The end of the wheels.

 地獄車が亡くなった。役者の高松英郎さんだが、僕の世代では「柔道一直線」の地獄車、鬼車こと車寅次郎じゃなかった車周作の役柄の印象が強い。先ほどWikipediaを開いてみたら、かなり多くの映画やTVに出ていたことに気がついたが、やはり車周作のイメージが拭い去れない。ある意味かわいそうだが、サンダース軍曹やリチャード・キンブル、そうそうイリヤ・クリアキンなんて役をやってた俳優はそのイメージが残ってしまい次の作品に出てもあまりぱっとしない。僕は映画ファンではないが、それでもイリヤ、あ、イリヤッドとは無関係で、その昔「0011ナポレン・ソロ」というテレビ番組があって、それを見ると自己開発が出来て、それまで内気で仕事の上でも失敗ばかりしていた人が、あっという間に上り調子になり、それはこの本を読んだおかげで、あれ、いつの間にかナポレオン・ヒルになっていた。そうじゃなくて二人組みで、そうそう、ちょっと可笑しな掛け合いがあって、そうそう、帽子を回すと首も一緒に回る手品師、それはナポレオンズだろっ!と誰かが突っ込まない限り、延々と続くからいい加減勘弁して欲しい。

 ナポレン・ソロに出ていたイリヤのことだった。ほら昔、近田春夫のバックバンドやってて、そこから独立したバンドで♪抱き合って眠るの、抱き合って眠るの、とキュートな声を聞かせた女の子のボーカルって、それはジューシー・フルーツのイリアだっちゅーの(by何処へ行ってしまった!パイレーツ)。ゴホン、話が一向に進まぬが、そのイリヤ役の役者が「モスキート爆撃隊」という映画に主演して、当時中学生だった僕は見に行った覚えがある。ストーリーはイギリス軍の爆撃隊の名パイロットだったイリヤとその親友と奥さんの三角関係というか、なんというか暗い話だった。イリヤの友人のパイロットがドイツ軍と交戦中撃墜されてしまい、戦死したと思われていた。以前からその友人の奥さんにホの字だった(いやぁ、ニホンゴには奥床しい表現があるね)イリヤは、彼女を励ましていくうちに自己の感情を抑えきれなくなる。そのモヤモヤした状況の中でイリヤに出撃命令が下る。なんとドイツ軍の基地(そこには捕虜収容所がある)を特殊爆弾で爆撃せよと言う指示だ。この特殊爆弾が笑ってしまう代物で、ボールみたいにまん丸でしかも地面に落ちたらバウンドして、そのバウンド上に目標物を捕らえて爆発するという仕掛けなのだ(んな、アホな)。

 命令の降りるのを待っているうちにイリヤはふとしたことから、友人のパイロットが生存していて、捕虜収容所にいることを知る。出撃命令が出た。見事イリヤは特殊爆弾を命中させるのだが、その爆撃中に友人が収容所にとらわれており、イリヤの爆弾で命を落とすことを知る。凱旋してきたイリヤを待っていたのは、主人の死を受け入れ、その代わりにイリアの愛情を受け入れようとしていた彼女の姿であった。と、細かな部分は違ってると思うが、こういう辛気臭くてそのくせ冗談みたいな特殊爆弾が出てきたので、ストーリーは良く覚えている。何の話だったかというと、せっかくイリヤ役で当たった役者だったけど、そのイメージが強すぎてその後はぱっとしなかったなと言う話。サンダース軍曹役だったビック・モローも実際の死に方は壮絶(子供を助けるためにヘリコプターに巻き込まれたんだよな)だったけど、コンバット以降の映画やドラマでは存在が薄かった。たしか「クリープショー」だったか、サベツ主義者のユダヤ人の役で出ていたような気がする。

 と、話は大きくそれたが、「柔道一直線」は、これも僕は中学時代にリアルタイムで見たが、主人公の桜木健一(このひとはフンドシ主義者でドラマの中でもフンドシ姿になった)、今や富士薬品のCMでしか見ない吉沢京子と高松英郎の三人は強烈に印象に残っている。あ、もう一人いた。足でピアノを弾く結城真吾役で、「コンドーです」の近藤勇じゃない、正臣が出ていた。しかしそのほかにも「隠密剣士」で霧の遁兵衛役でおなじみだった牧冬吉や名古屋章、佐々木剛など今思えば凄いメンバー、昭和テレビドラマオールスターズと言えるような役者ばかりだ。しかーし、このドラマまあ、なんというかむちゃくちゃだった。そもそもあの必殺技地獄車は技の掛け手と受け手の呼吸を合わせないと回転しない。これは中学校の体育の時間に(僕のいた中学校は柔道があったのだが)、青畳の上で友達と実験して、それを教師に見つかりうさぎ跳び(!!、今やったら虐待でっせ)を罰としてやらされた人間が言うのだから間違いない。

 まあ、それはいいとして(決して良くは無いが)、ドラマの中で中学校の柔道の大会になんで毛糸のプロレスラー用マスクをしたアメリカ人が出てくるのか。そいつの必殺技が「ライナナーゲダ」というちょっと聞いただけでは何のことか分からず、何度か聞いてるうちに「ライナー投げ」というのか、それで一条はライナーのように真っ直ぐ飛ばされるのだな、と納得(そんなわけあるか!!)するようなエピソードがあったり、もうやりたい放題のドラマだった。そうそう、そのライナー投げを一条は破る特訓をするのだが(ただ手を真っ直ぐ伸ばすだけでブーメランの原理とやらで投げた本人のほうに戻ってくると言う、これまた物理学を無視した返し技でしたが)、不注意で怪我をしてしまい、返し技がきかず壁に投げ飛ばされ、日の丸がクッションの役目をして彼の身を助けるという、なんと言うか右投げ右打ちの人が大喜びするような話もあった。それから車先生が子供を助けるためだったか、走っている車(これ洒落じゃないよ)に体当たりして、子供を助け、自分は受身を取ったが怪我をしてしまい、己はまだまだ未熟だと鬼の特訓を自らに課すと言うエピソードもあった。

 しかし、無茶すぎますな。車にはねられて受身とって大怪我しないなんてマンガや。あ、これ原作はマンガだった。なんと「フーテン」や「青春残酷物語」などを書いた永島慎二が、梶原一騎(この人もある意味グレィトな人です)の原作で連載していたという奇跡のようなマンガ。当然と言うかなんと言うか、最後は梶原一騎とケンカして別の人が連載続けたけど、絵のタッチは永島慎二そのものだった。そういえばこのマンガのラストシーンはスポ根モノとしては異様に暗い終わり方だった。一条をはじめとした全日本の柔道選手がヨーロッパやアメリカの体の大きな外国柔道家を、国際大会(もしかしたらオリンピック)で次々に破っていくさまを、ほとんどアル中の車先生は大衆食堂で飲みながらテレビを見ているのだが、これでようやく夢がかなったが、これで終わりではないナオよ(一条のことを車先生はこう呼んでいた、ナオヤだったからね)、柔道一直線だと呟き、指につけた酒でテーブルに「柔道一直線」と書きながら息を引き取るのだった。

 とまあ、難癖みたいなことを書いて来てしまったが、リアルタイムでテレビを見て、少年キングで読んで、30年以上たつのに未だにはっきり覚えているのは、それだけ一生懸命見ていたのだろうし、感情移入もしていたのだろう。なんせ、日本のお家芸の柔道があのヘーシンクに敗れたのだ、クヤシー。もちろんヘーシンクはその後プロレス界に入れてボコボコにしてやったけどよぅと、お前は愚連隊(!?)かっ!!などとあえて昭和の香りをいっぱい書いたが、高松さんの死はまたひとつの昭和の終わりなんだなと、僕なりのレクイエムでした。このエントリーに書いてある事の95%は僕の記憶が頼りなので、事実と違うところもあると思いますが、ご容赦ください。明らかに違うぞというところはご指摘頂ければ幸いです。
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ちょっと音楽ブログっぽくね、などと若ぶるのであった

グリフォンのアンソロジー 2枚目のジャケットはイラストだったが…

 忙しい時期に入ったが、奇跡的に土日連休が取れた。土曜日は恒例のATLの病院に診察と注射に行ったが、ここ2,3週間続けて、割り込み野郎と会わない。僕はたいてい9時過ぎから9時半の間に病院に行き、奴もほぼ同じ時間帯に来ていたのだが、前回の行動に恥じて時間帯をずらしたのか、それとも症状が重くなって入院でもしたのか。いずれにしても正義は勝つという言葉を思い出させてくれた。そういえば、先週せっかく書いた(正確には入力した)エントリーを消去するというミスを犯したのだが、その、幻のエントリーの導入部がこの病院とATLという奇病の説明だったことは誰も知らない。当たり前か。

 と、言う具合にこの2日間の行動を書いていくと、例によって一体何が言いたいのか良く分からない、グダグダのエントリーが出来上がりそうなので、今日は大急ぎで軌道修正する。えー、まー何というかここ最近のエントリーは身辺雑記みたいな話がほとんどで、ブログのテーマである「極私的70年代ロック史」はどうした、と言う声が自分の中から上がって来た。「極私的」なのはいっぱい書いたが、「ロック史」と言えるようなものは何も書いていない。たまには音楽について気ままに書いてみるのも必要だ、などと考えていたら偶然にもHMVから「輸入盤3枚で25%引きキャンペーン」のメールが届いた。この手のカタログ的メールはアマゾンにせよ、タワレコにせよ、はたまたディスクユニオンにせよ、見始めると止まらない。やめられない、止まらない、カルビーのカッパエビせんである。

 そういうわけで、貴重な連休の最初の夜はひたすらHMVのCDリストを見ながら、あれも欲しい、これも欲しい。1900億あったら全部買うのに(©狸さん)、ああ、何ゆえ私の自由に使える資本と時間には、悲しいまでの限界があるのか。虞や、虞や汝を如何せん、などと項羽の詩などを引用して、わが身の不幸を嘆いたが、このままではいつまでたっても話が進まん。しかももう日曜の夜の10時半過ぎである。先を急ごう。とりあえず、HMVの特集コーナーをクリックして25枚ずつアルバムジャケットを見て、ちょっと気になるものは再度クリックして視聴できるものは視聴して、比較検討のアルバムなど見ていたら、時間なんかあっという間に過ぎてしまう。昔、若い頃女の人はウィンドウショッピングなるものをして、己が物欲を抑えるなどと言う話を聞いたが、何のことはない。今の自分がまさにそうだ。違うのはウィンドウじゃなくてディスプレイが相手だという点だけ。

 しかし、そうやってつらつらいろんなアルバムを見ていると、おー、なんじゃこりゃーと三流芸人がやる松田優作の物まねみたいなセリフが思わず飛び出るようなものもある。今回はまずグリフォンでした。中世の楽器を操ってロックぽい演奏を聞かせるバンドという触れ込みだったが、75年だったかセカンドアルバム(お城のジャケットで外の景色にセントジョージの竜退治みたいな風景が描いてあった)を大学の生協で15%オフで買った。電気楽器を全く使っておらず、かといって知ってる楽器はファゴットとチェンバロくらいで、なんだか得体の知れない楽器を操る紅毛碧眼、ヒゲモジャラの連中だった。メロディラインは僕の好みだったし、聞きやすいインストゥルメンタル専門のバンドで気に入ってたのだが、ほとんどシーンでは話題にならなかったと思う。そのグリフォンのアンソロジーがあった。
ブレッド 曲数が圧倒的なベストです

 次に目が止まったのはブレッド。彼らの作り出すメロディとコーラス、それとあまり評価はされていないが演奏能力はお気に入りで、アナログで1~4枚目まで持っていた。1枚目はおなじみの「灰色の朝」で大好きな曲だったが、あまりヒットせず2枚目のアルバムに入っていた「二人の架け橋(だったかな、邦題は。”make it with you”である)で認知されたようだ。未だに覚えているのは1枚目のアルバムのライナーに『ブレッドはデビューした時期が悪かった。ブラインドフェイスとCS&Nと同時期だったために日の目を見なかった』みたいなことが書いてあった。それは違うだろうと若干16歳のロック少年は思ったよ。比べる相手が違いすぎるというか、ブレッドはあくまで正統的なポップスグループだろう。ま、しかしそのブレッドのキーボードがS&Gの「明日に架ける橋」の印象的なピアノを弾いているのだから面白い。

 ブレッドは「今だけ1500円」とかいうコピーのベスト盤を持っているのだが、この”Retrospective”というベスト盤は1~3枚目から結構選曲しており、もう一度聞いてみたい曲が結構入っている。しかし欲を言えば1枚目から「ファミリードクター」と3枚目から「カムアゲイン」の2曲を入れて欲しかった。特に「カムアゲイン」は名曲であり、アレンジも素晴らしいが何故かどのベスト盤にも入っていない。
スーパートランプ 世紀の犯罪の謎を解け、という臭いコピーでした

 視聴しながら次々にアルバムを見ていると宇宙空間に鉄格子を掴んだ人の手のジャケットが見えた。スーパートランプの「クライムオブザセンチュリー」だ。このバンド「ブレックファストインアメリカ」でそれこそブレイクするが、その前は売れないプログレバンドといった印象だった。確かA&Mから国内盤が出たと思うが、かなり宣伝に力を入れており当時のロック雑誌の広告欄に1ページ丸まる載ってたりした。「ブラッディウェルライト」や「ドリーマー」は未だに歌詞が口をついて出てくる。日本のレコード会社の売り方はプログレ路線だったが、本来は10CCやスパークスと似た傾向のバンドだ。ただこちらのほうが暗いというか、良く言えば哀愁漂う音作りが上手。そういえば「ブレックファスト~」のジャケットのオバちゃん元気だろうか。
ダン・ペンのアルバムの断片、なんちゃって

 視聴できるというのは良い事ではあるが、時々蛇の生殺しかと思うことがある。特にこちらが一番聞きたいところの直前でフェイドアウトになると、殺意すら覚える。今回頭にきたのはDann Pennの”Do Right Man”だった。この人はあの名曲、ライ・クーダーが演奏した、ウシャコダも録音した「ダークエンドオブザストリート」のソングライターだ。もちろん聞きましたがな。しかし、ストレスがたまった。1曲丸ごと聞かせろ!!この曲を聴くだけでこのアルバム買う価値はあるな。HMVはときどきこんな凄いアルバムをバーゲンに出したりするから油断ができんな。ちょっと前にリック・ダンコとエリック・アンダーセンの北欧ライブ(だったと思う)があって、買おうかどうしようか迷ってるうちに品切れになっていたという苦い経験がある。しかし、こちらが経済的に余裕があるときは(滅多に無いことだが)、この手の情報は来ず、ゲルピン(今のお若い方に分かるかな。ゲバルトがピンチという意味ではないよ。ゲルトがピンチ、すなわち♪みんなビンボが悪いんや~の意味である)の時に限ってのどから手が出るような情報が来てしまう。つらい。つらいがなんとかしなければならない。こうやって人は労働の目的を見出すのであった。
パリス この後バンドは解散してボブ・ウェルチはソロになる

 なんか、だらだら書いてしまいそうなので後はやや駆け足で。パリスの「ビッグタウン2061」も出ていた。このアルバムにも思い出がある。76年当時はまだ修学院に住んでいた。そこから高野というところに買い物に行った。「ええもんやっすいのはイズミヤ~」の
イズミヤがあったからだ。たしか7月のはじめだったと思う。バス代がもったいないので歩いて行った。30分もかからない距離だ。高野のイズミヤについて買い物をし、その近くのレコード屋さんでこのパリスのアルバムを買った。歩いて帰るうちに身体に異変が生じた。視野がどんどん狭くなっていく感じがして、炎天下歩いているのに寒気がするのだ。こちとら日本のハワイと言われる九州は宮崎の出身である。暑さには慣れっこと思っていたが、盆地の暑さを甘く見ていたようだ。一乗寺に入ったところで、動けなくなり、公園のベンチにへたり込んでしまった。どれくらい休んでいたか、30分から小一時間はへたばっていただろう。

 なんとか歩けるようになり、恐らくこれは日射病の一種だろうと自己判断して涼しくて、水分の取れるところに行こうと自己判断した。その結果、一乗寺で美人姉妹がやっていた「アコシャン」という喫茶店に入った僕の判断は正しかった。エアコンの冷気とお冷とコールコーヒーをがぶ飲みして人心地ついた僕は、持っていたレコードをかけてくれるように頼んだ。たらら~んたららん、たららら~んとアンプがぶち壊れたのではないかと思われるようなゆがんだ音がした。それから40分近く僕は固まって寒くなった。何故か。この「ビッグタウン2061」というアルバムの凄さ、パリスというその後全く売れなかったが知る人ぞ知るバンドの狂気に満ちた演奏のせいだ。新しいサウンドを聞かせて、店の女の子に「これ、いいですね。なんていうバンドですか」などと話しかけてもらい、そこから一気に青春だぜ、と考えていた僕の下心行動委員会はもろくも敗れ去ったが、いいのだ。所詮オンナ・コドモにはロックはワカラネーと心で泣きながら下宿に帰ったことはノーバディノウズであった。

 だめだ、だめだ。キリが無い。このほかにもエルトンジョンの「タンブルウィード~」クラプトンの「レインボーコンサート」、ニューバーバリアンズのライブ、ジェントルジァイアントのベストなどなど、キリも果ても無い。今日のところはこれで失礼させてもらう。次回はようやく届いたアルバムというタイトルでエントリーを書きたいのだが、じっと我慢の子であったという結果になるかも知れん。ああ、1900億あったらって、くどい。

父と子の絆

「母と子の絆」入ってます。「僕とフリオ~」も、諸星マンガと同じタイトル。

この前、エブリバディキャンスピーク宮崎弁パート1のエントリーをアップしたが、そのせいだろうか、今日の地元新聞を読んでいたら、懐かしい言葉を見つけてしまった。「どきいたとかえ」さぁ、どうだ。地元宮崎の方でも、ちょっと分かりにくいのではないか。これは僕が生まれ4歳まで住んでいたK浦という、宮崎の北のはずれの町、お隣は大分県になる漁村の方言である。文節に分けて説明すると、どき=どこへ、いた=いった、とかえ=のだろうか?というような意味で標準語にすると「何処へ行ったの?」というニュアンスだ。ここでPP&Mの「花は何処へ行ったの」を連想したあなた、あなたは間違いなく元ベ平連で、もしかしたらヒッピー、いやイッピーだったのでは、などと先ほどの方言と同じくらい分かりにくい話を書いてしまった。

 今日、疲れて家に帰ったら子供二人は風呂上りのすっきりした顔で迎えてくれた。会議でへとへとだったので「今日のご飯は?」と聞くと下の子が「ぶり大根、それで足りなかったらこれを焼け、だって」と言って差し出したのは、トウジンボシ(めざしみたいな魚の干物、僕の生まれたK浦では「唐人干し」と言っていた。中国から、その製法が伝わったのだろうか。ついでに余談だが、このK浦には諸星大二郎が得意とするマンガの「うつぼ船」に似た話が伝わっている。江戸時代の末期にK浦の浜に丸いガラス玉のようなものが漂着した。中に入っていたのは金髪の若い女性で、メキシコの王女だった。村長たちはどうするか話し合ったが、一切を無かったことにするために、その船を沖に流したそうだ。その後日談があって、メキシコの宝を近くの島に隠したと言う噂が流れ、それを探しに行った人間が呪われたとか狂い死にしたとかいう話があった。しかし、言葉も文字も通じないはずだが、どうしてメキシコと分かったのか、未だに不思議ではある)。

 説明不足だったが、配偶者は今週は連日夕方から10時過ぎまで仕事なので、晩御飯は簡単に作っておいたものを子供たちが聞いて、僕に伝えるというハーフセルフスタイルが導入されている。しかし、「煮魚に干し魚はあんまりだ」というと「あるものを食べなさい」とこれは、配偶者の受け売りで下の娘が言えば、上は「お父さんは魚が好きでしょ、サカナを食べると頭が良くなるっていつも言ってるくせに」などと流石に少しばかり理屈で攻めてきた。「それは、君たちに対して言ってるの。お父さんはこれ以上頭が良くなったら困るの。できれば少しぐらいバカになったほうが人間が丸くなって、世渡り上手になれるの」と、こちらは子供相手にやや大人気ないことを言ってしまった。しかし、普段は姉妹二人でケンカばかりしているくせに、こういうときはやたら団結する。そうだ、団結こそが力だ、トム・ロビンソンバンドだ、などといっても女・子供には話が通じないので、近所のコンビニにおかずを買いに行こうとした。

 そのとたん、下の娘が「ダメ、ゼッタイ」などと覚せい剤ストップの標語みたいなことを言い出した。「なんでダメなの。お父さんが自分のお金で、自分の好きなものを買ってくるのが何故ダメなの」と聞くと「お父さんが勝手なことをすると、ワタシが叱られる」と訳の分からないことを言い出した。詳しく聞いてみると、僕がここ何日か晩御飯について愚痴を言ってるのを、下の娘が毎回チクッているらしく、それを聞いて怒った配偶者が家にあるものを作って食うよう厳命したらしい。しかもその見張り番を下の娘に命じていたようだ。僕が子供に甘い、とりわけ下の娘に甘いのを知った上での、嫌がらせである。「おとうは知らんから、そんなことが言えるっちゃ。おかあは怒るとテゲおじーっちゃが(大変怖い、という意味です)」と、下の娘が言い出した。この娘は興奮してくると親のことを「おとう」とか「おかあ」などと、まるで「おしん」みたいな呼び方をする。しかし一番かわいそうなのは姉で「おねえ」などと呼ばれている。初めて「おねえ」と呼ばれた時はマジで上の子は泣いた。

 コンビニでおかずを買うことくらいで、ヤイヤイ言ってもしょうがないので適当に冷蔵庫の中から食べられるものを取り出して、遅めの食事をしているとまた二人が出てきて、いろいろ話し始めた。下の子はいきなり「ポッキーで怒られた」と主語を無視した話を始めた。聞いてみるとこの前のバレンタインで女子トイレにポッキーの箱が落ちていたらしく、それを学校でも一番うるさい先生に見つかったらしい。娘のクラスの女子全員が集められて「先生は犯人探しをする気はありません。今から紙を配るので、この前のバレンタインにお菓子を持ってきた人の名前を書きなさい。自分で持ってきた人は自分の名前も書きなさい」と指示されたらしい。子供たちは「結局、犯人探しじゃわー」とぶつぶつ言いながら名前を書いたらしい。なんだ、かんだいっても子供である。素直に書いたらしい。その中でお菓子を持ってきた生徒は別室に呼ばれお説教があったが、途中で方針が変わりお菓子を貰った人も同罪ということで別室に来るよう、またもや指示があったがうちの娘は知らずに教室に帰っていた。

 結局、後でまた呼び出しを食らって「先生の話を聞いてなかったの。お菓子を貰った人も一緒って言ったでしょ」とかなり厳しく怒られたそうだ。本人曰く「全然、話が違うし。最初は持ってきた人だけやったし」とぶつぶつ。お説教の最後に「今日、先生に叱られたことを必ず家の人に報告すること。反省文を書いて担任の先生に提出すること」を約束させられてようやく解放されたらしい。担任の先生にそのことを言うと、担任は「先生はバレンタインはいいと思うけどねー。まあ、ちょこちょこっと反省文書いたらいいが」。これはちょっと拙いんでないかい。今時バレンタインで目くじら立てるのもどうかとは思うが、一応は学校の決まりを一人の先生が教えてるんだから、担任の先生は本心はそう思っても、口に出していったら拙いよな。こういう対応がダブルスタンダードを生むんだ。この担任は以前エントリーでも書いたが、金八先生を道徳の時間の題材にした人なので、以前からどうかなと思っていたが、子供に媚を売ってるのか、能天気なのか。いやはや、なんともな話でした。それで、この話の最後にあることに気がついて聞いてみた。「あれ、お前友達からバレンタインのチョコ貰ったの?友チョコってやつ?」すると娘の反応は「おとう、何その言葉は。ちょっとやばくね。」

 意味が分からん。オレは何か間違ったことを言ったのだろうか。ジェネレーションブレイクダウン、じゃね、ウイーアーブレークアウトジェネレーション(by一風堂)。

今日は漢字の勉強のココロだぁー!

 今日帰ったら上の娘がプリントを持ってきた。ナニゲニ見ると、この1年間の実力テストの成績一覧である。各学期に1回、プラスまとめのテスト1回の年間4回のテスト結果が出ていた。素点と偏差値と順位を見る。科目ごとの偏差値に物凄いばらつきがあるものの、順位だけはほとんど変わらない。不動のラストバッターというところである。あまり偉そうなことはいえないが、それでもオレが高校生の頃はもうちょっとは勉強したよな、と遠い目をしていたら、父兄のコメント欄を書いてくれと頼まれた。そんなのは配偶者に頼めばいいだろうというと、配偶者はイカリ狂うのでここは冷静沈着な父上に頼みたいなどとぬかす。要はオヤジは甘いとなめられているのだ。コメントは書くが配偶者にも見せなさいというと不貞腐れていた。

 そんな会話を聞いていた下の娘(こちらも学年末のテストが終わったばかりだ)が、宮崎の新しい知事の苗字は何というかと聞いてきた。中一にもなってそんなことも知らんのかとガックリしながら「ヒガシコクバル」と答えると、『しまったー』とか何とかいってる。理由を聞くと本日の社会のテストに「新しい宮崎県知事の苗字を書け」という問題があり、「ヒガシ何とかだった」と思い出そうとしていた時に先生が「ひらがなで書いてもいい」と言ったので、自信満々で「そのまんま」と書いたらしい。『だいたいヒガシコクバルなんていう苗字がおかしい、普通タナカとかサトウだろう』とこちらも誤爆的な怒りを父親にぶつけている。頭に来たので、苗字が「そのまんま」なら、名前はなんというんだと聞いたら、「東」と胸を張って答えていた。「そのまんま」が苗字で、名前を「ひがし」と思い込んでいたようだ。まあ、しかし二人とも健康で育っているから、それでよしとしよう。やはり、オレの能力を継ぐのはオンナ・コドモでは無理だ。我が家は女の子が二人で、これ以上家族が増える可能性はないので、しょうがない。この偉大なる才能を受け継ぐものを生み出すために、本意ではないが外にその可能性を求めよう、なんちゃって、どさくさ紛れに浮気宣言(決して不倫ではない)を書いてしまった、2月の下旬である。

 しかし2月の下旬だというのに妙に暖かい。この2,3日は特にそう感じる。今日は昼前から車で出かける用があり、ワイシャツ1枚になってハンドルを握っていた。ここで誤解がないように書いておくと、ワイシャツ1枚で後はスッポンポンではない。当然下はズボンを穿いてるしって、当たり前か。午前中の車の中ではAMラジオがお友達である。スイッチを入れたら、「テレホン人生相談」をやっていた。キャスターは児玉清。この人は大変な読書家でインテリなんだが、博多華丸がギャグのネタにして以来、声を聞くと笑ってしまう。せっかくマドモアゼル・アイ先生がアドバイスしているのに児玉清が口を挟むたびに「アターックチャンス」とガッツポーズしている姿が目に浮かび、真面目な相談も笑ってしまう。もちろん真面目な相談といってもラジオに聞いてくるくらいだから、高が知れてる。

 そういえば随分昔、まだ故・山谷親平がキャスターをしていた頃、電話の相談者が山谷さんの対応に腹を立てて、途中で電話を切ってしまったことがあった。あれにはビックリした。一番ビックリしたのは当の山谷さんで、その後3分くらい「なんだ、失礼な人だね」かなんか、延々と相談者の悪口を言っていた。「絶望は愚か者の結論なり」はこの人が良く使っていたっけ。「あなたが希望を捨てたのです。希望はあなたを捨てません」なんかも名言だよな。もっともこちらはW大学の先生のキャッチコピーだが。

 人生相談も随分長い間放送されているが、その後のエイロクスケの「誰かとどこかで」も長い。何故分かるかというと、毎週金曜日は「七円の詩」というコーナーをやっており、これは聴取者が日常のことをはがきに書いて、送ってきたものを庶民の「詩」として、ハセガワヤスコさんが読み上げる。つまり、はがきが7円の頃からやってるわけだ。テレビはあっという間に番組が終わるが、AMのラジオ番組、特に昼間の番組は長寿なものが多いので楽しい。さて、その後はご存知、「小沢昭一的ココロ」と行きたいが、実はその前に藤本義一の「聞き捨て御免」という、こちらもご長寿な番組があるのだ。ギイッチャンが例の早口で5分間あまりしゃべくりまくり、その中にちゃんと起承転結があるという人間国宝みたいな番組だ。

 今日はその番組でひとつ勉強したことがあったので、このブログを読んでくれている皆さんに是非お伝えしたい。とっくにご存知の方もいるでしょうが、そこはお互いオ・ト・ナ、初めて聞いたてな顔してもらうと僕のメンツも立つというもんだ。前ふりが長くて申し訳ないが、実は今日のその番組で、今いろいろなところで話題になっている「いじめ」について語っていたのだが、通常「いじめ」という言葉を漢字で書くと「苛め」になる。この字はその道の師匠が弟子を鍛える時などに使う漢字らしい。われわれが今日使っている「いじめ」、つまり集団でいたぶったり、からかったり、或いは無視したりするいじめは漢字では「蔑め」と書くのが正しいらしい(「さげすめ」と読んでしまいそうだが)。しかしながら、電子辞書ではゼッタイに登録されていない(現にこのPCでも「苛め」か、「虐め」しかない)、出てこない文字だとのことだった。これはある意味表現を殺しているというか、少し大げさな言い方だが文化の抹殺ではないかというアピールに、なるほど、と大きくうなずいた次第だ。

 ラジオといえば3月9日には我らが宮崎県知事のオールナイトニッポンがあるらしい。どんな番組になるか期待したいが、平日の25時から2時間はちょっとつらいなぁ。最近は24時を回るともう、まぶたが重くなり、ヒアカムザサンドマンになってしまうのだ。というところで、ただいま24時36分である。良い子は寝る時間だが、僕のブログを読んでくれる人たちはこの時間から活発に動き始めるようだ。朝起きたらコメントが入ってるのはとても嬉しいけど、皆さん眠くないのかな?

南九州における言語研究 その1(果たしてその2はあるのか)

 昨日はせっかく書いたエントリーを消すという大チョンボをしてしまった。12時を回っており、眠くて仕方なかったので「オレのアホ」的走り書きを残したところ、心温まるコメントを沢山頂いた。はっきりいってエントリーより長いし、中身もある。オレ、エントリー書くより、適当にネタフリして皆にコメント貰い、それに返事を書いたほうが面白いんじゃないかという考えが浮かんだ。しかし、それではちょっと寂しいので当面は今までどおりエントリーをアップしていきます。今日は昨日の書き直しとも考えたが、ちょっと前に書きかけて、没にしていたエントリーをアップします。したがって時系列が、ややおかしいかも知れませんが何卒ご容赦を。それではスタート!

 昨日に引き続き、我が郷土宮崎のネタを。いつも内容の濃いコメントを寄せてくれる狸さんが昨日「東京者には方言はないから、あたし的には田舎が羨ましいけど、決して見下してるんじゃないわよ」となかなか挑戦的な発言をしてきた。いや、こんな悪意に満ちた言い方ではなかったが、でも心のどこかに地方出身者を見下してるところはあったでしょ、白状しなさい。『あなた方の心の中に黒く彩られていないところがあったならすぐ電話をして下さい』(by Pantax’s World)である。

 と、いきなりふてぶてしい書き出しをしてしまったが、内心はこれでまた一人このブログの読者が減るのではないかとびくびくしているのだ。だったらそんなことを書かなければいいじゃないかと言う意見もある。しかし、自分が読んで面白ければそれを最優先するのが、この無責任ブログのいいところであり、僕の人生来るものは拒まず、去るものは負わずでやってきて、大きな間違いだったなと思いながらも、今更軌道修正できるなら、もっと上手に世の中渡っとるわい、と開き直ってメッタメタガキ道講座みたいになっている今日この頃である。なんだか良く分からないが、これも眠気のせいだ。急いで本題に入ろう。

 方言と言うのはその地域ではぐくまれてきた言葉である。したがってその地域の性格、いわゆる県民性を現すことが多い。日本列島は南北に長いので、言葉も随分地域で異なる、九州を例にとっても、北九州と南九州では全然違う(もちろん共通認識できる単語や表現もあるが)。南九州でも熊本・宮崎・鹿児島の3県で、かなり異なる。比較を始めると長くなるので今日は宮崎の代表的な方言、これをマスターすれば君も宮崎人の初級編をお送りしたい。宮崎の方言でユニークなのは「疲れた」という状態を表す言葉にバリエーションがあることだ。

 昔、高校生の頃仲の良かった友人(そうそう、こいつは人の留守中に大家をだまくらかして、勝手に下宿に入り込み、僕のなけなしの貯金を使い込んだY尾君である)と『宮崎を代表する山と田と木は何だ』とクイズにしてクラスの連中に投げかけたことがあった。正解は「の山」(ノサンと発音)と「だれ田」(当然ダレタと読む)、そして「よだ木」(実際はヨダキィと小さなィがつくことが多い。又はアナーキヨダーキと伸ばす場合もある)の三つである。これらの単語は全て「疲れた」という意味である。意味ではあるが微妙に使い方というかニュアンスが異なる。若干異論のある宮崎の方がいるかもしれないが、名門D大学で岡田教授(最初は玉井教授と書いたが、言語学は岡田先生、玉井先生は一般教養の国語学でした。謹んで訂正いたします)の言語学を学んだ人間として、以下展開するので心して読むように(ちなみに2回生の必修科目でしたが、その学問的魅力に取り付かれ4年間連続履修したことを告白します。単位?オラァ単位が欲しくて大学の勉強したんじゃねーよ。自らの血となり、肉となるために学問を学んだんだ。単位をいっぱいとって、それも優なんかいっぱい取るやつは人民の敵だと先輩が言ってた。オラァそれを愚直なまでに守っただけだよ。と、デルス・ウザーラみたいな言い訳をしておく)。

 えー、余談が過ぎたが、まず肉体的に疲れてしまったというときは「だれたー」と語尾を上に上げながら発音して欲しい。ハードな仕事で疲れきったときは「おら、もうひんだれたー」などと程度がはなはだしい状態を表す接頭語の「ひん」をつけることで、言葉の真実味がぐっと増してきます。あるいは人に疲れたことの連帯を求める時は「だり、ね」とこの場合あまり「だりー、ね」というと、こいつは根っからのサボり魔だと思われることがあるので要注意です。ちなみに南九州では晩酌のことを「だれやみ」とか「だれやめ」などといいます。つまり仕事の「だれ(疲れ)」が「やむ(止む)」もの。あるいは行為の意味でしょう(お、なんか本格的な言語学っぽいね)

 次にやれなくはないのだが、その気になれない時に使う「よだきぃ」。「よだきぼ(う)」という人格名詞があります。何でも面倒くさがって、自発的にしない人のことを「あんやつぁ、よだきぼじゃ」などといいます。学校の先生が掃除をちんたらやってる悪がきに向かって「ヨダキ、ヨダキせん!!(いやいやながらするな、という意味)」などといったりするケースがあります。

 最後に「のさん」ですが、これは比較的上品なニュアンスがあります。やってやれなくはない、というより十分やれるけど面倒くさいというような意味合いがあります。「宿題が多くてのさーん」とか、「あん人はのさんこつばっかり人に頼むがね」という使い方からも、権力に反抗しようとか、主体的に権利を勝ち取ろうなんていうところから遥かに離れた単語といえるでしょう。

 この「疲れた」三活用を知っておくと貴方もすぐに宮崎人です。え、別に宮崎人になりたくない?そうですか。しかしこのように「疲れた」状態を表す単語が多いということは、如何に怠け者が多いかということの証明ですね。どうして、このような言葉が市民権を得てきたかというと、やはり南国、暖かいので「ぬるい」人間が多く出来ることと、時代背景的にみると、江戸時代の幕藩体制の頃から、核とした殿様がいなくて藩もいろんな殿様が入れ替わったり、幕府の天領になったりしたことが原因ではと考えています。今日はちょっと話が大風呂敷になってしまったけど、また気を新たに面白いエントリーアップできるように頑張ります。でもよだきいな、などと使えたら貴方は既に宮崎人です。そうそう、お断りしておきますが、僕は普段ほとんど宮崎弁は使いません、いや使えません。文語には出来るけど、口語には出来ないのだ。それは、どうしてかというのはまた気が向いたら書きます。それじゃね。さて、今日は消さないぞ、今からバックアップだ。

落胆日記 こんな自分が嫌になります。

 がっかり、今エントリーを書き上げてそれをコピーして貼り付けようとした時だった。何のことか分かりにくいが、僕はブログを書く時は直接書き込みせずにまずはwordで文書を打ち、それをコピーして張り付けるのだ。こうすると全体が読みやすいし、使い勝手がいい。それでようやく本日のエントリーを書き上げ、コピーしたつもりだった。ショートカットでCtrl+CとしたつもりがCtrl+Xつまり、切り取りをしてしまい慌ててしまったためクリップボードの情報を消してしまった。結構長いエントリーだった。あー、情けない。話の内容は覚えているが、あれだけ一生懸命に打ったのに、ぱー。自業自得ではあるが空しい。内容は覚えているけど、もう今日は書く意欲がなくなった、明日元気だったらまたアップします。あーあ。

てげてげ日記(「てげてげ」とは"Take it easy!"という意味、かな?)

 ここ最近エントリーよりコメント欄のほうが質・量ともに充実してるのではないかと戦々恐々としているdrac-obです。コメントのテーマ(そんなのあったかなぁ)も結構いろいろで「レンタル文化と著作権」とか「あの時代はなんだったのか、全共闘に遅れて来た青年」とか「プログレの仇花、ユーロロックというかイタリア、オランダ、ドイツにおける実験的音楽家たち」とか「やっぱ山田優でしょ、可愛いのは」とかいろんな問題提起をしていただいた。すまん、最後のはデッチ上げだが、いずれはこれらのテーマでゆっくりエントリーを書いてみたい。ところで今日はどんな話を書こうかと迷ったのだが、連日のハードワークで目がしょぼしょぼしているので、無難に今話題の宮崎県知事を肴に軽く地元ネタでいってみたい。

 先月の地すべり的大勝利以来、ほとんど毎日東国原知事がテレビの画面に登場している。その間に宮崎で起こったことは、鳥インフルエンザをはじめ、前知事の追起訴、マグロはえ縄漁船の転覆事故(こちらは奇跡的に救出されたが)などなどマイナスイメージのものばかりだった。と、今ニュースの裏を取ろうとヤフーニュースにアクセスしたら広島でフェリーに車が乗り込もうとした際に海に墜落、原因はフェリーが動いて陸から離れたらしい(by 時事通信)。ちょっと待ってくれ、少し前に大学時代フェリーで広島まで乗った話を書いたけど、その時にも海に落ちたら大変だみたいな事書いたよな。なんとなく嫌な感じ。で、気を取り直して続けると、とにかくマイナスイメージのニュース続きだったがマスコミに知事が取り上げられるので、宮崎の話題が一気に全国的になったような気がする。あくまで気がするだけなのだが。

 こういうことを書くと地元の人は気を悪くするかもしれないが、全国的にみて宮崎ってマイナーなんだよね。九州のなかではまだ、知られてはいるけど(それでも長崎あたりの人に九州の白地図を出して、宮崎に印をつけて下さいというと大分あたりに印をつけられそうな気がするのだが)中国・四国当たりではどうか。まあ四国は野球のキャンプ地の取りあいだとか、高知とのピーマン生産競争などがあり田舎同士で結構意識しあってるが、関西地区ではどうかな。そういえば昔、滋賀の奴と一緒にマージャンをした時に、そいつが一人負けになりそうになった時に一言こういった。「畿内の人間が熊襲に負けてたまるか!!」。オイヲイ、ヤマトタケルとクマソタケルの昔話まで遡るのかよ。まあ、関西まではなんとか九州は宮崎と言って通じるかもしれないが、中部以北ではほとんど駄目だろう。

 引退間際の団塊の世代の人たちには新婚旅行のメッカとして多少は名前が売れているかもしれないが、それ以降の人にしてみれば南国イメージは宮崎より沖縄だろう。さらに都心部から宮崎に旅行するよりグァムやサイパンに行ったほうが安いなんていう事実もあるので、ますます埋没していた我が郷土であった。しかし、♪フォーザターアイムスゼアチェンジン~(もちろんこれはディランの「時代は変わる」である)。東知事の踏ん張りスピリッツ(by シャーマンキング)で、宮崎のイメージは変わってきた、と思う。今日は初めて議会で所信表明演説をするということで朝からワイドショーが中継していたが、なんと議会の傍聴券をゲットするために朝一から並んだ人は名古屋の人だった。まあその人は子供が宮崎の大学にいるので、様子を見に来たついでに議会を覗きにきたらしいが、それでも今までの知事ではこんなことはなかっただろう。良きにつれ悪しきにつれカメラが追いかけ、ワイドショーが面白おかしく取り上げる。

 ちょっと話が広がりそうなので(毎度のことではあるが)、手短にまとめると「宮崎をどげんかせんといかん」という方言でアピールした東知事だが、「どげんか」と言う表現は宮崎市から南部、西部いわゆる島津藩の影響下にあった地域の言葉というか表現である。北部では「どんげかせにゃならん」という表現になる。とここは言語学を勉強した人間として触れておきたい。もっともこの言語学は専門の必須科目だったがとうとう最後まで単位が取れなかった。「アバロンの野生児」をテキストに使い狼に育てられたアマラとカマラの勉強をしたのだが、最近あれは嘘っぱちだったという研究結果が出ているようで、真面目に単位を取ったやつはザマーミロである。まあ、今更そんなことを行っても仕方がないが、間違った理論を学習して単位を取った人間は「履修不足」としてもう一度勉強したらどうだ、などと書くとハナから単位を取れなかった(本人としては大学教育を真摯に批判した結果、あえて取らなかったと言うことになっているが)人間には余計とばっちりが来そうなのでこの話題はここまで。

 駄目だ。頭が空白になって目が開かない。とりあえずマイナーな宮崎だけど、こんなものが宮崎オリジナルと言うのを2,3書いて終わろう。まず「チキン南蛮」。これは大ヒットである。養鶏産業が盛んな宮崎は児湯郡という地域があるのだが、そこで考えられたと言う説がある。ブロイラー会社が鶏肉をより美味しく食べるために考え出した調理方法という説だ。少し酸味をきかせてあげた鶏肉にタルタルソースがかかっていて鶏肉嫌いの子供も食べられるヒット作品である。それから「レタス巻き」。これは有名な話なのでご存知な方も多いだろうが、「一平寿司」の亡くなった先代が、あのロリコン必殺シリーズの作曲家の平尾昌晃の偏食を直すために考案した巻き寿司である。しかし、「カナダからの手紙」は青春ポップスだったけど、「後ろから前から」はビックリしたな。そういえば西崎みどりもこいつの毒牙にかかったとか、いや下世話な噂話は止めます。そうだ「チーズ饅頭」も宮崎原産です。

 なんだかんだでお国自慢みたいになったけど、本心ではないんです。本当は宮崎の方言の中から宮崎の県民性を追及するエントリーのはずが、話がそれてしまい、疲れで頭も動かず、こんなしょうもない話を書いてしまいました。あ、そうだ。宮崎の名産品もっとあった。えびちゃん、とか今井美樹とかちょっと前は斉藤慶子とか、そう美人の産地です。と、さりげなく地元の女性に媚を売るのであった。これで来年のバレンタインは鼻血ブーだぜって、たとえが谷岡ヤスジじゃもてねーって。

岩石日記

 休みの日の楽しみは朝寝坊である。が、予定があって早く起きなくてはいけない時は、それなりに心の準備と目覚ましの準備などをちゃんとする。それが人の道である。逆に言うと予定していないことを急に入れられると腹が立つのは、これまた人として当たり前の感情だとは思いませんか?11、12日の連休は仕事が入る可能性が高かったのだが、なんとか休めることが決まり、昨夜はのんびり夜更かしをしていた。珍しく配偶者も子供二人も起きていて何か話をしていた。下の子の部活の発表会が明日、新富町で行われるので弁当の準備と送迎の段取りを母子でしているようだ。ゆっくりした時間だったら僕が送ってもいいと思って聞いてみると8時30分集合なので、遅くとも7時40分には家を出ないとマズイ。とてもじゃないが起きる自信がなかったので、栄えあるドライバーの役目は配偶者に譲った。

 朝、いつもの習慣で7時半に目が覚めると母子喧嘩が始まっていた。着て行く洋服がどうとか、弁当がどうとか言ってる。触らぬ神に祟り無しと、シカトしていたら、ケンカした母子が口を揃えて、僕に会場まで送っていけと言う。「ふざけんな、たまたま目が覚めたが、これからまた寝るのだ」と言うが聞かない。片方だけがワーワー言ってるなら無視できるが、母子で似たような声で、カンシャクで喚かれるとマジで頭が痛くなるので気を取り直して覚悟を決めた。この段階で僕が不機嫌だったことについて異議のある人は「あんたが大将、あんたが君子」としか言いようがない。モーストオブザピープルはゲットアングリーになっちゃったりしてトゥゲザーしようぜって、いかんルー大柴のブログを読みすぎた。

 そんなわけで中学生の娘を送っていくことになったのだが、このバカ娘がとんでもないことを言いやがった。なんと僕に対して、車は配偶者の車を運転していけというのだ。我が家は、今までのエントリーでお分かりのように僕が一番虐げられている。これは若い頃ドストエフスキーなどを読んで「虐げられた人びと」の影響を受けたから、では当然ない。単純な力関係の結果である。その歴史を書いていくと「実録 泣いてたまるか」になってしまい、涙でキーボードが打てなくなるので止めるが、したがって当然の如く僕の普段使う車は1000CCの小型車、配偶者は2000CCのワンボックスと、ここでも力関係が具現化している。たしかに僕の車は小さいがターボのヤン車(ヤンキー車、中古で買ったのだが明らかにボーソーを主とした使い方の車で、室内灯が真っ赤だったのには肝を冷やした)なので、車に弱い娘が嫌がったと思い、「後ろの席じゃなくて助手席だったら酔わないぞ」と言ったところ「そうじゃなくて、お父さんの車は音楽が…」と言葉を濁す。「音楽がどうした?」と、こちらもムッとして聞きなおすと、配偶者の血を色濃く引いた次女は逆切れして「お父さんの車の音楽は趣味が悪い!」と絶叫しおった。

 「何を、てめー」と子供相手に本気で怒りかけたら、こんなことでヘソを曲げられて送迎をパスされたらかなわんと思った配偶者に、二人とも上手く丸め込まれて家を送り出された。休みの日の朝なので、道路はすいていたが会場までの場所が初めてだったので最短のルートで走った。左右には松林、右手の奥に太平洋、センターラインには先のほうが灰色になってはいるがワシントンパーム、まさに南国宮崎のハイウェイである。この日僕の車だったら加川良の「南行きハイウェイ」(guevarra129さん、ありがとう。著作権クソクラエだっ!)か、エンケンの「寝図美よ、あれが太平洋だ」あたりが流れていただろう。あるいはドゥービーか、イーグルス、ブレッドなんかも可能性はある。いや意外とクラフトワークやYMOといったテクノ系の音を流していた可能性もある。しかし厨房が好む音楽である。ヒトトヨウ(?)だとか大塚愛(ま、可愛いから好きなんだけど、オヤジとしての威厳があるから彼女の歌は元ネタがあるなどと言って顰蹙を買っている)、挙句は「湘南の風(風じゃなくて風邪と打ちたくなるような鼻声だ)」などを聞かされる。要するに我が家の厨房の好む音楽と配偶者が好む音楽は近いのだ。

 有料道路を使ったおかげで予定時間より随分早く着いたが、既に同じ学校の友達も着いていたので、子供を降ろしてとんぼ返りで自宅に向かった。CDはオートチェンジャーで入れ替えるのが面倒だったのでFMをつけたら、なんと60年代の特集をやっていた。ピーター&ゴードンとかDC5、シュープリームス、ビーチボーイズなんかを聞きながら走る道路は快適だった。そうそう、英米だけでなくシルビー・バルタンやボビー・ソロなんて人の歌も紹介されました。あ、お断りしておきますが流石にここにあげた人たちはリアルタイムではなくて僕が洋楽を聴き始めた70年には既にオールディーズになっていたので、そこのとこヨロシク。男女二人の掛け合いで番組は進行していたが、終了時にDJの名前を聞いてビックリ。女性は今陽子、ピンキーでした。男性は佳山明生。続いてクラシックの番組が始まった。「皆さんおはようございます。お元気でしょうか。黒田恭一です~」えっ、黒田恭一?なんと高校生の頃プログレ関係のライナーや音楽専科のレコード評なんかで、やたら格調高い文章でそのバンドの特徴をズバッと斬っていたクラシック評論家の黒田さんだ。

 話の内容も語り口もすっかり穏やかになっていたが、プログレに狂っていた高校生の頃に好きだった数少ない音楽評論家だった。トリアンヴィラートのライナーはこの人だったような気がするが自信はない。朝のさわやかな時間帯に聞くヴィヴァルディやヘンデルは心地よかった。機嫌もすっかり直ったのだから僕も単純である。家に帰った後はいろいろ雑用をしているうちにお昼になり、以前belmie2001さんがコメントで宮崎市内に2軒あるタ○レコのうち1軒が閉鎖するのでCDが安くなってるという情報を思い出し、いざ出陣と自転車で出かけた。車ばかりで排気ガスを充満させるのは、決して本位ではないからというのは本当ではなく、このところウォーキングをサボってるので罪滅ぼし(?)のため、メタボリック粉砕闘争貫徹なのだ。しかし、そんなことをいいながら昼飯に豚骨ぎとぎとのラーメン大盛りを食ってるのだから、どうしようもない。「人生はどうしようもないことの繰り返しである」という自己流格言を放って誤魔化す。

 で、期待を胸に中心街のタ○レコに行ったが、安売りしているような様子はない。もしかしてイ○ンのほうかと思ったが、ここから自転車で行く気力はなかった。しかし、CDショップというのは行けば行ったで、あっという間に1時間、2時間過ぎるものだ。欲しいものもあったが、このところ中古で買ってるCDやまだ1,2回しか聞いてないCDも多いことを思い出し断念。音楽は聞いてこその音楽であり、CDやDVDを集めることが目的ではないのだ。コレクターになったらおしまいである。タ○レコを出て、ビレッジ・ヴァンガードなどという生意気な名前の、本屋もどきみたいな店を冷やかし、あまりにごちゃごちゃしていて気分が悪いので、本来のT中書店で口直しをした。まだ「紙の爆弾」は出ておらず「ストレンジデイズ」でも買おうかと思ったが、こちら方面も積ん読状態のものが多いので止めた。本は読むためにあるのです。本棚に入れられて忘れ去られるのはその本と所有者にとって不幸なことだ。てなことを考えていたら携帯がなり、部活の子供を迎えに行く時間になっていた。

 えー、実はこのあと上の子の数日遅れの誕生会で、家族で焼肉を食べに行き何故か特上ロースが僕だけ枚数が少なかった問題について検討したり、トップランナーの下地勇を見て、日ごろの洗脳のおかげで子供たちを下地ファンにしたことを書くつもりだったが、もう眠くて駄目です。続きは、とやるとまた忘れそうなので、明日は明日の風が吹くといって、今日お日様に干した布団方面に撤退する岩石生活者であった。

不感症の時代の不干渉主義者たち

 今日はエントリーを休んで、『早寝早起き丈夫な身体』、『仕事とHは家庭内に持ち込まず、必ずお外でね』を貫徹しよう(冗談ですよ、冗談。ここは噛み付かないでね)と思っていたのだが、先日の日記に対するguevarra129さんと狸さんのコメントから「著作権」という話が気になっていてちょっと思い出すことがあったので急遽エントリーをアップしている次第だ。人の意見を勝手に要約するのは、誤解・予断・偏見・フレームアップの元であり表現の根本にかかわるので、興味のある方はお二人の生コメントを読んで欲しい。ここでは話の都合上、大雑把に言うと「あなたにとって著作権とはどういうものか」という根源的な問いかけになってしまいそうだが、そのようなハードなことは書けないので、20代の頃から感じていた違和感について早足で書いてみたい。

 レンタルレコード店というビジネスが一世を風靡したのは80年、81年くらいだったか。僕はぎりぎり学生か、元学生という頃だった。レンタルレコードの基本コンセプトは簡単だった。当時LPレコード(!)1枚が2,500円から3,000円ほどした。決して高くはないが、多くの青少年にとって安いものでもなかった。またレコード店でも試聴できたが、たいていアルバム片面(昔はアナログレコードだったからA面、B面と片面ずつあったんだよ。だから意識的なミュージシャンは曲の配列や片面ずつのコンセプト、グラデーションなんかを考えたりジャケットとリンクさせたり、想像力を働かせてたんだ。したがって聞く側も…。止めよう、年寄りの繰言と思われるのが関の山だ)、下手すると数曲しか聴けないことが多かった。そのためレコードを買ったはいいけど、すぐに飽きてしまったり別のアルバムにしておけばよかったなどと不平不満があってもいったん購入したレコードは傷物だとか、不良品でない限りレコード店が引き取ったり、ましてや交換などしてくれなかった。

 そういう中で、音楽ファン同士が保険のためお互い買ったレコードを交換したり、中古品として売買したり、もっと簡単には貸したり借りたりするのは当たり前のことだった。まあ当時はダビングするといってもカセットテープ、メタルは既にあったがDATなんかまだなかったな。当然レコードほど音質はよくなく、テープが伸びきって悲惨な音になってしまうなんてことも結構あった。おっと、話がそれたが、まあそんなわけで個人で買えるレコード枚数は当然限界があるし、身近に同好の士がいない音楽ファンはレコード1枚買うのも慎重にならざるを得なかった。そこへ、レンタルという新たなシーンの登場である。買おうかどうか迷ったもの、いやロック雑誌なんかでちょっと興味はあったけど買ってまではと二の足を踏んでいたものが、たしか1泊二日だったか2泊三日だったか忘れたが400円くらいで借りることが出来たのだ。

 そんなに関心はないが今流行りだからとか、話のネタに聞いてみようなんてノリでレンタルして、気に入ったらテープにダビング。気に入らなきゃすぐ返す。こういうライフスタイルが登場してきた。あ、良く考えたらバブルのはしりだ。この手の風潮は僕自身大変不愉快というか苦々しい思いで見ていた。いや偉そうに著作権がどうこうなんてたいそうな思想ではない。もっとシンプルに「欲しいものは買う、そうでないものは買わない。」という考えだ。とはいうものの友達とのレコードの貸し借りは大いにやった。それは「お前このバンドの凄さ知らないだろう」とか「お前にこのミュージシャンの渋さを教えてやるぜ」とか「こんな音楽知らねえだろ、ちょっとオレのこと尊敬したら」などなど、友達と音楽(ほとんどがロックミュージック、もちろんフォークというかシンガーソングライターも含めて)によるコミュニケーション、音楽を通してのコミュニケーション、音楽を媒体とした自己主張・自己アピールだったと思う。

 その中で価値観の共有、共通認識、理想への憧れ、現状社会への異議申し立て、えー、恥ずかしいがこの際言ってしまうが、みんな経験あるでしょ、俺たちは普通じゃないんだ、早すぎた青年(又は遅すぎた青年)だなどと大いなる誤解をしながら友人としての人間関係を形成したり、青臭くはあるが人間としてのテツガクみたいなものを形成する大きな手段だったのではないかと思うのだ。したがってレコードの貸し借りには経済的なものは存在しなかった。借りてばかりいる奴が実に素晴らしい耳をしていたり、その音楽に対する深い理解と知識を持っていることはざらにあった。一方レコードを売るほど持っていて、人に常に貸しているタイプでも全然音楽(この場合やっぱりロックだな)を分かっていない、超ウルトラスノッブなんてケースもあった。

 ちょっとニュアンスが違ったな。そうそう、正直に言うと批判しながらも僕はレンタルレコードを利用したことがあった。未だに覚えているのはボブ・マーリーの「アップライジング」を借りたことだ。あの偉大なレゲミュージシャンが病気で亡くなったことを知り、遺作となったアルバムを聞きたくて、それまでは、欲しいレコードは乏しい小遣いをやりくりして買うか、仲のいい友人・先輩・後輩に借りるしかしたことがなかったのに、仕事の帰りにふらりと入ったレイコウドウ(だったかな)で見つけて借りたのだ。とてもいいアルバムでラストの曲は魂を揺さぶったが、どうもこのアルバムぴんと来ないのだ。どういえばいいのか、例えば高校生の頃一ヶ月の小遣いが2,000円だったのでLPを1枚買ったらもうアウトである。それがどうしようもないレコードだったときは、何とか元を取ろうというか、ぜったい良いところがあるはずだと盤が擦り切れるまで聞いて無理やり好きになることもあった。また大好きなミュージシャンが連続してアルバムを出す(当時来日ラッシュでライブインジャパンものとか編集盤が良く出た。信じられるかい、レオン・ラッセルのライブインジャパンも出たんだ。ミッシェル・ポルナレフも)なんてときは、昼飯を抜いてそのお金をためたり、親に問題集を買うといってお金をゲットしたり(あ、この前うちのバカ娘が珍しく参考書を買うなどと言って金をむしりとっていったが、もしや…)、とにかくいろんな方法でレコードを買って、聞いていた。その必死さがレンタルには当然ないのだ。何故か。いつでも借りられるという安易さ。どうせ数百円という気楽さ。ちょっと聞いてつまらなければ返して別の新しいのを借りれば済むこと。そういつでも代用可能な単なる暇つぶしになってしまったのだ。いやそう堕落させたのだ。

 ちょっと著作権にからませると、いくらレンタルレコード店でヒットしてもミュージシャンには実入りにならない。当然だ。極少ない枚数で回されていくのだから。ミュージシャンの実入りにならなければ、新しいアルバムは日の目を見ない。それどころかミュージシャンが音楽家であることを止めてしまうことすらある。ボ・ディドレーもタクシーの運転手やってたからな。

 えー、気負いこんで書き始めたのはいいのですが、本来考えていた話とは違った展開になってしまいました。要するにお金を出して買ったアルバムや、聞きたくてたまらず友人に無理を言って借りたレコードに対する集中力と、安易にレンタルしたそれでは雲泥の差があるということと、レンタル、リサイクルはこと音楽シーンにおいては邪道じゃと言いたかったのですが。眠気が襲ってきてこれ以上キーを打てません。もう少し内容を整理してから書くべきだという声も聞こえますが、いいんです。僕のブログはリーダーの方たちの知的レベルが高いので(こんなこというとベサツ的ですか?)、勝手に内容を解釈してくれるんだから。だから銃を取れ!(by頭脳警察)。なんのこっちゃ。あ、このエントリーのタイトルは時代にからめ取られた話を書こうと思い、先につけたので、本文とマッチしてないけど怒らないで下せー。

豊田勇造とかまやつひろしは似ているか?

ムッシュこと「かまやつひろし」ていうか直太郎のオジキ

 後輩のsugarmountain君に嵐と呼ばれたdrac-obです。ここ最近は家族ネタで日記を汚してましたが、今日「鳥肌音楽」を覗いたら、あら懐かしい豊田勇造の話が。しかし、sugarmountain君そこは腐っても元DRACの人間だけあって、ちゃんと豊田勇造の生き写しというか、ドッペルゲンガ―というか、中山ラビすら間違えて、本人も鏡に映った己の姿だと思った、伝説のS戸勉君のこともちゃんと書いていました。今年の正月にやはり同級生のN谷君から聞いた話では、いまや大手の会社の経営サイドのえらいさんになってるらしいが、今日はそのS戸君と出会った頃の話をしよう。したがって時代はまた75年の春、場所は京都ということになる。しかし、S戸君の話をするためにはどうしてもF田敏雄君が登場せざるを得ないのだが、そのあたり関係者の方は寛容な心で、ね。

 九州の田舎から出てきたばかりの僕は、隣の九州人だらけの下宿の先輩や友人にそそのかされてサークルに入ることにしたのだが、最初に入ろうと思っていた「音楽研究会」のBOXがたまたま閉まっていたため、似たような名前で「レコード音楽研究会」に入ってしまった。しかしBOXの雰囲気は大変悪く、先輩たちも「男は日に三言」を不言実行しているような人ばかりに思えたので、2,3回BOXを覗いたものの幽霊部員のままでいいか、もし何か言われたら辞めればいいやと思っていた。というのも同級生が少なく最初に知り合ったF田敏雄君は一浪していたので、敬語を使って接していたし、同じ現役だったE副はジャズしか聞かずロックを小ばかにしていたので最初はなじめなかった。そんな中でS戸君は一浪でありながらも人懐こく、また外見、髪型が当時はかまやつひろしに似ていたので僕とF田君の間では「かまやつ」と呼んでいたのだ。

 ところで、それほど行きづらかったBOXに頻繁に通うようになったのは、F田君のおかげというか、おせっかいのためである。サークルではなかなか親しく話す相手がいなかったので、自然とクラスの仲間と仲良くなっていった僕は生まれついての食い意地の汚さのためにクラスよりサークルの比重が高くなってしまうのだった。しかし、今考えると50何人かのクラスで男は二桁いないという「ハーレム」というか「はらいそ」というか「天国に一番近い島」状態だったのに、僕は何が悲しくてあの薄汚い別館に嵌っていったのだろう。ああ、人生が二度あーれば、このじーんーせいがにーーーどあーればああああ(byご存知陽水)。

 4月の終わり、いや5月の半ば過ぎだったと思う。土曜日の2限目の授業が終わり、自転車で通っていた僕はクラスの連中より早く行き過ぎたので、当時1,2回生の授業が主だったS町キャンパスから本学のあるI出川キャンパスに向かう途中にあった学生会館のところで自転車を止めた。道は一本道(♪ふと、後ろを振り返るとそこには夕焼けがって歌わなくていい!!オッサン)なので、すぐに友人たちと合流できるつもりでいたのだ。まだか、まだかと人の流れとは反対の方向を眺めていたら、ポン、ポンと肩を叩かれた。振り向くとF田敏雄君が満面の笑みをたたえて立っていた(書き忘れたが彼は淀川長治にクリソツだった。道頓堀の赤い縦じまの人形にも似ていた。そうそう昔NHKでやっていたケペル先生にも良く似ていた)。「何してるんですか、こんなところで」知り合った頃の彼は何故か標準語でよく話していた。「あ、F田さん。今クラスの友達を待ってるとこです。昼飯でもおごってもらおうかと思って」と答えると(F田君は1歳年上だったので、最初は「さん」付けで呼んでいたのだ。こういうのが「長幼の序」というのだよ、sugarmountain君)、彼は屈託のない声で「甘いなー、それよりどうです。ボックスまで。一緒にご一緒しませんか?冷たいものでもおごりますよ」

 ああ、このときに「一緒にご一緒」などと意味を重ねるというか、意味は分かるが意図不明な言葉をもてあそぶ彼のような人間の後についていったのが一生の不覚であった。この他にもF田語録はいろいろあり、以前のエントリーでもいくつか紹介したが、今日は特別サービスであとちょっと。UCCコーヒーのカミジマというのもあった。「上島」だから「カミジマ」と読めなくもないが、じゃ最初の”U”は何だよ。「ウエジマ」だから”U”じゃないのか、と心ある人たちは突っ込んだものだ。またレコード関連では「廉価盤」を「ケンカ盤」、まあこれは結構間違って覚えてる人もいるが。それからジャズ班のリーダーともあろう男がかのジャズ評論家を「アブライ正一」などと呼んだりした。この手のネタには不自由しない男だったが、その彼に「冷たいものでもおごる」という一言につられて、学生会館の2階の喫茶室でトマトジュースをご馳走になり、そのままサークルのBOXに行き、F田君はそのキャラクターで既に先輩たちから認められていたので、僕も結構居心地がよくなり別館生活が始まったのだ。

 そうそうS戸君だった。彼は僕が入ったすぐ後くらいにサークルに入ってきたのだが、なかなか直接会うことがなかった。サークルには会員用の名簿ファイルが置いてあり、それを見るといつ、どんな人間が入ったか分かるのだが、どういうわけか僕もF田君も同級生が入ったことは知っていたが、顔も形も見かけなかった。ただ僕がBOXに入るときにすれ違ったり、彼にあった先輩方の話から「どうもかまやつひろしに似ているらしい」とか「ロンドンブーツを履いてるらしい」とか「岩倉(京都の北部、当時は電車の数が少なく岩倉に住むというと隠遁生活みたいなイメージがあった)から通ってるらしい」などといった噂だけが先行していた。6月に入ってコンパが計画された。夕方の6時くらいに集まって、みんなで祇園の会場に行くという予定を立て、その手のことが大好きな連中はその日早めに集合して雀荘で時間つぶしをしていた。僕も当然そのうちの一人だった。

 僕が覚えたてのマージャンで悪戦苦闘してるときに後ろに近づいてきた男がいた。多分F田君(彼は最初の頃はマージャンをしなかった。ルールを覚えられなかったという説もある。覚えた後は気が○ったようにやりまくった)だと思い、顔も見ずに「遅かったじゃないですか」と声をかけたら、そこにいたのは「かまやつひろし」だった。「お前1回生やろ、オレも1回生や。仲良くしようや」初めて会った人からそんな風に言われたことがなかったので戸惑った。もちろん名簿で彼も1歳年上なのは知っていたので一応「はい」と返事はしたが、ずいぶん馴れ馴れしい男だなというのが第一印象だった。その後はこちらがゲーム代を払うのに「オレにもちょっと打たせてくれ」といって勝手に変わったり、打ち込んでしまうと「もう、ええわ」といって引っ込んだり、ちょっと不思議な男だった。

 コンパが始まる前にF田君に「かまやつ、来てますよ。ちょっと変わった人です」とこっそり打ち明けたが、何しろ1回生が少ないサークルだったので、お酒と共にすぐ打ち解けた。その晩はF田君は堺から通っていたし、S戸君は終電の早い岩倉生活者だったので僕の修学院の下宿に3人で泊まった。酔っ払ったF田君はパジャマ代わりのジャージを穿こうとして足を取られ、網戸に頭をぶつけてその網戸を屋根の上に落としてしまった。そのときに箒の柄のところを利用して拾ってくれたのがS戸君だった。こうして花の75年度生トリオが出来て2年後に栄光あるDRACの会長、副会長、文連常任委員の役職に付くのであった。だからといって何も変わらなかったが。

 久しぶりの昔話ですが、この3人がこのあと数奇な運命をたどっていく話はまた機会があればアップしようと思います。とりあえず今日のところは、こんな友達がいたのだという僕自身の記録のために書いたので、あまり面白くなかったと思います。ゴメン。

まるで日記のような今夜の一場面

 今、上の子が後ろの机でなにやらPCに入力している。タッチ音がせわしない。落ち着かないというか、カシャカシャ、カシャカシャいったいどうしてそんな音がするのか理解できない。僕のタイピングの音は今日は「スローなブギにしてくれ」である。人間の品というものが出ている。といったイントロから始まる本日の日記です。

 今日帰ったら誰もいなかった。テーブルの上におかずとおかゆが半分入った茶碗と、汁がほとんど入っていない椀があった。その横に配偶者の携帯が置いてあった。下の子を塾に送りに行ったのだろうと思い、慌てたので携帯を忘れたのかとあまり気にしなかった。上の子もいなかったが、こちらは学校が遠いのと行事などでたまに遅くなることがあるのでそのうち帰るだろうと思っていた。それからかれこれ1時間、誰も帰ってこない。流石にちょっと心配になってきた。もしかしたら食事の途中で子供の具合が悪くなり、急遽病院に連れて行ったとか、上の子が学校から帰る途中で事故にでもあって大慌てで出て行ったのかとか、それにしても自宅に電話の一本くらいあってもいいだろうと思っていると、奥のほうで物音がする。気のせいかと思ったが、間違いなく何かが動く音がする。

 おかしい、と思いそっと襖を開いた。上のバカ娘がPS2の真・三国無双をやっていた。馬超がやられそうだと悪戦苦闘していたらしい。父親が帰ってきたことも知らず、ゲームに熱中しているのだから話にならない。妹は妹で塾に行く前に三十三間堂のことをネットで調べるよう宿題が出たのでやっといてくれと、父親をパシリ扱いである。非常に腹が立ったが、まあ家族が無事でよかった。いや待て、配偶者はと聞くと、妹を送った後入院している友達のところにお見舞いに寄ると言っていたらしい。やれやれと安心して食事をした。それからしばらくたつと配偶者が帰ってきた。

 帰って来るや否や、こちらもニホンゴでインターネットで検索してくれとか、わけの分らないことを言う。日本語で何を検索するのかと聞くとニホンゴだという。いやニホンゴなどといった抽象的な単語を検索すると、とんでもない数のデータが出てくるので収拾がつかなくなると説明して、よくよく話を聞いてみると、今入院している友達が日本語の検定テストをやってそれが面白かったからやってみて得点を報告せよとの指令を受けたなどという。要するにインターネットに触りたいのである。mixiはできないということは分かったようだが、まだ未練たらたらでネットに触りたいのであろう。まあ、mixiに入らなければいいかと思い、そのページを開いてやった。

 それからしばらくはうるさかった。僕の家のPCは僕がデスクトップを使っていて、その同じ部屋にノートを置いてあり、それを家族で使わせている。つまり座っている僕の反対側で誰かがノートを開くという形になる。配偶者は真剣に問題を読み、ぶつぶつ言ってる。聞きたくはないが狭い部屋なので嫌でも聞こえてくる。「ほぞをかむって言うけど、臍ってなんだっけ」思わず答えそうになると「黙ってて、今考えてるところだから」などという。考えるも何も名詞だから知ってるか知らないかだけだと思うのだが、本人はいたって真剣で「咬むというくらいだからヘソじゃないな。唇?うん、これが怪しい」などといっている。こちらは腹が痛いやら頭が痛いやら大変である。しかし笑ったりしようものならテキの逆鱗に触れるし、下手するとmixi熱がぶり返す可能性があるので、ひたすら我慢した。結果なんと配偶者は70点であった。恐らくPCが壊れていたのか、尋常ではない。上の子にも挑戦させた。こちらはなんと76点。普段のテストの成績からはとても信じられない。よってこの二人は不正行為をしたものと見做す。

 とまあ、こんなことばかり書いてるから恐ろしくて家族には見せられない日記であるが、僕のささやかな心の安らぎの場であるのだ。今日は、家族の風景をスケッチしてみました。、まだまだ本調子にならないな。もう少しパワーをつけてエントリーをアップできるように日々鍛錬である。

休みの日はひたすら寝るだけ

 目が覚めたというか、起こされたときはお昼近かった。日曜日は朝寝坊してしまうが、昼前というのは久しぶりだ。枕元に配偶者が立っており、これから子供たちをつれて、お昼を食べに行きその足で僕の実家に顔を出す予定だと告げられた。起きようかと思ったが、身体が重い。ちょっと億劫なのでオレは行かないと言うとまるで風のように母子は出て行った。起きて食事をして、久しぶりに散歩に行こうかと思ったが、まだ眠気が取れない。もう少しだけ寝ようと目をつぶった。次に起こされたのは夕方の4時。灯油を持たされた子供たちが玄関でチャイムを乱打していた。ドアを開けて、「まだ寝てたの」とかいろいろ言ってくる子供たちを無視して布団にもぐりこんだ。それからしばらくして食器の触れ合う音と、香ばしいにおいで目が開いた。隣の部屋で家族が鍋を食べてるようだ。例によって配偶者が僕のことをボロカスに言ってる。mixiの恨みかも知れん。「昨日は元気が良かったのに、夜中までパソコンしてたから…」「え、そんなに遅くまではしてなかったよ」と子供たちがフォローするが、今日一日ほったらかしにされ、子供と付き合わされた配偶者はすこぶる機嫌が悪い。

 別段、風邪がぶり返したとか体調が悪くなったわけではないのだが、この季節になると何年かに1回の割合で一日中寝てしまうことがる。その間食事はしない。人間2、3日食事をしなくてもどうってことはないと思うタイプの人と一食抜いただけでこの世の終わりみたいに言う人とに分かれるが、僕は間違いなく前者だ。もっとわかりやすくいうと、飯を食うのが面倒なのだ。特に食べた後、うっすら汗をかくことがあるが、あの感じが大嫌いなのだ。出来れば物を食べたりせずに、錠剤かなんかを水と一緒に飲んで、それで栄養が補給できるシステムになると、もっと生きやすい世の中になると思うのだが。誤解を招くといけないので、補足説明をすると、食べることが嫌いとか嫌だということではない。いわゆるB級グルメとかいうのは結構好きで、これが九州ラーメンの決定版みたいなガイドブックを買って読んだり、随分前の本だが「恨みシュラン」なんかは全部読んだ。このブログにも結構うどんやラーメンネタがあるはずだ。しかし、食べ物というとうどんやラーメンしか話題がないというのは大変悲しいことではあるが、加川良も「悲しいときには悲しみなさい、気にすることではありません」と言ってるので、気にしない。気にはしないが、バカヤロー何が宮崎牛だ!!地元の人間が手軽に食えての地産地消だろうが。と、これはやつあたりでした。

 実はこのエントリーを書きながら、腹が減ってきたので飯を食うかどうか今検討中なのだ。人間素直が一番で腹が減ったら、食べれば良いのだが先ほど家族の前で「飯なんかイラン、イラク、クェート、サウジアラビア」と大見得を切ってしまったので、ちょっと格好がつかないのだ。しかし背に腹は変えられん。しばし入力を休んで飯を食う。ということで飯を食ってきたが、今度は頭が少しぼーっとしていったい何を書こうとしていたのかが良く分らなくなった。そうそう、このパターンなのだ。何かを考えていて、そうだ、この話をブログにアップしようと思い、頭の中で起承転結の起承くらいまで考えているうちに次の気になる事が出てきて、それらを繰り返しているうちにだんだん焦点がぼけてきて、家に帰ってPCの前に座るとすっかり忘れてしまっている。これではいかんと思い、気がついたことを箇条書きにして自分にメールを送っておいて、夜それを見直したこともあったが、何か違うのだ。怒りが持続しないというか、諦めが先に立つというか、もうどうしょうもないからなぁといった敗北主義的なフレーズがふと出てきてしまうのだ。

 これはCIAの陰謀で、日ごろ口にしている水や食べ物の中に何かそのような「意欲減退菌」みたいなものが入れられてるのではないか。いやいや、ロシアの特殊工作隊ではないか、それとも「下手なテポドン数うちゃ日本海」(昨日ひらめいてbelmie2001さんのブログにコメントとして書いたのだが、相手にしてもらえなかったので再度アップするのだ。この手のことは反復と継続こそが力なのだ)のあの国の陰謀か?みたいなことを考えたが、やはり飯を食うと頭に本来なくてはならない血液が胃に集まってしまうので、ろくな考えが出てこない。そのうえ、寝すぎで余計頭が回らない。やっぱり食事も取らずひたすら寝てると馬鹿になるのかな。三年寝太郎の話はウソなのだろうかと考えてしまった。

 いや、まだまだ本調子にならない。音楽モノを書く気力がないし、身辺雑記的なものを書いてお茶を濁すのもいかんことだが、とりあえずまた寝よう。世の中に寝るより楽はなかりけり、浮世の馬鹿が起きて働くともいうし…。どういうわけか怒りが持続しない、おかしいな…。あっ、これが大人になるということなのか?しかし、今更大人になってもなぁ…。まあ、寝てから考えてみよう。

少し復活、でも、デモもストライキもあるかいっ!

 風邪は大分抜けてきたが、あと少し鼻のとおりが悪かったり、頭がぼーっとしたりする。まあ治りかけなんだろうと思うようにした。昨日はちょっと落ち込んでいたのでエントリーも元気なかったが、今日は少し復活したかなと思った。というのも今日の出来事をヤフーのニュースで見ていたら、清志郎が札幌市民会館のステージに佐野元春や奥田民生なんかと一緒に立ち「トランジスタラジオ」をはじめ3曲歌ったという記事を見て、「そうか、闘病中の清志郎も頑張ってるんだ、オレも落ち込んでいてはダメだな」などと思い、空元気を出そうとしたそのときだ。 

 「RCサクセション破産申し立てへ」という見出しを見てびっくり。♪ある朝目覚めて、君はビックリ 見るもの全てがゆがんで見える~って「まっぷたつ」はもういいか。いや驚いたのなんの。そうかRCは解散したけどまだ法人として登記されたままで、言わば休眠会社状態だったのか、でも破産ということはどういうことだろう、もう二度とRCサクセションの名前は使えないのだろうか、など、など30秒くらいの間にいろんなことが走馬灯のように過ぎった。あ、ちなみにまだ会社で周りに人がいたのでいつまでも固まって考え込んでいる訳にはいかなかった。目にうっすら涙を浮かべながら、続きは家に帰ってじっくり考えようと画面をもう一度見た。

PCサクセス破産申し立てへ~PCショップやECサイト「PC-SUCCESS」を運営するサクセス(東京・秋葉原)が1月31日、破産手続きの開始を申し立てる方針を明らかにした。


ITmediaの記事だった。そりゃそうだ。RCサクセションが破産申し立てをどうやってするんだ。いったい何を考えていたのか、可笑しくなって一人クスクス笑っていたら周りの連中から怪訝そうな顔で見られたが、説明のしようも無いので黙っていた。うん、大丈夫だ。まだ本調子ではないが少しずつカムバックしつつある。配偶者のmixi入れろ要求も聞こえなくなり、すこぶる気分がいい。まあ、所詮女子供は三日もすれば、あわわ、いかん危ない言葉を口走りそうになった。どこかの大臣みたいに腐女子を、いや婦女子を貶めるようなことを言うたらあかんやないか。

 と、話があらぬ方向にいってしまうので、不肖の後輩のsugarmountainクンに『いやいや先輩の文章に比べれば、実にすっきりしたもんだと思うんですけどね』などと書かれてしまうのだ。注意せねば。しかしあのやろう串八でおごってやったことも忘れて偉そうに書きやがって、見ていろ天誅を下してやる。これを読んでくれてる皆さん「長幼の序」という美しい礼節を忘れないようにしましょう。一緒に力を合わせて東国原知事を盛り立てていこうではありませんかってまだ風邪のせいでおかしいな。いやいや、こんなもんだったか。そうそう最後にひとつだけ。今日メルマガで来たクイズにこんなのがあった。『博物館の展示物がよみがえるとしたら何に会いたい?』という質問である。解答は4択だったが、最初の答えを見てしびれた。

 A,T-レックス。えー、マーク・ボランが甦るなら是非見たい。甦って♪めるぐる~いずいちゅ~って歌ってくれたら最高だと一人盛り上がっていたが、他の解答を見て気がついた。本物の恐竜のことか。ティラノザウルスレックスとちゃんと書いとけよ、と思ったが、A,ティラノザウルスレックスと書いてあったら、マーク・ボランが♪げりろん、げりろん、げりろ~んと歌う姿を想像しただけだろうと考えたら、気分が悪くなってきたのでもう寝ます。

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