サロン・ミュージック・フェスティバルと駅前再開発を支持します

前の写真では分からなかったでしょうな
 以前、アミーロードという話を書いたが、その完成セレモニーが先日行われた。僕は仕事で行けなかったが、以下11/27付けの宮崎日日新聞の社説を引用する。

2009年11月27日
「通り」の再生をかけた挑戦
 JR宮崎駅近くから高千穂通りの南側を中心市街地に向かって延びる約220メートルが明るく、夢あふれる通りに生まれ変わった。
 新名称は「あみーろーど」。
 宮崎市広島2丁目の宮崎駅前商店街振興組合が国の助成を受け、同市と整備を進めていた。
 4年越しの整備事業がこのほど終了、晴れて28日午後3時から完成セレモニーが行われる。
 再生に向けて一緒に取り組んできた宮崎大学の学生たちも参加して、式典のほかパレード、各種イベントを開催する。
 通りの名はかつて同商店街近くに安置され、地域の人に信仰された阿弥陀(あみだ)如来座像にちなんだ。
■「暗くて怖い」を解消■
 整備に際して通りを覆っていたアーケードを撤去した。
 建設から30年。買い物客から「暗くて怖い」などの声が寄せられていたためだ。
 台風のたびの補修費用も重く、今後の負担増も考えて撤去を決定。その代わり、電線の地中化や街路照明の設置などを実施することでイメージを一新した。
 10月末にカラー舗装と植栽を終えた。ハナミズキやアイビーが緑を演出。夜間もイルミネーションが通勤、通学などで行き交う人を楽しませる。
 落ち着いたカラーの石畳を敷き詰めた歩車道をあえて蛇行させ、車やバイクが速度を出せないように工夫した。
 防犯カメラも備えて「安心して買い物ができる」ように配慮した。工事のため中断していた朝市「あみだ市」(毎月第4日曜)も再開された。
■雑駁、気取りない通り■
 通りには約65店舗が軒を連ねる。懐に優しく味も絶品の居酒屋、昼時はたちまち満席になるラーメン店やアジ、イカ、貝盛りなど鮮度の高い刺し身に顔がほころぶ鮮魚店などが立ち並ぶ。
 ジャズ専門ライブハウスで食事や酒を楽しめる店、個性的な品ぞろえの雑貨、衣料品店もある。
 模様替えであか抜けしても、原点は雑(ざっ)駁(ぱく)で気取りがなく、落ち着ける通りである。
 アーケードの撤去前、雨風の強い時には何かと不都合なことがあるだろう、と気をもんでいたが、杞(き)憂(ゆう)にすぎなかったようだ。
 今後のテーマとして「すべての願いをかなえてくれる」という阿弥陀如来にちなみ「縁むすびの街づくり」構想もある。
 同商店街振興組合の小田照夫理事長は「老若男女が楽しめる、下町風で庶民的な商店街」を目指すという。
 衰退を食い止め、再生するための試みが県内各地で繰り返されている。それらの商店街からも熱い視線が注がれるだろう。
 3億5千万円以上かかった総事業費の費用対効果がどうなるか。
 「あみーろーど」がストリート再生の先駆的成功例の一つになることを願いながら、これからの歩みを見守りたい。


 で、僕が書いたエントリーは「アビーロードと違うんか~い!?」と「I FOUND OUT!」の2つで、これはどう贔屓目に見てもおちょくりとしか思えないが、実はその背後にはほとばしる地元愛があったのだ(誰だ、大嘘などと言うのは)。というのも、今月初めライブ仲間のY尾君とあみーろーどにある串焼き屋さんで一杯やったときに、そこの大将がこのあみーろーど完成イベントの仕掛け人であることが分かり、僕たちは無責任に「ライブの合い間にビートルズ流しましょう。アビーロードのシャレが通じるはずです」などと煽り、あろうことかY尾君は職場のエライサンを連れて必ずイベントに参加しますなどといいながら、当日確かめてみたら「うんにゃ、行かんかった」などとシャーシャーと答えたのであった。

 実はこのあみーろーどとこれから書くジャズのライブの話は微妙にシンクロするのだが、それはさておき、今回見た「東京-宮崎One Night Jazz Special」は素晴らしかった。携帯でポスターの写真と参加ミュージシャンの名前だけはアップしたが、いやもうこれ是非皆さんに知っていただきたい。ちょっとどこでも見られないような貴重なライブを見ることが出来たのだ。池田芳夫(b)プラス大西洋介(p)という組み合わせは今年の5月のイベントでも見ることが出来た。もっとも僕はちょっと見ただけで、その後H高社長に誘われて屋上パーティに行ってしまったので、あまりじっくり演奏は聴いてないのだが歌心あるベースとピアノの組み合わせは極上のワインの薫りがした。などと書くとお前にそんなものが分かるのかという突込みが来そうで、そう来たら、いやそりゃわかんねーよ、だけどそういう言い方するじゃねーか、「美味しんぼ」あたりでよ~、ちなみに「よだきんぼ」というのは山岡士郎みたいなやつのことを意味する宮崎の方言だ。などと文章は支離滅裂になるから、夜寝るときに野坂昭如を読むのは止めよう。実は随分前に買った「文壇」という文春文庫がひょっこり出てきて、あ、これ読まずに積ん読になってた本だと思い、寝る前に15~20ページくらいずつ読んでいたのだが、まあ読みにくい文章で、書いてることもやや分裂症気味で、すっかり洗脳されてしまったのだが、ようやく読み終えたので今後はそういう文の乱れはなくなると思う。って結構影響されてるんですが。

 えー、いつまでたっても始まらないので強引に時間をこの前の土曜日の17時半過ぎにする。会社から慌てて帰った僕は、家に配偶者がいないことに気がつき彼女の帰りを待っていたら、確実にライブに遅れる、なんせ開場18時開演18時半だから、自転車で行くかとも思ったが雨が降ったら嫌なのでとりあえずバス停に走った。バスなんて滅多に乗らないのだが、普段車で走ってると、バス多いな、でも人が乗ってないななんて感想をぼんやり持つだけなのだが、乗ろうと思って待っていると来ないもんだな。バス停の時刻表を見ながらいらいらしてたらやっと1台来た。そそくさと飛び乗って外の景色を眺める余裕も無く、目的地に着き信号が変わりそうなスクランブル交差点をダッシュして18時過ぎにH高本店に着いた。受付にはM原さんがいて、挨拶したら「おう、もうY尾は上に居るぞ」と教えてくれて、ここでもそそくさと階段を登った。

 2階に上ると、いつも以上に椅子が準備されていてあたりを見渡すと最前列のPAの前にY尾君がいた。「凄い席を取ったな」と声をかけると、「いや、係りの人にもうひとり来ます、といったらこの席を指示された」。僕も椅子に座りようやく落着いたが目の前1メートルもないところにマイクスタンドがある。実はここに着くまで、池田さんと大西さん以外はどんな人が出るか全然知らなかったのだ。貰ったパンフレットを見るとバイオリン、里見紀子、フルート太田朱美という名前がある。正直名前はどこかで見たような気がするけど、という程度の知識しかなく、ジャズにセミクラシックのプレイヤーがジョイントでやるライブかなと思ったくらいでした。この印象は演奏開始3分で雲散霧消、でぇええええい立派なズージャではないかとジャガーチェンジすることをまだ僕は知らない。

 席もだんだん埋まり始めてH高社長はあちこちのお客さんに声をかけていたのだが、一瞬立ち止まったかと思うとこちらのほうにすっと近づき「ちょっとワイン1杯だけやらんか」なるお言葉が。僕もY尾君も無論「先輩のご命令とあらばたとえ火の中、水の中。嫌も応もありません」と直立不動でってウソです。ほいほいと喜んで屋上のパーティ会場にお邪魔しました。ここは来るたびに観葉植物や絵やその他目の保養になるものが沢山あるのだが、およそ花鳥風月には疎い我々、接いで頂いたボジョレをがぶがぶ呑み、さーガソリンも入ったし一発ジャズ聴くべぇと2階に下りた時間は丁度18時25分。ライブ開始5分前でした。

 司会の人のアナウンスも終わり、拍手と共にミュージシャンが登場してきた。池田さんは例によってニコニコ笑顔で、ほんと失礼だがオン歳60ウンサイにはとても見えず、下手すると僕より若く見られるんじゃないか。大西さんはちょっと遠目だったが、気のせいか緊張している感じ。それより驚いたのはフルートの太田さん、バイオリンの里見さんの華やいだ雰囲気。イヤー、いつも暗いヤローのジャズばっかり聴いてるから、フロントに女性が出てくるだけでいいな、などとスケベオヤジのニヤケタ感想は1曲目の音でぶっ飛ばされるのであった。

 バイオリンとフルートの入ったジャズってどんなんだろうとぼんやり考えた。ロックならPFMなんかがいるよな、バイオリンとサックスだったらクリムゾンがいるか、でもジャズでね、と考えていたら居ました。2部で演奏してくれた「ラ・フェスタ」つまりチック・コリアとRTFだ。と、ここまで書いてきて、またちょっと虚しさを感じてるんだな、これが。つまりどういうことかというと、圧倒的に素晴らしい音楽を聴いたあと、それを文章で表すというのはとても切ないというかせんない、というか関西弁だかどうか分からないがずつない感じがするんです。つまりナニナニのような、とか正しくナニナニ的なとかいう表現をしてもどうも本質と異なるというか、隔靴掻痒とでもいいましょうか、なにそんなものオマエの表現力の無さだろうが、それでも元文学部かなどといわれるだろうが、うーん、単に演奏曲を羅列してああだこうだといっても仕方がないので、とにかくこのエントリー読んでちょっとでも興味持ってくれたら、それぞれのHPリンクしておくので行ってみて。またライブを見るチャンスがあれば是非見てみて。

 えー、今回のライブで特に感動したのは太田朱美さんの小さい体からあふれ出てくるフルートの音色と演奏中に笑みを絶やさない里見紀子さんの弓さばきでした。もちろん呟きベースの池田さんのフレーズにもビンビン反応しました。そうそう、大西さんのピアノもビル・エバンスみたいでとても良かったです。あ、Y尾君が「やっぱりグランドピアノの音はいいな、いつもはライフタイムのアップライトばっかりだから」と取りようによっては悪口と思われることを言っておりましたが…。そうだ、書き忘れるところだったけど、アンコールの「セント・トーマス」は楽しかったな。ああいうノリのアンコールっていいな。

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先輩はありがたい

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最前列の席に座りY尾君と久しぶりに雑談してたら、H高社長が来て、こう言った。「上でワインを一杯やらんか」。異議無し、の声が響き渡り屋上のガーデンテラスに向かった。ボジョレーをいただきながら、去年ここでさがゆきさんからサインを貰ったことを思いだした。

来週の日曜日は、そのさがゆきさんと谷川賢作のデュオがある。当然見に行く。

風邪ひいてるっちゅうのに

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毎年恒例のH高時計本店のジャズライブに来ている。写真が解りにくいが、ベース池田芳夫、ピアノ大西洋介、バイオリン里見紀子、フルート太田朱美という顔合わせ。

そしてサプライズゲストとして若い頃の竹下景子!!オッサン、熱で頭うんでるんと違うかっ?

大橋のぞみ、良く聞けよって別に恨みはないんですが

 朦朧とした頭の中でこんな歌が鳴り響いた。♪むかしの兵隊さんはテッポウ担いでとっとこと、今の兵隊さんはジェット機飛ばしてゴーゴーゴー、今もむーかしも変わらぬものはいたずら小僧の泣き笑い、腕白大将竜之介、バンバンそろばんとうざえもん、腹が立ったら逆立ちしよか、空と山とが宙返り、かんしゃく玉も逆戻り~。

 随分小さい頃に見たテレビドラマの主題歌で、長いこと忘れていた。それが突然頭にタイトルが浮かんできた。『わんぱく砦』だ。『神州天馬侠』なんかと同じ頃やってた、時代劇コメディだ。YOU TUBE 探したらありました。これで安心して眠れます。



転ばぬ先の動画頼み

 調子が出ない。今週はずっとその状態が続いている。エントリーを書く気力も出ない。どうしてだろう。もしかしたら、このせいかもしれない。



 もひとつ、おまけに。



 ということで、今日はこれを飲んで寝る。夢に(若い頃の)竹下景子が出てきて、看病してくれることを期待しながら…。って、人生そんなに甘くなくて、えてして青島幸男の意地悪ばあさんが出てきたりするんだよな。



 さらにおまけ、この二人(が出てきても)でも別段苦しゅうない。



計算おかしくない?

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差額の50円に、どのような付加価値があるのか。それとも新手のデノミ粉砕闘争なのか。

DRAC興亡史 1975-1980 ようやく合宿行きました

 京都駅に集合したのは、多分夕方の4時半くらいだったと思う。無事、前期試験も終わりこれから3泊4日のサークル夏合宿に行くのだ。目的地は鳥取の浜湯山というところにある民宿で、かわとねという。で、今検索かけてみたら、まだご健在というか営業されておりました。住所も多分間違いないので、皆様方の中で鳥取に行かれる際は是非ご利用していただきたい、食事も美味しいし、宿の人は親切だし夏場はオヤツで甘いスイカを出していただいた。縁側に応接用のソファが置いてあったが、今もあるのだろうか。民宿から海に向かう道の横にスイカ畑がありそこにスプリンクラーが設置されていて、時間帯によっては突然水を噴き出し、頭から水浸しになったのも楽しい想い出だ。あれ、あの時被ったのは単なる水だよな。農薬混じってないよな。そういえば、どうもあの1回生の合宿以来、僕は大学で単位が取れず、6年通った挙句中退する羽目になった。もしかしたら、あのときの農薬に米軍の特殊部隊が使用する化学薬品が入っていたのではないだろうか、ってオマエの頭は膿んどるんと違うか!!

 のっけから、訳の分からない話で恐縮です。ええ、およそ1年ぶりのお話なもので、どこから書き出していったらいいか分からず、取り急ぎ合宿に向かうところからスタートします。文科系のサークルの合宿って何をするのか、当然1回生の僕は何も分からずただひたすら先輩方が去年の合宿はこうだった、ああだったというエピソードというか、ハッタリ半分の話を聞かされ、勝手に想像していた。S賀さんという、当時3回生で副会長をしていた先輩は、もう一人の酒豪の先輩と一緒に一つの部屋に籠もり、二人で黙々とビールを飲み、その空いたビンでボーリングが出来たなどという話や、新入生は海に浮かぶ島までクロールで行かなければならない、またそのタイムは制限があり遅れたものはメシ抜きだとか、そういう話ばかり聞いて一体何をやるのか想像しろというほうが無理だ。要するにお遊びなんだろうと高をくくっていたら、ある先輩から「オマエは何故ジャズを聞くのか」と問い詰められた1回生がいて、適当なことを答えたら鬼の4回生から取り囲まれて、延々突き上げられて、合宿終わったら二度とBOXに来なくなったサークル員もいた、などという話も聞かされ、ちょっと不安な気持ちも持ちながら僕は1回生コンビのS戸君とF田君と一緒に京都駅に集合した。

 当時のサークル員はどれくらいいたのだろうか。いいかげん怪しくなった記憶に基づいて書き記してみると、会長だったY田さん、愛媛の出身で外見はゲゲゲの鬼太郎だが弱小ブルース班を引っ張るリーダーだった。副会長のS賀さん、高知は名門高知学芸高校出身で酒好きというか、暇さえあれば飲んでる人だった。後年、この先輩は祇園のメンバーズクラブでボーイのバイトをするのだが、飲んでばかりで全然役に立たず、店の部長から「あの男はホンマにスカやった」とのありがたい称号を受ける。僕が何故その事実を知っているかと言うと、その店を首になったS賀さんの代わりのバイトとして入ることになったからだ。祇園の姥捨て山といわれたその店での百鬼夜行の話はまたそのうちに。あれ、3回生は2人だけだったっけ。印象はあまりないのだが4回生のA井さんもこの合宿には参加したな。大阪出身の温厚な方だった。

 あ、いやいや、いました3回生、しかも綺麗どころが。英文科の先輩で熊本出身のU村さん。姉御肌でキップのいい人でした。僕が2回生のときに、お金が無くて夏合宿は参加しないといったら「あなたたちがこれからのDRACを担っていかないといけないのに、お金がないからって合宿さぼっちゃダメ。お金なんか貸してあげるから行きなさい」とハッパをかけられた。しかし、この人男運のない人で、その後ある男子学生と同棲(キャー。憧れたのよ、同棲時代。オレも花の大学生になったらいつかはやるぞ、と固くココロに誓ったもののついに縁なく、最後のほうではおんぼろアパートに野郎ばっかり集まってくる同性時代を過ごしてしまった、悔しい)したものの、その人は肝硬変で亡くなってしまった。その男の人とはサークルは違っていたが、何かと話をする機会が多くて若いのに変に悟った人だった。たかが20代前半だというのに。最後は黄疸が出て目なんか末期色、そうまさに末期色とでもいいたくなるくらいの黄色い目をしていた。U村さんが無理矢理病院に押し込んだが手遅れで、結局その男の親からは随分恨まれたという話を聞いた。

 もう一人の3回生は、女子大の人でM井さんといった。笑顔が素敵で、あまり喋るほうではなかったがサークルのコンパや合宿などは欠かさず参加する人だった。この人も実に不運な人で大学を卒業して2,3年してからだろうか、ヨーロッパを旅行中バスが転落してお亡くなりになった。当時そのニュースは結構大きく扱われたが、まさかその被害者があのM井さんだとは思わなかった。その事故のあと、ご両親がM井さんの部屋を整理していたら日記が出てきて、そこに同じサークルの1年下の好きな人の名前が書いてあったそうだ。不憫に思ったご両親はその男性(当然、僕は良く知っているがここではあえて伏せる)、すでに田舎に帰って働いていたのだが、に連絡を取り、それを聞いた男性は京都まで行って花を手向けた。うーん、何だか重たい話になってしまったな。

 ええと気を取り直して、それ以外の合宿参加者を紹介しておこう。2回生では久留米、あの鮎川誠の出身校、明善高校ご出身のI上さんとNさん。I上さんは以前エントリーでも書いたが僕と同じ修学院に住んでいて、近所の畑から野菜を盗むことを1回生に仕込んだ一見真面目そうで実は腹黒悪人。Nさんも外見は背の低いポール・マッカートニーというルックスだが、大学受験のときに仲間とストリップを見に行ったら全員見事不合格だったとか、「キスって湯豆腐みたいな味がするな」とかナンパな話をさせるとぴか一の人だった。それから岡山の同じ高校出身だったO崎さんとO山さん。O崎さんは、先ほど書いた祇園の姥捨て山クラブのバイトでキッチンを担当。小さい黒板にシェフのおすすめと書いて、そこにアタリメとか湯豆腐とか味噌煮込みうどんなどと書き込み、周囲のバイト仲間から馬鹿にされていたが、店の女の人と同棲(また出てきた、時代だなぁ)を始め、そのまま大学を辞めたのではなかったか。祇園でバイトを始めてからは、サークルには全く出てこなくなった。

 このO崎さんというのは、色が白くて髪の毛もちょっと茶髪(天然でっせ、今時の染めた茶髪と違います。もしかしたら白子ではないかと思うくらい真っ白で髪の毛は赤かった)、ルックスは玉三郎みたいで結構女性ファンは多かった。しかしサークルではそんなそぶりは一切見せず、岩倉の下宿に立派なオーディオを備えており、秋になるとそこでサンタナの『キャラバン・サライ』をかけて皆で聞くのが恒例行事だった。で、この人麻雀上手いのにやたら弱い。誰かが突っ張るとすぐ降りるのだ。一度など後ろで見ていたら、親でW東がアンコなのに、リーチがかかったといって東を切り始めたときは、先輩と知りながらも後ろから頭を小突いて「あんた、何考えとるんや。こんなもん勝負や」と叫び、顰蹙をかったのは他でもない僕だ。

 そうそう、このO崎さんとはこの合宿で一緒に良く麻雀をした。これは岡山の方言というかイントネーションかもしれないが、この人「東」という牌を捨てるときに「トン」と声に出して言うのだが、アクセントが「ト」にかかっており、「トゥン」と聞こえる。こういうことはすぐに真似してからかう性格の悪い僕が真似して「トゥン」というと睨む。睨むがちっとも怖くない。また誰かがO崎さんの危険牌を切ると「ラッキー」というのだが、そのアクセントも「ラ」にかかっていて、「ラァッキー」と聞こえる。聞きようによっては、少し知恵が足りないのではないかと思われるような口調であった。当然、僕は真似をしてリーチ後に僕に対する危険牌を通したO崎さんに「ラァッキー」というと、「お前本当に憎たらしいな、1回生の癖に可愛げがない」といわれた。「ええい、うるさい、麻雀では先輩とて容赦はせんぞ」とこれはF田君の口癖を真似した、可愛げのない僕の返答でした。

 今思い出してみると、当時の2回生の先輩たちは、何故か2人組みの人たちが多かった。最近良くコメント頂くK平さんも高2まで同郷(ということは僕とも同郷なのだが)だった、いや同じ高校だったA水さんといつも一緒にいるイメージがあった。で、業務連絡ですがK平さん、75年の鳥取合宿参加してましたっけ?77年の信州のときははっきり覚えているんですが、鳥取のときはどうだったのか、参加されていたらスイマセン。

 で、このほかの2人組みというと翌年サークルの会長と会計という権力を握ったO西さんとY本さんがいた。O西さんは確か2浪していたんじゃなかったか。落着いた口調で、外見はミスター・オクレみたいに73分けで黒縁のメガネをしていて、後輩に対して妙に優しいときと非情なときとはっきり分かれる人だった。最終的には、僕たちから突き上げられてサークルを去るのだが、それは76年の終わりの話。そうそう兵庫県は姫路のご出身で実家が商店をされていたので営業用の白のマツダ・ファミリア・バンを持っていて、良く深夜のドライブに連れて行ってもらった。ルー・リードのライブやカーブド・エアのライブのカッコよさはこの人から教わったな。その大恩ある人をオレたちは放逐したのか。いや、それは彼らがサークルを私物化し、学内政治的なことからは一切距離を置いて同好会主義に陥るのを我々は危機意識と共に問題提起し自己批判を迫ったのだが、自らの反動的思想に耐え切れず脱退していったのではないか、などというややこしい話はおしまい。

 おっと、ここまで書いてきて大事な人を忘れていた。鹿児島出身で元全×闘、根っからの左巻きで、口も達者、辞めさせたサークル員は数知れず、その中には自称麻雀名人という連中を完膚なきまでに叩き潰し、二度とBOXに登場させなかったT原さんがいた。この人の悪行は「北白川ストリート・ファイティング事件」だとか「修学院騒音条例フンサイ事件、別名下宿放浪記」、「百万遍特殊工作隊襲撃物語」など沢山のネタがあるのだが、今回は合宿話なので割愛する。

 ああ、もう時間がない。このほかの登場人物は、「堺も加西も似たようなとこじゃい」といってひたすら田舎を誤魔化すS戸君、「センパーイ、あんなこといってますよ、いいんですか~」というこびへつらい上手だったF田君。高知学芸出身でS賀さんの後輩にあたる「何ですろう」F原、そしてこの物語の語り部である、ワタクシdrac-ob。さあ、このみょーちくりんな連中が3泊4日の夏合宿でどのような活躍をするのか、話は続きます。

 あ、女子部員の紹介忘れていたっけ。えーと2回生にはおぞましき「美鈴ちゃん」こと大分出身のS本さん。1回生は、サークル入った頃はちょっと可愛いかなと思ったけど、1浪していたせいか僕を子供扱いするので嫌いになったT永さん。ほとんど喋らず、大人しいんだけど好きなバンドのことになると人格が変わったHさん。彼女の名前の漢字がどうしても読めなくて聞いたことがあった。そしたら「私、アメリカ行きたいけどあかんねん」と突然言われた。「なんで、バイトして行ったらええやん」「ううん、お金はあるけど、アメリカが入れてくれへんねん」「はぁ、なんで?」「うち、国籍中国なんや」「え、中国?台湾じゃなくて毛沢東のほうの?」「うん」。当時アメリカと中国はまだ国交が無かったのだ。時代だ。

 しかし、思い出したことをこんな風につれづれ書いていったらきりが無いな。しかしまだ旅は続く…。

これが未病ってやつですか

 昨日は週1回の病院の日だった。受付を済まして、混雑した待合室の中で週刊誌を読んでいたらすぐに名前を呼ばれた。顔を上げると初めて見るナースさんが立っていた。僕の血管は細くて、初めての人は注射をするのに手間取りブスブスと何回も刺され、挙句の果ては手のひらに針を刺されるという経験を何度もしているので、今回もちょっと覚悟した。ところが、このナースさん愛想はあんまりないけど、ゴッドハンドと言ってもいいくらい注射が上手かった。右腕のシャツをまくり、手をグーの形に握り締め肘の上辺りにゴムバンドが巻かれる。それからアルコールで消毒した後、針が入るのだが、「じゃ、刺します」という声を聞き、視線はあらぬ方向に向けていたのだが(実に気の小さい話だが、僕は注射針を刺されるところを直視することが出来ない。いや出来ないわけではないが、見ていると余計痛そうに感じるので見ないのだ)、一体何時針を刺すんだよ、何時までも待たせるんじゃねえよと、これは決して声に出して言えるはずも無く心の中の呟きなのだが、意を決して右腕を見ると、もうとっくに注射針は刺さっていた。

 え、なに、この人、ちょっと凄いんじゃねーの、などとこれも心の中で呟きながら、それでも針を抜くときはゼッタイ違和感というか軽い痛みはあるもんね、オレもこれまでの人生数多くの注射を受けてきたのは伊達や酔狂じゃないからね、そこは見逃さないよ。などと針を抜くところを身構えていたのだが、なんと全く音沙汰無く針は抜かれており、もっともそのあとなかなか血が止まらず、最後は絆創膏を張ってもらったのだが、ものの見事な名人技であった。思わず「好漢いまだ不射之射(ふしゃのしゃ)を知らぬと見える。」と中島敦の『名人伝』のフレーズが浮かんだのであった。で、いつもなら注射が終わったらさっさとお金を払って終わりなのだが、前の週に血液検査をしていたことを思い出し、大枚ウン千円を前払いしているわけだから、その結果を聞かねばの娘と化しその旨をナースさんに伝えたところ、このあと診察室に呼ぶから今しばらく待合室で待つよう言われた。

 右手を押さえながら待合室に戻ると、20代前半くらいのカップルがソファにしなだれかかっていた。いくら混雑している待合室とはいえ、ソファには十分な空きスペースがある。そんなに密着しなくても大丈夫だぞと、声をかけてやりたかったが僕と視線のあった二人は完全にカブトムシの目をしており、こりゃ何をいってもダメだなと深いため息をつきながら横の空いてる場所に座った。整形して逃亡しまくっていた外国人死体遺棄事件の容疑者の話を一心不乱に読んでいるとまた名前を呼ばれた。今度は診察室に行くと、あれは担当医というのか、ま、いつもの先生が満面の笑みをたたえてこう言った。「いやー、参ったな。あなたLDLコレステロールが一気に増えてるよ、こりゃ脳梗塞とかの方が心配だな。まさか身内に脳梗塞とか患った人いないよね」。「あの、父が脳梗塞で倒れたことがあります。もっとも死因は別の病気でしたが。あ、それと弟が脳梗塞で倒れて3年植物人間状態のまま亡くなりました」。「えー、じゃ脳梗塞の家系じゃない。よし、体質改善して治しましょう」

 で、いろいろ話を聞いたら、先ず食生活の改善と量を減らすこと、適度の運動をすること、この2点を指摘された。食生活といえば、朝は食べないし、昼は週のうち5日は麺類でしかも最近は、うどん、ラーメン、ラーメン、蕎麦、うどんのパターンで、まずいことに以前は麺類に飯をつける奴は野蛮人だという哲学を持っていたのに、いや麺類と一緒に食べるご飯の美味しさよ、満足感よ、これぞ人生の醍醐味というパターンに変わったのは何時ごろだったか。うん、間違いなくタバコを止めた2005年からだ。体験的事実論、タバコ止めると太ります。僕は56キロから78キロと一気に22キロ太りました。禁煙と肥満は関係ないとその手の学会や禁煙運動家が良くいってますが、アレはウソ。僕が体験したから間違いない。

 で、麺類とご飯のカップリングをしないときは、替え玉だとか大盛りだとか、あ、おばちゃん蕎麦湯追加ね、などという食生活をしていたのだが、これは止めなければならない。決めた。「ワイルドで行こう」じゃなかった、腹八分で行こう。一寸の虫にも五分の魂である、関係ないか。もともと僕はあまり食べるほうではなかった。どちらかというと食が細かった。それがバクバクとまるで夢を食べる動物のように大食らいになったのは、やはり2005年が契機だった。そもそも胃というのは大きさがあってないようなもので、しばらく食べずにいると小さくなり、底なしにどんどん詰め込むとそれに比例して膨張していくのだ。大食らいに慣れてしまい、僕の胃も節操なく膨らんでしまったのだろう。あまり関係ないが突然、莫大小という言葉が浮かんだ。昔漢文の時間に大きくも小さくもなるから「メリヤス」だと教わったっけ。ついでに不易流行というのも習ったが、フエキ糊はそれからとっているとは目からうろこであった。

 なんだか話がおかしくなってきたが、食生活の改善、バランスよく適量を食べるという活動方針は採択された。次の適度の運動だが、これはお安い御用だ。ゲバ棒、竹槍、ヘルメット~ぱいーぷ爆弾、だーいーなまいと、と「戦争しか知らない子供たち」を口ずさみかけたがよくよく考えてみると、いや考えて見なくても運動違いである。以前書いたかもしれないが、僕はムーブメントの運動は大好きだがスポーツはあまり好きではない。いや女子バレーを見たり、ワールドカップの試合を見たりするのは大好きだが、自分で体を動かすのが億劫なのだ。これも以前はそんなことは全然なく、歩くことが大好きで多少距離のある道のりでも平気で歩いていたし、自転車に乗って(by高田渡)あちこちうろつくのは大好きだった。何時ごろからか、ちょっとそこまでの距離を車で行くようになり、自転車も乗らなくなった。やっぱり2005年が変化の年だったようだ。

 と、このような昨今であるが今から30年以上前は僕も若かったし、サークルの合宿の話にこれからつなげていく予定だったのだが、日曜の夕方、日が落ちかかっているこの時間帯になんだかんだ口実をつけてサボっていたウォーキングに行ってこようと思う。病院で先生に「以前は夜30分から小一時間散歩してたんですが、雨が降ったとかちょっと寒いとかで、いったん休んでしまうと続かないんですよね」と話したところ、「だってあなた人間の本能は『動くな』ですから。本来じっとして危険を避けるという本能があるんですよ。その本能に逆らってやるわけだから、相当強い精神力が要りますよ。でも頑張ってくださいね。自分の体は自分でコントロールするしかないんだから」とごもっともな説教を頂いた。さ、面倒だがとりあえず散歩してくるか。



再開宣言 もう迷わない、逃げないという固い決意を見よ

 自己批判書を書いたことがあるだろうか。いきなりな質問で恐縮だが、僕は何度かある。もちろんあんなものが通用するのは大学時代までで、社会人になってからは顛末書や始末書というものになるのだが、ま、書いてしまえばそれまでの話よ。なーんの反省もへったくれもあるものか、後は野となれ山となれすたこらさっさと逃げ出して~、などとトラヒゲの歌でも歌ってやりたい。何の話かというと、2日連続で頭脳警察の話を書いていたら、学生時代のいろいろなことを思い出したのと、K平先輩のコメントで、随分長いこと忘れていた人たちやエピソードを思い出してしまい、そうそう「DRAC興亡史 1975-1980」の続きを書きますといってそのままだったなと思い出し、FC2の過去の記事を検索してみたら、な、な、なんと前回の興亡史は去年の11月3日に書いてそれっきりだった。僕の気分的には今年2,3つくらいのエントリーを書いた気分でいたのだが、まさか丸々1年以上空白があったとは…。

 それと、ちょっとアプリオリな出来事もいくつかあった。先日、上の子の大学の懇親会に行ったときに、全体懇談会なるものがあり、そこで学部長の挨拶だとかインターンシップがどうしたこうしたとか大学の就職状況はああだこうだという一連の話の中で、教務長という役職の先生が「将来教職につこうと考えている学生が不正行為、つまり授業に出席していないのに友人に代返を頼んだ連中がいて、その学生を全員調べて自己批判書を書かせて本人の親と指導教員の印鑑を貰ってこさせた」などという話を聞いた。出席日数稼ぎの代返というのは、やりましたな。名前を呼ばれて、声を作って返事するなんてのは初歩的なパターンで、僕が取っていた授業の出席の多くは教授が紙を配り、そこに学籍番号と名前を書いて提出するというのが多かったので、どさくさ紛れに紙を多めに取ってきておいて、授業に出る友人に渡して提出してもらうなんてことをやりました。

 しかし、悪銭身につかずといいましょうか、好事魔多しといいましょうか、いや教授もバカじゃない、そういう不正ルートがあるのは百も承知で、実はそのカードの側面に色マジックで印がついており、例えばその日は赤がついていたとして、カードの何枚かにはありえない青や黄色がついていてバレバレで単位を落とすというか、その前に説教ですな、まあ、そういうことがありました。しかし、代返しただけで自己批判書だなんて、なんていうか凄いアナクロな先生だなと思ったことがひとつと、バカの一つ覚えみたいにただただ真面目に出席していい点取る学生より、自己批判書のひとつやふたつくらい書いたことのある学生のほうが教師としては魅力のある人間になるのではないか、純粋培養だともろいぞみたいなことをアンケートに書いて、そのことを子供に話したら「もうゼッタイそういうことはせんで、書かんで」と念を押されました。そのとき以来、頭の中で自己批判書という単語がぐるぐる回っていたのだ。

 それと、このFC2ブログには拍手という機能があり、エントリーを読んだ人が共感したらそのボタンを押すことで管理人に拍手を送れるという仕組みがある。これ結構blog更新の動機付けになるのだ。ちょっと面白くなかったな、とか、どうせこんなエントリー書いても誰も読んでくれねーしな、なんて不貞腐れて、もうblogなんか止めて昔みたいに好きな音楽と本だけに時間を使おうかなどと弱気になっているときに何度この機能で励まされたことか。書いた本人には全然面白くないと思っていたエントリーに拍手がついていたりすることもあり、そういうのってまだ見ぬ人からのメッセージでネットならではの喜びなのだ。で、その拍手なのだが、先週3日くらい連続で「DRAC興亡史 1975-1980 コンテニューイングオブ合宿ストーリー」についていたことがあった。先ほど読み返して、ああら驚いた。僕はてっきり合宿前の試験の話を書いていないと思っていたのだが、そこはちゃんと書いてありました。

 というところで、本日の結論。再開します。DRAC興亡史。今度は投げ出しません。私はウソは申しませんっ!!T岡さんも読んでくれるといいけどな、また頭脳警察の話しようね。最後に心からの反省の意味を込めて、スリー・ドッグ・ナイトのこの名曲をお送りします。



幻野から遥か遠くへ 続「俺たちに明日はない」

 10.21(国際反戦デー)に発売予定だった頭脳警察のアルバム発売が遅れたのは、「歌詞カードの誤植」が原因だったらしい(NACHT MUSIK 3RDより)。アマ×ンに誤爆をしてすまなんだ、ああ、すまなんだと拳キチのおっちゃんのフレーズでお茶を濁す。で、今日の新聞を読んでいたら、なんと日本人男性の喫煙率が戦後最低になったらしい。戦後って、何時の戦後だ、応仁の乱か、などという寒いギャグは止めておく。こういうネタは細川の殿あたりに任せておけばいいのだ。あ、今ネットで調べなおしたら、「戦後最低」ではなく「過去最低」であった。それで過去って何時だよと調べてみたら、なんだ、たかが1986年以来だ。しかし、男性喫煙率が36.8%ということは、ざっと3人に1人しか喫煙者は居ないという計算になる。また天下を取った鳩山総理も「(タバコの)税収が減ったとしても健康の方が大事だ」、などとのたまっている。喫煙者にはつらい時代がやってきている。あ、僕はタバコは、もう止めて5年は過ぎて、日常生活は非喫煙者ながらも行過ぎた禁煙ファシズムとは断固闘うという姿勢をキープしている。こんなこと書くと燐さんからお小言頂くのだが、そこは頭脳警察のアルバム発売に免じて許して欲しい。

 などと訳の分からないことを書いているのは、昨日の続きでアルバム『俺たちに明日はない』の紹介、6曲目の「BRAINWASH」だ。「BRAINWASHED」なら、ジョージの遺作になるのだが、関連性はない(と思う)。ちなみに「BRAIN SALAD SURGERY」ならEL&Pで、こちらはますます関係ない。あ、ELPといってもレーザーターンテーブルの開発、販売をやっている会社の話ではない。などと、補足しなければならない時代がくるとは、あの70年代では想像もつかない時代に僕たちは生きているのだ。って、なんかこんなフレーズ昨日も書いたような気がする。いえ、『TVなんかにコケにされ K察に嘘作られ すぐに流行に乗せられて 歴史はバカが作り出す』というイントロから、『ウイルス撒いてソフト売る タバコを責めて大気汚染隠し 自分で住みにくくしてる だってだってオレ達バカだもん』という皮肉たっぷりなラス前まで、さあどっちがどっちを洗脳しているのか。しかし、ここでのパンタは「バカ」という言葉を吐き捨てるように歌っている。尚、e-daysのインタビューにタバコを旨そうに吸うパンタの写真がアップされている。

 7曲目は「ヒトを喰った話」。お、ひかりごけの話か、それとも佐川君の話か、いやいや映画の話かと思ったが、どうも近頃流行の「草食系」とか「肉食系」なんていう分類(?)のことを指しているようだ。あれは、良く分からないというか、積極的に分かりたくないというか、なんなんだ一体。草ばっかり食ってるのも嫌だし、肉ばっかり食ってるとコレステロールが溜まる。そういうときは「ヘルス・エンジェル」だ、などと話がP-Modelになりそうだ。で、おまえはどっちだ、という声が聞こえるが、しいて言えば「悪食系」というか「雑食系」だな、多分。昔から女の趣味が悪いと、いや、その、これは余計な話であった。わはは。

 曲と演奏の感じは「コミック雑誌なんか要らない」に近い。ギターもあえてチープな音を出しているし、ピアノもそれ風だ。『クサばっかり喰ってんじゃねぇ ニクを喰え サラを喰らえ ドクがおまえをまともにするさ クダばっかり巻いてんじゃねぇ メスを喰え ヒトを喰え』などと『喰えない』歌詞が延々と続く。肝心なところは全部カタカナにしてあるが、それが余計込み入った連想を促す。

 このアルバムの中でもひとつのハイライトである8曲目、「赤の女王」。最初、単純に重信房子のことかと思ったが、ことはそう単純ではなさそうだ。サウンド的にもシュールというかアヴァンギャルドなどという死語を思い出させる。リズムの展開もユニークで面白い。ギターも唸っているね。歌詞的には古くからのパンタファン、頭脳警察ファンにはニヤリとさせられるものが多い。『夢物語に枝折り挟んで 戦士の伝記を口ずさんでる 一角獣からたしなめられても 支配の鎖 引きちぎれ それが水晶の鎖としても』。一角獣?ユニコーン、T・REX、マーク・ボラン。水晶の鎖?クリスタル・ナハト、ベルリンの壁…。このあたりは、お好きな方にはたまらないPantax’s Worldである。

 駆け足になるが9曲目、「黒の図表」。イコライザーを使っているのか、ボーカルがテクノっぽい。先ほどP-Modelに触れたが、それよりもっと今風な、そうPerfumeっぽい。しかし歌詞のほうは「美術館で会った人だろ」のアンサー・ソングみたいで面白い。まあ79年、80年の歌に今更アンサー・ソングでもないだろう。途中で入るエレピはドアーズを連想させるな。あ、ドアーズも血のイメージあるよな。『淡い緑 深い緑 色とりどりの 街の賑わい おまえが望んだ世界だろ おまえが選んだ未来だろ 美術館に隠れたら 美術館に隠れたら 神の奴隷で溢れかえっていて 時間に囚われ 額に繋がれ』。

 いよいよラストナンバーの「残照」。曲調はアルバム『反逆の軌跡』に入っている「今はすべてを忘れて」を思い出した。あの曲も初めて聞いたときはパンタもこんな歌を作るのかという新鮮な驚きがあったが、驚きの度合いはこの曲のほうが上だ。まるでパンタとトシの人生の総括だ。『まだ夢を見てる奴 あきらめた奴 みんなイチから始まり またイチで終わる 声をなびかせ そよぐキミの横顔 さあ もう一度乾杯 俺たちの人生に 夜明けは遠くに消え去って はるかな友へ いま何を想う』。まさか頭脳警察を、パンタをここまで長く聞くとは思わなかった。30過ぎたら立派な大人になって、ロックなんかからは足を洗うもんだと思ってた。いや、そういう世の中の流れだと思っていた。40過ぎたら惑わないものだと思っていた…。全然話が違ったオレの人生だけど、さあもう一度乾杯、オレ(たち)の人生に。

 ボーナス・トラックで入っている「俺たちに明日はない」は、パンタのギターとトシのパーカッションだけで演奏されている(エレキも多分パンタだと思う)。まさに初期頭脳警察のサウンド。歌詞もこっちのほうがカッコイイ。そう、頭脳警察はカッコイイのだ。オマケに三里塚での頭脳警察のライブを貼っておきます。このときの若者達が「俺たちに明日はない」などと歌う日がやってくるとは…。



ポストに入っていたR&R BUND

 月曜の仕事が終わり、疲れて家に帰りいつもの習慣で階段のところにあるポストの扉を開いた。なんだか良く分からないチラシとその奥に茶色い冊子のようなものが見えた。手にとって見たら、10.21を遥かに過ぎた頭脳警察の最新作だった。しかし、こんな共同ポストに投げ込まれていたんでは、どこかの不心得者がパクっていっても分からないだろう。エエカゲンにせい、ア×ゾン。しかし、首を長くして待っていたアルバムなので部屋に入るとパッケージをすぐに開けて聞いてみた。いい。パンタもトシも齢60だというのに、元気一杯、声も全然衰えていない。サウンド的には陽炎の協力があるが、菊池のシャープなギターが響き渡っているが、基本はパンタの歌とギター、それにトシのパーカッションだ。で、そういう音の塊として聞いて欲しいアルバムだが、僕にとってのパンタは言葉の人という部分もあり、このアルバムで気になったフレーズを以下書き綴る。

 オープニングナンバーの、そしてアルバムタイトル曲の「俺たちに明日はない」はパンタのソロ作品である「反逆の軌跡」にサウンドも歌詞もちょっと似ている。しかし『…おまえには未来があるけれど それも疑わしいけれど おまえは未来を見ているけれど 俺たちに明日はない 明日はない オンリーワンとかナンバーワン どっちだっていいだろうよ バカらしい 遊ばれてんだから…』。ごもっともです。オレも明日はないぞ。いや、今日もあるかどうか疑わしい。そういった毎日の日常に埋没していくさまざまな上昇志向と混濁した意識の中で我々は生き続ける。ここの部分は一体何を考えて書いたのか、良く分からない。とりあえず消しておきます。

 2曲目のタイトルは凄い。「死んだら殺すぞ」。なんだか一歩間違えると小学生のケンカのときの恫喝のセリフみたいだ。『…糞コメンテーター 似非ジャーナリスト 自称評論家 おまえらホント目障り』。いやー、小気味いいですね。赤いヘルメ、じゃなかったちゃんちゃんこが似合う年になった人がこういうことをいう時代になったんですね。エンケンじゃないけど「幾つになっても甘かねぇ」。この曲も軽快なロックンロール。キーボードが効果的に使われている。歌詞も断片的なフレーズを積み重ねて、さまざまなイメージを連想させる。

 3曲目の「UNDERCOVER」はアコギで始まり、途中からドラマチックに展開していくバラード。パンタ自身も一番気に入ってる曲のようだ。長年のパンタファンにはおなじみのセリフ、逆説的表現が微笑ましい。『浅ましいなんて光栄だ このままここに居座り続け 骨になるまで見届けてやらぁ 浅ましいなんて恥ずかしくって やってられるかバカヤロー 今日もだらだら遊んでやらぁ そうどうとでも着飾りゃいい 貧相な心を隠してくれる そうどうとでも笑うがいい おまえの笑いは糞以下だ でもちょっとだけ気をつけろ 口の利き方 ホントのオレのことなんて おまえにゃわかりゃしない ホントのおまえのことなんて オレにわかるわけがねぇだろ』。そうなんだ。僕もあなたのことは分かりはしないし、あなたも僕のことなんかわかるわけがない。お互い分かったふりをしているのか、幻想の上で理解しあった錯覚をしているのか。このあたりは、踏み込んで考えて見たいが、今日はもう遅いのでまた後日(などという逃げをうってると自分の首を絞めます)。

 4曲目は「ROCKATION」。これどこかで聞いたことあるな、と考えていたら出てきました。エアロスミスの「スィート・エモーション」だ。パンタとエアロ、全然共通項がないのだが…。そうやって聞いてみると、ギターのフレーズも心なしかジョー・ペリーに聞こえてくる。この曲も中山のキーボードがいい味出してるな。『舗道の敷石を剥がされないうちに いまの隠れ家を確かめておこう』。新宿神田カルチェラタン闘争の風景がおぼろげに浮かんでくる。今の時代には投石用の舗道の敷石なんてないけどな。

 5曲目はちょっと長いタイトル。「SPARTAKUS INTERNATIONALE R&R BUND」。ご注意していただきたい、決して入力ミスではない。最後の文字は「BAND」ではなく、「BUND」である。ちなみに僕のmixiでのハンドル・ネームは「スパルタクス・ブント」である。もちろんこれはパンタが頭脳警察の前に所属していたバンドの名前を頂いたものだ。で、その名前の元になったスパルタクス・ブントというのは、ってもういいか。これはとても軽快なロックンロール。歌詞もオフザケというか、『ルビコン河』とか『三途の川』なんてちょっと気になるものもあるけど、『キャベツの皮をむかないでバナナを食べたい でも石が欲しかったから医者の薬は飾り物 おかあさんがいつもくれる』的な歌だととりあえず理解した。

 と、全10曲(実はラストにボートラ1曲入ってる)のアルバムなので丁度ここで中間。続きはどうするか、分からないが今日はここでおしまい。オマケに「万物流転」のPV貼っておきます。



さて、これからどうしよう

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久しぶりにライフタイムに来た。このところ、なにかと忙しくライブに行けなかったので、今日は飛び込みで来たのだ。アミーロードの謎も解けたので、またアップします。

コスモス牧場 その3

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げ、原子心母の風景だ。

コスモス牧場 その2

ちょっと逆光で見づらいけど、ポニーです
思わず「DIG A PONY」のフレーズが出て来た。

コスモス牧場にやってきた

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上の子の運転の練習で小林まで来た。ついでにコスモス牧場まで足を伸ばした。写真は眼下に見下ろす小林市街。空気が冷たくおいしい。

腹立日記

 仕事の帰りにちょっくらブコフに寄った。特に何が欲しいというわけではなかったが、木村カエラがボーカルを取ったミカバンドの『ナルキッソス』のDVD付を買おうと思ったのだ。というのも一時期500円コーナーに腐るほど置いてあり、そのうち買おうと思いながらそのままになっていたせいもある。上手くいけば250円で手に入るかも、などとトラタヌしていたら、毎度毎度の500円コーナーに見当たらない。おかしいな、ここのブコフにも3,4枚ほどあったのにな、などと思いながら、ま、行きがけの駄賃で通常単価のところも見るかと行って見たら、なんと1000円のシールが貼ってありました。そのシールを良く見ると後ろに500円という文字がうっすら見える。ということは、この前まで500円コーナーに置いていたのに、トノバンがあんなことになったから、こりゃ500円より高くても売れるなんてセコな考えで1000円にしたんだ、と思うとちょっとむかついて買う気が失せた。もっとも、よく考えれば香典代わりに1000円くらい出してもバチは当たらないのだが。

 で、そのまま家に帰ればよかったのにもう1軒冷かすかと思い直し、別のブコフに行った。すぐ500円コーナーに行ったら、こちらはサディスティック・ミカ・バンドのコーナーすらなくなっていて、その代わりに通常単価のコーナーに1650円のシールを貼った『ナルキッソス』が売るほど置いてあった。あ、売るためにおいてあるのか。しかし、これはひどいよな。多分、このアルバムそんなに売れなくて在庫で沢山あったんだろう。500円コーナーに置いていても売れないので、多分下の引き出しに沢山入れてあって、店員も買い取りにこのアルバム持ってこられると「なんだよ、またこれか、これ売れねーんだよな」などとブツブツ言いながら買い取り単価50円くらいで、あ、文句あるならどっか別の店に持っていって全然構わないから、うち在庫がだぶついて困ってるんだから、みたいな対応していたのだろう。などと妄想はとめどなく広がるのだった。結論、あんまりせこいぞブコフのバカヤロ。

 しかし、そんなことを思うのなら何も買わずにさっさと出てきて、今後二度とブコフに出入りしない宣言でも書けばいいものを、悲しきプレカリアートはまたもや廉価盤のコーナーをうろついてしまったのだ。もっとも、おなかも空いてきたしそんなに集中してみていなかったのだが、Jazzの廉価盤のコーナーに渋谷毅のアルバムがあって、手にとって見た。エリントンナンバーばかりやっていて、サックスに峰厚介が参加してるのでこりゃ間違いないと思ったけど、良く見ると松風鉱一も参加している。僕はこの人のサックスダメなんだ。去年だったか一昨年だったか、ライブハウスで見たのだがどうにも苦手で、というわけで購入するのを止めた。で、そのジャズのコーナーに何故かポール・マッカートニー&ウィングスの企画盤があった。ほら、1200円とか1400円くらいで売ってあるベストセラーシリーズとかなんとかいうやつですよ。

 どうせ相変わらずの選曲だろうと思い見てみると1曲目が「アナザー・デイ」、おいおい、この曲はポール・マッカートニーのソロだぞ、2曲目が「シリー・ラブソング」、お、一気にトンだね時代が、3曲目に「ジュニアズ・ファーム」、はいはい、オノ・レノンの空耳ソングね、などとおちょくりながら見ていて4曲目で固まった。「メアリーの小羊」。え、確か、『ワイルド・ライフ』のボートラにしか入っていない可憐な名曲ではないか、この1曲のために250円は安い、ええもんやっすいのはイ×ミヤ~と、何故か関西大手スーパーのCMソングを歌いながらレジに向かった。お金を払って店を出て、車のエンジンをかけてCDを挿入した。ダダダダダダダダダダダダ…、どう聞いても「アナザー・デイ」とは思えないイントロが始まった。ボーカルはやたら脂ぎって聞こえてきたのは♪Nobody gonna take my car I'm gonna race it to the ground~、ってディープ・パープルの「ハイウェイ・スター」やないかーい(ここ髭男爵風に)。

 おかしい、何かの間違いだと思いながら2曲目を聴くとジャッジャッジャー、ジャッジャジャジャーってこりゃ「スモーク・オン・ザ・ウォーター」やないかーい、結局外箱はポールで中のCDはパープルのベストでした。意図的なのか、何かの間違いなのか良く分からないがとにかくハラのたった日でした。



一体誰が読むのか…

20091101153058
懇談会の最後に個人面談があった。待合室は社会学の資料室。古い本の匂いに誘われて、書庫をうろついていたら、こんな本があった。

えーと、補足しておきますが、明治大学の秋田分校の本ではありません。

ライブ 学生大会

20091101123932
では、残念ながらない。上の子の大学の保護者懇談会に来ている。産学共同路線、筑波中教審路線断固粉砕・学費値上げ阻止を貫徹する予定だが、およびでないような気もする。

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