誰が呼んだの、で何しに来たの肝心なところに行かずに



 一体、何しに来たんだ、この人。あ、動画は「夕焼け番長」でした。で、この人は「ゆうだけ番長」。誰だって?もちろん、我が祖国ポンニチのグレート農林大臣様である。皆のもの頭が高いぞ、せっかくの日曜日にもしかしたらカストロが会いたいと言ってくるかもしれないのに、わざわざ陸の孤島、日本のチベットといわれる宮崎までご足労いただいたんだから。それだけでもありがたいと下々のものは思わなくては。もちろん、お忙しい方だから宮崎県庁とせいぜいが新富町役場までしか行けません。高鍋や川南なんかに行ったら石灰が降ってきたり、食酢をぶっかけられたり、大臣様がお乗りになるお車に薬剤振り撒いたり、タイヤを消毒液に中に入れたりしないといけないから、そのような不浄な場所には高貴な方は行かれません、って、いい加減気分悪くなってきたのでやめる。



 えー、それでご命令は『疑似患畜の殺処分を終えないと、ワクチンを接種した家畜の殺処分に入れない。獣医師や自衛隊は十分いるので、最低でも1日1万頭の殺処分を目標にしてほしい』とのことでした。そうですか、獣医師や自衛隊は十分いるのですか、はぁ。でも現場からは『作業どれほど大変か』、『これ以上のペースアップは不可能』、『暴れる牛と豚を追いやって殺処分するのがどれほど大変なことか大臣はまったく分かっていない。経験とコツが必要で誰でもできる作業ではない』などという声が聞こえてきますが、あ、大臣の耳はロバの耳だから「それーじゃ、なんにも聞こえない」のは当たり前だのクラッカーでしたね、そりゃどうも失礼しました。え、違う、6人そろわないと一人前じゃないって、いや、それは「おそ松くん」でしょうが。
※ここでの『』内の発言は5/31付の宮崎日日新聞から引用しています。詳しい内容はこちらでどうぞ



 しかし、何回見てもこの発言はひどいよ。「だから早く殺せって言ってるのに」と、笑いながら(最近、思うのだがこの人もともとの顔が笑ってるんじゃないか。もしかしたら「笑い仮面」かもしれない。…良く考えたら「笑い仮面」を知ってるのは少なくともヤングではないから若い連中との連帯は出来ない、ってオッサンたとえが古すぎるっちゅーの。いや、まじめな話、どんなに真剣な場でも笑顔に見えてしまう人って確かにいるから、そこをあまりいうのはどうかなと一瞬考えたのだ。僕にもバランス感覚というものはあるのだ)、記者連中に話してるシーン。それに対して評論家の森田実がコメントしている。さすがは元60年安保全学連だけあって、実に小気味いい。もっとも、県の殺処分の対応についてこのような反対意見があるのも承知している。



 で、遅くなったが本日49頭の種牛は殺処分された。よって宮崎牛の将来は、西都市に隔離されている5頭だけである。今のところ遺伝子検査の結果は陰性だが、油断はできない。この5頭が最後の希望であることは間違いないが、この5頭も殺せという声が上がっている。そして陰謀論に加担する気はないが、担当の赤松大臣はいかにもアリバイ的に宮崎に来ただけだが、その上の鳩山総理が宮崎に来て直接激励したいなどとおっしゃっていただくのは、まあいいのだが、つい昨日まで韓国に行ってらっしたわけですから、まさか口蹄疫のウイルスをもう一度持ってくるようなことはないだろうなとか、今度は鳥インフル持ってくる気かって疑心暗鬼になるのも当然でしょう。鳩山さん、宮崎はいいから沖縄行って土下座して下さい。ま、それで許してもらえるはずもないけど、うん、気は心っていうじゃないですか。赤松君みたいに、わざわざ来てやったぞ、特措法の説明ちゃんとしてやったぞ、でも現場は臭いし汚いから行かないなんていうくらいなら、来ないほうがましです。

 話は飛びますが、社民党、明るいね、元気がいいね。やっぱり野党が似合ってるよ。連立離脱したらさっそく内閣不信任案に賛成って、しぶいね。よっ!庶民の味方、万年野党バンザイ、ほら、支持率も上がったよ。権力の幻想から解き放たれて、徹底した原則論で頑張ってほしい。君たちこそ「あしたのジョー」だ、って褒めすぎかな。え、よど号のフレーズ入ってるから褒めてることにならないって?そうかな、僕としては最大限の褒め言葉なんだけど。

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そういえば、今日大臣がやってくるのか

 しばらくエントリーは書きたくないと考えていた。僕のblogは「70年代極私的ロック史」が本来の姿であり、いや、そんな大層なものじゃないか、要するに70年代に京都という特殊な地域で学生生活を送った僕の備忘録的独り言みたいなもので、早い話が圧倒的多数はバカ話、事実よりも加工した話の方が面白ければそれでいいじゃないか、人間だものというスタンスでやってきた。しかし、しかしである。口惜しくてたまらない。四面楚歌というのはこういうことか、とも思う。あるいは、ついに始まったかなとも思う。うん、今までは「可哀想だ」「悲惨だ」「これは政権党の陰謀だ」などと怒りを「共有」してきたはずの「仲間」だと思っていた人たちからのバッシングが始まった。いわく「種牛もさっさと処分しろ」「宮崎のローカル・エゴ、住民エゴだ」「宮崎ナンバーは入ってくるな」「どうしても入ってくるときは1時間以上消毒しろ」「お前らが起した疫病だからお前らのところで食い止めろ、本土にもちこむな」etc,etc。被害妄想かもしれないが、今日(29日)あちこちのメディアで見聞きした。

 今回の口蹄疫で、いろいろ見えてきたものがある。「アイ・キャン・シー・クリアリー・ナウ」である。今日の夕方、ニコ動でこの動画を見たとき不覚にも悔し泣きしてしまった。予めお断りしておくが、拙blogをご覧戴いている方には僕が「やまと新聞」なるメディアの考え方とは全く反対の立場だということはご存知だろう。また、ここに出てくる江藤拓議員は、僕自身が彼の父親のことをエントリーでおちょくったこともあるし、あの親父譲りのあくの強さ(眉毛もクリソツ)は、また何か機会があったらからかってやろうと思っていたくらいだ。そういえば、一頃追及していた「国士」の中山センセは、どうしたのだろう。ふるさと宮崎の一大事だというのにとんと発言も行動も見聞きしない。おっと、江藤議員だが今回の口蹄疫では随分頑張ってくれた。思想信条が異なっていても、ふるさとを思う気持ちは親を思う気持ちと同じでその1点においては共闘できる、と思った。竹中労である。話が見えないかもしれないが、この間のあまりの悲惨さに今日はちょっと飲みすぎて酔っ払ってしまい、そのままの勢いでこのエントリーを書いている。したがって暴走してしまうかもしれないが、極力それは抑えて、とりあえずこの動画見てください。ニコ動はコメントにかなりの未確認情報というか、あきらかな事実誤認、意図的なデマなどがちりばめられていたのでYOU TUBEでアップします。しかし、気持ちの上ではニコ動のコメントをも信じたくなるような某大臣、副大臣などの発言、態度ではある。



 江藤議員は、まるで一杯入ってるような話し方だ。あるいは、こみ上げてくる感情をなんとか抑えようとして、その反動でああいうざっくばらんというか、くだけた話し方になるのだろうか。それ以前にアップされていたYOU TUBEやニコ動の動画では几帳面にしっかり怒りを込めて話していた印象が強かったが、この動画では匙を投げたように見える。まさしく「心の落ち着き失せて 胸は重し 尋ぬともそは 帰らず ついに」(by ゲーテ&ZK)という状況だ。

 沖縄の問題では、ついに福島大臣が罷免された。いいことだ。社民党も、本来のスタンスを取り戻し沖縄人民との共闘で「最後の最後まで戦うぞ」でいいじゃないか。あんたらは、もともとは「社会党」だろうが。福島さんも同じ宮崎は延岡出身じゃないか。沖縄の問題ももちろんガンガンやってもらい、この口蹄疫の件でも言うべきは言う、やるべきはやってほしい。何でも反対、アンチでいいじゃないか、それこそが党のレーゾン・デートルだろう。あ、そういえば、バカ、いや違った赤松大臣その名の通り元々は社会党でしたっけ。おーい、社会党ってのはその昔庶民の味方、困窮する人民の味方だったよな、たしか。いったいどうなってるんだ、世の中。もう、書いてる僕も支離滅裂になってきて、あとは動画をアップするので、この間の一連の動きを整理しておこう。先ずは赤松大臣が宮崎に来て、これでようやく口蹄疫対策が国レベルで行われ終息するだろうと期待したときの地元テレビのニュース。ここで発言を制止された古川議員(自民党)によると「同席は認めたが発言は認めていない」とか「選挙目当てで発言するな」とか、セクト主義的なことを大臣及び大臣側の議員から言われたらしい。



 で、その翌日、尿路結石(あれはイタイ。なったことのある人間でないとわからない。陣痛のときの痛みに等しいと僕は当時かかっていたドクターに言われたが、残念ながら陣痛は経験したことがないので比較できない、ってこういうことばっかり書いて、お気楽に音楽の動画アップしたいんだよな、ホントは)で大臣と会えなかった江藤議員が国会で赤松大臣を追及する。これを見た全宮崎県人は「異議なし」「赤松、ナンセンス!!」「国家権力の不当な不介入を許さないぞ」「赤松-山田体制フンサイ、緊急予算を確保するぞ」とのシュプレヒコールを上げつつ、国会にデモをかけようという気持ちになったはずだ。え、オレだけ?(しかし、今の宮崎の現状は、こういうオフザケめいたことをしゃべったり、書いたり出来る雰囲気ではない、実際の話)



 このときの国会の動画は全部YOU TUBEやニコ動にアップされているので、続きが気になる方はそちらをご覧下さい。江藤議員と赤松大臣、山田副大臣それぞれの立場で発言しているが、やはり議論、討論の場ではそれなりに真摯な態度というか、真剣な顔つきはすべきじゃないか。ましてや発生現場の町の名前すら正しく読めない(知らない)。「かわなみちょう」なんて宮崎にはありません。で、最後の動画だが、これはどうなんだろかとちょっと迷った(残酷とかそういうことではない。mixiでの個人の日記を第3者が動画としてアップしているので、事実関係の確認の仕様がない、というか現地には入れないのだ。いや、言葉を正確に書くと入れなくはないが無用な感染を広げないためにも関係者以外誰も入らないというのが正しいだろう)。「早く楽にしてあげてくれ」という叫び、これは多分畜産農家の方たちの心からの叫びだろう。しかし、悲惨だ。



 最後に少し酔いを醒まして。今、宮崎は「県民総力戦」で口蹄疫と闘っています。当面の敵は目に見えないウイルスですが、可視的仮想的として政権党や担当大臣などが怒りの対象として存在しています。いい、悪いは別として、それが現実です。しかし、この不毛な戦いもいつか終息するでしょう(勿論、1日でもその日が早く来ることを心から願っています。全国の支援していただいている方も同じ気持ちだと思います)。ただ、その終息の日以降が僕は今とても心配です。畜産業は壊滅でしょう。お米や野菜、マンゴーという農業もいわゆる風評被害でダメになっているでしょう。建築業界は口蹄疫以前から連続する倒産、廃業などでそもそも最初から論外です。運輸業も宮崎ナンバー出入り禁止でバタバタ逝ってしまうでしょう。観光?口蹄疫のウイルスを持ち帰るかもしれないのに、わざわざ宮崎に来る物好きはいないでしょう。つまり、産業が、宮崎を、日本で県民所得の低さを沖縄と争っていた宮崎の産業が破綻してしまう。そこからどうやって再建するのか。まさに今まで以上の県民総力戦が始まるでしょう。敗北するかもしれません。宮崎という共同体が存続しえなくなるかもしれません。それは何故、誰が、陰謀論に陥らず冷静に見つけていきたい。そこから、この手の問題の解決策が作られる。それこそがこの悲劇のたったひとつの救いかもしれません。いみじくも今、沖縄と書きましたが県民所得の低い、したがって国税もあまり入らない、とりようによっては金ばかりかかるお荷物県、「だから」国から見捨てられ防波堤にならされるのか。理不尽だ。納得できない。沖縄との怒りの共有を、これは真剣に模索しなければならない、とヨッパライのオッサンは一人力なく呟くのだった(いや、内心満腔の怒りが滾っていますが)。

こういうときにこそ人間の本質が見えてくる

 昨日新聞から引用した「川南町農家からの手紙」は実は後半部分があったのだが、昨日はアップできなかった。今日、その続きを書いておきます。さらに、この記事を読んだ感想が本日の地元紙に出ていたが、獣医を目指している小学生の子供から「生きてる赤ちゃんも殺さんといかんと」「ワクチン打ったら(口蹄疫に)かからんちゃろ。なんで殺さんといかんと」「もしもこれが人間の病気だったら、感染地域の人は全員殺されると」など、次々に尋ねられてどう答えていいか分からなかったというものがあった。無知な子供のいうことだと誰が笑えるだろうか。しかし、昨日まさかそういう事を言い出すやつはいないだろう、新聞の過剰防衛というか言い訳だぞと思っていたエクスキューズにかみついていた感想もあった。いわく「死んだ動物の写真を掲載するのは残酷で刺激的すぎる。子供がショックを受けてご飯を食べることができない」という匿名の投書(最初の投書はちゃんと実名を出していた)には、全身の力が抜けた。その命を持って、我々に、子供たちにまさしく生きた教育をしてくれた動物たちに対して、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

 さらに、力が抜けるというか、お前世の中にやっていいことと悪いことがあるだろう、そんなこと十二分に分かる歳だろうし、どこの人間だ、まさか宮崎の人間だなんて言わないだろうな、というような記事もあった。義援金を装った詐欺未遂事件が発生したのだ。それも、口蹄疫が出たばかりの西都市で、作業服を着た40代くらいの男と黒っぽい服装の60代くらいの男が『県家畜普及協会』という架空団体の名札を下げて、ある民間企業に現れたらしい。幸い、応対した事務員が上司に確認を取りに行ったらいなくなっていたとのことだが、そのさもしい根性にあきれ果てた。こんなことやるくらいだったら、まだオレオレ詐欺のほうが可愛げがある。「渇しても盗泉の水は飲まず」などというのはもはや死語どころか、姿勢としても存在しえないどうしようもない世の中になってしまった。

 かと思えば、ありがたいことに全国のあちこちから尊い義援金が届いている。更に今朝の新聞で見たのだが台湾政府が300万送ってくれたらしい。昨年の台風で助けてもらったお礼に微力ではあるが、というコメント付きで。いいじゃないか、気は心だ。こういうニュースはもっと大々的に報じてもいいんじゃないだろうか。おっと、本題の昨日の手紙の続きを書いてしまおう。

         子豚 毎日40頭犠牲
              悲惨な現状 生々しく

「口蹄疫ウイルスに抵抗力のない生まれたばかりの子豚が、毎日40頭ずつほど血のあわを吐きながら死んでいきます」。養豚業森本ひさ子さんは、豚1200頭の殺処分が決まった今も、毎日豚舎に通い世話を続ける。

 口蹄疫に感染し、熱が出たり、足の水疱が破れて立てない親豚たち。豚舎で日に日に感染が広がっていくのが分かる。感染した豚はとにかくのどが渇くらしく、「少しでも楽にしてやり、喜ぶ顔が見たい」と、水ではなくスポーツ飲料を与える。口蹄疫ウイルスは「見えない敵」だが、森本さんら畜産農家には現実のものとして、いままさに目の前に見える。

 敷地内に埋却地を確保した。だが、獣医師ら人材の数が現場の数に追い付かず、補償のための評価がまだ受けられない。殺処分や埋却の予定は立っていないという。死んだ子豚は21日までに140頭を数える。腐らないように冷蔵庫で保管しているのは、せめて殺処分された母豚と一緒に埋めてやるためだ。

 38年間、豚とともに生きてきた。「豚は気の小さい動物で、ブラッシングなどで温かく接することにより人を信用するようになる」。森本さんは、今後殺処分を行う獣医師に「できるだけ怖がらせないように殺してください」と頼んだ。このままでは児湯地区(今回被害にあった都農・川南・高鍋・木城・新富の各町および西都市周辺)だけでなく宮崎、日本の畜産が崩壊すると危機感を強くし、今回、手紙や写真を宮崎日日新聞社に速達で送った。「口蹄疫は生やさしいものではない。口蹄疫の勢いを実感しているものとして、そのことを伝えたい。一刻も早い対策と終息を願う」


 今日も家に帰ってから、ネットで口蹄疫について検索した。ツィッターてのは、僕はやってないのだが、そこに「口蹄疫は治る。殺処分は間違い」みたいなことが書いていて、え、ホンマか、そりゃ良かったと思って読んでみたら、いわゆるトンデモ一派でした。人の不幸見て商売始めるってのがシホン主義の論理だとは分かっちゃいるけど、やりきれない。

※文中の()の中は僕のコメントおよび補足です。

沖縄との怒りの共有はできないだろうか

5.22 宮日スクラップ

 沖縄の基地問題はやはり解決策がないというか、期待させるだけさせて最後は元の黙阿弥だから余計始末に悪い。前回のエントリーのタイトルではないが、やはり「辺境」は見捨てられるのか?あまり続きを書きたくなかった口蹄疫の話だが、ネットに出回っている話や噂を読んでいると、本当に気分が悪くなってくる。陰謀だとか売国だとか反日なんて単語が山ほどだし、しかしながらそれぞれのブログや動画を見ていくうちに現地の住民としてはだんだんその気になってしまう。現に、最近知り合いになった若い人たちも完全に反民主という姿勢が明確で、それはそれで思想信条の自由なのだが、今回の口蹄疫の発生原因、その過程、国家権力の関与などについてエキセントリックに語り、怒りまくっている。オジサン世代の僕が「情報をうのみにする危険性」だとか「反対意見も聞け」とか「情報源が偏りすぎて、主観だけで惑わされている」とか、「もっと討論することで、お互い理解しあえる」とか「相互討論・相互批判の原則に基づいて」などと言っても聞く耳を持たない。しかし、あの温厚な日向ボケとかヨダキボなどと言われている宮崎県民が怒っているのだ。

 確かに怒りは大事だと思う。振り返ってみれば僕の人生の原動力というのは「怒り」だけだったような気がする。ただ、自分の学生時代を振り返ってみても、怒りにまかせて取った行動で結果が良かったことは何一つない。いや、構うもんか、造反有理だ、敵権力のデマゴギーにだまされるな、我々は戦うぞ、などとやってきて何一つ変わらなかった。というか、変えることなど出来なかった。それだけ敵は強大だったし、こちらの戦略・戦術も、いや、そんな話じゃない。

 日曜日の地元紙を開いたら、ショッキングな写真が出ていた。豚舎で並んでいる子豚の写真と母親の乳房に集まっている子豚たちの写真。ワクチン接種というのは、こういうことかと知らされた。先ほど、ググってみたら昨日の段階でアップしている方も多かったが、僕も5月22日の宮崎日日新聞の記事をそのまま引用する。

養豚の音なき終わりにすべもなく 只ありがとうの感謝あるのみ 
             川南町農家からの手紙

口蹄疫感染が拡大している川南町の養豚業森本ひさ子さん(60)から21日、速達で手紙が届いた。懸命に防疫作業を続けたが、16日に感染疑いを確認、1200頭の殺処分が決まった。発生農家にしか分からない現場の悲惨な状況と無念さがつづられ、豚舎の写真を添え、一日も早い終息を訴える。全文を紹介する。

 我が家は養豚歴38年で、現在約1200頭の豚の殺処分をまっています。口蹄疫の発生直後より、埃ひとつにもウイルスが付いているのではないかと、畜舎はもとより、身に付けた全ての物まで徹底して消毒を行ってきました。我が家には戦争で全てを失い朝鮮から引き揚げ、川南の大地を開墾して共に養豚業を築いてくれた88歳の姑がいる。「今日は大丈夫だったけど明日はどうじゃろか」と怯える日々を姑が「召集令状を待つ思い」と呟いていた。5月16日に我が家もついに陥落、白旗を揚げるとプツンと緊張の糸が切れた。疲れ切った私たちを思いやり、その無念さを姑が担架でいたわってくれた。

養豚の音なき終わりにすべもなく 只ありがとうの感謝あるのみ
近日に命絶たれる母豚あり 日々出産をするもあわれぞ

 我が家の豚に感染が確認されてから今朝までに119頭の子豚が死にました。我が家の畜舎ではウイルスが爆発炎上しています。お願いです。一日でも早く消火してください。

おことわり 森本さんから提供のあった死んだ子豚の写真について、掲載には賛否あると考えます。しかし、発生地域の畜産農家の現状を理解してもらい、また、一日も早い終息を願う森本さんら農家の思いを伝えるため、掲載しました。



 最後の「おことわり」は地元紙の写真クレーム(残酷だとか、その手の)に対するエクスキューズとして入れたのだろうが、現実は現実だ。さらに、ワクチン接種で実際には口蹄疫にかかっていない豚や牛が殺処分されていくわけだ。その処分をやらざるを得ない畜産農家の方、そして本来は家畜の病気を治すために勉強して資格をとった獣医の方、更にはJA、市町村、県の関係者たちの心の中はどんなものだろうか。忖度するに忍びない。とにかく、今は一日でも早くこの悲劇が収まることを祈りたい。幸い、えびの市のほうは終息宣言が出せそうだという。都農・川南・高鍋・木城・西都に一日も早く安息の日々が訪れることを重ねて祈りたい。戦犯探しはそれからだ。

※おわび 新聞のスクラップをアップロードしようとしたが、調子が悪くて出来ません。後日改めてアップします。5/25縮小してアップしました。エントリーにも若干書き加えます。

やはり辺境は見捨てられるのか

 誰が何時ごろから言い出したか知らないが、随分小さい頃から「宮崎は日本のチベットだから」という自虐的な言い方を良く聞いた。子供心に「そうか、宮崎は日本のチベットか、田舎だもんな、人間良し(これ、多分方言で「お人好し」の意味です)ばっかりだから」などと思った。それで、ここ最近の風潮が分かったような気がする。「日本のチベット」だから親分の「日本」のために犠牲になればいいのか。本家のチベットは中国「共産党」による「民族浄化」が行われているらしいが、こちらは「家畜浄化」が行われ始めた。

 口蹄疫という言葉は10年前に聞いた。当時、国道10号線を宮崎から北上するとあちこちに消毒スポットがあった。そのときは被害は拡散せず封じ込められたが、今回はまさに地獄図が展開されている。この問題がネットのあちこちでささやかれ始めたときに、僕はこの件についてはエントリーに書くことはやるまいと決めていた。デジタル・ディバイドの問題でもあるが、メディア・リテラシーの問題もあり、またいわゆる民族差別や政治権力闘争の具にしようとする意図的なものを感じたからだ。さらに、それ以上に僕が地元の問題でありながら、いまひとつ本気で怒れなかったのは所詮国家権力なんてそんなもの、マスコミなんてせいぜいが「ポケット瓶から夢を出す、有楽町のモラリスト」(by Pantax’s world)だとしか思ってなくて、要するにアナーキーな気分でいたわけだ。

 しかし、連日地元紙での報道や、周囲の知人・友人の話を見聞きすると、いや、これはやはり微力ながらひとこと吠えてみる必要があるのではないかと思い始めた。「半径10キロ以内全頭ワクチン接種」というのはどういうことか。今回口蹄疫の発生中心部の川南町全域の牛や豚が全部殺されて1頭たりとも1匹たりとも存在しないという世界が創出されるのだ。このエントリーは書く前に随分ためらった。いざ書くと決めたら、あの話もこの話もと書く材料はあったのだが、僕の意見や考えなどどうでもいいというか、書いているうちに感情をむき出しにしてしまい、収拾がつかなくなるのは目に見えているので今日、地元のローカル局が特集した番組の動画を先ずアップします。関連動画も出ているので興味を持たれた方はYOU TUBEでその前の部分をご覧になってください。



 大の男が公共の電波の中で涙を流して、その苦境を訴えている。世の中に悔しいことは腐るほどあるが「無念」という言葉がこれほど身に沁みたことはなかった。で、この口蹄疫について、ここ数日はあちこちのマスメディアに取り上げられているが、その切り口も番組サイドで随分開きがあった。まあ、所詮マスコミの誤用評論家、あ、入力ミスだけど御用評論家って意図的な誤用もよくするから、あながち間違いではないな。それでは、同じようなニュースを2つ続けてアップします。そうそう、その前に、これは随分昔から思っていたことだけど、どうして「たかが」アナウンサーが「ニュース」についての「見解」を述べるのだろう。事実関係だけ確認して報道すればあとは受け手の判断でいいのに、さも「良識」があり、我こそは「オピニオン・リーダー」なりと、余計なことをペラペラしゃべる。こういう人間を宮崎の方言では「よざらん奴」といいます。



 キダタローさんじゃなかった、某木村さんね、そういうのは「コロンブスの卵」って習わなかったんだろうか。で、このおんなじ材料を毎度毎度おちょくって申し訳なかった某小倉センセの番組ではこう放送した。



 で、問題になった東国原知事の瞬間的ボイコットの顛末はこうである。



 この動画は同じものがいくつかアップされていて、それらに書かれているコメントを読むと質問者の記者が「左」だとか、護憲派だとか、なんだかんだ書かれている。名前を書き込んだり、新聞社の連絡先を書いて抗議しようなどと煽ってる連中もいる。心情的には分からなくも無いけど、こういうところはネットの厭らしさだな。住所不定で匿名希望、でも反対意見だけは言わせて貰うというスタンスで、一人じゃできないからみんな一緒にやろうよって、ま、いいんですが。ちょっと笑ったのは「南日本新聞て何」みたいなレスがあって、おいおい、鹿児島ナンバーワンのローカル新聞も全国的には無名なのかと思ったが、それはコメント書いた人だけだろう。

 で、この問題について地元でいろいろささやかれている話もあるのだが、そういうのは根拠も不明だし、何らかの意図的リークみたいなものも感じられるし、ここに書くことはやめる。ただ、この大変なときにわけの分からないことを言う人はやはりわけの分からないことを言うんだという話を最後に。これは「口蹄疫に便乗する人たち」というkikulogをご覧になってください。

リターン・マッチ




花金である。目の前に若いオネーチャンもいる。今度こそ、負けるもんか(by バービーボーイズ)

変な歌の話 その続き

 収拾がつかなくなった「変な歌」の話を続ける前に、今日ネットのニュースで『ロック歌手のRJディオさん死亡』という記事が出ていて、誰だと思って読んでみるとロニー・ジェイムス・ディオだった。ELF、レインボー、ブラック・サバスとハード・ロック一筋の人生だった。67歳という年齢が若いと思うか意見の分かれるところだろうが、胃ガンを患っていたというから、タイム・リミットだったのかもしれない。マンガ「できんボーイ」とも評されたエルフから、最後は王者サバスのボーカルまでいったから本望だったろう。ご冥福をお祈りします。合掌。

 というところで、前回はなんだかよく分からない話になってしまい(いっつのっとあんゆーざる、なんて言ったらあかん、取ったらあかん、ましてややったらあかん、という前ふりから今回は下ネタが入るなと予想したあなた、正解です)、風向きを変えようとして「河内のおっさんの唄」までいきましたな。で、いよいよ関西シーンを振り返るのだが正統派フォークやロック、R&Bというのはこの次のエントリーでやるとして(まだやるの、もういい加減やめたら、などと無責任なことをいうたらあかん、とったらあかん、もちろん触ったらもっとあかん、っていい加減ひつこいですか、そうですか)、ま、やはりキワモノとして登場していただくのは元祖エロ落語家、鶴光でおま!!歌はもちろん、この歌です。



 しかし、鶴光のオールナイト・ニッポンもよく聞きました。今、調べてみたらオールナイトのDJをやるきっかけになったのは、あのねのねが全国ツアーで3カ月スケジュールを空けるため、その間のつなぎとして当時関西ローカルでやっていた鶴光を亀ちゃんがひっぱったらしい(カメがツルを引っ張るなんてのも出来すぎた話ですが)。鶴光のあの下ネタ満載のトークはどうせ3カ月だけの時限爆弾だから、めちゃくちゃやったれという関西芸人ならではの開き直りだったようだ。しかし、この人の作った流行語というと「ワンバンコッ!!(余談だが僕はこの「わんばんこ」がくせになってしまい、メールや手紙を書くときの挨拶を長らく「こんばんわ」と書いていた。もちろん「こんばんは」が正しいのだが、それを正しく使えるようになったのはほんの1,2年ほど前だという事実は我ながら呆れてしまう、しかも「こんばんは」の後にどうしても「ラッシャー木村です」とつなげたくなるのだ。もうこれは病気だろう)、さらには「ニュートーの色は?」というナウでヤングな女の子に対してのごく当たり前のスキンシップ的挨拶であるが、近年そういうことをいうと「セクハラ」とか「オヤジ、キショイ」などと言われてしまうので、使用するタイミングと対象には十分気をつけていただきたい。このような本来人間同士のあるべき姿の挨拶をかけ合わない社会というのはやはりどこかぎすぎすしているし、小泉改革の悪影響はこういうところまで来ているかと思うと、忸怩たるものがあるな。そういえば「なんちゃっておじさん」などというわけのわからないブームもこの人が仕掛け人だった。

 えー、鶴光の話を書きだすとこのエントリーはそのままテナー・サックスの音が充満してきそうなので、同じく落語家出身で、一発ヒット曲を当てたものの生来のばくち好き、女好きが災いしていまいちスタンスがはっきりしないというか、もはや全国区的人気は無理だろうと思われるこの人のこういう歌が、僕が大学にいたころよく飲み屋なんかで流れていた。意味は最初よく分からなかったが、要するに「1ダースなら安くなる」的なことだろう。しかし、この「3つで500円」「3つで500円」というのは麻雀しているときよく口走っていたな。あ、それと途中で入るピー音は僕が学生の頃は当然入ってなかった。なぜこんな音を入れるか理解に苦しむが、もしかしたらこの歌は早すぎたパンク、早すぎた「トーキョーズ・バーニング」かも知れない。…そんなはずはないか。



 可朝が「ボインは~」とギター抱えて歌いながら登場してきたときは衝撃だった。家族で歌番組をテレビで見ているときなどに登場すると、家庭の空気は一瞬にして冷たくなったものだ。コールド・アズ・アイスっちゅうやつやね。で、当時まだドモコだった僕は、それでもボインというのは今でいう巨乳のことだというのは当然理解していたし、そういう単語は友達同士でこそこそ隠れていうものだと思い込んでいた。ある時、何かの用事で市役所にいったら、そこの職員たちがやたら大きな声で「ボイン」「ボインが」などと言ってたのでものすごく赤面して帰ったことがあった。公務員という言葉をその当時理解していたかどうかはあやふやであるが、市役所の人はスケベだというのが刷り込まれてしまった。今考えると当然「拇印」なのだが、まだドモコだった僕にはかなり強烈な印象であった。あの人たちは仕事中にああいうことばかり考えているんだ、うらやま、いやいや、いやらしいなぁという感想である。

 気を取り直して、3発目に行きましょう。この歌も大学時代に大流行しました。特に最初のナレーションの部分を真似するのが流行ったのだ。「走れコータロー」の競馬中継のところとかこの歌のナレーションのところをコンパの席でやると受けたものだ。あ、あと、ショーケンの物まねもよくやったっけ、あれでサーカスに来ていた女の子をナンパして、いや、その、そういうことをするのは同学年でPurpleさんと同じクラスだったE副で、九州男児で硬派の僕は、あの、その、つまずいたっていいじゃないか人間だもの。



 そういえば、この歌を歌っていた寛平も前立腺がんと闘いながらアース・マラソンを貫徹しているが、無事に生還してくれるものと信じたい。で、今は全然やらないパチンコですが大学の頃は下手なりに結構しょっちゅう行っておりました。僕がいた京都では電動パチンコを最後まで導入しなかった。パチンコとはあくまで手打ちが本道と固く信じておりました。いや、もちろん80年くらいには少しずつ電動が導入され始め、やはり消費するお金の単価が全然違うのであっというまに「悪貨は良貨を駆逐」してしまったが、初めて覚えたパチンコが手打ちだったため、その後は全然やらなくなった。どの程度やってないかというと、最後にやった電動のパチンコはヒコーキだった。どうだ、トンでもないアナクロだろっ!!しかし、そうはいいながらもやってるころはパチンコ楽しかったし、好きでした。憂歌団の「パチンコ」を口ずさみながら河原町今出川のキングやラッキーによく出没したものである。

 えー、何だか出町時代の話を思い出してきて、例によってとりとめがつかなくなりそうです。最後に、これはオリジナルじゃないけど、この歌も大学最後の頃はよく歌っていたな。覆面歌手ですが、今頃は元奥様とフランスベッドと東芝キッチンのそばで赤ワイン酌み交わしているんじゃないかな。



以前『鳥肌音楽』にも出ていた が



フェアから出て、街中の×タヤ書店に入った。谷岡ヤスジの本を見つけたが予算オーバーで我慢。待っとれよ、そこ絶対動くなよ、月末迄の辛抱やさかいに、と呪文をかけて、CDコーナーをうろついた。

Aから始まり、最後のZのところで、「ZIGGY STARDUST」というタグを見つけた。ほぉ、ボウイに影響受けたバンドかと思って手に取った。…こら、某TSUTAYA、ええ加減にせーよ、そこまでして売りたいか、本社でデビッド・ボウイセールスキャンペーンでもやってるのか!ご丁寧に、タグ新設してからに。

ク、クリビツテンギョウ



ゲルニをするはずだったがなにげに目に入ったブースに、どこかで見たような名前が。ん、ブライアン・イーノ。同姓同名だろうと、近くにいたスタッフに聞いた。「このブライアン・イーノってまさかロキシーミュージックにいたイーノじゃないですよね」「は?」「いや、あの環境音楽の…」「あ、そうです。イーノさんにインスパイアされて出来た男女兼用の装飾品です」。説明聞いて驚いた。さっきアップしたエントリーのタイトルは、イーノのアルバムタイトルのパクリなのだ。うん、やはりオレにはRockの神がついているのだ。

アナザーシルバーワールド



毎度、ズージャのイベントでお世話になってるH高社長のお招きでワールドウォッチフェアに来た。地元で有名なイベントホールのフロアを貸し切って世界のブランドウォッチが展示してある。しかし、敷居が高い。すぐにゲルニを決めた。だって、あーた、いいなと思う時計は、百万軽く越えてるんだから…ORZ

変な歌特集のはずでしたが、ちょっとね

 ということで、ミス・タンブリンマンさんの米返しを書いているうちに、こりゃひとつおかしな歌特集ってのを一度やっておこうと思ったのだ。で、つらつら考えてみるとコミックソングというか変な歌というのは、フォークに多く、いやロックにもあるのだが、それ以上にいわゆる歌謡曲にも多い。このあたりごっちゃにしてしまうと収拾のつかないことになりそうだ。で、フォークやロックはヤマハのポプコンや8.8ロック・デイなどの歴史を振り返りながらやっていくと時系列でまとまるんじゃないかと思い、今日はとりあえず、歌謡曲というかあまりマニアックにならずに、多くの国民が口ずさんだようなナンセンス・ソングというか、ちょっと毛色の変わった歌の話を書いてみよう。

 と、思ったのだが、先ほど我が家の下の子供のバイト帰りに迎えにいったら随分機嫌が悪い。どうしたのか尋ねると、今日非常に不愉快な客が来たとのこと。うちの子は某ファスト・フード店でバイトしているのだが、そこに白髪交じりの50過ぎくらいのオッサンが一人で入ってきた。カウンターにいたうちの子が接客したら、メニューを見ながら「おい、このクォーターなんとかというのはなんだ」と聞いてきたので、マニュアルどおり「これは、通常のものと違って…」などと説明しようとしたら、「違う、『クォーター』というのはどういう意味か聞いてるんだ、答えろ、××」とネームプレートを見ながら、うちの子の苗字を呼び捨てで聞いてきたらしい。『クォーター』の意味ぐらい知らなかったのかと聞いたら、屈託のない顔で「知らん」と答える我がバカ娘にも問題はあるが、その程度のことでアルバイトを呼び捨てにして威張る権利なんかどこにもない。

 「申し訳ありません」と謝ったら「お前じゃ話にならん、別の、おい、お前ちょっと来い」と今度は別のバイトの子を呼んだが、その子もうちの子と同じ時期に入った新人バイトで、やはりその商品の説明をしようとしたら「そうじゃない、『クォーター』ってなんだと聞いてるんだ、△△」とまたもやその子のネームプレートを見て呼び捨てにしてふんぞり返ったらしい。挙句は、「お前らじゃ話にならん、店長を呼べ」などと言い出し、店長がまだ出勤してないと説明すると、何やらメモ用紙にいろいろ書いて「店長が出てきたらここに電話しろ」と言って帰ったらしい。そのメモ見るとうちのバカ娘ともう一人のバイトの名前が書いてあり、このふたりは『クォーター』の意味も知らない大馬鹿者でこんな店員に接客させるとはどういうことだとか、お客の苦情やリクエストを書くアンケート用紙くらい準備しておけとか、まあ、とにかくいろいろ書いてあったらしい。しかも、情けないことにバイトの名前は呼び捨てにして書いてあるのに、本人の名前は書いてなくてイニシャルだけだったとのこと。

 店長が出勤してきて、一部始終を聞いてそのお客に電話して、その様子を見ていたバカ娘いたく感動しておりました。「てげ、すげーっちゃが、滅茶苦茶いうオヤジに対して、ニコニコしながら『申し訳ありません』とか『ありがとうございます。お客様のそういったご指摘は大変参考になります』とか、物凄く丁寧に話してなだめちょったよ。でもアンケート用紙を置けといわれたけど『申し訳ございません。ごもっともなご希望ですが当店だけのことではなく、全国のお店に関係することなので私の一存ではお約束できません』って、最後まで認めんかった」。本格的なクレーム対応というのを、恐らく初めて見たので随分感動したみたいだった。しかし、バカ娘の怒りは治まらず、今も友達に携帯で愚痴っている。

 ああ、書いていてこちらまで鬱陶しくなってきた。いったい、どこのオヤジだ。僕たちの年代は確かに複雑でいろいろストレスもあるだろう。しかし、それでも、僕たちの世代は「アッシには関わりのねえこって」のシラケ世代といわれたではないか。ご無理ごもっともの世代ではないか。何を偉そうに10代のバイトにえばってるんだ。しかも、このクソオヤジ、別のバイトが「クォーターとは四分の一のことです」、と説明した「おう、お前は分かってるな、××と△△にもしっかり教えておけ」などとぬかしたらしい。あー、恥ずかしい。ハーフだクォーターだトリアンヴィラートだとか、知ってるんだったら聞くな。というか、そんなこと言って何の自慢だって。

 ゴホン、失礼しました。親バカの話はこれくらいにして、早速おかしな歌特集いきましょう。ただ、これも時代無制限にやってしまうと、この前のバートン・クレーンの時代まで遡ってしまうので、今回は60年代の終わりから70年代を中心にすすめていこう。おかしな歌ではないが、いわゆるプロの歌手ではない、素人の子供が歌った「黒猫のタンゴ」という歌がある。別段、宅急便の歌ではない。皆川おさむというドモコが歌った、何がいいのだかよく分からない歌である。当時、中学1年だった僕は、この歌の英訳に取り組んだ。というと聞こえがいいが知ってる英単語を並べたらこうなった。”You are beautiful my black cat.Your black eyes are very cute.But sometimes~”。えー、ここで止まった。「爪を立てて」という表現が分からなかったのだ。「爪」は知っていた。プロレスラーのフリッツ・フォン・エリックの必殺技は「アイアン・クロー」すなわち「鉄の爪」だったからだ。「爪を立てて」が「Claw stands」はおかしい、立つのは爪だが爪が自分の意思で立つのではなく爪の所有者が立てるのだから、ここの主語は「I」ではないか、までは考えたが後が…。ええいしょうもない話は止め、ついでにこの歌は辛気臭いからアップしない。シングル持っててB面の「ニッキニャック」は好きだったけど。

 ということで、最初に出会った変な歌はやはりフォークルの「オラは死んだだ(by F田敏雄)」かな。あれは、不思議な歌であった。しかし、例によってへそ曲がりの僕は、あえてここはフォークルの次世代であるソルティ・シュガーをセレクトしたい。曲はご存知「走れ、コータロー」ならぬ「ハナゲの歌」。それではどうぞ。



 たしかに「走れコータロー」は衝撃が走った。愉快なアップテンポの、今考えるとブルー・グラスであるが、歌詞の面白さにプラスして当時東京都知事だった美濃部都知事の物まねが入ったり、なんといっても真骨頂は競馬中継の物まね、しかも出てくる馬の名前は麻雀用語、「大三元」「リンシャンカイホー」「メンタンピンドラ1」、それと麻雀用度ではないが「コイコイ」、これもしかしたら麻雀の手役の「トイトイ」の間違いかもしれないな。あ、うっかりしてた。アップしたのは「ハナゲの歌」だった。これは「走れコータロー」とは曲調も発想もがらりと変わった反公害ソング。つまり当時排気ガスや工場のスモッグが原因で鼻毛が異常に伸びるという説があり、まあ因果関係はあるか、シホン主義の高度発展にどんなに抵抗しても最終的には「鼻毛で一億人窒息死」というアン・ハッピーエンドの歌なのだ。歌詞に出てくるフレーズで「縮んで伸びてまた縮む」というのは、当時サロンパスEというCMで深江章紀が変な傘持って走っていたときにバックで流れた歌。浪花節みたいな声で♪伸びて縮んでまた伸びる~、縮んで伸びてまた縮む~さろんぱすいー、さろんぱすいー、というリフだ。YOU TUBEで以前見た記憶があったが今回探しきれなった。結構、流行したフレーズで「ゲゲゲの鬼太郎」の中にも使われていたな。

 あ、いきなりフォーク路線になってしまったので、ここで正調歌謡曲路線に変更しよう。高度成長時代に置き去りにされた弱者の寂しさを歌ったのは左ト全であった。ご存知「老人と子供のポルカ」である。この一番で歌われる「やめてけーれ、ゲバゲバ」の「ゲバ」は当然「ゲバルト(暴力)」で、当時セクト間の内ゲバが激しくとりわけ中核と革マルの間は熾烈だった。立花隆もルポで取り上げていた。今思い出したが、タモリのオールナイトニッポンでこの歌が「思想の無い歌」か何かで取り上げられていて、「このゲバゲバってなんでしょうね」とコメントしていたが、あれは単にとぼけていただけなんだろうか。ということで、この動画のコメントにある「『ゲバ(左翼学生闘争・運動)』『ジコ(交通事故)』『スト(ストライキ)』の被害者が老人と子供である事を背景に作詞されている事」というのは、少なくとも最初の部分は間違い。あとの2つの項目はその通りだけどね。内ゲバで老人や子供が誤爆されたなんて話は、少なくとも僕は聞いたことが無い。おっと、なんだか真面目に語りすぎた。このト全さんの笑顔を見よ。



 お次は左つながりで、左とん平の「ヘイ・ユウ・ブルース」。これ初めて聞いたときは驚きました。左とん平といえば70年代ホーム・ドラマとりわけ「時間ですよ」、「寺内貫太郎一家」「ムー」などの久世光彦ドラマの常連で、二枚目気取りのとぼけた三枚目という役どころがおはこだった。この歌は、そのイメージが全く無く、安部公房の「棒になった男」というか、資本家に搾取されるかなしいスリコギ男の絶叫、権力に向かって「お前は誰だ」と叫び、スリコギのまま殺されないぞという決意表明であり、ある種の革命ソングである、ってのはちょっと褒めすぎだけど、日本のブルース・シーンに衝撃を、与えなかっただろうな、多分。近年再評価されて大変嬉しい歌ではあります。



 うーん、どうも暗いというか辛気臭くなってきたので、ぱーっと明るい歌にいきたい。こういうときはやはり関西である。時代もちょっと進むが何、やはり70年代である。この歌が流行った頃はすでに大学生だったが、夏休みのバイトで肉体労働をしているときに聞いて勇気付けられたものだ。後年、社会人になって無性にこの歌が聞きたくなり、その当時はすでにCDの時代だったが、探しに探してようやく見つけた。単独のアルバムではなくあのねのねと半分ずつのアルバムで、アルバムタイトルは『ビューティフル・オン・ステージ』。収録曲は「河内のオッサンの唄」、「或るオッサンの唄破瀾の前編」、「同後編」、「山の手のオバサマの唄」、「よっぱらいのオッサンの唄」、「河内のオバサンの唄」、それから、もうええっちゅうねん!!後4曲同じような(あ、メロディは全曲同じでいわゆる替え歌)歌が入っていました。まあ、あのねのねの貴重なライブ録音も6曲入っていたからいいけど。



 ええと、ここまで書いてきて時計を見たらもう零時前。あきまへん、もう寝ます。後半は明日でも。月亭歌朝&笑福亭鶴光、COMING SOON!!

南九州における言語と伝承音楽の関係はどうなのだ

 しかし、恐るべきはネットの世界というか、古い言葉で恐縮だが日進月歩なんてものじゃない。デイ・アフター・デイ(by 悪指)どころでもない。トンでもないものが突然出てくる、呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーンのハクション大魔王である。いえ、昨日書いたエントリーの米返しを書こうと、何気に「ニッチモ&サッチモ」と検索したら、間違いなく35年以上聴いていない彼らの数少ないヒットシングルの「ポクポク仔馬」の音源にヒットしたのだ。ググって見つけたものだから、大慌てでそのページのURLを貼ったが、よく見ると毎度おなじみのYOU TUBEだったので、この感動を全国の南九州出身者にお届けするためにここにアップします。



 このニッチモ&サッチモは、かの中山大三郎先生のお弟子さんというか、昨年宮崎から衆院選に立候補しかけた平川氏のグループで、当時二人組だったのだがシングルの写真を見ると後ろにもう一人映っている。この人は「船乗りシンドバッド」さんというらしい。このHPで知った。しかし、実はこの歌にはもとになる歌があり、これが強烈に面白かった。バートン・クレーンというアメリカ人が1931年から33年にかけて立て続けに録音したシングルの中にある「ニッポン娘さん」という歌だった。アデッショナル・ボーカルといえばいいのか、天野喜久代という人が一緒に録音に参加している。比較して聞いてみてください。



 しかし、このシングル盤の写真を見るとなかなかに興味深いものがある。盤の真ん中に「グンソズヤジ」と書いてある。何だろうと思ったが「ジャズソング」のことだと分かり、クリビツテンギョウした。で、恥ずかしながらこのバートン・クレーンさんのことは今まで全然知らなかったのだが、調べてみるととても興味深いというかユニークな履歴を持った人であった。詳しくはリンク先を読んでほしいのだが、エノケン、ロッパなどとのつながりや彼の作詞能力を、あのサトウハチローがうらやましがったなどというエピソードが山ほどある。デビュー曲となった「酒がのみたい」もついでにアップしておく。



 これらの歌と1931年当時の日本の社会的状況や、もと歌がうたわれたころのアメリカでの社会的状況などを調べてふか~く掘り下げる(by キャンディーズ)と面白そうだが、僕は忙しいのでどなたか興味のある方にお願いしたい。僕はただ、昔聴いていた歌がもう一度聴けてよかったよかったと、それだけですよ、それだけ。で、、せっかくだからニッチモ&サッチモの「ケのうた」を、と思ったが昨年アップしていたので今回は「茶碗蒸しのうた」をアップしておこう。もっともここで歌われている歌詞は鹿児島弁というか、まあ、宮崎県エリアでは諸県弁というのだが、まったく不思議な言語である。鹿児島の言葉は分からないよ、本当に。昔、鹿児島で働いていた時、まだ20代の頃だ、いきなり「ハラヘガフッ」と言われた時は腰が抜けた。いきなり北斗の拳の世界に入ったのかと思ったくらいで、そのあたりを歩いている人の頭がい骨が破裂したり、「ヒデブ」とかいって内臓が破裂するのではないかと思った。若干の言語学的解説をしておくと、先ほどのフレーズは「ハラ」は「あっ」とか「おぅ」というイメージの感嘆符的単語で、英語的には”Hey,look”みたいなイメージ。

 「ヘガフッ」というのは「(桜島の)灰が降る」と言ってるわけで、名詞の「灰」を桜島5段活用で「ヘ」と言ってるのだ。名詞が活用形になる言語学破壊の国なのだ。「かごんま」というところは。また「降る」という動詞が「フッ」というように、動詞の最後の子音をきつ音にしてしまう傾向も「かごんまべん」には多い。まあ、所詮はたかが一藩のくせに大国えげれすに大砲撃って戦争始めようとしたところだけに何を考えているかよく分からないところがあるのだ。などと、ちょっと悪口めいたことも書いたが、鹿児島のみなさん怒らないでね。いや、その、なんだ。愛情表現の裏返しってことで一つよろしく。

 お、いかん、いかん「茶碗蒸しのうた」だった。ちなみにこの歌は地元の観光バスに乗って旅行すると小さな歌本が配布され、ガイドさんによる歌唱指導を受けられるので、興味をもたれた方は是非南九州へのツアーをご検討よろしくお願い申し上げます。と、地域振興にも気を配るdrac-obであった。あ、僕、選挙出ないのでご心配なく、ってーか誰も推薦せんわな。で、ここまで書いてYOU TUBE見たらニッチモ&サッチモの「茶碗蒸しのうた」は無い。どこにも。しゃーない、いまさらエントリー書きなおすわけいかんがな、ほなら、どないせいうねん、ま、しゃーないから「ネェおじちゃん」でもアップしとこか。あ、そやそや、岡山のやつから聞いたけど、あっちじゃ「てーてーてーてーて」というんやて。そらけったいな言葉やな、意味はなんやねん。「さかな(鯛)を焚いておいて」という意味らしい。というところで、ちゃんちゃん。



 しかし、この歌「ムーミン」と「ハイサイおじさん」のパクリと違うか…。

ヤングな僕のぽっぷす・なう 番外女性ボーカル編

 いきなりだが、頭にDUKEという単語が浮かんだ。ケネディ大統領のころから活動しているせいで最近自動車を運転中に寝てしまう東郷さんではない。別館の西側の道路をはさんで2階にあった喫茶店でもない。そういえば、あの喫茶店は名前はDUKEだったが、かかっている音楽はいつもビートルズだった。夏の暑い日にインディアン・スパの大盛りとコールコーヒーを注文して、マンガを読みながらぼんやりしていることが多かった。おっと、京都時代の思い出話ではないのだ。久しぶりのぽっぷす・なうなのだ。

 そう、何気なく頭に「サー・デューク」という言葉が浮かんで検索かけたらこんなものに当たってしまった。世界のキャンディーズが歌う「Sir Duke」だ。リードボーカルはなんとミキちゃんが取ってる。バックのブラスサウンドもいい。あれ、スペクトラムじゃないか、と思って調べたら正解といえば正解でした。スペクトラムファンが作っているサイトによると

MMP (ミュージック・メイツ・プレイヤーズ)
MMPは1974年頃あいざき進也さんの全国縦断ツアーのバンドとして元ザ・ワイルド・ワンズの渡辺茂樹氏をリーダーに結成され、1976年頃からキャンディーズのバックバンドもつとめるようになった。スペクトラムのメンバーは、渡辺直樹、西慎嗣、新田一郎(HornSpectrum)兼崎順一(HornSpectrum)が参加していた。

ということらしい。まあ、もったいぶった前ふりはこれくらいにして動画をどうぞ。



 以前書いたかもしれないが、僕はキャンディーズのライブは一度行ってる。大学に入ったばかりの年に京都産業大学の学園祭に来たのを見に行ったのだ。その時は開演時間が来てもショーが始まらず、観客は当然血の気の多い野郎ばかり、警備に当たっているのは猛者で有名な産大の空手部や応援団だったのでまさしく一触即発(ここでとある日本のロックバンドを連想した君、ちょっと待っててね)の危機だったが、突如飛び入りしたあのねのねの清水(当時芸能活動を休んで単位取得中だった)。なかなかに感動するものがありました。それと、解散前のテレビ番組「みごろ、たべごろ、笑いごろ」は、当時僕は部屋にテレビを持ってなかったので、あちこちのテレビ所有者の下宿を巡回し、ほとんど毎回見ていたと思う。今、YOU TUBEに結構アップされているが、伊東四朗と小松政夫のギャグの応酬や西田敏行、木の実 ナナ、秋野暢子といった芸達者をそろえていて、まいどまいど笑わせていただいた。デンセンマンとかシラケ鳥音頭とか知ってるよね。え、知らない?じゃ、もういい、帰ってくださいってオッサン何十年前の話や。

 そういえば当時流行ったなぞなぞというか洒落みたいな話で「電線に止まっていたスズメを猟師が鉄砲で撃ったけど落ちなかった、なぜか」「根性があったから」というものがあった。いや、要するにナンセンスで現実的にありえない質問に対しての答えは常に「根性があったから」というオチなのだ。このあたり、高度経済成長時代から混迷と停滞の時代に移行つつあった我が国の、その精神論の最後のあがきであり、バブル到来の前祝いの時期のあだ花で、そのあたりを研究すると大変面白いのではないかと思われるが、僕は軽佻浮薄な大衆音楽研究で忙しいので、どなたかご奇特な方が展開されるとよい。余計なお世話か。

 で、キャンディーズときたら当然次は桃色夫人と相場は決まっている。そうそう、また余談だが僕は学生のころ長いこと「桃色遊技」を「とうしょくゆうぎ」と読んでいた。「モモイロ」という語感が果物のモモのイメージでさらにいうと、ミヒャエル・エンデの小説を喚起させるのでどうしても読めなかった(ウソです)。しかし、サークルの先輩で高知学芸高校出身のS賀さんが「あれは『ももいろゆうぎ』と読む。辞書にも載ってる」と教えてくれた。いや、単なる桃色つながりで、それだけの話ですが…。ゴホン、ということでピンク・レディーのヒット・ポップスを捜しました。「ホテル・カリフォルニア」を解散コンサートのときに歌っていたのでそれがあればと思ったが、残念ありませんでした。でも、その代りにこれはもしかしたらラス・ベガスかどこか、いわゆるあっちのほうでのテレビのショーではないかと思うのだが、なんとシュープリームスの「Keep Me Hangin’ On」をやってる。このほかにも「Stop in the name of love」を歌っている動画があったので、結構ああいう路線を目指していたのかもしれない。



 いやー、なかなかやるでしょう?「Set Me Free Why don’t you babe?」のところは日本語で着物の帯を解いて一気に盛り上げる、素晴らしい演奏でした。この2本の動画で味をしめてこりゃ一発わがポンニチのシンガーやミュージシャンがあちらの曲をやってる、いわゆるコピーとはちょっと違う、なんていうのかスタンダードを歌うみたいな感じでエントリー書けるなと思った次第。しかし、この手のナンバーはある程度時代を決めないと古くは弘田三枝子の「VACATION」あたりから始めると際限がなくなるな、などと考えながらYOU TUBE見てたら、ミーコのライブで飛んでもないものを見つけてしまいました。なんと四人囃子と一緒にやってる演奏です。これはすごい。この演奏が75年の録音というのがまたすごい。やはり、花の75年だったんだ。



 いや、これ見てぶっ飛んだというか、最近四人囃子評価されてるから、こういう貴重なものもアップされたのだろうけど、僕は弘田三枝子というとジャズのイメージしかなかったけど、プログレのバンドをバックに歌っていたとは。ちょっと、意表をつかれてしまい、この後の展開をどうするか混乱してきたので、そういうときにはシンシアが一番。今、息子がNHKの朝の番組のレポーターやってるけど、時代は変わったんですな。ま、この人は沖縄出身で70年代初頭、沖縄はまだまだ米軍の島というイメージで、英語で歌うシンシアに全然違和感無かった(今もまだまだ米軍の島というイメージで、基地問題は大変なことになってるけどね)。で、スリー・ドッグ・ナイトの大ヒット曲です。



 さて、話は全然すすまないというか大体どういう方向に持っていこうとしていたのか、今となっては定かではなくなった。本当はこの週末の身辺日記を絡めて、ヒットポップスの話をしようと思っていたのだが、予想外の動画が次々出てきては視聴し、終わっては関連番組チェックしたり、にっちもさっちもどうにもブルドッグになったので、このシリーズ、またの機会に。そして、この女性ボーカルシリーズに我らがアグネスにトリを飾ってもらうことに異議のある人がいるだろうか、いやいないだろう、という反語的表現でエントリーの最後を締めるのだった。おまけに今日は母の日だった。あ、そうそう、アグネス最近政治的活動も多いけど、某大型宗教団体に洗脳されないようにね。そうか、それにはきをつけないとね(と何故かオール平仮名です)。




夜はこれから


ライブ跳ねて、軽く飲みにと何故かロックのお店でポルナレフ聞いてる。さあ、これからは大人の時間だ。

チャリティか…


本日、大西洋介と池田芳夫のホールライブに来た。宮崎で出来たばかりの多目的のビルだ。ハーフタイムに通路に出たら、宮崎に来たジャズミュージシャンのサイン付きポスターが飾ってあった。チャリティオークションらしく何人かが金額を書いたがスタッフの人が「うーん、その金額では…」と困っていた。

僕?僕は、ほら、ついこの間焼酎チャリティに参加したばかりだから。


連休最終日に贈るみやざき国際ストリート音楽祭レポート その2

 宮里陽太の演奏が終わって、次はBステージのJABBERLOOPを見ようと、南方向に歩いた。歩道の中央にテーブルがたくさん並べられていて、近くにテントのお店がいろいろ出ていた。その向こう側にBステージが見えたが、ステージ上ではまだバンドが演奏している。時計を見ると16時20分を過ぎている。地元宮崎のコドモソウルというバンドだ。随分盛り上がってて、なかなか終わりそうに無い。椅子も結構人で埋まっていて、ようやくステージから7,8列目くらいの角の椅子が1つ空いてるのを見つけて腰をかけた。ステージ前には客が10数人集まっていて、大騒ぎである。予定時間は大幅に過ぎているが、まあ、ここは地元バンドということで大目に見ようとしていたのだが、演奏終了後MCの男女がバンドのボーカルを引き止めてインタビューなど始めた。もっともその間に楽器の入れ替えなどがあったので予定されていたものかもしれないが。

コドモソウルのステージ

 このBステージは、ステージ上をクラブ(クラブゥと尻上がりに発音して頂きたい。こういうところで若者文化に対する造詣がうかがわれる、なんちゃって、僕も良く分からないというか、本当は、ま、おまーらエエカゲンにせーよという姿勢なんだが)と見立てているのか、ステージ上右側にはターンテーブルとDJブースみたいなものがあり、左側には応接のソファと観葉植物なんかが置いてあり、それぞれのシートには今風の若いオニーチャン、オネーチャンがたむろっていた。あ、そのオニーチャン、オネーチャンは一般の客ではなくあくまでステージの飾りというかエキストラというか、大場久美子のシングルはエトセトラだったりした(このあたりのフレーズは分かる人だけでいい、いいったらいいのだ)。

 で、ステージ上のセッティングは続くわ、インタビューは続くわ、時計はどんどん進むわ、僕は次の向井さんがゲストのTOSHI NAGAIカルテットの時間に食い込むのではないかと気が気ではなかった。しかし、それでもショー・マスト・ゴー・オンであり(意味不明)、ようやくステージ上にJABBERLOOPのメンバーが登場してきた。そういえば去年このグループが演奏している横を通ったのだが、そのときもちょっと気になっていた。今回は、ちゃんと予習しようとMy Spaceでアップされている演奏を聴いたのだが、今の若者に受けるエレクトリック・ジャズというか、クラブ・ジャズというか、まあ、そういう音だが結構音がタイトだったので期待をしていた。

JABBERLOOPのステージ

 なんだが、わらわらという感じでお洒落な服を着たメンバーが登場し、演奏が始まった。音のバランスとボリュームが最初は良くなくて、どうも聞き苦しかった。キーボードがいきなりショルダーキーボードをぶら下げて、ステージから降りてきて客席で弾き始めた。昔、生活向上委員会でおなじみの客席に乱入して客の耳元で大音量で楽器を鳴らすというパターンかと思ったが、別段そういうわけでもなく、ただ客席の中央部あたりまで行ってまたステージに戻った。サックスとトランペットの2管が、バンドのイニシアティブを取ってるようで、やたら客を煽る。メンバー紹介で知ったのだがトランペットは地元宮崎は高千穂出身らしい。一種の凱旋ライブといえなくもないか。

 えーと、JABBERLOOPさんには大変申し訳ないのだが、以下はオッサンが勝手に思った感想なので、うん、って歯切れ悪いな。いや、要するに、面白くなかった。My Spaceで見たときはもっとアドリブもイカシテるという気がしたのだが、要するにクラブ・ジャズなんてのは①テーマをユニゾンで吹く、②2管がチェイスするけど、ソロパートが苦しくなるとすぐ助太刀してオブリガードで吹く、だけのものか、という気がして、ハハ。何もわざわざ、このオレ様が見に行かなくても、十分ワカイモンがキャーキャーと集まっておったわ。客はどう少なく見ても数百人という感じで、もう若い茶髪のニーチャン、ネーチャンが大集合、大盛り上がりでこぶし振り上げてるけど、そういうのを見ているだけで、非常に消耗して、はっと時計を見ると17:25、いかん、もうすぐTOSHI NAGAIカルテットのセットだ。ということで、JABBERLOOPの演奏は中座して移動した。ちょっと驚いたのは僕が席を立つや否や、横にいたオネーチャンが「ここいいですか」と断りを入れてすぐに座ったことだ。いや、椅子に座れず立ち見してる客は結構多くて、まだ小さい子供を連れたヤンママも一杯いて、そういう意味では非常に極楽だったのだが、僕は先ほど「男はバップ」と宣言したばかりなので、そうそう日和るわけにはいかない。しかし、ナイスバディなオネーチャンがたくさんいて、こういうことならPurple_HazeさんやTHIS BOYさんに教えてあげておくべきだった。

熱狂する観客


 で、TOSHI NAGAIカルテットのDステージに戻ったら、なんと全席お客さんで埋まってました。しかも立ち見のところにも人の波が。やはり、地元出身のスーパードラマーのTOSHI NAGAIに、これも地元の有名サックス河野章とピアノの大西さん(このblogでは香月保乃バンドのキーボードとしてよく登場する)、それに春と秋にはおなじみの名ベーシスト池田芳夫、そしてそして、我らがD大OB、元サード・ハード・オーケストラ(なんていっても知ってる人はいないって)、向井滋春というこのイベントならではのスーパーグループ、この演奏がただで見られるというからたまりません。いよっ、ヒガシコクバル太っ腹って、知事は全然関係ないか。

 結局、あちこち回って最初にいくつか空いてる椅子を見つけてはいたが、場所的に飫肥に短し、たすきに長し(5/6エントリーをチェックしていたら、ここ意図せざる洒落になっててクリビツテンギョウ、もちろん『帯に短し、襷に長し』の間違いである)でためらってるうちに、どんどん別の客に座られてしまい、結局ステージ向かって左側のPAが足場に組み込まれている立ち見の席をようやく確保した。TOSHI NAGAIは、僕がこのストリート音楽祭を初めて見に行った2年前に、H高さんのインストアライブではじめて見た。その強烈なロック・ビートに基づいたドラミングと、そのときは確かベースが池田さん、ピアノが田島さんのベテラン・ジャズ・ミュージシャンでアンバランスなところに味があった。去年はTOSHI NAGAIのドラムセッションで、池田さんはピアノの大西さんとデュオでやった。今年はそういう意味では実にオーソドックスな布陣で演奏するわけだから、そりゃ楽しみだった。

黄金のメンバー、TOSHIは映ってないが


 メンバーがステージに登場したが、僕の立ってる位置からでは非常に見づらい。TOSHI NAGAIのドラムはPAに隠れて見えない。サックスの河野さんも足場に隠れて見えたり見えなかったり。どうにか見えるのはピアノの大西さんくらい、ってあれ、向井さんがいない、何かアクシデントがあってドタキャンだろうかと心配は無用でした。1曲目はTOSHI NAGAIカルテットの演奏で2曲目から紹介されて名トロンボーンの向井滋春が登場した。やはり、凄い拍手でお客さんの圧倒的多数が向井滋春の音を聴きに来たことが証明された。向井さんを加えたカルテットの演奏が終わり、TOSHIがMCでメンバー紹介をして、そのなかで「もう池田さんくらいになると年齢が一つの実績ですね。オン・ベース池田芳夫68歳」というと、客席からはへー、ほーといったどよめきが。そして「featuring向井滋春、ええと向井さんはお幾つでしたか」「61歳」。いや見えない見えない、お二人とも、とても若くてダンディである。ああいうところはしっかり見習いたいものである。



 「それでは61歳と68歳のデュオで2曲お願いします」とTOSHIのMCが入り、ステージは向井、池田の2人だけになった。このときの演奏は是非聞かせてあげたかった、いや、このエントリーを読んでくれているあなたに。ネタばれになるが、YOU TUBEに今回のTOSHI NAGAIカルテットfeaturing向井滋春の動画がアップされていたが、後半のTOSHIのドラムソロを含む演奏で、この2人のまるで会話のような演奏はアップされてなかった。もしかしたら、後日アップされるかもしれないが、実に心と身体に沁みる音楽だった。そうだ、そのデュオの間ステージを降りていたTOSHIのところにこのイベントのボランティアをやってる若者や、通りかかった中年男女などが握手や写真を求めてきていたが、TOSHIは嫌な顔ひとつせず、彼らのリクエストに応えていた。こういうのも、この音楽祭ならではの光景だろう。あっという間に至福の小一時間過ぎた。ラストは「セント・トーマス」。この陽気な演奏を最後に今年のストリート音楽祭は終了した。



 そうそう、音楽祭が終わって家に帰ろうと歩いていたら、高校の先輩のM原さんに会った。いつもの笑顔で僕に何か手渡してくれた。見るとライブのチラシで池田芳夫と大西洋介のデュオである。行きます、行きますと返事して、本日公休をとったY尾君にも教えてやろうと電話したが出なかった。家に帰り、興奮が冷めやらずクールダウンするために安物のワインを買いに行こうと外出したら携帯がなった。S藤君からで、今仕事から帰ったところだという。今日のイベントの良かったことを話して、次回は是非一緒に行こうと話をした。向井さんの名前を出したら昔フェニックス・ジャズ・インで渡邊香津美のキリンバンドで見たなどと懐かしいことを言ってた。さらに翌日、Y尾君からも電話があり、僕は見ての通りこういう性格だからいかに彼が見逃したステージが素晴らしいものだったかを延々と教えてやった。そうすると「そうか、ちくしょう、勿体なかったな。ただあの日は完全にダウンしていて夜M原さんからも電話で『今、向井滋春と一緒に飲んでるけど出てこんか、紹介するぞ』といわれたけど、きつくて次お願いしますっていったんだ」。おい、ちょっと待て、友達だろうが。そういう時は「僕はきつくていけないけど、代わりにdrac-obを誘ってやってください」の一言が言えなのか、チクショー。向井さんと一緒に飲みたかったよ~。

連休最終日に贈るみやざき国際ストリート音楽祭レポート その1

 あっという間にゴールデン・ウィークも最終日である。今年は、いや正確に言うと今年も安・近・短で連休を誤魔化したのだが、いつもと違っていたのは、『みやざき国際ストリート音楽祭』が連休の頭にあったことだ。忘れないうちに、今日はそのレポートをアップしよう。ストリート音楽祭の母体になる宮崎国際音楽祭は今年で15回目になるのだが、ストリート音楽祭のほうは今年で5回目、僕が見に行くようになってからは3回目である。例によって、Y尾君と午後2時半に待ち合わせという約束をしていた。それと、前回ZEK3に一緒に行ったS藤君も誘おうとしてメールしたり、電話したりしたのだが当日までNo Reply(by 甲虫)であった。しかし、当日の午後1時前だったか、突然携帯が鳴り出るとY尾君が地獄の底から聞こえてくるような声で、前日から発熱して今布団の中でのた打ち回っている、残念だが本日はリタイアという意味のことを言ってきた。病気じゃしょうがないのでお大事にといって、僕は外出の準備をして家を出た。

 日の光はそれなりに温かかったが、風が結構冷たい。そういえば去年もちょっと曇り空で途中雨がぱらついたなどと考えながら、大きな橋を渡り歩行者天国の入り口のところをさしかかった。おっと、その前に毎年このストリート音楽祭は5月の連休の最終日に行われていたのだが、今年は県外の観光客も巻き込むという狙いから連休初日に変更になった。今年のイベントの実行委員長であり、いつも店内ライブでお世話になっているH高時計本店のH高社長が地元紙に語っていた。その成果はどうだったかというと過去最高の5万人の人出があったとのことだった。当日、現地でH高社長がステージによってはまだまだ人出が少ないとこぼしておられたが、最終的には多くの市民が音楽に親しむ機会が創出できたのではないか、良かった良かった、めでたし、めでたし。

 今回のストリート音楽祭の参加者をチェックして僕が組み立てた予定は15:25~16:15の宮里陽太スペシャル・セッション、16:30~17:30のJABBERLOOP、そして17:40~18:30のTOSHI NAGAIカルテットfeaturing向井滋春というパターン。実はaikoのボーカルも聞きたかったが時間帯がTOSHI NAGAIカルテットと重なっていてこちらは諦めた。初っ端の陽太バンドが15:25のスタートだったので、1時間前に会場を見て回りそれからと思っていたのだ。

 会場に入ると、路上でエレクトーンやアコギを演奏しているストリート・ミュージシャンが多く目に付いた。一昨年見かけた光景だが昨年は無かった。こういうミニ・ライブがたくさんあると華やかでよい。シンガー・ソングライター系のミニ・ライブも結構あり県北で人気の真北聖子さんもやっていた。今プログラムを見ると『サウンドフリーマーケット』という名前で4つのゾーンがあり宮崎市内外で活躍しているミュージシャンの発表の場として確保したようだ。そういえば、ハードコアパンクの3ピースバンドなんかもやってたけど、それなりに若い客がついていた。みんな思い思いに椅子に腰掛けたり中央分離帯に座り込んだり、マイクの前で手を振り上げたりしていた。非常に心和む風景だった。

ちょっと違和感あったけど、それもイベントの楽しさ

 目指すDステージに行く途中に何やら道路に人だかりがあり、そこに大勢の子供たちが座り込んでいた。なんだろうと思って覗き込むと『落書きストリート』というイベントで地面に長い紙を貼り付けそこに絵の具やクレヨンで自由にラクガキできるというものだった。しかも完成した作品は3日間限定で展示するらしい。ラクガキという言葉から山口フジオちゃんを思い出した。彼は身体を壊していたがどうなんだろうと今調べてみたら同じ5.2付けでタワー・レコードでのミニライブ(本人曰くリハビリ・ライブ)のことを書いていた。まだまだ本調子ではないみたいだがバンドで演奏できる日もまもなくのようだ。良かった、よかった。

なかなか圧巻でした

 陽太のライブまでまだちょっと時間があったので、会場である橘通りの一番北のほうまで歩いてみた。宮崎の町の真ん中の交差点のところに警察関係の車両が停めてあり、そこから通行制限が始まっている。普段、車しか通れない場所を徒歩で気ままに歩くというのは実に気持ちがいい。車に乗ってる人間が「天下の往来を誰が何の権利があって規制するんじゃ、ボケェ」などといって警察車両に突っ込まないかとワクワクしながら見ていたが、非常に残念なことに宮崎市民・県民は順法精神に富んでいるというか、簡単に言うと大人しくてシャイ(まさしく、僕の性格と同じだ!!)なので、そのようなハプニングというか、アクシデントは発生しなかった。しょうがないのでコステロの「アクシデンツ・ウィル・ハプン」を口ずさみながらDステージに戻った。途中、これも去年発見した焼酎チャリティ、つまりお金を払って焼酎のロックや水割りを戴くのだが、その代金は全額チャリティに寄付されるという素晴らしいタイアップ企画に異議なし、全面的に支持、ああ、インターナショナル我らがものと協力した。

 しかし、考えてみると5万人からの人出があり、その中で知り合いに出会うというのはやはりある程度運というか縁は異なものというか、何がしか人知を超えたものがあるのではないか。というのも、陽太のステージに、片手で焼酎ロックの入った紙コップを持ち歩いていたら、誰かに名前を呼ばれた気がして振り向いた。そこにいたのは1年前も偶然この会場であった知人夫婦だった。小さい男の子と一緒に、今住んでいる大阪からこの連休を利用して帰省してきており、このイベントを僕が再三勧めたことを覚えていてくれて、家族で見に来てくれたのだ。もっとも彼らも僕がそこを歩いているなどとはつゆ思わず、たまたま奥さんのほうが「drac-obさんも来てるはず」とか話題にしたらしい。僕はその声が偶然耳に入ったのだが、いや、やはり今考えてもちょっと不思議な気がする。彼らと少し立ち話をしていると、人ごみの中から陽太が歩いてきた。一杯入った勢いで声をかけた。

 真昼間からややハイテンションで紙コップ持ったオッサンに声をかけられた20代の男の子はどうするか。①シカトする、②スルーする、③無視する、ってどれも同じや、オッサン、真面目にやれや、堪忍、かんにん、キャインキャイン。…えーと、陽太君は一瞬怪訝そうな顔をしたが嫌がらずこちらの質問に答えてくれた。先ず気になったのは、今回のライブのメンバー。「キーボードは鹿児島から、あ、去年も一緒のやつです。ベースはど・ジャズのやつじゃなくて別のバンドをやってるんですけど、今回はスムーズ・ジャズで行くのでエレキベースを入れました。ドラムは、彼も去年出た小林出身の海太郎です」。おお、なんと陽太カルテットベストメンバーといっていいくらいのラインアップではないか。ピアノの松本圭使は去年ここで見て、その後の陽太カルテットで見たかったのだがタイミングが合わずそれっきりになっていたし、ドラムの海太郎は去年初めて見て、その若さに似合わないパワフルでテクニカルなドラミングにショックを受けた。その後、My Spaceで見た(聴いた)陽太がやってるクラブジャズのジェネレーション・ギャップが実にいいと言ったら「今年はやつらを宮崎に連れてこようと思ってます」という力強い発言があった。いいぞ、いいぞ、出来れば野外のジャズフェスみたいなところで聴きたいが、勿論、毎度まいどのライフタイムでも全然異議はない。今年のひとつの楽しみが出来た。

あ、 キーボードが映ってない

 陽太と別れて、ステージの席を確保しようと歩いていたら小さいお子さんを肩車した人とばったり出会った。陽太君の父君である。久しぶりなので、ご挨拶して立ち話。奥さん(父君の)と奥さん(陽太君の)を紹介していただいた。去年、H高社長の屋上庭園でお会いしているのだが(いや、宮里さんご夫婦とはたしかポレポレで初対面だったと思う)、改めてみるとお二人とも美しい。特に陽太君の奥さんは可愛い魔女ジニーというか、ハクション大魔王のあくびちゃんに似ていた。あ、これ褒めてるので、誤解無きように。時間が来て、ステージが始まった。僕は前から3番目くらいの席に、宮里ファミリーは最初、最前列にいたのだが演奏初めに陽太君ジュニアがぐずり始めて(ステージの父親の方に行こうとしていた。いつも一緒に居る父親が目の前にいるんだから当然といえば当然の行動だが)、回りの人に気を使ったのだろう、途中で立ち見の方に移動していた。

ソプラノ吹いてるから後半の演奏だな、これは

 挨拶ナシで演奏が始まった。ファンキーなナンバーだ。エレキベースがいい感じ出してる。こういう音は若い人たちに聴き易いだろう。陽太のサックスは久しぶりだが、やはり腹の底に響く。立て続けに2曲演奏して、陽太のMCが入った。「1曲目は『ファティーグ』という曲で疲労(fatigue)という意味の大学時代の曲です。」初めて聴いた演奏だったが、2曲ともスムーズ・ジャズを意識したと本人が言うとおりいかにもそれ風なサウンド。大学時代というと二十歳そこそこの頃だろうけど、いい曲作ってるな。しかし、この後の陽太の発言はその日最大の収穫だった。話した言葉全ては覚えていないが、今日はストリート音楽祭なのでスムーズ・ジャズ中心の演奏をしますが自分自身はバップでジャズを覚えたからバップが一番好きです、みたいなニュアンスだった。そうなのだ。男はバップなのだ。軟弱なソフトアンドメロウだとか、日和見フュージョンだとか、ウェストコーストだとか、脳天気野郎に用はない、とことんバップじゃ、ハードバップじゃ、などとオジサンは一人で快哉を上げていた。オンナコドモに受けるジャズばかりやってるんじゃねーよ、などとこれは余計だった。

イケメンのキーボード松本氏

 次の2曲はバラードで「クリーンアップ」という曲と、もはや定番になりつつある「ハッピーツリー」。ソプラノに持ち替えて吹く陽太の音の心地よさにすっかり出来上がってしまった。あ、焼酎のロックの影響もややあったけど。そしてラストナンバーはこれまた学生時代に作ったという「フトズビーチ」。日南海岸にある富土(ふと)海水浴場をイメージして作ったというメロディアスな曲。最初の方こそ、フレーズにナベサダを感じたが、途中からは間違いなく陽太の音。いや、自信たっぷりに信念持って吹いておりました。途中松本圭使のキーボードのソロも良かった(風で譜面が飛ばされ、演奏しずらそうだったのはちょっと残念)。そして圧巻は海太郎のドラム。いやー、叩く叩く。あなた、これで弱冠16歳ですよ、世が世ならまだ花の高校2年生。学園生活をエンジョイしているはずの歳で、ジャズバンドでドラム一本で喰っていくというその気合やよし。もっとも、音楽の演奏を文章で書いてもその良さ、凄さは伝わらないが今回はなんとつい先日のストリート音楽祭での陽太バンドの音源がYOU TUBEにアップされていました。YOU TUBEはアーティストの著作権上、いろいろ問題があるのは重々承知ですが、地元宮崎ジャズ界のボトムアップと更なる発展のため、ここは何卒ご承諾下さいと宮里ファミリーに土下座してアップさせていただく。ということで、このエントリーというかストリート音楽祭のレポート第一弾はここまで、続編は改めて。





 そうそう、書き忘れたけどラストの演奏でパーカッショングループが参加してサンバというか、カリプソというかとにかく中南米リズムあふれるいい演奏でした。1時間も無い演奏時間にメリハリとそれなりの盛り上がりも計算されたステージで、演奏終了後宮里さんに思わず「陽太君も貫禄出てきましたね」と話しかけたのであった。つづく。

これで16歳、後世畏るべし

ア、アナーキストの集会かっ!


みやざき国際ストリート音楽祭で黒旗を振る集団を発見。鳩山政権に対してマンコウの怒りをもって宮崎のアナーキストが決起したのか、詳細はあらためて。

1年経ったが、どうにもならないこの感じ

 突然の話で恐縮だが、語感というものがある。言葉から連想されるイメージとでもいえばいいのだろうか。実は今日の昼にアスパラガスが食べたくなり、サラダにして食べたのだが、このアスパラガスという野菜、昔から我がポンニチに存在したわけではなく、僕の記憶だと確か1960年代に『アスパラでやり抜こう』というキャッチフレーズで、今で言う『さん、さん、三十代はグロンサン』だとか、ちょっと古いが『黄色と黒は勇気の印、24時間戦えますか、それは無理です』のリゲインみたいなドリンク剤の原料として登場してきた。その『アスパラでやり抜こう』というフレーズには子供心に凛々しいものを感じたが、アスパラの正式名称がアスパラガスと知ったときはへなへなになってしまった。腰砕けになってしまったのだ。

 何故か、アスパラはいい。しかし、その後のガスという単語から連想されるのはナチスの毒ガスとか当時はまだツービートは存在し得なかったので、そういう意味の毒ガスではないが、やはりその人体から時と場所をわきまえずに発射される毒ガスすなわち「放屁」というイメージが喚起され、アスパラはいいけどアスパラガスはダメ、ゼッタイという気分になったものだ。さらに当時、僕は一地方都市に住んでいたのだが、そこは夏目漱石が認定する陸の孤島で人とサルが半々くらいに住んでるのではないかといわれた場所、ああ、面倒くさいつまり述べお菓子、えっATOKまで小ばかにしているのか、延岡市に住んでいて、そこに存在するスーパーマーケットはその延岡市を牛耳る旭■成という企業が経営する「供給所」なる名称のものが圧倒的に存在したのだが(つまり延岡市の人口の8割は旭■成またはその関連会社に勤務するという企業城下町で、その従業員達に日常品を「供給」する場所として企業経営の「供給所」なるものがあちこちにあり、我が家のように旭■成に関係のない人間にもいちおう買い物をさせてやる、という存在であった)、そこで初めて見たアスパラガスはなんと缶詰に入っていた。つまり青野菜としてのアスパラガスの登場は大雑把ではあるが後年ロッキード事件が起こるまで、地方都市には存在し得なかったのである。うーん、ここまで断定していいのだろうか、しかしイメージ的にはそんな感じなのだ。



 で、語感という話だが今登場した缶詰、これは「缶」にモノを「詰める」から缶詰、すなわち「カンヅメ」なのだが、この単語を僕は「カンズメ」と思い込んでいた。つまり「缶」に何者かが「住んで」いるから、すなわち「カンズメ」。しかし、当時から硬直化していた文部省学校教育現場担当者、つまり小学校の先生はカタカナのテストで僕が書いた答え「カンズメ」に非情にも×をつけたので、当時から常識を疑えをモットーとしていた僕は「缶に住むからカンズメでいいのでは」と異議申し立てをしたが却下された。この頃から権力に対する不信感が芽生えたのだ。そうだ、それでもう一つ思い出したことがある。あれは小学校1年の初めての授業参観のときだった。

 算数の授業で担任が立方体の模型を見せながら「この形はどこから見ても真四角(なんせ1年生だから正方形という言葉をまだ学習していなかった)です。ほら、ここからみても、こっちからみても」などとそのサイコロ状の模型をくるくる回して見せた。その瞬間僕は「せんせい、違います」と挙手をしていた。先生は????という顔つきで「どこが違うかな、これはほら何処から見ても真四角でしょう」と、これが参観日ではなく普通の授業の日だったら「ナニを生意気ぬかすか、この餓鬼が。お前たちは黙って先生のいうとおり勉強していればいいんだ」みたいなことを地元の言葉で喚いたと思われるのだが、そこはそれ、参観に来ている父兄の目もあるので相手はたかが1年生だがちゃんと人権を尊重してますよという戦後民主主義的な態度をとるのだった。その当時まだミンシュシュギを信じていて、義を見てせざるは勇なきなり、うーん、ちょっと違うか、とにかく意見の違いは話し合えば分かる、相互討論相互批判の原則の堅持が大切だ、などと小学1年生が考えるはずも無く要は目立ちたがりのイチビリだったわけだが、今回ばかりは言わせて貰うぞとばかりに僕は「違います。違います」と連呼した。流石に持て余した先生が「じゃ、前に出てきて説明して見なさい」といったので、僕は教壇のほうに走っていった。

 先生からその模型を受け取った僕は、1つの頂点を中心にして斜めに持ち上げ「ほらこうやって見たら真四角じゃなく長四角(正方形を学んでいないわけだから当然長方形などという言葉を知るはずが無かった)みたいに見えます」と自信を持って言い切った。参観に来ている父兄、当然僕の親もいる、僕の方を見つめているクラスの男女、全員から深いため息と賞賛の言葉が飛び交うはずであった。何しろ、当時の知の最大級的存在である先生のいうことを否定しさらにそれを証明したのだから。

 …そのときの反応がどうだったかは皆さんのご想像の通りです。担任の先生から「drac-ob君はエライッ!!平面図形の概念を突破して空間図形の考え方を持ち込んだ。これは中教審に報告して、小学校の算数の授業の内容の見直しを提案しなければならない、まさに革命的発見です」などといわれるわけは無く、一同大爆笑で、僕は何故笑われているか理解できず顔を真っ赤にしながら自分の席に戻って「それでも、ああいう見方をしたら真四角じゃない」とガリレオみたいなことを呟きながらも、その騒ぎがどういう形で静まったのか記憶に無いくらいイノブタじゃないトラウマになってしまった。さらにその日家に帰ったら参観に来ていた母親から今まであれほど恥ずかしい思いをしたことはなかったとボロクソに叱られたことだけは覚えている。

 と、まあ毒にも薬にもならないバカ話を書いたのだが、なぜこんなくだらない話を書いたかと言うと、1年前のこの日にとても悲しいことがあって、それはもう思い出したくも無いしかといって忘れることも出来ないし、その出来事についてコメントするのも気が重いし、やはり何も無かったことにしよう、でもこの日に何かのエントリーは書こうという気持ちから昼御飯に食べたアスパラガスの話から思いつくままキーボードを叩いてみたのだ。そうそう、そういえば今日はみやざき国際ストリート音楽祭があるので、これからしばらくはお気に入りの音楽を聴いて何も考えないことにしよう。

 追記:『アスパラでやり抜こう』のCM関係の動画を貼ろうとYOU TUBE探したら弘田三枝子の名曲がアップされており、そこにアスパラドリンクの宣伝文句が書かれてあり、どうもアスパラとはアスパラギン酸のことでアスパラガスとは別人28号のようだ。しかもアスパラガスの白いのと青いのは育て方の違いで色の差が出るようで、別にカンヅメだから白くなるわけではないようだ。うーん、人生いくつになっても勉強だ。

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