我が国の教育問題を憂える話

 本日は柄にもなく教育問題をかたってみたい。というものの、「かたる」という言葉は「語る」という意味も当然あるが、僕が「語る」のは詐話的(今、調べたらこんな単語はなかった。勝手に作ったらあかんな、オッチャン)な意味での、すなわち「騙る」というニュアンスが近いかもしれない。このところ、「朝、新聞を読んだら」とか「今日、ネットのニュースで見たが」というような切り出しでエントリーを始めることが多いのだが(きっかけはナイス・ミドルが大好きな某高貴な姫のおかげであるが)、実は今日もネットのニュースで思わず「こら、おもろいやないけ」と声に出してしまったものから。以下は毎日新聞の9月30日(木)11時0分配信のニュースから引用します。

<道徳授業>48歳教諭が脅迫文作らせる 山梨の小学校

 山梨県韮崎市の市立小学校の男性教諭(48)が担任を務める5年生の道徳の授業で、新聞から文字を切り抜いて身代金を要求する内容の脅迫文を作らせていたことが分かった。グループ作業で友達と協力することを教えるのが目的だったというが、校長は「文の内容が不適切だった」として口頭注意した。

 市教委によると授業があったのは27日午後で、児童30人が参加。黒板に「(教諭の実名)の身柄を悪の組織が確保した。返してほしければ、ちびっ子広場に8000円もってこい。1秒でも遅れると命はないものと思え」などと手本の文面を書き、5、6人のグループに分かれて新聞の切り抜きをさせた。

 授業内に作業が終わらなかったため切り抜きは回収し、廃棄した。9月の道徳は「友達と協力する」がテーマで、脅迫文作りは教諭自身が考えた。教諭は「興味をひくためにやったが、良くない文面だった」と反省しているという。保護者からの指摘で発覚した。


 48歳という年齢からみて、セックス・ピストルズは当然リアルタイムだっただろう。あのアルバム・アートを明確に意識した「新聞から文字を切り抜いて身代金を要求する内容の脅迫文」という小技が憎い。しかし、僕が最初に感じたのはやはり新自由主義は人命が軽く扱われているな、という点だった。だって48歳の地方公務員の身代金が8,000円ってのはあんまり安すぎでしょう。いくら世の中悲観してても、もうちょっと高く見積もれや、たった一度しかないオマハンの命(by 岡林信康「ガイコツの歌」)。

 しかし、考えてみるとこの先生、実に深い問題提起していますな。なにしろ「道徳」の時間に、しかも「テーマ」は「友達と協力する」という内容で、しがない地方公務員を誘拐する「悪の組織」っていうのがなぁ…。つまり、物事の善悪より、今の腐りきった世の中を生き抜いていくには「友達と協力」していくことが大切だってことを教えたかったのだろう。金額も8,000円というところに、価値の大小よりもゲン担ぎで末広がりの「8」を選ぶというセンスの良さ。1万円持って来ることもあるだろうから、2,000円おつりを用意しておくように、というフォローもあったことと確信する。あ、もちろん時間の大切さも教えてるな。だって「1秒でも遅れると命はない」のだから。

 このニュースを読んで、すぐに思い出したのが次の事件。こちらはかって管理教育の先進県と言われた愛知県、名古屋だぎゃー、ではなく岡崎、あ、ドクター・ジャズのいるところ、昔懐かしい「純情きらり」のロケ地、ああ、あの長女も今は「キャタピラー」である。元アイドルの話ではない。え、見えない?その心は「キャタピラなぎさ」(by おかしくなる前の景山民夫)。こちらは毎日新聞2010年9月15日東京夕刊から引用する。

小学校教諭:殺人に例え割り算出題--愛知・岡崎
 ◇問.子どもが18人います。1日に3人ずつ殺します。 何日で殺せるでしょう

 愛知県岡崎市立小学校の男性教諭(45)が今年5月、担任を務める3年生の算数の授業で「子どもが18人います。1日に3人ずつ殺します。何日で殺せるでしょう」との割り算の問題を出題していたことが15日、分かった。市教委は7月16日、教諭と校長を厳重注意。教諭は現在も担任を続けているが、問題発覚を受け、市教委は「担任をすぐに代える」としている。

 市教委によると、このクラスは児童34人。教諭は5月中旬の授業で口頭で出題した。7月に匿名の保護者から市教委に通報があり発覚。市教委に対し、教諭は「その日のうちに、児童に謝罪した」と説明した。また「ついやってしまった。軽率だった」と話しているという。

 さらに、教諭は7月1日、書写の授業で半紙を配っていた時に、受け取り方が悪いと、女子児童1人の頭をたたいていたことが判明した。児童にけがはなかったが、泣いていたという。

 市教委の野田光宏教育監は「児童の心を傷つけ、不安や恐怖を感じさせた。心からおわびする。信頼回復に努めたい」と陳謝した。


 うーん、まあ問題文の文章がおかしい。「何日で殺せるでしょう」じゃなくて「何日で殺し終わるでしょう」としないと意味が正確に伝わらない。などと言う問題ではない。いや、それより子供が20人だったらどうするのだ。あまりの意味を正確に理解していて7日と答えられたらいいけど、「センセ、最後子供がひとり足らへんさかい、どっかからかどわかしてこんとあかんのちゃう」などという質問が出たのではないかと気になってしょうがない。

 いずれの記事も先生の謝り方と上部団体の謝り方がつまらないですね。もっと確信犯的にやれよな、どっかのフロッピー・ディスクみたいに。と、なぜか最近ココロが荒んでるdrac-obでした。最後くらいはさわやかにアリスの「学校おわったでぇ」の歌をどうぞ。って、アリスはアリスでもアリス・クーパーだっちゅうの!



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突然ですが、臨時ニュースです



 大方の予想通り、本日東知事が次期知事選には出馬しない旨を表明した。地元の反応はさまざまだが「口蹄疫の後処理で大変なのに」という声が多いように感じる。知事が言った「宮崎の為にもっと大きなステージで頑張って」という声がだんだん増えてきたというのはたぶん空耳か欲耳じゃないのか。まあ、このあたりのことは依然書いたので端折る。ただ”Who’s Next?”は大変心配というか気になる。これも前回書いた都城の市長が知事の後継者として、同郷の好として立候補するのだろうか。あるいは県議で、ただ一人知事会派というべきT議員(そういえば彼も知事の大学の同窓生だったか)あたりがサプライズ立候補というのも無くは、あ、無いか。あの人は宮崎の市長選に出ると大見得切りながらドタキャンした前科があった。まあ、立候補は自由なので誰でも、被選挙権さえあればいいけどね。いや、ちょっと待て。あのオサ~ン出てくるのと違うか。ニッキョーを目の敵にして、組織解体を叫ぶ、あのオサ~ン、あ、ニッキョーちゃうわ、ニッキョーソだった。例のあの「ちゅうざん」先生、ここがチャンスと虎視眈眈狙ってるのではないか。そういえば、先日、某箇所で建設関係の人たちが話しているのを小耳にはさんだが「ちゅうざん」先生待望論はあるようだ。やれやれ。

 それと、もう一つ、地元ネタ。以前から個人blogで宮崎を応援してくれていた泉谷しげるが、今日、宮崎県庁で口蹄疫復興コンサートの開催を発表した。11月7日の日曜日で、今井美樹なんかも参加するそうだ。そうすると旦那の布袋君もギターで来るんじゃなかろうか。こちらは素直にありがたい。別の事をしながらテレビのニュースを聴いていたので「2万人規模のコンサート」などと聞こえた気がしたが、まさか、ね。で、今、大急ぎでイベントのHPを探したら『口蹄疫義援イベント・がんばっと宮崎~水平線の花火と音楽』というかなり大がかりなイベントのようだ。ということで、取り急ぎ臨時ニュースを二件お送りしました。当然、本日の音楽は泉谷しげるの初期の名曲「眠れない夜」。ただし、イエローでね。ちょっとオリジナルと歌詞は違うが、これもいい演奏だ。イエロー、泉谷のバックやってた頃あったな。確か当時のNHKのテレビとラジオで聞いたことがある。あれから3年経ったのに、ちごた、30年以上たったのに。

 追伸:本日アップを予告していた地元JAZZ MENの口蹄疫復興フリーライブの話はいずれまた。GPZさん、スマソ。



イ、イカ隊長異変あり!!



パトロール中、不審な対象を発見。捕捉した上、対応を検討します。隊長は、更なるパトロールの継続をお願いします。

まだ陽の高い内から



イカ隊長に習ってパトロール開始、ではなくこの後、香月保乃と関戸夫妻のフリー・ライブを見に行くのだ。そのまえのエネルギー補給なので、おねーさんは無し。目の前にはオババが一人、仁王立ちなのだ。嗚呼無情。

ようやくレイジー・ヒップの話、てかあの頃のヨタ話

 「今日、新聞を読んだ」で始まるのは”A Day In The Life”だけど、今朝地元紙を読んだら都城市の現職市長が、東国原知事が正式に不出馬表明後に立候補するらしいという記事があった。東知事は「しがらみ県政」を批判しており、万一そういう候補者が出た場合は不出馬を取りやめるかもしれないなどという話もあったが、どうも良くわからん。というのも、この都城市長はご本人が「知事と地元が同じで身内意識がある」などと発言してきているし、東知事も「小学校から大学までの同窓」ということから自身の後継者的捉え方をしているという。ん、それはまさしく『地縁』ってやつと違いますか?「小学校から大学までの同窓」といったって年齢的には一回り以上違うし、学校の先輩・後輩なんてのは「しがらみ」以外の何物でもないと思うのだが。いえ、この市長さんのポリシーだとか政治力とか良く知りませんが、地元の私立大学の移転の時に非常に不愉快な思いをしたことがあるのだ。あ、あらかじめお断りしておきますが、僕は「大学移転」と聞くと無条件に「フンサイ」とか「反対」という単語が出てくるように刷り込まれてしまってるので、一般パーポーじゃなかったピープルの人とちょっと感覚が異なってるかもしれません(なんてことは、以前だったら絶対書かなかったことなんだけど、この辺りが最近日和ってるのかな、反省)。

 話を戻すと以前、高鍋町というところにM九州大学という私立大学があり、その歴史は40年以上もあった。かたや都城市にも歴史は浅いがM産業経営大学の都城キャンパスがあった。もっともこちらは大学経営上の問題で宮崎に撤退してしまい、その跡地をどうするか周辺の空きアパートをどうするかという問題があった。で、どっちがどうだったか(つまり大学側が先にアプローチしたのか、それとも行政側がおいでおいでしたのか)は知らないが高鍋町のM九州大学が都城市に全面移転することになった。同じ宮崎同士でパイの取り合いをしてどうするのかということで以前エントリーにも何度か書いたことがある。ま、そういうことがあって僕はあの都城市長は嫌いです。立候補も東知事の不出馬を確認してからなんてところがスケベ心満点でうざったい。東知事が後継者として容認するのであれば、どちらも「正体見たり枯れすすき」って感じで所詮そんなもんかと、おっとこんなきな臭い話を書きたくてキーを叩いてるのではない。レイジー・ヒップであった。

 ♪あの娘ハドソン・リバー越えて 恋のNew York Cityへ 燃える心に夢だけつめて 昔初めてのデイトで見た映画のワン・シーン 輝く街New York~アルバム『フラワー・トップ』のオープニングを飾る、というよりレイジー・ヒップの代表曲である「ハドソン・リバー」。作詞はKURO、作曲は当然西岡恭蔵である。詞も曲もいいが、なんといってもいいのは伸びのある千秋のボーカルとリラックスしたバックの演奏。この演奏力を買われて加川良の名盤『駒沢あたりで』に参加。しばらくはツアーのバック・バンドとしても活動していた。余談だが加川良の唯一の未CD化アルバムであった『プロポーズ』も今回レイジー・ヒップのアルバム発売と併せてCD化される。めでたし、めでたし。

 と、駆け足でレイジー・ヒップのことを書いたが実は一体どうして彼らのライブに足を運ぶようになったのか、またそれが1度や2度ではなくサーカス&サーカスで演奏のあった時は結構な回数見ているし、当然ファースト・アルバムも買ったしシングルになった「Moon Dancing」も購入し、宮崎に帰省した時にいろんな友人に聴かせたが、いまいち反応が良くなくて、まあそれはレコードのアレンジがあまりに甘くてバンドの良さが出てなかったからだと力説して一度ステージを見たら絶対気に入るはずだと断言するも悲しいかな宮崎までツアーで来ることはなく当時聴かせた友人たちも記憶の片隅にも残っていないことは火を見るより明らかで、でもあの曲の♪たとえば、こんな夜、Moon Dancing,Sweet Night~なんてフレーズは未だに口をついて出てくる、あれから30年千秋もチャールズ清水と結婚して子供も出来たという日々があるのだ。そうそう、この「Moon Dancing」、ステージでは冗談半分だろうけど曲名を「たとえば愛」などと紹介していたが、それは間違いなく当時の人気テレビ番組から拝借したのだろう。

 いけません、今朝の新聞読んでちょっと怒りで眼がくらくらして、そうだ今日はお彼岸だから墓参せねばと午前中からお墓に行き、昼は最近の体型を考えて辛抱せいや替え玉をと思いながらも、万一ここで地震でも来て地下に閉じ込められて半年はまともな飯が食えなかったら一生後悔するかもしれん、だったら食えるときに食うのが歴史の必然というものだと、自分に詭弁を弄して注文してしまい、やはり最後少し反省して、それでも後悔先に立たずで立つ鳥跡を濁さずのたとえもあるのでスープまで完食してしまったのがいけなかったのか話が続かないというか例によってまとまらない。記憶を整理してみよう。一体どうしてレイジー・ヒップを聴き始めたのか、見に行き始めたのか。

 考えたというか、思い出す努力をしたが出て来ない。ただ思い出したのはサーカスで見たライブには必ず男だけの4,5人組がいたことだ。それも外見はいかにもまじめな地方出身の大学生という感じで言葉も関西のイントネーションではなかったと思う。一人だけはっきり顔を覚えているのは銀縁の眼鏡をつけた痩せた小柄な男で、彼がリーダー格で良く千秋のMCの時に合の手や突っ込みいれたりしてたな。そうだ、S戸君が「おい、drac-ob、レイジー・ヒップのライブの時にしょっちゅう来てる男グループおるやろ。あいつら、ごつい熱心でな、うちでライブある時は必ず4,5人で来よるねん。でも、あんまり酒が強くなくてな、いつやったかライブ見て『イエー』はええんやけど、そのままソファにぶっ倒れてほっといたらアゲそう(いわゆる初期のサルトルですな、そのココロは『嘔吐』なんちゃって)やったから、WC連れて行ってやらんかいと他のやつの声かけたらそのままWCから出て来よらへんねん。おかしいな、思て見に行ったら介抱してるほうもゲェゲェやっててな、しゃーないから背中さすったり塩水飲ませたりしたら『えらい、すいません。店に迷惑かけてすいません。これからはもう飲みません』とか言いよるさかい、『アホ、うっとこは飲んでもろてなんぼや、次来る時もガンガン飲んで、でも吐いたらあかんから、そやなつまみをガンガン取って売り上げに貢献してや』て言うったった。などというエピソードも聞いたな。

 で、その男グループとはそれからしょっちゅうサーカスであったのだが、どうも波長が合わないというか彼らはグループで固まっていてライブが終わると以前の悪酔いで学習したのかそそくさと帰ってしまうので、こちらから話しかけることもなく、またライブの休憩時間などに視線があったりすることがあったが、なぜかこちらと視線を合わせることなくあらぬ方向を向いていることが多かった。どうしてなんだろう。当時の僕はもう肩まであった長髪をすっぱり切って耳の出るテクノカットで、たいてい緑のパンツにちょっとラメっぽいシャツにバッジを沢山つけた、いわゆるニュー・ウェーブの若者スタイルで、口を開くと「日本のロックの復権」とか「相互交通形態の獲得」だとか「連帯を求めるほど落ちぶれてはいないぞ、でもヤングなおねーさんからの孤立は断固拒否する」とか、今にして思えば当時のナウでガッツなヤングが深夜喫茶でハイミナールをかじりながらしゃべるようなことばかり言ってたので、「この人たちはジンシュが違う」と判断されていたのかもしれない。うーん、今更だがその判断は正しい。

 だいたい、レイジー・ヒップのライブに行くと店長のG条さんもスタッフのO釜さんも、「え、なんでdrac-ob君が来るの?君はパンクやニュー・ウェーブじゃないの。あ、日にち間違えたんだな。連続射殺魔とINUのジョイントは次の木曜だよ。DUFFだったら明日だけど。」とか、「へえええ、こんなの聞くんだ、この前JJ・ケールのアルバムをボロカスにけなしてたのは、誰だったっけ(スマソ、当時はかったるかったのよ、あの手の音は)。あ、そうそう、君この前DJさせたらオールドのボトル丸丸一本空けたよね。客は10人も来てなかったから大赤字でオーナーから随分怒られたよ。今度やるときはホワイトね、ていうかお客の人数確保してからやろうか」とか、まあ日頃の行いの報いなのか散々な言われ方をした。あ、誤解無いように説明しておくと口ではきついこというけど、根は優しいお二人で隣さんから教わったけどO釜さんは今はナベプロのスタッフらしいな。G条さんは、全くどうしてるか分からないらしいけど。



 あ、それとレイジー・ヒップに興味を持ったきっかけの一つに僕のサークルにいた貴重な女子部員、ええと確か77年度生じゃなかったかな、K上さんて人がいた。彼女はD大じゃなくて、もしかしたらD女子大だったかな。K平先輩なら覚えてると思うのだが、僕はちょっと自信がない。まあ、女っけのないサークルだったのでいわゆる「冬山現象」というのが良くあった。どういうことかというと、冬山には女の人が極端に少ないし、防寒具で全身を隠しているため、多少外見にハンデイキャップのある、いや、その、なんというか十人並みの女性もゼッセイの美女に見えてしまいフォール・イン・ラブまでならまだいいが、まかり間違ってレッツ・ゲッツ・マリッジなんてなってしまったら取り返しがつかない、いや、後悔先に立たず、あれ、このエントリーで二度目だな。などと話を曖昧にぼかしたが、いえ、K上さんはそれなりきにおキレイな方でした。

 そうね、タイプとしてはリンダ・ロンシュタットというか、あの手の狸顔、つまりまん丸で愛嬌があるという子だった。ええ、なぜこういうことを書いたかというと、実は77年だったか学園祭でおかま喫茶をやり、僕は「アグネス」という源氏名で出ていたのだが何故だかショー・タイムにピンク・レディーの「渚のシンドバッド」を踊らされて、あれは二人でやるものなんだが相方をしてくれるやつが誰もいなくて、結局振付を教えてくれたK上さんがミーちゃん役で一緒に踊ってくれたのだ。いやー、あれは受けました。そうそう、客にニュー・ジーランド人の英会話の先生が来て、片言のエーゴとボデイ・ランゲージでしゃべっていたら何故かロックの話になってフィル・マンザネラがプロデュースしたニュー・ジーランドのロックバンドでスプリット・エンズという鉄腕アトムみたいな頭した連中がいたのだが、その時にスプリット・エンズというのは” split ends”で「枝毛」のことだと教わり、なるほどそれでああいう髪形をしていたのか連中は、と得心したことがあった。



 いや、それはどうでもいい話で、そのK上さんがレイジー・ヒップのファン・クラブに入っていて「いいバンドだから是非ライブ見てください」って進められて、それで下心行動委員会常任委員だった僕がサーカスに下見にいったのではなかったか。うーん、どうもそれっぽいな。で、当時の僕の聴いていた音楽とははるかに隔たりのある音だったけど、もともとライ・クーダーは大好きだったし、R&Bやソウルも嫌いじゃなかった。自分の部屋ではそういう音も聴いていたのだが、それ以上に70年代後半ってのは日本のロックが大きく変化していきつつあった時代だし、いやそれ以上にパンクやニュー・ウェーブ、そしてスカというかモノ・トーンの連中とか刺激の強い音が沢山ありすぎたくらいだし、僕自身も何かが変わる、変えられる、今こそ何かをせねばみたいな強迫観念がいっぱいだったころ、まあ筒井康隆大先輩の言葉を借りると「あらえっさっさの時代」だったのだ。

 またひとつどうでもいい話を思い出した。僕のサークルにはブルース班という辛気臭い研究班があり、歴代のサークル員は75年Y田さん、76年S戸君、77年O崎君そして78年にO畑君という根の暗い連中が集っていたのだが、そのなかでも多分一番暗いというか、変わり者だったのがO畑君で、彼は地元の大阪から阪急で大学まで通っていたのだが1年を通して1枚のネルシャツで過ごした男だ。流石に冬場はネルシャツ1枚じゃ寒いだろうと聞いたら「軍手嵌めて、手をグーにしてまっすぐ伸ばしてたらあんまり寒くないんですわ」などというような男だった。しかし、音楽に対する耳はシビアなものがあり、めったに意見などいう男ではなかったが、そのO畑君が「タコヤキのスライドはええわ~」と褒めたことがあったな。

 ここまでお読みいただいた方には、大変申し訳ない結論ですが、すんません、レイジー・ヒップのアルバム発売が嬉しくて取りかかったエントリーなんですが、どうにもこうにも断片的な想い出しか出て来なくて、なんとかそれをまとめようと思ったのですが、あまりにも当時のサークルおよびその周辺の話ばかりで完全身内落ちです。とにかく、少しでもこのバンドに興味を持って頂けたなら是非アルバムを聴いてみてください。日本のロックでこういう展開が70年代末に関西であったんだという事実を共感してもらえたらうれしいです。ああ、でもやっぱり音楽はライブだな。このアルバム発売記念して再結成ライブやってアルバム作らないかな。無理かな。おっと、最後の最後にお断りです。このエントリー書き始めたのは、23日でその日にアップするつもりだったので最初の話の日付がややおかしいです。書きなおそうかと思ったけど、最初の部分はそのときのマジな本気だったのであえてそのまま、スマソ。

昔、フンサイしたはずなのに……



ツクバ・チューキョーシン路線と共にフンサイし葬りさったつもりだったが、実はフンサイされたのはこちら側だったのか?!

で、全然関係ないけど凄く面白かったので「三人の侍」の動画貼っておく。「ツーフー」って発想が凄い。



りりりりりりりり、臨時ニュース 続きだけどショートバージョン

レイジーヒップ 幻のファースト

 昨日は疲れて帰って、エントリーの続きが書けなかった。今日も就寝時間をオーバーしてしまったので駆け足で予告編を書いておく(このエントリーのアップ日時が21日の23時59分になってるのは「検事の作文」です。大阪地検の前田君と同じ「誤って書き換えてしまった」わけで、決して事実を歪曲する意思はなかったことをここに宣言するっ!!)。いや1,2週間前のディスクユニオンのメルマガで、なんとあのレイジー・ヒップの『フラワー・トップ』がCDで発売されると知り、欣喜雀躍。これは買わねばの娘で、ディスクユニオンは支払い条件や送料がちょっとあれなので(いや、ルンペン・プロレタリアートには送料のうん百円だって痛いのよ)、昨日密林探索したら、やはりありました。さっそく予約です。

 で、本当はレイジー・ヒップに関する話と当時のサークルと銀閣寺のサーカスの話を書くつもりだったけど、それはまた今度ね。拙blogには珍しい女性サークル員、K上さんのことやサーカスのO釜さんの話も出てくる予定。さらには、DRAC名物おかま喫茶の話も登場予定。心して待て(つったって、待つ奴なんかいないよな)

りりりりりりりり、臨時ニュース

 先ほど、ネットのニュースで見た速報。東国原知事が次の宮崎知事選には出馬せず、都知事選を狙うらしい。賛否両論あるだろうが、ご本人の決めたことなのでいろいろいってもしょうがないような気がする。そもそも2007年の知事選に立候補した当初は、泡沫候補というかキワモノ扱いだったのが連日の選挙カーでのアピールが浸透していき、一種の宮廷革命がおこったことは地元の人間として大変嬉しかった。もちろんその当時から、いやそれ以前から「そのまんま東が宮崎を足場にして国政に出るらしい」とか「千載一遇のチャンスなので泣いて馬謖を斬って(つまり奥さんと別れて)、宮崎の知事選に出るらしい」とかさまざまな噂話が飛び交った。地元のとりわけ県北での方言というか格言でいうと「げなげな話は嘘じゃげな」のパターンであった。あ、ちょっと解説すると宮崎県の北部では「~だそうだ」という場合に「~げな」という言い方をします。英語で言うと”I guess”という表現に近いですね。たとえば「ニュー・ヨークには神様がおるげな」=”I GUESS THE LORD MUST BE IN NEW YORK CITY”というような使い方です。ニルソンで英語を学ぼうのコーナー終わり。

 ところがこの言葉の矛盾というかパラドックスは「げなげな話は嘘だ」と断定形ではなく、「げなげな話は嘘じゃげな」と文末にもあてにならない表現である「げな」を使っていることから厄介になる。要するにうわさ話は嘘ばっかとか、眉に唾して聞けとか、デマゴギーとは権力が人民を操作する際に使う甘い果実であるというようなものだろうか、ってちょっとらしくない話になりましたが。ま、要は「宮崎に骨を埋める覚悟」で帰ってきたはずなのに、1期が終わればハイさようならは無責任ではないかという声がやはり圧倒的に多いかなというわけだ。日頃は知事の足元すくいみたいな記事ばかり書いてる地元紙もここ最近東国原県政の検証記事を連載していて、その中で東国原県政の最大の功はしがらみのない県政を作ったことだと書いてあった。そうなのだ。彼が宮崎の県知事になれた最大の理由は長年にわたり「しがらみ」だらけの県政が続いていたからなのだ。

 東国原知事の当初の姿勢と最近の見解については後援会のHPご本人の日記をリンクしておくので、それぞれ参照して頂いて賛成・反対などの判断基準にして頂ければ幸いであるが、僕が一番懸念したのは実は東国原知事が知事選に出ないとなると出馬を検討している元国会議員がいるというニュースを、それもかなり高い精度のニュースを聞いたからである。いや、まさか、その、ジミンを脱党して、ニッキョーソをフンサイするために奥方も道連れにして比例で出たけどもちろんコケタけれども、悲しいかな地元ではまだまだブイブイ言わせてるあのセンセが登場するのではないか、という危機感なのだ。なんというセンセかは、拙blogをお読みいただいてる同志・友人諸君(笑)であれば先刻ご承知の、僕がこのところずっと好きで聴いているシンガーでついこの前iTunesで新作をリリースした「うりちゃん」と同じ姓をもつあのオサ~ンだ。あんなん出たらさっぱワヤでっせ。むろん、良識ある宮崎県民は彼の登場を許さないだろうが、しかし、相手は権力握ってるからな、建設業界も第一次産業グループもまとめて推薦しそうで、あああ、それだけは避けてほしい。あんなん、来たらこの動画の世界になってまうがな。で、これが速報第一弾。次の速報はとっても楽しいニュースなのだが、家庭サービスというなの地獄の黙示録が控えているので、帰ってきて体力の残があったら再開する。しばし、サラバである。あ、次のニュースは音楽ネタです。



こ、ここにもzappy君が




二人いた。思わず「ハウアーユーゲティングホーム?」と歌いたくなった。



いや、そんなラブラブな青春ソングじゃないな、ここはいっちょ、御大にお願いします。



別館風ニュース23もどき

 毎日あれだけ暑かったのがウソのように、朝晩急に涼しくなりましたが皆様方にはお変わりございませんでしょうか。さて、日々のニュースに鋭く切り込むことで確実に読者を獲得してきた拙blogですが、本日も「おおおおお、こ、これは」というようなスペッシャル(「ペ」にアクセントつけて発音ください)なプログラムを提示いたします。ごゆっくりどうぞ、ってオッサン何かあったんか?オワタのか?いえいえ、新しい「芸風」の確立です。ある高貴なblogの姫様から「D大は芸風が同じなのか?下ネタばかりなのか?」という問題提起を受けたので、「いーえ、違います。本当は僕はジャーナリスチックなblogを書きたかったのです」という回答はいかがなものかという、ま一つのカウンター・アンサーということで。

 僕の毎日はまず経済関係のニュースをチェックするところから始まるのだが(ウソです。たまたま開いたYahoo!のニュースの最初にあっただけ)、あの家電メーカーであるサンヨーブランドが無くなるのはさびしい。もともとが松下幸之助の弟が作った会社だし技術や資本的なものはナショナルじゃない、パナソニックというのか今は、との関係が深くてそちらに吸収されるという話はもう以前から聞いていたのだが、「サンヨー」という名前が完全になくなるとは思わなかったのだ。ソニーや東芝のような派手さはなかったけど、結構ほのぼのしたいいCMがあったんだよな。カラーテレビの普及にも貢献した。なんてったって、このCMは当時の子供たちに大ヒットした。



 これ、発表されたのは1965年。なんと東京オリンピックの次の年である。まだビートルズも来日していない。そうそう、ビートルズといえばモーニングに連載中の『僕はビートルズ』、最初はちょっと敬して遠ざけていたのだがここ何回かで一気に盛り上がってきた。もともとかわぐちかいじは好きなマンガ家だったが、『ジパング』のパターンでタイム・パラドックスで終わりみたいなしょぼい話じゃないかと勝手に決めつけていたのだ。実は今日のエントリー、最初は「確信予想『僕はビートルズ』はこうなる!!」というタイトルで、当時の時代背景と音楽シーンがどう変わったかを書いてみようと思っていたのだが、それはまた今度。

 65年と言ったら当然僕はまだ生まれてないのだが(大ウソです、どうして今日はこんなにウソばっかりつくんだろう。♪ライラライ、ライラライラライラライ、ライラライ…)、音楽シーンというか洋楽シーンは映画音楽全盛の頃で歌ものはライチャス・ブラザーズとか、テンプテーションズ、フォー・トップスあたりだな。あとベンチャーズやスプートニクスといったエレキのインスト物がヒットしたようだ。そうそう、BAHOも「十番街の殺人」や「霧のカレリア」をしっかり演奏して確か石やんだったか『これを知ってるのは確実に50代だ』などと絶叫していたっけ。おっとサンヨーの話だった。エンケンじゃなかった、エノケンのCMソングも印象的だったけどこちらも幼心にしっかり覚えていた。ジャックスから「乗り越えるべきゆらの助」といわれたハマクラさんの歌でどうぞ。



 で、これは僕の記憶なのだが、サンヨーのカラーテレビは「薔薇」が有名だが、メキシコオリンピックの頃だから1968年なんだが、サンヨーは、その名も「日本」というカラーテレビを作ってなかったっけ。CMには赤のブレザーに白のスラックスという日本選手団を思わせる男女が左右から出てきてマーチみたいな曲に乗せて♪サンヨー、テレビ、ニッポン!!と歌いながら右手を胸の位置に曲げてそれからまっすぐ上げるという、うーん、イメージとしては「ハイル・ヒットラー」みたいなアクションで…。ググってみたけど分かりません。どなたかご存知でしたら是非ご教示を。

 さて、本日の心洗われるトピックスの第2弾は「Have Mercy On The Criminal」というエルトン・ジョンの歌を捧げてあげたい田代マーシーの「コカってごめん」事件。これもランチタイムのYahoo!のニュースで見たのだが、掲載されてた写真見て再度ビックリ。だ、誰やこのオッサン、と言いたくなるような痩せっぷり。そうか、ドラッグやると痩せるのか、うーん、って何考えてんだ、オレ。こればっかりはダメ・ゼッタイ、と止められれば止められるほど興味が湧くのは人の心だが、ついこの前シミケンがパクられマーシーさんは「つぶやき」とやらで、自分自身は大丈夫と嘯いていたらしいけど、もうあかんな。ということで、シャネルズじゃなかったラッツ&スターは、再結成不可能ですね。それで2ちゃん見たら、なんとも上手いこと書いてる人がいたのでここに引用させていただく。僕は全員は分からなかったけど、たぶん最後に登場してるのは同郷の元バンドマンだと思う。ということで、本日の手抜きエントリーはこれにて。いやー、時代を撃ってるな、オレ。

  --格子園出場校--
       主催:朝目新聞社秋屋麻会長御子息(大麻・覚醒剤大賞受賞)
聖シミケン学院(2年ぶり6度目)
学法美川        NP(ノリピー)学園(初)
赤坂工業        槇原大附属
市立JWALK商業    三田学園付属第二(3)
押尾学院(初)      ケイウンスク国外退去附属
県ナオコ商業      志村県立田代農業高校(6年ぶり6度目) new!
勝新学院        性カルーセル学院
加勢実業        にしきの育英
銀蝿翔科大附属(3)  嵐大野高校[21世紀枠]
今井爆竹学園高校  東福岡村(3)
岡崎体育大附属(5)  井上陽水産高校
石田第壱高校     瀧川コロッケ工業
駒大苫小向       ジョン健外語大学附属
西川口夢叶学園(2)  豊川誕工業(6)
北四葉高校       四葉江木学園
遊THE六館        岩城工大一
長渕とんぼ高等学校 茅ヶ崎大森高校






キャンプの話あるいは反省日記

 うーん、面白くないな、ついてないな、つまんないな、それどころじゃないな、どうしようか、どうしたらいいんだ、もうどうにでもなれと、さあ殺せといったのはどこのどなた様で、勝手にしやがれと唾を吐いて踊っていたのはこの俺様(by「やけっぱちのルンバ」)だったかもしれない。というような重苦しい日々が続いていた。いや本当に鬱陶しい日々が続いていたのだ。特に前日、あ、話が見えないだろうな、つまり先週の金曜日のことだが浮世の義理で飲み会に参加したのだが、これがまことにつまらないというか不愉快な連中ばかりの集まりで、無礼というのは礼儀を知らないだけではなくて、知っていてもそれを尽くそうとしないことでよけい人を不愉快にさせる、という当たり前の経験をした2時間というものがあったのだ。当然、そういう不愉快な連中とは二次会などには行かず気心の知れた少数でカラオケにいったのだが、気持ちがささくれ立っていたので歌った歌は「今宵の月のように」で「ダイナマイトに火をつけろ」で「ふざけるんじゃねえよ」で「嫌んなった」。まあ、最後はキヨシロー&チャボバージョンの「Don’t let me down」を絶叫して多少すっきりしたのだが、回りの連中にもこの空気が伝わりせっかくカラオケボックスでストレス発散のはずが、さらなるストレスを内包したまま解散した午前零時だった。

 で、その翌日土曜日が毎年恒例のJEP-OB CAMP、要するに僕が最初に勤めた会社のOB連中が夏と冬に集うキャンプだった。参加者が宮崎・鹿児島・熊本(これはその会社の支店・営業所のあった場所でもある)在住なので、キャンプの場所はおのずと限定されてしまい、今回も昨年同様都城市の関之尾キャンプ場であった。そういえば去年はちょうど粥川なつ紀ちゃんのライブと重なり、大変心苦しかったが折角のTHIS BOYさんのご紹介でもあったが、先約というものがあり九州男児は男の約束を最優先するという血の掟に泣く泣く従って、でもそのライブを見たY尾君がわざわざ当日電話してきて「いやー、いいもの見せてもらった」などと言われた時には、嗚呼我過てりと、っていい加減女々しいのでやめるが、まあそういうこともあった。あれからもう1年たったのだ。早い、あまりにも早すぎる、時のたつのが早すぎる(by 「パラシュート革命」)とちょくちょく頭脳警察の歌詞を引用してるとアフラックとか、ナスダックとかいうキンピラ組織(「キ」の字を「チ」の字に変えても意味はほぼ同じで、これは当然シャイロックという強欲なユダヤ人の名前によく似た組織の事である。てめえら集めた金でノーパンしゃぶしゃぶなんかに行ったりしてないだろうな、ゴホン、取り乱した)にお金を請求されるので、ただ単に時のたつのは早いものだ。「荒淫」矢の如しである、というのは今度は筒井康隆のパクリなのでみなさん真似しないように。

 などと、例によってだらだらしたイントロであるが、11日土曜日に一人車を飛ばして行って来ました。サマーキャンプ。お、こう書くと清々しいね、雰囲気だけだけど。去年、一昨年はN村君という、熊本の元営業所長でこのキャンプの最初の企画担当者と一緒に車で行ったのだが、今年はキャンプの日程が近づいてきたのに電話がないなと思って、こちらから架けてみたら用事があって行けるのは夕方過ぎになるというので、僕も子供ではないから一人で行くことにした。車中で聞くCDも当日あわててセレクトして午後2時半に家を出た。本当はもっと早く準備して出たかったのだが、前日は飲み会、翌日はキャンプと二日連続のイベント続きで配偶者およびその嫡子二人の機嫌が大層悪く、『てやんでぇ、オトコが遊ぶのに何が悲しゅうて女房子供のご機嫌取りしなくちゃならねーんだ、なんやその辛気臭い顔は、酒や酒や酒を買うて来い』、などと言えた日にはさぞや気分爽快だろうがその後の地獄の日々を考えると人間辛抱が大事だ、ならぬ堪忍するが堪忍、それが男の生きる道、などという心の中のせめぎあいがあったのだ。

 ま、機嫌の悪い3名を何とか宥めて家を出た。車で出る前に今回の幹事役のH君にメールして到着は4時過ぎくらい、今現在誰か来ているかと尋ねたが打ち返しがなかった。彼は奥さん1名、子供2名の総勢4名で鹿児島から来るので、まだ移動中なんだろうと思い、こちらも急ぐ旅ではないので国道をのんびりCDかけながら走った。途中途中でメールのチェックをしたのだが、とんと返信がこない。もしかしたら、僕が日にちを間違えたのではないかとか、急にキャンプそのものが中止になってなぜか手違いで僕にだけその連絡が来なかったのではないかとか、まるでAAミルンの短編小説『ノット・ギルティ』みたいに、悪い連想が広まって、それでなくても前日は嫌な思いをしたのでもしかしたら世界中でオレだけ爪弾きにあってるんじゃないかという疑惑は拭えなかった。などと、だらだら文章を書いているうちに谷啓は亡くなるわ、今朝の新聞見たら山元清多も亡くなっていてビックリ。81年82年と連続してみた黒テントは面白かった。いやそれ以前にも、別館で「ブランキ殺し上海の春」のポスターを見た記憶がある。その辺の話も書きたいが、ああ、急がないと時間がない。

小さな焚火

 と、時系列がめちゃくちゃになったが4時丁度位にキャンプ場のふもとの町に着いた。携帯を見たがH君からの打ち返しは入っていない。ちょっと冷静になり、同じ鹿児島グループのzappy君がいるはずと思い、こちらは直接電話してみた。10回近く鳴らすが出ない。うーん、これはいよいよ罠にはまったというか”Fall into a trap”ではないかと昔習ったイディオムなんぞを思い出していたら携帯が鳴った。受話器を取ると能天気な声で「すんませーん、電話取れませんでした」とzappy君の声がした。ちょっと安心して「今、庄内のコンビニ。もうみんな来てる?」と聞いたら「あ、結構揃ってますよ」という返事。こうなると勇気凛凛鈴の色じゃなかった瑠璃の色だ。大体「鈴の色」ってなんだよ。聞き間違いも甚だしい。などと『少年探偵団』の歌を口ずさみながらキャンプ場への山道を車で急いだ。

 電話したコンビニから約15分。ようやくキャンプ場に着き、車を駐車場に入れリュックと折りたたみの椅子を取出し、それらを肩にかけキャビンのある丘に登った。何やら人の声が聞こえる。広場の中央部にバーベキュー用のコンロと材木でできた長椅子が数脚置いてあり、そこに横一列に腰かけた中年男の集団があった。JEPのOB達である。串木野からK瀬さん、彼は僕の数か月後の入社、ほとんど同期だ、鹿屋方面からK迫君、彼は一時期僕の下で業務関連の仕事をしていた、そして鹿児島市から先ほど電話に出たzappy君、歳は僕と同じだが入社がずっと後だったのとまだKYなどという非人道的な言葉がなかった頃から十分KYだったakkun君、まだ若いのに外見は松山千春か同志ウラジミールと言いたくなる雰囲気を醸し出すI上君、そして子供たちと一緒に楽しそうにバーベキューのセッティングをしているのは、まごうことなくH君である。「おい、H君、オレのメールはシカトか?」と声をかけたら、K迫君がすかさず「だって、こいつ全然メール見てないですよ」とさっそくかつての上下関係を復活させて、連絡無視のH君の責任追及、予算未達成の原因は報告・連絡・相談のまずさだと言わんばかりのご指摘。H君はというと、「え、メールなんて届いてないですよ(ここ、カゴンマ弁独特のしり上がりのイントネーションで発音してください)。ん、あ、あれ、新着メールのランプが光ってるがよ~」。

 来ていたメンバーは全員鹿児島勢で宮崎は僕だけ、そして残念ながら今回は熊本勢の参加はなかった。一昨年の冬に来ていたE浦君は今回「ボシタ祭り」とかいう、加藤清正が朝鮮半島で虎と一緒に敵を滅ぼしたという伝説がそのネーミングの由来になってる、ま、なんというかいかにも「もっこす好み」な名前の祭りだが、ボーダーレス社会というか、グローバル・スタンダードが問われるこの時代にはちょっとマズイ雰囲気じゃね、といえるような名前の祭りだったので今は改名されるとかしないとか。で、今ちょっとググッてみたら、まあいろいろな説があるようで、中には熊本弁の「ボ×した」が語源だとか、韓国語の「ポッシダ」が語源という説もあるようで、なんだか良く分からない。とにかく、その祭りの準備で来られないということらしい。もう一人熊本にはN村君といって、これは宮崎にも同姓の社員がいたので名前でミキオ君と呼んでいた二枚目がいたのだが、彼も仕事で忙しく来年こそはと言っていたらしい。

 もっとも宮崎勢はこの後、そうそう、今朝の新聞で暴行事件の被害者になっていた女性シンガーと同姓のO束君(おい、イニシャルになってないぞ!!)が加わり、僕は彼とも十数年ぶりだったのだが見た目は全然変わってなかった。5時前だというのにもう全員缶ビールで、じゃそろそろバーベキューの準備をするかと段取り始めたら、H君とzappy君にそれぞれの奥方からイエローカードが提示された。缶ビール5本は飲みすぎだという警告だ。人間こういうときにその品性が出るもので、「お、もう5本も飲んだのか、じゃちょっと休憩しなくちゃ」などというフグタマスオ的物分りのいい亭主なんて柄じゃない。この極悪コンビの取った連携プレーは「え、まだ3本目。さっきのはdrac-obさんの分、あ、その前のはO束さんの分」などとすっとぼけている。もっとも鹿児島というところは数の数え方に特徴があって、「1、2、3、あとは沢山」という数え方があるらしいので、一概に5本はダメといっても本人達には意味が伝わらなかったという解釈が出来なくもない(大嘘です、真に受けないでね)。

 バーベキューが始まるころに、宮崎からN村君が奥さん同伴でやってきた。電話でN村君が「ブスだけど気立てだけはいいから」などと謙遜していたが、とんでもない。なかなかに色っぽい、え、いや、その今回参加された奥様方はみなさん美人で気立てが良くてしっかりしてました。いや、これお世辞抜きで。これで全員揃ったと思ったが、もう一人鹿児島からT山君が仕事を終わらせてから合流するとのことで、JEPのOB総勢10人、家族入れて総勢16名のにぎやかなキャンプになりました。また、運のいいことにその日のキャンプ場は僕たちしかいなくて、完全借り上げ状態。管理人さんも夜の電燈は22時過ぎると切るのだが今日は特別につけたままにしてくれるとのことだった。したがって周囲に気兼ねなく馬鹿話に花を咲かせた。

 今回のキャンプにはK瀬さんとH君が当時のアルバムを結構持ってきてくれていて、その話も盛り上がった。僕たちのいた会社は営業会社だったが、社長がイベント好きだったので全社員で海外旅行というのも2度や3度ではなかった。今回持ってきていたアルバムも84年くらいだったか、全社員でグァムに行った時のものもあり当然だがみんな若い。もっともその当時のアルバムに映っていたのは僕とK瀬さんくらい。というか、みんな結構入社年度や在籍期間はばらばらだったので、大昔の話は僕とK瀬さんくらいしか分からないのだ。それでも80年代後半とか90年前後の頃の写真は物凄いものがある。色がややセピアっぽくなってるのはご愛嬌だが、シャコタンのスカイラインの前でVサインしているパンチパーマや夜なのにレイバンのサングラスをかけてタバコ咥えてるとか、この頭の大きさはなんだ、庇かそれは、というようなヘアースタイル、いやー大いに笑いました。中には「お、この子どこの子だよ。こんな可愛い子いたっけ?」などという、40代後半独身の悲しい叫びも聞こえたが、なーに、その写真はもう20年近く前のものだから、そのかわいい子も今や、今や、うううう、言えない、もしこのエントリーを彼らの奥方に見られたらなんと糾弾されるか分からないので、話を変えます。BGMはRCの「言論の自由」でお願いします。

 えー、まあ、この後は毎度毎度の馬鹿騒ぎというか時間無制限一本勝負であったが、やはり寄る年波にはかなわないのか、最年長のakkunが6時半くらいに沈没。本人いわくキャビンで布団を敷いて寝場所を確保しただけだということだが、復活するのに1時間以上かかり、「あれ、あいつどうした」と皆が気にし始めた8時前くらいにまたヨロヨロと出てきて、ちょっと話したかと思うとまたキャビンに戻って本格的に寝てしまった。さらに、前半缶ビールを飲みすぎではないかと奥方から疑惑の目で見られていたzappy君だが、だんだん呂律が怪しくなり、さらには立ち上がるとふらふらし始めて奥方から「もう、パパも47歳なんだから」と注意されるが、一向に耳を貸さず言いたい放題を続けていた。しまいには奥方が「drac-obさん、主人を叱ってください。ほかの人のいうことはもう聞かないんですよ」などと言われ、「え、でもI上君が付いてるから大丈夫じゃないの」などと返事したところ「なーにいってるんですか、うちのパパとI上さんの二人が揃うとろくなことはないんですよ」などと、なにやら曰くのあるような話が始まりそうな、まさにその瞬間事件は起こった。

これが証拠だ、ずぶ濡れのI上君

 はたで見ていてもzappy君はかなりお酒が回っていて、注いだはずの焼酎がそのまま地面に落ちて行ったりとか、手に持ったコップを落としたりとかヤバい状態だった。それをI上君が「zappyさん、しっかりしてください、大丈夫ですか」とフォローしていたのだが、あんまり細かく注意されて切れてしまったのか、zappy君いきなり「うるさぁい」と叫んで手に持ったコップ上に放り上げてしまった。

 義務教育を経過された方は地球には引力があるということをご存じだろう。またコップはプラスチックの薄いものなので仮に頭に当たってもけがをする心配はまずない。しかし、大変不幸なことにカラのコップではなかった。なみなみと注がれた伊佐美が、K瀬さんが取引先から頂きウン十年寝かせていた、年代物の伊佐美が入っていたのだ。頭上に上がった伊佐美は物理学でいう放物線を描いてゆっくりと落ちてきた。そしてその落ちてきた液体は隣で介抱していたI上君の服の上にびっしょりこぼれた。ここで奥方のレッドカードが出たのは当然の成り行きであろう。大声を上げて抵抗するzappy君をなだめすかしてキャビンへ運ぶ奥方の姿に手慣れたものを感じたのは気のせいだったのか。

 えー、ここまで書いてきて続きをどうするかちょっと迷った。実はこのときまだ21時になるかどうかで宴はまだまだ続くのだが、沈没した連中がどうなったか気になった僕は23時30分くらいにそれぞれのキャビンに行ってみた。Akkunはアナグマのように寝ていた。フラッシュを焚いても全然起きてくる気配がなかった。驚いたのはzappy君のところで、当然爆睡もしくは苦しんでのた打ち回ってるのではないかと思ったのだが、布団の上で反省していた。話しかけると結構まともに応対はできる。しかし、つい先ほどあれだけの大暴れしたことを覚えていないのだ。その部屋でしゃべっていたらzappy君の奥方とI上君もやってきて、それから午前2時前までzappy、I上コンビでどのような大騒ぎをやってきたか延々と教えてもらった。I上君の名誉のために書くと、彼は常にzappy君を守ってやろう、助けてやろうと思うながらも状況的にI上君が無理やりzappy君を連れだして悪さしていると奥方には思われていたようだ。うーん、このあたりに夫婦の愛を感じるな。

この時のポーズはなんだったんだ!?

 武士の情けという言葉もあるし、今回話を続けると行きがかり上zappy君の武勇伝ばかりになり、それはそれで面白いのだがどうも彼の無分別な行動の原因の一端は僕にもあるようで、その辺まで書いていくと「あれは武町に2間のアパートを借りたころ」というJEP攻防史1982-1991などという長い話を書かねばの娘になりそうなので、とりあえず今日はおしまい。しかし、zappy君は心から反省しとらんな。翌日届いたメールにこう書いてあった。以下無断引用。

「あれから帰りつくまで“ネチネチ”虐められました(苦笑)

正直なところ、「憶えてねぇのに反省なんかできるわきゃね~だろ、バwwwロwww」と思いながらも、そういう態度は微塵も感じさせないところは「さすが俺」であります(´▽`) '`,、'`,、
・・・
嘘です。
反省してます。
生まれてきてすいまそん(´Д`;)


 あ、そうだ、zappy君、このblog奥方には読ませてないよね。万一まずい場合は削除とか検討するので連絡ヨロ(笑)。

反省の朝

二酸化炭素を吐き出して、焚火が呼吸をしているよ!

キャンプも終わり、後片付けと清掃作業中。何故か朝から奥方から、散々嫌味を言われている男がいた。どうしてだろう、家に帰ってじっくり思いだそう。※尚、思い出したので次のエントリーに詳しく書いてあります。

しかし、反省だけなら猿でもするというのは真実だなあ。



山の夜はこれから


いや盛り上がって参りました。今回も、毎度のメンバーと毎度の話だが、マンネリ打破のために、これからボーイズトークに切り替える。爆弾発言が出そうで楽しみだ。出ない時は、オレがボーロじゃない、暴露してやる。

キャンプにやって来た


毎年恒例のキャンプにやってきた。最初に勤めていた会社のメンバーで夏と冬やっている。昨日は浮き世の義理の飲み会に行ったが、実に消耗した。そのぶん今日は弾けるのだ。

困ったときのスパムネタ

 すいません。またもやお下劣ネタというか、スパムネタです。今日携帯に届いたばかりのほやほやだと思ってましたが、同じ文章があちこちで使われていることが判明しました。詳細はこちらのサイトで。以下コピペ。

当『禁断Sircle』は、男女の初対面H行為を大前提にご参加頂く、
秘密厳守のSircleで御座います。

私は当禁断Sircleの主催者で、“夏川博美”と申します。
当禁断Sercleは、私自身を含め、日頃溜まった劣情を抑え切れず何か行動を
起こそうと集まった、基本人妻が中心となった数十名の完全素人個人にて企画・運営をしております。
その為、男性参加者様の募集も公に出来ませんので、貴方様を含め、
極小規模な個別募集という形を取っております。
ご参加女性様は皆様、初対面H行為を誰よりも強く求められております。
貴方様がご参加を頂けた際には、必ず(事実上100%)初対面H行為をお楽しみ
頂ける事をお約束致します。

又、ご参加には料金の一切発生しない完全な0円設定を遵守致しますので、
どうぞご安心下さいませ。
尚、先にも記した通り、ご参加女性様のほとんどが人妻の為、秘密厳守は
徹底しお約束頂けます様、心よりお願いを申し上げます。

■ご参加専用入り口
http://kindan-s.name.urusidani.******/**



 僕はエントリーを打つ時は、WORDに入力してそれをアップするのだが、このしょうもないスパムメールをコピペしたらWORD君が烈火のごとく怒り出して「Sircle」の下に赤い波線を立てた。ご怒りご尤も、「サークル」は「Circle」である。カッコつけて英語にしたつもりがスペルミスである。アホ丸出しである。しかも、調べたところこの文面のスパムメールは、あの有名な「禁断サークル」の川嶋美咲ちゃんが、初代だったようで。以前「禁断サークル」のスパムメールもここでアップしたことがあったが、いや~一連の流れというか動きはあるんだな。しかし、いい加減スペルミスに気が付けよ。そういえば、アクセス解析しているといまだに「禁断サークル 川嶋美咲」でここに来る人が結構いる。それだけ全国的にばらまいているのだろうが、費用対効果はいかがなものだろうか。

 この手のメールも、「旦那が大アリクイに食われて未亡人になった」とか「実は私はチンパンジーです」などのように、大いなるロマン(?)を掻き立てられる壮大なフィクションだと突っ込みようもあるが、今回のはあまりいただけない。ま、折角だから2,3お訊ねする。まずは『初対面H行為』とはいかなるもので、それが『必ず(事実上100%)』とはどういう状態を指すのかご回答いただきたい。事実上100%という力強いお言葉がカッコでくくられているあたりに、何か弱いものを感じるのは僕だけではあるまい。そして、僕が声を大にしていいたいのは『日頃溜まった劣情を抑え切れず何か行動を起こそうと集まった、基本人妻』とは、どういう『人妻』なのか。『基本人妻』という分類の人妻がいるのか、それとも『基本』はそのあとの『数十名の完全素人個人』にかかっているのか、そもそもここに書かれている文章が支離滅裂というか、要は専用入口をクリックさせたいだけなんだろうけど。もうちょっと知恵と汗を出してメール作ることを期待します。

 あ、最後にもうひとつ気が付いた。WORD君が怒っていたのは「Sircle」だけじゃなくて、「Sercle」にも怒っていたのだ。しかし、同じ単語を二度もミスタイプするなんて、絶対普段から言葉に対して気を使ってない証拠だな。それと蛇足ながらドメイン名の「.urusidani.」って、どこかの地名だろうか。ま、どうでもいいけど。

ダダとかアインソフ、そうそうシェラザードなんていたっけ

 昨日、隣さんからメールが来た。mixiで「だててんりゅう」のコミュが出来たというお知らせだった。1も2もなく入りました。その報告をしたら、わざわざまたお礼のメールが届いて、「当時、、70年代の若者は、みな全国に、ちらばってますので、お知り合いいらしたら、ご紹介よろしくお願いいたします。」(原文ママ)とのことだった。mixi限定なのがちょっと残念だけど、あ、今のmixiは確か一人でも入れるんじゃなかったっけ、ということはいちいち紹介しなくても、ここを読んだ人で興味を持った人は誰でも入れるわけだ。ということで、「だててんりゅう」に興味のある方、あった方、または再結成村八分で隣さんを見た人(あんまりいないかな…)、とりあえずあの時代に借りのある人はこぞってご参加ください。隣さんのライブを良く見た時代、あ、「ピンクは血の色」事件の頃だ。某blogで歴史の捏造が行われていたので修正はしておいたが、今度ちゃんとここに書いておこうっと(以前、ちらっとエントリーに書いていました)。今日は、睡眠不足のためこれでおわり。またね~。


午後の叫び


バカヤロー、中性脂肪がなんだ。悪玉コレステロールがどうした。誰もオレを止めることは出来ない!!

…でも、このあとはしばらく歩こう。た、単なる腹ごなしだ。決してビビッてる訳じゃないぞ。


ロックのクソガキ!!

 あんまり、こういうことを書くのはどうかと思うが、でも、本当のことだからしょうがない。こんなものがロックなら、もうロックなんかどうでもいい。というか、オレは神を信じていないからちょうど良かったか。以下、引用。

【レコチョク 神だと思うロックバンドランキング(総合)】
■ 総合
01位:X JAPAN
02位:L'Arc~en~Ciel
03位:B'z
04位:UVERworld
05位:RADWIMPS
06位:BUMP OF CHICKEN
07位:ELLEGARDEN
08位:Janne Da Arc
09位:GLAY
10位:BOφWY

■投票の概要
投票実施サイト:レコチョク 音楽情報(iモード/EZweb/Y!ケータイ)
投票実施期間:8月17日(火)~8月31日(火)の14日間
有効回答数:2,004票




またもや動画頼みの手抜き日記

 いや、笑いました。映像と音を聴いて、一人で「ある、ある、ある」と笑い転げてしまい昼休み中の周囲から冷たい目で見られたが、この面白さを説明するには70年初めの日本語のロックの話から、テクノ・ポップという言葉がまだ市民権をもつ前のドイツ、正確には西ドイツのロックシーン(カンとかタンジェリン・ドリームとかいましたな)を説明しないと分からないだろうから、もう面倒くさくて一人でニタニタしていた。見ようによってはチーハクである。ま、とにかく見てください。聴いて下さい。クラフトワークがはっぴいえんどを演奏するというシュールな動画を。



 もっとも、このネタはニコ動に似たようなものがあったようで、そこからインスパイアされたのか、それともこの動画作った人のオリジナルか良く分かりませんが、んなこたぁどうでもいいのだ。こういうものに四の五の理屈付けるのは野暮ってもんで、猪八戒じゃなかった、なんだ、そのチョッサッケンたらいうやつか、やたらメリケンの連中がうるさい権利や義務みたいなことだな、うん。ま、でもそのメリケンの連中もネズミで飯食うために何やらその期間を強引に長くしたらしいな。「ぐろーばる・すたんだーど」は「だぶる・すたんだーど」で正確には「めりけん・すたんだーど」だってのはこの辺のルンペン・プロレタリアートには一般常識ってもんだ。なに、今は「ぷれかりあーと」ってのが流行ってるって?そりゃ知らなかった。えらいすまんこって。と別に酔っぱらってるわけでもないのに妙な話し方になってるのは、今日の昼間のニュースで競り市に出した牛が涎だらだらで口蹄疫ではないかという危険性があって、げっ、この前終息宣言したばかりなのに、どうなってるんだ、こりゃ宮崎壊滅だと真っ青だったけど、さっきのニュースで検査の結果陰性だということで、嬉しくてね。ま、それで酒も飲んでないのに祝い酒と脳内変換が起こりこうなったわけ。ていうことで、そのニコ動から転載してるクラフトワークの歌う「風をあつめて」、どうぞ。



 面白いけど、完成度としては最初の動画のほうが僕にはインパクトがあった。みなさんどうだったでしょうか。僕は、この手のオフザケというか、ギャグというかパロディというか、大好きなんだよね。こういうのは作り手がいかに対象にはまっているか、つまり好きで好きでたまらなく、こういうのがあったらいいなと考えるうちにシンボーたまらんようになってきて、取ったらアカン、取ってもええけど触ったらあかん、触ってもいいけどねぶったらアカン、ねぶってもいいけどっていい加減きりがないのでやめますが、要するに対象に対する批評性と愛情とさらにはアイデア、実行力、技術ってなものが必要で、早い話が誰でもできるというものではない。また自己満足で作ったって人さまはなかなか感心してくれない。難しいけど、一種の職人の芸みたいなもんだな。昔、まだタモリがそんなにメジャーじゃなかった頃、そう、今は亡きコンちゃんが「おかまの恐竜モンティパイソ~ン」なんてナレーションしてた番組だったか、そのあたりはっきり覚えていないけど「Everybody can play Chick Corea」という芸があって、ピアノに向かってゆっくり白鍵を弾いて、大仰に首をそったり前かがみになったりするのだが、目をつぶって聴くと確かにチック・コリアのアドリブみたいに聴こえる。うーん、大したもんだと感心したことがあった。ま、ナニゲニそんなことを思い出させてくれた動画であった。

 しかし、よくよく考えてみるとクラフト・ワークとはっぴいえんどって接点ある。なんつったって細野さんはYMOではないか。で、YMO関連のこの手のパロディというとご存知スネークマン・ショーだが、本日はもっと素晴らしい演奏を見つけたので最後に貼っておきます。この曲は83年に出た『東京あたり』というアルバムに収録されていたのだが、アルバムではあの世良公則がギターを弾いている。なんとこの歌を歌ってる某小林さんと世良君はともに広島は福山出身。サークルの後輩のO原君が良く自慢していたな。ツイスト解散して落ち込んでいた世良に「ギター弾いてくれない」と誘いをかけ、バック・ボーカルとかコーラスじゃなくてギターで誘われたことが嬉しかったなんてどこかのインタビューで読んだ。では、本日はこんなところで。


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