5月最後の日になにもなかったとはいえない

1日遅れでアップしました


 今年の5月2日は僕にとって「なかったこと」にしていた。ずっとそのままでいくつもりだった。しかし、連日いろんなところで、つまり新聞やテレビ、ラジオといったマス・メディアから個人のblogまでさまざまなところで、あれはやはり「あったこと」として、ちょっと大袈裟に言うと歴史上の事実として固定化されつつある。一人で意地を張っていてもしょうがないかな、という気持ちも芽生えてきて5/21の「嬉しいメールのお話 たぶんその1」で「なかったこと」はなかったことにするしかないか、と書いたのだが、今朝の地元紙(宮崎日日新聞)に「いっしょにがんばって行こうぜ」という記事で清志郎のことが書いてあった。読んだ。読んだあと、ちょっと涙ぐんでしまった。以下、全て新聞から引用する。

「いっしょにがんばって行こうぜ」。二日にがんでこの世を去ったロック歌手・忌野清志郎さん=享年五十八=は闘病中の二〇〇六年夏、小児がんに苦しむ日向市財光寺の甲斐賢太君(五つ)に手紙でエールを送っていた。清志郎さんの訃報に接し、父譲司さん(四二)は「自分が苦しくても人を思いやる優しさに感激した。手紙を見ると前向きになる」。手紙は自宅の玄関に額に入れて飾られ、今も賢太君と家族を励まし続けている。

賢太クンは一歳の時、悪性リンパ腫と診断された。抗がん剤治療のかいもなく二度再発し、治療法を骨髄移植に切り替えた。無菌室での長くつらい闘病生活を、譲司さんは「体力的にも精神的にも家族みんなが限界にきていた」と振り返る。
 がん発覚から約一年後、譲司さんは高校時代から大ファンだった清志郎さんが、同じように必死にがんと闘っていることを知った。賢太君の写真を同封したファンレターに「二歳の賢太も再発を乗り越え、骨髄移植をしてがんばってます。清志郎さんもがんに負けないで下さい」としたためた。
 約一ヵ月後、自宅に小包が届いた。送り主は「忌野清志郎」。驚きながらも中をのぞくと、サイン入りTシャツや本などのグッズが詰め込まれ、直筆の手紙も添えられていた。
 賢太君は病室のベッドの上で跳び上がって喜んだという。「また再発するかもしれないと不安になることもあるが、今も手紙を見ると前向きになる」と譲司さん。当時、清志郎さんのその文面に思わず涙した。
 「賢太君、ありがとう。君のおかげで勇気がわいてきたよ。これからは、いっしょにがんばろう!つらいときは君を想い出すよ。君がつらい時は、ぼくを想い出しておくれ。そして、遠く離れていても、いつも、いっしょにのんびりとがんばって行こうぜ。Tシャツよかったら着てください。ぼくも今、頭はツルツルボーズだよ。じゃ、また。元気で。賢太君へ。忌野清志郎」


 新聞には清志郎の直筆の手紙の写真もあった。いつもの清志郎独特の文字でサインの下に日付と印鑑が押してあった。律儀な人だったんだな。手紙の文面はまるで、清志郎が作る歌詞の様だ。そのまま、メロディに乗せて歌になりそうだ。なんとなく、これで清志郎のことを素直に書けるような気がする。合掌。

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嬉しいメールのお話 きっとその3

 今日は、朝から一日中雨が降っている。今月になって初めての雨らしい雨の日だ。つゆに入る前の暖かい雨ではなく、冷たい風とともにだらだらと降り続けている。おまけに昨夜というか未明の頃、かなり大きな雷が鳴った。感じとしてはどこかに落ちたんじゃないかと思われるような轟音と稲光だった。なんとなく、今年は空梅雨で冷夏ではないかと思った。雨が降ると頭痛がするので、あまり好きでは無い。しかし、雨も頭痛も自然なのだ。生きているからこその雨であり、頭痛なのだ。

 などと柄にもなく自然主義的ブンガクの香りのする導入でしたが、いや今日は仕事も比較的早く片付いたし、雨で散歩にも行けないので、夜の時間がたっぷりあり、DVDを見るか、読みかけの本を読むか、このところ聞いてなかった未開封のCD(未開封のものがまだまだあるのに、今日移動中に立ち寄ったM林堂書店でCD80%オフの残り物でクィーン+ポール・ロジャースのライブを見つけて620円で買ってしまった。でも、620円で新譜なら買いでしょう!?)をじっくり聞くかと考えていたのだが、結局のところWolfgang's Vaultにアップされていたジョージの74年のLAのライブとポールの90年のワシントンDCのライブを聞いて、その間にはねとびの悪たっちとレッド・カーペットの柳原のブログママというネタを見て、ぎゃはぎゃはとハクチ的に笑って、結局もう23時過ぎである。

 時間の経つのが早いなぁ。1日の終わるのが早いし、1週間の過ぎるのが早い。なんだかこのままずるずると後期高齢者になってしまいそうである。しかし、このところ昔お世話になった人や不思議な縁で知り合った人たちからのメールでずいぶん元気をもらっているので、今日までメールの話を書いていこう。前回、前々回にアップしたT岡さんの話の続きを書くと、僕の20代後半から40代前半までの社会人日記になってしまうので、今日は取り急ぎ他に紹介したかった話を書いていきます。実は次にご紹介するのは、直接お話したことは1度も無いのだが、メールやエントリーのコメントなどでこちらが勝手に親近感を持ってしまったお方なのだ。

 僕のエントリーには月に1、2回は音楽のライブの話がアップされるのだが、これはそんなに以前からのことではない。正確には2007年の11月からだ。つまり、カルメン・マキのライブに行き、そこで偶然高校時代の友人のY尾君と再会したことが大きなきっかけになっている。いや、もちろんその前から行きたいと思うライブも沢山あったが、当時の仕事の関係や一緒に見に行こうと誘える人間の問題などもあり、行きたくても行けないというか、そこまでして見なくてもいいかと自分で自分を無理やり納得させていた。それが、マキさんのライブで偶然Y尾君と会い、そしてそこで彼と一緒に来ていたI切さんから故塩次伸二と妹尾隆一郎のチケットを譲ってもらったこと、そしてその年の12月にリトル・ジャイブ・ボーイズが宮崎に来たことなどが大きなきっかけとなり、それ以来毎月最低1回はライブを見に行くようになった。

 そして、その翌年2008年の1月に、あの素晴らしいZEK3をライフタイムで見ることが出来たのだ。ZEK3とはピアニスト清水くるみをリーダーとしたトリオだが、演奏するのは全てツェッペリンナンバーのみというこだわりのトリオである。その時の演奏の凄さは、未だに耳に焼き付いている。その時の感動をエントリーにアップし、さらにくるみさんにも是非その時の気持ちを伝えたいと思い、あちこち探す中、彼女のHPを見つけてBBSにカキコしたのだ。そこにあつかましくも自分のblogのURLを貼り付けていたら、なんとくるみさん、わざわざ拙blogにお越し頂き、過分なコメントまで頂いた。もっともその時期に僕は伯母が亡くなったために、ちょっと精神的に落ち込んでいて、くるみさんにも気のきいたコメント返しも出来なかったのだが、それ以来ときどきメールを頂ける様になった。

 しかし、このくるみさんの凄さは、もちろん本業のピアノもそうだが、書く文章とその屈託の無い性格がとにかく凄いのだ。一応ご本人にメールを公開してもいいとご承諾頂いているので、以下引用します。もっともくるみさんのメールだけでは何のことか分かりにくいので、僕の送ったメールも一緒にアップしておきます。ええと、ただ最初は今年、久しぶりに頂いたくるみさんのメールから。

くっだらない事言ってよいですか?
って、ダメと言われても後の祭りだけれど。

今ね、MIXI開いたのですよ。
そうしたら、いきなり目に入りました。
「今年もやってくるみやざき国際ストリート音楽祭」
これって、「くるみ」が隠し文字になっている・・・


 このメール見たとき、僕は大爆笑してしまい、相手は目上の立派な女性だということをすっかり忘れて、サークルの後輩にでも送るようなメールを書いてしまった。

ぎゃははははははははははははは、
そんなつもりは毛頭(涙目)ありませんが、
やはり、ココロのどこかに疚しいところがあったんじゃ
あーりませんか、くるみさん!!

いや、実はくるみさんにもずいぶんご無沙汰だなと僕も
さっき考えていたところなんです。
最初は「宮崎国際ストリート音楽祭」と書いていたのですが、
調べてみると「みやざき」は平仮名表記だったので訂正しました。
そこが「やって、くるみ」に見えてしまったわけですね。
しかし、さすがはくるみさん、非凡なセンスですな~
ってか、いい加減mixiの日記完結させたらどうでしょう?

僕は相変わらず、ライフタイム周辺をうろついています。
今月は洗足音楽大学の学生バンドを見ました。
若い女の子の集団にはつい甘くなるオジサンでした。
で、ZEK3、何時ごろ宮崎にお出ででしょうか?
それと、以前ちらりとお聞きしたCD話やいかに…。

それではまたメールします。


 いやー、今更ながら読み直して冷や汗ものです。昔の柴田翔の小説の流行語を真似て言えば慙愧、慙愧というしかありません。ちょっと補足しておくと、ここに書いてあるmixiの日記というのは、くるみさんが2008年1月の九州ツアーの様子を2月からmixiに書くようになり、楽しく読ませていただいていたのだが、2月末にZEKオーケストラのライブの準備が忙しくなり中断。7月に再開したものの7月末で再度中断。そして12月にようやく再開されたのだが、あえなく2回で日記は止まったままなのだ。12月の日記のタイトルは「来年になる前に、とにかく鹿児島までは行ってみよう!」。この屈託のなさ、素晴らしい。僕も見習いたい(いや、もう十分見習っております。「フォークソングクロニクル」は、「DRAC興亡史」は一体どうなった。最近では「ヤングな僕のぽっぷすなう」は、次はこういう話を書きますといって、それきりなものはもっとあるぞ、とご指摘のあなたは正しい、しかし正しかるべき正義も時としてめしいることがある、ってリチャード・キンブルかっ)。そしてくるみさんから届いたReメールにはこう書いてあった。

ってか、いい加減mixiの日記完結させたらどうでしょう?

:あ、あれ、暫く休む。

僕は相変わらず、ライフタイム周辺をうろついています。
今月は洗足音楽大学の学生バンドを見ました。
若い女の子の集団にはつい甘くなるオジサンでした。
で、ZEK3、何時ごろ宮崎にお出ででしょうか?

:先月、7月19日の宮崎のジャズフェスにZEK3で、と
言われたけれど(欠員補充?)、4月に言われてもねえ・・・
当然、お二人とも空いてなかった。
もう10月のスケジュールやってるんですよ。
あ、そうそう、その話のついでに、草野さんと
ZEK3九州ツアーの話ちょっとしましたが・・・
年内だと11月が都合よいと草野さんおっしゃるが、
7月、8月、10月、とツアーあるからちょっとキツイかなあ・・
いっそ、また1月辺りどうでしょうね。
(あのね、熱心にライフタイムの草野さんに呼べ呼べと言えばいいのだ!、
呼んでくれるところが無い限り、行かない主義なので)

それと、以前ちらりとお聞きしたCD話やいかに…。

:あ、それ去年の2月のやつ?流れましたー!!!


 どうだ、この潔さ!!僕のしつこいmixi日記再開に対する返事は「あ、あれ、暫く休む。」ですよ。いや、くるみさん、休むってことはいずれ再開されるということですよね。ハイ、首をキリンにしてお待ちしています。などとメールを読みながら呟いていたのだが、最後の1行読んだ瞬間またもや大爆笑してしまった。いやはやなんとも…。で、カンドーした僕は次のような返事を送った。

昨日は疲れてPCを開かないまま、スイマー様に襲われ
熟睡したため、くるみさんのメールに気がつきませんでした。
今日、仕事の空き時間に携帯でメールチェックして気がつき、
読み始めたら大爆笑、こんな面白いメールを僕だけで読むのは
独占禁止法にひっかかりそうで、出来れば拙blogにアップしたいです。
ナントカ許可を頂けないでしょうか?

なんといってもmixiの日記についてのお返事、卒倒しそうでした(笑)
>あ、あれ、暫く休む。

しかし、天下のZEK3にイベントの欠員補充で声かけするとは、無礼な
仕打ちですね。宮崎の心ある音楽ファンの一人としてお詫びします。
以前はフェニックス・ジャズ・インといって7月の末にオールナイトで
やっていたジャズ・イベントなんですが、スポンサー会社がコケてしまい、
いまはフェニックス・ジャム・ナイトといって、夕方から零時くらいまでの
中途半端な時間に、出演者もJ-POPだとか、ヒップホップ系の連中が
多くて見に行く気がしません。

以前の(といっても20年以上前ですが)ジャズ・インのころは、結構楽しみで
タイガー・大越や渡辺香津美、神崎オンザロード、山下洋輔などを見ました。

ZEK3を是非宮崎に呼ぶために、丁度明日ライフタイムに香月さんを見に
行くので、そのときマスターに「呼べ、是非呼べ、でないと火をつける」くらい
言ってみようかと思ってます。

宮崎では5月に国際ストリート音楽祭が今年も行われました。その時の
話はエントリーにアップしてます。お暇なときにでも読んで頂ければ…。
http://gakkan.blog64.fc2.com/blog-entry-522.html

そうそう、この前の連休中に「三文役者の死 正伝 殿山泰司」を読んでたら、
途中で殿山さんのエッセイからの引用があり、そこに
『つつがなく新宿へ出て、午すぎのピット・インに入る。国安くるみのグループ
なのよ。リーダーの国安のピアノにあとはサックスとベースとドラムと女性
ボーカルという編成。(中略)くるみさんは昔は清水正二郎で今は胡桃沢耕史の
娘さんだけど、オレはハナシをしたことはなくて、いつもその音を聴くだけ』
という部分があり、思わず「アッ」と声を出してしまいました。

間違いなく京都の学生時代にこのトノさんの本読んでます。あああ、あのときの
くるみさん(いえ、当時は全然知りませんでしたが)から、メールもらってるんだと
大変感動したというお話でした。

ええとハナシはでんでんまとまらなかったですが、またメールします。
それでは失礼します。


 いかがでしたでしょうか。僕は丁度厄介な仕事を抱えていて、毎日遅く家に帰り、憂鬱な気分で過ごしていたのですが、くるみさんのメールのおかげでかなりパワー頂きました。人生、おおらかが一番じゃ~!!明日はあしたの風が吹く(こんなタイトルの朝ドラあったよな)、ライク・ア・ローリング・ストーンだぜ、ケ・セラ・セラだぜ、セット・ミー・フリー・ホワイ・ドンチュ・ベイブだぜ、って最後のはちょっと違うような気もするが…。そうそう、それともう1つ嬉しかったメールは、なんとあの「だててんりゅう」の隣さんから頂きました。My Spaceで隣さんの音楽活動を知った僕は、blog用にYOU TUBEをチャンネル登録していたのだ。そこから隣さんが友だちリクエストしてくれて、それがきっかけでお礼メール送ったら、ご丁寧に返事を頂いた。そしてそこには僕のサークルの友人だったS戸君のことも「懐かしいですね」と書かれていたのだ。それ以来何度かメールを遅らせていただいたが、そのたびに丁寧な返信メールを頂いている。さらにmixiには70年代の写真などもアップしてくれているので、こりゃもう参りました。隣さんこれからも宜しくお願いします。

 と、最後は無理やり結論めいた書き方になったが、この間に書きたかったのはこういうお話でした。しかし、僕の話はまとまりが無いというかずるずると広がっていくな。もっとしっかりクロージング出来るようにならないと、慙愧、慙愧。

嬉しいメールのお話 もちろんその2

 えー、たった1日でどこまで書いたかを忘れてしまう、ケンチャン症のdrac-obである。あ、いや、ケンボー症か。などとしょうも無いくすぐりは置いといて、前回のエントリーで意外なことに太田竜に対する反応が多くてややびっくりした。びっくりしたといえば、そのエントリーのコメントでかくたさんが中央大の元ブントの三上治のことを書いていたが、今日買った集英社新書の「新左翼とロスジェネ」の中に三上治の『1960年代論』からの引用があった。なんでまたそんな本を買ったかというと、実は今日、仕事の合い間に本屋を冷やかしていたら、「創」の6月号を見つけてしまったのだ。お、まだ頑張ってるんだ、この雑誌と思い立ち読みした。その中で佐藤優が「ナショナリズムという条理」というコラムを連載しており、そこに先ほどの新書が出ていたのだ。ああ、回りくどい話だ。

 何が言いたいかというと、とにかく今忙しくて頭の中が滅茶苦茶だよ、ざくろになって滅茶苦茶だよ(by スターリン)ということを分かってもらいたいのだ。そういう割には本屋で立ち読みとか余裕があるなどと言わないでくれ。こういうのは某中間あり、ちがった、忙中閑あり、というのだ。あ、それと先ほどの「新左翼とロスジェネ」という本は、「貧困」+「自分探し」→「連帯」というくくり方をしていて、それに対しては異論・反論もろもろあると思うが、1点だけこれは僕も「異議なし」の声を上げたい部分があった。引用する。

七十年代最大の運動は三里塚闘争、つまり成田空港建設反対運動だった。(中略)ちなみに近年、三里塚闘争について「ごね得というか、戦後教育が悪かった」と言い放った閣僚もいたが、戦後教育世代は当時の三里塚農民ではなく、たとえば、この閣僚である(155ページ)



 えーと話がまた横道にそれてしまいそうなので、この前のメールの話の戻る。最初の会社でお世話になったT岡さんのメールだが、そのあとはかなりプライベートな記述が続いていた。なんと、今は奥さんとご長男さんと3人で居酒屋をやっており、しかも最近2号店も出しているとあるではないか。うーん。この不景気な世の中で新規店舗を出せるというのはそうとう儲かってまんな、大将、え、どないだ、などと急にお下劣な口調になってしまったが、流石はT岡さんである。しかし、あの小さかった子供さんがもう父親と一緒にお店の経営をしているとは、歳月のたつのは早いものだ。もっともあのご長男さんは、人の上に立つタイプというか、人を使うことの出来るタイプだと僕は昔から睨んでいた。

 というのは、T岡さんと僕が同じ鹿児島の営業所で働いていた頃の話だ。前にも書いたが、当時の会社は本社が茨城にあり(最初は水戸が本社だったが、そのご筑波に移転した。ん、移転?ツクバ?何やらまた心の中からメラメラと燃えるものが…)、当時は管理職がよく本社に呼ばれて1,2週間くらい不在になることがあった。そのときもT岡さんが2週間くらいの予定で本社に呼ばれていて、夜9時くらいだったか、事務所には僕と事務員の女の子だけがいた。電話が鳴って事務の子が取った。二言三言話したあと、その子は半分笑いながら受話器を僕に渡した。「ノリ君からです。○○君(僕の本名)いますか、っていってますけど」と言いながら。ノリ君が、オレに何の用だろうと怪訝に思い、電話を代わった。「もしもし、ノリ君、どうした?」「あ、○○クン(おいおい、いくら父親の部下だといっても、僕ははるかに年上だぞ)、ファミコンが写らんでこまっちょるとよ。付けにきて」「はぁ?」「ファミコン、困ってるから、じゃあね」

 僕は当時まだ平社員だったか、もしかしたら主任だったかもしれない。電話がかかってきたのは、一応僕のメインの業務の終わった夜9時過ぎ。これからあとは、営業社員の最終連絡を受けて、それを本社に電話ないしファックスして終わるという、まあ、暇といえば暇な時間帯である。しかし、いくら上司の子供の依頼でも勤務中に職場を勝手に離れるわけには行かない。ここは父親で上司であるT岡さんにバシッと言ってもらおうと思い、本社に電話した。「お疲れ様です。T岡支社長お願いします」「ハイ、T岡です」「実はかくかくしかじかで、ご子息が私に『ファミコン取り付けに来い』といわれるのですが、どのように処理したら…」「あ、そうね、うん、行ってやって」「いや、しかし、まだ仕事が」「もう最終だけやろ。鹿児島にかけて誰も出なかったら宮崎に最終が入るから、お前は居なくても大丈夫じゃが」

 この後も僕は、公私の区別は付けるべきではないか、とか、なんでオレがいちいちファミコンの取り付けに行かなくちゃ行けないのかということを、礼を尽くして話したと思う。いや、話したはずだ。しかし、常日頃からT岡さんの家に晩飯をゴチになりに行くことも多かったし、まあいろいろお世話になっているからと思い直し、車をT岡さんの家に向けて走らせた。家についてセッティングをしたが、当時はまだ同軸ケーブルが珍しく、チャンネル調整が上手くいかない。最初は応援してくれたノリ君もだんだん表情が変わってきて、いかにもこいつは使えないというような顔つきに変わっていった。数十分悪戦苦闘したが上手く写らず、奥さんからも「もういいですよ、我慢させますから」と言われ、己の無力感を感じながら帰ろうとしたそのとき、もう1台のテレビが目に入った。アンテナ線を見るとフィーダー式だ。「あ、これだったらすぐ取り付けできます」と僕は叫んだ。

 3分後にはファミコンに夢中になってるノリ君の姿があった。どうだ、やったぞ、と思いつつ、当然お礼の言葉が返ってくるものと思っていたが、ノリ君は僕のほうを一切見向きもしない。「じゃ、私はもう帰りますから」というとチラとこっちを見てバイバイと手を振った。いや、こいつは将来大物にナルだろうと思いながら僕は桜島の灰が舞う夜の道を武町に向かって車を走らせたのだ。

 てなこともあったな。このメールのおかげで昔むかしの会社員時代の面白話思い出したので、それはまた改めて書いていきます。続いて僕を喜ばせてくれたメールは、あ、いかん、もう零時回ってるではないか。夜更かしするとアホになるので、今日はこっでしみゃー(今日はこれでおしまい、という意味の諸県弁でした)。

いや、そんなこと言われても…

20090522184549
ケーンジ君、あっそびましょ、という声が聞こえてきそうだ。

嬉しいメールのお話 たぶんその1

 どうしようか、止めとこうかとためらいがあったのだが、とりあえず書いてしまう。太田竜が亡くなった。えーと、太田竜といっても、誰ですかという声が聞こえてきそうだが、一時期は「世界革命浪人」とか「ゲバリスタ」などという、なんというのか肩書きでもない、キャッチコピーとでもいえばいいのか、代名詞なんて言い方がいいのかな、よく分からんがある意味で一世を風靡した人ではあった(ま、カタギの人にはあまり関係ない)。僕は個人的には全然関心はなかったが、まあ、蛇の道はヘビというか、その手のハナシのときに名前が挙がったりしたことはあった。もっともある時から、「人類独裁の打倒によるゴキブリの解放・ネズミの解放・ミミズの解放を!」などといい始めて、呉智英あたりから激しくおちょくられたりしていた。

 しかし3バカゲバリスタなどと言われていたが、竹中労も消えて、太田竜も亡くなった今、平岡正明はどんな気持ちでいるだろうか。この前読んだ「昭和マンガ家伝説」はなかなか面白かったので、マンガについて何か書くときはネタにしようと思っている。などといったハナシは、もうほとんどの人が関心もなく、おそらくこの部分に反応するのは拙ブログの常連のあの人とあの人くらいだろう。

 というような、わけの分からないイントロでしたが、このところ仕事が忙しくてエントリーもゆっくり書けなかった。先週末から今週半ばにかけて、結構話の種になるようなことも多かったのだが、落着いてキーボードに向かう暇がなかったのだ。それと、その間嬉しいメールを何通か頂いて、その返事を書いたり、返事は書いてないけど下書きをちょこちょこ書いたりして、はっと気がつくと零時をとっくに回っているなんて日が続いた。それで、今日のエントリーはここ最近の嬉しかったメールを紹介しつつ近況報告をするか、ということになりました。

 最初に紹介するのは僕が最初に入った会社の上司で、学生気分の抜けない僕を叱咤激励しなんとかシホン主義社会に適応できるよう鍛えてくれた人だ。ずいぶん以前に一度エントリーに書いたこともある。苗字がちょっと珍しくT岡さんという(これじゃわかんねーだろ、って)。当時の会社は結構スパルタで朝早くから夜遅くまで営業、それもグループセールスなどという、原始的な営業方法をとっていたので、それまで乳母日傘で育ってきた僕には見るものも聞くものも全て驚きの連続であった。それでも、毎朝「ハイオアシスをはっきり言おう!!『ハイッ』、『イイエッ』、『おはようございます』、『ありがとうございます』、『失礼します』、『すいませんでした』」などと絶叫したものだ。ちなみに二重カギカッコのところは全員で声を揃えて叫ぶのだ(この挨拶があまりに声が大きかったため、当時のテナントビルの隣の会社のジジィが怒鳴り込んできたことがあった。いわく「オレは文筆業だから、お前らの大声聞くと筆が止まるっ!!」。聞いたこちらは「ふざけるな、こちとら花の営業だから、朝から気合いれねーとダメなんだよ」などとは言わず、素直にごめんなさいしたのも懐かしい)。

 去年の暮れに、その当時の会社のメンバーが毎年キャンプしているのを知り、初めて参加したのだが、その際にT岡さん(本人は参加してなかった)のPCのアドレスを、誰かから教えてもらい、メールしたのだがそれっきりになっていた。ところが先日、地元紙を読んでいたらT岡という名前が飛び込んできて、「ん」と思って見ると、T岡さんのご長男のことが書いてあった。え、あの小さかったノリ君がもう30歳か、とびっくりして読むと、なにやら作文が表彰されたようなことが書いてあった。T岡さんの携帯と僕の携帯が同じ会社なので、すぐおめでとうメールを送った。打ち返しはなかったが、数日後こんなメールが届いた。

お疲れ様です。
drac-ob君も元気でバリバリ?頑張っている様子で、何よりです。
O君より風の便りは届いていましたが、いつぞや最初メール
貰った時は、古い初期iMacのキーボード不具合(故障)で返信
不可で今日に至ってしまいました。仕方なく、買い替えた次第
です。

先日携帯にメール貰う前に、drac-ob君を彷佛させる出来事が起き
ました。忌野清志郎氏の訃報です。周知の通りだと思います。
飲みに行って酔うと、声を張り上げて忌野清志郎の歌をいつも
歌っていたdrac-ob君の姿が、つい先日の様に目に浮かびます。
drac-ob君の青春時代だよなぁ。きっと、drac-ob君は落ち込んでいる
だろうな。と思いながら、励ましメールでも打とうかと、過日
下書きメール文を用意・保存していたら、先日「新聞記事を見
て」とメール貰ったから、落ち込んでいないのだろうかと思い
つつ、本日発信します。


 えーと、もうしょうがないのでいつまでも清志郎のことは「なかったこと」にせずに、事実を認めるしかないのだが、しかし、そうですか、僕は若い頃酔っ払ったら清志郎の歌を「声を張り上げて」歌っていたのですか。知らなかった。そうそう、このT岡さんにはサラリーマンのお酒の飲み方とカラオケを教えてもらった。当時、僕はカラオケってやつが大嫌いだった。なぜかと言うと歌える歌が無いというのが一番の理由で、二番目は歌が下手だからだ(謙遜だよ、謙遜、上手くはないが味があるとよく言われたもんだ、え、それは「お世辞」ってもんですか、ハイ、すいませんでした)。で、カラオケなんだが、当時というと80年代初めですが、カラオケはまだ8トラ(今の若いのは知ってるかな、馬鹿でかいカセットテープみたいなやつだ)の時代で、画面に文字は出てこず、歌詞の書いてある本(歌本なんていってたかな、あ、それは今も同じか)、を右手に、左手にマイクを持ってオヤジが演歌をうなるなんてのがほとんどだった。

 僕は演歌が全然ダメで、もちろんカラオケなどというものは音楽とは関係ないオヤジのおもちゃだという認識でいたから、会社に入って誰もが歌わされるのを見て「ふざけんじゃねーよ」と毎回思っていた。しかし、同年代の連中は口ではなんだかんだ言いながら、結構上手く歌うのだ。ニック・ニューサを十八番にしているやつもいたな。ところで、僕は演歌全然歌えないので、無伴奏でビートルズナンバーをがなったりしていた。スナックなどでは、他の客から顰蹙をかっていたもんだ。そうそう、最初の年の社員旅行のバスでもみんなが演歌を歌うので頭にきて、社長が同じバスに乗っているのも忘れてINUの「おっさんとおばはん」を絶叫してしまった。♪地下鉄の中で滅茶苦茶腹立つおっさんとおばはん 後生大事に己の手足を愛おしげにヨタヨタ いつまでたってもおまえのアソコのスレイプ そんなん言うても兄ちゃん 俺何も悪いことしてへんやんけ こない見えてもな嫌や子供に不自由させてへんのじゃ ハハハ おまえらと一緒にすな、このたにし! すべてが終わった後で何が残るか俺は知らない×2 俺はおまえを正確にやる×4。

 バスから降りるなり社長から「今の歌はなんだ、みんなが楽しもうとしている社員旅行で歌う歌か!!」と怒られた。パンクスの怒りを理解できない、頭の不自由なジジィだと思ったが、首になると困るので一応反省のポーズをとった。

 あらあら、ハナシはまだ全然始まらないのに、ヒアカムザスイマー様です。すまん、続きは必ず書くので今日はここまで。そうそう予告編を貼っておきます。



I FOUND OUT!

20090519131319
アミーロードにはアミダ市があった。毎月第4日曜らしい。ありがたや、ありがたや。仏滅、仏滅って怪僧野ざらしかっ!

このセンセもしつこいが僕もいい加減しつこい性格なのだ

 やはり出てきたか、これも「自作自演のシナリオ」どおりなんでしょうか、センセ?

2009年05月17日
 次期衆院選への不出馬を表明している中山成彬前国交相(65)=自民、宮崎1区=は16日、支持者グループから立候補を求める署名を受け取った。
 中山氏は「これだけの方々の声があるのに出ませんとは言えない」と述べ、不出馬の意向を撤回する可能性を示唆した。
 党県連が中山氏の不出馬表明を受けて既に候補予定者を選出していることについては「悩ましい。私が出ないと言って始まったことなので県連に迷惑をかけることになる。熟慮しながらいろんな方と相談したい」とした。(MIYAZICHI E PRESSより引用)


 今朝の宮崎日日新聞によると、中山氏に立候補を求める「宮崎を守る会勝手連合会」から約二万一千人分の署名を受け取り『国交相就任直後に辞任し、県民の期待を裏切った私について、一人一人説得しながら署名を集めたのは大変だったと思う。重く受け止めている』。さらに『選挙はもうしばらく先になると思う。どういう形で出馬できるのか、いろいろと考えてみたい』と言い、来年の参院選の立候補は考えていない』と否定した。

 ふーん、少しは反省しているのかなと思って読んでいたら、『どういう形で出馬できるのか、いろいろと考えてみたい』だって、もう出る気満々ですがな。君子は豹変すというのはそういう意味じゃないと思うのだが。しかし、以前も書いた勝手連、侮れません。何時の間に二万一千人も署名を集めたんだろう。なんだかきな臭い時代になりつつありますが、心ある宮崎県民は負けないぞ。てか、今日はこんな鬱陶しいハナシを書くつもりじゃなかったのに。なんだか気が重くなってきたので、本読んで寝ます。

アビーロードと違うんか~い!?

20090515191155
毎度まいどのライフタイムのライブに行く途中で発見。アミーとは何だろう。気になってならない。

言論の自由っていうけど、あきれてものがいえない!!

 民主党の小沢代表辞任について、本日宮崎日日新聞に載っていたコメント。中山成彬議員(宮崎1区)は「辞任が政権交代にプラスかマイナスかで論ずるような問題ではなく、あまりにも国民を愚弄している」と指摘。「第一秘書が逮捕された時点で、代表ばかりではなく議員そのものを辞めるべきだった」と厳しく批判した。

 せっかくなれた大臣職を5日で放棄するのは「あまりにも国民を愚弄している」のではないだろうか。他人に厳しく、自分に甘い、正しく今の時代を象徴するオッサンです。

グダグダ日記

酒泉の杜のレストラン、ここでは食事してません

 こういうのを連休癖がついたというのだろうか。今日は連休後初めての日曜日だったが、いつものように朝寝坊せずにちゃんとテレビのサンデー・モーニングを見た。そのままぼんやり続けてテレビを見ていたら、JAY WALKのボーカルが長崎の軍艦島を旅する番組をやっていた。これは九州ローカルの番組なので、九州以外の人は見られない。こういうのを見ているとすぐどこかに行きたくなり、そのまま「田舎に泊ろう」(これも宮崎は日曜の午前中に2,3ヶ月遅れの放送をしております。文化の二重構造はイカンな)を見ているうちに僕自身もどこかに行きたくなった。

 母の日なので実家の母をどこかに連れて行くという口実で出かけようとしたが、母は昨日遠出したので外出はしたくないという。こういうときに役に立つ出たがりの下の子は部活でいない。配偶者は最初こそ乗り気だったが、ガソリン代がまた上るというニュースを見てなんだか雲行きが怪しくなった。上の子は昔使っていたゲームボーイアドバンスの充電器が壊れたから、それを買いに連れて行けという。早い話がでんでんまとまらん。オレが、この出不精のオレが(余談ですが「出不精」という単語を聞くと「デブ症」と脳内変換してしまい、いきなり人間がデブになる病気だと思ったことはありませんか?僕はあります。いや、それだけの話ですが)、連休も終わったというのに、どこかに連れて行こうかというのに、賛成する家族はおらんのか。ああ、虞や虞や、汝をいかんせん、と何故か項羽と化してしまうのであった。

 結局、妥協案としてとりあえず昼飯を食べに出る。その後ゲームの充電器を買いに家電屋に行き、その後でどこにいくか検討するということになった。下の子をのぞいた家族3人で、毎度まいどの風来軒に行き、とんこつラーメンを食べた。僕が良く行くのは直営店で、ここは胡椒が本物で、木製の容器に入っており、それをぐるぐる回すと胡椒の粒が細かくフンサイされて丼の上にサンプされる。引き立ての胡椒は香りも味も良くて、こってりしたラーメンによく合うのだ。富士には月見草が似合うのと同じである(by ダザイ治ちゃん)。が、しかし、今日、そのお店にいったら胡椒はブリキの缶に入ったものが置いてあった。どこのラーメン屋にも置いてある、あの胴体に「A」という赤い文字が書いてある奴だ。

 あのラーメン屋においてある胡椒の缶には何故「A」と書いてあるんだろう。ある時、先輩のT原さんが、北白川の天下一品でラーメンを食べているときにつぶやいたことがあった。僕はとっさに「アート・ペッパーだからや!!」と答えた。T原さんは深く頷いて「そうか、アート・ペッパーか、じゃそのうちアルト・サックスを吹きだすな」と答えた。確か79年の京都の冬のことだ。いや、今ふと思い出した話です。そんな話はどうでもいいが、楽しみにしていた胡椒が明らかにランクダウンしていたので、ちょっと気分は面白くなかったが、まあ大の大人がたかが胡椒で拗ねるのもなんだから、我慢した。

 腹ごしらえもして、上の子が探していたゲーム機の充電器も大手家電店で無事購入し、さあそれではどこかに行こうかと考えたが、すでに午後1時半を回っている。遠くには行けないので、しばらく行ってない綾の酒泉の杜に行くことにした。日差しはやけに強く、春の日差しではなく、初夏の日差しで遠くを見ると眩しいくらいだ。時間帯が時間帯だったので車も少なく、間もなく綾についた。配偶者が竹炭の石鹸を買いたいといって、売り場を探すが最初はなかなか見つけ切れなかった。というのも、しばらく来ていない間に、売り場が変わっていて、ここの一番の目玉のワイン試飲コーナーがなくなっていたり、チーズや乳製品、地元で作ったハムやチーズなどの売り場も変わっていたのだ。

 ああ、不況は嫌だ。以前は樽に入ったワインを好きなだけ試飲できたのに、もうそういう大盤振る舞いはしないのだ。世知辛い世の中になったもんだ。などと心の中で愚痴をこぼしながら、それでも配偶者や上の子が嬉しそうに買い物するのをナニゲニ眺めていた。ぼんやりお店でたたずんでいたら、上の子がシビアな顔してやってきた。「お父さん、ヤバイ。今日母の日っていうのを忘れていた。何かお母さんに買ってやらんとまた怒るよ。最近すぐに怒るから…」などという。それはトシのせいだ、人間トシ取ると怒りっぽくなるからしょうがない、と思ったがせっかく我が子が配偶者のためにプレゼントを買うと言ってるんだし、それでテキの機嫌がよくなるんであれば無事これ名馬では無いか(なんかよく分かりませんが)。

 ということで、上の子がハンカチや何やらを選んでいたので、適当に「あ、これがいい」「あ、こういうのもええんちゃうか」などといってたら、子供から真剣に怒られた。いわく、ココロがこもっていない。悪かったな、どうせオラァ、人の気持ちが分からない男だ、などとひねくれていたら完全にスルーされた。そうこうするうちに、買い物も落着きそれじゃぼちぼち帰るかということになったそのとき、僕はあることを思い出した。この酒泉の杜のスポンサーである焼酎メーカーの試飲コーナーが入り口近くの売店にあったはずだ。母子二人はソフトクリームを食べるといってたので、そうか、じゃちょっとトイレに行ってくるとウソも方便を使い、そのコーナーに行ってビックリ。焼酎の試飲コーナーは勿論、ちゃんとワインの試飲コーナーもありました。
今気がついたけど、なんだか虹みたいなのが写ってます

 いやー、人間疑ったらイカンな、などと30分前とはコロッと態度が変わり、ワインの樽に向かったら、やたら同じ服を着た老人のグループがいた。なにやら聞き取りにくい言葉が飛び交っていたので、どこの方言だろうと耳を澄ませていたら、国内ではなくアジア、それもこないだオリンピックのあった国の人たちであった。マオツートンマンセー、とでも喚いてやろうかと思ったが、どうもそういう雰囲気ではない。やたら殺気立ってるのだ。よく見てみると試飲用のワインのコップを両手で持ち、次々と飲みまくっている人の多いこと、多いこと。なんぼタダでもちったぁ遠慮しろといいたくなるほどの傍若無人ぶり。1つの樽などは完全に飲み干してしまい、店の人が慌てて追加に来た。しかし、旅の恥はかき捨てとはいうものの、かっては仁義礼智忠信孝悌(ご存知里見八犬伝)の国だったろうが、渇しても盗泉の水は飲まずの国だったろうが、やはり華国鋒が小平を復活させたのが大きな間違いだったんじゃないか、コノヤロー、などと最後はどうだかわからないが、ココロのそこから怒りと嫌悪感があふれ、試飲のワインは2口しか飲めなかった。

 などという前ふりで、実は連休中に行った美々津の写真をアップして、その時の話を書くつもりだったが、昨日は試飲したワインが効いたのか9時過ぎには寝てしまい、今日月曜日に続きを書いたら、何を書くつもりか忘れてしまっていた。どうにも中途半端だぜ。ま、次のエントリーを期待してください。

こんな話ばっかりじゃ嫌になってしまうけど

 宮腰太郎氏が亡くなられた。えっ!と驚く人がどのくらいいるか想像がつかないが、もしいるとしたら、相当なラジオファンだろう。かの長寿番組「小沢昭一の小沢昭一的こころ」の台本を長きに渡って担当していた人だ。小沢昭一の番組に出てくる宮坂お父さんはこの宮腰太郎さん自身では無いかと長年思っていたがどうなんだろう。そういえば藤本義一の「聞き捨て御免」じゃなかった「ここがおかしい」もいつの間にか終了していた。調べてみたら今年の3月で打ち切りになったようです。なんだか個性的なラジオ番組が消えていくなぁ。あ、「小沢昭一的こころ」が終わるというわけではないと思いますが、番組のカラーが少し変わるかな。ま、考えてみれば、あの番組は僕が高校生の頃からやってるからかれこれ30年以上はやってるわけだ。それを思うと、そう簡単に変わることも無いか。

 この連休中に新藤兼人の「三文役者の死 正伝 殿山泰司」を読んだ。永遠の三文役者に対する愛情がひしひしと感じられる本だった。しかし、タイチャンという人はどうしようもない人だったけど、ああいう人こそが天国(もしあればね)に行けるんだろう。

 ええとこのあと、しょうもないヨタ話を続けるつもりでしたが、何故か5月2日にあった出来事を思い出してしまい、あれはなかったことにしてしまうつもりだったけど、どうにも生々しいニュースが多くて気持ちが乗ってきません。今日は、宮腰さんのHP小沢昭一的こころのHPをリンクして終わります。良かったらのぞいてみてください。今、Wikiで調べたら、「宮坂お父さん」は宮腰さんの「宮」と番組プロデューサーの坂本さんの「坂」を取って付けたそうだ。一つ謎が解けた。

 それと、長年思い込んでいた間違いシリーズ(そんな企画があったっけ?)で、書こうと思っていたのだが、僕はずいぶん小さい頃から「オウド色」というのを「オウドウ色」と思い込んでいて、「オウド色」=「黄土色」という認識がなく、何故か黄銅色という漢字も勝手に思い込んでいた。いや、どうでもいい話なんだけど…。

みやざき国際ストリート音楽祭にまつわる2,3のエピソード

 去年より人出が少なかったような気がした。天気がはっきりしなかったのと、風がやや冷たかったせいだろうか。それともオープニングで自衛隊のジェットが飛ぶというセレモニーが予定されていたので、反戦市民が総決起して音楽祭ボイコットの抗議行動を取ったのだろうか。んなこたぁ無い罠。何の話かというと昨日中途半端に終わったみやざき国際ストリート音楽祭のレポートをまとめようとしているのだ。連休最終日の今日は、どこにも出かけずのんびりじっくり家で静養しようと当初から考えていたので、しばしお付き合い願いたい。
天気が心配だったけどやはりぱらついた
 最初に触れたように、今年はオープニングセレモニーで自衛隊のジェット戦闘機が会場の上空(いちおう宮崎のメインストリート、ね)を低空飛行するということで、そうとう五月蝿いのではないかと思い、開場時間の午後1時半は自宅にいた。別段たいした音はしなかったが、映像的には結構盛り上がったようだ。石原彩というシンガーがMCでそのことを話していたが、「落ちてきたらどうしよう、って、あ、フキンシンですよね。私、妄想族なんです」などといってた。おっと、話が先に行き過ぎた。

 今年のストリート音楽祭の目玉というか、僕が見たかったグループはトシ・ナガイのグループ(去年、このグループに宮里陽太がゲスト出演していたのだ)、宮里陽太グループ(なんと中学卒業したばかりのプロドラマーが入ったらしい)、池田芳雄グループの3つで後は現地で適当に面白そうなバンドを探すつもりでいた。トシ・ナガイのグループは16時開演だったので、その1時間前には家を出た。歩いて大淀大橋を渡ると、道路を封鎖している光景が見えてきた。あ、いや単なる歩行者天国なんですが、携帯からのエントリーにも書いたように、どうもこういう光景は昔から大好きで、燃えて来るんだよな。頭の中を「タナベー、フンサイ、トーソーショーリ」などというシュプレヒコールがエンドレスに流れた。

 会場に入り、あちこち眺めるのだがどうも人出が少ないような気がする。主催者側発表では4万5千人の来場者がいて、昨年より5千人増えたなどといっておったが、この手の主催者側発表というのは大抵実数の3~5倍くらいに水増ししているから、ってそりゃナントカ反対同盟とかその手のイベントだろ、と一人で寂しく突っ込まざるを得ない雰囲気でした。何が違うのかと考えていたら、去年は出店がもっと沢山出ていたような気がしたし、道路のあちこちにアマチュアミュージシャンが弾き語りしていたり、椅子とテーブルが出ていて簡易喫茶店みたいなものが結構あったけど、今年はそういうものが見当たらなかった。単に僕が見つけ切れなかっただけかもしれないが。
トシ・ナガイグループ
 県庁の楠並木の前には「はたらく車大集合」というテーマで白バイや工事車両などが出ていて小さい子供さんを連れた親子が楽しそうに乗り物に乗って記念写真なんかを撮っていた。若い頃であれば、これはK察権力を正義の味方として刷り込む国家的な陰謀に違いない、国営ボーリョク団は帰れ、などと喚きかねなかったが、いまや温厚が服を着て歩いてると噂される僕だけに軽く舌打ちしただけで、スルーした。いや我ながら大人になったもんだ(どこがだ!)。4,5つくらいのステージをぶらぶら眺めて、1発目のトシ・ナガイのステージから2発目の宮里陽太のステージ、そして池田芳雄のステージまでの距離を確認し、移動に5分もあれば十分と判断し、ようやくあちこちのテント(出店をやってる)を眺める余裕が出来た。

 流石は宮崎だけあって地鶏を焼いてるテントやいろんな飲み物や食べ物を売ってるテントが出ていた。そのなかに何とかチャリティというのぼりが出ているものがあった。なんだなんだと野次馬精神で近寄ると、焼酎チャリティなどと書いてある。趣旨を読むと、焼酎を買うと全額そのお金がチャリティに回る、黒霧島ロック、水割り共に100円と書いてあるではないか。義を見てせざるは勇なきなり、という言葉が脳裏を走った(違うかっ!! by ものいい)。ためらうまもなく黒霧のロックを手にした僕がいた。その横のテントでは「アーイムヨウビーナス、アーイムヨウファイア~」などと「ヴィーナス」が聞こえる。今、プログラムで確認したら「座・今一歩」というバンドだったようだ。名は体を表すとはこのことだろう。コメントは省略。

 ふにゃふにゃのコップを持ってCステージに行くと、石原彩が歌っていた。僕はよく知らないのだが地元出身のシンガーでラジオの番組も持っているらしい。青のギターが印象的だった。ラストの曲が終わり、ステージの入れ替えが行われその間に椅子を確保して座った。Y尾君ともなんとか合流した。MCのアナウンスを聞くと、トシ・ナガイのグループは男ばかりの4人で楽器はドラムのみだという。ドラムは場所を取る楽器なのでステージには2セットしか置けず、あとの2セットはステージ前の床に設置された。空がだんだん暗くなり、ドラムのセットが終わる頃にはぽつぽつ雨が落ちてきた。トシも雨を気にしていたが「僕たちも雨の中演奏するので、ぬれてもいい人は是非最後までお付き合いください」とコメント。あ、その前に「全員男と紹介されましたが、前列向かって右側は女性です」と、確かに華奢な感じの女の子がいた。
この二人がドラムスクールの生徒
 ドラム4台でどんな演奏になるかと思ったが、意外と聴きやすかった。1曲目は全員ドラム叩いたが、2曲目はボイスドラムというのか、口ドラム(声ではなくて振動で音を表現するらしいが)をやりながら、片手のスティックでドラムを叩くという離れ業を披露してくれた。あ、このメンバーはトシのドラムの先生だった人と、都城のドラムスクールの生徒2人が参加したセッションで、このライブが初披露だということだった。ラストナンバーはタンバリンが配られて、観客も参加のセッション。大いに楽しめました。トシ・ナガイのステージが終わり、大急ぎでBステージに移動。途中、宮里(父)さんに電話して、大いに楽しみですと伝えた。

 Bステージはまだ別のバンドが演奏中だった。アコースティックギター2本にウッドベース、キーボードに女性ボーカルというスタイル。バンド名も全然知らないし、聞いたことの無い曲をやっていたのでぼんやり眺めていた。ボーカルの女の子がかわいいな、曲調が西岡恭造みたいで、多分これは影響受けてるだろうな、リードギターはサウスポーで髪形はブライアン・メイみたいだな、などとあまり注目してみていなかったのだが、ラストのメンバー紹介で驚いた。「…ボーカル、小野真弓…」、え、小野真弓って初めての某サラ金のCMの、あの壁男の映画に出ていた小野真弓か。と、気を取り直してしっかり見たら、うん確かに小野真弓でした。ボーカルは、あえてコメントなし。ただ尾崎亜美のプロデュースでCD出してるらしい。
あれ、あの女の子はもしかしたら…
 メンバーの紹介で初めて分かったのだが、ギターの為五郎は宮崎出身のプロミュージシャンを組織しているMMTPのリーダーで、他のメンバーもそこそこ有名なプロだったようで。しかし、こういうスペシャルバンドが出ているんだったら、もっとPRすればいいのに。くどいけど、小野真弓が出てるのを知ったのは、多分このステージ見ていた100人くらいじゃないだろうか。そうそう、話は前後するが、この会場に着いたばかりでうろうろしていたらM原さんに会った。16時50分からは宮里陽太っていう生きのいいサックス吹きが出ますよと話したら、いやその時間は日本の若いレイ・チャールズのステージがあるからそっちを見るといわれた。

 で、いよいよお待ち兼ねの宮里陽太のグループだが、サックス、ベース、キーボード、ドラムの4人編成。ベースとキーボードは鹿児島出身のイケメン。そしてドラムはなんと中学を卒業したばかりの海太郎君。地元紙にも載ったくらいの有名人である。しかし、この先の見えない格差社会の、クソッタレ学歴社会の中で、中学卒業と同時にプロのドラマーになるというのは、見上げた根性である。この子も小林出身だ。何故に小林出身のジャズミュージシャンは多いのか、謎である。僕は水のせいではないかと睨んでいるが、まだ確証は無い。
初めてのア○ム、歌わないかな
 オープニングはソプラノサックスで始まった。いい音色だ。バックの音は心なしか控えめ。途中アンプの調子が悪かったのか、ベースのところにスタッフが駆け寄る。陽太もちょっと顔色が曇ったような感じ。そういえば、雨が降ったせいでステージにテントがかけられていて、何となく窮屈だった。音も、最初はやや窮屈だったけど、これはPAに雨がかからないようにブルーシートをかぶせており、そのせいで音の広がりがなかったからだ。ブルーシートを取ってからは、空間に音が広がり格段によくなった。ただ残念だったのは、お隣のAステージで木下航志のステージがあり、さっきM原さんが日本のレイ・チャールズ(日本のスティービー・ワンダーの間違いだと思うが、なにせ相手は高校の先輩なので逆らえないのだ)といった彼のステージだが、エレピの音もボーカルの音も物凄くでかくてこちらのステージにもビンビン響くのだ。陽太のステージが無ければ聞いてみたい音楽だったが、こちらは久しぶりにサックスの音色を堪能しようと思っていたのに、やや残念でした。
いよいよ宮里陽太のグループ登場
 それと海太郎のドラムだが、ありゃ天才だな。最初はバッキングに徹していたが、ソロになってクリビツテンギョウ。とても10代の少年のドラムと思えない、いやプロのドラムとしても凄まじいものがありました。若いのに何故かフレージングにアート・ブレイキーを感じたのはオレだけだろうか。これからが本当に楽しみなミュージシャンです。しかし、宮里陽太のグループは40分じゃ物足りない。近いうちにライフタイムに来て、ガンガンやってくれ。

 宮里陽太グループの演奏の後、宮里(父)さんと話でもしようと思ったが、時計を見ると17時回っている。いかん、池田芳雄グループを見にイカネバの娘と化しGステージに走った。こちらはピアノの大西さんとのデュオで綺麗な音色を出していた。行ったら演奏は始まっていて、「ミッシェル」をやっていた。聞きほれていたら携帯がなり、見ると宮里(父)さんからだった。人の渦から離れて話をしていたら、目の前にH高社長が誰かと熱心に話をしていた。いつもいつも素晴らしいライブを企画してくれる先輩なので、当然挨拶したらいきなり「おう、オレのところにも来てくれよ」と言われ、訳のわからないままH高時計本店の屋上に連れて行かれた。話をしていた人も一緒だ。
すごいソロでした、写真がブレてしまうくらい
 イベントの打ち上げやパーティによく使われる屋上だが、今回ばかりはちょっとびびった。H高社長と話をしていたのは宮里(父)さんと同級生というジャズ好きな人だった。なんだかよく分からないまま、来てしまったがそこは立山周平氏という宮崎在住の高名な日本画家のパーティのようで、参加者は皆さんハイソなお方ばかり。そこで初対面のジャズ好きの人と延々と音楽の話をしたのだが、いやー不思議な体験でした。話し相手になってくれた人も用があるからと帰られて、慌てた僕はY尾君に電話するが彼はライブに夢中なようで全然つながらない。こりゃ困ったどうしようとあせっていたら、なんと宮里さんたちが一家で来られた。宮里お父さんにライブ終わったばかりの陽太君、そして奥方となんと赤ちゃん。ええー、陽太君奥さん子供いたんだ、とここでもビックリ。

 お二人と少し立ち話をしたのだが、是非近いうちにこの場所でライブをやって欲しいとお願いした。いや、勿論ライフタイムもね。そうこうするうちようやくY尾君から電話が来て、本人も屋上にやって来た。だんだん人数が増えてきて、後ろを見たらM原さんも来てたし、ようやく落着いてワインなどを頂いていたら、どこかで見た顔の人がいた。なんとこの音楽祭の総合プロデューサーの徳永二男氏だ。その周囲には東国原県政を支える副知事、お、あの人は今度の市長選に立候補が噂されるお方では無いか、などといや、我が郷土宮崎の政治・経済を支えるVIPばかり。うーん、元ボーリョク学生は大変居心地が悪い。しかし、これもまた何かの縁だと、しっかりパーティに参加しお歴々のスピーチを拝聴いたしました。いや、衣食足りて礼節を知るとはこのことだな、違うかっ。

 ところで、このパーティの後嬉しいハプニングがあった。なんと先ほどストリートで演奏したばかりの池田さんと大西さんの二人が2階で演奏してくれるとのこと。こりゃ儲けたとさっさと席を確保したが、突発的なイベントだったようで2階は普段のお店のまま。それでも一番見ごたえのある場所を確保し、「荒城の月」や「ムーンリバー」などをじっくり聞かせてもらった。演奏を聴き終えて、Y尾君と二人でお店を出たが何か落着かない。その足でラーメン屋に行って大盛りラーメンを食べてやっと落着いた。しみじみ思う、オレはプロレタリアの子だ、それもルンペンプロレタリアだとつぶやきながら僕たち二人はとぼとぼと帰途についたのであった。ああ、疲れた。
池田さんと大西さんの店内ライブ、ワインが効いてピントが合ってない

びっくりした

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陽太バンドの前にやってたバンドのボーカルが可愛いと思ったら、小野真弓だった。いや、それだけの話ですが。外角高めだが、つい手が出るコースだ。

現地ルポ その3

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トシナガイのライブが終わり、ステージを移動中。いよいよ宮里陽太だ。西岡のぞうさんみたいな演奏しているバンドの次だ。

訂正

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ボランティアではなく、チャリティであった。一杯百円の黒霧島を片手にアマバンのヴィーナスを聞いている。

現地ルポ その2

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通行自由になっている橘通を一回りして、各ステージの場所を確認した。やや天気が悪く、風が冷たいせいか、人手はイマイチ。

パトロール中に焼酎ボランティアなるものを発見。これこそ人民の人民による人民のためのボランティアではないか。全世界のエセボランティア粉砕のため、決して好きではない焼酎ボランティアに全面協力する。

みやざき国際ストリート音楽祭 現地ルポ

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今年もやってくるみ、ではなかった、今年もやってきたストリート音楽祭。写真は歩行者天国の入口をガードするケーサツの人たち。

昔から、白黒カラーのドレスカーやカマボコを見ると燃える体質なのだ。それでは突入開始する。

美々津にやって来た その2

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ふくろあし としかつさん??

しょうりたび、でした。歴史資料館にて。

美々津にやって来た

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午前中の雨も上がり、陽も出て来た。本日は家族サービスで美々津にやってきた。写真は日本海軍発祥の地の記念碑。すぐ隣に神社もある。パンタの人間もどきを歌いたくなった。

昨日は何もなかったことにしよう、永遠に

 今日はお墓参りに行くと決めていた。昨年から、会社のカレンダーが暦どおりになり、日曜・祭日以外の休みは無しという蟹工船か女工哀史かという劣悪労働条件の下で働いているので、連休でもないとお墓参りに行く時間がないのだ。もっとも、僕のほうのお墓だけとか配偶者のほうのお墓だけなら、行けなくは無いが両家分をまとめてとなると、これは単休だとつらい。なんだ、お前は無神論者ではないのか、霊魂なんか信じていないとか、人は死ぬときは一人だなどと豪語していたではないかという突込みが入るかもしれない。確かに僕は宗教的には無神論だろうし、死者の魂なんて信じてはいない。人は死んだら単なるモノになり、その瞬間から存在しなくなる。当たり前のことだ。僕がお墓に行くのは、そこに刻まれている人たちを思い出すことと、今の自分を振り返るために行くのだ。昨日、清志郎が亡くなった。忘れよう、無かったことにしようと思いながらも、車の中ではRCの『ラプソディ ネイキッド』をずっとかけてしまった。途中で配偶者が悲しくなるから切れといわれたが無視してずっと流していた。

 朝10時くらいに僕の祖父母と父と弟の名前が刻まれている墓石の前に、花を供え、水を替え、線香を上げた。それから車で1時間ちょっとかかる配偶者のほうのお墓にも行った。どちらも誰かがお参りしたようで、線香を上げたあとがあった。久しぶりに走る国道は連休のせいか、いつもより車が多く流れがよくなかった。途中で警察が出ていてシートベルトをつけていない車の前に突然旗を振り下ろし、奥の公民館に誘導していた。陰に隠れてこそこそやる連中だ。ゼッタイに捕まらないぞと思った。こう見えてもちゃんと税金払っているんだ(って、いう歌詞があったなぁ)。

 この連休のスケジュールは珍しく決めていた。3日はお墓参りに家族で出かける。4日は家族サービスを兼ねたドライブで美々津という古い町並みが残っている町に行く。5日はみやざき国際ストリート音楽祭に行く。6日はゆっくり体を休める。そう、そしてその4日間の間に普段忙しくて読めなかった本と聞いてなかったCDをまとめて聞くつもりだった。連休用に買った本は椎名誠の「銀座のカラス」と小林信彦の「日本橋バビロン」そして新藤兼人の「三文役者の死」だった。よせばいいのに「三文役者の死」から読み始めてしまった。冒頭に殿山泰司が入院していた病院で亡くなるところの描写が入る。清志郎を思い出して、続けて読むのがつらくなった。他の本にしようと思い、PCの置いてある机を整理していたら1冊の読みかけの文庫本が出てきた。「瀕死の双六問屋」だった。

 諦めて、RCの、清志郎の思い出話を書いていこうと思う。

 変てこな音だな、と思った。今考えればカズーの音が珍しかったんだろう。それとメロディがなんとも不思議で、そしてそれ以上に印象に残ったのは歌のタイトルと歌詞だった。「僕の好きな先生」を始めて聞いたのは確か中3だったと思う。あーるしーさくせしょん、という覚えにくい名前のグループだった。当時定期的に購入していたガッツという音楽雑誌に「ある日作成しよう」という言葉をもじってつけたグループ名だと書いてあった。この雑誌は「帰り道」を歌った泉谷を青森出身で集団就職で東京に出てきて、入った工場での体験を歌にしたなどというエピソードを得意げに書いていた。どちらも大嘘というか、ミュージシャンサイドのチープ・トリックだったのだが。

 「僕の好きな先生」は不思議に印象に残る歌だった。いや日本語は正確に使おう。歌と演奏だった。当時、フォーク・ブームの真っ最中で変わった名前のグループがいろいろ出てきており、僕のRCに対する認識もそういうグループのワンオブゼンだと思っていた。ラジオで「泥だらけの海」や他の曲を聞いた記憶があるが、ラジオの受信状態の悪さもあって特に印象に残らなかった。唯一「キミかわいいね」だけが、印象に残っていた。そりゃ他のフォーク・シンガー達が愛だの同棲だの歌ってるなかで「キミかわいいね、でもそれだけだね」というフレーズはあまりにも毒気が強いだろう。



 この中学・高校時代にアルバムを通して聞いていたらどんな感想を持っただろうか。僕自身ちょっと気になるところである。しかし僕はアメリカやイギリスのロックのレコードばかり聞いており、たまに聞くフォークは岡林、拓郎、陽水といったところで、もちろんお金を払って買うことはせず、友人から借りて聞いていたのだ。だから僕にとってのRCとは単なる一発屋でしかなかった。

 そのRCの名前を再び聞くのは79年。それも行きつけのライブハウス、サーカス&サーカスのブッキングと音響をやっていたO釜さんからだった。「おい、○○(僕の名前)。お前この前来たRC見逃したやろ。あほやな~。物凄かったでぇ。清志郎はデビッド・ボウイや」。といきなりいわれて、僕は♪タバコをすいな~がらいつでもつまらなそうに~とそれこそつまらなそうに歌っていた清志郎を連想して、その清志郎が『ロウ』や『ヒーローズ』を出したデビッド・ボウイといわれて全然イメージが湧かなかった。そのイメージは翌年『ラプソディ』というアルバムで大いに納得させられた。

 この類まれなライブ・アルバムは当時の僕のサークルのロック好きな連中をノックアウトした。当時1回生で入ってきたS堂君などはいつも手に持っていて、誰かのアパートで酒盛りだというと必ず持参してきた。「ボスしけてるぜ」や「ブンブンブン」、「雨あがりの夜空に」なんかは必ず一緒に歌い、まあそれが歌うというよりはがなるといったほうが正解な騒音で、近隣の住民に大変迷惑をかけていた。僕は、大学生活からドロップアウトして地元に帰ろうとしていた時期で、気弱になりかけたときは必ずといっていいほどRCを聞いて自分を鼓舞していた。

 だめです。もう少し冷静に書けるかなと思っていたけど、清志郎に関連したいろいろなことが頭の中をぐるぐる回り、整理がつきません。泉谷じゃないけど、やっぱり認めたくない。当面、RCと清志郎に関する話は書きません、書けません。



ロックの死んだ日

 忌野清志郎が死んだ。明日から5月の連休が始まるので、今日のエントリーにはそのことを書こうと思っていたのだが、さっきシャワーを浴びてナニゲニYahooのニュースをみたら、衝撃的な記事が飛び込んできた。思わず声に出して叫んでしまった。配偶者もびっくりして「どうして、どうして」と取り乱している。下の子供も部屋から出てきて「清志郎ってあの歌う人、死んだ?」と聞いてきた。詳しい情報を知りたくて、ネットのニュースをあちこち探して、そうだ、キヨシローのHPをブクマしていたと思ってクリックしたが開かない。みんなが殺到してるんだろうか。何度かやったが、「このファイルやディレクトリは存在しません」としか出てこない。削除されたんだろうか。

 とにかく、混乱していて何を書いていいか良く分からない。ついさっきまでの浮かれた気分はどこかに消えて、なんだか何もやりたくないような憂鬱な気分が襲ってきた。しかし、一時はライブに飛び入りしたりして治療は続けているけど、なんとかいい方向に向かいつつあったと思っていたのだが…。清志郎のことを書くには、やはり初期のRCサクセションから始めないといけないと思うが、なんだか胸が一杯で全然キーボードが進まない。しょうがないからYOU TUBEで何かいい映像があればと思って探してみたら、とてつもなく危ないものがあった。消されるかもしれないが連続して貼っておく。こういうことを平気で、本気でやる人だった。ああああああああああああああああああああああああ、合掌。















 ただ、「子供だましのモンキービジネス」をやっているというシビアな目も持った人だった。


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