アホ、お前試験前やないか。バイト休ませてもらえ」というと、「代わりの人がおらんから休めん」などという。頭に来て、「そら、この時期学生はみんな試験だからバイトを休むだろうが。大学生ならともかく、お前はまだ高校生だからバイトより学校が最優先じゃないか」と声を荒げたら、「赤点は取らん」などという。

 怒り心頭に発して、朝だというのに大声あげて叱り飛ばした。「なんで高校生が試験前に毎日バイトじゃ。学校あってのバイトだろうが。もういい分かった。お前が自分で休みを取れないならお父さんがバイト先に電話して、店長に話をつけてやる」というと、「それだけはせんで」と大声あげて泣く。普段は口答えばかりしているのに、ちょっと感情が込み上げたのだろうか「絶対赤点は取らんから電話はせんで」と喚く。「アホ、赤点取るか取らんか何でわかる。だいたい毎日バイトしてたら、疲れてしまって家で勉強できないだろうが。昨日も机に向かってなかったぞ」と指摘したら、「学校で頑張る」などとぬかすので余計頭に来て、「学校ではみんな同じように習うだろうが、差がつくのは家庭での勉強だ。そんなことも分からんのか、お前は。もういい、バイトなんか辞めてしまえ」と半狂乱の父親は叫んだ。そうすると「バイトで稼がんでどうするとね」とまたもや口答えしやがる。要するに我が家がビンボーなので、自分はバイトで小遣いを稼がないとやっていけないみたいなことを主張するのである。まあ、我が家が貧乏であるとか、オヤジに甲斐性がないというのは、これは歴史的事実であるから分かるのだが、別に食うのに困ってバイトしているわけでもないし、いったいどうしてそんなに稼がないといけないのか、今度は配偶者に聞いてみたら、どうやら車の免許を取るために自動車学校に行きたいらしい。それを聞いたワタクシ、またもやブチ切れて、「あほんだらぁ!!何が免許じゃ、ボケ。20歳過ぎるまで免許なんか取らせるか。銭金の問題違うわ、オレは絶対認めんぞ」と再度大声で子供に行ってどかどか足音立てて仕事に向かった。

 不愉快である。高校生が試験前も毎日バイトに行くなどということがあっていいものか。バイト先のルールで、休む時は代わり人間を見つけないといけないと決まっているらしいが、そんなもん、雇う側の我がままというかマネージメント能力が無いから、高校生バイトに代理を見つけるノルマ与えているだけではないか、この野郎、店長あたりに話しても碌な対応はないだろうから、本社にメールで『お前んとこはどうなっとるんじゃ、ボケェ、子供が試験で赤点取って学校卒業できんかったらどう責任取るんじゃ、ゴラァ。ええ加減にせえよ。』と書いて送ろうかと思ったが、これぞクレーマーの典型だと思いとりあえず我慢した。まあ、子供がどんな対応をするか、本人がバイトと試験両方頑張るという以上は、あまり親がどうこういうのもイカンのかなと、これは若いころのワタクシを知っている人は絶対信じてくれないような大人の判断をした。

 某日、このblogに時々コメントをくれるGoteauxssonさんからDVDが届いた。この方は知る人ぞ知る、ゴトー&カメレオンズ、略称ゴカメのバンマス、リーダー、コンポーザー、要するにバンドの親分である。先日mixi経由で商品として販売しているゴカメのDVDを送りましょうかとメールがあったので、以前Ustで見た時は画像が荒かったので是非お願いしますと返事をしていたのだ。で、封を開けてビックリ。ジャケット写真もライナーもしっかりした、ホント、れっきとした商品だった。まだ見てはいないのだが、時間をとってじっくり見たい。「サラリーマンは現代のブルースマンだ」をテーマにオリジナルで攻めまくる、お笑い本格派ロックバンドなのだ。しかし、「サラリーマンは散々だ」を始めて聴いたときは本当に驚いた。レノン・マッカートニーのメロディに見事に乗っているんだ、これが。おかげで「From me to you」を聴くたびに♪サラリーマンはさんざんだ~と歌う癖がついてしまった。パブロフ先生のペットである。筒井康隆の小説のタイトルみたいな「ウィークエンドパパ」ってのも哀愁あっていいんだこれが。あ、このあたりの話はいずれまた。

 取り急ぎ、この間の出来事を駆け足で振り返りました。で、最後の映像は今日のPurpleさんの独り言からゲッツしたニック・ロウのこのナンバーで。




同じ雲を見ている、良心的補足日記

新聞から切抜き

 新聞を読んでいたら、先日アップした雲と多分同じだと思われる記事を見つけた。動画で撮影した人もいて、ローカルニュースでも流されていた。去年あんなことがあったし、地元では一昨年も大変な年だったので、何とか少しでも今年がいい年であるようにという願いからこういう話は広がっていくんだろうか。ちょうど、秦の高官が王の前に鹿を連れてきて周囲の者に馬に見えると言わせたように、ん、ちょっと違うかな。しかし、雲の形というのは見る場所と時間、方向で全然違って見えるという当たり前の事実に感心した。水は方円の器に従う、などというからなぁ、ってこれも間違った使い方なのか、心なしか偉大なる中華の人民をコケにしているのではないかという気がするが、決してそんなことは無い。中華の民は大好きだが、その上にどんと控える権力集団が大嫌いなのだ。毛沢東も草葉の陰で泣いているぞ。

金霧島未開封

 さらにこちらも前回のエントリーで触れた金霧島のボトル。正確にはお酒というより薬用酒みたいなもので春にブイブイいってたキリギリスが秋には落ちぶれてアリからお恵みを貰うという寓話、じゃないだろうが、冬虫夏草だ。冬は虫のフリして、ええと、何のメリットがあるんだろう。とにかく「黒霧島」に冬虫夏草(こいつは虫でも草でもなくキノコの親戚らしいが生憎、南方熊楠ではないので良く分からん)をひたひたして作ったお酒らしい。オン・ザ・ロックがイケるらしい。詳しくはこのサイトで。以上、簡単ですが補足説明を終わらせていただきます。

年末年始駆け足日記

 2012年になって、あっという間にもうすぐ1週間である。仕事も始まり、いつもと変わらぬスタートである。もっとも昨年の3.11と、それに伴う人災事故で環境的状況がこれまでと一変しているのは事実だが、ま、今日はそれはさておき年末年始を大急ぎで振り返って、本日の心境を音楽で表現するという社会主義的リアリズムでいってみたい。

 年末29日から休みになり、このところずっと避けていた大掃除だが、気合を入れて取り組む。家長としての権限をフルに使い、配偶者やバカ娘二人に、やれガラスだとか壁の汚れだとか、てきぱきと指示をしてカビキラーであちこち噴霧し、どさくさまぎれにお風呂の洗剤も床にぶちまけようとしたら、有毒ガスが発生すると叱られた。人間慣れないことをやるとろくなことは無い。その後、年賀状をパソコンで作成したが、ハガキ印刷など年に数回しかしないのでプリンターが最初不調続きで年賀状を何枚か無駄にした。配偶者がモッタイナイなどというので、「あほんだら、こんなんは郵便局持っていったら交換してくれるんや」と暮らしの豆知識を披露したら、今はそんなことはしていないという。郵政民営化の悪影響はここにも表れている。嫌な時代になった。

 翌30日は家族で、配偶者の実家の墓参。お墓をいつもきれいにしてくれている親戚の家に挨拶。農業をやっているので、取れたばかりのお米を一袋、新鮮な野菜をどっさりくれた。皮つきの落花生はありがたかった。ソルト・ピーナッツにして食べると美味いのだ。そして最高だったのは、なんと「金霧島」を戴いたこと。お盆の時も「赤霧島」を貰って、今度のお正月に飲もうととっておいたのだが、そして「赤」は見たこともあったが「金霧島」は初めてである。大切に飲もうっと。ご先祖様を大事にするといいことがあるなぁ。

 大みそかは、今度は僕の実家の墓参に家族で行く。前日の「金霧島」のデンで、こりゃもしかしたら「ダイアモンド霧島」あたりがゲットできるのではと期待したが、そんな焼酎は無いので当然何もなかった。何でもモノをありがたがるというのはマテリアルなシホン主義の悪いところである。僕はスピリチュアル、ではないか、物欲まみれの俗物だが、ココロザシはスピリチュアルだ。などと、考えていたら、あの紅白に薄汚いネズミがマルモリの二人を連れて登場した。当然、「帰れ帰れ」の一大シュプレヒコールが起こった(僕1名であったが、オレは『孤立を求めて連帯を恐れないのだ by 全冷中カゲキ派』)。あんなダブルスタンダードの国の手先のネズミがデカい顔して国営放送に出てくるなど、この国もおしまいである。紅白見て、そばを作って食べて寝た。

 元日は、当然数の子をつまみにお屠蘇である。お屠蘇といっても単なる日本酒の冷酒だが、これが気持ちいいのよね。惜しむらくは岸上の蒲鉾が無かったこと。バカ娘二人にお年玉を渡す。シホン主義社会で酷使されている我が身だが、何故か賃金は上がらない。戸川純の歌が聴きたくなる。頂いた年賀状を見ながら、それぞれの友人や親せきなどの顔を思い出す。長くご無沙汰している人ばかりで、時間とお金を作って会いに行きたい人が沢山いる。♪働けども、働けど、働けども、働けど…

 二日は、前日の夜更かしがたたって(GYAOで月形龍之介が主役の映画『水戸黄門』を見ていた。中村錦之介や千明実や錚々たる役者ぞろいだが、当然みんな若い。一番驚いたのは、役者のセリフが6割くらいしかわからないこと。正しい日本語で、江戸時代の言葉を検証して話しているので分かりにくいのだ。「皆の者頭(ズ)が高い」ではなく「頭(カシラ)が高い」などと言ってる)、昼前まで寝ていたら、先輩から携帯に電話が入る。他人の不幸は蜜の味的な話で、blogにアップしていいか尋ねたら「ダメゼッタイ」とどこかで聴いたフレーズが。ということで、これは内緒。内緒の話はあのねのね。あのねのねは赤とんぼ、赤とんぼの羽を取ったらアブラムシ~。頭にウジが湧いたかもしれん。

 三日は前のエントリーにも書いたが、家族で初詣。おみくじは中吉だったが、内容がいいのでおまけについていた巾着に入れて、今も机の上に置いてある。ラッキーストーンは恋愛運を向上させるローズクォーツである。Purpleさん、今年のオイラは一味違うぜ。で、翌日から仕事なので、夜の10時には寝た。

 四日、五日は普段通りの仕事。三日に早く寝すぎた反動で、夜中々寝付けない。体は疲れて寝ているのだが、頭が妙に冴えて眠れない。携帯でメールをチェックしたり、読みかけの本を開いたりごそごそしながら、いつの間にか寝てしまった。妙にリアルで、そのくせ非現実的な夢をたくさん見た。内容はとてもここには書けない。しかし、昨日・今日と懐かしいメールをたくさんもらい、やはり中々会えない人たちといつか会いたい、時間とお金を作って会いたいと切に思う。戸川純の歌がまた聴こえてきた。



瑞祥???



家族で初詣に出掛けた。その帰り道の車中で、上の子が素っ頓狂な声をあげた。つられて配偶者も何やら大袈裟な声をあげた。何があったのか尋ねて見ると、不思議な形の雲が出ていると口を揃えて言う。幻日じゃないのか、と聞き返し確認しようとしたが、生憎、運転席からは見えない。子供が携帯に撮った写真を見せてくれた。Zepのアルバムジャケットのような雲だった。地震雲等というようなトンデモ説には与しないが、何かの瑞祥ならいいけどなぁ…。ちなみに、おみくじは中吉だった。花山大吉でなかったのが残念だが、中くらいが丁度良いか(笑)。

新春をコトホグ話

 おめこ、というメールがデューク中島先輩から届いた。いったいどうした、なにがあったと思って開いたら、すぐに「とよろ」と書いてあり、なるほど、続けて読めば「(あけ)おめことよろ」という意味になるなと納得したが、新年早々人騒がせなメールであった。というか、正月早々オ×コネタで盛り上がるD大OBというのは如何なものであろうか。このあたり花の75年度生のPurpleさんやTHIS BOYさんにも問題提起してみたい。ということで本年最初のエントリーに入るのだが、実は昨日の大みそかに携帯から短いエントリーをアップした後に続けてアップしようとして未遂に終わったネタがあるので、そちらをどうぞ。

 先ほど、今年最後のエントリーをアップしたつもりだったが、大事なことを忘れていた。何日か前に昼休み時間に体験した出来事と、こちらはその後だが、とある鉄板焼き屋さんで体験した話の二つは忘れないうちに書いておかねばの娘である。それでは順番として、先日の昼休みの話から始める。

 働くオジサンたちにとって重要なテーマの一つに昼飯の問題がある。僕は外回りの仕事が長かったため、昼は外食というパターンが多かったのだが、ここ最近はずっと内勤のため弁当を注文することが多い。いや、最初のうちは外食の癖が抜けず、お昼になると近くの喫茶店やファミレス、ラーメン屋というところに食べに出かけていたのだが、わざわざ出かけて行ったのに客が多くて気に入った場所をすでに取られていたり、読みたい週刊誌やマンガが(本当はその店に置いてあるんだけど誰かのテーブルの上に積み重ねてあったり、他のお客が読んでる真っ最中だったりして)無かったりすると損したような気持になるので、ピースオブマインド(心の平静)を考えて弁当を注文するようになった。要するに出かけるのが面倒になったのだ。それでも毎日、日替わりの弁当を食べているといろんなことがあって、ある時はおかずだけしか入っていない弁当に遭遇したこともあった。弁当の器を持った瞬間、ずいぶん軽いなと思ったがまさかご飯が入っていないなどとは想像もつかず、弁当のふたを開けた瞬間は、間違いなく凍りついた。その時は写メを撮りエントリーにもアップしたし、あとで弁当屋さんが代金を返金してくれて、とっても得をした気分になったもんだ。

 それはさておき、和洋中華それぞれの良さを組み合わせたおかずの入った弁当を食べるのは、昼休みの大きな楽しみでもある。弁当屋さんの月刊献立表があるので、事前にその日のおかずを確認できるのだが(そしてあまり好きではないおかずの時は、外に食べに行くなんてこともできるし、近所のコンビニで買ってくるなんて選択肢もあるのだが)、僕はあえてそのメニュー表は見ない。お昼の時間になり弁当箱を机に乗せて、そっとふたを開けて覗くその瞬間がたまらないのだ。その日のおかずが、あらかじめ分かっていたら感動というものが無い。昨日は串カツがメインだったから今日は煮魚か焼き魚ではないかと想像して、開いた瞬間にチキン南蛮がにっこり笑ってこちらを見ていると、思わず知らず笑みがこぼれる午後零時30分という瞬間は誰にも邪魔をされたくないのだ(多分誰も邪魔しないとは思うが)。

 そして、先日の弁当のおかずはこういうラインアップだった。アジフライ、手製のトマトソースのかかったハンバーグ、ケチャップのついたプレーンオムレツ、春巻き、マカロニサラダ、いんげんの和え物。どうだ、どうだ。え、大抵の弁当、とりわけホカ弁なんかはたとえば「しゃけ弁」とか「ノリ弁」とか、あるいは「から揚げ弁当今だけ390円」とかはメインのおかずが1品あり、あとはキャベツの千切りだとか一口のパスタとか、まあそんなもんしか入っていないが、この弁当ときたらアジフライ、ハンバーグ、プレーンオムレツとメインを張れるおかずが3品。まあ人によっては春巻きもメインとしてみなすことができるかも知れないが、僕に言わせれば初代タイガーマスクというか獣神サンダーライガーというか、まあ、ジュニアへヴィー級クラスだね、春巻きは。これがシューマイとかギョーザとか中に入っているものがちょっと変わるというか、外側の皮がへなへな系になるとジュニアヘヴィーから一気にライトヘヴィーくらいに上がる。まあたとえていえば、デビュー直後のドラゴン藤波というところか、なんせ崎陽軒のシューマイ弁当は好物なのだ。またお金が無い時に食べた王将の餃子2人前と大盛ライスのうまさを分からないやつとは共に天を戴かず、つまりは不倶戴天の敵である。人民の敵である。ちょっと大げさかな。しかし、そういう感覚分かるでしょう。王様のスープだったか、童話で贅沢の限りを尽くした王様に最高の料理を作るよう言われたコックの使った最後の調味料は空腹だった、て話。要するに腹が減ればなんだっておいしいのだ。くそったれ、最近はやりのB級グルメに代表されるプチブルグルメは総殲滅じゃ。

 ちょっと興奮してしまったが、その色とりどりのおかずをみていてふと気がついたのは、ハンバーグにはトマトソースが、プレーンオムレツにはケチャップが、一心同体というのはこういうことを言うんだろうと思わせるようなたたずまいでいるのだが、おかずスペースの中央にトライアングルの形状で、その存在を誇示しているアジフライにつける調味料が見当たらない。あれ、どこだ、まさかまた入れ忘れてるんじゃないよな。しかし前回はご飯が入ってなかったから、弁当屋さんも返金という大技を見せてくれたがアジフライの調味料が入ってないからとクレーム出すのも大人げないし、まして返金てのはちょっと虫がいいか、てなことを考えていて、それでも視線は真剣に弁当箱の中を探していると、ありました。いんげんの和え物が入っているアルミホイールのおかず入れの隙間にありました。箸でその袋を取り上げると、ん、と一瞬我が目を疑うその色は白というかマヨネーズ色というか、こちらが予想したウスターソースの色ではなかった。

 「タルタルソース、か」と思わず声に出してしまったが、アジフライにタルタルソースねぇ。いや、ダメだなんて言う気は毛頭ない。ウスターソースより多分栄養もある(かな?)みたいだし、味も上品であることは認めるが、しかし。アジフライには、やっぱりウスターソースじゃないのか、いや、この際醤油の袋が入っていてもいい。許そうじゃないか、黒色液状調味料連合とでもいうか、ウスターソースと醤油、この2つがあれば人生何でもできる。しかるに、どうしてタルタルソースが。もしや不良在庫一掃キャンペーンなのか。と、疑惑がだんだん浮かんでくる。どうなんだろうな、アジフライにタルタルソースつけて食べる人が増えているんだろうか。それとも単なる間違いでタルタルが入ってしまったのか。他の人の弁当をちらり覗いたが、みんな問題なくサクサク食べている。これは他の人にはちゃんとウスターソースが入っていたと考えるべきか、やはりタルタルソースが入っていたが、この21世紀に生きる人たちはアジフライにタルタルという組み合わせに違和感を持たない、あのカツオの刺身にマヨネーズつけて食べるという食の常識を覆す人たちばかりなんだろうか(カツオにマヨってのはちょいといけますが)。

 そういうことを考えていたら、ふと学生時代のエピソードを思い出した。最近話題に出ないが、僕の学生時代に強烈なインパクトを残し、堺の風の又三郎とでも言うべきF田敏雄君の話なのだが、あるとき学食で一緒にAランチを食べていた。あ、Aランチというのはお昼の定食のランクで、上からSランチ、Aランチ、Bランチとあって金額的にも内容的にも中道現実派的なおかずで無難だったのがAランチ。そのランチには必ずキャベツの千切りが山盛りついてくるのだが、そのキャベツにウスターソースをかけていたらF田君が目をきらきらさせて、「お前、ウスターソースそんなかけるもんちゃうぞ。なんで南九州の人間はウスターソースをびしゃびしゃになるまでかけるんや。A水さんがうちに泊まりに来たとき、うちのオヤジが言うとったぞ。『なんや、あの下品なソースのかけ方は。あれでは味はわからんぞ』てな。お前も人から笑われんためにもソースは少し、軽くかけたほうがええぞ」。

 さあ、その発言を聴いたワタクシ怒りました。「あほんだらぁ。おまえらの住んどる関西と違って南九州は暑いんじゃ。暑いと汗かくやろ、汗かいたら体から塩分が少なくなる。人間水分と塩分が無くなったら死ぬんやぞ。せやから、ワシら南九州の人間はソースはだぼだぼかけるんじゃ、ボケ。ダボ」。これに対して、F田君も一歩も譲らず反論して別館1階の学生食堂で時ならぬソース論争が発生した。このテーマはその後再三にわたりBOXでも展開され、サークル員のうちの関西一派は「ソースはちょっぴりが上品やねん」という主張、片や南九州・四国連合は「ソースはたっぷり、それが贅沢、それがリッチ」という主張でお互い譲らない。結局どうなったかというと、あるときまたもやBOXでF田君とソース論争をしてたら、それを聴いていたボーリョク学生のT原さんがF田君に対して「あほ、南国の人間が塩分取りたがるのは当たり前やんけ。だいたいお前が上品とか下品とか言える柄か」と一喝して終わりというまことにあっけない顛末であった。

 それ以来、F田君は学食や中島食堂で僕がソースを豪快にかけるの見ても直接何も言わなくはなったが、未練たらしい目つきで「お前な、あ、ええわ、ええわ。お前らに物事教えてもわからへんしな」などと再度挑発するようなことを言いながらも、直接対決は避けていた。しかし、ある日僕は書店でとある本を見つけ購入した。そしてF田君が例によってシッタカブッタ顔をしてBOXでだべっているときに、その本を彼に差し出してこういった。「おい、お前。ソースをたっぷりかけるのは下品だというとったよな。だけど、この前、今一番勢いのある作家はシーナマコトだと自慢げに言うとったが、ホンマは読んだことないやろ。これシーナの最新エッセイや」。僕が彼に見せつけた本は、ご存じ『気分はだぼだぼソース』であった。

 ここまで書いてきて、無性に腹がへったので今から晩飯を食う。続きは気が向いたらまた。

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