小噺その1

 昨日のエントリーにbarrett_hutterさんがくれたコメントで「誰がカバやねんロックンロールショー」のことが書いてあった。最近また活動を始めたことは知っていたが、専用のHPまであるとは、知らなかった。このバンドは(以後は長ったらしいので誰カバと略す)70年代後半、関西に住んでいたロックファンなら、とりわけライブ好きなロックファンなら懐かしい名前だろう。バンド名も人を食っているが、楽曲も「何処かでオオカミが啼いている」とか「ジェニジェニ(銭銭という意味です)」、「恋のシンキンコウソク」とか滅茶苦茶なものが多かった。メンバーの名前もおちょくったような名前でボーカルはダンシング義隆である。

 誰カバは77年の同志社大学EVE祭にマンガ「はじめまことちゃん」でとち狂ったとしか思えない楳図かずおや、近田春夫とハルヲフォン、それとダディ竹千代なんかとコンサートをやった。僕はこのとき見逃しているのだが、たしかコンサートテーマが「東西お笑いバンドの激突」みたいな企画で、当時DRACのロック班のリーダーだった僕としては、ロックをなめるな的態度でスルーしたというか、主催した団体とはあまり仲が良くなかったような気がするが定かでない。guevara129さん、このあたりの事、覚えていたらフォローしてください。その後79年に8-8ロックデイという今は無きアマチュアバンドの登竜門のコンテストがあり、そこで大絶賛された。ちなみにそのときのグランプリ受賞を最後まで反対した審査員は渋谷陽一であったという都市伝説が流れた(ウソかホントか知らんが)。

 ライブハウスは軒並み回ってたバンドで、演奏時間も乗ってきたら結構遅くまでやったりして、サーカスは夜10時過ぎたらテーブルチャージが要らないので、その時間を狙って行った事が何回かあった。そうこうするうちに自分達のテレビ番組を関西ローカルであるのだが持つことになった。余談だが、この番組のゲストにウシャコダが出たことがあり、ダンシング義隆と一緒に藤井君がウシャコダジャンプしていたのを、白黒テレビで見たことがある。

 ところが、当時としては奇跡に近い冠番組、レギュラー番組を持つというのに誰カバの連中は浮かない顔をしていたらしい。サーカスのバイトをしていたS戸君が訳を聞いたら、番組のスポンサーがグリコだということで落ち込んでいたらしい。「何でですの?」とS戸君が聞くと「いや、わしらカバヤやから、グリコとはあわへんのちゃうか、って、それが心配なんや」このときの心配は見事に当たり、金曜日の午後7時からというゴールデンタイムから深夜12時からと時間帯は移行し、最後はさんまで持ってる(MCが駆け出しの頃の明石家さんま、今は亡き紳助・竜介も出ていた)などと陰口を言われたものだ。

 しかし、やつらは只者ではなかった。「美しき五十代」なる厚顔無恥なキャッチコピーでまたもや関西ロックシーンを犯し始めているようだ。琵琶湖の水を飲むとアホになると、昔、心ある人に教わったことがあったが、やはり滋賀県パワーは侮れない。というところで、今日は寝ます。フォークソングクロニクルは何処へ行ったのだ。次は近田春夫とジューシーフルーツについて書こうかな。
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恐怖の長文レポート、いや僕のエントリーもいつもこんな感じなのね

 僕は竹を割ったような性格だと、自分では思っている。陰日なた無く、空に向かって真っ直ぐ伸びていく青竹を、どえりゃおう、と真上から日本刀でたたっきったらスパッと割れる、そういう一本気な性格で、かけひきが出来ない。特に「恋のかけひき」(byハミルトン、ジョー・フランクアンドレイノルズ)が苦手である。これも小さい頃から論語に親しみ、「男女七歳にして席を同じうせず」を教育の基本として叩き込まれたからであろう。などと、アリバイ的なことを書いているのは、昨日のエントリーの後半で我が「心の妻」(ちなみに心の妻より肉欲の愛人のほうが好きです、何を言っておるのだ。しかし、去年の今頃は「正しい妻」より「愛の人」のほうが強いとかいうドラマをやっていたような希ガス…)狸さんから頂いたメールを引用したのだが、モーローとした頭でコピペしたので読む人には分かりにくいし、見にくい不親切な引用になってしまった。

 「正論」が服を着て歩いているのではないかと思われる、狸さんから抗議の米が届き、それから間もなく長文のメールが届いた。これぞ僕が待ち望んだ「ウシャコダライブレポート松戸一揆その参」である。人様に自分の望むように行動してもらうためには、あえて嫌われるようなことをしなければならないことがある。かの山本五十六も「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、褒めて遣らねば、人は動かじ。」と言ってるではないか。と、まあ言い訳はいいから以下に狸さんの力作「ウシャコダライブレポート」をお送りする。いや、タイトルは「容赦できんっ!――ので、これ。」であった。※改行やレイアウトは僕がやったので、逆に見づらくなってるかもしれませんが、ご容赦を。

我が家は基本的に2食、しかも大食いなので、1食の分量はいきおい多くなる。
その日、牛丼を作って食べたが、食べ終わると、例によって眠い…。通常、お腹が重いので、食後はコタツで1~2時間は動けない。
出かけることもあったので、30分だけ寝ようと思ったものの、起きてみるとかなり身体がダルく、行くのを断念しようかとも思ったが、このところずっとライヴはご無沙汰しているし、この次いつ行けるとも限らないので、根性出して行くことにする。

家から松戸までは、地下鉄の大手町で乗り換えて約1時間。ぐずぐずしていたせいで、駅についたのは開場時刻の5時を少し過ぎたころだった。
実は我が家のお墓は松戸市にあり、そのため松戸駅は利用したことが何度もあるものの、会場の松戸市民劇場がある側は、あまり降りたことがなかった。
仙台駅や宇都宮駅などでもそうなっているように、駅舎を出ると駅前ロータリーの上が巨大な歩道橋となっており、植え込みやらちょっと座るスペースやらがあって、いくつもの階段がついている。目指す会場は、「徒歩5分」とあるだけあって、その歩道橋の上からも確認できた。
今回、会場は自由席なので、4時から整理券が発行され、その順番で入場するためにすでに行列はなく、待ち合わせの人やタバコを吸っている人などが入り口付近に見かけられるだけ。

前売りチケットも買わず、予約もしなかった私は、受付付近でとまどっていると、ニコニコした女性が近寄って来て、極端に他人の顔が覚えられない私は「えっ、誰!? ライヴで会ったことある人? “ウシャコダ友の会”の人? まさかホール入り口で、宗教の勧誘はないよな…?」などと思ったものの、彼女は「ご予約の方ですか?」と聞いているのだった。さすがは地元の手作りコンサート。親切なのだった。

受付で4000円也を払って、チケットを受け取り会場へ。エントランスには物販ブースが設けられ、「松戸一揆 其の壱」のライヴ音源がCDとなって、山積みされている。1000円はなかなかリーズナブル。しかし、開演時刻も近いので、買うか買わないか悩むのは後にしよう。
ほかに、デビュー当時藤井さんが着用していた衣装やら、昔の写真やらも展示されていて、シングル「MEMPHIS TENNESSEE」発売時に、私が撮った写真もあって懐かしかった。
当時、私はウシャコダの所属事務所・サロンゴミュージックでバイトをしていた関係で、その写真は事務所のあった青山のマンションの、エレベーター・ホールで撮ったものだ。

左手の入り口から客席に入った私は「しまった…!」と思った。あなどっていた。
席はほぼ満席。館内は禁煙のため、外にある喫煙所でタバコを1本吸っていたのがマズかった。最後列の1列前に、荷物の置いてある席と、その隣に荷物の置いてない席があったので、手前に座っている男性に「そちら、空いてますか?」と聞いたところ、「来ます」という返事。思わせぶりに、空けておかないでくれ~。最後列の、女性3人がかなりの勢いでおしゃべりしている隣にも、空席を発見。
おしゃべりの空隙というのはなさそうなので、迷惑とも思ったが、無神経をよそおって、話を中断させて聞いてみると、「どうぞ、どうぞ、空いてますよ」と、親切に通してくれた。その3人は、どうやら同級生らしい様子。通路を通る人に「あら~、3組の○○さんでしょう?」などと話しかけて、中学時代の話で盛り上がっている。

間もなく開演を告げるアナウンスがあり、客電が落ちてメンバーが登場。

初っぱなは、インストのナンバーで、私の知らない曲だった。
2曲目で藤井さんが登場。2曲目も知らない曲だったが、あとで、去年亡くなったビリー・プレストンの曲だというMCがあった。亡くなったのは知らなかったが、「ウィル・イット・ゴー・ラウンド・イン・サークル」なんか、好きだったなぁ。ホールということで、ピアノのほかにハモンドが用意され、黒っぽい衣装の若山さんが、弾きまくり。「今日弾かないと、元が取れない」と藤井さんのMC。ライヴハウスでは、持ち込むのはスペース的にムリなので。
この日の出で立ちは、藤井さんが黒いシャツ、黒いハットに細身のグレーのスーツ、恵福さんが白いハットに黒っぽい上下、サトルちゃんが黒のサテン風のシャツに黒のパンツと、みんな渋め(井野さんはよく見えませんでした。ゴメンよ~)。選曲も渋め。

そもそも私は音にはうとく、以前は何も感じなかったのに、今日はなんだか音の分離が悪いようだ。おなじみのホーン・セクションの2人が入って、厚みはあるのだけれど。
もっとも、昔はステージ写真を撮っていたため、スピーカー近くに陣取る事が多かったし、音がどうのこうのという以前の問題だったという話もあるが。
昔作ったものの、あまりのくだらなさに封印したという「酒飲み音頭」に続き、チケットを事前購入、予約した人のための、プレゼント抽選会に。
若山さんは、自身の焼き鳥店・鳥和可でその人のためだけにピアノを弾いてくれる権、恵福さんはレイバンのサングラス(一般の人にはサイズが合わないとの、藤井さんの解説あり)、井野さんは過去のライヴのものらしきヒミツの音源、藤井さんは『SOUL TO YOU』発売当時の販促グッズ、サトルちゃんはなんと使用しているギターを放出。

抽選のクジ、数字の上下がわかりにくいらしく、藤井さんは9だか6だか、判読に四苦八苦。客席中央にいた外国人さんの集団から、突っ込みが入る。
ウー・シュビ・ドゥビ」では、ゲストにダディ竹千代さんが登場。リスペクトを込めて、恵福さんはしゃもじとホウキでベースを弾く。来年の30周年では、もっと多彩なゲストを呼びたいと藤井さん。
今回もうじきつよしにも声をかけたものの、サッカーの取材でヨーロッパに行っているからと断られたとか。ご存じのように、子供ばんどはウシャコダの翌年(79年)のイーストウェストのグランプリ・バンド。うじきさんとは交流があるのか、 「一番縁がないようなヤツなのに、政治討論番組の司会なんかやりやがって! タレントなんかやめちまえっ」と。

キン作カッポレ」は予告されていた通り、ニュー・バージョンの「キン作カッポレ2007」。藤井さんはおなじみピロピロのリコーダーではなくウクレレ、コーラスによる音真似も入って、ずいぶんとかわいらしいスカ風のアレンジになってしまい、mixi内では好意的な評価ばかりだったけれど、個人的にはオリジナルの泥くさい感じの方が好きだった。

長く音楽活動をやっていると、お客はたまにしか聞かないものだから、懐かしさで毎回同じ曲を要求するものの、ミュージシャンはステージ以外に練習もある。
つまり何百、何千回と同じ曲に接しているわけで、それはミュージシャンにとってはヒジョーにツラいことなのかもしれず、雰囲気を変えたいと思う気持ちは理解できる。

ところで、「キン作カッポレ」はご当地ソングの最たるもの。数年前に、なにやら佐賀県出身のベースを弾くヤツのご当地ソングが大流行した時、この機会に千葉県のご当地ソング「キン作カッポレ」も再発してもらい、ウシャコダの大ブレイクにつながらないものか、朝のニュース番組あたりならゆるいので、デモを送ったらネタとして取り上げてもらえないだろうかと思った。
ところが、我が家の「キン作カッポレ」はアナログ盤しかない。レコード・プレイヤーからのダビングは、自力ではできず、ダンナさんの手を借りなくてはできない。けっこうな手間である。ということで、断念してしまったけれど、残念なことだったかもしれない。

恒例のギター空中交換の際、1発目はうまくいったものの、2発目、サトルちゃんがベースを恵福さんに投げる時に失敗、ベースは落下…。あわてて違うベースに持ち替えていたけれど、ベースはダイジョーブだったのだろうか?
恵福さんの、ベース回しも健在。2度ほど回していた。恵福さんが持つと、ベースがギターのごとく小さく見えるのは、いつもの通り。
相変わらずサトルちゃんのギターはヘタクソで、私はあれを聞くと、なんだかホッとするのだ。「ああ、ヘタでもいいんだな~」と(笑)。

途中ブランクがあったにせよ、30年も何かを続けてやっていれば、フツーは少し上達するのではないかとも思うが、そういうものでもないというのは、例えば某老舗3人組バンドの○○○ィーのヴォーカルなどを見てもわかる。
若山さんは、ご自慢のハモンドのせいか、かなりノリノリ(死語?)で、いつも以上にテンションが高かったように見受けられた。
井野さんのドスドス響くバスドラ、途中若干リズムがあやしいところも昔のままで、やたらに懐かしい。しかし、以前長かった○○○は見る影もなく××上がっていて、長い時間が経過している事を感じさせる。

客席と藤井さんのやり取りも醍醐味の一つだが、藤井さんが松戸市長がどうのこうのと言っていたのは、てっきり冗談かと思っていたら、途中までしかいなかったものの、本当に市長が客席に来ていたらしい。
しかし300人規模とはいえ、ホール。最前列のお客をしきりにいじっていたけれど、お客の方の声が届かない。ウシャコダを100%楽しもうと思うならば、やはりライヴハウスがいいのかもしれない。復活後によく出演していたオリンズが、5月いっぱいで閉店するというのは、とても残念だし、今後どこをホーム・グラウンドとしていくのか心配でもある。

「松戸一揆」に関しては、地元の人、同級生による手作りコンサートという意味合いのものなので、これはこれでいいのだろう。ライヴハウスに慣れていないお客にとっては、ホールの方が気軽に足を運べるかもしれない。年齢層を考えると、お客の方もスタンディングはツラいものがあるし(笑)。
古くからのウシャコダのファンと、同級生・地元ということで来た人と、2種類のお客がいたと思うので、普通のコンサートのノリとは多少違うものがあったが、おおむね、お客のノリはよかったように思う。「ウー・シュビ・ドゥビ」では、声はあまり出てなかったものの、アンコールではほぼ全員立って、手拍子していたし。

同窓会的位置づけからか、普段以上に地名は連発していた。さらに、地元の中学の名前とか(笑)。松戸の地名には、ある程度は詳しいものの、さすがに中学校の名前までは、私の守備範囲ではなかったけれど。
アンコール3曲を終え、終演後、すぐにメンバーが物販ブースに出て来ていたのは、同窓生に挨拶するためなのかと思っていたが、CDを買ってくれた人にサインするためだったらしい。藤井さんに手を振ると、「お? オオッ!」と、一応顔は認識してくれたようだ。ちなみに、私はそのミニ・アルバム『ライブ!松戸一揆』は買わずに帰宅。今月、手元不如意のため。
帰り道「今日は、なんだかマジメなライヴだったねぇ」と話している人たちがいたが、まさにそんな感じで、おふざけもひかえめだった。69回の腰振りもナシ。
数年前、偶然ウシャコダが復活しているのを知り、馬橋のライヴハウス・オリンズでのライヴに行くと、そこで展開されていたのは、活動休止以前とまったく変わらないステージだったので、私はビックリすると共に、ヒジョーに感動した。
――この連中、この歳になって、まだやるかっ!?
「コミック・バンド」という位置づけを、本人たちがどう思っているのかはわからないけれど、今は公園となってしまった千駄堀という所の田んぼで撮影されたという、アルバム『土一揆』のジャケットが象徴するような、狂気にも似たステージと、ビミョーな抜け具合は唯一無二のもので、一ファンとしては、その道を突き進んでもらいたかった。

のちに爆風スランプが売れた時も(そういえば、渋谷の屋根裏でウシャコダと爆風スランプの前身・爆風銃のカップリングというのも見たのだった)、ビジュアルを重視した聖飢魔Ⅱ(注:機種依存文字のため、ヘンななってるかも)が売れた時にも、「ああ、なんでウシャコダは、あのままいかなかったのか! あんなのは、昔からウシャコダがやってたのに…」と、大変悔しく思ったものだ。事務所に入ってからは、渋めの方向にシフトしてしまったので。
日本人というのは、歴史的にも“わびさび”の世界こそ尊しとする傾向があるので、能よりも狂言が一段低く見られるように、コミック・ソングよりバラードの方が評価が高いように、おもしろおかしいものの方が、どうしても下という位置づけになってしまうのだろうか。

懐古趣味と言わば言え、今回の「松戸一揆 其の参」は、新しいウシャコダ、これからも続いていくウシャコダとして高評価が多いようだけれど、私は昔のバカやっていたころのパワーが貴重だという思いが強いし、50になってそれをウシャコダにぜひやってもらいたいのだ。それが困難な方の道だったとしても、ただシブくてカッコいいR&Bのバンドなら、ほかにもたくさんあるのだから。



 いやー、しかし読み応えのあるメールでした。昼飯を食った後、外回りしている時にメールに気がつき、車を停めてしばし狸さんワールドに浸ってしまった。もともと狸さんと知り合った(もちろんネットでだが)きっかけは、やはりウシャコダの珍教祖の日記だった。書いてるコメントが独特で「あ、この人オレと同じ体質や」と閃き、マイミクにしてもらったのだ。以来、僕の記憶違いや無知なところの訂正・ご指摘を頂いている畏友、刎頚の友である。あ、もっとも一緒に首はねられるのはゴメンだが。

 最後に音楽的なことをちょっと書くと、「キン作カッポレ」は今もヘッドホンで聞いてみたが、アナログバージョンのほうがいいという意見に賛成です。2007のテイクもいいけど、それはあくまでライブに来た人へのサービスと理解したい。それと辛口のコメントではあるが最後の『私は昔のバカやっていたころのパワーが貴重だという思いが強いし、50になってそれをウシャコダにぜひやってもらいたいのだ。それが困難な方の道だったとしても』の部分は大きくうなづくと同時に考えさせられた。ウシャコダよ、ラクダが通れないという針の穴を通り抜けてくれ。でも最近50前後のミュージシャンっていい仕事してるな。というか若かった頃のぎらぎらした部分が抜けて、すっきりしている。

 えー、そういうわけで2日間に渡ってウシャコダの松戸一揆をネタにエントリーアップしました。興味のない方には退屈だったかもしれないけど、機会があれば是非アルバム聞いてみて下さい。それと文字ばかりで見にくいエントリーになったので、写真はやはりmixiで見つけたこちらのブログに一杯あるから是非見てください。最後に狸さん僕の無茶なリクエストに答えてくれてありがとう。ついでに「土一揆」を非合法で送ってくれると、もっと尊敬するのだが(笑)。

たとえば昔のロッキング・オンのように

 その日オレは羽田にいた。午後の日差しがややまぶしく、5月の終わりだというのにやたら暑かった。羽田には1年ぶりだ。丁度1年前の今時分は、社会復帰というか、資本主義社会で生き抜く力を再度手に入れるために、平たくいうといい年こいてバイトとして出稼ぎに来たのだ。だが今回は違う。今回は70年代の末期に、彗星の如く現われ中国製の、あ、岡山じゃなくて中華人民共和国のほうの、線香花火のように消えていった、幻のR&Bバンド「ウシャコダ」のライブを見るためだ。前日、オレは会社のボスとケンカした。いやオレ自身はケンカだとは思っていない。お互い話し合ったが見解の相違で、意見の一致が見られなく、その解決のために暴力を、いやもちろん言葉の暴力ではあるのだが、行使しただけだ。きっかけはこうだ。「明日、有給休暇下さい」「我が零細企業には有給休暇という制度は無い。そんなものはロードークミアイとかいうアカが一杯いる大きな会社にしか存在しない。うそだと思うなら六法全書を読んでみろ」

 オレが有給休暇を希望したのは、もちろんウシャコダのライブを見るためであり、そのために仕事を休まざるを得ないが、それで収入が減ると我が家でクーデターが起こり、かってゴルバチョフがエリツィンに衆人環視の中で胸倉をつかまれ、マイクの前に突き出されたように配偶者から胸倉をつかまれ「この甲斐性なし」と言われるのは嫌だったので、ずいぶん昔の「労働法」かなにかで「有給休暇は労働者の権利である」ということを学んだような気がしたので、ボスに言ってみたのだ。しかし、ボスの言うことももっともかもしれない。この国は長くジミン党という党派が権力を握っていたが、長期政権にあきあきした国民が「ジミン党をぶっつぶす」という威勢のいいスローガンをぶち上げた夜の銀ぎつねのような顔をした政治家に権力を託した。彼は最初は国民受けするようなフレーズを連発した。いわく「米ドン百姓の精神」とか「痛みに耐えてよく苦しんだ。汝臣民真似をしろ」とか「聖域亡き性感帯」とか、最後のほうはちょっとエロだが、こういう煙に巻くフレーズを連発しているうちに、アメリカ様との密約をちゃくちゃくと進行させ、気がついた時はもう引き返せないところまで来ていた。

 そのあとを継いだアベマリアは、って、こういう話ではないのだ。ウシャコダのライブを見るためにオレが、いやかっこつけてもしょうがないな、僕が取った戦略というのは、まず配偶者にそれとなく話を持っていってみた。「ウシャコダといって僕にもう一度生きる気力を甦らせてくれたバンドがコンサートするんだけど…」「どこ、県民文化ホール?」「いや、松戸の…」「マツドってどこ?」「千葉県」「…また出稼ぎに行くの?あんたは出稼ぎと言いながらCDと本しか買わず、お金も送らず、たまに送ってきたと思ったら虎屋のヨーカン、あの時家族はどんな思いで生活していたか、まだ分からないの。血と汗と涙で綴られた女の一生がまだ分からないの!!」と、モーパッサンか海援隊か良く分からないが、とにかく凄い剣幕で反対されていることは良く分かった。

 配偶者を説得するのは、二の次にしてとりあえず会社を休まないと、千葉県には行けない。したがって経営者に「有給を」といったのだが、最初の通り、論外というか「行きたいなら仕事辞めたら」的なニュアンスだったので、「上等じゃねーか、ウシャコダのライブとオレの仕事と比べたら、当然の如くライブが重い。こんな仕事辞めてやらぁ。オレは金で買われたロボットじゃねーや」と啖呵を切って、職場を飛び出しなけなしのお金で片道の航空券を買って、5月にしては強すぎる陽射の羽田に着いた次第だ。羽田からは東京モノレールに乗り浜松町に行き、JRの京浜東北に乗り換え上野に着き、ちょっくら降りてドサ健がうろついた街中を眺めて、大急ぎで駅に戻りそこからJR常磐線快速で4駅目、松戸に着いた。いやぁ、しょうゆの匂いがするな、あれそれは野田だっぺ。まあ、松戸も野田も同じ千葉県だし似たようなもんだべ、と言葉は関東ローカルの単語がつい出てしまうくらいオレはこの町に馴染んでいた。

 タクシーに乗って松戸市民会館に行った。おかしい。誰もいない。時間はもう午後4時近いのに犬の子一匹いない。いや、人はいるのだがどう見てもウシャコダのライブを見に来たような感じではないのだ。おそるおそる近くの人に聞いたら「おめー、どっからきたんだっぺ。ここは松戸市民会館で、ウサコダとかいうのは松戸市民劇場でやるんだ。こんなことは松戸では3つの子供でも知ってるべ。おめえ、何処の人間だ」などといわれた。頭にきたので「おらぁ、日本のアーノルド・シュワルツネッガーといわれてるヒガシコクバル知事のいる宮崎県からはるばる出てきたんだ。てめぇらのように日がな一日落花生食ってるやつとは、人間としての質が違うんだよ。この「美しい国」日ノ本の国は天岩戸が開いてから出来たんだぞ。♪くーもーにそびゆる高千穂の~。そうだ。ひとついい話をしてやろう。初代の神武天皇が日向の国から大和方面に船で出征するときに、地元の農民は団子作って見送ったんだぞ。その挙句、見返りはナッシング。どうだ、人に親切をするのに一切の見返りを期待しない、無償の愛、アラブシュープリーム発祥の地は宮崎だぞ」

 無知蒙昧な関東人(いやもう醤油は辛いわ、常磐線は日本酒臭いわ、何処でも平気で立ち小便するわ、そのくせ人懐こいわ)に、わが国の歴史と人の道を語りつくしてやろうと思ったが、そんなことをしているとライブに間に合わない。僕は大急ぎで松戸市民劇場に向かった。何とか開幕には間に合った。そういえばマイミクの狸さんと合流するはずだったのだが、なんだかんだあったので出会えないままだ。良く考えてみたら電話で話したことも無いし、会った事も無い。お互いの印象は僕は「パンクでややメタボルを気にしつつあるさだまさし、または背も伸びたがひげは伸びない山本晋也」と説明しておいたが、狸さんは「そこに人ごみがあったら、オーラが出ているところが必ずあるはず。その一番中心にいるのが私です」といっておった。どういう人なんだろう。

 と、ここまで書いてきましたが、実はこれは架空ライブレポート「28年ぶりにウシャコダに会った」の導入部です。いや、昔ロッキング・オンに架空インタビューなんてあったでしょ。それをパクって書いてみようと思ったのよ。実は狸さんがライブ行けなかった僕のためにわざわざメールをくれて、このエントリーにアップする了解ももらったので以下は狸さんのメールから転記します。このエントリーの文責はdrac-obです。狸さんの文章は僕が今回のライブで聞きたかった事に対して回答してくれています。演奏曲やステージの様子はまた改めて書くので、ちょっと待ってね。

 > 1、登場した時の彼らのコスチュームは?
サトルちゃんは、よく見るサテン(風?)のシャツ、光沢のあるパンツ。
若山さんは、黒っぽい上下。
アンコールでは、ホーンの2人も含めて、全員がオリジナルのTシャツに着替え
て出て来ました。これは1回目の時に作ったものなのかな? 今回は色のバリエ
ーションが増えたそうで。
> 2、演奏曲目はどんな順番で?新曲はありましたか。
> または旧作でも大胆なアレンジのものは?
上記参照
> 3、彼らのライブでは藤井君のトークと他のメンバーのイジリが
> ひとつの見モノですが、今回印象に残ったエピソードなど
今回、メンバー同士のイジリはあまりなかったように思いますが、お客とのやり
取りは相変わらずでした。客席最前列の男性と、中央にいた外人さんの集団と、
いろいろやり合っていましたね。
おおむね、お客のノリはよかったように思います。普通のコンサートのノリとは
少し違うものがありましたが。
「ウー・シュビ・ドゥビ」なんかでは、声はあまり出てなかったものの、ほぼ全
員立って、手拍子してましたしね。
同窓会的位置づけからか、やたらと地名は連発していました。さらに、地元の中
学の名前とか(笑)。
> 4、ダディ竹千代さんはどんな位置づけで登場されました?
上記参照
恵福さんは、しゃもじとホウキでベース弾きました。
ご存じのように、子供ばんどはウシャコダの翌年(79年)のイーストウェストの
グランプリです。うじきさんとは交流があるんでしょうかね。
「一番縁がないようなヤツなのに、政治討論番組の司会なんかやりやがって!」
って藤井さんが言ってました。
> 5、ライブCDを発売するそうですが、その販促活動はいかがでした?
終演後、すぐにメンバーが物販ブースに出て来ていて、同窓生に挨拶するためな
のかと思っていましたが、CDにサインするためだったんですねぇ。
ちなみに、私は買ってません。今月、手元不如意のため。
> また今後ウシャコダとして正規のレコーディングはあるのでしょうか。
不明
> 6、タブーになってるのかもしれませんが、オリジナルメンバーの菅野君は
> どうしてるのでしょうか
ウシャコダ復活を偶然知り、オリンズに見に行った時には(4~5年前?)、菅
野さん、いたんですよ! でも、その時だけで、その後は見かけません。
今度、素知らぬ顔で聞いてみよっかなぁ?
復活後の私が見たライヴでは、たいがいホーンが入っていましたし、キーボード
もいるのですから、必ずしもギターは2本必要ではないかもしれません。
でも、初期の曲はほとんど菅野さんが作っていますよね。ヴォーカルとっている
曲もありますし。そして、菅野さんのイメージは、藤井さん、恵福さんにおとら
ず強烈なインパクトでしたから、どうしても現在のメンバーでは、私は「なんか
足りない…」感があるんです。
> 7、50肩のサトルちゃんはギターぶん投げました?教祖はベース回しました?
ギター空中交換の際、1発目はうまくいったのですが、2発目、サトルちゃんが
ベースを恵福さんに投げる時、落としました…。
恵福さんは、2度ほど回してましたよ。
> 8、ずばり同窓会的イベントよりも今の表現者としてのウシャコダに点数を
> つけるとしたら狸さんは何点でしょうか?
これはごく個人的な感想になりますが、68点というところでしょうか。
先に引いたmixiの方々は、肯定的な方が多いようでしたが、私としては、やはり
昔のバカやってた頃のパワーが貴重だという思いが強いもので。
復活後、初めて見た時に、以前と変わらぬステージだったので、感動したんです
よ。このトシになって、まだやるかっ!?という。
「コミック・バンド」という位置づけを、本人たちがどう思っているのかはわか
りませんけれど、一ファンとしては、その道を突き進んでもらいたかったんです

のちに爆風スランプが売れた時に、「ああ、なんでウシャコダは、あのままいか
なかったのか!」と、大変悔しく思いました。事務所に入ってから(その事務所
で私はバイトしていたわけですが)、方向転換してしまいましたからね。
どうも、日本人というのは、“わびさび”の世界を尊しとする傾向がありますか
ら、能よりも狂言が一段低く見られるように、おもしろおかしいものの方が、ど
うしても下になってしまうのでしょうか。

日にちがたつと、どんどん忘れてしまうので、今のうちに書いておきます(笑)。
お役に立ちますかどうか…。


  いえいえ、こちらの期待以上のレポートありがとうございました。スペシャルサンクストウ狸さんでした。
※上記参照とあるのは、mixiの日記で詳しくライブレポートを書いてる人がいて、そこのコピペがメールにはあったのです。今回のエントリーにはそのまま載せるのはどうかと思ったので、また考えます。

祝!ウシャコダ賛江 松戸一揆、見たかったな


I got my name in lights with notcelebrity.co.uk
 ちくしょー、口惜しいな。今日はウシャコダが千葉県は松戸市民会館で松戸一揆”平常心”なるコンサートをやっているのだ。ウシャコダが松戸のバンドとして再結成して3年連続地元でやってる一揆だ。行きたかったが、ここで行ってしまうと、嫁・子供を捨てた本当の流れ者に戻ってしまうので、ぐっと堪えた。口惜しいのでウシャコダのHPを見てたら、JCNコアラというテレビ局でウシャコダのニュースをやってた。27分くらいのローカルニュースの終わりのほうにリーダーの藤井君と珍教祖が出てきて「キン作カッポレ2007」をやります。演奏前の女子アナのしらけた感じがたまりません。ウシャコダファンの方もそうでない方も是非ご覧下さい。そうそう、ライブCDが発売になるらしいので、予約しなくちゃ。
BBコアラ DailyNews「●松戸市常盤平出身の伝説のバンド、ウシャコダ生出演」
 本日は悔し紛れのエントリーでした。

想像力さえお金の支配下、動脈硬化のネットワークさえ


I got my name in lights with notcelebrity.co.uk
 昨日の朝からずっと頭痛がしていた。我慢できない痛みではなく、頭重感というかなんとなく頭が重くてすっきりしない感じだ。何度かこのブログにも書いたが、僕の頭痛は「朝日の如く柔らかく(ソフトリーアズイナモーニングサンライズってことだよ)」、襲い掛かる時は特攻ギャリソンゴリラのように情け容赦ないのだが、いつもの事さとあまり気にせずに仕事をしていた。多分湿度が高くなってきたというか、低気圧が近づいてきているからそうなんだろうと思い、以前お医者さんから言われたように鎮痛剤に頼らず、夜も30分のウォーキングをして、それでも普段より早めに12時過ぎには床についた。もっともPCを閉じたのは11時過ぎだったのに、何故それから小一時間も経ったかというと、下の子が自分の部屋でぎゃはは、わははと馬鹿笑いしていたので、ナニゲニ覗いてみたらビデオに撮った娯楽番組を見ていたので、父も一緒になってオリラジやボビーの馬鹿さ加減を見てしまったからだ。  

 今朝起きた時も頭痛が取れておらず、血圧を測ってみると154/98である。下がちょっと高い。椅子から立ち上がろうとすると思わずよろめいたりもした。ええい、こんなもん気合だ、と服を着替えて仕事に行こうとしたが、またもや目眩がしてしゃがみこんでしまった。しょうがないので会社に電話して、少し遅れて出社する旨を伝えてまた横になった。そういえば前の日に頭が痛くて眠れなかったので、以前処方してもらっていたマイスリーを半分だけ飲んだのがいけなかったのかと、朦朧とした頭で考えた。1時間ほど横になって、少しは落ち着いたので、もう一度血圧を測ると157/102、かえって上がっている。こりゃまずいと思い、病院で点滴を打って貰おうと思いふらふらしながら車で出かけた。

 今回行ったのは、毎週土曜日にATLの予防で行ってるところではなく、地元の人にはサザンホスピタルとでも言えば分かってもらえるだろう、古い総合病院である(僕が大腸憩室を200以上持ってることを発見してくれたところだが、それがどうしたまだ盲腸はあるぞ、と言いたい)。頭は重く、目の前は黄色いものがちらちらする状態で受付に行くと、70歳くらいのおばあちゃんが、受付簿に名前を書き診察と薬のところに丸印をつけたと思ったら「あら、こりゃどしたもんじゃろか、○○先生はおんなさらんと(オーマイガッドクタ○○イズノットヒア?みたいな意味だ、多分)」などと事務の人に話しかけた。受付簿はB4のボードに挟まっており、おばあちゃんはその前にいるので、後ろの僕はそこに名前が書けず、じっと待っていた。しかしばあちゃんは状況判断が出来ないと言うか、事務の人もクソまじめに応対していると言うか、世間話のような相談事のような話が延々と始まってしまった。困ったなと思い、ボンヤリ待っていると僕の後から来た、齢55から60の範疇に間違いなく入るオバハンが僕を押しのけ、しゃべっていた婆ちゃんから受付簿を「ちょっとちょっと」とまるで双子のカマの真似をする漫才師みたいなことを言いながら取り上げて、さっさと自分の名前と用件を書いた。

 あまりのことに呆然と見ていたが、こりゃいかん、このままだとどんどん後回しにされてしまうと思い、僕も名前を書いて会員券じゃないな、診察券を出して受付を済ませた。待ってる間に週刊誌でも読もうと思って、ページを広げたが頭が痛くて書いてることに集中できない。しょうがないので腕組みして目をつぶり瞑想のポーズで待つこと15分あまり。名前を呼ばれたので、処置室に入った。頭痛と家での血圧の事を話すと、すぐに血圧をもう一度測ることになった。腕を突っ込むと自動的に血圧と脈を測る機械の前に座った。すぐに圧力が加わって、デジタルの数字が動き出した。が、途中で数字が止まり、また圧力が加わった。手の先はうっ血して赤くなっている。ようやく圧力が抜けて手が楽になったが、数値は162/97、「高いですね」と看護士さんに言われた。「念のためにもう一回測りますね」、と言われたので、「今日は自宅で使っている血圧計を持参してきたので(家で測ると病院の時と随分違うので、機械に誤差があるのじゃないかと以前先生に聞いたところ、一度持って来る様言われていたのだ)今度は我が家のやつで測ってください」と頼んだ。測ってみると134/85、愛いやつじゃ、持ち主が心配して病気にならないようわざと数値を抑えたんだ、と思ったが、そんなことがあるはずが無い。もう一度今度は病院の手動式のやつで測ったら144/79、いったいどうなっとるんじゃ、オレの血圧は!オレはデンパッか!?(意味は無い)

 とりあえず、また待合室に戻り待機していると、いつも見てくれている先生に呼ばれた。症状を話すと、「自宅で血圧を測るとはじめのうちは高い数字が出ますよ」、などと気楽な事を言ってくれる。「こちとら、仕事があるんでちゃっちゃっと点滴でもしてこの不快感を取ってくれたらいいんですが」、というが取り合わない。「偏頭痛と言われたことは無いか」と聞かれたので、「自慢じゃないが物心付いた時から偏頭痛だ、人様からは偏屈だとガキの頃から言われている」とえばったが、スルーされた。即座に「じゃこれは××先生に頼みましょう。待合室で待っていてください」と追い出された。以前「頭痛がさらにひどくなった話」でも書いたが3月の末に某脳外科でMRI撮って、命の次に大事なお金が飛んでイタイヨーと泣いたことを思い出し、またその時脳に異常は無かったことはこの先生にも話したはずだったのだが、もしかしたら別の方法で僕の頭痛を解決してくれるかも知れん。セカンドドクターとかセカンドオピニオンなる単語も聞いたことがあるので、ここは任天堂ではない、ウンを天に任すかと開き直った。

 少し待つと地元の脳外科では有名な先生が診てくれた。流石に話も上手でこちらに安心感を与える。いくつか質疑応答、じゃないな、問診と言うのか、があってその先生はこともなげに「じゃ、しばらく血液検査してないようなのでやっときましょう。それと首と頭の写真を撮りますね」と言われた。プリクラですか、昨日シャンプーしてないからちょっと、みたいなギャグをかまそうかと思ったけど、浮いてしまうのが目に見えていたので止めた。またもや待合室で待った。待った。待った。時計は昼を過ぎている。ようやく看護士さんに呼ばれて採決、じゃねえや、採血。それからレントゲン室で首の写真を撮る。それから場所を変えて、こんどはCTだ。矢でも鉄砲でももってきやがれ、コノヤローと言う心境であった。あ、でも請求書は持って来ないでというささやかな願いはあったのだが…。

 結論からいうと、脳は至って正常というか、問題なし。この狂いまくった、腐れまくったポンニチ国に奇跡に近いくらい正しい頭をしている、とは言われなかったが、僕は人の心が読めるので(別名サトリ)先生が考えていることは良く分かった。そうか、この腐った国をなんとか立て直して欲しいんだな、わかった任せろ(こういう思い込みがカゲキなキケン思想に染まっていくパターンであろう)。冗談はさておき、『脳は問題ないとすると、首が原因でしょう』と先生が言ってレントゲンを掲げた。コンマ5秒の沈黙があり、先生は言った。「問題ないね」血液検査の結果も「いやー、これだけ問題ないのはあなたの年齢からすると奇跡に近いですよ。コレステロールがほんのちょっと高いけど、まあまあ気にしなくてダイジョブでしょう」

 ここで脱線するが、いつから「大丈夫」を「ダイジョブ」と言うようになったのか。どうみても「ダイジョウブ」が正しいと思うのだが。「ダイジョウブ」を「ダイジョブ」といってるのを知ったのはP-Modelのセカンドアルバムである。

話す言葉は管理されたし手紙を出せば取り上げられる
二重思考の平穏無事から無頓着な人殺しまで

きらいな人からはなれられない いまわしい人からはなれられない
はなれられない はなれられない はなれなくてもダイジョブ
~中略~
無知蒙昧は権利の放棄と四捨五入も正義感のうち
口より先に手足がうごいて きっと明日はみぐるみはがされ
~以下略~
By 平沢進


全く嫌になるぐらい1980年の段階で2007年の今日を照射している。意識的なロックミュージシャンはこれだから怖い。

 えーと、話を戻すと、脳も首も血液も至って問題が無かった僕に先生は、「ストレスと過労、緊張を緩和する薬出しときます」とエチカーム錠とエペル錠を処方してくれた。それで今日は薬を飲んで、早い時間にエントリーをアップしている次第だ。さあ、もう寝よう。そうそう、治療費ですが頭痛がぶり返すぐらい痛かったです。それでも今の医療保険システムを改悪するアベ一派にはアッカンベーのベロベロバー(by悪たれ小僧)。

※追伸 トップの電飾看板はもりさんのブログで教えてもらいました。

やばいぜ、ベイビー。誰に話しているんだ、オレは。

 前回のエントリーを書いた後、やや後悔が残った。気持ちが乗っていないことを書いて、しかもそれを「見逃してくれよ」(by小泉今日子)的な言い方で、読んでくれてる人にこびてるようではイカン、というわけだ。しかし、guevara129さん、狸さん、barrett_hutterさん、黒木燐さんの米を頂き、ありがたく、よし、「さあもういっぺん」(by豊田勇造)だと思った次第です。そろそろ「気まぐれ連載~フォークソングクロニクル」のパート3も書かないとヤバイし、今年2度目の解散をするチューリップについてもフォークから攻めていくか、博多明太ビートのさきがけとして捉えていくか、あるいは中古屋で偶然見つけた「ロックイズロフト赤盤」における日本のパンクムーブメントと、オムニバスの事をいつからコンピレートなんていうふざけた名前にしたんだよ、コノヤロといったテーマからネタは一杯あるのだが、今日はちょっと簡潔にここ最近の話をする(また、そのパターンか、とお叱りの声が聞こえるが、それに対しては「水戸黄門」を見よ、あれこそがマンネリの極致。それに比べればオレなどまだまだ、と答えておこう)。

 エントリーの更新が出来なかった理由のひとつに、またもやネットで動画を見るくせが復活してしまったことがあげられる。「オレはデンキッ!!」のところでも触れたが、YOU TUBEで、結構日本のフォーク、ロックシーン、とりわけ70年代のものがちょくちょくアップされている。今日はどんなのがあるだろうか、などと軽い気持ちで入ってしまうのだが、気が付いたらあっという間に時間が過ぎている。YOU TUBEだけなら良かったのだが、Yahoo!動画やGyaoだとか、あちこち見てしまい、寝るのが遅くなり疲れが取れないと言う悪循環が続いていたのだ。

 更に、まずいことに僕はどうやら動画を見ながら独り言を言ってるらしい。我が家の配偶者は1日10時間は寝ないと駄目だと本人が言うように、とにかくよく寝る。隙があれば寝る。下手をすると9時過ぎくらいに布団の上で文庫本を読んでいるな、と思っていると5分もしないうちに寝息が聞こえることがある。別にいいのだが、夜更かしの僕としては、やはり大きな音を立てるわけに行かないので、イアホンをしてPCに向かっている。その状態で音楽を聴きながら、自分のブログやいろんな人のブログやHPを眺めているのだ。もちろん動画を見ていることも多い。しかも、この間麻雀の話を書いたものだから、Gyaoの東風戦なんていう番組をイアホンしながら結構真剣に見たりしていた。

 この番組は麻雀腕自慢の芸能人と麻雀の女子プロが各ブロックに別れて腕を競うという趣向だ。芸能人は植木等亡き後の無責任一代男の高田の純ちゃんや意外や麻雀プロの資格を持っていたアンジャッシュの片方、他にも保阪尚希や加藤茶、萩原聖人など結構麻雀では一家言あるような人たちが出ている。また迎え撃つ女子プロは、これまたビックリ、いつの間に麻雀界はこんなに可愛い女の子が増えたのだ、ゴルフや新体操どころではないぞ、などとワテホンマニヨーイワンワ状態である(なんのこっちゃ、単にオッチャンが知らんかっただけやろ)。

 まあ、それはいいのだが、麻雀というのは不思議なゲームでどんなに実力や技術、経験があってもツキという説明不可、理論化不可の現象が大きな影響を与える。その波に乗れば、どんなにデタラメやむちゃくちゃをしても必ず勝てる(もちろん、一時的であり、長時間やるとおのずと実力差はでるが)。逆にツキがない時は、100%ガードに回ってもロン牌(要するに負けるカードというか相手に中てられるカード)が集まる、掴む。その様子をカメラが後ろから写しているので、今実際にゲームをしている人たちのツキの様子が如実に分かるのだ。ツキが無い時ほど、その人の実力は分かる。じっと耐えてガードするしかないが、その中でもあがりにかけるため最大限の努力をするのが、真の実力者である。なぜ、こういうことが分かるかというと、僕もずいぶん泣いたのよ。いくらやっても勝てなくて口惜しくてコタツ布団に流した涙は半端なものではない。いつの日か勝てるんだと、決して勝負を諦めなかったあの若い日(なんか、どっかで聞いたようなフレーズだが)。

 おっとっと、話がそれた。いや、そういう過去があるので、それなりに真剣にゲームを見ていたのだが、中にはどう考えても違う打ち方をするやつがいる。そういうのを見るたびに「バカ」とか「あほやな、違うやろ、先ずは東を捨てんかい」とか「あー、カンチャン嫌ってどうする」とか心の中でつぶやいていた。いや、呟いていたつもりだった。しかし、寝ていたはずの配偶者が起きてきて、いきなり「ねえ、さっきから何をぶつぶつ独り言を言ってるの。気になって眠れんが~」と横に来て言われた時には、肝をつぶした。いえ、それだけ真剣にゲームの流れを見ていたので、テキの気配に気が付かなかったのだ。不覚である。あの時金属バットで殴られていたら、確実にやられていた。革命家はいついかなる時でも気を抜いたらいかんと、ゲバラも言ってるではないか。警戒心を怠るな。

 えー、そのとき配偶者になんと言ったか覚えてないが、多分あなたが寝ぼけていたんだろ、オレは一言もしゃべってない、とかナントカ言ったはずだ。いや、ゼッタイそう思っていたのだ。しかし、昨日やはり東風戦を見ていたら、いきなり配偶者にイアホンを抜かれた。その時僕の耳に聞こえたのは「あるかー、そんなツモ。一発でツモってハネ満かー」という声だった。誰だ、こんな時間に、大声で、と思ったがどこかで聞いたような声。あ、オレの声だった。

 つまり、なんちゅうかほんちゅうか(古いギャグですんません。こりゃ人生をセミリタイアしないといけないかな)僕は夢中になると、心の中の声を口に出して言ってしまってることがあるようだ。そういえば、以前車を運転している時、前のドライバーのマナーが悪く、心の中で毒づきながら走っていたら、信号待ちのときに物凄い目つきで睨まれたことがあった、それも一度や二度ではない。もしかすると、そのときも思わず声に出していたのかもしれない。いかんいかん。気をつけよう。最近のニュースを見ると、余計なことを言って大変な目にあう事件や事故が多いからなぁ。しかも、これからの季節は特に気をつけないといけない。何が?と改まって聞かれるとちょっと困るが、いや、南国宮崎はこれからの季節は開放的なコスチュームのおねーさんが多くなるのよ。困ったもんだ。知事に直訴して宮崎風紀委員会を作ってもらおう。もちろん、僕はそこで積極的な活動を…。いかん、どうも壊れてきたんではないか、オレは?

 まだ、なんとなく本調子ではありませんが、これからまた少しずつ精進します。

なんとなくブルー、なんとなく憂鬱

「はじめまして青春」 中に「はじめましてはたち」という曲が入っている、泣ける。

 今月に入ってブログの更新もなかなか進まない。ネタはあるのだが、イマイチ気分が乗らないのだ。♪そーとはまだあーめふーりやまない、わーたしの胸も雨模様よ~とアグネス・チャンの名曲「雨模様」のフレーズが思わず湧いてきた。この曲はCDになってないというか、アナログ時代の彼女のアルバム「あなたとわたしのコンサート」のB面ラストの曲である。このアルバムはティンパンアレイが全面的にバックアップしており、この曲のクレジットも作詞 松本隆、作曲 細野晴臣の「はっぴいえんど」コンビによるものだ。ヒット曲としては「ポケット一杯の秘密」が入っている。そういえば、アグネス・チャンの名曲には日本のロックバンドが結構貢献している。

 と、ここまで書いてきて記憶頼りにやや不安が残り、大急ぎでアグネスのHPで調べたところ、「雨模様」はA面のラストナンバーだった。ヒット曲としては「美しい朝が来ます」も入っていた。彼女のHPは、初めて見たがアナログ時代のアルバムのデータも入っており、ずいぶん懐かしかった。そうそう、上の段で日本のロックバンド云々を書いたのは「小さなアンブレラ」というシングル「恋のシーソーゲーム」のカップリング曲の作詞・作曲がムーンライダースだったことを思い出したからだ。ジーン・ケリーの「雨に唄えば」を意識した小粋な曲でいかにもアグネス・チャンらしいポップナンバーだった。と、ここまで書いてきて(オイヲイ、二度目だ)もう一度アグネスのHPを見ていたらアルバム「あなたとわたしのコンサート」の発売日をみたら、95年10月25日になっていたから、明らかにCDとして販売されている。したがって前段のフレーズは間違ってます。すいません。

 しかし、何十年ぶりかでアグネスのアルバムデータを見ていると、アナログ時代に結構買っていたんだな。「はじめまして青春」など、今思えば赤面してなかったことにしてしまいたいアルバムタイトルであるが、この時は「白いくつ下は似合わない」をシングルカットした時で、昔からのアグネスファンは心を痛めたものだ。一体、アグネスに何があったのだ、と。今思えば(以下数十行自主規制)。

 あー、いけません。この「はじめまして青春」はトータルアルバムになっていて(ああ、懐かしいトータルアルバム!!コンセプトアルバムともいってました)、A面1曲目の「思い出をあける鍵」から始まって、B面は「思い出をしまう鍵」で終わるのだ。そしてダブルアルバムの2枚目はシングルヒットはないもののポップな名曲が粒ぞろいで、1粒で2度美味しいグリコみたいなアルバムだったのだ、と書いてきたが、やはり気持ちが乗ってこない。実は、このアグネスのレコードの話から、日本のフォーク、ロック、とりわけ70年代中盤についての話と、僕の修学院の下宿で毎晩のように行われていた徹夜麻雀の話を書こうと思っていたのだが、なんだか億劫になってきた。人生においてこんな日もあるのだろう。来週からは気分を入れ替えて、エントリーを更新していこう。でも今日はダメだ。そういえば、どうしてアグネス・チャンを好きになったかが、分からない。デビューした頃は「オッカノウエ、ヒンナゲシノハンナグァー」などと唄って小ばかにしていたのに。同じアグネスでもラムが好きになったのは、すぐ分かるのだが…。ま、いいか。今日のエントリー読んでくれた人には大変申し訳ないが、何故かここのところ気持ちが塞いでいて、こんなまとまりのないことしか書けないのよ。それでも、見捨てずにまた読んでね、それじゃ、バイバイ。

オレはデンキッ!!

 沖縄が入梅したせいかどうかしらないが、今日は午後遅くからこちらも雨が降り出した。一時は「激しい雨が降る」ともいえるような降り方だったが、夜が更けるにつれ段々しっとりとした降り方に変わった。雨が降ると偏頭痛がひどくなるので、鬱陶しくてたまらないのだが、これから嫌でも雨が多くなる季節に入るので慣れなければならない。人生は我慢と忍耐と辛抱である。などと柄にもないことを書いてしまったが、今日は特に何を書くとも決めずに、キーボードが赴くままにここ何日かの身辺雑記でも書いてみよう。

 5月の連休が過ぎて、仕事も忙しくなりなかなか思ったようにエントリーの更新が出来ない。正確にいうと、エントリーを書こうという意欲よりも、どこかの面白いブログを覗こうとか、何も考えずに映像を見ようとか、ぼーっとしながら音楽を聴こうとか、そういったナマケ心が起き上がって、なかなかキーボードを打つ気になれなかったのだ。ここ2日ばかりは晩御飯を食べた後は、音楽の映像を眺めていることが多かった。実は久しぶりにYOU TUBEを覗いたら、加川良の若かりし頃の映像(村上律と一緒にやった春一番)などを見つけたので、牧師さんの掲示板に書き込みをした。

 次の日は身内に頼んでいた大塚まさじの「フォークの達人」のDVD録画したやつを手に入れてじっくり見た。まことに残念ながら最初の10分くらいが切れており、DJ赤坂氏との対談から録画が始まっていた。それでも懐かしき名曲の数々と、最近の歌も聞けて楽しかった。演奏は長田TACOのラップギターと一緒にやるスタイルも良かったが、月夜のカルテットがしみじみ来ましたね。そうそう、忘れてはならないのが石田のジャジーなギターをバックに歌った「アフリカの月」だ。「天王寺想い出通り」も良かったが、僕にとってはこの歌とギターに沁み入りました。毎度おなじみ「プカプカ」も歌ったし、意外だったのは「男らしいってわかるかい」を歌ったことだ。「国民投票法案」なるものがミンシュシュギのルールに則って成立する、嫌な渡世である。アベ君に教えてあげたいね♪男らしいってわかるかい?ピエロや臆病者のことさ~。

 ♪くたばってもいーい、死んでーもいい~という歌が大塚まさじにあった。『僕の血がそっくりそのまま声となり言葉となって今を、時代を唄うなら』、くたばってもいいし、死んでもいい、というわけである。以前書いたが、ミニコミをやっていたときにパンタのインタビューをすることが出来て、その記事の導入部にこの歌のことを今は亡きM原が原稿に書いていた。そんなことを思い出しながら、「うた」をやってくれないかなと思ったが、どうやら歌わなかったようだ(もしかしたら最初の10分で歌ったのかも、リアルタイムで番組を見た方はご教示ください)。「フォークの達人」を見終わって、なんだかもっとディランⅡが聞きたくなって、そうだYOU TUBEにあるかも、と思って検索したらエエモン見つけてしまった。

 西岡恭蔵とカリブの嵐の春一番での映像である。女性バックボーカルにレイジーヒップ(「ハドソンリバー」とか「ムーンダンシング」なんていい曲あった。CD化をキボンヌ)の千秋、ニッポン放送のカメなんていうと怒られます、亀淵前社長の妹、亀淵友香などを従えて、ギターには今やニューオーリンズの主になった山岸も参加している、まあ、そうそうたるメンバーで演奏していた。あまりに嬉しくて、一人で見るのはもったいないからあちこちにメールして教えた。すると流石はDRACの大先輩、sawyer氏から、すぐお礼のメールが届いた。その情報によると、77年の春一ではないかとのことで、90年代NHK-BSのフォークの特番(毎度のギターおじさん=坂崎やしゃべりも面白いけど文章にも味がある、「役者やのぉー」=なぎら達が出演)に、かの中津川フォークジャンボリーの映像と一緒に放映されたとのことだった。

 ただ、先輩に逆らう気は毛頭ないのだが(このあたりの先輩を立てる態度を某音楽ブログの管理人にも見習って欲しいものだ)、映像の中で恭蔵が春一番が今回で終わる旨の話をしていたので、79年の春一ではないかと、僕は睨んでいる。YOU TUBEのコメントにも書いたが、79年で春一番が終わり、翌年は「ヤポネシア‘80」という名前で、パンクやテクノ、ニューウェーブ系のバンドの野外コンサートが行われたのだ。そこで、角刈りにグラサン、スラックスにサンダルといういでたちでステージ前で踊っていた酔っ払いが、なんと「あの天国とやらへ」の始めに加川良に一杯飲ませたオッサンである。いや、びっくりしました。

 さて、ここからフォークと時代についての話や、流行り歌と表現者の意識の位相についてなどといったテーマで、一大長編エントリーを展開しようかと思ったが、始めに書いたように今日は(も)気まぐれキーボードの日なので、そろそろ終わる。今回の音楽の話は、好きな人だけ、分かる人だけでいいので解説も何も入れません。そのうち気まぐれ連載パート3あたりでじっくり書くつもりなので…。

 そうそう、今日のタイトルですが、最近体質が変わったのか、やたら静電気が発生して困っています。車から降りる時は、静電気除去のキーホルダーでドアを払うのだが、稲光みたいなライトニングストライクスが光ったり、ビビビとデンキが走ることしばしなのだ。以前はこんなことは無かったのに、車の中では髪の毛が逆立っている。まるで三バカ大将に出ていたアルファルファである(といっても、大多数の人には分からないだろうが)。笑い事ではなく、マジで感電したショックでぶっ倒れるかもしれん。どなたか静電気を上手くはらう方法教えてください。帯電質になったみたいで困ってます。あ、オレはロックだからデンキなのか!!などとバカ言ってる場合ではないのだ。

中間報告~只今遁走中

 いや、見習うべきものがある、というか、そういう論旨だったとは到底思えないが、この潔さは僕も認めざるを得ない。何の話だとお思いかも知れないが、なに、先日、拙ブログで取り上げた地元新聞「宮崎日日新聞」のコラム「くろしお」の記事である。5月13日分から引用する。

きょう母の日
2007年5月13日
 この欄でみどりの日に、英語の発想が貧困な大学生は「腐ってもいい」と書いたところ読者からさまざまな反響があった。「大学生を見下している」とのお叱しかりが多かった。

 悔しかったらもっと勉強しなさいという激励で逆説的に書いたつもりだったが、言葉足らずだった。直接話せた人とは「ふまじめな学生ばかりではない」との意見の一致をみて納得しあえたのは良かった。記者としては無視されるより批判の方がうれしくもある。

 負け惜しみでも、自虐的になっているのでもない。20代や30代のころに比べ、批判を受容できるようになった。人格が円いわけでもなく、年とともに今はやりの“鈍感力”が増しているのかもしれない。少なからず母の影響はある。

 亡父は相当なかんしゃく持ちだったが母は上手にかわしていた。最初の記憶にある父の肖像は背負われた母の肩越しである。口でやりこめられその顔は困惑していた。間違いを指摘されると人は立ちすくむことや危機管理術を身をもって得られたような気もする。

 小欄は2人で執筆している。離れて暮らす母と時折電話で話す。「この前の記事良かったよ。あんたたまにはいいこと書くね」「それおれじゃないけど」。こんなことが何度かある。不肖の息子に鈍感さはしっかりと受け継がれている。

 「ドかはやく きてくだされ はやくきてくたされいしよ(一生)のたのみて ありまする」。野口英世記念館には母シカが彼にあてた手紙が残されている。時代は変わっても生死の違いはあっても母の願いは胸を打つ。きょうは母の日。


 まさか、拙ブログを読んだわけではないだろうが、やはりあの「くろしお」を読んで「ちょっとおかしい」と感じた人がいらっしゃったわけだ。それも記事から想像するに、1~2人ではあるまい。ただ「言葉足らず」なのは今回の記事も同じではないだろうか。折角の前振りから、「鈍感力」「母の影響」「野口英世の母の手紙」そして「母の日」とキーワードは連続しているのだが、イマイチ分かりにくい。実は前々日の「62年目の5・11」と前日の「うれひはふかし靖国」を読んだ時は、ごもっともと思いこういう記事も出ているから一概にどうこう言えないんだとエントリーにアップしようかとも思ったのだが、テーマがテーマだけにちょっとためらったのだ。いや、この高度に発展したシホン主義、アメリカ様バンザイの「美しい国」の民として、あの「大東亜戦争」を批判するようなことや、厭戦気分を増長させる様なことを書くとイカンのではないか、という自主規制が働いたのだ(真っ赤なウソぴょーん)。

 というわけで、今日のエントリーは森見登美彦の「新釈 走れメロス 他四篇」である(『こらこら、先の文と矛盾してるやないか。どこが「というわけ」や』という批判はあえて受けよう。いえ、あちらはローカルとはいえ新聞という「権力」、こちとら読者推定20人程度の「反権力」ブログである、って「反権力」ってホンマかいな?)。

 この前読んだ「太陽の塔」は4年ほど前の作品だが、こちらは今年出たばかりの新作。しかも古典的名作のパロディというか、「近代文学リミックス」という上手いコピーが付いている。リミックスというかアレンジというか近代文学のダブといってもいいのではないか。あるいは近代文学の作品に対するオマージュ、リスペクト、あ、こういう言葉はマイナスイメージが強くなってるか…。いや、先週外回りをしていた時に、トイレ休憩をかねて本屋を冷やかしていたら(特別料理の写真を撮った日です)、偶然見つけ、ぱらぱらめくったらもういけません。かの中島敦の格調高い名文「山月記」を下敷きにした第1話の主人公が、秋刀魚を食うために木造下宿をあわや消失させてしまいそうになったエピソードを読んだだけで、レジに並んでしまった。もっとも購入してからは、何かと忙しくて本を読むどころか、このブログの更新もろくに出来なかったのだが、昨日恒例の病院の待合室で、満員の患者の中で一気に2話読み上げてしまった。

 しかし、この作家と僕は京都で学生生活を送ったこと以外共通項は何も無く、更には20年以上のタイムラグがあるのだが、出てくる人物や背景、出来事があまりにも普遍性を持っている、というか魔界都市京都で遊民的学生時代を送ると、みなこのような人格破産者になるのではないかという懸念が拭い去れない。例えば第1話の主人公の斎藤秀太郎は、自分の周りの「凡人諸君(=社会の歯車になるしかない)」に唾を吐き、世界の謎をブンガクで解き明かそうとするのだが…。いや、止めよう。あらすじや、エピソードを書いても、この作品の面白さを伝えることは出来ないだろう。ただ、この作品集に出てくる単語「詭弁論部」「詭弁踊り」「麻雀四天王」「一乗寺杯争奪戦」などを読むにつれ、70年代の僕達はなんと同じようなことをしていたのかと、その偶然の一致に驚いてしまう。

 例えば詭弁ということについて言えば、僕の所属していたDRAC(同志社大学レコード音楽研究会)では詭弁の能力が、すなわち研究会での発言力、ひいてはサークルにおける存在感、予算の決定権にまでつながってくる大事な表現力であった。どういうことかというと、音楽好きで演奏能力のある人間はその手の軽音楽部(同志社の軽音はなかなかのもので、トロンボーンの向井滋春はここの出身。なかでもサードハードオーケストラは、来日したフィル・ウッズと競演したこともあり、多分にリップサービスではあるが”The Third Hard,Nice Band”なるお言葉も頂いた。これは僕自身が別館のホールでじかに見聞きしたので間違いありません)や、同好会、あるいは気のあった仲間とバンドを組んだりするのだが、我がサークルに入ってくるのは、演奏能力は無いくせにライブアルバムでのミストーンを見つけるのが異常に上手いやつとか、「彼のギターにはタマシイがない」などの無茶ばかりいう連中であった。

 そういう連中が集まって、ジャズやロックやブルースの研究会をやっており、それぞれが自分達の好きな音楽が一番だと思っていたので、たとえばロックの研究会にジャズ班の人間が参加するとすぐにテクニック論になったり、黒人サベツ論になったりしたのだ。しかしロックの連中も負けてはおらず、ジャズには現代社会を照射する能力は最早ない、とかマイルスがもしロックバンドを作れば、それは演奏テクでは世界一だろうがロックをやる必然性が全く無い世界最低のロックバンドであろう、などという暴論をいう奴もいた(あ、オレだった)。また、「ウソも方便」という言葉が常に都合よく使われており、ウソがばれたら「あ、方便、方便」といって「方便音頭」を歌えばいいと言い切った後輩もいた。ちなみに彼は広告代理店に入り未だに「方便音頭」を踊りまくっているらしい。生まれたときからケイジだったM原、元気か?

 そして麻雀である。この現代社会において人間同士を知り合う最強最後のコミュニケーションではないかといわれている(いや、僕が勝手に言ってるだけかもしれないが)、知的ゲームであるが、この魔力に嵌って身を持ち崩した人間も掃いて捨てるほどいる。ましてや麻雀放浪記を読んだり、11PMの金曜イレブンを見て麻雀新撰組なんかに影響を受けた人間も腐るほどいたはずだ。今もそうなのか確信はないが、当時は大学の周辺には大小さまざまな雀荘があった。それぞれの雀荘に固定客がいて、そのジャン力に応じた勢力図があった。我らがDRACは室町通にその名も高き雀荘「グリーン」が本拠地であった。卓の数が30以上もある広い雀荘で、関東の大学から遊びに来た友人を連れて行ったことが何度かあったが、みなその広さというか大きさに驚いていた。その「グリーン」のオバチャンに「明日も来てや」と毎日言われるのが僕達であった。たまにその広いお店が満席の時もあったが、そのときはママであるオバチャンが1時間分のゲーム代を渡して、隣の小さな雀荘(大甚とかいう名だった)で遊んでおくよう言われ、席が空いたらその店に電話が入り、再度「グリーン」に行ってゲームを再開するのであった。

 このような人間が跋扈していたサークルだったので、当然誰が麻雀No.1か決めようという話が持ち上がり(僕の入学する1年前、つまり74年)まず、DRAC王位戦なるものが開かれた。そこで優勝した人間が王位を名乗ったのだが、すぐ異議が上がりDRAC名人戦なるものが急遽開かれた。王位、名人がそれぞれ決まったが、「いやただ勝てばいいというのではない。真の雀士を決めねば」という方便で最後のタイトル戦、DRAC雀聖戦が執り行われた。この王位、名人、雀聖の各タイトル戦でDRACのA級リーグの4人が決定した。ちなみに拙ブログにときどき登場する酒飲みのインテリS賀さんはこの3大タイトル戦全てに準優勝して「無冠の帝王」と呼ばれた。後年は飲みすぎて卓に向かうため「フリテンの帝王」とも言われたが…。

 と、まあ、こんな具合にあのシュトラムウントドランク(筒井康隆訳して「あらえっさっさ」という意味らしいが)の時代が甦ってくる小説である。などと、えらそうに書いたが、実は第3話の「走れメロス」の途中までしか読んでないのだ。これから食事をして続きを読みます。その感想はまた後日。あ、音楽ブログだったのに、いつの間にか純文学ブログに変わって、ないですね、やっぱり。

いやなかなか侮れないな

 宮崎県知事のヒガシコクバル氏を支援し、郷土の名品をアピールしている当ブログですが(うそ、うそ)、本日このようなコピーを見つけてしまいました。
風雲たけし城って、昔あったよね。宮崎には風雲楠原城というドライブインが日南に実在する。

 最初は、なんだ我らが知事の発言を丸ごとパクってしょうがないな、と思っていたのだが、よく読むと非常に味があるというか、考えて作ってある。まずこの看板があるあたりは「浮之城(うきのじょう)」という地名なので、単に「風雲浮之城」と書いたのかと思ったが、多分「風雲たけし城」から頂いたのだろう。それ以上に笑ったのは「味付けには一味のきいたスパイスたっぷり」というところは知事が県議会で行った例の発言から引用したようだ(余談だが、ネタにされた一味さんは今回残念ながら落選された)。

また議場ではアドリブを披露。自民党県連会長の永友一美県議(当時)の質問に対し東国原氏は「一美(いちみ)だけにピリッとスパイスが効いた質問でした」と切り返し、答弁を筆記する速記官をあ然とさせた。(2007年5月1日06時01分 スポーツ報知


しかし、これだけ気の利いた看板を出していながら、それじゃブログのネタに昼飯を食ってみようと思い、本日12時5分に訪問したところ「準備中」の札が下がっていた。せっかくなのでお店の様子を写真に撮って見た。
お前の店のほうこそ「どげんかせんといかん」ぞ。平日のランチタイムは営業シしような!

 今日は、このネタで終わるつもりだったが、晩御飯を食べている時に新聞の記事を見て噴出してしまった。このことをちょっと触れておきたい。みなさんは「教育再生会議」というのをご存知だろうか。昨今、学校教育がどうだとか家庭教育がなんだとかいろいろうるさいのだが、確かに親になりきれていないバカ親は多い(オレもそうかも)。そのバカ親たちをお国が正しく指導してやろうという一大プロジェクトのようだ。先ほどHPも見てきて、言いたいことは沢山あるが、本日の真実を書いておく。「教育」を「再生」する「会議」の主催者のエライサンたちはこうのたまわっている。

インターネットや携帯電話については「世界中の悪と直接つながる」と警告を発している。(中国新聞ニュース '07/5/9)


 へへー、失礼オバ致しました。オイラは世界中の悪と直接つながっていたのか。このブログを読んでるみんなー、世界中の悪とは手を切ろーね。間違っても「死ね死ね団」(卓球部じゃないよ、日本人抹殺組織のほうだよ)に入ったり「人間もどき」(パンタの歌じゃないよ、マグマ大使だよ)になっちゃダメだよ。ヒコクミンと呼ばれるよー。えーと、ちょっとマジになって、この組織は「母乳」をすすめているがATLのキャリアの僕としては、こういう無神経な発言は許せない、この部分は改めて書く予定です(おいおい、フォークと早く出会えよ!!)

特別料理~スタンリィ・エリンではありません

 現代における日本語の乱れを鋭く追求する当ブログですが(ウソ、ウソ)、本日とあるところでこんな看板を見つけました。

黄色に黒はDRACのタテカンの色 24時間は闘えません

 小中学生料理?小中学生料理するのか、小中学生料理するのか、小中学生料理するのか、助詞が1つ違うだけでも大きく意味が違う。謎だ。しかも予約が出来るとは、どういう意味だろう。謎が謎を呼ぶのであった。

ご意見募集~僕狂ってます?

 今日のエントリーは本当は昨日書いてしまうつもりだったが、止めたほうが良いかと思い直し、いや、でも正直オレにはわからん、ここはひとつ皆様の英知をお借りして解決を図ったほうが良いのではないかと考え、アップッするのだ。なんのことかというと、昨日読んだ新聞のコラムである。僕の家は地元宮崎で圧倒的なシェアを占める宮崎日日新聞を取っている。いわゆるローカル新聞である。この新聞に「くろしお」というコラムがある。朝日新聞でいう「天声人語」の役割を果たしている部分だ。ある意味その新聞の顔であろう。実は以前からここに書かれる記事に疑問を感じることが多く、ある時は直接新聞社に電話して聞いたこともある。もうずいぶん前のことでどんな内容の記事だったか忘れてしまったが、ある出来事に四面楚歌を例えに使っていた。それはいいのだが、そこで項羽と劉邦のキャラクターをさかさまに書いており、明らかに誤った使い方をしていると思った僕は、我慢できずについ電話してその間違いを指摘したのだ。

 その時電話に出た記者は、「担当に話しておきます」とだけ答えて電話を切ったが、僕はこのような指摘は多少中国の歴史に興味のある人ならみんなやったであろうから、訂正記事というかお詫びのコメントくらい出るだろうと思い、しばらく毎日目を皿のようにして紙面を探した。無かった。少なくともその記事が出てから10日間毎日紙面をチェックしたが無かった。そのときから、まあ、ローカル新聞なんてそんなもんだろう、イナカモン相手にえらそうなこと書いて飯の種にしてるんだからしょうがない。と、決め付けてしまった。これには実は伏線があって、野坂昭如や小林信彦の新聞不要論を若い頃から支持していたからだ。ノサカの理屈は大雑把にいうと『新聞が毎日同じ量の記事=ニュースを書くのはおかしい。たまには事件の少ない日があるはずだからそういう時は白紙のページや白紙のコラムがあるはずだ。それがないというのは、マスコミの恣意性で記事をでっち上げているからだ』とかいう内容だったと思う(「でっち上げ」なる言葉はそれこそ僕の「でっち上げ」かもしれないが)。

 また小林信彦は戦時中の新聞が諸手を挙げて聖戦遂行の紙面作りをしていたくせに、敗戦と同時に1億総懺悔なる都合のいい言葉を作り上げ、挙句の果てには「最高の戦争責任者をぬくぬくと生き延びさせた」ことに憤って、新聞は一切読まず週刊誌とラジオ放送(特に深夜放送)からのみ情報を得ていることを知り、激しく感動したことがあった。このノサカ=コバヤシ理論で武装して、サークルの2級先輩のS賀さんに論争を挑み、見事に論破されたのも今は懐かしい思い出である。イカン、また話がそれた。とりあえず5/4の「くろしお」をコピペするので、まずはじっくりお読み頂きたい。

学力低下の大学生
2007年5月4日
 酒に酔って転倒、頭を強打し、それがもとで亡くなった作家の中島らもさんは、教養について「一人で時間をつぶせること」と定義していた。なるほど、けだし名言と思う。

 大学に入り一般教養の講義より、読書の方が面白くて必須の英語を落とした経験がある。再履修教室で講師から英作文を命じられた。前に座る2人の会話が漏れてきた。「おい『英語力』てどう言う?」「決まっとるやないか。『イングリッシュパワー』やろ」。

 同じ穴のむじなである自分をのろい大学をやめようかとも思ったがかろうじて踏みとどまった。その後、中島さんのまねをして一般教養の講義中はそれに類する本を読んで過ごした。先の2人は大学3年になっても再履修の教室にいた。

 30年近い前の話だが、今はそれに劣らず大学生の学力が低下している。全国の大学生4600人を対象にした最近の英語力調査で中学3年生程度(英検3級)が45%、中学2年生程度(同4級)が13%だったそうだ。分数ができない大学生と同じたぐいだろう。

 中学生が授業で習う英語や数学は、週3、4時間にすぎない。中学のしわ寄せが高校に、高校のしわ寄せが大学へ及ぶ。生物を履修しなかった医学部生、数学が全くできない経済学部生、夏目漱石を読まない文学部生など、きりがない。

 きょうは自然を愛する「みどりの日」。多くの学生は「グリーンデー」と直訳するのだろうか。こう発想した大学生は腐ってもいい。自然が一朝一夕に元へ戻らないように教養を身につけることは難しい。森が完成するには腐葉土もいる。


 最初に「え?」と思ったのは、我が敬愛する中島らもの紹介文だ。『酒に酔って転倒、頭を強打し、それがもとで亡くなった作家』というのはお互いが、らもファンなら許せる表現だろうが、「らもWho?」という人も多いはずだ。その人たちに「酔っ払って頭打って死んだ作家」の言葉が響くものだろうか。何か裏の意図があると思うのが普通ではないか。お次は大学での再履修クラスのエピソード(余談だが僕の通っていたD大学は再履修のクラスをZクラスと呼んでいた。アルファベットのドンケツだからだという説明を聞いた時は成る程と思ったが、そういうことに納得するような人間はみんなZクラス行きだった。当然僕もである)だが、ここの部分は僕には分かりません。

 次の『中島さんのまねをして~』は明らかに間違いというか、作っている。時制が一致しない。『30年近い前の話』であれば、当時中島らもはまだサラリーマンで「啓蒙かまぼこ新聞」も書いてないし、「ぷがじゃ」にも登場していないはずだ。いや、なんでこんなに僕がからむのかというと『30年近い前の話』を僕もしょっちゅうエントリーに書いているし、年齢的にこの記者とはほぼ同世代だと思うゆえに、妙な方向に読者の考えをミスリードするのは止めて欲しいという気持ちからである。更には、オブラートで包んだような言い方は止めてもっとはっきり書かんかいという苛立ちもある。テーマが大学生の学力低下ひいてはこの国の知的水準の暴落について憂えるなら憂える、対策を提案するなら提案する、どっちかはっきりさせろやといいたいのだ。

 色々書きたいことはあるのだが、書いているうちにまた腹が立ってきて血圧が上がるのもつまらないのであと2点だけ。「みどりの日」を「グリーンデイ」と直訳するのはそんなに間違っているのだろうか。正確には”Greenery Day”で集合名詞の「Greenery」を使うだけで、スペルから見ても「green」の派生語であることは間違いない。

 ラストの『森が完成するには腐葉土もいる』というのは『腐った』大学生を養分にして、真の知性を作れということなのだろうか。僕には理解できない。「びよんどまいこんぷりへんしょん」というやつだ。頭痛くなってきたのでキャプテンビヨンドのファーストでも聞いて寝よう。ああ、連休もあと一日だ。

ほな,どないせぇゆうね パートⅢ

神社の経営も大変なんだろうか 境内を駐車場にするとは


sugarmountain君のアドバイスを受けて、今日はいつもより小さいポイントでいってみる。

今日、見かけた看板です。神社の境内に車で入るようなやつは神罰が下れば良いと思うのですが、神主さん達が主体的に駐車場経営するのはいかがなものか。

実際この場所に契約していても出入りには気を使いそうだ。ハイ、今日のエントリーはオシマイ。もう寝ます。明日から4連休だ、自由を我に!!

脱長文、やれば出来る!!

 以前からそうじゃないかなと思いながらも、そんなことないよな、大丈夫だよなと思っていたことに、このブログのエントリーの長さという問題がある。たまたま今日頂いたコメントに「長文」なる単語があり、はて、一体何のことだろうかととぼけてはみたものの、やっぱりオイラの文章が長ったらしいのかなと、少し反省した。反省はしたがそれが行動につながらないというのは、戦後の学校教育の敗北である。つまり、小学校などで、あれほど反省会などやらせておきながら、それではその場で指弾された生徒が本心から反省したかというと、そんなことは無く、口先だけで反省したポーズをとっていれば何とかなるという形式反省主義というものを蔓延させたのは一重に、文部省中教審路線の過ちである。などというわけの分からないことを書くから、不必要に僕のエントリーは長文になるのだ。

 かてて加えて、義務教育を過ぎた後は、レポートなる表現、しいていえば学習内容が正確に定着したかどうかを、たんなる穴埋めや○×形式のテストではなく、小論文的に書かせて、その学習成果を見るという判定方法があるのだが、私立のマスプロ教育を受けた人間としては、レポートに書いた内容よりも細かに文字が沢山書かれているほうが、単位をもらいやすいという、そんなことを言う先輩こそロクに単位を取ってはいないのだが、悲しいかな授業にちゃんと出て、試験も優で通るような先輩とは馬が合わないというか、端から相手にされないので、年間獲得単位数が一桁という先輩の言葉を真に受けて、とにかくレポートも試験も文字を書いていればいい、問題が分からなければ「上記の問題はさておき、この間私が考える下記の問題について記述します」と書いて、あとは三味線でナントカなると教えられたことを守って行動したところ、大学に6年も行った挙句中退という不名誉な、いやある意味ドロップアウトという言葉にまだ勢いがあった頃は、何とかなったのだが、バブルに向かう80年代には全く意味を成さなかったという悲しい話である。

 えーと、何の話だったか、そうそう、こんな下らない文章を長々書くのはいい加減やめたらどうかというありがたい忠告を頂いたのだが、悲しいかな僕には今のところこの表現しかないので、なるべく手短にまとめるという努力はしてみるが、あまり期待は出来ないであろうことを予めお断りしておく。でも、そんなに長文なんだろうか(と、まだタマシイが入っていない)。

 今日は2日連休の後だったせいか、朝からいろんな用事があり車で飛び回っていた。お昼ごろに取引先のところに行くために、市内の中心部を走っていた時だ。「ナントカカントカで闘うぞ…」という声が聞こえた。車の動きも悪く、全然流れない。ふと横を見ると青い風船を持った人たちが、車道をかたまって歩いていた。「参院選を勝利するぞ」「連合は闘うぞ」などとシュプレヒコールが聞こえる。そうか、今日はメーデーだ。♪聞け万国の労働者、とどろき渡るメーデーの~と鼻歌歌いながら、デモ隊を見ていたがおよそ緊張感というものが無い。だらだら歩いて、シュプレヒコールに拳を振り上げるのもばらばらだし、中ほどに銀輪部隊というか、何故かチャリを押しながら歩いてるグループもいたが、のんびりしたムードでとても闘っているとは思えない。まあこういうデモが今風なんだろう。今朝の新聞にもフリーターが団結してデモしたとか、なんだか音楽をガンガン流すサウンドデモとかいうのをやったらしい。しかし、正規従業員とフリーター、派遣社員というのは共闘できるのかな。雇用者からいい様に利用されて、使い捨てされるのが関の山じゃないんだろうか。いやいや他人事ではない。僕も人生振り返ってみれば「彼ら」にいいように利用されてきたではないか。挙句は身体も心もぼろぼろになって…、おっと辛気臭くなるので止めよう。しかし、これだけは言いたい。道路の使用許可も取って、交通の流れを止めるんだから、デモはもっと気合入れてやれよな。宮崎市職労、連合の皆さん!!

 そのあとも忙しくあっち行き、こっち行きしていたら気がつかないうちに携帯に着信が入っていた。誰だと思ってみると、夏貸家じゃねえよ、懐かしやだ、昨年一緒に職業訓練校で学んだT山君だ。彼はドタキャンのT山という異名を取るくらい、約束事をすっぽかす男なのだが、かれこれ1年近く会っていない。何の用だろうと思って電話したがつながらない。事務所に戻ってPC相手にややこしい書類を作っていたらかかってきた。久しぶりに声を聞いて、『どうした何の用だ』と聞こうとしたその前に「drac-obさん、今働いているんですか」となかなかストレートな質問が来た。いや、相変わらず○っこのポー(by友部正人)じゃない、熊のプーさんだと答えられれば良かったのだが、まことに残念ながらサラリー生活を送っていると答えた。すると彼は実はバイトを紹介しようと思ってなどと話を切り出した。

 この連休後半の初日に観光関係の仕事のアルバイトをしないかという話だったのだ。あまり詳しく書くわけにはいかないが、時間帯、条件など結構ヘビーな内容だった。僕自身がプーのままなら1も2も無くOKしただろうが、今は「金で買われた身体」(by岡林)なのでちょっと出来そうも無い旨を話し、逆に職業訓練校の先生に相談したらどうだと投げ返して会話は終わった。しかし、ちょっとしたことだがこういう気遣いは嬉しいものだ。世の中ちょっと小金を持つとえらそうにふんぞり返って、昔のことなど知らん顔する連中が多いが、いや、まだまだ捨てたもんじゃないなと考えた次第です。これで、今日の日記は終わり。ほら、長文にならないようにすると話がまとまらない(いや、長文のときもまとまらないですが…)。オレ、短い文章にまとめるの下手なんだよな、と落ち込む連休のハザマであった。

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