ちょっと待て、それはないやろ (珍しく時事ネタです)

 信じられない暴言を吐いたバカがいた。なんと恥ずかしながら、我が地元選出の中山成彬国土交通相である。以下、時事通信から引用する。

成田反対派は「ごね得」=日教組批判も-発言後に撤回・中山国交相 9月25日21時50分配信 時事通信

 中山成彬国土交通相は25日、報道各社のインタビューで、成田空港反対派の住民について「ごね得」などと批判した。自身がかつて文部科学相在任中、全国学力テスト導入を提唱した理由に関しても「日教組の強いところは学力が低いと思ったから」と発言。いずれも撤回したが、関係者の反発を招きそうだ。
 中山国交相は、反対派住民との対立が続く成田空港について「ごね得というか、戦後教育が悪かった。公共の精神というか公のために自分を犠牲にしてでもという(気持ち)がなく、自分さえ良ければ(いい)という風潮で、拡張ができなかったのは残念」と語った。
 日教組をめぐってはほかにも、教員採用をめぐる大分県教育委員会の汚職事件を引き合いに「日教組の子どもは成績が悪くても先生になる。だから大分県の学力が低い」と述べた。 


 このバカは三里塚の人たちがどのような思いで「成田空港」を見つめているか何も考えず、てめえが選挙区で苦戦しそうな中(宮崎1区注目してください)、大臣の椅子が回ってきた嬉しさでついホンネが出たのだろう。いわゆる「成田空港」問題は「戦後教育」が悪かったから、「公共心」のない「ゴネ得」がのさばっているとかいった単純な問題ではない。確かに「戦後教育」にはいろいろ問題はあるだろう。しかし、その「戦後教育」とやらを熱心に批判していた前の前の総理大臣は自己の仕事の責任をどうしたかね。そうそう、うっかりしていた。この我がポンニチを「自己責任」「構造改革」「サプライズ」「米百票」「感動した」などのワンフレーズで煙に巻き、やりたい放題言いたい放題(人生いろいろ、会社もいろいろ、社員もいろいろなどと人を舐めるのもいい加減にしろ)にしてしまったコイズミは後を次男に任せて豚ズラ決めるらしい。北のドンの権力世襲制を批判する資格はこいつらにはない。

 今日は、早く休んで元気を取り戻しエントリーは長崎の話の総まとめを楽しく、面白く書こうと思っていたが、ネットのニュースを見て怒り心頭、怒り狂って激怒に震えて、目が血走ってる、ピンクにチェンジ(by P-Model)である。この大バカ野郎の地元ネタを書いて批判しようかと思ったが、ますます怒りに震えて眠れなくなりそうなので今朝の新聞で読んだ、この権力志向の小心者のエピソードを書いて終わる。

…「ちょっと待って。それは困ります」。24日午後2時すぎ、麻生から電話で行政改革担当相ポストを告げられた中山は難色を示した。すぐに河村や細田に電話を入れ「うちは妻(前拉致問題担当相中山恭子)も息子も役人出身・勤務の公務員一家で、公務員制度改革なんてできない。入閣しなくてもいい」と泣きついた。
…宮崎日日新聞「表層深層」より引用


 こんな覚悟のないバカがお隣の大分の人に無礼な発言をしたり、未だに空港の問題で苦しんでいる三里塚の人をエゴイスト呼ばわりしたり、なにやら日本人は単一民族だなどとぬかしたりしておる。アホ、わしらの先祖は隼人とちがうんか?アイヌモシリをどう考えてるのだ。ああ、またもや怒りで目がくらくらしてきた。全国の心ある人に僕がこのバカに代わってお詫びします。ごめんなさい。
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期間限定 BAHO LIVE

以前、BAHOのライブレポートを書いたが、何と只今GYAOの昭和TVでBAHOのライブが見られます。セットリストは宮崎のときとほぼ同じですが、そこは流石に世界のチャーと地域の石やん、新ネタもたっぷり仕込んでます。そして、スペシャル・ゲストになんとジョー・山中とROLLY。ジョーもBAHOの毒気(?)に当てられて、ちょっと彼らしくないパフォーマンスですが、それもまた一興です。僕のブログを楽しんでくれる人であれば必ず気に入ってくれるはずです。

http://www.gyao.jp/showa/event08/

運動会なのだ

寝不足の目には眩しすぎる青空、お昼に通り雨があって助かった
台風13号は、全ての雨雲を吹き飛ばし、おかげでピーカンの青空の下で大運動会である。深夜までチャットをやっていた身には、ちとつらい。しかしながら下の子の中学最後の運動会なのでイカネバの娘なのだ。

そういえば、下の子から今日は必ず帽子を被って来いと言われた。絶対に額を出すなとも。なんでだろう?

何故だ!

う、ノーコメントじゃ、何も無かったはずじゃ…

今日も長崎の旅レポートを書くはずだったが、何故かこういう場所にいる。明日は、どっちだ!

長崎ぶらり旅 総括編その4

 出島の電停に戻り、同じ1番の電車で隣の築町に移動した。目的地は新地の中華街である。築町に着くとすぐ案内板があり、それにしたがって信号を渡り川沿いの道を3,4分歩くと大きな赤い門が見えた。中華街の入り口だ。後から知ったことだが、この門は東西南北にあり、それぞれに青龍・白虎・朱雀・玄武と四神が、門を守る神が彫られている。僕達は北門から入ったが、彫り物には気がつかなかった。東西南北およそ250メートル四方の狭い場所に、どれだけの中華料理店と雑貨店が入っているのか想像もつかない。観光客も多くて、呼び込みの声や、話し声で町全体がざわざわしていた。しかし、こういう活気は悪くない。
新地中華街北門 玄武がどこかに彫られてるはずですが…
 中華料理のお店も沢山あり、どこが美味しいのか全く分からない(こういう考え方は意味がないようだ。それぞれの店の個性というか特徴を押さえて、その中で自分の好みのお店に入るというのが中華街のセオリーみたい)。とりあえず、まっすぐ歩いていろいろ眺めた。雑貨店があったので入って、Tシャツ(ブルース・リーのが沢山置いてあったけど、買う人はいるのだろうか、いや、いるから置いてあるんだろうな)やチャイナ服、キョンシーが被るような帽子もあったので、長女に勧めたら鼻先で笑われた。どっちが大人か良く分からん。250メートルくらいなので、歩いてちょっとで街の外れに出る。道路を挟んだ向こう側に港公園と書いたこれも中国の影響を受けたようなお寺があって、なにやら太極拳みたいなことをしている人たちがいた。興味が湧いたが、あとの3人は全く関心がないようで、お腹がすいたのでお昼にしようと言い出した。
麻雀クラブも風情があります
 どのお店に入るかガイドブックを開こうかと思ったが、こういうのは当てずっぽうで入るのが面白い。僕は飲茶の看板が出ているお店がいいと言ったのだが、母と配偶者は最初の門のそばのお店に大勢入って行ったのと、そのお店の外装が綺麗だったのでそこにしようという。長女も以下同文、とにかく肉まんの美味しいところならどこでもいいという。戦後教育を受けてきた人間としてここは多数決に従った。今来た道を引き返し、その北門横のお店に入った。会楽園という名前のお店だった。お昼前だったおかげで、すぐにテーブルに座ることが出来て注文した。僕はもちろん、特製ちゃんぽん、以下、配偶者ちゃんぽん(並ね、こういうところをケチるのが主婦の感覚だろう)、母特製皿うどん(漁村の生まれなのでキップがいい)、長女肉まん。

 注文したのはいいが、なかなか持ってこない。そうこうするうちにお店に入ってくるお客さんがドンドン増えてきて、後から入ったグループは相席にされたり、カウンターに通されたりしている。時間的に正解だったと家族で話していたら、まずは特製ちゃんぽんが来た。丼がでかい。レンゲもでかい。何よりも麺が太い。具はキャベツ、もやし、ハンペン、豚肉、あさり、イカ、肉団子、ウズラの卵エトセトラ、エトセトラ。麺が延びるといけないので、先に頂いた。旨い。野菜は結構シャキシャキしていて、麺も丁度いい歯ごたえ。美味しいよう、美味しいようと泣きながら食べた(ウソだけど)。これがちゃんぽんなら、今まで食べていたリン○ーハットは何だったのか、といいたくなるくらい美味しかった(いや、リン○ーハットも十分美味しいんだけどね、つい筆の勢いってやつで)。あ、そうそう、海老ギョーザも頼んでいて、それが来たんだけどこれがギョーザなら今まで食べていたギョーザは大衆ギョーザ、ドカタギョーザ(ドカタという表現がまずい?だったら星飛雄馬の表現を借りて『日雇い妊婦、あ、ニンプで変換したら妊婦しか出てこない、このやろう、妙なところで自主規制してるな、IME!』)とでも呼ばないといけないのではないか。それくらい上品な味だった。ギョーザの皮にも味があるんだということを初めて知ったような気がする長崎のお昼でした。
港公園、行ってみたかった。屋台に座ってるオッサンの正体を突き止めたかった
 ところで唐突な余談ですが、私はウズラの卵が嫌いです。昔小学校の給食によく出てきていました。最初は食べられなくは無かったのですが、ある時傷んだものを食べたみたいでもどしてしまい、それ以来からだが受け付けません。だから給食に出てきたら、いつもお腹をすかせていた隣の席のT君にあげていたのですが、あるとき噂によるとヒステリーババァだというN先生に見つかり、殴られ、食べるまで昼休み外で遊ぶことはならんと言われアルミのパンの皿の上にごろごろしている4個のウズラの卵という情景が続き、それがどのように解決したのか記憶にありません。とにかく次に覚えているのは、床に倒れているN先生の姿で頭に斧が刺さっていました。などということは無かったが、未だにウズラの卵はよう食べません。このときも長女にやりました。余談終り。

 全員満足してそのレストランを出たが、配偶者の様子がおかしい。何やらバッグの中を探したり、立ち止まったりして長女に話しかけたりしている。どうしたのか聞いてみたら、腹が痛いという。全く持って分かりやすい人で、食べ過ぎたのだ。本人は面子があるので、旅行前から胃が良くもたれたなどと言ったが、先ほどのレストランで自分が頼んだちゃんぽんを完食し、母の皿うどんを味見といってもらい、海老ギョーザも食べ、長女が食べ切れなかった肉まんも食べていたのを僕は知っている。知ってはいるが、食いすぎだなどというといつ何時逆襲されるか分からないのでシカトした。あいにく誰も胃薬を持ってなかったのでどこかで買おうということになり、薬局を探す羽目になった。そのとき長女が薬という文字をさっき見たといい始めた。その記憶をたどって歩いていくと、南門のところに大きな釣鐘をつけた薬局があった。店の名前は「つりがね堂薬局」。そのまんまや。
名は体を表すというか、まあご立派な釣鐘でした
 配偶者の腹痛も無事納まり、築町の電停に戻った。今度は5番線に乗り、市民病院前、大浦海岸通りを過ぎて、大浦天主堂下で下車した。ここにも案内板がさりげなく置いてあり、目的地の大浦天主堂まで迷うことなく行けた。そうそう、電停降りて小さい橋を渡ったのだが、その川沿いの風景はまるでベニス(いや、行った事ないけど、ほら、写真やポスターで良く見るでしょ)みたいだった。大浦天主堂に向かって歩いていくと、右手に四海桜が見えてきた。本当はここで元祖ちゃんぽんが食べたかったのだが、その建物前に停まっているバスや車の多さ、そして入っていく人の数を見て、中華街で食べて正解だったとつくづく感じた。大浦天主堂に行く道は長崎らしく石畳の坂道で、道沿いに沢山のお店が並んでいる。大浦天主堂方面と書いた看板のすぐそばに何やら音のするお店があった。ナニゲニのぞきこむとオルゴールが鳴っていた。配偶者が腹痛をすっかり忘れた声でこういった。「オルゴール館、ここに一番行きたかった」。
いや、見るからに日本離れした風景でした
 ハァ?おるごーる?あのねじ巻いてちゃらちゃら鳴るおもちゃみたいな奴だろ。んなもんのどこがいいんだ、それより大浦天主堂にさっさと行って、日頃の罪を懺悔して、懺悔の値打ちもないことを悟って、次にグラバー園に行ってそこから海を眺めて幕末期の龍馬の気持ちで「日本をどけんかせんといかん」と、あ、こりゃうちの知事の発言だった、などといろいろ言いたいことはありましたが、女三人が目の色変えて入っていくことを阻止する力はありませんでした。

 本当は、今日で長崎観光の話はまとまるはずだったんです。しかし、書いていくうちにあ、ああいうことがあった、とか、このことは書き残しておこうとか次々出てきて、またもや中途で挫折しました。いや、この後の話はまた今度。

長崎ぶらり旅 総括編その3

 台風の影響だろうか。敬老の日だというのに、宮崎は今日も雨だった。いやー、すいませんね。このフレーズが書きたかっただけなんですわ。それでは、いよいよ長崎ぶらり旅のメインイベント、長崎観光のエントリーの始まりです(誰も期待していなかったりなんかしちゃったりして~、とここは今は亡き広川太一郎氏のフレーズをパクる)。
 旅行の前日にガイドブックを買った話は以前書いた。飛行機か電車で移動中に読もうと思っていたが、回りの景色を眺めたり音楽を聴いたりしていたのですっかり忘れていた。金曜の夜、ホテルの部屋でぱらぱらめくって翌日の計画を考えた。同行者達にリクエストを聞き、移動方法を考えた結果出た結論はこうだった。土曜の朝9時半のホテルのバスで長崎駅に移動。そこから路面電車で出島に向かう。2時間ほど散策してお昼前に新地の中華街に行き名物のちゃんぽんを食べる。その後大浦天主堂とグラバー邸(今はグラバーさんち以外の家も組み込まれて大きな庭園になっている。したがってグラバー園と呼ばれている)を見物して、そこからブリック・ホールに行き合唱の応援。それが終わったらロープウェイで稲佐山に登り、長崎の街を眺める。そしてお土産を駅前の専門店で買ってホテルに戻る。こういうプランだ。移動は全て路面電車、何と1日乗り放題で500円だ。今回の旅行で感じたことは、長崎は交通費が安いということだ。もちろん飛行機代や特急の運賃は別だが、長崎に入ってしまえば電車は500円で終日乗り放題、バスもお洒落なコミュニティバスが300円で乗り放題。タクシーは初乗りが一律500円。しかも買い物や見物で止まってる間はメーターも小休止というありがたい対応だった。翻って宮崎はどうだろうか。まあ観光地から観光地までの距離があるせいもあるが、路面電車などないしバスは不便。タクシーになると半日貸切でもしないと無理だ。東国原君、何とかしたまへ。県民総力戦でガンバロー。
乗ってみたかったコミュニテイ・バス、なんと運賃100円。乗り放題で300円!!
 ホテルの朝食を済まし、9時過ぎにフロントに下りると昨日のお気に入りのオネーサンがいたのですぐ路面電車の1日乗車券を買った。ついでに新聞ももらいリュックにしまった。もうひとつついでに携帯のアドレスを聞こうと思ったが、配偶者がせっついたので止めた。無念である。9時半のバスに乗るのは、やはり合唱の応援に来たと思しき家族連れが7,8人いた。彼らも1日乗車券を手に握っている。総勢10数名が乗り込んだバスは細い路地をくねくね曲がったかと思うと、旭大橋に出た。稲佐山方面と長崎駅方面をつなぐ橋だ。その橋を渡って左に曲がると長崎駅が見える。バスから降りてすぐに路面電車の乗り場に向かった。こういうときどうして競争意識が働くのだろうか。一緒のバスに乗っていた人たちも多分同じ乗り場を目指していたはずだが、僕はその人たちより早く家族を連れて行かなければという意識が働き最短のルートを目で確認して動いた。電車はすぐにやってきた。2両編成の小さい電車だがもちろんワンマンでエアコンも効いていた。長崎駅前から1番の電車に乗り五島町・大波止と過ぎて目的の出島に着いた。
出島の入り口
 入り口で入場券を買うと、京都の太秦の映画村を思わせるようなセットの建物が両脇に並んでいた。中央にまっすぐ道路が走っており、その左右に復元したさまざまな建物がある。何も考えずに左の建物に入るとそこは一番船船頭部屋だった。そのまま一番蔵、二番蔵と見たがどうにも良く分からない。こういうときトシヨリは強いもんで、黄色いシャツを着たボランティアの人に話しかけて、無料の観光ガイドを頼めるという情報をゲットしてきた。それじゃその案内所に行こうとしたが、目の前にあったヘトル部屋の1階が総合案内書兼売店だったため、そこで急遽お土産の買い物が始まった。僕がそこで買ったのが「出たばい、ちゃんぽん本。」というながさきよか本製作委員会が出している本だった。その隣のカピタン部屋の2階に上ったら、当時のオランダ商館長の当時の生活が分かる展示場になっており靴を脱いで上ってそこを見ていたら、いつのまにか黄色いTシャツを着たオバハンが仁王立ちしていた。
オバチャンが熱心に説明してくれたカピタン部屋のワンシーン
 「この部屋に当時のオランダ商館長さんが住んでおらしたとですよ。船で一番エラか人と二番目にエラか人にはこういう部屋があったとですが、他の船乗りの人たちは陸に上れずずっと船の中で生活しとらしたけん、病気になる人も多かったらしかですよ」。長崎弁が始めは心地良く、解説も丁寧なボランティアのオバチャンだった。僕達は4人連れだったので解説効率がいいと思ったのだろうか、僕達の行く方向、方向についてきて解説してくれる。「…こんな風にオランダの人たちは前と後ろから監視ばされとったとですよ。出島の形の扇型は人間の視界の広さに会うごつ作られておったとでしょうね。それから扇の形は波の影響も受けんばってん、そういうメリットもあったごたるですよ…」。しかしとにかく良く喋る。以前も使ったフレーズだがしゃべる、喋る、パワーシャベルで削った丘の上幾つものおなじよな小さな家、どこまでも続くハイウェイ~と思わずハマショーの「マイ・ホームタウン」を歌いそうになるくらい、良く喋るオバチャンだった。

 しかし、やはり好きでガイドのボランティアをしているのだろう。各展示物についていろいろな説明をしてくれた。その中で印象に残っているのは、もともと出島は人工的に造られた島であるということ。そういえば昔教科書で見た出島の地図というか絵は海のほうの突出した扇の形をしていた。今はこの出島和蘭商館跡の周囲には路面電車が走り、目の前にはビジネスホテルやさまざまな建物が建っている。そうか、土地が少ないから埋立ててしまったのだ。それも明治時代に。もちろん当時も文化遺産としての出島の価値は大きかっただろうが、国家が殖産興業・富国強兵政策を取り19世紀の植民地主義の時代にのし上がるためには、文化より土地、建物、人の住めて商業活動のできる場所の確保というものが最優先されたのだろう。もっともその出島を何十年かかけて元の海に浮かぶ出島に戻そうとする長崎の姿勢はエライ。こういうところでも今回長崎に旅行して良かったとつくづく思った。

 「さて、それでは質問です。出島はどうしてああいう形、つまり扇形をしているのでしょうか」。しばらく聞き流していたらオバチャンがいきなり僕に振ってきた。「いや、その、さっきおっしゃったですよね。人間の視界の角度に合わせて造ったとか、波が直接かからないように力学的にこういう形が理想だとか…」僕が答えるとオバチャンはシマッタ、トークの順番間違えてしゃべってしもた、という表情を一瞬したがそれでも強気に「うんにゃ、それで2つでしょうが、あとの2つば答えてみらんですか?」となかなか朝鮮的な、あ、字が違った、挑戦的な態度で迫ってきた。僕は別段歴史クイズに参加しているわけではないのでシカトしてたら、「降参ですか、なら教えちゃります。一つは何とかかんとか、そしてもう一つは3代目将軍徳川家光公が部下に対して『これ、このような形で異人の島を作れ』といって差し出したのが扇子、つまり扇の形だったという説もあるとです。どぎゃんですか、ためになったでしょう」。熱心なのは分かるがいい加減うざくなってきたので、丁度僕たちの後ろにいた、やはり合唱の応援に来ている家族連れに話しかけ、いかにこのガイドさんが博覧強記の親切ガイドかを伝え、僕達一行は展示場の通路に逃げた。
ややピンボケですが、料理部屋です。当時タブーだった獣の肉などが展示してます。
 一足先に通路にいた長女が「テレビカメラがあるよ。長崎の市長が今日は来るとかいってる」と僕に教えてくれた。2階の通路から見ると確かに下の方にテレビ局のクルーがいた。何かイベントがあるのかと思っていたら、その日ホテルに帰ってそのわけをニュースで知った。惜しい。もう少しゆっくり出島に来ていたら、このチャンスは我が家がゲットしたかもしれないのに。以下、長崎新聞から引用する

 「出島」入場者100万人突破 鹿児島の徳永さん一家に記念品

入場者数、100万人目となった徳永アキ子さん(中央)=長崎市、出島和蘭商館跡
 二〇〇六年にリニューアルオープンした国史跡「出島和蘭商館跡」(長崎市出島町)のリニューアル後の入場者数が六日、百万人を突破。百万人目の入場者となった鹿児島県日置市の徳永アキ子さん(76)一家五人に田上市長から記念品が贈られた。

 同史跡は、一九九六年から本格的に整備を始め、二〇〇六年四月一日、オランダ商館長の居住区であるカピタン部屋や貿易品の輸出入口に当たる水門などを復元し、有料施設としてオープン。昨年四月に入場者数五十万人を達成した。

 徳永さん一家は、アキ子さんが今月喜寿(七十七歳)を迎えることを祝って長崎市へ観光に訪れた。セレモニーでは、カピタン部屋の三角階段につり下げられたくす玉が割られた後、田上市長が記念品を、ロマン長崎の田中梨菜さん(22)が花束を、それぞれ徳永さん一家に贈呈。アキ子さんは「すごく幸せ。百万人目に当たるとは夢にも思ってもいなかった。うれしくて言いようがない」と喜んだ。

 田上市長は「出島の楽しさ面白さを、より味わっていただけるよう今後も工夫していき、(江戸期に、出島と対岸を結んだ唯一の橋だった)表門橋の建設に全力を尽くしたい」と話した。

 ちょっと疲れたので旧長崎内外クラブで休憩した。エアコンが効いた休憩室で飲み物を飲みながらぼんやり外を眺めていたら大きな木が見えた。その先には十字架が見える。気になって外に出てみたら「デジマノキ」と呼ばれる木だった。いわれは『幕末期にオランダ人が植樹、日蘭貿易の歴史を物語る記念樹。ナンヨウスギ科の常緑高木で東南アジアが原産(JTBのHPから引用)』ということらしい。そのちょっと先にあった建物は出島神学校で、現存するわが国最古の神学校らしい。やはり新島ジョー先生が呼んだのであろうか。学生時代真面目にチャペルアワーやアッセンブリックアワーに出ていた僕の宗教的アンテナがこの建物を感知したのだろう、なんてなことは大嘘で、自慢じゃないがチャペルもアッセンなんたらも一回も出ておらんわ、どうせワシはあなーきーなパンクじゃったけん。
旧長崎内外クラブ、ここを出たところにデジマノキがあり神学校がある
 ええと、まだ出島を出られません。この後さるく君の写真を撮っていよいよ新地の中華街にちゃんぽんを食べに向かうのですが、話が尽きません。いったん小休止して、この続きをどうするか考えます。出島から築町に行けば中華街だけどな…。
君はさるく君を見たか?さるく君と一緒にさるいたか?

長崎ぶらり旅 総括編その2

こちらは帰りに乗った特急「白いかもめ」
 諫早を過ぎて、浦上に着くと景色は完璧に長崎であった。どういうことかというと山の上までずっと家が建っていて、人口密度ならぬ家密度がかなり高そうな景色という意味だ。それと余談だが今回の旅行で乗った特急列車「かもめ」は何とA列車だった。「テイク・ジ・A・トレイン」だったのだ。デューク・エリントンだぜ。どんな列車だったかは前回のエントリーで少し触れたが詳しくはこちらを参照して欲しい。どうりでココロ浮き浮きした楽しい列車の旅だった。そしてついに長崎駅に到着した。予想よりこじんまりした駅だった。「かもめ」から降りると線路が行き止まりになっていてその先に改札口があった。時計を見ると予定より5分早く、15時55分だった。すぐにホテルに行くのも勿体ない感じだったので、コインロッカーに荷物を置いて1時間駅横のデパートで買い物をすることになった。

 母と配偶者は二人して何か見たい(買いたい)ものがあるようで、長女もその中に入りさっさと専門店街に入っていった。僕は携帯からエントリーを送り、それからデパートの2階にあったタ○レコに入った。もっとも駅の歩道橋越しに「本○らけ」があるのはしっかりチェックしていた(長崎駅の前には大きな歩道橋、しかもどういったらいいのかいろんなビルや道路に直接つながる、ええと立体交差といえばいいのか、まあ複雑に交錯した歩道橋がかかっており、その中央部分は通路というよりちょっとした広場であった。座り込んでギターを弾いているストリートミュージシャンもいた)。タ○レコは、いずこも同じ秋の夕暮れであり、あまりぱっとしたものは無かったが、悲しい習性でエサ箱を一人で夢中で探っていた。ふと隣に人の気配がした。驚いて振り返ると長女で、配偶者達と一緒に買い物するのは飽きたという。「本○らけ」に行くかと聞いたら二つ返事で乗ってきた。しかし嫌になるくらい僕の行動パターンと同じだ。何も長崎に来てまで「本○らけ」に行かなくてもなあ、と思いながらも足取りは軽かった。

 ビルの2階に入っているその店舗は、蔵書の数もなかなかではあったがいかんせん時間が限られていたのでゆっくり見て回れなかった。中古CDは最初どこにあるか分からず、ずいぶんうろうろしたが、何のことは無いレジの前の大きな本棚の1面が全てCDであった。しかしながらめぼしいものは無く待ち合わせの時間が近づいたので集合場所の駅前に戻った。みんな結局ウィンドウショッピングだけかと思ったら、母だけ大きな紙袋を持っていた。聞いてみたら文明堂があったので、早速カステラとヨーカンと、ドラ焼きなどを買い込んだようだ。駅からタクシーに乗ってホテルに向かった。ホテルは稲佐山のほうにあるのだが、そこに行くまでの道は流石長崎であった。つまり急な坂や細い路地が多くて、こりゃ運転は大変だと思った。タクシーは良く見たらマニュアル車である。半クラッチが上手くなることだろう。運転手さんはあまりおしゃべりなほうではなかったが、それでも長崎のことをいろいろ教えてくれた。あまり商売気がないのだろうか、観光するのにタクシーは高いから電車を利用したほうがいいなどと言っていた。坂の多さは長崎の特徴だが、そのせいで原付バイクがやたら多い。逆に自転車はほとんど見かけない。運転手さんに言わせると長崎の人は自転車がこげない人が多いそうだ。また原付のナンバーは5桁である。それだけ原付バイクが普及しているというか坂の多い長崎には必需品だそうだ。この5桁のナンバーは写真を撮っておくべきだった。
駅の歩道橋

 稲佐山登山道入口と書いた石碑の横を走るときに、運転手さんがこのすぐ近くに福山雅治の実家があり、休みの日にはファンの女の子が写真撮ったりしてると教えてくれた。その家は翌日のタクシーの運転手さんがわざわざ回り道して止まってくれて、おかげで写真を撮ることが出来た。そこからホテルまではすぐだったが、このホテルも急な坂の上にあり道路から50メートルほど登ったところにあった。タクシーが止まると、すぐにホテルの人がドアを開けてくれた。相手を見て驚いたのは、まだ若いオネーサンだったことだ。この手の観光ホテルのドアマンは男の人というイメージが強いのだが、このホテルは女性スタッフが結構いた。皆、笑顔が良くて挨拶や礼儀がきちんとしていた(長崎は美人が多いということをヒトコト報告しておきたい。Purple_Hazeさん、一編行ってみたら?)。荷物をキャリーに積んで、エスカレーターで3階のフロントに行った。時間は5時半を回っており、旅の疲れと空腹でチェックインを早く済ませ、お風呂を浴びたらすぐメシだと気分はルンルンだった(表現が古いな)。しかし現実はそう甘くなかった。

 フロントにいたのは60前くらいのオールバックの男の人だった。こちらの名前を言うと、一瞬怪訝な顔をしたが、すぐに「ああ、宮崎の中学校の付き添いの方ですね」などと言って来た。こちらは応援に来たのであって、付き添いのつもりではなかったが説明も面倒だったので適当に返事をした。部屋のカギと翌朝のミールクーポンを渡してくれたが、その間一切顔を合わせない。けったいなオッサンやなと思いながらも、「晩御飯は何時から?出来れば部屋食がいいんだけど」と言うと、右肩がピクリと動き無表情な声で「夕食は伺っておりません」と答えた。「え、メシは別か」と一瞬あせった。このホテルの予約は次女の学校のツアーを企画した旅行会社の担当者が取ってくれたはずで、その交渉は配偶者に全て任せていたのだ。僕は結構諦めのいいところがあって(いや、事と次第によりますが)、「じゃ、ホテルのレストランでいいか、せっかくだから卓袱料理が食べたい」といったところ、このオヤジは「本日はレストランも一杯です」と冷たく答えた。「何ぃ、ということはまた町まで戻って食事しろというのか」とちょっと気色ばんだら、周りの若いスタッフが慌てて「いやこれからちょっとレストランや厨房と相談して、なるべくご期待に沿えるようにしますので、とりあえずお部屋でゆっくりされてください」とフォローした。その間クソオヤジは一切視線を合わせない。というか顔を上に上げず、ずっと下の帳簿か何かを見たままだ。2泊3日の旅の中で唯一不愉快だった記憶だ。

 部屋は9階の一番奥にあった。12畳の和室で、その奥のベランダの前に3畳くらいの板の間が付いていた。窓から見える景色は素晴らしかった。長崎港がいや、長崎の町が一望できる素晴らしい景色だった。このときは6時前でまだ日が差していたのだが、この部屋から見える景色の素晴らしさは太陽が沈んだその後にあった。噂に名高い長崎の夜景だ。中学の修学旅行のときにバスガイドさんに教えてもらった「長崎の夜はむらさき」という歌のフレーズが浮かんできた。部屋でお茶を飲んでいたらすぐに電話がなり、先ほどのフロントの若い女性が丁寧にお詫びを言って来た。話を聞いてみると今日は、合唱のコンクールに参加する中学の生徒や父兄の予約で一杯で、レストランも部屋食も無理だとのこと。ただこれからまた外に出て行って食べるのは大変なので、子供たちと一緒のメニューでホールでの食事だったら大丈夫、今日迷惑をかける分明日は必ず部屋食が出来るようにする、という内容だった。ナイスフォローじゃないか。クレーム処理はかくありたい。いや、電話してきたのが先ほど見かけた若くて可愛いオネーサンだったから甘くなったわけではないことを断言しておく。
ホテルから長崎の街を見下ろす

 食事の問題も片付いたので、お風呂に入ることにした。ホテルの案内書を読むと3階と4階に露天風呂が都合3箇所あって、時間帯で男女を分けているようだった。この時間に空いてるのは3階の大浴場だったので、さっそく浴衣を片手に出かけた。暖簾をくぐって脱衣室に入ると、ざっとみて3,40人分くらいのロッカーがある。入っているのは2,3人という感じだったので、さっさと服を脱いで浴場に入った。透明なお湯だったので温泉とは思わなかったが、後で説明書を読んだら冷泉を湧かせているとのことだった。疲れが一気に取れていく。ぼんやり外を眺めていたら、ガラス越しに露天の浴場が見えた。サッシの開き戸を開けてそちらに入った。目の前を長崎港が見える。その景色を眺めながらの露天風呂は誠に気持ちが良かった。夕方6時過ぎというと、会社では電話や連絡がひっきりなしに入ってあわただしい時間帯だが、僕はこんなところでのんびりしている。ああ、なんという解放感だ。これこそが旅の醍醐味。日常から非日常への、いわばステアウェイ・トゥ・ヘブンである。

 いい加減のぼせそうになったのでお風呂から上がり、部屋に戻った。その途中で次女の部活の先生と配偶者がソファで喋っているところに遭遇した。挨拶して通りすぎようとしたら、配偶者が僕を先生に紹介した。僕の顔を見た先生は「あらー。娘さんはお父さんそっくりですね。でも、動作はお母さんそっくりですよ」などとのたまった。長女は僕に顔が似ていると言われるが次女は顔も性格も配偶者そっくりだとみんなから言われているのでちょっと驚いた。やはり他人から見ると、そう見えるのだろうか。しかし動作はお母さんそっくりというのはどういう意味だろう。

 母や配偶者もお風呂を済ませ、長女も一緒にホールに食事に行った。結構大きなボールルームで、中華料理の円テーブルが10卓ほど出してあり、各テーブルの真ん中に○○県××中学と学校名がかかれていた。見ると鹿児島、宮崎の中学ばかりだ。次女達のテーブルのすぐ隣に、今回付き添いとして参加したお母さん方がいた。僕達の席もそこに在った。配偶者は当然全員知ってるが、僕と母は初めての人たちだったので挨拶して席についた。出されていた料理は長崎だけあって皿うどん、牛肉と野菜の炒め物、鳥のから揚げ、サラダなどだ。子供たちの喜びそうなメニューだが、メタボ解放闘争を全力で取り組んでいる僕には子供だましとしか思えなかった。しょうがないからビールでもと思ったが、場の雰囲気で注文できそうにない。しょうがないからどんぶり飯にフリカケかけておかずと一緒に掻きこんだ。そうそう、付き添いのお母さん方は5名ほどいたが、中に一人だけいいなと思う人がいたが、流石に母、配偶者、子供のいる前では何も出来ない。いや、イナクテモ何も出来ないんだけど、とりあえず見栄で書いてみただけ。

 しかし、料理の味はともかく量は多かった。なにせ育ち盛りの中学生用に作ってあるから、食べても食べても減らない。残すのはもったいないが、腹も身の内である。しかし、こういうところが先生だろう。テーブルに出されたものは全部食べないとダメだと鶴の一声がかかり、子供たちも必死で食べていた。それでも、皿によっては残っているものもある。食事の間ずっと僕をスルーしていた次女だが、このときばかりは「父ちゃん、これ食べてくれ」と助けを求めた。僕は毅然と断った。父親はスルーされると傷つくのだ。

 いい加減お腹がパンパンになった状態で部屋に戻った。部屋のドアを開けて、間仕切りのふすまを開けた瞬間息を飲んだ。そこから見える夜景の素晴らしさに言葉が出なかったのだ。長女と二人携帯とカメラと引っ張り出して何枚も写真を撮った。最初はフラッシュを焚いたせいで反射して写らなかった。フラッシュを切って、部屋の電気も消して写したらなんとか撮れたが、やはり夜景はその撮り方があるようで自分の目で見た美しさを写真として残すことは出来なかった。ちょっと大袈裟だが小1時間は景色に見とれていた。特に明るいうちは気が付かなかった右手にある大きな橋がイルミネーションでライトアップされていて、その点滅する姿はなんともいえない幻想的な風景だった。ずっと先の山手のほうを見ていると時々小さな光が動く。車のヘッドライトだ。あの小さな明かりの中に人がいて運転してどこかに行こうとしていると考えると、なんだか不思議な感覚にとらわれた。

 さて、明日はいよいよ長崎観光と合唱の応援である。用意周到な僕は前日、本屋で「まっぷるぽけっと長崎」という新書サイズのガイドブックを購入していた。その本を初めて開いて明日の行動を計画した。あ、こういうのは用意周到ではなくてマディ・ロープというのか。つまりドロ縄だ。

 ということで、なかなか本編の出島観光の話や新地中華街探訪の話に行きつきませんが、どうぞゆったりとした気持ちで見てあげてください。こんな社会に、つばを吐きダイナマイトに火をつけろ(by ボ・ガンボス)、じゃなかった、こんな世知辛い世の中にこういうのんびりしたエントリーは大事だ、と思うのは僕だけか?続きます。え、もういい加減終われって?じゃ、なんとか次回でまとめてみようかな…。

長崎ぶらり旅 総括編その1

車窓から見た有明海、その先に見えるのは普賢岳だろうか…
 先日アップした「長崎ぶらり旅」は、携帯からの投稿だった。久しぶりに沢山のコメントをもらって楽しかったが、実はあの写真を添付して旅のルポを投稿するというやり方は、僕のオリジナルではなく「リトル・キッズ・バイブレーション」の管理人もりさんの手法を真似たのだ。このところあまりエントリーに情熱を込める事が出来なかったが、目の前のことを写真とともにリアルタイムで投稿するのはこちらも大変楽しかった。それで今日は、今までの総集編と言うかまとめとして旅の記録を残していこうと思う。

 長崎に行くと決めたのは、もちろん次女が合唱部のコンクールで金賞を取って九州大会に参加することが決まったからだ。この子は勉強面はさっぱりだが、まがりなりにも部活の長を任され(もっとも部長は2人体制らしいが)、友達や後輩の人間関係に悩んだり落ちこんだりしていたが、それでも宮崎の大会で金賞を取り、そのときの笑顔が良くて(親バカだが)、長崎大会に応援に行ってやろうと思ったのがきっかけであった。また実家の母が今年で喜寿になるので、一応長男として何かしてヤラネバの娘だったのだ。家族に次女の応援を口実に長崎に2泊3日の旅行に行こうと話すと真っ先に乗ってきたのは長女であった。彼女も中学では3年間合唱をやっており、九州大会や全国大会に結構行っていたので、興味があったのだろうが、ホンネは受験勉強からの逃避だろう。それでも賛成者を1人確保したのだから良しとした。

 配偶者と母は最初あまりいい顔をしなかった。配偶者がためらう理由はもちろん予算組みである。不思議なことに僕がどんなに一生懸命働いても毎月入ってくるお金は定額である。いや、場合によっては先月対比マイナスなどというときもある。入ってくるお金は少ない上に定額で、ところがどっこい出て行くお金は今日日珍しい右肩上がりなのだ。いや、この不景気なご時勢に目出度い、などと不貞腐れている場合ではない。人生なんて何があるか分からない。お金なんて生きているうちに使わなくてどうする、こう見えてもこちとら江戸っ子でぇ、宵越しの銭は持たねぇ、などと煙に巻いてなんとか配偶者は納得させた。もっとも彼女の中道現実主義的路線はその後も何度か。「一泊でいいんじゃない」とか「飛行機は高いからバスは」などの反動的言辞があったが、いざ長崎へと心は燃えている僕は聞く耳を持たなかった。

 母は移動が大変だと最初は乗り気ではなかったが、そこはそれ、次女を使って(トシヨリは孫に弱いという歴史的教訓を活用したのだ)じゃあ、皆で行こうという決心をさせた。宿の手配はもともと次女の部活の遠征なので、ホテルやチケットの手配をしてくれる旅行代理店の人がいて、その人にお願いした。子供たちと同じホテルだったら割引がきくようなことを配偶者が聞いたからだ。交通手段をどうするかという次の課題は楽しかった。というのも、旅の計画の楽しみは移動手段をどうするか、その計画を練ったり調べたりするのが醍醐味だと僕は考えているからだ。一番安易でお金がかからないのは、子供たちと同じバスで一緒に行くことだが、これは行動が制限されるし、次女もずっと家族の顔が見えたら面白くないだろうということで止めた。年寄りが一緒なので飛行機で一気に行こうかと思いネットを使っていろいろ調べたのだが、1日1便飛んでいるはずの宮崎~長崎の金額や情報が出ない。何回やってもダメだ。おかしいなと思って調べてみると、何と宮崎~長崎便は9月の1日から2週間、飛ばないということが分かった。赤字線なので廃線になるらしいがその前兆だろう。車で行くという考えも最初あったが、すぐに止めた。自分ひとりだったら好きなときに休んで、好きな音楽を聴いてのんびり行けるだろうが、家族、それも長女・配偶者・母という強烈な3人が同乗していることを考えたら、言葉通り自殺行為だと判断したからだ。

 僕のもっとも望んだ移動方法は、JRでまず鹿児島に行きそこで新幹線に乗り換え新八代まで行く。そのあと特急電車を乗り継いで長崎に行くというルートだが、乗り換え時間を計算すると8時間以上かかる。いくら列車の旅が好きでも時間の制限はある。いろいろ検討した結果、飛行機で福岡に行きそこからJRで長崎に行くというルートに決定した。費用はかかるが、宮崎~福岡を飛行機で45分、福岡空港から博多駅まで地下鉄で5分、博多から長崎まで特急で1時間55分、〆て2時間45分の旅にした。実際には12時15分の飛行機に乗り、その後午後2時発のかもめ27号に乗るから長崎に着くのは夕方4時前になる計算だった。
福岡空港から地下鉄乗り場に移動中の風景

 旅の朝はやはりちょっと興奮しているのかいつもより少し早く目が覚めた。前日は仕事を休む間の引継ぎで遅かったので、朝は寝坊しようと思っていたが目はばっちり覚めた。荷物のチェックをして、実家の母を迎えに行きそのまま宮崎空港に向かった。車は空港の駐車場に置いておくつもりだったが、空港近くに1泊500円の駐車場があったのでそこに置いた。帰りの便の時間を言っておけば空港に迎えに来てくれるし、当然行きも送ってくれる。空港に着いて搭乗手続きを済ませたら、喉が渇いてるのと少しお腹が減っていることに気がついた。喫茶店でお茶を飲んでくると言ったら、母と配偶者が口をそろえてこういった。「どうして自分だけ!」。要するに団体行動しろというのだ。自慢ではないが僕は天邪鬼である。一人が好きなのだ。母には僕を生んで育てておきながら未だに僕と言う人間が分かっていないのか、配偶者にはもう一緒になって何十年(ちとオーバーか)たつと思うのだ、オレの性格ぐらいいい加減把握しろ、と声を大にして言いたかったが、旅の初日に親子&夫婦喧嘩も大人気ないと思い「分かった」と答えた。

 空港の喫茶室に入り、メニューを見てコーヒーとミックスサンドを注文した。母はレスカ、配偶者はカフェ・オレ、長女には日向夏ジュースがいいんじゃないかといったが何やら難しそうな顔をしている。ウェイトレスが来たので、3人分注文し長女に再度「何にする、日向夏ジュースでいいか」と聞いたら「何もいらない」という。さっきまで喉が渇いたといっていたくせにどうしたのだ。もしかしたらお腹でも痛いのかと思って尋ねると違うという。僕も配偶者も母もどうした、何がいい、何でも好きなものを頼めというが首を左右に振って答えない。いい加減いらいらしてナンで注文しないんだとやや大きな声で言ったら、更に大きな声で「だってこのお店は高い。うちはお金が無いじゃない」といいやがった。確かにコーヒーが800円とかサンドイッチが1000円とか普通のお店に比べると倍近い。また我が家にお金が無いことは日頃配偶者が呪文のごとく唱えているので、わが子も洗脳されてしまったのだろう。しかし、これを聞いた母は激怒した。いや、子供にこんな心配をさせる両親(つまり僕と配偶者)にだ。しかし、子供って聞いてるもんだな。

 というような微笑ましい家族団欒のエピソードでこの旅始まった。しかし、なんだかんだいっても旅は楽しいものだ。特に行きに見かける風景は初めて見るものが多いので飽きない。宮崎福岡間は初めてフライトしたが、それまでの関西方面、東京方面のルートと異なるので新鮮だった。もっとも45分というのは、あっという間で感覚的には空を飛んでいる時間より発着の空港内で待たされている時間のほうが長く感じたくらいだ。飛行機に案内されてシートベルトを付けて、離陸のアナウンスが聞こえると同時に飛行機が加速していく。胸に重力を感じて、飛行機の車輪が激しく振動しそれがだんだん軽い振動になっていく。その瞬間ふわっと身体が浮くような錯覚を覚える。飛行機はこの瞬間が一番好きだ。一気に加速して空をかけていく感覚がある程度過ぎると、シートベルト着用のサインが消えて水平飛行になる。乗り心地が一番快適な時間帯なので本や雑誌を読んだり飲み物を飲んだりする時間だが、流石に飛行距離が短いのですぐに着陸態勢になる。

 ごとん、という音がして福岡空港に着いた。気温は宮崎とあまり変わらない。手荷物を受け取って、さりげなく上を見た。いや、福岡空港は初めてなので、地下鉄の乗り換えの案内板を探したのよ。そうだ、この旅で一番気を使ったのは移動の際のナビゲータ役である。要するに配偶者は方向音痴、母もややそれに近い。長女は方向音痴ではないが、旅の経験が少ない。必然的に僕が道案内しながら目的地に進むしかないのだ。幸い地下鉄への乗り換えは、歩く距離は結構あったがワンウェイで間違いようが無かった。自販機でチケットを買い、3人に渡して地下鉄の乗り場に進んだ。すぐに電車は来て椅子に座ることが出来た。椅子に腰掛け、あたりを見渡していると6,7人くらいの女性の団体客が大きな荷物を持ってドアのところに来た。僕と視線が合ったその女性は「これ博多駅に行きます?」と聞いてきた。オレも旅行者だから氏らね、違った知らねーといいたかったが、つい頷いてしまった。すると※#!☆か、なんか言ったとたんその団体客が一気に乗り込んできた。バッグについたタグを見るとシンガポールからの人たちのようだった。空港から2駅で博多駅に着き、今度は長崎本線に乗換えだ。
かもめの車内風景、ほら座席の後ろのテーブルがないでしょう?
 博多駅14時発で、しかも指定席も取っているので慌てる必要は無いのだが、そこはビンボー人の悲しいサガでさっさと乗り場まで来て足元に荷物を置いた。特急が来るまであと30分は優にある。それまで何をするかというと汽車弁当探しである。構内を長女と二人でうろうろして弁当を売ってるお店を探した。立ち食いそばやで弁当を売っていたので、サンプルを見てもちろん僕は幕の内、配偶者と母にはトリ飯弁当を買った。長女は気に入ったものが無いとのことでkioskで買うことにした。弁当とお茶を買ってる間、長女が何か言いたそうにしていたので聞いてみると、何故ここの人たちはたったままうどんやそばを食べているのかと聞いてきた。立ち食いそばを知らないのだ。僕は都会生活における非人間性の象徴として、またシホン主義社会はロードーシャの食事の時間も搾取するのだという世間の厳しさを話したら一言「私は人の多いところには住まん、住めん」。まあ、田舎育ちだからな。

 定刻どおりかもめ27号は発車した。乗車率は50%無かったのではないか。おかげで快適だった。電車は新しく電車と電車の間の通路が長くスペースが取ってあり、トイレはもちろん洗面所、カード電話、ちょっとしたデッキまであり今までの電車のイメージではなかった。もっとも荷物棚が飛行機と同じパッケージ型というかトランク形式だったため、大型バッグを入れると扉が閉まらず、しかたなく足元に置いた。電車が動く前にお腹が減って弁当を食べ始めたのだが、テーブルがない。通常は前の座席についているのだが見当たらない。あちこち見たが誰もテーブルを使ってないようだったので、弁当を手に持って食べた。食べ終えてナニゲニ隣の席を見たら窓側の人がテーブルを使っている。どこに収納されてるのか何度見ても分からない。諦めて外の景色を見るのだが、どうにも悔しい。しばらく考えてあちこち触って分かりました。肘掛の先にスライドするところがあり、その中にミニテーブルが入っていた。横に座っていた配偶者にそのテーブルを見せたら驚いて探すが見つけきれない。しばらくしてやり方を教えたら、今度は前の席の長女に話しかけている。どうやらテーブルの使い方が分かるかと聞いているようだ。しかし若いというのは頭が柔軟なんだろう。ものの5秒くらいで見つけて、親としての威厳を見せることが出来なかった。

 かもめは福岡を過ぎて佐賀に入っていった。このあたりから見かける風景は初めての景色が多く見飽きなかった。普段回りは山と海で囲まれているので、地平線といったら大袈裟だが平野部がずっと先まで続く景色はやはり感動ものだった。そして海が見えてきた。有明海だ。いつも見慣れている太平洋とはやはり趣が違う。列車の棚にJRの無料機関紙「プリーズ」が置いてあったのでめくって見た。伊集院静が「長崎本線」というタイトルで短いエッセイを書いていた。すっきりした読みやすい内容だった。あちらは長崎から福岡に向けて走ったことを書いているのだが、こちらは福岡から長崎に向かっている。楽しいたびになりそうだと予感が走った。

 旅のレポートをダイジェストにして書こうと思ったが、イントロが長すぎた。次はもっと簡潔に書きます。今日はここまで。
 

長崎ぶらり旅 その18

地下鉄の景色
あっという間に電車は博多駅に着き、地下鉄に乗り換えた。気がついたら、空港ロビーである。行きは、初めての景色ばかりだが、帰りは一度見た風景なので時間もすぐ過ぎるのだろう。この旅も、後少しである。疲れ果てている事は、誰にも隠せはしないだろう…。

長崎ぶらり旅 その17

汽車弁当に竹輪、帰るとすぐ運転なのでビールは無し
汽車弁当に竹輪、お茶。旅のランチ。裸のランチではない。しかし、我ながらよく食べる。確実に太るな、こりゃ。

長崎ぶらり旅 その16

駅の立体歩道橋にあった標識
電車の時間までそれぞればらばらで買い物をした。僕は駅の横のデパートの書籍コーナーで中古CDのバーゲンを見つけ、そこで固まる。あまりぱっとしたものはなかったが、悲しい性で何度もうろうろし、結局RCの『マーヴィー』を買った。

後1時間で長崎ともお別れだ。

長崎ぶらり旅 その15

母がまだ~若い頃~って、あれは無縁坂だったか!?
列車の時間まで3時間ほどあったのでタクシーでオランダ坂に行ってみた。さすがに日曜日だけあって観光客が多かった。ギャルもいっぱいいた。昔の暴れん坊将軍時代であれば、当たるを幸いに薙ぎ倒していただろう。君達はラッキーガール(byトリアンヴィラート)だ、と大声で叫びたかったが、空しいのでやめた。

長崎ぶらり旅 その14

帰りの朝はすぐにやってくる。ようやく見慣れた景色とも今日でアデュー(by 殿山タイチャン)である。夕べは疲れて9時には横になり、文庫本を読んでいたら、いつの間にか寝てしまった。したがって夜のアドベンチャーのレポは無し。

これから朝食を取り、昼の特急で博多に向かう。

長崎ぶらり旅 その13

わはは、写真の方向が違っておった、sugarmountain君の指摘のとおりだった
と、いう訳で福山雅治の実家の写真である。合唱の応援はちょうどいいタイミングで次女に会えた。配偶者と長女は、他の学校の合唱も聞きたいと言って先にホールに入ったが、僕と母は喉が渇いていたので、お茶を飲んでいた。飲み終えて、ホールの方に向かうと次女達が整列したところだった。こちらに気がつき嬉しそうに両手を振った。緊張はしていないようだ。

合唱は、よくわからない。課題曲が「ボヘミアン・ラプソディ」だったら、何とか解るが。前の学校がかなり上手だったので、心配したが全力で歌う姿は親バカだが、少し感動した。

聞き終えて外に出て、次は稲佐山にロープウェイで登る予定だったが、買い物をしたいとの意見で長崎駅に向かった。そこから何故福山雅治の実家に向かったのか。あ、食事が来た。続きは次回に。

長崎ぶらり旅 その12

ブリックホールはまだ築浅のキレイな建物だった
疲れもかなり溜まってきたので、電車の予定をタクシーにしてブリックホールに来た。まだ新しいホールでエントランスには九州各地の中学から合唱部員が結集していた。喫茶店で少し休憩してから次女の応援に行きます。結果はどうあれ全力を出しきれる事を期待する。

そうそう、みなさんのコメント楽しく拝見しています。レスはちょっと待ってクダサーイ、と、昔流行った歌をチラリ。

長崎ぶらり旅 その11

このときほど文明の、電気の力をありがたいと思ったことはない
大浦天主堂を出て、そのままグラバー園に向かった。しかし坂が多く、ややバテ気味。坂本龍馬は『長崎は墓と坂と馬鹿ばかり』と言ってそうだが納得。

あ、馬鹿というのは『馬鹿みたいにお人よし』と言う意味なので、誤解無きよう。写真は、ムービングウォーク、天の助けでした。

長崎ぶらり旅 その10

いやー無頼の輩には敷居が高いというか、本当に階段が高い
長い石畳を上って大浦天主堂に来た。礼拝堂に入るとテープでいろいろ説明していた。お尻の座りが悪くとっとと出た。やはりこういうのは柄じゃない。

長崎ぶらり旅 その9

20080906121445
中華街にやって来た。お店を冷やかして、お腹が空いたからランチです。もちろんちゃんぽんだマンボ。四海桜まで待てなかった。この後大浦天主堂に行きます。

長崎ぶらり旅 その8

おかしいな、燐さんか猫だぬきさんあたりが食いつくはずなのだが
お下劣ネタ 出島で聞いた見栄っパリの発言

どやっ!おっちゃんのも、これくらいあるでぇ。

…ウソツケ

長崎ぶらり旅 その7

20080906105939
出島である。エレキテルである。ターヘル・アナトミアである。残念ながらア○ルトな本ではない。

長崎ぶらり旅 その6

20080906091430
なにゆえに旅館やホテルの朝食は旨いのか。普段は全く食べない、たまにコーヒーを飲むくらいなのに、今朝はお粥を二杯平らげた。そう、このホテル、朝食は普通のご飯かお粥か選べたのだ。朝粥は眠っていた体を優しく起こしてくれると、これは確か美味しんぼの京極さんが言っていた。

さて、これから出島に行く。僕が3,4回生の頃住んでいたのは、出町である。関係ないか。

長崎ぶらり旅 その5

20080906075624
結局晩御飯は生徒達と一緒にホールで食べた。中華の回転テーブルの上には、皿うどん、唐揚げ、野菜炒め、サラダ、フリカケなどが山のように並べられた。すでに我が子の合唱部員は全員集合していた。次女は母と配偶者と長女にはニコニコしながら手を振った。僕も釣られて手を振ったらスルーされた。そういえば旅行中は知らんぷりしろと言われていた。次女いわく参観日に父を見られ額の広いのは遺伝だと言われて恥ずかしい思いをしたそうだ。

悪かったな。どうせヒゲのない山本晋也だ。ちょっとパンクで腹の出たさだまさしだ。

同じテーブルに付き添いのオカーサン達がいた。一人だけタイプの人がいたが、ぐっと我慢して無視した。チャンスは今夜だ(by RCサクセション)

お詫び
今回のエントリーに悲しい願望が入っている事を告白します。

長崎ぶらり旅 その4

20080905204210
ホテルに着いたのは、午後5時半過ぎ。稲佐山の方にある観光旅館である。最初にホテルの名前を聞いた時は、風を整える方の整風だと思い、毛○東の肖像画でも架かっているのでは無いかと心配したが、むろんそんな事はなかった。

山の上にあるそのホテルに着いたら、かわいいオネーサンがタクシーのドアを開け、トランクの荷物を手際よくロビーまで運んでくれた。チェックインを済ませ、夕食は部屋食でと頼んだら、なんと朝食しかついてないと言う。荷物を運んでくれたオネーサンは、明るくキレイだったが、受け付けのオヤジは、この間一切当方と目を合わせない。無理なものは無理、融通なんて言葉は知らないとでも言いたそうなクソオヤジであった。こいつが元紅衛兵であってもオレは驚かない。

長崎ぶらり旅 その3

長崎駅にやっと着いたぜ
長崎に着いたのは、午後4時前。特急かもめは、至って快適であった。シートに備え付けのサイドテーブルの使い方がすぐにわからなかった事以外は。車中では幕ノ内の汽車弁当を食べたり、iPodで音楽を聞いたり、有明海の風景を眺めたり、飽きる事がなかった。

さて、今から一時間、単独行動できる。目の前のタ○レコに行き、その後本○らけに行くのだ。長崎に来ても、行動パターンは変わらないのだ。

長崎ぶらり旅 その2

20080905135710
博多駅である。飛行機は予定より5分早く着いた。いつものオレなら、スチュワーデスさんのレポートをアップするのだが、流石に家族連れだと観察する暇がない。無念である。空港から博多駅までは地下鉄で行った。乗り込むやいなや7,8人の団体が僕に、この電車は博多駅に行くか聞いてきた。僕は精一杯博多っ子のふりをして答えた。

行くバイ!

長崎ぶらり旅 その1

ただいま宮崎空港である。これから福岡行きの飛行機に配偶者、長女、母を連れて乗り込む。目的地は長崎で、明日の次女の合唱の応援である。などと書いていたら搭乗の時間だ。続きは後ほど。

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