名は無体もあらわす話

 いやー、良かった。一時はどうなることかとずいぶん気を病んだが、やはり間違いはなかった。正義は勝つ、地獄の黙示録はカーツ大佐てなもんである。何の話かというと全国1000万人の午後7時28分の恋人こと半井さんの不倫疑惑報道である。ご本人がキッパリ否定された。めでたしめでたし。それではまた。

 などという横着エントリーを書いていると先ず間違いなく見放されること間違いなしという回文的文章でごまかしておりますが、どーも、ご無沙汰しております。いえね、このところ何かと忙しくて、季節の変わり目ってんですかね、どうも眠くて夜起きていられない。どころか、PCの画面見るのもおっくうで「世の中に寝るより楽はなかりけり、浮世のバカが起きて働く」というニーチェの哲学を実行していたわけですわ。あ、ニーチェ違った?マルクス?ソクラテス?まあ、都知事選に出て来たどっかの居酒屋の大将の言葉でないことは間違いないか。

 などと、間違いない、間違いないなんて言葉を連発していますが、いえね、この間新聞読んでいたらこりゃ何かの間違いじゃないかと思うようなことが連続してあったもんで、そのあたりの話を今日はひとつ、独裁と戦う市民・学生・労働者の諸君に若干のアピールをしておこうかと思って、眠い目をこすりキーボード叩いている次第でございます。

 で話は突然変わりますが、実は僕は新聞の投書欄を読むのが好きなのだ。そこにはいろんな世代の人たち、老若男女、もっとも最近は高齢化社会を反映してか比較的高齢の方の投書が多いが、でもちょっと待てよ、新聞に投書するというのはやはり時間の余裕があり新聞を読むという習慣の定着している、いわば高齢者の方、あいや年配者の方が多いから、それは歴史的必然であるのかもしれない。というところで前の文章の「それ」が指すものを30字以内で答えよ、ただし句読点を含む。なんていう指示語の問題が突然出たりすると混乱すると思うが、実は僕も混乱した話を以下展開するのだ。

 先週の土曜日、休みだったのでちょっと寝坊して少し遅めのコーヒーを飲みながら新聞を読んでいた時だ。1面から眺めていきながら、「うーん新燃岳の噴火で農作物被害が4億6千万か、それ以外にも観光客の減少とか鳥フルとか、もうさっぱわややなぁ」などとつぶやきつつ、読者投稿欄を開くと、ああらふしぎ「にえ」なるコーナーがあってそこに小学生や中学生の若いお子達(関西ローカルの番組でよく年配の漫才師がこの単語使ってたな、懐かしい)の投書がたくさんあるではないか。「にえ」とは何だ、何かのまじないか、それとも「萌え」のミスプリか、あるいは「ぬえ」の間違いで狐狸妖怪の類か、などと驚いたが、よーく見ると「NIE」つまり「Newspaper In Education」というやつで「教育に新聞を」という新聞社の販売促進の戦略である。ケッ、大層なことぬかしてんじゃねーよ。たかが瓦版屋が、と心の中で物凄いベサツ意識丸出しの悪口を言いながら、それでも若いお子達がその純真なココロで、その柔軟なアタマでどんなん考えてるんかなぁ~(このあたり仁鶴師匠の若いころのイメージで、って今時のお子達は知らんか)と微笑ましく読み始めたその時に何か違和感があった。

 その違和感は何だか良く分からなくて、見出しか投書の中身がちょっとユニークなんだろうかと思いながら、いくつかの文章を読んでいるうちに気がついた。投書者の子供たちの名前がやたら読みにくいのだ。最初に「史絵梨」とあった。頭の中で「し、しえり?あ、シェリーか。『シェリーに口づけ』、懐かしいな」などと考え、その横を見ると「美優」とある。「み、みゆう?あ、幻のポケモン、『ミュー』からとったのか。あるいは親が石森章太郎の大ファンで『ミュータント・サブ』から取ったのか、いや年齢的に考えてもあのマンガを読んでるはずはないだろうけど」などと考え、下を見ると「希良里」という名前が見えた。「き、きらり、かな。そういえば何年か前の朝の連ドラで『純情きらり』ってのがあったっけ。あれは見ていたよなぁ。良く考えたらレギュラーで出演していた女優陣は今ではみんな演技派の大女優ばかりだよな。ま、個人的にはうるんだ瞳の井川遥が一番好きだったけど、あ、いや半井さんも好きだけど、と、取り乱してるなオレ」。とか、仕舞いには「紀響」という名前を見て、「き、ききょう、かな。文章を読んだら女の子みたいだから植物の「桔梗」とすればいいのに、まさか肺に穴が開く「気胸」から取ったわけはないだろうし、うーん、なんて読むんだ、「きてき」か?♪きーてきいっせい、しんばしをー、てか」などともう取り乱してしまったのだ。

 そういうなかで「真太郎」という名前を見てちょっと安心して「しんたろう、いい名前じゃねーか。これぞ我がポンニチ正統派だ。石原がついたらちょっと辛気臭いけど、ま、それでもさっきの読み方の分からない名前よりはるかにいい。な、こうありたいよ、名前ってーのは。男は「太郎」、女は「花子」を基本とすれば天下泰平、世は平和ってやつだ」などとまあいろいろ考えた次第で、もっともこういう変わった名前というか凝った名前がお騒がせになったのは、もうずいぶん前だが我が子に「悪魔」なんて名前を付けたずいぶんな親が話題になったときからか。

 まあ、生まれてくる自分の子供にいろいろな願いや夢をかけて、また将来を期待してありきたりの名前ではなくこだわりの名前を付けたいという気持ちは良く分かる。良く分かるが物事には限度があるというか、こういう名前つけられたら子供は間違いなくぐれるぞ、っていうものも多い。ちょっと気になってググってみたら、まあ面白いサイトが次々出て来た。まずは明治安田生命の「2010名前ランキング」をどうぞ。まあ、男の子と女の子のベスト10なんてのも出てるけど、2010年の干支である「虎」のついた名前のところで噴出してしまった。まあ、いろいろつけてるけど、シンプルに「タイガ(-)」って読ませるのが、「大虎」(これ、世間一般では飲んだくれの酔っ払い状態、しかも暴力付きの人のこといいますな、「おおとら」って)、「虎牙」、「虎我」と連発である。もう「たいがい」にしときや、などとダジャレの一つも出てしまう。しかし、この「タイガ」君、苗字が「森」だと笑えます。自己紹介するときは森大虎、えー、まいねーむいずタイガー・ウッズ、なんちゃって。おっとそうそう、「莞虎(カント)」君なんて哲学的な名前もあるな。ブント君はいないのかな?

 で、こういう感じでネットサーフィン始めてしまって次に見つけたサイトは「DQNネーム(子供の名前@あー勘違い・子供がカワイソ)」ってところ。こちらはさらに強烈だったな。「戦争」、「亜菜瑠」、「世歩玲」、「亜成」に「愛棒」ってこれれっきとした人の名前だからね。犬や猫の名前じゃない、っていうか犬・猫にもこんな名前つける奴いないだろうっての。で、不思議に思ったのが「賢一郎」で、何だ普通じゃんと思ったあなた、DQN親をなめてはいけない、この名前で女の子、しかも妹は「誠太郎」。いくら男の子が欲しかったっていってもこりゃもう世も末ですな。笑ってしまったのが「爽日」と書いて「さわでぃ」、お前はトイレの消臭剤かってーの。「陽夏照」と書いて「ひげき」、いやその名前つけられたことが「悲劇」じゃん。あ、もしかしてこの名前つけた親は太宰ファンで人生は「トラ」だとか「コメ」だとか問答した結果つけたんだろうか(んなこたぁ絶対無い)。まあ、このサイトはじっくりご覧になってください。その結果この国に絶望してしまってもワタクシ一切責任は持ちません(笑)。

 さて、このDQN状況はわが国だけの問題かと思ったら、洋の東西を問わず我が子に妙な名前を付けるのはブームみたいで、「Unique baby names」なるサイトを見たら、まあ、紅毛碧眼も考えることは同じというか全世界的にハイカラハクチ化は進んでいるみたいです。さらに他所の国の名前をそのまま発音したら変な意味になってしまうという、こちらはちょっとはた迷惑というか誤爆気味のサイトですが、まあこのあたりは我が尊敬する先輩K平氏なんかがたくさんネタを持ってるはずなので、駆け足で紹介。「珍名・面白い名前」。マウリ・ウコンマーンアホ社長とか、メガチンポ保険衛生相、アリ・ババジャン外相(これ、ダブルミーニングな名前ですな。「アリババ、じゃん」という関東風か「あり?ババじゃん」という関西風か、あなたはどちらがお好み?)とかカルビー外相などには一度お会いしたいというかご尊顔を拝見したいような気がする。

 さて、何だか話があっちこっちに飛んでいますが、今回こりゃおもろいと思ったのがこちらのサイト、「Turn Your Name Into A Face」。名前から顔を作り出そうというジョーク・サイトです。まず僕が使ってるハンドルネームで変換したら、こんな顔になりました。結構真面目な感じですな。意外と本人に似ているところがあるかもしれません。

drac-obの想像された顔

 で、今度は実名でやってみたら、なんやこの腑抜けたにーちゃんはというようなシティ・サーファー顔(あ、今時シティ・サーファーって死語ですか?)。あなたも是非お試しください、って結局今日は何の話だったのか。まさしく現政権の様に混迷と停滞のエントリーでした。

ちょっとウェストコーストのシンガーソングライターみたい(笑)


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朝日は、もう昇るよ



少しずつ、だけどね。その時、その日こそ自由になるんだ。

その時、その日こそ噴火も鳥フルも治まる、だろうな。


ジ・アザーマンのアンダーウェアでスモー・レスリングをとる

 自称、エカテリーナ姫の末裔だとか爺やと侍従が厳しくて根気を逃しそうだ、あ、そっちの根気じゃない罠、今季でもない、婚期のほうか、などとコメントでのたまって十中八九サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム症候群といいますか青い鳥症候群に冒されているのではないかという噂が無きにしもあらず(あ、オレが勝手に流してるって説もあるけど)のスージーQ姫が、実は小娘ではなく立派なおねいさんであることが判明した。いや、こういう話ではなくいつもロックを楽しく研究しているスージーQさんのblogがこのところ多忙のためなかなか更新されず、久しぶりに更新されたと思ったらこれがまたどえらい面白いネタ特集で、拙blogをお楽しみいただける皆様であれば、絶対爆笑間違いなしのエントリーだったので、ここにリンク貼っておきます。是非ご覧ください。「60~70年代ロック研究所 なかなか更新できず」。

 で、そのネタのセレクトのセンスがかつてのビックリハウスのVOWに共通する匂いを感じたので、その旨コメントしたら世代的に当然かもしれないが、ビックリハウスもVOWもご存じないとのことで、まあ、そういうのをいちいち事細かに説明するのも野暮ってもんで、どうしようかなと考えていたらYOU TUBEで坂本龍一の「ビックラゲーション」を見つけた。正直、教授のギャグのセンスは、ねぇ。悪くはないんだけど、ほら、なんていうか、あの学生コンパの場で仲の良いメンバーが数人集まったと仮定してください。そこにちょっとお呼びでないけど呼ばないと可哀そうってか、呼ばれなくてもたぶんそれは手違いだったんだろうと好意的に解釈するだろうけど、ちょっと根に持つかもしれない、いや、絶対に悪い奴じゃないんだけど、どうもノリが悪いというか、ノリが違うんだよな、おめーはって人がいるでしょ。ああいう感じなんだよね。



 たとえて言えば、そういう飲み会の場でいきなり口を挟み「最初のビールは恵比須ビールにしようよ」などと言いだすから「え、あ、いいけど、なんで」などと聞き返すと「ほら、やっぱり最初の一杯はみんなでニコニコして飲みたいから、恵比須ビールに決まってるじゃない」「あ、え、いや、うん、ま、ご尤も、てか、それが落ちかい(ここは聞こえないくらい小声で)」みたいなことを臆面なく言えるセンス(このシチュエーションは呉智英の学生時代の話から拝借してます、正直申告。確定申告はお早めに)に近いものがあるけど、まあスネークマンショーだとか、YMO時代のおふざけのセンスなんてのは確実に70年代パルコ、ビックリハウスのセンスだと思うのだ。で、当時関西にいた僕は、もちろん東京のビックリハウスも大好きだったけど、関西のプガジャのおふざけのセンスも大好きで、かくたさんに教えてもらった新書(結構分厚くてバトルロワイヤル並の厚さだったけど、てのはちとオーバーか)も前に読んだし、ここらで一度エントリーにまとめてみようかなと思ったのだ。

 しかし、好事魔多し。先週弁当にご飯が入っていなかった日にネットのうわさでちらりと聞いたワタミの元会長が都知事選に出馬するってのがマジだったみたいで、何だと、この野郎、ええかげんにせえよという怒りのエントリーも書こうと思ったり、でも「ワタクシと麻雀の出会い その2」もちゃんと書かないとな、などと餅を絵に一杯描いている今日この頃です。で、結局はビックリハウスって一頃面白かったよね、ご同輩って落ちで今日はおしまいという、まあみんなデタラメなお話でした~。



佐山雅弘のピアノソロについての話がいつの間にか

 あっという間に週末の夜である。世間さまでは3連休などといってなんだか春を待ちながらついでにゴドーも待ちながら、ああもうだったら加藤も佐藤も待ってやればいいじゃないか、などとふてくされてしまうような詮無い日々ではある。で、あるのだが、それでもやはり楽しい日というものはあって、ではどういう日だったかというとこれまた毎度毎度のライブの報告である。昨日、12日の土曜日なのだが毎年春先と秋口にサロンコンサートをやっているH高時計本店で佐山雅弘のピアノソロコンサートがあった。この情報は先月、香月さんのライブを見に行ったときにライフ・タイムでチラシを見て、こちらも毎度毎度のY尾君に頼んで予約を入れてもらった。それで、前日の11日が祭日だったので昼過ぎに彼に電話したら随分疲れた声で「ああ、あのライブ。予約は入れたけど、悪いけどその日と翌日が都城で降灰の処理のボランティアに行くことになったので、ちょっと無理なんだわ。11,12の二日間だったら多少疲れていても行くんだけど、12,13の二日間で多分土方仕事みたいなへヴィな作業だろうから、オレはちょっと無理だ」と言う。うーん、新燃岳の被害はこういうところにも来ているんだな。まあ、以前彼に教えて僕が行けなかった粥川なつ紀プラス和田あきらの件もあるし、今回は僕だけで楽しませてもらおう。

 と思ったのだが、Y尾君からちょっと気になる話を聞いた。何やら今回のコンサート、イマイチ集まりが良くないようで、出来ればあちこちに声をかけて一人でも多くの参加が欲しいと企画側のM原先輩から聞いたというのだ。しかし、ライブは翌日。世の中は3連休の中日(「ちゅうにち」ではなく「なかび」と読んでください)、いきなり明日のライブに行かないかと誘っても厳しいかもしれないが、それでも男はやらねばの娘とならざるを得ないこともあるのだ。動員かけたろやないかと思い、先ずはこの手のライブに興味を示しそうなS藤君に電話したがでんわ、などと洒落を言ってる場合ではない。とりあえずメールを送っておいて、しばし考えてここ最近親しくなった若い連中に一斉にメールを送った。

乙です。
九ですが、あ、ちごた、旧ですが、これでもないか、
急ですが、明日18:30よりH高本店プロショップ2階で
佐山雅弘ピアノソロコンサートが行われます。
もちろん、ワタクシも参戦しますが本日一緒に行く予定だった
友人が都合が悪くなり、彼から話を聞いたところ予想外に
申し込みが少なく、主催者(高校の先輩なのだ)から、
タダなので一人でも多く声をかけてくれと頼まれたそうです。
開演は18:30ですが、開場は18:00からです。僕は何度も
行ったことがありますが、2階の感じのいいラウンジで
眼と鼻の先で演奏が行われるのでとてもリッチな気分になること
間違いなし。演奏はとんでもなく素晴らしいことは保証致します。

参加出来る方は、メールでお知らせください。

 という内容だ。しばし、待ったが反応が無い。あ、そうか、ソロピアノというところでもしかしたらためらっているというか抵抗があるのか。そういえばメールを送った連中と一緒に行ったカラオケではアナーキーだとか、ストリート・スライダーズだとか、尾崎豊だとか、まあどう贔屓目に見ても世の中を素直に見れないというか、ねじれた性格の歌ばかり歌っていたから、リリカルな歌心溢れるズージャのスタンダードの世界というのはファーラウェイの連中で、そういう彼らにソロピアノのライブ見に行かないかというのはラクダが針の穴を通るより難しいことかもしれん。ま、良く考えればオイラだってむさくるしい野郎と一緒にピアノを聴くより、そりゃ若いおねいさんたちと一緒のほうは楽しいに決まっている。野郎と一緒にライブ見た後は、すさんだ酒しかないだろうがおねいさんと一緒だったらもしかしたら、むふふふ、ということが絶対無いとは言えないだろうが、え、ゼッタイってことは無いと思う。などとやけに興奮しながら、今度は同じような文面で最近ちょっと知り合った女の子たちに一斉にメールした。

 結果はどうだったか。鹿目である。あ、ちごた。シカメである。ナッシングなのだよ、君。ここまで人望が無いと一種快感ではあるね。てやんでー。この野郎。どうにでもなれと、さあ殺せといったのは、どこのどなた様、などと淋しく「やけっぱちのルンバ」を口ずさむのであった。あ、今、気が付いたが、僕はあのお誘いメールをCCで何人かに送ったけど、それが拙かったのか。女の子たちの人間関係というのは、これは想像を絶するくらいドロドロしたものであって、表面上仲が良さ気なので友達同士だろうと思って話したことが逆手に取られて、え、あんなに親しそうにしてるのに本当は大嫌いなの、アンビリーバブルだよ、人間不信になっちまうぜ、べいび、とでも言いたくなるような経験の一つや二つはあった。そうか、CCではなくBCCで送るべきだったのか。いや、そもそも女性をライブに誘うならやはり直接1対1でメールしてお願いするというか口説くべきだったのではないか。それを効率一辺倒の一斉配信してしまったというのは、普段ワタクシが目の敵にしているアメリカンダブルスタンダードと同じやり口ではないか、と気が付いても後の祭りである。

 などと言ってるうちに当日になり、普段見に行くライブは開演20時くらいなので、その前に軽く食事とアルコールを摂取するのだが、今回は開場18時、開演18時半なのでちょっと迷った。早めに街中に出て17時くらいからおでんをつつきながらつべたいビアでも、という気持ちもなくは無かったが、そういう時間からやってるところはどっちかというと大衆酒場というか、カウンターだけのやたら寒々したスペースにこめかみにサロンパスの切れ端をつけたオババが割烹着来てナベに菜箸突っ込んでるような店しか思い浮かばず、そういう店で一人さびしく飲んでいると人生のラクゴシャといってもお笑いの落語ではなく当然落ちぶれたほうの落伍者に分類されかねないので、ここはグッとこらえて会場近くのうどん屋で、ちくわ天うどんのねぎ大盛りというのを食べるだけで素面で向かった。

 会場は、地元の宮崎では知らない人はいないくらい有名な宝飾店の2階サロン、というか、何度かこのblogでは紹介したことのあるH高時計本店で、1階の受付に顔を出したらM原さんが所在無げにノートを前に座っていた。挨拶をして「今日はお客さん少ないんですか」と聞いたら「宮崎なんてこんなもんよ」とちょっと投げやりな返事があり、そうか動員やはり厳しかったのかと思いながら階段を上がると、意外や意外、18時ちょっとすぎただけなのにもう20人くらいは入っていた。限定100人のライブなのでどうかなと心配したが、それでも開演前になると8割以上椅子は埋まっていた。僕は前から2列目でちょうど演奏する佐山さんと対角線上になるようなベストポジションを確保したのだが、好事魔多し、開演直前に立派な体格の女性と多分そのご主人である中肉中背の身なりのいいご夫妻が前に座り、その、なんというか女性の縦はどうでもいいのだが横の幅が広くてちょっと前が見えにくくなったがまあ、我慢は出来る状態だった。開演5分前位に僕の後ろに主催者のH高社長とM原さんが座り、二人同時に「Y尾はどうした」「相方はどうした」と声をかけられ、「今日は都城で灰降ろしをやってます。土方ボランティア」と説明しているうちにMCが始まった。

 女性のMCが終わると同時に満面笑みをたたえた佐山さんが座っていきなり演奏を始めた。新作『VINTAGE』のオープニングを飾る「ビタースウィート」である。弾き終ってマイクを取って話を始めたがこれがまた面白い。ポスターの写真も愛嬌のある笑顔であるが、ピアノの前に立った姿もニコニコしてお辞儀が丁寧で、喋りが面白い。いやー、意外な感じ。今でこそズージャの第一人者だけど、元をただせば70年代中ごろのRCのサポート・ミュージシャンだったんだ。G2加入前の、ね。で、2部構成のライブだったけど1部ではやはりビル・エバンスのスタンダード「ワルツ・フォー・デビィー」をやって、これまたしっくり聴かせるいい演奏。ピアノソロっていうのは、どうなんだろうとちょっと心配というか昔懐かしいキース・ジャレットの3枚組みたいに緊張感ビンビンのライブだとつらいなと思ったのは余計な心配。まあ、笑わせてくれる。

 で、話は一気に行ってしまうが、前半の圧倒的に素晴らしかった演奏は「ラプソディ・イン・ブルー」。言わずと知れたガーシュインの名曲で結構ジャズマンが演奏している。僕のイメージでは、やはり70年代に大ヒットしたデオダートのやつ。演奏がちょっとブギみたいでカッチョ良かった。ギターのジョン・トロペイもドラムのビリー・コブハムも良かったけど何と言ってもデオダートのアレンジのセンスとちょっとたどたどしいエレピが良かった、で、佐山さんの話も「この曲は山下洋輔さんがハチャメチャにやって、小曽根 真さんがオーケストラと一緒にやって、いろんなパターンが出てきたけどピアノトリオでやったのは多分初めてじゃないかな」なんていうアナウンスがあり「まあ、長い曲なので我慢して聴いて下さい。途中こんな音がしたら(といってピアノの最高音の鍵盤を叩く)三分の二は終了した合図なんで、あ、ということは後三分の一残ってるということですが」などと前振りがあり始まったその演奏は圧巻だった。ピアノだけでオーケストラに負けない音世界が構築されるんだよね。お約束通り高音部のコロカリカリという音が三分の二とのところで鳴った時はみんな笑ったけどね。



 あ、このトリオの「ラプソディ~」は続けてパート2も聴いて下さいね。例の有名なフレーズはこちらに出て来ますから。で、第二部はお客さんからリクエスト取ってそれらをすべて1曲にしてしまうというかまさしくアドリブのオンパレードで組曲ジャズ・スタンダードでした。14曲をインクルーディングでしたが覚えているのは処女航海、愛情物語、トゥナイト、この素晴らしき世界、青い影、えーとラベルをリクエストした人がいたけど却下されたな。しかし、トークも面白かったし演奏もスリリングで楽しい夜でした。で、家に帰ってYOU TUBEっていたらこの「ラプソディ~」を見つけたんだけど、ある意味もっと凄い動画を発見した。いやー、ジャズマンというかミュージシャンってのはバカ話が好きだと聞いてはいたけど、面白いことやるんだな、それも演奏前に。この時の演奏はどうだったんだろうと思いながらも鹿児島弁の魔力に魅かれていくのだった。



 この動画で鹿児島弁の講師をしている西村さん、誰かに似てるなと思っていたのだが思い出しました。酔っ払った時のZappy君です。僕は彼の酒癖は彼本来のものだと思っていたのだが、もしかしたら鹿児島人に伝わるなにやらエッセンスみたいなものがあるんじゃないだろうか。わっぜ、気になる(笑)。で、この後の西村伝兵衛さんの話、スティーヴィー・ワンダーのヒット曲にはカゴンマ弁という説は妙に説得力があるな。



 で、調子に乗って鹿児島弁講座を探していたらいやあるもんだな。西郷輝彦の鹿児島弁講座はハーフシリアスで面白かったし西田あいという新人演歌歌手の鹿児島弁講座は彼女の胸の大きさと同じくらい気になる(えっち、すけっち、わんたっち、オッチャンそんなとこばかり見ていたらセクハラでっせ、堪忍かんにん、キャインキャイン)。しかし、その中でもこれは一番のお勧め。想像されたウェスタンのテーマというか、10ccのオリジナル・サウンド・トラックというか(このあたりのニュアンスは分かる人だけでいいので、説明しない)、架空の設定としてはナイスなこの講座をどうぞ。それにしてもこの動画に書かれているコメント(沖縄か宮崎ってやつ)こそが、鹿児島の宮崎、沖縄に対する視点が如実に表れていて面白い。ま、理屈はいいからどうぞ。



 あ、最後に宮崎のズージャ・ファンにビッグ・ニュース。毎年ゴールデン・ウィークに行われるみやざきストリート音楽祭に今年は山下洋輔御大が参戦。4月29日の午後2時くらいに県庁前でフリー・ライブ。翌30日はちゃんとしたホールライブの2連チャンだって。

怒りの昼飯(追記あり、3/1さらに1行追記)



午前中の仕事が忙しくランチにありつけたのは午後1時半。注文していた弁当の蓋を開けてクリビツテンギョウ。

メシが入ってねー。

慌てて弁当屋に電話するがでない。たかが弁当ごときにあくせくする自分が悲しい。しかし待てど暮らせど弁当屋はでない。仕方なく近くのコンビニにおにぎりを買いに行く。小走りで行く自分が悲しい。

ようやくメシにありつき、気持ちも落ち着いた頃、弁当屋が来た。文句を言ったら弁当代を全額返してくれた。ちょっと嬉しくなった自分の貧しさが悲しい。

それはそうと半井さんに不倫疑惑の噂が出ていた。こちらも相当悲しい。
追記;なにやら新年度から半井さんは天気予報のコーナーを異動になるらしい。
首都圏ニュースとかいって、東京だけで囲い込む動きがあるようだ。
そうか、ヒガシコクバルそれで都知事を狙うのか(たぶん、違うと思うが
)。



この前貼った半井さんの動画が削除されていた。某国営放送の不当介入を許さないぞ!!

久しぶりにチェックしてみたら、またもや某国営放送の不当介入で半井さんの動画が削除
されていた。度重なる君たちの妨害に負けず、我々、半井主義者は闘うのだ。しかし、この動画
選曲は面白いけど、半井さんがあんまり可愛くない。

ワタクシと麻雀の出会い メイビーその1

 この間アップした別館グルメ日記は、まさしく羊頭狗肉というかいったいどこがグルメやちゅーてんねん、という突っ込みが入ってもおかしくない内容であったが心優しき拙blogの来訪者の皆様はにっこり笑って許してくれた。それどころか、ズートホンロロさんにいたっては、ご本人は全く麻雀などという亡国遊戯には興味関心などなく、もし身近にそのようなバクチにうつつを抜かしている人間がいれば「やめておきなさい、バクチは身を持ち崩します。それ以上に真面目に働こうという意欲を失わせます。人間額に汗して働いてナンボです。サイコロ転がしたり、タイル(えーと麻雀パイのことをイングリッシュではタイルといいます。まあ品も風情もない紅毛碧眼人のいいそうな表現ですが)をがちゃがちゃ混ぜて『あ、トイ7、ね、じゃ対面からえーと、おい、チョンチョンしろよ、ドラ何?え、字牌か、なんで俺が親の時はチューチャンパイがドラにならないんだよ』などと文句をいうような人間になったらおしまいですぅ。サンデー先生もいつもおっしゃるでしょう。良い大人になるためにさあ勉強なさい、って」と、もう何だか支離滅裂な話になりそうな予感があるのだが、なんといっても書いていて楽しいし、自分でも意外なことを思い出したりするので、誰がなんといおうと続編というか、前回途中で終わっていた話を続けるのだ。

 で、前回どういう終わり方をしていたかと思って読み直してみたら、松乃家の紹介のところで終わっている。しかし、そこから話をつなげるのもなんとなくシラコイ(白々しいというのを「シラコイ」とか「シロコイ」と70年代後半僕たちは言ってました。あれは単なる別館流行語だったのか、それとも関西流行語だったのか、今となっては調べようがないがいずれは僕の言語学のフィールド・ワークとしてチャレンジしたいな、なんてとりあえずいっちゃったりなんかしたりして~と何だか妙にハイテンションである)ので、話の行きがかり上「私と麻雀の出会い」というテーマでとりあえず話を進めてみる。

 私と麻雀の出会いはいったいいつだったか。それは間違いなく高校時代である。高校1年の時に同じクラスになった友人が家庭麻雀をしていて、その彼のところに麻雀牌があったので、あるとき遊びにいったついでにルールを教わって何回かやった。もっとも手役など全然分からず、要するにセブンブリッジとおんなじやり方、頭(正確には雀頭という。ドラが頭だと核雀頭なんていってたっけ、要するに核弾頭のシャレですな)で同じものを2枚、あとは3枚一組でこれは同じマーク(いわゆるマンズ、ピンズ、ソウズってやつ)だと数字の順列、つまり123とか345とか連続しているか、同じ数字か文字(いわゆる東南西北白發中-トンナンシャーペーハクハツチュンと発音していただきたい)が3枚あればそれでワンセット。で、誰かが捨てた牌で上がるか、自分の持ってきた牌(要するに自模ってきた牌)で上がれるという程度である。

 リーチも何も知らなかったし、大体点棒の数え方すら知らなかった。それでもあるとき中学時代の同級生がインターハイで宮崎に来て、旅館に泊まっていたので陣中見舞いを兼ねてジャン牌を持っていき一緒にゲームをしたことがあった。その時はすでに麻雀のルールを知っているのも中にいて、点棒を分けてさっさと初めて、当然そういうやつだから自模ってから切るのも早く、こちらは両手を使っていろいろ考えてやってるもんだから文句を言われるし、リーチなんて知らなくて「何でこいつは牌を横に置くんだろう、整理整頓のできないやつだ」などと考えて、いらない牌を切ったら「ローン。マンガーン」などと言われて、マンガンとは何だ。水兵リーベ、僕の船に出てくるやつだったっけ。そうそう、原子番号が25で元素記号はMnだったよな、この間の化学の試験に過マンガン酸カリウムって言葉が出て来なくて、あやうく赤点になりそうだったよな、などと回想していたら見回りに来た教師に見つかり、殴られたが牌は友達の借り物なのでなんとかお目こぼしをと頼み込んで釈放してもらったなどということもあった。で、話はそれるがお目こぼしという単語は関西方面ではヒワイな単語と間違われやすいので、あまり使わない方がいいと思う。

 そういうことがあってから、心を入れ替えた僕はそれなりに受験勉強もして、大学に入るまでは麻雀とは縁を切っていたのだが、75年春に晴れて大学に入学し修学院に下宿してからライフオブ麻雀がイン・ザ・ビギニングなんですわ。えーと、修学院の下宿は建物が2棟あって、僕が住んでいた母屋というか大家さんの自宅と棟続きの方には大学生が、そして通路を挟んで西側にあった建物には予備校生が住んでいた。もともとは予備校生だけの下宿だったのだが、僕が入学した75年にちょうどその下宿から大学に入った人がいたり、大家さんの知り合い関係から頼まれた大学生が下宿することになり、ちょうど棟も2棟あるからかたや大学生用もう一方を予備校生用にしたらしい。

 もっとも、大学生と言っても入ったばかりの若僧ばかりだったし予備校生の方には堂々の2浪の人もいて、どっちかというと予備校生たちのほうが元気が良かった。その修学院の下宿の大家さんは本業がアパート経営であるのだが、もうひとつ仕事を持っていてそれは四条にある飲食店の経営であった。僕は直接入ったことはなかったが西洋軒(もうたぶん無くなってると思うので実名バクロシリーズでいく)というそのネーミングからしてちょっと野暮ったい大衆食堂みたいなところだったらしい。しかし、偉い大家さんで親元を離れて学問を修めに来ている学生たちにせめて四季折々の食事をということだったのだろうか、赤飯やちらし寿司それから竹の子ご飯なんかをおすそわけしてもらうことが結構あった。

 で、その下宿に入って間もないころ、やはり同じ屋根の下で暮らすわけだからということで大家さんが入居者を集めて食事会を開いてくれた。母屋の和室二間の襖を取り払い、総勢20人近くの若者が缶ジュースとちらし寿司とお菓子を目の前に置いて、それぞれ自己紹介をしたり雑談したり、まあ照れくさいものではあったが、そのイベントがあって隣の棟の予備校生とも親しくなった。そうそう、僕は宮崎は日本のフロリダなのでぜひ一度遊びに来てほしい、宮崎に来たクラプトンがその景色の素晴らしさに感動して「メインライン・フロリダ」を作ったなどと適当なことを言ったけど、当然相手にされなかったというか、クラプトンの『461』を聴いたことのない連中ばかりだった。

 さて、ここで僕はひとつの疑問があるのだが、大学生と予備校生はどちらが勉強をするか。なんでー、そんなの予備校生に決まってらぁなんて人生の表層しか見れない人は拙blogにはいないものと確信する。大学生は遊びほうけるけど予備校生はしっかり勉強するやろなんて安易な答えではないのだ。正解はどちらもしない、ではあるのだが、僕の下宿の一部の予備校生は本当に勉強しなかった。いや、みんなではない。74年からその下宿にいた人たち、つまり大学に入れなかった2浪した人たちは全員真剣に勉強するのだが、75年に新しく入ってきた予備校生たちがカスであった。しかもそいつら全員福井県出身、わずか2名なんだが、こいつらが良貨を駆逐した。リンゴを腐らせた。一体全体何をしたのか。下宿に麻雀を流行らせたのである。

 もう今では名前をはっきり覚えていないのでここでは少年A(いや、顔と声ははっきり覚えている。あのちょっとイントネーションが詰まったような福井弁でしゃべる奴だった。「~でしょう」という時のイントネーションが妙に尻上がり寿だったんだ)としておくが、こいつが麻雀のハンドブックを持ち込み、まだそういうものにウブだった予備校生達を集めて、ついでに僕も声をかけられて夜中に「次の待ちはなんでしょう」とか「この手はどんな役を目指すべきでしょうか」とかしょーもないレクチャーしよるんよ。あれ、ちょっと待てよ、その時すでに下宿には麻雀牌が存在したな。あれは、誰が…。あ。オレや。大学入ったら堂々と麻雀が出来ると思って、早速おもちゃ屋さんに行ったら紙の麻雀牌しかなくて、あ、だからカードになってるやつで電車の中なんかで出来るんだけど、それだとやはり臨場感がないので、質屋にいって質流れのジャン牌を確か2000円で、つまりLPレコード1枚分の金額で買ってきたのがオレだった。ということはオレも共犯か。共同共謀正犯である。手を下したのとおんなじだ。と、ここまで書いて、いやー、我ながらしょうもないことをよく思い出すな、でも僕が麻雀と真に出会うのはこの後なのだ。そしてそこから別館グルメ日記につながるのだ。というところで、本当はミカバンドの「ファンキーマージャン」をアップしたかったけど、見つけたのはコピーバンドだったのでほかにないかなと思って探したら竹中のがあったので、それをどうぞ。



それでも梅は咲く、春は来る、多分…



連続する鳥フル発生農園、毎日噴火し続ける新燃岳。どさくさで都知事選に出馬しようとする元知事。ろくでもないことだらけの我が故郷だが、あるじなしとて春な忘れそ、である。何とかなるぜ、世の中は~、気楽に行こう、のんびり行こう~。


とでも思ってないとやってられないな。

君は園マリじゃなかったソノシートを知ってるか?

 先ほど、Goteauxssonさんの米にレスしようとしたときに、何故か頭にソーダラップの歌が流れた。今時の人には「は、ソーダラップ?ソーダにラップするんすか?それともソーダのラップなんすか?なんすかそれ?」みたいな反応だろうが(どーでもいいけど、すかすか言ってんじゃねーよ、若者よ。まるで自分の頭の中がスカスカみたいに聞こえるぜ)、昭和の30年代を生き延びてきた人間、ま、ちょっと格好つけるとボーン・イン・ザ・フィフティズ(by Police)の元ヤン(もちろん元ヤングの略称である)には涙がちょちょぎれるほど懐かしいフレーズだと確信する。もちろんソーダラップを登場させるなら、星飛雄馬に花形満が、宮本武蔵に佐々木小次郎が、ルパン3世に銭形のとっつあぁんが、ビートルズにはストーンズが、ええい切りが無い、つまりは好敵手の渡辺のジュースの素を出さねばの娘なのだ。

 ♪わたなべの、ジュースのもとです。もう一杯~というCMソングに対抗して、ソーダラップは♪飲もうよ、飲もうよ、ソダラップ(ソーダラップと歌ってるはずだが、子供に耳には「ソダラップ」と聞こえた)、そーだ、そーだ、ソーダラップ、あいつが飲むからのむんじゃないんだ~なんてのがあったっけと思って、YOU TUBEったら、こりゃまたクリビツテンギョウ。無茶苦茶シュールなソノシート音源を発見した。是非聴いて欲しい。楠トシエの若々しい歌声にアナウンサーの女性が歌唱指導というか解説を入れている。珍竹林珍竹林と聞こえるイントロはシュールの極みである。さらに僕は楠さんと一緒に歌っているフォーコインズというグループ名が気になった。もしかしたら、そうだコインが4枚か、この人たちが後二人メンバーを増やして後に六文銭と名乗り、「出発の歌」で大ブレークすることは誰も知らないだろう。当然だ、たった今、僕が妄想しただけだからだ。



 えー、やっぱりこっちも出しておかないと肩手落ちなんていうと大惨事みたいだけど、片手落ちのほうね。これを言葉狩りされたと以前sawyer先輩がエントリーに書いていたな。世知辛い世の中だぜ、まったく。



別館グルメ日記のはずが麻雀話に化けてしまった話

これが松乃家、正面です

 「おばちゃーん、松乃家のヤキソバ大盛ねー」「あ、オレはラコステのヤキソバ大盛~」「んじゃ、オレも松乃家の天肉とじ、バイト代入ったから奮発して大盛」、という野郎の怒声がひんぱんに響き渡っていた。場所は室町今出川にあった雀荘グリーンでの日常風景である。先日、guevara129さんからメールが来た。内容は、かつて河原町今出川にあった活動家たちの憩いの場、集いの場であった「金八」の記事を(保存していたCDで)見つけたので送ってくれるという嬉しいお知らせだった。かれこれ十数年前のネットの記事だったようで、当時(ネットの記事)はダウンロードして保存してから読むというのが一般的だったため奇跡的に彼のPCに残っていたらしい。届いた記事と写真を見て僕も懐かしかったが、それ以上に懐かしかったのは「松乃家」と「やぎ」の写真と記事だった。

 75年に大学に入った僕は、何度も書くけどおよそ時間が止まったとしか思えないような学生会館の別館にあるサークルに出入りするようになり、人生が大きく変わったというか、まあ、あそこでやめておけば今頃、年金がもうすぐ入るし楽隠居で妻子に恵まれ人生安泰、ボンボヤージのハズだった。ところがいったい全体何が悲しゅうて通路の壁や天井にビラや張り紙やポスターが糊でべたべた貼り付けられて、いたるところに赤ペンキで「世界同時革命」だとか「造反有理」だとか「組織された暴力とプロレタリア国際主義」だとか「PFLP」だとか、まあ、その手のスローガンが書きなぐってあり、足元にはジュースの空き缶や食べ終えた学生食堂の食器やたばこの吸い殻なんかが散乱してある、およそ不衛生、不健康、インモラルな悪場所が気に入ってしまったのか。居心地良く感じてしまったのか。世間様では大学は4年で卒業するところだというのに6年もいて、揚句は斜めに出ざるを得ないような人生になったのか。責任者出てこーいと叫んでみても、はっきりいって自業自得である。

 と、書いてしまったら身も蓋もなく、じゃ一体今更何を書こうと思っていたのかと振り返ると、そうだそうだ、別館グルメ日記だったと気を取り直したのであった。で、最初の注文の場面に戻るのだが、当時の大学生の娯楽と言えば1に麻雀、2にパチンコ、3・4がなくて5にナンパって、最後のはウソというか見栄だけど僕が入った当時大学1回生の必修単位は酒とタバコと麻雀の役を覚えることと言われていた(いや、だからそういうことを言われるような環境に近づいたのが大きな間違いだったんじゃないか、という考察は今回悲しくなるので止めとく。で、グルメの話のはずがどうして麻雀の話になるかというと、いくらアホ学生であっても一応昼間は授業なりなんなりあって遊ぶのはなかなかであるが、アフター・スクール、おなかはペコペコ、そこでエンゼルパイという昔懐かしい森永のCMのフレーズと同じように友人や先輩たちと麻雀して遊ぶのはどうしても夕方以降。夕方になれば腹も減る。と言って麻雀やる前に飯を食うというのも野暮ったいし、麻雀終わるまで我慢するなんてのはもっと無理だから、当然ゲーム中に出前を頼むことになる。その出前でよく頼んでいたのが大衆食堂の松乃家とそのグリーンという雀荘の1階にあったラコステという喫茶店だった。そういえばBOXで麻雀できるメンツを待ちながらレコードを流し誰か入ってくると「おっ。揃った、揃った、さあ飯打ちに行こう」なんて言って、そのまま回れ右して室町今出川のグリーンに向かったものだ。

 このグリーンは縦に長い雀荘でテーブルの数が32,3あった。麻雀は4人でやるゲームなので仮に30テーブルあれば4×30=120人以上の人間がそこでじゃらじゃらと牌を掻き回したり賽子を振ったり点棒を投げつけたりしていたわけだ。またそれだけのお客さんをさばく従業員というかアルバイトもいた。何を隠そう、僕も75年の秋から何か月かバイトさせてもらった。雀荘のバイトというのはお客さんが来たらお茶を出して、暇なときは牌を磨くくらいだと思ったら大きな間違いで、何しろ少ないときで数十人、多いときは百数十人(麻雀は4人でやるゲームだが、たまに5人で来て2抜け、つまり2位になった人が見学に回り5人でケンカせずにゲームする連中もいたのだ。余談だけど、高知の人間は4人そろっていても3人麻雀をやる、とか四国には三角形の麻雀卓があるなどという高知麻雀伝説があった。この辺は本当なんだろうか、ズトさんあたりにお訊ねしたいものだ)もの人間が遊んでいるのだ。まずお客さんが来たらおしぼりと飲み物(ドリンクバーみたいな機械があって、コップを押し付けてコーラとか不安だ!とかいう飲み物を注ぐ)をお盆に乗せて持っていき「いらっしゃいませ」とやるわけだ。

 そのお店、グリーンの顧客管理はオセロの盤でやっていて、1卓始まるとチップというのかあの片面が黒で反対が白の丸い奴を1枚、1つの区画に置き、2時間たつとそれをひっくり返しお茶とお菓子(もちろん客の好みによってコーラやコーヒーの場合もある)を出し、また2時間たつとひっくり返すというシステムで実にシンプルなんだけど一目で30数卓の客の状況が分かるものだった。お客さんはゲームで興奮してくると「お茶、お代わりっ」とか「ツメシボ2本」とか「こっちはアツシボね」とかリクエストする(今更注釈をつけるのも気が引けるが「ツメシボ=冷たいおしぼり」、「アツシボ=熱いおしぼり」である。常識だよね)。またおなかがすいたお客さんは出前を注文するから、その取次ぎをして、出前が届いたらサイドテーブルを準備してお客がこぼしたりしないように用心する。用心はするが、やはりこぼしたりコップや皿を落として割ったりする粗忽モノがいるのでモップもって掃除に行ったり、片づけたり結構忙しいのだ。で、客が少ないときは卓の角の部分を外して、下のシーツを抜いて埃を払ったり、もちろん牌をバケツの中のぬるま湯に入れて掃除したり、時間がないときはおしぼりで磨いたりするわけだ。牌を表向きにしてごしごしこすり、それを全部裏返してまたこすり、さらに各側面もそろえて磨くのだ。これがさっとできるといかにも打ち手という感じでカッコ良かった。小島武夫のツバメ返しなんて喚きながらよく磨いたものだ。

 グリーンのバイトは結構、割のいいバイトでなんといってもその日即金で払ってもらうことができるのが魅力だった。いや、普通のバイト生やパートのおばちゃんたちは週給か月給(これはどちらでも良かった)でもらうのだが、バイトが終わったらそのまま客として遊ぶようなアホ学生はその場でバイト代をもらい、それを賭けてまた遊ぶのだ。負けてオケラになったらまた翌日バイトすればいいのだ。その日のバイトが終わってタイムカードを打って、そのタイムカードを入口のレジに持っていくとそのお店の女主人、僕らはグリーンのおばちゃんと呼んでいたが、そのおばちゃんが、あ、その時は雇い主だからなんと呼んでいたのか、僕は厚かましくおばちゃんとそのまま呼んでいたような気がする、タイムカードを見て素早く時給計算し、レジを開けて数枚の千円札と小銭を受け取りサークルの友人、先輩たちがいる卓におもむろに向かうなんてことをしょっちゅうやっていた。

 で、思い出してみるとそのグリーンに行き始めたのは、サークルに入ってすぐ、たぶん5月の終わりか6月の初めだっただろう。メンバーは四国は愛媛出身でゲゲゲの鬼太郎によく似たY田さん、サークルの会長だったな、同じく四国は高知出身で角刈り、安っぽい着流しのブレザーを肩に背負い、夜店で買った偽レイバンのサングラスをしたS賀さん、こう見えても法学部の理論家で副会長だったっけ、そして鹿児島ラサール出身などと大噓をサークルの会員名簿にぬけぬけと書いていたボーリョク学生のT原さんというメンバー、またはここに久留米出身で背は低いが甘い2枚目、でもナンパしようとした女子学生に「御嬢さん、僕と一緒にそこらをさるきませんか?」と言って大爆笑されたNさん、その高校時代の同級生で3回生になったら急にパーマをかけて色気づいたI上さん、そうそう、この人は修学院に下宿していて僕に畑の野菜を盗んで来いという命令を出したこともある。

 ああ、思い出してきた。確か2浪していたからY田さんと同い年だった姫路の商店の跡継ぎでお店の白いカローラバンで大学に来ていたO西さんとか、そのO西政権の時に会計をやっていて僕のサークルへの借金をばらして選挙の横やりいれたむっつりスケベっぽいY本さん、岡山はえーと、どこだったっけ、色が真っ白で髪の毛は天然茶髪でバイト先のクラブのホステスと所帯を持って大学をバックれたO崎さん、そのO崎さんと高校時代同級生だったキング・クリムゾンが好きだったO石さん、ごつい体の割に料理研究会と掛け持ちしていたN田さん、いやもうきりがないくらい麻雀ではお世話になった諸先輩方である。あ、ここにコメントくれるK平さんは賭け麻雀はしない人でした。

 で、こういうメンバーの中で一番腕が立って強いといわれたY田さん、S賀さん、T原さん、Nさんというメンバーと僕はしょっちゅう一緒にやっていた。当然1回生の前半はカモネギ状態であった。何しろ僕自身がまだ麻雀の役もろくすっぽ知らなかったし、ガイドブックも今の様に懇切丁寧ではなく、視覚的にも見にくく説明もなんだか良く分からない、とにかく面前でテンパれとか安易に鳴くなくらいしか書いて無くて、いまだに覚えているチョンボは対局中当たり牌が出たので「面前ロン」といって倒して、ほかのメンバーが「なんじゃこれは」という顔をしているので「面前で上がったら面前ロンとルールブックに書いていた」などと説明しても、そんなものが通るわけがなく「お前、アホやろ。面前というのはリーチがかけられる状態のことや。手役が無かったら牌を曲げてリーチいうて1000点棒出せば何が出ても上がれるけど、これは役がないからチョンボや」と言われたっけ。

 それと、これは僕の麻雀が禁止されていた修学院の下宿で初めて徹マンしたときのことだけど、手の内の12枚が全部マンズで1枚だけ6ソウがあり、単騎待ちで聴牌していた。次の自模を見ると6ソウで、ずっとへこんでいたせいもあって「自模っ」といって倒してしまった。当然、自模のみで500,300(ゴミと言ってましたな)点。親だったY田さんが100点棒を5本投げるようによこして「親でこんなん自模られたら助かるわ」と言った。後のT原さんとS賀さんは「お前、これ6ソウは自模切りだろうが。マンズは何を引いてきても聴牌や」と言って、ご丁寧にT原さんは僕の自模順を次々めくっていって「お前、あと4順で倍満自模やぞ」などとよけいなお世話をしてくれた。根が負けず嫌いで楽天家の僕は「上がり癖、あがりぐせ」と言ったのだが、そのとき対局していた3人は「こいつは一生カモやな」と思ったそうだが、それ以降もブンブン丸で突っ張る僕を見て「新人時代の長嶋を見た金田の心境、いつかこいつは大化けする」とも思ったそうだ。おかげで麻雀はかなりの腕になった。

 えーと、肝心の松乃家の話になりません。麻雀の話を始めると終わらないんだな、これが。しかし、グリーンのおばちゃんがあるときこういったことを思い出した。例によってサークルの先輩たちと卓を囲みつつ、腹が減ったので松乃家に出前をお願いしたがいつまでたっても届かない。「おばちゃん、松乃家、まだけ?ええかげん遅すぎるでぇ」と言った僕に対して、「せやから、あの店は『まつのや』言うねん」と見事な逆襲。上手い、座布団一枚、なんて言ってたら松乃家のおっちゃんがヘルメット脱ぎながらやって来たのであった。うーん、この話書いてて楽しいので続けます。誰も読まないだろうけど(笑)。

松乃家のおっちゃんとおばちゃん、真ん中は松乃家に下宿していた人らしい

怒、怒、怒、怒ーん!!

 AMAZONから関連商品のお知らせメールが来ていた。これまでは見落としていたミュージシャンの新譜や再発を教えてくれるので結構重宝していたのだが、本日来たメールを見てMEGA10.いや目が点。

Amazon.co.jpのお客様へ、
以前「さ > ZARD 」関連のLIZARDの『LIVE AT S-KEN STUDIO’78 and more! 』またはその他のミュージックをチェックされた方に Christmas Non-Stop Carolの発売について、ご案内いたします。 商品について詳しくは、商品のリンクから詳細ページをご確認ください。


 どこがLIZARDじゃ、ボケェ!!!ZARDやないけ!!!!!おかしいと思ったんだよ、LIZARDが『クリスマス・ノン・ストップ・キャロル』だなんてよ。まるでタモさんが『世界革命戦争宣言』と叫ぶようなもんだ。いや、待てよ、タモさん、ああ見えて実はキョーサン主義者かもしれんな。貧しき人民に不労所得で得た金を取り放題、住居立ち入り放題デーを作ったりするくらいだから。

 今朝、7時55分くらいにまた噴火があって、朝の抜けるような青空にもくもくと黒煙が上がるのを見てちょっと暗くなったけど↑のようなことを考えたら少し笑えた。けがの功名である、AMAZON、今回は許すが二度目は無いぞ(てなこと言ったって、何も変わらないんだけど、笑)。

 ちなみにこれがZARD。



 こっちがLIZARD。あきらかに、別人28号である。


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