当たった



先日、エントリーしていたジェイク・シマブクロのエアポートライブの招待券をゲットした。あの脅威のウクレレを生で聴けるのが、今から楽しみである。対バンは、風味堂。あの一風堂と葡萄畑の合体バンド、ではないと思う。

で、ペアチケットなので、誰と行くか思案橋ブルースである。デーハーなナオンは、そぐわないのでジャズ喫茶に出没する謎の美少女がいいかな。諸君、戦果をお楽しみに。


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キャンプ日記のはずが、いきなり「ワタクシと北関東の出会い」続編へ

 8月の終わりに、N村君から電話があった。用件はキャンプの打ち合わせで、彼が連絡の取れないメンバーに僕から連絡をして欲しいということと、当日持参するものについてだった。連絡のつかないメンバーというのはakkunという、何度かこのキャンプの話に登場してきた、ミスターKYというか、ビフォーKYというか、早い話がまだKYなどという言葉が認知される前の時代から、すでにKYだった男と、K瀬君といって入社した年は僕と同じだが月が2か月ほど後になる、まあほとんど同期みたいな男の2人である。「オレが携帯から連絡するより、drac-obさんのパソコンからメールしてもらったほうが早いから頼みます」とのことで、お安い御用なので二つ返事で請け負った。持参品については、缶ビール1ケース(24個入り)と氷屋さんから氷を買ってきてほしいということだったので、こちらも合点承知の助で返事をした。

 さっそくakkunとK瀬君にメールを入れたが、打ち返しは無かった。ついでに同じ宮崎在住のI之上君、通称タケちゃんにもメールしたら、こちらはすぐに返事が来て、仕事の調整が出来るかどうか直前まで分からないとのことだった。akkunとK瀬君からの返事は、そのうち来るだろうと放っておいたら、何の音沙汰のないまま1週間過ぎた。しょうがないので今度は携帯からメールした。やはり二人とも返事が無い。まあK瀬君は気がついていない可能性が高いが、akkunは性格的に小まめにパソコンのチェックをしているはずなのに、とちょっと気になった。気になったが、そのうち返事が来るだろうと放っておいた。毎度毎度かまってあげると癖になるというものだ。K瀬君は多分、直接電話しないと気がつかないと思って、コールしてみたら案の定、「ああ、メールに気がつきませんでした」と、屈託のない返事をして、キャンプに参加することは鹿児島の名誉幹事(早い話、しょっちゅう幹事役を任されるというか、押し付けられる)H君に連絡をしていたという。1人参加者確保だと安心して、その日はそのまま寝た。翌日、携帯にakkunからメールが入った。今回は都合がつかなくて不参加だという。それはいいのだが、どうしてメールの返事が遅れたかのエクスキューズが一切ない。まあ、このあたりが彼らしいというか、KYたるゆえんである。

 そんなこんなしているうちに、キャンプの予定日が近づいてきたが、同時に台風15号も発生していて、週末は天気が悪そうだった。そんなとき、再度N村君から電話があり、多少の雨だったら、キャビンのウッドデッキのところにブルーシートを張って、バーベキューが出来るが、大雨の時は室内でやるしかないのでホットプレートを持っていったらどうだろうかという提案だった。異議なしだったので、僕の家からとN村君の家からと都合2台のホットプレートを持っていくことになった。結果的には、雨は降ったもののアズマヤでのバーベキューを管理人に許可してもらえたので、ホットプレートの出番はなかった。しかし、良く考えてみたら、ホットプレートを同時に2台使ったらキャビンのブレーカーが落ちた可能性がある。結果オーライだが、世間が節電だと騒いでいるこの時期に、ホットプレート2台使ってのBBQ大会(これはBBIQではありません。九電のやらせメール糾弾、佐賀県知事は本当のことを話せ、とドサクサまぎれにアピールしておく)はちとヤバかっただろうな。

 そうそう、その時のN村君から、今回のキャンプにはM木さんも参加することが決定したとも聞いた。M木さんという人は、僕がJEPの宮崎支社に配属になった時の営業主任で、見込み客探しのアポインターという仕事から、必殺セールスマンであるクローザーという仕事に就くときに寮に泊まり込みで、その知識や技術を教えてくれた人だ。さらにJEPが倒産してしまう最後の時には、九州の支社長を務めていた人である。販売を担当した商品もリ■ーのマイ・ティーチャーから、ユ■サ商事のヤルキー、最後は通信機器まで、とにかく何でも売った必殺営業マンである。宮崎の北部のベッドタウンに豪邸を建てた立志伝中の人である。その豪邸は近所の人からヤルキー御殿と呼ばれた、絢爛豪華な合掌造りの純日本建築である、などというウソを平気で書くと地獄に落ちるから注意しよう。

 さらにM木さんは、今回初めての参加なので、誰か一緒に行く人はいないか、出来ればdrac-obさんと一緒に行きたいと言っていた、とN村君が言うので、これまたお安い御用なので、直接電話して当日待ち合わせして一緒に行くことにした。そして、残念ながらタケちゃんからは今回は参加できないというメールが前日に届いた。しかし、考えてみたらM木さんとはJEP倒産後、何度か偶然に会ったことはあるが、直接電話で話すのは何十年ぶりかのことだが、ひと声交わした瞬間からかつての上司と部下の関係に戻るから面白い。僕たちのキャンプのいい加減なところは、集合時間なんてものは無くてみんな適当な時間、都合のつく時間に集まるのだが、それでも今回はN村君と僕が幹事だったので、一応午後2時には現地についていたほうがいいと考え、移動時間を計算して午前11時にM木さんと待ち合わせた。

 当日、ちょっとした買い物があったので待ち合わせ場所近くのお店で買い物をしていたら、11時5分前に携帯が鳴った。見るとM木さんからで、待ち合わせ場所に着いたがここで間違いはないかという確認であった。流石、アポイントセールスの鬼、というかバリバリ営業マンだけあって時間に正確である。もっとも、M木さん自身はいったん定年で会社を辞めて、半年ほどのんびりしていたらしいが、仕事をしていないとボケるというか、頭も体もなまるので再度嘱託みたいな形で、退職した会社に復帰したらしい。退職する前まで、営業所長をやっておられたらしいが、今は人事部所属で新人の募集・面接・研修といった人事の仕事と営業と半々にやっているらしい。てなことを、合流した後の移動の車中で聞いたのだが、そんなよもやま話をしている中で驚きの発見があったのだ。M木さんの勤務されている会社は、仮名でSニックスとしておくが、『総合環境衛生管理及び廃棄物のリサイクルを業』(by Wikipedia)としている会社で、営業がハードなこと、研修が厳しいことで有名な会社である。なにせ、某引越しセンターの社員がその会社の研修を受けにくるというくらい、いわゆるブラ、あ、その、社員教育が厳しい会社なのだ。月に何度も会議があり、本社のある福岡に昼間仕事をした後、バスや電車を使い会議に参加し終わったら夜行でトンボ返りで戻り、もちろん移動の間に仮眠できれば御の字でほとんど眠らず翌日の仕事をやって、それでも月次の目標を達成することは年に1回あればいいほうだという話などを伺った。どこかで聞いたような話だと思って、胸に手を当てて考えてみたら分かった。なんだ、JEPとおんなじ体質の会社だったんだ(笑)。

 まあ、急な転勤や突然の会議のための本社集合があるなど、「それ、JEPとクリソツですやん」などと笑いながら聞いていたら、「そうだ、drac-ob君はH田君と同期だったよね。彼、うちの会社の部長だよ」、と青天の霹靂というか爆弾発言があった。拙blogをごひいきいただいている方の中に、未完のエントリーである(いや、そういうのが沢山ありすぎて、わけがわからんぞ、という正しいご指摘はこの際置いといていただいて、苦笑)、「ワタクシと北関東(JEP)の出会い」で登場したH田君が、なんとJEPを1年で退職した後、紆余曲折を経てSニックスに入社し、彼本来のやる気と努力と人間性で経営陣の一角に食い込み、今では本社の人事担当のエライサンになっているというではないか。僕のエントリーでは、お互い新卒の立場で(えーと、彼は確か留年だか浪人だかしたが、ちゃんと卒業、こちとら2年留年して中退という、少なくともワタクシは言葉本来の意味での「新卒」ではないかもしれないが)、わけのわからないJEPという会社に入社し、気がついたら訪問販売のセールスマンをしていたという、お互い不思議な境遇であったあのH田君が、なんとそのような会社にいたとは。

 M木さんとH田君の再会もこれまた偶然の産物というか、かれこれ10数年前に本社で会議があり、それに参加したM木さんが会議に参加するために会社の階段を上っていたら、突然「M木さん!!」と声をかけられて振り向くと、そこには四半世紀以上前にJEPをやめたH田君がいた。「えええ、H田君、どうしてここに」「M木さんこそ、どうして」みたいな会話が飛び交ったのは想像に難くない。会議前の短い時間で交わした会話の中から、H田君はJEPを辞めた後、鹿児島で仕事探しをしていてSニックスに入社。持ち前のガッツと人間性で認められていき、ついには福岡に豪邸を建てて(多分、Sニックス御殿と近所の人に噂されているのではないか、というのはワタクシの僻みかもしれんが)、今ではSニックスの人材として活躍しているというのだ。

 この話はワタクシ、腰が抜けるほど驚きました。実は、以前に書いていたJEPの話は、新人研修を受けた後、それぞれの拠点(H田君は鹿児島、僕は宮崎)で仕事を始めるのだが、その年の6月くらいだったかJEPにマイコン事業部(これがユ■サ商事のヤルキーの販売部隊、てか部門)なるものが設立され、そのスタッフとして九州から関東の本社(当時は水戸だったが、マイコン事業部は筑波に支社を持っていた)に移動になったメンバーにM木さんとH田君がいたのだった。そして、僕もその翌年の1月に、社長や営業部長が聞いている前で、あまりの売り上げ不振のため、「今、自分の仕事に夢など持てない」と爆弾発言をしてしまい、翌日出社してみたら机の上に片道の航空券が置いてあり、要するに水戸本社で鍛えなおすから首を洗って行って来いという長期出張命令が出て、その時その命令が出たのは僕のほかにも確か4~5人いたのだが、そのうちの1人が「オレは水戸になんか行かん」と駄々をこねるので、「そんなこと言わずに一緒に行こうや。社長や部長が『水戸は凄い』というけど、同じ人間、そんな違うはずないだろう。それを見て辞めてからでも遅くない。そうだ、辞めるときは一緒に辞めればいいじゃないか」などと説得するために全員でそいつの実家に行って、涙ながらに説得したけど、結局そいつは当日空港に来ずにそのままJEPを辞めてしまった。もっとも数年後、本人が頭を下げて社長に頼み込み、再度入社するのだがそのときのいきさつのせいか、ずっと関東勤務で最後まで九州に戻ってこれなかったなんてエピソードがあるのだ。これ、タツローのエピソードね。ああしんど。

 で、ワタクシは83年の1月に関東に長期出張(ほとんど転勤だったのだが、その時は九州の営業社員が足りなくなるということで奇跡的に3か月で九州に帰った。その何年か後の長期出張は転勤で、水戸と下館と筑波に住んでいた)するのだが、初めて見た北関東はみんな「だっぺ、だっぺ」としゃべっていて、男の人はやたら道路で立小便するのと、女の人は妙にほっぺたが赤いのと、ちょっとお茶らけたことを言うと、「なーにいってんだ、このデレ助」といってひっぱたかれることくらいしか記憶にない。あ、もう一つ国道6号線上に九州ラーメンという大きな黄色い看板のラーメン屋があって、関東の鶏がら醤油味のラーメンばかり食べていた我が身には、天の助けとばかり飛び込んでみたら、単にスープが白いだけで全然豚骨じゃなくて、てめえ、こんなもん白だしニュウめんじゃねーか、どこが九州ラーメンなんだよ、久留米ラーメンでも熊本ラーメンでも食べて勉強し直してこいや、ボケェ、などと言ったら絶対店の出刃包丁で刺されかねないくらいのやっちゃん風マスターだったこと、くらいかな。

 まあ、そういう真実の茨城レポートはまたいずれ書くとして、とにかく真面目な話、関東の営業マンやマネージャーの話はとても面白くて、なるほどこういう販売の仕方があるのかというテクニック的なことよりも、「お前の仕事はなんだ?セールスマンだっぺ?じゃセールスマンの仕事ってなんだ?売ることだっぺ?じゃ、売れや」というシンプルな思考法が目からうろこというか、まだまだ仕事に対してカッコつけていた自分が恥ずかしいというか一皮むけた気がした3か月でした。そうそう、この3か月の間に埼玉は籠原で合宿免許に行かせてもらい、あ、半分は自己負担したんだ費用の、見事免許を取った話などがあるが、それは以前エントリーに書いた。

 ええと、それで、何の話だったかというと、僕はマイ・ティーチャー部門で水戸にいて、H田君はヤルキー部門でずっと北海道の支店にいて3月の終わりに、筑波で新会社設立のパーティ、つまりヤルキー部門がJEPから独立した新しい会社になるパーティが予定されていて、そのパーティに僕もH田君も参加することになっていたのだ。H田君とは前年の6月に別れたきりで、たまにそれぞれの支店から電話をして話をすることもあったが、直接顔を合わせて話ができるのは9か月ぶりなので、僕はその再会を楽しみにしていた。ところが、そのパーティの2,3日前に僕が現場から帰ってみたら、北海道の支店にいたH田君から電話が入っていた。何の用だろうと思って、かけなおしたが夜遅かったためにもう北海道の事務所は閉まっていて誰も出なかった。翌日の朝、もう一度電話しようと思ったが、どうせあと何日かでパーティで顔を合わせるから、いいかと思ってそのままにした。これがH田君との別れになるとは、その時は全然思いもしなかった。

 筑波の支店で行われたパーティはにぎやかなもので、寿司や蕎麦の屋台も出ているし、立食パーティだったが、好物の生ガキやローストビーフがたっぷりあったので、普段のビンボー食生活の反動で次々に貪り食った。ある程度腹が落ち着いてあたりを見渡すと、北海道から駆け付けたM木さんたちのグループがいたので声をかけた。「あれ、H田君は来てないの?」という質問に返ってきた答えは「昨日、辞めて鹿児島に帰りました」という驚くべきものだった。「なんで?どうして?」と尋ねる僕に、今この話題はまずいだろうという雰囲気があったので、パーティ終了後に話を聞くことにした。

 詳しい事情はこうだった。前年の6月にマイティーチャーの営業成績を評価されたH田君は新しいプロジェクトチーム(ヤルキーの販売)のメンバーに抜擢された。ただ、その時の本人の条件というかお願いがあって、「北海道でも関東でもどこでも行きます。ただ自分には婚約者がいて、本当は今年結婚するはずでした。長期出張するのはかまいませんが、自分は長男だし、彼女も長女なので鹿児島でそれぞれの両親を見る義務があります。だから1年間限定というか、1年たったら鹿児島に帰るという条件なら、彼女を説得します」。この婚約者がいる話は、僕は彼と一緒に研修を受けているときから知っていた。また、彼は、僕なんかと違った本当の意味の九州男児で親兄弟を大事にすること人後に落ちない。その彼が、会社の営業政策のため、もちろん彼の力を会社が必要としていたことは十分わかるのだが、そのような家庭の事情があるにも関わらず、とりあえずは異動に納得したが、それは1年で帰るという約束があったからだ。当時、鹿児島の所長をしていたのは、僕と同じ年の宮崎出身の人で、H田君のことを最も買っていて、その事情については社長に直訴してくれて社長もその条件でいいという返事ももらっていた。

 ところが、H田君は頑張りすぎた。北海道で右も左も分からない中、販売方法さえ確立されていないヤルキーを試行錯誤する中、売っていった。そして、1つのシステム販売の方法が出来上がりつつあった。この方法であれば、全国展開も可能ではないか。ついては、この販売システムにもっとも貢献のあったH田君を主任として北海道の支店に配属しよう、という方針が経営陣の会議で決まった。その会議には鹿児島の支店長も出席していて、当然反対した。H田君は1年間の約束で婚約者とその両親、また自分の両親にも話をつけて北海道に来たわけだから、なんとか鹿児島に帰してやってくださいとお願いした(これは鹿児島の支店長本人から直接聞いた)。しかし、トップの判断は「入社1年で主任に昇格して栄転の人事だから、不満に思うはずがない。そこをお前(鹿児島の支店長)がきちんと諭せ」というものだった。

 結果はどうだったか。まあ、こういう使われる人の心の分からなかった社長だったから、JEPはそれから10年後倒産するのだ。

 えーと、最後はなんだか週刊実録マル秘レポートみたいになってしまったが、そういういきさつのあったH田君の消息を知って、ワタクシ正しくクリビツテンギョウで、キャンプの話どころではなくなったわけですね、ハイ。そして車はひたすら伊佐市を向けて走るのだった。続くかどうかは、気分次第で攻めないで~。

※なお、今回のエントリーは以前の話をご存じないと分かりにくいと思い、それぞれの関連エントリーをリンクしています。お時間あればどうぞ。

キャンプ日記 その1、話はまだ始まらない

 いやー、まいった、参った。思った以上に体力が落ちているな。こりゃ、もう少し運動して体力回復というか、体力アップを図らねばの娘だ。このところ、blogを全然更新していなかったわけですが、実はこれにはふかーいわけがあって、というのも、拙blogをごひいきにしていただいている方には先刻ご承知の、あれですわ、アレ、夏冬恒例のキャンプに行ってきたわけですが、今年はなんと幹事その2だったわけで、事前準備が忙しいのなんの。もう、とてもエントリー書いてる暇なんかなかった、というのは大嘘で、単に面倒だったというか、この間無料で落とした麻雀ゲームにはまってしまって、隙あらば己の昇級に取り組んでいたというのが実情でした。

 まあ、それでも幹事役だったのは事実で、少しは事前準備とやらをやった。とはいうもののメイン幹事は、このキャンプの創始者というのか、スターターというのか、要するに社員同士のコミュニケーションの一環としてキャンプをやろうと一番最初に企画したN村君で、彼がJEPの熊本営業所の所長で活躍していた時期が無ければ、このキャンプそのものが存在しないのだから、ここで少し彼のことを説明しておく。あ、その前にこのキャンプのことを当然ご存じない方も多いわけで、先ずはその説明から始めたい。拙blogで未完シリーズである(いや、もちろんそういうのはたくさんあるからワンオブゼンと言わんといかんことは十分わかっているが、終わらないということはまだ続きがある可能性が全くないわけではないので、そういう風に考えるとあの『東大の時計台からの放送』も、もしかしたら再開される可能性がゼロではない、ことはないな。ダメなものはダメだろう、っていったい何をオレはつぶやいているのか。ついこの間のキャンプでもオレのエントリーは「無駄に長い」などと批判をされたが、ほっといてくれ、好きで長く書いている、わけではないのに、つい無駄話をしてしまうシャイなワタクシであった)、「ワタクシと北関東の出会い」で描かれた若き日のdrac-obの会社入門というか、初めての就職でのよもやま話を連続ものとして書いていたのだが、その話に登場するJEPという会社こそが、ワタクシの初めての会社であった。

モーレツな営業会社で定時などという概念は存在せず、その日の仕事がいつ終わるかというのは、グループの中の誰か一人でもその日の営業結果を納得しなければネバー・エンディング・ストーリ―、つまり終業時間は無制限デスマッチであり、月次の予算(目標というか早い話ノルマ、ね)が達成できなければ日曜休日出勤など当たり前、というか平日だって下手すりゃ午前様ってのはしょっちゅうで、仕事終わった後は寮でビールと弁当食ったと思ったら崩れるように寝て目が覚めたらまた仕事だという、まあ今で言うブラック企業であることは間違いないのだが、そういう強烈な会社で同じ釜の飯を食った仲間というのは強い連帯意識があるということを再認識させてくれるキャンプなのだ。ああしんど。

 要するに、昭和57年くらいから平成のはじめくらいまでの間に在籍した元社員たちが、年に2回集まってその時の話をして盛り上がるという世にも珍しいキャンプなのだ。もっとも、一番最初は熊本営業所の社員間のコミュニケーションのためのキャンプだったので、通算すると20年以上行っていることになる。僕が参加するようになったのは、偶然N村君と再会した3年ほど前からなので、本当はあんまり大きな顔は出来ないのだが、そこはそれ、昔は鬼の係長だったし、社歴は参加しているメンバーでは一番古株だし、また今のワタクシのものの言い方で想像がつくでしょうが、若いころはもっとめちゃくちゃで、早い話イケイケだったのでキャンプの新米ではあるが、結構でかい態度をとらせていただいているというか、ま、グループの長老格という位置づけなのだ。ただ、今回のキャンプには、なんとワタクシより社歴の長いM木さんが参加することになり、長老の座は残念ながら譲ることになったのだが、話はそのあたりから始めよう。…ていいますか、じゃ今までのはなんだったんだという声も聞こえてきますが、いわゆる導入部、プロローグというやつですね。それでは続きはまた明日お目にかかりましょう(しかし、オレこういう手ばっかり使ってるな)。

キャンプ絵日記、あるいはバクロ日記予告編

 この間の連休を利用して、恒例のJEP-OBキャンプに行ってきた。場所は毎度おなじみの伊佐市の楠本川自然公園のキャンプ場。本日は絵日記ということで、写真だけうpしておきます。お話はまた今度、みんな~(地獄に)イク時は一緒だよ~(笑)。

点火

 先ずは、晩飯の準備である。台風15号の影響で、ときどき強い雨が降るコンディションだったが、ログハウスの近くにあるアズマヤをバーベキューの場所として使う許可をもらって準備開始。今回はガスボンベに簡単につけられるバーナーを持参してきたI上君のお蔭で、点火が簡単だった。途中、結構激しい雨が降ったりしたのだが、その時のK瀬さんの名言。「いやー、今回はこのアバラヤがあって良かったですね~」。「いや、アバラヤじゃなくてアズマヤなんですが。もっともアバラヤみたいなアズマヤではあるけど」。

準備

 炭をおこして、コンロや網をセットしている間に食器や調味料、椅子などを配置する。キャンプではいろんな雑用があるので誰一人遊んでいるものはいない、はずだが…。そうそう、N村君が沖縄から買ってきたシークヮサーは中々にすぐれものであった。宮崎には平兵衛酢、大分にはカボス、そして柚子などこの手の柑橘類は実に料理に合うし、焼酎にも合うのだ。

焼きそば準備

 大量に準備した肉も野菜も貪り食って、あ、いや全部は食べてなかったか、バーベキューを始めたのは多分17時過ぎだったと思うが、1時間ほど過ぎた段階でおにぎりの大軍と焼きそばが投入されてきた。これはビールと焼酎で脳髄を犯されるオヤジたちに、せめて理性を持てという女性陣(H君とI上君とN村君の奥方3名)からの強制差し入れだったような気がする。

大騒ぎ

 この時間帯になると、夜のとばりは完全に降りてしまい、あたりは真っ暗。その中にランタンと灯光器と車のヘッドライトで照らされたアズマヤで酒宴は続くのだ。「このランタン明るいな」。「アホ、それはI上君の頭や」。「drac-obさんも、あんまり人の事はいえなんじゃないですか」、「アホ。オレは昔から額が広かっただけや。いわゆるハイブロウや、ヨーロッパ人に多いんや、こういうの、ほら、ブライアン・イーノとか、あ、初期のな、70年代半ばまでのイーノな」。

ログハウス
 
 バーベキューもサンタクロースの登場があったり、大人げないzappy君が中学生相手にむきになって投げをうったりするようになり、早い話がグダグダになってきたので、そろそろキャビンに引き上げよう、続きはまたそこで話せばいいじゃないか、ということになったが、その後大変な事件が持ち上がるのだ。このあたりは次回を待て。

ゆれる

 どんなに暗くて長い夜も必ず明ける。そして、夜の闇が暗ければ暗いほど、朝の光は眩くて鮮やかでそして人にやさしい。その優しさに誘われるまま小生は、今まで上ったことのない小道を上がってみた。上まで上がると今度は下り道であった。これが人生なんだ、山あり谷あり、登り道はいつまでも続かない、登り切れば後は下るだけ。そんな哲学的なことを考えながら、歩いていくと吊り橋があった。これも人生、行きついたら吊り橋、などと山頭火のような句を詠みながら、あたりを見渡していたらあるものが目に入った。(ここ純文学調で)

釣果

 川のほとりでH君親子と、今回初めてキャンプに参加したM木さんが釣りをしていた。見ると、子供たちは結構いい感じで釣り上げているが、魚が小さいと川に戻している。キャッチアンドリリースだ。アイシャルビーリリーストだ。オレの人生、リリースアンドリリースでドツボにはまったな、などとまたもや内省的になる。

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 釣れたのはニジマスで、ここは天然ではなくて放流しているらしい。もっともたまに天然の鮎だとか、ヤマメ?などが釣れるらしい。もっとも僕は川魚は苦手なので、全然分からない。ただ、何かの拍子で釣れたニジマスの腹を踏んだら小魚が出てきた。輪廻転生、ちがった食物連鎖というやつだろうか。こんなきれいな自然の中にもシホン主義の競争原理が貫かれているのだ(というのは、大嘘でこの写真はH君の二男が無理やり口に入れたヤラセ写真です。人間正直が一番、正直松太郎だ)。

二日酔い

 さわやかな朝の散歩と人生についての深い考察を終えて、キャビンに戻ったら二日酔いで死んでる男がいた。本人の名誉のために名前は伏せるが、やはりこの男は独りで好きにさせているとダメだ。一生、奥方の掌の上で生きていくしかないのだろう。な、zappy君(笑)。



君は「ラーフル」を知っているか?



量販店で文具を探している時に発見。宮崎かカゴンマの人間にしか通用しない幻の「ラーフル」。ちなみに携帯の予測変換にも、この単語はなかった。

あ、いかん。何を買いに来たか忘れてしまった。まるで「ラーフル」で消したように、頭の中が真っ白に…。

夕日に願いを



仕事帰りに所用があって、いつもは通らない橋の上を渡っていた。ちょうど橋の真ん中あたりに来た時に、大きな夕日が見えた。信号待ちで停車していたが、あまりの美しさに見とれてしまった。信号が変わって、帰り道を急ぐ車が動き出したが、みんな夕日に見とれているようで、のろのろ進んだと思ったらまた停車した。急いで携帯を出して写真を撮ったが、もうほとんど沈んでしまった夕日しか撮れなかった。ニール・ヤングのダメージ・ダンを口ずさみながら、僕は謎の発光物体のある家に車を走らせるのであった。

今日は私小説的に決めてみた(笑)。

怪奇おそろし話 4:44の恐怖

 「…お父さん、ごめん。起きて、お願い、起きて。誰かいる、誰か…」という声で起こされた。金曜の真夜中、正確には土曜の明け方だ。僕は夜明け前に熟睡するタイプなので、この時間に起こされると機嫌が悪い(いや、誰だって寝ているところを起こされると機嫌が悪いだろうが、僕はとりわけそうなのだ。低血圧なのだと思う。ただ、もうずいぶん前から医者から降圧剤を毎日朝晩飲むよう言われているが、起こされる時だけは誰が何と言おうと低血圧なのだ)。それでもこれまでに聞いたことのない必死な声だったので、「ううん」、とうなりながらも目を覚ました。目の前に真っ青な顔をした配偶者がいた。「…どうした、何?」とこちらはまだまだ寝ぼけた感じで声をかけたら、結婚して多分初めてではないかと思われるくらい真剣な顔で「ごめん、本当にごめん。でも誰かいるのよ、何かいるのよ」と全く要領を得ない。この人は良く寝ぼけて突然大声を上げることがあって、びっくりした僕が何事かと起こすと「河童が…」と言って絶句することが以前から何度かあった。「泥棒が…」というときもあった。要するに悪い夢を見てうなされることが結構ある人なのだ。

 今回も、そういうパターンだろうと思っていたが、どうにも様子が違う。顔色は真っ青でブルブル震えている。落ち着かせて事情を聞くと、一番最初は熟睡しているところを誰かが足を触ったらしい。うっすら目は覚めたが、気のせいだと思ってまた寝ようとしたら、今度はやや強く足を触る(膝のところを持たれて、左右に振られる感じだったらしい)ので、そういえば下の子が部活の練習で朝早く出かけると言ってたから、起きて弁当を作ってくれというデモンストレーションだと思って、起きてあたりを見渡したが誰もいない。おかしいな、と思ってまた寝ようとすると、今度ははっきり足を持たれて左右に振られる感触がした。「誰?」とつぶやいて、また起きたがあたりは真っ暗(僕の配偶者は電気を完全に消して出ないと寝られないタイプなのだ)で、そのまま様子をうかがっていたら、いきなり玄関でドスンという音がした。心臓が飛び上がるくらい驚いたが、良く耳を澄ましていると階段を上がっていく足音がした。朝刊の配達だった。いったい今何時だろうと思って、時計を見たら表示されている時間が4時44分だった。「し、し、し…」と読んだ瞬間、背中に悪寒が走り全身に鳥肌が立った。

 あまりの怖さに僕の部屋の扉を開けて様子を見たが、もちろん僕はいびきをかいて熟睡している。ここで僕を起こしたら、寝起きの悪い僕が激怒すること間違いないので、じっと我慢していた。すると僕の部屋の奥にあるパソコンのところから、うっすら明かりが洩れているのが見えた。最初はデスクトップのスイッチを切り忘れたのかと思って、見に行ったがスイッチは切ってある。それでもパソコンの背面あたりからなにやらぼんやり明かりが見えて、それが不規則に点いたり消えたりを繰り返している。それを見た瞬間、もう怖さに耐えられず僕を起こしたという。

 話を聞いていて、当然僕は、んなアホなという反応しかしない。それを見ていた配偶者は、「いや、間違いない、絶対誰かがいる」などと言い張る。頭に来た僕は「こんなクソ狭い部屋にだれがいるんだ。もし誰かいるなら家賃の一部を負担してもらう」とジョークを飛ばすが、全然聞く耳を持たない。「もしかしたら墓参りに行かなかったから…」等とも言うので、「だからオレが一緒に行こうといったのに、もう疲れるからなんていって行かなかったからバチがあたったんと違うか。だいたいオレんとこの墓参りじゃなくて、お宅のご先祖の墓参りだったのに横着するから。っていうか、あなたのご先祖様だったら何も怖いことはないだろうが」とこちらは何とかなだめよう、なだめてさっさと二度寝させてくれという心境でひたすら話して落ち着かせようとした。

 それでもパソコンが光ったなどというので、起きて電気をつけてみたが別段おかしなところはない。それにしても時計が4時44分だからなんだというのだ。4時44分でシーシーシー、と来ればこれはタイガースのヒット曲ではないか。♪お、ど、りに行こうよ、青いうーみのもとへー、Go bound!!ではないか、あ、これはシーサイドバウンドだった、シーシーシーは♪愛のピエロは~のほうだ、と説明するがニコリともしない。さらに自分は何度もこういう怖い目にあったことがあり、今まで言わなかったがそれは必ず午前4時44分に起きている。それは、その都度時計を見て確認した、などというので、「アホ、人間そんな時間に起きることがあったりするけど、それで時計を見ることもあるだろうけど、その時は4時56分だったり、3時32分だったり、5時05分だったりしているはずだ。たまたま4時44分と数字が揃っていたのと『4』が『死』を連想させるから、その場合だけ記憶に残って、毎回4時44分だと思い込んでいるのだ。脳髄のいたずらだ。胎児よ胎児よ何故踊る、母親の気持ちが分かってうれしいのか~」と最後は夢野久作のパクリだが、なんだかんだいって納得させようとした。

 しかし、配偶者、聞く耳持たず、挙句は一度部屋の電気を消して確かめてくれというので、少々腹が立ったが、こういうことは実証的に解決しないといかんと思い電気を消してパソコンのほうを見た。何も起こらない。「ほらみろ」と言ったその瞬間、パソコンの後ろでぼんやりした明かりが見えた。「あ。点いた」と思わず僕も声を上げてしまったが、ええい、こんなもの、何かの明かりが洩れただけだと思い、コンセントを抜いてしまった。それからしばらく見ていたが何も光らないので、配偶者に「見ろ、コンセントを抜いて光らないというのは、あれは電気だ。電気は電源につながっていれば何かの拍子で光ることもある。心配するな」と言ったものの、今度は僕自身の目が冴えてしまいしょうがないから新聞を取ってきて読み始めた。配偶者は何か言いたげだったが、僕の剣幕に押されてしまったか、とりあえずは自分の部屋に戻り寝ていた。それでも、まだ恐怖心が残っていたようなので、僕の部屋の扉は開けたままにして、さらに電気は点けたままにしておいた。

 時計を見ると5時半に近く、太陽はまだ見えてないが遠くに薄明かりが見えている。もう少ししたら、今日も太陽がギンギンギラギラにあたりを照らすんだろうなとぼんやりしていたら、遠くから何やらうめき声のようなものが聞こえてきた。空耳だろうと思って、聞こえないふりをしていたのだが、間違いなく、複数の男女の声が聞こえてくる。何やら強弱のある感じで、途切れず延々と聞こえる。多少ビビったものの、外が少し明るくなっていたのでベランダに出た。我が家の近くの新興宗教の教会の朝の勤行であった。ご苦労なこっちゃと思ってしばらく眺めていると、その教会の壁についている照明が突然点灯した。「わわわ」と思わず声を出してしまったが、どうやらその照明はセンサー付きで、何か感知したら点灯する仕掛けのようだった。ふと気がついた。先ほどのパソコンの背面の点灯する明かりは、あの照明の光の反射ではないのか。そうだ、そうに違いない。それでいいのだ。と、無理やり話を納得させたのであった。ああ、しょうもな。



突如、復活 ワタクシと北関東の出会い 番外編

 前回アップした日記は、実は8月31日の夜に書き終わりアップして、見たら日付が9月1日になっていた。今までだと日付を8月31日に訂正して、再度アップするのだがその日は面倒でそのままにしておいた。その日記にズトさんから、(同窓会の)二次会の話を読みたいというコメをもらったので、じゃあ続きを書こうかと思ったのだが、しばらく間が空いたし、いきなり同窓会の話もアレなので9月に入ってからの近況を軽く書いて、勢いがついたら二次会の話に乱入しようと考えた。で、こういうときに使う「アレなので」の「アレ」とはなんだろう。指示代名詞だからその単語の前に、その指示するところがあるはずなのだが、見直してみたけどそんなものはない。つまり、話がつながらない時の、ブリッジの部分というか、間投詞みたいなものではないのか。「こそあど言葉」をちゃんとつかえてこそ立派な社会人なのだが、どうにも僕はそういうのが苦手である。ちょっとググってみたらITPROに『適切な指示代名詞を使う』というコラムがあり、そこに「…話し言葉と同様、「その」「この」といった指示代名詞は、便利なので多用したり、間違えて使用してしまいがちです。これは、自分だけがわかる、独りよがりな文章になる原因です。これを避けるために、しっかり上記の2つの改善ポイントを意識しながら、書いてみましょう。」というフレーズがあった。肝に銘じたいものである。

 などと殊勝なことを書いたが、実は全然そんなこと爪の先っぽほどにも思っておらず、たまたま「アレなので」とか「それはですね」とか苦し紛れで良く使ったなということを思い出したから書いただけである。そういえば以前働いていた会社に「カタチ」という言葉が好きな営業マンがいて、まあJEP時代なのだが、その男、仮にAさんとしておくが、朝のミーティングなどで今日はどのような戦略で売り上げを勝ち取るかというテーマに対して「えー、まあそういう形で一日動いて、とにかく車を止めない。ひたすら動くと。まあそういう形でガンバレば必ず結果はついてくると考えています。そういう形で今日は一日宜しくお願いします」などという発言を良くするので、つくばの支社長だったK泉さんから「おめぇよう。おめぇのいう『そういう形』って、どんな形だっぺ?一遍見せてくんろ」みたいな突っ込みを良くされていた。このK泉さんという人は営業の神様みたいな人で外見はしょぼかったがとにかく凄かった。何が凄いかというと、とにかく売るのだ。どんな厳しい状態であっても、売り上げの必要な日には必ず結果を持ってきた。外見はあんこ型の体型で肌もつるつるして、たとえて言えばキューピーちゃんみたいというか、身長も低くて正しくキューピーみたいであった。あ、営業マンだからスーツはちゃんと着ていたけど、って当たり前だのクラッカーだっちゅうの。そしてK泉さんは決して感情を表に出さない人だった。

 まあ、この人のセールスエピソードはたくさんあって、僕が良く覚えているのは追註時期、えーと、JEPは教材の販売会社だったのだが、学年が変わる時期に次の学年の教材を販売する期間を追註期間と言っていた。だいたい10月から翌年の3月初めまでが、その期間なのだが一般的に10月というとまだ学校は2学期が始まってそれほど経たないのに、もう翌年の教材を売りに行くのだ。これは、(普通の営業マンにとっては)非常に売りにくい。しかしK泉さんは全然そんなこと気にしないのだ。さらに、この10月の時期に売りにくいのはもう一つ理由があって、最初は喜んで使っていた教材も継続していくうちにだんだんやらなくなり、そうすると親の立場としては子供が使いもしないものにお金をかけるのは無駄というか、まあ最初は子供が使う、絶対頑張るなどと言って買ってあげた教材(以前写真をアップしたリ×ーのマイ・ティーチャーや、バッテリーのユ×サが教育機器界に参入して作り上げたヤルキー等の視聴覚教育機器=しかし凄いネーミングセンスですな、子供が「やる気」になるからヤルキーやて、笑)ではあるが、そうなるとかわいさ余って憎さ百倍という心境で、そのうちにまた来年の教材を売りに、JEPのセールスマンが家に来るだろうが絶対に買わないぞという鉄の決意で待ち受けている、その周囲はすべて敵だらけという中に我らがK泉さんは単身ふらりと入っていくのだ。

 「ごめんください、ビーバースクール(マイ・ティーチャーを使っている子供たちを電話で指導していた学習部の愛称)でお世話になってるK泉ですが」「うちはいりません」「うん、わかった」「今年は買いません」「うん、わかった」「いやだから絶対買いませんから」「そうかい、ところで××ちゃんは、来年は6年生だっぺ?違うけ?」「あ、はい6年は6年ですけど」「うん、だったら算数と国語だな」「いや、だから今年は買わない、というかもうやめるんですけど」「そうかい、わかった。止めるんだね、うん、じゃ理科と社会はいんねえな(要らないな)。やっぱり算数と国語だな」「いや、その」。と、このあたりで何故かお客は自分が間違っているのじゃないかと不安になってしまうのか、発言のトーンが変わるのだ。

 「…、じゃ、さ、算数だけ、置いて行ってください」「うん、わかった。いいお母さんだね、お母さんが算数。お父さんが国語」「いえ、だから国語はしないから、本当に要らないんです(もう、このあたりは涙声である)」。ここでK泉さん、目の前の母親を完全に無視して、家の縁側に腰掛けていたおばあさんに向かって、「おーい、ばあちゃん、元気かい?なに、元気、そうかい、そりゃ良かった。ところで今年は何が取れるの?え、あ、そーかい。元気でやんなよ。来年もまた来っからよ」。というような会話(いや、会話ではないな、一方的な通達だ)で絶対売れない(買わない)と思った家庭にしっかり2教科売りつけて帰ってくるのだ。僕もこの真似をしてみたら、訪問先の母親から激怒されて「これ以上人を馬鹿にするとケーサツを呼ぶ」と言われた。どこが違ったのか。とにかくK泉さんは断られても、断られても人の話を聞かなかった。で、学習理論だとか指導要領の話だとか視聴覚機器のメリットなどもほとんど話さず、なんだかんだ押し問答してしっかり売ってくるのだった。

 このK泉さんはずっとトップセールスで、当然下に部下が出来ていき、一つの営業拠点を任されるようになり、そうそう、埼玉の与野市にあった営業所長をしていたんだっけ。そこからまたあちこちの拠点を回り、売り上げを確保し最終的にはつくば本社の支社長にまでなった。そのときはヤルキー部門の支社長だった。その当時はやった替え歌があった。ウルトラマンのメロディで歌われたのだが、歌詞はこういうものだった。

♪胸ーにつけーてるマークはJEP、自慢のトークで配布する~、学園都市からアポ取るために来-たぞ、われらーが配布マーン!!というのが1番で、いわゆるアポ取りの苦労を歌っているのだが、2番はアポ取りからセールスマンにアップグレードした歌でサビの部分が「父親相談怖くは無いぞ~、売ーるぞー、ヤルキー・クローザー」であった。そして3番のサビは「無理やり決めたらキャンセル来たぞ~、それーでもめげなーい、マネージャー」というものだった。むろん、3番の歌詞は売れない営業マンに同行して、数字をあげてくるK泉さんがモデルになっていることは間違いない。この人の同行指導も、これまた凄くて、普通は売れない営業マンにまずは話をさせて、商談が苦しくなってきたら同行者が中に入って話を引き継ぎ、何とか受注にもっていくわけだが、K泉さんはそんな悠長なことはしない。



 「こんばんは、××さんのお宅でしょうか。本日訪問のお約束をしていましたJEP進学振興会の者ですが」と最初にアポをもらったクローザーがお客様の家の玄関で挨拶すると、奥からそこの母親、または両親が出てきて、とりあえずはアポイントを入れてあるので無下に断られることはないけど、まあ多少は警戒しながら応対する。その様子を見ていてK泉さん、ボソっと「ダメだ、○○クン、この家は売れねぇ。いるだけ時間の無駄だっぺ」なんてこと言って、「ああ、どうもお母さん、私らセールスだから買わない人の家にはお邪魔しないから、悪かったね」などと言ってすたすた帰るとか、ここは行けそうだと思うと、同行した営業マンに「○○クン、ここは決めるべ、な」などと、あえてお客に聞こえるように言って、相手が「え、何を決めるんですか」などというと、「いや、ほら、お子さんの将来ですよ。悪いことは言わないから、まあ、黙って話を聞いてみな」などと言って、あとは同行した営業マンには一言もしゃべらせず、母親相手にセールストークを奮って、見事契約を持ち帰るのだ。そして、玄関先で激しく断られた家でも、なんとかかんとか売ってしまい、家を出るときに同行した営業マンに「あの、おっかあ手ごわかったぞな、でも、売れて、すこーし嬉しかった」と言いながらニヒルに笑うのだった。

 そういえば、このK泉さん、JEPが教育産業に飽き足らず、カタログやレストランなどさまざまな事業を始めた時に、通信自由化に伴うNTTの事業を担当することになった。ちょうど、その時僕も追註期間の研修のために、つくば本社に来ていた。久しぶりに出張で来たつくば本社は広くて、各フロアにいろいろな事業部が入っていて、僕は研修の一環で通信事業部の部屋に入ったらK泉さんがにこにこしながら近づいてきて、「おっ、なんだ、drac-obクン、わざわざ九州からご苦労だね、何、電話機の種類見てるの」などと声をかけてきた。「あ、どうもK泉支社長、ご苦労様です。いや、来年から九州でも通信の仕事が始まるので理論研修と工事の同行研修ですわ」などと、そつなく答える鬼の係長時代のワタクシ。そして、K泉さんは僕と一緒にサンプルを置いているコーナーを回って、いろいろ説明してくれた。そして、ある電話機の前で足を止めた。その電話機はビッグ・ボタンという名前で、高齢者や目の不自由な人たちのために押しボタンが3センチ角くらいの大きさで作られていた。その電話機をじっと見ながらK泉さんはこういった。「drac-obクン、ビッグ・ボタンって」、そこで言葉が途切れたので僕は次の言葉を待った。「ビッグ・ボタンって・・・ビッグだねぇ」。ワタクシ、腹の皮がよじれるかと思いましたが、当のK泉さんは至極真面目な顔でしみじみと「うん、ビッグ・ボタンってビッグだね、うん、ビッグだ」。

 えーと、この方のユニークさが少しは伝わったでしょうか。ちょっと書いていてもどかしいというか、このK泉さんのエピソードはもっとたくさんあるのだが、この面白さというのはやはり同じ職場で同じように営業で大変な目にあった人たちでないと共有できないのではないかという気がちょっとしてきました。

 で、なんでまた突然K泉さんのことを思い出したかというと、恒例のJEP-OBキャンプが9.17(土)、楠本川のキャンプ場に決定したという連絡が先日入ったからです。毎年、夏のキャンプは都城の関之尾キャンプ場だったのだが、今回は趣向を変えて鹿児島は伊佐市の楠本川自然公園内のキャンプ場、普段は冬のキャンプに使っているところでやろうということになり、毎回鹿児島メンバーが幹事をしているので、今回は宮崎メンバーのN村君と僕が幹事を担当することになった。それで、N村君のほうで連絡のつかない連中にメールで連絡してくれと依頼を受けて、その日に一斉配信したのだが、返事が来ない。だいたい、普段連絡のなかなかつかない連中(もっとも僕が担当したのはたったの2人だけ)だけに素直に返事は来ないだろうと思い、PCからメールを送り、その後携帯から送り、それでも返事が来ないので直接電話したら一人はすでに出席の連絡をしていた。もう一人がいつまでたっても返事が来ないけど、これは僕たちのグループで自己中でおなじみのO本クン、通称akkunという僕と同年齢で筑波大学出身の男である。彼の話は以前いくつか書いたけど、要するにわがままが服を着て歩いていると思ってもらえれば、ほぼ間違いない。それでも1週間以上たって、彼から不参加のメールが来たので、N村君に連絡して今回のキャンプ参加メンバーがほぼ決まったようだ。なんと今年は僕が入社した時に、すでに主任として活躍していたM木さんも参加するとのことで、大いに楽しみである。

 といういきさつがあって、突如、K泉さんの話を思い出した次第。さて、今後あの幻の連載シリーズ「ワタクシと北関東の出会い」は続くのだろうか。続けるにしても新人研修の話からだな、わはは。

どたばたどたばた、大急ぎで月末処理

 なんだか、毎月月末か月初に同じことを書いている気がするのだが…。早い、あまりにも早すぎる、時の経つのが早すぎる(by ZK)。いや、だって、もう1年の三分の二が終了したんですよ。後4か月でまた新しい年が来るんですよ。いったいどうなってるんだ。昔は各駅停車で月日は過ぎて行ったけど、最近は早い、早い、我がポンニチの新幹線どころか脱線上等のチャイナ新幹線並みに速い。ちなみに「早い」というのは時間が経つのが「はやい」場合に使い、「速い」は速度が「はやい」場合に使います。って、そんなことはエブリバディノウズだっちゅうの。いやはや。途中まで書いていた同窓会の話は、もう完全腰砕け。続かないよね、だってエントリーのタイトルを「お盆日記」なんてしていたんだから、完全にタイミングを逃してしまった。実は、あの同窓会の話は一次会だけではなくROCK BAR1956で行われた二次会の話までは書こうと思っていたが、どうにも気勢がそがれた。ま、思い立ったが吉日というか、ああいう話は早めにまとめてアップしないと、忘れてしまうし、だいたい他の人が読んでも全然面白くなかっただろうし。うん、止めます。

 ただ、YKZ君が高校時代に進路指導のM浦先生から「お前はアカか?」と言われた話だけは書いておきたかった。しかし、スゴイ発言だと思いませんか?仮にも進学校の進路指導の教師が、いくら出来の悪い(スマン、YKZ君、オレはウソが書けん、笑)教え子だといっても「お前はアカか?」はないだろう。いやこれは、二次会に参加した人間が多すぎて、僕はカウンターの中に入ってお皿を回していた時に、ちょうど目の前にいたYKZ君から聞いた話なのだが、そうそう、その横にはYOU TUBEに突然登場した驚かせてくれたS原君もいたっけな。あれ、なんだかんだいいながら同窓会の話になりつつあるが、いやこのネタだけ、あとは無し。

 えーと、何でそういう話題になったのかちょっと記憶がはっきりしないのだが、突然YKZ君が「オレは進路指導のM浦に『お前はアカか?』と言われたことがある」と絶叫したんだな。僕とS原は「ハァ?アカ?いつの時代の話だよ。チョーセン戦争の時代か?」などとおちょくったのだが、YKZ君によると、もともと社会科の教師だったM浦先生というのは当然というかアメリカ万歳、自由主義が世界を救う的な思想の持ち主で、かたやYKZ君は当然「アカ」ではなかったと思うが、学校では整備委員会に所属するくらい、まあ、ある意味真面目な学生だった。思想的には、多分中道現実ややヨヨギ寄りという感じかな。そういえば大学の頃は自称、ノンセクト・リベラルなどと言っていたような気がする。



 で、その元いや、当時は現整備委員長だった、あ、整備の「ビ」は美術の「美」だったかもしれんが、この際そういう細かなところは見逃してくれ。ええと、その整備委員長だったYKZ君があるとき「アメリカは白人の国で、世界の警察などといってますが、彼らもイギリスから追い出されてきた連中が、もともと住んでいたインディアンを殺しまくって作った国ですよね」みたいな、まあ、表現はいかがなものかと思わないでもないが、世界史的には至極もっともな発言をしたら、それを聞いていたM浦先生がいきなり大声で「YKZ、お前はアカか~」と雷を落としたらしいのだ。どう思いますか?この話。まあ、このM浦先生というのは、多分どこの学校にも必ず一人はいた校則厳守、管理教育がすべて、私のいうことは今は口うるさく感じるかもしれないが、君たちが大人になったら絶対感謝するはずだ、だから私は今は嫌われてもいい覚悟であえて君たちに一言言いたい(って、絶対一言で終わるわけないんだよな、この手の先生の話は)、というような先生でした。あいにくこの先生は同窓会に来てなかったので、話が続かないけど。

 さて、とりあえず8月中途半端にしていた話を片付けて、セプテンバー、そしてあなたは、セプテンバーの9月に行こう。セプテンバーと言えば、すぐ頭にブラックなんて付けるような話はしないのだ。まあ、9月からは気分一新して新しいエントリーで再スタートするぞ、と決意表明をして、そうそう、毎度おなじみZEK3のくるみさんから9月の素晴らしいイベントのお知らせメールが来ていたから、コピペしておきます。関東周辺の方々、くれぐれもヨロシクお願いします。

ZEK3、秋のライヴのお知らせ

9月7日(水)吉祥寺 Strings で
ZEK3(Led Zeppelinの曲のみ演奏するピアノトリオ!
清水くるみ(p)  米木康志(b)  本田珠也(ds) )
ですが、それを皮切りに、

ZEK3秋の中央線祭り !!!
スタンプ・ラリーで「Tシャツ」GET!
などという企画を立ててしまいました。
是非お越しを!

9月公演全3箇所制覇の方、
2011東北ツアー行程入りレアヴァージョン「ZEK Tシャツ」差し上げます。

9月7日(水)     吉祥寺 Strings   0422-28-5035
9月24日(土)     中野 Sweet Rain   03-6454-0817
9月25日(ボンゾ命日) 国立 酒場FUKUSUKE  042-574-0445

Wチャンス! 9月中にスタンプ3個集められなかった方も更に2回チャンスが!
11月迄に、3個集めたら、普通ヴァージョン「ZEK Tシャツ」差し上げます。
(期間中も¥2000で販売、収益は東北の音楽関係の方々への義援金となります)

10月10日(月)      新宿 ピットイン     03-3354-2024
11月16日(水)      西荻窪 アケタの店   03-3395-9507


 2011東北ツアー行程入りレアヴァージョン「ZEK Tシャツ」、オイラも欲しいけど花のお江戸まで行く時間もお足もないんだよ~。誰か代わりに行って買ってきてや~。

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