ジ・エンド・オブ・ザ・イアー



今年最後の夕日を見ながら、川沿いを散歩している。大災難の一年がもうすぐ終わろうとしている。今年起こったことは一生忘れないだろう。大地震と大津波。そして大津波で発生したと電力会社が言い張る原発人災事故。混迷と停滞の一年が終わろうとしている。

でも、たった一日過ぎただけで全部水に流そうとする連中に気をつけて、新しい一年を始めて行こう。今年もたくさんの人達に支えられ、拙blogを続けることができました。皆様に感謝、そして新年もよろしくお願いします。
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キョコン?



大きいな、でもワタクシも負けないぞ。とある、飲み屋のトイレにて。スイマセン。お下劣ネタでした。でも、アイ・ハブ・ビッグ・・・

12.19 ZEK3ライブと誕生日の話

 早いもので、誕生日からもう1週間過ぎてしまった。あ、誤解なきように書いておきますが、何もたんじょうび、誕生日と何度も書いて読む人に刷り込みの原理で来年の12月になったら、何は無くともdrac-obの誕生日を思い出させようという魂胆ではない。多少はあるかもしれんが、ま、それはさておく。まあ今年の誕生日はちょうどその日がZEK3の宮崎でのライブの日だったので特にしっかり記録に残しておきたいと思いながらも、日々の雑用に追い回されて、あ、それでも23日から3連休あったので、その間にしっかりエントリーを書けば良かったものを、この休みの間は本もろくに読まず時間さえあれば寝ていた。休みが続くとどうしても夜更かしをしてしまうのだが、それでも最近は健全なものでだいたい24時過ぎると目がつぶれてしまう。無理に起きて、ネットを見ていても目がかすむ。目の前がちらちらしてきて、上のまぶたと下のまぶたが重なろうと、あすなろ、あすなろ、あすはなろうとしてしまうのだ。無理にそれをこじ開けようとしても無理なものは無理であって、しょうがないから布団に包まってハードカバーを2,3ページめくるともう夢の中である。

 だいたい寝る時間が、そんなくらいだから午前中も8時くらいには目が覚める。目は覚めるのだが、そこでまたうとうと、うつらうつらするのが快感で、30分いや1時間だけ寝て、それから起きて大掃除いや、その前に年賀状いやそれよりも…などと考えているうちにまた熟睡してしまい、次に目が覚めるのはもうお昼前。寝すぎて少し頭が重い、重いが腹も減るのでどうにか起きて、まずコーヒーを淹れて新聞を開いてあくびの一つもする。休みの昼飯はだいたいにおいて麺類であって、その日の気分でパスタだったりラーメンだったりうどんだったり蕎麦だったりするのだが、それらを作って、あんまりたくさん食べたらいかんのよね、腹八分目がいいんだよね、などとつぶやきながら大盛というか、まあ2人前くらい食べる。食べると眠くなるが、すぐ寝るとあちこちから非難されるので、無理して起きていてパソコンを眺めたり、枕元に積み上げてある本をパラパラめくるが真剣に読んでるわけではなく、1冊手に取ったら放り投げ、また次の1冊を手に取る。要するに集中力が無いのだ。

 その集中力がなくなる原因として、最近は非常に寒い。寒いから何とか部屋を暖めようと石油ストーブをつける。乾燥しすぎるといけないので薬缶に水を入れて天板の上に乗せる。石油ストーブのエネルギーというのは恐るべきものがあって、ものの4,5分もしないうちに薬缶が、しゅんしゅんたぎってくる。部屋がもわっと暖かくなる。室内の酸素が不足して、余計に頭がくらくらしてきて、ついには布団を敷いて寝てしまうのがだいたい夕方の4時くらい。この横になるときに必ず家族に言うのは「30分だけ寝る」という、全く根拠のないセリフであって、当然30分で起きるわけはなく目が覚めたらもう夕方の6時過ぎ。下手すると7時近く。という生活を3日もやったらバカになる。ハイ、バカになったからエントリーも書けず今書いている次第です。

 というわけで、日付を今月の19日の月曜日に戻す。ZEK3のライブが19時30分開演なので、その前に例によって居酒屋で軽く腹ごしらえしようと、毎度のY尾君と今回はライフタイムのライブに初参戦のROCKBAR 1956のマスターと、そしてこちらは昨年のZEK3のライブに参戦したS藤君と待ち合わせした。目標は18時に現地集合だったのだが、歩いて向かった僕は5分ほど遅れて店に着いた。縄のれんをくぐると店の真ん中の席にロックバーのマスターがいた。今来たばかりだと言って手酌でビールを飲んでいた。僕もすぐにおでんとビールを注文し、おなかに流し込んだ。そうしているうちに、Y尾君がやって来た。彼の職場はまだバリバリ仕事中だったらしいが、オジサンが亡くなったといって出て来たらしい。周りの人は心配して明日は休んだほうがいいんじゃないかと言ってくれたらしいが、まさかライブを見るための方便だといまさら言えず、大丈夫大丈夫といって振り切って来たらしい。

 そうして3人で飲み食いしていると、S藤君がやって来た。何度か彼ともライブを見に行ってるのだが、そしてその都度「また誘ってや。メールしてくれ」などと言うくせに、メールしても返信なし。電話しても折り返しが無い。そのことを指摘すると、どうやら彼のパソコンはいま奥方の管理のもとにあり、常にメールチェックされているようで、取引先だとか大口の仕事が入りそうなメールは本人に伝わるが、僕の誘いのような、まず経済的なメリットは無い、それどころかライブチャージに飲食代がセットになるようなお誘いは即座に迷惑メールフォルダに入れられるのではないか。そのあたりを問いただすと非常に苦しげな表情を見せて、話題をそらす。まあ当たらずと言えども遠からずというところか。

 さて、この4人だが実は高校の同級生であり、まあみんな人生いろいろでかっては武勇伝武勇伝という威勢のいい話が多かったのだが、最近は年金が破たんしそうだとか、遠近両用の眼鏡を使っているかとか、この間の健康診断で、みたいな話題が多くなってきた。夜と市並みのせいだ。いや、寄る年波か。で、本日のライブのZEK3の話を僕とY尾君でするのだが、まあロックバーのマスターは始めて見るのでしっかりネットでチェックしてきていて、それなりに受け答えするのだが、昨年一緒に見に行ったS藤君は「どんなバンドやったか?」などとはなはだ心もとない。いろいろ話しているうちに、「そういえばスカパーで見た」などとようやく思い出してきた。スカパーと言えば、僕の家では受信できないのでY尾君に頼んでDVDにしてもらい、それを僕が編集してYOU TUBEにアップしたという話をしたら、S藤君が「ホントか?お前そういう機械を使いこなせるか?文系だったお前が」などと信用しない。

 まあ、DVDのデータをそのままアップできないので変換して、編集してこうでああでと苦労話(そんなたいそうなもんじゃないが)をしていたら、もう誰も聞いていない。話は今のブルーレイだとかコピーアトワンスだとかその手の話になっていき、要するに今のデジタル化は早すぎてオジサンたちにはついて行けんという話になった。そのうちに、うちのHDDがどうのとか、この間買ったルームシアターセットはどうしたなど家電自慢が始まったが、勝負はY尾君のこの一言だった。「いいもん、オレの所にはビデオのモザイク消す機械があるから」。まあ、その後にあれは目を薄くしてみれば、そういう風に見えなくはないとか、DVDのモザイクを消すにはジャパネットタカタに注文したらいいのかとか、まあまだまだ現役である。わははは。

 18時過ぎから呑みはじめたのだが、いつもは20時から始まるライブが19時半スタートだと聞いていたので、座席の確保とチケットの確保(僕とY尾君は前売を購入していたが、あとの二人がまだだった)のためにY尾君がライフタイムに走った。ライブを見るのに一番いい席だと僕たちが思っているシルバーシート(ステージに向かって左側のテーブル、壁にもたれてライブを見れるので楽なのだ)を抑えに行ってくれたのだ。すぐに戻ってきたY尾君はチケットを2人に渡しながら、客があまりいなかったことを教えてくれた。そうはいっても天下のZEK3だ、早くいかないと心無い奴が予約席を無視してすわってるかもしれんとあたふたとライフタイムに向かったのは19時20分だった。

 階段を上がり、入り口のドアを開けるといつものテーブルに予約席と置物がしてあった。レジでチケットを渡して飲み物を注文した。カウンターの奥にくるみさんの姿があったので軽く会釈をしたが、誰かと話していたので声をかけるのは遠慮した。4人でテーブルを囲みながら、僕はZEK3を見るというのはミュージシャンと客との真剣勝負であるから心して見聞きするように、有名なリフは一瞬なので心して聴かないと曲がごっちゃになって、今演奏したのはTrampled Under FootなのかDazed & Confusedなのか分からなくなるぞ、などと脅してとにかくZEK3は気合だ、気合だ、気合だとどこかのアマチュアレスラーの父親みたいなことをほざいていた。しかし気になるのはお客さんの入りで、僕たち以外にはこの店で良く見かけた宮大の元ジャズ研の女の子とその連れ、そしてカウンターのほうに何人か。カウンターにいたのは関係者っぽかったから、もしかして純粋なお客さんは僕たちを入れて10人ちょいか?これじゃミュージシャンもやる気が出ないだろう、などということも4人で話した。

 開演時間を少し過ぎてステージにくるみさんと本田さんが上がってきた。あれ、米木さんはと見渡すが姿が無い。しかもステージの配置がドラムとピアノが向かい合うような感じで、つまりセンターの部分にほとんど隙間が無いようなセットをされていた。くるみさんがマイクを持ってMCを始めた。今日は都合で米木さんが来られなかったけど、ステージで一緒にやっているつもりで演奏するのでヨロシクみたいな話とあとは珍しくいろいろ話したのだが、良く覚えていない。演奏が始まった。ピアノとドラムだけのトリオ演奏だ。思ったほどベースのない違和感はなかった。ベースが無い分、ダイレクトにドラムのリズムとピアノのリズムがぶつかりせめぎあい、譲り合う、ことはなかったかな。とにかく疾走するZEK3(今目の前にいるのは2だけど)だった。しかし、「カシミール」の時だったか、ベースが欲しい、ベースはと目がその場にいない米木さんを探すのだが、これはどうしようもない。ただ、例によってあっという間に第1セットが終了した。

 ハーフタイムに飲み物をお替りした僕たちは、特に今回初めてのロックバーのマスターはしきりに「もったいない、これだけの演奏するんだからもっと客をいれないと」とか、S藤君が「drac-ob、お前が責任もって情宣やれ。人を集めろ」などという。そりゃもちろんごもっともな話で僕は何年か前に見てからずっとファンとして追いかけて来たし、70年代にゼップを聴いていただろうと思われる同年代の人たちに、その存在をアピールしたりしてきたが、まだまだ情宣が足りない。たとえば、バス停のところにある市の管理している掲示板。いや2ちゃんじゃない、そっちの掲示板じゃなくてポスター張ったりする本物の掲示板。あれなんか無料なんだから、しっかりポスター準備して許可とって一気に張り出せばかなりの人たちの目に触れるだろう。また市や県のホールやイベント会場などに交渉してチラシやポスターを置かせてもらうとか、電柱に、あ、これはちょっとバイヤーか、ま、とにかくプロパガンダの方法はいくらでもある。何だったら次回のZEK3のライブスケジュールが決まり次第、情宣委員会を立ち上げて実行部隊、理論武装部隊、ゲバルト、あ、これもいらないか、とにかくだ。計画的にかつ効果的にフリースペースやメディアを使った情宣をして客を集めないとモッタイナイ。こういう時に使うのだ、モッタイナイという言葉は。

 などと、独りで熱くなってしまったが、そうしている間にセカンドセットが始まった。今度はくるみさんが一人でマイクに向かって言った。「これまでソロはタマヤさんに任せていましたが、今日は私がソロをやります」。え、くるみさんのソロ。どんなんや、ソロと言ってもナポレオン・ソロではないだろう。こちらもイリヤ・クリヤキンではない。実は、この日もデジカメを持参していて、写真や動画を撮ろうかと考えていたのだが、このライブの前の居酒屋でY尾君からもらったDVD、それは10月にエアポートライブで見たジェイク・シマブクロの演奏なのだが、あれほど強烈な印象を残した彼の音楽もDVDで、正確に言うとケーブルテレビで放送したものを録画してみると全然違うものになっている。やはり音楽は生が一番で、録音したもの、録画したものというのは全く別の作品としてみるのが正しいのではないかと、これはまだ焼酎に脳が侵されていない時の彼の提示した正論であった。

 これは実際そう思うんですよね。ZEK3の演奏もスカパーで放送されたものを何度も見たけど、あのライブハウスで感じた音、雰囲気、うーん、上手く言えないが確かに違うのだ。似て非なるものなのだ。これはどんな音楽でも共通するのではないか。たとえミス・トーンがあっても多少音響が悪くてもライブには演奏する側と見る側の独特のコミュニケーションがあり、それは悲しいかなフリーズドライできない。その時の感動をいかにビデオにアルバムに録音(録画)してもどうしても違ってしまう。人はここでエリック・ドルフィーの有名なせりふを思い出すかもしれない。ほら、あの音はなんとかってやつだ。

 くるみさんのソロピアノはなんだか不思議な感じがした。ライブが終わった後S藤君がキース・ジャレットみたいだと感想を言ってたけど、確かにそういう雰囲気が一瞬したな。いろんなメロディがちりばめられる中、ふと耳に残ったのが「ハッピーバースディ―」のメロディだった。あれ、まさかね、気のせいだろうと思っていたら、ソロが終わった瞬間、Y尾君から「今、ハッピーバースディ弾いただろ」と言われ、聞き違いじゃないと思った。そして、その後のMCで僕は確信した。「Kさん(ワタクシの本名)、お誕生日おめでとうございます」。オレの誕生日を祝ってくれたのだ。こういう時はどんな反応したらいいのかわからず、思わず姿勢を正して「ありがとうございます」と答えた。

 それからタマヤさんがステージに登場して、またもや1時間圧倒的なZEKのサウンドを楽しんだ。あっという間にラストナンバーが終わった。そのころには多少お客さんも増えていたが、最初の時から10人以上増えたとは思えなかった。それでも、感動を共有した我々は万雷の拍手で以てアンコールを要求した。要求貫徹である。ステージの戻ってきたくるみさんは「これを2人でやるのも無茶ブリですが」といいながら、あの旋律を弾いた。「Stairway to Heaven」である。僕はZEK3でこの曲を演奏するのは初めて聞いた。以前のZEK3のライブレポートにも書いたが、しかしゼップはいいメロディを残している。この日演奏した「All My Love」とこの「天国への階段」は、ややセンチにすぎるきらいはあるが、やはり美しい。

 演奏が終わり、3.11で被災した東北支援のためのZEK3のTシャツを買わねばの娘で、カウンターのほうに下がったくるみさんの所に行った。途中、ライフタイムの草野さんから「今日誕生日だったの。おめでとうこれプレゼント」と焼酎庄三郎のボトルを頂いた。くるみさんの横に座っていた男性(面識なし)からは「おめでとう、ハイ」とパンを貰った。くるみさんは「誕生日だからプレゼントしてあげたいんだけど」と言ってくれたので、「いえいえ、東北支援のカンパです。喜んで払います」とワタクシ。その時にサイズの話になって、くるみさんはタマヤさんが着ていたのもMなので、Mで大丈夫と言われたのだが、最近メタボッてるワタクシ、せっかくのTシャツがぱっつんぱっつんではいかんと思い「いやLです。男はL」とデスノートみたいなことを言ってTシャツを受け取った。後で帰って確かめたらXLだった。うう、これは嫌味かそれとも親切心か。

 ライブが終わって、僕は翌日有休を取っていたのでロックバーでゼップのナンバーをガンガン聴こうかと思ったのだが、あとのメンバーがみんな帰るというのでおとなしく帰った。その後くるみさんたちは朝の4時までどんちゃん騒ぎをやらかしたらしい。悔しい。次回は必ず参戦してレポート、書けるわけないか。記憶が絶対飛んでしまうな。


さらば金狼

 気がついてみたら、ここ最近のエントリーはすべて携帯からの投稿で、きちんとしたものはずっと書いてなかった。いや、いろいろ考えることや感じたことはあってエントリーにアップしようと思うのだが、気が重いというかなんとなく死んだふりなんかしてみた(by 石川セリ)。要するに頭に来ることばかりあって、いかに温厚が服を着て歩いていると言われるワタクシではあっても、ここで声を上げるかこぶしを振り上げないといけない、このままずるずると敵権力のなすがままにしていたら、明日の自分は無いぞとバカと恥知らずは承知の上で(by ZK)、エントリー書いたらマジなレポートになってしまって、オレのblogらしくないのでは、などと自己規制が働いていたのだ。それはそれでいいじゃないと燐さんとMM21さんに応援してもらい、よし、じゃたまにはシリアスなものを書いて問題提起の1つや2つやらせてもらおうじゃないか、などとハーフシリアスなワタクシ決意しました。

 と、思ったけど、今日はとても楽しかった誕生日の話を書かねばの娘であり、それは何故かというと前回のオールひらがなのエントリーにもちょっと書いたけど、くるみさんからライブ会場で「おめでとう」コールをしてもらったこととか、プレゼントをもらったことなどがあるのだ。まあ、こういう与太話というかバカ話を例によって始めて、そのうちに怒りのエントリーをアップするつもりである。ここまで昨日書いて、そのまま保存してしまい今日はその続きを書こうと思ったのだが、予期しない訃報が飛び込んできたので急遽変更して個人の追憶をしたい。というと、映画監督森田芳光かと思われるかもしれないが、生憎彼の映画にあまり思い入れは無い。僕が、ええええ、と驚いたその訃報記事の主は、あのまだら狼、さすらいのプロレスラー上田馬之助である。彼のキャリアは長い。なんといっても日本プロレスの時代、そう力道山の時代からやってる人なのだ。

 その昔、プロレスマンガが大流行したころ、梶原一騎がカリスマだった頃、この人は悪役だった。いや、リングの上での悪役、いわゆるヒールという意味ではなく、日本プロレスが力道山亡き後、会社を私物化していく経営陣に対してレスラーたちが決起、エースの馬場と猪木を中心に会社刷新を行うか、さもなくば新団体設立だと動き始めたその情報を、腐敗した経営陣にタレこみ、馬場と猪木の信頼関係を壊し、さらには日本プロレスの解体、結果的に猪木の新日本プロレスと馬場の全日本プロレスの誕生を導いたのだ。あれ、こう書いたら、なんだ70年代以降のプロレス黄金時代を作った立役者じゃないか。いや、こういう描き方じゃなくて、要するにプロレス改革の理念に燃える馬場と猪木の訴えを、目先の金欲しさにチクった卑怯者みたいな描き方を、確か『プロレススーパースター列伝』だったか、『タイガーマスク』だったか、『ジャイアント台風(タイフーンとルビが振ってあった)』かなんかに描いてあり、まだ純真な少年だったワタクシは、上田はイカン。だいたい日本人のくせに髪を染めているのはどういうことだ。

 日本人なのに、どうしてタイガー・ジェット・シンの仲間になるのだ。何故、竹刀を持って同じ日本人レスラーを「もうしないで」と言わせるくらい殴るのか。えーと、ここダジャレです。みたいな、ね、まあ、ものの見事にプロレスのギミックにはまっていたわけだ。

 まあ、その後板坂剛の本を読んだり、村松友視のプロレス三部作(ちなみに、あれ今どこ探してもないけど廃盤じゃないや絶版なんですかね)などを読んで学習したので、梶原イデオロギーに染まることはなかったが、ただ今更ながら、言わせてほしいのは、どうせ騙すなら最後まで騙して欲しかったなどと、女々しいことをちょっと言いたくなったりする今日この頃である。

 それから、もうおおざっぱに話すけど、小林まことのマンガにも出てきたり小さな団体に出てきたりするようになってから、あまり彼の情報にも触れることが無かったが、何年か前に車の大事故にあい、普通の人なら即死状態だったはずだけどプロレスで鍛えた体と無意識に取った受け身で助かった、なんてニュースを見た記憶がある。その後は車椅子の暮らしだったらしいが、まだまだ元気でやっていると思ったが本日のニュースで彼の逝去を知ったという顛末。レスラーもどんどん亡くなっていくな。合掌。

 ということで本日は、上田馬之助さんの冥福を祈って「エピタフ(墓碑銘)」をザ・ピーナッツバージョンでお届けします。お暇な人は、ピーナッツの「対自核」も聴いてね。



うれしかったおたんじょうび



きょうは、ぼくのおたんじょうびでした。とうきょうから、ぜっくとりおがおいわいにきてくれて「てんごくへのかいだん」をえんそうしてくれました。らいふたいむのますたーはしょうちゅうをくれました。だれかがぱんをくれました。とうほくしえんのてぃーしゃつもかいました。そうそう、たんじょうびにつきもののけえきは、かえりにこんびにでかいました。いえにかえったら、みんなねていたので、ひとりでえんとりーあっぷしてねました。

とってもいいおたんじょうびでした。

図書館なう



土曜の図書館で、ソファーにもたれ読書中。元東大全共闘議長の山本義隆氏の『福島の原発事故をめぐって いくつか学び考えたこと』という薄い本だ。内容はある程度予想していたものと変わらないが、だんだん怒りが湧いてくる。しかし、こんな制御不能なものを、不完全なものを、「安全」とか「クリーン」とか言いくるめあちこちに作ったのは誰だ。もっとも、それを我が身の危機だと認識せずに見逃してきた己の無知にも腹が立つ。

ジャクソン・ブラウンがアンチ・ニュークレアの運動をしていた時に、もっと注目すべきだった。

月食だ



月食の途中を写真に撮ったら閃光みたいです。これからだんだん真っ暗になっていくのか。久しぶりにピンクフロイドでも聴くか。

あいむのっとだうん



総括、あー少し迎合し過ぎた嫌いがある。でも、ほんとーの愛を探すには時間がかかる。今は、この雪だるまのように我慢だ。

オレは負けない



これから飲み会である。この写真のような清々しい気持ちで、夜の街に繰り出すのだ。今夜も愛を探して…。

『僕の音楽物語』を読んで

 「小坂忠のバックバンドをやってみないか」、それは大学の同級生だった松任谷正隆の誘いだった。1971年大学2年の冬の事だった。こういう切り出しで長い音楽話が始まる。前回、ちょっと書いた平野肇の『僕の音楽物語(1972-2011)』の話である。作者はずいぶん謙遜して書いてはいるが、慶応で軽音楽のサークルにいたわけだし、それなりの演奏技術は持っていたんだろう。でなければ、いくら同級生だったからと言ってベースを始めたばかりの作者をいきなりプロのシンガーのバックバンドに(あの松任谷が)誘ったりはしないだろう。こうして、エイプリルフールを解散した小坂忠のバックバンドの一員として作者のミュージシャンとしてのデビューがスタートした。バンドのメンバーは松任谷正隆(ピアノ)、林立夫(ドラムス)、駒沢裕城(ペダル・スティールギター)、そして平野肇(ベース)である。このバンド、フォージョーハーフはベースが平野肇から後藤次利に代わってから次第に名前が浸透していくのだが、間違いなく初代ベーシストはこの本の作者である。



 当初、メンバーの中で一番キャリアも浅く実力も劣っていた作者であるが、これはリーダーの小坂忠を始め他のメンバーも了解済みだった。このメンバーでライブも何度かやっていたのだが、ライブアルバムを作るという話が急に持ち上がって雲行きがおかしくなる。ある日、小坂忠から緊急ミーティングに呼び出され「ライブレコーディングには、失敗が許されない。高度なテクニックが必要だ」といわれ「君の成長を待つ時間が無い」と首を宣告される。落ち込んでしまい、冬のスキー場に逃避行するのだが、そこに置いてあったジュークボックス(!!)でステッペン・ウルフを聴いているうちに、何故かドラムのイメージが焼き付いてしまいベーシストからドラマーに転身する。

大学に戻った作者に、中学・高校と同じ慶応だった同級生から、ヤマハのポプコンに参加するのでバンドに入らないかと誘われる。実は弟がドラムセットを持っており、兄弟でベース、ドラムを入れようという考えが誘った側にあったらしい。この時、弟の平野融のほうが言葉本来の意味のドラマーだった。結局、弟にベースを担当させ、本人はザ・バンドやビートルズのレコードを聴いてドラムの練習を重ね、そのバンド「びっくり箱」でポプコンにデビューするが不発に終わる。その時のポプコンのグランプリは伊藤愛子、モップス、チューインガム。井上陽水が「紙飛行機」で入選、新人歌唱賞が上田正樹。さらに松崎しげる、ブレッド&バター、リッキー&960ポンド(あの亀渕友香のいた)など、今考えると凄い人たちが参加していた。ただ、この時のバンド・サウンドに物足りず、もっとロックぽいサウンドを試行していき、新しくバンドを組み、そこから荒井由実のバックバンドの話につながるが、それはもう少し先の話。

 セミプロの音楽活動をしていた作者が初めてレコーディングに参加したのは久保田麻琴のソロ・アルバムだった。やはり、どう考えてもそれなりのテクニックは持っていたんだろうな。なんといってもあの久保田のマコちゃんのソロ・アルバムのバックをやったわけだから。



 この頃は、日本の音楽シーンも少しずつ変わり始めた時期だ。本から少し引用しよう。「…それまでのスタジオは歌謡曲がメイン。アレンジャーがいて、完璧にできあがった楽譜をミュージシャンが演奏する。ざっとテスト演奏をやり、そのあと一、二回のテイクでまとめるという形だ。予算的にも時間的にも効率がいい。ミュージシャンは初見で楽譜を読み、ミスがないことを要求された。だが僕の知っているミュージシャン(キャラメル・ママもティン・パン・アレーも)は、楽譜が得意なミュージシャンはあまりいなかった。リハーサルでもレコーディングでも五線譜をほとんど使わない。ノートのページを切ってコードを書いたものが楽譜代わり。そんなラフなコード譜を見て、みんなで演奏しながらアレンジをまとめていく……ヘッド・アレンジという形を、キャラメル・ママや仲間たちがやりはじめてだんだんポピュラーになっていった。」この後に価値観の共有こそが大事だというところまで引用したほうが良かったかもしれないが、当時の日本の音楽シーン、与えられた音楽から自ら作り出す音楽へ変わっていく様子が浮かんでくる。

 この作者もそうだが、当時のこの手の音楽(いわゆるロック)を志した連中は、海外のロック・ミュージシャンのレコードを擦り切れるほど聴いていく中でコピーを始め、だんだん自分のオリジナルに昇華させていったのではないか。この本の中でも、最初のお手本はジェームス・テイラーのバックをやっていたザ・セクションのラス・カンケルのドラムにイカレてしまい、それをお手本としてドラムを叩いていた話が出てくる。またレコーディングやバンドサウンドを作り上げるときも、「あのレコードでラス・カンケルがやってたように」とか「ザ・セクションのように」といった形容詞が盛んに出てきたようだ。またいろんなミュージシャンのコンサートにも行っている。ランダムに書くとEL&P(前座フリー)、はっぴいえんど+小坂忠グループ、キャット・スティーブンス、ナンシー・ウィルソン&フレディ・ハバード、ブレッド&バター、スリー・ドッグ・ナイト、ジェームス・テイラー(2回)、ニッティ・グリッティ・ダート・バンドなどなど。

 ヤマハのポプコンに関係した仕事(当時まだ大学生だから仕事という感覚とはちょっと違っていたかもしれない。本人も大学のサークルの延長みたいな感じだったとコメントしている)、をしていた中でちょっと意外だったのは元ザ・ダイナマイツ(あの山口富士夫のいた)の瀬川洋のレコーディングに参加し、そこからボーカル&ギターが瀬川、ギターが片野勝郎、ベースがのちにカルメン・マキ&OZに参加する川上茂幸、ドラムが作者というメンバーになりライブもギンギンにやったらしい。あの強烈なベースと一緒にやっていたせいで少し難聴になったとあるが、それも名誉の負傷というか一種の職業病だと開き直っている。

 山岡英二というシンガーのバックもやったらしい。ベースが川上でギターが乱魔堂の大野久雄、そしてドラムというクリームかフリーかというスタイルで野外でやったそうだ。もっとも場所は大型パチンコ店の駐車場で開店祝いの客寄せだった。どんな曲をやったかは覚えていないそうだが、二日目は雨にたたられ買ったばかりのドラムがびしょ濡れになった。演奏後濡れたドラムを拭いていたら、シンガーが心配して声をかけてくれた。もっともファイバー製で後でネジに油をさせば大丈夫と説明したら安心した顔をした。性格の優しい人なんだろうと思っていたら、後年大ヒットを飛ばしてメジャーになった。彼のヒット曲はいろいろあるが、「俺ら東京さ行ぐだ」や「酒よ」を歌った歌手だ。

 そしていよいよ荒井由実のバックをやることになるのだが、やはりきっかけは松任谷だった。「曇り空」や「返事はいらない」などレコーディングしたばかりのテープを聴かせてもらい、日本にもこんな歌を作って歌えるシンガーがいることに驚いたそうだ。この幹事は良く分かる。たしかに荒井由実を始めて聴いたときは、そのオリジナルさというかバタ臭さに驚いた。歌詞も歌声も、そしてバックのサウンド(キャラメル・ママだが)にもびっくりした。そのテープを聴かせてもらっているときに松任谷からバックバンドをやらないかと誘われる。オーディションを受けて、彼のバンド、パパレモンは晴れてユーミンのバックバンドになる。ここからしばらくは荒井由実のバックをやっていた時の話が続くのだが、それは端折る。当時、ユーミンはデビューアルバムを録音していた。そして、そのリリースの後、パパレモンをバックにあちこちライブを行い人気を徐々に博していく。そしてあの名作『ミスリム』をリリースするのだが、このアルバムのバックもキャラメル・ママ。その後の3枚目の『コバルトアワー』になってようやくバックバンドであるダディオー(パパレモンというバンド名から変わった。きっかけはハイ・ファイ・セットのグループ名を決めるときに細野さんが作った名前の一つを頂いたとのこと)で録音されるのだが、当時のレコード会社の社長の鶴の一声でレコーディングした曲全曲ボツ。キャラメル・ママの演奏に差し替えになった。理由はダディオーの演奏がライブっぽいからというもの。バンドとシンガーが話し合って、普段のライブをもとにして作り上げた演奏だから、そちらのほうがいいと僕も思うのだが、まあ、会社ってそんなもんだ。結局、ダディオーの演奏はシングルの「ルージュの伝言」と「何も聞かないで」の2曲のみがアルバムに収録された。



 さて、この本、全部で375ページ。70年代の日本のロックを聴いてきた人間なら、あっという間に読んでしまうと思う。それくらい面白いし、とくに演奏をする人にはもっと興味を持って読めるんじゃないかと思えるところもたくさんあるし、一番面白いのは、この作者がベーシストからドラマーになり、突然作詞家に変身し、さらにミステリー作家になりまたもやパーカッションを叩いたり弦楽器を演奏したりというその転身ぶりに目を見張るのだが、すべてなるほどと納得できるきっかけと縁がある。僕のこんなしょうもない紹介話より確実に面白いから、ぜひ手に取って読んでみてください。最後に拓郎のレコーデイングをしたときのテイクを1つだけアップしておきます。



この間(かん)日記

 師走に入り、何が忙しいわけでもないのだが、やはりどことなく慌ただしい。カレンダーが残り1枚になったり、家に出入りする新聞屋さんだとか保険屋さんから来年の新しいカレンダーをもらったりすると、もうすぐ1年が終わるという感じがしてきて、妙に焦ってしまう。だからと言って何をするわけでもなく、せいぜい日曜の午後遅くに図書館に行き、返す予定だった本をまた読みなおしているうちにうたたねしてしまい、『本日は17時で閉館です』というアナウンスを聞いてようやく我に返り、起きて家に帰るなんてことしかしていない。

 その日曜日だが、例によって遅くに起き出してジャージ姿のまま新聞を開いてぼんやり眺めていたら、どこかで見たようなお兄ちゃんの写真があって驚いた。「ヨータじゃないか」と思わず声に出してしまったのだが、何年か前にストリート音楽祭で偶然出会って以来、宮崎でのライブがあれば極力追いかけていた若手サックス奏者の宮里陽太である。先月の日記に、陽太が山下達郎の全国ツアーのバック・ミュージシャンに選ばれたという話を書いたが、地元紙もそのニュースを大きく報じてくれたのだ。この地元紙は、ずいぶん昔にはライフタイムのマスターのエッセイなんかを連載していたこともあったが、だいたいにおいて音楽関係、それもジャズとかロックに関しては冷淡、あ、ヒップホップとかその手の記事はちょくちょく見かけるから、想像するにこの手の文化部門の責任者がおそらくワタクシなんかと世代的に近くて、でも自分の好きな音楽の事を書くとジジィ扱いされるので、見栄張って若ぶってヒップホップやクラブとかいわゆる若者向けのものしか取り上げず、そのことでオノレは若いなどと勘違いしているのではないか。そんなこともないか、そりゃ被害妄想か。

新聞切抜き

 それでも、自分のひいきにしているミュージシャンが、それも地元のミュージシャンがスポットライトを浴びるのは嬉しいし、この記事にもあるように「ビッグチャンス」をものにしてさらに羽ばたいてほしい。そういえば、ちょっと前にROCK BARで偶然地元のテレビ局に勤めている高校の先輩と出会い、そのときにこの話(達郎の全国ツアー・メンバーに陽太が選ばれたこと)をして、是非御社も陽太をプッシュしていただけないか、あえて社名は出さないが御社はその昔フェニックス・ジャズ・インというオールナイトのズージャのイベントをやっていたではないか、そりゃ今はズージャじゃ客は呼べないし売り上げも上がらないから若者相手のイベントと抱き合わせでジャム・ナイトとかいうイベントをやっているが、まあ、こんなこと言うたらなんやけど、あのずり下がったズボン履いてるアンちゃんとか気合が無いからハリよう入れんで紙のシールで刺青気取ってるアホがなんぼ集まってもムーブメントなんか起こりまへんで、あんなん、単なる「ますたーべーしょん」や。だいたい見るからに頭の悪そうな兄ちゃん姉ちゃんばっかりやないですか、あんなんに迎合するからネウヨとかニートの連中に舐められるんですわ、そのあたり、地方の放送局といいながらも地域文化の大きな一翼を担ってるわけやさかい、あんじょうきばってもらわんとかなんな~。みたいなことを延々と、ああ、神をも恐れぬわが所業、長幼の序というものを体にしみこませているワタクシが、悪魔の飲み物(サケね、あ、正確にはショーチュー)を飲んだ勢いで、あ、言うたった、言うたった、社長にバシッと言うたった、心の中で言うたった、と、これは以前気に入っていたCMなんだが、えーと、話が混乱したので元に戻ります。



 そうそう、天下の国営放送も宮崎で夢を育むユーフォニウム・プレイヤーというテーマで香月さんの活動を、そりゃ時間は短かったけど土曜の午後というゴールデンタイムに流したことがある。僕は毎回新しい放送があると思い込んで、ずっとタイマー録画していたのだが結局再放送ばかりで、でもその効果があって彼女のニュー・ヨーク留学前のラストライブは大勢のお客さんが終結したと思う。もっとも、普段からそれだけのお客さんが入っていれば、シーンは少し変わっていたのかもしれないが、そのあたりはいずれまた考えてみたい。

 なんてことを考えたり、口走ったりしている間に実は2週間前に図書館で借りた平野肇の『僕の音楽物語(1972-2011)』って本が、とても面白くて、っていうか、この平野肇というミュージシャン、ご存じだろうか。恥ずかしながら僕は全く知らなかった。フォー・ジョー・ハーフの初代ベーシストでヤマハのポプコン関連であちこちでドラムを叩き、荒井由美の最初のバックバンド、パパレモンのドラムを叩き、久保田麻琴のソロアルバムに参加して、拓郎の『今はまだ人生を語らず』のレコーディングに参加して、彼らがツアーに参加しなかったのでハマショーの愛奴がツアーに同行して、っていやいや書き始めると終わらないのだ。そうそう、岡林のダウンアンドアウトの時代から美空ひばりにささげるアルバムを作るまでにもあちこちかかわっていて、ものすごいキャリアなのだ。未読の方は是非お読みください。祥伝社から税別1800円で出ています。で、この人、その後作詞家になりミステリー作家になりパーカッションプレイヤーでもあり、ギターやブーズーキもこなしている。凄く多才な人なのだが、本人いわく楽譜も読めない名もないスタジオ・ミュージシャンだと。この本の話は日を改めて書いてみようと考えています。まとまるかな、まとまらないだろうな、例によって。あ、独り言です、気に留めないでってのは拓郎の歌詞だったな。

 おっと、そうそう、12月と言えば1年の総決算、いわば総括の月であるのだが、実はもう一つ大事なイベントがある。まあ、いまさらこういうことを書くのもなんですがワタクシの誕生月なのである。しかもその日、19日の月曜であるが、なんとあの偉大なるZEK3がライフタイムに不時着するのだ。以前くるみさんからメールをいただいていて、12月に入って慌ててライフタイムのライブ・スケジュールを見たら、しっかり予定に入っていました。その後、くるみさんのホームページを見たらZEK3九州ツアーとあって、13・14日は福岡 New COMBO、15日は長崎 Paranoia、16日は柳川 ファンクール、17日は熊本 おくらし、そして19日は宮崎 LIFETIME(なんでここだけ英語かって?そのほうがカッコいいじゃん)、そして21日は鹿児島 live heavenという7連荘の怒涛のライブである。去年は宮崎と高鍋2か所で見ることが出来たけど、今年はちょっと無理かな。いや、鹿児島まで行けなくはないけど平日だし帰りの足の心配もあるし、島津領に入ると毒を盛られる危険性もあるので泣く泣く宮崎だけにしますが、ああ、いい誕生日になりそうだ。以前リクエストして却下された「アキレス・ラスト・スタンド」やってくれないかな~。ということで、このエントリーに貼る動画を探しにYOU TUBEに行ってみたら、おお、なんと大幅リニューアルされているではないか。ちょっと面食らったけど、まあぼちぼち慣れるだろう。



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