イッツ・ア・パーフェクト・ランチ

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本日の昼ご飯です。主食、ラーメン大盛。タンパク質、ニブタ(ヤキブタに非ず)。野菜類、胡瓜・大根・人参・もやし・木耳ほか。うーん、バランスのとれた食事だ。嬉しくなって、ルー・リードの歌を口ずさんだ。

♪イッツ・ア・パーフェクト・デイ~

しかし、やや食べ過ぎかつ塩分取りすぎな気がする。
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本日の「なるほど!」

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THIS BOYさんから、食生活のお叱りを頂いたからではないが、今日のお昼はコンビニだった。サンドイッチと紅茶を買って店から出ると、ごみ箱を掃除していた。車のシートから眺めていたら、ペットボトルの箱を開けた。

なるほど、中はそうなっていたのか。あまりにシンプルで驚いた。その後、僕は「ユリイカ!」と叫びながら、裸で街を…。

本日の「うむ!」

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治るのか、治らないのか、はっきりしてほしい。

本日のスクープ 大きな声に出して読もう

基地外宿泊 治安懸念も
今朝の新聞を開いて目が点になった。『キ、キチガイしゅくはく?ちあんけねん、あ、当たり前や無いか』。実はこういうことでした。以下宮崎日日新聞より引用。

 新富町の航空自衛隊新田原基地で行われる日米共同訓練で、米軍部隊約80人全員が23日までに到着した。今回は初めて米軍の一部が基地の外で宿泊するため、ホテル周辺では治安面を懸念する声も。“基地城下町”である新富町は、騒音被害や地域振興のはざまで町民感情が複雑に絡み合ったまま、4回目の訓練を迎えた。

 米兵約60人が宿泊するのは、すでに一部が20日から泊まっている宮崎市佐土原町下田島のJR佐土原駅前にあるホテル。朝夕は通学の学生や通勤客らが行き交う。

 23日夕、ホテルの駐車場では九州防衛局職員数人が待機。米兵宿泊について、近くの主婦長峯めぐみさん(29)は「住民にも知らせてほしかった。いきなり会ったら驚くはず」。無職黒木弘さん(69)は「米兵はこれまでにも不祥事を起こしているので正直言うと怖い。訓練の規模も少しずつ大きくなっていると心配する。


ハードロックにハードボイルド、固いことはイイコトだと思ってたのに

 毎週土曜日は恒例の病院通いだ。もうかれこれ4,5年続いている。先週、久しぶりに採血して、今日はその結果が分かるのでややおっかなびっくりでいつもの待合室に入った。珍しく人が少ない。受付で注射と薬が切れてることを話して長椅子に座った。週刊誌を読んでいると、すぐに名前を呼ばれ、先週の採血の話があるので注射は後回しで先生の手が空くまでしばらく待つように言われた。午後から仕事なので、なるべく早くして欲しいと伝えたら、いつもの先生ではなく別の先生のところに案内された。結論からいうとATLのほうは今回心配ないのだが、悪玉コレステロールが多いので、一度動脈硬化の検査をしたらどうかといわれた。そういえばついこの前、仕事仲間のオッサンが突然脳梗塞で倒れて、今意識不明の重体になっていることを思い出して、思い立ったが吉日ですぐ検査してもらうことにした。

 制服を着た女性から奥まった個室に案内されるとそこにはベッドがあった。などと書くと、お、何やら色っぽい話かと期待させそうだが、こちらは単なる検査なので、事務的な指示の元、ジャケットを取り、靴下を脱ぎシャツのボタンを緩めてベッドに横たわった。手と足になにやら血圧計みたいなものを巻きつけられ、心臓のあたりにも装置をつけられた。ナースさんから、「結構締め付けるけど声を上げると、センサーが反応するのでちょっとの間我慢してください」といわれ、「僕の人生は生まれたときからずっと我慢だけです。我慢が日常茶飯事なので平気です」、などと答えた。笑いは取れなかった。やはり僕の顔つきに人生の苦労が刻み込まれているからだろう。それともマジだと捉えられたのか。準備にやや手間取ったが検査はあっという間に終わった。その部屋で少し待っていると、いつもの先生の診察室に行くよう言われた。

 診察室に入ると、いきなり先生から「身内に心筋梗塞とか脳梗塞みたいな血管の病気の人は多かった?」と聞かれたので「オヤジがクモ膜下やりました。もっとも亡くなったのは悪性リンパ腫でしたけど。それから弟は脳梗塞で亡くなって、明日が7回忌です」と答えたら、「あちゃー、遺伝的なものがあるんだ」といわれた。先生は手にした資料を僕の前にかざしてこういった。「drac-obさん、あなたの血管年齢は64歳です。動脈硬化がもう始まってるよ。特に足のほうが良くない。これから2週間薬を出すので、まずコレステロールをやっつけましょう。血管の検査は今度は5月にやるから、心配しなくていいよ。大丈夫」。ろ、ろくじゅうよんさい?ジジイじゃん。外見は30代にしか見えないのに血管はジジイになってるとは…(すいません。外見云々は見栄です)。

 先生の話を聞いているうちに頭の中で音楽が流れ出した。もちろんビートルズの「When I’m Sixty-four」である。しかし、現実は「メニー・イアーズ・フロム・ナウ」ではなく、あと十数年したらという結構リアリティのある未来である。配偶者にバレンタインのカードを送ってくれるかとか、誕生カードやワインのボトルを送ってくれるかい、などといった心配より、オレの血管そのときまで持つのかという、至極シビアな話である。なぜなら今現在が64歳の血管年齢だということはこれから10数年経てば77,8歳の血管年齢になるということであり、そうなるとそうとうあちこちの血管が詰まったり、ブチ切れ足りするのでは無いかという不安がよぎる。ポールのボードヴィル調の曲も何となく哀愁漂う曲になってきた。

 コレステロールが高いなどということは言われたことがなかったので、先生にどんな食べ物に気をつけたらいいか聞いたら「粗食、健康には粗食が一番」といわれた。自慢じゃないが我が家は貧乏である。食事に贅沢なものは出てこない。ハレの日もケの日も粗食である。そういったら、鼻先で笑われた。頭に来たからこれからの食事は一汁一菜、飯と味噌汁だけの食生活をしてやると決意した。そのとき気がついた。オレの血管は弱ってるから、怒ると切れやすいのではないか。いかん、怒るのは止めよう。そうそう、笑っていれば病気にならないとも聞く。そうだそうだ、自分の周囲にある怒りの対象を見つけて、エントリーに書くなどという行為はどう考えても自殺行為だ。いくらオレが怒っても世の中良くならん。よのなかばかなのよ、なのだ。

 決めた。これからは「いつもニコニコ、ウシャコダ」を実践しよう。千葉県への移住も真剣に検討しよう、何しろ「長生きしたけりゃ千葉県に来なきゃダメよ」というではないか。いや、ちょっと待て、千葉県といったらあのいびつな空港があるではないか。あんなもんの名前を見た瞬間、僕の頭の中は怒りが充満して目が眩むだろう。とてもじゃないが押さえきれるわけが無い。また、空港に行かなくてもネズミーランドとかネズミーシーとかいう鬼畜米米(これ間違ってません。米米といってもコメコメクラブではありません。ベイベイと読んでください)のジェニ儲け丸出しの遊園地がある。名前を入力しただけで、ちょっと動悸がしてきた。いやいやとても平穏無事でいられるわけが無い。

 しかし、こうやって考えてみるとタバコも止めて、まあ運動を最近はしていないとはいうものの、以前と比べるとはるかに健康に気を使った生活をしているのに、このざまである。一体、何が悪いんだと大声で叫びたくなるが、そんなことをすると血管が詰まるかもしれん。いや、こうやってくよくよ考えると、クヨクヨ菌が脳内に繁殖し、そいつらが武装蜂起して細い血管内でゲバ棒、竹槍振り回し、それを阻止すべく白血球機動隊がジュラルミンの盾を持って弾圧して、面白がってみている野次馬が投石して、それが当たり所が悪くて血管が切れてしまう、などということはゼッタイ無いとあなた断言できますか?

 結局、いつもの薬にプラスしてコレステロールを抑える薬を処方され、その処方箋を持って一服の清涼剤的精神安定剤的薬局に行くと、いつもここは女の人だけで仕事していたのに、いつのまにか男が一人入っている。あ、このやろう、どさくさ紛れに手を出すんじゃねえぞ、特に会計を担当している女性はオレの好みのタイプなんだから、ゼッタイゆるさねーから、などと錯乱・逆上したのもコレステロールのせいかもしれない。

 ということで、ワタクシ、これからダイエットアンド健康生活送ります。ロックやジャズなどという退廃音楽聴いたり、タバコなのかガンジャなのか良く分からん煙もうもうのライブハウスなんか行きません。社会のよしなしごとを、これはおかしーだろーが、コノヤロー的な怒りをもつことを止めます。過去の高校、大学、社会人になったばかりの頃のヨタ話書くの止めて、夜は1時間ウォーキング、食事は三度三度しっかり取って、お薬もきちんと飲みます。睡眠は8時間確保します。

 ということが出来ていたら、僕の人生は大きく変わっていたと思う。しかし、もうここまで来たら後戻り出来ません。大体、自分を客観的に見て上に書いたようなことが出来るわけも無いし、ホンネをいうとやる気も無い。もっとも命は惜しいので、とりあえず運動と薬はちゃんとしようっと。だいたい、このエントリーを書くという行為は、僕の精神的安定のため、僕自身が読み直して落ち着くために書いているのだ。今更やめられるか。やめたらストレスの発散をどうするのだ。

 ということで、結局医者の忠告もあまり意味をなさないことになりそうですが、しかしやはり健康はイノチより大事です。みんな、何かあったらじゃ遅いので、早期発見早期治療で行きましょう。いつまでも若いと思ったら大間違いだぞ。ほら、これを読んでるあなた、あなたの血管年齢はいくつか、一度調べたほうがいいぞ(と、死なばもろともオペレーションを炸裂させる卑劣なdrac-obであった)。しかし最後の「ということ」3連発は我ながら良くやったな、意味は無いけど。

マイエイムイズトゥルー

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久しぶりの香月さんのライブに来た。スタンダード中心で、「サマータイム」なんかやってくれた。で、だ。以前からリクエストしていた、レオン・ラッセルの「ア・ソング・フォー・ユー」をやってくれた。オレの眼に狂いはなかった。次回は、「スーパー・スター」だ。

しかし隣に座ったオヤジが、学生運動の話を得意げにはじめた。彼に天誅が下らない事を祈る。バカヤロー、場をわきまえろ。

帰り道の車の中で

 野球に興味がなくなった。以前はそれなりにプロ野球の結果を気にしたり、春や夏の甲子園も楽しみにしていたのに、何時ごろからか全然関心もなくなってしまった。「ちかいの魔球」や「黒い秘密兵器」を読んで育ち、当然「巨人の星」の洗礼も受けた世代なのにどうしてだろうか。もっともその兆候はずいぶん以前からあった。僕は野球をテレビで見るよりラジオで聞くほうが好きだったのだが、仕事で車に乗ると最初はつけていたラジオの野球中継を何時の間にか消していることが多くなった。要するにナイター中継(ナイトゲームというべきかもしれないが、ナイターという言い方、和製英語好きなのだ。昭和の哀愁を感じる言葉のひとつだ)を聞いていて、ひいきのチームが勝ってるときはいいけど、負け始めると不愉快になっていくし、その負け方もエラーやミスが原因だと頭にきてスイッチを切ってしまうものの、翌日気になって新聞を見て逆転していたりするとソンをした気がして、すこぶる精神衛生上宜しくなかったからだろう。どこのチームがひいきだったかは書かない。少なくとも「阪神・柏戸・ストーンズ」ではない。

 などと、僕のエントリーにしては珍しくスポーツネタっぽいがそうではない。夕方から夜にかけてのラジオ番組、ローカル番組ではなくてニッポン放送や文化放送から配信されるストーブリーグ中のラジオ番組の話なのだ。先ほど、コメント返しを書いているときに、「ラジアメ」の話など書いたから余計そう思ったかもしれないが、この時期のラジオ番組面白いものが多い。あ、ラジアメはストーブリーグ中の放送じゃないけどね。今日は19時過ぎに偶然車のラジオをつけたらこんな言葉が耳に入った。「…ということで70年代に青春を過ごした方、涙がちょちょぎれるかもしれませんね。今日は4大アーティストの特集を9時までノンストップでお送りします…」

 お、なんだなんだと聞き耳を立てると「クィーン、キッス、エアロスミス…」とまでは聞こえたが、その後が車のクラクションのせいで聞き取れなかった。えーと、クィーン、キッス、エアロその後はチープ・トリックかな?一般的には70年代のハードロックはツェッペリン、パープル、ヒープ、ブラック・サバスなどが出てくるけど、キッスやクィーンといういわゆるお子様ランチ系(ああ書いてしまった、怒られるかもしれないが当時はそういう言い方してミーハーなファンの連中をからかったもんだ。ところがぎっちょんでアルバム通して聞くと全部骨太のバンドだったんだよな)だから、もうちょっと後、70年代も後半の連中の特集だということは分かった。しかしQ,K,Aの後の4番目のバンドはなんだろうと、運転中にも関わらず考え込んでしまった。

 はい、ここで皆さんに質問です。皆さんが「マカロニほうれん荘」を楽しく読んでいた時代、「できんボーイ」の田村信がもしかしたら大化けするかもしれないという幻想をもっていた70年代後半、クィーン、キッス、エアロスミスに続くハードロックバンドは何だったか。是非コメントでお知らせ下さい。また残念ながら、あの素晴らしき70年代を追体験しか出来ない皆さんのコメントも大いに結構です。などと、煽るようなことを書いたが、その番組を聴いていたら、人間思い込みすぎたらイカンということが良くわかった。何もハード・ロック・バンドという特定はしてなかったようで、要は70年代後半、オンナコドモにまで人気のあったロックバンド特集ということで、4番目には”S-A-T-U-R-D-A-Y,NITE”の、”Bye Bye Baby”の”I only wanna be with you”のBCRでした。なーんだ。と小ばかにしてはいけない。BCRを卒業(ちょっとモー娘用語を失敬した)したイアン・ミッチェルはロゼッタ・ストーンというバンドを結成し、あのクリームの名曲「サンシャイン・ラブ」をシングルにしたんだぞ。などということを思い出したが、その演奏は、まあ高校生バンドにちょっと毛が生えた程度の悲しい演奏だった。

 で、ナニゲニその番組聞いていたら、久しぶりにキッスの「ハード・ラック・ウーマン」がかかった。聞いていると、先日のK平さんのコメントで京都の某レコード店の店員が客にこの曲は誰が歌ってるかと聞かれ、自信たっぷりに「ロッド・スチュアートです」と答えた話を思い出し、ま、しかし、聞きようによっては、確かに「アイワズオンリージョーキング」や「胸につのる想い」に似てるな。しかし、寿司屋の職人がアナゴと鰻を間違うようなもんだから、やっぱりアウトだな、などと思った。えー、今日のエントリーはこれで終わり、ほら最初が野球の話だったので、〆は「アウト」で終わるという、ま、これにて一件落着というか、たまにはこういう終わり方も味があっていいんじゃないかな、などと言い訳、言い訳。

地方都市における書店の廃業とそれに伴う文化の衰退を嘆くエントリーというのはウソピョーン

 2月半ばだというのにまるで春先のような暖かい日が続いている。ここしばらく寒いことを口実にして全然散歩をしていないことに気が付き、夕方からウィンドブレーカーを羽織って外に出た。ちょっと歩いただけで汗ばむような陽気さだが、久しぶりに川沿いの道を歩き、大きな橋を渡った。いつもなら川沿いの公園を散歩するのだが、今日は県庁の近くの書店に行ってぶらぶら立ち読みでもしようと思い、そちらに向かった。県庁の楠並木を過ぎると、すぐなのだが生憎シャッターが下りていて、本日は休業みたいなことが書いてあった。花の日曜日なのに商売っ気の無い店だと思い、もう一度張り紙をよく読んでみると「閉店のお知らせ」だった。

頑張れぼくらの地元書店、T中書店は永遠に不滅です

 この書店は地元資本で昔からある有名な書店なのだが、ここ最近以前からの店舗が連続して閉店になっている。それにしてもこの県庁前のお店は、仕事帰りの県庁マンや民間企業のサラリーマン、学生、主婦などで結構にぎわっていたのだが。そういえば、つい先日もたまに行く書店が閉店になっていた。こちらは宮崎の中心部からやや西のほうにある書店で、店はそれほど広くは無かったがコミック関係が充実しておりムック本なども意外な掘り出し物があり結構重宝していたお店だ。

こちらは鹿児島にも同名の書店があったので多分九州はネットしてたのでは

 しかし、良書を選んで揃えていたM脇書店も閉店になり、宮崎市内にあちこちチェーン店を出していたM林堂も本社の経営が厳しいなどという話を聞くと、地方都市の書店は大丈夫なんだろうかと心配になる。ブック・○フやブック・○ーケットなどの新古書店も一時期の集客は無くなってるようだし、世間一般的に本を読まなくなってきているのだろうか。読みたい本はネットで注文すればいいという考え方ももちろんあるが、書店に立ち寄るというのは、ただ本を買うという単純な商行為のみが目的ではないのだ。そこに置いてあるさまざまな本から有形無形のいろいろな情報や刺激を受け、それから忘れてはならないのは活字中毒者にとって香水のような新刊書のにほいというものを胸いっぱい吸い込んで明日への活力にするという大事な役目があるのだ。

 本が売れなくなったことと比例しているのかどうか分からないが、テレビに出てくるアナウンサーや司会者が言葉のいい間違いや明らかに誤読してトンデモなことをいうのを最近良く目にする(耳にするというべきか)。今日の午前中に「味わいぶらり旅」というJR九州がスポンサーになっている旅のローカル番組を見ていたときだ。大分は日田を役者の田中健がぶらぶらするのだが、その画面の説明でアナウンサーというのかなんというのか知らないが、要は状況説明する番組には出てこない声の人がこういった。「ここ、すいきょう日田は…」

 すいきょう?すいきょうと聞いてみずかがみのほうの水鏡を連想するのは三国志オタクだろう。普通は酔狂、『伊達や酔狂ではない』などという表現のときに使う「酔狂」を連想するだろう。しかしテロップに出てきたのは、「水郷日田」である。オイヲイ、「すいごう」ではないのかね。「すいごうひた」と読むのではないのかね。ちなみに「ちばすいごう(千葉水郷)」と発音するとロシアでは「ありがとう」という意味に聞こえるそうだ。五木寛之が若い頃書いていたので間違いない。※帝政です。ちがった訂正です。その後、「日田」は「水郷(すいきょう)」と言うことを知った。「水郷=すいごう」というのは、「利根川下流から霞ヶ浦にかけての地域」を主に指すらしい。潮来の伊太郎のいるほうが「すいごう」なのか。あ、潮来の伊太郎は、恐山にはいません。あっちは「イタコ」だ。とっさに出来た小話回文。ただし北部九州限定。「あの口寄せしてる人は何?」「イタコたい」。

 しかし、なあ。なんだか、この国はどんどん知的退廃がひどくなっていくのではないか。テレビで使っている言葉で未だに納得いかない単語はまだある。「めせん」という言葉だ。あれは「視線」というべきだろうが。最近はもう誰もが平気で「はい、目線はこちらに」なんて使っているが納得イカン。それから「めぢから」というのも気に食わない。何が「目力」だ。「眼力(がんりき)」とはニュアンスがやや異なるようだが、星飛雄馬じゃあるまいし、目にめらめらと炎が燃えて、力が出てきてたまるか。目から出るものは涙か光線と決まっていたのだ、20世紀の少年にとっては。

 というようなことを考えて、エントリーをアップするはずだったが、この前から探しているチャボの「THE 仲井戸麗市 BOOK」が出てこない。探しても探しても出てこないのだ。代わりにセカンドアルバムの「絵」が出てきた。びっくりした。買った覚えが無いのだが、聞いてみたら全曲覚えていて歌えた。間違いなく自分で買っているのに、いつどこで買ったか思い出せない。それで今日仕事の帰り道にブック○フに寄り、廉価盤のコーナーを探していたら仲井戸麗市のコーナーがあって「プレゼント3」が250円で売っていた。嬉しくてすぐに買った。ツ○ヤのポイントがあったので、手出しは100円で済んだ。CDの帯もちゃんと付いていて参加したミュージシャンの名前が出ている。島田和夫、お、元憂歌団だ、早川岳晴、この人と一風堂の見岳章を一頃良く間違えた、「岳」の1字が同じだけなのに、蘭丸、無論麗蘭の元スライダーズの土屋だ、KYON、あ、元絶倫天狗の、元ドクターのKYONだ、などとさりげなく彼の苦節下積み時代のバンド名をあげたりして、で、ホーンセクションは梅津に片山に、板谷、この人パンタの義理のお兄さんで確かもうお亡くなりになったはずだ。などと諸行無常なことを考えた今日、月曜日でした。

なんでもないことですが

先週、FMで聞いた山崎なんとかの訂正発言を聞こうと車のラジオを点けたら、番組はすでに終わっていた。しょうがないので、適当にチューニングしていたら、島倉千代子の「人生いろいろ」が流れてきた。NHKのFMで島倉さん本人を相手にDJがインタビューしていた。

「…で、島倉さんの『東京だよ、おっかさん』は、1957年という本当にもう、随分昔の歌なんですが…」

悪かったな、オラァもうその頃は生まれてたよ。

いじけながら、聞いていたら島倉千代子がこんなエピソードを話していた。「ひばりちゃんは『おとっつあん』が、よく似合い、私は『おっかさん』がよく似合うって作詞の先生にいわれたのよ」

フーン、そんなもんかなぁ。あ、いかん、さっさとメシ食って仕事、仕事。

アイムカミングホーム

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久しぶり高校時代の友人と話しこんだ。30年近い空白が、あっという間に消えた。やっぱり友達はいいな。あ、20世紀少年的友達は、お断りだが。

ただいま移動中

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法事も無事終わり、いとこに本日の待ち合わせ場所である日向駅に送ってもらった。駅舎が改築され、周辺も区画整理されすっきりしていた。自分の知らないところで、ちょっとした変化が起こっていることを再認識した。

ところで前のエントリーで喫煙者へのシンパシーを表明したが、先程行った寿司屋のトイレに吸い殻が捨ててあったのを見て、ちょっと不満。喫煙ルールは守れ。その上で権利主張するのが、筋だろ。

Day Tripper To The Past

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朝9時発の特急列車で延岡に向かっている。昨年亡くなった伯母の法事のためだ。列車の旅の楽しみである車内販売がやってない。別府が終点なので、売上が見込めないのか、人件費とのバランスが合わないのか。ちょっと不満である。代わりに通路に自販機が設置してある。

車内の壁に貼紙があった。ドーローチバのジェット燃料輸送阻止か、ゼネストかと思ったが、車内全面禁煙のお知らせだった。僕は、タバコを止めて4年は経つので平気だが、喫煙者にはイバラの時代た。万国の喫煙者、団結せよと、とりあえずエールを送る。

さて、今回の日帰り旅行で楽しみなのは、帰りに日向でうん十年ぶりに高校時代の同級生と会う約束をしたことだ。僕が修学院に住んでいた時に、無一文で転がりこんで来た男だ。どういう再会になるか、こうご期待!!

奴の女ぁ、それでもいいさ~(by ロシアン・ルーレット)

 一風堂のドラマー、藤井章司氏が亡くなった。一風堂などというと腹話術の芸人(それは『いっこく堂』だろっ、って誰か突っ込めよ)か、今ではラーメンのチェーン店の名前(この店の名前はバンドの『一風堂』から取ったという説もあるらしいが)と間違われるのが関の山だろう。あるいはちょっと古いロックファンだとSHAZNAがカバーした「すみれSeptember Love」のオリジネーターとして土屋の研ナオコみたいな顔を連想するかもしれない。また僕と同世代の人だと、一風堂よりスモーキー・メディスンのドラマーとして彼の名前を思い出す人のほうが多いだろう。まだ54歳だというのに急性心筋梗塞で亡くなったらしい。なんだかここ最近はほんといろんなミュージシャンの訃報ばかりだが、今日は一風堂に関する思い出話を書いていこう。



 一風堂という名前を何時見聞きしたのかははっきり覚えていない。多分78,9年くらいだったと思う。今調べたら、バンド結成が79年なので間違いなく79年か80年初めにライブを見たはずだ。何故断言できるかと言うと、そのとき一緒にライブにいったメンバーの中に、先輩のT原さんがいたからだ。彼は80年の3月に6回生として大学を中退したから間違いないのだ(しかし、物凄い記憶法でしょう!僕の学生時代の記憶の確認法はそのときに誰が何回生だったかというやり方なのだ。しかもたいてい間違っていない)。しかし、ここで全国に多分300人くらいはいると思われる一風堂のファンに残念なお知らせがある。僕が一風堂の名前と存在を知ったのは、実は山本翔のライブを見に行ったからなのだ。

 さあ、ここでまたちょっと聞きなれない名前が出てきました。山本翔、彼は一体何者か。正解は一世を風靡したロックボーカリストだが、こちらも調べてビックリ、なんと95年に亡くなられてました。いや、だからどんなボーカルだという声が聞こえてきそうですが、何を隠そう日本のミック・ジャガーといわれたお人です。結構シングル・ヒットもあって「デビル・ウーマン」とか「アレイ・キャット」なんか良くパチンコの有線で流れていた記憶がある。しかし、なんと言っても彼の最大のヒット曲は「ロシアン・ルーレット」だろう。まだ神通力のあった頃の宇崎竜堂が作曲した軽快なロックンロールナンバーで、曲の終わりに「One shoot,baby」と彼がささやくのだがその声が正しくミック・ジャガーそのものでした。

 その山本翔がサーカス&サーカスにライブに来る、しかもバックは一風堂というバカテクのバンドらしいという噂が瞬く間に今出川方面に広まった。噂の出所はサーカスのバイト兼サークルの元会長のS戸君だったと思う。もちろん、それ以前から山本翔は結構名前が売れていて、僕のいたサークルのストーンズ・ファンの連中はシングルやアルバムを買ったりしていた。かくいう僕自身も「ロシアン・ルーレット」はシングルを、あっ、思い出した。やっぱりライブを見たのは80年の秋か冬だ。T原さんは大学を去った後だ。何故思い出したかと言うと、その頃サークルの後輩の女の子でちょっと好きな子がいて、その子にプレゼントするつもりでシングル買ったのだ。しかし、そのシングルは未だに我が家にある。何故か、あげようと思ったけど、その女の子が好きなのは同級生の男だと判明し、頭に来た僕は学生の立場であっても佐世保重工業の戦いは注視しなければならない、などと訳の分からないことをその女の子に話したことを思い出したからだ。いや、要するにその女の子が佐世保出身で、口ではラジカルなことを言いながらも、実はプチブルラジカルだということが分かって、ってそんな話はどうでもいいっ!!

 テーブル・チャージは結構高かったような気がする。当時の金額で2,000円くらいしたのではないか。またサーカスの客もいつものライブに来るような薄汚い連中(オール・ジ・オールド・パンクスだよ)ではなく、やたらこざっぱりしたというかちゃらちゃらしたというか、それこそプチブルのお嬢様方が沢山いた。当日の入りはフルハウスに近い状態で、演奏までずいぶん待たされた。いい加減退屈して、キープしていたアーリー・タイムスのオン・ザ・ロックをがぶがぶ飲んでいたら、いきなり女の子たちの悲鳴が聞こえた。振り返ってみると背の低いミック・ジャガーがテッド・ニュージェントとDEVOを連れて、ステージに上がってきた。山本翔と一風堂だ。

 ギターの土屋はキンキラメイクに虎の尻尾みたいなのをぶら下げていた。それでテッド・ニュージェントだと思ったのだ。後のメンバーは黄色いツナギっぽい格好と変てこなサングラスをしていて、完全にDEVOを意識していた。カウントも無しにいきなり大音量の演奏が始まった。ボーカル中心のライブだと思っていたが、なんのなんの、バンドがガンガン前に出る。どっちかというと山本翔がかすんで見えるくらいだ。演奏は確かに上手いし、音もど派手で小気味いい。しかし、何かが違う。上手く言葉に出来ないが、何となく違うんだよな、という違和感がずっと続いた。

 ライブでは「デビル・ウーマン」を初めとした、一連のヒット曲はやった。その時点での最新シングルの「ロシアン・ルーレット」もやった。当然だがレコードよりはるかに良かった。しかし、客の反応がなんというか、ロックのライブの反応ではなく、ジャニーズ系のアイドルに対する反応みたいで、翔はもとより他のメンバーも何となくしらけた感じだった。ステージが終わったが、女の子達のキャーキャー言う声は止まない。アンコールの手拍子が途切れることなく続いた。やっとアンコールに出てきた山本翔はこういった。「お前ら、もっとノレよな」。

 アホや、こいつはとそのとき僕は思った。てめえのパフォーマンスで客乗せきれないくせに、お前らノレとはなんという言い草だ。バンドのメンバーも確かにテクは凄いがオリジナリティを感じないんだよ。出てくる音全てが、あ、あれはだれだれのサウンド、あ、これはアメリカのあいつのサウンドのコピーというように、お手本丸分かり、成毛茂のギター教本かっての。その瞬間僕は一気に冷めてしまい、アンコールの「ミス・ユー」(その時点でのストーンズの最新シングル)もお上手お上手という感じでスルーしてしまった。

 なんだか悪口ばかりになってしまったが、その後一風堂は「ラジオファンタジー」だったか、アルバムを聞いてちょっと興味を持った。タイトル忘れたけど「ウィーアーブレイクアウトジェネレーション」というリフが印象的な曲もあったな。もっとも、土屋がジャパンに入ったの入らないのなどという話などは興味を持てず、いつの間にか記憶から消えていた。バブルの盛りにSHAZNAが「すみれ~」をコピーして、それを聞いたときに一風堂を思い出したが、アルバムを買おうとか、チェックしようなどという気は起こらなかった。そして、今日ドラムの藤井氏の訃報を知ったわけだ。なんだか、まとまらない話だが、驚いたことに山本翔と一風堂のライブ音源をYOU TUBEにアップしている人がいた。3本あったが、ここではシングル・ヒットの「デビル・ウーマン」と「ホンキー・トンク・ウィメン」をやってるとこをアップします。それと山本翔亡くなる前はスキンヘッドになってたんだな、ちょっと驚いた。


速報 間違えたらあかん

今、外回り中でたまたまFMつけたら、「ジェシカ」が流れてきた。山崎なんとかというDJが番組でギター特集をしていたらしい。リスナーから『エンディングに流れる曲のギターは誰が弾いてるのか』との質問に、自信たっぷりにこう答えた。『オールマン・ブラザーズ・バンドの名ギタリスト、デュアン・オールマンです!』。あほ、その時はもう死んでるわい。ディッキー・ベッツや、と叫んだ人が全国にいたはずだ。

昨日書き始めたので、日付がずれてますが

 早いもので、もう2月である。今日は、先日来の雨も上がり日差しも暖かく、まるで春が来たような陽気さであった。このところ大学の1年先輩だったK平さんから、メールを何度も頂き、ずいぶんエントリーのネタにさせて頂いた。こういう縁というのは、普段何もないときは、全くぜんぜん無いのだが、一度なにかでからみ始めると、不思議なもので続々からまってくる。あ、からまるといっても決して悪い意味で言ってるのではないので、皆様には誤解なきように。なんだか持って回ったような書き方だが、実は昨日の土曜日、恒例の病院が終わり会社に向かう途中あるメールが届いていることに気がついた。知らないアドレスで「おはがきありがとうございます」と書いてある。スパムだと思って削除しようとしたが、アドレスの文字に引っ掛かりがあり、開いてみると懐かしいDRACの5年後輩のS堂君からだった(つまり、僕が6回生のときの1回生、80年度生になるのかな)。

 彼の近況が書いてあり、懐かしいのと丁度K平さんの話を今書いているので、S堂君の学年の話も絡めて書くと、面白いかなというスケベ心が出て早速返信した。

>メールありがとう。仕事中なので簡潔に書きます。S浦(小)が今年は年賀状くれました。M木君はここ3年程毎年くれます。S浦(大)だけシカトしています。今度彼に会ったら「誰が先輩じゃ」と、僕が言ってたと伝えて下さい。ま、冗談ですが。最近1年先輩のK平さんからメールが来るのでblogにアップしています。君のメールも載せていいかな?もちろんイニシャルで書きます。じゃまた今度ゆっくりメールします。

 S浦君(大、小)、M木君というのはメールをくれたS堂君と同じ80年度生で、当時1回生の彼らから見たら、6回生の僕などサークルの主みたいなもんで、たいそう鬱陶しかったに違いない。しかし、みんな根が優しいというか素直な性格だったので、僕もそんなにいたぶったりしなかったはずだ(いや、『と思いたい』と書くべきかな)。簡単に彼らの紹介をしておくと、S浦君はいとこ同士で一緒にサークルに入ってきた。同じ苗字で名前も良く似ていたが外見は全然似ていない、というか180度違っていた。背の高さから大、小と呼んでいたが、大はメンクラのモデルになるのが夢という、ま、確かにイケメンのオトコだった(といったところで、所詮は安城出身なのでたかが知れてる。みたいなことを僕は学生の頃よく言ってたらしい。いけないな、そういうのは。などと急にいい子ぶってみる)。

 小は、大人しいオトコだったが、負けず嫌いな性格で、よく麻雀してずいぶんカモにしたが、何度誘っても嫌だということが無かった。M木君は島根出身の純朴な好青年で、ややふっくらしていた。いや、オブラートでくるんだ言い方はやめて、はっきりいって小太りだった。理由は簡単で、とにかくよく食べるのだ。僕達が根城にしていた雀荘で「グリーン」というお店があり、そこに出前に来るお店で松乃家という食堂があった。大学の学生会館の裏門の近くにあり、相手は貧乏学生ばかりだったのでとにかく量が多い。ヤキソバ大盛りを頼むと、大きな皿に山盛りで、麻雀しながら食べていると何時までたっても減らず、だんだん手が重くなるなどという経験をしたこともある。

 その松乃家にM木君や確かF田敏雄君(彼も大学とサークルを愛する男で、7年も通った)も一緒だったと思うが、飯を食べに行き、僕が冗談半分で「おい、M木、お前ここの店のヤキソバ大盛りと焼き飯大盛りを残さず食べたら、おごってやるぞ」と言ったら二つ返事で飛びついてきた。店のオバチャンものりのいい人だったので、気合を入れて作ってくれた。その山盛りのヤキソバと焼き飯をものも見事に平らげ、こちらがややあっけに取られていたら、何を考えたのかオバチャン「ボク、食べっぷりええな、うちがおごるからこれも食べよし」といって、更にヤキソバを大盛りで持ってきた。M木君、一瞬たじろいだが、僕の「お前、これ残したらオレおごんらんけんね」の一言で気を取り直し、アッパレ完食した。

 まあ、このようなエピソードから我がサークルにおいても、あまり音楽理論というか音楽批評めいたことはほとんど言わず、ただやたら「RCいいすね」とか「カルメン・マキとOZかっこいいですね」みたいな、ワンフレーズな発言が多かった。その彼もいまや立派な社会人、いやいや一家の主になっているとは、歳月人を待たずです。

>drac-obさんへ、DRAC後輩のS堂です、ご無沙汰しております。年初めにおはがき頂き、ありがとうございます、返信をしなくてはいけないと気にはしていたのですが、正月休みが明け、仕事が始まるとなかなか手につかず、本日、久々に自宅のパソコンを開いたので、
メールで近況報告を兼ねて返信することにしました。

こちらは連日の新聞テレビの報道のとおり、景気の悪化が色濃く感じられるようになりました。私の会社もト○タ系なのでト○タの減産とともに、日々仕事が減っており、今年度の会社の業績も会社設立以来の赤字転落になりそうです。しかし、先行き暗いことばかりを考えても何も生まれないので、前向きに考え、これからは仕事の時間が少し減り、自分の時間が少し増えると考え、趣味や家族と過ごす時間を増やし、今年の計画を立てようかな、と考えています。

話かわりますが、昨年は会社の景気も良かったせいか、仕事での出張等も多く、そちらの九州地方に何度か出張や家族との旅行にいってきました。出張は福岡県飯塚市に仕事関係の会社があり二度程行きました、かつては栄えた炭鉱の町でありさびれてはいるものの、昭和のよき雰囲気が残っていました、夜は居酒屋で九州の肴と焼酎で一杯やり、居酒屋から宿への帰りがけに麻生記念病院なるものも拝見してきました。家族旅行でも熊本、大分、宮崎と回り、宮崎はこのとき人生で初上陸でしたが、高千穂を2時間程訪れました、九州は妻や子供達に評判良く(特に温泉が)、又機会があれば次回は宮崎(青島や都井岬等)に滞在したいと計画を練っていますが、なんせこの景気状況よりいつになるかは未定です。簡単ですが、以上が私の近況です、返信が遅くなり申し訳ありません。

 いかにも学生時代の彼を髣髴とさせるメールで、心温まるものがあった。これを機会にちょくちょく連絡を取り、僕の記憶の曖昧なところを修正してもらおうと思っている。そして、このところ連日の登場ですがK平さんからも、またメールが届いた。今度は写真付きだった。
これが70年代後期の大学生の部屋だ!!
>drac-ob様、またまた転載していただき、有難うございました。懐かしさのあまり、立て続けにMAILしてしまい、特にDRAC関係無しのゲストの皆様には、気分を害されているのではないかと申し訳なく思っています。すみません。と言っておいて、またMAILするなよと思われるでしょうが、今回は、私の一乗寺の下宿の写真が出てきましたので、添付しました。私をBLOGで取り上げて頂いた時に引用された、お借りしていた「4チャンネル リアスピーカー」がご覧いただけます。その節はありがとうございました。TRBやKATE BUSHのポスターがある事から推測できる様に、78年に撮影したものです。写っていない画面右側には、PATTI SMITHやRAMONESの切り抜きを貼っていました。天井には、一人で寝る時の鑑賞用?に「風吹ジュン」「秋吉久美子」「岡田奈々」が貼ってありました。何ヶ月かごとにポスター、切り抜きは張り替えていて、drac-ob様に最初に来ていただいた頃は、「L.ツェッペリン」「D.オールマン」「ジョンコルトレーン」のポスターと右上側壁には、(ATLANTICの権利がグラモフォンからワーナーパイオニアに移る時のごたごたで、発売されなかった)グラモフォンの「移民の歌」テスト盤とWHO「サマータイムブルース」シングル盤とかを貼っていたと思います。

 写真を見て、ずいぶん懐かしかったです。ちょっとピンボケですが、ラジカセにフォークギター(アコギなんてあこぎな呼び方して無かったです、70年代は)、コンポーネントのステレオにポスター、典型的な当時の学生の部屋ですね。鑑賞用(?)に風吹ジュン、秋吉久美子というのも泣かせます。あ、岡田奈々はあんまり僕は好みでは無かったです。

>なぜこの写真を撮ったかと言うと・・・死んだ親父が、長兄(故人)の見舞いのついでに京都で途中下車して私の下宿に行きたいと言ってきたので、急遽レコード等の娯楽品と一緒にポスター類も剥がして、まともな大学生の部屋にカモフラージュせねばならず、撤去前の記念として、撮影したのです。レコードの三分の二(棚二つ分)は、同じ下宿の一
年下の男二人の参考書類と一時的に交換し、おかげさまで、親父が来た時も事なきを得ました。(親父、ごめん!)以下は、またの機会にお伝え下さると幸いです。-sawyer様
盗難に関するコメントありがとうございました。ご推測されたように私は74年法学部入学でしたが、DRAC入部は、一回生と二回生の間の春休み(75年度)でした。drac-obさんと同年入部となります。当時足しげく通っていた同じ74年度法学部の友人A水の下宿(此春寮の対面)に当時のDRAC新会長Y田氏が引っ越して来られ、A水に紹介された縁によるものです。74年当時のDRACを知る者は、drac-obさんの繋がりでは、BLOG中に「T原君」として出てくる74年度英文科入学、同年DRAC入部の男だけかと思われます。残念ながらお役に立てず、申し訳ありませんでしたが、今後共、宜しくお願い申し上げます。K平

 えーと、なんだか今日はサークルの伝言板みたいになったけど、また明日からは構想も新たに書いていきます。今日のネタになってくれたみんな、ありがとうね。

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