彼も母の子、誰も母の子(by PANTA)

 昨日の選挙でジミン党が歴史的な敗北を喫した。しかし、それはミンシュ党の勝利ではなく、レミングが一瞬立ち止まっただけなのかもしれない。隊列はやはり海に向って一直線なのかもしれない。しかし、それでも私は…。

 パンタが菊池琢己と二人だけでアコースティックユニット“響”を結成し、昨年からあちこちで積極的にライブをやっていた。地方都市に住んでいるので、ライブは見れず歯がゆい思いをしていたが、ついにファーストがフライングパブリシャーからリリースされた。偶然このニュースをネットで知り、予約特典があるので申し込んだ。先週の金曜日に届き、その日から毎日聞いている。アコギ2本の演奏ということでちょっと心配していたが、ベースに中谷宏道、キーボードに中山努というパンタの個性を良く知ってるサポートメンバーが参加しているので、考えていた以上に音に手ごたえがある。

 全8曲中、6曲が重信房子の作詞(補作詞はパンタ)、1曲はその娘のメイが作詞(ボーカルはハスキーだが、詩のナレーションが実にいい。バックのパンタの声とマッチしている)そして、パンタの作詞・作曲は7曲目の「七月のムスターファ」だけ。しかし、この歌は久しぶりにパンタらしい歌になっている。今は亡き友人で、後輩で、ミニコミの同人だったM原に聞かせてやりたかった歌だ。詳しいことはまた改めて書くつもりだが、今日はその「七月のムスターファ」の詩をここに引用させてもらい終わる。

「七月のムスターファ」

記録してくれ 彼はムスターファ 
まだ14才の七月のモスル
ヘリからミサイル 向かいの家からはグレネード

記録してくれ 彼はムスターファ 
まだ14才の七月のモスル
200人の第101空挺部隊の銃口に包囲され

撃ちまくれ 撃ちまくれ 撃ちまくれ
Woo ムスターファ

叔父の死骸から銃を取り
頭のつぶれたボディガードの弾丸を奪い
血の海に横たわる父を盾に
いま誇りだけが彼を支える
彼も母の子 誰も母の子

記録してくれ 彼はムスターファ 
まだ14才の七月のモスル
屋根も飛んだ階段に立ち
弾丸尽きた銃を構え

撃ちまくれ 撃ちまくれ 撃ちまくれ
Woo ムスターファ

USAの星に狙いを定め
手応えの消えた引き金を引き続ける
数千発の弾丸の嵐が 彼を壁に押しつけて倒さない
彼も母の子 誰も母の子

記録してくれ 彼はムスターファ 
まだ14才の七月のモスル
たったひとりで1時間 アメリカと闘った

勝ち誇れ 勝ち誇れ 勝ち誇れ
Woo ムスターファ ムスターファ
Woo ムスターファ ムスターファ


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板垣死すとも自由は死せず、夏祭り試論

祭りの夜~ホコテン解除の瞬間

 昨日は、お祭りだった。もっとも伝統的なお祭りと異なり、行政が景気浮揚を目的に作った(?)お祭りなので、屋台が沢山出て、メインストリートがホコテンになり、いろんな出し物が出るという、多分日本全国ちょっとした地方都市ではどこでもあるようなものだ。一昨年は家族を連れて見物に行ったが、そのときの人の多さ(一体どこから湧いて出てきたのか、こういう時に人口という単語の存在を実感するな)に辟易して、それ以来パスしていたのだが、今年は下の子が友達と一緒に行くので、帰りに迎えに来て欲しいと頼まれたので、しょうがなく9時前に市役所まで出かけた。

 橋を渡って市役所に向うと、祭り見物を終えて帰り道に着く家族連れやカップル、少年少女達とすれ違った。みんな汗だくである。もうすぐ9時になるというのに温度計は29度を表示している。市役所の噴水のところに着くと、丁度メインストリートのホコテンが解除されるところで、それまでウンカの如く路上にいた人たちが潮が引くように左右の歩道に分散していった。子供をすぐに家に連れて帰ろうと思ったのだが、彼女いわく、友達と一緒だったので、自分の好きなもの(リンゴ飴とか綿菓子など)を買えなかったので、ちょっとだけ屋台を回るというので、仕方なく付いて行った。

 9時にはほとんどの出し物が終わるので、屋台も後片付けしているところが多く、なかなか希望するお店が無かったが10分くらいうろうろしてようやく目的のお菓子を買って、さあ帰ろうとしたそのとき、県庁の楠並木通りが見えた。ここはまだホコテンをやっており、まぶしい照明が車道を照らしていた。普段は車しか通れない道路なので、嬉しくなって道の真ん中に出て歩いた。この前の台風のエントリーでも書いたが、やはり日常と違った風景は人を興奮させる。昔、大学の移転反対のデモに参加したときに、2000人の隊列で烏丸今出川をジグザグしたりフランスやったりした頃を思い出した。もっとも2000人も集まったのは、そのときが最初で最後だったが。

 夏祭りといえば3歳の頃、苦い思い出がある。当時、今は延岡市に吸収合併されてしまった県境の漁村に住んでいたのだが、そこの村のお盆の祭りだったと思う。村の中心部の公民館の前に火の見やぐらがあり、そこを中心に屋台が連なり小さい村だったがやはりどこから湧いたかと思うくらいの人だかりだった。自慢ではないが当時僕の家は貧乏だった。言い訳をすれば当時は、日本全体が貧乏だったような気がする。もっともまだ3歳だったので、当時の僕にとってのニッポンとは、その漁村のことだった。その小さい村には酒屋があり、指物屋があり、鍛冶屋があり旅館があった。肉屋と魚屋は無かった。当然だ。魚は海ですぐ取れたし、肉は鶏やブタを飼っている家でつぶしたものをみなで分け合っていたのだ。

 そのような、原始共産制に近い共同体であったが、悲しいことに貨幣制度はしっかり流通しており、当時からジユーミンシュ党が政権政党だったので、シホン主義は確立されていた(当たり前だ)。当時、僕たち子供にとってのお金、すなわちお小遣いは10円が日常であった。『10円あったらチロルチョコ』というような、10円の貨幣価値が限定されていた時代ではなく、オマケ付きのグリコは買えたし、当たり付きのくじは5円で1回引けた(ちなみに関西の友人とこのくじの話をしていた時に、あちらではくじの事を「あてもん」ということを知った。なるほど「当てる」ものだから「あてもん」、ごもっともである)。そうそう、僕らは「スズメンタマゴ」と呼んでいた、中にピーナッツの入った醤油辛く小さな丸いお菓子は1円で2個買えた。つまり10円で結構な買い物が出来た悲しい時代だったのだ。この時代に我がサークル時代の友人S戸君(くどいけど、かまやつひろしというか豊田勇造そっくりだった)は、10円の付加価値を高めるために「ふ」を買って、それを袋一杯詰めて毎日おやつとして食べていたという。しかし「ふ」ですよ。「ふ」の無い将棋は負け将棋の「ふ」ではなく、吸い物なんかに入れる「ふ」です。当然、何の味もしないが、S戸君に言わせるとくちゃくちゃ何度も咬んでるうちに段々味が出るそうだ。どおりで彼の「えら」は大変発達していた。あれも「ふ」の効用であろう。

 とまあ、日常のお小遣いが10円(もっともそれも毎日もらえたわけではなく、母親が仕事で忙しくオヤツを作る暇がないときだけ貰った)の世界であるからして、非日常の、所謂「ハレ」のお祭りの日はお小遣いがどーんとアップすると思っていた、幼い僕であったが、その祭りの日に母がくれた小遣いは20円であった。しかも出かける前に、無駄遣いをせず、お釣はちゃんと持って帰るよう、きつく言い渡された。

 ここで、ちょっと考えて欲しい。20円でお釣を持って帰るために、使える金額はいくらか。ここで19円などと答える人間は、教科書しか知らない幸せな人である。例の「スズメンタマゴ」であれば19円分(ちなみに宮崎ではこういう時には「19円ガタ」という。例;「おばちゃん、こん、スズメンタマゴ、19円ガタくんない」などと使う。出典Everybody Can Speak Miyazakiben)買う事は不可能ではない。しかしせっかくのお祭りの日に、スズメンタマゴを19円分も買って、ええと、合計38個のスズメンタマゴを食べながら人ごみを歩いていたら鼻血ブー(by谷岡ヤスジ)になること間違い無しである。念を押すが高木ブーではない。鼻血ブーである。

 それでなくとも、屋台には普段見かけないいろんなお店が出ているのだ。うちは父母が生き物は嫌いだったので、ひよこや金魚や亀などを買って帰るわけにはいかない。もっともひよこなど買って帰ったら、太るのを待って、〆て近所の飲み方の時にご馳走として出されるのが関の山だったろう。とにかく、その手の物は買えないというか、買う気はなかった。お面は大変欲しくて、鉄人28号やアトムや七色仮面とかあったが、一番好きだったのはまぼろし探偵で、これはつい手がでてしまい「おじちゃん、いくら」と聞いたら、ああ無情。「20円」と威勢のいい声が返ってきた。

 20円ではお釣がもらえない。ええい、ままよ。まぼろし探偵に変身出来るのだから、思い切って買ってしまい、そのお面をつけたまま家に帰り「お釣は無い。クラーク東郷に取られた」とでも言おうかと考えた。しかし、そんなウソが通用するはずが無いし「だったらクラーク・ケントに頼んで取り返してもらえ」などと気の利いたことを言われるはずも無く、10中8,9いや、間違いなく今後お小遣いは一切禁止という経済封鎖に追い込まれることは間違いないので諦めた。しかし諦めきれずにお面の屋台の前に立っていたら、後ろから名前を呼ばれた。

 振り向くと僕と同い年のいとこで、彼は酒屋の息子で僕らの中でも羽振りのいい、所謂ブルジョワジーの子であった。もちろん当時はそんな単語は知らなかったが。何をしているかと聞かれたので、お面が欲しいが買うのを迷ってると話すと「○坊(僕は子供の頃は、ちゃん付けではなく○○坊と呼ばれていた)、なんぼ小遣いもろた」と聞かれた。正直に20円と答えると、大声で笑われた。「これ見てん」と、彼が手にしていたものは、百円札であった。板垣退助の百円札(by加川良)である。その赤茶色の札を彼は屋台のオッチャンに差し出し、僕が欲しかったまぼろし探偵の面をつけ「うちは、金が一杯あるとだい。カマボコもこんげ厚く切るとだい」と親指と人差し指で5センチくらいの幅を作った。

 非常に口惜しかったが、彼はお金を持ってるだけでなく、僕ら悪ガキ仲間で一番のガキ大将だったので下手にケンカしても負けるだけなので、じっと我慢した。我慢したが、この怒りを何かにぶつけなければ収まらない。ちょっと理屈をつけていうと、ブルジョワジーに対して、ルンペンプロレタリアートの怒りの炎を見せつけてやるのだ。そのためには武装蜂起しかない、などと3歳の子供なりに考えたのだろう。僕は屋台を回ってパチンコ(ゴム管という呼び方を僕たちはしていた。Yの字をした本体にゴムがついており、そこに物を挟んで飛ばすとかなりな破壊力をもたらすアレだ。ちなみに「行き行きて神軍」の故奥崎謙三氏が得意技にしていた奴です)を10円で購入し、いわばこれはハードに当たるので、ソフトも購入せねばと、かんしゃく玉を5個、1個1円なので5円、したがってお釣も5円と、親の顔も立ち僕の怒りもやや収まるいわば三方一両損的な解決をした。

 そのパチンコであたりかまわずかんしゃく玉を撃ったのだが、悲しいことに丁度花火が上がっており、誰からも注目されなかった。いや、一人だけいた。先ほどのまぼろし仮面のお面をつけた子供が見えたので、てっきりいとこだと思い、「あの野郎見てろ」とはっきりと狙いをつけて発射したが、怒りのあまり手元が狂い近くを通りかかった着物姿の女の子の足元で破裂した。普通、足元でカンシャク玉が破裂したら、小さい女の子は泣き出すのだが、流石は漁村の娘である。パチンコを持ってる僕のところに来て「なんすっとね、あんたは。あぶねーが」というや頭を小突かれた。

 まだ理性とか何も無い3歳の頃なので、僕はその子に掴みかかっていったのだが、2,3歳年長の女の子だったので逆に叩かれ、蹴られ、咬み疲れ恥ずかしい話だが泣いてしまった。今思えば、この頃からオンナコドモに泣かされる運命にあったのだろう。さんざんな思いをして家に帰ってお釣を渡したら母はきょとんとして何で全部使わなかったかと聞かれた。あんたがお釣を思って帰れと言ったんだ、というと、あれは僕が無駄遣いしないように諌める意味で言ったなどという。それ以来親の言うことには裏があると思い続けたため、碌な人生を送っていない。あのとき、まぼろし探偵のお面を買っていれば、多分、僕は健やかに育ち、ロックを聴くとか権力に対して反抗するということは無かったのではないか。いや、キッとそうに違いない。

 夏祭りが来るたびに思い出す、幼い頃の思い出である。恐らく、皆さん同じような体験があるのではないかと思う。しかし、今の屋台は何でも500円だ。あんまりである。板垣退助では買えない時代になった。

心頭滅却しても凡人はダメ

 暑い。毎日、本当にうだるように暑い。梅雨が明けて、台風が過ぎたと思ったら、いきなり盛夏がやってきた。Long Hot Summerの始まりである。地元以外の人たちはちょっと信じられないかもしれないが、宮崎は10月くらいまで暑い。昔の体育の日(10月10日だったよね)くらいまでは立派に夏である。5月の連休から初夏という感じなので、一年のうちの半分は夏なのだ。これじゃ頭の回路もおかしくなる。宮崎の四季はこんな感じだ。春3~4月、夏5~10月、秋11月、冬12~2月。書いていてうんざりしてきた。夏大杉。

 昔、働いていた会社で「暑いな」というと「当たり前」という上司がいた。ガッツの塊みたいな営業部長で茨城の人だった。やたら「だっぺ、だっぺ」という人だった。とにかくマイナス発言を許さない人で、僕ら根性無しの営業マンが「暑いな~」などと愚痴ると「当たり前。夏は暑くて当たり前。夏が寒かったら冬の立場が無い」などと訳の分からない理屈で言いくるめられた。この人と麻雀をやると最初は負けてばかりで勝てなかった。腕がいいのではない。やたら口三味線で動揺をはかり、その間に点棒を集めるタイプであった。こちらが勝ち始めると「おお、そういえば札幌で一人欠員が出るとか言ってたな」とか「drac-obもしばらく本社来てねぇな。筑波山がなつかしぃっぺ?」などとサラリーマンにとって死活問題である転勤を、それも片道切符つきの転勤をほのめかしてこちらを揺さぶりにかける卑劣な戦法であった。「茨城のかあちゃんもいいぞ、お前。そろそろ家庭もって落ち着け」などと良く言われた。

 また、徹夜マージャンが好きで、土曜の夜中からゲームを始めて日曜の朝9時くらいまでやるのだが、皆が元気な2時3時くらいは大人しくて、大体頭が動かなくなる5時くらいからラッシュをかけるいやらしい人でもあった。最初の1,2年は全く勝てなかったが、あるときじっくり考えて、ゲームが始まると同時にウォークマンをして一切その人の発言を無視したら、勝てるようになった。無論腕は数段こちらが上だとは思っていた。学生時代に流した涙と巻き上げられたお金とプライドの絶対量では、その会社の誰にも負ける気はしなかった。

 ダメだ。あまりに暑くて話にならん。ここ数日は車の中で涼しくなる音楽をと思い、セレクトしたのはチック・コリアのリターントゥフォーエバーだけど「スペイン」の入ってる「ライトアズアフェザー」とこちらは全く毛色の違うドアーズのベストをかけている。このほかにイーノなんかも涼しくなれる。ああ、何を書いても頭から湯気が出るような暑さだ。どうなってるんだ一体。もう今日は寝ます。おやすみ。

お下劣ネタです。お嫌いですか?

 平日、昼間のラジオ番組というのは結構面白い。僕の住んでるのは九州のなかでも田舎といわれる宮崎なので、全国ネットのニッポン放送や文化放送の番組などは流れず、ローカル放送局のMRTが製作する番組がほとんどである。地元のアナウンサーやパーソナリティが全国ニュースやローカルニュースをおしゃべりのネタにするのだが、結構それなりに納得することが多い。もちろん仕事の移動の合間に、いわゆる「ながら状態」で聞いているので、聞いた瞬間は覚えていてもあとあとまで覚えているものは少ない。その数少ないもののうちのひとつを今日はご紹介したい。

 午後の1時から夕方の4時くらいまでの時間帯に曜日ごとに男女のアナウンサーやパーソナリティがチームを組み番組をやっているのだが、その中に色々なコーナーがある。もちろん3時間ずっと同じMCだと持たないというか、全国ネットとのからみもあるのだろうが、途中10分だけ文化放送の番組が入ったり、ニッポン放送の番組が入ったりするのだが、基本的にはローカル局が作った番組がメインである。3時間の間、主なリスナーは自営業(宮崎は農業県だからマンゴーのハウスで聞いてる人も多いのよ)や、主婦、車で移動中の営業マンなどである。したがって、地元宮崎の話題(未だに県知事の話はネタになるね、しかも前知事の裁判も始まったので余計だ)をネタにしたトークが色々聞かれる。またメインのパーソナリティの好みで音楽も決められてるようで、僕がまだ若い頃洋楽のトーク番組を持っていたキャスターは「帰ってきたユア・ヒットパレード」なるタイトルで懐かしのポップスをノンストップで20分ほど流すコーナーなんかもある。お隣の鹿児島の放送局は、今はどうか知らないが僕がよく仕事で通っていた15~6年前までは「外国の歌は放送では流さない」というのをポリシーにしていたので、流石はイギリスに戦争を仕掛けた藩の末裔だと感心したことがあった。

 先週の水曜日くらいだったと思う(曜日ごとにアナウンサーが違うので間違いない)。たしか30代くらいで中部地方出身で元大学の落研出身の人がいるのだが、彼の番組でいろんなシチュエーションを設定して、そこで気の聞いた一言を募集するというコーナーがあった。そこで、「花火大会を見に行く約束をした高校生カップル、約束の時間に遅れて浴衣を着て現れた彼女にインパクトのある一言を」というのをやっていた。そのシチュエーションにビックリしたのと、今が平日の昼間だということの落差にちょっと目がくらんだ。どんな回答が来るんだろうという期待は無かった。何しろ、「胸キュンのコメントをくれた方にはT水産から干物2000円分を差し上げます」というアナウンスがあったからだ。

 2000円分の干物は魅力である。しかも県北の老舗のT水産のものであれば間違いは無い、って、そんな問題ではないのだ。再度、この時間帯に聞いている人たちはどんな年代のどんな人か考えたら分かりそうなものだ。その手の「胸キュン」トークは現役の中・高校生に任せておけばいいのだ。時間帯が夜の9時10時なら分かる。深夜番組なら尚分かる。平日の昼間にやるテーマじゃないと思うのだが。

 てなことを、この間考えていて、エントリーにアップしようと思っていたのだが、記憶もワサビみたいなもので、時間が経つと気が抜けてしまい、ピリッとしないな。まあ、もうひとつ冴えないわけは今日も歯医者に行って虫歯の治療をして、イマイチ口の中の勝手が悪いせいだ。

 俗に、「メ・ハ・○ラ」といいますが、自慢じゃないが目は小学校4年生の頃から近視で、10年ほど前からはローガンたらいうものになって、遠近両用なんてものにお世話になっている。歯も子供の頃から虫歯が多くて、大きく口を開けて笑うことなどとても出来ない。もうひとつに関しては、これはちょっとここでは書けない。本来であれば泌尿器科のスペシャリストになっていてもいいのだが、幸か不幸か今のところお世話に、なったことがあった。初めての子供が生まれたときに尿管結石を患い、超音波で石を砕くというワイルドな治療を受けたことがあった。しかも春先だったので、新人のナースさんたちが見学している前で、お尻を丸出しにしてその超音波の器具に腹ばいになっているところを見られた。それ以来、見られることが快感になって…。ウソ、冗談ですって。こら狸さん喜ばない!!燐さん、ここコメント要りませんから。

 しかし、歯医者は憂鬱である。何がといって、あのムーグシンセサイザーのようなチュイーンという音がダメである。大の大人が大口を開けて(ここ、意識しなかったけど「大」というのが3つ並んで韻を踏んでるようだ、カッコイイ)無防備な姿勢で、他人に身を任せなければならないところも嫌である。予約していっても時間通りに診察してもらえず、ひたすら待つのも嫌である。昔、安部公房のエッセイだったか「親が歯医者は怖くないなどと余計なことをいうから、子供は恐怖を感じるのだ。余計なことを一切言わなかったおかげでわが子は、虫歯が出来ると50円玉をにぎりしめてすぐ歯医者に行く」みたいなことが書いてあって、なるほどと思ったことがあった。「砂漠の思想」だったか。しかし、今時50円玉にぎりしめて歯医者に行っても、全然足りないが。

 まあ、歯医者の嫌なところは一杯あるのだが、僕がこの10年ほど通っている歯医者は、なかなかいい。先ず365日営業じゃない、開業しているのがいい。しかも平日は夜9時まで、日・祭日も夕方6時までやってる。この先生は一体いつ休むのだろうかと思うくらいだ。しかも電話予約の番号のほかに、治療で心配なことがあれば24時間いつでもドクターと話が出来る番号まである(これは流石に今はやってないようだが)。初めてこの病院に通った時に、夜中の1時過ぎだったが、お酒を飲んでいて治療したところが取れてしまった。酔っ払っていた勢いもあって、出なかったら次回の治療の時に文句言うたろと思いつつ電話したら、出てきました。流石にちょっと眠そうだったけど、こちらの不安を綺麗に解消してくれた。それ以来贔屓にしているのだ。

 もっともこの病院も賛否両論あって、ある知人は治療してもらったがどうも勝手が悪いので別の歯医者に行ったら、全然治っておらずやり直しだった、とか先生の手先が不器用だとか、たまに手が震えてるとか言う話も聞く。また待合室においてある本も「SAPIO」
や「わしズム」、いわゆるあちら系の雑誌や「ボーグ」とか「ナンタラ」とかいうカタログやブランドの雑誌ばかりでつまらない。コーヒーサーバーがおいてあるのはいいんだけど。

 おっと、それともうひとつ。この歯医者には圧倒的に男性患者が多い。何故か。それはええと、あれはなんというのか歯科技工士というのか歯の治療の補助をしてくれる人や受付の女の人がみな一定以上の水準というか、いや、あの僕は行ったことがないんで良く知らないのだが、所謂「風俗」っぽいコスチュームというか、スカートの丈の短さというか、まあ、ナンである。アイデアル。一度、僕が治療を受けている時に、面接に来た女性がいて、治療の途中だった先生が「ちょっと待ってください」と行って、その女性の面接を始めた。ナニゲニその様子を見ていたが、先生の視線はどうも応募者の特定のところだけを見ていたのではないか。何故それが分かったかというと僕も同じ箇所を…。あー、えー、けほけほ。どうも治療した歯がイカンな。もう一度予約しておこうかな。

 まあ、こういうことをエントリーにかけるのだから、メとハはさておきもうひとつのほうはまだまだ大丈夫だろうという今日この頃である。

SRI、出動せよ!!

最初見たときは、マジでビビッタよ、てめーたかが松かさの癖して威かすんじゃネェ!

 僕は霊感の強い人間ではない。が、今日は特別だった。何故か朝から落ち着かない。常に誰かに見られているような気がしてしょうがない。ふと、振り返ると、そこには夕焼けがありま、いやいや、朝から夕焼けがあるわけが無い。朝焼けの仮面ライダーとズィンク・アロイだったのだろう。などと、よっぽどT・レックスファンで無いと興味が無いようなことを書いて行数を稼いではいけない。とにかく誰かに見られている気がしてしょうがなかったのだ。

 午前中に事務処理をして、午後から外回りに出た。人から見られている感じはよりいっそう強くなるが、車で移動してるわけだから後ろにくっついてくる人間がいるはずは無い。もしいれば、人間ではないだろう。しかーし、僕は『人間死ねば火葬場の煙、死ぬ時は一人』を座右の銘としているからには、妖怪だの霊魂だのの存在を認めるわけにはいかん。こりゃ、気のせいだ、と決め付けて活動していた。午後3時を過ぎた頃だろうか、無性にWCに行きたくなり、丁度県立図書館の近くを通っていたので、そこの公園のWCに駆け込んだ。ちなみに公衆トイレとか公衆便所とかいう言い方はするが、大衆トイレとか大衆便所とか言わないな等と、いやなに、ちょっとした疑問というか、日常に潜む疑問を頭の中で反芻していたときに、その視線に気がついた。

 ひ、ひ、百目だー。悪魔くんに出てきた妖怪百目だろう。子供は可愛かったが、親は怖かったぞ。アパチャノモゲータ、とか言ってなかったか。と、錯乱したが、よく見たら焼酎のワンカップの中に松ぼっくりを入れて、それをさかさまに置いてあったのだ。いや、バランス的にはこちらが正常だと思うが。朝からの既視感は、こいつとの出会いの伏線だったのか、と、無理やりな落ちをつけて本日のエントリーを終わるのであった。

フォークゲリラは健在だし、フォークソングクロニクルは不死鳥なのだ

 驚き、桃の木、山椒の木ってやつですか。今時、使われない表現であることは百も承知ですが、まさにそう例えたくなるようなことが今日、正確には今から3時間ほど前にありました。この週末は、世間様は3連休とかいって、浮かれかけていましたが、なんの台風4号が九州を直撃しその後四国から近畿、関東に影響を与えたため何処にも行けなかった方が多かったのでは、と推測されます。僕は、この台風のせいで日・月の連休もちょこちょこ仕事が入り、とてもゆっくりしたとはいえない週末でした。そのせいか、エントリーも気の抜けたコーラみたいにしまりの無いグダグダの話しか書けず、挙句は昨夜から、もうエントリーは諦めてYOU TUBEで新作動画でも見ようと開き直っていました。

 僕がYOU TUBEで見るのは99.9%音楽関係のものなので、Subscribeに登録している人も、洋の東西を問わず主に70年代の音楽動画を投稿している人たちである。そしてYOU TUBEの楽しみはSubscribeのページを開くと、まだ見ていない動画がアップされており、それらは僕が気に入ってるミュージシャンを好きな人たちが投稿しているので、特別何もしなくても十分楽しめる。それでも昨日は、あちこち飛んだり、検索機能を使って「ウシャコダ」を探したり、「アーチーズ」や「パートリッジファミリー」を探したり(これらは英語で検索したらあった)、「突然ダンボール」なんか誰かアップしてないかな、とほとんど錯乱状況で動画三昧をしていたのだ。その中で有山じゅんじが「梅田からナンバまで」を95年の春一番でやった動画があり、いや懐かしいとその投稿者もSubscribeに登録して今日は、昨日見れなかったストリート・スライダーズや清志郎を見ていて、ふとある動画に目がいった。

 「へ」という文字だけがタイトルにある。静止画像を見ると若いころの笑福亭鶴瓶かと思ったが、何か気になるものがある。クリックしてみた。ラメのネクタイをして、銀色に輝くミラーボールの下で、アフロヘアーでギターを弾きながら歌っているのは吉田拓郎ではないか。しかも曲は自主規制か、その筋からの圧力なのか未だにちゃんとした歌詞ではリリースできない「ペニーレインでバーボン」ではないか。じっくり聞いてみるとちゃんと「テレビは一体誰のためのもの、見ているものはみんなツンボ桟敷」と歌っている。小賢しく「蚊帳の外」などと不自然な「言い換え」はしていない。動画を見終わって、この投稿者の他の動画をチェックしてみた。何と、五十音の中の一文字をタイトルにしている動画がたくさんある。これは、何かあるなと思い見ていくと、おお、何とそのままフォークソングクロニクルと呼べそうな名曲が次々と、それも当時の動画がそのままアップされているのが多い。

 たとえば「や」と書いている動画は、フォーライフレコードでデビューした川村ゆうこの名曲「風になりたい」(作詞、作曲、吉田拓郎)である。しかも最初に拓郎本人の解説が入る。「と」を開いてみるとNSPの「夕暮れ時はさびしそう」である。ここのリーダーの天野滋氏は今はもういない。「わ」は何とフォークルの3人が歌う「イムジン河」である。流石に時代が時代なので、白黒のフィルムだが、ここで見る加藤和彦の異様な足の長さと指輪の大きさは十分後年のサディスティック・ミカ・バンドを想像させる。「お」も、ちょっと不幸なグループであるGAROが、第15回レコード大賞で大衆賞を受賞した時の「ロマンス」の映像が貼ってある。しかし、このバックの演奏はバランスを欠いており、せっかくのGAROのハーモニーが台無しである。心なしかトミーがやる気無く歌ってるように見える。

 それから、あーた。今や幻のフォークシンガーともいえるケメの動画ありました。「へ」で「メリーゴーランド」やってます。いや、同性の僕が見ても当時のケメは可愛かった。作る曲も可憐だった。詩もいじらしいものが多かった。今は、風の噂ではゲーハーでメタボで面影は全く無いなどと聞くと、頼むからBSの番組に出たりしないでくれと思いたくなるが、それは勝手な理屈だろう。「時はモノを壊していく、お前とオレの顔も壊す」(byモッズ)である。そして、そうして僕はある異様な二人組みを見つけてしまった。師匠と弟子筋に当たるこの二人の動画が見られるとは思わなかった。特に師匠のほうは、僕の大学の先輩に当たる人で、一時期神様扱いされ、ある革新党派にも乗せられて大変な目にあった人だ。そうそう、この人の妹が経営している喫茶店が大学の近くにあり、そこにはいろんな詩人やゲージュツ家が出入りしていたが、テーブルも椅子も木製で僕は何度か入ったことがあるが、大変居心地が悪く感じた。もっともミニコミを置いてもらったりしたこともあったので、恩義は感じている。お店の名前は、ほんやら洞といった。

 今、また見てしまったが岡林御大、歌もギターもさびていない。弟子の泉谷もやや興奮気味ではあるが、熱唱している。エンディングがやや狂うのはご愛嬌か。「春のからっ風」という選曲もいい。岡林はここ最近本を出したり、笑っていいともに出たりとやや活動的にはなっているが、HPは閉鎖したままだしライブやレコーディングの話もあまり聞かないので是非もう一度歌って欲しい。今、この時代に「私たち」の歌を歌って欲しいのだ。「私」の歌は腐るほど世の中に充満している。「私は人と違う」「私は特別」「私だけが良ければ」、というような歌があちこちにあふれかえっている、この時代に「私たちが望むものは」なんなのか、あの時代の総括は要らないので、「今を、時代を」歌って欲しいのだ。そうそう、まだ20代の岡林の「山谷ブルース」が「ち」で聞ける。

 ちょっとマジになってしまったが、フォークかどうかよく分からないが、とんでもない(当然褒め言葉です)歌い手二人が「夢は夜開く」を歌っている。ご存知三上寛とダウンタウンの宇崎竜堂が「む」で一緒に歌っているのだ。演歌とか情念とか恨みつらみ、などという単語が頭を駆け巡る。ちょっとお口直しにはオリジナル・シモンズの「恋人もいないのに」が「ふ」で、やまがたすみこの「風に吹かれていこう」が「た」で聞ける。

 こういう風に投稿ビデオの多くを一文字で表し、Tagsにも一切情報が入っていない。もちろん、今、僕が書いてきたようなこと、またはミュージシャンの名前を載せていれば著作権の問題もあり、即座に削除されてしまうことは簡単に想像できる。そうだ。これはゲリラライブ投稿なのだ。昔、覆面バンドとか覆面ライブなんてのがあったが(比較的最近ではタイマーズの例がある)、それ以前にフォークゲリラなる言葉があった。流石に僕の世代より上になるが、このYOU TUBEへの投稿こそ、まさに現代のフォークゲリラではないか。もちろん、いつかは見つかって消されていくだろうが、せめて今のうちに少しでも多くの人に見てもらいたい。

 昨日から、フォークの動画を見て気がついたことがあった。メロディも歌詞も演奏ももちろん魅力なのだが、フォークの一番の魅力は「声」ではないか。「声」がそのときに求められる「詩(=言葉)」に出会ったとき、多くの人の心を撃つのではないか。などと、柄にもないことを考えてしまった。最後にフォークの時代にその生を受け、ロックと化してその精神を解放した偉大なる女性シンガーの動画を続けて貼っておく。この人、この前宮崎来たんだよな。チクショー、無理してでも行くべきだった。


そういえばクレジットがカルメン・マキになってるけどカルメン・マキ&OZとすべきなのに。ハチも一瞬しか映ってなくてかわいそうだな。

After You’ve Gone~君去りし後

強風で宙吊りになっていたテント屋根 こんなものが落ちてきたら大変だ

 台風一過である。昨日の激しい雨がウソのように、まばゆいばかりの青空が広がっている。ときどき風の音はするものの、強烈な夏の日射しがあたりを照らしている。しかし、どうしてこうも見事に天気は変わるのだろうか。梅雨が一気に消し飛んで、真夏に突入したような気がする。ところで台風一過という言葉は、小さい頃は台風ファミリー、つまりアダムス一家みたいに思っていた。台風には家族がいて、大暴れするオヤジ(別名おやじ太鼓なんちゃって、このギャグ分かる人はファーフロムヤングである)が、あたりに雷や雨や風を撒き散らし、街をめちゃくちゃにするがその後を母子が後片付けして、空を綺麗にするのだと思い込んでいたのだ。ああ、あの無邪気な時代に帰りたい。

 しかし、台風の一家はどんな連中がいるのだろう。父がハリケーンで母がタイフーン、その子供がサイクロンでいとこがモンスーンてなとこだろうか。このハリケーンというおやじは元ボクシングの世界チャンピオンで無実の罪で刑務所に入れられている、はずはなくて、それはディランが「欲望」のなかで歌った「ハリケーン」のほうだ。実は、ハリー・ケーンが本名で、社会的に成功した市民ではあるが、死の直前に「バラのつぼみがどうした、こうした」とうわごとのように言い続け、周囲を混乱させるって、それは「市民ケーン」だ。

 などと訳の分からない話が続いたが、実は昨日の夜「怪奇大作戦セカンドファイル」が放映されていたのでHDDに録画して、ついさっき見たばかりなのだ。おかげで妙な妄想癖がついてしまい、さらに今日は午後から休日出勤したおかげで、肉体的には疲れているが精神的には妙に高揚しており、ブログのネタも頭で構築した時は、これは面白い、久々のヒットやなどと思っていたのだが、いざ打ち始めると一気にしぼんで行き、一体オレは何を書きたかったのか、良く分からん。しょうがないので昨日から今日にかけての一日の流れを思い出してみよう。

 昨日は、土曜日で毎週恒例のATLの病院に行く日だったのだが、流石に早朝から物凄い雨が断続的に降ったり、突風が吹き荒れるという典型的な台風接近状況だった。デパートなどは早々と臨時休業したので、こりゃ病院も危ないかなと思い電話したところ「今は受け付けてますが、いつ打ち切るか分からないのでお見えになる場合はなるべく早くお願いします」という事務の人の言葉に、大慌てで車を飛ばせて行った。僕の家から病院へ行く間に大淀川という、宮崎を代表する川が流れているのだが、その上にかかっている橋を渡る時に車のハンドルが何度か取られそうになった。いつもなら♪あの娘、ハドソンリバー越えて~(byレイジーヒップ)とか、♪めーにりばーとぅくろーす(byジミー・クリフ、もっとも僕はニルソンバージョンで歌ってるつもりだ)なんかを鼻歌交じりで歌いながら気楽に走るのだが、流石に昨日はしっかり前方を見て車のライトもつけて安全運転した。口ずさんだ歌は強風波浪注意報のリフが出てくるパンタの「Audi’80」である。♪悲鳴上げるミシュラン、ぶっ壊れたウィンカー、答えを聞かせろよ、すっとぼけるミニスター、などと歌いながら病院に着くと、なんと駐車場に止まっている車は6,7台。しかもそのうち3台は顔なじみのナースさんの車なので、こりゃ一体どうなってるのだと思いながら待合室に入った。なんとそこにはたったの2人しかいなかった。この病院に通い始めてかれこれ3年近くなるが始めての経験である。あまりに嬉しかったので、待合室のソファをあちこち移動しながら座っていたら、若い女性の患者さんがそれまで座っていた席から離れて僕から一番遠い席に移った。変質者と思われたのだろうか。まあ、あえて否定しないが。

 名前を呼ばれて、処置室に行こうとしたら一人の男とすれ違った。以前割り込みをしてきた男だ。最近見かけなかったがしぶとく生きていたか。まあ、相手も恐らく同じことを考えていたのであろう。一瞬視線が合ったが、お互い「フン」という感じでそっぽを向いた。どうでもいいけどガキだね。処置室に行くと一番注射の相性のいいナースさんだったので、嬉しくなり少しおしゃべりをした。いつもなら次の患者さんが待ってるので、時候の挨拶くらいしかしないのだが、今日はなんせ開店休業状態だったので、結構色々話をすることが出来た。注射をした後もいつもは「ハイ、じゃあと少し押さえておいて下さい」と自己責任で処理するよう言われるのだが、この日はじっくり指で押さえてくれた。一瞬オレに気があるのでは、と思ったが、そんなことは絶対無いので、まあ、こんなこともあるなら台風も悪くないなどとほざいていたのだ。

 しかし、そのあと出社してからはこちらも開店休業状態で、ときどき顧客からの連絡が入り、いつもならすぐ外回りに行くのだが、流石に終日事務所にいるしかなかった。結局その日に処理する仕事が溜まってしまい、この連休も午後からとか、午前だけという形だが、休日出勤せざるを得なくなった。それでも直撃の台風の割には、被害もさほど無かったと思っていたが、テレビや新聞で見るとやはりそれなりに大きな傷跡が残ったようだ。

 あかん。落ちも何もない。このまま昨日から今日の出来事を書いても退屈な話ばかりなので、今日は終わりにしよう。明日はちゃんとテーマを決めて書くからね。そうだ、車に万一のことを考えて、積んでおいたヘルメットとウィンドブレーカー、タオルに長靴はしまっておこう。うっかり警察に止められたら、あらぬ誤解を受けてしまう。クワバラ、クワバラ、ツルカメ、ツルカメって何のまじないだ。

Before The Flood

今にもあふれそうな河川 水位が上がっている 不気味な雨雲
 
 台風が近づいている。今年の梅雨は空梅雨だななどと舐めていたら、とんでもない。先週からすっきりしない天気が続き、それでも終日雨が降ることは無く、時折強い日差しが差し込んでこのまま夏に入るかと思わせたが…。今週になってからは連日激しい雨が(by モッズ)降り続いている。梅雨が明ける前のハードレインだと思っていたら、あれ、台風が来ている。でも7月の台風は大抵それるから、そんなに心配しなくてもいいかと多寡をくくっていたら、何と明日の昼間宮崎市を直撃するとかいってる。勘弁してくれ。

 などと泣き言を書いたが、嵐の前というのはなんとなくわくわくする。これは地域の保安を職業としている人からは眉をひそめられるかも知れないが、嵐の前の静けさの中、生暖かい風が吹き荒れる中、何かちょっと期待する気持ちは、小さい頃から変わらない。もっとも、この感覚は本州の人たちにはなかなか分かりにくいかもしれない。自慢じゃないが宮崎・鹿児島という南九州は以前は台風銀座などと呼ばれており、鹿児島の枕崎の名産は鰹節と台風と相場が決まっていた。もっとも鰹節はなにやら今月半ばから全ての工場で生産をストップするらしい。全国鰹節労働組合のゼネスト指示らしいが、GHQが干渉してつぶされるらしいって、一体いつの時代の話だ。もはや(太平洋)戦後ではないぞ。

 今日は、この大雨と強風の中午後から外回りをしていたら、配偶者からメールが来て上の子の学校は午後から休校になったので車で迎えに行ったとか、自分の仕事も臨時で休みになったなどと書いてあった。このあたりの感覚も本州の人にはやや分かりにくいかな。南九州では台風休校とか台風のため会社が休みになることがある。まあ、それだけ台風の被害が甚大で、時には人命が失われたり、その地域の主要産業がダメになることもある。そういえば去年だったか僕が小中学生の頃住んでいた延岡市が台風被害で鉄橋が落ちたり、そのあと竜巻が起こって町に大きなダメージを与えてことがあった。

 今回はそのような被害が起きないことを心から祈っている。と、真剣に思いながらも、何故かわくわくしてしまうのはどういう心理なんだろう?「とったらあかん、とったらあかん、とったらあかんと思いながらつい手が出て~」(by 上田正樹と有山じゅんじ)というような、心理なんだろうか。だって、乾電池やブルーシートを買って、枕元に万一のための懐中電灯とトランジスタラジオを用意しただけで、心が弾んでしまうのだ。イカンことではあるが、自分の気持ちを偽ることは精神衛生上良くないので、今からディランの「激しい雨が降る」を聞きながら休むことにしよう。いや、ブライアン・フェリーのほうが今の心境にしっくり来るかな。今日は、ひねりも何もないエントリーでした。たまにはこんなスケッチ風なものもいいでしょう(などと、オチがつけられず、当初考えていた話をスッポリ忘れてしまったことを誤魔化すのであった)。

 あ、今まで止んでいた雨がまた激しく降り始めた。

Who Am I?

どうやったらこんな人相になるんだ、分からん。

 先日、部屋を片付けていたら昔のパスポートが出てきた。当時のパスポートは今のものの倍くらい大きくて、写真も大きかった。まだ25,6くらいの自分の写真が張ってあり、当時はコンタクトにしていたのと、写真屋が修整していたのでまさに別人28号がそこにいた。こんなものは誰にも見せずに処分せねば、と思っていたのだがちょっとした気のゆるみから、我が家のオンナコドモ連合に見られてしまった。「何、これ」「ありえねー」「きしょい」「うざす」ありとあらゆる罵詈暴言が投げつけられた。僕は耐えた。このパスポートを持って旅した国は、中国、香港、マカオ、グアム、ハワイ、エトセトラ、エトセトラ。オレが旅した若い頃にゃ、よく聞け若いの。酒と女とロマン求めて、七つの海を旅したもんさ~(by アフリカの月)。
血まみれになってます。他人事ながら大変そうだな。

 このマンガというか落書きは、下の娘が僕のパスポートの写真を見て画き殴ったものだ。何処をどう見たら、こんな顔を画けるのだろうか。お次の落書きは、そのあと事故にあった様子を画いたと言っていた。僕はこの子の思考回路が理解できない。この絵を画いたのは、冷蔵庫にマグネット式に貼っているホワイトボードである。家族間の連絡を取るために配偶者が百均で買ってきた。最初は配偶者が「努力は結果を裏切らない」とかなんとか、大方ドラゴン桜あたりからパクって来た、早い話が「勉強頑張れ」みたいなスローガンを書いた。それを見た上の子が「人生はギブアンドテイク。持ちつ持たれつさ」などと若いくせに妙に悟ったようなことを書いた。そして下の子は「まじゃある語」と書いた。一体何だと聞いたら、今度合唱で歌う言葉がまじゃある語らしい。そりゃ、一体何処の国だと聞きたかったが止めた。わからん。こいつの考えてることは。

 おっと臨時ニュースです。携帯持ってると爆死するかもしれんぞ、みんな、速やかに携帯電話放棄しような!!

Time Run Like A Freight Train

 昨日、ブログのエントリーをやや尻切れトンボにしてしまったのには理由がある。ノーリーズントウクライ(by E.C.)なのだって、何のことか良く分かりませんが。実は丁度1年前に高校時代の友人宅に訪問したことがあり、そのことはエントリーにアップしたのだが、そのときのN原君が仕事で宮崎に出張してくるので久しぶりに会おうと約束していたのだ。このN原君は一部上場会社の次長職でありながら、携帯を持たないという兵である。丁度僕のブログでも携帯電話不要論について何度かエントリーを書いたが、ここは一発彼がどのような思考回路で携帯を拒否しているのか、その理論展開を聞き出し、もって僕のブログの充実を図ろうなどというスケベ根性が無かったとは、決していわない。人間正直が一番なのだ。

 えーと、僕のブログは話が長い割りにまとまりが無く、結局何が言いたいのか良く分からない、というご批判があるので、今日は結論から書くとN原君には携帯を所持しない明確な理由というか意図というものはあまり無く、いや本当はあるのだろうが所詮志の低い僕などに話しても恐らく理解は出来ないだろうとの老婆心ではっきりしたことは教えてもらえなかった。なにしろブンガクブはテツガクカのご出身なので、僕のようなちゃらちゃらした人間とは所詮その重みが違うのである(N原君、かっこよく書いてあげたから、今年のお中元は期待していいかな)。などと、いろんな言い訳を書きましたが、要は馬鹿話で盛り上がり、あまり携帯電話の話はしなかっただけなんです。

 しかし、拙ブログの常連の皆様のコメントはありがたいというか、書いてる当人以上に問題点を掘り下げてさまざまな角度からいろんなご意見を頂けるので本当に感謝しています。いっそのこと僕のエントリーは白紙にして、レギュラーコメンテイターの皆様のコメントだけでブログを成立させた方が世のため、人のためではないかと思うことが多々あるのだが、そう結論付けると大変寂しいので、もう少しの間は僕の馬鹿話にお付き合いいただきたい。

 例によって話があちこちに飛ぶが、N原君ともう一人S藤君という、こちらは宮崎在住で何度かこのブログにも登場した高校時代からの友人と、夜7時に一番街のT中書店の前で待ち合わせた。一番街などというと聞こえがいいが、要は街中のアーケード街でここにあるミスタードーナッツ前は宮崎人の待ち合わせ場所ナンバーワンである。あなたも宮崎に来た時は「一番街のミスド前に19時集合」などというと、「おっ、地元の人」と感心されること間違いありません。ついでに肉巻きをお土産に買えば、夜の街のツウだね。当日は僕も久しぶりの土曜休日だったので、夕方までにエントリーを書き上げ時計を見たらもう後10分で7時である。大急ぎで配偶者に頼み、車で送ってもらったが、何故か長女と次女もくっついてくる。僕が夜いないことをこれ幸いと、女子供3人でレンタルビデオ屋にでも、もっとはっきりいうとツ○ヤ辺りに行って好き放題しようという腹だろう。

 目的地近くで配偶者が「今日は久しぶりにお友達と会うのだから、ゆっくりしてきたら」などと心にも無いことを言った。ここで感心するような僕ではない。「何でや?」と問い返したら、上の娘が「お母さんが遊びに行く時に、遅くまで行ける様に言ってるっちゃろ」と鋭い指摘をした。そうなのだ。僕は夜出かけても大抵その日のうちに帰ってくるが、こやつは2時、3時なんていうのはザラである。そういう姿を見ているので、我が家の馬鹿娘達は「早く大人になって、夜中の3時まで遊んでいたい」などとタワケタことを平気で言う。今回も二人で「夜中の3時まで遊んでたら、どんな感じやろうね」などと言っておった。ここは父としても一言言っておかねばと思い「アホになる」と断言しておいた。

 待ち合わせ場所に行くとN原君はスーツの入ったバッグを肩から提げ、もう片方にはボストンバッグを持ち、見るからにビジネスで来ましたという格好だ。丁度1年ぶりだが、奥さんや子供に変わりは無いかとか、家の周りの草刈はしているのかとか、それまでの空白を微塵も感じないような話が出来るのも、高校時代からの友人ならではである。大きな声で雑談をしていたら、店の中からS藤君が出てきた。早くに来たので、お店でずっと立ち読みしていたらしい。とりあえず、おでんを食べに行こうということになり、高校を出たばかりのときに当時の担任の先生に紹介してもらった、お店に行った。このお店は航行や中学の先生が集まるお店で、店の主人も僕たちの高校の先輩に当たる。先輩に当たるが、学業成績は雲泥の差という奴で(どっちが雲で、どっちが泥かとか、この際聞かないで欲しい。あなたの思ったとおりである。チクショウ)、学生時代はお店にいくたびに説教されていた気がする。もっとも親父臭い人生論など言われたことは無く、人生は一度なんだから思い切り生きろみたいなことばかりだったので、鬱陶しいと思ったことはない。

 そういえば、もう随分昔の話だが、この店で一人で飲んでいたら元活動家の高校の先生と意気投合したことがあった。二人して訳の分からない革命用語を喚いていたら、この店の主人のお兄さんが外国人を連れてお店に入ってきた。伺ってみると西ドイツのメーカーに勤務しており、今日は九州の観光の同行でお店に来たとのことだった。お酒の勢いもあり、元活動家の中核シンパの先生とD大中退で今やシホン主義社会を営業係長として生き抜いていた好青年(オレ、オレのこと)と東ドイツという社会体制の異なる国との緊張関係の中切磋琢磨している国籍の異なる二人という、大変面白い構図が出来上がった。

 最初は、お互いやや緊張しながら喋っていたが、アルコールが回るうちに西ドイツの人が、僕に「ドイツが二つの国に分かれているのを知っているか」と、日本の義務教育を舐めたような質問をしてきた。あ、お断りしておくが彼は英語と日本語のちゃんぽんで話していたが、ちょっと複雑な話になるとドィッチェランドの言葉で話し、それを店の主人のお兄さんが日本語にするという流れだった。決して僕たちの語学力が優れていたわけではない。東西ドイツに分かれていることは、歴史の時間に習ったし、第二次世界大戦では同盟国だったではないかなどと話すと「それでは東西ドイツはひとつになったほうがいいと思うか」と聞かれ、あまり深くは考えずに「原則的には賛成だ」と答えたところ、そのドイツ人は「これだから日本人はダメだ。センチメンタルすぎる」と言ったかと思うと大声で喋り始めた。あまりの剣幕にぽかんとしていたら、お兄さんがフォローして「今、西ドイツは大変な状態なのだ。同じ民族だからひとつになったほうがいいというような単純な話ではないのだ」と説明してくれた。

 それからは、そのドイツ人がやたらこちらを見下したような態度をとり始めたので、まだ若かった頃の僕は、ちょっとムカついて「おまえ、ドイツ人ならクリスタルナハトを知ってるだろう。民族的優越主義から一民族を抹殺しようとするのは歴史の進化なのか。ちょび髭の伍長を最高権力者に持ち上げたのは民意の総意なのか、それとも一部の特権階級の陰謀だったのか」などと、今にして思えばケンカを売ってるとしか思えないようなことを言って、勝手の同盟国相手に余計な緊張関係を作り上げたりして、いやまあ、この手の話は枚挙に暇がない。そういう店に連れて行こうとしたS藤君の狙いは一体なんだったのか、あいにく満席で入れなかったので良く分からない。

 仕方が無いので、前回sugarmountain君を連れて行った地鶏のお店に行ったがそこも満席。3軒目の活魚料理店にようやく入ることが出来て、いや、お疲れさん、大変だったななどとお互い声を掛け合って、生ビールで乾杯した。僕は二人にお酒が回らないうちにN原君の携帯を持たずに、花の東京のビジネス社会を生き抜くノウハウを聞いておこうと口火を切ったが、本人は「携帯を持たないでいいような仕事だから」とあまり多くを語ってくれない。ただ、携帯を持たないので、外から連絡を取るのに公衆電話を探すのが大変だと、その手の苦労話をしてくれた。考えてみれば、ほんの少し前までは電話ボックスは至るところにあったし、カード式電話も駅や空港などには何十台も置いてあった時代があったのに、今はその名残は何処にもない。これも歴史の必然なんだろうか。

 携帯の話はまったくと言っていいくらい盛り上がらず、話はお互いの共通の友人・知人の動向の話になった。早い話が高校時代の連中の噂話である。そこで大笑いしたのが、S藤君の心無い一言で傷ついた女の子がいたと言う話だ。実は、僕とS藤君は同じ水泳部に所属しており、そういうと体育会系と思われるかもしれないが、まあ映画の「ウォーターボーイズ」みたいな軟弱な水泳部員だった(もっともシンクロなど当時はまだ無かったと思うが。せいぜい小柳ルミ子が出てくるヤクルトジョアのCMで、プールの中で逆立ちする男がいて、良くそれを真似して遊んでいた)。その軟弱水泳部に中学の平泳ぎの記録を持つN山さんという女子部員がいた。彼女は後にお医者様になるくらい賢い人だったので、当然僕やS藤君とは人種が違っていた。そのN山さんが高1の2学期くらいから水泳部の練習に来なくなり、止めてしまうのだが、当時はやはり勉強に専念するために水泳を止めたという風に理解していたが、事実は全く違っていた。

 彼女が水泳を止めたのはS藤君の心無い一言「N山さんは下半身が安定している」、これを聞いてから水着が着れなくなったのが原因だとついに真実を明かして、その話が巡り巡ってS藤君の家庭に届いたというのだ。S藤君は「そんなことを言った覚えは無いし、今更そんなことを言われても困る」と言い張ったが、彼の奥方は「あなたはそういうデリカシーが無いから言ったに違いない」と家庭内でもちょっとした騒ぎになったらしい。

 真実はどうだったか。S藤君が言ったことは間違いない。何故か。僕はその時、その場にいてS藤君が言ったことと、そのときのN山さんの反応をしっかり覚えているからなのだ。正直にいうとN山さんの足は、いや下半身は確かに大変安定感があった。所得倍増計画から高度経済成長時代までの右肩上がりの日本経済といっても差し支えないほどどっしりと安定していたのだ。そのことは僕たち男子水泳部員の間では公然の秘密であった。ただ本人に面と向って「N山さんは足が太いよね」などと言える人間はいなかった。あれは、どうしてだろうか。S藤君に魔が差したとしか言いようが無いのだが、水泳の練習が終わりたまたま皆でシャワーを浴びる前にだべっていた時、S藤君は言ってしまったのだ、禁句を。そのときのN山さんの反応は可愛かった。真っ赤になってもじもじしてまるで女の子のようだった(コラコラ、本当に女の子だって)。

 その時以来N山さんは水泳を止めた。宮崎県の高校記録をもしかしたら更新したかも知れなかったのだが。いや、口は災いの元だな。他人事じゃない。僕も何度もこの手の失敗はしているが、大抵しっぺ返しは即日か即週か、遅くてもその月に来るが、まさか30年以上もたって来るとは、くわばらくわばら。

 えー、話が例によって何だか分からなくなりましたが、結論的にいうと高校時代からはとても想像できないような話題で終始した夜でした。まさか子供の進学問題や、受験なんてことが話題の中心になるとは、時は貨物列車のように駆け抜けていく(by Eric Andersen)。

 そんなことを感じながら、友人と別れラーメンを食べて歩いて家に帰った。帰り着いたのは11時だった。我が家の馬鹿娘どもが「どした、早いが」などと言って出迎えた。配偶者がいない。何処へいったか聞くと友達の家に行ったとのこと。油断も隙も無いんだ、我が家は。

携帯電話は電話ではない、ケイタイという化け物である。

 何の因果か知らないが、誰もがみんな知っている。携帯電話の悪行は天知る、地知る、人ぞ知る、と、七夕にも関わらず、携帯電話不要論いや、携帯電話殲滅論を展開しております。そもそも、このテーマ(と、言うほどのものではなく、せいぜいがネタなのだが、ここではカッコつけてテーマと呼ばせて欲しい)は、随分前から、いやもうブログを始めるずっと以前から感じたり、考えたりしていたことなのだ。要するに「携帯電話は本当に必要か」「電話は携帯しないといけないものなのか」という疑問だ。ここで明確にしておきたいのは、本家本元の「電話」には一切恨みつらみはナイ、どころか感謝することが多かった。僕が問題にしているのは「携帯」電話である。

 前回、前々回のエントリーは携帯電話批判をしようとしながらも、二度とも睡魔に襲われて中途半端に終わってしまった。はっ、今気が付いたが、この睡魔というのは、CIAの陰謀ではないか。携帯電話の悪口を書く人間の思考回路に反応して、特殊ガスがバラ撒かれているのではないか。そういえば最近、我が家の上を米軍の戦闘機やヘリが良く飛んでいる。などと書くと、いよいよこいつは隠れ鸚鵡の手先ではないか、と、あらぬ誤解を受けそうなので止める。それでは、この間考えていた携帯電話を持ち始めて、人はいかに堕落して行ったかを考えてみたい。

 昔、イノベーターなどという言葉を習ったことがあった。バブル真っ盛りの頃だったと思う。当時勤務していた会社は、教育産業の会社だったが、それだけに社員にやたら勉強させるところだった。このときも「イノベーター理論」から「戦略情報システム(strategic information system)」まで、みっちり座学や研修を受けさせられた。改まって書くのもなんだが、世の中の流行というものを、イチビッテ先取りすることを、本能的に行うのがこのイノベータという連中である。ほら、あなたの身の回りにもいるでしょう。つまらない情報をいち早く入手して、話題の中心になりたがるアイツとか、まだ誰も持っていない商品を何処からとも無く手に入れてきて「え、まだそんなの持ってるの?今はもうこっち」などという頭も尻も軽いアイツとか、ゴキブリみたいにうじゃうじゃいる仮面イノベーターの一派が。

 本来イノベーターは少数派なのだが、昨今の我がポンニチ社会を見ていると、イノベーターとオピニオンリーダーが渾然一体となり、はっと気が付いたらサイレントマジョリティになり、さらにその連中がわぁわぁうるさい騒音マジョリティと化して、いつの間にか世の趨勢を決めてしまうことが多い、ように思うのだが、あなたどう思います?いや、携帯電話の普及率とか今更なんですが、「改革を止めるな」とか「官から民へ」とか「憲法改正」だとか、ちょっと油断してる間に外堀は完全に埋め尽くされ、内堀も最早ブルドーザーやローラーで平らにされつつあるのではないか、気が付いたら昔歩んだ道へと一直線に、まるでレミングのように向っているのではないか。それもこれも携帯電話などというものを見に付け、電磁波で頭の中はぐちゃぐちゃにされていたのが原因だったのではないかと愚考する次第である。

 話が広がりすぎたので、このあたりでコンパクトにまとめてみよう。携帯電話が便利だというのは、このご時勢ではほとんど常識化しているが、本当にそうなのか、検証してみる。たとえば人と待ち合わせるときにお互いが携帯を持っていればすぐ連絡が取れて、見失ったり会えなかったりする事が無いという。しかし、である。携帯電話が今ほど普及していなかった10数年前は、そんなに待ち合わせのとき困ったことがあったのか。いや、もっと遡って、まだ携帯が発明される前の時代は、待ち合わせが出来なかったか?そんなことは無いだろう。大体、人と待ち合わせる時は、事前に場所と時間を確かめ合うだろう。どちらか片方が知らない場所であれば、よく目立つもの、すぐ分かるところを目印にして待ち合わせていたと思う。

 仮に、携帯がないときに待ち合わせに遅れたらどうしていたか。先ずは約束の場所へ一目散に向うだろう。しかし小一時間も遅れたので、相手はいない。さあ、どうする。諦めて帰るか?いや、そういう時は「想像力」を働かせていたはずだ。「アイツの事だから、5分過ぎまでは待っていただろう。うん、ここにタバコの吸殻が落ちている。ハイライトだから、奴に違いない。最初は短くなるまで吸っていたが、オレが遅れていたのでいらいらして、だんだん長いまま地面に捨てて、踏み消している(今の時代にこんなことしちゃダメですよ。スモーキングクリーン、喫煙はルールとマナーを守りましょう。などと、禁煙ファシズムと闘う元喫煙者はおりこうさんなのだ)。それから、タバコの吸いすぎで喉が痛くなったので多分コーヒーを飲みに行っただろう。このあたりでコーヒーが美味しい店は、あ、やっぱりここにいたか」という風に考え、想像したはずだ。まあ、この例は極端だが、携帯が無かった頃は誰しも似たような経験があったのではないか。

 そのような経験をしていく仲で、彼ならどう行動するだろうか、とか彼女ならどうしただろうか、などと考えることで「想像力」や「推理力」が養われていったと思う。今はどうか。すぐ携帯で「今どこ?」と聞くか、メールするだろう。考えることをしない。そして、ちょっと行き違いがあって会えないと切れる。周囲を見回して自分の目で相手を探そうとしない。軽帯電話での会話か、メールの文字(絵文字とかいうクソ面白くもない…、いや止めとこう。絵文字を馬鹿にすると全世界のオンナコドモを敵に回してしまう)に頼りっきりだ。つまり現実を見ずに、仮想現実のほうを信用するなどという倒錯したことが行われるのだ。

 この手のことはいくらでも書けるのだが、今日は花の土曜休日でこれからちょっと予定があるので、もうひとつだけ携帯電話の罪を書いておこう。

 携帯のメリットのひとつとして、単なる電話機能のほかにメールやウェブ機能といった付帯機能がある。先ほどの待ち合わせを例にとるなら、なかなか来ない相手を待つときの暇つぶしとして、携帯でいろんなサイトを見たり、ブログを読んだり、または音楽を聴いたり、正直僕もこういう使い方をよくする。仕事上で取引先から待ちぼうけを食わされることが多いのだが、そういう時はお気に入りのブログを読んで気を紛らわせている。しかし、果たしてそれでいいのか。

 僕は自分もブログをやっているし、それ以上にお気に入りのブログも沢山ある。それらのブログは仕事を終えて、晩御飯もお風呂も終わり、夜ゆっくり自分の余暇の時間に見て、『なるほどな』、と呟いたり、『え、ホンマか?』と驚いたり、『うぬぬ、このエントリーには是が非でも米を残さねば、これが本当の米百俵の精神じゃ~』などと家人からは基地の外にいる人と言われつつ、楽しんでいたのだ。しかし、昼の忙しい時間に携帯の画面をちょっと開いて見る、などという楽しみ方はどうも違う気してならない。要するに心のゆとりが無いので、せっかくのブログも楽しめないし、そのエントリーに書かれている内容も通り一遍の理解しか、いや、それすら出来ているかどうか疑わしい、単に文字面を目で追ってるだけで全く頭に入っていないことが多いのだ。

 暇つぶしというのは、今の世知辛い、慌しい世の中にとって最大の贅沢だと思うのだが、それを携帯電話ごときに奪われてはならない。時間がある時は、じっくりと周囲を見渡そう。そうだ、世の中を真っ直ぐ見つめるのだ。若者よ、携帯を捨てて街に出よ。尻切れトンボになったが待ち合わせの時間が来たので、今日はここまで。次回は、電話の功罪について考えてみる、かもしれないが、ちょっと疲れてきたので気分転換に音楽ネタに行くかもしれない。明日はどっちだ!! 

割り込みはルール違反だっちゅーの

 引き続き携帯電話を徹底して糾弾していく。いやはや、一体どこの馬鹿が電話を「携帯」するなどということを考え付いたのか。そもそも電話は各家庭にデンと座った、あたかも大黒様のような不動のコミュニケーションツールだった。ちょっと電話の歴史を振り返ると、最初はダイヤル式の固定電話が、わが国の場合は公社システムの中で普及していき(オイヲイ、「もしもし交換かね、○○番を頼む」などというような時代は流石のワシも知らんけんね。ここでは黒のダイヤル式から振り返らせてくれ)、ある程度、各世帯に浸透したあとにプッシュホンなるものが登場した。

それまでは、ジーコ、ジーコ(と、いってもアルシンドを連れてきて外国にも河童がいるということを証明しようとしたサッカー選手ではない)、ダイヤルを回して、そのダイヤルが元に戻る間にいろんな口実を考えたり、ああ、どんな話をしようか、いやいやそれどころか目指す相手本人が出てくれればいいのだが、その保護者などが電話を取った日には「お前は一体何者だ、何の用があって電話してきたのだ」と言う趣旨の事をやんわり、真綿で首を絞めるような表現で聞かれ、こちらもそのときの回答を準備してなかったものだから、余計に泡を食って「あわ、アワ、泡…」などと口走ってしまい、結構第一印象は自信があるんだもんね、オレは、だから出るところに出ればそれなりに決めるんだもんね、などと思っていた根拠のない勇気は、あっという間に消えてしまい「ごめんなさい。出直します」と言うのがやっとという経験をしたことが無いやつは地獄に落ちればいい。

 はぁ、はぁ、と何故か鼓動が激しくなったが、ダイヤル式の電話は情緒があった。歌の中にもよく登場してきた。♪ダイヤル回して手を止めて~だったか、女心のためらいというか揺れる気持ちを上手く表現していたり、いや僕自身はそのような経験がないのでものの本で知った知識であるのだが。「恋のテレフォンナンバー6700」なんてのもあった。そういえば高校時代授業の合図のチャイムが壊れて、始業や終業時間になると教室のスピーカーから「ジリリリリ」と、まるで当時の黒電話の呼び出し音みたいなベルの音が流された時期があった。あるとき「数学できんのが何で悪いとやー(by高校大パニック、石井聰亙監督だよ)を合言葉にしていた僕ら赤点グループは「おい、今度の数学の授業が終わる時、あのベルの音が鳴るだろ。そしたら皆で一斉に立ち上げり『ハロー、ダーリン』と一人が叫び、それを合図に全員で『りんりんりりんりんりんりりんりんりんりんりりんりんりんりりんりん…』と歌いだして○○先生の腰を抜かしてやろうぜ」「そりゃ面白い。やろう、やろう」「で、誰が『ハローダーリン』をやる?」「そりゃ言いだしっぺのdrac-obに決まってるだろう」「いやいや、オレは昔から諸葛亮孔明というか山本勘助というか、所謂、参謀タイプで実戦のリーダーには不向きだ。ここは数学7点の実績のある××が適任だろう」「いやオレ7点取ったの1回だけやし、そういえばお前は1桁が3回あったとか言ってたな」

 という具合に、数学的思考の出来ない劣等生達はついに団結という言葉を理解できず、もしかするとその「りんりんりりんりんりんりりんりんりんりんりりんりんりんりりんりん…(くどいな)」の大絶叫が、受験戦争に束縛され個に分断された高校生達を解放する一大決起行動になったかもしれないのだが、ついにその高校解放の夢は夢のまま、実行されないまま歴史は大きく転換していくのであった。えーと、何の話だったっけ。

 そうだ、本来固定式だった電話がいつごろから「携帯」するものに変わったのか。取っ掛かりは「自動車電話」なる物だったか。今ウィキペディアで調べてみたら、ビンゴでした。1985年というから僕がまだ初々しい会社員時代だ。当時の社長が自分の車に電話をつけたと聞いて、黒電話を車につけて使えるのだろうかと疑問に思ったことがあった。もちろん黒電話をつけるのではなく、今の家庭用電話の壁掛け式みたいなのを車のサイドブレーキのあたりにセットするスタイルだった。出始めの頃は警察もそれほどうるさくなかったので、運転しながら左手で受話器を持って会話したりしていたようだ。いや右手だな。よくよく考えると、当時自動車電話なんか付けられるのは会社の社長さん、それもそこそこ大きい会社と相場が決まっていた。その手の人たちが乗るのはベンツとかパンツとかいう名の左ハンドル車だから、右手で持つわけだな、うん。

 このあたりから危険信号が流れていたわけだ。一体全体、何が悲しゅうて車を運転中、いや移動中に電話をしなければいけないのだ。当時は公衆電話が今以上に設置されていたから、どんな田舎でもコイン式の公衆電話があったはずだ。また公衆電話が無くても、そこらのお店で「電話貸してください」といえばNTT、いや当時は電電公社だったか、を通して電話して、料金はその電話を切ったあと電話局からすぐかかってきて言われた金額を払うというやり方が出来た。手持ちのお金がない時は、コレクトコールという手段もあった(貧乏学生の頃は重宝した。「金送れ」コールはしょっちゅうだった。今時分は夏季一時金獲得コールなんてやっていた、わはは、などと笑っていたらもうじき我が子がそれをやるのではないかと考えたら気が重くなった。うちはビンボーだと徹底してセンノーしておこう)。

 そうだ、そうなのだ。電話で話す時は、いや電話に限らず人と話す時は、何かをしながらなどという「ながら」行動でやるものではないと思う。どんなにつまらない話でも、基本的に相手に何かを伝えたいなら、話すことに一生懸命になるべきではないのか。それを車を運転しながら、片手にハンドル、片手に受話器というスタイルをカッコイイと思ったのか、俺はこれだけ忙しいのだ、ひとつの事をやってる暇はないのだ、だから出張先に行く途中、運転しながら会社に電話で指示を出してるのだ、などとおのれの姿に自己陶酔する経営者、つまりプチ権力者だ、が、増えていったことがバブル経済の走りであり、そしてそれはそのままお金万能、格差バンザイ、改革は正しい、アメリカ万歳の時代への一大アクセルだったのではなかったか。

 ここまで書いてきたら、どうにも眠くなってしまった。携帯電話の悪口まで行かなかったけど、この次覚悟しとけよ。ボケェ。何がキャッチホンじゃ、キャッチセールスと変わらんわい。割り込みするのはルール違反や、ゆうとるのに、電話だけは、ホラでろ、今の電話切ってこっちに替われ、ホラ、大事な用事やで、みたいな態度は何だ。クソッタレ。次回も携帯電話クソクラエでいくぞー。

何がハンディフォンだ、気取ってるんじゃねー!!

エントリーと関係ありませんが、今日の青島です。綺麗な海と空。

 私は携帯電話が嫌いです。携帯電話を頻繁に使う人間は幼稚で、その態度は礼儀知らずで、ものの言い方は気分屋で常に上昇志向というか前向きな姿勢とないものねだり、早い話が我儘勝手で心変わりと出来心、下心で生きている。努力のそぶりも見せないどころか全編自分は努力し続けてることをアピールし、忍耐心はかけらもない。人生の深みも渋みも何にも持っていない(あ、オレも持ってないか、ま、いいや)。そのくせ上から見下げるようなあの態度。私は思うのです。この世の中から携帯電話が全てなくなってくれたらと、普通の固定電話だけならどんなに良いことでしょう。

 などと、長々と「子供達を責めないで」のパクリを書いてしまったが、実は僕は本当に携帯電話が大嫌いなのだ。できれば持ちたくない、しかししがない給与生活者としては持たないと仕事にならない、でも持ちたくない。一体誰がこんなもんを考え付いたのか。『20世紀最低・最悪の発明は核兵器と携帯電話である』というのが僕の持論である。もし携帯電話会社が携帯電話嫌いの人間から連続同時多発テロを受けたなら、予めお断りしておく。犯人は僕で、あってたまるか。いくら嫌いでもそこまではしない。しかしもしそのような事件があって、権力に追われた犯人とばったり会ったら逃げ道を教えるくらいの支援はしたい、というか心情的には完璧シンパである。

 今朝は日曜日で、このところブログの更新も出来ないほど連日疲れていたので、今日こそはゆっくり寝て疲れを取ろうと思っていたら枕元で携帯が鳴る。見たことのない番号だが、仕事柄いろんな電話が入るので、もしかしたらクレームの電話かと思い、「ハイッ」と寝ていたのを悟られないような声で出た。「○○急便ですが、アマゾンの…」。この野郎、先日配偶者に頼まれて注文したサプリメントが代引きで届いたようだ。4,325円おつりなしであるかどうかの確認であった。それはいいけど日曜の朝から人の携帯に電話するなと、内心怒りながらも相手も仕事だ、お互い様だ、などと昔の僕を知る人からはとても想像できないようなことを呟きながら、大人の対応をした。つまり、起きてお金を用意して運送屋さんを待ったのだ。

 携帯にかけて来る位だから、すぐに届けてくれるのだろうと思っていたが、それからたっぷり30分は待たされた。それでもチャイムが鳴り4,325円うち端数の15円だけは配偶者に出させたが、ほとんど僕が払った。こういうことはいくら夫婦間でもしっかり線引きしなくてはいけないと思い、「4,310円立替ね、それとこの前晩御飯のおかず代を負担したからプラス1000円ね」というと「ハイ、ハイ」と適当に返事をしている。ここはチャンスと思い「それと昨日、上の子の病院代5,000円渡したから、合算して10,310円ね」といったら、テキは阿修羅のごとき形相で「ウソ、昨日病院に行ったけど、待ってる人が多かったから入らず、お金はお父さんに返したと言ってたよ」と言いやがった。不当請求はこうしてフンサイされた、あ、今思い出したが、この5,310円まだもらっていない。忘れないうちに請求書を書いておこう。いくら夫婦といっても、夫婦は他人の始まりというではないか。

 えー、話が飛んだが、携帯電話の弊害である。電話そのものは大変便利な文明の利器であることを認めることはやぶさかではない。いや、それどころか僕の家は電話が通るのが遅かったので、高校生の頃までは大変不便であった。そうだ、我が家に始めて入った電話機はグリーンのダイヤル式だった。当時ほとんどの家庭の電話は黒ダイヤルだったが、ようやくカラーダイヤルが出てきた時期だ。今の人には家庭に電話がないなどというのは考えられないだろうが、70年代の初めくらいはさほど不思議ではなかった。その分公衆電話はあちこちのお店やボックスがあったし、また近所の人が呼び出してくれるなどという美風もあった。

 ここでちょっと電話業界のホントかウソか知らない話を書くと、アパートや集合住宅(市営や県営の住宅など)の電話回線は玄関口に配置されていることが多い。これはまだ電話が普及する前に電話の貸し借りを頻繁に行っていた当時の名残だという説がある。つまり、他の家の人に電話を貸すときに玄関口だと、その家庭の中まで入らなくてもダイジョウブだから、という説だ。この説には異論があり、要は電話の工事業者が家の中に入って工事するのは何かと面倒なので、「玄関に置いておかないと、人に貸すときに不便ですよ」と言って玄関口に設置したと見るのが正解かもしれない。とにかく、今はMJ方式で差込むようになっているが、当時は壁からそのまま電話線が出ていたのだ。電話機も重たくて受話器なんか鉄アレイかと思うくらい重量感があった。受話器といえば僕が小学校1年生の時に苦い思い出がある。

 当時は延岡市というところに住んでいたのだが、あるとき家の人に言われて近くのお店に電話をかけに行った。そのピンクの公衆電話は、四角柱の台の上に鎮座していた。当時は小学1年、鉄腕アトムを夢見て明るい21世紀は僕らの世紀と信じていた見目麗しく賢いボンだった僕ではあるが、その電話の途中に何か家の人に確かめないといけないことがあり、受話器をどうするかちょっと迷った。受話器を電話のフックの上に下ろすと電話は切れてしまう。当時はダイヤル式なので保留ボタンなどという洒落たものはない(そういえば、まだダイヤル式が主流だった頃、オルゴール形式でねじを巻き、そのフックの上に受話器を置くと保留音が流れる装置があったが、あれは一体何処へ消えたのだろうか。それ以上に名前はなんと言うものだったのか、ちょっと気になる)。

 少考した挙句、僕は受話器をその四角柱の台の隅に置いた。電話機の底と台の上はほぼぎりぎりだったので、受話器を斜めにて置いた。ちゃんと置けたので、僕は走って家に帰ろうとしたその時、僕はその電話の台に足を引っ掛けてしまった。がしゃん、という音がした。見ると受話器が地面に落ちている。カールコードが伸びきっていた。僕はころんだままの状態で受話器を見たら、何かおかしい。「あらー、こん子は電話を壊したが」「まこっちゃ(本当だ、という意味の方言)、こら、えれこっちゃ(これは大変だという意味)」「弁償せんといかんが、弁償」。店に居たオバチャンたちが集まってきて、転んで怪我した僕はそっちのけで電話機の心配をしていた。子供心に大変なことをしてしまった、という恐怖感と、モノを壊したらオシッコをしないといけないのは何故だと、不思議に思っていた。いや、「弁償」という単語が「小便」と聞こえていたのだ。

 そのあと、どうなったかほとんど覚えていない。人間は自分の都合の悪いことは忘れるという典型だろう。父母に叱られた記憶はないが、その時以来買い物はちょっと離れた別の店に行くようになったことは覚えている。ここまで書いているうちに眠くなってきたので、続きは次回。携帯電話が何故嫌いか、次回は全面的に展開する予定である。くたばれ携帯電話!!

忘れた頃にやってきたCD

MOMOYO HIS YOUNG DAYS

 しばらく更新をしていなかった。なんとなく疲れた日々が続き、誰も僕のブログなど読んでいないのではないか、単なるマスターベーションではないか、そうだ、『全てのブログはマスターベーションである』というような宣言をすべきではないか、でも平岡正明のパクリみたいでみっともないし、このままブログ閉鎖してしまうか、などと敗北主義的な考えが浸透しつつあった、本日、郵便ポストにメール便が届いていた。速達サービスであった。

 以前注文していた、ウシャコダの松戸一揆のライブのCDである。確か5月の上旬に頼んだが、なかなか届かないので半分忘れていた。ましてやサイン入りで注文していたとは思わなかった。 

 ここのところ「鬱」な気分が蔓延しており、会社でもそうだし、社会のニュースを見てもそうだし、どうしようもない国のどうしようもない国民であることに嫌気がさし、ホワットアムアイリビングフォーなどと呟き、どうしようもねーなとばかり思っていたが、いやいや、ちゃんと届いたCDの嬉しさよ。送ってきた封筒の裏面に「大変おそくなり申し訳ありません。今後もごひいきによろしくお願いします」の一文があった。気は心である。

 演奏は期待したとおりというか、あまり音楽批評的なことは書く気もない。五十路になるウシャコダの演奏が聴けるだけでいいではないか。CDの表に印刷されている拳のマークが「おっ、懐かしいトム・ロビンソンバンド」などと考えたら、大きな間違いである。右手の人差し指と中指の間に親指が侵入している。いや、これは「進出」であり、決して「侵略」する意図はないのだ。「一晩中お饅頭」、大いに結構。「五十路にして、まだまだ立つ!」のである。

 最後に、藤井御大のサインは入っていたけど、できればウシャコダフルメンバーのサインが欲しかったな。でも1,000円という良心的なお値段なので、興味のある方はここから注文してください。

 さあ、また頑張ってエントリーを書いていこう。とりあえず復活宣言でした。

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