とりとめの無い話って、ネバーエンディングストーリー!!

 今週は徹底して、『あの時代の熱き思いを語ろう』をテーマにエントリー書いてます。人によりあの時代が何時の時代かはさまざまでしょうし、熱き思いは何に対しての熱き思いかというのも千差万別でしょうが、拙ブログにお立ち寄りいただく皆様にとっては、音楽と映画と小説と若干の政治かな、ま、早い話がこの大不況の世の中で何の役にも立たないといっても過言ではないが、かといってこれらがないとなると、人生何のために生きているのだといいたくなるような、えー、早い話がDRACの話、いや道楽の話です。ということで、K平さんに登場していただきましょう。もっとも今回は、僕のレスもつけていきます(ここで思い出したしょうもない小話その1。喫茶店に入ってウェイターに「レスカ」と注文したら「いいえ、ホモです」といわれた。などの小話で大爆笑取れたのが70年代であった)。

>drac-ob様、昨晩はMAIL有難うございました。連日のしつこいMAILで申し訳ありません。何せ30年の空白があったもので、僕も次から次に色々なことを思い出して、止まらなくなりました。ウザイと思いますが、しばしお付き合い下さると幸いです。

いえいえ、どういたしまして。おかげさまでコメントも盛り上がり、何より豊富なネタの提供有難うございます。

>1)大口広司が亡くなりましたね。TV、新聞は、お決まりの「テンプターズ~(間にPYGが入ったり抜けたり)~俳優・デザイナーで真行寺君枝の元亭主」ですが、ロック・ファンからすると「ウォッカ・コリンズ」ですよね。と言っても杉本エマ・ジャケットは、アナログ時代にはお目にかかれず、CDでやっと手に入れられました。いいです。再結成盤は「同じ曲を再録してもなあ・・・」と言う感じでした。PYGの「FREE WITH PYG」の二枚組LIVEも持ってましたが、ショーケンの英語カバー曲の発音と歌い方が昔のヘタな高校生文化祭バンドみたいにあまりにもお粗末で、手放してしまいました。時々持っとけばよかったかなあと思うときがあります。タイガースの田園コロシアム二枚組LIVEの方が個人的にはずっとましですね。不謹慎ですが、葬儀に「アラン・メリル」とか「ルイズルイス・加部」とかが、来るのかが気になります。ご冥福を祈ります。

まだまだ若いのに残念です。大口ヒロシ(僕はこのカタカナのイメージが強くて…)といえば、F田敏雄君が「お前、しらんやろ、テンプターズで一番人気があったのは大口ヒロシやで」といきなり断言したことがあり、「ウソつけ、ショーケンに決まってるだろ」と反論すると、いつもの口調で「お前ら、なんもしらんのやな。ほんまにそれどころやなかったんや」とわけの分からないことをいって煙に巻こうとしたことがありました。その話を聞いたT原さんがあるとき大口ヒロシの写真をBOXに持ってきてF田君に見せて「どや、F田、これ見てもまだ大口ヒロシのほうが人気があるんか」と迫りましたが、天下のF田君「いや、ショーケンと同じくらい人気があった時期が…」などと見苦しい言い訳をしていました。杉本エマについては稿を改めてじっくり攻めたいと思います。そうそう、この前のコメントにも書きましたが、萩原健一の「ショーケン」読みました。テンプターズ時代は大嫌いだそうです。で、役者で当てた後のドンジャン・R&Rバンドやアンドレ・マルローバンドはそのまま続けていけば世界が取れたそうです。ま、いいですけど。もっとも石間秀樹をメンバーに入れたりとか結構面白そうな面子ではありますね。

>2)僕が卒業後30年の間、どうしていたかですが、(中略)音楽としては、80年代前半はNWOBHMにはまりました。ANGEL WITCH,RAVEN,GRIM REAPER,TANKとかですね。並行して、大学卒業までに手に入れられなかった60~70年代物、TOE FAT,EPISODE 6,JOHN'S CHILDREN,JERUSALEM,(イギリスの)NIRVANAとかを集めてました。それと、一時期、素人ブルース・ロック・バンドに入れてもらって、最初はベース、後にギターを弾かせてもらってたことがあって、楽器をよく集めました。楽器の話はまたの機会にします。そのバンドは、軽音出身者が多く、結構ハイレベルで、僕だけが低レベルの素人芸で、一人足を引っ張っていた感じです。毎週末、後に映画「魔女卵」の一場面にも使われたと言う貸スタジオで三時間位練習して、二度ほど人前で演奏して楽しかったですが、それぞれが、転職や実家に戻ったりで、すぐ解散となり、一人を除いて、もう音信ありません。5歳上のギター兼ボーカルの人がリーダーで、非常にうまかったです。この人とももうつながりはありません。この人に関しては、僕が、一瞬「母さん真っ青、マミーブルー!」になったエピソードがありますので、ご紹介します。

 考えてみたらK平さんとは、多分80年以降はお会いして無いと思う。79年の3月に卒業されて、たまにBOXや下宿に遊びに来たことはあると思うが、学生時代のようにバカ話をだらだらするようなことは無かったはずだ。卒業後のK平さんのことで一番良く覚えているのは、誰かの下宿で音楽話をしていてパンタ&HALの「マラッカ」の話になりK平さんが「信じられんほどのトロピカルサウンド」と発言してそれを聞いた僕は『K平さんもパンタや頭脳警察聞くのか、やはり社会人になるといろいろ大変なんだな』と訳の分からない感想を持ったことがあった。で、マミーブルーのお話ってなんでしょ?

>ある日、二人のみで雑談という時がありました。「大学はどこ?」と聞かれたので、当然「同志社です。」と答えました。すると、次に僕の心臓が止まるような一言を彼は発したのです。「昔、同志社の別館に忍び込んで、オーディオを盗んだことがある。」君もびっくりしますよね。僕の在籍中にもDRACのBOXに賊が入り、オーディオ一式とレコードを盗まれたことが、二回ありました。(まさか!この男が犯人だったのか・・・)と一瞬言葉を失いました。DRACのことは、何も話していなかったのですが、悟られないように探りを入れてみました。「オーディオとなると、音楽系のサークルから盗んだんですか?」「いや、放送局だった。」「当時の流行りだと、山水のアンプ、DENONのプレーヤー、M6のスピーカーあたりですか?」「売っ払ったからおぼえてない。」「まさか、社会人になってからしませんよね。学生の頃の話ですよね。」「そう。」で、これに関する会話は終わりました。彼が正直に答えたとして、この話から推察すると、同じ穴の狢とは言え、DRACに入った賊とは、別人と言う事になります。この会話の日からずいぶん経ってから、彼の家に招かれた時、さりげなく、レコード棚を見せてもらい、BOXから盗まれたレコードが無いか、チェックしましたが、僕の「TANGERINE DREAM」とか「STEAM PACKET」とか「SWITCHED ON BACH」とかも他の部員が盗まれたものも有りませんでした。オーディオもBOXのものとは、全く別物でした。この男が真犯人だったらドラマチックの極致だったのですが、そうはイカのキンXXの結末で、すみません。90年代の話は、またの機会にしましょう。では、また!K平

 な、なんと、別館ドロとの遭遇ですか。あれはいつのころやったやろ、夏の熱い晩やった、あんまり寝苦しいもんやさかい、表をあるいとったら、あるわあるわ、オーディオの山、などと錯乱して「とったらあかん」のフレーズが飛び出したが、僕のいたサークル何度もドロボウに入られてオーディオやレコード盗まれました。最初は多分1回生の頃だから75年だと思うのだが、ある日BOXにいったら、表のドアに大きな穴が開いている。「ん?ん?」と思って入ると、すでに先輩たちが何人かいて話をしている。聞いてみると夜中にドロボウが入って、プレイヤー、アンプ、スピーカーなどを盗まれたという。すぐに僕はケーサツ呼ぼう、警察と喚いたが、そこは冷静な先輩方「別館自主管理」「国家権力の介入阻止」などの意味不明な単語が飛び交い、結局サークルの上部団体組織に被害を報告しただけだった。その後も何度かドロボウは入り、オーディオやレコードが盗まれることがあった。もっとも僕らのサークルだけでなく、他のサークルも現金をやられたとかちょくちょく被害があったらしい。後年、その手のことをするのはあいつらではないかという疑惑のサークルもあったが、学生同士それほど追及することも無くうやむやに終わった。しかし、サークルの予算も決まっていたから、オーディオ盗まれるたびに映画やイベントを企画したり、学園祭でオカマ喫茶やったりして資金作りしたのだ。僕も「渚のシンドバッド」を何十回も踊って稼いだのだ。しかもミニのチャイニーズドレスで。

 ちょっとした落ちもついて、なかなかに楽しいメールだったでしょう。で、今日はここまでと思っていたら、先ほどまたメールが届いたので一緒にアップします。

>drac-ob様、その後もBLOG本体、皆さんのコメント共々楽しく拝見させていただいております。 1)sugarmountain様記憶違い失礼しました。当日、M原君と京大西部講堂前で待ち合わせたのと,彼が警備していた姿を見てないので、僕の近くにいなかったと言うのは憶えていても観客として、一緒に観た記憶になったのでしょう。2)71年からの外タレの本格的来日ラッシュの頃、僕は南九州にいたので、その時全盛期を迎えていたアーティストの来日には、全く縁がありませんでした。70年の大阪万博にも行けなかったので、ロック系ではないですが、メリー・ホプキン、ライトハウス、ボサリオとかを観れなかったのも心残りです。京都に来てから大物を観たのは、75年のQUEEN初来日(神戸国際会館)でした。それまでの第一期FREE,GFR(F田敏雄君が行った),PINK FLOYD,LED ZEPPELIN,第二期DEEP PURPLE,YES,URIAH HEEP,BBA(Y田光男会長が行った),HUMBLE PIE等、当時旬の大物アーティストは、全て見逃しました。京都に来てからF田君やY田さんの話を聞くと、悔しかったです。仮に後で「懐メロの人」として来た所で意味無いですもんね。ROLLING STONES初来日が中止になった時は、不謹慎ながらかえってほっとしたものです。唯一の例外が、72.7.24に甲子園球場で行われた(名前はジョイントコンサートでしたが)、第二期FREE(RODGERS,KIRK,TETSU,RABBIT)が前座扱いのMAINがEL&Pのコンサートでした。夏休みに入ってからのコンサートでもあり、親に頼み込んで、OKもらい、日向から今は無き、ニッポン・カーフェリーの二等雑魚寝で神戸まで乗船して観に行きました。FREEは「SEVEN ANGELES」と言う盛り上がりようの無い曲から始まり、「RIDE ON PONY」はやったものの「ALL RIGHT NOW」も「FIRE AND WATER」も「MR.BIG」もやらず、観客のほとんどがEL&P目当てであったのであろうとは言え、盛り上がらなドッチラケのLIVEでした。唯一盛り上がったのが「HONKY TONK WOMEN」。FREEにも観客に対しても「おい!違うだろ!」と思ったものです。あの盛り上がらないLIVEからは、その後「FREE AT LAST」と「HEARTBREAKER」で まあまあの復活をするとは、考えられなかったです。EL&Pは「ホー・ダウン」から始まり、「タルカス」「展覧会の絵」の抜粋等をやって、良かったです。本当に全盛期と言う気がしました。ただ、報じられたように最後の方のナイス時代「RONDO」の途中に一人の男の観客が、フェンスを乗り越えてステージに向かって走り出し、警備員がその男を取り押さえようと集まった隙に他の観客も次々に乱入し、電源が切られ中止となりました。ロンドの後はたぶん「ナット・ロッカー」をやる予定だったんでしょうね。こうして、僕は、本格的ロックコンサートを初めて体験できた訳ですが、帰宅して二日後に結核を発症してしまい、高校二年の残りの二、三学期を棒に振り、その後同様の県外コンサートに行く「親の許し」は出ないと言う悲惨な結末となったのでありました。では、また!K平

 いやー、フリーとエマーソン見て結核ですか。命がけのライブですね。フェリーの雑魚寝はやった人間で無いと分かりませんよね、あの苦痛。とりわけ夏場のねっとりした暑さと床のカーペットの湿り気がなんともいえなかったです。冬場は冬場で暖房のむっとした空気とあちこちで臭ってくる日本酒や焼酎の臭い。ひどいときはそこらでゲロしてるやつもいました。しかし、そうやって見たライブだけに多分一生忘れることは無いでしょうね。というところで今日はおしまい。このシリーズしばらく続くと見たね、オレは。

 おっと最後にフォーリーブスの青山孝史が亡くなった。北公次がジャニーズ批判のバクロ本を出したときに、かばった男気のある人だった。にっちもさっちもどうにもブルドッグ、ワオ! 合掌。

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気持ちは、分かるが

20090127162247
とあるスーパーのトイレにあった貼紙。何回か、読み直して意味がわかった。

毎日ゴミをここに持ってくるあなた!ダメですよって、日本語は難しいな。

この手の話は止められない、とまらない、エビセン体質なのだ

 昨日書いたエントリーを読んで、K平さんがまたもやメールをくれた。これまた濃い中身なので、見切り発車でアップしたい。

drac-ob様、BLOG拝見しました。有難うございます。また、長々と想い出話ばかりですみませんが・・・

 1)石井聰互は、78年頃だったでしょうか、一乗寺の京一会館(映画館)で見ましたよ。「観た」ではなく、「見た」の漢字をあてたように石井が京一にイベントのゲストで来たのです。

村八分の例がありますから君も来てて、「知っとるわい!」の内容かもしれませんが。錚々たる顔ぶれで、「原田芳雄」、故「松田優作」、「竹田かほり(後の甲斐よしひろ夫人)」、「亜湖」、脚本家「中岡京平」、当時新進監督だった「大森一樹」と「石井聰互」がゲストで、進行役が「阿藤海(現:快)」でした。上映作品は、中岡脚本の「帰らざる日々」で、「竹田かほり」以外は出演して無いので、イベントの内容としては、焦点が定まらない感じでしたが、有名人を一杯見れたと言う点では、価値ありました。「帰らざる日々」の他に大森のメジャーデビュー前の16mm自主製作作品「暗くなるまで待てない」と石井の8mm「突撃!博多愚連隊」が上映されました。「突撃!・・・」は、博多弁の台詞の上に音声が聞き取りにくくて、映像で雰囲気を味わうしかなかったですが、荒削りな面白さは感じ取れました。

松田優作は、本人の心の中はわかりませんが、個人的には、シャイと言うより、「何でおれ様がこんなしけたイベントに・・・」と言う感じのなめたような、しらけたような、印象を受けました。トークコーナーで、阿藤海が問いかけてもほとんど喋らず、阿藤海がかわいそうだったです。

 2)映画と言えば、ついでに「ミケランジェロ・アントニオーニ」の「欲望」を大学時代に初めて観た時の話をさせてもらいます。「欲望(ご存知のようにタイトルはポルノ風だけど、エロでも何でも無い。VIDEOやDVDを持っている人は、家族の誤解の元となっているのではなかろうか)」は、ご存知のようにジェフ・ベックやジミー・ペイジの記事やレコード解説でよく引用されるヤードバーズの演奏シーン(口パクではあるが)が出てくる事で有名な映画です。しかし、南九州では、上映されなかった(僕は、68~72に来た映画はほとんど観に行っていたので間違い無いと思う)。評論家や執筆者が引用するのを目にして、ずっと悔しい思いをしていました。同じ法学部の同期で、映画好きの男がいて、出会った頃、この話をしたのを覚えていてくれて、ある時「今度、イタリア会館(京都大学近く)でミケランジェロ・アントニオーニ特集がある。」と葉書大位のチラシを見せてくれました。確か「赤い砂漠」とか5作品位を日替わりで上映だった(残念ながら「砂丘」は無かった)が、僕は「欲望」しか興味がなかったので、「欲望」のみを彼と観に行きました。上映当日の晩、イタリア会館に行ったら狭い会場と言え、大学生を中心に超満員。「南九州でこんな上映会をやってもガラガラだろうなあ。さすが、πが大きい学生の街。」と変に納得したものです。そもそもそのシーンを観るのが 一番の目的だったので、だらだらと観てました。一時間半位過ぎてからやっとそのシーンが始まり「STROLL ON」のイントロが聴こえるや否や観客の4割位から「ウオー!」の大歓声が起きました。「予想はしていたものの半分位は俺と同じ目的で観に来てたのか・・」と面白かったです。家で「欲望」のDVDを観る時もこのシーンのみです。それではまた!K平


 僕も早速返信した。『メールありがとうございました。京一の話は全然知りませんでした。すごいメンバーですね。「欲望」は、未見です。昨日Yマダ電気に700円くらいで売っていたので、買って見てみます。毎回、楽しいネタ提供していただき感謝です。それではまた』。夜、家で食事も終わり、そろそろ寝る準備をするかと思っていたら、メールの着信音がした。K平さんからで、更にこゆーい内容の話だった(ちなみに「こゆい」というのは方言でしょうか?「濃い」はすぐ変換されるけど「こゆい」で変換すると「故油井」などと、今は亡きジャズ評論家の油井センセになってしまうのだ)。

drac-ob様、今晩は。昼間は早速の返信有難うございました。

 1)「欲望」も内容に合わない日本語タイトルですが、もうひとつくだらない同例を思い出しました。イギリス映画「茂みの中の欲望(原題:HERE WE GO ROUN
D MALUBERRY BUSHES)」です。TRAFFICがタイトル曲を歌っていて、日本では、ISLANDレーベルが、キングに移る前のフィリップスの頃のシングル盤(手裏剣型の穴)で持っていましたが、肝心の映画は観たことが無く、サラリーマンになってから確か神戸のサンTVで放映されたのを観ました。後年「ザ・コレクターズ」の加藤らが中心となって、上映会を開いたと聞きます。彼も深夜TVで観たが、、もう一回観ようにもVIDEOも発売されず、劇場の一般公開も無く、自分たちで上映することにしたと語っていました。内容としては、コミカルな軽いB級エロチックコメディーですが、「立ちっぱなしのBAD BOY」になるようなものでは、ありませんでした。昔NHKの「ヤング・ミュージック・ショー」で放映された、「CREAM解散コンサート」やELP「展覧会の絵」であったような当時流行りのサイケな画像処理が所々出てきて、見辛かったです。

 2)パンク系のLIVEの思い出です。1.京大西部講堂のSTRANGLERSは、
LIVEとほぼ同内容で、ゴリゴリしたサウンドがよかったです。しかしながら座席を取っ払って、ALL STANDINGで、僕は、STAGE向かって右の最前列にいて、J.J.バーネルやH.コーンウェルが間近で見れたのはよかったのですが、すぐに、後ろから観客が押しかけて、圧力でステージで圧死しそうになりました。LIVEを楽しむ所でなくなり、本当に死ぬかと思いましたよ。

 2.大阪フェスティバルホールのTOM ROBINSON BANDも締まった演奏で、特にギターの兄ちゃんがよかったです。

 3.RAMONES初来日は、大阪寺田町の「あひる」と言うLIVE HOUSEで観ました。ニューヨークパンクの代表格なのに観客は30人位しか来ておらず、二回公演の予定が、一回で終わりました。ここもALL STANDINGで、床に機材を置いて、立った観客が半円形に囲むSTREET LIVEのようなもので、間近で見れてよかったです。後になって、しょっちゅう来日するようになり、またいつか観ればいいかと思ってたら解散、すぐにJOEYもJONNYも物故となり、もう一回位行っとけばよかっ
たかなあと後悔してます。

 4.CLASHは、初来日が遅く、「LONDON CALLING」の頃で、1、2枚目の疾走感が好きだった僕としては、不完全燃焼でした。

 5.PATTI SMITHもまあ良かったけれど、来日が遅すぎて、LENNY KAYEとの組み合わせを観たかった僕としては、これもまた不完全燃焼でした。

 6.頭脳警察は、7を発売する時の再結成LIVEを大阪城公園で観ました。「悪たれ小僧」からの曲が結構多かったかな。良かったですよ。RAMONES以外は、故M原君と行きました。ついでにPUNKとは無関係だけれど、「サーカス(もうCBGBと名称変更してたかなあ)」で観た、元ハルヲフォンの近田春夫が一時期結成していた「BEE
F」が印象深いです。近田春夫と言えば、そこそこ有名だと思うのに客は二組位しかおらず、僕らのテーブルの真前で演奏してくれました。バックが後に「ジューシーフルーツ」を結成する面々で、「奥野敦子」も「GIRLSのイリヤ」ではなく、コスチュームも髪型も芸風も「ジューシーフルーツのイリヤ」が 出来上がっていました。近田春夫に「そこのお兄さん、いやらしそうな目で見てるねえ!」と言われたのをよく覚えています。またまたくだらない話で失礼しました。では、また!おやすみなさい!K平


 このメールについては若干補足しておくと、近田春夫とBEEFはサーカスで2回ほど見た。1回目は「電撃的東京」を出したばかりの頃だと思う。フォーリーブスの「ブルドッグ」やオリジナルの「恋のTPO」などが印象に残っている。イリヤは十分可愛くてセクシーで、僕も間違いなく「いやらしそうな目」で見ていたと思う。もっとも、僕が見たときはそれなりに客は入っていて、近田からNHK的拍手のやり方をリハーサルさせられた思い出がある。しかし、K平さんのこだわりも相当なものがあるなと再認識して、そういえば「鳥肌音楽」をやってるsugarmountain君とは面識があったか気になってメールしたら、SM君は79年入学でK平さんは79年卒業なのですれ違っていた。もっとも故M原君の紹介で1度会ったことはあるらしい。おっと、こんな話を書いていくときりが無い。また構想をあらたに「DRAC攻防史」じゃなかった(どこと攻防するんだ!)、「DRAC興亡史」の続編をしっかり書こうっと。

駆け足日記

思い出した、ここに通っていたのは36年前だ!!
 転寝から目が覚めたら22時過ぎていた。貴重な日曜日の夜の時間が無くなるところだった。今週は何かと気ぜわしくて、いろいろ収穫があった週なので忘れないように書いておく。この前アリバイ的なエントリーをアップして、その中で79年の村八分の再結成ライブを西部講堂で見たと書いたら、サークルの先輩のK平さんからメールが届いた。なんと彼もそのライブを見ていたそうだ。ご本人の許可もいただいたので、メールを転載する。

drac-ob様、ご無沙汰です。今朝のBLOG拝見しました。 1)僕も 79年7月
の 京大西部講堂 村八分再結成LIVEを 大阪から観に行きましたよ。期待
して行っただけに 個人的には ずっこけました。いきなり「I SAW HE
R STANDING THERE」「DIZZY MISS LIZZY」で
したからね。「おいおい、なんでBEATLESナンバーなんだよ!お前らのル
ーツはSTONESだろうが!」と ムカッと来ました。総じて 演奏がチャラ
チャラしていて、懐メロ番組の「ワイルドワンズ」か「ジャガーズ」のようで、
最後まで居らず、途中で帰ったと思います。 2)ルネッサンスもそうでしたが
、今や宮崎も色々な音源が 手軽に手に入るようになったのですね。私の宮崎時
代とは、隔世の感があります。「N村楽器店」「H楽器店」「橘デパートのレコ
ード売り場」と昭和46年頃に開店した「BUB」と言うN村の小さな別SHO
P(ここは結構ROCK色を感じた)か、橘通裏の歌謡曲中心のレコード屋位し
か、選択肢が無かったし、音楽雑誌の広告や新譜紹介に出てるのさえ、店頭に並
んでおらず、取り寄せてもらわねばなりませんでし
た。極端な例では、超メジャーな「JEFFERSON AIRPLANE」や
「JIMI HENDRIX」を取り寄せてもらいました。今で言えば、「コブ
クロ」や「EXILE」が店頭に並んでない状態でしょうか。そんな状況で 店
頭に並ぶとは思えない「PETE BROWN&BATTERED ORNAM
ENTS」の1STを N村で見つけ、興奮してすぐ買った、高1の日を思い出
します。学校で自称ROCKファンと言っても BEATLES,CCR,SA
NTANA止まりで、一般人はポールモーリア、レーモンルフェーブルだったし
、ストレス状態でした。宮崎M高校二年の同級生で、「一枚目が発売前に中止に
なったから 二枚目も絶対、途中で発売中止になるだろうと思って急いで買った
ら やっぱり発売中止になった。」と「頭脳警察セカンド」を買って喜んでた女
の子だけが、ROCKを感じる子でしたね。 3)1.20夜に A水隆志君か
ら「シーガイアで11月にあったテニス大会の時に撮られた集合写真が テニス
マガジン二月号189ページに載ってるから 書店で見てみて・・・」のMAI
Lをもらいました。残念ながら 僕は まだ書店に
行けてません。MAILもらって すぐ携帯にTELして、8分位 話をしまし
た。お父さんは入院中だそうですが、本人は元気に テニスと音楽を楽しんでい
るようです。二年前の時は、銀行の後輩とデュオで レミオロメンの「3月9日
(奇しくも彼の誕生日、大学時代は、「俺の誕生日は”ザンクのチッチ”だ!」
と言ってました)」とかを 人前で演奏したと言ってました。僕も 幸楽の小島
勇氏のように? 落ち着いたら 親父バンドをやりたいものです。 長々と 失
礼しました。 それでは、また! K平


 メールを読んでいくつか思い出したことがあった。確かに再結成した村八分はスタンダードナンバーが多くて意外だった。一つにはキーボードに隣さんが加わって、オリジナルを練習する時間が無かったのだろうが、それでもフジオちゃんが歌う「マネー」は妙に切実感があり、本当にお金に困ったのでバンドを再結成したんじゃないのかと思うような演奏であった。そういえば当時サーカスのブッキングをしていたO釜さんが「あのメンバーは5年前だったらスーパーメンバーだったんだけどな」と話していたのを思い出した。それだけ期待されながらも、見事に外すのがある意味村八分らしいといえばいえるが。西部のライブがぱっとしなかったせいか、その後の村八分のニュースは全くといっていいくらい入ってこなかった。隣さんはDUFFとしての活動もそのまま辞めてしまったのではなかったか、このあたりは記憶に無い。

 丁度そのメールを頂いた日に、恒例の月一ライブの会の新年会を行った。月一ライブの会などと名前は大層だが、いつものY尾君と今月はぱっとしたライブが無いので、いつもの居酒屋で飯を食って、そのあとLIFETIMEでJAZZを大音量で聞こうと約束したのだ。19時前に縄のれんをくぐると、Y尾君は新聞を読みながら先に始めていた。乾杯をして世間話をしているうちに、結構盛り上がってきて、昔Y尾君と一緒に僕の下宿に転がり込んできたN井君に電話したり、共通の知人の噂話などをつまみに1時間ほど飲み食いした。いい感じになってきたので歩いてLIFETIMEの階段を登っていたら、物凄い音量でサックスの音がする。どうもレコードではなく、生演奏のようだ。お店のドアを開けるとステージにユーフォニウム、ドラム、ベース、ピアノというカルテットが熱演していた。

 入ってみるとお客は誰もいない。ライブではなくてセッションをやっていた。ドラムはマスターで、ベースはスワゾノ君、そしてステージの中央には我らが歌姫、香月保乃さんがいた。マスターから「誰かに聞いてきたの?」と聞かれたが、全くの偶然でお店に来たと話した。なかなかに熱い演奏を聞かせてくれて、いい気持ちでいたのだが、ピアノの音がやや小さくて遠慮がちなのが気になった。良く見るとメガネをかけた若い女性で、多分まだ新人さんなんだろうと思っていた。演奏が終わって、2人しかいない客へのサービスだろうか、香月さんとピアノの女性が僕達のところに来ておしゃべりが始まった。話していて気がついた。浜月さんだった。メガネで全然イメージが違う。休憩のあと、また同じメンバーで演奏を始めたが、途中で2人お客さんが入ってきて、なんとそのうちの一人がステージに呼ばれピアノを弾き始めた。なかなかにファンキーで力強いピアノであった。その男性が演奏している間は、浜月さんは後ろに座りじっと鍵盤を見つめていたのだ。これも勉強なんだろう。

 セッションが終わり、香月さんとかなりいろいろな話をした。オジサン二人の言うことは毎度同じで、ジャズ・ジャズした歌だけを歌わずに70年代ポップスを中心とした幅広い歌を歌ったほうがいいと以前に見たさがゆきさんの「We’ll Meet Again」の素晴らしさや昨年も見たカルメン・マキの凄さを延々としゃべったのだ。いい迷惑である。そのときにちょっと嬉しかったのは、僕のエントリーを香月さんがたまに読んでくれているようで、「あんな長い文章を良く書けますね」などと冷やかされた。お店を出たのは24時前だったが、とても楽しい時間を過ごせた。よく考えたら、学生時代にサーカスに入り浸っていたころは、こういうサプライズ・セッションみたいなことが時々あり、それが楽しみで通っていたのだ。そういうことあったよね、THIS BOYさん。

 週末、土曜日は念願だった石井聰互のDVDボックスを入手して「狂い咲きサンダーロード」をおよそ30年ぶりに見た。この話は他のDVDを見終わってから、書くかもしれない。記憶以上に泉谷とパンタの歌が効果的に使われていた、そうそう、モッズも。そして今日、日曜日は上の子の3者面談でこちらも30年ぶりくらいに卒業した高校に行った。時間まで廊下で待っていたが、当時と変わらない隙間風だらけの廊下から見える景色を写真に撮った。我が子の進路を自由に選択させることが出来ない、自らの経済力にふがいない思いをしたが、我が子は我が子なりに不自由の中で自由を得ようと頑張っているのだと、このときだけはちょっと父親として嬉しかった。

買っちゃいました

20090124010324
24マンエンの物が1マン2センエンで売っていた、と思いこもうとしたがダメだった。諦めようとした、正にその時一割引きに気がついた。日頃の行いのおかげである。じっくり見ます。

数学出来んのが、なんでいかんとや!!しまった、これは受験生には見せられんな、って見ない罠。

知的退廃も、ここまでくれば

しかし「砂の女」だけですか、最近書店でも見かけなくなったな
コモン君がデンドロカカリアになってしまうぞ。

例によって全然バラバラです

 このところ、雑件に振り回されてエントリーに手が回らなかった。時間が無かったわけではないが、ちょっと億劫だった。この前のショートエントリーに書いたように、上の子がセンター試験とやらでぴりぴりしており、下の子ももうすぐ入試だというのに教科書をノートに書き写すみたいなことしかしておらず、配偶者の怒りは毎日炸裂、誰が悪いのか、全ては子供に甘いチチオヤがイカンと、まあある面それは間違っていないのだが、今の世の中でそんなに勉強・ベンキョウなどといってもろくなことは無いぞ。ましてや私立の文系の大学になどいったらヘタすりゃアカになるぞ、それでもいいのか、あ、その前に我が家の経済力では国公立の大学に行ってもらわないととても無理だが、どこか入れそうな学校はあるのか、願書は取ったのかと、もう混乱の極みであった。

 これは今の我がポンニチの大学入試制度があまりに複雑怪奇なのが原因なのだ。それで、我が家も混乱するのだ。どうして大学を受験するのに全国統一の試験をするのだ。しかも前期だとか後期だとか、わけがわからん。昔のように国立は一期校、二期校でいいじゃないか、駅弁大学どこが悪い。私立は国公立の前に一気呵成に試験をしろ、地方試験でもいいじゃないか、などと僕の叫びは我が家では一顧だにされず、むなしく消えていく1月の夜という日が続いていたのだ。

 もう一つには、あちこちのブログやHPをうろうろしていたら、確かくるみさんのトコの掲示板だったと思うが、無料のゲームを沢山紹介しているサイトのことが書いてあり、軽い気持ちで訪問したら、いや、いろんなゲームがあって、試しに麻雀とコイコイをやったらすっかり嵌ってしまい、うっかり熱中してやっていたら、いつの間にか下の子が後ろに立っていて「そこは赤短狙いで」とか「猪・鹿・蝶しかない」とか口を挟む。「お前は受験生だろうが、勉強せんか」と叱ると、「家族で一番弱いからと言って逆切れせんでよ」と本人が逆切れする始末。いえ、実は我が家で花札一番強いのは配偶者、次が下の子、その次が上の子、でオイラがドンケツという結果が今年の正月に判明したのがケチのつきはじめでした。

 そういうわけで(どういうわけだ)、なかなかエントリーを書けなかったのだが、これからはまた少しずつ、思ったこと感じたこと、それから思い出したことを書いていこうと思う。下書きではないが、11,12日の連休のあと、毎日あれを書こうとか、今日のこの話を書こうと、頭でシュミレーションしていると何となく書いたような気がして、さらにはそのエントリーに対するコメントまで貰ったような気がして完結していました。こりゃいかんな。思っただけで実行しなければダメだとケストナーも言ってる。幽玄実行だ。あれ、字が違う。決断と実行というのは70年代自民党のテーマだったけど、それとは違うか!?

 蛇足;自分に対するお年玉で買ったCD。村八分「ライブ+1」思った以上に音が良かった。一気に聞いてしまうなぁ。でもボーカルは死んだし、ギタリストも再起は難しいだろうな。79年だったか、だててんりゅうの隣さんがキーボードで参加した村八分を西部で見た。もう全然別のバンドみたいだったが生のチャー坊やフジオちゃん(彼とはその後学生会館で予期せぬ再会をするのだが)を見れたのは収穫だった。

サンハウス「クレイジー・ダイヤモンズ」83年にカセットでのみ販売された再結成ライブの完全収録。これも予想以上に音が良かった。鮎川さんも菊も最高にカッコイイ。大音量でガンガン聞いていたら、久しぶりに耳鳴りがした。こういう音をたまに聞かないと人間が小さくなるような気がする。あくまで気がするだけだが。

頭脳警察「時代はサーカスの象にのって」カップリングは「間際に放て」である。去年の6月くらいにリリースされたシングルだけどなんとなく買いそびれていた。タ○レコに行ったらあったので、すぐに購入。歴代頭脳警察の中で最強のメンツではないか。パンタバンドにトシがゲスト参加しているという見方もあるが、あえて頭脳警察名義で出すところにパンタのこだわりを感じる。ジャケットの写真の女の子とパンタ、トシのアンバランスさがいい。中近東の服装をしているのと、内ジャケットの写真ではパンタがファーストのTシャツを着ているのが気になった。考えすぎか。

ニック・ロウ「JESUS OF COOL」30周年記念紙ジャケ。サービス精神旺盛な人である。大ヒット曲「Cruel to be kind」は一時期僕の下宿のテーマソングだった。ジャケットも面白いしオリジナルアルバムと同じボリュームのボーナストラックが入っていて、更にネットに接続すると2曲無料でダウンロードできる。もう、お腹が一杯になる。でも一気に聞けるんだよな。最近、デビュー当時のコステロやトム・ロビンソン・バンドなんかが無性に聞きたくなる。一体どうしたのだ。

ランディ・ニューマン「ベスト」鳥肌音楽をこの前見ていたら、ランディ・ニューマンのCDはずいぶん廃盤になってるらしい。僕が大学のサークルで最初に研究会を主催したのはライ・クーダーだったが、実はその後ハリー・ニルソン、ランディ・ニューマン、エリック・アンダーセン、キャット・スティーブンス、フランソワーズ・アルディなどの研究会をたくらんでいたのだ。そう、シンガー・ソングライターを系統立ててやってみたかったのだ。もちろんこの企画がどうなったかは、拙ブログのおなじみの皆さんは簡単に想像がつくでしょう。ネバー・エンディング・ストーリーに終わったわけです。でも、いつかはきっと、いつかはきっと(ここ渥美清の「よいしょ」を歌っていただくとありがたいです)。

 と、まあ勝手なことを例によって書いてきましたが、実はどうにも気になることがある。というのも町中のブック○フに石井聡互の「パンクイヤーズ」が12,000円で出ておるのだ。定価は240,000円だから半額なら安いじゃないかと思うのだが、DVDに一気に12,000円出費すると僕の2009年計画経済が一気に崩壊する危険性があるのだ。しかし、「狂い咲きサンダーロード」見てえよー、「高校大パニック」見たいよー。どうする、アイフルなのだ(古っ!)。

エッシャーを見た

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雨に煙る日曜日の夕方、センター試験の終わった上の子と、もうすぐ入試の下の子を連れて美術館に行って、エッシャーを見た。大変面白かったが、見ているうちに目が回り気分が悪くなった。今度は天気のいい日に行こう。

ビッグプレゼント、お年玉上げます!!って新年早々スパムネタ

 早いもので、年が明けてもう11日過ぎた。お正月といえば坊主が二人でおしょうがツーなどという古典的ギャグはさておき、お年玉というやつがつき物である。拙ブログをお読み頂いてる方は貰うより、圧倒的にあげる側の人だと思うが、そのような搾取から解放するために本日のエントリーは存在する。しかもこのお年玉ツーパターンあって、これで本当のおしょうがツーパターン(お正月パターン)、などとこれ以上寒さを催すネタは止める。まずは、世の中で一番強い現金、オール・ユー・ニード・イズ・キャッシュ(by ラトルズ)をご希望の方は以下の文章をじっくりお読みいただきたい。

2等(50万円)当選♪※受付15日まで※
○○○様
---------------

□E○I□

あなた様の当サイトでのID番号
【10×29×】
が先日行われた当サイト内のBIGチャンスで2等が当選されました。

2│等│景│品│
─┘─┘─┘─┘
┏━━現金━━━┓
┃500,000┃
┗━━━━━━━┛
の現金となります。

↓~受取り方法~↓

あなた様の振込み希望口座と連絡先(メールアドレスでも可能)を記載して下記のURL
へ送信して下さいませ
┌50万円受け取り┐
↓↓↓↓↓↓↓↓↓
http://~

□質問&相談□
info@~

□簡単ポイント追加
http://~

 ※注意事項※

平日(銀行営業日)14時までに希望口座、連絡先の送信が有った場合は、当日15時
までに希望口座宛にお振込みをさせて頂きます

平日14時以降、土日、祝日(銀行営業時間外)の送信に関しましては、翌銀行営業
日にお振込みとさせて頂きますのでご了承下さいませ

今回のBIGチャンスでの景品は現金でお受け取り頂く為、希望口座の間違いが無い
かの確認をする為にも、必ず連絡先の記載をお忘れない様にお願い致します。ま
た2等当選者が3名様となり、2等景品は2本となりますので、お手続きの早い
2名様へとなります。残りの1名様へは3等の景品をプレゼントさせて頂きます


 どないだ!!2等50万というのが渋いね。おっ、なんだなんだ、どこかの懸賞サイトで当たったのか、と一瞬思わせるその手口。しかし、しかしである。最後の2行をよくお読み頂きたい。『2等景品は2本となりますので、お手続きの早い2名様へとなります。残りの1名様へは3等の景品をプレゼントさせて頂きます』、ってとこだ。あなたが、お、こりゃまずい、急いで手続きしないとと思って、アクセスしたと仮定しよう。断言します。あなたは必ず3等で、多分景品は無料サービスポイント10万円分、かなんかです。それでも、現金にチャレンジするというナウでガッツなヤングのあなた。あなたは真の勇者です。すぐにご連絡いただければこの幸運をお譲りします。早くしないと15日までだよ。などと、このメール送ってきたサイトは営業マンの鉄則「決め手七則」のなかの「急がせる決め手」をびしっと入れてるな。おぬし出来るな。

 えー、そんなお金なんて眉唾やんけ。世の中はお金で買えないものがある。愛はお金で買えない、などと寝言をいうあなたにはもう一つのお年玉を用意した。これだっ。

女優 矢田亜希子(30)さんからのメッセージです。
××です(サイト名)
[一言]
矢田亜希子って言えば分かります?秘密のメル友を今日から希望です。サクラ防
止で直接


 え、えー!?この前は井川遥からメールが来たけど、今度は矢田亜希子?なんで、オレの好みのタイプを知ってるんだ?もしかしたら、マジ?などと一瞬でも考えた、悲しいサガを持つのがオトコという動物です。しかし、まあようやるな。

 ということで、昨年はギターピックくらいしかお年玉を出せませんでしたが、今年はなんと現金50万か、美人女優とメル友になる権利という2大お年玉を先着で差し上げます。
いよっ、太っ腹だね。

おめめをつぶってくるくるくるっと

 牟田悌三さんがお亡くなりになった。享年80歳。独特のキャラクターで名脇役だった役者さんだ。僕達の世代ではケンちゃんシリーズでのお父さん役がポピュラーだろうか。いや、ちょっと待てよ。ケンちゃんシリーズなどと今書いたが、いっとう最初はチャコちゃんシリーズというべきではないか。四方晴美が主人公のチャコちゃんがいて、一人っ子では寂しいからと牟田さん夫婦が努力して弟のケンちゃんが生まれたのではなかったか。後年そのケンちゃんはクリーニング屋さんになって一世を風靡したのではなかったか。などとおちょくったことを書いてしまったが、僕が牟田悌三という役者を最初に見たのは、多分NHKの「おかあさんといっしょ」の中のコーナーではなかったか。

 何歳くらいの頃の記憶なのかよく覚えていない。学校に上ったばかりだったか、それともまだ幼稚園や保育園に行っていた頃だろうか。「おかあさんといっしょ」に牟田さんが出てくるお話のコーナーがあった。バックは子供たちが描いた絵が沢山張ってあり、その前に牟田さんが立っている。ちょっとした話をしたあと、♪おめめをつぶって、くるくるくるっと、くるくるくるっと、くるくるくるっと三遍まわって、ど・れ・に・し・よー・お・か・な、と歌う。歌い終えると「さーっと(ぱーっとだったかもしれない)、おめめを明けると、あれれ、これは象さんの絵だね。じゃ今日は象さんのお話をしましょう。」などといって創作童話みたいなお話をする、多分時間にして5分か10分くらいのコーナーをずっとやっていたのだ。

 僕は、この番組を見るたびに気になっていたのは、牟田さんの後ろに飾ってある絵の内容とその出来具合だった。それはとても上手だなと思える絵も勿論多かったが、中には、おい、これはちょっとまずいだろう、画像として全国の良い子たちに見せられるもんじゃないよ(もちろん、当時はまだガキだったので、こんな風には言わなかったと思うが、ニュアンスとしてはこういう感じ)、などと思うこともあった。しかし、それ以上に気になっていたのは、絵の中身でいかにも御伽噺みたいな絵も多いが、時々鉄人28号とかソランとかアトムとかマンガの主人公を描いてるものも結構あったのだ。当時まだガキだったくせに、何故かNHKはマンガを放送してはいけないのだと思い込んでいた僕は、いつか牟田さんがそういうマンガの絵を当ててしまうのではないか、ということを長く心配していた。いや、心配というと語弊がある。ようするに教訓臭い、いかにもNHK的教養主義的な「オハナシ」などより、民放的はちゃめちゃさのあるマンガの話のほうがずっと面白いに決まってるし、普段はテレビでマンガを見ているといい顔しない母親に対しても「これは僕が見たくて見てるんじゃなくて、エヌエッチケーが、教育の番組を放送するところが流しているから仕方がないのだ」というような屁理屈で理論武装して自らの正当性を訴えてやろうと考えていたのだ。…いま考えてみるとずいぶん可愛げのないクソガキだったな、僕は。

 しかしながら、いや当然ながらそのような放送事故みたいなことは決して起こらなかった。子供心に不思議だった。牟田さんは両手で目を覆って、くるくる3回回ってランダムに絵に触っている(手が止まったところにある絵の話をするのがその番組のルールだった)のに、どうしてマンガの絵に当たらないのだろう。勿論、マンガの絵は少数派で、圧倒的多数は「正しい、立派な」オハナシの絵だが、それでも少数派であってもそこには確かに絵があるじゃないか。何故だ。僕のこの疑問は長らく続いて、ずっと解消しなかった。ある日、ふと気がついた。あそこで牟田さんが手で眼を覆っているが、くるくる回った後で手が動いている。ということは、牟田さんが眼を開けようと思えば開けられるではないか。つまり、僕としてはあの番組のルールは眼をつぶって触っていき、最後に触った絵の話をすると信じきっていたが、もしかしたら、最初からその日のお話は決まっていて、その絵に行き着くためのセレモニーとしてあの♪おめめをつぶって~の歌を歌い、手をついているのではないか、という疑問がむくむくとわきあがってきたのだ。

 そういう眼で見ると、もうその番組は信じられなかった。いくら牟田さんの手がサイボーグ009に触れようとも、ワンダースリーに触れようとも、そういうマンガの話はゼッタイにしてもらえないのだ、と知ったとき、僕は世の中のカラクリというものを知ったような気がした。大人はズルイと思った。汚いと思った。それ以来僕は民主主義を信じていない。そしてこの民主主義なんて幻想だ、あんなもん嘘っぱちだと体で教え込まれるのは中学3年になってからだが、それはまたの機会に。

 えーと、話があらぬ方向に飛んでしまったが、牟田さんというと僕は大人になってからはずっとラジオのパーソナリティとして耳にすることが多かった。「あなたのための税金相談」という番組を牟田さんは80年から2005年までなんと25年間も続けていたのだ。この番組は宮崎では土曜のお昼くらいにやっていて、ちょうどその時間帯に営業車で走っていることが多くて、けだるい土曜のお昼におっとりした牟田さんの話を聞くのは悪いものではなかった。内容も税金に関することは何でも幅広くやっており、リスナーからの質問にも懇切丁寧に答えていた。もっとも必ず1回は駄洒落というか寒くなるようなオヤジギャグを飛ばすのだが、その寒さ加減も実にいい塩梅だった。

 牟田さんの最後のテレビ出演は、やはりNHKの「帽子」だった。ついこの前緒方拳の追悼番組で見てDVDにも撮ってある。緒方拳と田中裕子の淡い恋物語とも言えるドラマだったが、あれが最後の芝居だったようだ。個性的な役者がまたひとり彼岸に旅立った。合掌。


ここにも物価高が

20090106233526
以前エントリーに書いて絶賛したお好み屋に今年初めて行った。正確にいうと姉妹店に正月休みの間に行ったので、今年初めてではない。その時、僕はヤキソバの大盛を頼んで満足したのだが、配偶者と下の子は、お好み焼きを頼み、食べきれず残した。まあ、とにかくすごいボリュームだった。
今日は、以前食べて気にいったセットを頼んだが、メニューが新しくなっていたのが、ちょっと気になった。

注文して出てきた内容を見て驚いた。茶碗蒸しがついてない。鹿児島人なら暴動が起こり兼ねない。天ぷら(天つゆ付き)が、海老フリャーに変わっていた。名古屋人に媚びたのだろうか?そして申し訳なさそうにチキン南蛮が三個ついてきた。

宮崎人としてのアイデンティティを持ち、ニッキョーソと戦えという中山センセの怨念だろうか。

つらつら考えながら食事をして、しっかりコーヒーを飲んで、お勘定をした。

850円に上がっていた。おのれ、こういうところでも、労働者に対する搾取かと、一瞬怒りが湧き上がったが、よく考えたら妥当な金額だ。食い過ぎは、バカになるというお話です。

困った時の…

出店も無く、人数も少ないちょっとした穴場的な神社
初詣でなど会社の行事でもない限り行くことは無いのだが、今年はバカ娘二人が受験なので、近所の天満宮へお参りに来た。

お参りを終えて飾ってある絵馬を眺めていたら、おじいちゃんが孫の合格祈願を書いてあり、ちょっと感心した。しかし、その横に本人が書いたと思しき絵馬があった。

いわく「志望校に全体合格しますように」。多分、いや「絶対」に合格しないと思う。違うかっ!?

ルネッサ~ンス、といっても髭男爵の話ではない

 元日の朝は静かに明けた。家族でお雑煮とおとそで祝って、お昼には実家に行った。妹夫婦が先に来ていて、賑やかに新年を祝った。飲んだり食べたりしているうちに疲れ果てて自宅に帰ったのは午後3時くらいだった。そのまま昼寝をしたかったが、子供たちがお年玉の有効利用をしたい、つまりブック○ーケットに連れて行けとうるさかったので、これも家族サービスの一環と思い車で連れて行った。僕は例によって中古CDの輸入盤のコーナー(一律500円でたまに掘り出し物があるのだ)を眺めていた。去年の終わりに来たが、そのときとほとんど商品が変わっていない。しょうがないな、と諦めかけていたときに”R”のコーナーで目が釘付けになった。

 “Renaissance”と書いたCDが3枚あった。あの元ヤードバーズのキース・レルフが作った「ルネッサンス」である。置いてあったアルバムはセカンドの「イルージョン」、5作目の「運命のカード」、6作目の「シェラザード夜話」の3枚。このバンドは、アナログ盤で何枚か聞いたことがあり結構気に入っていたが何故かアルバムは持っていなかった。「燃ゆる灰」のアルバムジャケットはやたら印象的だったが、なんとなく買いそびれてそのままだったのだ。

 プログレバンドに分類されてはいたが、クリムゾンやイエス、ピンク・フロイドといった系列とは明らかに異なる、なんというかやたらドラマチックでアコースティックな音だった。とにかくCDは持ってなかったので、これ幸いと買い込み(なんせ3枚で1,500円ですよ、ああた)今、それらを聞きながらこのエントリーを書いている。このバンド知ってる人は知ってると思うが、オリジナルメンバーは元ヤードバーズのキース・レルフとジム・マッカーティそれにキースの妹のジェーンが中心になっている。ところがバンドとして有名になった時には、すでにキースもジェーンもバンドを辞めており全然別のメンバーが中心になって活動していた。キースが再度、ルネッサンスとして活動したくても既に同名のバンドが存在していたので、別名でバンドを組まざるを得ない。それでも再起をかけてギターの練習をしていたキースは自宅で感電死してしまうというヒサンな話。

 キース・レルフという人はヤードバーズのバンマスだったけど、結局はジミッパゲにバンドをのっとられ、追い出されたりするヒサンな人生を送った人だが、悲しいかな華がない人なんだよね。ボーカリストとしてもヘタだったし。ま、そんなことはいいけど、トンでもないラッキーで手に入れたアルバムを聞いていたら、何だかおかしいことに気がついた。「イルージョン」も「運命のカード」も学生時代に聞いた記憶があったので、ああ、そうそうと思いながら聞いていたが「シェラザード」がどうもおかしい。1曲目を聞いたときに、あれと思ったが気にせず聞いていたが、2曲目が明らかに違う。おかしい、と思ってCD取り出したら、ジャケットは「シェラザード」だけど中に入っていたのは「Tales Of 1001 Nights-vol.2」という中期・後期のベスト盤だった。多分、このCD売った人はルネッサンスのアルバムを結構持っていて、聞いた後にケースを間違えて入れてしまったのだろう。ちょっと頭に来たが、いやいや500円で買えたアルバムだし、このベスト盤も選曲がいいではないか。ただ、入れ間違えたアルバムがあったということは、このほかにも売りに出していたアルバムがあるに違いない。よし、もう一度明日探しに行くのだ。しかしこの手の音はしばらく聞いてなかったけど、実にいいな。何故か我がポンニチでは人気が無いバンドだが実にいいのだ。なんとなく、グリフォンだとかエスペラントなんかも聞きたくなったけど、こういうのも500円コーナーに紛れてないかな。ちょっと楽しみだな。と、いうことで今日はおしまい。たまにはこういうあっさりした話もいいもんだ(と、自己満足の世界であった)。

 そうそう、僕が京都にいた70年代後半に関西のロックシーンに「シェラザード」という名前のプログレバンドがいた。後に「山水館」と合体して「ノヴェラ」というバンドになるのだが、彼らもルネッサンスのファンだったと思う。だってバンド名見れば一目両全だもんな。「アクショ~ン」って、叫んでも誰も分かってくれないかもしれないが…。

JEP-OB CAMP IN ISA 最終話

 一晩明けたら2009年である。夕べは配偶者と子供たちがずっと紅白を見ていたので、その間こちらはネット三昧、どさくさ紛れにGYAOでプロレスや「ロビン・フッド」などを見ていた。紅白も終わり、年越しの蕎麦を食べたらもう新年。まことにあっけないが、明けてしまったものはしょうがない。拙ブログをごひいきにしていただいている皆様、本年も宜しくお願いいたします。新年だからといって、別段新たな目標やポリシーがあるわけでもなく、いつものようにグダグダで始まっていく我がエントリーである。新年最初の話はどうしようと考えたが(5秒くらい)、やはり昨年続きを書かずにそのままにしていたキャンプの話を書いておこう。

 N村君の運転で小林市まで出てきたことは既に書いた。出発が12時だったのでお腹がすいてしょうがない。僕は昔から面食いで有名で、あ、字が違うな、麺食いだ、N村君にも昼飯はラーメンかうどん、蕎麦と頼んでいたので、小林で有名なラーメン屋に連れて行ってもらった。午後1時近くだったが店内は混雑していて、やっと空いているテーブルを見つけて座った。昔、小林を仕事で回っていた頃はテッポウラーメンとかいうお店があって、そこでよく食べたとN村君に話したが、彼は知らないようだった。そのお店で食べたラーメンはちょっと甘かったが美味しかった。そうそう、九州のラーメン屋というか最低宮崎・鹿児島のラーメン屋はサービスで漬物が付くのだが、N村君は沢庵が苦手なようでその分僕が食べてあげた。こういうのってちょっと得した気分で嬉しい。食事中も昔の会社の話で、当時はお互い若かったので深夜まで車で九州間内を走り回った思い出話をしていたのだが、N村君が突然宮崎から長崎まで最短、最安で車で行くルートを知ってるかと聞いてきた。ここに書いてもしょうがないので端折るが、車で走り回る営業マンならではの裏道ルートだった。今、ふと思ったが「裏道ルート」というと何でもないが「裏街道ルート」というと途端に怪しい雰囲気になるな。僕の人生は「ゴー・オール・ザ・ウェイ」(by ラズベリーズ)であるが、人生の裏街道だけは歩きたくないもんだ。
小林のラーメン屋 WCが外で無駄に広かった
 メシも食い、体力・気力も再度充実し、更に車は伊佐市を目指して走った。小林からえびのに進むとあたりの風景が変わる。周囲に山、それも頭に雪をかぶった山が見えてくる。宮崎・鹿児島は南国のイメージが強いが、このあたりから雪が降ったり積もったりする山岳地帯になる。タイヤチェーンの規制もあったりするのだ。ひどいときは吹雪みたいにもなる。それでも山岳ゲリラは出てこないから安心だ、ってオッサンいつの時代の人間だよ。車はいつの間にか鹿児島県は栗野町に出た。出たと思ったが、どこにも栗野の表示が無い。良く見ると湧水町なる表示が出ている。栗野町と吉松町が合併して湧水町になったらしい。しかし、こうあちこち合併して名前が変わると不便でしょうがない。もっとも変わったのは名前だけで、道路は変わりようが無いのでそこからひたすら伊佐市を目指して走った。

 宮崎を出発しておよそ2時間弱で伊佐市に入った。菱刈町の頃と全然変わらない風景がそこにあった。市街地に進むメイン道路を途中で右折して人家の少ない、山里のほうに向かった。目的地のキャンプ場まであと少しだ。道路のあちこちにキャンプ場を指している標識が出ていた。しかし途中軽自動車が1台ようやく走れるような山道を通過して行くのだが、僕一人で走っていたら道を間違えてしまったと思い引き返しかねない悪路だった。鹿児島県の観光行政にモノ申す気は無いが、観光客を確保するには道路も整備したほうがいいのではないか。しかしながら、そうするとめったやたらに人が来て俗化してしまうからこういう道が残っているほうがいいのかもしれない。キャンプ場まであと2キロの標識を見て、「お、もうすぐだ」と喜んでいたら、いきなり道路が通行止めになっていた。しかも迂回路の表示は一切無い。いくら冬でキャンプ場に行く人間が少ないからと言って、これは行政の手抜きでは無いか。幸いN村君が別の道を知っていたので、遠回りはしたが、無事キャンプ場についた。宿泊予定のログハウスに車が2台ほど止まっている。幹事のH君一家だろうか。
キャンプ場のログハウス フロトイレ完備エアコン付き但し有料
 ログハウスの駐車場について車を停めると、懐かしい笑顔と声が聞こえた。やはり幹事のH君一家だった。確実に20年ぶりだ。奥さんと子供たちを紹介してもらう。もう一組夫婦で来ていたのはI上君。彼はずいぶん変わっていた。いや毛糸の帽子をかぶっているときは全然変わっていない、体形も、と思っていたのだが、帽子を脱いだらいきなり松山千春になっていた。そういえば彼はカラオケが得意で陽水や千春の歌を良く歌っていたっけ。回る因果は糸車とはこういうことをいうのだろう(ってずいぶん失礼だな、ごめんI上君)。4人でいろいろ話していると、また車がやってきた。誰だと思ってみると、最近拙ブログにコメントを書いているakkunである。O本君だ。彼は僕と同い年で、出身大学は筑波大学である。筑波大学というのは昔からあった大学では無い。僕が高校生の頃はまだ東京教育大という大学名だった。

 それが何故つくばに移転して筑波大学になったのか、まあ事情を分かる人は分かるだろうからくどくど書かない。しかし、筑波出身を鼻にかけることもなく、結構縁の下のちかもらち、じゃねーや、力持ち的存在であった。などと書くといい人っぽいが、とにかく場を読めないというか場の雰囲気をぶち壊すのが得意な男だった。その彼も結婚して中学生の子供さんがいるなどという。いやー、人生なんとかなるもんだ。などと思っていたが、よくよく考えれば僕こそ人生なんとかなってる典型では無いか。しかし、それを認めるのは悔しいので考えないようにしている。

 キャンプ場は川のそばというより山のふもとで犬と一緒に暮らしたくなるようなところだったが、やたら空気が乾燥して冷たかった。外で歓迎ビールを飲み始めたら、空から白いものが降ってきた。雪だ。こりゃたまらんとログハウスの中に入ると、床は無垢のフローリングでそのまま座ると冷たいの何の。みんな冬のキャンプには馴れてる様で、下に引くマットを持ってきていた。それをテーブル周りにずっと敷いてようやく人心地がついた。ようやく落ち着いて吹き抜けになっている室内を眺めたら、天の助け、エアコンがあるではないか。ダッシュで壁付けのリモコンのところに行きスイッチを入れた。動かない。もう一度押した。動かない。故障かと思ったら、なんと有料でコインを入れないと動かない仕組みになっていた。100円玉をありったけぶち込んでエアコンを入れたが、吹き抜きのせいでなかなか温まらない。キャンプのメンバー全員が揃い、鍋をテーブルに置いたあたりからようやく暖かくなった。

 しかし、集まってきたメンバーの大部分がかっての部下だっただけに、いつの間にかものの言い方がずいぶんエバッタ言い方になってしまった。ごめんな、みんな。もう上司でもなんでもないタダのオッサンの癖に説教臭いことばかり喋ってしまったような気がする。そのきっかけになったのは鹿児島から来た二人のせいだ。やはり最近ちょくちょくコメントくれるzappy君は、T山君と一緒にやってきた。僕がO本君に「お前は喋るな」といったのを聞いて「いやー、drac-obさん、全然変わってないっすね。相変わらず取り付く島の無いそのものの言い方」などとおだてたからだ。あれ、別段おだてていたわけではないのか。zappy君はイニシャルで書くとK瀬君になるのだが、実はもう一人K瀬君という人物がいて、イニシャル表記だとかぶるのでzappy君のままで統一する。

 もう一人のK瀬君という人もユニークで、彼は唯一、僕と入社年が一緒。何ヶ月か僕が先だというだけ。入社した頃は甘いマスクで、ちょっと田原のトシちゃんみたいなイメージで人気者だった。泣かせた女は僕が知る限り社内で…、おっとそういうバクロ話をするにはまだ時間が早い。そうそう、今回唯一熊本から参加してくれたE浦君。彼は僕の直接の部下として働いた時期もあり、髪は白いものが混じっていたが未だに独身で体形も性格も全く変わっていなかった。元自衛隊でダブルクラッチの車を乗り回していた男で、今回もごつい車で参加してきた。キャンプ場まで一番時間がかかったのは彼だろう。

 これで全員そろい、それじゃまずは乾杯だと全員でビールを飲んだ。飲み始めたのは夕方の5時過ぎくらいだったろうか。テレビも何も無いし携帯の電波の届かない、静かなログハウスはそれから深夜2時過ぎまで阿鼻叫喚、お前が悪い、お前がもっと売ってたら会社はつぶれなかった、いやあのバカ社長が道楽でカタログ事業やレストランなんか始めたからおかしくなった、教育1本に絞っていればよかった、方針は間違ってなかったし企業理念も正しかったがバブルに飲み込まれたなどと、まあみんなそれぞれ言いたいことを言って大いに盛り上がった。途中、あの女の子はゼッタイオレに気があったとか、しまったやっとけば良かった、え、いやしてないしてない、誤解だって、などというお下劣話題も炸裂した。そういうなかで、大変お粗末なモノを見たような気がするが定かでない。
一体何をしようというのだ しかし豪語した割には爪楊枝くらいの(以下略)
 しかし、その大騒ぎの宴会の中で、今ここに集まっている人間の共通項というのは80年代から90年代初めにかけて存在した会社で一緒に働いただけという、考えようによっては不思議な縁というか因縁でつながっているのだなと思った。僕はこの会社で社会の厳しさ、仕事の厳しさと楽しさ、そして人とのめぐり合いを教わった。一時期、この会社のことを自分の過去から消したくて、連絡してきた人にも返事もせず没交渉を徹底していた時期もあった。近親憎悪的なものもあったのだ。ただ、あれから20年以上経ち、みんなそれぞれに家庭を持ち、生活を持ちながらも年に2回も集まってキャンプが出来るというのは、やっぱりあの会社が好きだったんだろうな。無くなってみて初めて分かるありがたさ、みたいなものか。それでもこの暖かさは、懐かしさはちょっとないな。これからは肩肘張らずにみんなと会って話をしたいなとつくづく思った。

 余談だが、このキャンプで会った皆から「ものの言い方が変わらない」とか「相変わらずの性格ですね」などといわれた。特にzappy君からは「drac-obさんは、あのままずっと反体制の社会生活を送り、結婚とか子供を作るなどといった俗世的なものとは一生縁が無いと思ってたけど、いやー、ナントカなるもんですね、驚いた」とずいぶん感心された。しかし、オレあの会社では熱血サラリーマン、鬼の係長、但し元パンク少年だったつもりですが、どうしてそういう評価しかされなかったんだろう。人を色眼鏡で見てはいけないという教訓だな。

 えー、新年早々しょうもない話をアップしましたが、まだまだ去年、いや一昨年から書き始めて終わらない話もあるので、そちらはまた機会をみてアップします。本年も一つ「別館4階のBOXから」をご贔屓に。
まるで実録連赤の山岳キャンプである 二日酔いでみんなメシ食えず

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