緊急告知 「ライヴ案内と東北支援のお願い」

 昨夜、久しぶりにくるみさんからメールが届いた。内容は今回の東北大災害の支援ライブと募金のお知らせ。悲しいかな、南国宮崎シティ在住の身で手かせ足かせに縛られているので花のお江戸に演奏聴きには行けそうもないので、関東方面の知人、友人の皆さんにはメールでお知らせしたが、なんとワタクシにはblogという小さいながらも告知できる媒体を持っておったではないかと思い、例によって発信者の許可も得ず勝手に転載する。しかし、バンマスのくるみさん、相変わらず天然というか礼儀正しいというか、ライブ告知の曜日が違っていたと訂正メールも頂いた。要するに4月7日は木曜日なのでお間違えの無いように。

私達ZEK3は、毎年、東北ツアーを行っていますが、
今年も7月に、仙台、石巻、山形、盛岡、宮古、の5箇所を
予定しておりました。
最近になって、音楽を通じての御縁ある方々の御無事だけは
やっと確認できたものの、住居、店舗等の被害は甚大です。

東北の町々で音楽の灯を守り続けていた方々に少しでも何か出来ないか、
前回から、ZEK3ライヴでは、募金を始めました。
7月には、自費で出かけ、演奏可能な場所ではチャリティライヴを行ったうえで、
お渡ししてくる計画です。
もしも御賛同頂ける方は御協力宜しくお願いいたします。
東北の音楽の灯を消さない為に!
清水くるみ

次回のZEK3ライヴは
4月7日(火)新宿ピットイン です。
http://www.pit-inn.com/

ZEK3(Led Zeppelin の楽曲のみ演奏するピアノトリオ)
piano清水 bass米木康志 drums本田珠也


以降7月までのZEK3ライヴ

5月6日(金) 関内KAMOME

6月2日(木) 西荻アケタの店

7月10日(日) 国立FUKUSUKE


 で、当然これまであえて触れないでいた東北の地震に関連した例の大人災について心ある人たちはどんなことを書いているかと思って、元D女子大の先生であった左巻先生のblogを読んでこれまた怒りがふつふつと湧いてきた。あ、ちなみに先生の名字は「サマキ」であって「ヒダリマキ」ではないので、そのあたりネウヨの諸君は注意するように。『samakitaの今日もガハハ』というそのblogの25日のエントリー「原発事故:徒然なるままに(左巻健男)」はリンク貼っておくので、是非読んでみてください。で、そこのコメント欄にあったYOU TUBEのリンク先を見てまたもや怒りがふつふつとアンジェイ・ワイダである。3回に分けてアップしてある動画なので本当は「1」から見るべきだろうが、個人的には2回目の最後にインタビュアー役の樋口健二さんの「No Mask? No Training?」という声に耳を傾けて欲しい。



 まあ、昔のように声高にわーわー言う気もないし(言う気もしないくらい消耗してしまう昨今の報道のせいもあるが)、忘れかけていたが拙blogは音楽blogだったので今は亡きイマーノ・キヨシローの予言的名曲をアップして終了したい。



 そういえば、マジでこの国にサマータイム制を導入して、今回の問題をあいまいにしようなんて策動もあるみたいなので要注意だ。

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本日の、ちょっと細かいですが



長音の使い方がビミョーな気がする。「自動ドァー」ねえ…。「ウォーシュレット」ねえ…。

まるで、どこかで戦争でも起こってるような…。というワタクシも3点リーダーが大杉栄。

真正面に夕日



随分久しぶりに一番街に出たら目の前がセッティングサンであった。さてこれから早めの市内パトロールを開始する。街の風紀は乱れてないか気掛かりだ。

イタい出費



朝、通勤中に車のハンドルがやたら左に取られる。うーん、これがいわゆる左傾化か、なるほど等と納得しているうちに駐車場に着き、バックで停めようとしたら大きく左に取られた。ウルトラサヨクやないけ、と車から降りてみたらパンクしていた。さすがワタクシである。リビングパンクである、等と喜ぶはずもなく、それでも遅刻できないのでそのままにして夕方一人寂しくジャッキを使いタイヤ交換。

で、家に帰り近くの車屋さんに来たら、タイヤのワイヤーが見えていて危険がアブナイ。四本とも替えないと事故のもとと脅され、泣く泣く交換。出費がイタい(泣)。

ワタクシと北関東(JEP)の出会い 中途乱入編

 いやー、もうあれから2週間以上経過してしまったとは、神ならぬ身のワタクシ、ちーとも気づきませんでした。例の大災害の後遺症はまだまだ続くし、注目しておかなければならないことも沢山あるのだが、ここはあえてバカ話の続きを書くことにしていわゆる「日常に回帰」したい。いいことか悪いことか分からないが、拙blogを始めた原点に「自分が読んで楽しい話を書く」というところがあって、今とても大変な思いをしている人たちの存在を忘れるということではなく、ってどうも歯切れが悪くてしょうがない。あれだけの大震災プラス大人災の現在進行形なんだから。でも、せめてここのエントリーを更新するときくらいはちょっと時間を過去に戻して、ええと、どこまで話したんだっけ。そうそう、研修の2日目の幕開けからだ。

 さて、研修の二日目はその会社独自の挨拶の仕方についての話があり、そこから話が会社の歴史に広がって行った。僕が疑問に思ったのは、会社の配置の関係というかその散らばり具合である。会社が宮崎と鹿児島にあるのは分かる。いわゆる南九州である。しかし、何故いきなり本社が水戸(82年当時)なのか。茨城と埼玉に本社と営業所があり、さらには東北・北海道へ営業所を展開するのも分かる。疑問点は何故、北関東から南九州というラインが成立するのかという点だった。答えは非常に簡単で、初代社長が宮崎は小林(えびの市だったかもしれん、まあ宮崎県西部の小さない市出身なのは間違いない)のご出身で、関東で会社を興しそれなりに利益を上げたので、故郷に錦を飾りたいというか、まあもう少しヨイショすれば関東で上げた収益を雇用問題で低迷する、沖縄本土復帰以前は日本最低所得の町というか、早い話が仕事はないわ、給料安いわ、それでも気候がいいから自然になってるバナナを食べてなんとか暮らせる(ウソだよ、ウソ。なんぼ南国と言われてもバナナは自然になっていない。自然になってるのはマンゴーやパパイヤくらいで、君たちキウイ・パパイヤ・マンゴだね、その心は甘いね、てなもんだ。というのも明らかにウソです。自然になってるのは枇杷か柿か、イチジクくらいかな)故郷に、雇用の場を作るのだというなんというんですか、愛国心じゃないか、郷土愛か、それにあふれた話でした。

 まあもうこの際なんで実名シリーズで行くかと思っていたのだが、どうやら初代社長はご健在のようなので、慌ててイニシャルにするが、S藤会長という方が作った会社が、茨城教育機器という会社だった。これは後程知るのだが、教材のメーカーであったカメラやコピーでおなじみのリ■ーが、R教育機器という販売会社を作り、それに代理店ではないのだが、まあそれに近い形で××教育機器という会社があちこちに出来た昭和40年代後半の話である。つまり、リ■ーのヒット商品であったリ■ー・マイ・ティーチャーを販売するには、そのナントカ教育機器グループに参加するのが一番手っ取り早いというか商品仕入れの仕切りやコミッションなんかも良かったようだ。で、そのS藤会長は埼玉と茨城にその教育機器という名前の付く会社を興して茨城・埼玉・栃木に小さな営業所を次々と作っていき、そのグループ会社の中核になったのが茨城教育機器、通称イバキョウという会社であった。そのイバキョウにある日30過ぎで中途入社してきたN沢という男がいた。この人は自分で売るのは大したことはなかったのだが、一種独特のカリスマ性があり若い人に慕われ、ついには大宮市の営業所の所長を任されることになった。大宮というのは、水戸や下館や小山なんかと比べるとそりゃ大きな町で、なかなか訪販の商品が売れるところではなかったが、この人が所長になったらあっという間に関東で一番売る営業所になったらしい。後年、僕もいわゆる中間管理職になり、このN沢社長からじきじきに話を聞いたこともあるが、N沢社長がいう3流セールスマンがトップセールに勝つ秘訣があるという。そりゃいったいどういうものだ、とやはり気になるので聞いてみたら、とにかく朝は厳しく接して朝礼で目一杯はっぱをかける。

 しかし、夜疲れて帰ってきた営業マンには「何故売れなかったのか」をじっくり聞いてやり、決して叱らず、自分の目標とそれを達成する方法をアドバイスしたという(いや、だから、どんなアドバイスしたのかが、当時中間管理職だったワタクシは聞きたかったが、それは教えないのだ。噂によるとこの秘訣を聞けたのはごく少数の経営陣だけだったらしい。ま、今となってはどうでもいい話なんだが)。そうそう、それとその日契約を3件取って来た人には、必ずポケットマネーで上寿司とビールの大瓶を用意して事務所でお酌しながら、その人の健闘をたたえたらしい。2件の人にはヤキソバとコーラ、1件の人にはおにぎりとウーロン茶、0の人には、「そんなもんあるかぁ、ボケェ」と、「え、やっぱし数字わるかった人は叱ったんですか」と尋ねたら「当たり前だ、信賞必罰が人を伸ばす、甘えたことを言うな」と怒られたことを思い出した。今だから声を大にして言いたい。N沢さん、あんた矛盾してるぞ!!

 とまあ、おおよその予想がつくと思うが、このように我が侭というかワンマンというか人の言うことには耳を貸さないN沢社長ですが、どうして社長になったかというとこれまた何百回も聞かされた、宮崎支店屋上の決闘という話があるのだ。

 関東で一山当てたS藤会長(話を整理するとこのときは社長でN沢さんは部長だったらしい)、その勢いでわがふるさと宮崎に九州の支社を作り、さらにその勢いで鹿児島に営業所を出店した。で、宮崎は九州の支社ということで、当時水戸本社がやっていた事業や会社の仕組みを丸ごと持ってきたらしいが如何せん、当時は30万の人口しかなかった宮崎市、さらにまだ高速道路も整備されておらず、移動に時間がかかるし県民所得が低いため、なかなか売り上げがぱっとしない。鹿児島はその点、当時すでに50万都市でまあ、貧乏県ではあるのだが所得格差が激しく、経済的に豊かな層もそれなりにあったし、また教育というものにお金を投資する必要性を宮崎よりはるかに理解する人が多かったため、それなりの売り上げをあげてはいたらしい。しかし、イケイケドンドンでやって来たS藤会長も、さすがに赤字決算を出してしまった宮崎はマズイ、何とかせねばと考えてN沢部長を投入。そこで今でいうリストラを断行し、数多いた営業社員を泣いてバショクを斬るの心情で10数人いた社員のうち営業3人と経理1人を残して整理解雇した。さらに営業の強化のためN沢部長子飼いの部下である生粋の茨城人であるM田課長を投入し、翌年はなんとかトントンに持ち直した。

 しかし、好事魔多しというべきか、今度はS藤会長が最初に立ち上げた埼玉が非常に厳しい決算を出してしまい、そこでS藤会長考えた。埼玉は水戸から目と鼻の先、いざとなったら茨城の幹部を応援に入れたりテコ入れもしやすい。かたや宮崎は今でこそなんとかなったが、これは前年のリストラのショック療法が効いているだけでもともとのど元過ぎたらすぐに熱さを忘れる体質の宮崎人の県民性を考えたら、どげんもならんだろう。ここはいっちょ宮崎・鹿児島の拠点は閉鎖して、いったん関東で力を蓄え、またいつの日か捲土重来を期せばいいのではないかとの経営判断が働いた。で、その時点では新卒も若干採用して宮崎の社員が直接・間接入れて7名、そのうえアルバイト社員を10数名雇っていたのだが、全員解雇で事業所閉鎖の宣告をするつもりで、腹心のN沢部長と一緒に宮崎の会社に来た。もっともN沢部長はそんな事とはつゆ知らず、宮崎もいろいろあったけどようやく売り上げも上がってきて、これは来期もしっかり頑張れという話をS藤社長はするのだろうと思っていた。

 宮崎の全社員を集めた会議でS藤社長は、宮崎は良く頑張ったがこれ以上関東から支援はできない。したがって大変残念だが会社は締める、つまりみんな解雇になるという話を、そりゃむろんストレートに言えば1分もかからないが、その分社員の反発も半端ではないだろうから、営業マン独特の話し方で30分ほど回りくどく話をしたらしい。最初は褒められていると思った宮崎の社員たちは、だんだん話のトーンがおかしくなっていくのに気がつき緊張の面持ちでいたそうだが、ついにS 藤社長の口から「閉鎖、全員解雇」という言葉が出た瞬間、全員大声で泣き始めたらしい。その様子を見ていたN沢部長は、S藤社長に「社長、ちょっと」と声をかけ、屋上に誘った。

 人気のない屋上で、大声で怒鳴りあう声が響いたらしい。しばらくして顔を真っ赤にしたN沢部長が降りてきて無言で事務所を出て行った。その後S藤社長はもう一度宮崎の全社員を集めて、前言を撤回。全員このままで行くので、引き続き全力で会社を盛り上げてほしいと話すと、先ほど悔し涙を流した全員が今度は歓喜の涙を流して「私は以前、営業がつらくてサボったことがありましたが、これからは絶対サボりません」とか「会社が黒字になるまで日曜日はいりません」とか「売り上げが上がるまで事務所には戻りません」などの、後で絶対悔やむに違いない誓いの言葉が飛び交い、その日大淀川に沈む夕日はいつも色ではなかったという(いや、そんなんありえへんし)。

 その日の最終便で水戸に戻ったS藤社長とN沢部長だが、別れるときに「N沢、今日は疲れただろう、明日はちょっと打ち合わせをしたいので午後1時に水戸の本社に来てくれ」という会話があり、その時間に水戸の本社に行ったN沢部長は約束したはずのS藤社長がいないのことを不思議に思って経理課長に尋ねると「社長からこれを預かってます。部長が来られたら渡してくれ、と」といって手渡されたのはN沢部長の新しい名刺で、その肩書は代表取締役社長となっていた。

 宮崎の屋上でN沢部長は「あんたは経営者だから会社を締めるとか、平気で言えるがこの会社に夢を持ってきている人たちに対してあまりにも無責任じゃないか。彼らも必死にで自分たちの将来を切り開こうとしてここに集まっているのに、どういうつもりだ!!」という言葉から始まり、延々とS藤社長を怒鳴り散らしたらしい。その話を聞きながらS藤社長は、この会社はもう自分がいなくても大丈夫だ、この男に任せていれば自分以上に会社を大切にして伸ばしてくれるだろうと判断して、社長の座を譲ったのだった。

 大変悲しい報告をしなくてはいけないのだが、まったくもって美談ではあるのだが、この時のS藤会長の判断は間違っていたことが、その後、およそ20年後に判明するのだ。いやー、久しぶりに書いたら何やら熱血会社物語みたいになってしまったが、研修はまだまだこれからである。続編を待ってちょんまげ。

クラッシュなう



久しぶりに燃えてしまった。ちくしょー、「ポリスとこそ泥」だ。追記、ケイドロではない。

神崎オンザロードなう


実家から出てきたアナログを友人の休業中のお店でフルボリュームで聴かせて貰っております。

さて、これからは70年代アンダーグラウンドの世界に浸ります。では、では。

インロータキンかインターロイキンか



「インロータキンは正常化できる!」
と、読んでしまい驚いた。

なんだ、インターロイキンか、と思ったが、





インターロイキンってなんだ!?


いつまで続くのか大惨事

 まったくひどい地震と津波のニュースが連日続いていたが、今入ったニュースでは静岡で震度6強の地震が発生した。どうなってるんだ、いったい。先週の金曜日に職場で「何だかすごい地震が発生して宮崎にも津波の危険性があるので海岸近くの道路は走らないようにってBOSSが言ってましたよ」という注意を受けて、それでも仕事の忙しさに追われて夕方家に帰ってテレビを見て映像を見て驚愕した。それからテレビのニュースと前のエントリーにも書いたがUSTREAMをずっと見て週末はそればかりだった。しかし、この惨劇の最中に商売にしようとするゲスはいるもので、こういうメールが届いた。「地震大丈夫でしたか?」というタイトルなので、いったい誰だと思い開いてみたら…。

" Subject: 地震大丈夫でしたか?
Date: Sun, 13 Mar 2011 00:31:09 +0900
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2011年2月13日 日曜日に小倉競馬場で競馬の配当金が
19,500,000円と云う超高額配当が出ました。
100円で購入した人は何と2人いて、一人は姫路の場外でもう一人は電話投票でした。
100円が1950万円になるのですから、これはとても美味しいです。

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●激熱馬券の過去の実績
うざいので以下削除


 バカではないか。テレビは地震ばかりだからレンタルしませんかという広告を出したTS■TAYA以下である。その後USTの画面を見ながら、横のコメント見ていたら、そこにもスパムやデマが飛び交っている。もちろん、しっかりした意見や考えのものもあり、今日はそれらを取り上げてdrac-ob流で味付けしようと思っていたが、気力が萎えた。適当に貼るので、どうぞご鑑賞ください。スパム系のものはアドレス消しておきます。あ、一部2ちゃんのコメントも入ってます。それとコメントの後ろのカッコ内は僕の補足です。

●南野陽子 女優として一皮剥けた濃厚濡れ場シーン!http://bit.ly/**** 0分前 • ebizouazabu(なぜ地震のニュースのコメントにこんなものを、それも何十回も)

千葉じゃ鳥インフル見つかったらしいけど・・・・・。 0分前 • _KeNGo(語弊を恐れずに言うと僕自身も今は「たかが口蹄疫」「たかが鳥フル」「たかが新燃岳、噴火は恐いが」という気分である。東北では人の生き死にの問題である。しかも天災だけではなく明らかな人災もある)_

@ebizouazabu をスパム報告しときました。なんなの、こんなときに便乗して宣伝とか 1分前 • fujiyama_ai

阪神大震災の時も報道のヘリは何も持ってきてこなかったから 30秒前 • dd0_0bb

神戸大震災の時、50ccバイクでリアカーを牽引したとのこと。有効にガソリンが使え、パンクも少ないとのことです。 30秒前 • KAMPOBUTA

原発に関するQ&Aまとめ、これは良いまとめ http://bit.ly/gIN0j6 0分前 • nakanot82

朝日新聞社のツイートによると、「自衛隊が支援物資を募集している」というチェーンメールが広がっていますが、防衛省は関知していないそうです。」 1分前 • tako86

★速報、拡散願い!●各県知事と官邸は節電に有効な自動販売機の停止を判断すべきでは?●英断を”■お願い■本日18時以降中部や九州からも送電。医療機器を使えるようになり救われます 2 分前 • costarica0012

Psychology perspective of earthquake: http://bit.ly/*****30秒前 • xR00T

今夜10時から九州電力では余剰電力を東京に送ります。皆様の節電協力をほしいとのことです。 30秒前 • mrtastyoishi(関西電力だったり、九州電力だったり、いわゆる「西」の電力は「東」に送るのに、って能書きはいらないですね、チェーンです)

When aftershocks of an earthquake are not just aftershocks of an earthquake http://bit.ly/*****0分前 • xR00T

ツイッターで拡散希望でURLがある場合アフィサイトだからなそれ。
ツイッター民はバカだからそれに気付かず善意のサイトだと思っている。(2ちゃん、だけど「目くそ、鼻くそ」ではないのか)

地震の心理学的観点 http://tinyurl.com/*****30秒前 • x101011x(翻訳?)

report @xROOT for spam plz! i have. 2 分前 • starflower1204

友人から東京電力と千葉県庁に勤務している知り合いから~っていうチェンメきた。節電と有害物質が雨と一緒に降る~って内容。あれだけガセだって言ってるのに転送してくるなんて;; 2 分前 • kulocoppe

いただきましたが起こっているの?! http://tinyurl.com/***** ( #nhkgtv live at http://ustre.am/*****)0分前 • x101011x(どういう「翻訳」なんだろう)

@mocchicc 大災害が人々の財を破壊しても、社会秩序だけは崩壊していなかった。協同で炊き出しをする人々。略奪せず並んで食品を買う人々。震災にあわれた方々は日本 が人々の共存する社会であったことを証明してくれています。( #nhkgtv live at http://ustre30秒前 • bellko1213

被災者を食い物にするクズ社長http://ameblo.jp/kozakai-hidell/entry-10829301091.html必ず謝罪してください 0分前 • masaki822

何を政府はこのことについてすればいいですか! http://tinyurl.com/***** 1分前 • x101011x(多少はましになったけど、やはり助詞の使い方がおかしい)

集まった募金は、募金活動の告知のために使われます。(2ちゃん)

51:名無しさん@涙目です。(宮崎県):2011/03/13(日) 02:38:11.26
震災支援のために衣服などの寄付をお願いします
特に防寒具や女性の下着などが現地で不足しますので喜ばれます


つって駅前にダンボール置いて1時間立ってただけでいっぱい集まってワロタwwwwwwwww
オクに流せば10kにはなるわwwwwwwwwwwwwwwwww
毛布は邪魔だから帰り道で捨てたwwwwwwwwww(2ちゃん、だけど宮崎でこんな「気を見るに敏」なやつはいないよ、明らかに創作)

62:名無しさん@涙目です。(関東):2011/03/13(日) 05:09:58.60
>>51
同じ宮崎県民だがまず宮崎を心配しろ
問題山積だぞ

これは頭がおかしい http://tinyurl.com/***** 1分前 • x101011x(おかしいのは君の頭だ)

節電の偽チェーンメールうざい! 実際送電はしているが、電力会社はチェーンメールなんて送らない。HP見ればわかる。チェーンメールでトラフィック増やす方が迷惑!!! 0分前 • tmory11

東北地方にばかり支援が行ってしまい、北茨城市は給水車は来なくて、電気は復旧しません。携帯電話も使用出来ませんし、公衆電話も少ない。陸の孤島状態になっています 30秒前 • aquapiyo

【拡散規模】節電しませんか? コンセントからプラグを抜くだけで助けられる命があります。石油資源も温存できます。 0分前 • fis12233(「希望」の間違いだろう)

どこのテレビ局もほぼ同じ内容だから,テレビ局も輪番制にしたらというのはどうかな? 30秒前 • nagatan_UCD

関西電力HPより>>なお、今のところお客さまに特別に節電をお願いするような状況にはなく、当社名で震災に関連してお客さまにチェーンメールを送ることはございませんので、ご注意ください。 0分前 • yuruyawa

NHK、産経(爆)の質問ぶった切ったwww 30秒前 • ragion

板野さんの方が信頼できる 30秒前 • roikata(枝野でしょう、多分)

TVは電力会社が最大のスポンサーの為、権力圧の基「原発の真実」は隠蔽される。 原子力資料情報室共同代表の伴英幸氏らが福島原発の状況について外国特派員で記者会見中http://ustre.am/caZP 0分前 • cozmiclive

I'm managing the company in Tokyo.(小堺秀彦社長のエントリーから、これもメイビー「翻訳」)

Psychology perspective of earthquake: http://bit.ly/*****1分前 • trouchyu(名前を変えてまた出て来た)


  それと11日の放送が始まった頃は、やたらSania Khanとかいうカナダの新民主党のオババのスパムコメントが連投され、大勢の顰蹙をかっていた。こいつはそのあとHNを変えて連投していたけど、さすがに今日はいなかった。

大惨事

宮城・茨城の大地震をUstreamで見ています。ツイッターの長所が生かされてると思うが、どさくさまぎれでデマを流している奴もいるので要注意だ。

Good bye Mr."I can fly! I can fly!"

 二郎さんの追悼の動画を貼ろうと探していたら、こんなものを見つけた。ユーヤさんとフラワーズが演奏している。後半、ユーヤさんが女性と踊るシーンがあるが、なんとモンキー・ダンスである。時代だなぁ。



 で、モンキーダンスといったらやっぱりスパイダース。踊ってるシーンはなかったが、シングルのジャケットでマチャアキとジュンがポーズ取ってる。



 おっと、二郎さんだった。ご冥福をお祈りします。



ちょいと一息、スパムっぽいのかスパムなのか

 連日、ワタクシが北関東と出会うまでのエントリーというか、まあ僕の就職物語ただしナウなヤング時代をアップしておりますが、本日はちょっと一休みして、ワタクシのフィールドワークの一つであるスパム研究から、最新のネタを提供したい。スパムメールというともうほとんどが9割近くは得ろネタで、たまに副業というかアフィリエイトというのか、楽して儲かりまっせというもの。しかしながら、昨今の就職難を反映してか、とんでもないスパムが、これは携帯のほうにだが届いたのでご紹介する。このところ睡眠不足でたまらないので早速1発目をご紹介します。タイトルは「(株)ドリーム■ービー採用担当の春日と申します。」

(株)ドリーム■ービー採用担当の春日と申します。
先ほどお電話をさし上げたのですが、ご不在のようでしたのでメールにして失礼
いたします。

先日は弊社の新規採用にご応募ありがとうございました。
慎重に選考を重ねました結果、あなたを採用することが内定いたしましたのでお
知らせいたします。
つきましては、下記のURLをご覧いただき、必要事項をご記入の上、弊社からのお
電話をお待ちください。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
http://softbank-mob.chips.jp/*****
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
ご応募誠にありがとうございました。
今後もよろしくお願い致します。

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(株)ドリーム■ービー採用担当
春日 ゆみ
saiyo-staff@****co.jp
┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛


 文面読んだら、まともな企業の採用メールではないかと思ったくらい。しかしながら、当然「ドリーム■ービー」なる会社に応募などしたこともないし、個人情報である電話番号などを教えるはずもない。この■に当てはまる言葉は何か当ててみたらすごいですね。「ム」かな。夢の映画会社だろうか。「カ」だろうか、TVドラマ『コンバット!』に出ていた名脇役カービーの会社だろうか。そんなはずはない罠。その昔、巨泉がやっていた屑番組、あ、クイズ番組と入力したつもりが恐れ多くも屑番組なんて打ってしまった。そう、「神頼み篠沢教授に1000点」とか「三択の女王 竹下景子(しかし、この番組に出始めた当初は大学生だったんだよな。綺麗だったな、いや今もお綺麗ですが)」なんてフレーズでお分かりでしょうか。馬に関係する言葉ですな。

 さてもうひとつの、これまた求人というか採用連絡を装ったスパム。こちらのタイトルはそのものズバリ「本日の求人連絡」。

◆work■AVI◆

こんにちは!明日締切になる求人情報のお知らせです。

アミューズメントエキストラスタッフ
http://Softbank*****

◆仕事内容…アミューズメントエキストラスタッフ
指示に従ってゲームをしていただくだけの簡単なお仕事です。
※主婦や学生の方にも人気のお仕事で空いた時間で勤務可能。
※長く働いていると顔見知りになったり、スタッフ同士仲良くなって仕事が楽し
くなります。
◆時間…24時間いつでも
※シフトやノルマ等はありませんので、好きな時間にお仕事できます。1日2時間
からでもOK
◆報酬…日給30000円以上
※働く時間が長ければ時給もUP♪ボーナスもあります。
※TVゲームや漫画が好きな方には楽しくやれるお仕事です。
◆待遇…交通費全額支給・食事代1000円まで支給

※今回の応募は会員の方限定で連絡させていただいておりますが新規登録者は先
着順となります。募集人員になり次第、応募を締め切らせていただきますので早
めの申し込みをお願いします。


 + + + + + + + + + +

尚、このメールに見覚えのない方は削除をお願いします。


 しかし、良くやるよなと思いながらwork■AVIで検索してみたら、同じ名前の求人サイトがあるし、ん、これはもしかしてマジかと思いリンク先に飛んでみたら、あーら御免。誤爆だった。一応得ろとかじゃなくて、ちゃんとした(?)求人サイトのようでした。しかし、全く身に覚えがないのだ。誰かオレのアドレスをばら撒いてるのかな、そういうことやりそうな奴は、あいつがいる、いやこいつもやりかねん、いーや、実は奴かもしれん、などと悲しいくらい心当たりがあるワタクシでした。しかし、何だか錯覚させてクリックさせて自分たちの思うところに誘導するというのはスパムの常套手段だと思うのだが。まともな商売やってるんだったらこういうばら撒きメールは辞めるべきではないか。特に最後のフレーズ、「尚、このメールに見覚えのない方は削除をお願いします。」は意味不明。「見覚え」なんかあるわけない。「身に覚え」ならある人もいるかもしれん。

 ここまで書いてきてはたと気がついた。これ携帯のキャリアで無差別に送ってるんじゃないのか。まあ、よけいなお世話だけど僕が今書いているエントリーの教訓、面接や仕事には気をつけないと怪しい連中が大きな口を開けて待ってることが多い。気をつけよう、暗い夜道と怪しいメール。というところで本日はおしまい。さて明日は研修の続きを書かねばの娘だ。



ワタクシと北関東(JEP)の出会い プロローグその4

 不機嫌そうなのか、機嫌がよさそうなのか良く分からない雰囲気の常務が運転する車で寮に戻ってきたのは20時前だった。僕たちを下した常務はたぶん(いや、今思えば確信していたはずだが)先輩たちの帰りは遅くなるかもしれないので、先にお風呂に入りゆっくり休むようにと言ったが、そこはそれ「長幼の序」を大事にする、九州男児が二人もいる訳だから、先輩より先に風呂に入るわけにはいかず、とりあえずガス風呂だったので水を入れて沸かして待っていた。しかし待てど暮らせど誰も帰ってこない、18時終業と聞いていたが営業会社なので残業だとか遅くなったりすることもあるが、まあ20時過ぎには誰か帰ってくるだろうと考えていた僕たちは時計が22時を回っても誰も帰ってこない寮で心細い思いをしていた。しかし電車での移動と午後からの研修、そして晩御飯の時の飲んだビールの相乗効果でいかんせん眠い。背に腹は代えられないということで、まことに恐縮ではあるが先に風呂に入らせてもらうことにした。

 交代で風呂に入り、先輩たちの帰りを待ったが、23時近くに何だか足音と話声が遠くから聞こえたくらいで街中のマンションは静かなものだった。歳も同じだと分かった僕とH田君はお互いの身の上話をして時間をつぶしていた。H田君の実家は小さいながらも煙草屋さんをやっており、彼は長男ということで東京での就職も決まっていたが親の面倒を見るために内定していた会社を蹴って、地元に戻りこの会社の面接を受けた。花のお江戸の生活を止めて、「へ」の降るカゴンマ(川内市の名誉のために付け加えると、川内は熊本寄りの方向で灰は降らない)に帰ってきた理由は、なんとH田君には婚約者がいて、その彼女は短大を出てストレートで就職をしており彼の帰りをずっと待っていたがもう待ちきれない、あなた都会の絵の具に染まっているのなら涙拭く木綿のハンカチーフください、みたいな修羅場があったかどうかはしらないが、お互いの親も公認するので今年中に鹿児島で就職を決めて結婚という話でまとまっていたからだという。

 さらに、彼の話は続いてついこの間彼の両親が経営している煙草屋になにやらスリーピースを着込んだ標準語をしゃべる連中が来てジュースの契約と言って自動販売機を設置していったらしい。ご両親はその言葉を信じて自販機は無料リースでジュースだけ買い取りの販売の契約だと思っていたが、H田君が契約書をよく読むと自動販売機の購入契約であり、つまりは機械代もジュース代も全額負担で、何かトラブルがあっても後は知らぬ顔の反米愛国、違った半兵衛という売り方だった。これに激怒したH田君はそのスリーピースの上役を呼びつけ、「これは自動販売機の契約じゃないか、話が違う、白紙に戻せ」みたいなことを言って、もちろんすんなりは行かなかったが市の消費者センターなどを巻き込んで自動販売機の業者とドンパチやらかし、無事クーリングオフ(その時はそんな単語全く知らなかったが、その数日後には詳しい意味を教わり、その後10数年間耳にする言葉になるとは神ならぬ身のdrac-ob青年は夢にも思わなかった、なんてな表現はもう古いのかね)を成立させた。その話を聞いて「いやー、良かったね。最近はたちの悪い訪問販売が多いから気をつけないとね」などという呑気な発言をしたのはワタクシでした。まさか、その訪問販売の仕事に自分が就くとはこの瞬間も分かっていませんでした。若者よ、面接のときはしっかり話を聞かんとあかんぞ~。

 結局午前零時過ぎまで待ったが誰も帰ってこず、もうあかん、もう辛抱堪らん、もう寝ると僕たちは夢の中へ、夢の中へと行ってしまった。明日以降の研修と実際の仕事に一抹の不安を覚えながら。

 翌朝、眠い目をこすり起き上がるとH田君はすでに起きていて洗面も済ませていた。大きな体を丸めて小さくなっていたので、「おはよう、どうした元気がないね」と声をかけると「シーッ」と指を口の真ん中にあてさらに後ろの襖を差して「先輩たちがまだ寝ているみたいだ」という。確かに耳を澄ますとかすかに寝息らしきものが聞こえる。大急ぎで服を着替えて布団をたたみ静かにドアを開けて会社に向かった。すでに昨日会った事務の女性が来ていたので挨拶をして掃除に取り掛かった。実は前日の研修の中で常務が「君たちは今は何にも出来ない、出来なくて当たり前だが、その君たちでも出来る、先輩を出し抜けることが一つある。それはなんだと思うか」と尋ねられ、そういうことは一番嫌いというか大の苦手なのに、僕はいちびって「朝一番で出社することです」と入社前にもらったビジネス本のどこかに書いてあった模範解答を答えてしまったのだ。当然、満面の笑みをたたえた常務が頷き「そう、その通り。わが社は9時から業務が始まるけど9時にくる社員は一人もいない。みんな自主的に8時半には出社して掃除をしています。君たちは新入社員だからそれより早く、そうだな7時半はちょっとあれだから(すまん、余談だがどうしてこう人は話に詰まったら「あれ」だからとか、「その」「この」「ナニが」みたいな間投詞を入れてしまうんだろう、どーも良く分からん)、7時45分には出社して床のモップ掛けしたり机を拭いたり灰皿を洗ったり、そうそうこのゴムの木は本社から根分けした大事なゴムの木だから水やりに十分気をつけるように」みたいなことを言われたのだ。

 朝一番に女子社員(彼女は流しで洗い物をしていたが)と僕たち2人で掃除をしていたのだが、カセットから音楽が流れているのに気がついた。耳を澄ませると山下達郎のベストである。大好きな「windy lady」がかかっていた。ちょっと気分がよくなり家や下宿では絶対しなかった掃除をやった。床や窓の掃除が終わり、机の上を掃除し始めたら突然「おはようございます」と、およそ普通の人の声の大きさを3とした場合まず間違いなく10、いや下手すると12.6くらいのボリュームで叫ぶ声が聞こえた。振り向くと7:3で髪をピシッと分け、ネクタイもきりりと勇ましいいかにもタコにもセールスマンという格好をした、どう見ても30は超えている男がいた。やや気後れしながら「おはようございます」というと「声が小さいよ、はい、もっと大きな声でおはよう~」と先ほどの声を12.6としたら18.8くらいのボリュームでその男の人は叫び、僕の背中をバンバン叩いた。「君が××くん?うーん、眼鏡がいいねぇ、お、君はH田君、いかにも薩摩隼人という顔をしてるね、私はここの支店預かっている(しまった、この人もイニシャルにするとH田になるので、便宜上HM田と書くことにする。釣りバカと同じ苗字、いや、そのあわわ)HM田です。これから一緒にがんばろう」と言って握手を求めるのだが、思い切り握りしめるもんだから痛くてしょうがない。とにかくあっけにとられていたらそれから次々と先輩社員が入ってきて「おはよう」「おはようございます」とか叫ぶのだが「あざいます」とか「おあござぃっあす」としか聞き取れない。僕はこの時まで挨拶というのはお互いに分かるくらいの大きさ早さで取り交わすメッセージだと思い込んでいたが、どうもシホン主義社会では大きな声で叫んだ方が勝ちという思想が蔓延しているようだと思った。



 そうこうしているうちに研修を担当している常務もやってきて、いわゆる朝礼というものが始まった。しかし、朝礼なんてものを真面目にやってたのはせいぜい小学校の高学年くらいのもので、中・高校生になったらもうだらけた感じで後ろでへらへらしていたし、大学では朝礼ナンセンスみたいなというか大学で朝礼やるところあるのかね、いわゆる社会人の朝礼とはどんなものか拝見というところだったが、朝礼の流れがあるため僕とH田君は椅子に座って見ているように言われた。横一列に並んだ社員は全員で窓ガラスに向かって「おはようございます」」と叫んで一礼。「只今より2月22日朝礼を行います。昨日の結果、第一係ダブル、クローザーHM田所長、アポインターH口君、第2係1本、クローザーO山主任、アポクロK羽田さん、それではアポインターのH口君お願いします」みたいなことを言って、その後それぞれの営業マンが昨日の契約の苦労話などをして本日も頑張るぞみたいなことを叫んだ。ようやく終わったかと思うと「一同唱和、新来、新しい時代に新しい人たちによる新しい企業づくりを目指そう」とひとりが叫び、全員がそれを唱和するという凄い勢いの朝礼が終わった。これからこの人たちの仲間入りするのかと思うと胃から酸っぱいものがこみ上げると同時に、やや怒りみたいなものもこみ上げてきた。この人たちは何を言ってるのだ、何に怒っているのだ、あるいは何に酔っているのだ、さっぱりわからない。Beyond My Comprehensionという単語が頭の中をぐるぐる回っていた。だまされたんちゃうか、という言葉も脳裏をかすめ始めた。

 「…×くん、××君、君の番だよ」と誰かに催促されたような気がした。一瞬頭が飛んでいたようで、ふと気がつくと今度はミーティングという名前の朝のセレモニーが始まっていた。『昨日から研修に入っている二人がいる』という話を朝礼の時に常務がしたのだが、この支店の所長(九州の支社長でもある)であるHM田さんが、僕たち二人にもミーティングに参加させたらどうでしょうと常務に言って、常務も快くOKを出し、おかげで僕は好奇心満点の視線の前で自己紹介をさせられているのだ。リアル社会で僕を知ってる人はいかに僕が人見知りして知らない人の前では借りてきた猫のようにすることは絶対ないことをご存じだろう。僕は追いつめられると開き直るところがあり、朝の掃除と朝礼を見ただけでこれはとてもじゃないが場違いなところに来たと思いながらも、これもシホン主義の勉強、こういう人たちはどういうことを言うと喜ぶだろうかということを素早く考え、そうだ花の応援団スタイルだと思い。バンカラを気取り「おはようざいああああす、私は宮崎から来ました、××です。まだ何も分かりませんが先輩たちの邪魔にならないよう一生懸命頑張りますので宜しくおねがいしぁあああす」と叫んだ。驚いたことに、こんなつまらない発言でも拍手をしてくれた。後で考えてみると、まあ相手はド新人だし、精一杯大声出してるというところだけを認めてくれたんだろうか。H田君も、まあ、彼はもともと体育会系だったので、この手のノリは得意なようでしっかり挨拶をして拍手をもらっていた。

 それから少しして先輩社員たちは何やら合成皮革のズタ袋(それにデモンストレーション用の教材が入っていた)みたいなものと黒い表紙のビニールブック(アプローチ・ブックという説明用資料)みたいなものをそれぞれ持って「行って来ます」と叫びながら出て行った。やや気後れてしていたら横に立っていた常務から「ほら、大きな声で『行ってらっしゃい』と先輩たちをお見送りしないか」と言われ、慌てて「いってらっしゃい」「いってらっしゃい」と喚きつづけた。鉄製のドアがバタンと締まると一瞬のしじまが訪れた。「よし、じゃあ今日の研修は挨拶について、特にわが社の挨拶の仕方について話を始めよう」。と、ようやく静かになったんだからお茶の一杯でも飲ませてゆっくりしたいと思う間もなく二日目の研修がスタートした。この日に聞いた話はもうクリビツテンギョウどころではない、それまで常識、当たり前と思っていたことが次から次にひっくり返され、精神の均衡を保つため僕は必至で意見を言ったが、当然完全に否定というかスルーされるばかりだった。

 「挨拶は何のためにするか、H田君」、早速研修が始まった。ちょっと答えるのに戸惑っていると、「じゃあ、挨拶をしないと人間関係はどうなるだろうか」と質問の角度を変えてきた。まあ正解はいろいろだが、挨拶は人間関係の基本であるという話であった。それは納得できるし、別段異論反論オブジェクションはまだ放送されてなかったが、常務の話はだんだん妙な方向に行き始めた。「で、社長は考えたんだ。どうも最近社員の気持ちがひとつにまとまっていないように感じる。表面的にはいいのだが、心の底から固まっていない感じがすると思ったんだな。そして、これがうちの社長の素晴らしいところだけど、何か気になることがあると一日中そればかり考えるんだ。で、或る時テレビをも見ていてひらめいた。花登筺の原作ドラマで猛やんが出る、ほら」と番組名が出て来ないらしくこちらに振るもんだから、僕はつい「どてらい男(やつ)、西郷輝彦主演のドラマでした」などと答えてしまい、それを聞いて思い出したのか一気に「そうそう、猛やんの話。猛やんがやっぱりお店がなかなかひとつにまとまらない、どうしようと考えていてひらめいた。そうや、店が家と同じになればいいんや、家を出るときは『行って来ます』帰れば『只今』そうや、この挨拶を店でもやれば皆の気持ちがひとつになる、間違いない」と、あたかも西郷輝彦が乗り移ったような話をして、こちらがあっけにとられていると、「ごほん、うん、うちの社長はそれを見ていて、その挨拶を自分の会社でも実行させて、それでみんなの気持ちがまとまった、まとまるようになったんだ。それ以来わが社では会社を出るときは「行って来ます」、入ってくるときは「只今」というようにしている」。

 あまりのアホ臭さに頭が少し痛くなった僕は手を挙げて「すいません、ちょっとトイレに行ってもいいですか」と尋ね、承諾をもらったので出口の前に行き「行って来ます」と大声で言ったら「あ、トイレの時はいいから」などと言われてしまった。いや、当たり前だろうと思ったが、もしかしたらトイレに行く時もかなと思ったのも事実でした。まあ、このエピソードで大体どんな研修だったか想像がつくでしょう。しかし、かなりな衝撃だったので良く覚えているな。でもなんだかんだ批判しながらも、結構こういうエキスというのは染み込んでくるもので後年パートやアルバイトを研修するときに、ここで学んだことをソフィスティケイトして使ったりしたな、反省反省。まあ、いいものはいいし悪いものは悪いってことだな。

 それともう一つ。トンデモな研修内容を披露したい。会社には休まず毎日行こうという、まあある意味当たり前ではあるがなかなか継続が難しい勤怠管理についての話。いきなり常務が黒板に「病気」と「病体」と書いて、この違いを説明しろと言い出した。僕とH田君はあれこれ答えたが常務の顔を見ると、納得していない。何かもっと言いたそうだ。ある程度なんだかんだ言ったが満足しなかったのか、僕たちの発言を遮り、「いいかい、人間の体には病気というものはない」と、こりゃこれまでの医学理論を覆す、まるでルイセンコみたいなことを言い出した。当然僕たちは目が点になっている。「昔から病は気からというだろう。つまり病気というのは気が病んでいることを言うんだ」ととらえようによっては、若干ベサツではないかと思われるようなことを平然と言う。「いや、誤解しないように(誤解するに決まってるちゅうの)、人間だから体が病に陥ることはある。風邪をひいたり、おなかを壊すことだってあるだろう。ただ、それは『病体』、体が病んでるだけだから休めば治る。しかし、わが社の人間は休まない。たかが風邪位で1日休むような社員はいない、いやいらない」。ありがたい、当時オイラは結構風邪をひく、どちらかというと「体弱いねん」(by 昔の笑えた紳助)タイプだったので、そうかオレはいらないか、ほなさいなら~と思ったが、安易に口に出すわけにはいかず、しかしながらなんというむちゃくちゃを言う人(会社)だと思った。まあ、さすがにこのままではまずいと思ったのか、さらに補足説明した。「まず、病に陥らないように自己管理をしっかりすること。お酒は飲みすぎない、日曜だからといって遅くまで遊び歩かない、遊ぶときは会社の先輩と一緒に、学生時代の友達は付き合いを考えるように。君たちが入った会社はそんじょそこらの会社ではない。そういうプライドを持って働いてほしい。多少熱があっても朝は出社して、どうしてもきついときはそれから病院に行くことだって出来る。医者にはちゃんといかないとさらに悪くしたら元も子の無いからね」

 いやー、しかし、まあ、こんなもんですかねぇ。会社ってのは。当時の僕は比較する物差しが尋常なものではなかったので、シホン主義の会社というのはこういうものだと思っていたけど、いや、無茶だ。しかしまだ2日目の研修は始まったばかり、さあこの後はどうしようか、さらにこのままいくか、ちょっと考えてみる。というところで今日はここまで。こんなエントリーを1日に3回もアップできるか、アホンダラぁ~。



ワタクシと北関東(JEP)の出会い プロローグその3

 「誰にも言うな、というのはどういう意味でしょうか」、あまりにも唐突な言葉だったので思わず聞き返したら、彼はにっこり笑って「いや、実は僕、あの会社を辞めた人間なんです」とますます混乱するようなことを言い始めた。なんと答えていいか分からず、黙って助手席に座ったまま前を見ていたらその雰囲気を察したのか、「宮崎から来たんですか、今までは何をしていたんですか」と尋ねてきた。どこまで話していいのか良く分からなかったので、適当に「ええ、これまではいろいろアルバイトしていました」と答えると、彼は大きく頷きながら「なるほど、この会社が初めての就職ですか。うん、いい会社ですよ、実にいい会社です」と自分自身の言葉をかみしめながら言った。しかし、である。僕はココロの中で「そんな。適当言うたらあかんやんけ、あんた、辞めたんやろ、ちゅうことは何らかの不平不満があったんちがうけ、それを『いい会社だ』なんて、なんぼなんでもなめとるんと違う。こんなん見えてもなカカアや子供に不自由させてヘンのんじゃ、ハハハハ、お前らといっしょにすな、このタニシ」と、最後のほうはINUの「おっさんとおばはん」の中のせりふだが、正直この迎えに来てくれた「よかにせ」(かごんま弁で僕のような人のことをいう)は信用ならんぞ、と身構えた。

 その感じが伝わったのか運転していた彼は話題を変えて「しかし、今日は大変でしたね。駅で心細かったでしょう。この会社は本当にいい会社だけど、ときどきこういうポカをやるんですよ。まあ、それがご愛嬌ですけど」などとエクスキューズのつもりなのかやたら愛想よく話しかけてきた。僕は生返事をしていた。突然大きな陸橋が見えてきてその手前の細い道を曲がるとビルの駐車場に着いた。「さあ、ここです。ここの4階です。荷物持ちますよ」と彼は言うのだが、こんな正体不明の男に荷物持たせたらどうなるか分からないので、「大丈夫です」と僕は答えてボストンバッグを抱きかかえるようにして、彼と一緒にエレベータに乗った。余談だが、てつ100%というバンドに「エレベータに乗って」という曲があり、歌詞は「エレベータに乗って」というフレーズが延々と呪文のように続く。そして最後の最後で女性の声で「エスカレータで降りた」という落ちの曲がある。いや、ただそれだけです。ちょっと思い出したものだから、あ、ヒットしたのは「TOKYO TACO BLUES」って曲ね、こういうの。



 エレベータを出ると左手に鉄のドアがあり、そこにもカッティング・シートで「日本教育企画株式会社」と書いてあった。男は勝手知った顔でノックもせず「ただいま」などと言いながら事務所に入り、立ち止まっている僕に入るよう目で促した。「失礼します」とあいさつをして入ると、かなり広い事務所で壁の2面が大きなサッシの窓になっていて目の前に中洲陸橋が見えた。もひとつ余談だが、この中洲陸橋を駅と反対側のほうから昇ってくるとちょうど一番高い位置の時に、この会社の窓が目に入り中の様子が一瞬見える。あるとき、契約の決まったお客さんの家で雑談していたら、①「おはんの会社は厳しかなぁ」というので「そうですね、営業会社だからそれなりに厳しいですけど、大体どこもそんなもんじゃないですか」などと答えたら、②「いや、無理せんでよかよ。お宅の会社は毎朝成績の悪い社員を立たせちょっどが」などという。「立たせる?は、どういう意味でしょうか」と聞き返すと、③「あたいは毎朝中洲の陸橋を通っどん、おはんの会社の中が見ゆっと。たいてい誰か彼か立っちょっど。そんで、がられちょっど」。あ、かごんま弁講座を取ってなかった人のために和訳しますね(和訳って、もう日本語じゃないぞ、笑)。

① 「あなたの会社は(しつけが)厳しいね」。
② 「いや、無理するなよ。君の会社は毎朝成績の悪い社員を立たせているだろう」。
③ 「私は毎朝中洲陸橋を通るから君の会社の中が見えるんだよ。(そうすると)たいてい誰かが立っていて、叱られているよ」(かごんま弁翻訳ソフトは使っていません)

 おずおずと事務所に入ると、入り口にカウンターがありそこに眼鏡をかけた女子事務員がいた。僕を送ってきた男は「無事にご案内しましたよ」と、ちょっと演技がかったような口調で言った。女子事務員は目じりを下げながら「お疲れ様でした。今日の午後に常務が来られる予定ですよ」と答えた。こいつはこの男に惚れてるな、と直感したが、研修を受ける身の上なので黙っていた。「え、ヤバいな(笑いながら)、じゃ、今回の名簿を借りたいけど、どれかな」という男に、事務員は何やら茶封筒を取り出して渡した。「じゃ、今度来るときに帰すから」と言いながら男は部屋を出ようとして、振り向きざま「これから研修ですね、しっかり頑張って早くトップセールスになれるよう頑張ってください」と今度は結構真面目な顔をして僕に言った。「ありがとうございました」とお礼を言いながら『トップセールス、ってどういう意味だろう』と頭の中で考えていた。男が帰った後は、事務員は机に向かって何か書き物を始めて、こちらには一瞥もくれなかった。

 おなかがすいたのに気がついて、時計を見るともうすぐお昼になる時間帯だった。机に向かっていた事務員が僕の方を振り返り「お昼は何か持ってきてますか」と尋ねた。今だからいうけど、あんまり可愛い事務員ではなかったし、そのものの言い方がいかにもつっけんどんだったので、ちょっとムッとして「いや、特別指示を頂いてないので何も持ってきていません」と答えた後、『しまった、どうして敬語でしゃべってしまったんだろう、後手に回ったからしばらくは敬語でしゃべらないといかんようになったな、まあ、でも新入社員だからしょうがないか』ということをフルスピードで考えながら、そんなことはおくびにも出さず顔は満面の笑みをたたえていた。その、僕の100万ドルの笑顔を完全にスルーした事務員は「良かったら出前のお弁当取りますけど、食べます?」と聞くので、そこは1も2もなくお願いした。電話で出前を注文した後、外線がかかってきた。「にほんきょういく、きかくでございます。あ、ご苦労様です、ハイ、お見えになってます。いえ、一人ですけど、あ、もう一人、あ、そうですか、ハイ、わかりました、そう伝えておきます。ハイ、ご苦労様でした」。電話でやりとりしながらちらちら僕の方を見るので、これは研修を担当する常務と話しているんだろうと見当がついた。しかし、電話の口調と言いちらちらこちらを見る態度はあまり感じのいいものではなかった。

 「今、常務からお電話がありまして、もう一人センダイから研修を受けにくる方が午後1時までには来られるそうです。常務は飛行機が遅れて1時半くらいに到着する予定なので、それまで会社案内など見ておくようにとのことでした」と事務員が言った。会釈の「え」の字もない対応だった。もっとも後で知ったのだが、この女性は根っから人見知りが激しく慣れるまで時間がかかる人らしかった。その後毎日顔を会わせるようになると、それなりに笑顔も見せてくれた。しかし、僕が研修を終えて宮崎に配置になった後すぐに寿退社でいなくなった。口数の少ない女子事務員と一緒に食べる弁当は全く味気ないものだった。あんまり味気ないので、会社においてあった新聞を断って借りてずっと読んでいた。文章もすべて鹿児島弁で書いてある地元の南■本新聞なので、ほとんど何が書いてあるか分からなかった(ウソです)。なにしろ見出しに「おやっとさぁ」と書いてあるのだ(これは事実です)。弁当を食べ終え、ぼんやり新聞を読んでいると突然ノックの音がして扉が開いて真っ赤な顔をした男性が駆け込んできた。

 「遅くなりました。」と大声で挨拶した男は僕と同期入社することになるH田君だった。N体育大学出身のスポーツマンで、陰日向の無いいい男だった。で、大変恥ずかしい話ですが、僕はその頃鹿児島に「川内」という市があるのは知っていたが、その名前を「かわうち」と読んでいたので「センダイから研修を受けにくる方」というのを、東北の仙台だと思い込んでいて、お互いに自己紹介した後に、彼に向かって「訛りがないですね」などと言ってしまい、それを聞いたH田君は僕のことを「妙なことを言う男だな」と警戒していたらしい。まあ、しかしどちらも初めての就職だったのでスーツは浮いてるは、革靴は痛くてたまらないわ、タバコを吸うのにも気を使う、まあ初々しいものだった。

 「ただいまぁ」という大きな声がして、ドアが開くとそこには以前面接をしてくれた小柄な常務の姿があった。「いやー、××君、H田君、お待たせしました。本当は前の日に鹿児島に入ってるはずだったんだけど、ほらツイチュウで忙しくてね。あ、ツイチュウと言っても分からないよね。いわゆる繁忙期ってやつです。ははは、もうお昼は済んだ?じゃコーヒーを飲んでから研修に入りましょう」。常務が入って来たときに、僕はよほど駅での待ち合わせをすっぽかされたこと、正体不明の男にここまで送ってもらったこと、その男に口止めされたことを話そうかと思ったが、この会社の人間関係も良く分からないし、ある程度様子が分かってから話した方がいいような気がしたので黙っていた。すると、「ああ、××君、今日は申し訳なかった。いや、いつもはH高という経理の男性社員がいるんだけど、彼に迎えに行くよう言ってたんだけど、どうしても今日来てくれというお客さんがあって、うちはお客様第一主義、あ、これは研修でじっくり説明します。そういうことで迎えに行けなかったけど、迷わずに来れた?」と突然聞かれた。僕は事務員の視線を感じながら「ハイ、大丈夫でした。意外と駅から近いんですね」などと当たり障りのない返事をしておいた。

 遅い午後の研修が始まった。最初は会社の歴史を企業案内を使いながら説明された。もともとS藤会長という人が作った会社を今の社長が引き継いで、そのかじ取りの正確さとカリスマ性で最初は水戸と宮崎だけの会社だったけど、あっという間に下館を作り、大宮(いや正確には与野市つっても今はどちらも存在してない地名ですが)を作り、鹿児島を作り、今年は東北と北海道にいよいよ進出すると、これは面接でも言っていた話をまたもや延々と話された。しかし、いったい何をやる会社なのかどうも良く分からない。5時になりその日の研修が終わるときに「何か質問はありますか」と聞かれたので、思い切って「僕たちは何の仕事をするんですか」と尋ねたら、「まず注意しておきます。今日から学生気分を捨てろ(いきなり大声になったのでマジで一瞬びびった)。学生気分を捨てるためには、学生言葉を使うな。今後一切「僕」などという言葉は使わない。自分を表す一人称は、社会人は「わたし」という、それを今日は覚えればいい。仕事については慌てなくても3日間の研修でしっかり教えるから、(突然、笑顔になり)じゃ、これで終わるので今から寮に行って少し休憩して、それから晩御飯を食べに行こう」。

 なんだか狐につままれたような感じで、研修の終わりの挨拶をして常務から寮に案内してもらった。なんと会社のあるビルの3階と2階が社員寮になっていて、僕たちは2階の寮にはいることになった。常務がカギを開けると3DKの部屋がそこにはあった。和室6畳が3室、バス、トイレ、キッチンという今では誰も入らないような間取りだが、82年当時はずいぶんしゃれたマンションに見えた。僕たちは(休憩時間に自己紹介し合って、ちょっと驚いたのはH田君も全く同じ年で、しかも大学を留年しているところまで同じだった。大変残念だったのは、彼は卒業しており学士様で、僕は中退者だったというところだ)、「会社の寮に入るっていうからには最低でも一人1部屋だよね、まさかタコ部屋じゃないよね(笑)」などという会話をしていたのだが、常務が案内した部屋は1部屋でH田君が「こっちが僕、いやわたしの部屋ですね。じゃ××君の部屋は?」と尋ねたら、まったく動揺せず「あ、二人で使ってこの部屋は、本当は6畳の部屋は3人部屋だけど君たちは特別に2人で入っていいって支社長の許可ももらってるから」。僕とH田君はお互い目が点になっていた。

 「さあ、ぼんやりせずに荷物を整理したら食事に行こう。さっき教えてもらった与次郎のレストランに行こう」と常務は我々の気持ちを知ってか知らずか、元気のいい声でそう言った。もう、こうなれば「やけっぱちのルンバ」(by ZK)である。スーツを着替えて、荷物を適当に押し入れに投げ込んで常務が運転する車で与次郎が浜(地名だよ、与次郎という人が一晩で作った海岸なので与次郎が浜、というかどうかは知らない)にあるさつま料理の店に食事に行った。お店に入るとメニューを広げて「さあさあ、好きなものなんでも注文して、このさつま定食Sというのどう、きびなごの刺身付きだ、じゃ、これにしよう、おーい、おねーさん、ここさつま定食Sを3つね。あ、ところで二人とも九州だよね。九州の人はお酒が強いよね。ビール飲む(むろん僕とH田君は力強く頷いた)」。ビールはすぐに運ばれてきた。予想に反して瓶ビールだった。長幼の序ということを厳しくしつけられている、我々九州男児はまず先輩・上司にお酒は注ぐものという教育を受けているので、「ま、ま、ま」などといいながら常務のコップにビールを注ごうとしたら、コップの上を手で塞いで「あ、私はアルコールは一切ダメとお医者さんに言われてるから、遠慮せずに二人で飲んで」などという。

 ちょっと白けたものの、まあ、お言葉に甘えてとばかりH田君とふたりで差しつ差されつで飲み始めたら、常務がぼそっと「しかし、研修でビール飲む新人は初めてだな」。なに、じゃ、さっきのあれは外交辞令、おためごかしだったんかい、と思ったが後の祭り。しったこっちゃねーとばかり僕とH田君はそれぞれ大瓶で2本ずつ飲んで、心の中で「今日はこのくらいで勘弁してやる」とつぶやいたのであった。しかし、研修で会社の仕事が明らかになるのは翌日からであった。この項続く、なんちゃって。



ワタクシと北関東(JEP)の出会い プロローグその2

 「それでは本日の面接の結果は後日お電話しますが、××君はもし採用になったら宮崎勤務にこだわりますか?」と聞かれた。3年間は親元から堅気の会社に通うつもりでいたのだが、そう聞かれるとスケベ心が出て「宮崎以外の勤務地はどのあたりですか」と尋ねた。「はい、本社は茨城県の水戸市、営業所は下館市、取手市、埼玉県の大宮市、まあ、ビルは与野市にあるんですがもう大宮と言っても差支えない場所ですね、いわゆる北関東一帯に営業所はあります。そして東北・北海道に今年中には新しく支店と営業所を出します」と景気のいい返事が返ってきた。それを聞いてちょっと渋い顔をしていたら、「東京の近くですよ」などとこちらを南九州の田舎者と舐めたような発言があった。「いや。僕は大学も京都だったし、できれば関西方面で働きたいのですが」と答えたら、「うーん、関西のほうは商売のやり方が違うんですよ。なんでもかんでも『これなんぼまかる?』みたいな値引き合戦で定価というものがない、というか相手の顔色見て値段を決めるような商売なので、今のところは出店計画はないんですが」とここまで話して一呼吸おいて「ただ××君のその若さと活力で関西方面に支店を出すことも可能ですよ。九州の支店長は今鹿児島にいますが××君と同じ年です。彼も宮崎の出身だけど自分で新しい営業所を作ると社長に提案して許可をもらい今では全面的に任されています。そうだな、わが社は関西方面にパイプがないから××君が応募してきたのも何かの縁かもしれませんね。うん、期待していますよ」。

 この言葉が大噓であることは入社してだんだん分かり始めた。いや100%ウソではないのだがかなりなオーバー・トーク。大げさ、誇張、JAROにいうたろ、てなもんである。おっと先を急ぎ過ぎた。そういう大風呂敷の面接が終わって家に帰ってきたときはぐったり疲れて、その日はすぐ寝てしまった。もっともそれまでいろんな会社の面接を受けたが、丸1時間以上じっくり腰を据えて話を聞いたり、しゃべったりしたのは初めての経験で面接官の印象も良かったし言葉も茨城弁の「だっぺ」も出ず、いわばNHK的標準語でスマートだった。そうだ、今思い出したが面接のソファに座った途端、「××君は普段からスーツにネクタイなんですか」と聞かれ、「いえ、これは面接用で普段はジーンズにトレーナーです(さすがに「アーミーです」、なんて言ったらまずいだろうくらいの知恵はあった)」と返事したら。面接官は満面に笑みをたたえて「じゃ、今日はそのジーンズとトレーナーを着ているつもりで、普段の××君の本音を聞かせてください」なんて言われたのだ。今思えば単なる子供だましの緊張ほぐしだが、社会人の経験のなかった当時の僕には必殺トークであった。

 面接結果は3日以内に電話するとのことだったが、面接の翌日には電話が入り採用となった。研修についてはもう一人採用予定があり、その人の都合で日程を決めてまた電話するが2月の下旬から研修に入る予定だがそれまでの間に本を1冊送るから、その感想をレポートにして本社の人事部まで郵送するよう言われた。2,3日後にその本が届いた。『新入社員の会社訪問』とかいうタイトルのビジネス本だった。それまで、この手のビジネス本は読んだことがなかったので、ふんふん、どんなことがかいてあるんだと興味深くページを繰ったらいきなり目が点になった。いわく「会社の目的とは利潤の追求ではない」などと書いてある。え、いや、だって会社の目的は利益の追求でしょうが、と思って読んでいくと「会社の目的は存続することである」などと書いてある。おお、まるでかもめのジョナサンのテーマ、「BE 存在し生きること」みたいではないか、などと感心はしなかった。はぁ、存続することが目的ねぇ、でもね、うーん、と思いつつ読み進むと「存続し発展し続けていく中で生まれるものが利益である。しかし利益を目的とすると存続は難しいのである」みたいなことが書いてあった。倒産などを経験した今の立場で考えると非常に哲学的というか意味深長なフレーズであるが、当時怖いものなしのイケイケ時代だったので、なにとぼけたこと書いてるんだ、この野郎。そんなんで騙されないぞ、などと考えていたが、そこはそれ、最初は頭を低くしておかないとあいつはどうもヤバい奴かもしれないなどという印象をもたれるとマズイと、うーん、ちょっと世渡りなんか考えたんだろうな。とりあえずこの辺に異議ありみたいなことは書かないでおこうと自制心が働いた。

 しかし、その本を読み進んでいく中でどうにも我慢が出来なくなった箇所があった。本宮ひろしのサラ金マンガで、あ、いや『サラリーマン金太郎』というマンガで「会社と恋をする」なんて寝ぼけたフレーズ、俗流愛社主義みたいなのがあったが、その原点みたいなフレーズで「モーレツ社員も良くないがマイホーム社員はもっとダメだ」みたいなことが書いてあったのだ。要するに、帰宅時間なんか気にせず会社に身も心もゆだねないとダメだ、男子たるものマイホームで良いパパを演じるようでは出世はおぼつかないみたいなことが延々とかいてあったのだ。さあ、僕は切れました。なにぬかしとるんじゃこのオヤジは。戦後日本の奇跡的な復興は、所得倍増計画は高度成長時代はそういうマイホームパパが頑張ったおかげじゃないか。特定の経営者だけが頑張ったわけじゃないだろう。帰宅時間を犠牲にしても家族のために一生懸命働き、たまの休日にマイホームパパして何が悪い。それとも何か、お前はただ馬車馬のように働き、金を稼ぎ、その金を家庭に入れずに湯水のごとく使い果たして、もって日本経済に貢献せよとそういうわけか、え、ゴラァ。などというものの言い方は当時はまだなかったと思うが、気分的にはそういう感じだったっけ。

 で、一気にレポートを書いたが、どうも表現がバイヤーというかあちこちにボーリョク学生のにほいが残っているようで。自分なりに推敲したがどうも自信がないので同じ時期に就職が決まった友人のところに持って行って添削してもらった。そうやって出来上がったレポートを速達で本社に送ったら数日後面接官から電話が入った。「いやー、しっかり本を読んで書いてますね。今回の新人の中ではダントツ一番だと社長も言ってましたよ。まあ、ちょっと学生の感覚が残ってるけどそれはしょうがないね。そうそう研修ですが2月の20日から宮崎の事務所で行います。当日は朝8時半までに筆記用具を持参しておいでください」。お、あと何日かしかないな、筆記用具は当然持ってるし宮崎の事務所はこの前面接に行ったし心配いらないか。じゃ、飼い犬になるまでの数日間、思い切り羽を伸ばすか、じゃいっちょ景気づけにINUでも聴くべぇか、などとのんびり構えていてふと気がついた。オレはあの会社で何の仕事をするのだ。

 そんな馬鹿なと思われるかもしれないが、そういう会社だったんですわ、あの会社は。つまり面接で総花的な話というか未来や将来の話をし続けて現場的な実際何をやる的なことはオブラートに包んで分からないようにしている。いや意図的だったのではないのかもしれないが、そういう曖昧模糊としたいったい何をやるのかな的なほんわかした感じで会社に集めておいて一気に研修、しかも自宅に帰さず全員寮に入れて24時間目を離さない。たまの日曜日の自由時間も一緒に遊びましょという形で外部の人間、それが家族であっても極端に接触を嫌うというところがあったんです。な、zappy君。おっと話を82年に戻すと、まあ自分でも迂闊だなと思ったけど面接で聞いた話を何度思い出してもこれが仕事だというものがない。いやオレは企画で採用されたけど最初の何年かは、いやいや最低1年間といってたっけ、1年間は営業って言われたよな。営業ってのはノルマがあると思ったけど、ノルマはないって言ってたよな。ノルマはないけど目標がないとぐずぐずになるから、社員は自主的に目標を設定するっていってたっけ(それを一般的に「ノルマ」ということは入社してしばらくして知りました。って、遅いわっ!!)。まあ、新入社員だから目標はいいだろうけど(いや、でんでんそんなことなかった。現場初日から例の同い年の九州のマネージャーから朝から大きな声で「××くぅん!!今日の目標は何アポ?」なんて聞かれたっけ)、え、いったい何をエイギョウすればいいんだ。

 確かこのころ読んだ松岡正剛の「遊」だったと思うけど「営業は『業』という言葉がつくことから分かるようにカルマである」みたいなことが書いてあって、そうかオレはこれから営業マンつまりインスタント・カーマになるんだ、などと訳の分からないことを考えたりして、結局一体全体僕は会社に入って何をするのかがさっぱりわからなかった。といいますか、なんだかだんだんこの会社大丈夫だろうかというかすかな疑惑が浮かんだのだが、いやいやあれだけ面接で話し込んだではないか。またレポートに対しては若干不満な感想ではあるが、社長自らのお褒めの言葉を頂いたわけだから、ドンマイ、ドンマイ、だいじょーぶマイフレンド~などとこの段階ではまだ気楽に加藤和彦なんか歌っていた。

 その疑念がむくむくと頭をもたげてきたのは研修の前日、夜8時くらいの電話だった。明日から研修だから今日は早めにお風呂に入り、この間の本でも読んで予習でもしておくかなどと殊勝な気持ちでいた僕に会社から電話が入った。受話器からは、ちょっとあせったような面接官の声が聞こえた。「ああ。××君、夜分申し訳ない。実は明日の研修なんだけど…」「あ、ども、こんばんは。この時間まで会社で残業なんですか(定時は18時と面接のときにしっかり聞いていたのでゼッタイ残業だと思っていた世間知らずのボクでした)」「残業?いや、普通の、いや、その、あの明日の研修なんだけど、もう一人一緒に受ける予定の人がどうしても宮崎に来られないんですよ。それで大変申し訳ないけど××君が鹿児島に来てもらえると助かるんだけど。ほら、この前話した××君と同じ年の課長がいるし、事務所も新築できれいだし」。「(なんか泡食ってるようだけど、ここはひとつ貸しを作っておくのも悪くないな)はあ、それは構いませんが僕は免許がないのでバスか電車で行くしか方法がありませんけど」「あ、それは大丈夫。電車で、と、特急でいいです。お金は悪いけど立て替えておいてくれたら、鹿児島の会社に着いたらすぐ精算しますから。朝8時の特急に乗れば西鹿児島駅に10時に着きます。駅の西口に降りたらJEPというマークの付いた車が1台停まってるのでそれに乗ってきてください、あ、運転は会社のものがしますから安心して」。

 で、どうしたかって。そりゃ当然切符買って電車に乗って行きましたよ。「ヘ」の降るかごんまに。太陽の光をきらきら反射させる錦江湾の海を眺めているうちに電車は無事西鹿児島駅に着きました。1週間分の着替えを入れたボストンバッグをよいしょっと抱えて改札を出て間違いなく西口から出ました。駅の左右にはタクシーと普通の車が何台か停まっていました。車の色は黄色でボディにJEPと書いてある車が、くるまが、あれ、どこにも見当たらないんですけど。あ、そうか、月曜の10時だから忙しくてまだ来てないんだ。よしよし、慌てる古事記は日本書紀、ちゃうわ、慌てる乞食は貰いが少ないや、ボケェ、などとひとりでボケ突込みしながら、ハイライトを咥えて待ちました。3分、5分、10分、あれ、おかしいな。もうちょっと15分、20分、いやこれ絶対おかしいで、なんかあったんちゃうか。そうそう、この間聞いた番号に電話しよう、そうしよう。と、まだ携帯の無い時代だったので電話ボックスに入り鹿児島の会社の番号を回した。「ハイにほんきょういくきかくでぇす」という女性の声がした。僕は10時に着いてずっと待っているがどなたもお見えにならない。どうなっているのでしょうかと丁寧に尋ねた。電話の女性は「あ、え、あの、えと、ちょっとお待ちください」と言って電話を保留にした。

 もう一度電話に出て来た女性は急用のため迎えに行くはずの社員が外出してしまった。今事務所には自分以外誰もいないので大変申し訳ないが歩いて5分もかからないので直接来てもらえないかと言って、地理が不案内なんですという僕に対して大変わかりにくい場所の説明をした。何度聞いても要領を得ないので、住所をメモり分からなくなったらその辺の人に聞けば何とかなると思って歩き出した。少し歩いたら前方からスポーツカータイプの車が徐行して近づいてきた。車の窓があき、知らない顔の男性が声をかけてきた。「日本教育企画に入社した方ですか」。僕はてっきり会社の人が用事がすんで迎えに来てくれたと思い、にっこり笑い「宮崎から来た××です。これから宜しくお願いします」と頭を下げた。ドアが開いて乗るように言った男性の口から出たのは驚くべき内容だった。「僕が今日、ここで迎えに来たことは誰にも言わないでください。約束できますよね」。

 うーん、こうやって振り返ってみると、よくこんな怪しい会社の研修に出かけたものである。しかもこれはほんの序章なのだ。これから青年drac-obは摩訶不思議な運命の糸車にからめ捕られていくのであった。♪仁義礼知忠信孝悌、いざとなったらタマをだせ~にゃぁ~ってサザエさんのタマかっ!!などと人形劇の里見八犬伝のテーマが流れる中話はまだまだこれから続くのであった。



ワタクシと北関東(JEP)の出会い プロローグ

 昨日、ズトさんからもらったコメントに「茨城、栃木の話」を聞きたいとあったので何か面白い話はなかったかと記憶を辿って行ったのだが、なにせ四半世紀ほど前のことで、しかもそのころはまだ最初の会社でシホン主義とは何たるものかというのをたたきこまれていた時期で、要するに平のペーペーなのはいいけど、僕自身も20代半ばの頃なのでまだまだ青臭くてとても人様に話せるような時代ではないのだが、よくよく考えてみると拙blogの基本テーマは70年代の総括という部分もあるので(ホンマかいな?)、毎度おなじみの「馬鹿と恥知らずは承知の上(by Pantax’s World)」で思い出した話を後先考えずに書いてみたい。

 で、いつの話から書こうかと迷ったのだが、僕と北関東の出会いは正確には最初の会社に入った翌年の1月、あ、違うか、茨城弁丸出しのM田部長が宮崎に来てぶいぶい言ったのが最初だけど、まあ会社から長期出張で行かされたのが83年の1月だった。どうして長期出張になったかというと、原因は僕のミーティングの発言であった。当時勤めていた会社は教育産業というか、カメラやコピーでおなじみのリ■―が開発したマイ・ティーチャーという教育機器の販売とアフター・フォローがメインの営業会社だった。早い話がセールス会社ですな。で、その販売方法というのが実にオーソドックスな訪問販売というやつでした。大学を忸怩たる思いで中退し、胃を全摘出した父親があまり長くはないだろうと思い、その元気な間にそれまでの親不孝の罪滅ぼしで3年ほど堅気の仕事をして、ほとぼりが冷めたら関西にカムバックして、また一発あてたろかの山っ気商売というかイベントやミニコミなんかの運動にかかわろうと思っていたワタクシでしたが、80年代当時というのは今と良く似て就職氷河期の時代で、ろくな求人が無くて新聞に『海外の音楽や出版物を広く紹介する仕事です」とあったので、面接に行ってみたらやたら広い事務所にたくさんの電話があり数人のスーツ姿の社員がなにやらせわしげに電話で話していて、小耳を挟んで聞いているとどうも電話で見込み客を探し、その客を事務所に呼んで来たら帰さず何時間も話しを続け相手が根負けしてハンコ押すまで離さない、えーと、どこかで聞いたような商売、あ、豊田商事だ、みたいな会社だったり、面接のときにいきなり適性検査と心理検査をやられて「あなたはずいぶん攻撃的な性格ですね」と温厚が服を着て歩いているとか、別館の孔子と呼ばれた(わけない罠)僕の自尊心を痛く傷つける金融会社(初めてのア■ムというキャッチコピーでおなじみだった)だとか、まあ、ろくな会社はなかった。

 というか、良く考えてみたらあの時代に大学6年行って、揚句は中退している身元の怪しい学生上がりの就職希望者(僕のことだ、わははは)に碌な就職先はなかったというのはこれまた歴史の必然であった。ではどうやって最初の会社にもぐりこんだかというと、まあ公務員試験は全然勉強してなかったのであっさり落ちて(いまだに覚えているのは市役所の試験を受けたら「米寿とは何か、説明せよ」という問題があって、恥ずかしながら当時24歳のワタクシ「米寿」なるものをデンデン知らず、「アメリカがことぶきぃ?ふざけるんじゃねーよ、アメリカ帝国主義には断固反対、反米愛国じゃボケェ、とはいっても中曽根支持じゃねーぞ、クラッシュだぞ、あいむそーぼあーどうぃずざゆーえすえー、やぞ」などと考えていたから、そりゃ試験には通りません。残念ながら当時はまだ携帯を持ってなかったので、写真にとってメールで転送しYahoo!の知恵袋に相談するなんて手法は思いつかなかった。というか携帯電話どころか自動車電話すら普及する前の時代の話だ。あ、自動車電話なんていっても今日日の若いもんは知らないか。車の運転席と助手席の間の、シフトレバーのあるあたりにデンと鎮座していた自動車電話。あれが中小企業の経営者のステータスだった時代があったんだよ。

 えー、てなわけで市役所、県庁と公務員試験は落ちて、もっとも当人は公務員になる気はさらさらなく、これはいわば親へのアリバイで、実は拘束時間が短くて給料のいい会社になんとかもぐりこみ3年ほどの間は関西でその手の活動をしていた故M原君が見つけてくるニュー・ウェーブのバンドのシングルを地元のレコード店に置いてもらうとか、社会人のサークルを作ろうとか考えていた。しかしながらこれと思う会社に面接に行ってもなかなか条件が合わず(当たり前である)、当時の新卒の給料が12万くらいの時代にやたら景気よく20万とか25万なんて歌ってある会社はどれもいかがわしく、さすがにちと困ったなと考え込みながら82年の正月の地元新聞を眺めていた時、「新年にはばたく地元企業」(くそ、騙されたと思ってるからいまだに当時の新聞の見出しが目に浮かぶ、フレーズ間違いありません。1982年1月3日の新聞です)、てのが目に入った。

 そこには昔からよく名前を聞く地元企業の求人募集の記事がずらりとあって、その中に、えええいどうせもう倒産してなくなった会社なので実名バクロシリーズで行くが「日本教育企画株式会社」というのがあった。「ほう、『教育』を『企画』するのか、いわゆる筑波中教審路線を踏襲して、はいはい、あんたが大将とやっておけばエイントチャウ」などという姑息な考えと、初任給11.5万円という堅実な提示。うん、これはしっかりした固い会社かもしれんと思い、早速履歴書したためて郵送した。正月休み明けに、その会社から電話が入り、面接の日程だったが「本社の人事部の担当が宮崎に来るのが2月初めなので、そのころ又電話します」みたいなことだった。え、なに、本社の人事部やて、これ結構当たりちゃいます、意外と大手の会社かもしれん、いや、こいつあ春から、あ、縁起がいいわ~チョン、チョン、チョンなどと見栄を切っているうちに2月になり、その会社からまた電話が入り、面接は人事部の担当者の都合がつかなくなり、代わりに常務取締役が2月11日建国記念日に宮崎入りするので、その日の午後はどうかと連絡があった。僕は「建国記念の日」を「建国記念日」という無神経さがちょっと気になったが(仮にも『教育』を『企画』する会社が、文部省の産学共同路線を支持しなければならないはずのシホン主義の手先企業がそういう間違いをしたらあかんのと違うかと思いつつ、物は考えようで「建国記念の日」フンサイ面接総決起大会と位置付けるのもいいのではないかと思い、1も2もなく「あ、はい、日時はそちらにお任せします」などとやや卑屈な返事をして面接の日を待った。

 その頃は僕はまだ車の免許を持たず(実は田舎に帰って昼間アルバイトしながら夜、自動車学校に通ったのだが、指導教官の「オイ、お前」みたいな口調の、その横柄な指導態度に頭に来て「お前らとは非・和解的存在だ~」などと口走って、ええと早い話が教官と大喧嘩して辞めてしまったのだ。前払いしたお金は戻ってこないし、当然免許は取れないし、大学は辞めるは自動車学校は辞めるは、オレはこれでいいのだろうかとさすがに2,3日はくよくよしたが、まあ何とかなるだろう主義で乗り切った。しかしながら人生は短気を起こすと何ともならないと分かったのは最近で、さすがに最近はかっとなってなんでもかんでも辞めることはなくなった、こともないか、雀百まで踊り忘れず、ってのはけだし名言である)、確かバスでその会社の入っているビルに向かった。

 雑居ビルの最上階にその会社はあり、エレベータを降りた最後のどんづまりのドアに社名が今思えばカッティング・シートで貼ってあった。ノックして入るとウナギの寝床みたいな細長い事務所の中ほどに応接のソファがあり、そこに背は低いがふっくらとした30過ぎの男性が笑顔で立っていた。「××君ですね」と僕のフル・ネームが呼ばれソファに腰を掛けるよう言われ面接が始まった。それまでにいろんな会社の面接を受けてきたが、どこの会社もだいたい15分か長くて20分くらい、それまでの略歴と志望動機、自己の性格と長所短所あたりを聞かれてハイさよならというパターンだったが、その会社は違った。僕のことなど全然聞かずに、自分たちの会社がいかに素晴らしく夢あふれて志をおなじにする若者が集い共に成長する場所であるか、またその会社をリードする社長がいかに立派な人物であるか延々と30分ほど聞かされた。これは洗脳セミナーではないか、などと思わなかったな。何故ならまだ当時は洗脳セミナーなる単語は市民権を得てなかった。どっちかというと民■のオルグとか原理のオルグに似ているなんてぼんやり考えながら聞いていた。

 「…、でどう思いますか」と突然質問された。ややぼんやり聞いていた僕は質問を聞きもらし「すいません、もう一度お願いします」と聞きなおしたら、「わが社には営業部門、指導部門、企画部門、経理部門と大きく4つの部門がありますが、××さんはどの部門を希望しますか」ともう一度たずねられた。即座に「企画部門を希望します」と答えたら「どうして」とカウンター・クェスチョンが入り、そこで僕は学生時代にさまざまなイベントの企画をしたこと、ミニコミなどの編集も経験があること、さらにあることないこと、まあ僕ほど企画という仕事に向いてる人間はいません、わははは、良かったですね、御社も、みたいなことを景気よくしゃべったと思う。得意満面だった僕に対して、面接官はぽつりと「分かりました。企画で採用ということで人事部に伝えます。あ、もちろん××さんには企画をやってもらいますが、一番最初はまず営業部に所属してもらいます。これはわが社の決まりで社長も一介の営業マンからスタートした会社なんですよ。営業を経験した方が企画に幅が出ますから」。というような話でおよそ1時間ちょっとの面接が終了した。柔らかいソファでもそれだけの時間座っているとお尻が痛くなるという経験をその時はじめてした。

 えー、ここまで来て疲れてしまいました。話はまだまだこれからだというのに、もう瞼はClose To The Edgeです。続編にご期待ください。ああ、北関東にはいったいいつ行けるのだろうか。それよりも「企画で採用」という一言に舞い上がったdrac-ob青年がシホン主義の洗礼を受けて血の涙と小便を流す次回にご期待ください、って安っぽいドラマのフレーズみたいだっちゅうの。えー、動画は話とでんでん関係ないのですが、最後にClose To The Edgeなんて書いたもんだから急にイエスが聴きたくなり、反米愛国つながりで「アメリカ」を、ってつながってねーし。



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