根が素直じゃないもんで

 ♪道なき道を我武者羅に、手探りで走ってきた今まで、暗くて何も見えなかった、涙で何も見えなかった、何回となく転びよじれ流され頭からつま先まで汚れきってしまった~

 などと頭脳警察の「暗闇の人生」を口ずさんでしまったが、ふと気がつくと今日はblog開設記念日であった。昨日、Purple_Hazeさんの「Blues Power」が2nd Anniversaryのエントリーをアップしていたので、おめでとう米をカキコしたのだが、何のことは無い、翌日は僕のblogの4th Anniversaryであった。思い返せば2006年4月29日に第1回目のエントリーをアップして拙blogはスタートしたのだ。ということで、今日は丸4年目に入る僕のblogと生活を振り返ってみようと思う。多少、暗い話になるかもしれないが、普段が能天気というか脳天気な話ばかりなのでたまにはご愛嬌だろう。

 このblogを始めるきっかけは何度か書いたが、僕の人生上の大きな転機、2005年6月に鬱病を患って(その病名が分かったのはその年の3月1日、それから通院と投薬の生活が始まった)会社で働くことが出来なくなり、病院と自宅療養で鬱々として過ごす中、それでもいつまでも無職・無収入でいられるわけもなく、2005年の11月くらいからお医者さんのOKも出て職安通いを始めたことから始まる。そこで職業訓練を受けながら求職活動を始めることにしたのだが、そのとき選んだ職業訓練が実用ビジネスパソコンでEXCELやWORDの勉強をしながら資格を取り、勿論その間に失業給付を受けて仕事探し(by 高田渡)をしていたのだ。

 会社を辞めてから求職活動を始めるまでの半年くらいは、まさしく毎日が針のむしろで子供たちは学校に行き、配偶者も仕事に行くのだが、何も出来ない僕は朝起きると(鬱病になると朝起きれなくなる。この症状だけをみて「怠け者」だとか「サボり」などといわれるのが一番つらく、その言葉を聞くだけで死にたくなりました。実際、今生きているというのは単に運が良かっただけかもしれません)薬を飲み精神を落着けて、家の掃除や食器洗いなどをしていた。まあ、カッコよく言えばジョン・レノン的ハウスハズバンドですが、あちらは経済的な心配は一切無し、こちらは毎月の支払いややりくりをどうするか、この時期は家計簿などもつけておりましたが、入るお金より出て行くお金が多くて(贅沢なんかしてません。食費に家賃に教育費それから僕の治療費、いやになるくらいお金が出て行くのだ)、つくづく思ったのは無職でもお金がかかるということ。出て行くお金に歯止めは効かず、将来を考えるとお先真っ暗になり、自分が死んだほうが家族のためになるんじゃないかと、連日そういうことしか考えてなかった、まさしく暗闇の人生のど真ん中でした。

 ええと、あまりに暗くなりすぎたので駆け足で進みます。そういう不安定な精神状態も医者の投薬とカウンセリング、家族の協力(大変照れくさいのだが、配偶者もずいぶん心配してくれたし、子供達二人がダメオヤジに対していつも笑いかけてくれ、僕の気持ちをほぐそうと気をつけてくれた。特に上の子はもうある程度僕の病名を知っていただろうし、そのせいで自分の将来がある程度限定されるものになると覚悟していたようだ)のおかげで、なんとか他人と話しても何とかなるくらいに回復し、そこで自分自身のメンタルリハビリテーションも兼ねて、職業訓練校に3ヶ月通うことにした。2006年の1月18日から始まった訓練だが、その間のことを日記に書いている。初日はこんな具合だ。

 職業訓練校入校。ビジネスソフト実務科、1クラス20名のうち男性5名。最年長かと思ったが1歳年長の人がいた(元測量士Yさん)。前の席のI君が話しかけてくる。左隣には元高校教師のK君。本日の教官はF先生。田中真紀子に外見・話し方が似ている。高鍋から1時間かけて通っているとのこと。午前中オリエンテーションで、1分間の自己紹介、1分間の情報収集、1分間の他者紹介というのをやる。僕の自己紹介では、ネットサーフィンの話や当時よく見ていたきっこの日記の話をしたが全く無反応だった。

 この日記は、修了の4月14日までノートにつづった。今振り返ると、この体験がblogを書いてみようという考えにつながったのかもしれない。最初の1ヶ月は事実関係を淡々とメモ書きしただけだが、教室にもなれて人間関係が出来てくると僕の書いている内容も、他人に読ませることは全然想定して無いのに、一人でボケたり突っ込んだりしている。面白いのは鬱病から開放されていくにしたがって日記に書く内容中身ともに変化してきているところだ。もっともこの日記はあくまで個人的につけていたので、ネットでアップできるようなものではない。

 この訓練校では20代30代の若い人たちと一緒に机を並べ、勉強したり休憩時間にお茶を飲みながら雑談したり、一種のコンミューンみたいな経験をした。これは長いこと忘れていた学生時代の感覚に近いものだった。また欝の頃は音楽も聴けず、本も読んでも頭に入らないというか積極的に読みたいという気持ちがなく、惰性で読んでいたためちっとも面白くなかったが、この年の3月くらいからまた積極的に音楽が聴きたくなり、アマゾンで注文したりするようになった。

 その訓練校修了のときに、せっかく縁があって集まった20名(正確には18名。2名中退者が出た)のためにblogを始めるので、みんなで読んでくれとスタートしたのが拙blogなのだ。したがった最初は「人生はさすらい」(キャット・スティーブンスの4枚目のアルバムタイトルから)という名前で、パスワードを設定していた。そこから始まったのだ。それから5月の終わりに高校時代の同級生が東京で自営の仕事をしていて、アルバイトに来ないかと誘われて2ヶ月ほど出稼ぎ状態が続いた。仕事は内勤で体力的には問題なかったが、何しろ花のお江戸なので暇さえあればCDショップ周りをしていた。この時期に購入したCDは長いこと欲しかったが手に入らなくて諦めていたものが多く、そのきっかけをくれた同級生には感謝している。

 その出稼ぎツアーも終わり、同級生も宮崎で仕事を始めることになり、僕も金魚のフンでいっしょにやっていたのだが、僕のblogのエントリーが原因で仲違いしてしまい、仕事もダメになった。要は僕が友人に対する甘えがあったのだろう。友人だからなんでも書いていいという甘えが。もっともその当時は多少感情的にもなったが、今は逆に苦しかったときに助けてもらってありがたかった記憶しかない。

 それから9月、10月と職探しをして、なんとか今の会社にもぐりこんだのだがこれもいつまでどうなるかさっぱり分からない。いや、会社が倒産するか僕がぶっつぶれるか、先のことは誰にもわからないって話だ。もっとも子供や配偶者に借りをつくったままくたばるわけにはいかないので、なんとか生きぬいていくしかない。

 えーと、落ちなしです。こういうぎりぎりの状態からなんとか人並みに喜怒哀楽を取り戻し今に至っています。しかし、僕が鬱病から生還できたことと、今をとりあえず生きていけるのはちょっと大袈裟だけど、このblogで好きなことを書いて、それにレスしてくれる人たちがいて、勿論コメントは書かないけど拍手ボタンを押してくれる人、それと圧倒的多数のただ読んでくれるだけの人たちがいるからです。僕の家族とそれらの皆さん全員に深い感謝を捧げます。

 sawyer先輩、sugarmountain君、THIS BOYさん、guevara129さん、Purple_Hazeさん、黒木燐さん、MM21さん、K平先輩、かくたさん、barrett_hutterさん、akkunさん、zappy君、jazz manさん、イカさん、ズトさん、Goteauxssonさん、walker-brosさん、狸さん、Dahliaさん、佐藤澪ちゃん、もりさん、その他多くの人たちに感謝します。あ、スペシャルサンクストゥでmakiさん、くるみさん、さがゆきさん、さかいはるかさんどうもありがとうございました。皆さんの登場で拙blog大変盛り上がりました。また機会があれば遊びに来てください。こういう根暗な話は滅多にありませんので…。

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まったく油断も隙もありゃしねぇ

また一つ優良書店の閉店、どうなることやら…

 ここ何度か宮崎市内における良心的書店の閉店をエントリーにアップしているが、つい先日もまた、幅広いジャンルの本を揃えている書店が閉店のお知らせを出していた。ここは僕のうろつくエリアとちょっと異なっているので、それほどよく行ったりしなかったのだが、新刊本にしても、ちょっとした専門書なんかもそろえてあり、コンビニで売れ筋の読み捨てマンガや得ろ雑誌などはあまり置いてなく、たとえていえば母子で安心して入れる本屋というイメージだった。

 しかし、マジで宮崎の知は後退しつつある。こんなに本屋がつぶれて(なかには経営戦略上の撤退もあるだろうが、早い話が見捨てられたということだ)大丈夫だろうかと危惧していたら、大丈夫ではなかった。このblogで再三とりあげた、宮崎の恥、中山センセを担ぎ出そうという動きが、ついに始まった。いや、これご本人が裏で糸引いてるような気もするが、はたして真実はいかに。早速、地元の新聞から引用する。

中山氏、不出馬撤回を 支援勝手連が署名活動
2009年04月27日
 次期衆院選に立候補しないことを表明している中山成彬前国交相(65)=自民、宮崎1区=に対し、支援する有志が勝手連を発足させ、立候補を求める署名活動を行っている。
 中山氏が提起した日教組批判など教育問題への姿勢に賛同し、1万人を超える署名を集める考え。同選挙区は党県連が上杉光弘元自治相(67)を公認候補予定者に選出したが、党本部の公認候補は未定となっている。「不出馬撤回」を求める声を受け、中山氏の動向が注目されそうだ。
 署名活動をしているのは、「宮崎を守る会勝手連合会」(岡林八重子会長)。10日に発足し、県内外の自営業者や主婦ら約70人が参加。後援会メンバーも含むが、後援会とは一線を画しているという。


 ネットの記事はこれだけだが、今日の新聞にはさらに詳しく書いてある。以下、引用する。

趣意書では「中山氏に県民代表として国政の場で活躍してほしい」と訴え、これまでに五千人程度の署名が集まったという。五月中旬には一万人分を集め、中山氏に提出したい考え。岡林会長は中山氏の日教組批判に賛同し「道徳をきちんと指導する教育を行ってほしい。これだけの人が日本を憂えているという気持ちを代議士に投げ掛けたい」と話している。
 これに対し、中山氏は「教育改革ができるのはあなたしかいないという声や地元から力のある政治家を求める声があるのは承知している。今のところ特にコメントはできない」と明言をさけている。
 時期衆議院選をめぐっては中山氏が昨年九月、日教組批判や「成田闘争は『ごね得』」などの問題発言の責任を取り、国交相を就任五日後に辞任し、立候補しない意向を表明。党県連は代わりの公認候補予定者として公募制で上杉氏を選んだ。一方、党本部の公認決定は衆院選が近づくまでずれ込む見通しで、中山氏の今後の動向が注視される。


 まあ、しかし、我がポンニチは思想・信条の自由があるから、誰をどのように応援しても構わないが、この勝手連さんたちどういう人たちなんだろう。なんといってもネーミングが凄い。「宮崎を守る会勝手連合会」だって。宮崎の何を守ろうとしているんだろう。それより勝手連合会というのは他にも沢山の会があるんだろうか。僕としてはカルメン・マキを年に1回は必ず呼ぶぞ勝手会とかZEK3早く来いよ勝手会とかパンタが来てもバチは当たらんぞ、八紘一宇なにするものぞ勝手会とか2009型サイバーパンク、リザード来てもちっとも苦しゅうないぞ勝手会などというものを急遽結成したい。どなたか賛同してくれぬか。

 まあ、バカ話はさておき、なんとも胡散臭い話になりつつある衆院選でした。ちなみに今立候補しているのは民主、社民、国民新が推薦している川村氏と共産公認の馬場氏、そしてなんと元ニッチモ&サッチモ、あのグレイト中山大三郎先生(こちらは立派な先生だ)の弟子に当たる平川氏だ。うーん、どうなることやら。

 オマケです。ニッチモ&サッチモの「ケのうた」。「ポクポク子馬」だれかアップしてくれないかな・・・。


ヤングな僕のぽっぷす・なう その3

 もうすぐ5月だというのに、今夜はずいぶん風が冷たく、そして強い。昼間から強い風が吹いてはいたが、それでもお日様が出ている間は結構日差しが強くて寒いなどとは思わなかった。今、23時22分現在、家の中でも長袖のTシャツだけでは寒くて、トレーナーを引っ張り出して着込んだりした。なんだか変てこな気候だ。などと、時節の挨拶みたいなことを書いたが、当然これは1曲目の前ふりで、今回のオープニングナンバーは大阪市にお住まいのK平さんからのリクエスト・ナンバーでビヨルン&ベニーの「木枯しの少女」です。それではどうぞ。



 その昔、「明星」という雑誌があった。かの与謝野鉄幹が創刊した雑誌では当然なく、「平凡」がライバルだった芸能雑誌である。その「明星」「平凡」には別冊付録がついており、ゾクに「歌本」などと呼ばれていた。今でこそカラオケボックスなどで「歌本」などといわれているが、その昔「歌本」は本誌を買わないとついてこない、いくらそれだけ欲しいといってもダメだったのだ。…えーと、何を書こうとしていたのか、そうそう、その当時の歌本には必ずポップスのページがあり、そこに歌詞や楽譜、ギターコードそれにミュージシャンのちょっとした情報が書いてあり、ずいぶん重宝したのだ。あ、当然白黒だけど写真もあったな。

 このビヨルン&ベニーはスウェーデンのデュオで後年、それぞれアグネッタとアンニ・フリードという女性と結婚したためにABBAというグループ名になり、一世を風靡したのは皆さんご存知のとおり。ただ、この「木枯しの少女」というのは「ただれた関係」というタイトルから想像できるように、ナニの方面の映画のテーマソングだったのを、やはり目端の利くレコード会社の担当がシングルにして日本で大ヒットさせたものだ。せっかくだから(何がだ)、そっち方面の話題を少々。僕が中学校の頃バレー部だった話は書いたが、決してバレーが上手かったからバレー部に入ったわけではない。実は「サインはV」の岡田可愛が好きで、ジュン・サンダース役の范文雀も好きで、ま、それで何となく入ったという次第。そんな軟弱なココロザシの部員が入れるクラブなので、当然弱い。その弱いチームの中に背の低い度の強いめがねをかけた先輩がいた。

 外見からして、絶対バレーは上手くないと思っていたが、なんのなんのサーブが上手で通称サーブのカマさんと呼ばれていた。普段は口数が少なく、厳しい先輩だったが練習が終わると途端に「おい、1年生こっちにこい」などと呼びつけ、なんだよ、シゴキかリンチかよ、とややビビリながら集まると、急に小さな声で「お前たち、フリーセッ○ス、スウェーデンって知ってるか。むこうではな、やりたい放題、何でも自由で、オレは中学卒業したらスウェーデン語を勉強して絶対留学する」などというわけのわからないこと教えてくれる人だった。いやー、ローティーンの頃の爽やかな思い出である。しかし、このときに教え込まれた情報のおかげで、北欧関係に対してとてつもない憧れとヘンケンをその後数年は持っていた。いかに教育が大事かという教訓である。違うか(by ものいい)。

 ところで、ビヨルン&ベニーだが、なんと読みます?「ビヨルンアンドベニー」と読むか「ビヨルンとベニー」と読むか。当時は圧倒的に後者が多かったような気がする。というのもサイモン&ガーファンクルも「サイモンとガーファンクル」という呼び方がポピュラーだった。つまり間の「&」を「アンド」などと読むのはちょっと気取った感じでほとんど「と」という読み方していたと思うのよね。だって「トム&ジェリー」は「トムとジェリー」だったでしょうが。しかし何時ごろからか、「アンド」という読み方が多くなり、ロギンス&メッシーナのときは「ロギンスとメッシーナ」なんていう人は誰もいなかったな。つまり72,3年あたりが転換期だったんだろう。つまらないことだけど、なんだか妙に気になってしまった。

 さて、気を取り直して次の曲にいこう。当時のポップスは外国といってもアメリカ・イギリス以外の国のヒットも多かった。そういう意味では、当時こそ本当の意味でのコスモポリタニズムが浸透していたのでは無いか。ま、そんなことはどうでもよろしい。曲はダニエル・ジェラールの「バタフライ」、なんとドイツ語バージョンです。



 この曲最初に聞いたのは、ダニエルのオリジナルではなくてカバーでした。今でこそ破産と貧乏を売りにしているが、当時は元タイガースということで飛ぶ鳥を落とす勢いだったシローが、ブレッド&バターと一緒にこの曲をシングルカットしたのだ。あ、ついさっき「&」は「と」と読むなんて書いたけど、ブレバタは「ブレッドあんどバター」と読んでいたな。ラジオで紹介されるときも「シローとブレッドあんどバター」という言い方をされていた。うーん、さっきの話は撤回とまではいかないけど、いったん保留。ところで欧米人は蝶々と蛾の区別がつかないなんて聞くけど、どうなんでしょう。確かにYOU TUBEの画像でこの「バタフライ」を取り上げているものの中に、明らかに蛾としか思えない昆虫の写真があったけど…。

 フランス人のダニエルといえば、忘れちゃならない、この人を。それまでパンシロンでパンパンパンだったり、大田胃散、ありがとういい薬ですだったり、サラリンサラリンサラサラリン、便秘にすっきりサラサラリンと最後はちょっと違ったが、これまでの胃薬における力関係を一気に変えて、若い男の子はみんなピノキオ消化剤ファンにしてしまった(ほんまかいな)、ダニエル・ビダルの登場です。



 いやー、キュートです。彼女は「オーシャンゼリゼ」とか「天使のらくがき」、「私はシャンソン」なんてヒット曲もありました。ずいぶん以前のエントリーで40代の彼女の動画をアップしたことがあったけど、ショックでした。ビヨンド・ザ・天地真理、でした。しかし、フランス人のカワイ子チャンといえば、フランス・ギャルから、シルヴィー・バルタン、知的な女性のイメージだったフランソワーズ・アルディといろいろいましたが、ダニエル・ビダルはその中で一番日本びいきというか、日本のテレビやラジオに登場したシンガーではないだろうか。どうも僕は片言の日本語話す女の子には甘くなる傾向があるな。

 さて、気を取り直して今度はドイツのシンガーでウド、ウドといえば鈴木とか大木なんて単語が出てきそうだが、無礼者、ウド・ユルゲンスを知らないか!!「夕映えのふたり」といってもご存じないかな?どっちかというとペドロ&カプリシャス(あ、こっちも「あんど」だ)のほうが有名だけど、オリジナルはこちらです。



 何故「夕映えのふたり」が「別れの朝」になったのかはよく分からない。しかし哀愁を帯びたメロディになかにし礼の歌詞が見事にはまり、またそれを歌ったペドロ&カプリシャスもバタ臭いグループで、今ではウド・ユルゲンスの曲というよりペドカプのオリジナルといってもいいくらい消化してますな。

 で、今回のエントリーのラストに選んだのはこの曲です。もうめちゃくちゃヒットしたけど、当時も今もなんでこの曲がそんなにいいのかよく分かりません。中学の修学旅行で、バスの中で皆で歌いガイドさんがテンポが速くてついていけないといったのを覚えています。それとラジオのプロモーションで最初の部分は覚えてないけど、「イスラエルにもナオミちゃんがいるとか」というフレーズも耳に残っています。ナオミといってもキャンベルではなく、佐良直美のことを意味していたんだろうけどね。ヘドバ&ダビデの「ナオミの夢」を聞きながら今日はお別れしましょう。あ、ヘドダビは「あんど」じゃなくて「と」だ。うーん、また混乱してきた…。



人生幾つになっても勉強だ

所用があって、住民票を取りに行った。窓口で2.3質問を受けた。「ツヅキガラは、どうしますか?」。当方、「は?」。先方、「ツヅキガラ、です」。一瞬、頭が真っ白になり、ようやく相手が『続柄』と言ってる事が理解できた。

不肖ワタクシ、半世紀近く『続柄』を『ゾクガラ』と読んでおりました。若い時に、しっかり勉強してなかったツケが今頃こんな形で来るとは…。

ヤングな僕のぽっぷす・なう その2

 早く続きを書こうと思いながらも、ここ何日かのmixiが盛り上がっているので、ついついそのままにしてしまったエントリーですが、まあ、気にせずやっていこう。例えば70年あたりのラジオ、特に誰というわけでもないのだが、DJやってる人は個性あったね。

 ヤァヤァヤァ、みんな元気にしてるかな~。実は今日ね、久しぶりに友達(髪は腰まで長くて、チューリップハット被って、パンタロン履いてるようなお方ね)に町でばったり会ってね、「お、おまえ、久しぶり、どうしてるの最近?」なんて聞いちゃったりすると、相手はね「いやー、もう4畳半でシコシコやってるよ、何とかね、で、そっちはどうなの」なんていわれちゃって、いや、僕もシコシコやってるけどそっちばっかりじゃなくて、え、そっちってどっちだ、なんて突っ込まないの、そんな暇無いんだから、じゃ、そういうことで今日の1曲目はモンキーズを解散したマイク・ネスミスとファースト・ナショナル・バンドで「シルバー・ムーン」いってみよう。文章にすると面白くないけど、声に出すと少しは面白い、んじゃないかな、え、自信は無いけど。



 この曲はメロディも歌詞も覚えやすくてすぐ口ずさむようになった。「スタンディングインザローンリナイトオブザシルバムーーーン」なんてカタカナ英語でよく歌ったものです。ちなみにこのファースト・ナショナル・バンドってのはパーマネントなバンドじゃなくて、次のレコーディングのときはセカンド・ナショナル・バンドとなっておりました。じゃ、次はサードかと思ったけど、そこまで人気は続かなかったみたいです。モンキーズはテレビで放映してたけど、コミカルで楽曲もポップで小学校時代ずいぶん人気がありました。もっともミュージシャンとしては、ね。そうそう、ニルソンの75年のアルバム『俺たちは天使じゃない』の内ジャケット眺めていたら、ミッキー・ドレンツが写っていてビックリしたことがあった。アルバムのクレジットに入ってなくて、写真もワインを注いでるとこで、パーティのにぎやかしなのかと思うとちょっと寂しかったけどね。

 次にお届けするのは、コマーシャルと音楽が一体になった、ま、いわゆるタイアップってやつだけど、当時はそれが新鮮だった。特に男性化粧品なんてものが、市場に流通するようになったのは、やはり70年前後だよね。バイタリスだとかMG-5なんて意味も分からないのに、なんだかカッコよく聞こえて、高校生になったらそんなのもつけていいんだみたいな、憧れ的なものありました。って、それはウソで、僕は中学まではどっちかというと硬派、バンカラ体質で、男がちゃらちゃら香水ふってるんじゃねぇ、とか女の腐ったような髪しやがって、なんだこのジュリーやショーケンってのは、みたいなことをいってたらしい(本人、全く記憶にございません)。で、そのCMソングだが、やっぱマンダムでしょう。みーんなあごに手を当ててやってたもんな、「ウーン、MANDOM」。



 バランス感覚だけで生きてる僕ですから、男の世界、男のCMソングが来れば、次は女性だ。この人も当時はとっても綺麗で、歌も上手だった。YOU TUBEで知ったけど、この人グレン・ミラー・オーケストラの洗足、ちがった専属歌手だったそうで、道理で歌が上手いはずです。実はこの歌にはちょっとした想い出があって、あれは確か中学1年生の部活の休憩時間、バレー部だった僕は水道で水を飲んでいたら体操部の女の子達が4,5人やはり水を飲みに来た。僕の使っていた水道を後から来た体操部の子に代ってやったのだが、そのときにマックス・ファクターのバッグが見えて、思わず「マイ、サマークリエーション」と歌ったら、その子達がいっせいに振り向き僕のほうをみて笑った。その笑顔に一瞬ドキッとしたのは、恋の片道切符だったのか、しかし、相手の女の子は、おっとそんな話はどうでもいいのだ。歩く不動産屋に口説かれたのが、唯一の過ちだったのではないかといわれるジョーン・シェパードの「サマー・クリエーション」です。



 そういえばこのシェパードさん、一頃はコマーシャルに出て「イワテケーン」なんていってたけど、その後どうしてるんでしょうか。コマーシャルといえば坊屋三郎が外国人に「くいんとりっくす」といって相手が「QUINTRIX」と答えると、再度「く・い・ん・と・り・っ・く・す、英語下手だネェ」というのもありました。しかし、こうやって考えてみると70年前後というのは、まだまだ外国人(主にアメリカ人)がCMに出たりするのも珍しいし、その外国人を意のままに扱うということが、何となく勝利、という感じがしたのは時代のせいでしょうか。まるで、力道山とシャープ兄弟みたいな話になってきたな。そのクイントリックスのCM探したけどなかったので、こちらもちょっと懐かしいタモリと団しんやのバージョンをアップして今日は終わり。次回は、アンニュイなムードでお届けする予定です。


帰らない、帰らないっていってた…

 今日、新聞を読んでいて、違和感というか既視感というかなんだか変な感じを受けた。この記事だ。
なんということもないローカル新聞の一面ですが
ん?ん?
あれ、どこかで見たような…
えー、今、そんなところで仕事してるんですか、へー。
いやー、人生やり直してるんですね、元シャネルズのあの人もそのうち…
いや、単なる同性同名でしょうが…。

せっかく青島まで来たのに

20090419162559
黄砂のせいで、遠くが霞んで見えない。写真は堀切峠から南を向いて撮ったもの。道の駅は午後3時過ぎなのに、観光客で一杯。そこを出て、いつもの青島のスーパーで醤油を買って帰るのだ。車中のBGMは、シー・レベル。鳥肌音楽の管理人が昨日送ってくれた。さ、家に帰りコメント返し書かないと…。

ヤングな僕のぽっぷす・なう その1

 このまえ「シーモンの涙」をネタにしたエントリーを書いたら、それ以来70年前後のポップス黄金時代の曲が頭から離れなくなった。僕が海外の音楽に興味を持ち始めたのは68~69年くらいからで、きっかけはラジオだった。♪内ポケットにいつもトランジスタ・ラジオ(by もう分かってるよね、くどいよね、でもRCとクレジットしておきたいのだ)を忍ばせていたわけではない。トランジスタ・ラジオなどという高級ラジオが登場する前に、科学する男の子はゲルマニウム・ラジオなるものに興味を持ったのだ。小学校6年生の頃の話だ。当時、仲良くしていた友達は学校の勉強は苦手だけど生活力はやたらある連中が多かった。あるときその中の一人と一緒に出来たばかりのデパートに遊びに行った。彼は1階の雑貨売り場みたいなところをうろうろしていたかと思うと、突然エレベータに乗ろうと言い出した。一緒にエレベータに入り、ドアが閉まるとシャツの中からなにかを取り出した。僕が目を丸くして見ていたら、片手に移植ごてを持ち得意げに「ちょっと失敬してきた」というのだ。

 この「失敬」ぐせのある奴は2,3人ほどいて、それでも友達のものをパクッたりすることはなく、対象はつねにデパートや近くのスーパー、専門店と決まっていた。婆さんが一人でやってるような個人商店ではそんなことはしないのだ。そういう仁義みたいなものはわきまえていた。その失敬グループの一人が、あるとき教室にゲルマニウム・ラジオを持ってきた。授業中は余所見ばかりしている奴なのに(あ、ここも「トランジスタ・ラジオ」のフレーズみたいだな)、その日はやたらほおづえをついて真剣に授業を聞いていて、「一体どうした」とわけを聞いたら、彼は耳からイアホンを取り出し、今まで見たことも無いような小さなラジオを取り出した。そのラジオはイアホンでしか聞けないのだが、なんと電池も要らないし、クリップみたいなのがついていて、そこに金属製のものをはさむと、アーラ不思議、ちゃんとラジオの音が聞こえてくるというのだ。「一体どこで手に入れたのか」と聞いてみたら、町中の専門店(家電品店ではない、なんというのか学校の理科の実験なんかで使うものを売ってるお店、教材屋さんといえばいいのか?)で、失敬したという。僕は失敬する度胸も腕もなかったので、素直に買いに行った。お年玉で買いに行ったから3学期のことだ。

 そのお店に行って「ゲルマニウム・ラジオ下さい」といったら、「生憎売り切れだけど、今ちょうど格安で1石のトランジスタ・ラジオがあるからそっちにしたら」、と言われて、そのころから人のいうことには何でも素直に聞くいい子だった僕は、ハイと返事してそのラジオを確か580円くらいで買った。先ほど、ググってみたらここに写真付きで出ていたが、正しくこういう形をしていた。その日から、僕は毎日家ではイアホンを差し込んでラジオを聴く癖がついた。もっともまだほんのガキンチョだったので、深夜放送などとても無理で、夜は10時か11時位には寝ていたので、その直前の番組を聞いていたのだ。今でも覚えている番組はNHKでやっていた「夢のハーモニー」。テーマ曲がスタンダードの「今宵のあなた」で、後年ジム・ホールのライブ盤で再会したときは嬉しかった。もう一つ覚えているのは、その年の夏休み時期にやはりNHKの番組だと思うが、1週間ぶっ通しで海外ミステリをラジオドラマにして放送したことがあり、その第1話がアガサ・クリスティの「砂に書いたラブレター」じゃない、「砂に書いた三角形」だった。エルキュール・ポワロ役の声優さんが印象的だったので、そこから興味を持ちアガサ・クリスティものをよくよんだ(その放送は聞きながら寝てしまった。結局どんな謎解きだったか全く覚えていない)。ついでに思い出したのは、同じ時期にこれはテレビの民放で、TBSあたりではなかったか、やはり海外のミステリというかサスペンスを連続ドラマでやっており、フレドリック・ブラウンの「霧の壁」を、主人公は中山仁でやっていた。おっと、話が大きく逸れた。

 そういう形でラジオに親しみ始めたが、1石のトランジスタ・ラジオはなんといってもイアホンでしか聞けないので、フラストレーションが溜まってくる。丁度、中学にも進学したので、その年の誕生日にナショナルのワールド・ボーイというトランジスタ・ラジオを買ってもらった。FM局はNHK-FMが開局していたと思うが、当時あまり聴いた記憶は無い。その時点で夜の10時くらいから聞いていたのは、前田武彦が小橋玲子と一緒にやっていた「ヤング・ヤング・ヤング」だ。15分か20分くらいしかなく、曲も3曲くらいしかかからなかったが、DJふたりの掛け合いというのが新鮮でよく聞いた。その後になるが、大橋巨泉の「ポップス・ナウ」も良く聞いた。こちらは金曜日は特集があり、リスナーが企画してリクエストするというスタイルだった。あ、平日はオール・リクエストか担当ディレクターの選曲だったはずだ。

 「ポップス・ナウ」の頃は、既に高校に入っていたので自分でもリクエストの企画を作り葉書を出そうと何度も考えた。その頃考えたのは、エルトン・ジョンとキャット・スティーブンスとミッシェル・ポルナレフの特集で、これはその頃シンガー・ソングライターブームで、その第一人者だったエルトンが来日したときに一番注目しているアーティストにキャットの名前を挙げたのがきっかけだった。意外に思われるかもしれないが、アルバム『ホンキー・シャトー』までのエルトンはさすらいの吟遊詩人というイメージだったのだ。キャット・スティーブンスは「雨にぬれた朝」や「ピース・トレイン」などのヒットもあり、名盤『父と子』、『ティーザー&ザ・ファイアキャット』を連続して出して勢いのある頃だった。そのキャットが一番好きなミュージシャンにポルナレフを挙げていたのだ。その辺の相関関係と限られた時間でこの3者をどうアピールするか、ずいぶん悩んだが楽しかったのも確かである。結局、この企画は投稿しなかったので、ついに日の目を見なかったが、後年サークルの研究会でみっちりやって大いに溜飲を下げたのはここだけの話だ。

 で、一体何の話をしていたかすっかり忘れてしまった。そうそう、懐かしのヒットポップスであった。とりあえず1曲いきましょう。曲はボビー・シャーマンで「想い出のヨコハマ」です、どうぞ。



 空耳アワーってのがタモリの番組であったけど、元祖空耳ですな。「Oklahoma city time」が「ヨコハマシティタイム」に聞こえるからということで、シングル切ったようですが、いやーこういう思い切りの良さがポップスです。ボビー・シャーマンといえば当時のアメリカの男性アイドルで、ライバルにデビッド・キャシディがいましたが、なんとデビッド・キャシディの人気番組「パートリッジ・ファミリー」にゲストで出たことがあり、僕は偶然その予告編を見た記憶があります。残念ながら翌週の本編は見逃したのか記憶に無いけど。

 次は、ちょっとユニークなシンガーでルー・クリスティ。この人のヒット曲はいろいろあるけど、我がポンニチでは「魔法」が一番ヒットしたんじゃないかな。ただ、根がひねくれものの僕はここはあえて「チャッキー・ワゴン」をお届けしたい。チキチキ・バンバンなんてのが当時流行ったけど、それと関係があるかどうかは分かりません。ルーらしいユーモラスな曲で、後半「空耳」っぽいフレーズも出てくるのでお楽しみに。



 この頃はまだロックだ、フォークだなどといった猪口才なことは全く考えずに、ただ手当たり次第に気に入った曲を聞いたり、録音したりしていた。そうそう、当時の秘密兵器としてトランジスタ・ラジオと同時に記憶しておくべきはカセット・テープレコーダーの出現だろう。今でこそ、ラジカセなんていっても誰も見向きもしないが、当時はラジオとカセットは全く別物だったのだ。僕が初めて買ったカセットレコーダーは確か東芝製で、こちらは中2のお年玉で買ったのでよく覚えている。平べったくて、寝かして使うタイプだった。機械の中心部にカセットを入れるところがあり、その横に昔のテレビの回転チャンネルのような操作レバーがあった。レバーが中央にあるときは、静止で右に回すと再生、もう一度右に回すと早送り、巻き戻しは左に回すようになっていた。録音するとき?録音するときはレバーの右上にある赤いボタンを押しながらレバーをプレイのほうに回すのだ。

 ラジオは別だったので、ラジオから流れてくる音楽を録音するにはマイクで録音するしかなかった。マイクも内臓式ではなくて、なんというのか、昔セックスピストルズのジョニー・ロットンが持ってたようなごついやつだ。それをラジオのスピーカーに近づけて録音するのだが、当然ノイズが入る。僕の家でラジオから録音するときは、家族全員に静かにしてくれるよう頼み込み、ようやく録音完了というときに「トーフー」なんて豆腐屋さんの声が聞こえたり、またそういうときに限って誰かが来たりして録音がうまくいかなかったことが何度もあった。しかし、そのような試行錯誤をしていく中で、録音コードなる存在を知り、ライン録音という方法を自己流で確立したのだ。うーん、今思い出しても感動的だ。話はまだまだ続くので今日はここで終わり。ラストはこの前Purple_Hazeさんが「グッドバイ」をアップしていたので、ひねくれものの僕としては「未来の子供たちのために」というちょっと偽善者ポイ曲をアップしておきます。あ、歌はもちろんメリー・ホプキンおねーさんです、大好きでした。綺麗なおねーさんは好きですか?ハイ、当たり前だのクラッカーです。



今年もやってくるみやざき国際ストリート音楽祭

 はやいはやい、月日のたつのははやいはやい。いやー、ちょっと油断してると更新は滞るは、去年見たイベントがまた行われるは、油断もすきもない今日この頃である。いえね、今日仕事で車に乗ってたとき、地元ローカル番組のキャスターが「…で、みやざき国際ストリート音楽祭が今年も歩行者天国で行われる予定です…」などとのたまったのですよ。僕は「ん、こくさい、すとりーと、おんがくさい、あ、あれだ、宮里陽太を発見したイベントだ。熊本のジプシー・ジャズのスイング・アモールを見たのもあのときだ」と、記憶が蘇る金狼(by大藪春彦)になってしまい、勤労があれば動労も国労もあると混乱してしまったのだ。

 ええと、なんだかよく分からないイントロですが(お前のエントリーは毎回だよ、などという鋭い突っ込みはやめよう、グランド・ファンク・レイルロードも『ぴーぷる、れっつ、すとっぷ、ざ、うぉー』と歌っているではないか)、今日は懐かしのヒットポップスの動画とそれらに付随した個人的な懐かしい思い出の話を書こうと思い、昨日少し下書きしてたのだが、今日のラジオで聞いた音楽祭の宣伝をして、少しでも宮崎の音楽シーンの活性化と観光宮崎の新しい目玉商品のアピールと問題提起をしておかねばの娘になってしまったのだ。

 去年、初めて国際ストリート音楽祭に行ったのだが、もう初夏といえる日差しと5月の風の中、あちこちのステージから聞こえる音楽はとても気持ちが良かったし、第一アドミッション・フリーというか、コンサート代がタダという太っ腹企画で、参加ミュージシャンもトシナガイのスーパーバンドを筆頭にプロ、セミプロ、アマチュア入り乱れて手当たり次第、ジャズにカントリーにコーラスに吹奏楽、そうそう本来はクラシックの宮崎国際音楽祭を盛り上げるためのイベントだったのではないかと思うが、この際そんなことはどうでもいい。宮崎のメインストリートを歩行者天国にして、しかもあちこちに特設ステージを作り、さまざまな音楽が流れる半日間。5月5日はこどもの日だけど、午後からはみんな、書を捨てよ、街に出よう。

 地元宮崎の皆さん、普段なかなか生の音楽聴く機会ないですよね。仮に時間があってもどこに行けば、どれくらい予算を準備しておけばいいかなどと考えると億劫になる気持ちも分かります。しかし、今回のイベントは祭日に無料で、しかもデモのときくらいしか体験できない車道のど真ん中を大手を振って歩き回ることも出来るイベントです。是非お友達、ご家族皆さん誘い合って参加しましょう。って、別にオレお金もらってるわけじゃないんだけど…。そうそう、宮里陽太バンドは16時50分からBステージ(一番街の前)です。その後は池田芳雄スーパー・ジャズなんてのもあるし、コドモソウルの演奏もあるみたいです。雨が降ったら屋内になるから、天気はNO PROBLEMです。

 以上、緊急のお知らせでした。おっと、詳しい情報はこちらのHPでどうぞ。

全く不本意なエントリーですが、頭痛のせいでこうなりました

 頭が痛いから、ストリート・スライダーズを聞こうという気になったわけではない。今日は日本パイプクラブ連盟が「たばこモクモク吸う人は健康で長生き」というような、ワクワクするコラムを書いたという話をネタに、元へヴィー・スモーカー、現在禁煙歴5年目の不肖ワタクシの好き勝手、言いたい放題、出る杭は打たれてナンボのエントリーを書くつもりだったが、夜が更けるにつれて頭痛がひどくなり、それでもMy Spaceでフランシス・マバッペ隣雅夫さんのところに行って、音楽聴いて、そうそう、お二人とも新曲というか、以前の曲を入れ替えて出してました。特に隣さんは「竹田の子守歌」と「コキリコ」なんて曲アップしてたのでビックリ。隣さんといえば、泣く子も黙る、元「だててんりゅう」なのだが、一時期はエルヴィス・コステロのコピーをしていたこともあり、その時期に少し親しくしていただき、と、昔話はだらだらいきそうなのでやめる。機会があれば、また書くかもしれない。そう、79年の頃の話だが、いや、やはり今日はやめよう。

 それで、どうしてスライダーズか、というと、ラスト・ライブの「風が強い日」をYOU TUBEで見てしまい、以前はハリーのソロで見たことがあったが、スライダーズのライブの映像は初めてだったので(PVでは見たことあるけどね)、おお、ハリーのアコギはなかなか鋭いではないか、などと一人ゴチながら見てしまった。で、その映像をアップしようと思ったら、ロックされていてblogに貼れない。とりあえずリンクは貼っておくが。で、スライダーズのほかの曲は、と探して「ボーイズ、ジャンプ~」もいいけど、アルバム的には『BAD INFLUENCE』が一番好きで、そこからのシングル・ヒットということで「イージー・アクション」を貼ることにする。あ、イージー・アクションといっても”But I can’t get no satisfaction,all I want is easy action”などと叫びながら「ヘイヘイヘイヘイ」と歌いまくるT・REXではない。ああ、ダメだ、ダメだ。全然話がまとまりません。とりあえず、これ見てください。カッコイイR&Rバンドだったな~。



春先は結構調子が悪くなることがあって

 朝、起きたときから頭が痛かった。天気が悪い(湿気が多いとき)と僕はよく頭痛になるが、今朝はとてもきれいに晴れていてぽかぽか陽気で決して頭痛が起こるような天候ではなかったのだが。それでも、会社でバタバタしている間に痛みも薄らんだが、夕方雑用で外出しそのときにコンビニに入ってからまた頭痛が再発した。しかも、なんだか目が見えなくなったというか、目の前がやたらきらきらしてモノが見えにくい。立ちくらみみたいな感じがしたので、車のシートを倒して10分ほど休んだ。それでも頭痛とめまいは治らず、いつもより早めに家に帰った。家で血圧を測ったら全然異常がなくて、なんだか騙されたような気がしたが、それでも頭の重いのは治らない。食事をして、blogの米返しを書いたら寝ようと思った。

 それでも米返し書いていると、いろんなことが頭をよぎり、ええい、この際だ、懐かしのヒットポップスのエントリーでも書こうかと思ったが、そんなことをして余計興奮して眠れなくなり、明日に差し障ったらちとまずいので、今日は大人しく寝ようと思う。それでも、昔友人から聞いた話を思い出して、なんだかそれが頭から消えないので、その話だけ書いて寝ることにする。

 以前、何度かエントリーに書いたことのある高校からの友人のS藤君の実話である。彼は中学からの同級生と大学卒業後すぐに結婚し、一時東京で働いていたが奥さんの会社を継ぐことになって地元に帰ってきた。その頃の話だ。彼の会社と自宅は同じ敷地にあり、家を出ると目の前が会社という、職住隣接の大変羨ましい環境であった。その会社で彼は社長の右腕としてバリバリ仕事をしていたのだが、彼も実は偏頭痛持ちでその症状に悩まされることが多かった。

 ある日、彼が会社で仕事をしていたら、偏頭痛が突然嵐のごとく襲ってきた。その痛さは今までのものと比較にならないくらい激しく、孫悟空の緊箍児もかくやといわんばかりの痛さだったらしい。ほとんどの頭痛持ちの人はマイドラッグを持っており、僕はノーシン、私はサリドン、あなたはバッファリン、で、これなんですか(by スネークマンショー)という展開になるのだが、生憎その日S藤君は常備薬を切らせており、それでも我慢していたがどうにも堪えられなくなり、家に帰ったらしい。

 家のドアを空けるのももどかしく、額に手を当てて顔面蒼白になりながら、彼は奥さんに「あ、あたまが、頭が割れそうだ・・・」といった。それを見た奥さんも顔色を変えて絶叫した。「お父さん、それは頭痛、頭痛よ!!」遠ざかる意識の中、S藤君は自分が今頭痛であることを認識したらしい。「ああ、オレは頭痛だったんだ、なんだ頭痛だったのか、そうか頭痛だったんだ…」

 なんか、書いててもこの話を初めて聞いたときの笑いは起こらないな、やはり頭痛で調子悪いみたいです。お口直しにスネークマンショーの「これなんですか」をどうぞ。



BONOBONO BAND イントロデューシング酒井春佳

 ええっと、どのあたりから書き始めればいいんだろうか。きっかけはY尾君から聞いた話で、数年前に宮崎は西都市というところに秋吉敏子が来て、そのライブの打ち上げの席でピアノを弾きまくった女子高校生がいた、などといったところからか。なんだかよく分からない書き出しだが、実はBono Bono Bandという若い女の子だけでやっているジャズバンドのライブを見てきたのだ。

 3月は仕事が忙しかったせいもあって、全然ライブに足を運ぶこともなかったのだが、その3月の終わりにY尾君から電話があった。以前、話した友人の娘さんのライブがライフタイムであるので一緒に見に行こうというのだ。友人の娘さんというだけに、多分に若いと推測されるし、その段階でメンバーは全員女の子だと聞いたので、気分はモーニング娘。を見に行くようなルンルンの気持ちである(しかし、表現が古いな)。Y尾君は妙にテンションが高くて、ライブを見て悪かったらブログでボロクソに書けなどと煽ってくる。とりあえず4.3の金曜日には行くと返事をしておいた。

 当日は、いつも待ち合わせに使っている居酒屋が満席だったのでライフタイムのすぐ横の焼き鳥屋で待ち合わせた。店に入ると奥の座敷にY尾君が何人かで飲み方をしていた(、あ、飲み方というのは南九州独特の表現で「ノンカタ」と発音すると通です。要するにお酒の席ということです)。声をかけると、本日のBono Bono Bandのピアニスト、酒井春佳のお父さんのグループだった。なんだかよく分からないがどうもどうもと挨拶して、カウンターの席に座った。Y尾君が横に来るなり「今日は50人以上予約が入ってるらしいから、大急ぎで飲み食いして、7時になったら場所を取りに行こう」などと言い出した。

 一体全体、Bono Bono Bandというのはナンだと聞いたところ、チラシを取り出して説明してくれた。洗足学園大学の新2年生の女の子バンドで、横浜あたりじゃブイブイ言わせてるらしい。ということは、メンバーに髪の長いヨーコという女がいるはずだと思ったが、全然外れていた。洗足学園といえば、確か宮里陽太もそこの出身だったはずだ、などと話したのだが、後で調べてみたらトンでもない学校だった。出身者には、あの「もののけ」米良美一、「かもめが飛んだ」渡辺真知子などがいるし、講師のメンバーにあの中村誠一(まさか落語の口調で講義はしてないだろうが)、向井滋春(同志社の軽音、サード・ハード・オーケストラ出身だ)、渡辺香津美など錚々たるメンバーである。さらに、Bono Bono Bandのライブの後に酒井春佳with Friendsのライブもあり、そこには香月宏文も参加すると書いてある。我らが歌姫香月保乃の兄のドラマーだが、今まで一度も聞いたことがなかったので楽しみだ。

 7時になったので、ライフタイムに移動したら、いきなりマスターから「まだ入らないで」と注意された。よく見ると店のテーブルを外に運び出している。丸椅子がずらりと並べられて、まるで総立ちのライブハウスみたいである。マスターには失礼だが、演奏前からこんな風に、会場のセッティングをしなくてはならないのは、少なくとも僕は始めてである。さらに違和感を感じたのは、出入りする女の子が皆若くて、いいにおいがするという事実である。あ、いや狭い階段ですれ違うので、匂っただけで別にクンクン匂いをかいでいたわけではありませんって当たり前だ、そんなことしてたら変質者である。ようやく店のドアが開いて中に入ったが、その時点ですでに20人近くいたのではないか。僕たちはステージから見て左側の壁にもたれることの出来る、通称シルバーシートを確保した。ステージは目の前である。

 いったん、元の焼き鳥屋に戻り、再度喉を潤してからライフタイムに戻ると、いや、すでに満員、フルハウスである。来ているお客さんは、従来のジャズのお客さんと全然違い、20代の若い男女、30代の子供連れの母親たち、僕達の年代などどこにもいない。いや、一番奥の席に2,3人ほどオジサンがいたが、とにかく圧倒的少数派である。不思議だったのは、花束持ってる人が多かったこと、そうそう、ステージにも大きな花束が飾ってあった。Y尾君は、こんな最前席でオジサン二人がいるのは怪しまれるんじゃないかと妙に心配していた。何をそんなにビクビクしてるのか、不思議だったがライブが始まって分かった。メンバー全員、若くてカワイイのだ。コノヤロー、事前調査していたな。

 開演時間を5分ほど過ぎて、メンバーがステージに上がってきた。いや、どうみてもクラシックの発表会ではないかという雰囲気が濃厚だった。しかし、ステージを見るとドラム、ウッドベース、ピアノ、ギター、テナーサックス、トランペットと立派なジャズコンボだ。演奏が始まった。最初は音のバランスがあまり良くなくて、全体的に音が小さかった。メンバーも緊張していたのだろう。しかし、やってる音楽はフレディ・ハバードやホレス・シルバーの曲だったり、ウィントン・ケリーのそれだったりと、結構硬派なジャズだ。

 MCは主に管楽器の二人が中心だったが、いや、今時の若い娘の話し方はこんなだよなとつくづく思わされる話し方だった。よく考えると我が家にも新大学1年生と高校1年生の娘がいた。どうもどこかで聞いたような口調だと思ったのは、我が家のバカ娘たちに似ていたからだ。しかし、宮崎に来てとても楽しかったとか、このライブハウスでこんなに沢山のお客さんが来てくれたのはとても嬉しいとか、素直なコメントが多くてまあ楽しめた。演奏そのものはだんだん馴れてきたというか、途中で管楽器の二人が下がりギターをメインにした演奏(「ジョージア・オン・マイ・マインド」、いい演奏でした)あたりから、バンド全体の緊張もほぐれてきたのか、音のバランスもよくなって45分くらいのライブは終わった。

 ここにそのときのメンバー表があるので、僕が感じたコメントと共にメンバー紹介をしてみよう。

加瀬友美 ドラムス 愛らしい顔をして、癖のないドラムを叩いていた。ロックやってたらしいが、その影響はないような、素直なドラムでした。もっとパワーがつけば尚よくなるだろうな。そうそう、今の若い人のリズム感はすごいです。ブレークの切れの良さは、こりゃ時代だろうな。

大平菜央 トランペット 小さい体で思い切り吹いていました。MCも一生懸命なのだが、大学生というより、なんとなくもっと年下の女の子というか中性ぽい感じ、もうちょっとアピールしてもいいかも。

村井千紘 テナーサックス このバンドで唯一好きなミュージシャンが連想できた(違ってるかもしれないが)。フレーズにロリンズの香りがしたのだ。アドリブも思い切りが良くてグーでした。

廣瀬真理子 ギター 唯一会話の出来たメンバー。最初は黙々とコードを弾いていたが、「ジョージア~」の演奏から一気に乗ってきた感じ。フレーズにセンスを感じました。好きなギタリストを聞いたけど、笑って答えず。僕がスティーヴィー・レイ・ヴォーンの話をしたら、知らないといってた。知らないオジサンと話をしてはいけないとしつけられているのかもしれない。

田中理夏子 ベース 後ろからいきなりMCに参加したり、話し方も結構ユニーク。Bono Bono Bandをネットで調べたら、金沢市での「ジャズざんまい」というイベント記事がヒットしたのだが、そこでも大活躍していたようだ。

酒井春佳 ピアノ 上手い、確かに上手い。バンドでの演奏は、アンサンブルを重視していたせいか、あまり感じなかったが後半のカルテットでの演奏は見事だった。若干19歳、後世畏るべしというやつか。しかし老婆心ながら、ピアノ上手い人はジャズ界に限らず、音楽界にごろごろいる(と、思う)。あとは個性というかオリジナリティというか、彼女ならではの音世界を作っていって欲しい。

 ええと、えらそうなことを書いてしまったが、これから楽しみなバンドです。大学卒業まであと3年あるので、さらに腕を磨きまた機会があれば是非宮崎に来て欲しい。しかし、宮崎、意外にジャズミュージシャン排出しておるな。実は、この後のウィズフレンズの演奏は凄まじかったのだが、ちょっとBono Bono Bandの話と上手くまとまりそうになかったので割愛します。彼女達は横浜で演奏してるらしいので、関東在住の方はぜひ一度足を運んでみてください。あ、Purple_Hazeさん、ど真ん中ストライクコースと違います?写真とってなかったのが悔やまれますが、ここのブログにちょっと写っています。

 そうそう、ウィズフレンズの演奏のときは、酒井春佳がMC担当だったのだが、大学進学のきっかけは彼氏を追いかけてが動機だったとか、高校時代からジャズの打ち上げでは梅酒を飲んで盛り上がっていたとか、ご両親が聞いているのに爆弾発言が飛びかい、それもまた大変面白かったです。トークも上手かったな…。

シーモンの涙

20090403143807
シーモン、どうして泣くの?君の涙の乾く暇は無いの?

と、言う歌詞が思わず浮かんだ駐車場でした。分かるかな~。イングランド・ダンとジョン・フォード・コリーのヒット曲でした。さ、仕事だ、仕事。

ということで家に帰って来てコメント拝見して、いや、こりゃいかんということでYOU TUBE 貼ります。



で、4/5なんですが、かくたさんの米頂いて、早速探したらありました。シールズ&クロフツの「想い出のサマーブリーズ」です。

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