カミングイヤー、ゴーイングイヤーでいいのか?

 今、2007年12月31日の22時43分である。時は刻々と新しい年に向かいつつある。毎年、大晦日は家族で実家に泊まるのが我が家の習慣だったのだが、今年は母がもう面倒なので年が明けてから顔を見せに来ればいいとのたまい、普段叱られてばかりだが貴重な財源であるために母をおろそかに出来ないバカ娘と配偶者は二つ返事で喜んだ。僕はといえば、大晦日までオンナコドモの面倒を見なくてはいけないのかといささかうんざりしたが、それでも自分の好きなことをして1年を終了できるのは、それはそれで楽しいのではないかと、異議なしであった。

 しかしながら上手くはいかないもので、朝起きたら配偶者がひどい声で風邪をまたひいたようだった。無理をしてこじらせたりすると大変だからと口ではいいながら、内心『この野郎、うつしたら承知しないからな』と念じつつ、仕方がないので子供たちを連れて、実家に行き買い物の手伝いなどをした。実家に行ったら行ったで、母も孫二人を相手にするのは疲れるようで、買い物が済んだら早く帰るよう言われた。それでまた家に帰ってきて、お昼に塩スパを作ったのはいいが久しぶりだったのと、鷹の爪を切って入れたのでやたら唐辛子の辛さがきつい味になり不評であった。年の終わりだというのに情けない。

 配偶者が休んでいるので大掃除も出来ないし、しょうがないので年賀状の作成を始めた。パソコンのデータがすべて消されているので、1から住所録を入力しないといけないと思い、去年の年賀状を出し、ため息つきながら入力を始めようとしたそのとき、そういえば一昨年も同じソフトで年賀状を作ったことを思い出し、もしかしてと思って前のノートを調べてみたら、幸運なことに住所録のデータが残っていました。もちろん、最近のものは入ってないので、その分は手入力したが大いに助かりました。年賀状などは若い頃は虚礼だと思って出さなかったけど、いえいえ、年に1度のご挨拶、今はしっかり出すようにしています。もっとも出さなかった期間があまりにも長かったので、昔からの友人や先輩、後輩で全く住所の分からない人も沢山いる。

 ブログをはじめたおかげで、大学時代のサークルの友人や後輩の一部の人たちとは連絡がつくようになったが、まだまだ音信不通になってる連中のほうがはるかに多い。これを見て、「もしかしてこのブログの管理人はDRACの75年度生の○○さんではないか」と分かった人はここのメールフォームからメール下さい。などと、勝手なことばかり書いてきたが、早いものでこのブログを初めて二度目のお正月を迎えようとしている。一昨年の4月に始めたときは、まさかこういうブログになっていくとは夢にも思わなかった。そう、このブログはもともとはパスワードで縛っていた、クローズドブログだったのだ。

 それが、パスワードを廃止してタイトルも「別館4階のBOXから」と新しくしてずいぶん変わった。僕の下らない話にこんなに多くの(10人以上を僕は「多くの」と表現するのだ)人たちに見てもらえるとは思わなかった。またコメントもゼロの日々が長かったが、この1年はずいぶん助けてもらった。僕の無知や記憶違いを訂正してくれたり、話題を更に興味深い方向に持って行ってくれたり、時にはとんでもない話に発展したこともあったが、ほんと、毎回エントリーを書く意欲を掻き立ててくれるのが常連の皆さんのコメントでした。いえいえ、単発のコメントも大いに歓迎します。なんせ今年は平岡正明のご子息を名乗る方からのコメントも頂いて恐縮至極西京極であった。

 さて、イアホンでリトル・ジャイブ・ボーイズを聞きながら気の向くままに打ってるので話にぜんぜんまとまりがないが(ハイ、そこ、いつものこととか、またかとか言わない。本人が一番分かってるんだから)、今日はこのブログに遊びに来てくれる人みんなに感謝して終わるつもりなんだ。本当にみんなのおかげでここまで来れた。今年はPurple_Hazeさんという大学も学年、学部も同じでお互いロック好き、オネーサン好きという同好の士と会えたし、イカさんというこれまたロック好き、オネーサン好きのお仲間も出来た。お二人とも来年も宜しくって、こんな書き方していたらいつまでも終わらないので、ちょっと方向転換。

 今年のサンキューライブ。まずは「加川良とすぎの暢」のユーズド・エンド・ライブ。そうそうTasaki。さんと1年ぶりに再会して、後日彼の教会で「あの時代」の話を延々としたのもいい思い出だ。

 カルメン・マキと板橋文夫、太田恵資のライブも圧巻だった。実はやめようかなとも思ったのだがbarrett_hutterさんのブログを思い出して行ってみたのだ。結果は大正解で、20年以上音信普通だった高校時代の友人に再会できたし、そのおかげで塩次伸二とウィーピング・ハープ妹尾の渋いブルース・ライブも見れた。マキさんのブログにコメント書いたらちゃんと返事を書いてくれたことも嬉しい思い出だ。おっといけない、塩次さんは日記に宮崎のことが書いてなかったが、BBSにしっかり書いていてくれて、おまけに僕のブログのこともPRしてくれていた。さすがは大先輩、見習いたいものだ。

 そして、ライブの大トリはクリスマス・イブのリトル・ジャイブ・ボーイズ。こちらはつい先日エントリーにアップしたから省略する。

 とにかく、いろんな人たちのおかげで今日までこのブログが続いたことに感謝。来年こそは「DRAC興亡史」や「フォーク・ソング・クロニクル」、その他の予告編を必ずアップしま、するつもりです。見捨てないでね~。それでは皆さん、よいお年をお迎え下さい。時計は23時29分、紅白もラストの歌になったようだ。
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27年ぶりのジャンプ~番外編

 今週は連続してエントリーをアップしているので、今日も行くのだ。今日は残り少ない2007年、いろいろな雑用に追われて大掃除もろくに出来ない状態で夜パソコンを開いた。ナニゲニYOU TUBEを見たら、クリビツテンギョウ。ATG映画の「鉄砲玉の美学」のオープニングとエンディングがアップされているではないか。パンタファンを自称している僕ではあるが、恥ずかしながらこの映画は未見である。頭脳警察が音楽を担当(荒木一郎も、これも凄いな)しており、アルバム未収録の「今日は別に変わらない」という曲が使われており、こちらもずっと幻のシングルで確か2,3年前のコンピレート盤に収録されたのが初CD化ではなかったか。それとエンディングから見たのだが、車のナンバーが宮崎ナンバーでバスも宮崎交通、あれ、この映画、宮崎で撮ったのか、と驚いた。オープニングを見たら、都城観光協会が協力していたので間違いない。

 今、調べてみたら「TVステーション」というところにこう書かれていた。

> 黄金期の東映で多くのプログラムピクチャーを手がけてきた中島貞夫監督が、低予算ながら監督に大幅な裁量を与えて作りたいものを自由に作らせていたATG(日本アート・シアター・ギルド)と組んだ異色のヤクザ映画。長らくテレビでもビデオでも観られない幻の作品だったが、昨年の新文芸坐における中島貞夫特集で30年ぶりに上映された。

 ということで、じきに消されてしまうだろうが、見られる間だけでも見てください。渡瀬恒彦が若い。個人的には杉本美樹オネーサマも見たかったが、ほとんど出てないです。あ、それから、オープニングもアップされてるので、そちらも是非ご覧ください。ビリングに懐かしいヤクザ映画の常連さんの名前がたくさん出てます。



 ところで、実はもう少しご紹介したい動画があります。ウシャコダやリトル・ジャイブ・ボーイズで検索しても動画はなくて(いや、正確に言うと「ウシャコダ」名で検索はヒットしました。画像を見るとそれらしきメンバーのライブ風景があり、やった、学祭にもまたウシャコダ出るようになったんだ、と喜んでアクセスしたら「ウシャコダの前座」と書いてあった。別バン28号である)、多分無駄だろうと思いながらも「藤井康一」で検索したら、なんとありました。それも今年の京都でのソロ・ライブ、いや一部はアコーディオンの人とモッコリーさんと一緒の映像もあったけど、ウクレレ一本+カズーでお客さんを乗せまくってます。著作権の問題もあり微妙なのだが、この楽しさを一人でも多くの人に分かち合いたいのでアップします。まずはニュー・レトロでのオープニングにやった「月光値千金」


 九州人には嬉しいチャンポン賛歌「チャンポンダマンボ」の動画もある。この踊りと歌をヒットさせようとずいぶん頑張ったようで、リンガーハットのCM曲に選ばれえたらしい。残念ながら僕はそのCMは見ていないのだが。しかし、藤井君のライブをこうやって動画で見られるようになったのだから、これもネットの恩恵というものだろう。お時間のある方はじっくり他の演奏も見てください。ウクレレの弾き語り、お客さんとのやりとり、時々見せる自嘲的な笑い、これこそが彼のパフォーマンスです。ただソロもいいけどやっぱりドンバでやるのが一番いいと思う。



 今年1年いろいろ世間的には嫌なことがいっぱいあったし、政治的にはほぼ危機的状況なのに人々の怒りは拡散されてごまかされてる、そんな嫌な時代だけど、せめて来年はいい年であるように、藤井君の動画はそんな僕への神様からのプレゼントかもしれないってこらこら現実逃避しちゃいかんぞ。

27年ぶりのジャンプ~ちょっとマジな話もあり 後編

 日ごろの行いというのは、やはりこういうときにものをいうのだろう。今日は仕事納めの日だったが、朝から普段と変わらない忙しさだった。事務所の大掃除もほとんど出来ずにあちこち外回りし、それでも普段より少し早い時間に家に帰って来た。晩御飯を食べて、なにやらテレビでお笑い芸人が100組くらい出てきてショートコントみたいなのをやってる番組を白痴的に見ていたら携帯が鳴った。やれやれ、またクレームだろうかと思って出てみると、デ○デオのU宮さんで明日到着予定のパソコンが18時に店舗に着き、それから最終チェックして大丈夫だったので、遅くなったがお客様の都合がつけば今から届けたいとのことだった。願ったり適ったりなのですぐ持ってくるよう頼んだ。20時過ぎに届いた。セットアップをしてくれるといったが、それは断り、何度もすいませんでしたと頭を下げる姿に、いやいやこれからもお願いします、とこちらも低姿勢になったのは、やはり人格であろうか。

 実は、先日の狸さんの米を見て、もしかしたらデ○デオのエライサンから「drac-obさんに大変なご迷惑をおかけしたからこれを持って行きなさい」と手渡された封筒があり、その中で諭吉君が二抜けでマージャンしている(早い話が5人いるってこと)、などと言うことがあるのではないか、いやあるに違いない、と妄想していたが、やはり茶封筒を持ってきておりおずおずと出してきたので、いや、いや、こんなことをされると困るなぁ、みたいな顔だけして、ひったくるようにして受け取ったら、中に入っているのは修理明細だけだった。幾つになっても甘かあねぇ!(byエンケン)

 それからパソコンをセットアップしてみるとやはり以前のデータは全部消えていたので、また一からやり直しで、やたら再起動はしなくちゃならないし、Microsoft Updateからのメッセージは再三届いてインストゥールの繰り返し、まあそれでも好きなことだから苦にならずやっていたが、途中気がついたことがあった、去年苦労して入力した年賀状用の住所録が全部パァだ。また全部手打ちするしかないのか、とややうんざりした気分でいたら、もっと大事なことに気がついた。そっと隠しておいたエッチな写真が無くなった?いや、それもショックだけど(って、ここはギャグだから間に受けないように、とりわけ狸とか猫系の方、そこのところヨロシク)、マイ・ミュージックのデータが全部パァだ。もちろんCDにコピーしていたものも多いのだが、ついうっかりそのままにしていたものも結構ある。中にはもう二度と入手できない音源もあったので、かなり落ち込んだ。

 しかし、いつまでも落ち込んではいられない。昨日は、クリスマスライブの第2部まで出、いよいよ次にリトル・ジャイブ・ボーイズが登場するのだ。
リトル・ジャイブ・ボーイズだぜ、もっともみんな50越したが…

 10分間のインターバルの間に、僕たちは焼酎のウーロン割を飲みながら待っていた。某若手落語家に似た司会者がバンドを紹介した。キーボードの照本さんは飄々としてキーボードに向かった。珍さんは喫煙所で会ったときのラフな格好ではなく、赤が似合うステージ衣装に着替えていた。そして背の高いちょっと猫背のウクレレ男は、藤井君だ。あんなに背が高かったっけ。顔つきも若い頃の甘さがなくなり、ちょっとキビシイ視線と冬だというのに半そでのアロハでステージに上がってきた。「月光値千金という曲です」。いきなり曲が始まった。エノケンのヒット曲だ。僕はリザードのアルバム『バビロン・ロッカー』でこの曲を知った。軽快なメロディと軟派な歌詞が楽しいジャンプナンバーだ。藤井君は感想の間ジルバを踊る振りをして、前列のオジサン・オバサンをしきりに挑発している。

 リトル・ジャイブ・ボーイズの名前を知ったのは、まだ鬱病で苦しんでいたころだから2年ほど前のことだったか。CDが欲しかったが、何しろ当時は働けなかったので収入がない。収入がなくても生活はしなくてはならない。当然、切り詰めるところは趣味関係になる。その中でもどうしても買わねばならないCDもある。そう、こういっては何だが、リトル・ジャイブ・ボーイズはまったく聞いたことがなかったのでCDを買って聞くまでにいたらなかったのだ。もっともウシャコダの『パワフルサラダ』は買った。あのアルバムはアナログでしか持ってなく、僕が欝の魔手から逃げ出すためにどうしても必要だったのだ。ウシャコダの開き直った明るさは僕を打ちのめし、「よし、もう一回やってみるか」という気力をもたらしてくれた。このあたりのことは以前エントリーで書いたので繰り返さない。

 このリトル・ジャイブ・ボーイズのライブで痛切に感じたことは、音楽は人数や楽器構成ではないということ。何しろバンドのメンバーは3人。楽器はそれぞれ、キーボード(照本さん)、ウッドベース(珍教祖)、ウクレレ・サックス・ハーモニカ・ボーカル(藤井君)。正直な話、音は薄っぺらになるのではと心配したが、まったくの杞憂だった。いや、それどころか僕はウクレレという楽器を再認識した。少し前にハワイの若いウクレレ弾きがジミ・ヘンの曲やったりしていたが、いまいちピンと来なかった。ところが今回のライブで、ウクレレはリード楽器であり、リズム楽器であり、そうそう打楽器でもあることを知らされた。表現力のある楽器なのだ。
赤と白を基調とした珍教祖のステージ衣装 似合うなぁ

 実は、正直に言うとこのときのライブの曲やMCはほとんど覚えていない。藤井君や珍教祖の歌や演奏やシャベリを見て、もうほとんど本能的に反応し「イェー」とか「ええぞ」とか「金作カッポレやれー」とか喚いたり、叫んだりしているうちに、つまりあっという間にライブが終わった感じなのだ。ライブの途中で藤井君が僕の掛け声を(というかほとんどヤジに近いが)ネタにしてお客さんを笑わせたりしたが、どんなことをいったのかほとんど覚えていない。何か『せっかくのクリスマスにこんなところに来て、お前らさびしくないのか、イェーじゃねぇよ』とか、なんとか言われたような希ガス。

 それでも、しっかり覚えているのは地元宮崎にあった「バードランド」という喫茶店兼ライブハウスにいた友人の死を悼んだ曲で「さよならバードランド」という曲での藤井君のサックスだ。鬼気迫るようなものがあった。昔の常におちゃらけていたウシャコダのイメージからは全く想像できない音であった。あ、いまさらながら気がついたが、僕が見に行ったのはウシャコダではなくリトル・ジャイブ・ボーイズだったのだ。当然といえば、当然のことである。一時間ほどのライブが終わった。最後は司会者が出てきて、なし崩し的にアンコールをやった。僕は物足りなくて欲求不満だった。しかし、この日のイベントはあくまでラッパ会のクリスマス・ジャズライブなのだ。最後にラッパ会の全員とジャズシンガーの香月さんもステージに上がり、みんなで何かやろうということになった。このときに司会者が藤井さんも、リトル・ジャイブ・ボーイズの皆さんも呼びましょうと言った。この瞬間だけ司会者が好きになった。
「さよならバードランド」の演奏シーン カッコよかった

 またステージに上がった藤井君とラッパ会のキーボードの人と何の曲をやるかちょっと打ち合わせみたいな話があり、カウントとともに聞こえてきたのは、ソニー・ロリンズが名盤『サキソフォン・コロッサス』のオープニングに演奏した「セント・トーマス」だった。カリプソのリズムと陽気なメロディが会場を包んだ。その瞬間驚いたことにお客さんが全員総立ちになり、手拍子で参加した。もちろん僕も最前列で手のひらが痛くなるのもかまわず叩き、歌い、叫び続けた。このままこの演奏が終わらなければいいと考えた。やはり28年くらい前に、山岸がソロでサーカスでライブをやったときのアンコールも「セント・トーマス」だったことを思い出した。それまで全く思い出すことはなかったのに。演奏の最後のほうで僕はジャンプしていた。3年前に足の指を事故で無くして以来、多分自分からジャンプしたのは初めてではないだろうか。そう、僕はあの瞬間確かに銀閣寺のライブハウスにいた。

 夢のような時間は終わり、気がついたらステージの片づけを全員で始めていた。僕はマイクを片付けていた藤井君に手を差し出して握手を求めた。「学生時代、銀閣寺のサーカス&サーカスで何度もウシャコダ見ました。拾得のライブにも仲間連れて行きました。ウシャコダの大ファンです」と、今考えたらリトル・ジャイブ・ボーイズに対して大変失礼なことを口走ってしまった。藤井君は苦笑いみたいな複雑そうな顔で「ああ、そうなんだ。若いころ知ってる人に見られてたなんて怖いなぁ」などと答えてくれた。その後ベースを片付けていた珍さんに「この後CD買うのでサインください」などと話かけたら楽器を片付けたらまた戻ってくると言ってもらえた。
参加者全員で「セント・トーマス」を熱演 後ろの人たちがラッパ会

 ところで、今回のライブではいいことばかりだったが、最後にちょっとけちをつけるというか、ちょっと改善の余地があるんじゃないかと思ったことを一言。これは宮崎の県民性かも知れないが、ライブ終わったらさっさと帰るの止めてくれないかな。今回は、特にお客さんが多かったせいもあり、一気に波が引くように人がいなくなった。さらに追い討ちをかけるようにお店の人が椅子やテーブルを片付け始めたので「お前たちもう帰れ。フリードリンクはもう終わったぞ」などといわれているようだった。せっかくのいいライブを見たんだから、余韻を楽しむというか出来れば何か飲みながら(アルコールである必要は全くない。コーヒーでもウーロン茶でも何でもいいのだ。乾いた体に水分を入れるのとハイになった気持ちを落ち着かせるためだ)、今見たライブの話やそれに付随する、いや付随しなくてもいいや、何か音楽の話をしたり、もし一人で来ていたのならじっくりお店の中を見渡したり、今見たライブの様子をフラッシュバックさせたり、ね、ほら、たとえは悪いけど牛が反芻するように、いやいいたとえで言うとお釈迦様が菩提樹の基で真理を悟ったときのように、じっくり味わうことがいいと思うのだが。

 お客さんがほとんど帰った後で、CDの物販コーナーにY尾君と一緒に行き物色した。リトル・ジャイブ・ボーイズのアルバムやシングル、ウシャコダの松戸一揆などがあった。藤井君もその場にいて買ってくれた人にサインしていた。僕はいろいろ迷ったがリトル・ジャイブ・ボーイズの1枚目のアルバムをY尾君は「チャンポンダマンボ」を買ってサインをもらった。照本さんもそこに来てY尾君とちょっとおしゃべりをしていた。なんと照本さんは1級上だった。ステージでは寡黙な印象だが話すと物腰柔らかく丁寧な人だった。本当はもっとその場に残っていて、藤井君や照本さんと話がしたかったのだが、時間はもう10時近く、これ以上勝手な思い込みで付きまとっても迷惑だと思い会場の外に出た。自転車のY尾君と別れの挨拶をしてそれから少し道端でぼんやりしていた。ベースを片付けて珍さんが戻ってくるかもしれない。そうすれば、もう少し話をしてもし打ち上げが「和民」などであったら、断固粉砕し宮崎自慢のお店を紹介するのだ(ここの部分マキさんの日記を参照してください)。

 10分ほど待っていたが、誰も来る様子がなかったので歩いて家に帰った。家では子供たちと配偶者がチキンとケーキを残して待っていてくれた。今、体験してきたライブの素晴らしさを家族に話しながら、今年のクリスマスは今までのクリスマスの中で最高だったと何度も考えた。
穏やかに話す照本さん やはり50過ぎたらこうありたい

 書き忘れたエピソード その1 珍さんの技~ウッドベースをダンスの相手のように大回転、しかも連続で。これにはお客さんもびっくり。盛大な拍手をもらっていました。そういえ珍さんを初めて見たときは恵福商店の前垂れをしていて、その立派な体格といいい、前垂れの似合い方といい、下宿の近所の八百屋のおっちゃんに間違えたことがあった。そういえばウシャコダのライブのときにも「お買い物は恵福商店で」などといっていた。

 その2 藤井君にどうしてウシャコダのファーストアルバムはCDにならないかを聞いたら、メーカーが権利を持っていて、何度かトライしたが無理、などと細かに説明してくれた。CDが出ないから、著作権シンガイになるかもしれんが、裏のルートで入手してしまった、オレがパクられたらあんたらのせいや、などと分けのわからないことを言ったのは僕でした。やはりお酒など飲むとバカになるので止めましょう。
藤井君 アップで撮ったつもりがフラッシュが上手くいかず暗くなった

 余計な追伸~どうだい、狸さん。オラァこう見えても九州男児じゃけん約束は守るんよ。今が30日の午前3時だってことは内緒だけど(保存するときに29日の23時にしてしまえば分からないんだって!)

27年ぶりのジャンプ~ちょっとマジな話もあり 前編

いよいよライブだ、でもやたらマイクが多いよな、と疑問でした

 「すいません、明日のリトル・ジャイブ・ボーイズのライブはチケット無くても当日チャージ払えば誰でも入れるんですよね?」「え、リト、何ですか?」「明日、クリスマス・イブのライブですけど…」「ああ、明日のクリスマス会は5時半くらいから入れますよ」「いや、あの、リトル・ジャイブ・ボーイズのライブですけど」「あ、私あまり詳しくないので、ちょっと待ってて下さい」。何やら後ろで誰かと話しているような感じ。「お待たせしました、ハイ。明日あります。チケット無くても当日大丈夫です」

 ライブの前日に会場のニュー・レトロ・クラブに電話で問い合わせた時の会話だ。何だか大丈夫かな、という雰囲気が濃厚だが、多分電話に出たのがバイトの子で詳しいことを知らないのだろうと、多寡をくくっていた。先月、藤井君のHPで12/24にリトル・ジャイブ・ボーイズとして宮崎でライブをやるというニュースを知り、それから指折り数えて待っていたのだ。会場がニュー・レトロだと知ったのが今月の15日、最初は配偶者と行くつもりだったが、彼女が全く聞いた事のない音楽だという事と当日がクリスマス・イブで両親が夜いないと子供達がやりたい放題滅茶苦茶するのが眼に見えてるので断った。結局、カルメン・マキのライブで偶然再会したY尾君に声をかけたら二つ返事で乗ってきた。もっとも彼も全くウシャコダは聞いたことが無い。後、S藤君も直前に誘ったのだがインフルエンザで寝込んでると聞いてこちらから辞退した。

 さて、当日はクリスマス・イブということで町行く人たちもどこか楽しげだ。そして当然の如く腕を組んだカップルが目立つ。しまった、こんな事なら先日行ったラウンジのオネーサンを誘っておくべきだった、などと自分に空しい見栄を張りながらライブハウスに向かった。5時半に会場に着くと、すでに何人か先客がいた。入り口の本日のライブの案内板を見たが「X’mas ジャズライブ2007」としか書いてない。うーん、ジャズライブねぇ。確かに宮崎ライブの前に板橋文夫と一緒に新宿ピットインで演奏してるから、あながち間違いではないだろうが…。そうこうしているうちにY尾君がチャリンコでやってきた。二人で雑談しながら階段を上ると(このライブハウスは2階にあるので、細い階段を上って入る)、すでに並んでいる人が結構いるのだが、年齢層がかなり幅広い。思わず「そんなに名前の売れてるバンドじゃないけど、こんなに入るとは宮崎の音楽ファンも侮れないな」と口に出していってしまった。それを聞いたY尾君が「これ、なんか違うイベントじゃない?お客さんがずいぶん若いよ」などとこちらの不安を煽るような事を言う。

 5時半を回って、ようやく会場の扉が開き客が流れ出した。2階に上った所に受付があり、そこでみんなチケットを出してる。『あれ、前売りがあったのかな』と首をかしげながら、「すいません、チャージは4,000円ですよね」とモギリの女の子に言うと「ハイ、こちらお二人現金です」と受付の子につないでくれた。お金を払ってチケットを貰うと、そこにも「X’mas ジャズライブ2007」と書いてあり、さらに主催:ラッパ会と書いてある。頭の上に?マークを3つほど浮かべながら、会場に入った。開場したばかりなのにもう4,50人は居るのではないか。入って右側にステージがあり左側がドリンクコーナーという毎度の会場なのだが、今日はやや勝手が違う。というのもドリンクコーナーの前に人だかりがあり、良く見るといろんな料理がバイキング風に並べられていてみんなそれぞれ小皿に取っていた。

 とりあえず、座席を確保しようとステージの近くに行くが、良さそうな所は複数の客に既に押さえらレ手いる。しょうがないのでステージ左下のボックスに座ろうとしたが、そこでは一部が死角になり見にくそうだ。周囲を見渡すとステージドまん前の席が空いていた。即座に場所を取ったが、なんとマイクスタンドの前で、ミュージシャンの顔を見るには首を上にしなくてはいけないくらい間近な席だ。上着を置いて席を確保し、次は食料の確保に行く。サンドイッチやチキン、ソーセージ、パスタ、フライドポテトなどがあったが、かなり量は減っている。それぞれ好きなものを皿に取り、次は飲み物だ。ワンドリンク付きだと思い、ビールを頼む。

 席に戻り、周囲を見渡したがとにかくお客が多いのと、年齢層が10代後半から60代前半まで幅広い。やや首を傾げていたら、ステージの右端に若手落語家みたいな人が出て来て場を仕切り始めた。聞いてみると今日は毎年恒例のクリスマス・イブ会で飲み物はフリードリンク、但しお持ち帰りはダメヨ、食べ物はご自由にどうぞ、などと結構太っ腹なのだ。Y尾君と二人で、今日はこのライブハウスのクリスマス会でそのゲストにリトル・ジャイブ・ボーイズが出てくるんだと勝手に解釈していたら、それも間違いだった。なんとラッパ会というアマチュアトランペット愛好会の発表会に、地元のジャズ・ミュージシャンが客演しそれの大トリにリトル・ジャイブ・ボーイズが出て来るということらしい。しかし、司会のお兄ちゃんはやたら藤井君のことを牧伸二のお弟子さんで牧伸三さんというのを強調していた。

 6時ちょっと回ってラッパ会の会長という50代後半くらいの男の人が出て来て、メンバーの紹介をした。全員で10数人いただろうか。キーボード(この人がスキンヘッドだったので最初珍教祖と間違えた)とギター、ベース、ドラムスというリズムセクションは不動で、そこにラッパ会の人たちが1曲ずつ演奏するというステージになっていた。アマチュアではあるが、全員でやったオープニングの「I can’t turn you loose」はなかなか迫力があった。バックのリズムセクションも結構いい音出していた。ちょっといいなと思ったのは、ベースの男の人(若く見えて30代前半くらいに見えた)の中学生の娘さんが出て来て、親子で演奏したときだ。中学生の子供が大勢の人の前で一生懸命ペットを吹いている。それをサポートするベーシストも目は父親の目だ。そうそう、演奏前にお父さんが娘さんになにやら注意していたが、娘さんは「そんなのわかってる、話しかけんで」みたいな顔をしたのが微笑ましかった。
お父さんのベースをバックに娘がペットを吹く

 ラッパ会の演奏が終わり、休憩時間に入った。Y尾君が2本目のビールとチキンを持ってきてくれた。二人でビールを飲みながら、音楽の四方山話をして、彼から「そういえばお前のブログに、オレが女をさらって売り飛ばすとか書いてあったけど、今時女をさらうなんて言わんぞ、年がばれるぞ」などと貴重なアドバイスを貰い、何事も素直に人の話を聞き、青竹を真上から刀でたたっ切ったような性格と言われる僕は「ハイハイ」と全く心のこもらない返事などをしていた。ビールを飲みながらだべっていると当然の如く生理現象が起こる。「ちょっと、トイレ行って来るわ、またトイレ・サプライズがあるかもしれんな」などと前回妹尾さんと連れションしたことを思い出して席を立った。ちょっとボーコーが急いでいたので(この様子を『ボーコーは場所を選ばず』などといわねぇ罠)、トイレに入る前の喫煙スペースにボーズ頭の体のごつい男がいるのはあまり気にしなかった。人間気が急いているときは余裕が無いのだ。しかしトイレで用を足しながら、開放感に浸っているうちに先ほど喫煙スペースで見かけた人は、もしかしたら珍さんではないかという気がしてきた。いや、あのボーズ頭と体型は珍さんに間違いないと思い、手を拭くのももどかしく出て来て、その人の顔を見た。ビンゴだった。

 「珍さんですよね、mixiでお世話になってるdrac-obです」といい終わらないうちに大きな手が伸びてきて握手してくれた。多分、いや間違いなく本人に会って、声を聞くのは27年ぶりだ。このライブで会ったら、あれも言おう、これも言おうと思っていたことがたくさんあったが、いきなり会えたのでちょっと興奮してしまい上手く話が出来なかった。それでも珍さんは古くからの友達のように気さくにいろいろな話をしてくれた。九州は良く来ているが、宮崎は自分は初めてだということ。リトル・ジャイブ・ボーイズとしての演奏は今日だけで、明日は藤井君のソロだという事。昨日のライブで張り切りすぎて身体を痛めてしまい今日は大技が出せない事。それでもお客さんが喜んでくれる技はちゃんと出す事など、など。僕は珍さんに、いやウシャコダメンバーに会ったらお礼を言おうと思っていた。それは2年前、僕が鬱病で苦しみ、仕事も辞めてしまい、もう人生どうでもいいやと投げかけていた時に、とっくの昔に解散したと思っていたウシャコダが松戸でライブをやっていた事を知り、そのあたりから生きていく意欲というか、希望みたいなものが生まれ始めたからだ。それは僕の勝手な思い込みで治療の成果で、病気が治りつつあったのかもしてないが、僕の気持ちの中では音楽、それも10代から20代前半までに聞いた音楽のおかげだと確信している。

 これは一度整理して書こうと思っていたのだが、鬱病になって病院に行き薬とカウンセリングで自分を誤魔化していた頃、自分が全く無価値で生きている意味が無いなどと悩んでいた頃、昔好きだった音楽やそれに関連する様々な出来事(ブログはまだ始めてなかったが、学生時代のサークルの先輩や後輩が活躍していることを知った事など、他にもあるのだがそれはまた別の機会に書く。まだ自分で整理できていない所もあるのだ)を通して僕は社会復帰したのだ。もちろん家族の協力、とりわけ上の子供にはずいぶん気を使わせた、あってのことだが。さらに珍さんはmixiをやっている事を知り、一方的にこちらの思い込みをメールに書いて送ったら、マイミクにしてくれた。そのお礼をきちんといいたかったのだ。でも、何だか胸が一杯になり、「今日の演奏楽しみにしています。頑張って下さい」などと間の抜けたことを言って席に戻ってしまった。
珍教祖、いつもお茶目です。バックが暗くてスイマセン。

 休憩時間が終わり、今度は地元でジャズを歌っている香月保乃という若い女性と先ほどのリズムセクションの4人が出て来た。香月保乃さんというのはまだ25歳で(これはベースの人から聞いた)、ずいぶん若いのだが声の張りはあるし、とにかく自分の世界を持ってるようだった。「ハウ・ハイザ・ムーン」や「ミスティ」といったスタンダードを歌ったのだが、ナベサダではないが「ゴキゲンだね」といいたくなるようなステージだった。バックのリズムセクションも先ほどまでとは打って変わって、要所を締めるだけではなくちょっとしたソロやアドリブも入りとにかく楽しいステージだった。Y尾君と二人で、これはモウケタ、飲み放題でジャズ聴けて最後はリトル・ジャイブ・ボーイズだなんて、最高のクリスマス・イブだと大いに盛り上がった。ステージ途中、香月さんもチューバみたいな楽器を吹いた。楽器の名前は何とか言ったのだが覚えていない。来年の1月18日にこの香月さんとキーボードの大西洋介さんのライブが、地元宮崎では有名なジャズ喫茶「LIFETIME」であるらしい。ちょっと気になる。

 香月さんのステキな歌と演奏が終わった。10分間の休憩が告げられた。いよいよリトル・ジャイブ・ボーイズの登場だ。というところで、明日まで仕事の僕はもう休みます。続きは明日、ね。
「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」を歌う香月さん、良かった!

コメントありがとう、ちょっと気になってたのだけど

 パソコン顛末記を書き上げ、あとは30日の配送を待つだけなので、いよいよ今日こそはリトル・ジャイブ・ボーイズのライブレポートをアップするつもりだったのだが、この2日ほどの間にいろんなコメントを頂き、それぞれエントリーにアップしてお返ししないといけないと思い始めた。とりわけPurple_Hazeさんの「新しいお姉さんの写真はまだか、早く出せ~」のご要望が強いので、とりあえずこの前行ったラウンジのオネーサンの写真をアップします。しかし、こちらは顔が丸見えだったので、礼儀として目隠しさせていただきました。Purple_Hazeさん、いかがでしょうか。
鹿児島から出て来たばかりだといってたオネーサン

 それとこちらはsugarmountain君からだったが、タモリの1,2枚目のCDをコピーして送れば、お返しに3枚目を送ります、などという、えーとカニがお結びやったらサルから柿ぶつけられて当たり所が悪くて死んでしまうのだけど、その恨みを必殺仕事人の臼やハチ(だったかな)あたりに依頼して見事仇を討つといった昔話みたいな取引を持ちかけられ、まあ、あいつも出来の悪い奴だが後輩には違いない、ここは懐の広いところを見せておくか、と後輩思いの先輩を演じて仕事の空き時間にタワレコのぞいたら、しっかりCDあったので購入し、移動の車の中で流していたらあっという間にタイムスリップしてしまい、ここは烏丸中学前のボロアパートではないかと錯覚するくらいであった。いや、自分でも感心したけど2枚ともほぼ完璧に覚えていた。あ、ちょっと違っていたのは「さ○まさし」をおちょくった曲に出て来る人物名を以前のエントリーでは「ダサマサシ」と書いてしまったが、「サルマタシ」が正解であった。

 しかし、この頃のタモリは面白かった。恐怖の密室芸人などといわれ、アイパッチをしたり真っ黒なレイバンかけてシュールなギャグばかりやっていた。今回このアルバム聞いて久し振りに寺山修司の話し方や話の内容を思い出して笑い転げてしまった。いや田中角栄は坂田明のほうが上手いとは思うが。少し、タモリのアルバムのことを書こうかと思ったが、またダラダラ長く書いていって皆さんにご迷惑をかけるのもナニなので(本当はもう眠いのだ)、今日はビシッとこのくらいで終わる。あ、折角だから『タモリ2』に登場する架空のシンガー達の名前を列記しておく。興味のある人は最寄のCD屋とかHMV、アマゾンなんかで購入しよう。うちはビンボでそんなお金はおまんまにしか使えませんという人(同志だ、同志)は、御連絡下さい。何とかできるかもしれません。

 シャンソン~ボリス・シュバリエ ムード歌謡~富士山田弘とプールサイド(このネーミングはタモリ自身も気に入ってたようで、オールナイト・ニッポンでも自慢していた) カンツォーネ~イジール・チンクァエッティ スイング・ジャズ~ペリー・オコモとデューク・エリート楽団 ヒット歌謡~ピンカラ・レディー ああ、キリが無い…。

パソコン修理顛末記 その3(エピローグ、であればいいのだが)

 「え、ここで今入ってきたニュースです。年末商戦で込み合う大型家電品店のデ○デオに火炎瓶を投げ込んだ中年男が逮捕された模様です。赤いヘルメットにタオルで覆面して『タナベ・フンサイ、トーソー・ショーリ』などと叫んでいたため、田辺薬品にも恨みがあるようだと捜査本部は見ています。」などというニュースがお茶の間を駆け巡らなかったのは僥倖と言っていいだろう。本日16時過ぎまで僕はイライラ・フラストレーション(byリザード)の塊であった。無論、昨日アップしたエントリーに書いたデ○デオからの返答が来なかったからだ。一応18時過ぎまで待って、もし電話が無ければ火炎瓶、竹やり、石などで武装した都市ゲリラ(最初変換したら「歳ゲリラ」と出て来てそれなりに納得した僕って何?)と化して、デ○デオの店舗に突入じゃ、突入といえば丸太抱えて防衛庁などとまた古い話を蒸し返しながら佇む午後、という状況だったのだ。

 ところが16時半くらいだったか、仕事で取引先に行ってる時に携帯がなり、出てみたらデ○デオの修理の責任者と思われるU宮さんからだった。開口一番「申し訳ありません、本社からメールが届き…」と延々お詫びをいい始めた。そんな事をいって欲しくてメールしたわけではないので「結論から先に言って下さい。僕のマシンは年内に戻ってきますか?」と切り出したところ30日にデ○デオに届くとのこと。そのほか色々話し始めたので、細かな事はメールでくれと言うとメールは出来ないので直接電話で話したいなどと食い下がる。忙しかったので午後7時以降に電話をくれるよう言ってその場は電話を切った。

 そして会社で残業していたら、いきなり携帯がなった。やれやれ、この時間からクレームかとやや重たい気分で電話に出ると、正に7時ジャストにまたU宮さんからの電話だった。上のほうから相当言われたのかもしれないが、ずいぶん低姿勢で平身低頭な様子が伺えた。その中で、自分が電話すると言っておきながらしなかった事、受付時の対応とその後の対応にずれがあったこと、メーカーを説得して何とか28日に修理を仕上げ30日に必ず届くよう確認した事などをせつせつと訴えた。最初からそういう対応してくれていれば、いや、一本の電話をきちんとしてくれていればこんな事にはならなかったはずだと指摘し、まあ、よせばいいのに「クレームはユーザーの期待感の裏返し」だとか「クレームあっての客商売、クレーム無ければ顧客無し」などと自分勝手にでっち上げたスローガンをブイブイ言ってしまった。

 しかし、根は単純な人間なのでとにかく30日には前のパソコンが使える、年賀状も元日には間に合わないがいちいち手書きしなくて済むし、ブログの更新もスムーズにいくだろう。中断していた「DRAC興亡史 1975-1980」もアップされるだろうし、「フォークソングクロニクル」も完結するのではないか、などと白昼夢を見ていたら、修理品を届けに自宅にまで来るなどと言い出した。いや、そんなことしなくても取りにいくからいいと断ったのだが、電話だけではなく一度きちんと顔を見てお詫びをしたいと散々いうので、まあそれで気が済むならと承諾した。はっ、まさかオレの家に火炎瓶投げ込むつもりじゃないだろうな。

 というわけで、何とか無事解決しそうなパソコン修理の顛末ですが30日に無事手元に届くまで油断できない。しかし、ようやく心落ち着いたので本年最後のライブレポートを次回お届けする事を確約します。あ、それから今朝の新聞でオスカー・ピーターソンの訃報を知った。今年だけでもたくさんの好きだったミュージシャンが亡くなった。オスカー・ピーターソンの冥福をお祈りして、意外な組み合わせ、キース・エマーソンVSオスカー・ピーターソンの動画を貼り付けて今日のエントリーは終わる。


 いやー、スイマセン。Purple_Hazeさんの米で気が付いたのだが、キース・エマーソンとオスカー・ピーターソンのピアノ対決の動画のつもりで、ジェントル・ジャイアントの「The runnaway」を張ってしまってた。こちらがキースのほうです。


パソコン修理顛末記 その2(あるいはウソで一杯のデ○デオ)

 今日はクリスマスだ。聖なる夜である。普段は無神論者で、良識ある人が読んだら目を剥くようなエントリーを書いてる僕も、今日くらいはおだやかなエントリーを書こうと思っていた。特に昨日見たリトル・ジャイブ・ボーイズのライブは期待以上に楽しくて、珍教祖や藤井君とも話ができたので、そのことを書こうと楽しみにしていたのだ。夕方6時過ぎまでは。ところが、その後の出来事が僕の怒りに火をつけた。カモンベビライトマイファイアである。内容は前回書いたパソコンの修理の件だが、大型家電品店のデ○デオの対応があまりにいい加減なので、今日は楽しいライブレポートの話ではなく、ラルフ・ネーダーばりの怒りのレポートになる。先ずはデ○デオに先ほど送ったメールを下記に引用する。


 宮崎に店舗がオープンしてから、ずっと利用しているユーザーです。以前から修理に出した時の対応が遅いとか、いい加減だと思われることがありましたが、今回はいい加減腹が立ったのでメールします。事実関係を確認の上御社のいわゆる「5年保証」とか「顧客対応」についてのご回答を希望します。

2006年12月7日宮崎店でソーテックのデスクトップパソコンを購入しました。今月9日にハードディスクがおかしくなり、修理に持って行きました。受け付けてくれた店員さんが「メーカーに1年保証で対応させます」という点と「修理期間の目安は10日」と明言されました。もっとも、メーカーに送って修理するから多少の日数はかかると思い、2週間経過した23日に電話でどうなっているか聞きました。受付の女性が「修理部門が混んでいるので折り返し電話する」と言われたので、以前から問い合わせをするとそのような対応で折り返しの電話がなかなかかかってこない事を指摘し、今回はちゃんと対応して欲しいと依頼しました。間もなくサービス部門の人(この人は名乗りませんでした。最初の受付の女性はちゃんと名乗りました)から電話があり、開口一番「一昨日電話したのですが」と先ずは言い訳があり「見積が25,000円です、どうしますか」とこちらを挑発するような発言がありました。

私は①メーカーに1年保証でやらせると言ったのは御社、だから修理を依頼した ②費用が掛かるならきちんと説明の電話をすべきではないか、一度電話して出ない(携帯には着信が残るので、もし本当に電話をしていれば気が付いた筈)③年賀状の印刷や自身のブログの更新の為に年内に修理の上返却して欲しいことを話し、どう対応するか尋ねた所、とりあえずメーカー保証で対応すると言って一旦電話を切られました。その後責任者と思われる方(この方も名前は名乗りました)からお詫びの電話が入り①メーカーに連絡したが日曜のため繋がらず、とりあえずファックスを入れた ②基本的にメーカー保証で修理代は要らない ③年内に修理して返却できると思うが、メーカーに確認して休み明けの25日に一番で連絡する と言われました。私は納得してくれぐれも宜しくお願いする旨話しました。

そして本日、朝から連絡を待ったがなしのつぶてでした。クリスマス商戦で忙しいと思い夕方まで待っていましたが、何も言ってこないので夕方6時半くらいにこちらから電話した所、受付の方(最初に出た方です)が「サービス部門は大変混んでいるので折り返し電話する」と正に「マニュアル」としか思えない、しかも何度も電話するたびに聞かされるフレーズを流暢にお話になりました。私は、そちらから電話すると言っておきながら何も言ってこないのはどういうわけか、責任者の方の名前を言ってその方と話がしたいといいましたが、外回りのため不在との返事でした。5,6分後受付の女性の方が修理代は無料である事、但し修理返却は年明けの1月7日になると電話してきました。

ここまで書いてきて、御社を選んだ私が悪かったのではないかとの考えが浮かんできました。私の周囲の友人・知人に聞いても御社の修理部門のサービスの悪さというか顧客をほったらかしにする、都合が悪くなるとメーカーの責任にする、担当者が電話しない(電話に出ない)、などの話を多々聞きました。店舗責任者ないしは御社のしかるべき部署の方からのご回答を頂きたいと思います。電話で口先だけの侘びは要りません。メールで構いませんので、事実関係を確認の上ご回答お願いします。


 補足説明すると、今日は朝からいつ電話が来てもいいように常に携帯を携帯し(変な表現だが)、デ○デオからの連絡を待った。23日に修理の責任者のU宮さんから、あれだけ丁寧な連絡が入ったので、まさかすっぽかされるなどとは夢にも考えなかった。このあたりまだまだ僕は甘い。昨日のライブの余韻が残っていたが、2日休みが続いたのと今週で今年の仕事も終わるために今日は朝から忙しかった。多分デ○デオもそうだったんだろう。しかし、夕方になり何の連絡も無い事から、不安が広がりデ○デオの修理部門に電話したら、上記のような話だった。

 どう考えても、僕の電話が入ったから慌ててメーカー保証などと言い出したのだろう。またメーカーにも納期の確認をしていないので、無難な年明け返却という答を準備したのだろう。しかもタチの悪い事に修理の社員ではなく受付の女の子に電話させるという人をなめた対応。大方店舗内で「あ、あのうるさい修理の客だよ」「修理なんかじゃなくて新品買えよ」「うっとうしいからお前(受付の子)電話しとけ。修理代タダだといったら喜ぶからよ」「納期、そうだな年明けにしとけば間違いないって、またなんか言われたら適当にあやまっとけよ」などという会話が飛び交ったことは容易に推測できる。

 また今更の話だが、デ○デオの修理が横着だというのはもはや定番になりつつあるようで、今日もある人からデジカメの部品が壊れたので、メーカーに直接電話したところ在庫はあるが一般の人に小売はしないので販売店を通して注文して欲しいといわれ、天下のデ○デオに注文した所、1週間以上ほったらかしにされて、催促の電話を入れたら「メーカーに在庫が無い」とぬけぬけと答えた、などという話を聞いた。

 しかし、書いていて腹が立つというか、こんな人をなめた企業が存続していていいのか。オレにはわからねぇ、生きるという事が~。あ、今思い出した。デ○デオのイメージキャラクターは「すんごいですねぇ」の所ジョージだ。彼のいい加減キャラクターこそがデ○デオの企業体質を表わしていたのか。不覚だった。そこまでは読めなかった。ということで、今日、電話してきた受付の子にとにかく年内に修理して返すようメーカーに交渉しろと言っておいたので、明日はどのような言い訳をしてくるのだろうか。それとも得意のすっぽかしでまたこちらから電話しないと拉致が、違った埒があかないのか。僕は今、久し振りに火○瓶の作り方を思い出そうとしている所だ。

パソコン修理顛末記 その1(って、その2はあるんかい)

 先日の土曜日、正確には12月8日にパソコンが壊れてしまい、翌日の日曜日にデ○デオに修理に出したいきさつはエントリーに書いた通りだ。あれから丸2週間過ぎたが何にも連絡が無い。修理に持っていったときには、大体日数的には10日くらいで修理代はメーカーに1年保証でやってもらうようにするなどといっていたので、任せたのだがあまりにもその後の連絡がないのでちょっと気になっていた。それでもクリスマスには修理が終わり、また新しい気持ちでエントリーも打てると思っていたのだが・・・。そういえば「クリスマスには帰る」というタイトルの奇妙な味の小説があったがあれは誰が書いた話だったか、ま、そういう話はいいか。

 昨日は会社の忘年会で、しかも予算係というか会社から預かったお金と参加者の会費を徴収して支払いなどをしなくてはならないという、厄介な役どころだったので全く楽しめなかった。1次会は鴨鍋で冬にはぴったりといいたかったが、あいにく夕べは10月中旬くらいのあたたかさで、薬味のネギと唐辛子をふんだんに入れて食べると熱くて汗がダラダラ出て気持ちが悪かった。2次会はスナックで店の壁に大きなディスプレイがかけてあり、みんな次々にカラオケの曲を入れては大騒ぎだった。カラオケを選曲するときは、鉄人のリモコンみたいな(これ前も使ったフレーズ)デンモクなる機械に、文字を打ち込み検索する仕組みであった。試しに「ズ・ノ・ウ」と打って検索するとしっかり「頭脳警察」と出て来て「さようなら世界夫人よ」とか「ふざけるんじゃねぇよ」とか「銃を取れ」などファンには御馴染みのナンバーが出て来た。まあ、こういう場は盛り上げなくてはイカンから、ロックンロールが良かろうと思い「歴史から飛び出せ」を入れようと思ったが、ちょっと待て♪自分の頭にガソリンぶっこんで血が出てきたらモロゾフ・カクテル~などという歌を公共の場で歌ったらオレの社会的立場はどうなる(いや、そんなものないけどね。ワカイモンにモロゾフ・カクテルとは何か説明するのも面倒だし)としっかり自制の念が働き、次に指は「ボ・ガ」と動いた。

 アーラ不思議、そうすると「ボ・ガンボス」とバンドの名前が出て来て「魚ごっこ」と「助けて!フラワーマン」がアップしてきた。しかし、ここでボ・ガンボス歌っても白い目で見られるのが関の山で、周りの連中は「ビートルズ歌ってください、エーゴの歌」と、適当な事を言ってるので、それじゃ一発と「オール・マイ・ラビング」を歌った。1曲歌うと次も歌いたくなるのだが、あいにくその日はちょっと喉も痛かったので歌はやめて、周りの連中と馬鹿話ばかりしていた。そうこうする内に3次会(ここまで予約というか予算に組んでいた)に行く時間になった。3次会はいわゆるラウンジという奴である。僕のマイミク(mixi仲間)にイカさんという人がいて、この人がなかなか渋いロックファンで、東京ロッカーズの時代やその前後のバンドの事などをときどき日記に書くことがあり、僕はそれを楽しみにしているのだが、それ以上に頻繁に日記にアップされるオハナシが、どうもこの手のお店関係で同時にアップする写真がすごく粋なので、今回僕も真似してアップしてみる。どうだろうか。

若くてきれいなオネーサンは大好きですが、お店ではちょっと苦手


 このお店でどんな事が起こったのか、残念ながら僕の記憶装置に障害が発生したようでよく分からない。かすかに飛び交った単語に「セット」とか「指名」とか「延長」などという多分にギョーカイ用語めいたものがあったようだ。と、まあとぼけてみたが、正直、僕はあの手のお店で話をするのが苦手である。はっきりいって若いオネーサンは大好きなのだが、会話が成立しないというか、話題がかみ合わない事が多い。僕の隣の席にいた取引先はオネーサン相手にいかに自分の人生に於いて女運が無かったか、中学時代から延々と語り始め、ようやく現在に至ったと思ったら、『今日お前のような女の子の会えて良かった。これは運命だ』みたいな事を言って、片や、相手の子は頷いてはいるものの明らかにあくびをかみ殺している深夜零時という状況なのだ。いや、カッコつけてるわけではないが、昔のアルコール依存症時代はこういうお店で盛り上がるのは大好きだったが、もはやそんな時代は終わった、のかな。とにかく話をしてもつまらないというか、こちらを楽しませてくれる話題が無いオネーサンとの45分というのは窮屈なだけだった。あ、いや、もちろんこういうお店以外の場所で若くてきれいなオネーサンと1対1になるのは大好きで、って良く考えたらそんな機会がないからオジサンはこぞってラウンジに行くのだろう。♪悲しいだろう、みんな同じさ、おんなじ夜を迎えてる~(by吉田拓郎)

 ところで、回復しつつある観光宮崎における夜の消費動向をレポートするのが本日のエントリーでは、残念ながら、無い。今日のエントリーは社会人予備軍のあなたに送る、クレーム対応、その時お客さんはどう感じるか、というテーマだ。ここで、エントリーの最初に戻る。

 先日の土曜日、正確には12月8日にパソコンが壊れてしまい、翌日の日曜日にデ○デオに修理に出した。実はデ○デオに持って行く前に、知人に修理はどこがいいか聞いたところ、デ○デオ等の家電量販店はユーザーケアが不十分だから、小さなパソコン公房おっと、安部公房じゃないから工房のほうだな、みたいなところがいいとアドバイスされた。丁度我が家から車で5分くらいの所に最近出来た中古パソコンセンターがあり、そこに修理の事を聞いてみたら、てきぱきした応対で「その症状だったらハードディスクが壊れてる可能性大なので、まあハードディスクが1万くらい、技術料が5千円くらい見てもらえれば大丈夫です、あ、データのバックアップも可能な限りやってみるので、とりあえず持って来て下さい」といわれたのだ。しかし1万5千円は僕のナーバスな財布にはトゥーマッチヘヴィで、それだけお金があればタモリの紙ジャケット再発の3枚を買って、「神聖喜劇」の3巻から7巻まで買って、その残ったお金で風来軒のとんこつ、ネギ多め、替え玉つきを食べる事も出来る。

 いや、それどころかクリスマス・イブに家族を連れて食事に行き、帰りにカラオケに連れて行くことも出来るではないか、と絶対実行しない事を考えた挙句、ここはやはり購入したデ○デオに持って行き、5年保証に期待するのが良いだろうと思って、押入れから箱を出し梱包して夜のデ○デオに向かったのだ。サービスカウンターに行くと先客がいた。しょうがないので後ろのベンチに座っていたら、カウンターの中に何人か店員がいるもののさっぱりこちらに声をかけてこない。こちらから声をかけても大方部署が違うとか、部門が違うからなどと口実を言われるのが関の山だと思って待っていた。そこにちょっと年配の店員が通りかかり、僕に声をかけ用件を聞き、待たせた事をわびた上でサービスカウンターの中にいた若い店員を引っ張り出してきた。その彼にパソコンの症状を説明し、昨年の12月7日にこの店で購入した事、出来るだけデータを残したい希望があること、それでも最悪の場合はリカバリすることに異議は無い旨を話した。若い店員は素直に話を聞いてくれ、「たった2日の事ですから、メーカーに交渉して保証期間内の対応をさせます。修理期間は10日をめどにして下さい」と言い切った。それでちょっと安心して、何かあったら必ず携帯に連絡してくれるよう頼んだ。

 暦、暦、暦(月日の経過を表わす小細工)。ということで今日は23日。パソコンを修理に出して丸2週間、その間に一切連絡なし。ちょっと頭にきてデ○デオに電話した。「有難うございます。デ○デオのH園でございます」か、なんか言って受付の女性が出た。僕は端的にパソコンを修理に出して2週間立つが何の連絡も無く困っている事を話した。受付嬢は、ちょっとあわてながら「申し訳ございません。それではサービスの者に確認して折り返しお電話するという事でよろしいでしょうか」などと否定誘導を始めた。ええと、否定誘導というのは読んで字の如く、相手に「ノー」の返事を言わせやすい表現の事だ。実に悲しいお話だが、僕の仕事は職種は色々変ったもののクレーム処理専門というのだけは変らなかった。したがって相手の返事を「イエス」に誘導する話し方やあえて「ノー」をいわせる話し方など結構研究したのだ。ここでは、相手(つまり僕)に「イエス」を言わせたいわけだから「申し訳ございません、直ちにサービスの者に確認して折り返し、すぐ御連絡差し上げます」と断定すべきだ。などと、今だからそういう冷静な事が言えるのだが、その時はちょっと頭来てたので「ま、いいけど、この前もそんな事を言って折り返しの電話がかかってこなかったけど」と嫌味を言うと「すいません、今度は必ず電話しますから」などと半分泣きそうな声で答えた。

 受付嬢をいじめるために電話したのではないから、それじゃ間違いなく連絡下さいといって電話を切ろうとしたら、「ハイ、分かりました。ただ、本日修理のお客様が大変多くお時間がかかるのをご了承下さい」と、言わなくても良いような事を言った。相手が温厚な僕だからよかったものの、普通の人なら「ふざけるな。オレの電話を優先しろ」くらいいいかねないモノの言い方だ。一回り若い頃なら、「君ねぇ、クレームの対応の基本分かってる?」か、なんか言い出して受付嬢を泣かせて喜んでいただろうが、流石に誕生日を迎えて人間が丸くなった僕は「あ、そ。じゃ頼むね」と軽く答えた。その電話が終わり5分もしないうちに携帯がなった。出てみるとデ○デオの修理部門の男だった(こいつはそういえば名乗らなかった。クレーム対応の原則は先ず、自分の名前を名乗るところからという基本すら教わってないのだろうか、それとも名前を名乗ったおかげで名指しでクレーマーに付きまとわれた経験でもあるのだろうか)。「あの、パソコンの修理の件ですが、一昨々日お電話したのですが繋がらなくて(ちょっと待てよ、携帯には着信履歴が残るんだから、そういうウソを言ってはいかんよ、このあたりももっと若い頃なら激怒していたはずだが、いやいや人間丸くなったもんだ)、それでメーカーから見積が出まして…」「見積ぃ(当然尻上がりになる、何で見積なんだよ)」「はい、見積が2万5千円としょうひぜ」「ちょっと待て、何で見積になるの。オレが持ち込んだときに1年過ぎてるけど2日くらいなのでメーカーに保証させます、というからお宅に頼んだんだ、話が違うだろ」

 いや、このあたりからちょっと語尾がきつくなったけど、しょうがないよな、人間だもの(by相田なんとか)。こちらの口調がきつくなると同時に「あ、ちょとまてください」と昔流行したポップスのタイトルみたいな事を言って、誰かに相談し始めた。よほど慌てていたのか電話を保留にしておらず、電話の向こうで「え」「あ、これマズイじゃん」「ミスだよ、ミス」などと言う声が聞こえる。1,2分して「あ、どうも申し訳ありませんでした。はい、見積はメーカーに話して何とか保証で対応できるよう頼んでみるので…」などとトーンが変った。そこで ①メーカーに保証させると言ったのはデ○デオ側だったこと ②修理は10日くらいといっていた事、従って年内には修理が完了すると思っていたこと ③何かあったら携帯まで連絡して欲しいと伝えた事、この3点を再度確認してきちんと対応するよう話をした。相手は「ハイ、わかりました」といって電話を切った。アホやな。と、僕は思った。「わかりました」というのは僕の話が「わかった」という意味で言ったのだろうが、お客は自分の言った事を100%飲んでくれたという風に理解する。そこから二次クレームが発生するのだ。こういう場合は決して「わかりました」とは言わず、「お客様の仰ることはよくわかりましたが(この「が」がポイント、力を入れて言葉を区切る)、あいにくメーカーにまだ確認が取れていないので、今の段階ではなんともお返事の仕様がありません。誠に申し訳ございませんが、メーカーの確認が取れるまで、若干のご猶予をいただけるようお願い致します」とでも、言うべきだろう。

 まあ、あんまりガミガミ言っても仕方が無いので、「とにかくちゃんと対応してくれ」といって電話を切った。切ってから何秒経っただろうか、また携帯がなった。取ってみると先ほどの受付嬢だった。「デ○デオのH園です、今サービス部門が大変込み合っており、担当のものがお電話するのが遅くなりそうで…」「え、今、話したよ」「は、今電話ありましたか、あ、そうですか、良かったです」「よかったかどうかは別だけど、確かに今電話ありました」「そうですか、これからもデ○デオを宜しくお願い致します」。一体なんだと思ったが、好意的に考えれば以前クレームの電話をしたが折り返しの電話が無かったということを気にして、先手でこちらに電話してきたのだろうが状況を把握してないので頓珍漢な電話になってしまったのだ。しかし、この手の間違いは悪い印象ではない。クレームのお客には電話しにくいのが当然だが、先手先手で電話していく事で解決が早くなる事は多いのだ。

 そのあと、サービス部門のリーダーと思われる人から(さすがにこの人は先ず自分の名前を名乗った)電話が入り、メーカーが日曜日のため電話は繋がらず、そのため取り急ぎファックスで連絡を取ったこと、修理代は保証で無料にすること、修理の納期は極力年内にできるようにするがその返事は火曜日にメーカーと連絡が付くまで待って欲しい、連絡付き次第必ず携帯に電話すると言ってきた。この回答が欲しかったのだ。しかし、たかが1本のクレームの電話だと侮ってると、某家電メーカーみたいに大騒ぎになることもあるから心しないと、などと人ごとではない。オレの仕事も毎日クレーム処理だ。えらそうなことは言えない。

 ということで、果たして僕のパソコンは無事年内に戻ってくるのか、1年間のデータは全て水泡に帰してしまうのか、次回に続く。

道なき道をがむしゃらに手探りで走ってきた、今まで…(by頭脳警察)

 今朝は、どんよりした空に力の無い太陽の光が印象的な一日だった。南国宮崎でもちょっと珍しい真冬の雰囲気、まるで2月くらいの寒さの一日だった。こんな日は生まれ育ったロンドンの空を思い出して憂鬱になる。などと嘘八百を書いて今日の空しさを誤魔化そうとするのであった。なんでまたこんな事を書いたかというと、今日は一般的に人間には1年に一度やってくる誕生日だったのだ。もう何十回もこの日を迎えているので特別な感慨は何も無い。このところ家庭内では配偶者と恒例の冷たい戦争真っ最中だったので、今日の日もいつもと同じ One Of These Daysであった。出掛けに配偶者が機嫌を取るように「今日は何が食べたい」などと聞いてきたので「別にいつものでいい」とハードボイルドの塊みたいな返事をした。「ステーキが食べたい?」などと畳み掛けて攻めてくるので、グビと喉がなったが『武士は食わねど高楊枝』と心で呟き、「何も特別な事はしなくていい」と吐き捨てるように言って仕事に行った。


 相変わらず、年末に向けてあわただしい仕事が続き、修理に出したパソコンも戻ってこない。僕の仕事はやろうと思えば何時まででもエンドレスに出来る仕事なので、キリが無い。まあ、今日は少し早く帰って、のんびり本を読んで過ごそうと思い7時過ぎには家に帰った。このところ読んでいる本はずいぶん偏っていて、この前ブック○フで見つけて買ったマンガの「神聖喜劇」と、浦沢直樹×和久井光司の「ディランを語ろう」、あとは月間の音楽雑誌やスキャンダルマガジンの「紙爆」なんかだ。「神聖喜劇」はちゃんと活字で読めとお叱りをいただきそうだが、何度かトライはしたのよ。しかし、あまりの膨大さに気が遠くなり投げ出す事数回。ちょっと読めないなと諦めていたのだが、偶然ブック○フで1冊250円で1,2巻が出ていたので買って読み始めたら、もういけません。重苦しい話だが次が気になって、今日も仕事の合間に新古書店を回ったが、そうそう都合よく3巻以降が置いてあるはずもなく、さて、今月は小遣いも乏しいのでどうしようかと迷っている、不惑を疾うに過ぎたナイスミドルであった。

 このところ気分がいまひとつ盛り上がらないのは旧日本軍の話など読んでるせいだと思い、気晴らしに「ディランを語る」を買って読んだのだが、こちらも失敗であった。僕は正直ディランの良き聞き手ではないが、それにしてもこの本の中でお二人はディランを絶賛しすぎてるような気がしてならない。比較対象としてビートルズが出てくるが、その視点にもやや疑問がある。いや、もっとはっきり言うと、ちと不愉快な部分もある。ディランが好きなのは分かるが、「ひいきの引き倒れ」になってはいないか。もっともこちらも筆者の二人より、岡林やパンタがディランについて語っているのが気になって買った本なのだが。そうそう、この本で一番違和感を持ったのは、いわゆる自分たちが本当のロック世代でそれは57~8年生まれから60~61年生まれの「独特な感じ」で表わされるという言い回しだ。ちょっと待てよ、といいたいがまあ僕も「いい大人」になったので、批判はしない。なんだか書いていて気分が乗らないので、ちょっと陽気にスパークスでも見よう。


 それで、家に帰ってみたら机の上に箱があった、なんだろうと思って開けてみたら腕時計だった。以前使っていたGショックのやつはベルトが千切れてしまい、それ以来携帯電話を時計代わりに使っていたのだが、それを家族みんなが知っていてプレゼントしてくれたらしい。一瞬ホロッときかけたが、「いかん、これも罠だ。これでオレを喜ばせてもっともっと馬車馬の如く働かせて、その結果の甘い果実だけはオンナコドモ3人で分かち合おうという陰謀に違いない」と冷静に判断し、それでも僕は「いい大人」になったので「ありがとう」といっておいた。あ、いけねー、もうすぐで20日だ。誕生日はたった1日しかないのだ、では、今から寝て次こそはまともなエントリーを書くのだ。今日は思いつき、頭に浮かんだ事だけ出鱈目に打ったのでまとまりはまるで無い。まあ、いつもの事だが。ああ、ちくしょう、この辛気臭さはなんだろう。景気付けにクラッシュを一発。


全ての宮崎の音楽ファンは12.24ニューレトロに結集せよ!

 ちょっと前に知って、それからずっとチェックしてたのだけど、なかなか情報が更新されないので、まあそのうち、そのうちと考えているうちに、え、あと2週間無いよ、10日も無いよという状況になり、今日は土曜日だけど取引先に振り回され、残業になり帰宅直前に会社のパソコンでチェックしたら情報が更新されていて大いに嬉しかった。一体何の騒ぎかというと、来る12月24日クリスマス・イブにあの藤井康一率いるリトル・ジャイブ・ボーイズがいよいよ宮崎でライブをやるのだ。場所は毎度御馴染みのニュー・レトロ・クラブ。軽食とドリンクが付いて4,000円、消費税込みだ。これは行かねばなるまい。イカネバの娘だ。

 藤井康一としてはソロで一昨年宮崎に来て演奏したようだが、そのニュースを知ったのはライブ終了後数日してからだった。それ以来、お隣の鹿児島や熊本にはウシャコダとして登場したり、ソロで出演したり結構派手に動きがあったものの、宮崎では全くという状況だった。今回のクリスマス・イブのライブも彼のHPには結構前から、24日宮崎でライブと出ていたがずっと会場が未定で気になっていたのだ。いくら田舎の宮崎でもクリスマス・イブは大抵のライブハウスやコンサート会場は予約が入っているだろうから、まともなハコでは出来ないだろうな、と不安だった。しかし、今日、ナニゲニ(この言葉はすっかり気に入って使っているが、こういうときの使い方が一番フィットしてるように思う)HPをのぞいてみたら、スケジュールのところが赤文字で「NEW」が点滅してたので、もしかしてと思ってクリックしたら、ニュー・レトロでのライブ決定のお知らせがあったのだ。

 今年は9月に加川良、11月にカルメン・マキと板橋文夫、そして塩次伸二とウィーピング・ハープ妹尾といいライブを見ることが出来たが、その2007年を締めくくる楽しいライブが見れるに違いない。そうそう、6月にはウシャコダの松戸一揆のCDも藤井君のサイン入りで購入できたし、幻のウシャコダの1stも、あまり大きな声ではいえないが闇のルートでゲット出来た。そうそう、鳥肌音楽の管理人からも手土産にコピーを貰った。そういう意味では、縁が「ゲッティング・クローサー」(by ウィングス、何故かこのヒット曲は冷遇されてるような気がするが…)していたのかもしれない。

 正直言うと、このリトル・ジャイブ・ボーイズの音は全く聞いたことは無い。しかし元ウシャコダの藤井君と恵福君がやってるのだから、悪いはずが無い。またステージは楽しくないはずが無い(どうだ、立派な二重否定だ、と、誰に威張ってるのだろうか)。僕のブログを地元の人がどれだけ見てくれているか分からないが(今、頭の中で数えて見たがderiさん夫婦、Y尾君、hiroさん、昔のビジネスソフト科1月生の人はもう見てないだろうから、ざっと10人いるかいないかだろう。それでも僕は歌うのさ、精一杯でかい声で~あれ、「列車、列車」になってしまった)、クリスマス・イブをどう過ごそうか迷っている貴方、今彼氏がいなくて泣きそうになってる貴方、ようやくカップルになれて幸せ一杯夢一杯の貴方、ええと、つまり、エブリボデー、ボデーウェルカム、カムである。4,000円でハライソに行けるぞ。絶対損はしません。私はウソは申しませんっ!!

 藤井君、恵福君の二人を見るのは、およそ27年ぶりになるのではないか。かって花の20代前半だった頃は新進気鋭のR&Bバンドだった彼らと、自称若手ロック評論家だった僕。あれから月日は流れ、僕は地方都市のちっぽけな会社で何とか糊口をしのいでいる。彼らは、音楽を忘れずに、おっと、パワーも忘れずにツアーにやってくる。楽しみだ。恵福商店の前掛けはまだ着けているのだろうか。藤井君は何センチジャンプするのだろうか。もう「ザンバ」は、やらないのだろうか。無神論の僕ではあるが、今年だけはクリスマスの魔法を信じてみたい。時は止まるだろうか。

あんこ、それともいんこ?

こんなに沢山安売りコーナーにあるなんて、諸行無常だなぁ!

 今日、仕事帰りに滅多に寄らない町のブック○ーケット
に入った。中のレイアウトが大きく変わっており、書籍のコーナーが少なくなりDVDやゲームが圧倒的に増えていた。CDコーナーは店の奥にひっそりたたずんであった。中古のコーナーに目ぼしいものは無かったので、安売りコーナーというかバーゲンコーナーの棚を物色していたときだ。邦楽のコーナーは当然五十音順なので、まずは「あ」のところに目がいった。相田翔子だの、アルフィーだのアイ・ジョージだの(これはウソ)安売りコーナーに御馴染みのアーチスト名を見ていたときだ。

 『ん、あんこ?』と読んで固まってしまったのが、上の写真のCD達だ。アーティスト名は「杏子」、いわずとしれた元バービーボーイズのリード・ボーカルのお姉さまだ。最近は土曜の午後にNHKのFM番組、タイトルは覚えていないが、公開録音で全然ロックと関係ないようなのをやってるが、あのバブルの時代の寵児だった女性ロックシンガーだ。しかし、それが「あ」の欄にあるのだ。先日、人のブログにコメント3連荘などと大胆不敵なことをやった鳥肌音楽の管理人が『サージェント・ペパーを「S」のコーナーで見たときは脱力した』みたいな事を書いていたが、いや、ほんと力が抜けた。このCDを整理した店員は「杏子」とかいて一体なんと読んだのだろう。

 もしかしたら「杏さゆり」のファンで「あんずこ」と読んだのかもしれない。だったら許す。何故なら僕も「杏さゆり」のファンなのだ。しかもここ最近のファンではなく彼女が教育テレビで「百語英会話」のキャスターだった頃からファンだったのだ。最初は上の子の英語の勉強のためにと一緒にテレビを見て、遠野先生の英文解釈やコーパス君のミニレッスンなどをわはは、と笑ってみていたのだが、何時の頃か、この女の子はなかなかカワイイではないかと気がつき、その後グラビアアイドルになったのを目を細めて見ていた、いや応援していたから、などと話があらぬ方向に行ってしまった。

 しかし、こんな事を書くとジジィがうるさい事をいってると思われるかもしれないが、一応商品なんだから、ちゃんと調べて並べようね、バイト君。あーあ、80年代の日本のロックとバンドブームみたいなテーマでバービーのことを書こうかと思ったけど、気力がなくなった。古いネタですが♪悲しい時~(かなしいとき~) バービーの杏子のCDが「あ」のコーナーに分類されていた時~(バービーの杏子のCDが「あ」のコーナーに分類されていた時~) しかもそれが1枚じゃなくて結構置いてあった時~(しかもそれが1枚じゃなくて結構置いてあった時~)

やれば出来るぞ3連荘!

 ということで3回連続10ccの話である。本当は前回で終わるつもりだったのだが、昨日久し振りにノートでエントリーを打っていたら、つい書いておきたかったことを飛ばしてしまったのと、ぜひともアップしたかった動画を入れ損ねた事が分かったからだ。しかし、僕もその気になれば執着心を持ってエントリーを書くことが出来るのだなとちょっと自慢である。この勢いで今まで予告編ばかり書いていたエントリーを続々アップしていこう、と日記には書いておこう(などというフレーズがその昔流行ったな。ちょっと前ではジョージアのCMだったか「言うたった、言うたった、部長にバシッと言うたった。心の中で言うたった」というセンスに近い物を感じる。しかし今、昨日のエントリーをチェックしたら同じ動画(「ラバーブリッツ」だ)をアップしていたり、ラストの「愛ゆえに」のアコースティックバージョンが削除されたりしていたので、YOU TUBEをエントリーに入れるときは気をつけないといけないな。

 この曲はアルバム『愛ゆえに』(狸さん、こうすればアルバムって分かるんだよね。教わった事はすぐ実行、正直の頭に神宿る。ちょっと違うか)に収録されているヒットナンバー「ピープル・イン・ラブ」邦題はたしか「恋人たちのこと」。甘いバラードだが、従来の10ccにあった諧謔性が全く無い。無論、エリック・グラハムコンビの曲だが、これをアルバムに入れることに猛反対したのがもちろんケヴィン・ロルコンビだった。「こんなかったりー砂糖菓子に蜂蜜まぶしたような曲入れてアルバムなんか作れるかよ」「そうはいっても世の中銭でっせ、ほらジェニジェニと昔の人も歌ってる」などという会話があったかどうかは知らない。なんせ、このバンド変わっているというか、あの「アイム・ノット・イン・ラブ」をシングルカットするようレコード会社から勧められた時に、ライブで再現するのが難しいからといって一度は断ったらしい。もっともアルバム『愛ゆえに』の次に出た2枚組みのライブ盤では、スタジオ録音と全く変わらない演奏をして見せるのだから、どこまで本気だったのか。

 本家10ccが続いたのでこのあたりでゴドレー&クレームの曲と思い「ニューヨークの英国人」を入れてみた。やはり独特の音と映像だ。この個性がオリジナル10ccに必要だったのだ。しかし、路線の違いというのはどうしようもないのだろうか。そうそう昨日ゴドレー&クレームで検索していたら、トンデモナイ映像を見つけた。なんと、あのリック・ウェイクマン(今の人たちは知らないかな。昔はキース・エマーソンと人気を二分したキーボードプレイヤーだったのだが、って、そのキース・エマーソンを「誰?」と言われそうだが・・・)と一緒に「イン・ザ・ミッドナイト・アワー」をやってるのがあった。ウィルソン・ピケットのナンバーだよ。驚きでした。

 というところで、ダラダラ話を書いていってもしょうがないが、10ccが人気を博した70年代中盤はユニークなバンドが多かった。僕が勝手に陽気な10ccと名付けているのがスパークスだ。ロンとラッセルの変態兄弟が作り出すサウンドは万年躁病とでも言うような音で、この手の音も僕は大好きだった。名盤である3枚目から「ゲットインザスィング」をどうぞ。これできればオリジナルで聞いてみて欲しい。

 光あるところに影あり(byサスケ)というように、陽気な10ccがあれば、陰気な10ccもあるべきだろう。これはややこじつけだが、同じイギリスのバンドで下積みが長くて、人気を博した後にメンバーが分裂して、その後はあまりぱっとしないという所で、スーパートランプはどうだろう。僕は長いことこのバンドのトランプを切り札の意味だと思っていたがそちらは”trump”で、バンド名の”tramp”は「放浪者」の意味だそうだ。スーパースランプというその後に爆風銃と合体して爆風スランプになったバンドは、スーパートランプを意識して付けたバンド名だろうか。多分違うだろうな。ま、そんな事はどうでもいいがここでは大ヒットした「ブレックファスト・イン・アメリカ」よりも、彼らの個性が伝わるアルバム『クライム・オブ・ザ・センチュリー』から「ハイド・イン・ユア・シェル」。

 陽気な10cc、陰気な10ccと来たら、次は我がポンニチの10ccは誰かということになる。葡萄畑だとあまりにベタなんで、ここはちょっとひねって。甲斐バンドなんかはどうだろう。この時期だと「かりそめのスィング」を聞きたいが、アルバム『英雄と悪漢』の中に入っている歌詞がステキな「ポップコーンをほおばって」をお届けしたい。実は甲斐バンドのフレーズは気に入った女の子を口説くときに良く使わせてもらった。もっとも勝率は決して高くなかったのは、甲斐よしひろの責任ではない。その時代の話を色々と書いていこうと思った、あ、もう夜中だ。遅くまで起きてると風邪がぶり返すので今日はここまで。



本格的10cc論ではないが、のようなもの

 昨日パソコンが壊れてしまい、予定していたエントリーがアップできなかった。実は先日アップした10ccのエントリーの中に間違いがあったので、それを訂正すると同時に、いみじくも猫だぬきさんに「本格的10cc論、アテにせず楽しみにしています。」と米されたので、何をこしゃくな小娘が(いや、これはモノの例えで決して猫だぬきさん=小娘ではない事を明確にしておきます)、引き続き10ccを書くぞと決意し準備していた。僕と10ccの関係その2をエントリーに書こうと思っていたのだ。おっとその前に大事なお話があった。前回のエントリーの導入部でグラハム・グールドマンを元ホリーズと書いてしまったが、彼は元モッキンバーズでホリーズやハーマンズ・ハーミッツなどに楽曲を提供していたのだ。謹んでお詫びして訂正したい(土下座、ちなみに我夢土下座とかいてカムトゲザーってのは以前も書いたが)。その中には3大ギタリストを排出したヤードバーズも含まれる。「フォーユアラブ」も彼のペンによるし、この「ハートせつなく」もそうである。ギター弾いてるの誰か分かるかな?



 さて、もともと10ccはHOTLEGSという大変魅力的な名前のバンドとしてデビューした(らしい、というのはHOTLEGS時代のことはほとんど知らないというか、70年代当時は音源が無かったと思う)。それがまあ、いろいろないきさつがあって10ccになるのだが、基本はヒットメイカーのエリック・グラハム組と皮肉屋で実験精神旺盛なケヴィン・ロル組の異色コンビによるタイトロープ的なバンドだった。1枚目、2枚目にはモロにシングルヒットを狙ったナンバーと冗談音楽とはっきり傾向が分かれるものが多かったように思う。前回アップしたとおり10ccとして最初のヒットは「いとしのドナ」だったが、その後の「いけないジョニー」も完璧人を食ったサウンドだった。ヒットを狙いながらもおちょくり精神は忘れてない(ちなみにどちらもファルセットボイスが効果的に使われている)。しかし、このバンドの本当の意味での最初のヒット曲は「ネアンデルタールマン」であった。



 どうも良く分からないのは、全世界で200万枚売ったというこのヒット曲がありながら、いったんは沈黙し、さらにバンド名を10ccに変えて再デビューしたといういきさつだ。海砂利水魚がくりいむしちゅーになったようなもんだろうか。いや明らかに違うと思う。シルバー・ビートルズがビートルズになったようなもんだろうか。何となく分かるような、いや、やっぱり分からない。まあ、そんな事の詮索はマニアの方にでも任せていればいいのであって、僕のブログはあくまで音楽を通して己を語るというスタイルなので(本当か?本気なのか?)、とりあえず僕と10ccの出会いに戻ろう。初めて10ccを知ったのは3枚目のアルバム「オリジナルサウンドトラック」からである。モノクロっぽいアルバムジャケットで中心にカメラから見た西部劇の主人公が半身を振り返っているイラストだった。既に一部のファンには話題になっていたが、多くのロックファンが注目するようになったのはこのアルバムからではないだろうか。



 A面の1曲目は「パリの一夜」という組曲形式になっていた。効果音やエフェクトの類があちこちに仕掛けてあり、3話のストーリー仕立てでちょっとオペラチックでもある不思議な曲だった。その曲がフェイドアウトしていきながら、あの名曲「アイムノットインラブ」に繋がる、そこのところで僕はやられてしまった。世の中にこんなにきれいな曲があるのかというメロディラインと歌詞も負け惜しみが一杯の言い訳一杯の世紀のラブソングである「アイムノットインラブ」。そこからB面ラストの「ザフィルムオブマイラブ」まで一気だった。何度もアルバムを聞き歌詞を読み、そのたびに新たな発見のあったバンドだった。架空の映画のサントラを作るという発送はマウンテンの「想像されたウェスタンのテーマ」とか、およそ10年後のパンタの「R・E・D」などに見られるが洒落っ気が一番効いてるのが10ccだった。



 この「オリジナルサウンドトラック」は75年に大学に入ったときに、生協の2割引バーゲンで購入した。あまりに気に入ったので1枚目、2枚目も欲しくなったが国内盤は当時2,500円、輸入盤だとカットアウトなんかに当たれば1,000円しなかったので当然1枚目、2枚目はまとめて輸入盤屋さんで買った。最初はどちらもあまり良いとは思わなかった。僕はあまりに個性が強い音楽に当たると最初は拒否反応というか無反応になることが多い。10ccもそのパターンだった。ところがある日気がつくと僕はいつの間にか「ウォールストリートシャッフル」を口ずさんでいたのだ。それも毎日。



 「ウォールストリートシャッフル」を口ずさむようになってから、改めて1枚目、2枚目のアルバムを聞き直すとほとんど全曲歌える、というかさびの部分が口をついて出てくることに気がついた。ポップミュージックのマジックだった。ところが、このマジックは単なるバブルガムではなく、やや中毒症のエキスの入ったミネストローネだったのだ。



 この「ラバーブリッツ」はケヴィン・ロル組にグラハム・グールドマンが曲作りに参加している。初期の頃は結構いろいろな組み合わせで曲作りしていたので、曲調もいろんなものがある。もっともポップにシニカルな視線という基本スタンスは変わりないが。うーん、何となく真面目な音楽話みたいになって僕らしくないな。まあこれもひとえに古いパソコンを使っていて、そのせいだということにして下さい。君の写真を飾ってるからといって君を愛しているなんて思わないで、あの写真は壁のしみを隠すのに丁度良いからさ。あ、。だからといって持って行かないでくれ。君の写真は本当に僕の部屋の壁のしみを隠すのに丁度良いんだから。てやんでぇ、てめぇになんか惚れちゃいねぇよ。



 こんなにステキなバンドだったのに、ライブを継続するかどうか、単なるヒットメイカーでいいのかというようなところから亀裂が入り、76年に解散する。オリジナルメンバーの4人組としてはわずか5年間の活動だった。77年にケヴィン・ロル組は「コンシークエンス」という3枚組みのアルバムを発表。ギターアタッチメントのギズモをポールに送ったのはこの頃か(いやオリジナル10ccの頃だったか)。残ったエリック・グラハムの10cc名義継承組は彼らのアルバムの中で一番ポップな曲が詰まっている「愛ゆえに」を出す。アルバムタイトルの正式名は”DECEPTIVE BEND”だが、先行シングルのタイトル”The things we do for love”をそのまま頂いたタイトルになっている。そしてアルバム「コンシークエンス」の中にケヴィン・ロル組はこんな事を書いていた。”The things we do for art”最後まで食えない連中だった。



パソコンが壊れた!

 今日は、本年最後の土曜休日だったので先日の10ccの話の補足を書くつもりで、YOU TUBEの映像もチェックして午後からゆっくりエントリーをアップするつもりだった。が、新しいパソコン(丁度1年前の12月7日に届いたソーテックのデスクトップ)の調子がおかしい。10ccのベストを聞きながら、さてエントリーを打つべぇと思いキーボードに手を乗せると、ハードディスクがカチカチいい始めた。僕はたぬきではないので、背中に火をつけられる覚えは無い。しかし、音は鳴り止まない。スピーカーから流れる「ラバーブリッツ」の軽快な歌が何回も同じところで止まる。え、あれ、どした。などと呟いているうちに画面が真っ黒になった。強制終了させようとしたが全く動かない。あせりながらもスイッチを4秒間抑えて、パソコンを止めた。

 それ以来動かぬ。風林火山の山である。ソーテックに電話したら丁度1年経過したので有料のサービスになるとテープ嬢が説明した。メロスは激怒した。たった1日じゃねえか。ちったぁ融通をきかせろ!次に5年間保証をしているデ○デオに電話した。マニュアルどうりに自分の名前を名乗った女性が「修理の者はあいにく別の電話にかかっております」というので、折り返し電話してくれるよう頼んだ。1時間近くたっても電話は来ない。電話が来ないのでトイレに行きたくなった。補足説明しておくと電話が来ないこととトイレに行きたくなったことには何ら因果関係はない。ないのだが、行きたくなったのだからしょうがない。尾篭な話で恐縮だが、こういうときに限って何故ウ○コは固いのか。便器の上でうなりながら、といっても浪花節などをうなっていたのではない事は賢明な皆さんにはお分かりだろう、そう、油汗こそかかなかったが、ちと苦しんでいたその時に電話が鳴った。

 子供が取り、「デ○デオから」とドア越しに叫んだ。「折り返し電話すると言ってくれ」こちらも叫んだ。ようやく戦いが終わり、何事も無かったようにまた、デ○デオに電話した。今度は担当者は接客中だと言われた。折り返し電話してくれと頼んでかれこれ1時間以上。電話は来ない。さて、今は昔のパソコンでこのエントリーを打っているのだが、心は乱れている。今までのデータを全て無い物としてリカバリーをかけるか、もう少し待ってみるか。しかし待っていた所で電話が来るとは限らない。電話が来てもデータが消えてしまう可能性は否定できない。ああ、どうすべきか。バックアップをちゃんと取っておけばよかったのだが、後悔先に立たず。年寄りでイン○はさらに立たず(一応10cc関連ということで)お下劣ギャグも心なしか元気が無い。ああ、どうしよう。

 とりあえず、今からうどんを買ってきて作って食べる。それから考える。誰かこの手のトラブルに強い人がいたらご教示を。

手抜きエントリー「私は風邪 パート2」

 先日から風邪がなかなか治らない。寝込むほどはないのだが、鼻水が止まらずタンが出る。昨日はちょっと調子が良かったのでお風呂に入り、シャンプーしたのが良くなかったようで、また少しぶり返したようだ。風邪には1に栄養、2に休養、3,4がなくてゴクローサンなどとおちょくっていたが、こうも治らないと気分が悪い。そこで、こういう時は逆療法で、10ccの"You've got a cold"でも聞いて寝ようと思い、YOU TUBEを開いてみた。ナニゲニお気に入りの人たちの投稿を見たら、な、な、なんと元10ccのグラハム・グールドマンがアコギで「バスストップ」をやっていた、懐かしや、ホリーズの大ヒット曲だ。そうか、10ccは元ホリーズとか元マインドベンダーズの連中がやっていたんだ。



 嬉しくなって、関連の動画をチェックしていたら、10ccの片割れというかケヴィンとロルが抜けた後のエリックとグラハムが継承した10cc名義でビートルズナンバーを演奏しているのがあった。選曲が渋くてジョンの「アクロスザユニバース」とポールの「ペイパーバックライター」をやっている。そういえばもうすぐジョンの命日だ。「アクロス~」はジョンのねちっこい歌い方も良かったがデビッド・ボウイのドスの効いた歌い方も好きだった。ここではオリジナルに比較的忠実に丁寧に歌っている。その半面「ペイパーバック~」はレゲエにアレンジしている。どちらもいかにも10cc風だ。



 でもやっぱり10ccはオリジナルメンバーの4人の頃が一番好きで、1枚目と2枚目のアルバムは良く聞いたし、未だに「ドゥザウォールストリーシャッフー、ジャジャッジャーン」なんて口ずさんでることがある。その後の「ユーニード円トゥメイクまるく~」以下の歌詞は身につまされるので歌わない。ということで、初期のヒット曲「いとしのドナ」である。この曲はビートルズの「オーダーリン」のパロディといわれたが、正直どうなんだろう。人を食った歌であることに間違いないが…。



 そういえば10ccからロル・クレームとケビン・ゴドレーが脱退して「コンシークエンス」という3枚組みのアルバムを出した。すぐに輸入盤屋で買ったが、一大実験音楽というか冗談音楽でライナーも当然全て英語で、一通り読んだがどうも意味が分かりにくかったというか、はっきりいうと壮大なギャグとしか思えなかった。曲は滅茶苦茶繊細なものもあったけど。ただ音作りというか、映像メディアの扱いに貢献したのはゴドレー&クレームのほうだったので「クライ」あたりもあるのではないかと探したらありました。85年のヒットだったんだ。



 ああ、こんなもの見始めると次々に見たくなる。サラ・ヴォーンと一緒にやった「Lost Weekend」も良いんだよな。などと書き始めるとキリがないしこれ以上風邪を悪化させるわけにいかないので、本格的10cc論は、そのうちにまた、機会を見て、折があればetc~。最後にやっぱり10ccの代表的ヒット「てめえになんか惚れてねぇよ」というのをアップして終わる。皆さん風邪に気をつけましょう。


 

ベタですが、「私は風邪」

 ジャーンジャジャン、チュッチュッチューチュー、ジャーンジャジャン、チュッチュッチューチュー…

 ああ、もう涙なんか出し切ってしまった。明日からは身軽になりたい。風邪を治して自由に生きるわ。(家族が誰も近寄らず)ひとりぼっちも気楽なものさ。

 ああ、目を閉じて、心も閉じて、開いた本も読めやしない。私は風邪、私は風邪、終わりのない咳を続けるの~

 という状態じゃ、明日こそ元気になってちゃんとしたエントリー書くぞ。

 ジャーンジャジャン、チュッチュッチューチュー、ジャーンジャジャン、チュッチュッチューチュー…(言わずと知れたカルメン・マキ&OZの「私は風」のイントロである)。

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