「また会おうね」ライブセッションを見て(別題 男は幾つになっても)

 というわけで日曜日の続きなのだが、昨日ヨッパラって僕の家のドアをノックしたオジサンはどうなったか、定かでは無い。こちらはそれ以上に忙しくて、何しろライブの開場が19時でその焼き鳥屋に入ったのは18時前だったからだ。最初に地鶏のもも焼きを2人前頼んだのだが、オーダーが通ってなくて、その2人前の皿が運ばれてきたのは6時半を回っていた。一味をかけて大急ぎでぱくつき、旨い、熱い、辛いなどとめいめい勝手なことを言いながら一気に食べた。そこからライブハウスまでは歩いて10分も無い距離なのだが、いい席を確保するために6時45分に早足で向かった。着いたのは7時前で階段を上がっていくとお店の窓ごしにさがゆきさんがギターをバックに歌っているところだった。ヤベ、もう始まってると思ったのは間違いでリハーサル中だったのだ。

 3階から1階に降りて、自販機で缶コーヒーなど買って飲んでいたらわりと年配風な女性が手に何か持ってLIFETIMEの階段に向かって歩いてきた。慌てて階段を上がろうとしていたので「まだリハーサル中みたいですよ」と声をかけてあげた。1階のところで所在投げにぼんやりしてたら、上のほうから「もういいよ」と声をかけられ、ビックリして見上げるとマスターの草野さんがニコニコしながらこちらを見ていた。よし、一番乗りだと階段を上がり草野さんに今日はシルバーシート(最前列の左手の壁が背もたれになる場所を僕達はシルバーシートと呼んでいたのだ)で見せてもらいますなどと話した。もう一人の年配の女性は先日の香月&大西ライブの翌日に国富町でやはりジャズのイベントを主催された方で、あの大韓航空機撃墜事件の被害者の方のご母堂だということが分かった。

 たまたま新聞で読んで知っていたのだが、あの事件に宮崎出身の被害者がいたのだ。しかもアメリカの大学でジャズを勉強して、奥さんだか婚約者のかたとご一緒に日本に帰るための便に乗っていて事件にあわれた。その鎮魂の意味を込めて、地元の国富町でジャズのイベントを開いたとのことだった。しかし、そのニュースを知ったのは地元紙で、そのイベントが終わった翌日だった。もっと早く知っていれば、香月&大西ライブを1日ずらして見にいったのに、とY尾君と二人して話し合った。毎度まいど思うのだが、地元の宮崎でもいろんなイベントや企画があるのだが、どうも地元紙の文化担当は音楽とりわけ大衆音楽はお嫌いなようで、以前はLIFETIMEの草野さんのコラムなんかが載ったりしていたのだが、ここ最近は全く無視。デンデンムシってなもんだ(byあのねのね)。

 などとしょーも無い駄洒落など言ってるうちに、お店が開いて中に入ることが出来た。僕達は予定通りシルバーシートへ。先ほどのご母堂はカウンターの一番前の席についた。椅子に座って1,2分もしないうちにどかどかと若い連中が10人ほど入ってきた。地元宮崎大学のジャズ研の連中だ。例によってステージの前の一番いい席を独占する。この様子を見ながらY尾君に「近頃のワカイモンは長幼の序を知らん。そういう前のいい席はオジサン・オバサン用に取っておいてあげるべきだ」と話すと、彼も「そうそう。俺達はこうして友達同士で来れるからいいけど、一人だとこの雰囲気には入りにくいよな。今までも何度か行きたいライブがあったけど、一人だと何となく億劫で行かなかったし…」などと相槌を打った。

 ほどなくして会場は人が増えてきた。僕達の隣の席に外国の方が座りその前の席に香月さんがやってきた。今日もちゃんと挨拶をしてくれる。このあたりに育ちの良さが出るというもんだ。さて僕とY尾君は壁際に並んで座っていたので、テーブルの向かい側の席が2つ空いていた。そこに最初に女性の方が「ここいいですか」といって座った。以前のエントリーで謎解きが途中になっていた「ジャズ喫茶における謎の美少女の存在」というテーマには残念ながら該当しない。いや時間を20年ほど遡れば、多分美少女だったのではないかという議論の余地はあったのだが、まあそれはいい。それからちょっとして「ここ空いてますか」と聞いてきたのは僕達と同じくらいのオジサンだった。

 丁度Y尾君と一人でライブに来る寂しさというか行きにくさについて話していたので、挨拶をしてからいろいろ話をした。僕達は今年ZEK3を見ていたく感動し、そのZEK3の清水さんのご主人の渋谷毅さんのトリオなら是非見ようということで来たと話したら、その方はギターの潮先郁男さんが目当てで来たという。それをきっかけにいろいろ話したが、いやージャズオンリーの人ではなくて、ロックからブルースまで詳しくご存知の方で随分話が盛り上がりました。何しろ去年のカルメン・マキのライブがきっかけでまたあちこちライブを見るようになったと話したら、「ああ、OZの頃は大好きでした」とかギターの話でクラプトンの話題になったら「薬から立ち直った『461』もいいけど私はその次に出た『安息の地を求めて』が好きでした」などと、おぬし出来るなという感じで、それから塩次伸二と妹尾のライブの話になると「ウェスト・ロードの塩次さんですか」とまさに打てば響く会話でした。お年も2歳しか変わらずお隣の鹿児島のご出身とのこと。またライブハウスで会いましょうと分かれたが、そういえば名前も聞いてなかったな。

 会場に人も増えてきて、時間も7時半近くになりようやくライブが始まった。さがゆきさんは去年谷川賢作と一緒に来たのを見た。そのときは1週間前にマキさんの凄いライブを見た後だったので、正直ちょっと物足りなかった。特に「サマータイム」を歌ったのだが、マキさんのジャニスが天から降りてきたような歌を聴いたばかりだったので、かなりつらかった。いや歌は上手いし、人を惹きつけるシンガーだというのは十分分かっていたのですが。しかし、今回渋谷毅と潮先郁男の音をバックに歌うのを聞いて昨年のイメージが大きく払拭された。Y尾君いわく「ベースみたいな役割のボーカルだな」。

 渋谷毅のピアノはしかし、絶品でした。手数の少ない、限られた音色の中でどうすればこんなに愛らしい音が出せるのだ。今まで聞いていたピアノがどちらかというとパーカッシブなタイプが多く、手数も多くガンガン、ズガンズガンいくものが多かっただけに、本当に美しいピアノを聞かせてもらった。しかし余韻がないというか何というかエンディングの音がまだ消えていないうちにいきなりMCに入るのはビックリした。それと結構いいピッチでタバコを吸い、アルコールを摂取する。いやージャズマンだなといたく感動した。

ところで今回のライブは中山信一郎さんという鹿児島出身のジャズ界のご意見番みたいな方がいらっしゃって、その方が病で倒れる前にジャズを聞き始めた頃のご自信のマイフェイナリットソングズをCDに出来たらいいなとさがゆきさんに手紙を書いたことから始まったとのことだった。だからいわゆるジャズジャズしたスタンダード(どんなんだ一体)ではなく、進駐軍のクラブでよく歌われたものが多いらしい(いや、僕はリアルタイムでは知りません、ハイ)。年代的には1920年から1930年くらいの歌らしい。中には渋谷さんがまだクラブなんかでピアノを弾いていたころ、嫌になるくらい弾かされて、もう二度と演奏したくないという曲もあったらしいが、ご本人曰く「僕の美しいピアノで弾くとまた一段といいものが出来て」というレコーディングだったようだ。

 そうそう、ギターの潮先さんのことを書き忘れていたが、ライブが始まるまでどこかのジャズ好きのオヤジだろうと思っていたくらい、外見は庶民的なお方でしたが、いやロックでもない、ブルースでもない正調ジャズギターをたっぷり聞かせていただきました。ギターの先生としての仕事も多々されているようで、この日の会場にも延岡にお住まいのお弟子さんが来られていて、そのお弟子さんが今度延岡でライブをやりますなどと宣伝もあった。あ、これは草野さんがコメントしたのだがその日が丁度次回の香月&大西バンドのライブの日だったので「延岡に行く奴はぶっ殺す」などと物騒なことを仰ってました。

 と、まあこんな感じでじっくりいいライブを見て聞いた日曜の夜でした。ライブ終了後は珍しくすぐ帰ったのだが、そういえば帰り道でY尾君が「さがゆきさんていくつくらいだろうか」などと話し出して、なんと「ところでさがゆきさんて、胸が大きかったよね」などといい始めた。こいつはライブの真っ最中にどこを見ているのだとややあきれながら「うん、大きかった。悪くない。いや積極的にいい」などと反応してしまう悲しいサガの僕であった。あ、最後に意図せざるシャレが…。そうそうそれとあのねのねの謎解きをしておこう。



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点滴日記その2

まるで蜘蛛の糸のようである

 週に一度の日曜なのに、また点滴である。先週末から血液検査の結果が良くなってきたので抗生剤だけの点滴だが、それでも30分は身動きできない。病院の細い小さなベッドに横たわり、腕に針を刺されて落ち続けている点滴を見ると人生の悲哀を感じる午前10時であるが、実は今日は大忙しのコンコンチキである。まず、髪の毛を切りに行きたい。僕は髪の毛とツメの伸びるが異常に早く、若い頃はよくそれでからかわれた。根拠はないが髪の毛のすぐ伸びる奴はスケベだというのだ。いや、オレは決してスケベではない、と力説するとウソつけといわれるし、おー、スケベじゃ、スケベ大王で何が悪いというと開き直っていやらしいなどと散々いわれたものだ。ま、そんなことはどうでもいいが、あの70年代に肩まで伸ばしたロングヘアーで闊歩していた時代ははるかに過ぎて、いや、でもパンク・ニューウェイブが登場してきたときには既に髪を短くして、怒れる若者を気取っていたのだが、今では単なる疲れたオジサンが、床屋に行く暇もなく、見苦しく髪ボーボーになっている、ただそれだけという情景である。

 何だかよく分からないがとにかく、髪の毛を切ってすっきりしたい、というのがあった。それと今日25日から地元の映画館で若松監督の「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」が封切りである。これは見ておかなければならない。ミラネバの娘なのだ。さらに本日は夜7時からいつものLIFETIMEで【We'll meet again】完成記念ツアー 渋谷毅(P)、潮先郁男(G)、さがゆき(VO)というトリオのライブにこれは毎度恒例のY尾君と行く予定をしていたのだ。したがって点滴を受けている間も、床屋にいく時間、映画の時間、ライブの時間と時間の割り振りと、そうそう、大事なことに軍資金の確保というテーマを考えていた。見に行く映画が連赤の映画だけにM作戦でどこからかお金をゴーダツしてこないと手元不如意ではなはだ心もとない。しかし、今月の小遣いはまだ入らない。ここは堪え難きを堪え、忍び難きを忍んで配偶者に一時借り入れをするしかないか、いやちょっと待て。今日は25日でペイデイだ。今月の小遣いを貰うのは当然の権利では無いか。そもそも小遣いなどとへりくだる必要があるのか。大の男が金が要るというときは黙って差し出すのが日本人妻の美徳ではなかったのか、責任者出て来いっ。と何だか誤爆めいだことを書いたが、とにかく頭なんてものは下げときゃ何とかなる、セールスマンの決め手七則にも最後の最後は「頼み込みによる決め手」というのがあったじゃないか、と自分を鼓舞した。

 というわけで、瞑想の時間(点滴だよ、点滴)もそこそこに家に帰って時計を見たら12時前だった。新聞で映画の時間をしらべると、なんと午前10時半からと午後7時からの2回しかやっていない。個人的には入れ替えなしで3回くらい続けて見たいと思っていたが、今時の映画館は総入れ替えなんだよね。弁当もって通った京一会館が懐かしい(ていうほど、熱心には通ってなかったが泉谷の「拳銃殺陣師」を徹夜明けに見に行ったのは良く覚えているな)。時間がライブと重なるので、映画は来週にして、とりあえず髪の毛を切りにいった。床屋では僕は全く口を利かない。ただただぼんやりと髪の毛を切られるままだ。したがって面白いことは何もなく隣でこの間白内障の手術をしたという70過ぎのおじいさんの話を黙って聞いていただけだ。

 それで待ち合わせの時間の5時半にいつもの居酒屋に行ったが、あいにく日曜日で休みだったので、駅の近くの鳥料理屋に行くことにした。この店は天気のいい日はお店の前にテーブルを出して、結構人気のお店らしいが入ってみたら、宮崎の有名どころの焼酎はほとんどすべて置いてあり、ショットで頂けるし、地鶏のもも焼きもありなかなかに美味しいお店だった。あ、オレは憩室炎だから、あまり刺激のあるものや肉類は良くないのだが、せっかくのライブの前だ。構うものかと生ビールに地鶏のたたきや鳥皮など注文した。いや、ここの地鶏は美味しかったね。マイウー、マイウーなどといいながら食べたり飲んだりして、その間にもY尾君といろいろ話した。先週はメール関係で嬉しいことが二つあって、ひとつは先日宮崎国際ストリート音楽祭のときに聞いた宮里陽太の父君から突然届いたメール。「はじめまして」というタイトルだったし、当然知らないアドレスだったのでスパムだと思い削除しようと思ったのだが、差出人の宮里という名前に???と思いつつ開いてみたら、これはビックリ。ネットサーフィンしているうちに僕のブログにたどり着きエントリーを読んでくれたことが書いてあった。返事のメールを送ったらすぐまた折り返しメールが届き、夏には宮里カルテットとして宮崎でライブをやると教えていただいた。楽しみである。

 もうひとつはこの前カルメン・マキさんに誕生日おめでとうメールを送ったら、ご丁寧に返事をいただいたのだ。これまた嬉しかった。あまりに嬉しかったので、ついコピーしてわざわざY尾君に見せてやった。要するに見せびらかし、という奴である。いつまでたっても子供のようなことをしてしまうが、まあ許してください。しかし、こういうときにブログやってて良かったなと思うのである。と、ここまで書いたらなにやら玄関でガチャガチャ物音がする。気のせいかと思ったがいつまでたっても音がする。何だと思って玄関に行きドアスコープからのぞいてみると、見たことの無いオッサンがカギを差し込んでブツブツ言ってる。「おかしい、開かん」。おーい、ここは俺んちだ、オッサンの家じゃないぞ。ドア越しに言ったら、酒臭い息をしながら「ああ、すんません。まちごた」と言って階段を下りていった。やれやれと思ってPCに戻ったらまたガチャガチャやってる。コノヤローと今度は激怒して玄関に向かったら、あっという間に上の階段を上っていった。いったいなんなんだ。ちょっと気持ちが削がれたので、このエントリーの続きはまた明日。

ジャンキーズ・ラメント(ジェームス・テイラーの話ではない)

 いやー、早いものでもう週末である。先週の土曜日に病院で憩室炎が再発しているといわれ、連日点滴に通ったのだが幸いなことに血液検査の結果もまずまず順調で、まあそれでも右のわき腹に少し熱を持っているので、一応あと何日かは点滴を受けに通うが、どうやら入院などということは避けられそうだ。この間にお見舞いの電話やコメントなどを頂き、大変ありがたかったです。仕事関係の取引先の連中は口では「大丈夫ですか」とか「気をつけて下さい」とかいうけれど、雑用の依頼は平常月以上でこき使われてぶっ倒れるんじゃないかと思ったくらい。まあ人間頼られるうちが花かもしれないので、じっと我慢の子であったのだが。
見よ、この針の痕、まるでジャンキーだぜ

 しかし毎日午前中点滴を受け続けているとだんだん注射針も血管に入りにくくなるのか、ここ何日かは1回目で上手く血管にぶち当たらず刺し直しをすることが多かった。もともと僕の血管は細くて、なれないナースの人などは何度も失敗して終いには婦長さんクラスを呼びに行きそれでようやく貫通などということも多々あったし、ひどいときは手のひらや肘のあたりに針を刺されることもあった。まあこれはナースの技術の問題だと思っていたのだが、ここのところそうではなく患者とナースの相性があるのではないかという気もしてきた。というのも、僕もやはり人の子であるから、本日の注射担当のナースさんがニコニコしながら話しかけてくれると、多少針の刺し方が乱暴でも「ドントマインド、イッツノープロブレム」などと気軽に言えるのだが、これが愛想はマニュアルに入ってないわよ、わたしゃこれから何十本も点滴打たなけりゃならないんだから、ちゃっちゃっと済ませてね、というような態度でこちらの腕を取り針を刺そうとするナースさんには身体が拒否しているのだろうか、なかなかに針が入っていかない。場合によっては最初は落ちていた点滴が、あらま、不思議ぴたりと止まることもあるのだ。万有引力に逆らってまで、我が体内に入りたくないという抗生剤やブドウ糖というのも、「あっぱれ」などと声をかけてやりたくなる。そうか、お前もこのナースさんが嫌いなんだな、などとこっそり呟きたくなるというものだ。

 なに、そんなことを言ってるが実は好みのタイプの女性だと○で、嫌いなタイプだと×なんだろ、と見抜いたあなたは流石です。だって、そうでしょ、そりゃそうだもん、どうせ痛い思いをするならせめて好みのタイプの女の人から介抱してもらいたいというのは悲しいかなオトコのサガというものである。ここでいうサガとは何年か前に髪の毛を尖がらせたお笑いベーシストが歌った地名ではない。またもちろんけちで貧乏なばあさんで有名な地名でもない。で、ですね、今通っているN部病院はどういうわけか、僕の好みのタイプの方が少ない。いやもっとはっきりいうと1割に満たないんじゃないかとも思う。これが以前怪我で1ヶ月ほど入院していたS病院はグレイトだった。まず平均年齢は20代後半かいって30代前半。可愛いナースさんに当たる確率は7割に近い6割というところか。今思い出しても高島礼子に良く似ていたナースさん、毎朝病室にお茶を配りに来ていた笑顔がチャーミングなナースさん、そうそう、薬剤師さんにも可愛い子がいて、ってオレはいったい何を書いているのだ。

 えーと、気を取り直してちゃんとした話を書こうと思ったが、頭の中がまとまらない。気分転換にYOU TUBEをのぞいてみたら、凄い映像があった。エリック・アンダーセンの67年のライブ、曲はおなじみの「Thirsty Boots」、セミアコでフォーク・ロックぽくやってる。途中で歌詞を忘れるところはご愛嬌だ。場所はグリニッジ・ビレッジのカフェ・ア・ゴー・ゴー。こんな映像が残っていたんだ。


点滴日記

 連日、点滴を受けている。土曜日に病院で『しばらく毎日点滴を打ちに来るように、それで痛みが取れないときは入院しましょう』と言われていたのだ。日曜日は、午後1時にどうしてもいかねばならぬ、イカネバの娘の仕事があったので、10時には病院に行き点滴を受けた。しかし、病院に着く前くらいからまた痛みがぶり返し、顔をしかめながらベッドでうなっていたら、当番の先生がすぐに来てくれた。鎮痛剤を処方してくれ、『もし我慢できないようだったら入院しますか』、と聞かれ僕も『いや、先生、おいどんは腐っても九州男児ですたい。仕事も待っているでごわす。おいどんがやらねば幕府は倒れもさん。大久保どん、大久保どん、坂本さんはまだでごわすか』と、お隣の県では未だにスーパスターの名をほしいままにしている某有名人の真似をして話を誤魔化した。

 点滴を打ったら少し楽になり、そのまま仕事に出かけて2時間ほど働いたらやはり疲れが出て家に帰った途端寝てしまった。夜になり起きだしたが、病気が病気なので何を食べるか迷っていたが、実家から貰った魚寿司(酢で〆た魚を酢飯の上に乗せて紅しょうがと一緒に食べる、サバも旨いがアジも旨い)があったのでそれを食べた。食べながら腸が弱っているのに生もの食べて大丈夫だろうかと不安になったが、酢が入ってるから大丈夫、病は気からだと自分に暗示をかけた。まあ、毒蝮三太夫も「酢は飲んで欲しいくらい身体にいいんです」などと言ってたから大丈夫だろう。その後、調子も良かったのでエントリーを書こうかと思ったのだが、病院にいって仕事にいって昼寝した、などという話を書いてもつまらないと思い、こういうときはネットで動画でも見るかとGYAOにアクセスした。僕が動画で見るのはたいていお笑い(U字工事やラブ・ドライブなんか見てます、そういやちょっと前にゲッツをヒットさせたダンディの動画が幾つかあったけど仇花のように消えて行ったな)、プロレス、あとは懐かしの番組、ひと頃はプリズナーNo.6なんか見てました、って去年?おととしの話か?

 それで適当に見たい番組を探していたら「野性の証明」があった。薬師丸ひろ子のデビュー作で、というかカドガワ映画の第1作だったか、「お父さん、怖いよ、誰か来るよ、大勢でお父さんを殺しに来るよ」というセリフと画面を何度もテレビで流してお客に刷り込もうというカドガワ商法の第1回目という映画ですね。何となく説明を読んでいたら78年に封切りと書いてあり、そういえば大学の4回生のときに見に行ったことを思い出し、久しぶりに見てみようという気になった。そのときの映画館はどこだったか河原町のほうだったのは間違いない。そしてオールナイトに行ったのも間違いない。総勢5人で見に行き、映画が終り途中まではタクシーで帰ったが百万遍のあたりで降りて3人と2人に別れてそれぞれ帰ろうとしていたのだが、映画で興奮したせいかマージャンしようという話になり、とある男の下宿になだれ込み2抜けでマージャンをしたのを覚えている。いや、こう書くとそんなに変な話ではないが実際はちょっと違ったのだ。

 そんなことを思い出しながら、映画を見たが、いやー、やはり30年という時間は残酷というか、あれから随分経ったのだなと思わず実感することが多かった。まずは出ている役者の若さだ。高倉健、若いなぁ。ああ薬師丸、このとき確か中3くらいだったよな、やっぱ可愛いな。でも今は3丁目の女将さんで40半ばだもんな。などと思って見ていたが、一番笑ったのが舘ひろし、いやー、クールス時代と変わらないくらい突っ張りハイスクールR&Rという感じなのだ。芝居も下手。しかしあとでビリング見たらいやー意外な役者が沢山でてました。我が敬愛する殿山泰司も屋台の親父役でちょろっと出ていたが、やはり存在感ありました。島かおりが先生役だったのはあとで知ってビックリ。それより、何より映画の最初に出てくる反米ゲリラのリーダーが寺田農だとは思わなかった。アジテーションするときにやたら右手に握りこぶしを作って力入れてるな、と思ったが気が付かなかった。

 この映画は日本の国家体制を揺るがすような連中を闇から闇に葬るために、自衛隊の中に特殊工作隊というスペツナズみたいな組織を作ったことが原因で個人対組織とか人命対命令とかまあ、要はオーボーな国家権力に対して我慢に我慢を重ねた元自衛隊員が愛するものを殺されていく中で破滅的決起をするという話なのだが、あれ、ここまで書いて気が付いたが、なんだこれはひと頃の東映のヤクザシリーズ、いわゆる任侠物の世界では無いか。あ、それで主人公が健さんだったのか。筋の通らぬ横暴に我慢に我慢をしていた主人公が長ドス一本で雪の中殴りこみに行く。途中で必ず義兄弟が「オレの目を見ろ、何にもいうな~」という感じで合流し、いざちゃんばらになると、その義兄弟が主人公をかばってテッポウに撃たれて死ぬというパターンだ。

 しかし30年前の映画を見ていて、当時はありえへんやろと思っていたことが今現実になってることに気が付いた。この特殊工作隊の存在が公になったらまずいという自衛隊制服組の思惑と地方都市のボスの思惑が合致して事件は進展していくのだが、その中のセリフで「防衛庁が防衛省に昇格するこの時期に…」などというものがあった。いや、今は立派な官庁ですが、とりわけ民間企業に対してオープンでアメリカ様第一ですが、何か?ゴホン、それから最初のシーンで反米ゲリラがアメリカの大使家族を人質にとって立てこもるのが山荘だ。そのゲリラのリーダー寺田農のアジテーションもいやぁ、味があるというかリアルタイムで見たときも、僕達アホ学生は映画のアジに「異議なしっ」とか「ナンセンスッ」などと叫び、そういう単語に反感を持っている客から「うるせー」とか「お前ら帰れ」などと言われたりしたのだ。

 まあ、ストーリーは前半部分の大量殺人事件とその謎を解こうとする中野良子が出てきてしばらくは見ていられるのだが、後半は自衛隊の兵器のCMでも見せられているようで、確かこの映画は自衛隊の全面協力で出来たもので、要は自衛隊のプロパガンダの側面もあったのだろう。この後「戦国自衛隊」なんかも自衛隊の全面協力だったようだし。そうそう、もうひとつ自衛隊のエライさんがラストシーン近くで地方都市のボス連に演習をヘリから見せるのだが、そのときに「流石に自衛隊はすごい」みたいなお世辞に対して「いや、この装備だと外敵の侵入に対して3日しか持ちません。国防を預かるものとしては憂慮しております」などというのだ。まあこの当時の仮想敵国はソ連や中国だったのだろうけど、3日ですか。ふーん、てな感じでしたな。

 そうそう、それで30年前に見に行ったときのメンバーだが、僕の先輩(つまり当時は5回生)のT原さん、後輩のO原、M原、そしてサークルには入っていなかったがライブハウス、サーカス&サーカスでバイトしていた同学年のN村(通称、キー坊。当時目が大きくて出ているやつはたいていキー坊と呼ばれた。このキー坊は滋賀県は大津の出身でよく遊んだくせに大学はしっかり4年で卒業し地元の家具店に就職して、その次の年にわざわざ僕達のところに遊びに来て『いやぁ、大地にしっかり根を張って生きるのは嫌なもんやね。お前達みたいにオレも夢を追っていたかったわ。このところ毎日商店街のオッチャンたちと接待マージャンばっかりや』などと散々いやみを言って帰った男だ)の5人だ。

 それで映画を見終わって確か夜中の2時くらいだったと思うが、先ほど書いたように百万遍でタクシーを降りて(本当は4人しか乗れないのを無理やり5人乗ったのだ。当時は結構こういう融通をタクシーの運転手さんはしてくれた。場合によっては「おまわりに見つかると五月蝿いさかい、一人は頭をひっこめとき」などとアリバイ作りをしてくれることもあった)、N村とO原は北白川のほうに僕達は出町のほうに分かれていった。確か12月の寒い頃だったと思う。映画を見終わった興奮から3人で大きな声で話しながら歩いていたら、後ろのほうから靴の音が聞こえる。規則正しいピッチでこちらの歩調に合わせているというかだんだんピッチが早くなってるような気がした。気になって後ろを見たが暗くて誰だかわからない。他の二人は気にしていないようだったので、僕も気を紛らわそうとさっき見た映画の話を仕掛けたときだ。

 「ウォー」という雄叫びとともに駆け足の足音がして、後ろから何かが襲ってきた。そのとき3人並んで歩いていたのだが、M原は北側の石垣沿いにT原さんは道路側を、そして僕はその真ん中にいた。その襲ってきた人影は「我々は特殊工作隊だっ」と叫んだ。何のことは無い、さっき分かれたN村とO原が名残惜しいのでマージャンしよう、ただすぐに追いかけても面白くないので、映画の特殊工作隊のようにこっそり後をつけて襲撃してみようと話し合って行動にうつしたらしい。しかし人間深夜にいきなり襲撃されると、肝をつぶすというかパニックに陥るものだということが良く分かった。石垣側にいたM原は石垣の上を走って逃げようとしたし、道路側のT原さんはダッシュで逃げて道路の反対側にいたし…。それで僕なのだが、僕は頭を抱えて丸まって襲撃を防ごうとした。誰一人として反攻しようとするものはいなかった。

 アホ襲撃した二人は「誰か一人ぐらいは反攻してくると期待したのに、こんなことでは立派なゲリラ兵士になれんとちがう」などと言いやがった。なれんで結構、とガキのようにふてくされた僕はこの恨みマージャンで必ず晴らすぞと心に誓って、北白川のキー坊の下宿に向かったのだ。一体何の話だったのか。そうそう、月・火と連日の点滴のおかげで白血球は下がり、入院は避けられそうです。めでたしめでたし。

フロムヘブントゥヘルなオハナシ

 天国から地獄という目に合った。実は今週仕事が始まったときに、なんと週末、土曜日が休みだということを知り、大いに喜んだのだ。妙に思う人がいるかもしれないが、僕の働いているところは超ウルトラ零細企業なので、日曜・祭日以外の休みというのが不定なのだ(その日曜・祭日も仕事が入ることが多いのだが)。いや一応月に1,2回は土曜休業の日があるのだが、その月にならないと、いや下手するとその週にならないと実際休みになるかどうかが決まらない。今月は黄金週間なるものがあったので、土曜休業は無いと思い込んでいたのだ。その分、休みだと知ったときは嬉しかった。しかも木曜の夜に突然Y尾君から電話が入り、今月25日の渋谷毅(ご存知ZEK3リーダーの清水くるみさんのご主人、というか日本ジャズ界でこの人の名前知らなければモグリだ)のライブは勿論行くが、このところ香月さんのライブに行ってないのでどうする、という誘いがあり、調べてみたら5.16(金)にライブが予定されていて、こりゃいいや、週末気持ちのいい歌を聴いて翌日はゆっくり朝寝坊できるとまさに天国の気分だったのだ。

 しかし「いいことばかりはありゃしない」(by RCサクセション)。金曜日の朝仕事をしていたら、取引先から緊急の依頼、いわゆる下請け泣かせのごり押しってやつですか、それが入って、そんなもの拒否した日には我が零細企業はあっという間にアウトオブバーンなので、顔で笑って心で泣いて、ご無理ごもっとも、仰るとおりでごぜーます、悪いのはみんなオラタチ百姓だよ、お侍様がたに逆らう気なんか毛頭ねーだ、いや、この間反抗したのは影丸とかいう自称不死身だという人間が「反抗によってのみ人は自由を得る」なんちゅう罰当たりなことを皆に言うもんだから、それに乗せられたワカイモンが勝手に…などといつの間にか忍者武芸帳に話はすり替わっていて、ついでにいうといしいひさいちの忍者無芸帳は面白かったなどと、マンガファンでないと見えない話になりつつあるのでやめる。要するにお前ら下請けは休みなんか贅沢だ、身を粉にして働け的業務依頼があり、それはそれでやるっきゃない(by オタカさん、D大OGって、これはこの前も使ったか)のだが、ライブだけは死守するぞということで金曜の仕事を土曜日の午後にやることで香月&大西ライブに行く時間を確保したのだ。

 それでも、金曜日の夕方6時に仕事を終えるのは至難の業で、気はあせるが引継ぎしておかないといけない作業もあり、はっと気が付いたら6時20分、大慌てで会社を出て家に帰り、服を着替えてY尾君に待ち合わせの時間に遅れるから先にメシ食っていてくれと連絡して、チャリを漕いで走った。待ち合わせの居酒屋に付いたのは6時40分。思ったより早く着いた。そこでY尾君と合流して、例によって四方山話を肴に一杯引っ掛けた。最初に話題になったのは、先日の宮崎国際ストリート音楽祭で僕はたっぷり楽しめたのだが、Y尾君は予定があって全く見ることができなかったらしい。もっともクラシックのみの音楽祭だと思い込んでいたようで、僕のエントリーと彼の同僚で実際にその会場に行った人からとても良かったという話を聞いて随分悔しがっていた。こういうときに人間の性格は出るもので、僕は見逃したY尾君にいかにスイング・アモール・ジャズ・トリオの演奏が素晴らしかったか、ギター二本が奏でるジプシージャズの心地よさを語り、前回一緒に見たトシ永井のトリオが野外のライブでどれだけリラックスした、また熱い演奏を聞かせてくれたか、特にドラムのビートがアスファルト越しに響いてきたのは感動モノだったなどという話を延々としてやった。さらに若干24歳の宮里陽太のサックスの凄さ、彼が入ったトシ永井トリオの演奏の素晴らしさったら無かった、アレを聞けなかったのは日ごろの行いのセイだとかめちゃくちゃを言ってやった。また、彼との再会のきっかけがカルメン・マキのライブだったので、先日マキさんが僕のエントリーにコメントくれた話を自慢げにたっぷりしてやったのだ。マキさん、オレのブログの常連さんだもんね、どうだっ!などと威張っていたから天罰が下ったのかとも思う。何がって、話はまだ先があるので続けます。

 僕が自慢話をして悔し紛れにY尾君が反論すると言う、何となく「朝まで生テレビ」っぽいといえばいえるような会話を交わしているうちに8時前になった。ライブの時間なので大慌てで店を出た。歩いて1,2分のライブハウス、まいどおなじみのLIFETIMEに入ると意外に席は空いていた。前回見に来たときは板橋カルテットのライブでそのときは宮崎にこんなにジャズファンがいたのかというくらいの満席・酸欠状態だったのだが、今夜の香月保乃・大西洋介BANDは、え、なんでと思うくらい席が空いていた。入り口でチケットを買っていると奥のカウンターから「こんばんは」と香月さんから声をかけてもらった。うん、こういうコミュニケーションはいいな。例によってステージどまん前の席を確保し、あたりを見渡すと隣の席に多分、宮大のジャズ研と思われる若者が3人、後ろの席に香月さんのご両親らしきお二人、そして僕たちの後ろにちょっと業界人ぽい男性が二人という大変淋しいものだった。僕たちはこんなことじゃイカンな、もっと営業せんとなどと話しながらお店にあったチラシを眺めていたら、何と翌日土曜日の夕方からもこの二人に浜月さんなんかが参加するライブが隣接する国富町であることが分かった。ちょっとスケジュールがヤバクネ、などと無理して若者言葉を使ったが、せっかくの月1ライブなのでそれなりにお客さんが入ってくれたほうが、見るほうも盛り上がるというものだ。

 などと、気分はもうすっかり香月さんのジャーマネか身内かというくらいの思い入れで文句を言っていたのだが、開演時間の8時を15分ほど回ってからライブは始まった。その時間になるとやや人も増えてそれなりにライブを楽しむ感じにはなってきた。オープニングは「ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ」である。ヘレン・メリルとクリフォード・ブラウンで超有名な歌だ。ただこの曲での香月さんの声はイマイチ出てなかったように感じた。気のせい?演奏が進むにつれていつもの伸びのある声に戻ったが、それだけに1曲目はエンジンがかかってなかったのか、体調が悪かったのか気になった。スタンダードナンバーを中心にしたステージは楽しかった。このところいろんな音楽を聴いてきたが、やはりオーソドックスなスタンダードを聞くと心が落ち着く。バンドのメンバーは前回はウッドベースだったが、今回はエレキベース。まだ若いがニコニコして演奏していたのが印象的。もっとも時々アンプの調子が悪かったのか音が割れたりしたのが気になった。ドラムは毎度LIFETIMEのマスター草野さん、今回はいつも以上に元気一杯なビートを刻んでいた。大西さんは相変わらずクリアな音を聞かせてくれる。そういえば一部で演奏した曲は全てバラード、ラブソングでしたな。「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」なんかもやってくれました。

 その「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」のMCのときに『このタイトルはなんて訳せばいいのかな』みたいなことを言った。僕の頭の中で昔懐かしい英文法の構文が出てきた。『HowやWhatで始まる感嘆文の作り方はWhat+a+形容詞+名詞+主語+述語、How+形(副詞)+主語+述語、これはしっかり覚えておけ』、確か中学のときの鬼のような英語教師が何度も喚いていた。したがってこの”How High The Moon!”という感嘆文は主語のムーンはあるが述語のisが省略されているとみなして、まあ訳せば(今宵の)月はなんと高いことよ、という意味になるな、などと考えていた。それでよせばいいのに1部のステージが終わって降りてきた香月さんに「ハウ・ハイ・ザ・ムーンは今宵の月は何と高いことよ、と訳せばええんちゃう」などと話かけてしまった。ウザイ中年オヤジがなんか言ってるなどというそぶりはいささかも見せず、「ジャズのタイトルってヘンなの多いですよね。ユード・ビー・ソー・ナイスはどう訳せばいいんですかね」などと相手してくれたので、僕はますます図に乗って「ま、あなたがおうちに来てくれて嬉しいわ、という意味だから、五月みどりじゃないけど1週間に10日来い、てなとこじゃないの」などと適当なことを言ってしまった。

 1部と2部の間の休憩時間になりお店の中を見渡したら、それなりにお客さんは入っていた。明日、一緒にライブをやる浜月さんの顔も見えた。挨拶しようかと思ったが、向こうはこちらのことなど全く覚えてないだろうと思って遠慮した。しかし、皆さん行儀がいいというか、タバコ吸ってた人はゼロ、アルコールを摂取していたのも僕たちとあと何人かではなかったか。僕たちが若い頃のジャズ喫茶やライブハウスは紫煙でもうもうとしていて、もっともタバコの煙だけではなく時限装置が好きな人も多かった、ってそのココロはタイマーなんちゃって。またジャズ喫茶で飲むものといえばコーヒーかウイスキーと相場は決まっていたのだが、今はジンジャー・ベイカーじゃなかったジンジャー・エールとかトマト・ジュースとか何だかホント健康的なんだよね。それがいいか悪いか良く分からないが、オジサンたちにはちょっと椅子のすわりが悪く感じられるのだ。若者よ書を捨てて街に出よ、などというフレーズが頭をめぐった。

 2部もスタンダード中心で、前回はキャロル・キングの「君の友達」などをやったので今回もポップスナンバーを1曲くらいはやるんじゃないかと期待したが、そちらは残念でした。レオン・ラッセルの「ア・ソング・フォー・ユー」か「スーパースター」歌ってくれないかな、と、これは前回も書いたか。ただラストナンバーでブルースをやったがそのときの香月さんのスキャットは凄かったね。バックの3人も素晴らしい演奏でした。アンコール無しでライブが終り、来月も24日にここでやるとのMCがあり、なんとその日は大西さんの誕生日だという発表があった。暖かい拍手に包まれていたから来月は今月以上の来客があることだろう。ライブが終わった後、香月さんや大西さんと話が出来ればいいなと思っていたが、別のお客さんたちと話がはずんでいたので、そそくさと帰ることにした。いや、実はその会話の中に「ポール・マッカートニー」という単語が聞こえて、ナニゲニ聞いているとリンダがどうしたとかどうしたとか話している。僕がまだ30代の頃なら会話に乱入して「ちょっと待て、オレの目の黒いうちはポールについて好き勝手は言わせんぞ、お前ら知ってるのか、ビートルズが解散したときいかにポールが悪者にされたのか、『アナザー・デイ』なんかぼろくそにけなされたんだぞ、アルバム『マッカートニー』や『ラム』に至っては完全に無視されたんだぞ、その耐え難き時代を耐え、忍び難き時代を忍んできて名作『バンド・オン・ザ・ラン』があったのだ…」などとポールファンはしつこいのだ。あの時代のことは忘れないのだ。ええと、興奮して何を書いているか分からなくなったが、まあ、とにかくこうして金曜日の夜は静かに更けていったのだ(どこが!?)。

 異変は深夜、正確には明け方に起こった。床に就いたのは例によって1時くらいだったが何となく寝付けなくてトイレに起きたり、水を飲んだりしていたのだが、ようやくうとうとしたと思ったときに右わき腹に違和感を感じて目が覚めた。始めは寝ぼけて朦朧としていたのだが、目が覚めてくるにつれて猛烈な痛みが右わき腹から発生した。ヤバイ、大腸憩室炎が再発したようだ。しかし、痛くてもどうしようもないので何とか寝ようとしたが寝付けない。朝になればもともと病院に行く予定だったので何とかなると思っていたが、ここ最近経験してない痛さが続いた。布団の中でのた打ち回っていたが、どうにもしんどくなり起きて台所の椅子に座ってうなっていたら配偶者が起きてきた。事情を話すと確か鎮痛剤があったはずだといってかばんの中から錠剤を出してくれた。「死んだ女より もっと哀れなのは 忘れられた女です。」というマリー・ローランサンの歌詞にメロディをつけて歌っていたのは高田渡だったが、僕は長年あのタイトルを「鎮痛剤」と思い込んでいたな(当然「鎮静剤」が正解です)、などと優雅な記憶に浸る間もなく、僕はその錠剤を水と一緒に飲み込み、ついでに胃薬も飲んでようやく人心地がついた。

 鎮痛剤のおかげで楽になり10時くらいまで寝ていた。しかしこの病気は寝ていてもどうにもならないことを知っているので、起き上がりなんとか車を運転して病院に行った。ドクターに症状を話すと超音波の検査をするというのでちょっとわくわくした。いえ、ね、ここの超音波の技師はちょっと小粋なオネーサンで3年ほど前から常連さんだった僕はオトモダチになっていたのよ。待合室で待っていると無愛想な男の声で僕の名前が呼ばれた。あれれ、と思っているとこいつが僕のおなかの検査をするという。お前じゃ嫌だ、N友さんを出せとダダをこねようかと思ったが、痛みがまた出始めたので素直にお縄に付いた、いや、検査を受けた。以心伝心というのか魚心あれば水心というのか、僕がこの技師を嫌っているのはやはり伝わるようで随分検査の仕方が乱暴だった。何度か涙目になりイテテなどと力なく呟いた。無口な技師で時々問診するだけで何も言わない。検査が終りまたドクターの診察室に呼ばれた。「やっぱり憩室炎を起こしてますね。入院するほうがいいけど、どうします?」きっぱりお断りさせていただいたが、その代わり毎日点滴を受けに来い、それで痛みが治まらなければ即座に入院して絶食、という判決が下された。

 で、血液検査と点滴、あ、途中で抗生剤入りの点滴を追加され、ベッドに横になり小一時間安静にしていた。ようやく点滴が終り再度ドクターに呼ばれて食事の注意点や、明日日曜だけど午前中必ず来ることとか、これは保険が利かないけど消化にいい検査食だから買ったらいいとかいろいろいわれた。とにかく1週間くらいは毎日点滴に来ないとダメだと念押しされてようやく待合室に戻された。時計を見るともう2時前だ。1時からは仕事する予定をしていたので、会社の関係者に連絡しようと携帯を取り出すとこういうときに限って着信が沢山入っていた。それぞれに電話して今日はもうリタイアする旨を話した。大腸憩室炎などといっても知ってる人は少ないのでいちいち説明するのが大変だった。電話が終りまた待合室に戻るとすぐに名前を呼ばれた。受付に行き提示された金額を聞いて一瞬立ちくらみがした。ほぼ福沢諭吉1人分だ。つまりニトベイナゾーなら2人、夏目漱石なら10人というわけだ。ほな、なにかい福沢諭吉は夏目漱石の10倍かしこかったんか、え、夏目が8人おっても諭吉一人にはかなわんゆうことか、なんでや、天は人の上に人をつくらんのと違うか、とあまりに高額な医療費に錯乱した僕はテツガクテキ疑問を浮かべながら家に帰った。ちょっと待て薬はどうした。と尋ねるあなたにお答えしよう。諭吉払たら財布が空になったけん、家に帰って封筒預金からへそくり出さなあかんようになったんじゃい。

 天国から地獄への、お話でした。痛い。右わき腹も痛いが財布はもっと痛い。25日のライブのチケットどないしよ(などと入院なんぞぜってーしねーと若者言葉で誓うのであった)。

結局セブンイレブンでゴーヤチャンプルーを買って食べた話

 あまりこういうネタは書きたくないのだが、ここ最近配偶者が熱心にパソコンを練習している。聞いてみると、新しい職場で回りからパソコンが出来ると期待されていたらしいのだが、全然出来ないことがばれて随分馬鹿にされているらしい。あまりに悔しいので自学自習してWORDとEXCELの資格を取ると燃えているのだ。それでここのところ暇さえあれば僕が以前使っていたノートPCに向かってなにやらやっている。いい迷惑なのは我が家の娘たちで、今までは暇さえあれば二人で「ギャグマンガ日和」だとか「タラちゃんのデスノート」など見てわはわはとハクチのように笑っていたのだが、配偶者がノートを使うようになって、自由に動画が見られない。それどころか、ノートを置いてある机に行こうとすると「宅習は終わったの?」とか「テストの間違いはやり直した?」とか「課題も終わらないのにパソコンなんかダメっ!」とストップがかかり二人してストレスがたまりまくっているようだ。

 まあWORDもEXCELも僕が以前使っていたテキストを利用して、勉強しているのだが依頼心が強いので困る。しかも厄介なのは依頼心は強いのに自尊心も強く、自分は決して間違ったことをしていないと言い張るのだ。こちらが暇があり、ちょっと教えようかというと「自分で出来る」とか「自分でやる」とか言うくせに、いきなり「えー、どうして。何もやってないのに変な画面が出てきた」とか「何かおかしい、絶対おかしいよ、パソコンが壊れてない?」とか言い始める。世の中は因果で廻っているので、原因があってこその結果である。変な画面が出るには、必ず変な操作をしているはずなのだが、必死になっているので自分が何をしたか分からないことが多い。もっとも僕のパソコンの知識なども大して配偶者と変わらないので、エラそうなことはいえないのだが。

 先月の仕事の移動で大変屈辱的なことがあったようで、ここ1ヶ月はパソコンに夢中なのであるが、それはそれでまあいいにしても、ついにネットをやりたいなどとまたいい始めた。ネットの世界は僕の唯一の解放空間なので、そこに配偶者などが参加してくるととんでもないことになるのは目に油を注ぐような、いやこんな表現は無いか、火に油を注ぐじゃない、火を見るより明らかである。なんだかんだといって無視してきたが、昨日はついに根負けしてフリーアドレスをひとつ作ってやった。作った後にふと思ったのだが、これで敵もmixiに参加する要因は揃った。ああ、僕の配偶者をリアル社会でご存知の方にお願いします。決してmixiに招待しないで下さい。万一mixiがらみでこのブログの存在がしれたら、表現の自由が死にます。それ以上に僕はこのブログを棄てて、新しいブログを新しいHNとともに始めないと、ヤヴァイ。

 てなことを、今日は書いていこうと思ったのだが、実は今日は仕事がさばけなくてようやく9時過ぎに家に帰り着き、よく考えたら配偶者は今日は仕事の遅い日で、上の子は塾で下の子が家に一人でいる日だった。「ただいま」と疲れた声で帰って、下の子に「今日はご飯何?」と聞いたら、黙って冷蔵庫を指差した。
それは分かった、だから何なんだと声を大にしていいたい!責任者出て来い!

 う・ど・ん?いや、好きですよ。好きだけど疲れて帰ってきて晩御飯がうどんだけというのは寂しいではないか。ましてや冷蔵庫を開けるとセブン・イレブンのレンジでチンする天ぷらうどん、海老天3本付きなどというものが入っていると、オレの人生はなんだったのだと思わず涙がでてくるではないか。いや贅沢いうわけではないが、何かアナザー・ウェイ・オブ・イーティングというものがあってもいいのでは無いか。と、思うのだが、あなたどう思いますか。うどんだけしかないのかと、下の子に聞いたら、冷蔵庫の中を探して野菜だの、冷凍のミートボールだの肉などを出してきて、自分で作れという。僕は決して料理を作るのは嫌いではないが、疲れて帰ってきたのに今更野菜を洗ったりなんだかんだするのが嫌なのだ。どうしてお父さんはこんな目に合わないといけないのだと叫んだが誰も答えてくれない。そうか、昨日会社の接待でB○G B○Xという場所に行き、そこでパツキンのトップレスのオネーチャンが「ザナドゥ」で踊るのを必死で見ていたバチが当たったのか。いやそれでもブログのネタにしようと思って携帯で写真を撮ろうとしたのだが、ボーイに注意されて不発に終わったのは不覚であった。しかし僕は表現の自由を獲得すべくマインド・ゲリラとして戦ったのだが…。
何が何だか分からないがこの一番奥のステージでパツキンのロシアのオネーチャンが踊っていた

 何を書いているのか良く分からなくなりましたが、配偶者のネット参入については全力で阻止したいと考えています。僕のささやかな自由空間が今まさに侵されようとしている。いざ戦わん、いざ、奮い立ていざ~と、いうことで景気づけに荒木一郎の「いとしのマックス」をどうぞ。

本日の疑問

 5月も10日になるというのに、今日は雨の激しい肌寒い日だった。午後外回りで車を走らせているときに、何か違和感があった。目眩?違和感は前方を走る車から感じられた。じっくり前を見た。日本が誇る大衆車の1台が走っていた。
最初は何とも思わなかったが、でも何かが違う(by 鈴木ヒロミツ)

 ちょっと型は古いが、良く見かける車である。しかし、何かが、何かが違うと僕の灰色の脳細胞はフル回転した。
あれ、スターレットってつづりはこうだったっけ?という違和感が…

 僕の頭の中でイタリアのロック・バンドのアルバム・タイトルがぐるぐる回転した。「PFM? PFM! 」「PFM? PFM! 」「PFM? PFM! 」…同じようにその車の名前がまるで「七人の刑事」の番組導入部(ほら、目がぐるぐる回って止まるアレだよ、などといっても昭和30年代をリアルタイムで体験した人間で無いと大変分かりにくいたとえであるが)のように僕の頭の中で回転した。「STRALET? STARLET?」「STRALET? STARLET?」「STRALET? STARLET?」、一体世の中で何が正しくて、何が間違っているのか、いやそもそもそのような考え方が間違っているのでは無いかと、という大変哲学的な思考をもたらしてくれた5分間であった。いやー、僕もやれば出来るな、うん、短いエントリー。
スターレットだからSTARLETだと思うのだが…

みやざき国際ストリート音楽祭の展望と課題(なんちゃって、連休最終日です)

 連休最終日の今日は、みやざき国際ストリート音楽祭2008に行く予定をしていた。毎年、5月の連休には近場に家族揃って出掛かることが恒例だったが、今年は上の子が春休みの課題未提出に加えて、連休課題もあるということで、小旅行は中止、ただ連休中ずっと家で勉強(いや、なんだかんだいって4日、5日と古本屋回りをしたり、実家に遊びに行ったりしたのだが)では、かわいそうだから今日だけは家族で、午後からいろんなジャンルの生の演奏を聴きに行こうと話していたのだ。しかし、お昼ご飯を食べた後、我が家には重たい空気が流れていた。実は、このみやざき音楽祭(省略形)、行きたがっているのは配偶者だけで、僕はまあ気が向いたら行ってみよう、子供二人は積極的に行きたくないという反応だったのだ。
みやざき国際ストリート音楽祭2008 旗の下に集まろう

 子供たちにしてみれば、連休の最後だけに思い切り遊べるところ、それが無理ならゲーム三昧またはDVD三昧で終日過ごしたいというのが本音で、音楽は嫌いではないが両親と一緒に見に行くのはかったるいようだった。それでも下の子はまあ、行ってやってもいいと返事したが、上の子は自分の部屋から顔だけ出して、人が大勢入るところに行って疲れるのは嫌だとハッキリ拒絶した。勿論課題の仕上がり状況が良くないことが要因だが、そこを指摘すると余計切れてしまい、また配偶者と熾烈なバトルを繰り広げそうだったので、好きにするように言ったのだが、今度は配偶者がふくれてしまった。下の子が機嫌を取るために「お母さん、一緒にコンサート行こう」と誘うと、「どうせワタシの提案はみんなで却下する」とかぶつぶつ言ってふてくされている。めんどくさくなったので、下の子に母親と姉はほっといていいから、さっさと出かけようと声をかけた。

 服を着替えて、さあ出かけようとしたら、配偶者が玄関に立っていた。何だ、どうしたと聞いたら、やっぱり一緒に行くなどと言って来た。この手のちょっとすねて相手の気を引くというテクは20代ならまだ可愛げもあるが、いい加減オババになった配偶者がやっても効果は無い。こうやってエントリーのネタにされるのがせいぜいだ。などと、配偶者に読まれないことを前提として書いていることがばればれの話だが、何はともあれ、家族3人で会場というか歩行者天国になっている宮崎市内のメインストリート橘通りに出かけた。僕の住んでるところから、会場までは歩いて少し、○淀大橋という大きい橋を渡るとすぐだ。その橋を渡っていると管楽器の音が風に運ばれて聞こえてきた。橋を渡りきって少し下ると会場の入り口、つまり橘通りの入り口が見えてきた。
ホコテン入り口

 市役所の向かい側の1丁目から中心部のデパート前まで8箇所の仮設ステージが作られていて、4~50分間隔でクラシック、ポップス、シャンソン、吹奏楽などなど、さまざまなジャンルの音楽が全て無料で開放されている。配偶者と子供は中学や高校のブラスバンドや合唱が見たいようで、僕はといえば先日見たトシ・永井のスーパー・スイング・グループでもう一度「ヘルニア」を聞いてみたいと思っていた。また他にもジャズのバンドやラテンバンドも出るようだったので、散歩がてら冷やかしてみようという軽い気持ちだった。ところが午後2時くらいから夕方6時前までみっちり楽しめたイベントだったのだ。
道のど真ん中を練り歩くのは大変気持ちがいい 少し曇っていたがそれでも気分爽快だ

 宮崎の目抜き通りともいえる通りを歩行者天国にしているのはとても気持ちのいいことだった。普段は絶対歩けない片道2車線の道路のど真ん中を歩くのは快感で、この開放感はどこかで感じたなと思ったら、何、デモ行進のときの解放感だ。僕の通っていた大学の移転反対のデモで2000人が集まって、烏丸今出川を我が物顔で歩いたのがついこの前のように思い出される。あの時は何故か機動隊が出てなくて、公安の、いや、その、そういう話ではなかった。ホコテンに入ってすぐのステージで地元の中学・高校のブラスバンドの演奏をやっていた。配偶者と子供はこれを見るというので、僕は一人で先に行ってみることにした。ちょっと歩くと子どもパークなる看板が出ていて、車道の真ん中にクレーン車やパトカー、白バイなどが置いてある。そういえば僕の通っていた大学の学園祭には必ずパトカー(どこかの中古車屋で廃車を買ってくるのだろう)が展示してあって、最終日になるとみんなで石を投げたり、角材ぶつけたりして祭りの終りを祝っていたが、ここでも同じことをするのだろうか(そんなわけは無い。働く車大集合というコーナーで子どもたちにその手の車に乗せたり、写真を撮ったりするコーナーだったようだ)?
スイング・アモール ジャズトリオ いつもの感じで写真撮ったら遠かった

 ホコテンをぶらぶら歩いているうちに、ギターの音色が聞こえてきた。セミアコの切れ味鋭い音だ。ちょっとゴンチチに似ている。音に釣られて歩いていくと、なんじゃこら大福で有名なお菓子のH高の前のステージで3人組が演奏していた。ギター2本にウッドベースという組み合わせだ。ステージ前のパイプ椅子が空いていたのでそこに座って演奏を楽しんだ。曲が終わるとベースの人がマイクを持って喋る。良く見ると一番前の客席にスーツ姿の人が座っていて、なにやらメンバーに指示を出している。話を盛り上げろとかジェスチャーでやってるようだ。すぐに次の曲が始まった。いや、ギターのカッティングが小気味いい。スイング・アモール・ジャズトリオというバンドだった。MCを聞いていると熊本のグループで昨日の夕方宮崎入りして、このイベントのスポンサーのやってるビヤガーデンで盛り上がりすぎてやや二日酔いだとのこと。どおりでシャベリが飛んでいた。しかし演奏は良くて、ジプシージャズというかジャンゴ・ラインハルト張りのギターは野外で聞くと最高だった。しかしこういう力のある、またオリジナリティのあるバンドが熊本で活躍してるとは全く知らなかった。

 その演奏が終わる頃に、視線を感じたのでその方向を見たら、どこかで見たような若い女の人と中年の女の人がいた。やたらこちらを睨むので、会釈して次の会場に行こうとしたら配偶者と娘だった。僕が椅子に座っているのを配偶者が見つけ、手を振って近くの席についたらしいが、僕は全く気がつかなかったようだ。謝る暇など無く、3時20分からはトシ・永井のトリオの演奏が始まる。急いでステージを移り、前から3番目くらいの席を確保した。前回のH高時計本店のライブは前半はイマイチだったが後半の盛り上がり、特にドラムソロの迫力は相当なものがあったので、今日も期待していた。しかもゲストありになっていたので、もしかしたら誰かボーカルが絡むのかと思っていた。
リハ中のトシ永井 前の人の頭が邪魔

 演奏は前回と同じく「キャラバン」から始まり、彼らのオリジナルを続けて演奏した。宮崎の5月の空の下で聞く演奏は実に気持ちがいい。普段はライブハウスやホールといった密閉した空間で聞いているが、たまには開放的な空間で聞くと同じ曲でも随分違って聞こえる。演奏する側もやはり環境が違って、別のやる気が出るのだろう。前回の演奏と違った意味でリラックスしながらライブは進んだ。トシ永井はプロデビュー25周年だそうだが、まだ東京に出る前にこの歩行者天国で演奏したことがあると話していた。多分宮崎のお祭りのステージだったのだろう。と、話が前後したが、そのMCの前にスペシャルゲストが登場した。やはり宮崎出身のサックス奏者、宮里陽太だ。若干24歳。このベテラントリオに客演して全然萎縮していない。全力でブローしやがった。いやー、やっぱり管楽器が入ると一気に演奏がしまります。
宮里陽太 大いに吹きまくるってホラじゃない、サックスだ

 宮里のサックスが入って3曲ぶっとうしでやった。曲は「サマー・タイム」「ソー・ホワット」そして「セント・トーマス」。「サマー・タイム」は曲名が告げられるや、いきなりサックスのソロから始まった。結構長いソロを吹いて、いきなりテーマに入った。いや、そのかっこいいこと。ステージのど真ん中でどうどうと吹き上げる姿。頭は坊主でピアスしていたが、いやいや凛々しかった。「ソー・ホワット」は前回トリオで聞いて、ちょっと納得できないところがあったが、今日はテナーが入ってこれだという感じ。そして「セント・トーマス」はもうノリノリ。トシ永井のドラムもこの手の歌心のある曲になると本当に躍動的だ。残念だったのはこの曲の途中で宮里は自分のステージのために降りてしまった。しかし、お客さんからは熱い拍手を受けていた。そして、「セント・トーマス」の後半からドラム・ソロが始まった。延々10分以上、ビートがアスファルトを伝って響き、轟いた。ラストはビートルズの「フール・オン・ザ・ヒル」(小倉っ、ポールの曲だぞっ!)、とGLAYの「HOWEVER」のジャズバージョンだった。ちなみにこのライブの後で一緒に見た娘が、何でオジサンたちは似合わないのに長髪にするのか、とかすぐサングラスをするのかなどと鋭い質問があった。ジャズは自由(フリー)なのだと適当にごまかした。

 気がついたらもう既に4時半近くになっていた。家で勉強している(どうだか、分からんが、隙をみてゲームしていたのではないか)上の子のために高千穂牧場のクレープを買いにデパートに向かった。驚いたことにデパートの通路でもライブをやっていた。二胡を使って女子十二楽坊みたいな演奏をしていた。しかし先ほどゴキゲンなジャズを聴いてきたばかりで、多分アマチュアの人たちだと思うが、チューニングもちょっとアマチュアでいただけなかった。ルックスも女子十二楽坊というよりブ○十二楽坊だ、と思わず口にしたら、配偶者と子どもに怒られた。そんなことは言ったらいかんらしい。表現の自由に対する弾圧ではないか、フリーチベットなどと叫んだがシカトされた。
宮里陽太&ヒズ・フレンド キーボードは東京で一緒にやってるプロだ

 買い物を済ませ、来た道を戻っていくと、やたら威勢のいいサックスとキーボードが聞こえてきた、宮里グループの演奏だった。立ち止まって聞いていたが、そのまま帰ることなど出来ない。二人にこれを聞いて帰るからといって僕はさっさとステージ前の椅子に向かった。全くMCらしいMCも無くメンバー紹介と曲紹介だけだったが、いや、この宮里陽太期待できます。それとキーボードが洒落てる、途中二人だけの演奏があったが夕暮れに聞く生演奏としては最高の贅沢では無いか。そういえばトシ永井のライブの前にM原さんに会って挨拶した。ステージの後ろのほうではH高社長も見かけた。こういうイベントのスタッフのおかげでタダでいい音楽が聴けるのだ。ありがたい、ありがたい。しかし、このイベント今年で3回目だが、もっともっと認知されてしかるべきだな。5月の風が吹く中、さまざまなジャンルの音楽が入り乱れる、とても楽しい1日だった。そうだ、大阪では春一番をやってたんだな。このイベントもそのうち宮崎のハルイチみたいになるといいな、などと考えながら連休は終わっていくのだった。

キーボード任せにしていたら一体何の話か分からなくなった件について

 早いもので連休も後半2日目となった。もっとも昨日も昼から会社に出かけて、残った仕事をしていたので、僕自身の感覚からすると今日が普通の日曜日という感じだ。いつもなら口だけは達者な下の娘が、『ゴールデンウィークだからどこかに連れて行け』とうるさく言うはずなのだが、今年はそれがない。なぜなら上の子が春休みの課題をシカトして学校に出してなかったため、この連休中にそれを完全に終わらせるまで(もちろん、連休の課題も出ているのだが、それも平行して)一切遊びは無しという鬼の配偶者の指令が出ているからだ。それで今朝も比較的早い時間から起き出して、子供二人は机に向かっている。もっとも普段は休みの日は昼前まで寝ているので、早いといっても10時くらいだ。

 僕も前日は2時過ぎまでネットの世界をうろうろしていて、今日は昼まで寝ていようと思ったが、毎日子供二人を(勉強しろ、でないと落ちこぼれるぞ、と)怒りまくってテンションが上がっている配偶者が部屋の掃除など始めたので、9時には目が覚めてしまった。このところ日曜は昼前まで寝ているので、午前中のテレビ番組はほとんど見ていないのだが、10時過ぎくらいだと思うが九州電力がスポンサーで九州のいろいろな場所をそこにゆかりのあるタレントに紹介させるという番組をやっており、最近では鮎川誠が武田鉄也と二人で久留米を紹介するというものがあった。この番組はエントリーにも書いたのでご存知の方もいるかもしれない。マコちゃんが米兵だった父とその後再婚もせず女手ひとつで自分を育ててくれた母親のことを話したのを見ていたく感動したことがあった。

 せっかく早く起きたので、ついでにこの番組を見ようと思ってテレビのスイッチを入れたら、出てきたのは山崎ハコだった。日曜の朝から暗い女を出してるんじゃねー、と、いつもの俺なら(by パンタ)絶叫するところだが、子供二人が隣の部屋で勉強しているからと思い、心の中で大声をあげた。しかし、子供の勉強のことを考えたらテレビなどつけないほうがいいのだが、普段から子供二人からぼろくそに言われてるので日曜のテレビくらい堂々と見て何が悪いと今度は誰に当り散らしているのか良く分からないが、とりあえずは画面を見続けた。そういえば去年だったかBSのフォーク番組にハコが出ていてフォーク喫茶というのか、小さなライブハウスで同年代のお客さんと一緒に歌っているのを見たが、そのときのMCがやたら明るかったことを思い出した。確かデビューした70年代は「暗さ」で売っていたのでプライベートでもそのイメージを壊さないため、全く喋らなかったみたいなことを喋り、でも実はネアカ(この単語も死語かな?)なんです、と満面の笑顔で喋っていた。

 今回の番組はハコが出身地の日田に福岡から特急列車で行くところから始まっていた。その番組でもハコは一貫してニコニコしていて、途中自分が通っていた小学校(中学校だったかも)の教室でギタリストと二人で曲をやるのだが、相変わらず曲は暗い。例の「しんすけしゃん~」を歌うかと思ったが「望郷歌」とかいう75年のデビュー曲を演奏した。で、ハコの話はどうでもいいのだがその番組中にハコが日田というとすぐ連想するヤキソバがあって、もやしと豚肉と麺というかなりシンプルな作りだけども、それが非常に美味しそうで急にヤキソバが食べたくなった。僕はもやしとキャベツをたっぷり入れてソースをきかせたヤキソバが好きなのだ。

 ところで、これは南九州というか宮崎だけかも知れないのだが、こちらでは一般的にヤキソバというとアンカケヤキソバがメインである。勿論お好み屋さんではソースヤキソバだが、普通の中華料理店やいわゆる大衆食堂ではアンカケが主流であった。ただこの南九州アンカケヤキソバムーブメントは最近ややパワーダウンしているようで、お昼に飛び込みで入った食堂などで「ヤキソバ」と注文するとソースが出てくる比率が上がってきた。僕はソースだろうがアンカケだろうがどちらも大好きだが、学生時代京都に居た時や、社会人になって関東にいた頃は無性にアンカケヤキソバが食べたくてしょうがないときがあった。地元宮崎だったら食堂に行かなくても、スーパーにインスタントのアンカケヤキソバ(アンは片栗粉が小さな袋に目一杯入っていた)が置いてありいつでも食べられたし、また場合によってはアベックラーメンをアンカケヤキソバにする手もあった。

 話は例によって脱輪するが、SAWYERさんのブログにもコメントした話だが、僕が「清く正しく美しい」貧乏学生生活を送っていた京都時代に、インスタントラーメンの画期的な食べ方を開発したことがあった。名づけて『一粒で二度美味しいグリコ的インスタントラーメン活用法』とでも呼ぼうか。いや、きっかけはインスタントのヤキソバ(もちろんソース味)に嵌っていた時期があり、夜おなかが空くとインスタントヤキソバを作って食べていたのだが、あれはどうにも量が物足りぬ。かといって2つ食べると胃の中が脂っこくなるし、第一のどが渇く。それで不本意ながら、夜の保存食はインスタントラーメンと決め付けて、それでも仕送り前に金が無くなってそのインスタントラーメンすら買えなくなることがあるので、バイト代や仕送りで現金が手に入った段階で生協ラーメン卵つなぎ30個入り、というのを1箱買って保存しておくのが常であった。

 ある夜、例によっておなかが空いたので、コイン式のガスコンロに鍋とラーメンを持って行き、鍋に水を入れてラーメンを作ろうとしたときにフライパンが目に入った。その瞬間ひらめいた。待てよ、鍋にラーメン入れて煮込めば単なるラーメン、しかしフライパンに水を入れてそこにこのラーメンを投入すればヤキソバが出来る。しかもスープが余るので、これは鍋で煮込んで適当な野菜やワカメ(乾燥ワカメは常備していたのだよ、明智君。君はワカメに灰がついてることを知っていたかね。僕は最初灰を落としたり水に戻したりすることを知らないで、そのまま味噌汁に入れてエライな目にあったことがあるのだよ。フッフッフッ)を投入すれば、『ソースヤキソバ、ワカメスープ付き但しスープはお替り可能なんせ丼一杯分あり』、というものが出来上がるではないか。

 その日以来、僕はゴマラー油スープ付きヤキソバとか味噌スープ付きヤキソバとか特別スープ付きのヤキソバを食べることが日課になった。これは結構おなかにたまったし、それなりに美味しかった。あ、ヤキソバの味付けはウスターソースね。とんかつソースなんてのは、ヤキソバにはちょっと甘すぎてダメだった。これは大正解(と、いうほどのものでもないか)だったが、もうひとつのオジヤラーメンはイマイチだった(誰だー、オヤジラーメンなどと誤読した奴は!オジヤラーメンだ)。こちらはまだ大学に入ったばかりの頃で、後輩をそそのかして近所の畑から野菜を盗ませて、その盗んだ野菜で鍋を作ることを生きがいにしていたI上さんという人がいた。この人のことも以前にエントリーに書いたが、そうそう、久留米出身で鮎川さんの高校の後輩に当たる人だった。家が旅館をやっていたせいか、結構こまめに料理を作る人で、そのI上さんの下宿で鍋をやるときの締めが必ずオジヤだったのだ。

 鍋に残ったもはや以前のしゃきっとした姿かたちはどこに消えたのかというような野菜と、具は何が入っていたのか、肉類はほとんど無かったはずなので魚介類を主に入れていたのか、その混沌としたスープに冷えたご飯を投入し一気に加熱して作った(今思い出したが、最初は台所のガスコンロで作って、その後は電熱器に乗せていたから一気に加熱できないはずだったのだが…。あ、そうか、オジヤ作るときだけまだガスコンロに戻したのだ、納得。こういう細部にこだわるところが自然主義的リアリズムである。シラバカ派である。タモリの名言『白樺は馬鹿らし=シラカバハバカラシ』)。いやそのオジヤの美味しかったこと。正直鍋はそれほど食べたいと思わなかったが、このオジヤを食べたくてI上さんの下宿にしょっちゅう押しかけたし、野菜ドロボーも厭わなかったのだ(いや、1回だけですよ。常習犯ではなかった、ホントです)。

 で、何の話だったかというと、そうそう、そのオジヤを自分の下宿で再現したかったが一人で鍋をやるのももったいないというか、食べきれないので、インスタントラーメンの残ったスープにご飯を入れて、それを卵でとじればオジヤになると思い作った。食った。まずかった。まだ暖かいご飯にラーメンスープをぶちまけてごちゃ混ぜにして食べたほうが美味しかった。よくよく考えてみれば、I上さんの鍋は貧乏学生の作る鍋とはいえ、一応は鍋「料理」で魚や野菜などさまざまなものが入っていたから美味しかったのだ。ラーメンスープだけのオジヤでは美味しいはずは無い。しかし、何事にも諦めの悪い僕は味付けに問題があるのではと、いろんな調味料を入れてみたり、のりをかけると美味しくなるのでは、とかいろいろ挑戦したが、まずいものはまずい。ダメなものはダメ(by D大OBおタカさん)であった。

 えーと脱輪はこの辺で正常化して、と。アンカケヤキソバというのはもともとは中華料理の一種だったのだろうか。ただ長崎の皿うどんというのとはちょっと違うのだ。あちらは細麺を油で揚げており、その上に熱いアンがかかるとなんとも言えない音と香りがして食欲をそそり、食感もまだ麺が固いうちはシャキシャキという感じで、アンと麺が上手く混ざってくると麺も柔らかい口当たりに変わるという、それなりの美味しさ、楽しさはあるが、こちらでいうアンカケヤキソバは普通の中華麺(気のせいかもしれないがラーメン用とヤキソバ用は違うのではないかと睨んでいるのだが、自信は無い)に肉・野菜・カマボコ類が入ったアンがかかっているのだ。そうそう、どちらかというとアンは甘いので、味を引き立たせる意味でウスターソースを上からかける人もいる。ただあれはダボダボかけると品が悪いので注意が必要だ。揚げたてのコロッケにはソースダボダボ(by 椎名誠)でも良いが、白いアンの上にソースダボダボだと麺の上が真っ黒になりいかにも下品である。そう、トマトジュースに注ぐソースのように軽く気持ちだけかけることが望ましい。ライト・アズ・ア・フェザー感覚が理想だ。

 ここまで話を書いてきて、ちょっと困った。実はこの話はアンカケヤキソバの復権とソースヤキソバにおけるもやしの配分はどのくらいが許容範囲かというテーマで書き始めたのだが、書いているうちにおなかが空いてきた。しかし今はもう深夜零時を回っている。あ、エントリーのアップは23時にするけど、これは少しでもエントリーのスパンを短くするためのアリバイだから、ってそんなことはどうでもいい。いや、腹が減ってきたが、今食べると確実に身体に良くない。しかしこれ以上エントリーを書いているといよいよ辛抱たまらんようになってきて、実は昼間作ったヤキソバの玉があと一袋冷蔵庫に入っており、もやしは全部食べたが新玉ネギと春キャベツという野菜界のON砲というか僕はGI砲のほうが好きなのだが、つまり麺と野菜という両巨頭が揃っており、豚肉もあったけどベーコンで代用するのもこれはひとつの手であって、とだんだん夜食の罠に嵌りそうなので、今日はここで終わる。一体何の話だったのか。

また小倉のクソバカが適当なこといいやがって…

 まただ、何度同じことを言わなければならないのだろう。メイビー・アイム・クレイジー?いや、今朝のことだ。例によって朝起きたくないよー、出来ればもう少し寝ていたいよー、春眠暁を覚えず、去るものは追わず、あ、最後はちと違うか。ま、その、なんだ、朝いぎたなく布団の中でごろごろしていたら、建具を隔ててテレビの音声が聞こえてきた。「上原ひろみとチック・コリアが…」「歴史的な演奏が…」。ああ、ひろみちゃんのアルバムの話か(いや、勝手にこっちが親しげにひろみちゃんなどと書いてるだけで、何もリレーションシップとやらは無いのだが)、などと思いながらそれでも未練たらしく布団にしがみついていたら、不愉快な男の声はこういった。「うん、ジョン・レノンのフール・オン・ザ・ヒルとかやってます」

 「じょん・れのんのふーる・おん・ざ・ひるだとぉ」。メロスは激怒した。必ずやこのゲーハーオヤジを打ち殺さないではいられない。と、ちょっとアレンジしたが、あれほど眠たかった僕の身体が瞬間的に反応して起きていった。配偶者はびっくりしていた。「どした、何があった?」「許せん、この男だけは許せん。知ったかブッタか、知ったかチベットか知らんが、何故そのようなウソを言う。『フール・オン・ザ・ヒル』は典型的なポールの曲ではないか。ビートルズナンバーは誰がリードボーカルを取っているかでほぼ作曲者が分かる。普通に『ビートルズのフール・オン・ザ・ヒル』といえばいいものを、何で『ジョン・レノンのフール・オン・ザ・ヒル』といわなければならないのか。ハッ、そうだ、ジョンはとっくに死んでるから、死人にクチナシか」などと寝起きのボケた頭で考えたことをそのまま口にしたから、話が続かなかった。

 が、このアホ小倉、以前もリンゴのドラムを「あまり上手くない」だとか「ドラムソロはやったことが無い」などと嘘八百を並べ立てたのだ。ワイルド7の八百は大好きなキャラだったが、このヅラ男の嘘八百は許せない。どうして、そういうウソをいうのだ。朝の8時台にこの手の番組を見ているのは主婦層か、ニート、入院患者、社会的弱者層だから何を言っても分からない、いやちょっとこじゃれた言い方すれば『アイム・ア・スーパー・スター』などと誤解してくれるのではないか、と思っているのか。このところ毎日嫌なニュースばかりだが、このヅラ小倉が正義感ぶって「何故このような事件が起こるのか」などと誰も頼んでいない犯罪の真相解明をするくらいなら。「お前の頭をひらいてちょっと気軽になって楽しめ」(by 町田町蔵というかINU)と僕は言いたい。いや声を大にして言いたい。

 という、大変不愉快な朝を迎えたのだが、実は今日は連休に入る直前の日だし、またトシ永井という地元宮崎出身のドラマーがH高時計本店の2階でフリー・ライブを、しかもジャズミュージシャンとやると言うことを知っていて、毎度まいどのY尾君と一緒に見に行く約束をしていたのだ。もっとも配偶者も友達と行くと言っていたので、お互い会場で会っても他人同士でいようと念を押したのだ。いや、僕は全然恥ずかしくないのだが、配偶者は彼女の知人と一緒にいるところを僕に声かけて欲しくないらしい。そうか、テキがその気なら僕も専守防衛せざるを得ないと思うのだ。専守防衛である。このあたり強調しておきたい。

 ということで今日はトシ永井のライブを見てきた。地元宮崎出身のセッションドラマーというか、僕は良く知らないのだがグレイとかいうバンドのサポートドラムとして有名な人らしい。客層は20代前後の若い人が20人くらい、オジジオババ(悲しいかな、僕も20代前後の連中からすればワンオブゼンだろう)が残り90人というところ。いきなり「キャラバン」などというスタンダードから入ったが、うーん、イマイチ乗れない。その後「サマータイム」やマイルスの「ソーホワット」などやったが…。

 まあ、今日は彼のライブレポートを書く気はないのだが、それでも生のドラムやピアノ、ベースの音はいいなと再認識した。CD10枚聞くより1回のライブだなとつくづく思った。そうだ、このトシ永井のライブのラストナンバーが「フール・オン・ザ・ヒル」でMCではちゃんと「ビートルズの曲」と説明があった。そうだよな。普通ビートルズのナンバーという紹介をするよな、ちょっと通ぶった奴がポールのナンバーなどと言うかも知れないがジョンの曲などというバカはいない。分からんな、何でそんなことを言うのか。せっかく黄金週間の入り口にいるのに朝から不愉快だったというお話でした。え、読んでて不愉快だった?そりゃ悪いな。実は明日僕はやり残した仕事をしに会社に行くのだ。わはは、くそったれ。ということでとばっちりをどうぞ。ああ、まとまらなかった。

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