1週間遅れのライブレポート 宮里陽太アットポレポレ

 ここのところ不発に終わっている月一ライブの会だが、今回は大当たり、大正解、日頃の行いが良いとこういうライブにあたるといういい見本であった。というのも前回見に行ったライブは某カルテットのライブでメンバー的にも会場的にも大いに期待したのだが、どうにも全く音の波長が合わない、正直見ていてつらいライブだった。まあこれは一概にミュージシャンのせいではなく、事前調査をきちんとしなかったことが敗因だったと思う。中途半端にフリージャズやるんじゃねえよ、とかギターはキング・クリムゾンか、ぶち壊しじゃねぇか、などの悪口も聞かれたが、ま、なかった事にしよう。そこで次こそはハズレの無いライブに行こうと毎度まいどのY尾君と二人で話し合い、じゃ7/9のBAHOのライブはどうだと誘ったのだが、その日は仕事の都合でどうしても見られないという。しょうがないからBAHOは配偶者と行ったことは以前のエントリーにも書いた。しかし待てば海路の日よりありではないが、5月の国際ストリート音楽祭で見て、大変気に入っていた宮里陽太がカルテットでやってくるというメールを、宮里陽太の父上だからこちらも宮里さんから頂いた。早速Y尾君に教えてやったら、日にちも7/21と祭日なので、大手を振ってライブに行けるという。全くノー・プロブレムだ。

 場所はポレポレというライブハウスで、僕は名前を聞いたことがあったが場所もどんなお店(喫茶店なのかレストランなのかライブハウス)なのか何も知らず、一応HPをチェックして調べたのだが、どうも良く分からない。何しろ、そのお店のライブ情報が2008年の2月で更新がされてなかったので、本当にライブがあるんだろうかと一抹の不安が残っていたのだ。それで19日の土曜日に外回りのついでにお店を探しにいったら、確かにありました(当たり前だ)。一ツ葉と地元の人は呼んでる、海に近いベッド・タウンというか別荘地や洒落たレストランなんかがある辺りだ。もう一つついでに言うと、ビジネスでも観光でもないタイプのホテルが多いところだ。かのポレポレのすぐ横にもド派手なネオンや看板が毒々しい、ま、いわゆる連れ込みホテルというやつが立っていた。

 お店の場所は確認したが、車以外の交通手段がなかなかに厳しい。帰りの足をどうするか考えたが、バスも夜9時半くらいで通わなくなるようなところなので、最悪はタクシーで帰るしかないと思ったが、タクシー乗り場などもないし、第一主要な道路に出るのに歩いて10数分はかかりそうだ。配偶者に送迎させることも考えたが、送るのは良くても夜の迎えは、なんだかんだ言って断られそうだと思い、まあでも当たって砕けろだと、頼んでみたら、訳も無く砕けては手のひらから落ちた(byハマショー、ハラショーではない。ハラショーはロシア語だ)。こんなことでは僕はいつまでたっても路地裏の少年である。あ、訂正、路地裏のパンク中年である。

 話は一気に当日の夕方6時に現地集合したところから始めたいのだが、実はライブの開始時間が良く分からず、お店に電話したが留守番電話で、しょうがないから宮里さんにメールして、それでも自助努力は必要だと思い、地元のミニコミを買ってきた。タウン○崎という唯一の地元情報誌だ。それを何度もめくったが今回の宮里陽太のライブの情報が出ていない。それどころかとんでもない記事を見つけてしまった。この写真です。オイヲイ、これはどう見ても石やんだろ。チャーじゃねぇよ。しかも写真はGYAOで使ってたのと一緒だ。こんないい加減な情宣しかしてないから1000人規模のホールに300人しか入らないんだ、責任者出て来い、とやや怒りが拡散する中、宮里さんから当日は18時開場、19時開演との連絡が入った。やれやれ、これでようやくライブレポートが書ける。
これじゃチャーにも石やんにも失礼だろ!
 当日は、18時ぴったりにポレポレに着いた。Y尾君も到着しており、しかしながらお店の庭先には他に誰もおらず、本当にライブがあるのだろうかという不安があった。もっともその不安はお店の中から聞こえてくるジャズの音色、いや音色などという生易しいものではなく大音量の響きで消えていった。随分大きな音でレコードをかけているなと思いながら、お店に入っていくとステージに数人の人影があり、お店のカウンターや座席に人影がある。どうもヘンだと思っていたら、バンドのリハーサルの真っ最中だった。お店のマスターから「今、リハやってるので外で待っていてください」と言われ、再度外に出た。しかし今聞いた轟音はココロに染みた。Y尾君は久しぶりに腹の底に染みる演奏が聴けそうだとうきうきしている。

 18時半過ぎにリハも終り、演奏していたミュージシャン達が庭先に出てそれぞれタバコを吸ったり雑談したりしている。5月に見た宮里陽太もいた。話かけようかと思ったが、ちょっとそういう雰囲気ではなかった。やはり演奏前で神経が高ぶっていたのだろう。お店のマスターから「お待たせしました。中にどうぞ」と声をかけられた。お店の入り口でチケット代を払い、さらにドリンク代を払った。僕は勝手にこのお店は食事も出来るものと決め付けていたのだが、食べ物はアルコールの付きだしとして用意されているポテチかチョコレートしかない。しょうがないのでビールとポテチで空腹を誤魔化した。お店に入ると僕達がお客さん第1号だったようで、まあおかげでステージの目の前の席を取れたのだが集客は大丈夫なのか心配になった。僕達の次に入ってきたのはアロハ姿の男性とその奥さんらしい感じの良さそうなカップルだった。何となく僕には予感があり携帯を取り出した。

 数回コールした後電話はつながった。「お世話になります、drac-obです。今、現地に着いてお店に入りました」と話したところ「ハイ、後ろにいます」と返事があった。振り向いてみるとやはり先ほどのカップルが宮里さんご夫婦だったのだ。僕はY尾君と一緒にご挨拶をしてしばし雑談した。話題はやはり息子さんのことで、一体何時ごろからジャズに興味を持ち始めたのかとか、子供がプロミュージシャン、しかもジャズという非常に狭いシーンのミュージシャンになろうとしたときに親としての不安や反対する気持ちは無かったか、などというおそらくは何度も聞かれたであろうような質問だ。それらの質問に一つひとつ丁寧に答える姿を見て、ああ、いい人だなと実感した。僕らと違って、次々に入ってくるお客さんそれぞれと面識があるようだったので、適当なところで話を切り上げて僕とY尾君はアルコールの摂取にいそしんだ。開演時間の19時はとうに回っているが、なかなか始まらない。お客さんはそこそこ入ってきたが、どうもプレイヤーの身内の方が多いようだ。

 照明が暗くなり、ようやくカルテットのメンバーがステージに上がった。陽太は最初はソプラノをくわえていた。小さな声でカウントが聞こえたかと思うと1曲目が始まった。これだ。この音だ。5月にトシ・永井のグループでゲストとして吹きまくったサックスの音色だ。しかも5月の演奏はゲストプレイヤーとして数曲、地元のミュージシャン(キーボードは東京から連れて来ていたが)との演奏だったのでやや消化不良だったが、今回は違う。ピアノ、ベース、ドラムそれぞれがしっかりした実力の持ち主たちで安心して聞いていられる。今回のカルテットのメンバーはベース以外は全員宮崎出身者。ピアノの荒武祐一郎は噂以上にスリリングなピアノを聞かせる。ドラムの古地克成のビートも最高だ。とにかくこのバンド、リズムの切れがいい。ファーストセットもセカンドセットもオリジナル中心の演奏だったが、良くこなれていて初めて聞いた気がしない。

 ファーストセットはあっという間に終わった。僕達は休憩時間に何度かアルコールをお替りし、お酒に酔っていたのか演奏に酔っていたのか良く分からない状態になってしまった。セカンドセットも始まり、気持ちのいい時間が流れた。そうそう、このカルテットのMCはドラムの古地克成中心であまり喋らない。ほとんどが曲名の紹介くらいで、ときどき地元ネタみたいな話をした程度だった。その無口なMCで「次にやる曲はスペイン」と聞いたときはちょっと驚いた。チック・コリアがリターン・トゥ・フォーエバー名義で録音した名曲だ。しかし電気を使ったバンドではなくアコースティックバンドでこの曲をやる潔さは気にいった。演奏はそれ以上に気に入った。ブレイクが印象的な曲だが、ここでの陽太のサックスは聞き応え十分だった。
小気味良いくらいブロウするサックス
 なんだか、書いていてちょっと空しくなった。どう表現してもあのときの演奏の楽しさ、素晴らしさ、そしてちょっとした凄みは伝わらないな。とりあえず、このエントリーを読む機会があった方で、音楽が好きな方(ジャズファンであろうが、なかろうが音楽好きな方という意味です)は、宮里陽太という名前を記憶して欲しい。そしてどこかで演奏を聴くチャンスがあれば是非聞いて欲しい。地元宮崎の方は8/4にライフタイムでライブがあるので是非お運びを。ソンはさせません。私はウソは申しませんっ(なんか昔こんなこと絶叫した汚職議員がいたが)。

 ライブが終わってまた少し宮里さんと話をさせてもらった。僕は結構酔っ払っていて「あと1,2年はライブでガンガン吹いてください。レコーディングなんかまだやらなくていい。とにかく吹きまくってスタイルを確立してください」などと生意気なことを言ったようだ。余計なお世話だろうが、黙ってニコニコ聞いてくださった。やはり人物だな。僕みたいに怒りが原点の人間とはちょっと違う。そうそう、帰る間際に息子さんを紹介してくれたんだ。こういうときに何といえば良いのか良く分からない。今まで自分の好きなミュージシャンに会う機会があったが、そのときも「これからも元気でいい音楽を聞かせてください」くらいしかいえなかった。今回も似たようなもんだ。最後に握手した宮里陽太は相手の目をまっすぐ見つめて挨拶する好青年だった。
今年で25歳、これからが期待の好青年です
 んんん、どうにもまとまらないな。これはどうするか迷ったのだけど、YOU TUBEで宮里陽太の演奏している動画があった。音が良くないのだが、イメージは伝わるかと思ったのでアップします。いや、やっぱり生を見て(聞いて)下さい。こんなもんじゃないのだ。

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続・連休だというのに、いや連休だから 

 というわけで、ホテルを間違えてしまい誰が悪い、誰が犯人だという糾弾集会が車中で急遽開催された。配偶者とバカ娘は事前に地図を調べなかった僕が悪いと口をそろえて喚いた。タダで車に乗せてもらっているくせに態度の悪い連中だ。僕は、確かに地図を調べなかったことは認めるが、そもそも調べようとしていたら「しおり」に地図は書いてあるから大丈夫だといったのはどこのどなた様だったかと切り返し、しかも僕が運転中その地図をずっと持っていたのはどこのドイツだったかとダメを押した。一瞬沈黙があったが一気に逆襲が来た。その後のことはここには書かない。まさしく『正しかるべき正義』は『時として』ではなく、しょっちゅう『盲いる』ことがある、という真実を立証されたからだ。

 フェニッ○ス・ホテルで場所を聞いたので、目的のホテルの大まかな位置は分かったが、念のためにとおりがけのコンビニで道を聞いた。地元のオバチャンと思しき店員は「ああ、サン○ェリーですね。この道をずっと行くと山があってその頂上です。もう少し走ると下から見えますよ」などといって。今、僕達が走ってきた方向を指差す。「山の上?そこはフェ○ックス・ホテルと違います?」と聞き返すと、カウンターの中にいた地元オバチャン2号が「あら、あんたはまた間違えて教えてるが。さっきもおんなじこと言うとったよ。サ○チェリーは逆方向じゃが。お客さんあっち、あっちのほうよ」と一声。危うくまた山道をもどらされるところだった。しかし、僕達の前にここで道を聞いた人がいて、その人たちも間違って山の上のフェニッ○ス・ホテルまで行ったのかと思うと同情を禁じえなかった。

 道を聞いて行ったので、今度はスムーズにホテルに着いた。3階建てのドライブ・インと間違えそうな古びたホテルだった。これなら食事つき6500円は大いに納得だが、決して泊りたいとは思わない(ちょっとホテルに失礼かな)。もっとも子供達はそんなことは一切気にせず、荷物を持ってすぐに皆のところにはせ参じた。子供を降ろしてしまえば自由時間なので、日南の街中を走って古本屋回りしようかと思ったが、せっかくだから飫肥を散歩してみることにした。飫肥は日南の小京都といわれる城下町(しかし一体日本中どれくらい小京都があるのだろう。お暇な方は数えてみたらどうだろうか。100はくだらないと思うね)で、何年か前のNHKの連ドラ「わかば」のロケ地になったところだ。いや、威厳をつけていうと、日露戦争時にポーツマス条約を締結した小村寿太郎の出身地だ。もっとも日本史に登場する宮崎出身者は小村寿太郎と伊東マンショだけである。そのうち今の知事も歴史の教科書にのるだろうか。どうも本人はそのあたり意識してそうだが。

 余計な話になったが、北郷から飫肥に向かう途中に美味しいアイスクリーム屋さんがあった。配偶者の友人が教えてくれたそうで、そこに車を止めて食べてみた。昔ながらのアイスクリームというのが売りの店だ。味は、確かにアイスクリンというか、昔自転車にのぼりをつけて鈴を鳴らしながら売りに来たアイスの味だ。つまり「クリーム」というより「シャーベット」状のやや固い、それでいて舐めるとすぐ溶けてしまう、そういった食感で、実に美味しく頂いた。それまで例によって何かと言い争いしていた僕と配偶者だが、美味しいものを食べるととげとげしい雰囲気は消えてしまう。あれは不思議だ。僕は、そのお店の写真を撮りながらあっという間に食べ終えてしまった。地元の皆さんで、まだご存知ない方は一度お試しあれ。
昔懐かしいアイス屋さん
そのお店の後ろにある小さな滝

 その店から飫肥まではすぐだった。連休だったせいか、結構観光バスも多くて、観光客でにぎわっていた。車を止めて大手門のほうに歩いていったが、日差しが強くて頭がくらくらする。帽子を忘れてきていたので、配偶者からチューリップ・ハットを借りたがそれでも頭の中に暑さが食い込んでくるようだった。15分ほど散策したが、日陰にいないと倒れてしまいそうだったので、お土産の飫肥天と卵焼きを買って帰ることにした。帰りも海側のルートで帰ったが、せっかくなので堀切峠の道の駅により、竹輪を買ってかじりながら帰った。帰ってからはシャワーを浴びて、晩御飯を食べたら不覚にも眠ってしまい、この前のエントリーの最初につながるわけだ。で、結局翌日の11時に子供を迎えに行くことになっていたが、そのときの話は特に面白いものは無いので終わる。それより昨日見た宮里陽太のライブレポートを書かねばの娘なのだ。
大手門

連休だというのに、いや連休だから

 今は、7月22日月曜日の午前7時過ぎである。祭日の朝である。自慢ではないが僕は休みの日は寝坊する。いぎたなく寝るという表現があるがまさにそのとおり、たいていは9時、10時まで、下手をすると昼過ぎまで寝ていることがある。つぶやく言葉は「インロータキン」(by INU)ではなく「世の中に寝るほど楽は無かりけり、浮世の馬鹿が起きて働く」である。しかしこの言葉を繰り返しながら、休みの日に寝てばかりいると家族から見放されるという現象が起こる。「群衆の中の孤独」を体験したい方には是非お勧めしたい。などと、三年寝太郎的言い訳を書いているのは理由がある。造反有理というやつだ。いや違うか。

 実は昨日の夜エントリーを書くつもりでいたのだが、寝てしまった。それも夜8時という時間だ。いつものオレなら(byパンタ)、それくらいの時間からPCに向かい、家族のメイワク省みず深夜1時、2時くらいまでネット三昧のはずなのだが、疲れてぐっすり寝てしまったのだ。そこまで疲れてしまったのには理由がある。造反有理というやつだ、っていい加減しつこい。そう、実は昨日21日は下の子が部活の合宿で北郷に行くので送ってくれと頼まれていたのだ。北郷というのはプロ野球ファンであればご存知の広島カープがキャンプをする日南市に隣接した山沿いの小さな町だ。もっとも僕はここ数年プロ野球には全く関心がないので、あえて紹介するとしたらミカンやポンカンで有名な日南市の隣だという大雑把な説明しか出来ない。

 僕のブログで家族とドライブとか車で出かけるという話は圧倒的に県北方面が多いのだが、実は県南ルートも結構出かけている。日南海岸沿いを走るのは気持ちがいいし、日南市や南郷町、串間市というあたりは僕自身が漁村の生まれなので潮の香りがする大好きな土地なのだ。おっと話は北郷であった。ここは山と川がきれいな小さな山村なのだが、宮崎から行くには田野町という今は合併して宮崎市を名乗っているが大根を乾すのが風物詩というのんびりしたところから山越えで行くのが最短ルートである。しかしあまり見るべき風景がない(無くは無いのだが、派手さは無い)。またうちの子供は車に弱いので、それじゃ海沿いのルートで行くかと決めていた。

 で、当日の朝になるのだが下の子は部活の練習で朝一番から学校に行った。僕は子供から頼まれていた使い捨てカメラを買うのとタウン誌を買うために駅近くのスーパーに行った。何故タウン誌を買いに行ったかというと、実は7月22日に5月のストリート音楽祭で見て(聞いて)気に入っていた宮里陽太のライブがポレポレというライブハウスであるのだが、そのライブハウスのHPを見ても何も告知がされていない。ライブ情報の入手源は確実なところなので間違いは無いはずだが、一体何時から始まるのかが全く分からない。ちょっと不安だったのは、そのライブハウスは週末・祭日オンリーの営業で、祭日の営業時間は12:00~17:00となっていたことだ。最初に書いたように子供を北郷に送るということは歴史的必然的に今度は迎えに行かねばならない、イカネバの娘なのだ(これ、前も使ったフレーズだな)。

 心ある人々の中には父が送りに行ったら、迎えは母で良いではないか、それこそが男女同権であろう、雇用機会均等法であろうという正に正論、しかしながら、『正しかるべき正義も時として盲いることがある』などと昔懐かしい「逃亡者」のフレーズが聞こえてくるような意見を仰る方もいるだろう。ところが我が家では長距離の運転は必ず父親、なぜなら母親は膝が悪いからということになっている。もっともこれは建前で、ご本人は毎週ママさんバレーなどに出かけて、日頃のストレスを発散させていることから大嘘であることは明白である。しかしそのような指摘をすると、いかんせん財布を握っているのは敵側であるのでライブに行くお金がなくなるという大変困った事態に陥る。したがって、ウソを承知で我が身に鞭打って長距離の運転をするのだ。レ・ミゼラブルな話である。アン・ルイスではないが「ああ無情」である。

 午後1時には子供の通っている中学校に迎えにイカネバの娘(また使ってる)だったので、校門から車で入ったところ、すでに何台かの車が迎えに来ていた。僕はうちの子供と、その友達を車に乗せて家に帰った。というのも、僕が普段乗っている車は1000ccだが、後部座席が狭くて窮屈なのと中3の女の子2人を乗せて、片道1時間彼女らの話に付き合うのはチョー頭痛くなるので、ウザイけど同世代の配偶者を横に乗せておけば枯れ木も山の賑わいで丁度いいだろうと考えたのだ。このあたりの言語感覚は明らかに中3のバカ娘に影響されている。家に帰り、ワンボックスの車に乗り換えCDもセットして一路北郷に向かった。空はピーカンに晴れていて絶好のドライブ日和だ。

 宮崎を南に向かって走っていると青島という観光地を通る。もっともバイパスが貫通してしまい、青島の中心地は通らない。また堀切峠という、以前であれば坂道をずっと登っていき、登りつめた先に一気に太平洋が広がるという雄大な景色を楽しめたところもあるのだが、バイパスはその裏側を通っているので昔ほどの感激はない。それでも潮の香りを感じながら走っていくのは気持ちが良かった。BGMはキヨシロー頑張れのメッセージをこめてRCのライブ「ティアーズオブクラウン」をかけるつもりが、オートチェンジャーの順番を間違えたため憂歌団の「Chasin’ The Wind」がかかってしまった。もっともカンタローのギターの音色も南国風景に良く似合う。左手に太平洋を、日南海岸を見ながら車は走った。道路はそこそこ空いていて、途中に見かける海水浴場には多くの人たちが泳いだり、潮干狩りしたりしていた。車中の会話は何度か棘のあるものもあったが、そこはそれ大人の判断で大して波乱も無く日南市の入り口、風田に着いた。

 そうそう、忘れていたがこの日南に向かう途中で僕の携帯がなった。取ってみると、22日にライブのある宮里陽太のお父さんからだ。実は拙ブログで宮里陽太のことを書いたら、ネットサーフィンしていたお父さんが見つけてくれて、それ以来何度かメールのやり取りをしたことがあった。そして今回宮里カルテットとして宮崎近辺のライブの情報を教えてくれたのが父君であったのだ。お互い電話では初めてなので挨拶をして、話を聞くと今回のポレポレのライブは18時開場の19時開演であることを教えてくれた。またそのライブにはお父さんも当然来られるので、その際はお会いして話をさせてもらう約束もした。非常に礼儀正しい方で、言葉の端々にジャズに対する愛情、それはひいては息子に対する愛情なのだが、を強く感じさせる方だった。宮里陽太のサックス(それとピアノの荒武裕一朗も宮崎出身で期待のピアニストだ)も楽しみだが、父君とお会いしていろいろお話させてもらうのも楽しみになった。こういうところはネットの恩恵だと強く思う。

 日南の風田から北郷に向かい、さてホテルはどのあたりかという話になった。実はネットで地図を調べるつもりがうっかり忘れてしまい、子供の合宿のしおりに入っていた地図を見ながら走っていたのだ。そういえば以前に配偶者と子供達は北郷温泉に泊まりに行ったことがあった。配偶者の友達家族と一緒で、僕は参加していない。そのときの話をして盛り上がっていたのだが、どうも目的のホテルはそこと同じでは無いか、山の上の大きなホテルだということになった。北郷に入って山手を見ると確かに大きなホテルが見える。随分立派だが、あれで1泊6500円しかも食事つきとはリッチな話だ。僕は何も疑わずにひたすらそのホテルを目指した。山の上のそのホテルはたどり着くのに九十九折の坂をひたすら上らなければならなかった。Dレンジでは力が弱くて、かといってLレンジだとエンジンが焼け付きそうで2ndでようやく登りついた。

 ホテルの入り口に来たときに、どうも様子がおかしいことに気がついた。目的のホテルはサン○ェリー北郷なのに、建物に書いてある文字はどう読んでも北郷○ェニックスとしか読めない。えーと、確かここはシー○イアをコカしたフェ○ックス・グループのホテルでは無いか。目的の場所と違うことが判明し、車の中では誰が悪いかを糾弾する話になった。さて悪いのは誰だ。と、ここまで書いてきたらもう、バカ娘を迎えに行く時間になった。今日のドライブ用に準備したCDは次の通りだ。

 チック・コリア 「リターン・トゥ・フォーエバー」
 ジム・ホール 「アランフェス協奏曲」
 大滝詠一 「ア・ロング・バケーション」
 憂歌団 「お中元」
 チャー 「エドヤ コレクション」

 ここ最近の音楽傾向が良く現れている。さて続きは帰ってきてからアップしよう。

はた迷惑な性格、こりゃ直らんな

 ようやく、少しずつだけど元気が出てきた。このところの憂鬱な気分は一体なんだったか、深く考えるのは止めにして、逆に何故元気が出てきたかを考えてみた。答えは簡単だった。僕は怒ると元気が出るという基本的なことを忘れていたのだ。怒る対象は何でもいいが、あまり風呂敷を広げてもしょうがないので身近なことを怒るようにした。今日はランチタイムに怒りが爆発した。

 外回りの仕事をしている人間にとって昼飯の問題は大事である。これは外回りに限らないが、内勤オンリーだと弁当、出前、コンビニ惣菜などとバリエーションが限られる。いや、本当はそうではなく内勤における昼飯の問題も奥が深いことは百も承知だ。出前を取るにしてもその店は何曜日が定休日かしっかり押さえておかないと、「今日は大福亭のちゃんぽん、この1点で勝負っ」と燃えていた気持ちが電話の呼び出し音のあまりの長さに、おかしい、そんなはずはない、ここの店人気があるからたまたま注文が混んでいて電話を取れないのだ、などと必死で思い込もうとしてみるものの、頭の中からもたげてきた恐るべき疑念、ひょっとしたら今日は水曜日、定休日では無いか、いや間違いない、と分かったときの落胆。心は、いや全身が今日は大福亭のちゃんぽんを食べて、それも最初は半煮えみたいなキャベツを一気に放り込みガジガジかじりながら、丼の中央部に割り箸を突っ込み、それを持ち上げるときの充実感のある重さ、割り箸がブリッジしながら健気に麺と具を持ち上げようとするその光景、そこにきらめく湯気と胡椒の香り。

 さあ、その状態が今日は再現不能だと分かった瞬間、一気に朝日屋のカツカレーなどと方針変更できる奴に、ろくな奴はいないというのが僕の人生哲学である。つまり一点突破全面展開でないとイカンということだ。いや、ちょっと違うな。これがダメならアレがある、あれがダメでも次がある的な植木等的あるいはドン・ガバチョ的無責任出前取りの法則も、確かに一理あるが、九州男児はそのような浮気症ではダメなのだ。いや、本気の浮気はいい。いかんのは遊び半分の浮気で、って、なんだか話がそれたような気がするので、もう一度外回りの昼飯について話を戻す。

 外回りの昼飯というのはたいてい時間に追われていて、まともに12時から13時の間に取ることは無い。いや、もちろんその時間にしっかりランチタイムを取る計画的な人も多いだろうが、僕は基本的に人が混むその時間帯は避けて13時から14時の間、ひどいときは15時過ぎにお昼を食べることも多い。もっともその時間帯になると、お店が限られてくる。ファミレスとかチェーン店のお店で無いと開いていないことが多い。今日は13時にアポイントがあったので、珍しく12時前に食事を取ることが出来た。もっともアポイントの場所の近くでゆっくり食べられるのはファミレスだけだったので、あまり好きではないがその店に車を入れた。

 僕がファミレスをあまり好きでないのは、マニュアル的対応しか出来ない店員の応対が嫌いだとか、メニューが代わり映えせずどの店に入っても同じだとか、凶牛肉じゃなかった狂牛肉やわけの分からない野菜や肉を食べさせられるのが不愉快だとか、そのような理由ではない。もちろん今上げた理由も多少はあるが、一番の理由は読むものが無いということに尽きる。随分前に書いたエントリーに新聞読みながら食事していたら見知らぬ人から注意されたという話を書いたことがあるように、僕は活字を読みながらものを食べるのが大好きなのだ。これは行儀とかマナーとかに照らすと大変いけないことだというのは十分分かっている。しかし、親元を離れた18の歳からずっと活字を友として生活していた人間としては食事中に読むものが無いと淋しいのだ。いや、子供のしつけに良くないから、家族で食事するときは読まない。読まないが我が子二人はしっかり父の遺伝子を受け継ぎ、食事のときに活字(正確に言うとマンガだが)を読むのが大好きでいつも配偶者に怒られている。不憫だと思う。思うがそんなことを言うとこちらにミサイルが飛んでくるので父は沈黙するのだ。

 まあ、ファミレスに読むものは無い(これも正確ではないな。無料の求人誌や、たまにタウン誌なんかが置いてあったりするから)と、分かっているので僕は車のキャビネットにたいてい文庫本や新書を入れてある。もっとも昼の時間に食べながら読むのでせいぜい10数ページ読んで終りなので、ここ1ヶ月はずっと殿山泰司の「三文役者のニッポン日記」を読んでいる。まだベトナム戦争が行われていた、日韓条約が批准されるかどうかといった60年代の日記だが、中身は嫌になるくらい21世紀の今日この頃と変わらない。「政治が悪い」とか「物価が高い」とか、「悲惨な事件が多い」とか読んでいてこれは一体何時の出来事かと錯覚してしまうくらいだ。もちろん、泰チャン独特の筆致で読みやすいのだが、内容は大変暗い。一度きちんとエントリーに書いてみようと思う。

 というわけで、車をファミレスの駐車場に入れて片手に駐車券、片手に文庫本を持って店に入ると12時少し前なのに席はがらがらだ。僕はいつも指定席にしている2人がけのテーブルに座りランチを注文した。何時ごろからそうなったか、はっきり覚えていないが随分前はウェイトレスの人がお絞りとお冷をもって来てくれたのに、今ではセルフサービスである。お絞りは紙ナプキンである。紙ナプキンにはインクがにじむから、その上に文字や絵を書いてはいけない。おっと、それはどうでもいいか。ぼんやり待っていてもお冷もランチ用のスープも誰も運んでくれないので自分で取りにいった。片手にコップ、片手にスープカップを持って自分の席に戻ろうとしたら、誰か座ってる。結構年配の男の人だ。透明なビニール傘を片手に持ち、じっと前を見ている。僕がテーブルを間違えたかと思ったが、殿山泰司の文庫本が置いてあるので間違いない。ナンだ、このオヤジはと思って、じっとにらみつけた。

 僕の視線に気が付いたオヤジは僕を見つめて、ん?という反応だった。こちらはもう一つ目に力を入れて、更にテーブルの上の文庫本に視線を移しもう一度オヤジの目を睨んだ。するとオヤジは、あらら、すまんなというような表情をして立ち上がった。僕が先に座っていた席だと理解したようだ。しかし、そのあとの動作にちょっと僕は驚いた。テーブルは沢山あいているのだから、普通は離れた席に座るのでは無いかと思ったが、なんと僕の隣の席に座ったのだ。もしかしたら話好きのオヤジかもしれん、という予感がした。僕は食事時に知らない人から話しかけられるのは大嫌いなのだ。いや食事中に限らないが。こういう奴はシカトに限ると思い、僕は席に座るとさっさと本を開いてそちらに集中した。隣のオヤジは僕に何か話しかけようとする気配があったが、僕は真剣な顔をして60年代の諸問題に取り組んだ。

 2,3分したらパンパンという音がした。何も殿山泰司の本を読んでいたからといって「在日米軍を相手にした売春婦」のことではない。純粋に手を叩く音だ。横を見るとオヤジが両手を叩きウェイトレスを呼んでいた。テーブルにボタンがあるのに手を叩くというのは何事だと思って見ていると、席に来たウェイトレスに「今日のおすすめは?」などと聞いている。ウェイトレスの反応を見ると、どうやらこのオヤジはなじみというかしょっちゅう来ているような感じだ。ランチのメニューの内容を聞き、オヤジは注文した。僕は本に戻ったらまたパンパンという音がした。オヤジがまたウェイトレスを呼んでいる。追加注文かと思ったら「水」などといってる。「セルフです」といわれるかと思ったら、ちゃんと水を持ってきた。それから目の前をウェイトレスが通るたびに手を叩いて何事か話しかけた。ウェイトレスも嫌がらず、笑顔で接客している。こりゃそうとうなファミレスの常連だと思っていた。

 そうこうするうちにお昼のピークが来て、客足が伸びてきた。僕とオヤジの座っていたテーブルの前をダブルのスーツを着て汗を一杯かいた中年の男性が歩いてきた。その足が止まると「いやぁ○○さん」とオヤジに声がかかった。どうやらオヤジと顔見知りらしい。オヤジの左のテーブルに座った男はオヤジに「いや、あの案件はですね、その、やはり、相続が、そういうときは意固地にならずに、裁判はソンですから」などと熱心に話しかけている。男のダブルのスーツの胸元にひまわりのバッジが付いていた。あれ、弁護士?弁護士がファミレスでメシ食ってるんじゃねえよ、などと不良パンク中年は急に怒りがこみ上げてきた。二人の話を聞くとも無く聞いていると、どうやらオヤジの財産分与か何かのことを弁護士がいろいろアドバイスをしているようで、どうもこのオヤジは結構な資産家のようだ。

 横で日替わりランチ525円ドリンクバー付を食べていた僕は無性に腹が立ってきた。こらこら、ここはお前らが出入りするようなとこじゃないんだ。イッパン大衆、ジ・オーディナリィ・ピープルが集って、限られた時間にエサを掻き込んでいくとこなんだよ。いや、もちろん、コーヒーや紅茶もあるよ。ただコーヒーはほとんど出がらしで紅茶はティーバッグ(TEA BAG)だ。まことに残念だが若いオネーチャンのティーバック(T-back)ではないのだ。お前らだったら昼間っからてぃーばっくのオネーチャンのいる店に行けるだろうが、などと最後のほうはいささか逆恨みの誤爆めいたが、貴重なランチタイムにわけの分からない資産家オヤジと弁護士男の二人を見ていたら、無性に腹が立ってきて、それと同時になんだか元気が湧いてきたのだ。こういうのを典型的な反権力意識というのだろう。いや、違うな。ビンボー人のヒガミだ。

 いずれにしてもちょっと元気が出てきたので、またエントリーを書き殴っていきます。応援ヨロシクお願いします。

世界のチャー、地域の石やん パート2

 どうにも気分が晴れない。毎日嫌になるくらいの青い空と真っ赤な太陽を見ているが、気持ちが少しも晴れないのだ。一つには梅雨明けとともに一気に夏が来て、そのあまりの温度差や日差しの強さなどに体がついていかず、それに伴って気持ちも晴れないのだと勝手に判断している。とにかく眠い。いくら寝ても寝たりないのだ。この前の日曜日はBAHOのライブの話をきちんと書くつもりでいたのだが、晩御飯を食べてシャワーを浴びて布団にちょっと横になったのが19時30分。気がついたら寝ていた。気がついたら寝ていたというのはおかしな表現だが、はっと気がついたら2時間ほど熟睡していた。そこで起きてPCに向かおうと思ったが、寝汗をかいていたのでまたシャワーを浴びた。上がってから扇風機に当たっていたら寝てしまった。次に目が覚めたのは深夜零時を回っていた。もう起きる気もせずそのまま寝てしまった。一体どうしたんだ、オレは。退化してしまったのか。Q.Are We not Men? A.We are Devo.

 というわけで、今日はこの前書けなかったBAHOの宮崎ライブの印象を書いていく。6時過ぎに県立芸術劇場に着いたことは前に書いた。行列が2組出来ており30人ほどの行列がファンクラブの優先シート、長い列が一般客であった。見渡すとお客の年齢層が高い。平均40は軽くオーバーしていた。つまり、オジサンとオバサンばっかりだ。勿論僕達も立派なオジサンとオバサンなので一切異議はないが、なにせ横にいるのが配偶者なので、恒例のウィンドウショッピングというか、目の保養というか、キレイなオネーチャン物色は出来なかった。いや、ちらちらとあたりを見渡したのだが、「ジャズ喫茶における謎の美少女の存在」はここではなかった。もっともなかには、20年前にお会いしていればもしかしたらという方もいたが、所詮は仮定の話である。仮定法過去というやつか。

 時間が来てホールに入ると、やはりいつものライブハウスとは趣が違う。第一天井がやたら高い。座席も非常にしっかりしている。二階席もある。あるが、全く空席である。いやそれどころか、1階の席も中央付近で通路で分断されているが、前の方にしか人がいない。はっきりいうと客が少ないのだ。これは十分予想された。BAHOのライブを知ったのは6月の比較的早い時期だったと思う。地元のFM局の開局10周年記念で招いたというか九州ツアー中のBAHOに上手くブッキングできたのだろう。しかし告知というか宣伝というか、いわゆる情宣が全く下手というか出来てなかった。ライブの前の週の新聞の格安広告コーナーにこのライブの記事が出ていたときは大丈夫かと思った。更に、ライブの前日にローソンの無人機の前でタッチパネルを触っていたら、しっかり2人分のチケットが出てきた(これはオレね。あの無人機の検索の仕方が良く分からず随分時間がかかった)時は、こりゃ下手すると客の入りが悪すぎるからという理由で中止になるんじゃないかと心配した。このあたりイベンターの皆さん是非考えてください。

 開演時間を5分ほど過ぎて2人は出てきた。両手を振りながら。背が高いしスリムだ。50過ぎてもアレだけやせていればモテルだろうなどと考えた。アナウンスなしで席についていきなり演奏始めたのは「BLACK SHOES」だ。リズムマシーンの音とチャーのギター、そして石やんのリードの音。チャーのボーカルはレコードやCD以上に太くて張りがある。僕は隣の配偶者に「このまま『気絶するほど悩ましい』につないでいくぞ」と話しかけた。予想通り「かがみのまえでくちべにをぬりながら~」とチャーが歌い始めた。スモークをたいていたのか、煙がステージからあふれてくる。照明も流石にプロがやっていて視覚的にもインパクトがある。ほとんどコメントなしで3曲ほど演奏した。チャーはリズムをキープして石やんがリードを弾くパターンが続いた。

 このまま黙々と演奏をするのかと思ったがそこはこのBAHOの演奏を「芸能」と言い切るチャーのこと、やはりMCは始まった。始まったら今度は終わらない。宮崎は5年ぶりだとか知事が変わってライブの動員数が減ったとか、地元ネタを入れながら客を沸かす。雑談の中で野球ネタがあり、実はチャーも草野球チームを持っていて(チーム名は「SMOKY」、こだわる人だ)、以前は良くたけし軍団や漫画家の水島新二のチームと試合をしていたそうだ。そのときに今の宮崎県知事も代走で出ていたはずだが、それほど印象に残らなかったなどといっていた。そのときの野球チームで双子の漫才師で浪商出身のやつがいて、その名前が出てこない、誰か知らない、などと客に振ったが誰も分からない。相方の石やんもこの話は終りにしようというが、チャーはどうしても思い出せず悔しがってる。そのときに突然後ろの席から「ポップコーン」という声が飛んで、チャーもようやく大納得。あまりの嬉しさに「オレの代わりに演奏してよ、オレは喋っとくから」などとギャグをかます。

 そんな漫才みたいな掛け合いをしながら、お互いのギターに影響を与えたベンチャーズのメドレーに入った。勿論、途中で「ちいさい秋見つけた」のコーラスは入る。ちなみにこの「ちいさい秋」を他人に歌わせると10人中8人はいきなり「ちいさいあき、ちいさいあき、ちいさいあきみーつけた」と入ってしまうので、もう一度今度はキーを落として「ちいさいあき、ちいさいあき、ちいさいあきみーつけた」と歌う羽目になる。意外に「だーれかさんが、だーれかさんが」と入らないものだ。で、このベンチャーズメドレー、間にスプートニクスや高校3年生やとにかくジャンルを問わないさまざまな歌(曲)のフレーズが入る。いや~、笑わしよるな。

 ところで、途中でチャーと石やんの紹介があり、生粋の江戸っ子のチャーと浪速生まれの浪速育ちの石やんが出会ったきっかけは当然音楽であり、ギターなのだがチャーに言わせると「生まれも育ちも全くばらばらで何も共通点が無い、唯一つ共通するのはギターが趣味だということ」。この言葉は頭に響いた。そうか、ギターが仕事じゃないんだ。ギターが趣味、ギターが好きでたまらないんだ。だからこんな誰も考え付かない、誰もが弾こうと考えないようなノンジャンルの演奏が出来るんだ、と妙に納得した。

 この後の聞き所としてはHARD ROCK JAZZというのがあった。ジャズの香りのする、ダウントゥアースな石やんのギターにブリティッシュ・ハード・ロックの洗礼を受けたチャーのギターが絡む演奏だとの前振りがあって、弾き出したのは「ハイウェイ・スター」。勿論パープルの代表曲、アルバム『マシンヘッド』のオープニングナンバーだ。これを石やん物凄くジャジーに弾き歌う、そこへチャー・ブラックモアのギターが絡む。曲はいつの間にかジミ・ヘンの「フォクシー・レディ」に変わっている。そうするうちに「あ、あ、あ、あー。あ、あ、あー、あ」。おいおいゼップの「移民の歌」だぜ。「胸いっぱいの愛を」になっちまった。ええええ、ラストは二人でリッチー・ブラックモアの早弾きをユニゾンで聞かせる。発狂しそうなくらい楽しい。ざっと20分以上はやっていただろうか。最後にチャーが「今の演奏にハード・ロックの曲が7,8曲入ってましたが、全部知ってるのは」。うんうん。オレ当然全部知ってたぜ。こう見えても元ロック班リーダー、元若手ロック評論家、などと心の中で叫んでいたら、「えー、全部知ってる人はオジサンです」。

 熱い演奏が続いたので、今度は一転してビートルズのバラードをインストで決めた。「Here There And Everywhere」だ。アコースティック・ギターの音が沁みこむ。石やんの最後の音が鳴り止んだそのときにチャーが別な曲を弾き始めた。もう1曲バラードでクラプトンの「Wonderful Tonight」だ。にくいセンスだ。お客さんは少なかったが、見に来ている人全員がチャーをBAHOを好きで聞き込んでる人が多かった。人数は少なかったがいいライブだったのではないだろうか。コンサート最後の「Happiness」は全員で歌い手を叩き演奏に参加した。

 チャーもスモーキー・メディスンでデビューしてから、はや30年以上。その間に歌謡曲路線で人気を沸かせてこともあったし、江戸屋レーベルなどインディーズの走りみたいなことをやったり、ムスタングをバリバリ弾きまくったりと随分勝手気ままにやってきたようなイメージがあるが、実は歌謡曲時代にある事件を起こしてしまい袋叩きにあった時期がある。本人ももうこれ以上ミュージシャンでやっていくことは出来ないと覚悟した時期もあったのだ。そのときに救いの手を伸ばしたのが我らがカルメン・マキさんなのだ。当時非難ごうごうだった(要するに典型的な俗物的反応ってやつです。水に落ちた犬は叩けってね)チャーを自身のツアーのサポートギタリストとして採用。チャーにもう一度ロックをやる環境を作ってくれたのだ。このことに関してチャー自身も深く感謝したコメントをあちこちに残している。マキさんはこの手のことを決して自慢する人ではないが、この事件というか事実はもっと多くの人に知られてもいい。ロックの美談だなどというとマキさんに怒られそうだが…。

 チャーのことばかり書いてしまったが、石やんのギターとボーカルも渋かった。皆さん知ってますか?あの大塚まさじのデビューアルバムのプロデュースをして、「アフリカの月」や「天王寺思い出通り」でいぶし銀のギター弾いてたのが石やんでっせ。そうそう、先日のブログタイトルの世界のチャー、地域の石やんというフレーズはこのときのライブで二人が言い始めたことなのだ。ギタースタイル見ていて(聞いていて)、なるほどなと納得したのは僕だけではないと思う。2回に分けて書いたのでちょっと分かりにくいかも知れないがとにかく楽しく熱気のあるいいライブでした。たっぷり2時間以上楽しめました。コンサート終了後物販コーナーで配偶者はBAHOのTシャツを購入。僕はスモ-キー・メディスンのロゴが入ったエコバッグを買って平和な気持ちで帰途に着きました。

 さあ、今週末は宮里陽太のライブだ。こちらも大いに期待しよう。

世界のチャー、地域の石やん

彼女と行くはずだったのに(涙)
 長らくのご無沙汰でした。といっても先週の日曜から丁度1週間なのだが、ちょっと気持ちが滅入っていてずっとブログの更新をしてなかった。というより、家に帰ってからPCを立ち上げることはせずに、食事をしてお風呂に入ったらもう何もする気が起こらず、寝しなに文庫本をつらつら読んでそのまま寝てしまうという日が続いた。何となく、このままネットの世界とはおさらばしてしまうほうがいいような気がしていたのだ。一体どうしてそのような気持ちになったのかよく分からない。全てに嫌気がさしていたというか、ノーバディ・ラブズ・ユーというフレーズがずっと頭の中に引っかかっていたのだ。そんなブルーでアウトな日々が続いたが、それでもBAHOのライブを見て随分気が楽になった。今日はその話を書いていこう。

 「Amano Jack」などというアルバムを出すチャーのことだから、このライブもアンコールから書いても違和感はないだろう。おっとその前に今回のライブに行くことになったいきさつを、まずは。月一ライブの会のY尾君に連絡したのは何時だったか。前回の某カルテットのライブが随分つまらなかったので、今度ははずれの無いライブをみたいという共通の目標があった。さらに、このところずっとジャズ系のライブばかりで、オイヲイ僕はあの栄光あるDRACのロック班のリーダーだったではないか、ミニコミをやっているときは自称若手ロック評論家だったではないか、時にはロックが聞きたいという願望もあった。そんなときに地元ローカルFM局の開局記念でBAHOのライブがあるという情報が入った。BAHOといえばチャーと石やんのギターユニット、ビデオやCDで何度も見たり聞いたりしているがあの職人芸のような歌と演奏が聞けるのはこりゃラッキーだと、Y尾君に電話してチケット押さえておくように電話したのは、思い出した6月の後半だ。

 それからいろいろあって、ライブが7月9日ということも分かり場所も宮崎県立芸術劇場というまだ出来て新しい建物だがかなり立派なハコであることも分かった。Y尾君にそのことを連絡すると何と彼は出張でその日は無理だという。それじゃS君でも誘おうかと連絡したが、彼も忙しいようで返事が来ない。ナニゲニ家でそのことを喋ったら配偶者の目の色が変わった。「私も行く」などと言い出した。面倒なのでシカトしていたが、いよいよライブも近づいてきて、一人で行くのもナニなので一応2枚チケットを買って一緒に行くことにした。

 6時半開場だったので6時過ぎにホールに来てみたら、既に行列が出来ていた。2列並んでいて一列は30人くらい、もう一列は100人以上並んでいただろうか。当然少ない30人くらいのほうに並んだが、スタッフからその列はファンクラブしか並んではいけないといわれしぶしぶ長い行列の後ろについた。しかし、ここのホールは1000人は楽に入るのだが、それにしては人は少ないのでは無いか。6時半を5分ほど回ってようやく開場した。全席自由なので急いで前から10列目くらいの席を確保した。しかし、1000人規模のホールにざっと300人いるかいないかである。配偶者は「これではチャーに失礼だ」と怒りまくっている。僕は「これくらいだったらライブハウスでもいいけど、でも…」といいかけた。「でも何よ」といわれたので「いやこの前見た映画の、『実録連合赤軍』の10倍以上入っているのは流石、などと思ったのだ」と答えたら、比べるほうがおかしいと怒られた。何故だろう。

 まあ、そんなことを書き始めるときりがないので早速アンコールに行く

 手を叩いた、全力で叩いた。300人くらいの客全員が一つになってアンコールを求めた。5分ほど叩き続けただろうか。いい加減手が痛くなった頃、チャーと石やんがラフなTシャツ姿で現れた。「何やろうか、何も考えてなかったんだよな」「楽譜めくったら『ホワイト・ルーム』とかあったけど、ちょっとな」「それじゃこれやろうか」といって始まった曲は「All around me」。今回のライブで是非聴きたかった曲だ。初期BAHOの重要なレパートリーだ。チャーの作るバラードはジツに心にしみる。”high above me”のフレーズを一緒に口ずさんだ。そしてアンコール2曲目は「雨が降っても晴れるや」などともうまさしく典型的なオヤジギャグなのだがチャーがいうとカッコイイといわれるのは何故だ。僕はここにシホン主義の矛盾を感じる。余談だがあるとき家族でテレビを見ていたときにチャーが出ていたので「チャー、お父さんと1つ違いやっちゃが」と宮崎弁で子供に話したら「ハン」とか「ヘン」とか鼻の先で笑われた。意味が分からん。

 で、アンコールの2曲目は「Hallelujah I Love Her So」。レイ・チャールズでおなじみのナンバーだが僕にとっては、ハンブル・パイの「ロッキン・ザ・フィルモア」の真っ黒なジャケットをイメージさせる。いやー、ピーター・フランプトンがスティーブ・マリオネットが若い、熱い。いいアルバムのいい演奏だったなぁ、などと遠い目をしていたら早くもアンコール3曲目。今度は皆で歌える歌をやろうということで選んだのが「上を向いて歩こう」。シングアウトなどという言葉を思い出すようなステージと客席が一体になった歌声。などと書くとちょっとセンチだが、いやいやそこはひねくれもののBAHOのこと。「照明もっと暗くしろよ、宮崎の人は皆シャイなんだから。ほらお互いに顔を見合って歌ったか歌ってないか確かめてるだろ」などといって照明は暗くなりジツに客の反応、性格を見抜いたパフォーマンスでした。最後の「ひとーりぼっちの夜」のところはハモらせたり、まあ楽しませてもらいました。

 しかし、その延々と続いた「上を向いて歩こう」のエンディングでいきなりチャーのギターがあるリフを引き始めた。チャッ、チャッ、チャッ、チャチャ、あれ、これはもしかしたら「SMOKY」?もしかしないでも「SMOKY」。ギター弾きながらチャーがヒトコト「みんな立ってもいいよ」その言葉が終わるか終わらないかのうちに全員総立ち。僕も久しぶりに立ち上がりました。しかし、アコギ2本の音じゃないよ。ドラムのハイハットまで聞こえたよ。凄い演奏だった。と、ここまで書くのがやっとです。たかが1週間エントリーを書かなかったくらいで、こんなにダメになってるとは思いませんでした。この続きは明日(正確には今日)ちゃんと書きます。タイトルの意味も。

梅雨はまだ明けないが

 僕の家は地元のローカル紙を取っている。僕の父も同じ新聞を取っていた。僕はまだガキだった頃、父に地元の新聞なんか読んでいてはいけないのではないか、全国紙の、そうアサヒ新聞なんかを読まないといけないのでは無いか、などといったことがある。いつもは頭ごなしに怒る父がそのときに何と説明したか良く覚えていないが、全国紙だけ見ていては地元のことは分からないとか、地元のことは地元の新聞が一番だとか、そのようなことを言われたような記憶がある。小学校の4,5年生くらいのときの記憶なので曖昧だが、なんとなく忘れられない記憶である。

 そして今日、地元紙を読んでいたら大変感動する記事を見つけた。いや、正確にいうと読者の投稿欄で、66歳の無職の男性だったが近頃これほど分かりやすい、共感できる文章を読んだのは久しぶりなので、全文転載する。こういうことをやっていいのか良く分からないが、厭味や皮肉を抜きにして久々の全面賛成の話なので大目に見て欲しい。

『原因追求の報道ほしい』

 私は情報の大部分を、新聞やテレビ、ラジオから得ている。そこで一つ注文したいことがある。例えば、いま世間を騒がせている燃料の高騰問題などでは、①何が原因でこんなに高騰するのか②その結果誰がもうけているのか、まで追求してほしい。

 また、先日あるテレビ番組で、ラオスでのクラスター爆弾による被害の実情を見た。三十年たった今でも、不発弾によって多くの人が亡くなったり、足を失うなどの被害が出ている。この不発弾をすべて処理するには、あと百年はかかるだろうと報道されていた。こんな残虐兵器を、①誰が使用したのか②誰がその責任を取るべきなのかまで明らかにしてほしい。

 さらにこれもいま大問題になっている医療制度の改悪である。その背景にある、国や地方の莫大な借金が①いつごろから②何が原因で増えたのかなども報道してほしい。そのような情報が、視聴者や読者にとって分かりやすい報道と言えるのではないかと思う。


 えー、おヅラさん、リンゴのドラムが下手だなどとのたまう暇があれば、上記の質問に明確に答えてください。取り急ぎ、地元新聞の楽しみをちょっと紹介しました。

母と娘の会話あるいはメッセージオンザウォール

 夜、残業していると上の娘からメールが届いた。こんな内容だった。『今日はなにもないよ。買ってきたほうがいい。白米はある』。そういえば今朝方配偶者が『今週は火・水・木と仕事が遅番になるので、晩御飯をどうするか』と聞いてきた。面倒だったので、『オレはホカ弁でいいけど、子供達には何か適当に作っておくように』、などと話したことを思い出した。仕事帰りに弁当を買おうかと思ったが、確か冷凍食品のチャーハンと買い置きのインスタントラーメンがあったはずだと思い、いっちょ今夜は半チャンラーメン但し野菜炒め付きという炭水化物アベック攻撃でいこうと決めた。しかし、barrett_hutterさんの「今日何食べよう」に出てくるメニューとはえらいな違いだなどとこぼしていたら、あれ、いつの間にか「いい年してるがやっぱり味判らん」とブログタイトルが変わっていた。

 家に帰り、冷蔵庫の前に立った。壁新聞というか母と娘たちの筆談がそこで行われていた。配偶者の書いた文を読んで「あのヤロウ、子供たちにはちゃんと作ってやれといったのに、手抜きでセブ(セ●ン・イレブンのことを下の娘が略してこう呼び始め、今では家族全員がこう呼んでいる)の惣菜なんぞ買ってお茶を濁したな」と一瞬怒ったのだが、その下の娘達のコメントを見て笑ってしまった。
しかし書は体をあらわすというが、文字の書き方で一人ひとりの癖が良くわかるな
 「うむ。」と大きな字で書いてあるのは下の娘だ。この子の言語感覚はちょっと良く分からないところがあり、僕を呼ぶときは「父よ」と、配偶者には「母よ」、そして姉には「おねえ」と、まあ決して間違っているわけではないが普通そんな呼び方はしないだろうというような、まあ、いいか。そして「『明菜室』ってなに…」などと厭味たらしく書いているのは、僕の遺伝子を色濃く受け継いでしまった上の娘だ。大方この文を読んで「あ、野菜を明菜と書き間違えてる。おちょくってやろ」などと考え付いたに違いない。

 しかし、7月最初のエントリーだというのにこんなショート・コントみたいなネタでいいのだろうか。いや、いいのだ。たまにはこういうネタも。

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