たどりついたらいつも土砂降りどころか、たどりつけるのかハッピーライフに

 いやー、すっかり忘れていた。K平さんから電話貰わなければ、多分この週末あたりに気がついて、大慌てでデッチアゲのエントリーをアップしたに違いない。今日は祭日で、久しぶりに自宅でのんびりしていた。昨日は、比較的早く休んだものだからいつも巡回するあちこちのblogも覗かずじまいだった。それで、今日は午後からmixiを手始めにあちこち巡回していたら、Purple_Hazeさんの「Blues Power」がblog開設3周年だと気がつき、おめでとうのコメント入れて、丁度その直前に隣さんのだててんりゅうの71年の音源をニコ動で聞いていたのでそのリンクを貼って、それでそこにアップされていたモップスの『雷舞』の中の「抱きしめたい(ビートルズの方ね)」や「ギミ・サム・ラヴィン」や「ラブ・サムバディ」などを聞いてご機嫌だった。そうそう、そのページで久しぶりに紫の「Double Dealing Woman」も聞いたな。紫はサークル時代、誰かが8・8ロックデイのアルバムを持ってきていて、そこで演奏された「Devil Woman」や「Double Dealing Woman」なんかを良く聞いた。でも、一番カッコイイと思ったのはパープルの曲をコピーした部分だったけど。



 ええと、話が見えないかもしれませんが、ナニを隠そう、本日、つまり旧の天皇誕生日こそ、拙blog「別館4階のBOXから」の開設記念日だったのだ。思い起こせば2006年の4月29日に内田勘太郎と下地勇のライブ・レポートを第1発目のエントリーとしてアップした日なのだ。しかし、あれからもう丸4年ですか。それまでの間にいろんなことがありました。今、ざっと2006年のエントリーのタイトルを見たけど、うーん、当時は結構自分の半径5メートルの話(by 竹中半平太に見事に洗脳されたテリー伊藤ってちょっと長かったか)が多いことに気がついた。と、ここまで書いてちょっと幼児が出来たら大変なことで用事が出来たのだ、ということで一時中断、戻ってきて続きを書きます。

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嬉しいお知らせと恥ずかしいお知らせ

 今日は、短めのお話を2つ。僕がblogを始めたとき、理想としたのが何を隠そう、今でこそエロ大魔王などと自他ともに認めている黒木燐さんのスタイルだった(最近あまり「HEAVEN or HELL?」の更新が無いけど、楽しみにしてるのでよろしく)。まだ、何も知らなかった僕は彼女のエントリーを読みながらその博学多才ぶりに目を見張ったものだ。そうそう、どうやって彼女のblogにたどりついたかというと、2ちゃんに昔懐かしいテレビ番組の板があり、そこに貼ってあったアドレスで偶然たどり着いたのだ。今考えるとずいぶん恐ろしいことをしたものだ。もっともそのアドレスを貼ったのは当の燐さんだったから、ま、結果オーライであった。

 それ以来、毎日更新を楽しみにして、コメントも最初はおずおずという感じで書かせていただいたのだが、実は彼女にはもう一つ管理しているHPがあり、それはなんとあのストラングラーズのファンサイト(狂人館)であった(ストラングラーズの日本での公式サイトでした。訂正してお詫びいたします)。ストラングラーズ、そう、あのストラングラーズなのだ。70年代後半にロンドンパンクが興り、ピストルズ、クラッシュ、ジャムなど第1期パンクグループと同時期にデビューした彼らだが、最初から単なるパンクバンドとはちょっと違っていた。東京ロッカーズのリザードに興味を示し、彼らのメジャーデビューアルバムをストラングラーズのJJバーネルがプロデュースしたのは有名な話だ。

 で、そのストラングラーズが今年4月にPUNKSPRING2010に参加する、しかもリザードの演奏にJJがゲストで加わるなどかなり魅力的な話が燐さんから伝わってきて、一緒に行かないかと誘われて、『行きたい、行きたい、是非行きたい』だったのだが、まあここに書けない理由が発生して行けなかった。で、その僕をかわいそうに思ってくれた燐さんが『お土産送るから』と言ってくれて、どんなものか楽しみにしていたら昨日無事自宅に届いた。まあ、お土産だからストラングラーズ饅頭とか、ストラングラーズ羊羹、ストラングラーズ煎餅あたり、ひょっとしたらストラングラーズTシャツあたりだろうかと予想していたら…。なんとメンバーのサインとメッセージを額縁に入れて送ってくれたのだ。これだ。

誰のサインか読めるかな?

 燐さんによると、わざわざ僕の状況をメンバーに話してそれに対してのメッセージ、ただしみんなお酒が入っていたので字がかなり酔っぱらってるとのことでした。写真はクリックすると拡大します。で、JJ氏のメッセージは”OSU”と書いてあったので、最初は『ケツの穴』かと思いましたが、それは”ASS”でした。ちなみに全文は”OSU.I hope you can meet us next time.”という心温まるもの。いやー、どうもありがとうございました。燐さん、通訳していただいたYukaさん、そしてストラングラーズのメンバーへ心からお礼申し上げます。

 もうひとつは、お知らせ兼お詫びかつ訂正というもの。先だってZEK3のライブ・レポートをアップしたが、その1の中で「カシミール」の演奏が凄かったと書いたら、くるみさんから『ライフタイムでは「カシミール」は演奏していません』とメールを頂き、ではライフタイムのセットリストをついでのときにでも教えてもらえるとうれしいですと返信したところ昨夜というか今日の未明にメールで頂いた。そのセットリストは下記のとおりである。

ZEK3 LIVE AT THE LIFETIME SETLIST
1st
・Friends
・Out On The Tiles
・Since I've Been Loving You
・Ramble On
・Four Sticks

.2nd
・Trampled Underfoot
・I'm Goona Crawl
・Hot's On For Nowhere
・The Rain Song
・Dazed And Confused

アンコール
・Immigrant Song

 ということで、僕が前回絶賛した演奏は「Kashmir」ではなく「Trampled Underfoot」であることが判明しました。しかし、どうやったら聴き間違えるんだというご指摘は甘んじて受けます。でもね、でも、などと口答えするやつにろくなもんはいない。という教訓を自ら実践するのは立派だと思います、と誰も褒めてくれないので自分で自分を褒めることにします。パチパチ。

 と、ここまで書いてエントリーをアップして、ふと気がつくとメールが届いている。チェックしてみると再度くるみさんからで、読んでいるとまたもや大きな間違いをしておりました。僕(達)が感動した大ブレークありの演奏は「Dazed And Confused」でした。それを僕が勝手に「Kashmir」と思い込み違いしていたのでした。ここでもう一つ教訓。過ちを改めるのにはばかりに行ってはならぬ、って今時「はばかり」なんて名詞知らないつーの。ええい、面倒じゃ、すまぬ(土下座)。

5枚組みのパンはいかが?

 このところ学生時代のバカ話ばかり書いていて、ここ最近の日記を書いてなかった。今日は、久しぶりに身辺雑記でいくかと思っていたのだが、この土日(実はこれ先月書いたエントリーで、下書きのままほったらかしにしていたものです。したがって「この土日」というのは3/27,28のことです)でなかなかいい買い物というかブツを手に入れたので今日はその話を書いていこう。先日タワレコを物色していたときだ。このところCDはネットで注文するかフルモトで手に入れるというパターンで、いわゆるショップの棚を順番に眺めて品定めするなんてことがなかった。お金も全然余裕がない今日この頃なので、欲しいものはたくさんあるけど当然そんなに買える訳はないので、それぞれなんだかんだケチをつけながら見ていた。「お。岡林のコーナー、随分増えたな。ついこの前までは『狂い咲き』と『私を断罪せよ』しかなかったのに、うわ、ライブだけでも3,4枚出てるやないか。美空ひばりのカバーのやつはレコメンドになっとるぞ、こりゃ蔵が建つな」とか「なんや高田渡のアルバム、1枚しか置いてないやないか、もう商売にならんのか、薄情なもんや」とか「おいおい。清志郎で商売するのはいいけど、タイマーズまでフォローしてるのもいいけど、『夏の十字架』も清志郎の作品だぞ。あ、加藤和彦も大分少なくなってるな。賞味期限が切れたんか!くそったれ」。

 いえ、本当はあれも欲しい、これも欲しい(by ブルーハーツ)状態なんですが、何しろ懐が寂しいので、今日はゼッタイにこれだけはないとダメというものしか買っちゃダメゼッタイと自分自身にゼッタイの2重枷をかけていたのだ。で、とりあえず国内のアーティストのコーナーを1順して、次にガイジン(死語というかベサツ語か!?)のコーナーをAから順に回っていたそのとき、タワレコのレコメンドのところというか、いわゆる目の高さの位置にDVDだとか、雑誌だとかキャンペーン商品を並べている棚があって、そこに「今だけ2500円、ラッピングもします」なんて書いてあるコーナーがあった。「何が『今だけ』や、ボケェ、急がせる決め手で消費者の購買心を煽ったらあかんぞ、こら」などと心の中で毒づいていたのだが、そこに並んでいるCDの魅力的なこと。5枚のアルバムが1セット2500円で、さらにペーパースリーブ製である。ミュージシャンもリッキー・リー・ジョーンズやドクター・ジョン、リトル・フィート、オーティス・レディング、ハリー・チェイピン、プリテンダーズ…。またもやあれも欲しい、これも欲しいと頭の中で歌い始めたそのとき身体が固まった。目に飛び込んできたのはB-R-E-A-Dという5文字。「ブ、ブレッド、もしかしてあのブレッド。ベスト盤買おうと思いながらも、どうしても選曲に納得がいかず、単品でファーストとサードだけ買おうと考えてウィッシュリストに入れたまま幾星霜、あのブレッドの1枚目から5枚目までがセットで2500円?貝です、Shellです。違う、買いですこれは」

どやっ、これで2500円。但し歌詞カード無し!

 ということで、手に入れたブレッドのセットをここのところ毎日聞いている。いやー、いいんだよな、これがまた。このグループを初めて知ったのは「イフ」の大ヒットからだと思う。高校に入ったばかりの頃、同じクラスだった友人(注:先日ZEK3の宮崎ライブを一緒に見たS藤君でした)からシングル盤をまとめて安くで売ってもらったことがあり、その中にこのシングルが混じっていた。なんともいえないフワフワしたイントロとファルセットの効いたボーカル、そして歌詞もちょっと洒落ていて気に入った僕はなけなしの小遣いを貯めて(今、ふと気がついたがこの当時からお金に不自由していたのだ。うーん、根っからのルンペン・プロレタリアートだったんだ、僕は)、彼らのLPレコードを買った。それが3枚目のアルバムである『MANNA』だった。『MANIA』ではない。表ジャケットは教会の入り口みたいなところにメンバー4人が映っている写真だったが裏ジャケットは家内製手工業時代のパン屋みたいな点描画だった。ライナーを読むと「MANNA」とは神様用のパンのことだと書いてあり、アルバムタイトルも『神の糧』という仰々しいものだった。

 しかし、「イフ」のようなソフトロックというか、甘いバラードを期待して聞いてみたら1曲目、2曲目は結構ハードなロックサウンド。もっともワウワウやファズを多用しているのがいかにも70年代前半的。アルバムの中の曲も「イフ」的なものとちょっとハードでR&Bのフレイバーがあるものとはっきり分かれる。どうもデビッド・ゲイツってやつが作る曲は甘口、ジェイムス・グリフィンというのとロブ・ロイヤーというコンビが作るものが辛口担当のようだった。この感じ、何かに似てるなと思って良く考えてみたら、10ccにおけるスチュワート・グールドマン対クレーム・ゴドレーの関係に似ているのだ。「砂糖菓子に蜂蜜ぶちまけて食う」(by 僕が1回生のときの先輩のA部さんがデレク&ザ・ドミノスの「レイラ」を聞いていった感想)ような、ひたすら甘いだけのサウンドにきちっと楔入れてたのが、ブレッドにおけるグリフィン・ロイヤーチームだった。もっともこのお二人が2005年で亡くなっていたとは知らなかったが。

 で、乏しい小遣いの中で買ったアルバムだったので『神の糧』は良く聞いた。トータル・アルバムというのではないが、非常に変化に富んだ楽曲も多く、ブレッドというバンドの持ち味を見事に表現したアルバムだった。今にして思うとサード・アルバムというのは、そのバンドの実力が一番試されるものではないのだろうか。ミュージシャンにおける1枚目の作品とはアマチュア時代というか下積み時代に作りおきしていた楽曲やアイデアがほとばしるものがぶち込まれた、相当に凄いものが出来ることが多い。セカンドアルバムってのも、ファーストの延長プラス多少の変化球でナントカなる。どっこい、サードアルバムってのは、全くまっさらな状態で勝負しなけりゃならないので、そのミュージシャン(バンドでも同じ)の真価が問われるものになる事が多い。このあたり、あなたのお好きなバンドの3枚目のアルバムを連想して欲しい。その3枚目がお気に入りのアルバムであれば、そのミュージシャンがあなたにとってのマイ・フェイバリット・ミュージシャンであるはずだ。

 などと、まるで「ロック評論家」みたいなことを書いてしまったが、実はブレッドは3枚目のアルバムが大変気に入った後、シングルで大ヒットした「灰色の朝」が聞きたくて溜まらず1枚目のアルバムも買ったのだ。

 1ドル札の中にメンバーの顔写真が入ってるという人を喰ったようなジャケットで、シングルジャケット。エレクトラのアルバムはダブルジャケットがなくて、なんだか物凄く損したような気になったものだ(そういうのってありませんでした?なけなしのお小遣い、大枚2千円も出して購入するアルバムなんだから見開きで内ジャケットにも写真やイラストがあって欲しいとか、歌詞カードというかライナーも厚いもののほうがありがたいというか、そういう意味でユーザーを一番喜ばせてくれたのはエルトン・ジョンのアルバムでした。ジャケットの紙もしっかりしていたし、歌詞カードはちょっとした冊子だったし、写真はやたらふんだんに使ってあるし。もっとも残念なことにエルトンのアルバムの写真は、その枚数が増えるのと反比例して頭髪が後退していくという厳しい現実もありました、って話が飛びすぎだ)。

 それで大喜びしてファースト・アルバム聞いて見ると、既に当時確立していたブレッド=ソフト・ロックの大家、というイメージではなく結構ハードな音やデビューの69年当時にシンセなど導入した音作りもしていてちょっと驚いた。さらに、それまではほとんど気にしていなかった歌詞がどうもやたら皮肉っぽいというか、裏側に込められた意味は決して性善説じゃない、ということが分かってきた。そもそも「Dismal Day」ってのは二日酔いで気分の悪い朝という意味じゃないか、ってのが分かったときの驚き。何しろ、高音のハーモニーとコーラスで完璧なシングル、それとあまり評価されてないけど間奏のベースラインが渋くて、至福の2分19秒は考えようによっては物凄く厭味だったのだ。で、ここに歌詞を載せて意訳して、腐っても元英文科の意地を見せたろか、と思ったがそういうのは面倒なので、何かと参考にさせてもらっている「本町受験英語」さんのページをリンクしておくので、興味をもたれた方はどうぞ。さらに、蛇足のオマケみたいなことを書くと、僕たちポンニチでは「Bread」というと「ロバのパン」だとか、いわゆる「パン」(これを2回重ねていうと、なにやら女性ベサツの言葉になるらしい。使用例としては、対面している女性に「このパン×2回」と大声で発生してみると分かるかと思います)、というほんわかしたイメージしかないが、本来の英語圏ではもっとシビアな意味で使われることが多いっていうか、そういうニュアンスなのだ。「人はパンのみにて生きるにあらず」という言葉もあるし。もっともこのフレーズを筒井康隆だったか「人はパンの耳のみで生きるにあらず」などとおちょくっておりましたが。そりゃパンの耳だけじゃ生きて行けん罠。



 えーと、3月末に書き始めて、それからほったらかしにして何度か書き込んだこのエントリーですが、いよいよまとまりがつかなくなって、どうやって終わらそうか迷っている今日この頃ですが、実はこのエントリー用に書こうとしたくすぐりがあって、それはファーストアルバムのライナーノーツに書いてあったことなんですが、アナログのレコードは実家の倉庫にしまいこんでいてどこにあるか分からず遂に見つけきれませんでした。したがって僕の高校時代の記憶を頼りに書いていくので、かなり間違っているとか意味合いが異なるかもしれませんが、とにかく事実関係よりも面白さに比重を置く拙blogとしては、文責無しで書きます、ってしつこいなオッサン。

 というのも、えーと、72,3年くらいのブレッドに対する評価はデビッド・ゲイツの大甘路線でヒット曲を連発していてそこそこ勢いのあった頃なので、ライナー書いた人も相当リキ入ったんでしょう、69年のデビューアルバムがチャート上で全くの不振だったことをどう書いたか。以下は記憶をたどってます。『…、このブレッドはデビューした時期が不運だった。69年といえばクリームを解散したクラプトンがトラフィックのステーヴィー・ウィンウッドらと「ブラインド・フェイス」を結成した年だし、サウンド的にも比較されやすいクロスビー、スティルス&ナッシュがデビューしたのも69年。そういったスーパー・グループのデビューの影に隠れてブレッドのデビューアルバムはほとんど評価されなかった…』。えー、これを読んだ僕はあることわざが頭に浮かんだ、いわく「ひいきの引き倒し」。いや、ブレッド好きなのは僕もそうだけど、比較対象がブラインド・フェイスやCS&Nじゃねー、ってか土俵が違うでしょ。ま、例によって最後はグダグダになったエントリーですが、このブレッドの5枚組み買って損はしません。ご購入はお早めに。ちなみにバラで買おうという方は僕的には1枚目が一番のオススメです。次は3枚目かな。というところで、次回はきちんとした音楽話を。そうだ、昔目指していた若手ロック評論家スタイルでいくぞ~、って毎回掛け声ばっかりやないかオッサン。かんにんや、キャイン、キャイン。それと最後に「灰色の朝」を聞いてる子供が絶叫する動画が以前YOU TUBEにあったので、それを貼ろうと探したらバックにフルコーラス流れてる動画があったので貼っておきます。この子供の踊り、音楽にあってるのか微妙なところにアジがあります。


思い出すんだ、君が若かった頃(ジョンと関係ありませんが)

 やはりありませんでした。もしかしたら自宅のPCに下書きのデータが残っているのではないかとかすかな期待をしたのですが…。何の話かというと、この前アップした「ZEK3がやって来た その2」のエントリーを編集しているうちに原稿を消してしまい、なぜそのようなことが起きたかは昨日書いたように、いわゆる「スケベ根性」が原因で、それでも、もしかしたら、メイビー、メイビーとここはニルソンの名曲「メイビー」のフレーズで、決してルー・クリスティの「魔法」のほうのメイビーではない、などと71年のヒットチャートとニルソンのアルバム『Harry』を聴いたことのない人には分からないことを書いたが、いいんです、分かる人だけに分かってもらえれば。でも、一応ルー・クリスティのほうは貼っておきます。実はハリー・ニルソンの「メイビー」もアップしようとYOUTUBE探したんですが、Sean Nelson Sings Nilssonという動画で「メイビー」歌ってるんだけど、ニルソンとは全くの別人28号でこれは是非ともオリジナルの音源を捜して聴いていただきたい。曲の雰囲気だけは出ているので一応リンクしておくけど、ニルソンの歌はこんなもんじゃない、ってニルソンの話じゃないんだっけ。」



 で、だ。「ZEK3がやって来た その2」の後半部分は、もう無かったものにしてしまおうかとも考えた。幻のエントリーでもいいじゃないか。4/16の午後から夜までの間にだけ存在した、幻のエントリー。見ることが出来た人には幸福の青い鳥が飛んできたはずだ、みたいなこと書いてお茶濁せばいいじゃないか、人間だもの、と相田っぽくいっちゃってもいいじゃないか、失敗は成功のもとというじゃないかと適当にごまかそうとしたのだが、いやそういうことじゃいかん。人間正直が一番。ここはひとつ、前に書いたエントリーを思い出しながら書けばいいじゃないか、っていい加減きりがありませんが、とりあえず、「ZEK3がやって来た その2」の後半部分を思い出す限り書いてみます。したがって、ここまで読んでくれたあなたはもう一度4/15付でアップしてある「ZEK3がやって来た その2」を読んでいただいて、再度ここに戻ってきていただきたい。え、そんな大層なもんかって、ごもっとも。それでは前のエントリーの消えたところから再現してみます。

 …ゼップ6枚目のアルバムに入っている「カシミール」だ。前日のライブでは強烈なブレイクを挟み、延々15分以上やった(実はくるみさんからのメールで前日のライフタイムでは「カシミール」演奏してないそうです。オイラの耳も当てにならないな)。途中のドラムソロのときにいろんなシンバルやカウベルを出して、まるで現代音楽みたいな音を聞かせてくれたが今回の演奏は短めでタイトにまとまっていた。演奏が終わりくるみさんがマイクを取った。「1曲目は『カシミール』、この花は『カモミール』です」。おお、くるみさんが洒落を!!今回のライブで驚いたのはメールやコメントであれだけ面白いことを書くくるみさんが、ステージは本当にしゃべらないというかメンバー紹介と曲のタイトル以外はほとんどしゃべらないくるみさんが、実に楽しそうにMCをやったことだ。くるみさん、やればできるじゃないですか。これからもオヤジギャグシリーズお願いします。さらに、くるみさんはピアノの上に鞄を取り出し「楽譜が入ってると思うでしょう。残念でした。これです」と袋に入ったペットボトルのキャップを取り出した。

 今回の高鍋のイベントのチケットは前売りがなんとたったの1,000円。くるみさんもおっしゃってたがとてもこんな金額でZEK3を見ることなんかできない。今回は環境ボランティアというか、ペットボトルのキャップを集めることでチケット代の援助になった旨の説明をしてくれた。しかし、前日の宮崎は前売り4,000円で翌日の高鍋はペットボトルのキャップ持参という条件付きながら1,000円というのは、営業戦略的にはまずかったように思う。会場で偶然会ったK畑君も高鍋は1,000円という金額につられて来たといってたし、曜日的にも土曜日で、ってこんなことは前回書いてなかったな。話を戻そう。

 「次の曲は『レモンソング』です」というMCに続き、一気に会場は音のるつぼと化した。オリジナルはジミー・ペイジのギターがブイブイ歌いまくるブルースナンバーだ。2枚目のアルバムからの選曲で、初期のゼップの魅力が詰まった曲だがこの曲をアドリブたっぷりに演奏するZEK3。重厚感あふれ、なおかつある種軽快な演奏。もっともロックナンバーで「レモン」がつくと思わず♪しぼって~僕のレモンを~あなたの紅茶のなかに、たっぷり僕のレモンを、あ、あ、あ、あ、あ~などとのけぞってしまうのはめんたいロックファンの悪い癖だ。ついでにヤードバーズの映画『欲望』の演奏シーンを連想して若き日のジミッパゲを思い出すのは、あなたの勝手である。



 ゼップから先祖がえりしてヤードバーズに行ってしまったが、なに構うことはない。ゼップがデビューする前はニュー・ヤードバーズなんて呼ばれていたわけだから。ん、こんなことも書いて無かったよな。事実と違う事を書くのは「捏造」と呼ばれるので注意しよう。演奏は3曲目に入ったが、このときどうした加減か、僕の注意力が散漫だったのか、どうしても思い出せない。精一杯記憶をたどったがどうにもあいまいだ。今も、また思い出そうとしたが出てこない。出てくるのは次に演奏した「オール・マイ・ラブ」でのリリカルなくるみさんのピアノとジャージーなベース、ドラムのバックだ。このメロディアスな曲は後期ツェッペリンの中でも、大好きな曲で2年前は演奏してくれたのだが、前日のライフタイムでは演奏してなかったので(でしたよね、くるみさん。もう、どうも自信がなくなって不安です。またメールで「オールマイラブ、やりましたよ」なんて言われたらどうすべえか)、この演奏のためだけでも高鍋に来た甲斐があったというものだ。



 ファーストセット最後の曲は「フォー・スティックス」。オリジナルはリズミカルなドラムから始まるこのノリノリの曲をZEK3は独自の解釈で各自のソロパートを取り入れたハードな演奏に仕立て上げた。前日の演奏を「観念的」だなどと屁理屈いってすまなんだ、すまなんだジョーとめっかちの拳キチのおっちゃんのふりをしてひたすら誤魔化すのだ。ということで、何がということでだか、よく分かりませんが多分こんな感じのエントリーだったと思います。ああ、消去したワタシが悪いのは重々承知ですが、人間は忘却する動物なんだなとつくづく思います。忘却とは忘れ去ることなり、って、そんなん知っとるわー、バカヤローとぶつけどころのない怒りを胸に本日は休みます。おやすみなさい。




後悔先に立たず、先立つものもなし

 この前「ZEK3がやって来た」というタイトルで3つエントリーをアップした。そこでちょっとずるをした。実は「その1」は4/13に宮崎初日のライフタイムでのライブレポートで、「その2」「その3」は2日目の高鍋でのホールコンサートのレポートだったのだ。ライフタイムのほうは、いつも通りの書き方でいったのだが、高鍋の話は演奏曲の動画を張り付けてそこに僕の感想を入れるというやり方で16日の昼と夜にアップしたのだ。

 しかし、1日に2つのエントリーをアップするとどうしても印象が薄くなるし、何だかもったいない気がして(このあたりの感覚はblogをやっている人でないとちょっとニュアンス伝えるのが難しいかな)、「その2」の日付を1日ごまかそうと、つまり15日にアップしたことにすれば、13日に「その1」、15日に「その2」、16日に「その3」と、見よ、等差級数みたいな日付になるではないか。と、よこしまなアイデアが浮かんで、もうちょっとよく考えてから行動すればいいのに、おお、こりゃナイスアイデア、即実行と携帯で日付ずらして保存してアップした。

 で、本日、ありがたいことにくるみさんからメールをいただき、そこに僕のエントリーに対するご意見、ご指摘があり、念のために自分のエントリーを見直そうとチェックしたら、あらま、なんじゃこれは、「その2」の文が尻切れトンボ。しかも、どうでもいいような前ふりだけはしっかり残っているが、肝心のZEK3に関する演奏レポートの部分が見事に消滅。あわててバックアップしているはずのWORDを開いたら、保存したあったのは「その3」だけ。いかん、いかん、こういうズルしたらいかん。かすかな期待は、「その2」は自宅のPCに下書き原稿を残していたような気がしていることだ。しかし、それも当てにならない。あああ、他人から見たらどうでもいいようなことでしょうが、自分なりに思いを込めて書いた文章ってのは、記憶をたどってもう一度書くって出来なくはないけど、どこか違うものになるんだよね。ああああ。やらなきゃよかった。

 それと、もうひとつ自分のblogを見て気がついたのはコメントの表題が全部消えているというか、表示されない形になっているということ。前回のエントリーに書いたようにテンプレートを変えたときにちょっとトラブルがあり、もちろんそれは解決したのだけど、今のテンプレートのコメント欄はタイトル部分がなくて本文だけになってるのね。もっとも僕はスパム対策で認証画面が出るようにしてあるのだが、そこにはタイトル部分が表示されるので、わざわざ本文から切り取って張り付けたんだけど、実際表示されたのは本文のところだけ。うーん、これはこれはしょうがないのか。それとも製作者にもう一度問い合わせるべきなのか。いずれにせよ、消えたエントリーに落ち込む今日この頃でした。



ZEK3がやって来た その3

演奏に夢中で手ぶれ起こしてました

 昨日、ちょっとした気分転換で拙BLOGのテンプレートを変えてみたら、カレンダーが2重写しになり、更に拍手機能が消えてしまった。大慌てで製作者のページに飛んでいろいろ調べたが、どうしたらいいか分からない。ええい、菊は一時の恥、じゃなかった、聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥というではないかと、不躾ながら製作者にメールで問い合わせたところ丁寧な返事をいただき、おかげでずいぶんすっきりした画面にできた。tkさんありがとうございました。それから、せっかく拍手ボタンが復活したので、毎度毎度のしょうもないエントリーですが、『お、ええやないか』とか、『そやそや』とか、『うーん、まそやね、大体やね、僕なんかこれだけですよ、これだけ』、などと感じることがあったら、遠慮会釈なく押していただきたい。だから、気兼ねしなくていいんだから、ね。などと媚びてる場合ではなかった。休憩時間はもう終わりだ。トイレも済ませたし、さあ、後半の演奏はどうなるか、とわくわくドキドキしていたらこれまた強烈なものを提示してくれた。「モビーディック」だ。



 ツェッペリンの映画『The Songs Remains The same(邦題:狂熱のライブ)』でも迫力あるボンゾのドラムが一つの見所だったが、今回のライブの間違いなく最大のクライマックスでもあった。本田さんのドラムソロ凄まじいなんてもんじゃなく、スティック放り出して手で叩くだけでは飽き足らず、マレットを持ってピアノの中に頭を突っ込みピアノの弦を叩く、叩く、叩く。挙句はピアノのマイクに向かって「ア~~~~~~~~~」と絶叫。その間くるみさんは目をつぶって微動だにしない。米木さんはベースにもたれて、なんと笑っている。しかし、その後の各自のソロを入れて40分以上の演奏で、いや、いくら後半戦とはいえしょっぱなにこんなハードな演奏聴かされたら、もう後は野となれ山となれ、完全にZEK3の魔法にかかってしまった。その強烈な演奏の後はいかにもジミー・ペイジらしいリフが美しい「永遠の詩」。この曲はくるみさんお気に入りみたいで、僕が見たZEK3のライブには必ず入っている。そういえば、今年の年賀状で「アキレス・ラスト・スタンド」を是非演奏してくださいとリクエストしたけど、「あの曲はオーケストラではやるけど、トリオだとあまり面白くないのでやらない」とあっさり袖にされたっけ。



 ん、ここまで書いてきてもしかしたら曲順を間違えたかもしれないと不安になってきた。というのも「モビーディック」で凄まじいドラムを披露した本田さんが途中でステージを降りてしばらく出てこず、次の演奏の最後のほうでジャケット羽織ながら入ってきて演奏に参加したシーンが眼に残っているのだ。曲は「レインソング」で間違いない。いや、やはり曲順は間違ってないか。「永遠の詩」→「レインソング」は本家ツェッペリンでも黄金の曲順だしな。本家の「レインソング」はジミッパゲの阿漕なアコギがとても印象的で、もちろんジョン・ポールのメロトロンも幻想的なイメージを醸し出してるのだが、ZEK3の「レインソング」は毎回その顔つきを変えて出てくる。前日の「レインソング」と今日の「レインソング」はまったく違う曲なのだ。これを別人28号というのだ(ついにやっちまったよ、この手の落ちはダメだっちゅーのに)。



 そうだ。この曲はステージに残ったくるみさんと米木さんの二人だけで始まったのだ。ベースとピアノだけでこの装飾過多ともいえる曲をじっくり聴かせた。テーマも不思議なメロディだが、たった二つだけの楽器で見事に広がりのある世界を見せてくれた。このまま最後まで行くのかと見ていたら、本田さんが戻ってきて三人の演奏に戻ったんだっけ。そしていよいよラストの演奏になった。が、何を演奏したのか、もうこのあたりでは夢の中にいるようで、演奏中の写真も我慢できずに撮ったけど完全手ぶれをおこしていた(前日は草野さんにちゃんと許可もらってたけど、この日はホールコンサートなので写真はダメかなと自制していたのだ。しかし、チャンスがあればと念のためストロボをつかないようにはしていた。せっかくの演奏中にフラッシュ光って台無しにしたくないからね)。

 圧倒的な演奏が終わり、拍手をしながら時計を見たら9時半をすでに回っていた。6時半からの演奏だから、9時前には終わると思っていたお客さんも多かったようですぐに席を立ち家路を急ぐ人もいた。もちろん僕たちは、というか、大多数の人はアンコールの拍手を続けていた。隣にいた「秘密のアッ子ちゃん」おじさんはさっさと帰ったので、僕の肘も余裕があったしその向こうにいた本田竹広さんのファンの方とも目が合い、「アンコールやってくれますよね」と話しかけられた。今度は全然抵抗なく大きく頷けた。左側の扉が開き笑顔の3人が入ってきた。アンコールは前日と同じ「移民の歌」だった。



 ラストもばっちり決まって演奏が終わった。僕はもう1曲アンコールをと拍手を続けたのだが主催者からこれで終わりですのアナウンスがあった。圧倒的な2日間が終わった。会場を出たら目の前が控室でくるみさんの姿が見えた。僕は厚かましくも声をかけた。くるみさんは演奏直後で疲れていたにも関わらず、笑顔で出てきてくれた。僕はこの2日間の感想を伝え、昨日はステージが狭くてやりにくかったんじゃないかと尋ねた。と、いうのも本田さんが前日は演奏中何度もバスドラを元の位置に戻したりしていたからだ。「そんなことはないです、今日も同じですよ」と、そしてピアノがもう少し×××(ここ自粛)だったらなどと気さくに答えてくれた。僕は図に乗って「写真お願いしていいですか」と頼んだところ、米木さん、本田さんにも声をかけてくれてメンバー全員の写真を撮ることができた。そうだ、その時本田さんはCDにサイン中で、その相手を見たら例の本田竹広ファンの方だった。最後に僕はずっとこのグループのことを「ゼク・トリオ」と発音していたのだが、どうやら「ゼック・トリオ」が正しいようだ。もちろん、Zeppelinを「ゼップ」と略すように「ゼック」が正しいんだろうけど、多分「絶句」の意味もあるんだろう。いやー、ミーハー丸出しのレポートでしたが、2年間待った甲斐があるライブでした。拙エントリーを読んで多少なりともZEK3に興味を持たれた方は、是非ライブに足をお運びください。そこには必ず「狂熱のライブ」が待っているはずですから…。

3人笑顔のZEK3

ZEK3がやって来た その2

 たちまち土曜日はやってきた。前日のライブの余韻を残しつつ車は快適に一ツ葉有料道路を走った。どこに向かっているかというと、もちろんZEK3のライブ会場である。この日は高鍋美術館多目的ホールで18時開場、18時30分開演の予定だ。普段だと、宮崎~高鍋間は車で40分ほどだが、この日は土曜日の夕方とあって一般道は車が渋滞気味だったのでドライバーのY尾君の判断で有料道路を一気に走ったのだ。拙BLOGをお読みの都会生活者の諸君においては「なーにを、生意気な。陸の孤島の宮崎ごときで、なにが渋滞だ。片腹痛いわ。由美かおるも水戸黄門卒業したわ。」などと思われるかもしれないが、それはトンでもハップンな認識違いである。確かに宮崎は陸の孤島であるが、宮崎~高鍋間は国道10号線以外のルートは遠回りか未整備道路であるが、バスは時間が遅れるし、電車などというものは1時間に1本が当たり前、大体電車に乗るのは長距離通学の学生か、出社・退社時間がタイムイズオンマイサイドの公務員が通勤に使うくらいで、その他圧倒的多数は車依存社会なのだ。したがって朝の通勤時間帯と夕方のそれは大変に道路が混む。さらにそれが週末の金・土あたりになると、ちょっと移動時間の予測がつかなくなるくらい混むのだ。ましてや新年度のスタート時期、免許取り立てのペーパードライバーがガツンと事故でもやった日には、道路は大渋滞。そのあたりを予測して大枚200円(注:2,000円じゃないよ、コイン2枚の200円だ。Somebody loan me a dimeなのだ)を投入し、有料道路を活用する我々の好判断を褒めていただきたいものだ。車中は高速料金定額化における産業構造の変化であるとか、沖縄の米軍基地移転はどうなるとか、たちあがれ日本は本当に立ち上がるのかとか祖国ポンニチを憂える話題でいっぱいであるはずもなく、性懲りもなく前日のZEK3の感想や本日の演奏曲の希望的予想だとか、早い話がそういうことしか僕たちはしゃべらないのだ。

 会場の高鍋美術館というのは、以前何度かエントリーに書いたことがある舞鶴公園(水琴窟の話を何度か書いた)のすぐ近くにあった。もっとも通りからちょっと入っているのでメインの道路からは見えず、入口の標識も小さくてややわかりにくい。それでも開場時間の6時ちょっと前には到着した。駐車場にはすでに10数台の車が止めてあり会場入り口までチラシが建物の壁にずっと貼ってあった。周囲にライブ目当てらしい人が数人いたが、僕たちはさっさと受付に行き、ペットボトルのキャップと1000円札を出してチケットを手に入れた。会場に入るとまだ照明もついていなかったが、真新しいホールに白いグランドピアノとウッドベース、ドラムセット、アンプなどがセットされていた。入って、あれれと思ったのは会場の扉をあけると、目の前に座席がだーっと見える。当たり前だのクラッカーといわれそうだが、その座席が入ってきた僕たちのほうを向いているのだ。いや、その、どういえばいいか、そうそう、扉を開けて入った右後ろにステージがあり、そこから段々畑のように座席が設置されていて、つまりまっすぐ入って回れ右して椅子に座りステージを見るという作りになっていたのだ。しかも便宜上ステージと書いたが、正確にはステージはなくて床にそのまま楽器やPA類が置かれている。さらにアンプのシールドがそのまま座席のほうに露出で配線・接続されていて、客席のミキサーにつながれている。おいおい、暗くなったら足を引っ掛ける人が出るんじゃないか、などと心配したがもっと摩訶不思議なことがこの後のステージでは発生したが、それは後ほど。

 前から2列目の座席を確保しているうちに次々と観客がやってきた。結構途切れることなく入ってくる。この段階で携帯でエントリーを送信した。続々と入ってくる人の顔つきや服装を見ると作業着やスーツ、ばらばらである。中にはコンサート会場に来たのは何かの間違いではないかと思われるような年齢・服装の人もいる。そういえば高鍋では主催者が1000枚のチラシを配布したんだなと、ぼんやり考えていたら以前の会社で一緒に働いたK畑君の顔が見えた。アマチュアの親父バンドでドラムをやってる男だ。以前、あるバンドコンテストで「Wishing Well」のコピーをやったと嬉しそうに話していたことがあって、「今時フリーなんて誰も知らないだろう」と言ったら「いや、そこは親父バンドばかりだから、参加者はみんな知ってた」なんてこともあったっけ。ポール・ロジャースとクィーンを見に福岡まで行ってきてお土産にロンメンを買ってきてくれたこともあった。あ、ロンメンのときは別か。

 彼と会うのも久しぶりだったので、「昨日は宮崎で見てきたぞ」などと話していたら、1つ空いた席に座っていた年配の女性がいきなり、「ここのドラムの人のお父さんの追悼ライブに私は行ったのよ。ドラムの人知ってる?」と話しかけてきた。ドラムのお父さんといえば、今は亡き本田竹広、無論知らないはずがない、学生時代はネイティブ・サンが大人気でCM曲にも使われていた、などと説明するのが面倒だったので「知ってます」とだけ答えたら、その追悼コンサートのポスターを見せてくれて今回のZEK3のコンサートのことを知ったのが遅かったので、あまり人に紹介できなかったとかなり悔しそうに話していた。その話し方がずいぶんエキセントリックで、なんだかちょっと戸惑ってしまい適当に生返事していたら、次々に入ってくる人に声をかけたり挨拶したりして確かにいろんな人にこのイベントを紹介したようだ。そして僕とその女性の間に空いていた座席に知人の男性を座らせ、「あなたこういう音楽大丈夫よね?」と尋ね、くだんの男性は「おー、好き好き」とか秘密のアッ子ちゃんみたいな返事をしていたが、彼もバラードになるとヒアカムザスイマーズのお方だった。というか、ひじ掛けを独占するのでちょっとムッとしたのだが。

ステージ写真、前回は携帯からで、こちらはデジカメ

 事前調査でキャパは230人と知っていたが、ざっと100人近く入ったところで主催者が「間もなく開演時間ですが、まだここの場所の問い合わせの電話などが入ってるのでもうしばらくお待ちください」などとアナウンスが入った。その時ちょっと気になったのはステージ右側のドアのところをスタッフが開けたのだが、ちらり見えたその中はスイッチ類がいろいろ。一体何だったか。答えは演奏が始まる前に分かった。照明類のスイッチが、そこにはあったのだ。つまり演奏している横のドアを開けて照明の調整などするのだ。気にならないといったらウソになりますね。どうしてああいうところに機材室を作ったのだろうか。それともっと驚いたのは演奏中に平気で人の出入りがあったこと。遅れてきた客だとか猪木ピンチの人(関西人には分かりますな、その心は「ババが出る」。失礼しました)がいるのは分かるが、いやそういうのは事前にしっかりしておけば何とかなるはずだが、」いやでもでもの腫れ物ところ構わずというか、ベンは自ら助くるものを助くというか、危急存亡のときというのは分からないでもないが、それにしても演奏の合間、音が出ていない時ならまだしも、ガンガンの演奏中ならまだしも、静かなバラード、無音状態も音楽の一部というその間も結構な人の出入りがあり、スタッフがそれを注意している様子もなく、まあ、田舎のホールライブらしいといえばらしいが、ZEK3の皆様には大変なご無礼、ここは拙者が土下座して許しを乞う。

 などと長々と前ふり書いてもしょうがない。さっそくライブの様子を書いていこう。7時ちょっと前にメンバーが登場。くるみさんは花束を持っていて、それをピアノの上に置いて1曲目が始まった。重厚なイントロ、いきなりこの曲から始まったのは予想外だった。



 ゼップ6枚目のアルバムに入っている「カシミール」だ。前日のライブでは強烈なブレイクを挟み、延々15分以上やった。途中のドラムソロのときにいろんなシンバルやカウベルを出して、まるで現代音楽みたいな音を聞かせてくれたが今回の演奏は短めでタイトにまとまっていた。演奏が終わりくるみさんがマイクを取った。「1曲目は『カシミール』、この花は『カモミール』です」。おお、くるみさんが洒落を!!今回のライブで驚いたのはメールやコメントであれだけ面白いことを書くくるみさんが、ステージは本当にしゃべらないというかメンバー紹介と曲のタイトル以外はほとんどしゃべらないくるみさんが、実に楽しそうにMCをやったことだ。くるみさん、やれば※

 本日、4/20blogのチェックをしていたら文章が消えていることに気付いた。※の後は「(くるみさん、やれば)できます。これからもオヤジギャグをよろしく」と続き、さらにファーストセットで演奏された曲の動画と僕なりの感想を書いていったはずなのだが。原因を調べようと思うが、前の原稿は削除しているのでどうなるだろうか。困ったな、ウィルスじゃないだろうな…。

ZEK3がやって来た その1

ZEK3 

 見ました。見てきました。2日続けてZEK3のライブを。ということで、今回は長らく待ち続けてきたZEK3のライブレポートというか、まあそういう関係の話を書いてみる。予告編にも書いたが、ZEK3の清水くるみさんから九州ツアー開始のメールを頂いたのが、先月の2日だった。ライフタイムにチラシとポスターを多めに送ったので、ついでのときに強奪して配布せよという指令であった。もっとも、その頃個人的なことでごたごたしていたので、なかなかライフタイムに行き出せずに、ようやく顔を出せたのはライブの1週間前、4月1日のことだった。

 例によってY尾君といつもの居酒屋で待ち合わせ、近況報告や今度のZEK3のライブはどんな内容だろうかとか、早い話が四方山話ってやつですか、なんだかんだと飲み食いして8時前にライフタイムに行った。入ると香月さんたちがセッションしていた。ベースには海外に行ってたS園君も参加している。去年の末には帰国していたけど、香月バンドのベースは別の子がずっと弾いていたので知らなかった。相変わらずニコニコしながらウッドベースを弾いていた。そうそう、ピアノは浜月さんが弾いていて、正直去年まではちょっと弱気なピアノだったが、随分力強くなっていていわゆるジャズ・ピアノとして十分聞けた。セッションが終わってから、メンバーの人たちといろいろ話をしたが本来の目的であるチラシを受け取り、ポスターもと聞いたらそちらは1枚しかなくて1階のところに貼り出したものしかないとのことだった。そのときにマスターにblog用に演奏中の写真を撮らせてくださいとお願いしたら快くOKしてもらえたので、当初の目的は達成、チラシの割り振りをY尾君として帰宅した。

 それから1週間は待ち遠しかった。僕は配偶者にもチラシ配布を頼んだが、なかなか反応が鈍い。というよりも、もう少し早めに情宣は、やるべきで世間一般の方はスケジュールというのは1週間スパンではなく1ヶ月、3ヶ月のスパンでやるものだという常識が当方に欠落していたのが敗因だった。こりゃマズイというので、地元の友人でこの手の音楽を聴きそうなやつに片っ端から連絡したが、これが人徳というものか、とんと打ち返しというものがない。と、いうより「お前まだ、ツェッペリンとか聴いてるのか」みたいな反応ばかりで、ちと頭に来たのよ。だって、みんな聴いただろう、ツェッペリンやパープル。あの手の音を聴かないと精神がゆがんでしまい、「数学できんのが何でいかんとや~」(by 石井ソーゴ)と絶叫しながらライフルを乱射していたかもしれなかったではないか。そんな大昔のことじゃないのに、みんな過去を清算して、何事もなかったようにするその思想性が今のニホンがだめになった原因ではないかとこちらはやけっぱちの誤爆だが、ま、その、諦め半分怒り半分の日々だった。そんな中、高校時代に同級生だったS藤君から電話があり、前売り買っといてくれと頼まれた。じゃ、せっかくなので恒例の居酒屋で夕方集合して軽く飲み食いしてからライブに行こうということになった。

 いよいよ当日、僕は早めに6時過ぎには居酒屋にスタンバッて、おでんをつつきながらビールをたしなんでおった。しかし、S藤君もY尾君もなかなか来ない。手持ち無沙汰でお店のテレビを見ていたら、地元のK城町のI河内小学校という全校児童6人の小さな学校に2年ぶりに新入生が入ったなんてニュースをやっていた。その歓迎式典で全校児童が新入生と手をつなぎながら「1年生になったら」を歌ってる映像が出たのだ。全校児童6人で友達100人作るのは至難の業だなと思いながら、携帯からblogにアップした。いや、そうでもしないと間が持たなかったのよ。決してジジィのセンチメンタリズムではない、うん。などと、やってるうちにY尾君が来て、それからすぐにS藤君も合流。僕はS藤君とはちょくちょく会ったり一緒に飯を食ったりしているが、Y尾君は随分久しぶりみたいで大いに話が盛り上がった。そうこうしているうちに7時になった。S藤君、Y尾君はまだちょっとおなかがすいてるようだったので、僕がレポとしてライフタイムに行き、恒例のシルバーシート(ステージから見て左側の、壁が背もたれになるベストポジション)を確保することになった。

本田氏のドラムソロ

 その居酒屋からライフタイムまでは直線距離500メートルというところか。生憎雨模様で傘を差して歩いていると、目の前に2人あちこちきょろきょろしながら歩いているカップルがいた。ライフタイムの前あたりで何やら立ち止まっていたので、こりゃヤバイ、シルバーシートを取られるかも知れんと思い、脱兎のごとく横をすり抜けライフタイムに入った。見事一番乗りでステージ真横の席を3人分確保しようとしたら、マスターから『今から熊本から来てくれるお客さんがいるので2人分席を譲って』といわれ、勿論快く譲ることにしたのだが、その熊本からのお客さんというのは、先ほど僕が追い越したお二人だった。僕に気を使われたのか最前列のところではなく、ひとつ後ろにお二人で並ばれた。Y尾君にとりあえず座席ゲットの電話をしてようやく周囲を見る余裕も出来た。お、ステージにウッドベースが置いてある。てことは、今回はエレキベースではなくウッドベースで行くんだなと納得。いや、チラシの写真で米木さんはウッドベースだったけど、こういうのは自分の目で見ないと、ね。

 間もなくS藤君、Y尾君もやってきて、徐々にお客さんがつめかけ始めた。最初にきたアベックはと見ると、関戸夫妻。町田町蔵のファンだという奥方に「最近は見にいけなくてすいません」と挨拶した。香月さん、S園君、その他多分宮大のジャズ研関係。ナニゲニ、ここライフタイムに結集する地元ミュージシャンが続々登場(後で気がついたがピアノの大西さんもいた。正しく宮崎ジャズ・アンダーグラウンド・シーンってなところ?)という感じだった。開演は7時半からだったが、まだ席に余裕はあるし恐らくスタートは8時近くだろうと話していたら、息せき切ったスーツ姿の男性2人が僕たちのテーブルに「いいですか」と言ってきた。Y尾君はステージの真ん前の席でちょっと見づらそうだったし、僕の向かいの席は空いていたので「どうぞ、どうぞ」とダチョウ倶楽部のようなことを言って席を譲った。お二人とも多分20代後半かいって30代前半という感じ。一番前に座った男Aは一緒の男Bの職場の部下というか後輩、もっとはっきりいうとこの時期だけに新入社員ではないかと思われた。

 いえ、会話がね「いやー、僕、こういうの大好きなんですよ、誘ってもらってありがとうございます」「ま、こういうのもたまには見ないとダメだぞ。仕事仕事で余裕をなくしたら人生終りだ」なんてとこから始まって、まあ聞くつもりはなかったが、何しろ目の前で話すものだからついつい聞こえてしまう。男Bは「いやー、ツェッペリンっていいバンドだったんだぞ、お前は知らないだろうが」。え、ちょっと待って。どう見てもリアルタイムで聴いてる筈ないんだけど、あ、追体験というやつか、うん、いいよ、いいよ、音楽ってのは同時代に聴けないものの方が多いし、かえってその方が対象に対して冷静にかつ深く入り込めることも多いしな。男A「ええ、僕もこういうの、あの60年代とか70年代っての好きでして」。あ、そう。それは結構毛だらけ猫灰だらけ、ん、いいんじゃないの。てな感じで話を聞いてるうちについZEK3登場である。で、驚いたことに、この60年代70年代大好きお兄さん、ライブの最中に半分眠りかけるわ、固まって動かないわ、多分これから二度とジャズのライブは聴きに来なくなるのではという心配が…。男Bは一人で乗りまくっていて正しく「COMMUNICATION BREAKDOWN」であった。ありゃ多分職場での人間関係にも影響するぞ。

 と、何故かライブに関係ない話を延々と書いたが、実はこのライフタイムでのライブ、それまでの期待が大きすぎたせいか、うーん、正直あれ、こんなんだったっけZEK3って、と思わなくはないような、そうだな~、いや、いいんですよ。凄く良かったんだけど、第1セットの初めがイマイチ乗り切れなくて「SINCE I’VE BEEN LOVING YOU」でキターっと思ったけど、何か僕自身が素直に乗り切れなかった。いや、演奏は迫力満点でした。2年前に見たときは、最初音のバランスが悪くてピアノの音が聞き取れなかったんだけど、今回はばっちり。ただ、なんというか前半の演奏も後半の演奏もすごく観念的(!?)というか、フリー・ジャズっぽいところもあったり(いや、フリー・ジャズ大いに結構なんだけど)、ちょっととっつきにくい感じがしたのだ、僕には。しかし、あっという間にハーフタイムが来たので、やはりZEK3の演奏にしびれていたのだろう。ただ、前回はハーフタイムの段階で耳鳴りがしたのだが、今回はそれほどでもない。S藤君には散々ZEK3の強烈さ、くるみさんのピアノの凄さ、本田さんのドラムの凄まじさなどアジっていたのだが、彼のハーフでの感想は「なかなかいいけど、いかにもジャズのゼップだよな。クラシックをジャズでやるのと同じようなものじゃないか」などと普段と違って鋭いことを言った。

米木氏とくるみさん

 で、ハーフタイムに男の人がピアノの方に行ったかと思うと、調律を始めた。そういえば前回のライブではくるみさんがピアノの弦を切ってしまったな、などとぼんやり考えていた、というのは大嘘で、やはりかなり興奮しており焼酎のロックをガンガンいっておりました。S藤君やY尾君も結構いいペースで飲んでおり、なんだか昔の高校のミニ同窓会みたいになってしまった。ふと、回りを見渡すと最初はちょっと寂しかった客席もいつの間にか結構埋まっており、BGMの音楽と話し声、笑い声、グラスの触れる音、これに紫煙が渦巻けば正しくかってのジャズ喫茶のイメージだ。でも、今は喫煙者は疎外される時代だから生きにくい。しかし、そういう時代に咥えタバコでステージに出る本田氏やベースのチューニングをする米木氏は非常にカッコイイ。カッコイイが乗り物にのっての移動のときなどは受難の日々だろう。

 後半のセットが始まった。前半から気になっていたのだが、本田氏がどうもやりにくそうだ。というのも、バスドラが叩いているうちに動いてしまい、演奏中になんども位置を動かしたりしていたからだ。しかし、「カシミール」の演奏は鬼気迫るものがあった。もともとイントロからしておどろおどろしい曲ではあるが、途中各自のソロが入り、さあこれからどういう展開をしていくのかと思わせながら、一瞬にして音が消えた。店内に異様な緊張感が走る。誰も音を出さない。客も拍手もしないし身じろぎすら出来ない。後で、S藤君、Y尾君に聞いたら「あそこで拍手したり音を出したりしたら負けだと思った」って、一体誰と何の勝負をしていたんだといいたくなるが、まあ、そういう緊張を強いる演奏だったのだ。僕は本田さんがワイヤーブラシに持ち替えたので、ドラムから来るなと身構えていたのだが…。しかし、それから後の演奏は正しく圧巻、圧倒的でした。惜しむらくは選曲が渋すぎるというか、もっとポピュラーな曲をやった方が受け入れられると思ったけど、まあ、ここは天下のライフタイムで客もジャズ命の人が多いので、その線でいったのかもしれない。

 前半1時間、後半1時間の演奏が終わり、拍手が続いた。アンコールの拍手が続く。笑顔でステージに戻ってきた3人が目で合図して、一気に演奏に入った。「移民の歌」だ。ロバート・プラントの絶叫が印象的なこのナンバーを見事なピアノ曲に仕上げている。そうそう、書き忘れたけど、ZEK3のリズムの切れは最高です。ブレイクとは正しく、こういうことだというお手本です、パチパチ。演奏が終わり店内にざわつきが戻り、僕たちもライブを見た後の余韻に浸りながら、おしゃべりを続けた。スーツ姿のA、B両名はあっという間に引き上げた。僕はタイミングを見てくるみさんに挨拶に行った。奥のカウンターに座っていたくるみさんに、「くるみさん、今晩は。drac-obです」と声をかけると笑顔で握手してくれた。先ほど、鍵盤をパワフルに叩きまくった手はとても小さくて柔らかくて、一体何処にあのパワーが潜んでいるのか不思議な感じがした。

 しかし、毎回思うのだが自分の好きなミュージシャンと話す機会など、そう滅多にないのだから、この機会にいろいろ話を伺えばいいのだが、いざそのときになるとすっかり頭から言葉が消えてしまい「明日も追いかけます。頑張ってください」くらいしかいえない、まあ、情けない体たらくでした。

 それからライフタイムを出て、興奮冷めやらぬ我ら3人はもう一度最初の居酒屋に戻った。そこの大将に「出戻りだね。30分しかないけど、いい?」と言われ、とにかくおなかが減ったので卵焼きとビールと焼酎をと喚きながら店に乱入し、そこで僕は卵焼きと玉子焼きの違いについて、この前のNHKのテレビで得た知識を披露しようと思いながらも、いや、今回のZEK3は難しかった、もっとポピュラリティを獲得するためにゼップの曲でも分かりやすい曲をやるべきだとか、アンコールは「移民の歌」もいいけど、「ロックンロール」をやればもっと受けたとか、タマヨはもっと叩けとかわけの分からないことを喚き続け、とにかく結論は明日のココロだ~などと小沢昭一的発言をしてその日を終えたのだった。続きます。

追っかけ日記


本日は、高鍋美術館でのホールコンサートである。ZEK3の追っかけである。キャパは230で6時オープンと同時に20人以上のお客が、続々と…。こりゃ期待できます!!

そりゃ無理じゃないかな


ついに本日ZEK3のライブ、場所はご存知ライフタイムである。先程、腹が減っては何とやらで、毎回お世話になってる居酒屋でテレビ見てたら、二年ぶりに新入生が入った小学校の映像が出た。ほほえましく見ていたら、全校生徒で「1年生になったら」を歌ってた。♪1年生になったら、1年生になったら、友達100人出来るかな~

かなりムズイと思います。全校で100人どころじゃないからな…。

公園での花見


いい天気になり、散り際の桜を見に来た。見物客の荷物が大変気になる。辺りに、現役のD大生がいない事を願ったって、これはニュース元書かないと、オチがわからないか…。

以下、YAHOO!ニュース(京都新聞)より引用

花見客のバッグ、同大生置引 円山公園、容疑で2人逮捕

東山署は7日、窃盗の疑いで、京都府城陽市と大阪府高槻市の同志社大2年の男子学生2人=いずれも(19)=を逮捕した。
 逮捕容疑は、共謀して7日午後9時半ごろ、京都市東山区祇園町の円山公園で、花見に来ていた同市の女子大学生(19)がベンチに置いたバッグ(現金653円在中)を盗んだ疑い。
 東山署によると、城陽市の学生は「勝手に持っていった」と容疑を認め、高槻市の学生は「拾った」と容疑を否認している、という。


ZEK3がやってくる YEAH!YEAH!YEAH!

九州ツアーのチラシです

 ようやく待ちに待ったZEK3がやってくる。振り返ってみれば2008年の1月21日にライフタイムで見たエントリーを書いて以来、丸2年ぶりのライブになる。今、そのときのレポートを読み返してみると結構興味深いものがある。ZEK3のライブを見たことがきっかけでY尾君との「毎月1度はライブを見る会」が結成され、さまざまなライブレポートを書き殴ってきたわけだ。”Every Dog Has His Days.”である。そのときのZEK3の演奏は凄まじいものがあり、ライブを見た感動を自分のblogに書くだけでは治まらず、バンマスのくるみさんのHPを探してコメント書いたのがきっかけになり、それ以来ちょくちょくくるみさんからメールをいただくようになった。

 そうそう、その前にmixiをされていることを知り、マイミクにしていただき、そのときの九州ツアーの日記をくるみさん、連載していたのだが中断に次ぐ中断で、挙句の果ては「なかったこと」にされたのも記憶に新しい。おっと、こんなこと書くとまた悪口だと誤解されるのでおしまいにして。

 先月の2日だったか、久しぶりにくるみさんからメールいただき、そこに4.9ライフタイムのライブ決定、ついてはチラシ送ったので情宣活動宜しくと書いてあったので、随分遅くはなったが先週ライフタイムに行って受け取ってきた。例によってY尾君にも同行してもらい、彼のルートでH高社長やM原さん方面に撒いてもらい、僕は僕であちこち声をかけて情宣にいそしんだ。もっともチケット前売り確定したのはたった一人なので偉そうなことはいえない。と、いうことで(ナニがということでかよく分かりませんが)、地元の方。来る4月9日はライフタイムにてZEK3のライブに是非結集お願いいたします。この前の北京オリンピックの閉会式で次回のロンドンに向けてジミッパゲがギター弾いてましたが、ま、それはどうでもいいけど、怒涛のゼップ・サウンドを共に楽しみましょう。
解説、文字が小さいけど読めるかな。視力検査のつもりでどうぞ。
 さらに、翌10日は高鍋美術館でもホールライブあります。僕たちはこのライブも追いかけます。なんつっても、「追いかけ歓迎、半分以上は曲入れ替わると思いますよ」とのお墨付きいただいてるので、こりゃ行くっきゃない、ってやつです。別名、イカネバの娘って、何十回使ったフレーズだよ、オッサン。

 そうそう、その高鍋の前売り買おうと思い、チラシに書いてある連絡先に何度電話しても繋がらず、どうしようかと途方にくれていたら、先ほどようやく繋がりました。ところが、「おたく、間違ってる。昨日もなにやら録音入ってたけど、違うとこにかけとるよ、おたく」と何やら不機嫌そうな関西ババア。「え、そちらは090-〇〇〇〇-××××、と違います」「(数秒、間を置いて)××××は合ってるけど、〇〇〇〇は違う」。そんなはずはない。僕の携帯に表示されている番号は090-〇〇〇〇-××××で間違いないのだ。しかし、この別人28号オバンは、追い討ちをかけて「間違ってるよ。オタクの会社関係の人から電話がかかって迷惑しとるんよ」と、のたまう。「シーマシェン、そりゃすまんかったばってん、人間誰しも間違いはあるでしょうが、そぎゃん、やかましゅうイワンでもヨカやナイとですか、あんまり無茶ばいうとションベンばちびりますタイ」とこちらは俄か九州弁但し左門豊作のブルース付きというバージョンで謝っておいた。

 で、このことをくるみさんにメールしたら「真っ青!そりゃ大変
主催者に連絡とったら、事情言ってくれれば、当日を前売りにします。と。但しペットボトルキャップお持ちください、とのこと。」というお返事でした。ということで、高鍋方面の方も安心して、土曜日は美術館まで足を運んでZEK3の演奏をお楽しみ下さい。

 追伸;くるみさんのメールを勝手にアップしましたが、緊急避難的内容なので、オメコボシのほど、宜しくお願い申し上げます。

ショートコント

携帯で先ほど見たニュース。

新党名「たちあがれ日本」って、お前らパイアグラバイアグラかっ!!
ま、平均年齢69歳の新党なんで、「たちあが」ったり「よみがえ」ったりするのが理想なんだろう。

学食の話

そのときのランチ、食べかけた途中で写真とったので見苦しい

 久しぶりに大学の生協の食堂でメシを食ってきた。いわゆる学食というやつだ。どれくらい久しぶりかというとアバウト30イアーズアゴーではないか。というのも、上の子の大学の保護者説明会と後援会総会なるものが開催されるという通知が以前届いており、その封書の中に額面1,000円の金券が同封されていたのだ。1年前は、入学の手続きと説明会があり、そのときは配偶者と子供と3人で行っていろいろ必要品を購入したり、単位の登録の仕方などの説明を受けたのだが、進級した今回は説明会の出席率を高めるため、生協の金券をサービスしようという、官が民に学んだ動員手法ではないか、などというのはゲスのかんぐりというもので、ここは素直に今の学生の生活風景を疑似体験させてやろうという大学当局の親心だろうと思うことにした。

 当日は、配偶者は仕事があるので行けないというので今回は子供と二人で行って見た。もっとも子供はサークルの練習に行くのが主目的で、父親と一緒に生協で飯を食うなどということは死ぬほど嫌だといわれて、ま、そりゃそうだと納得。自分自身が大学に入ったとき、一応父親が同伴してきて下宿の手続きや、日用品の購入、さらには大学生協への手続きなどをしてもらったが、「そんなん、オレ一人で大丈夫」といったのだが、なれないお金を持たせたらこいつのことだから、全部レコードと本に化けてしまいまともな生活は出来ないだろうという、親の、正しく、親ならではの鋭い読みで同行されてしまったのだ。そういえば、今思い出した笑い話だが、確か今出川の特設コーナーで机やファンシーケース(分かるかな、ビニール製の簡易たんすみたいなものだ。いや、洋服掛けかな。あれの組み立てが僕は苦手で、初めての下宿のときはたまたま遊びに来ていた元下宿生に組み立ててもらった。Y本君、元気かな。あの時はありがとう。生活費が足りなかったときはジャズのレコードをタンポにお金を借りたこともあったっけ。1枚1,000円だったな)、コタツや水屋などの生活必要品を申し込み、その宅配を受付の女子大生に頼んだ。勿論、生協のアルバイト学生だと思うが。

 僕の父親は結構土地勘が良くて、一度行ったところの地図はそらですらすら描く人だった。そのときも大学から下宿までの略図を描こうとして、「えーと、ここにカラスマル通りがありますよね。で、ここからこういって、それで…」と説明をしていたら、その女子学生がなにやら含み笑いしながら「あの、お父さん、これ『カラスマル』と書いて『カラスマ』言いますんや」とぬかしおった。横で聞いていた僕は、「コノヤロー、田舎もんだと思って小ばかにしやがって、だから京都の人間はイケズだというのだ」などと勝手に怒っていたのだが、今冷静に考えてみると多分にあの女子大生も地方出身者の可能性が高い。目くそ鼻くそを笑うの図だったと思う。まあ、京都などというところで生活していると、どうしても地方を下に見てしまうのはしょうがないかな。

 それと脱線ついでなんだが、僕が最初に借りようとした下宿は上京区大心院町だったのだが、窓が全くなくて部屋の四方は土壁、明り取りに天窓が1つあるだけという環境劣悪な部屋だったため、即座にキャンセルし、それからあちこち探して修学院に落着くわけだが、このときに注文した家具や布団などは大心院町の住所にしていたので、配達しようとした生協の職員が転居先不明でずっと預かりっぱなしになっていた。つまり修学院の下宿は、最初は全くスケルトンの状態で寝具も大家さんの厚意で借りたままだったのだ。大家さんも1日2日はいいとして、いつまでたっても僕が自分の布団を取りに行かなかったので「drac-obはん、いつまでうちの布団使うんでっか、はよう、自分の布団取りに行きよし」などと怒られて、慌てて生協の事務所に行った事があった。

 事務所に入り口にいた無口なオニーチャンに名前と前の住所を行ったら、倉庫みたいなところに案内してくれて別の人間につないでくれた。今度はやたら良く喋る職員で、「あー、おたくな、えらい迷惑やったわ。重たい荷物トラックで持っていったら、全然別の人間出てきて、こんなん頼んでへん、いいよるし、こら、荷物の預かり賃貰わんと合わんな」などといった。今であれば、「アホンダラ、客には客の都合っちゅうもんがあるんや、そんなもん払えるかい、ボケェ」と強弁すること間違いなしだが、なんせまだ18歳の初々しい頃だったから「あ、すいません。いかほどお支払いしたら宜しいんでしょうか」みたいなことをいってしまった。流石にその職員も薬が効きすぎたと思ったのか、「ええよ、ええよ。まオレが何とかしたるわ。ところで自分九州やな(京都に来て最初にビックリしたのは相手のことを『ジブン』ということだった。僕ら九州人は『ジブン』というときは、当然『自分』のことであり、『自分は星君の練習風景を見るとションベンばちびりますたい』と俄か左門豊作になってしまうのだ)。ほら、さっきおった大人しい男、あれも九州や」などと話をそらすのだった。「へえ、九州っていうとどちらでしょうか」とこれまたクソ真面目に聞いたら「確か佐賀とかいうとったな、宮崎と佐賀っておんなじ九州やし、近いんやろ」などと、およそ九州の地図など見たこともない発言をしてくれた。まあ、この手の誤解は多いので聞き流したのだが。

 時代がいきなり1975年にワープしてしまった。話をもどそう。車で大学について、子供から学食の入っている建物を聞いてそちらに向かった。その日はイマイチおなかの調子が良くなくて、お昼は軽く麺類にしようと思い、食堂の中の麺類のコーナーに向かった。醤油ラーメン360円などと書いてあるので、割烹着来たオバチャンに「これ使えます」と金券を差し出したら、「ええ、勿論使えますけど、これおつりが出ないから勿体ないですよ。向こうの売店で飲み物や他の食べ物も取ってそれから精算したほうが得ですよ」と教えてくれた。僕は昔のイメージで先にお金を払って食券を買い、それを窓口のオバチャンに出すかと思っていたのだが、ビュッフェ形式というのか、大きなお皿に好きなものを入れて最後に精算すればいいとのことだった。

 しかし、そんなにおなかは減ってないし1,000円分も食べられないなとしばし考え、そうだ、地下に書籍部があったはずだから、そこで本を1000円分買って、その後醤油ラーメン360円也を自腹で払えばいいのだ、とひらめいて我ながらいいアイデアだと軽くスキップを踏むような感じで階段を下りた。

 読みたい本はいろいろあったが、とりあえず未読だった森見登美彦の「きつねのはなし」の文庫本とLANケーブルを選びレジに持って行った。「これ使えますよね」と今度は断定的に言って金券を見せると、レジのオバチャンは「あ、えと、うんと、ちょっと待ってください」と昔流行ったポップスのタイトルみたいなことを言って、奥の上司みたいな人に聞きに言った。帰ってきて言った言葉は「すいません、これ食堂だけです」。え、ダメなの、なんだよ、買い物券って書いてあるじゃん、看板に偽りありだろ、ダメ、オレ認めないから、なんだったら学長呼んで来るまで動かないから、だから国立なんてのはユーズーがきかなくてだめだっちゅうの、ツクバ中教審路線断固フンサイ、トーソーショーリだ。などとごねまくったろか、と思ったが万一こんなことが上の子にばれたら、ただでさえ軽い親の権威ちゅうもんが、人情紙風船のごとく雲散霧消するのは明白であるから、ここは黙って堪えてサイフから1100円出して払った。

 で、泣く泣く学食に戻り、人ごみの中を列にならび、大きなお皿にスパサラ、ほうれん草と温泉卵の抱き合わせ(っちゅうか、そんなやつ)、白身魚のフライ(だと思ったんだ、切れ身のところとタルタルがかかってるのを見て)、味噌汁、ご飯、そしてペットボトルのお茶を取って、レジに並ぶと「690円」などといわれた。何っ、ふざけんなよ、コノヤロ、このおかずパターンだとせいぜいがBランチ160円、スパサラ30円、温泉卵30円、味噌汁10円でお茶が100円の330円だろうが、倍じゃねーか、てめー、そういうのをボーリってんだよ。おおかた上部組織の献金のために吹っかけてるんだろ、などという考えが頭に浮かんだが、よくよく考えてみるとBランチ160円ってのは75年当時の値段だもんナ。もっとも僕はエートコのボンだったからお昼は大抵Sランチ200円を食ってたもんね。

 と、Sランチ、Aランチ、Bランチというのは僕らの大学の学食のメニューで、一番立地リッチなのがSランチ、なんつってもメインのおかずが2品(ハンバーグとエビフライとか)もあったっけ。もっとも我がDRACの諸君は圧倒的にBランチ派で仕送りやバイトの金が入ったときだけAランチという連中が多かった。僕など走資派などといわれたものだ、って走資派なんて言葉が通じない時代だっちゅうの。

 てなところで、学食懐かしかったです。味は相変わらず味噌汁が薄い。そしてメインのサカナフライだと思ったフライ物は、チーズと鶏肉を巻いたものでした。チクショー、詐欺だ。で、食事が終わって食器をどうしようか考えた。ズトさんに気に入ってもらったT原さんは「こんなん日×(当時のD大生協を牛耳っていた某革新党派。青年部隊が民主〇年同盟)の手伝いが出来るかっ」と毎回捨て台詞を残して、生協職員を睨みつけながら食器をそのままにしていたな。ま、しかしワタクシも酸いも甘いもかみ締めた立派な大人になりましたので、学食職員との連帯を表明して食器を下げにいったら、なんと回転寿司のレールみたいになっていてそこに皿ごと載せるだけ。おいおい、オレ達のころは小さな穴の開いた水道管からちょろちょろ水が流れていて、そこで食器を洗ってからもどしていたぞ。今のセイガクは甘やかされとる、責任者出てこい!!この叫びはその後トイレがシャワートイレでしかも暖房便座だったことを発見して更に大きくなるのだが、今日はここまで。

こいきな奴ら、じゃなかった懲りない奴ら

 昨日の地元紙(宮崎日日新聞)に久しぶりに中山センセのお名前を発見。おお、これぞ類は友を呼ぶだと確信した。以下引用します。

中山氏 月内に新党方針   平沼、田母神氏らと結成
中山成彬元国交相(66)が郵政造反組で自民党を離党した平沼赳夫元経済産業相(70)=衆院岡山3区、歴史認識に関する論文問題で航空幕僚長を更迭された田母神俊雄氏(61)らと、4月中に新党を立ち上げる方針であることが31日、分かった。「保守本流の再結集」を旗印に夏の参院選で比例代表を中心に候補者を複数立てたい構えで、中山氏は「民主の過半数獲得を阻止する」と話している。
 中山氏によると、自身が宮崎1区で敗れた昨夏の衆院選前から平沼氏らと協議を重ね、政権交代後に新党結成が具体化した。新党には中山、平沼、田母神氏のほか、自民を離党した平沼氏に近い衆院議員らが加わる公算が大きく、政党要件を満たす国会議員5人を確保できるかが焦点(ここ笑点でも意味は通じるのでは)となる。
 中山氏は「民主党政権下で日本は危機に陥っている。今の自民党にも任すことはできず、われわれが第三極として同志を募り、1人でも多く参院選に立てたい」と話しており、自身は「宮崎選挙区からは出ない」と明言する一方、「比例で立つかどうかは、まだ決めていない」としている。

 昨日はエイプリル・フールだったが、どうもマジらしい。機を見るに敏なお方だ。新党ブームに乗っかって、自身の政治生命の延命を図っていらっしゃるのか。やれやれ、だ。



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