総括じゃ、総括。そして四月に一気に反転攻勢!

 ようやく反抗期、じゃなかった繁忙期が終わりに近づいてきた。この1週間は特に忙しく、今日は毎週恒例のATLの病院にも行けなかった。このブログも月曜日に更新して以来、連日コメントの返事を書くのが精一杯で、新しいエントリーを書く気力も体力もない日々が続いていた。それもようやく改善の目途がたってきた。もっとも今日は、仕事の疲れがピークだったので本来事務所でやるべき業務を終わらせることが出来ず、自宅にノートを持ち帰って明日の日曜を使ってやろうという、自己の事務処理能力のなさを時間でカバーしようという最悪な状況ではあるのだが…。

 以前からの偏頭痛も程度の差はあるものの、毎日しっかり登場してくれて処方されたボルタレンも残り僅かだ。来週は狸さんの忠告に従って、セカンドオピニオンを聞きに別の病院に行くか、目の疲れが原因と素人判断して眼科の専門医に行くか、現在思案中である。ビンボー人がそんなに病院通いして大丈夫かという気もするが、日本の保健医療制度の存続が危ないといわれている中、♪オイラがやらなきゃ誰がやる~パラシュート革命(by Pantax’s World)である。ま、そんなに気張ってもしょうがないというか、しかし気は心というではないか。みんなも体調悪い時は市販の薬で誤魔化さずにちゃんと病院行こうね。そしてどこの病院のナースが可愛かったとか、制服が色っぽかったとかそういう情報は共有化して、いや、その、そういう不心得な人たちがいることは知っていますが、私はそのような方達とは一線を引いております。と、どうも何だか文体がおかしいと思ったら、今日から選挙カーが街中を走り回って、絶叫しているので知らないうちに影響されたようだ。

 閑話休題。ブログを休んでいた4日間のうちに植木等の訃報があった。よっぽどエントリーをアップしようかと思ったが、多分、あちこちでそのことに触れる方が多いだろうと思い止めておいた。その後のニュースを見るとCDが売り切れだとか、編集モノのベスト盤が再発になるらしいとか、やはり「死」は「ビジネス」になるな、とつくづく思う。もちろん亡くなった植木等のメモリアルに買いたい(聞きたい)と思う感情も良く分かるし、それはそれで大事なことだとは思う。テレビでもクレージーキャッツの映画をオンエアするようだ。ここ1ヶ月くらいはクレージー特需みたいな日々が続くのだろうか。などとシニカルに決めようと思ったが、土台無理なので地に戻る。僕のエントリーやコメントを読んでもらうと分かるように「お呼びでない、こりゃまた失礼しました~」というフレーズは常用句にしているようにクレージーキャッツというか植木等にはかなり影響を受けた。

 なにしろ小学校の4年の頃だったか、通知表の素行欄に「無責任」と書かれたし、担任からも「調子が良くて無責任すぎる」と良く叱られた。学校の反省会でも良く女子から吊るし上げを食らったものだ。そのおかげで未だに「女子供は~」とか「この腐女子が~」というフレーズがつい出てきてしまう。女性は大好きなのだが(コラコラ)、あ、語弊がないように言っておくとオババは嫌いです、それも「ミンシュ」や「ビョードー」、「衣に人権じゃなかった、ドコモに人権じゃなかった、コドモに人権を」などというオババは特に嫌いです、ふざけるんじゃねーよ、俺達が生まれてからこのかた一度だって「民主的な」社会なんかなかったし、「平等」を追求してその傍らで臭いものにはすぐ蓋をする世の中を認めているのは誰なんだ、ガキに人権なんかあるか、大の大人の我々だって人権なんか「国家」に与えられてるという幻想を持たされてるだけなんだ!!えーと、何の話だったっけ。どうも選挙カーが走る時期は、やたらコーフンして論調がトンデモハップンな展開になっていかんな(毎度のこっちゃで、オッチャン)。

 そうそう、無責任といわれた子供の頃の話だった。このブログを何度か読んでくれてる人たちにはもうとっくにバレていると思うが、僕は小学校の頃から典型的なイチビリ(目立ちたがり屋)だった。人とちょっと違うことをやったり話したりすることが大好きだった。当然、先生の授業中にもチャチャを入れてクラスに笑いをばら撒き授業を中断させることもしばしばで、あまりそれがひどい時は当然、先生からぶん殴られたり、ひっぱたかれたり、反省文を書かされたりした。先ほど出てきた反省会で吊るし上げられ自己批判じゃなかった、反省を声に出して言わされることなどザラであった。しかし口先では「○○をしたことは大変いけないと思います、ハンセイしています」などというものの心の中では「反省と書いてタンショウと読めるな、これ今度どこかで使おう」などと思っているのでタマシイが入らないことおびただしい。

 そんな小学校時代を送った後(どんなんや)、中学校でもあまり態度は変わらなかったが今度は笑い出すと止まらないとかいきなり鼻血などという身体を張った行為でよく授業をつぶしたもんだ。笑い出すととまらないというのはどういう神経のなせる技か知らないが、言葉通り笑いが止まらなくなるのだ。いや、その慣用句としての「笑いが止まらない」のではなく、なんというか、そのものずばり「笑いが止まらなく」なるのだ。例えば理科の1分野で「水というのは水素と酸素の化合物でエッチツーオーと…」などと先生が説明しているといきなり「えっち、つー、おー?わははは、ははは、ははは」と笑いがこみ上げてきて、どんなに堪えようとしてもダメで、声に出して笑い始めるとおよそ3分くらいは止まらないのである。周囲の反応は最初は、釣られて少し笑いが出るが、そのうち「こいつ大丈夫か」という鋭い視線に変わっていく。先生はというと、真剣に怒り出すパターンと唖然とするパターンと二つの反応に分かれたような気がする。しかし当の本人は苦しくて堪らないのだ。別に面白いことを見聞きして笑っているのではなく、ただ身体が(本人の意思に反して)笑うという行為をし続けているのだ。

 いきなり鼻血というのも必殺技だった。頭を打ったとか顔を打ったなど全くない状態。簡単にいうと教室で授業を受けていると、鼻の上辺りが生暖かくなってきて、鼻水よりやや濃度の濃さそうなものがツツーと落ちてくる感触がある。アッと気がつくと隣の席の生徒が「おまえ大丈夫か」とマジな顔で聞いてくる。ふとワイシャツを見ると、真っ赤に染まっている。このときの教師の反応は全員同じで「大丈夫か、頭をすぐ上にしろ」とかナントカ言って、必ず首を手刀でとんとん叩くのであった。その後は保健室へ直行である。このノンストップ馬鹿笑いとネバーエンディングノーズブラッド(ホンマか、鼻血は英語ではと、今調べたら” a nosebleed”であった。あながち間違ってはいないようだ)は、どちらも中1の時にあまりにも多かったので、やはり医者に連れて行かれた。

 鼻血は良く覚えていないが、なにやら毛細血管が何たらかんたらで、鼻炎がどうしたとかで、やや蓄膿気味なので集中力がないとか今考えると随分滅茶苦茶言われたようだが、薬と治療で完治した。馬鹿笑いも中2くらいになって異性を意識するようになってから自然と無くなって行ったようだ。そうそう、病院では原因が分からんと言われた。そのうち治るといわれ、実際治ったからもういいのだが。ここまで書いてきて一体何が書きたいのか良く分からなくなってきた。そうそう、「無責任」についてだった。植木等のサラリーマン映画を見たりして、いつの間にか身につけたように思うが、この生き方、ライフスタイル今の世の中に必要なんじゃないかな。何でもお金、効率、生産性、競争、勝ち組なんて言葉が大手を振って歩いているけど、オイラたちが出来る処世術というか護身術だな、それこそが「いい加減」と「無責任」。

 人の生き方だからそれぞれの考えだろうが、♪金のないやつぁオレんとこへ来い、オレも無いけど心配するな。見ろよ青い空、白い雲~。そのうちなんとかなーるだろーう、ってこれは「ごろんぼ波止場」のテーマだった。とりあえずこれで3月の総括を終わる!!
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頭痛がさらにひどくなった話

 ここ一月ばかり頭痛に悩まされた。随分前のエントリーにも書いたが、僕はいわゆるウェザーヘッド(天気頭のことね、こんな英単語は無いだろうし、「天気頭」という表現もやや方言に近いものがあるらしいが)で、天気が悪くなる時や低気圧が近づくと偏頭痛がするのだ。ところが、ここ最近はピーカンに晴れていて、湿気の全く無い時でも頭頂部やや右側あたりがずきずきしてきて止まらない。市販の風邪薬や頭痛薬を飲んで、誤魔化していたが最近ほぼ同世代の人が脳梗塞などで倒れたりしているので、今日は暇を見て病院で検査してもらうつもりでいた。

 会社で先日やはり頭痛に悩んでいた人がいたので、どこの病院に行ったかと聞いたら、K作医院が良いといわれた。K丸脳外科という結構有名な脳外科病院にいた先生が、新たに開業したとのことで、対応は親切だし、MRIの検査費もわりと安かったし、クスリもボルタレンを今まで飲んでいたが、それより良いナントカというクスリを処方してくれて、すぐに頭痛が止まったと教えてくれた。しかし、僕はその日全く方向違いの場所にいくことになっていたので、以前かかったことのあるK崎脳神経外科に行くことにした。ここまで書いてきて、気がついたがイニシャルにした病院名が全てKである。Kは野球でいうと三振だし、ロックの世界ではKILLERだから、アリス・クーパーやブルー・オイスター・カルトなんてのが出てきそうだが、これは単なる偶然だろう。北○鮮の独裁者もKさんではないか。あ、「カレーなる一族」とかいうのに出てた役者もKだ。

 午後からの仕事でアポイントのあるものは全て処理をして病院に行ったので、着いたのはもう夕方の4時半過ぎだった。保険証を出す時に以前貰った会員証じゃねえや、診察券というのか、を忘れたと話すと、受付の女の子が端末を見ながらこう言った。「○○さん、ずいぶんお久しぶりですが、どうかしました?」

 いやー、もうクリビツテンギョウ。驚いたというか、頭にきたというか、「どうか」したから病院に来たわけだし、こんなところ(などといってはバチが当たるが)「お久しぶり」なほうが元気な、健康な証拠ではないか。あまりのモノの言い方に驚くと同時に、こういう輩の書く(打つ、とするべきか)メールはさぞや絵文字やコーテーションマーク、クェスチョンマークばかりであろうと勝手に決め付ける。しかしながら弱い立場にあるので「あ、あたまが…」といいかけて、こう来たら「あ、そうですか。こちらノーシン、バッファリン、イブ、ま、どれも似たようなモンですが…」と答え、そこに「これ、なんですか?」「コ○ドームですが、お使いになりますか?」という懐かしのスネークマンネタを展開せえよ、このクソガキと心でののしりながら、あくまで表面は気弱な患者を装うのであった。

 しかし、「お久しぶり」という言葉は本当に「久しぶり」に聞いた。その言葉を聞いた時、偏頭痛の頭の中に何がイメージされたか?そう、あの小柳ルミ子のヒット曲「お久しぶりね」の鹿児島弁バージョンである。これは、20年位前の職場の同僚だった鹿児島は垂水出身の男から教えてもらった。こういうフレーズである。♪さひかぶぃやっど、おはんどんといきおうたつわ、あいからどんぐらい、たったどかーいね~。「お久しぶり」を「さひかぶぃ」ということは知っていた。正確には「さひかぶりやっど」をやや短縮化して言ってるのであろう。これは名詞が活用形になるという鹿児島弁独特の変化だ。われらが知事はその鹿児島弁発祥の地、つまり島津家発祥の地、都城出身なので言葉もやや鹿児島弁に近い。そうそう、脱線ついでに宮崎の通と見せかけるテクニックのひとつに「都城市(みやこのじょうし)」のことは「みやこんじょっ」と発音してください。最後の吃音「っ」は聞こえるか聞こえないか位が丁度いいというか、おっ、ネイティブだなと思わせるポイントである。

 などとつまらぬ豆知識を披露しているうちに、先生に呼ばれ問診を受ける。2年ほど前にやはり頭痛がひどくて検査を受けたことがあるのだが、今回はそのときほどひどくは無いが、ずっと頭痛が続いていると話したところ「じゃ、どうしたらいいですか」と聞かれた。どうしたらいいかってこちらの不安を解消するように検査をして欲しいのだが、何故か先生のほうからは切り出さず、あくまでも僕が希望して検査を受けることになった。この病院の待合室に『最新式のMRI』とポスターにあったとおり、ピカピカの検査室に通された。身に着けている金属物は全て外して、横になった。スムーズにベッドが上がり、目の辺りになにやら器具を付けられた。確かこの検査は音がしてうるさかったなと思い、目を閉じた。案の定カンカンという音から始まり、グォーングォーン、ガチャガチャなどといろんな音がする。しかし、その音を聞いてるうちに寝てしまったようだ。

 急にあたりが明るくなった気がして、目を開くとMRIのスライドする上の部分が下がり始めた。全て検査は終了したようだ。検査室から待合室に戻ると5時半を回っていた。小一時間検査にかかったようだ。へんな時間に寝たので、頭痛の上に頭重感もある。受付の女性が待合室の雑誌などを片付け始めた頃、また名前を呼ばれた。

 診察室に写真がいっぱい掲げてあり、僕の頭の断面図を先生が眺めていた。「結論からいうと、心配ありません。脳の状態も異常ないし、血管も特に心配しなくてもいいでしょう」といわれてホッとしたが、この頭痛はどうしてくれるのだと先生の顔を見ると「ボルタレンを処方します。しばらく服用して効き目がない時は又来てください。クスリを変えますから」と言われた。ボルタレンはあまり良くないと聞いたのですが、と言いかけたが、まあ検査結果が良かったので、ここはひとつ大人の対応をするかとだんまりを決め込んだ。お礼を言って診察室を出て、待合室に戻った。今度はすぐに名前を呼ばれた。

 「六千円になります」耳を疑った。「ろ、ろ、ろくせんえん?」声が裏返っていたかもしれない。六千円あればアマゾンでHMVでどれだけCDが買えるか知ってるのか、この前出て購入を諦めたキヨシローの本だって買えるぞ、てめーあと四千円あったら一万円だぞ、などの言葉が頭の中を去来した。頭痛を治しに病院に来て、頭痛を悪化させてれば世話がない。僕はのそのそとお金を払い、隣の薬局でクスリを受け取り、もう会社に戻る気力もなくなり電話で直帰する旨を伝えた。みんなー、身体と心の健康には気をつけようなー。ビンボー人は病院行ったらあかんでー。気合で治せ、偏頭痛。家に帰って、ボルタレンを飲んだら少し痛みが取れた。しかし心の痛みは取れない、六千円あれば…。あ、分かった。あの時医者が検査を受けるかどうかオレに判断させてのは、所謂、自己責任とやらで患者の治療費が高いというクレームを押さえつけるための先手だったのか。クソッ、不覚じゃ。

疲れ果てていることはノーバディノウズ

 年度末で忙しく、今日の日曜日も昼前から仕事で夕方までみっちり働いた。疲れて帰ると下の子は借りてきた「デスノート2」を見て興奮しているし、配偶者は寝ていた。上の子は何を気取っているのか、「妹と一緒にDVDは見ない」などといって一人で「もののけ姫」などを見ている。父親が休みを返上して働いて帰ってきても、「お疲れ様でした」の一言も無い。どうなってるのだ。などと怒り始めると、家族全員で「器が小さい」とか「ハイハイ」とか適当にあしらうことを知っているので何も言わなかった。人間は学習するのだ。しかし、それでも下の子が風呂の準備をしてくれて、汗を流した後はさんまのからくりTVなどを見ながら一家団欒で食事をした。

 僕は普段ほとんどテレビを見ない。昨年罠に嵌って見始めた「純情きらり」の放映が終わってからというもの、単発の音楽番組やニュース、特番などを録画はするが、その後はほったらかしというパターンが多い。この間配偶者から家のHDDの録画時間が少なくなってると言われたので、DVDに落としたり、不要なものを消したりしたのだが、ETVの松田優作特集などは去年撮ってそれっきり忘れていたので、新鮮な気持ちで見れたからラッキーだった。まあ、それくらいテレビ番組には頓着が無いのだが、このさんまの番組だけは日曜の夜7時という時間帯なので、結構眺めていることが多い。ゆうこりんのゴルフ対決などは笑って見ていたのだが、オヤジに対する小娘のメール教室みたいなところでちょっとした波乱があった。何と元国会議員の西川きよしが出てきて女子高生におちょくられていた。

 適当に笑いながら見ていたら、配偶者が「でもお父さんのメールも子供達に評判悪いよ。絵文字を使わないし、第一短い」と、人の逆鱗に触れるようなことを言った。「絵文字なんか使わない。あれはどう考えても象形文字への先祖がえりだ。楔形文字や古代エジプト文字からさまざまな曲折を経て、日本の文字は漢字、カタカナ、ひらがな、という三位一体となった素晴らしい表現として完成したのに、何が悲しゅうて、エムエムとか汗タラリンとかBCGじゃなかったORZとか書かないといけないのだ。絵文字フンサイ、闘争ショーリじゃ」と最後のフレーズは流石に言葉にして出さなかったが、それ風なことをいったとたん、エセ家族団らんは終わった。ま、そんなもんよ。家庭の幸福、諸悪の根源と太宰治も言ってるではないか。

 ということで、僕は例によってPCの前に座り、メールやコメントをチェックしたりしていたのだが、ここ最近YOU TUBEにアクセスしてなかったことを思い出し、早速開いてみた。泉谷とチャーのセッションを見たり、メラニーの「心の扉を開けよう(ブランニューキー)」なんかを見たあと、My Subscriptionsを開き、お気に入りの人たちの新作投稿を見ていたら、なんと懐かしい「連想ゲーム」や「霊感ヤマカン第六感」などのクイズ番組の投稿があった。「霊感~」はテーマソングははっきり覚えていたが、司会がフランキー堺(残念ながらフランキーゴーズトゥハリウッドではない、って当たり前だのクラッカー、などと訳の分からぬことを言うから人から嫌がられることを未だに学習しようとしない、いけない僕であった)であったことはすっかり忘れていた。

 で、ですよ。あるんじゃないかな、と思って検索したらありました。先だって亡くなった鈴木ヒロミツの懐かしい動画が。「気楽に行こう」のCMやモップスの「たどり着いたらいつも雨降り」のライブ演奏など。そして、その中で同一人物が投稿してるのだが日活の「野良猫ロック」シリーズに出ているモップスの雄姿。著作権の関係ですぐ消されるだろうが、今のうちに是非見てください。ここに張っておきます。今日は疲れ果てているので、これでおしまい。

お彼岸雑記

 本日のエントリーに入る前に訂正とお詫びを一発。3/14のエントリー「父と子の絆 パート2」の中でジュディ・コリンズのことを書いたのだが、その中で彼女の曲を「青春の影」と書いてしまった。ジュディが片言の日本語で♪君の心へ続く長い一本道は、いつも僕を勇気付けた~と歌うのだったら廉価盤でなくてもすぐ購入する。これはもちろん「青春の光と影(both sides now)」の間違いである。謹んで訂正してお詫びを申し上げる。商いは正直が一番、孔子も間違ったことをしたらいつでも何処でもすぐ訂正しなさいみたいな事を言ってるではないか。実るほど頭を垂れる稲穂かな、である。それでは本日のエントリーどうぞ。

 今日はお彼岸の中日ということで、朝から墓参りに行くことにした。普段は不良中年ロッカーを気取っているが、僕は意外に墓参りやお寺参りは欠かさないのだ。これは信心深いとかそういうことではなくて、単に落ち着くからというだけのことである。月に1回くらいは父や弟の墓前に線香を上げている。今日は家族揃って実家の母の家に行き、妹も来るというので待っていると、予想に反して一人でやってきた。子供達に墓参りに行くといったら、自分達の部屋に立て篭もり徹底抗戦して同行を拒否したらしい(ヘルメット被ってハンドマイクでシュプレヒコールを叫んだ、ということは無かったらしい、残念)。妹のところは男の子二人で、そろそろ親のコントロールが難しくなってきたようだ。我が家のバカ娘どもは、誰に似たのか普段は親の言うことは聞かないくせに、墓参や法事など親戚関係のイベントには嫌がらず出てくる。早い話が外面がいいのだ。実家の母は怒っていたが、孫達もだんだん大きくなって、親に反抗するのも成長過程のひとつだからなどといってなだめておいた。人の家の子供のことは冷静に言えるんだけどなぁ。

 我が家のお墓は宮崎の人ならたいていご存知の、北部の山を切り開いて作られた大きな霊園の中にある。ハマショーではないが、「パワーシャベルで削った丘の上幾つもの同じよな小さな」墓が延々とあるところだ。霊園の中の道路沿いに桜が植えてあり、もう少しすると花見にいいのだが、流石に今日はまだ裸のままの状態で寒々しい。山桜はちらほら見かけたが、ソメイヨシノはまだこれからのようだ。そういえば来る途中の田んぼでレンゲを見たが、最近のレンゲは随分淡白な色をしている。子供の頃遊んだレンゲ畑は一面が鮮やかだった気がするが、これも歳のせいで過去を美化してるのだろうか。流石に今日は霊園に人の出が多く、道路も規制されていた。車を停めてお墓まで歩いていると、大勢の人にすれ違う。年配の方ほど「こんにちは」と挨拶をされるが、悲しいことにオヤジ世代が一番挨拶が出来ない。口の中でもごもご言ってたり、黙って会釈するなどはまだいいほうで、すれ違う時に視線を無理な方向に向けてシカトする人もいる。ケツの穴の小さいやつらである。我が家のバカ娘どもはやたら愛想よく挨拶をしていたので、行きかう人から褒められ得意げである。そのことを冷やかすと、ドスの聞いた声で「黙れ、クソオヤジ」と言われた。

 墓参りも終わり、車の停めてあるところまで歩いていると、新しく山を削って切り開いた区画が見えてきた。つい何ヶ月か前は、何も無かったのに今日見るともう結構墓で埋まっている。ナニゲニ眺めていると随分墓の形が変わっている。思わず「ボーリングが好きな人たちが亡くなったんだな」というと、上の娘から「そんなはずは無い。あれは珠を飾ってる」とレーセーに修正された。しかし、墓に書いてある文字も普通は○○家とか飛翔とかその手のことが書いてあるのに、今日見たお墓には「夢」と書いてあった。そこでも思わず、「キヨシローが好きな人だったんだ、アルバムタイトルを墓碑銘にしている」と言ったが、今度は誰も関わろうとしなかった。下の娘がチッと舌打ちしたくらいだ。

 しかし、なんでもありの世の中であるが、お墓に書く文字くらいはある程度伝統というか、しきたりというか、流行り廃りに影響されないほうがいいのではないか。69年以来墓碑銘には「混乱」としか書いたらいけないはずだが(いや、そんなことはない。それは一部のプログレファンだけで…)。脱線ついでだが、死んだら自分の灰を海に撒けとか、山に撒けとかいろんなことをやるのが流行らしいが、岩石生活者としてはその手の流れには組しない。人間は所詮一人であり、下水管に目鼻であり、死ねば火葬場の煙であるから、余計なことはしない、考えないのだ。トラヒゲではないが「後は野となれ山となれ」である。

 話がそれたが(いつものことです、気にしないで)、その霊園で見たおよそ周囲との調和を拒絶した形のお墓や、外見は普通のお墓であるが、表に訳の分からない文字が彫られているのを見たりしているうちに、なんでこんな滅茶苦茶がまかり通るようになってきたのか色々考えてみた。結論。三○春夫が悪い。彼が「お客様は神様です」といってから、世の中に誤解する連中が増えてきた(様な気がする)。お客様=神様、すなわち金さえ払えば文句は言わさないという風潮はやはり万博の70年から浸透してきたのだろうか。

 例えば、ITバブルで一儲けしたようなドザエモンとか、耳と目が大きくすぐ口を膨らますただいま公判中の男みたいな連中が、墓石屋に「こんなお墓を作ってくれ」と言った時に、「お客様は神様です」信者というか、大多数のショーバイニンはほいほい言われたとおりに作るようになったのが、その時代からだったのではないか。それ以前の時代であれば、そもそもそんな素っ頓狂なことを依頼する人間もいなかっただろうが、仮にそのようなオーダーがあっても「お客さん、墓ってもんはね、あんただけの私物じゃねぇんだ。そもそも、人は何故、死んだものに対して慰霊の行為を行うかというと~」と柳田國男や南方熊楠を引き合いに出して、民俗学から土着の風習についてまでレクチャーし、それでもって『たとえ千金を積まれてもオレは己の道に背くようなモンは作れねぇ、一昨日きやがれ』、みたいな対応がありえたのではないか。

 もう、この際だから勢いで書くが、金を払ってるんだから何を言ってもいいとか、顧客満足度ナンバーワンだとかオンリーワンよりナンバーワン、あ違った、ナンバーワンよりオンリーワンだとか「お客様=神様」神話は根強くはびこっている。コンビニだとかファーストフードのマニュアルなんかもそうだ。客の言うことには、何でもハイハイと聞くことが他社との差別化だとか、どんなに無理な注文でも我儘な注文でも受け付けます、などという企業ポリシーなどを聞くと、こいつら皆気が狂ってるのではないかと思うのだ。「無理」な注文は、土台無理なことであり、「我儘」は所詮「わがまま」、つまり自分のやりたいままということを誰かが指摘してやら無いと、この国はおかしくなる。いやもう十分おかしいが。

 このブログを読んでいただいている皆さんのところでも、こういう話はありませんか?この際だから、こんな馬鹿な客がいたとか、その客に対してこんなアホみたいな対応をしたら上から褒められたけど、なんかおかしいとか、その手の話を教えてください。やっぱ、諦めてはいけないな。声を大にして言おう。お客様は神様なんかじゃない。単なる消費者であり、その立場は場面場面ですぐ変わるのだ。今日の客の立場は明日のお店の立場になるんだ!!もう茶番は止めよう。と、お彼岸に寄せてちょっぴりマジなお話でした。続くかも。

思い出した、ここは音楽ブログだった

 前回のエントリーで鈴木ヒロミツの死がモップス再評価のきっかけになるのではということを書いた。実際はもっと否定的に、人の死まで商売に有効利用しようとする資本主義に忠実な諸君の登場を予測したのだが…。嫌味はさておき、16日金曜日にタ○ーレコードのメルマガが届き、ナニゲニ眺めていると「大人の音楽ユーザーのためのページ」なるものが出来たと書いてあったのでクリックして入ってみた。そうすると「エレックのシングルボックス」や「ドーナツ盤メモリー」、そして「お色気御殿 お父さん お疲れさまです」とあり、このハートマークは一体なんだ、この問題を解決しない限り、次には進めんぞと一人コーフンしていたのだが、そのすぐ下にレコメンドがあり、そこにモップスの「御意見無用(いいじゃないか)」のジャケット写真とヒロミツ氏の訃報についてコメントが書いてあった。文面は故人を偲ぶというニュアンスだったので、それほど気にはならなかったが。

 試聴できたので、何十年かぶりにアルバムタイトルの「御意見無用(いいじゃないか)」と「月光仮面」を聞き、そのまま他のフォーク、ロックのアルバムを見ていたら、やはりモップスの「サイケデリック・サウンド・インジャパン」もあったので、当然「朝まで待てない」から聞き始めた。このアルバムバージョンではやや音がスカスカで、普段耳にしているシングルバージョンとちょっと違っていたが、録音の悪さも当時の音楽シーンを象徴しているようで、それはそれなりに良かった。しかし、ビックリしたのは「あなただけを(あおい輝彦に同名異曲がありますが、こちらは当然ジェファーソンの「サムバディトウラブ」の日本語タイトルのほうです)と「ハートに火をつけて(ドアーズでっせ、ドアーズ)」でのヒロミツのボーカルの上手さと、バックの演奏力のしっかりしていること。これ皮肉でも何でもありません。あの頃の日本のロックシーン(そんなものは無かったと言い切るのは簡単ですが)のなかで、コマーシャリズムと上手く折り合いをつけながら、独自の音作りを模索していたモップスの凄さが感じられます。

 そんなこんなで週末を迎えたが、本日の日曜は午後から夕方まで仕事が入っていたので、午前中はのんびりするつもりだった。本当は昼前まで寝ていたかったのだが、昨日の新聞に「寝ダメは無駄。休日普段より起きる時間が遅い人ほど抑うつ感がある」とかいう記事を読んだので、8時くらいから目が覚めて、それでも起きるのはなんとなく勿体無くて布団の中でウジウジネベネベしていた。この「ウジウジネベネベ」というのはいい加減起きればいいのに、浅ましく布団の中で寝返り、反転を繰り返すさまを表す言葉で、70年代後半北白川を中心に使われた単語だ。そのほかにもぐうたらで食っちゃ寝てばかりいて、ぶくぶく太る人間のことを「ネブタトシオ」という言い方もあった。それはさておき、起きようか、寝ようかと迷っているうちに携帯がなった。

 仕事の催促かと思って身構えたら、いつもの宅急便の人からで、先日(といっても、2月28日に3枚で25%引きに釣られて)注文したCDをこれから配達できるとの連絡だった。実はその数日前にHMVからメールが来ており、ショーン・フィリプスの「ブライトホワイト」が入らないが、他はどうするか、キャンセルすっか、まだ待つか、みたいな内容だったので、とりあえずある分は送れやと返事したのだ。電話を切るや否や、玄関のチャイムが鳴り、無事4枚のCDが手元に届いた。以前のエントリーにも書いたパリスの「ビッグタウン2061」、ボブ・ウェルチの「フレンチキス」、ニール・ヤングの「オンザビーチ」そしてダン・ペンの「ドゥーライトマン」。早速PCに落として車用にコピーCDを作った。しかしこれらのアルバムは全て高校時代から大学にかけてのアルバムで、アナログでしか持っていないものばかりだ。我が家ではアナログのオーディオ機器は下の子が小さいときに壊しそうになったので、倉庫にしまいこんだままになりずっと聞けない状態が続いた。

 したがってカセットに録ってなかった音盤は、下手すると20年近く聞いたことが無いことになる。しかし本日のアルバムを聞いてみると、いややっぱり覚えているモンです。さびの部分のフレーズなどすぐ出てくるし、あれ、この曲は覚えてないと頭は判断しても、口をついて歌詞が出てきたりメロディや印象的なソロパートがふっと浮かんだり。パリスのアルバムは意外にもバラードナンバーのほうが記憶に残っていた。いや、今まで完璧に忘れていたつもりだったが、イントロの音が流れた瞬間、完璧に甦ったのだ。新しい発見もあった。当時は知ってたのか、どうだったのか、ニールヤングのアルバムのバックにレボン・ヘルムやリック・ダンコが参加していた。特にこのアルバムをCDで買う動機になった「シーザスカイアバウトゥレイン」や「レボルーションブルース」にザ・バンドの御大お二人が参加していたのだ。

 この「シーザスカイ~」はエレピのイントロが印象的な曲だが、僕には苦い思い出がある。あるブログのコメントにも書いたのだが、歌詞の中に”Locomotive pulls the train”というフレーズがあり、このアルバムを買ったばかりの時は意味を調べず、そのまま聞きながしてしまった。その何日か後に実力テストがあり、その英文解釈の中に”locomotive”なる単語が出ていたのだ。語尾にtiveがついてるので形容詞だと思い込んで、何とか訳を考えるのだが、全然分からず時間が来てしまった。試験後、やはりロックファンの友人と話をしたときにあの単語の意味が分からなかったというと、彼は「お前アホやな、ゴールデンハーフ(時代だね、この単語知らない人は気にしなくていいからね。僕らの上の世代の人たちのアイドル「黄色いサクランボ」たちです。大塚愛の「さくらんぼ」とは別人28号)がうたっとるや無いか。ロコモーションって手の形がシュシュポッポだろ。蒸気機関だろ」と斬って捨てた。

 『そうか、ロコモーティブプルザトレイン、とは動力源である蒸気機関が客室である列車を引っ張っていることを歌ったのか』と気がついたが、後の祭り。それ以来虎視眈々と試験に”locomotive”が出てくるのを待っていたが、ついに出会えなかった。しかし、こうしてCDで出会えたから良しとする。ボブ・ウェルチの「フレンチキス」は、学生時代に作っていたミニコミ、マーマレードの最初に取り上げたアルバムだ。この時は、どんな人がミニコミを読んでくれるか皆目見当がつかず、とりあえずその時一番良く聞いていたアルバムのことを書いて自己紹介にしようと思い、ストーンズの「ラブユーライブ」と10CCの「愛ゆえに」、それにこの「フレンチキス」の3枚をネタに記事を書いたのだ。しかし、この手の昔話は焦点を絞って書かないと単なる垂れ流しになるな。

 そうこうしている内に仕事も終わり、お風呂に入って、そうそう、この前DVDに録画してもらった「フォークの達人」を見なきゃと思い、泉谷を見始めた。いや、老いてますます盛んでした。キーボードが元サウストウサウスの中西、ギターがアナーキーの藤沼伸一、それに泉谷という変則的なバンドだったが、これが実にいい。選曲もほとんど70年代で「野良犬」から始まり「寒い国から来た手紙」や「眠れない夜」「翼なき野郎ども」と泣かせる。ゲストも牛若丸三郎太じゃないや、時任三郎にチャーという意外な組み合わせでこれまたビックリ。アンコールで「野生のバラッド」を観客巻き込んで大騒ぎだったが、60過ぎても凄いパワーだ。そうか、藤沼のギターは「吼えるバラッド」の時からだな。あのアルバムには「野生のバラッド」が入っていたけどアカペラで、シングルがロックバンド(アナーキーの進化形)の演奏だった。

 まとまりがないけど、最後は泉谷の歌で終わろう。「Oh、何てお前に伝えよう、騒ぎの好きな俺についてOh、何てお前に伝えよう、静かに暮らすいらつきを~誰かを傷つけてきた日々の、そのときの顔つきで吼える」。アンコールにもう1曲「デトロイトポーカー」をやれば最高だったな。

嗚呼、このけだるさは何だ!?

モップス 一番前で頭にバンダナしてるのがヒロミツ

 今日は更新をお休みにするか、ラジオで聞いたネタをアップするか迷っていたが、夕方ある訃報を聞いてしまい、大急ぎでそのことを書いておく。

 元モップスの鈴木ヒロミツが亡くなった。御年60歳。まだまだ若い。ラジオやネットのニュースでは「役者の鈴木ヒロミツ」という書き出しで、記事の中にかろうじて、元歌手とかGSという言葉が出ていた。僕にとってのヒロミツのイメージは大きな身体にオーバーオールのジーンズ。肩まで届く、わさわさの長髪にまん丸の金縁メガネ。言葉は悪いが能天気なヒッピーというイメージがぴったりだった。事実テレビドラマに出始めた頃はそういうキャラクターで売っていた。ポール・ロジャースが野添マチと結婚した関係で、テーマ曲を歌った(ちょっと説明がくどい。♪ヨアケーノケーイージー~というだけの歌詞だったが)「夜明けの刑事」あたりからセルの縁のメガネにしたり、それまでと比べたら短めの髪形で登場したりした。しかしヒロミツのイメージはやっぱり「気楽にいこう(よく考えたら「テイクイットイージー」ではないか。ジャクソン・ブラウンの先を行っていたのでは?いや曲調は全然違いますが)」のヒッピーイメージだ。

 GSブームの末期にモップスは登場した。「朝まで待てない」のボーカルはアニマルズのエリック・バードンを意識した黒っぽい歌声だった。キャントウェイトのバックコーラスが流れるエンディングでアーイキャントウェイ~と絶叫するヒロミツのボーカルはカッコよかった。ルックスを初めて見たときは、『冗談は良子さん(古っ!)』と思ったのは事実だが。このモップスは星勝のギターとアレンジ、そしてヒロミツのボーカルで持っていたバンドだった。タイガースが解散、テンプターズも解散(その後PYGというスーパーグループになり実験的なロックを模索したが、時代から見放されてしまった)、スパイダースが「エレクトリックおばあちゃん」を出した頃ではなかったか。

 正直にいうとモップスの名前を初めて知ったのは、ご他聞にもれず「月光仮面」であった。♪何処の誰かは知らないけれど~とサイケ調に語りながら、それがいつの間にかロックのリズムに乗っていき♪ゲッコ仮面のおじさぁんはぁぁぁぁぁ~と終わっていく不思議な面白さ。オールナイトニッポンにもちょくちょくゲストで出てきたり、確かカメの番組の特集だったか、何かの特番だったかDJをやったはずだ。その後だったか、拓郎の「たどり着いたらいつも雨降り」をハードなロックサウンドにして歌っていたのは。あのアレンジは最高だった。バンドの演奏も良かったし、なによりヒロミツが乗って歌っていた。しかし当時の音楽雑誌にはフォークに魂を売ったとか滅茶苦茶書かれて可哀想であった。今の若い人たちには信じられないかも知れないが、70年くらいまではフォークとロックは敵対するものであった。大体かわいい女の子が好むのはフォーク、無鉄砲で傍若無人な野郎が好むのはロックと相場が決まっていた。しかし、僕は知っている。学校ではフォークが好きなどといってるやつが家ではハードロックをガンガンかけていたり、その反対で長髪、ブラックジーンズで突っ張ってたロック野郎が家では♪僕は~追いかけたりしなーいなどと軟弱な歌を聞いたりしていたことを!!

 大学に入ってモップスのベストを買った。無論「朝まで待てない」から「月光仮面の歌」、「たどり着いたら~」、「気楽に行こう」などのヒット曲はもとより「御意見無用(いいじゃないか)」や「迷子列車」といった実験的なナンバーも良かったが、一番好きだったのは「雨」というバラードナンバーだった。♪雨が世界を~泣いていーる~ルルル、と、もう断片的にしか歌詞は出てこないが、雨の日の街の情景をしっとりと歌い上げた曲だった。今調べてみたら、このタイトルのアルバムは廃盤のようだ。しかし、人の死こそ商売にしてしまうこの世の中だから、再発されるかもしれないな。10年前ならミュージシャンの訃報を聞いても”Who’s Next?”などと悪態をついていたが、ここ最近のニュースは堪える。そういえば数日前にマシンガン・ダンディの声優さんも亡くなっていたな。

 モップスの日本のロック史における役割や、鈴木ヒロミツのロックボーカリストとしての能力などを論評する気は全くない。ただ鈴木ヒロミツという稀有なキャラクターを持ったロックシンガーが亡くなったということと、僕が彼(ら)をますます好きになったエピソードを書いて終わりにしたい。

 忌野清志郎の半生記を書いた本を読んでいたときのこと。RCは当時人気のモップスの前座を井上陽水と一緒にやっていた。この組み合わせで結構ツアーにも出た。ツアーも続くとストレスが溜まってくるのだが、モップスの連中はストリップに行って、そのステージに上がり、ゴーゴーを踊ったりして発散させていたらしい。ツアーの移動は今のように車ではなく、国鉄(今のJR)の特急電車。いつも2等に乗って体力的にも限界だったRCや陽水にも1等車を使わせるように、会社に交渉してくれたのがヒロミツだった。彼の鶴の一声で翌日から快適な移動が出来るようになった、というところを読んで、ヒロミツええやつやと僕は思ったのだ。合掌。

※記憶を頼りに一気に書いたので、事実関係が間違っているところがあるかもしれません。しかし、大筋は間違っていないと思います。

父と子の絆 パート2

 今朝、配偶者が子供達に、今夜は仕事でご飯が作れないので、弁当を買っておくからそれをチンして食べるよう言っていた。僕が仕事に出る時も、『今夜はお弁当ですいません』などと妙にシオラシイことを言うので、もしかして弁当に毒を盛られているのじゃないかと考えたが、動揺を見抜かれないように生返事をして家を出た。珍しく8時前に仕事が終わり、車に乗って家に帰ろうとしたとき上の子供からメールが届いた。

知ってるかもしれんが今日のご飯はコンビニで適当に買って下さい。


 すぐに家に電話した。もちろん僕の分の弁当が確保されているかどうかの確認だ。答えはNO。自分の弁当は自分で買って来いということらしい。あいにく銀行に行ってないので財布の中には1,000円札が1枚あるきり。コンビニよりもスーパーのほうが良いかと思い、♪エエモンやっすいのはイ○ミヤ~に行くと廉価盤のCDが売ってる。オールディーズや韓国産の輸入盤なのでたいしたものはないなと見ていたら、ジュディ・コリンズのベストがあった。「時代は変わる」や「青春の影」、「悲しみのジェットプレーン~故郷へ帰りたい」、「雨にぬれた朝」など入ってる。「アメイジング・グレイス」も入って、通常2,000円が1,200円、こりゃ買うしかないと思ったが、お金がない。すぐ横のキャッシュディスペンサーに行くと人の列。ありゃ、機械を修理している。

 待っていても埒が明かず、下手をすると店が閉まる。しょうがないのでそこを出て、近所のコンビニで幕の内を買って、栄養のバランスを考えてサラダも買った(ちょっと食い過ぎのような)。これに明星チャルメラを作って食べれば腹いっぱいになるだろう(いや、明らかに食い過ぎだって)。家に帰るとバカ娘二人はやりたい放題で上の娘は例によって三国志のTVゲーム。下の娘はノートPCを開いて音楽サイトを眺めている。テーブルの上を見ると、おにぎり弁当のおにぎりが2個、イナリが1個残っている。もう1つの弁当にもちょっとした惣菜が残っている。こういう時に父親の威厳を見せんとイカンと思いバカ娘達にMOTTAINAI精神とは何かを説明したが、普段言ってる事と矛盾していたため、今一説得力に欠けた。早い話が、おとうは最近良くご飯を食べるから、残っているのは食べてもいいよなどとあしらわれた。

 頭にきたので、上の子には風呂の準備、下の子には食器洗いを命じた。しかし、幕の内を食べてサラダ(マカロニとポテトサラダが半分ずつ入ってるやつ)を食べ、おにぎり、イナリと食べたら流石に腹が苦しくなってきた。久しぶりに散歩に行くというと、下の娘がポテチとアイスを買ってきてという。ふざけるなと怒ると「お金は払う」とこちらの懐具合を見透かしたようなことを言った。余計頭にきて怒ると、逆切れして凄い剣幕である。誰かに似ていると思ったら、配偶者だった。いい加減根負けしたので、じゃ帰りに買ってきてやると言って、何ヶ月ぶりかに夜の散歩、ウォーキングに出かけた。去年の年末寒くなってから止めていたので、夜歩くのは本当に久しぶりだった。

 いつもこの時間帯に歩いていたオジジやオババとは全く会わず、比較的若い人とすれ違った。やはり寒い(3月と入っても結構風が冷たく、トレーナーにウィンドブレーカーではちょっと寒かった)ので年寄りは出てこないのだと、自分自身ももうどちらかというと年寄りに近いのに、そんなことを考えながら歩いた。いや正確にいうと歩いてる時はほとんど何も考えていない。ただ断片的に頭に浮かんだことを反芻するだけだ。この寒いのにO淀川の橋にもたれて何事かを話しあってるカップルがいた。そばを通った時に男の声が聞こえた。「いや、君といると落ち着くんだ」。気の迷いやでそんなもん。一人のほうがずっと落ち着くはずや。おっちゃん悪いこと言わん。もう少し冷静になれ、人生を捨てるな、などの言葉が走馬灯のように脳内を巡ったが、イランことを言うわけにもいかず、素通りした。

 散歩から帰ると、配偶者がいた。なんとなく眉間にしわが寄って顔がきつい。バカ娘達がいない。『どうした』と聞くと先ほど家に帰ってきて、子供二人に雷を落としたという。『どうして』、と聞くと子供達が言われたことを何もしてなかったと答えた。『そういうお前もオレの弁当こうてなかったやないか』、と言うと、『いや、自分の好きなお弁当を買って食べると朝言ってた』などと抗弁しやがる。まともに相手するとウザイので(バカ娘の受け売り)ハイハイと言っておいた。下の子に買ってきたお菓子を渡すと「おねえがメールしたのに」などというので携帯を開いてみた。メールが入っていた。

母さんが帰ってきた。洗濯物を取り込むようお願いしたのに取り込んでなくて怒った。ゲームしてるのも怒られた。もし母さんが何か言ってきたら知らないふりをした方がいい。ゲームをしていたのを知らない設定でいて。とにかく、今家の中はギスギスしている。


 ワロタ。家の中がギスギスしてるのは自分達が好き勝手した報いだということが分かっていない。機会があれば我が子達には因果応報とは何かを教えることにした。しかし、うちのバカ娘達はオヤジを友達かパシリと間違ってないか…。

勉強なさい、勉強なさい、大人は子供に命令するよ

 えー、ということで9日の25時というか、10日の午前1時から「東国原英夫のオールナイトニッポン」を聞いた。かっては「朝だ、徹夜だ。今日ママンが死んだ。そのついでに、太陽が黄色いから彼女を殺した」と出町の異邦人と呼ばれた僕だが、最近はすっかり「早寝、早起き、丈夫な体。一日一善。人類はみな兄弟姉妹、ということは人類みんなキンシンソーカン(これビックリハウスに出ていたネタ。あまりにも面白かったので未だにはっきり覚えてる。お説ごもっとも、という奴である)」という体質になっているので、まあ眠かったこと、眠かったこと。放送中というか、1時過ぎから2時過ぎまで全く記憶がない。寝てたのである。カセットをセットしていたので安心していたこともあるのだが。

 しかし、なんだね。テープの起こしという奴はてーへんなゴトシだね。あんなことを本業にしてるってぇと、狸さんたらいうお人は忍耐力があるというか、根気があるというか。おれっちはダメだね。気が短くていけねぇや。ワンフレーズごとテープを止めて書き写してると、いらいらしてきて、コノヤロ、一気にいったれと飛ばしていくと、途中で文がおかしくなるというか、発言と文が一致しない。言文一致なんて文学史に出てきたが、発言一致の作業はほんと、大変だった。達郎のFM番組の起こしをやってるsugarmountain君なんかも見上げたもんだ。と、ここまで書いてきて、良く考えたら、僕も学生時代にインタビューのテープ起こしをやって、そこからミニコミの記事をでっち上げたこともあったのだ。

 以前も書いたかもしれないが、パンタ&ハルを結成したばかりのパンタにインタビューして、当時作っていたミニコミ(マーマレードという名前だったが、もう誰も知らないだろう。木之内みどりが好きな編集長のM川と、広告研究会だったT田、そして1年でサークルを止めた故M原と一緒に作り始めたミニコミだった)に記事を掲載した。このときは僕はインタビュアーで原稿を書いたのは故M原だった。その後別のミニコミ(サイレントエイジという名前で、その後ロックペーパーを作ろうという話もあったが、流れてしまった)に移り、リザードのモモヨさん、1980xを出したばかりのパンタなどのインタビューをやった。そういえばP-モデルのインタビューは当時同じ下宿に住んでたN岡という男が原稿にするはずだったのだが、僕の部屋で酒を飲んで盛り上がっているうちにテープを無くしてしまい、記憶だけが頼りで書いたはずだ。その後僕の部屋からテープが出てきたが、今更な話で記事は書いた後だったので、それは無かった事にした。どうでもいいことだが、このN岡はノーコメンツというスカバンドのドラムだった。

 と、過去の話を書いてもしょうがないので、昨日の続きのネタをを思ったが、テープを起こす元気もないし、東知事のトークの面白かったところだけ書こうかとも思ったが、それはまた次の機会にして、今日の出来事をアップする。

 最初に書いたように、金曜の深夜というか土曜の未明から寝不足で、せっかくの日曜日思い切り朝寝坊してやろうと思っていた。それなのに、ああそれなのに、休みなのに朝はやはりいつもの時間に起きてしまう。♪くそったれ、バカ野郎、満足だろう、と「ふざけるんじゃねえよ」のフレーズを口ずさみつつ、もう一度寝ようとしていると、配偶者から下の子の塾の懇談会に行くか洗濯をするか二つに一つ選択しろと(このヤロ、上手い事いうね)言われた。頭にきたが、洗濯は干すのがかったるいし、下の子は成績が滅茶苦茶で、それでも出来の悪い子ほどかわいいという奴で、しぶしぶ塾の懇談会に行くことにした。せっかくの日曜の朝10時から、何が悲しくて宮崎の県立高校の傾向と対策を聞かんとイカンのかとややツリ目になりつつ会場に向かった。

 30人くらい入れる教室に15人くらいの父兄が来ていた。父親は5人。何故かこういう場では、父親同士は連帯しない。母親同士は初対面であってもすぐにかたまって、あっという間に昔からの知り合いみたいな関係になるが、♪男は誰もみな無口な兵士(サミーデイビスジュニアみたいなグラサンかけた日本人のシンガー、あ、町田義人だ)である。烏合の衆とは違うのよ、などと書くと良識ある人から怒られそうだが、書いてしまった。しかし、では父親達が別個に進んで共に撃つというような関係かというと全くそんなこともなく、早い話が孤立してるのだ。しかし、ああいう場に夫婦で来た人がいて、ややビックリ。何でも嫁はんと一緒じゃないと嫌という「ワシモ族」だろうか。ええ加減乳離れしろよと心の中で毒づく。

 10時5分を回ったくらいから、話は始まり、中2は受験で一番大事な時期だと延々説教される。中1の父兄が対象なら「何事も最初が肝心です。こと受験においても最初が一番、つまり中1が一番大切なんです」とか中3の父兄には「この1年間の頑張りが雌雄を決める大事な1年、つまり中3こそがもっとも大事です」みたいなことを言ってるんだろう。あ、これは決して非難しているのではなく、どの学年も大事だと僕は思っています。宮崎の高校受験の話から大学受験の話まで、話は多岐に渡ったが、要するに日本全国から見て、宮崎の進学率は46,7位、早い話が全国でドベだという話、しかしながら数学は全国的に見ても難しい問題が出ているなどと、まあ、そのあたりの話はどうでもいい。

 僕がビックリしたのは英語の話で「今は発音記号は勉強しません。ある年齢以下の学校の先生も発音記号は習っていません」という話を聞いたときだ。そういえば、子供の教科書にも発音記号が載ってなかったような。いや、英和辞典にも載ってなかったような気がした。発音記号がなければどうやって発音を調べるんだろう。と、言うのも僕が中学校2年の時の英語の先生は、スパルタで有名だったその中学校の中でも1,2を争う激しい先生だったが、1学期をフルに使って発音記号を教えてくれた。おかげで英語の力もつき、興味も湧いたのだ。我が家の子を見ていると、単語の上にカタカナで読み方を書いていたので、何度か注意したが、結局その癖が抜けず、発音やアクセントが大変怪しい。

 しかし、勉強の動機付けがあいまいなまま、高校進学などといっても所詮、絵に描いた餅なんだがと思いつつも、塾の先生方の熱心なお話と、集まった父兄の熱気に押され、2時間真面目に話を聞いていました。いや、数学の証明なんか懐かしかったな。「お、これは二辺挟角を使うな」とか「三平方の定理、あったな」とか「素数と素因数分解か」などと心の中でつぶやきながら話を聞いていたのだが、父兄の中で声に出して返事をする人がいて閉口した。「今年の傾向は~ですね」と先生がいうと「うーん」とか「ふんふん」とか声が聞こえるのだ。いくら塾の先生が勉強する時は声に出してやらせてください、というものの人の話を聞いてる時はなるべく声を出して欲しくないな、と思った次第でした。

 しかし、家に帰って我が子の姿を見ていたら、能天気なんだよな。配偶者はギャースカ言うが、こればっかりは強制してなんとかなるのは小学校までだろうし。ちょっと悩みが深くて、煮え切らないエントリーになりましたことを深くお詫びいたします。次は深夜放送の懐かし話をアップするか。

聞くのは楽だけど、書くのは大変な話。

 えー、皆さん今晩は。私が宮崎県知事の東国原英夫です。えー、ということでございまして、ついにですね、オールナイトニッポンというこの晴れの場にですね、来たわけでございますが、今はですね、宮崎のスタジオなんですが、本来なら東京の有楽町のニッポン放送、それも新しいあのニッポン放送じゃなくて、あの古いほうの、この前がお台場で、その前にですね、今と同じところにあったんですが、そこのオールナイトニッポンですね、ニッポン放送の、あのレンガのですね、古―い金魚鉢みたいなところですね、あそこでやりたかったんですが、今日ですね、ま、宮崎からということで、えー、宮崎のスタジオからお送りしております。

 まーしかしですね、私がですね、県知事になってですね、まさかですね、このオールナイトニッポンをやるとはですね、夢にも思いませんですね、このオールナイトニッポンというのが、実はですね、私のですね、芸人時代のデビューなんですね。えー1981年なんですが、えー、うちの師匠が、ビートたけしのオールナイトニッポン、毎週木曜日やられててですね、ま、記録的な数字を出したんですね。数字というのは視聴率、あ、聴取率か、そんときに私が一番弟子で入って、一番最初のあのー、企画が確かですね、先代の貴乃花関が断髪式を行いまして、そして師匠が何を思ったか、『オレも断髪式に出たかった』という話になったんですよ。で、誰かの髪を切りたいとか言う話になって『お、いるじゃねぇか、そこに。昨日弟子になったばかりのお前、何つったっけ』。そん時に『ヒガシコクバルです』って言った。で、そん時に、『ヒガシコク?ヒガシコク?コク、何?わかんねー奴だなぁ、お前。東でいいよ』。それで『お前、ちょっと来いよ』って、で、『はさみを持って来い』って。

 ラジオですよ、ラジオで、チョキチョキ、ギャーギャーとかいう声が入って、それがオールナイトニッポンの、僕のデビューだった。で、そいで、これが高田さん(注;当然、渡ではない、文夫さん)がいて『高田さん、これがさー、この前入ってきた弟子なんだよ。これがさー、どーしよーもねーんだ、これ。でさ、考えたんだよ企画』、僕一人でしたからね、一番弟子で、『で、こいつをさ、どうにかしてやめさせてやんないか、弟子やめさせコーナーを作ろう』つって、全国に飛ばされたんですね。で、全国から電話を頂いて、そして東をそこに送り込んで、そこであのー、お給金を貰って、そして次の場所へ飛ばせると、そういうのをずーっとやって、だからあの電波少年のラジオ版みたいなのを、初めてやったのが私なんで。このオールナイトニッポン、本当大変長らくご無沙汰しておりました。本当に、まさかこういう形で、ここにですね、飛ばされてくるとはですね、夢にも思いませんですが、ということで、何かですね、感無量なんですが、それでは、まずですね、始めて参りましょうか。えー、参ります。

 ヒガシコクバルヒデオのオールナイトニッポン~ <オープニングテーマのビタースィートサンバが流れる>

 いやー、感無量ですね。ビタースィートサンバ、ねー、もー、いやー、ちょっと感激するわ、これ今もそうですか?すいません勉強不足で、今ちょっと聞いてないんで。あーそうですか。止めたのがですね、1990年くらいだと思うんですよ、ね。あれからもう17,8年ですか、いやー懐かしい。なんで芸人の時は、これのレギュラー取れなかったんだろう。何でこの仕事が来なかったんだ。皮肉なモンですねー、県知事になって。えー、松岡さんもねえ、これ前にいらっしゃるんですけど、高田文夫さんのお弟子さんで、松岡さんていう方ですね。この方を、ニッポン放送の初めてのレギュラー、夕方の2時間枠『グラグラグラッチェ』。タイトルも意味分かりませんでしょ、グラッチェって。グラッチェってあのー、誰だっけ、ケーシー高峰さんのグラッチェから取ったんです。松岡さん付けたんですね、あれ確か。そん時にあのマスダさん、マスヤマさん。マスヤマサヤカさんというですね、ニッポン放送の生え抜き新人のアナウンサーがいらっしゃった。

 で、その方と僕がコンビを組んでDJをやってて、松岡さんは、当時作家だったんですね。で、新人なんで、みんな新人なんですよ。そしたらそのマスヤマサヤカさんと松岡さんが、ご結婚なさった、ですよね。局アナを部屋に入れちゃったんですね。ま、僕も人のことは言えないですけども。あの、何もないすからね、本当に。いや、本当に頼みますよ。で、今回ですね、今晩は、毎週これはマスダオカダさんがおやりになってるんですね。すいません、マスダオカダさん、本当に申し訳ないっす。一週ですね、私に頂きありがとうございました。いや、マスダオカダさんねぇ、飛ぶ鳥を落とす勢いでね、今やってらっしゃるんですけど、私、県知事ごときと、まー言いましょうか、語弊があるかもしれませんけども、ねー、あのーこういう枠頂いて本当に光栄でございます。

 政治家では歴史上始まって二人目、オールナイトニッポン。河野洋平さんが1970年代に新自由クラブの時にやった、それから30数年ぶり、これ歴史的快挙ですよね。素晴らしいって。今日はですね、私あの芸人、そのまんま東ではなくて、今日は県知事、東国原英夫なんですよ。ですからですね、もーホントーに言える事と言えない事が物凄くあるんです。も、これはですね、私の中でどこで線引きしていいか、ただでさえ私は失言が多いんです。色々なことを言い過ぎてですね、まあ、リップサービスが過ぎましてですね。んで今日は、もう2時間の、それも深夜の生放送じゃないですか。もう今日はですね、もう虎視眈々と狙ってるでしょうね、みなさん。どんな失言が出るのか。もう県庁職員の方々はドキドキハラハラでしょうね。そして県議会の方たちはですね、さー県知事は何を言うかなと、もー私もですね、瞬時にして私は、線引きが出来ない人間ですね。喋ってから後悔するタイプの人間なんですね。

 今日はですね、レッドカードがいっぱい出そうな感じがするんですけども、ま、とりあえず忌憚のない意見を、私の政治、あるいは人生・社会ですね、そして日本、宮崎に対してですね、まあ忌憚のない意見を言おうと思いますが、時々ですね、口を滑らすことがあるかと思いますが、深夜のラジオ放送、生放送ということで皆さんね、寛大な気持ちでお許し頂ければ、と思っておりますが、ハイ。今夜やることは、えー、今夜やることはですね、何をしたらいいんですかね、そうですね。えー、今夜はですね、ニッポン放送のスタッフの皆さんから、こんな提案がございました。題して『10代限定 リスナー代表質問』(エコーがかかる)

 代表質問てあの、こういうの、政治用語・行政用語を、こういうの使っちゃダメです。もうそんなことでも議会から文句来るんですから、ねぇ。まあ、いいでしょう。まあ、リスナーが、代表質問、ですね。今ラジオを聞いてらっしゃる10代のあなたから東国原英夫へのご意見や質問を募集します。答えられる範囲でお答えしていきます。答えられる範囲ですよ。えー、出来れば電話で直接皆さんとお話もしたい、と考えてもおります。えー、私への質問やご意見のほか、あなたの夢について、悩みについて、今の日本、これからの日本について、もちろん宮崎県でラジオを聞いてくださっている、宮崎の中学生、高校生、フリーターからの意見やメッセージもお待ちしております。

 宮崎の中学生・高校生、今の時間起きてないと思いますけどねぇ、まあ、受験シーズンですから、あ、受験終わったかぁ。あー、まあ今日はですね、注目度も高いということで聞いてらっしゃる方もいると思いますが、えー、あの言っときますけど、うちのマンションに、あの、ピンポンダッシュは止めてください。もー、特定の中学生ですね、あのー、もう察しはついてるんですけど。お願いしますね。そういうことをしてると、公舎に住まないといけなくなりますから。えー公舎は住まない方向で検討しております。えー、受付メールアドレスは………。

 何年ぶり、いや何十年ぶりかもしれない。オールナイトニッポンを、1部を通して聞いたのは。おかげで寝不足である。この放送についてのエントリーは改めて。

オレ疲れてるのかなぁ

 3月に入って仕事が忙しくなり、このブログもなかなか更新できない。今日は少し早めに帰って来れたので、エントリーをと思ったが、風呂に入り、食事してPCの前に座ったら、つい動画を見てしまい、それもU字工事の新ネタがあったので、それだけと思ったのに、つい以前見たラブ・ドライブのネタも見てしまった。そこで終わればいいのに嘉門達夫の怒涛のスーパーライブなど見てしまい、ふと気がついたら12時を回っている。ああ、明日も忙しいのにと思い、寝ようとしたが、先日のエントリーつながりで思い込み違いの話を大急ぎでアップする。今日はwordに書かずに、直接書き込んでるから、いかに慌てているかわかるでしょう。

 仕事中に意識しないのに携帯のメールチェックをする癖がついてしまった。ひとつにはこのブログのコメントやTBは、携帯に飛ぶように設定してるので、つい気になって見てしまうのだ。昼の食事中だったか、やはりナニゲニ携帯のメールを開いてしまい、ふと覗くと「mixiモバイルからご招待です」みたいなメールが来ている。僕もmixiはやってるので、誰かがイベントに招待してくれたのかと思い、つい読んでしまった。するとチャッピーさんだかが温泉に一緒に行く人を誘っています、みたいな事が書いてあった。頭の中に3つ4つくらい"?"マークが発生しながら、意味を理解しようと努めていた時、気がついた。オレ、mixiは携帯アドレス登録してないよな。

 もう一度よーく見ると「mixi」ではなく「mixy」であった。このやろーロキシーミュージックか(意味は無い、単にRoxyでxyが同じなだけ)。早い話がスパムメールでした。危うく送ってきたアドレスをクリックするところだった。しかし、文面だけでは分からない、高名の木登りじゃない、功名が辻でもない、巧妙な罠でした。オラァ、米原オトコだけどスパムに嵌るほどぼけちゃいねーぜ。と強気だった。その夜mixiの日記を見るまでは。

 そこでもとんでもない見間違いをしてしまい、やっぱオレ最近疲れてるなと感じた次第でした。何を勘違いしたか書こうかと思ったけど、mixi日記のことをここに書くのは反則みたいな気がしたので、止めます。Dahliaさんが許可してくれたら、後日書きます。と、人のせいにしてさっさと床に就くのであった。しかし、イアン・ウォーレスは死んだし、ボズ(スキャッグスじゃないよ、バレルのほうだよ)も去年死んでたとは知らなかった。合掌。

※今、大きな画面にして見直して気がついた。たったこれだけの文の中に「つい」という単語が4回も出ている。つい使っちゃうんだよな、あれ、5回目だ。

田辺、フンサイ、闘争、ショーリ

舞鶴城に咲いていたナントカ桜 ソメイヨシノではない

 ここ最近原因不明の頭痛がしている。もっとも小さいときから偏頭痛というか、頭痛持ちだった。随分前のエントリーにも「天気頭」というネタで書いたことがあったが、気圧の変化、特に低気圧が近づくとすぐ頭が痛くなるほうだった。ここ最近の頭痛は気がつかないうちに頭が重くなり、断続的にグァングァンと痛くなるパターンだ。毎週土曜に行ってるATLの先生に相談しようかと思ったが、「12時前には寝なさい」とか「無理はしない、疲れを残さない」など、土台無理なことしか言われないだろうと思って相談しなかった。そういえば昨日は例の割り込み野郎が病院に来ていた。入院したか、発症したのではないかと思っていたが、どうして、なかなかしぶとい。それはともかく、昨日は少し早めに仕事から帰ってきた。家に帰ってゆっくりしていても頭痛が止まらないし、最近同世代の人がやたら脳梗塞で倒れているので、ここはひとつ万一の心構えを子供に説いておこうと思い、まずは下の娘に「もしお父さんが急に倒れたらすぐ救急車を呼びなさい」と言うと、「救急車の電話番号は何番やったかぁ?」と甚だ心許ない。というか、「そんなことも知らんのか、だからお前は宮崎の知事の苗字を『そのまんま』と答えたりするんだ」というと、怒って不貞腐れた。これでは助かる命も助からんと思い、上の娘にも「すぐ救急車を~」と同じ話をしたら「えー、どうしようか」とこちらは迷っていた。オレは我が家で倒れたら確実に見捨てられる。

 配偶者が出て来ないではないかという指摘があるかもしれない。丁度仕事で敵は不在だったが、もし同じことを聞いたら「えー、私はすぐに救急車を呼ぶに決まってるでしょう」などと耳障りのいい事を言うに決まっている。しかし、長年戦ってきた相手だけにどんな行動をするかは手に取るように分かる。まず倒れている僕を発見すると、少し離れたところから声をかけるだろう。2,3回声をかけて反応が無かったら、多分菜箸か何かで、突っついて様子を見るだろう。そしてかすかに呼吸している僕の顔に濡れたタオルをかぶせって、オレは身内に殺されるのか、誰か助けてくれ、と、これは想像の話だが全くありえない話だと、あなた断言出来ますか。

 というわけで(どんなわけだ!)今日は花の日曜日。以前から下の娘が舞鶴城水琴窟にまた行きたいと言っていたのと、ここのところ休みはだらだら過ごしていて身体に良くないと思い家族で出かけようとしたが、配偶者はバレー、上の子は出かけたくない(要は家でゲームをしたい、自分の作ったキャラで三国を統一するという野望を達成したい)というので、下の子と実家の母を連れて高鍋町までドライブすることにした。下の子と一緒にまずはお昼を食べようと実家の近くのF来軒(宮崎ラーメンの有名店、でも本当はもっと美味しいところはあるのだ)に行ったら、駐車場は空いていたのに入り口で混んでおり、待つのが嫌いな僕は却下して別のうどん屋に向かった。旧国道上にあるJンボうどんに行くとここも入り口に10人近く並んでいた。ここも諦めて入ったことは無いパチンコ屋の横の小さなうどん屋、しかしながら看板に「関西風うどん、てげうめっちゃが」という関西と宮崎弁のクロスオーバーなコピーが書いてある店に入った。
問題の320円の海老天うどん おねーさんの写真がないのが悔やまれる

 セルフで食券を買う店だったが、カウンターに座ったとたん「オウ」とヤンキーみたいな声をあげそうになった。というのもカウンターの向こうにいる店員さんが、相場はオババと決まっているのに、何故か25,6くらいのかわいい女の子だったのだ。うちの娘も「綺麗な人だね」といったくらいだから推して知るべしである。まあ、こういうことを書くとあらぬ誤解を受けるのだが、僕はかわいい女の子が大好きである。同じように綺麗なおねーさんも大好きである。基本的にオトコは狼なのよ、気をつけなさい、じゃなかった、男はみな同じだと、ここはあえて言わせていただく(ここ、ちょっと梶原一騎風)。同じお金を払って飯を食うのであれば、なんと言うのか狂言でサトウのような甘い食べ物で、それを弟子に与えたくないので猛毒だといって封印しようとするが、食い意地の張った弟子は不始末をした責任を取って全部食べますというストーリーの、ええいめんどくさい表現は止めて、ブスな店員よりは綺麗なおねーさんの店員がいいに決まってるではないか、と、ここは開き直る。

 しかーし、人生は甘くない。食券を買うときに「海老天うどん320円か、えらい安いな」と思いつつ、しっかりおにぎり2個付けて席についた僕は、それから1分後信じられないものを見てしまう。かわいいおねーさんは、食券を受け取ると、おもむろにカウンターの奥のステンレスの扉を開いた。冷凍庫のようだった。そこから白い塊を取り出し封を切った。カトキチの冷凍うどんであった。テボにその冷凍麺を入れ、寸胴に掛け、片手鍋に汁を入れて沸騰させるそのさまは、我が家で夜食を作っていた受験生時代の己の姿を見るようだった。あまりのことに目が点になりつつも、おにぎりを食べるとこれが微妙な塩加減といいおコメの硬さといい実にウマイ。もしや、この店はインスタントの手法を取り入れながらも、美味の限界に挑戦する「立ち食いうどんの鉄人」みたいな店ではないかとやや期待した。

 幻想だった。子供用のうどんにはレンゲをつけたその気配りと、彼女の笑顔は素敵だったが、悲しいかな、うどんがいかにも冷凍の腰だけあります的で、おつゆもしょっぱいだけ、海老天はまあこんなもんちゃう320円やし、というものであった。惜しい、あまりにも惜しい。その価格破壊的な単価設定、客の年齢層に合わせる接客対応などありながら、肝心のうどんが悲しいくらいマズイ。しかしおにぎりだけはあの海原雄山にも食べさせてやりたいくらい美味しかった。このような店に対して子連れで行ったのは失敗だった。どうすればこの店がもっと売れるようになるか、真剣にカウンセリングしてやるためには再度単独で来店し、場合によっては一声かけることも必要だと固く心に誓うのであった(ウソ)。

ところで今回のドライブには、僕にはひそかな狙いがあった。それは都城市への移転計画で学生と理事長がもめているM九州大学の様子を覗いてやろう、そしてその状況をブログにアップしようという魂胆だ。というのもM九州大学の学生自治組織が「学友会」という、どこかで聞いたことのあるような名前だったので、これはさぞやタテカンやビラが散乱し、薄汚い学生のデモ隊がジグザグデモをして、サンドイッチ規制する機動隊と流血の惨事に、なるわけは無いのだが、もしや移転反対の息吹が少しでも見えたら、連帯の意思表示をすることもやぶさかではないなどと思いながら、一路高鍋町に向けて走ったのだ。

 結論からいうとM九州大学は、キャンパス近辺は至って平穏無事だった。タテカンもポスターもビラの破片もどこにもない。そういえば以前、新聞に学生の有志が学内アンケートを取り、そのほとんどが移転に反対乃至は見直しを希望するという結果だったのだが、それを持って理事長に会いに行ったところ、アンケートは受け取るが学生がそのような形で意思表示するのは好ましくないとか、学内にタテカンがあるのは外観上、美観上好ましくないといって全て拒否されたという記事を読んだ。アホンダラー、意思は表示しないと解らんだろうが。ひとつの意思(いやこの場合ある程度の学生たちの意思だ)を看板に表示することと、いわゆる美観とどっちが大事だ。お決まりの「公共の福祉」とかいうやつか。言いたいことを言わせずに、臭いものには蓋をして、見た目だけ綺麗な大学作って何になる。お前は北○○の金××か!それともウ○ンダの♪私まーつーわのア×ンかと、後半の例えはちょっと分かり難いが、いわゆる独裁権力者かといいたかったわけだ。

 結局、M九州大学の移転問題も「学園民主主義」によって理事長選挙が行われ、移転反対の教授と推進派の今の理事長が立候補し、圧倒的多数で今の理事長が勝利し、それによって「民意」が移転を認めているという「予め決定されていた結論」に基づいて執行されるのだろう。敗北が見えている戦いには誰も参加しない、決起はしないということか。しかし、このような小さなこと(大学関係者、下宿を経営してる農家のオジチャン、オバチャンのとっては決して「小さな」ことではなく、ある意味死活問題ではあるが)を見逃していくことが、その積み重ね、繰り返しがある日僕たちの日常生活に大きな影響を、気がついたときにはもう引き返せない道に押し出されていることになりはしないだろうか。
水琴窟 耳に竹筒をあてて排水口に水滴を落とす

 めずらしく、ちょっとマジだったが、そのあとは高鍋は舞鶴城に行き、その城跡を散策し、ここにかって上杉鷹山公(ご存知の方も多いが、もともとは高鍋の秋月藩の次男で養子として上杉家にいった)も眺めたであろう高鍋の町並みを眺めたりした。水琴窟は水滴の反響を利用したとても優雅な音遊びであるが、その独特の音を聞いていると世間の憂さも晴れるというものだ。そうそう、その優雅な音がどこかで聞いたことがある音だと思っていたが、今思い出した。マイク・オールドフィールドの「オマドーン」の中の音だった。




Shootinng a horse as a deer!

可愛かったな ダニエル・ビダル ピノキオ製薬のCMソングも歌ってた

 決して人様に言える様な話ではないのだが、僕はバカを笑うのが大好きである。もっと分かりやすくいうと、ホントのバカではなくウスラバカというか、かしこぶってるバカが無恥を、じゃなかった無知をさらけ出しているのを指をさして笑うのが大好きなのである。あ、いま一歩下がった人たち。あなたがたの良識ある反応は当然です。人間他人を笑っちゃイカン。もって他山の石とすべきである。いや、他人の無知はさりげなく教えてやるか、あるいは気がつかないふりをすると言うのが社会のマナーと言うか、世渡り上手な気配りのススメという奴であろう。しかーし(最近このフレーズ気に入ってます)、人生も残りカウントダウンに入っているかもしれない我が身では、言いたいことは言う、笑いたいものは笑う、馬鹿にはバカといってあげるをモットーとして中年パンクは生きていくのだ。

 と、大層な前ふりをしたが、実は昨日仕事の後にふらりと寄った本屋で「バカ日本語辞典」というのを見つけて立ち読みしていたのだが、読みながら声に出して笑ってしまい、これはマズイ、こういうところを知ってる人間に見られたら「ねぇねぇ知ってるあのdrac-obさん。前からちょっとおかしいところがあったけど、本屋で一人で笑っていて不気味だったって噂よ」てな悪口が千里を走るのは目に見えている。そそくさとお金を払って家にもって帰り、昨日はそれを読みながら一人で笑っていた。当然家族からは何ともいわれなかった。何故か。僕がモノホンのガイキチであることを知ってるので、こういう時は一切かかわらないという家族のルールがあるのだ。

 まあ、我が家の家族の反応などどうでもいいがこの本、以前も「バカ日本地図」などを出していて、そちらも本屋で見かけたことがあったが、そのときは今一食指が動かなかった。今回は何故、乏しい小遣いを出してまで買ってしまったかというと、僕自身がやったのと同じ間違いが載っていたからだ。ご存知の方も多いかもしれないがこの本は「借力」というウェブサイトのコーナーを書籍化したもので、懐かしき70年代風にいうと「ビックリハウス」みたいなものです。例えば「月極駐車場」をずっと「ゲッキョク駐車場」と思い込んでいて全国チェーンの駐車場だなどと勘違いしていた話などが出ているのだが、この月極=ゲッキョクの話は随分前のロッキング・オンに渋谷と増井(だったと思う、とにかくあの雑誌の編集者であることは間違いない)の会話で増井が渋谷に得意げに話した逸話として読んだ記憶がある。つまりそれだけ多くの人が思い込みで間違っていた、大恥をかいたというネタ話がいっぱい出ているのだ。

 僕が最初に思わず頬を赤くしたのは「灯台もとくらし」のところだった」。もちろんこれは「灯台下暗し」であり、その意味は「灯台のすぐ下は暗いところから、身近な事情はかえってわかりにくいたとえ(by大辞泉)」であるが、僕はずっとこの言葉の意味を「灯台元暮らし」と思い込んでいた。つまり♪おーいーらみーさーきのー灯台守りーはー、の歌がインプットされており、灯台の下の村で暮らすという意味だと思い込んでいたのだ。良く考えると(良く考えなくてもそうだが)、そのような暮らしは確かにあるだろうがそこにどんな教訓的な意味があるのか、いやあるはずがない、と反語を書いてしまったが、つまりそういうことなのだ(どういうことや!!)。いや、意味はあったぞ。「プリズナーNo,6のようになってはいけない」という意味だ。つまり「あまりに正直に生きていると突然催眠ガスをかがされ気がついたら、名前の変わりにコード番号で呼び合う村に入れられて、永久に脱出できなくなるから、長いものには巻かれておけ」という意味だ。ここまで読んで僕の性格が負けず嫌いのひねくれ者だと思った人には「象印賞」をお送りしたい。

 えーと、例によって混迷と停滞が始まったので、もう少しこの本のページをめくってみたい。あ、出てきた。「若干」。むろんこれはテレビのCMで「あなたはワカセンと読みましたね…河童の川流れはカッパが楽しそうに遊んでいることではありません…」というフレーズが一時期流れたので、知ってる人も多いだろうが、僕も実は「若い人を千人」の意味で「ワカセン」と読んでおりました。「社員募集、若干名」という記事を見て「若い人を千人も取るのだから相当大きい会社だろう」と恥ずかしながら高校生の時まで思っていました。この本に出てない言葉では「珠玉」をえーと30年以上「ジュギョク」と読んでいました。あるとき、知り合ったばかりの人に自信たっぷりに「ジュギョクの名作」と何回も言ったので、可哀想にその人は、自分のほうが間違って覚えてしまったと思い、家に帰って何度も辞書で調べたかどの辞書にも「シュギョク」としか書いてなかったと我が配偶者に打ち明けたらしい(Deriさん、その節はすまんことをした。が、ああまで言い切られると逆にすっきりするでしょうって、懲りてまへんで、このオッサン)。

 この思い込み違いも簡単に説明できる。「三人寄れば文殊(モンジュ)の智慧」という言葉や連珠(レンジュ、五目並べのこと)という単語を知っていたので「珠玉」の「珠」は「ジュ」と読むと思い込んでいたのだ。今思えば、それでは「珠算」は「ジュザン」かと自分に突っ込みたくなるのだが。なんだ、他人の無知を嘲るなどと書いておきながら、自分の恥をさらしているdrac-obさんはいい人なんだ、などと思ったあなたはまだまだ人生が分かっていない。僕が自分の恥を書いたのは、「オレもこんな間違いをしたけど、オレのには根拠があるんだよ。単なる無知や無学じゃネェ」という言い訳なのだ。しかし、こうやってエントリーに書くためにいろいろ自分の勘違いを思い出していると、布団に頭からもぐりこんで来客があってもそのままの格好で応対したという南方熊楠の真似がしたくなる。

 話は突然変わるが、中学校の頃フレンチポップスなるものが流行った。読んで字の如くフランス(で流行った、フランス人による)語のポップスだ。大御所ミッシェル・ポルナレフミッシェル・デルペッシュダニエル・ジェラールそうそう「ピノキオ」の大ヒットを飛ばしたアイドル、ダニエル・ビダルなんていました(「オーシャンゼリゼ」のシングルのB面が「ある愛の詩」だと知ってるオレは、当然シングルも買ったし大ファンでした。しかしフランスの女性ポップシンガーは大好きなんだよな。もちろんシルビー・バルタンフランソワーズ・アルディも)。曲は大好きだけど、悲しいかなまだ、英語も習い始めたばかりで、フランス語なんて全く分からない。当然同じクラスのポップスファンも同じだろうと思っていたら、Tという男が「おれフランス語分かるから、何て歌ってるか、紙にかいてきてやる。そのかわりレコードを貸してくれ」といわれミッシェル・デルペッシュの「青春に乾杯」という大事にしていたシングルを貸したことがあった。

 Tの親は学校の先生で、彼もあちこち転校してきたといってたので、フランスの学校に行ってたことがあったのかと思って大いに期待した。翌日彼は僕にこう書いた紙をくれた。『ぷあんふらつあべくもうしゅつとうれなふぉくて、ぷあんふらつ~』。つまり耳に聞こえた音をそのまま書いていただけだった。あまりのことに気が遠くなりながら「で、この言葉の意味は」と聞くと「知らん、オレは日本人じゃかい」ときっぱり言い切られた。

 それ以来僕はバカが嫌いである。自分もバカにならないように勉強しようと思いながらも、さまざまな誘惑に駆られ勉強しなかったが、今にして正しい学問をしておかないといつバカに騙されるか分からないという恐怖感が拭えない。皆さんもバカには気をつけましょう、ってあれ、最初の話は何処に行ってしまった。自分がやってきた思い込み違いや無知の失敗談はまだまだあるので構想を練り直してまた書こうっと。それと日本全国バカ追放キャンペーンもそのうちやるか(オイラが真っ先に糾弾されたりして)。

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