こんなもん書いてる暇があったらもう少し…

 はや、1月も終わりである。この月末にこのようなエントリーをアップしていいのかちょっとためらったのだが、事実は事実なので、本日は昔懐かしい「学生集会」のノリで行ってみたい。それでは、全ての学友諸君に、若干のアッピールと問題提起を行っていきたい!!

 いえ、今年になってからスパムメールが携帯に、PCに頻繁に来るようになった。更にちゃんと読んでくれてる人はおそらく10数人ではないかと推定される僕の弱小ブログにもスパムコメントの類が送られてくるようになった。実は、このスパムコメントやTBがつくのは一定の訪問者数のあるブログだと思っていたので、最初はちょっと嬉しかったことを告白しておく。しかし、妙なリンクを貼られてせっかく拙ブログに来てくれて人がワンクリック詐欺に出会うのも気分の悪い話なので、気がついたら削除するようにしていた。まあ、今のところ大した件数は無いのでさほど手間はかからないし、内容もアフォというかシンプルなものがほとんどだ。たとえば、こんな奴です。

投稿者;まーさ♪ ロリ卒業しますた
今まで若い子に金払ってたけどアレだな、人妻相手のほうがぶっちゃけ気持ちよかったよw
テク凄いし、全部やってくれるから楽でいいわ
しかも金かからん・・・・・・ってか、こっちが貰っちゃってるしww


 「マーサ」といえばすぐに「マイ・ディア」と答えたくなるが、そうですか。ロリ卒業しましたか。最近は小学校や中学校の先生にロリさんが多いようですが、ご同慶の至りです。へえ、人妻はお金くれますか?我が家にも約1名、人妻を名乗る権利を保有している人物がいて、拙ブログでは配偶者という正しい法律名で呼んでいますが、その人はお金はくれません。逆にルンペン・プロレタリアートの僕が精神と肉体をぎりぎりになるまで酷使してその代償として月に1度だけ銀行に振り込まれるお金を全額容赦なく取り上げます。マルクスは「搾取」と呼んでいる行為では無いかと以前から思っていますが、口に出して言うと家庭内争議が発生するので平和主義者の僕は沈黙しています。沈黙は金なりってウソだ。あ、あれは「キン」であって「カネ」ではないのか。

 まあ、スパムコメントやTBはこんな感じで芸も何も無いが、PCに届くスパムは時々とんでもないものがある。以前、燐さんのブログで「主人がオオアリクイに食われて、独り身で寂しい」というスパムの話を読んで、凄いことを考える奴がいるなと感心したが、似たようなのが来た。タイトルは「出会い系サイトで待ち合わせしたらアフリカ人がやってきました」という物凄いものだ。

はるなです。24歳のフリーターです。
お仕事はいろいろ転々としていますが、
覚えることができなくて、いつも3ヶ月ぐらいでくびになります。(中略)
実は、はるな、出会い系サイトを使ってえっち相手を探そうとしたのですが、
待ち合わせ場所にきたのが、アフリカ人でした。アフリカ人登場です。
はるなびっくりして恐くなって逃げちゃいました。
メールでは、源三郎って名乗っていたので日本人だと思ってたのに。
あとから知ったのですが、出会い系に登録してる男性の85%がアフリカ人だそう
です。


 ハァ?その数字の根拠は何だよ?ということは出会い系に登録している日本人は15%以下ということになる。アフリカ人が85%ということはアメリカ人や中国人やロシア人も登録してるのだろう。みんな日本語の読み書きが堪能なんだろう。源三郎なんてネーミングセンスはすごいよ。吉野源三郎かと思ったくらいだ。いや、日本語を習得するためにあえて出会い系に登録しているのでは無いか。しかし「恐くなって逃げちゃいました。」などというのはベサツだろ。『世界は一家、人類はみな兄弟・姉妹だ』というありがたい言葉を知らんのか。しかもメールの最後にまたもやベサツ的発言をマイ・ディアはするのだった。

出会い系はアフリカ人がいて恐いので、自分でホームページを作りました。
はるなのホームページです。はるなの写真見て、
えっちしてやってもいいよって場合はメールください。
はるなのえっち友達になってください。
アフリカ人だったら、お返事はいらないです。


 いっつ・びよんど・まい・こんぷりへんしょん!私の理解を超えている。しかし、これよりもっとすごいメールがあるのだ。これは携帯に来たメールなのだが、あまりにも面白かったのでPCに転送して保存しておいたものだ。まず導入はこういう形だ。

初めまして、佐織(さおり)って言います!
これはイタズラなお誘いメールじゃないから安心してね!
ただ、怪しいって思ったらここでメール読むのはやめておいてね☆
私達は子供のいない20代前半~30代後半までの人妻の集まりです!
今現在で24人のメンバーがいます♪


 初めて営業の仕事を教わったときにAIDMAの法則というのを習った。お客様に商品を売り込む前にまず面接を売るのだ、そのためにはお客の心理の動きを知らないとダメだ。みたいな前振りがあって、人は知らない人間に出会うとまずAttention(警戒心)を持つから、まずは警戒心をほぐすことが大事。警戒心が取れてくるとInterst(興味)が湧いてくる。そして~と購入心理の説明がその後続くのだが、このメールの導入はまさに警戒心を取るために「イタズラなお誘いメールじゃないから安心してね!」と言い切っている。しかも「!」を付けて強調している。それだけでは弱いと思ったのか、逆に警戒されると思ったのか「ただ、怪しいって思ったらここでメール読むのはやめておいてね」などと小憎らしいことを書いている(もっともこの程度でああ、安心なメールだなどと思う人間はまずいないだろうが)。しかし、僕がやや驚いたのはその後の論理展開だ。

いつまで汗を流して一生懸命働くのですか??
働けば働くだけ、格差は広がっていきます。
平日の昼間に、外車を乗り回している人を見かけます。
あの人達は仕事をしてるんでしょうか?
会社のために毎日毎日働くのは、バカバカしくないですか


 ううむ。ルンペン・プロレタリアートの心を激しく突いてくる問題提起。そうだ、この格差社会はまさにデッドエンドのスパイラルに陥っている。片や、職業不明の、およそ額に汗して働くことはせず、自らの特権階級に胡坐をかいているごく一部の連中がいる。「こんな社会につばを吐き、ダイナマイトに火をつけろ」と今は亡きどんとは叫んだではないか。これはもしかしたら真面目なメールなんだろうか、と一瞬思ったが、もちろんそうではなかった。

「毎日お金が入ってくる魔法があります。」
見るだけならいいでしょう。
答えは
あなたの地域内にてベストカップル指数90%超えの女性様が2名現れています。
架空請求や振り込め詐欺ではないです。
100%本当のことだけ書いています。
実はつい先日、2回目のパーティーを開いたんですけど、参加者の皆さんのお陰
でとっても楽しかったので、今回3回目のパーティーを開く事にしました!
内容は前回と同じ、エッチなパーティーです!
もちろん、これも前回と同じで参加登録料は無料です、安心してね♪
定員になり次第締め切りとさせて頂きます、ご了承下さい☆


 はぁ、何ですと?「毎日お金の入ってくる魔法」というのはスワップ・パーティか何かですか、それとも危ない薬や煙のパーティでしょうか。まあエッチなパーティというから、やはりエッチなパーティなんでしょう。前半部分とがらりと雰囲気が変わりしかも文の意味が通じない。しかし、ロシア革命におけるナロードニキに敬意を表して、ここはヴ・ナロードなどと叫んでそのパーティに乱入するのもいいかもしれないな。いやいや冗談ですが(って目が笑ってないぞ、堪忍や、ほんの出来心や見逃してぇなキャインキャイン)。そしてこのメールはこういう風に締めくくられる。

少し面倒だけど、http××××××××××←ココから入って佐織に参加希
望登録の直接返信をして下さい!
あなたの安心が出来るまで、最初は佐織がパーティー内容をナビ、その後何人か
の女性メンバーのプロフや写真が送られて来るからね♪
女性メンバーの旦那さんには決してバレない方法を取っている分、面倒だけど我
慢してね、お願いします!
もし信用の出来ない場合にはこのメールは遠慮無く無視してもらって全然良いか
らね☆


 しかし、こんなメールが毎日毎日あきもせず拡大再生産されている我が祖国はどうなるのだ。世の中楽してカネを稼げる商売ないぞ!あれ、いつの間にか学生集会の雰囲気なくなったので、最後にもう一度。それでは全ての学友諸君とともに「インターナショナル」を歌っていきたいと考えますっ!!「異議なしっ」


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粗忽な週末買い物日記

 粗忽モノである。小さい頃から粗忽な性格で、これが全く直らない。先ほどもエントリーにコメントがついたが見たことの無いハンドルネームだったので、スパムじゃ、削除じゃ、消してしまえと思い、まあそれでも盗人にも三分の理というから、ちと内容を見るかと思って、最初の部分を見た。そこには書いてあった「本日、東京に戻ってまいりました。掲示板に頂いた~」という部分を見て、なーにをサラシ粉、膨らし粉、オラァ宮崎に住んでるし東京に行ってたのは2年も前だ、しかも掲示板だぁ、そんなもんシラネェと一気に削除しようとしたが、どうも雰囲気が違う。スパムにありがちな馴れ馴れしさがないし、第一エッチなフレーズが出てこない。ん、ちょっと雰囲気違うなと思い、読んでいくと、なんとまぁ先日ライブを拝見したZEK TRIOのバンマス清水くるみさんがわざわざコメントくれたということが分かり、今度は手のひら返したように土下座米返しを書くという有様だ。

 ついこの前もやってしまった。夜、取引先との打ち合わせが終わり、その帰り道に本屋に寄って「ストレンジ・デイ」を立ち読みしていたら、FOREVER YOUNGシリーズという、およそヤングは聞かんだろう、こんな音楽というような旧盤再発の広告が出ていて、そこに『ラフ・ダイアモンド』の文字を見て欣喜雀躍した。いや、まさかラフ・ダイアモンドのCDが再発になり、しかも1,800円というお手ごろ価格での提供とは、ああ神は我を見放さず。嬉しくなって、土曜日の午後さっそくタ○レコに買いに行った。ご存知のようにタ○レコはCDがアルファベット順に並べられている。ラフ・ダイアモンドだから「R」のところだ。探した。無い、ええとラフはROUGHだから、と丁寧に探すがすぐに「Roxy Music」のコーナーになってしまう。他のFOREVER YOUNGシリーズは特集コーナーみたいなところにあるのに、ラフ・ダイアモンドはアルバム1枚しか出してないので置いてないのだろうか。

 仕方がないので店員に聞いてみた。「ええと、なんていうミュージシャンですか?」「ラフ・ダイアモンド」「アルバム・タイトルは何ですか?」「同じく『ラフ・ダイアモンド』」「レコード番号とか分かります?」そんなもんいちいち覚えて探しに来る奴いないだろう。毎度毎度の不毛なやり取りをしているとすぐ横のカウンターにFOREVER YOUNGシリーズのリーフレットが置いてあるのを見つけた。「あ、これに載ってるはず」といって開いてみたが、どこにも出ていない。もっとも以前のリーフのようで今回の1月23日発売の作品は全く載っていない。店員はタッチパネルの検索機で探すがヒットしない。「日本国内にそんな名前のCDは出てないみたいです」などと言われたときは、これはオレのほうが勘違いしたと思って引き下がった。しかし、良く考えると(いや良く考えなくても)ここはイ○ン・ショッピング・センターだから、タ○レコの隣が旭○書店だ。そこで「ストレンジ・デイ」を探して件の広告を見つければいいだろうと思い、すぐ隣の店舗に移動した。「ストレンジ・デイ」は見当たらなかったが「レココレ」があったので、早速探すとFOREVER YOUNGシリーズの広告はちゃんとある。「この野郎、てめぇ、手間かけやがって」と心の中で毒づき、すばやくレコード番号をメモッた。

 さあ、こうなればこっちのもんだ。僕は鬼の首を取ったように心弾ませて、大またでタ○レコの先ほどのお兄ちゃんのところに行った。「これ、レコード番号、ちゃんとレココレに載っていたよ」とメモを見せた。店員はちょっとこちらの気迫に押されたようで、何かブツブツ言いながらその番号を入力して検索した。「ああ、アルバム・タイトルですね」などというから、さっきもそういっただろと怒鳴りたかったが、まあ最近人間が出来てき始めたので鷹揚に頷いた。本当はようやくラフ・ダイアモンドの音が何十年ぶりかに聞けるとそればかり考えていたのだ。店員がなにやら言いながら、予約注文用の黄色い紙に書き込み、こちらに連絡先を記入しろという。携帯番号と名前と振り仮名(ずいぶん前だが、振り仮名を書いているのに間違った読み方で電話されたこともあったが、人間が出来てき始めたのでそのことは蒸し返さなかった。今思えば人間なんか出来なくていいから蒸し返せばよかった)をサクサクと書いて渡した。そのときに何か違和感のある文字が見えた様な気がしたが、気にとめなかった。

 店員から「通常だったら1週間以内に入荷するが、万一それ以上かかるときは連絡します」という毎度毎度のフレーズを後頭部に聞きながら店を出た。その日は貴重な土曜休日であったが、午後一番に断れない仕事が入っていたのでその足で会社に向かった。会社で仕事の準備を始めたが、そのときにタ○レコの店員の言葉が突如甦った。「ラフ・ダイアモンドって、バンドの名前じゃないんだ」。あれ、何かおかしいな。バンドの名前はラフ・ダイアモンドそしてアルバムの名前もラフ・ダイアモンドなんだが、何か引っかかる。そう思いながら先ほど貰った注文の黄色い用紙を取り出した。そこにはアルバム名『ラフ・ダイアモンド』と書いてある後ろにバンド名がこう書いてあった。「BAD COMPANY」。え、えーバドカン???ああああああ、そういえばバッド・カンパニーのかなり後期のアルバムに確か『ラフ・ダイアモンド』というのがあったような、え、でもジャケットは、とややパニック状態に陥り、会社のPCで調べてみた。間違いなかった。今回1月23日発売のFOREVER YOUNGシリーズの目玉はバッド・カンパニーであった。いや、バッド・カンパニーも好きなんだけど、ちゃちゃちゃ、と力なく「星のフラメンコ」を口ずさみながらタ○レコへキャンセルの電話を入れるのであった。ここで最初のZEK TRIOの話とリンクしてるなと気がついたあなたは流石である。そう、ゼップで一山当てたジミー・ペイジが自ら作ったレーベル、スワンソングからデビューしたのが何を隠そうバッド・カンパニーなのだ。そのスワンソングのパーティでジミー・ペイジがギターを弾き、ポール・ロジャースがボーカルで「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」を決めたというニュースを聞いて、畜生見たかったと悔しがった若かりし頃のdrac-obがいたのだ。

 というわけで、がっくり肩を落として家に帰ったら、アマゾンで注文していた下地勇のニュー・アルバム『3%』が届いていた。聞いてみた。いい、凄くいい。前作の『ATARAKA』が力が入りすぎていてやや窮屈だったのに比べると、こちらはちょっと聞いただけでずいぶんリラックスしているのが伺える。どうやら沖縄で普段一緒にやってるバンドのメンバーとレコーディングしたようだ。バンド・サウンドもまとまってるし、下地のギター1本の弾き語りもいい。ビートルズっぽい曲にはローリーがエレキで参加しているが、基本は下地のバンドの録音なのがいい結果をもたらしているようだ。このアルバム名盤の予感がする。ラフ・ダイアモンドのことは思い出さないように、僕は旭○書店で買ってきた「MOJO WEST」という幻の富士オデッセイのイベント・プロデューサーであり京大の西部講堂の立役者の本を紐解いて、しばし夢の世界をさすらうのであった(もっともこの痛快な本はすぐに読み終え、もう1冊買った多田富雄の「わたしのリハビリ闘争」を読み始め怒り心頭に発するのは、この翌日の日曜日であったことは神のみぞ知ることだった)。

HELP,GET ME SOME HELP!(残念ながらゲット・ザ・ヘルプではない)

 今日はブログの更新はせずに、あちこちのページを渡り歩き、さてお休み前にYOU TUBEかGYAOの映画を見ようと思い、どっちにするか迷ったが結局毎度まいどのYOU TUBEを開いてしまった。登録しているチャンネルには興味のあるものは無かったので、ナニゲニ昔のヒットポップスのタイトルを入れて検索してみたら、一発でこんなのにヒットしました。まずは動画をどうぞ。



(以前アップしていた動画が削除されていたので、2010年1月7日再度アップします。さらに追記。2011年7月6日、再再度アップします。)
 トニー・ロナルドの「恋のヘルプ」、71年のヒット曲である。丁度海外のポップスを聞き始めた頃で、既に中学に入っていたので多少英語も分かる。この歌は歌詞が簡単で聞き取りやすかったのでシングルの歌詞カードを見ながら、一緒に歌っているうちに覚えてしまった。あれから37年もたっているのに、こういうことだけは何時までも覚えているものだ。イントロを聞いただけですぐ歌詞が出てきて、一緒に歌っていた。しかし、この映像は白黒で録画状態も良くないのに、何故か音だけは妙にクリアだなと思って、投稿者のコメントを見たら、「英語バージョンを探したけど、見つからなかったのでスペイン版のクリップにオーバーダブしました、楽しんでね」なんて書いてある。こりゃ、てっきりご同輩くらいの方でポップス関係も共通項があるだろう、と思い他の動画を調べたらクリス・スクワイアやジョン・アンダーソンなんてのがあるのでイエス好きのプログレ・ファンか、ドイッチェランドのお方らしいので、じゃカンやトリアン・ヴィラート、クラフト・ワークなんかがあるかと思ったら、オハイオ・プレイヤーズにニーナ・シモンだ。良く分からん。ボストンがあるのは分かるけど。

 この「恋のヘルプ」はたしか中学校の同級生だった女の子にシングルを借りた記憶がある。その女の子のことは顔も名前も覚えていないので、ただ単にレコードを借りるだけの「オトモダチ」だったに違いない。それで、このシングルのライナーというのか、曲説明というのか(昔のシングル盤には歌詞とちょっとしたプロフィールが書いてあったのだ)、そこのところにこのトニー・ロナルドのことが書いてあった、元は船乗りだったが乗っていた船が遭難して助けられたスペインで歌を歌ったら大ヒットした、みたいなことが書いてあった。中学生の僕でさえ、人生舐めておるのかと思ったくらいの適当なプロフィールだった。しかし、歌の歌詞も「恋を見つけたけど続かなかったよ。素敵な日々は去りいまやどこにいるのか何をしたらいいのかさっぱり分からない。忘れよう、そして新しい人を見つけようと頑張るんだけど…」というところから、サビの「助けて、お願い、今夜は誰かそばにいてくれる人が必要だよ」の繰り返し。

 こういう歌が大ヒットした時代もあったのだ。しかし、何故こんなバブルガムのヒット曲をしっかり覚えているかというと、それはとても恥ずかしい思い出と一緒だからである。脳細胞というのは物事を単体で覚えるのは苦手だが、何かと関連付けるとしっかり覚えるというのを、昔何かの本で読んだ記憶がある。まさにそれである。どんな恥ずかしい思い出かというと、ホラ、誰でもひとつや二つはあるでしょう。夜中、目が冴えて眠れない夜に、つい今までの人生を振り返るというか、そこまで大げさじゃなくても、なんとなく過去を思い出して、ああ、あんなこともあった、こんなこともあった、と楽しい気分でいたのに、突然、あっ、オレハナントイウコトヲシタノダと、思い出したとたん、一気に布団をかぶってしまい、それまでの楽しい思いでも全て忘れ去ってしまいたいと思うような記憶。ある人は「夜中にギャッと叫んで思わずろくろ首になるような感触」と何かに書いてあったと思うが、まあ、そういう類の思い出である。

 エントリーの落ちとして最後にそのことを書こうかと思ったが、ダメだ。あまりにも恥ずかしすぎて書けません。ということで、今日はトニー・ロナルドの動画を見つけたということで終わりにさせてください。

ZEK3 Live at the Life Time

 というわけで、無事大腸の内視鏡検査も終わり、家に帰った。時計を見るともう18時過ぎだ。一緒にライブを見に行くY尾君に電話をして、19時にライブハウス前で待ち合わせるようにした。陽も落ちて寒くなってきていたので、しっかり防寒スタイルに身を固めてそのライブハウスまで向かった。ちょっと早く来すぎたので、近くのお店を冷やかしながらY尾君たちを待った。会場になるライブハウスは宮崎で一番の老舗ジャズ喫茶のLIFETIME。僕が大学生の頃は橘通りに面したビルの最上階にあり、カウンターばっかりのお店だったような記憶がある。まだジャズの「J」の字も知らない頃だったが、粋がってコーヒー一杯で2時間くらい粘ったものだ。そうそう、缶入りピースを手に持って通ったりもした。一度口説こうと思った女の子を連れて入り、ビル・エバンスとジム・ホールの「アンダー・カレント」をリクエストして店の雰囲気をぶち壊したことも今では良い思い出である。あれ、あれは別の店、girltalkだったか。まあ、いまさらどうでもいい話だが。

 最初にY尾君からこのライブを誘われたときから、ちょっと気になっていたことがあった。それはツェッペリン・ナンバーをどうやってジャズにアレンジするのだろうかという点だ。昨年、ボンゾーの息子を加えて一夜限りの再結成ライブをやったツェッペリンだが、ジャズにできそうな曲といえば、「レイン・ソング」か「天国への階段」くらいではないだろうか。まあ、どんな感じになるのかは聞けば分かるだろう。予習としてライブの前にバンド名とそのメンバーなどをちょっと調べたが、ドラムが故本田竹弘の息子であるということが興味を引いた程度で、後はライブの記事を読んでもあまりぴんと来なかった。というのも、僕が目にした記事は全てジャズファンが書いたもので、そのほとんどが「私はツェッペリンは詳しくないので」というエクスキューズがついており、どんな曲をどんな演奏で聞かせたのかが良く分からないのだ。しかし、考えてみればこれは当たり前のことで、生の演奏の素晴らしさを(残念なことに素晴らしくない場合もあるが)言葉で表現できれば苦労しない。僕が自分の見たライブのレポートをアップするのは、あくまで個人的な備忘録であるということと、演奏家が演奏で自己表現するのであればオーディエンスも文字で自己表現出来るのではないかという、サークル時代からの思い込みのためでしかない。
ライフタイムの入っているビル入り口 ZEK TRIOのチラシも貼ってある

 19時丁度位にY尾君とI切さんが来た。しかし、お客は誰も来ない。大丈夫か、という不安感とどうしてせっかくのライブなのにあちこちのメディアに告知しないんだろうかなどということを3人で話しながら階段を上った。お店は雑居ビルの3階にあるのだ。扉を開けて入ると、暖かい照明の光とジャズの音に迎えられた。このお店になってから初めて入るのだが、店の内装や雰囲気は昔のお店の時とあまり変わらないように思えた。入って奥のほうにステージがあり、その前にテーブルがセットされている。ざっとみて3~40人くらいのキャパか。最初の客だったので、最前列のドラムの前の場所を取った。ステージから見てI切さん、僕、Y尾君という順だ。チケットを渡して、別途ドリンクを注文した。そうしているうちに若いお客さんが次々入ってきた。20代前半の男女だ。しかもその最後には香月さんといって、去年のクリスマス・イブのライブのときに素敵なボーカルを聞かせてくれた女性も来ている。実は今年最初のライブはこの日の次に予定してあった香月さんのライブに行くつもりだった。Y尾君ともそういう話をしていたのだ。しかし、ツェッペリン・ジャズが来るなら、悪いが香月さんは来月にさせてもらおうということになった。

 7時半近くになり、お客さんも若い20代の団体(10人くらいいたかな、多分大学生の軽音サークルだろう。今調べたら宮崎大学のジャズ研のようだ)と、単独で入ってきた中年の人たち3,4人というところか。僕らを入れて多分20数人くらいだったろう。突然照明が暗くなりステージに向かう人影が見えた。ZEK TRIOだ。清水さんを先頭に、米木、本田とステージに上がる。清水さんが目で二人に合図して、挨拶もなしに演奏が始まった。駆け足で2曲演奏した。え、ツェッペリン・ナンバーだっけと思うようないわゆるジャズのピアノトリオの演奏だ。メンバー紹介があったが、ただ楽器と名前を紹介するだけで愛想が全く無い(いや、あとで思い出したが、このトリオで宮崎に来るのは久しぶりですみたいなことを話した)。正直、ちょっと失敗したかなと思った。僕としてはジャズ・ミュージシャンが何故ツェッペリンを演奏するのか、またどのような解釈で演奏するのか、テーマだけ最初にやって後は大アドリブ合戦になるのか、などと勝手な思い込みをしていたのだ。それと、もうひとつ違和感を感じたのは、ものすごい疾走感、ドライブ感だ。ツェッペリンってどちらかというと重たい響く音というイメージがあるが、オープニングの2曲はまるで「A列車」のように軽快にはずんだ。もしかしたら、プレイ・バッハみたいな綺麗なお上品なジャズかなと一瞬思ってしまったのだ。

 しかし、それらはあくまでイントロダクション、導入部だったのだ。アナウンスも何も無く突然ピアノから導かれる重たいブルースのフレーズ。「Since I’ve been loving you」だ。思わず隣のI切さんと顔を見合わせてニッコリ。そうだ、初期ツェッペリンはブルース・バンド的な音の展開もあり、それこそがジャズとの共通項では無いか。しかし、このときの演奏はカッコ良かった。ドラムの本田さんがおもむろにタバコを銜えて、紫煙を吐き出しながらビシバシ叩く。叩く。叩く。そういえばこのトリオにはボーカルがいないが、その不自由さを全く感じなかった。ロバート・プラントのボーカル代わりにドラムが歌っているのだ。このときの演奏は延々と終わり無く続くかと思うくらいだった。いや、逆に終わらないで欲しいという演奏だった。この演奏のあと清水さんが少し喋ったが、トークというほどでもなく。それ以上に「Since~」の演奏にしびれていて何を言ったか覚えていない。曲紹介と間に休憩を入れるみたいなことを言ったようだ。
銜えタバコの本田さんがビシバシ決めたSince I've been loving you.

 1時間の演奏が終わり、休憩に入った。久しぶりに耳鳴りがしている。座席の位置がドラムの真ん前なのでその音がモロ響いて、最初はピアノが聞き取りにくかった。前半、乗りにくかったのは音のバランスの関係もあったかもしれない。しかし、昔はライブハウスに行くと必ず耳がキーンとなっていたが、まさかジャズのそれもピアノ・トリオで経験するとは思わなかった。最初に頼んだドリンク(勿論アルコールだ)が無くなり、2杯目を注文した。若い人たちを見るとみんなソフト・ドリンクを飲んでいる。ビールすら飲んでる人はいない。しかもタバコを吸っているのは壁際のオジサン・オバサンだけで(お店の人に中央のテーブルには全て若い人で、壁際の僕達の座ったところはオジサン・オバサンだらけだったので、ここはシルバーシートですか、などとつまらんギャグを言ったのは私です)若い連中のテーブルには灰皿すらない。時代は変わったんだな、とつくづく感じた。そうそう、休憩といえばトイレ・タイム。今回もハプニングがあるか、と思って行ってみたが残念ながら何も無かった。

 30分ほどしてまた照明が暗くなった。お客さんもようやくこのライブのスタイルになじんできたようで、少ないが心のこもった拍手で迎えた。さて、第2部のオープニングはなんだべ、と見ていたらいきなりのピアノにドラムス。「ブラック・ドッグ」だ。ハードなロックンロールから始まった演奏は、そのまま流れるように次の曲に進む。イントロを聞いて思わず笑みが浮かんだ。「レイン・ソング」だ。ゼップナンバーの中でもメロディアスなこの曲は確かにピアノ・トリオに良くあう。僕はこのライブでゼップの代表曲としてこの「レイン・ソング」と「天国への階段」、そして「アキレス・ラスト・スタンド」の3曲を是非聴きたいと思っていた。「レイン・ソング」は予想通りいい演奏だった。しかし、こうやって聞いているとゼップの楽曲というのは実に緻密に作られていることがわかる。単なる勢いだけのヘヴィ・メタ坊や達につめの垢をせんじて飲めと言ってやりたい。余計なお世話か。その手の大音量の音が必要な時期はあるもんな。
レイン・ソングを演奏中 この後しばらくして弦が切れる

 後半は、「オール・マイ・ラブ」そして「デイズド・アンド・コンフューズド」など怒涛のゼップ・ナンバーを怒涛のピアノとベースとドラムで一気に進んだ。演奏の途中にお店の多分マスターだろうが、ピアノ(書き忘れたけど、アップライトじゃないよ、列記としたグランド・ピアノしかもスタインウェイのフル・コンってそれはウソ)のほうに行き、なにやら清水さんに話しかけている。何だろうと思って聞いていると、ピアノの弦が切れたらしい。今まで山下洋輔のエッセイなんかでピアノの弦を演奏中に切る話などを読んだことはあるが、実際に切れるのを見たのは初めてだ。いやあ、新年早々いい目の保養をさせてもらった。熱い、激しい2部の演奏が終わった。しかし、当然、拍手は鳴り止まない。狭いお店なのでミュージシャンの控え室は無いのか、3人は一度カウンターの方に引っ込んだと思ったら、またステージに登場した。清水さんがアナウンスする。「永遠の詩です」。「ザ・ソング・リメインズ・ザ・セイム」。ゼップのライブ映画のタイトルにもなった名曲だ。そういえばあの映画は多分78年だったと思うが、ツェッペリン・フリークで僕達の後にサークルの会長になったT井君と二人で見に行った。僕は1回見て帰ろうとしたのだが、T井君は感動のあまり腰が抜けてしまいそのまま最終の放映まで見続けたそうだ。オレ、こんなこと書くからM原に「ウソツキ」といわれるのだろうか。しかしT井が席を立たなかったのは歴史的事実なのだ。

 たっぷり2時間以上のライブが終わった。照明も明るくなり、アンコールは1曲だけのようだ。お店の中がざわざわし始めた。またみんなして、ライブの余韻を楽しまず帰るのかと思っていたら、ちょっと様子が違った。団体の若者たちは手分けして、テーブルを片付けている。その綺麗になったテーブルの真ん中にガスコンロが2台セットされた。ん?と思って見ていると、どうやらこれから宴会が始まるようだ。それでみんなソフト・ドリンクで我慢していたんだ。ああ、そうか、と勝手に納得してオジサン3人組は真冬の町に出て行ったのだ。

実録 仁義無き内視鏡検査

 スカの話です。スカが嫌いな人は読むのをご遠慮下さい。もっともスカといってもスペシャルズやマッドネスの話ではありません。トロが付くほうの話です。トロは吐露ではないし、ましてや寿司のネタではありませんが、っていい加減くどい。要はシモネタなのでお食事前の方などは注意して読んでね。

 僕は結構変わった病気をよくする。大腸憩室炎などという病気をご存知だろうか。僕がこの単語を知ったのはかれこれ3年ほど前のことだ。ある夜、寝ているときに右脇腹の鈍痛で目が覚めた。以前に何度か尿管結石を患ったことがあり、そのときも右脇腹の鈍痛は石の痛さに違いないと思い、翌日以前に何度か通院した泌尿器科の専門病院に行った。超音波の検査をして、例によって薬を処方されて、「水分をいっぱい取れ、ビールをじゃんじゃん飲んで流せ」みたいな診断で終わるだろうとタカをくくっていたのだが、医者の反応がどうも鈍い。何か奥歯に物が挟まったような言い方で「石、とちょっと違うかも知れないので総合病院で詳しく検査したほうがいい」と言われた。そして、そこから車で5分くらいのN部総合病院を紹介された。痛さから早く解放されたい僕は、お昼前にはその病院に紹介状を持っていった。

 そこで再度超音波の検査やCTスキャンや、もちろんレントゲンも、そのほかありとあらゆる検査をされた。胃カメラも飲んだ。結局お昼前から夜の7時過ぎまでかかって分かったことは大腸憩室炎を起こしているということだった。要するに大腸の壁が飛び出しているわけだ。家に帰ってネットで調べたら欧米人に多いと書いてあり、なんとなく優越感を持ったような気になったが、良く考えると何の意味もない。欧米かっ。そのときから年に1回は内視鏡の検査を受けるように言われていた。ところで、そのときの診察と検査を担当してくれたY先生だが、ちょっと早口というか独特の喋り方をする人で、いろいろ説明してくれるのだが上手く聞き取れず、こちらも食事抜きで終日検査だったのでぐったり疲れて、あれは最後の胃カメラの検査のときだったか、Y先生が嬉しそうな顔をして「drac-obさん、良かった。分かりました。大腸憩室炎です」と言われたが、こちらとしては病名などどうでも良くて早くこの痛みから解放してほしいだけだった。しかし文句を言う気力もなく小さく頷くくらいしか出来なかったのだ。

 その日の最後に「今日の診察費は目の玉が飛び出るかも知れませんが、とりあえずはあるだけ払って残りは別の日で良いですから」といわれたのを良く覚えている。人の財布だと思って無茶苦茶言うなと思ったのと、丁度会社を止めたばかりで収入がない時期に、しかも鬱病で心療内科にも通っていたのに、またもや妙な病気になってしまったと強烈に落ち込んでしまった。余談だがATLのキャリアだと分かったのも同じ頃だが、その話はまた改めて…。その日から2週間くらいはご飯を食べることが出来ず、缶入りの飲み物(どろどろのなんともいえない、あ、胃カメラ飲むときのバリウムと食感が似ていた)とジュースの素みたいな粉を水に溶いて呑むのと、点滴だけが栄養源だった。2週間ほどの点滴と投薬で、平常に戻ったものの『一度は内視鏡検査しましょう』といわれ、その年の確か9月くらいに初めて検査を受けた。結果は大腸に200以上の憩室があり、一部は出血していたがまあ大丈夫とのことだった。ただ今後は年に1回必ず検査を受けるよう言われていたのだ。もちろん、こういう提案を素直に守るのは岩石生活者としては失格なので、去年、一昨年とシカトしていたのだが、今年の最初の診察で「やはり検査しておかないとダメ」といわれて今回大腸内視鏡検査を受けることになったのだ。ああ。前振りの長いことよ。
君は耐えられるか 2リットルの下剤

 1月の17日の朝8時半に検査を行うことになり、終日の検査なのとその日の夜にジャズのライブがあるので、会社は休むことにした。前日は、仕事上の迷惑をかけないために夜9時過ぎまで事務処理をして家に帰った。もちろん16時と19時に飲む薬(錠剤と液剤)は時間通りに飲んだ。家に着いたら腹ペコだったので、「メシ、メシ」と配偶者に言ったところ、「夕方7時以降は絶食って書いてあるよ」と嬉しそうに言われた。そうなのだ。腸内に余計なカスを残さないために前日の食事は19時までに済ますよう注意されていたのだ。しかし背に腹はかえられない。軽いものなら大丈夫だろうと大急ぎでかきこんだ。結局、この行為が己の首を絞めることになるのだ。

 翌朝、病院に行くとすぐに検査の準備の部屋に通された。書き忘れたがこの病院は現在建替え工事の真っ最中で、その部屋も診察室の裏側にプレハブで細長く作った部屋だった。エアコンがついておらず、電気ヒーターを看護士さんが持ってきたが、寒いさむい。病院の薄いガウンとタオルケットを何枚も腰に巻きソファに座って待っていると、陰気そうな30代くらいの男が案内されて横のソファに座った。看護士さんが2リットルの下剤を持ってきて説明を始めた。「これから11時までの2時間でこの下剤を飲んでもらいます。当然トイレに行きたくなるので、その回数をこのプレートに書いて置いてください。そのプレートの表側に便の変化が写真にしてあります。最後の5番の写真のように透明になったら我々を呼んでください。そこで確認してOKな人から検査をします」

 二度目だったので、僕は完璧な準備をしていた。前回は下剤を飲む2時間が退屈で退屈で、病院にあった週刊誌や新聞を読んでも間が持たず挙句は腸に刺激を与えるため病院の階段を上り下りしろなどといわれたので、今回は1発OKを目指し、朝軽く運動してきたし、病院のしょうもない本など読まなくていいように読みかけの佐藤優の「私のマルクス」と殿山泰司の文庫本を持ってきていたのだ。しかも最初の1時間で1リットル以上クリアしておかないと後半つらいことは十分知っているので、軽快なピッチで下剤を飲み始めた。しかし大きな誤算があった。最初はぐいぐい飲んでいた下剤だが、読んでいる本に集中してしまうとつい飲み忘れて、気がついたときはもうすぐ1時間、まだ1リットル飲んでない状況だった。しかし、昨日や今日大腸憩室炎になったトーシロではないので、そこからの一気飲みは我ながら素晴らしかった。ただ、ふと気がついたのは、未だにトイレに行っていない、という一番大事なことだった。

 つまり、本を読むことに夢中になり、便意を忘れてしまったのだ。このままではいけない。何とか便意を催し、一気呵成に5段階の便の色にせねば、と気持ちはあせるがそう簡単にはいかない。僕は本を閉じてついでに目も閉じて、いや、逆だ、♪ああ、目を閉じて、チュッチュッチュチュールー、心も閉じて、開いた本も閉じてしまえ~ああ私は風、気ままな風よ~とカルメン・マキ&OZの名曲「私は風」を頭の中で反復しながら、目を閉じていた。そしてこれまで便意を催しながら近くにトイレがなかったり、あっても満室だったり、ようやく入って用を足したものの紙がないのに気がついて目の前が真っ暗になった経験、それは一度や二度などという生易しいものではなく、今まで生きてきた中に何十回もいや何百回も起こった悲劇的状況を、しかしながらそれを何とか乗り越えてきて、決して洩らしたりはしなかった過去の栄光の歴史を思い出していた。

 そうこうしているうちに1回目のトイレタイムがやってきました。速攻でトイレに行き、色を確かめる。もちろんファースト・タイム・オブ・ザ・トイレなので、輝くばかりの黄金の色だ。何故か「ハート・オブ・ゴールド」のメロディが頭の中に流れてきた。それからが大変だった。なんといえば良いのか、およそ便意などというものは気にならないときは、全くその存在すら認識しないが、一度気になるとまあ、落ち着かない。ソファに戻って、下剤をぐいっと一息に飲んで(by三軒目の店ごと)また読書に戻ろうとすると、どうも肛門の辺りが騒がしい、誰かがノックしているような感じだ。ノン、ノン、ノッキンオンザヘブンズドア~などとディランを気取る暇も有らばこそ、またもや速攻でトイレに行く。それを繰り返すこと5回。我ながら透明とはいえないが、限りなく透明に近いイエロー状態の便器の中を見て自信たっぷりにナースを呼んだ。

 「ああ、もうちょっとですね。カスがまだ出ているので、このままだとカメラにカスが付いてダメなんですよ」と軽くいなされた。深く落ち込んで、ソファに戻り、本を開く。『しかし個々の資本家は、勿論、自ら生産する商品が社会的に如何程需要せられるか、また他の資本家によって如何程生産せられるか、さらにまた根本的には個別的に種々異なりうる、その生産に要する労働時間のいずれがその価値形成の基準となるかを予め知ることは、その私的生産者としての性質からいってできないことである。』などというところを読んでいても頭の中はいかにすれば透明な便が出るか、その一点に集中しているから全く頭に入らない。そしてちょっとショックなことが起こった。2リットルの下剤を共に競いながら飲んでいた隣の男が急に立ち上がりトイレに行ったかと思うと看護士と一緒に戻ってきて、そのまま検査に行ってしまった。オー、ノー、アイム・レフト・アローン、などとちょっとマル・ウォルドロンを気取ったが、気分は最悪であった。オレも早く検査を受けねば、その前に便透明化闘争を勝利しなければ、と気持ちはあせるものの、親の心、子知らずというのか、思うほど便意もなくなる午後1時という感じだった。

 「drac-obさん、カンチョーしましょう」と中堅どころの看護士さんが部屋に来て突然こう言った。その昔、堺正章がたしか「時間ですよ」だったか、「カンチョーしちゃうから」などというギャグを流行らせたが、あれは冗談半分で後ろから友達のお尻に指を突き刺すのが楽しいのであって、されるのは御免蒙る。もっともそういう行為を好んでパートナーとやりたがる人たちがいるそうだが、この際除外する。あれは「プレイ」としてやるのは、それぞれの趣味だろうが、こちらは拒否権など一切ない状態で言われたのだ。勿論相手がそれなりの年齢層のおねーさんであれば、喜んで、いやいや、その、それもちょっと具合が悪いような、ま、ええと話を戻すと、下剤の効果がいまいちなので強行突破を図ろうということだろう。その昔、一点突破全面展開という言葉があったが、こういうときに使うべき言葉かもしれない。

 看護士さんとトイレに入って、後ろ向きにならされ、「ハイ、トイレットぺーパーを適当にちぎって、それでお尻の栓をします。そして出来るだけ我慢して排出してください。じゃ入れますよ。足の力抜いて、ちょっと腰を下げて、ハイ、そのまま」などといわれて、身構えているとなにやら肛門から直腸にかけて冷たい感触がして「ハイ、そのまま我慢して、私が出たらトイレに鍵をしてぎりぎりまで我慢してから出してください」などといわれ、右手でお尻にトイレットペーパーで作った栓をしつつ腰を曲げてトイレのドアに鍵をした。お、あ、あ、いえ、あの、などと奇声を上げつつようやく便器に腰掛け、一気に出した爽快感。ああ、この我慢する感じと一気に出すときの開放感が癖になるのか、とモノホンのスカトロマニアの精神状態を想像しながら、看護士さんを呼んだ。「うーん、まあまあ合格としましょう」などとお情けで合格させてももらい、検査に臨んだ。

 検査室ではいきなり先生に肛門に指を突っ込まれ、ああオレはカマの趣味はないのに、と思いながらも、点滴に入った睡眠薬のせいですぐに寝付いてしまい、気がついたら検査は終わりベッドに寝かされていた。時計を見たら17時過ぎだった。マズイ。ライブは19時開場、19時半開演だ。ふらふらする身体を何とか起こしてナースコールをして、待合室に向かった。その後先生に説明を聞き、心配していた状況ではなかったがまた2週間後に来るよう言われて、朦朧としながら病院を出た。さあ。これからジャズのライブだ。地獄から天国に行くのだ。帰りの車のハンドルを握りながら、頭の中で「天国への階段」が流れていた。

業務連絡です、楽屋落ちです

 夜、いきなり携帯が鳴った。ヤベ、何かクレームが発生したかと身構えて取ると、大学のサークルの頃の同級生N谷からだった。そういえば彼に元サークル会長のS戸君(『いくら先輩の命令でも野菜盗むの嫌や事件』や『完全犯罪の落とし穴~定期偽造は夏休みのバイト代をフンサイした事件』で何度かこのブログに登場した、あのS戸君である。言語中枢が破壊されたことで有名なF田君と共にこのブログのネタになったことは読者の記憶に新しいだろう)の連絡先を訪ねたが、名刺を会社に置いてるからといってそのままになっていた。おおかたその件だろうと思って出たら全く違っていた。

 「もしもし、起きとる?元気しとる?」と相変わらずねちっこい姫路弁で話しかけてきた。起きてるかと聞かれてもまだ23時前だ。晴耕雨読の生活をしているわけでは無いからバリバリ起きている。「ああ、起きてる。しかも元気、元気。なんだかうるさいな。電話が遠いんだけど」と答えると、「あ、今珍しい人に代わるわ、ちょっと待てや」といってなにやらくすくす笑いながら電話を代わった。「もしもし」と向こうから聞きなれない男の声がした。こちらも「もしもし」と出て相手の様子を探る。「もしもし、どちらさん?」「あ、そちらこそどちらサンでしょうか?」などと不毛な会話が続き、ぴんと来た僕は「M原?M原君やろ」と同じ学科の後輩だった男の名前を挙げた。しかしその言葉に相手は反応せず、何度も「どちらさんでっか?」と聞いてくるのでしょうがないので「○○(当然、僕の本名)だけど」と答えると、「ええっ○○さん?久しぶりですな~H本(ここは残念ながら“エッチモト”と発音してください。“エッチボン”ではないのが惜しいが、ってこのネタ以前も使ったよな、ええねん、黙っとったら分からん、分からんってアンタ誰や?良心です、ああ良心様ポンって天才アケタのパクリや)ですわ」と名乗りよった。

 H本というのは、僕の2年下の後輩でこいつは枚方出身のバリバリのタイガースファンで我がサークルの新人歓迎コンパで「六甲おろし」を歌い、当時ジャイアンツファンであらずんば人であらずというテーゼを貫徹していた我々に喧嘩を売った男である(ウソです、そんな大げさな話ではなく、「六甲おろし」を歌うH本をぼこぼこにどつき「どの口がそんな歌を歌うんや」としつこく絡んだのは先輩のT原さんでした)。根っからの関西人でいい加減適当なところもあったが、音楽の趣味は近いものがあり良く一緒に酒を飲んだりマージャンしたり、そうそうパンタのライブにも何度か一緒に行ったこともあった。86年くらいに当時勤務していた会社の社員旅行で大阪・京都に行ったときは昔の連中に声をかけてくれたりもした男だ。そうそう確か某大手企業の人事部で働いているはずだ。

 ただH本はずいぶん前に東京勤務になったと聞いていたが、姫路のN谷と一緒に飲んでいるというのはどういうわけだと思い、「お前、今どこから電話しとるん?」と聞いたら「ぎんざ、ギンザ」などと言う。とにかく周りの話し声や笑い声が大きくしかも地下なのか携帯の電波が入りにくくなかなか話が通じない。どうやらN谷が東京に出張になり、そこで昔のサークルの後輩連中と集まって一杯やってるようだ。H本とN谷と交互に話していると突然「もしもしM原ですけど、drac-obさんブログでうそ書いたらあかんわ」と聞き捨てならんことをいう無礼者が出てきた。僕と同じ学科の後輩でH本と同級だったM原である。昔からマッチポンプが大好きな男で、火のないところに煙を立て、そのくせちょっとでも本物の火がつきそうになるといの一番で逃げ出すタイプの性格だった。「何がウソや。面白おかしく書いてるところはあるが、基本的に正直な話や、真実のレポートや。お前相変わらずいい加減なこと言うてると実名で書いたるぞ」などと脅かしたが、てんで人の話を聞いていない。

 そういえば今年の正月にN谷からこのM原の携帯番号を聞いて電話したが留守電だったので、脅かしてやろうと思いあえて名乗らずメッセージを入れたことがあった。「あの『学生時代お世話になったものです』、っちゅうメッセージはdrac-obはんでしたの?いやもうてっきり先物買いの営業電話やと思てから…」「アホ、先輩やって威張ったらまたお前ら人のことをボロカスにいうやろ、一歩下がって謙譲の美徳っちゅうやつや」「それでも匿名はあかんわ、名前くらい言わんと」「いや、ネットの世界では匿名が当たり前なんや」「ネット、そやそやブログにウソ書いたらあかんて、drac-obはん、もうウソは止めて。私らサラリーマンは正直だけがとりえ、昔からdrac-obはんはウソツキやったけど、最近はひどい」と、このようにヨッパライの言うことは反復連打で先に進まない。しかし、一体どのエントリーがウソだといってるのかさっぱり分からない。M原君、このエントリー読んでいたらコメント書くか、メールフォームからメールして、どこの話がウソか指摘すること。

 まあしかし、そのあとも10分以上は喋っただろうか。N谷君とは正月に電話で話したばかりだったが、あとの2人は多分27,8年ぶりだろう。しかし声を聞く限りは全く変わってないようだ。これは面白い連中とコンタクトが取れた。幻の大作「DRAC興亡史 1975-1980」もついにその姿を現すときが来たのではないか。ネタには困らない連中が一杯いるからな。そうそう、sugarmountain君、N谷が「××(sugarmountain君の本名)も兵庫に住んどるんかい?電話番号教えろや」と言っておったが、教えても良いかね?まあ、なんだかんだ言いながらも久しぶりに昔の仲間の声が聞けて楽しかった、という話です。本当はもっといろいろ話をしたのだが、それはまたいずれ、ゆっくりエントリーにします。とりあえず70年代後半にDRACに在籍した人たちへの業務連絡でした。

昨日に続いてとりとめの無い話

 「もう、早く寝らんね。またどうせゲームでもしてるっちゃろ」と配偶者が眠そうな声で言った。時計を見ると午前2時過ぎである。今朝は上の娘が修学旅行に行くので、朝5時半には起きないといけないと配偶者が言っていたのだが、「あっしには関わりがねぇこって」(by紋次郎)と僕は知らん顔していた。花の週末である。エントリーを書いて、あちこちのお気に入りのブログを覗いたり、好きなミュージシャンのスケジュールをチェックしたり、そうそう今度の木曜日にライブに行く予定のツェッペリン・ナンバーばかり演奏するジャズ・トリオの情報を収集したり、このところすれ違いばかりのチャットルームに乱入したり、それでなくても限られた時間を有効に使うため、夜遅くまでごそごそしていたのだ。部屋が眩しいのとキーボードのカチャカチャいう音がうるさくて眠れないなどとテキは言ってきた。おためごかしにこちらの健康が心配だから注意しているのだなどとも言う。もちろん無視していたら「こんなことじゃ明日はお父さんに送ってもらうことになるからね」などとぬかしたので「上等じゃ、ボケェ。子供の一人や二人、いつでも空港に送っちゃるわい」と心の中でバシッと言い切ってやった。もちろん口頭では「ハイ、ハイ」と全く誠意の見られない二度返事をしたのであるが。

 さて、ネット遊びの時間も終わり、床に就いたが目が冴えて寝付けない。先日、学生時代の同級生や友人の話題に上がった佐藤優の「私のマルクス」を開いて続きを読んだ。頭がぼんやりしてなかなか内容に入り込めなかったので、潔くあきらめブック○フで偶然見つけた殿山泰司の「三文役者の待ち時間」を読んだ。毎度おなじみの文体に70年代のミステリやジャズの話、時々出てくる時代風景など読んでいるうちにいつの間にか寝付いてしまった。眠っていながらも時々外からザーッという音が聞こえる。雨が降ってきたようで、飛行機が揺れると可哀想だと思いながらも、また寝付こうとしたそのとき肩を揺さぶられた。配偶者がガラガラ声で「風邪をひいた。私の代わりに送ってやって」と言う。結局、オレがアッシーかと憮然としたが、しょうがない。起きるとまだ5時過ぎ。パンタの歌ではないが「夜明けはまだ」である。それどころか未だに真っ暗な中を銀の筋が光る。やはり雨が降り続いていた。寝ぼけ眼で部屋の外を見ると、普段はどれだけ起こしても起きない長女が、流石に今日だけはさっさと起きて食事をしていた。

 配偶者がそんな調子なので仕方なく服を着替え、子供のトランクを持って車に乗り込んだ。雨は結構降っているし、外は真っ暗なままだ。空港に向けて走りだすと、こんな時間なのに結構車が走っている。みんな方向が同じなので、やはり空港に子供を送る保護者の車だと判断がついた。しかし、オレが高校生の頃は修学旅行がなかった(しつこい、いい加減しつこい、我ながら実にしつこい)が、仮にあったとしても早朝親から送ってもらうようなことはしなかっただろう。多分、友達を誘い合って自転車で結集したに違いない。それでこそ高校生であり、自立っていうもんだ。親に頼るなんて恥だと思っただろう。もっとも当時でも女子の場合は親が送るというのがあったかもしれんが、などと考えているうちに空港に着いた。予想通り空港の到着口はマイカーで一杯だった。僕も長女を降ろしトランクを渡したら「じゃ行ってくる」とあっさり友達の方に走っていた。しかし、旅の前騒ぎという奴だろうか、空港の自動ドアの前に高校生たちが大勢集まって、口々にこれからの旅の楽しみを話し合っているのはなかなか心が和む景色だった。雨のステーションなんて歌がユーミンにあったな、などと思いつつ家に帰った。一度目が覚めてしまったので、どうしようかと思ったが8時過ぎくらいにまぶたが重くなってきたので、また寝た。

 次に目が覚めたらもう昼前だった。今度もまた配偶者の声で目が覚めた。どうやら次女を叱っているらしい。そっと部屋を見ると、次女が泣きながら机に向かっており、そのそばに鬼夜叉の形相をした配偶者がいた。なにやらテストの結果が悪かったのと、進学に関する提出書類を親に見せずに出そうとしたようだ。こういうときこそ木枯し紋次郎でいるべきだと思い、うどんの具を買いに出かけた。戻ってきて海老天入りのうどんを作り、次女と一緒に食べた。配偶者は怒り心頭に来ていて食事どころではないらしい。落ち着かせて話を聞くと、以前やった数学の再テストの結果が悪かったので、親に見つからないようしまいこんだらしい。ここはひとつ父親として説教せねばと思い、テストの点の良し悪しは結果だからしょうがない。そのことは怒らないが、その結果を隠そうとした態度がいかんのだと諭した。ついでにテストの点数を見ると16点とあった。これには目が点になった。「おい、50点満点か」と、はかない希望を次女に投げかけたら、屈託のない顔で「いや、100点満点」と答える。前言を翻して、「隠したのはいかんが、この結果もいかん。ちっとばかし、真剣に勉強しろ」と思わず言ってしまった。

 後は、配偶者に任せて僕は以前からやろうと思っていたCDの整理をしようと思ったのだが、配偶者が子供を叱る声が延々と続く。聞いていると「あなたのためを考えて叱っている」とか「お姉ちゃんより勉強しているのに結果が出ないのは可哀想だから叱ってる」とか配偶者も自分の子供の頃を思い出すのか、だんだん叱り方がハードになり挙句の果ては「お母さんも一緒に勉強するから頑張れ」などと言い出した。しばらくすると台所のテーブルにプリントを山ほど持ってきて子供にやらせている。配偶者も紙と鉛筆を出し一緒に問題を考えて分からないところは教えようとしていた。これはまずいことになった、と思い何か口実を作って出かけようとしたまさにそのとき、配偶者と次女が同時に叫んだ。「分からん、教えて」。

 見ると数学の文字式と方程式のところだ。しょうがないからこちらもテーブルに椅子を持ってきて、計算用紙を準備して本格的に構えた。僕の最初の仕事が教育産業だったので、小学生や中学生に勉強を教えることもあり、結構自信はあったがいかんせん20年以上も前の話だ。それでも子供に質問しながら教えていると、なんとなく感じを取り戻してきた。そうそう、この手の数学が苦手な子の場合、自信を全くなくしていて相手の顔色を見ながら答えることが多かったな、と思い「はい、ここ読んで。うん、じゃこれは何算になる?」などと聞くと案の定「足し算?」と上目遣いに聞いてくる。「足し算!?」と強い語調で聞き返すと考えもせず「あ、引き算、引き算」という。まず、ここを改善しないとイカンと思い、「お、凄い、すごい」とか「うん、良く分かったな」とか「いいぞ、計算違いは誰でもする、それより正しい解き方でやることが大事だ」とか必殺ほめ殺しで自信を付けさせていたら、いつの間にか配偶者も横の椅子に座っていた。自分も一緒に勉強するつもりらしい。

 次の問題が少し込み入った問題だったので、子供に答えの予測(正の数になる答えか負の数になるのか、問題に出ている数字より大きくなりそうか小さくなりそうか)という見当のつけ方を教えて後は自分でやり、どうしても分からないところだけ聞くように言って自分のPCに行こうとしたら、今度は配偶者が社会の問題を聞いてくる。面倒だったので適当に答えていたら、どうしてこちらにはちゃんと教えないのかと逆切れし始めたので、あなたも中学・高校のときに習ったはずだが、といったら流石に大人しくなって子供の部屋に行き教科書を引っ張り出して調べ始めた。しかし、線対称だの側面積だの三角形AOPとAOBの面積が等しくなるとき、点Pのx座標を求めよ、とかこんなん実社会では使わんぞ、と思いながらも久しぶりの頭の運動になった。しかし、配偶者も教科書と首っ引きでなにやら始めたので、今夜のおかずのおでんは僕がすべて作ることになった。

 そんなことで今年初めての休日が終わろうとしていたのだが、やはり長女が一人いないだけでずいぶん家の雰囲気が変わる。一番困ったのは次女で、今日僕と二人だけになったときに「おねえがいないとおかあとすぐに喧嘩になる。誰も止められんから困る」などと言ってきた。普段は姉と喧嘩ばかりしているのに、やはり困ったときは助けてもらっているのだと可笑しくなった。そしてとどめの一言が「おねえ、早く帰ってこんかな。さびしい」。って、おいおい、姉は今日旅行に出かけたばかりだぞ。しかし、我が家もいつまでもこの四人で漫才みたいなことを繰り返していくものと思っていたが、よくよく考えれば上の子も来年は大学受験だ。いずれは出て行くんだと思うと、ちょっと悲しかった。しかし、それが子供の成長だからしょうがない。

 と、今日はまるでシラカバ派の私小説みたいなタッチで終わろうと思っていたのだが、先ほど下の子供からショッキングなことを聞いた。上の子は来年受験だが早く家を出たくて仕方がないらしい。その理由を配偶者は妹が鬱陶しいからと言ったが、妹いわく「おねえはおとうとおかあのいるこんな家は絶対出て行くと言ってる」。僕はすぐに聞きなおした。「おとうは違うだろ、おかあが嫌いだから出て行くんだろ」。下の子はまっすぐ僕を見て「おとうとおかあのいるこの家が嫌い、っていった」ついでに「私も高校出たら、一人で生活する。そのときは家にあるゲームを全部持っていく」とも言った。少し安心した。上はしょうがないが、下は多分もうしばらく親に依存して生きていくだろう。厄介だが、ちょっと楽しいなと思った一日だった。しかし、こういった日常がいつの間にか非日常に代わっていくのだろう。と、最後の最後はまた「私小説」ぽく終わるのだ。

ただ当てもなく思い出すまま

 意外に思われるかもしれないが、僕は形式美の人である。様式美といってもいいか。つまり物事の手順というか段取りというか、そういうものがきちんと決まらないとダメなのだ。矮小なレベルで言うとたとえばパンツを穿くときは右・左どちらの足を先に入れるかが決まっており、何かの拍子でそれが反対になると、一度穿いたパンツを脱いでもう一度最初からやり直すこともある。もちろんどうしても時間的に無理なときは、そのまま行くが、そのときは一日中気分が悪く、何をやっても「あいきゃんげっとのーさてぃすふぁくしょん」である。この前もチャットで『ブログを書くときに1行目が決まらないと書き出せない』とコクったところ(このあたりのヤングな言語感覚をほめていただきたい。僕はほめられて伸びていくタイプなのだ)、心優しい某猫だぬきさんから『じゃ、2行目から書き出したら』といわれ、おお、それは素晴らしい、目からうろこが落ちた、などというわけもなく、それでもたまには何も考えずエントリーを書き出してみようかと思った次第だ。

 今日は2日連休(世間様では3連休というが、土曜日が必ず休みになるような労働条件の下で働いてない零細企業の社員は日曜・祭日の2連休でもありがたいのだ。トノさん我がポンニチにはいまだ革命のときが来ません、などと今は亡き殿山泰司氏に報告する)の初日だが、明日から上の娘が修学旅行に行くのでその準備の買い物に行こうかと話をしていた。あ、その前に昼飯に何を食べるかという重大なテーマがあり、家族会議に諮ったところ、父は風来軒のラーメン、父の遺伝子を色濃く受け継いだ長女も同じくラーメン、配偶者はラーメンも600円に値上がりしたから外食はダメ、それでなくても修学旅行でお金がいるのだからカップ麺にしなさい、最近勉強のことで母親に叱られてばかりいて、その上、機を見るに敏な性格の次女はうちはビンボーだからおとうが作るうどんでいい、外食は贅沢でしょっとやや切れ気味。

 という、明るい家庭は家族の会話からなどという幻想に一切惑わされない我が家は統一テーマの昼食が決まらない。ええい、面倒だから塩スパ作ると僕が言ったが配偶者以外誰も喜ばない。即座にその案は却下して、丁度実家の母から野菜を沢山頂いたから取りに来いという電話も入ったので、配偶者一人残しでラーメンを食べに行くことにした。車で走っていると対向車線が妙に空いている。あちこちに白バイやパトカーもいる。なんだろうと思ってみていると女子マラソンだった。丁度シーズンでこの前も確か青島マラソンとやらでコメディアンの萩本欽一や東国原知事も参加してにぎやかだったが、今日のマラソンはいまいち盛り上がってないようだ。それでも沿道で旗を振って応援している人も多かった。ラーメンを食べて実家に行くとテレビでもマラソンをやっていた。京都の女子駅伝だ。この手のスポーツには全く興味がないので、ぼんやり眺めていたら今の京都の景色が映るのでだんだん興味深く見始めた。

 丁度2区の最後でトップが京都だったが、この2区の選手がいい顔をしていた。いや、あの、可愛かった。実の母と娘二人の前で女子駅伝のこの子が可愛いなどと発言するとそれでなくてもない信用がますます落ちていくことは必定なので黙って見ていた。もっとも名前と所属はしっかりチェックして後でネットで調べた。ワコールの湯田選手だった。しかし最近のスポーツ選手は綺麗な人が多いな。ビーチバレーの何とか言う選手はモデルだというし、卓球にも最近はアイドルいるらしい。しかし、ワコールの女子陸上部の選手プロフィール見たけどもう完全アイドル紹介ですな。女子バレーもそうだな。カオル姫が出なくなったらプリンセス・メグの復活とか、あ、僕は個人的に大山加奈が好きです。あの大きな体を小さくして監督の言うことに「ハイッ」と答える素直さが好きです。何故かというと僕の身の回りにいる女の人は誰一人「ハイッ」って答えないからです。

 などと話がとんでもない方向に行くのが、形式美を守らないエントリーの悪い癖である。まあ、なんだかんだ言いながら京都の独走と我が郷土宮崎代表が健闘するのを応援しながら見続けた。画面に映る風景も西京極から今出川、百万遍、北大路など懐かしい景色である。ルートは西京極から宝ヶ池(?多分、国際会議場)の往復だから1回生の頃住んでいた修学院から大学への通学ルートやちょっと町に出ようというときのルートで大層懐かしい。途中で進々堂の看板を見て、雨の降る朝に詩仙堂まで散歩に行きその途中でホットミルクと一緒に食べたサンドイッチの味など思い出していた。この雨が降る日の詩仙堂はお気に入りの散歩道だった。しかし、マラソンや駅伝の中継を見ていると必ず沿道に一緒に走る人がいるのは何故だろう。やはり陸上をやっていて選手と伴走しているつもりになるのだろうか。それとも単なるイチビリだろうか。今回もそれを考えながら見ていたら、走るだけでなく自転車に乗ってカメラを向けている人もいた。良く見たらビデオでこれは明らかに選手の記録用に撮っているのだろう。子供や母と喋りながら見ていたら、いつの間にかアンカーになっていた(そういえば、途中でテレビに映った地図を指差し「ここにお父さんは下宿していた」と修学院の位置を教えたら、母が一言「ちゃんと勉強していたら」とつぶやいたのを僕は聞き逃さなかった。もちろん聞こえない振りをしたが)。

 アンカーの走りを見ていたが京都のトップは変わらず、宮崎は5,6位の競争だった。ところが三重のアンカーにものすごい人がいた。野口みずきである。オリンピックの金メダリストである。いや速いはやい。あっという間に先行していた選手を抜き去っていく。見ていた僕たちは「反則じゃ」とか「化け物」など口々に罵ったくらい、いやお話にならないくらい速かった。アナウンサーも「抜かれた選手も野口さんなら仕方がないと思うでしょうね」などと解説者に話しかけていたが、まあ、そうだろう。この駅伝は西京極の競技場からスタートして最後はまた同じ西京極の競技場に戻ってくるのだが、京都はやはりダントツの新記録でゴールした。その後2位、3位と入ってくる、我が郷土の宮崎は4位争いをしていたのでいよいよ次に写るかと期待していたら、なんと野口さんがアップで写った。嘘だろ。確か16位くらいだったはずだから12人も抜いたのか、と驚いたが競技場に入ってくるところを映したのだ。

 と、まあ珍しく親子でスポーツ観戦などしたのだが、その間に上の子の修学旅行の話になった。今の子供たちは恵まれてるというかなんというか、修学旅行も海外か国内か選択式になっている。僕の子供の高校もロンドン(おい、ロンドンだぜ、楽しいロンドン、愉快なロンドンじゃない、モノホンのパツキンの住んでる大英帝国の首都だぜ)方面か信州・東京方面か選べるようになっていた。クソッタレ、約30ウン年前の僕の頃は修学旅行は廃止されていたのにいつの間にそんな軟弱な学校になったんだとOBとしては大変不愉快である。もっともイギリスに修学旅行に行く場合はホームステイをさせられその間は日本人同士の交流禁止で全部英語で過ごさなければならないし、当然費用も国内の倍以上である。僕の娘は我が家の経済状況と己の英語力ならびに食生活(彼女は米がないと全く元気の出ない純ポンニチ人である)を鑑み、0.3秒で国内を選択したらしい。

 それでも、飛行機で羽田に行きそこから長野まで一気に行ってスキー、1泊して東京に戻りそのまま3泊、東京にいる間はお仕着せのツアーバスではなくグループごとに計画を立ててあちこち見学して、最終日は東京ディズニー・シーとやらに行くそうだ。そういえば、修学旅行のグループが決まり東京のどの辺りを見に行ったら楽しいか聞かれたことがあった。こういうときこそ父親の威厳の見せ所だ。「いいか、まずは吉祥寺に行け。そこに昔『いせや』という神話空間があった。今はビルを建てているらしいから、そこに行って合掌して高田渡の霊を偲べ。次に池袋に行けばモモヨさんがライブをやってるかもしれん。あ、新宿行くなら歌舞伎町よりロフトだ。アキバは思ったより小さい町だから止めとけ。そうそう新橋からゆりかもめに乗って海の上を走るのも良いぞ」などと後半は比較的真面目に答えたのに全くシカトされてしまった。

 修学旅行につきもののお小遣いは学校では特別制限しないが一応の目途として3万くらいというラインがあるらしい。普段は質素を標榜しているが、こういうときに負けん気を出すのが貧乏人の悪い癖である。僕は配偶者に「確かに家は貧乏だが、子供に恥かしい思いをさせたらいかん。倍の6万持たせろ。万一に備えて財布は3つ、それぞれ3万、2万、1万と分けて持たせろ」と言った。こういうときが男の器量なのだ。珍しく配偶者が逆らわなかった。どうもおかしいと思ったら、子供にミヤゲを要求していたようだ。まあ、僕も娘に中古CD屋の地図とリストを渡してここに書いてあるのを買って来い、分からないときはメールしろと言ったのでお互い様であるが。あ、もちろんバカ娘は拒絶しおった。親の心子知らずである。しかもいうに事欠いて「お父さんの聞くようなCDを持っていたら友達に笑われる。それだけなら良いけど友達がいなくなる」といわれた。フン、所詮オンナコドモにはロックはわからねぇ。あ、いけねぇ、石原がロックならオレはロックでなくていいと言ったばかりだったのだ。

石原慎太郎がロックならオレはロックじゃなくていい!

 新しい年を迎えて早くも10日が過ぎた。仕事も本格的に始まり、かなり忙しいのでエントリーは週末に書こうと思っていたが、先ほどとんでもないニュース(?)を見て、これは一言書いておかねばと思い、眠い目をこすりながら今キーボードを打っている。とんでもないニュースというのは某大学の元総長(ヤクザかよっ)が、受験生の保護者と同じバスに乗りながら、若い女性事務員のカラダを触りまくったというやつではない。あれはあれで、なんちゅうこっちゃ、うらやま、いや、もといっ(最近何故かこの単語が気に入ってます)世も末だと思った。少し前に特急電車(だったか、記憶があいまいだが電車だったのは間違いない)の座席でフジョボーコー(早い話がゴーカンである)した男のニュースがあり、あれはあれでまるでAVみたいな話だと思ったが、いや、現実がフィクションを超越してしまった、もはや世紀末どころか新世紀だというのに、にっちもさっちもどうにもブルドッグ(byフォーリーブス)な世の中になってしまった。

 などとくだらないことを書いていてもきりがないので、早速本題に入るが、ついさっきmixiを眺めていたら、mixiニュースのところに「ロックな生き方をしている人」という項目があり、ナニゲニクリックしたら1位が裕也さん、2位が清志郎、3位が矢沢のエーちゃん、4位がオノ・ヨーコ(ん?)そして5位が北野武とまあまあ、うなづける人選だったがその下を見ていくうちに第8位のところで僕は女鹿店にいや、目が点になってしまった。そこには恐れ多くも今の東京都知事のあの方のお名前があったのだ。そう、石原慎太郎だ。おい、見間違いじゃないのか。石原裕次郎だったらある意味ロックな生き方といえなくもないが、慎太郎では…。それともこれは投票した人が目の錯覚で「ロクな生き方をしていない人」と見間違えて投票したんだろう。いや、そうに違いない、と思い込もうとしたが、はらわたが煮えくり返っておさまらない。福岡の方言で「ぐらぐらこく」という言い方があるが、まさにそういう感じなのだ。

 石原慎太郎って何をやった人か知ってるんだろうか。芥川賞作家という意味ではあの町田と同じだが、「太陽の季節」という、障子に男のナニを突き刺して喜ぶようなしょーもない話を書いて、それをまたアホなマスコミが「太陽族」だなどともてはやして一躍時代の弔辞、寵児が正しいが気分的には弔辞でちょうどいいや、になった男だ。いや、だいたいやねぇ、「太陽の季節」なんちゅうもんは昔青い三角定規というグループがあって♪君はナニをいまみーつーめていーるーの~なんて歌ってヒットさせたのよ。そうそう、映画にもなって慎太郎の弟の健太郎が主演して、そうじゃ、髪型が「健太郎カット」といってちょっと短めのパーマでな、流行ったもんじゃ。もっともその健太郎は悪い薬に手を出してしまってな、なにやら上田正樹とか桑名正博なんちゅう歌い手とホクゴで一緒にチョーエキにいっとったらしいぞ。

 などと、おちょくったことを書いてみたが、それでも腹の虫がおさまらない。まあ、何故ここまで慎太郎が嫌いかというと、もうそれを書き始めたらとてもじゃないがエントリーが終わらないだろう。今でこそ好々爺みたいな薄ら寒い笑顔を見せるが昔はあいつセイラン会といって、血の杯を飲み干し、クーデター考えてた男だぜ。あんな奴に日本の首都の最高権力握らせといて、「ロックな生き方をしている人」だなどと持ち上げるのだから、もうオレには分からない。今日のタイトルにも書いたようにあいつがロックならオレは死んでもロックなんかになりたくねぇ。一方的なこき下ろしの文章ですが、蟷螂の斧でもなんとでもいわれてもいいけど、とにかくこの不快感をそのままにして寝たら明日に差し支えると思い書きなぐりました。もう少し冷静になったらちゃんとした内容で、いや、多分書かないだろうな。あ、このニュースはgooランキングというところが情報源です。何がトレンドだよ、くそったれ。と、今度はこちらに誤爆しそうなのでもう止めます。

2008年フォークソングクロニクル 番外編その3

 軽い気持ちで始めたこのエントリーだが、曲名やミュージシャンの名前を見ているといろんなことが思い出されてきて、ネタの取捨選択が難しく、個人的に面白いけどエントリーにするのはどうかというものや、このくらいのことはみんな知ってるだろうということなどの線引きに結構苦労したが、何とか今日で終わりそうだ。明日からまた仕事が始まるのでさっさと始めよう。あ、その前に今日の出来事。今、書いたように明日から仕事なので、毎週土曜日に行ってる病院に今日顔を出してきた。ATLの病院と、総合病院の掛け持ちである。ATLの病院ではいつもの看護婦さんから丁重に年始の挨拶をされ、考えようによっては夜のオネーサンからもこんなに丁寧な挨拶をしてもらったことはないな、とちょっと嬉しかった。ドサクサにまぎれて携帯番号とメルアドを聞いておくのだった。総合病院のほうは、実は僕は大腸憩室の持ち主で定期的に検査をしなければいけないのだが、去年は全くやってなかった。ということで1月の17日に内視鏡の検査をやることになった。またあの恐怖の下剤攻撃を受けるかと思うと、億劫ではあるが、先生攻撃生徒防衛である。違った。先んずれば人を制す、これでもない。転ばぬ先の杖だ。などと書いてるとまた日付が変わるので、曲に行きましょう。

サムディ/佐野 元春
 大学6回生の頃、ダウンタウン・ブギウギ・バンド(正確にはダウンタウン・ファイティング・ブギウギ・バンド)がメイン・キャスターの「ファイティング’80」という音楽番組があった。そこで準レギュラーだったのが佐野元春だ。ほぼ同い年(学年的にはむこうが1つ上)で、ルックスも僕に似ている。しかし、初めて「アンジェリーナ」を聴いたときは「なんじゃ、こりゃ、スプリングスティーンのパクリやないけ」と憤ったものだ。本人もそれは意識していたようで、何かのインタビューで『(スプリングスティーンに似ているというのは)言わないでくださいよ』と泣きを入れていた。その態度には共感が持てた。とにかくロックをまじめに捉えている人で、80年代の日本のロックに貢献した人だ。初期のベスト盤の『ノー・ダメージ』を昨年中古で買って聴きなおしたが、今でも十分新鮮に聞ける。個人的には「シーズ・ソー・デリケート」が好きである。

浪漫飛行/米米クラブ
 米米クラブの名前の由来になったトムトム・クラブは今いったいどうなっているのだろうか。確か、前使っていたシャープのメビウスにはデビッド・バーンの曲がサンプル・ミュージックとして入っていたが、など話があらぬ方向に行きそうなので、もといっ。米米は全く、何の先入観もなく偶然NHKで放映されたライブを見た(まだヒット曲らしいヒット曲はなかったと思う)。ホストみたいな二枚目と形容しがたい異様な風体の、そう王様をもっといびつにしたような男の二人がいきなり♪オン・ザ・ロックをちょうだい~などと歌っているのを見て目が点になり、最後のシーンまで一気に見てファンになってしまった。とにかく人を食った演出と派手な踊り(シュークリームシュの踊りも可愛いけどなんか変だった)、大人数のバンドサウンド、どれをとってもそれまでの日本のロックには無いものだった。いや、訂正。スペクトラムがいた。もっとも彼らは完璧E,W&Fのコピーだったが米米はオリジナルだった。しかし、おふざけバンドと思われがちだったがインタビューなど読むとしっかり日本のシーンを把握しており「米米はナンバーワンになるバンドじゃない。ナンバーワンはRCです」とか、自分たちの位置づけを明確にしていたことが後のブレイクにつながったんだと思う。それにしてもラスト・アルバムのタイトルが「PUSSED RICE」で「おしまい(押米)」だなどと、最後まで人を食ったバンドだった。

ガンダーラ/ゴダイゴ
 シンガー・ソング・ライターのタケカワユキヒデ(東京外大出身で作詞は全て英語だというのが売りでした。そういうことに驚いていたのだから、まだロックは英語でやるのが本当だなんていう神話が生き残っていた時代だったのだ)が実力派GSの元ゴールデン・カップスのミッキー吉野とバンドを組んだ、というニュースを聞いたときにここまで国民的なバンドになると誰が予想しただろう。この曲にはちょっとした思い出があって、京都のR大学(倉木麻衣がいた大学)に通っていた高校の同級生のI君があるコンパで、「最近、陽水が新曲を出したな」と話しかけてきた。ちょっと記憶になかったのでどんな曲だと聞いたら「よく聞き取れんけど頑張ろう、頑張ろうと歌ってるみたいだ」という。変な曲だなと思ったが別に気にしなかった。その2次会で有線で流れていたのが「ガンダーラ」でI君が「ほら、この曲」と教えてくれた。なるほど、がんばーろ、がんばーろと聞こえなくもない。ようはタケカワさんの発音が良くないのだ。英語はどうだかしらないが。

待つわ/あみん
 「あみん」とはウガンダの大統領の名前だとずっと思い込んでいた。最近もう片方の人もまた歌いだした。しかし、暗い。他人の男を取るのと青空が誰のものでもないというのは全然関係のない話だと思うのだが。あみん解散後、ソロになった片方が(名前覚えてないのよ)歌ってヒットした「あなたの夢をあきらめないで」という歌もやたら当時の会社の上司が思いいれたっぷりに歌うので嫌いだった。うん、やはり今聞いてもあかん。こういう感情は若い女の子限定なのかもしれん。

ダンシング・オールナイト/もんた&ブラザーズ
 ダンシングと来ると「ヨシタカ」と反応してしまうのは誰カバ病でしょうか。僕としては誰カバの再結成と再活動のほうが嬉しいニュースです。このバンドもこの曲以外は結構いい味持ってるんだけど、どうもこの曲のメロディや雰囲気、決定的なのはもんたの声が僕はダメです。出てきたときは世良のパクリだと思って、まともに聞いてないのもダメな原因のひとつかもしれない。

星空のディスタンス/THE ALFEE
 アルフィーもキャリアが長い。研ナオコのバックでアコースティックをやっていたときの印象が残っている。3人が3人ともボーカルを取れるし、楽器の演奏能力もしっかりしている。メンバーの坂崎のフォーク・ソングに対する愛着は他人の追随を許さないが、かといって七面倒くさい理屈を振りかざすわけでもない(このあたりは見習わないといけないな)。変な表現だが、彼が好きなフォークを演奏している姿を見ると、『イッツ・オンリー・ロックン・ロール』とは、こういうことだと思えてならない。

モーニングムーン/チャゲ&飛鳥 このデュオも結構長いが、僕の興味を全く引かなかったので特別な思い入れは無い。地方を回ってライブで固定客を獲得してきた、ある意味ではたたき上げのグループだろう。申し訳ないがこのグループで印象に残っている曲はない。強いてあげればチャゲが石川優子とデュエットした「ふたりの愛ランド」くらいか。チャゲはヤクザ映画でイケイケの武闘派のヤクザを演じたことがあったが実にハマッていた。結構そういう血を持っているのかもしれない。

SACHIKO/ばんば ひろふみ こういうのを役得というのだ。どう考えても3時間半で日本のフォーク&ロックの名曲を網羅するのは難しいが、そのなかに「SACHIKO」と「いちご白書を~」の2曲オン・エアするというのはどういうことだ。この番組で2曲取り上げられたのは他にはハマショーと拓郎だけだ。彼らと同格だというのかね、ばんば君。神様岡林ですら1曲だよ。岡林より上だというのかね、ばんば君。しかも君は頭に乗ってあの平山みきと離婚したではないか。結婚できただけでも僥倖というものなのに、離婚するとはどういうことだ。あ、己の器のなさに気がついたのか。だったら許す。しかし平山みきの「真夏の出来事」の歌詞も本当は♪かれのくるまにのって~だが、くるまを「口車」にするととんでもない歌詞になることを教えてくれた広島は福山(世良と同じだ)出身のO原君は元気だろうか。

乾杯/長渕 剛 訂正、長渕も2曲セレクトされていた。ばんば君、キミは長渕と同格といいたいのかね(って、いい加減しつこい)。この曲は結婚式のスタンダード・ナンバーになってしまった。結婚式で何を歌うかで世代が分かる。「結婚しようよ」を歌うのは僕たちの世代だろう。ちょっと上の世代は「てんとう虫のサンバ」だろう。「二人は若い」を歌うのは、ずーっと上の世代だろう。ちなみに大学の同級生だったF原君(高知出身、工学部。レインボーF原とかナンデスロF原などと呼ばれた。語源は昔のエントリーに書いてある)の結婚式のときに、このところエントリーにあまり出てこない元副会長のF田君や元会長のS戸君、元会計のH居君と一緒に「結婚しようよ」を歌ったのは有名な話である(どこで有名なんだよ!)。

クリスマス・キャロルの頃には/稲垣 潤一 ♪好きだよと言えずに初恋は~を歌った人だと思い込んでいました。「初恋」は村下孝蔵でした。稲垣潤一とは別人28号なり(by副部長)。クリスマス・ソングというのは時期を外すと無残なものになってしまうことが多い。この曲もやはりクリスマス・シーズン限定で聞きたい。今ちょっと調べたがこの人も結構長いね。「ドラマチック・レイン」とか覚えてますわ。「雨のリグレット」は湯川秀樹じゃねえ、湯川れい子さんの作詞だったんだ。そういえばナイアガラ・トライアングルに入ってなかったっけ?sugarmountain君。

サイレント・イブ/辛島 美登里
 正直言ってこの番組の中で唯一ほとんど知らない曲であり、シンガーであった。仕方ないので調べてみたら、こちらの方もお隣のカゴンマ出身で、な、な、なんと名門鶴丸高校の出身であった(これ分かるのは宮崎・鹿児島の人だけかな、レベルは違うけど開成とか麻布ってイメージです、南九州では、はい)。それと「タモリ倶楽部」の空耳アワーのテーマ曲の人だったんだ。いや、勉強になりました。

なごり雪/イルカ
 確かにこの手の番組には必ず出てくる「なごり雪」です。この曲は歌詞のシチュエーションとイントロのピアノで決まりですね。3月、4月の卒業・入学シーズンに歌い継がれる名曲でしょう。しかし、シュリークスの頃から知ってる人間としては彼女のフォーク・シンガーとしての魅力よりもオールナイト・ニッポンでのパーソナリティの魅力を評価したい。初めてラジオで聞いたときは男?女?と頭の中にたくさん?マークを出しながら聞いたものだが、性別やキャリアなどどうでもいいと思うくらい楽しいおしゃべりだった。テレビのトークなどではあまり自分から話さないのでやはりラジオの人だと思う。そういえば年末の日曜日のFMに出ていたが、そちらではよく喋っていた。ただ気になるのは最新アルバムのゲストボーカルに江原啓之を入れていた。あぶねぇな。桜田ジュンコの二の舞か?

妹/かぐや姫 意外な選曲。「神田川」か「赤ちょうちん」が定番だが、まあ「うちのお父さん」よりはましか、いや「うちのお父さん」のほうが新鮮か?かぐや姫も最初は全然売れなくて(そりゃそうだろ、前のグループ名は「酔いどれかぐや姫」だったし、同名の曲のコーラス部分を始めて聞いたときは耳に残って眠れなかった)、結構苦労したみたいだが「神田川」でとんでもないブレイクをした。高校時代のある同級生は「日本のイエスタディだ」と讃えていた。僕が「バイオリンが入っている以外に共通項は無いと思う」と指摘したら張り倒された。とにかく昼休みとか放課後に放送室(!?)からこの曲が流れてくると、みんな黙り込んで聞きほれるものだから、根が亜麻の雀(by猫だぬき)の僕はそのつど大声で話しかけたり、つまらないギャグをかましたりしたので、クラスで大変浮いたことは今思い出しても心温まる思い出である。

落葉落陽/吉田 拓郎 うーん、やっぱりこの曲がリクエスト・ナンバー・ワンでしたか。無難な着地点ですな。拓郎は個人的には「よしだたくろう」時代の楽曲が好きだが、90年代の不振の時期を乗り越えて復活してきたのは素晴らしい。年末にまた体調を悪くしてツアーをキャンセルしたが、なんとかまた元気になって歌って欲しい。拓郎と加川良と岡林信康が一緒になって「アイ・シャル・ビー・リリースト」を歌うところを見たいものだ。どうだろうか。実現しそうにないが、そういうことを考えて生きていくのが岩石生活者(今回ややフォークより)の岩石生活者たる所以である。

 えー、というわけでようやく完結しました。これからこの手のエントリー書くときは計画的にやろう。先に誰かに書きますなどといってしまうと、とんでもないことになる、というのは去年学習したと思っていたが…。まあ、コリン星人なのでしょうがないな。

2008年フォークソングクロニクル 番外編その2

 ということで、もう正月三が日も終わりである。暮れからこの3日にかけてなんだかんだとばたばたしてゆっくり一人で過ごす時間がなかった。今日は配偶者の実家関係の墓参に行き、その後親戚の家に年始に行くというので墓参だけは参加したが、後はゆっくりしたいからといって断り、夕方4時過ぎからようやく一人でのんびり出来た。久しぶりに学生時代つまりDRAC時代の友人や後輩連中に電話して最近の消息などを聞いたりしているうちに、こりゃ一度集まらんといかんな、という話になった。かって別館の黄色いドアのBOXの中でバカばっかりやっていた仲間も今では立派な社会人として世間様に貢献しているのだ。と、断定したかったが電話で開口一番「お前佐藤優の本読んだ?あいつ実名でバンバン書いてるけどええんやろか」などと危ない話をし始めるN谷君や、いまだに携帯電話の取り方やメールの送り方がわからないI田君などと話していると「スズメ百までわしゃ九十九まで」じゃなくて「スズメ百まで踊り忘れず」とか、「羹に懲りて膾を吹く」、これは意味が違うか、まあとにかくお互い変わっていないなという再認識をした今日この頃であった。

 さて、余計な話を書いているとまた昨日のようにエントリーが中途半端になるので、早速「まるごと日本のフォーク&ロック」の話に入ろう。昨日はチューリップまでいったから、次はっと、うーん、河島英五か。

酒と泪と男と女/河島 英五
 確か76年の秋ごろだったと思うが、KBS京都放送だか関西テレビだかで、深夜番組終了直前にしょっちゅう流れていた。最初聞いたときはいい歌だなと思ってしんみり聞いていたが、あまりにも毎日流れるのでいい加減嫌気がさし♪のんで~のんで、飲まれて飲んで~やーがて男はゲロまみれで眠るでしょう~などと替え歌にしておちょくっていた。しかしこの人の作る歌は無骨というか、愛想がないというか、人生を真剣そのもの余裕なしで生きているようで(いや、勝手なイメージだというのは重々承知です。所詮大衆音楽なんてパブリック・イメージなんだから、などと今日はちょっと拗ねてるいけない中年パンクです)、存在感は十分あるが、僕にとっては実社会ではお友達になりたくないタイプです。

いちご白書をもう一度/ばんば ひろふみ
 荒井由実作詞作曲、歌バンバンである。バンバンはグループ名であって、ばんばひろふみのソロ作品ではない。シングルの裏面が「冷たい雨」であり、個人的にはこちらのほうが好きであった。多くの人がこの歌に感情移入して「あの時代は良かった。しかし就職のために夢をあきらめた」などと簡単に総括していらっしゃるが、個人的に言わせていただければ♪僕は無精ヒゲと髪を伸ばして 学生集会へも 時々出かけた~の部分に異議がある。学生集会に「時々」出かけるようないい加減なやつはさっさと就職して二度と顔を見せるな、と学生時代の僕は言いたかった。集会にはちゃんと出席しろ。試験がレポートに切り替わりそうなときだけ来て、わーわーいうやつは信用できん、というのが結論である。こんなことばっかり言ってたので、大学は中退でロクな就職は出来なかったが、その話はまた改めて。

悲しみは雪のように/浜田 省吾
 へえ、この歌がリクエスト多かったのか、と、ちょっと意外な感じ。ハマショーもキャリアが長い。どれくらい長いかというと、彼の出したアルバムを縦に積み重ねると富士山より高くなるくらいだ。などと書いていると、数少ない常連さんに見放されるのでまじめに書くが、彼が愛奴でデビューしたのが75年、ハイ、また出てきましたね。僕が大学に入った年です。初期のハマショーは怒れるロック少年であり、年齢的にも近いので非常に共感できた。アルバム『PROMISED LAND』は働き始めた頃、よくある会社との摩擦を経験するたびに聞いていた。「マイ・ホーム・タウン」や「路地裏の少年」を口ずさみながら悔し涙を流したことは数え切れない。しかし、しかしである。おっと、この続きは次の「マネー」のところで。

人生を語らず/吉田 拓郎
 この歌を高校時代の友人のS原君に始めて聞かせたときの彼のシビアな一言。「なんだ、結局人生を語ってるじゃないか」。ごもっとも。拓郎はこの手の説教くさい歌が好きである。そしてその類の歌には主語が無い。したがって聞いた人がそれぞれ、自分の主語を入れて、「この歌はオレのための歌だ」と錯覚するのである。などと厭味なことを書いたが、本当は大好きなのだ。♪遅すぎることは無い 早すぎる冬よりも 始発電車は行け 風を切って進め のところは何度聞いてもいい。拓郎の声は一種の麻薬である。

心もよう/井上 陽水
 ごめんなさい。嫌いな歌です。『氷の世界』というアルバムはどこがいいのかさっぱり分からなかった。いや、陽水が嫌いなわけではないのですが、まあ、積極的に好きでもないか。何しろ初めて陽水聞いたのが♪昼寝をすれば夜中に眠れないのはどういうわけだ~というやつで、そんなん当たり前や、当たり前だのクラッカーや(やってしまった。やったらあかん、やったらあかん、やったらあかんと思いながら、つい手が出てしまって…)、と思ったが、回りにいる連中がみんな、しきりに「陽水はいい」というので、どこか良いところがあるのだろうと思って何度も聴いた。他のアルバムも借りて聴いた(買おうとは一切思わなかった)。「夢の中へ」はいい曲だと思ったが、クラスの連中は「あかずの踏み切り」とか「毎日、吹雪、吹雪、こおりのせかい~」がいいという。僕には理解不能だった。第一宮崎には「あかずの踏み切り」などありえない。汽車(当時はまだSLが走っているわけないか、ディーゼル列車だ)は2時間に1本くらいしか通らないから、「あきっぱなしの踏み切り」である。またあるときは借りてきた『氷の世界』のジャケットを見ながら「宮崎には雪が降らん」と力なくつぶやいたりした。しかし、良く売れたアルバムで多分僕の高校のクラス全員40人のうち半分以上が持っていたのではないか。

宿無し/世良正則&ツイスト
 いやー世良さんカッコいいね。今思い出したが、ツイスト、原田真二、チャーを総称してロック御三家なる呼び方をした時期があった。僕が「マーマレード」というミニコミに参加していた頃で、そのことをテーマに原稿を書いた覚えがある。要するに、地方に住んでる人たちにとってライブやコンサートはめったに見れないので、もっと戦略的にブラウン管(つまりテレビだ、マスコミだ)を利用すべきだ。ロックだからTVには出ないなどとカッコつけずに彼らのようにしたたかにやるべきだ、というような内容だった。原稿のタイトルもまだ覚えている。『ブラウン管シュガー』、我ながら気に入ったタイトルだったが、ほとんど黙殺された。悔しい。世良正則はボーカリストとして突出していたが、実はギターの名手でもある。小林克也がナンバーワン・バンドのレコーディングのとき「ギターを弾かないか」と誘ったらしい。バックコーラスで誘われたら断ったかも知れないが「世良君、ギター弾かない?」という言葉にしびれたといってアルバムに参加したと何かの雑誌で読んだ。

気分を変えて/山崎 ハコ
 九州以外の人は「ヤマザキハコ」と読むかもしれないが「ヤマサキハコ」である。「ヤマサキ」で、にごらないのだ。この人はフォーク酒場でライブで歌った。笑っているところを見たのは初めてじゃないかと思うくらい、笑わない人だ。彼女の名前を聞くと♪しんすけしゃん、しんすけしゃん、うちはあんたをすいとうばい~という「青春の門」のオリエの歌を思い出してしまう。次に出てくる人とキャラはだいぶカブル。

ぼくたちの失敗/森田 童子
 彼女の音楽は、陽の当たるところで見たり聞いたりするものではないと固く信じてきた。この手のフォーク・リバイバル的な番組で取り上げられたりすることもないと思っていた。やはりテレビの力は大きいな。見たことは無いが「高校教師」というドラマの主題歌になり、話題になった。70年代で終わった人だと思っていたが、83年まではアルバム出していたようだ。そのテレビドラマ以降有名になり、また活動するのではと思われたが、本人は「主婦業に専念している」とのことで再活動はなかった。僕にはこの人が主婦業をしていること自体が驚きだった。

山谷ブルース/岡林 信康
 うわー、最近の岡林やー!あれ、アレンジ変えてる。リズムもちょっと違う。「エンヤトット」か?いや「サムルノリ」のリズムだろうか。しかし、聞けば聞くほどこの人歌が上手いんだよな。この曲を本人は「唯一のヒット曲」などと謙遜するがどうしてどうして他にもヒット曲はありまっせ。去年は「いいとも」に出たり、ライブをやったり少しずつ活動し始めたようで、まずは目出度い。この前うどん屋で読んだ週刊誌に岡林のコンサートの記事が載っていて、客席の白髪頭のオジサン・オバサンから「神様~」と声をかけられ、「神様はさっき指が攣った」と彼らしく照れながら答えたと書いてあった。そうやなぁ、神様もいい歳だからな。体に気をつけてライブにレコーディングに頑張って欲しい。

ダイヤモンド/プリンセス・プリンセス
 ギャル・バンなどという呼称はプリプリから始まったのか?全員ルックスもそこそこだし、バンドとしての腕もまずまず、っていうかそれまでは女の子のバンドでちゃんと音を出せるバンドいなかったような気がする。今は亡き本田美奈子が率いてたワイルド・キャッツ(誰も知らんがな、そんな名前)あたりはじぇんじぇん聞けませんでした。ボーカルに女の子というのはわりと昔からあったけど、全員女の子で単独でライブが出来るというのは多分彼女たちからじゃないだろうか(自信は無い)。

My Revolution/渡辺 美里
 初めて聞いたときはなんというタイトルだと驚いた。「我が革命」である。しかも歌ってるのは女の子。ローザ・ルクセンブルグを尊敬してるのか(あ、どんとがいたバンドのローザ・ルクセンブルグではなく女性革命家のほうのローザです)、と思ったくらいだ。しかし歌詞を聴いてみると「革命」などという大仰なものではなく、たんなる「自立」を歌ったものだと納得した。聞いた感想は歌ってる女の子は歌が上手だなと思ったくらい。小室神話の始まりくらいの歌かな。

六本木心中/アン・ルイス
 出たー、アンちゃんカッコイイー。「グッバイ・マイ・ラブ」を歌っていたアン・ルイスが「女はそれを我慢できない」「女にスジは通らない」と立て続けに「女」シリーズでハードなロックをやり始めたときはクリビツテンギョウ。フォークからロックへの変身というのは、カルメン・マキという偉大な先輩もいたが、メイクやファッションのド派手さはアンちゃんの勝ちだろう。頭の半分だけスキン・ヘッドにするとか緑色の髪にするとか、半端じゃなかった。歌謡ロックとか、いろいろけなされたこともあったが、彼女のスタイルはやはり一種のパイオニア、フロンティアだったと思う。

恋に落ちて/小林 明子
 今日、徳永英明がカバーしたバージョンを聞いたが、やはり楽曲の良さが際立っている。海外生活が長いせいか、英語の歌詞のときは流暢だが日本語の詩になるとなんとなく覚束ない気がするのは僕だけだろうか。しかし♪ダイヤル回して手を止めて~というフレーズで『ためらいの表現』だと理解できるのは悲しいかな、昭和世代の人たちだけだろう。ダイヤルそのものがもう電話にないからなぁ。

埠頭を渡る風/松任谷 由実
 猫だぬきさんも書いていたが、どうしてこの歌が選ばれたのだろうか。松任谷由実名義の曲でも「真夏の夜の夢」や「春よ、来い」などの名曲があるのに。意図が良く分からない。ライブ映像が派手だから選ばれたのだろうか。良く考えてみたら荒井由実として番組の登場はなかったから、「12月の雨」や「ひこうき雲」のライブ映像のほうが良かったのではないか。いろいろ言われるが確かに荒井由実は独自の音楽世界を作ったし、彼女の存在があったからドリ・カムはドリ・カムたりえたのではないか。

君の朝/岸田 智史
 この人もフォーク酒場での生演奏。顔がずいぶん変わっていた。昔はロン毛の甘い顔のお兄ちゃんだったが、渋い中年の顔になっていた。役者をやってることは全く知らず、配偶者からWO(ワタオニの略語です。あ、その「渡る世間は鬼ばかり」の略語)の板長さんで出てるなどと聞いてビックリ。『そういえばサッポロ一番のオジサンは病気して辞めたと聞いたけどどうしてる』、と尋ねたらもう亡くなったと聞いて二度ビックリ。ジャズの造詣の深い人だった。合唱。あれ、話が飛んだ。

季節の中で/松山 千春
 ファンの方スイマセン。嫌いです。古い話ですが彼と谷村とさだの三人を称してなんとか言うらしいですが(僕は他人の身体的欠陥をあげつらうのは嫌いです。いや、決して僕の額も広いからというわけではありません。これは子供の頃からで、あ、そのいわゆるハイブロウでヨーロッパの人には多いって、オレ何あせってるんだろう)、確かにこの3人には共通性があります。ただ彼が自分と後の二人を比較して自分は、さだの書く詩には勝てない、谷村の作るメロディには勝てない、じゃどこで勝負するか、歌だ、オレには歌があると歌唱力で勝負しようとしたのは正解だと思います。彼の大ヒット曲ですが、ここではアナーキーのアンサー・ソング、「季節の外で」の歌詞を書いておきます。♪あいつらそんなに優しくてナイーブなのかい 女の前でよくそんなことが言えるぜ そんなに誇らしげな顔をするなよ この後もっと過激な歌詞になりますが、そのあたりは自粛。

MONEY/浜田 省吾
 先ほど書きかけたことですが、拓郎のバックバンドからハマショーのキャリアは始まり、かなり下積みも長く厳しかったようです。しかし地道に地方を回って固定ファンを確保していき、アルバム『J.BOY』の時には押しも押されぬ大スターになっていました。彼の歌の情景は地方都市で油にまみれた青少年が、汚れた大人たち(金持ち、訳知り顔の知識人、本音と建前を使い分ける、まあいわゆる大人ですな)に怒りをぶつけるというパターンが多く、そこのところがシンパシーをもたれたと思うのですが、もはやロック・スターの座を上り詰めた彼が「MONEY」のような歌を歌うのはどうなんだろうか、とこの映像見ながら考えてしまいました。まあ、たかがロックンロール、そんなに考えなくてもいいのか。考えてみたらストーンズもいまだに「サティスファクション」やってるもんな。姿勢の問題ということか。あ、決してハマショーを非難しているわけではありません、念のため。

フレンズ/レベッカ
 個性的な女性ボーカルに売れ線のアレンジ、最初のバンド時代と後ではずいぶんイメージが変わった。丁度最初に勤めた会社の異動で関東にいた頃でカセットでよく聞いた。僕にシホン主義の厳しさを叩き込んでくれた会社で朝8時から夜は11,12時は当たり前で、最長不倒距離は午前3時まで働いていたことがあった。日曜日も仕事のことが多く、唯一の楽しみはラジオでFENを聞くことくらいだったので、日本のロックシーンはあまり良く知らず、このバンドも当時の会社の仲間から教えてもらい、更にステレオが寮になかったのでカセットを買った次第だ。そうそう、同じ頃にスターリンの『フィッシュ・イン』を通販で注文し、受け取りを会社にしておいたら、出向先の事務員の女の子の見る目が変わった(当時、スターリンは何をやるかわからないというイメージだけ先行していた)。それまでは、良くその娘を助手席に乗せて取引先に一緒に行ったのに、それ以来何かと同行を嫌がり、どうしてもというときは僕の軽自動車の後部座席に乗ったので、当時の上司から僕が何かイケナイことをしたのではないかと、きつく問われたことを思い出した。誤解である。冤罪である。こんなことなら、やっとけば、コラコラ何を書いているのだ。

 ダメだ。今日一気にアップするつもりだったが、もう疲れました。残りは明日必ずアップします、って誰も読んでないような希ガス。

2008年フォークソングクロニクル 番外編

文字色 正月も2日目になると、緊張感がなくなり(休みだからもともとないのだが)だらだら過ごしてしまいそうだったので、1日の夜に明日は100均に行ってCD収納のケースを買ってCDの整理をする、と固く心に決め更に忘れないようにメモ用紙にそのことを書き机の上に置いた。ところが前日夜更かししたため朝起きるのが遅くなり、昼ごはんを食べながら、先日身内に頼んでいた日本のフォークとロックのDVD(NHKの衛星で12/22放映したもの、我が家はNHKの受信料支払いを拒否しているので衛星が写らないのだ。従って音楽番組で気になるものはすべて身内に録画を頼むから、身内もいい迷惑である。今回頼んだら、20時から22時までは録画できるけどその後は見たい番組を予約しているのでダメといわれた。それでも2時間だけでいいから撮っていてくれと頼んだのだ。ああ、しんど。説明長すぎ)を見ていたら、だんだん面白くなり、そういえば猫だぬきさんが去年エントリーでこの番組でオンエアされた楽曲のメモをアップしており、それが面白かったから僕もアンサー・エントリー書きますとコメントしたことを思い出した(もっとも、猫だぬきさんには僕の性格を見抜かれているので『年金問題の完全解決が先か drac-obさんのエントリーが先かってくらいの期待度で楽しみしています♪』などと書かれてしまった)。

 それでも2時間の録画のはずだったからDVDを見終わっても14時過ぎくらいだから、それから100均に行って帰っても十分CDを整理する時間があると思っていた。ところがうれしい誤算でどういうわけかDVDが番組終了まで撮ってあり、おかげで3時間半たっぷり楽しめた。ただそのため買い物に行くのが夕方の16時過ぎになってしまった。日も翳りつつあったので遠場の100均は止めて「ええもんやっすいのはイ○ミヤ~」の中にある100均に行くことにした。僕が出かけようとすると下の娘がツ○ヤに返すDVDがあるからといってついてきた。つい先ほどまで、配偶者から冬休みの宿題をちゃんとやってなくて叱られたばかりだったので、母親から逃げ出すいい口実だと思ったらしい。子供に甘い父親と思われていた2007年は既に終わったのだ、今年はお前たちは受験生だから容赦はせん、などと星一徹張りに往復びんたをして威厳を占めそうかと思ったが、どうせすぐ足元見られるので余計なことはしなかった。二人並んで玄関まで行くと上の娘もついてきた。母と二人きりになったら気まずい雰囲気になることを見越しての行動だろう。

 100均でCD収納ケースを探したが欲しいタイプのものは1個しかなかった。しょうがないので後は掃除機の紙パックや掃除用品を買って、上の娘がいるはずの2階の書籍売り場に行こうとしたときだ。エスカレーターの横のちょっとしたスペースに人だかりがしていた。覗き込んだら関西で言う「アテモン」いわゆる「くじ」をやっていた。1回300円でハズレは無し、1等には任天堂のWiiと書いてある。下の娘にやるかと聞いたら二つ返事であった。僕はこの手のくじが昔はぜんぜんだめだったが、ここ数年結構いい物を当てている。下の娘にいたっては、ある販促会場の福引で自転車と米を連続で当てたこともある。バカ親子は1等のWii一点狙いでくじを引いた。結果は僕が7等(ま、スカですわ。当たったのはミッキーのマウスパッドとハンドレストというのか手を休める小さいマット)、下の娘は4等でミニー・マウスのビニールバッグでこれは儲けモノだった。当てた景品を選んでいるところに上の娘が来た。この娘はくじ運が悪くてこの手のものはダメなのだが、せっかくなのでやってみるよう言った。返ってきた答えは予想通りやるだけ無駄、お金の無駄という返事だった。たかが300円のくじだからお金は気にせず引いてみろというと、そういうことだから我が家はお金が、などと配偶者が言いそうなことを言ったので頭にきて無理やり小銭を渡して引いて来いと命令した。上の娘はうつむいてとぼとぼとくじ売り場に向かった。

 僕と下の娘は当てたくじと景品の交換をするために売り場と反対側にいたのだが、いきなりお店の人が鉦を鳴らして、大声で「二等賞が出ました」と叫んだ。くじ売り場を見ると上の娘の横に小学校の低学年くらいの女の子がいた。当然くじを当てたのはこの子に違いないと決め付けていた僕は下の娘に「二等だって、あの子はすごいね」と話しながらくじ売り場のほうに来ると、上の娘の周りでお店の人たちが拍手したり「おめでとう、二等賞の景品は何がいいですか」などと話しかけている。え、まさか、と思っていると上の娘が真っ赤な顔をして「お父さん、どうしようか。当たった」といってきた。なんと今年、大学受験の我が娘はこんなところで運の無駄遣いをしたのだ。もっともオレがやるよう勧めたのだが。舞い上がったのは下の娘で「ぬいぐるみがいい、ミニーのぬいぐるみ」などと喚いている。店員が見せてくれたそのぬいぐるみは高さ80センチ、胴回りというか頭周り1メートル50センチという馬鹿でかいものだった。車のシートには乗せられず、トランクに入れてようやく家に持って帰った。
あまりかわいくないがストレス発散にケリを入れたりパンチを入れるには丁度いい

 などと、つまらぬ身辺雑記を書いてしまった。本題に入ろう。BSの「まるごと大全集 日本のフォーク&ロック」はばんばひろふみと女性アナが司会をして田家秀樹がコメントするという進行になっていた。それでは、僕も猫だぬきさんのスタイルで曲名とその下にコメントというやり方ですすめてみよう。

YES-NO/オフ・コース
 オフ・コースがブレークしたのは「さよなら」だったか、キャリアの長いグループでその実力は知る人ぞ知るというグループだったが、長年ヒットらしいヒットはなかった。正直好きではない。何故か。答えは女々しいから。今、元メンバーの小田和正が毎年クリスマスにゲスト付のソロ・ライブやってるがMCが鼻持ちならない。などと書くと敵をたくさん作りそうだが、嫌いなものはキライです。♪きーみを抱いていいの、好きになってもいいの~勝手にせぇ、責任者出て来-いと言いたい。

時代/中島みゆき
 1975年というと僕が大学に入った年である。「あざみ嬢のララバイ」は、ちょっとした衝撃だった。歌詞の暗さと歌の暗さに独特のものがあった。色白の文学少女というイメージだったがオールナイト・ニッポンを聞いて再度びっくり。絶対同一人物ではないと思っていた。呉智英が大ファンなのは有名。しばらく聞いたことがなかったが06年のつま恋で「永遠の嘘をついてくれ」を無表情で歌ったのが良かった。

とんぼ/長渕剛
 お隣の鹿児島県は伊集院町の出身である(今は平成の大合併とやらで日置市伊集院町になっている)。デビューした頃は直毛のロン毛で線の細いハンサムボーイというイメージだったが、根はやはり薩摩隼人であった。女に化けたヤマトタケルに征伐された部族の生き残りだ。反骨の人のようだが、どうも僕の波長には合わない。清原と二人で並ぶとどこかの組の金バッチではないかと思ってしまう。知人に聞いた話だがまだ彼がメジャーデビューする前に宮崎のホールで誰かの前座を務めたことがあるらしい。そのときの客の反応が余りにひどくて「隣の県出身なのにこの仕打ちはひどい。メジャーになっても宮崎ではライブをしない」と言ったらしい。そのせいかどうか、全国ツアーでも宮崎だけ来ない時期が長かった。最近はそんなことはなく、確か去年だったか一昨年だったか来た。

夕暮れ時はさびしそう/N.S.P.
 ニュー・サディスティック・ピンクが正式名称。どこが「ニュー」でどこが「サディスティック」でどのあたりに「ピンク」があるのか最後までわからなかった男3人のグループ。リーダーで作詞・作曲をしていた天野君が05年に52歳の若さでこの世を去った。もともとは岩手の高専生のグループで夏休みなんかを利用してツアーやライブをやっていた。デビュー曲の「あせ」を始めて聞いたときに歌の途中で「カンソー、ハイッ」といって間奏に入り驚いたことがあった。「さようなら」なんかは油断するとカラオケで歌ってしまったりする。女々しいのでオフ・コースは嫌いだが、NSPは女々しいところが好きである。結局はボーカルが好みかどうか、その歌を聞いたときの感受性の問題というか、やはり音楽は個人の感性にかかわるところが多いのでこういう矛盾があって当たり前である(こういうのを論点のすりかえともいいます)。

15の夜/尾崎豊 重い。彼が全盛期の頃、僕は会社勤めを始めており一番この手の音楽から離れていた。ある意味それは正解だったと思う。リアルタイムで聞いていれば好きになっていた可能性が高い。彼のほとんどの曲は飲み屋のカラオケで知ったり、彼の死後にテレビやラジオで特集されて聞いたので全く感情移入できなかった。しかし頭の悪そうなチンピラ兄ちゃんが♪この世界からの卒業~などと歌うのを聞くたびに、『お前はちゃんと義務教育卒業してからモノを言え』みたいなことを喚いてしまい大騒ぎになり、周囲の人に大変ご迷惑をおかけしたことを心よりお詫び申し上げます(こういうことがちゃんといえる様になるまで、ずいぶん時間がかかったなぁ)。

受験生ブルース/高石ともや
 スタンダード・ナンバーですよ、猫だぬきさん。僕が大学入った頃はナターシャ・セブンを率いてしょっちゅうライブをやっていた。白川通りで何度か見かけたこともあった。上の娘が高校受験のときに聞かせたら、ずいぶん喜んでいた。特に♪テストが終われば友達にぜんぜんアカンと答えとき、相手に優越感与えておいて~あとーでショックを与えるさ~というフレーズは大うけだった。こういうひねくれたところは父の血を色濃く引いている。今日は♪母ちゃんもおーれを激励する、一流の大学入らねば、あたしゃ近所の皆様に~会わせる顔がなーいのよ、の所をちょうど聞いていて一言「うちも一緒」とつぶやいたことを僕は聞き逃さなかった。もっとも我が家のバカ娘の場合は「一流」はとても無理なのでお金のかからない「国公立」でひとつお願いしたい。

風/シューベルツ
 「はしだのりひことシューベルツ」ではなかったか?単に「シューベルツ」だったか。フォークル解散後のはしだのりひこは何かに憑りつかれたようにヒット曲を連発した。それまでの歌謡曲には無いバタ臭いメロディと今思えば「ニューファミリー(これも死語ですが)」を先取りしたような歌詞を武器としてチャートを賑わした。同時にグループもクライマックス、エンドレスと次々に変えていった。最後のグループ「エンドレス」は、はしだの音楽活動が「endless(終わりが無い)」である意味をこめて付けられたが、皮肉にもヒット曲もなく解散した。あ、そういえばこの人同志社香里高校出身で同志社大学卒業だった。音楽やりながらも卒業したとは、立派な人だ(てっきり中退だとおもっていた)。

塀までひとっとび/加藤「和」彦とサディステック・ミカ・バンド
 田家秀樹も言ってたけど、このフィルムのクレジットが「加藤一彦」になっていたが、もちろん「加藤和彦」が正解。元フォークルつながりでこの映像かと思ったけど、どうなんでしょう。ミカバンドは高校生のときにNHKの番組で見たことがあって、そのときのアナウンサーがミカを見つめながら「サディスティックですか、そうですか」と喋っていたのが印象に残っている。子供心にって、高校生だから子供じゃないか、スケベな親父だと思った。ジョンのプラスティック・オノ・バンドを意識して付けたネーミングだっちゅうの。郡山ワンステップ・ロック・フェスの映像だけど、今頃になってライブ盤やDVD出すのは反則じゃないかな(いや、ライブのレコードは2枚組みかなんかで出ていたような記憶があるが定かでは無い)。当時の日本のロックの錚々たるメンバーが出ていた一大イベントだったし、少なくとも74年当時はものすごい話題になった。

雨あがりの夜空に/RCサクセション
 RCは貴重なバンドである。たとえば日本のフォーク特集をやるときに「ぼくの好きな先生」や「キミかわいいね」などは外せないだろう。また日本のロック特集をやるときに「雨あがり~」や「トランジスタ・ラジオ」が入ってなければ暴動が起こるだろう(ちょっと大げさかな、でも気分はそんなもんだ)。また「スロー・バラード」のようにどちらにでも入れられる曲もある。心配だったキヨシローの病気も何とかいい方向に向かっているようで、昨年ジョンのイベントに登場したり今年の初めには復活ライブもやるようでまずはめでたい。ピーター・バラカンは尊敬に値する評論家であるが、彼の唯一の誤りはRCを評価(理解)出来ないことである。その一点で僕は彼を認めない。

青春の影/チューリップ
 NHKはチューリップがお好きなようで、昨年は「SONGS」でチューリップの特集を2週に亘ってやっていた(受信料払っていない割には良くNHKを見ていると怒られそうだが、批判の対象として見ているのである。国営放送が間違った方向に行かないように監視するのも国民の義務だ。と、こういうのを俗に「詭弁」ともいう)。財津さんが「チューリップは青春のバンドであり、もうそれを演じるのが苦しくなったので解散します」というのは良く分かる。この歌で歌われる情景を演じられるのはせいぜいが30代くらいまでだろう。もちろんそれ以上の世代の人たちが歌うのは全く構わないが、その曲をステージに上がるたびに要求される側は精神的につらいのではないか。このあたり、ひとつのブログテーマになりうる問題だな。おっと、今年は軽々しくエントリーに書きますなどといわないのだ。書くべきことはまだまだたくさんある。

 と、ここまで書いてまだ三分の一いってないことに気がついた。しかし明日(正確にはもうすでに今日だ)は、配偶者のほうの墓参に行く約束をしてしまった。寝坊してまた家庭内に新年早々不穏な風を吹かせるのは本意ではないので、続きは明日アップします。

ネグレスコ・ホテルにたどり着いたらいつも雨降り(タイトルはパクリです)

 新年みなさん明けましておめでとうございます、で始まるのは「ロックンロールお年玉」のオープニングだが、などと奇を衒った言い方をせずとも、世間一般的には新年のご挨拶のフレーズだから、それはそれでいい。いや、今年初のエントリーは幻の大作「DRAC興亡史 1975-1980」の続きをと考えていて、今日は元旦なのでゆっくり英気を養い明日にでもアップしようと思っていたのだ。しかし、YOU TUBEでトンでもないものを見つけてしまい、本年初の臨時ニュースとしてちょっと触れておこうと思い、今このエントリーを書いている。

 YOU TUBEを見る方なら自分の好きな映像の投稿者を登録しておいて(subscribe=「購読」というらしいが)、まずはそこに新しい映像がないか、あるいはメールでのお知らせを見てからチェックする人も多いだろう。僕もそのパターンで見ることが多い。以前アップした映像もたいていは特定の投稿者のものだ。この前の「鉄砲玉の美学」をアップしたのもEXPOPさんといって、お気に入りの一人である。実は今日、お休み前に軽いものを見ようと思ってYOU TUBEにアクセスしたところ「間寛平 with PANTA」という文字が見えて、一瞬わが目を疑った。寛平ちゃんとパンタ?あの吉本の大ベテランでありながら、いまだに軽さのギャグで突っ走る寛平がなんでパンタと、という疑問が浮かんだが以前カンペイ師匠が清志郎やハイロウズなんかと一緒にロックのアルバムを出して、結構マジだったという話を聞いたことがあった。しかし、パンタが何故と思いながらも動画を見たら、作詞・作曲がパンタだとのこと。まあ驚いた。とにかく見てください。



 クレジットには90年代初期のテレビ番組らしいことが書いてあるし、最初の画面にかぐや姫のおいちゃん(えーと、あの人、ほら、あの、と最近名前が出てこないことが多いのだが、何か食生活に問題でもあるのだろうか。伊勢正三じゃない、山田パンダでもない、こうせつ、そうそう南こうせつ、だ)も映っている。顔つきや格好から確かに頭脳警察再結成後のパンタではないかと思うのだが、よく分からない。タイトルの「大阪で生まれた男」というのは明らかにBOROの「大阪で生まれた女」を意識した、いわゆるアンサーソングだろう。しかしBOROとパンタの共通項というのがやはりよく分からん。気になったから今アマゾンで調べてみたらカンペイちゃんが『大阪で生まれた男』というアルバムを91年にビクターから出していた。当時パンタもビクターだったので、レーベルつながりだったのだろうか。そういえばパンタが75年に頭脳警察を解散してソロになり、フライング・ドッグ・レーベルに所属したときは、同じレーベルのウィーピング・ハープ妹尾がやたら演奏に加わっていた。いや、もちろん妹尾さんのハープは大好きだったし、名曲「マーラーズ・パーラー」の印象的なハーモニカの音を始めて聞いたときの衝撃は忘れられない(余談だがソロ2作目の『走れ熱いなら』に収録されている「いつもの俺なら」におけるハーモニカも別の意味で印象深いものがある)。

 しかし、ここでのカンペイ師匠はカッコいいしパンタのギターもいい。ただ、ちょっと物足りんな、などと思っていたらなんとEXPOPさんの投稿で、「頭脳警察withどんと」なんていうトンでもハップン(しかし我ながらギャグが古い)な映像もあった。あわてて見ると、いやあ、すごい。どんとって誰と一緒にやってもどんとなんだ。ボーカルもどんとならでは、だし意外だったのはギターが上手いってこと。いや誤解されると困るのだがテクニック的に上手いというのではなく、なんというのか超個性的というか、ええい、もどかしい、こちらも見て判断してください。



 新年早々、パンタの話ばかりで恐縮ですが今年もまた好き勝手なことを書いていこうと思っています。宜しくお付き合いのほどを。

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