どうでもいいような日曜日、オチは無し

 1月最後の日曜であるが、午前中から仕事で会社に出た。今更ジタバタしてもどうなるわけでもないのだが、世の中にはアリバイ的なる言葉が存在するように、やりたかないというかやってもしょうがないけど、とりあえずはやっておかないとね、一応月末で格好つけておかないとね、などと多分学生時代だったら「ナーンセンス」と一言でフンサイしたであろうシホン主義的浮世の義理を果たしたというわけだ。いや、しかしこのあたりの表現は実に気を使いますな、ご同輩って誰に言ってるんだ。大体、日曜日は朝の10時近くまでグーグー寝ているのが常で、ようやく起きたと思ったら先ずコーヒーを入れて、おもむろにテレビのスイッチを入れる。そうすると九州ローカルの番組が15分ずつあって、どちらも九州各県のいろんな風景が見られて、その中には仕事で行った場所や実際住んだこともある場所や、そんなにたくさんはないけどドライブや小旅行で行ったことのある場所などが出てきて、うんうん、と頷きながらコーヒーを飲むというのが僕の週末のささやかな楽しみなのだ。

 そして10時半になると、「田舎に泊まろう」が始まる。これは本当は日曜の夜やってる番組らしいのだが民放2局の我が地元は3,4ヶ月遅れで日曜の午前中やってるのだ。ついでに、ほとんど全国的に月曜の夜9時に放送されるトレンディ・ドラマ(死語ですか?)を「ゲック」などという言い方があるそうだが、我が地元では月曜の夜9時は家政婦が見ていたり、温泉で芸者が探偵したり、とにかくやたら殺人事件が発生し、しかしながら非常に幸運なことに2時間でその事件は解決するという番組しかないのだ。いわゆる「ゲック」のドラマは土曜の午後4時に放映されるので「ドヨン」と呼ばれている、ってのはまだ人気があった頃の東国原知事のギャグだったな。

 で、午前中から事務所でいろいろな雑用をこなし何とか目途が立ったのが午後2時近く。中途半端な時間だったが昼飯も食ってないし、髪の毛も伸びていたのでそれもナントカしたい。ちょっと考えて、いつもいく散髪屋さんの近くのラーメン屋で取り急ぎ昼飯を食うことにした。このところ、昼飯を食べ過ぎないように気を使っていて、例えば以前であればうどん屋に入れば『丸天うどんに卵とオアゲ入れておにぎり2個』、などというややアナーキーな注文をしていたのだが、ここ最近は『具うどんにおにぎり1個だけね、オバチャン。で、ナンボ?あ、360円』などという会話で終わるようになり、我ながら人間的成長をしてきたな、とつくづく感じる2010年であった。しかし、今日はいかんせん、お昼が2時半近かったので『豚骨ラーメン、ネギ大目、麺は普通ね』というオーディナリー・オーダーをしたものの、あっというまに麺を食べつくしてしまい小首をかしげて考える30秒という時間があったのだ。半チャーハンを頼むか、ギョーザ1皿にするか、などと考えたが実は答えは決まっていて『あ、替え玉、こっちもお願い』と小さく呟いたのは間違いない。

 それで、久しぶりに替え玉頼んだら、妙に麺が固くて、しかもこの店の替え玉の売りは面と一緒にメンマやチャーシューの半端モンをたくさん乗せてくれることだったのだが、今回はやたら長めのメンマ1本と油っけのないしわしわチャーシューってかニブタが2切れ、おいおい、いくらデフレ・スパイラルのご時勢でもこりゃナイだろ、と思いながらもそのまま食べた。流石に全部食べるとブタになりそうだったので、2口分ほど残した。後で家族にこの話をしたら、残すくらいなら頼むなと大変な顰蹙を買った。しかし、食べたくないものを残すのは、ある意味の自己防衛ではないかといったら最初から替え玉なんか頼まず腹八分にしておけばいいのだと子供からもいわれた。フン、生憎オレが好きなのは村八分であって腹八分じゃねー。



 パンパンになったお腹をかかえて、いつもの散髪屋に行く。しかし、どうして床屋さんの最初の会話ってのは決まりきってるんだろうか。「お、drac-obさん、今日は休み?」って大抵日曜にくるんだから休みの日に決まってるんだけど、今日は仕事してきたのでちょっとエバって「いや、朝から仕事」などと答えたが、それで会話は終わり。僕はこういうところで、親しげに会話するのが苦手というかダメなのだ。話しかけられても上の空で返事するだけなので、店主も心得たもので必要最低限のことしか聞いてこない。つまり「モミアゲをどうするか」とか「髪に油をつけるか」とか、その程度だ。テレビではジャイアンツのパレードを放映していたが、目が悪い上に最近はとんと野球に関心がなく、インタビューに答えている選手もほとんど知らないので、全然面白くない。そういえば、小林が死んだなぁ、江川事件のときはエガワルなんて言葉が流行ったな、などとぼんやり考えた。

 それでも1時間ほどすると髪もさっぱりして髭の剃り跡も気持ちよくお店を出ることが出来た。車にもどって携帯を見ると着信とメールのランプが点滅している。開いてみると下の子からで「仕事はまだ終わらないか」みたいなメッセだった。多分フルモトに連れて行けというような話ではないかと思って電話したら、意外なことに「晩御飯は皆でクルクル寿司に行きたいが、どうか」という話だった。我が家は上の子が魚嫌いでお寿司を食べに行くのはあまりないのだが、今日は珍しく女3人で回転寿司モードに入ったらしい。ここで誰が金を出すんだ、などとごねるのもみっともないので分かったと返事した。しかし、先ほどラーメン食べたばかりで、お腹が減っていない。そこで僕の方から、先ずは皆でフルモトに行き小一時間くらい腹ごなししてから、寿司食べに行こうということになった。

 で、行ったフルモトがゲームやDVDの種類は多いのだが、本やCDはイマイチのところだった。それでもあちこちうろうろしていたら、諸星大二郎の妖怪ハンターシリーズでまだ読んでない作品が入ったものを見つけたので200円でゲット。これで寿司屋の待ち時間が解消されると、判断したのは大正解でした。6時前だというのに、その回転寿司にはすでに待っている客がざっと20人ほど。ノートに名前を書いて、稗田礼二郎の冒険譚を読んでいたら結構早めに名前が呼ばれた。で、家族でテーブルに座ったのだが、お腹の中には1.8人分のラーメンの麺が詰まっているので、寿司が食えない。畜生、滅多に無いことなのに、無理に食べても美味しくない。やはり腹八分目にしておくべきだったか。しかし、そのお店で気が付いたが、何時の間に恵方巻きなんてのが大手を振るようになったんだろう。こんな風習なんて、無かったよな。何が悲しゅうて、毎年特定の方向向いて、巻き寿司を丸呑みしなくちゃいけないんだ。エー方、向いて食べるから、恵方巻きってのか。違うか。巻き寿司を丸々呑み込むなんて話は川端康成の「15歳の日記」にボケた祖父の話で出てきてたっけ。

 えーと、何を書こうとしていたか分からなくなったし、長さも中途半端なので終わり。最近、音楽について書くのが、ちょっと億劫になってきてるな。かといって、バカ話を書く気力もイマイチ。ここ何年か2月あたりにやや鬱的気分になってしまう傾向があるけど、なんだかな、もうどうでもいいような気分だな。んじゃ、寝るか。



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能ある鷹は爪を隠すといいますが

 去年の車のドアに左手の中指を挟み、大層イタイ思いをした。そのままほったらかしにしていたら、黒くなった。これもエントリーにアップした。こんなやつだ。

黒く変色した爪、それほど痛くは無かった

 で、数日前明け方に布団の中で寝返りを打ったら、左手に違和感を感じた。無視してそのまま寝ていて、朝起きてみたら爪が剥がれかけていた。こんな具合だ。

割れて浮いてしまった爪

 触ると完全に皮膚からはがれていて勝手が悪い。えいや、と思い切り引っ張ったら無茶苦茶痛かった。爪の端っこの方はまだまだ皮膚にくっついていて、つまり身がついているわけで、それを無理に剥ごうとすると痛いのは当たり前である。朝のばたばたした時間帯だったので、ええい、クソ、背に腹は変えられん、思い切り引き千切るかと思ったら、配偶者に怒られた。横着して引き千切ったりせずに爪切で切ればいい、とのこと。そりゃそうだと思って、爪切で丁寧に切って、そこにバンドエイドというかリバテープというか、そのあれだ、ガーゼが付いた絆創膏みたいなやつを、それも1週間張ったままでいいってのを貼り付け、その上から絆創膏をぐるぐる巻いた。で、今、こうなっている。

あと少しで治るはずだ、あすなろ、あすなろ、あすはナロー

 しかし、なかなか治らないものだな。早く指が治ることを期待して、本日はフィンガー5で締めたいと思います。そうそう、シネカノン、再生法適用を申請したらしいな。ここのところ人が死ぬだけじゃなくて企業も死滅に向かってるのか、嫌な渡世だなぁ…。



キッスかと思った

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昨日、テレビの「デトロイト・メタル・シティ」で見たばかりだったのに…

って、別人28号でした。

本日のフルモト

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105円でゲット。若い頃の浅川マキとの対談も入っている。

今日と昨日の気分

 時間にしておよそ30分くらいだったろうか、それとももっと短い時間だったのか。今日、夕方の16時過ぎに車を走らせていたとき、太陽が眩しくてサンバイザーを動かしたときだった。空の上になんだか変なものが見えた。じっと目を凝らしてみると雲と雲の間に虹が出ているのだ。当たり前だろうと思われるかもしれないが、その雲Aは60度くらいの高さにあり、もう一方の雲Bはその丁度真下、角度的には30度くらいの位置にあった。つまり、縦に虹が出ていたのだ。僕の車は南下している最中で、4,5分くらいは直進するのだが進行方向右手にずっと縦の虹は出ていた。車を停めて写真を撮ろうと思ったのは、それから少し立ってからだった。どうせ撮るなら広いところで、と思い車をコンビニの駐車場に動かした。車を停めて空を見上げてみた。無い。さっきまで見えていた縦の虹は跡形も無く消えていた。一体なんだったんだろう。単なる目の錯覚だったのか。家に帰ってググって見たら、「縦の虹」という単語で結構ヒットした。なんだ、それほど不思議なことじゃないんだ。このところ立て続けに嫌なニュース、とりわけ訃報関係が多いのでちょっと神経質になってしまったようだ。しかし、写真を撮り損ねたのは勿体なかったな。

 年が明けてからの娯楽というのは、フルモト巡りして買い込んだCDや本を読むことだけになっている。この前雪が積もったように、このところ寒い日が続いているので(明らかにウソである。今日などは3月並の暖かさだ。先ほどヤフーの天気予報を見たら明日の最高気温は20度になっていた)、散歩というかウォーキングはずっと休んでいる。運動しないといけないと思いながらも、メシ喰ったらごろごろして、手近にあるCDを聞いたり読みかけの文庫や新書を開いて、眠くなったらそのまま寝ている。小学校の確か6年生の頃だったか、同級生でその後登校拒否になって学校に出てこなくなる友人がいたのだが、彼はまだ12歳になるかならないかのうちに「オレの一番の楽しみは寝ることだけじゃ」と良く呟いていた。一人っ子で家庭も結構裕福な家だったのに、どうしてそんな風になってしまったのか。ふっと思い出した、彼の諦めに似た表情を。

 この前突然出てきた大学時代のノート2冊を何度も繰り返して読んだ。当時の時代の香りがあちこちから浮かんでは消えていく。ときどきなんでこんなことを書いたんだろうというような文章も出てくる。あきらかに酔っ払って書いている文章もある。赤面してしまうようなこともたくさん書いてある。一体全体誰が何の意図でこんなこと書いたんだろうというようなものもある。自分が書いたことを忘れているものもある。結論から言うと、19歳の頃から僕はものの考え方に全然成長がない。良くここまで来れたものだ。これからどこまで行けばいいんだろう。しかし、まだまだこれからだ。今日はこんな日記で終わりたい気分です。



鬼太郎、陽気じゃ、だとかしまし娘だな、妖気じゃ!!

 鬼太郎の目玉親父が亡くなった。正確に言うと、アニメのゲゲゲの鬼太郎で目玉親父の声優をやっていた田の中勇氏が逝去された。1968年のアニメスタートの頃から、目玉親父の声をやったいたから、他の声優に変わっても違和感あるだろうな。あの独特の甲高い声がもう聞けないとなるとちょっと寂しい。目玉親父のほかにどんな声をやっていたか調べてみたら「オバケのQ太郎」で正太のパパだとか、「アニマル1」で東五郎(ちなみに東八郎は「エイトマン」、海で溺死したのはたこ八郎、噂の真相とトラぶったのは宅八郎って、今時ノーバディ・ノウズだっちゅーの。それより、アニマルワンって凄いネーミングだな、今更ながら昭和のパワーを感じる)、そして「ウメ星デンカ」の王様などをやっていた。「ウメ星デンカ」ってーと、アナーキーの♪トーキョーズバーニング~と歌いたくなるが、それは端折る。

 鬼太郎は小学校の頃、マガジンに連載されていてよく読んだな。当時、我が家ではマンガは買ってもらえなかったので、その分床屋に行ったときや友達の家に行ったときむさぼるように読んだ。当時はまだ「ゲゲゲ」なんて形容詞が付いておらず「墓場の鬼太郎」というタイトルでまだイレギュラーな連載、つまり不定期な連載だったように思う。小学校からの帰り道で、前の方に上級生の2人組みがマガジン片手に話をしていて「このキタローってマンガてげおもしれーっちゃが」などと会話をしており、クソ生意気なガキだった僕は「あれは、オニタロウと読むっちゃないですか」と会話に乱入し、「なんがオニタロウか、キタロウって書いてあるが、ここに」と振り仮名を指され大変恥ずかしい思いをした。なんで、こんなしょうもないことを思い出したんだろう。

 それと、鬼太郎がテレビアニメになったときに、スポンサーがシスコだった。当時、シスコは既にロック・シティだったはずだが、まだロックに目覚めて居なかった僕にとっては単なるお菓子のメーカーだった。そのシスコで唯一といっていいくらい売れたのが「ココナツサブレ」であった。これは未だにときどき買ってしまいボリボリと食べてしまう癖がある。あとをひく味なんだよね、今の時代に合う味ではないけどね。で、その「ココナツサブレ」のCMなんだが、CMソングがあって「シスコ~ココナツサブレはシスコ」と反復するのが、子供心に妙にクドイ印象があった。確か鬼太郎の声優が声で参加していたと思う。

 それはさておき、田の中勇さんのご逝去を悼み白黒の鬼太郎のテーマソングを貼って終わる。また、一つの時代が終わったような気がするな。



南の国に雪の降る、何の不思議も…

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この冬1番の冷え込みという予報のとおり、3年ぶりに雪が降った。もっとも寒い国の人達からは、こんなもん雪じゃないとお叱りをいただきそうな、慎ましいものだ。

それでも、嬉しくて思わず鼻唄が飛び出した。♪ゆっき、でした あなたの後を何となく追い掛けてったらストーカー! 字余り。

イト・ワズ30イアーズ・アゴー・トゥディ


パンタのインタビューの時のメモ、○は聞いたこと、×は聞けなかったこと
 予兆はあった。この前、年末の整理をしていたら、どこかにやってしまったと思っていたパンタへのインタビューテープ(多分79年だと思う)が出てきた。年末年始の休みの間にテープ起こしをやろうと思っていたが、テープの状態が良くないのと僕自身の怠慢からそのままになってしまった。これはそのうち時間を見つけて必ずやろうと思っている。それとmixiの隣さんの日記(もちろん、あの偉大なる「だててんりゅう」の隣さんである)に1979年のライブのチケットの写真がアップされていたので、懐かしくなってコメント書いたら、似たような感想を書き込んだ人がいてちょっと気になっていたら、その当人からメールを頂いた。

 そのメールの内容と彼自身のプロフィールを読んでいたら、もしかしたら僕の知ってる人間かもしれないと返事を書いたら、なんと見事にその通りだったのだ。まだ、本人の承諾を得ていないのであまり詳しい話は書けないのだが、仮にその人の名前をN村さんとしよう。N村さんは、僕と同じ大学の79年度生で、ということはsugarmountain君と同期になるのだが、関西のニュー・ウェイブ・シーンが活発な頃、良く現場で出会った。あまり詳しい話はしなかったように思うが、自分でバンドをしながらいろんなライブ・イベントの手伝いをしていた。連続射殺魔のマネージャーをしていた故M原君とも一緒にいろいろなイベントを仕掛けたらしい。

 未だに良く覚えているのは、ある日僕が別館の階段を4階に向かって歩いていたとき、N村さんから声をかけられて、「今丁度BOXに行こうと思ってたところです。これ僕たちのバンドのデモ・テープです。是非聞いてください」と言われて1本のカセットを渡されたことだ。結構ポップな感じの演奏が入っていた。で、およそ30年ぶりに彼から届いたメールには「当時私はスーパーミルクというバンドのメンバーでした。 ストラングラーズの前座で西部講堂に出て満場の帰れコールを浴びました。」と書いてあった。

 しかしほとんど30年ぶりのネット上での再会だったが、今日は更に恐ろしいものが出てきた。僕の部屋の押入れを、たまたま配偶者が整理していたらアナログ・レコードが出てきてその横にあったダンボールの中から、大学時代のノートが2冊、それと80年代半ば関東で働いていた頃のノートが1冊出てきた。大学時代のノートは76年の夏合宿の記録や77年に始めたミニコミの記録が残っていた。そこには、ミニコミやサークルの会報に書いた原稿や、自分自身の確認のために書いたいろんな文章があり、いやー、オレは21,2の頃から全然進歩していないということが確認できた。で、このノートに書いてある話、全く僕の個人的な話ばかりなのだが、ちょこちょこ当時のロック・シーンに関係する話もあるのでここにアップしようと考えています。いやー、うれし恥ずかし、朝帰りという心境だな。では、乞うご期待、DRAC興亡史も新展開出来そうです。あ、N村さん、了解取らずにメールの一部をアップしたけど、許してください。あなたが歴史の証人であることを残しておきたくて…。そうそう、そのノートと一緒に、大変稀な記録であるんだが、ある女の子から貰った手紙も出てきた。白い便箋に青いインクで書いてあって、ああ、これ以上はもう書けません、っていうか、こんなもん我が家のオンナコドモに見られたら大変なことになる。隠さねば。

二度目の最後の晩餐じゃなくて初詣

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昨日は、近所の戎神社に行った。家族揃って初詣に行ってなかったので、「商売繁盛、笹持って来い」でごまかそうとしたのだ。しかし、昨日は下の子がいなかったのと、上の子が「商売の神様だったから、お父さんの仕事がうまくいきますように、としかお願いしてない」というので、本日仕切り直し。

スピリチュアルがどうたらという江田神社に来た。写真は、ここに抱きついて願いごとすると叶うというご神木。上のほうに犬の耳をした若武者が矢で射ぬかれていないかと探したが、見えなかった。当たり前か。

ちょっとこれはあんまりだな

 今日はblogの更新は休む心算でいたのだが、あんまりな記事を見つけたのでちょっと触れておく。僕もこの手の間違いは気づかないうちにしてるかも知れないので、もって他山の石とすべきだろう。ナニゲニ自分のblogのアクセス解析をしていたときだ。検索キーワードが「重信房子 PANTA」というのがあった。ググって見たら最初にヒットしたのは「ドキュメンタリー頭脳警察 MovieWalker」という記事だった。以下、コピペする。

第2部〉太平洋戦争のさなか、病院船・氷川丸で従軍慰安婦として働いていた母の死をきっかけに、PANTAは当時の氷川丸関係者を訪ね歩く。氷川丸の歴史から知る戦争の断面。そして彼は、元日本赤軍の重信房子の詩に曲をつけ、アルバムを制作。 ...



 え、従軍慰安婦?目が点になった僕は、そのページを開いて読んでみた。はっきり「従軍慰安婦」と書いてある。どういうつもりだろう。で、次に映画芸術の瀬々敬久監督インタビューを読んだ。こちらもコピペする。

50年2月の生まれで団塊世代に近いPANTAさんの楽曲が、「氷川丸」にしても「マラッカ」にしてもそうですが、第二次世界大戦で従軍看護婦として南方へ行ったお母さんの人生の影響を受けている。そういうことを一つの軸にしたいなと思ってました。もう一つの軸は、重信房子さんとの関わりですよね。


 そうだよな。従軍看護婦の間違いだろう。それにしても、なんともはやという間違いだ。早めに訂正しないとまずいだろうに。僕もそういうことをしてないか、気をつけようっと。

年末年始だらだら日記

 ついこの前、年末の休みに入ったと思ったら、もう仕事始めである。早いなぁ。この調子だと、寒い寒いといってるうちに花見になり、おお花の黄金週間、今年は何連休だなんて話題が飛び交う間もなく終戦記念日なんかやってきたりして、去年のあなたの思い出がテープレコーダーから流れてきてしまい、あれ今年は無いの?シルバー・ウィークなんていってるともうクリスマスで、もう幾つ寝るとお正月になってしまいそうだ。こういう時間が無限に連鎖していくことをドン・ガバチョの法則といい、今日がダメなら明日があるさ、明日がダメならあさってがあるさ、あさってがダメならしあさってがあるさ、どこまで行っても明日はある、あ、ホレ、どん、どん、がーばちょ、ドン・ガバチョと続くのだが、大変悲しいことにこの歌が歌われていた高度成長の時代はとうの昔に消え去り、今は明日無き明日のカニコー時代なのだ。



 などとオープニングから辛気臭い話で恐縮だが(動画はやたら脳天気だが)、しかし、本当に時間の過ぎるのが早い。ひょっとしたら背中に獏が隠れていて、大切な僕の時間をバクバク食べているのではないか、などと考え始めると、またもや神経内科のお世話にならないといけないので、潔く諦めてこの年末年始の日記を書いていこう。しかし、たいしたことはしてないんだよな、この5日間。

 30日は配偶者の実家の墓参りに行き、親戚回りをした。僕が結構家庭で好き勝手しているように見えるのは、このような地道な配偶者対策をしっかりやっているからで、外面だけはいいと家族からも良く褒められる。この血筋は下の子がしっかり受け継いでおり、この子はやたらジジ・ババに受けがいい。僕も小さい頃からジイチャン子だったので、お年寄りに良く好かれる。どうせ好かれるなら20代から40代までの女性限定で好かれたいのだが、何故かこの世代の方たちには受け入れて頂けない。断絶である。そうか、そっちがそうならオレも考えがある、などとあらぬ方向に話が行きそうなので慌てて修正する。まあ、そんなこんなで親戚の家でお餅や米や野菜をたくさん頂き帰った。買出しとか、闇市とか、そんな時代には生まれていないが、車の後ろに重たい米や野菜を積んでいると、そういう単語が脳裏に浮かぶ。

 結局30日は親戚回りとお正月用の買い物をしただけで終わってしまった。家に帰ったのは夕方の5時近かったが、上の子がゲームソフトを売りに行きたいと言ってたので、車で近くのフルモトに行った。子供がソフト探している間に、例によって中古CDコーナーをうろうろ。最初に手にしたのはクラプトン77年4月のライブ。メンバーはイボンヌ・エリマン(Backing Singer & Guitar)、マーシー・レヴィ(Backing Singer , Guitar & Harmonica)、ディック・シムズ(Keyboard)、ジェイミー・オールデカー(Drums)、セルジオ・パストラ(Percussion)、ジョージ・テリー(Guitar)、カール・レイドル(Bass)というメンバー。曲も「サイン・ラングィッチ」や「キャント・ファインド・マイ・ウェイ・ホーム」「ダブル・トラブル」「天国の扉」などなど、あ、「バッジ」もやってるな。

 タイトルが『EC on Whistle Test』となっていて、クレジットに「Whistle Test Studio/26 April,1977」となっていた。不覚にも「Whistle Test」なるものを知らず、先ほど調べてみたら「1971~1987年の間、イギリスBBC2で放映された人気音楽番組『The Old Grey Whistle Test』。数多くの新人アーティストが、この番組からイギリスTVデビューを果たした伝説的番組である(AMAZONの解説から)。」らしい。道理で音もクリアで客の乗りもいい。

 後はジュリアン・レノンの4枚目と新良幸人の『パーシャ・クラブ』。ジュリアン・レノンはこの前、金スマにヨーコ・オノが出ていて、そのときに家族でジョンの話になり、僕が「ショーンよりジュリアンの方がオヤジの血を引いてる」と発言したことの証明のために買ったのだが、配偶者と子供たちに自慢したら完全にシカトされた。配偶者にいたっては「ちょっと小銭が入るとすぐ屁ともしれんもんを買ってくる」と小声で言ってたのを僕は聞き逃していない。しかし、それを聞こえない振りをして家庭内に平穏をもたらそうとする僕は、根っからの平和主義者なのだ。尚、この3枚で締めて1250円也。これを高いと思うか安いと思うかはあなたの自由だ。

 31日は大晦日で、僕の母の誕生日でもあるので午後から実家に行った。家の周りを掃き掃除して、落ち葉をかき集めたり、2階に乾してあった柿を取り込んだりした(余談だが子供の頃干し柿が大好きでたまらなかったが、今は全然食べられない。この逆で子供の頃食べられなくて大きくなって食べられるようになったものはたくさんあるが、干し柿だけはどうしてなんだろう。水気が無いからかとも思ったが、レーズンなんかは大好きなんだよな、不思議だ)。昔の自分の部屋の押入れや倉庫にしまいこんである本やレコードなどを整理しようと思ったが、結局手がつけられなかった。毎年この時期には懐かしいお宝を見つけ出すのだが、今回は安部公房の戯曲集が出てきただけだった。で、その日の夜は自宅に帰って配偶者達は紅白。僕はネット三昧。11時半くらいになってから、年越しそばを作って食べた。しかし、御節を食べて腹が一杯なのに更にそばを食べるというのはメタボ確信犯である。いくら好きだからと言ってカマボコも入れればいいというものではない。

 で、翌日はお正月。前日が遅かったので家族が起きてきたのは9時をとっくに回っていた。お神酒を頂く。我が家のお正月は、数の子を食べながらお神酒を飲んで新年を祝うというやり方なのだが、なんと今年は配偶者が数の子を買い忘れた。いや、前日、実家で気がついて母から貰うはずだったのだが、そこはそれ、嫁と姑の争いというのか、配偶者は僕の母から何か貰うのを極端に嫌がるので、多分わざと数の子を貰ってこなかったに違いない。「バカヤロー、数の子なくて何が正月だ」と叫んで、テーブルをひっくり返そうかと思ったが、それでなくても狭い部屋がますます狭くなるのでじっと我慢した。ならぬ堪忍するが堪忍とこれは結婚して以来、僕の金科玉条となっている言葉を呟いた。

 しかし、大の男がたかが数の子でいじけるのもみっともない。そうだ、カマボコがあったではないか、岸上のカマボコが、カズノコもカマボコも音的には似てる。カマボコをカズノコと思えばいいんだ、と長屋の花見みたいな提案をしたら意外とあっさり受け入れられた。で、無事にお神酒を頂き、雑煮を食べて昼から再度実家に行って、妹夫婦と久しぶりに会って年賀の挨拶をした。年々子供は大きくなり、生活は大変になるという話をして大いに盛り下がった、って当たり前か。そこで子供たちは百人一首や花札などをやっていたが、僕は一人応接間で本を読んで過ごした。それからまた家に帰ったが、疲れていたせいか19時半には寝てしまった。

 1月2日。正月三が日の中日である。しかし、この中日っていうのはどうも中途半端でいかんな。実は年末に出てきた79年のパンタへのインタビュー・テープをもう一度起してエントリーにアップしようと準備だけしていたのだが、どうもテープがやばそうでためらっているのだ。どうしよう、と迷っていたら上の子が今度はゲームソフトを買いたいと言い出したので、気分転換でフルモトをはしごした。で、今度の収穫は泉谷しげる・CHABO BANDの『対決』。このアルバムも実は全然知らなくて、選曲もなかなかいいしチャボと泉谷がやってるんだから悪いはずがない。しかし、調べてみるとこのアルバム、メジャーから出るはずだったのに泉谷バンドの演奏が良くないという理由で発売中止になったらしい。それを怒った泉谷がインディーズから出したらしいが、どうなってるんだ一体。MCも昔のエレック時代の泉谷やチャボみたいでなかなかにいい。で、演奏はそんなに悪くない。何が何だか良くわからない話だ。時間がある時にまた調べてみよう。

 で、2軒目で見つけたのが中川イサトwith武蔵野レビューの『あの日の風』。こちらは高田渡亡き後、中川イサトが追悼の意味で出したアルバム。オリジナルの「吉祥寺1972」って歌があの時代を連想させる。「シティ・オブ・ニュー・オーリンズ」や「ザ・ウェイト」なんかも独自の日本語訳にして歌っている。「生活の柄」のアレンジも凝ってる。しかし、真に残念なことに僕は中川イサトのボーカルは苦手だという結論に達した。ギターは大好きなんだけど、声がどうも苦手です。それがいいって人もたくさんいるんだろうけど。3軒目のお店では本を購入。特に江口寿史が自身のHPで連載していた『ラーメン道場破り』が300円であったので即ゲット。ついでにタイムバーゲンやってたので、94年に出たシュガーベイブのCDも購入。こちらは中身も全て知ってるので全然安心である。



 と、こういうふうに年末・年始は慌しく過ぎていった。気がつけば本とCDだけの人生だ。多分、この生活は変わらないだろうな。いい日もあれば悪い日もあるだろう。あ、最後に業務連絡。DRAC関係者で本日までに年賀状届いたのは77年度生のK君(D大職員)、78年度生のN川君、80年度生のS堂君とM木君だけだよ~。どうしたのかな、他の人たちは、ん?7日過ぎたら寒中見舞いだからね。そのあたり宜しく。で、年賀状といえば、僕は2009年は不幸事があり、出さなかったので葉書が余っており、節約を旨とする僕は当然、そのハガキでDRAC関係者には出させていただきました。いわく、エゴのエコだ、と。

年が明けてもあいかわらずで

 新年明けました。当然、おめでとうございますというべきで、そのあとはコノヤロー、じゃなかった、コトヨロと続き新年をコトホグのですが、まあ、年が明けたとはいっても、そんなに人間ジャガーチェンジ(豹変)するものではなく、まして今年は寅年なので、ジャガーチェンジじゃなくてタイガーチェンジといわなくちゃいけないのではないかと、呆けた頭で考えております。

 で、新年初のエントリーなので、先ずは景気良く虎をテーマにした音楽をアップするかと考えたら、何故かENOの顔が浮かんできた。それもロキシー辞めた後くらいの、まだ若い頃の顔というか広い額と後頭部に流れるロンゲ(今は完璧スキンヘッドで僕は勝手にアンビエント・ミュージック・シーンの松山千春と呼んでいる)。なんでイーノが虎だと考えたのだが、セカンド・アルバムのタイトルが『タイガー・マウンテン正確にはTaking Tiger Mountain( By Strategy)』だったからだ。

 次に浮かんできたのはマーク・ボラン。何でT-REXが出てきたのかと、記憶をたどっていくとベスト盤のジャケットに虎に乗ったやつがあったせいだ。しかもまたがって乗ってるのではなく、あれはなんと言うのかちょっとベサツ的な表現になるが「女乗り」というやつではないか。自転車をこぐときに、男乗りとか女乗りなんて言い方をしていたけど、まあ、カマっぽい乗り方だ。

 ゴホン、ちょっと新年早々妙な話になりそうなので、ちょっと風向きを変えて、虎の音楽といえば無難なところでサバイバーの「アイ・オブ・ザ・タイガー」だろうが、なんだかやたら勇ましい曲だし、個人的にあんまり興味のないバンドなのでパスだ。で、つらつら考えていたときに、ナンだ、虎といえばありましたがな。立派な虎、そう、ご存知タイガー・マスク。いや、佐山サトルだとか去年亡くなった三沢とかじゃなくて、本家本元のタイガー・マスク。原作梶原一騎、作画辻なおきというプロレス・マンガの黄金コンビ。ああ、なんだか「ジャイアント台風」も読みたくなってきた。

 それでは、寅年を祝ってアニメ『タイガー・マスク』のエンディング・テーマをどうぞ。タイトルは「みなし児のバラード」(って、物凄いタイトルですな。あ、それと寅年と書くと干支ですが、虎年と書くと京阪神方面の黄色と縦縞が好きな連中が何やら…以下自粛)。



 いやー、哀愁漂ういいバラードです。しかし、この歌の歌詞をよーく読むと、なにやら意味深ですな。ちょっと解釈していきましょう。先ずは歌いだしの部分。

「あたたかい 人の情けも 胸を打つ あつい涙も 知らないで 育った僕は みなし児さ」

 なるほど、自らの出自に対しての説明ですな。

「強ければ それでいいんだ 力さえ あればいいんだ ひねくれて 星をにらんだ 僕なのさ」

 うーん。今の時代を先取りしているというか、このあたりはコイズミ以降の我が国を予言していたのではないか。

「ああ だけど そんな僕でも あの子らは 慕ってくれる それだから みんなの幸せ 祈るのさ」

 さあ、この部分です。僕は一頃この部分をすっかり忘れていて「ひねくれて星をにらんだ僕」が突然「みんなの幸せを祈る」のは何故だ。ひねくれものならひねくれものらしく、みんなの「不幸せ」祈れや、ボケェ、と毒づいておりました。で、今回YOU TUBEでこの動画見つけたときに突如思い出したことがありました。というのも、本来の歌詞では「あの子らは慕ってくれる」という部分を、「あの虎は違って見える」と思い込んでいたということです。

 つまり「ひねくれて星をにらんだ僕」は、その後スカウトされて(早い話が拉致されて)虎の穴で特訓を受けて(なんといっても石油のプールで泳がされたり、ってコストどんだけかかるんや!!虎や蛇と格闘したり、って児童虐待やっちゅうの!!)、立派な悪役レスラーとして活躍するのだが、そういう反則ばかりする虎は、本来自らのあるべき姿とは「違って見える」。それだから、孤児院の子供たちに、自分のようにミスターXにかどわかされて悪役レスラーになるようなことがないような「みんなの幸せ」を祈っているのだ、というような解釈をしておりました。

 しかし、あまりに鮮烈に「あの虎は違って見える」という歌詞とメロディがこびりついているのだ。もしかしたら、そういう歌詞で番組中に流されたことがあるのではないかと考えたりもしたが、まあありえないだろう。

 と、まあ新年早々下らない事を書いてしまいましたが、こんな感じで今年もぼちぼち行きますので、変わらぬご愛顧を宜しくお願い申し上げます。

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