無かったことにしてください

 風邪を口実にしてここ2日ほど更新をサボっていたら、今日は31日。1月のファイナルデイである。早いなー、この前年越しそば食ったと思ったら、もう節分か。このペースで行くとメーデーが来て(いや、メーデーなんて参加したこともないけど、ロキシーの曲に”May Day~”で始まる歌があったよね。「ボウスエンズオブバーニング」だったっけ)、あらら海開き(10代の頃一回行ったきり)、お盆の供養をしてめっきり西日が長くなり、はっと気がついたら真冬で大晦日。なんて一年がエンドレスみたいだが、そんなに余裕はないんだよな。だって今まで生きてきた年数とこれからの年数を考えると、圧倒的にこれからの年数が短いことが予想できる。であれば、そろそろ悟りというか、大人(オトナじゃないよ、タイジンだよ。タイジンといってもタイランドの国民という意味ではないよ。斧に気をつけるのはユージンだよ)の風格というか、落ち着きとやらが出てきてもいいのだが、あいも変わらずバカばっかりやってる。

 『親譲りの無鉄砲で子供の頃から損ばかりしている』というのは、かの「坊ちゃん」の書き出しだが、僕の人生も似たようなものだ。ちょっと月末で忙しいのと頭の中がざくろになって滅茶苦茶(by スターリン)なので、考えがまとまらない。ここ何日かは気になるブログやmixiの日記やエントリーにコメントを書いたり、このブログに頂いたコメントに返事を書くのが手一杯だった。というか、短い文の中に何か残ることを書かなくてはと思い、つまらないギャグなど書いていた。そのとき、そのときに書きたいことはあるのだが、他者に分りやすく書くのが面倒で、またいろいろ頭にくることなどもあったのだが、職業上知りえた情報なのでイニシャルでも書きにくいことが多くて、つい億劫になっていた。あるいは、年齢を気にしていたのか。

 いやはやなんとも、キーボードが進まない。いつもはキーを叩いているうちに、勝手に暴走してしまい、最初に書いた話はいつの間にかどこかへ行ってしまうというお得意のパターンにも持っていけない。やっぱり調子悪いのかな。「スピリチュアリティ診断テスト」など、普段ゼッタイやらないようなテストをやったら僕の色は「深いブルー」だそうだ。どうせなら「深い紫」だったら良かった。何故って、その心はディープパープルになるからだ、などといっても力が出ない。BLUE,憂鬱なんだろうか。うん、思い切って今日は止める。また元気になってバカ話書けるようになるまで。
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きのうの思い出に別れをつげるんだもの by ディランⅡ

ディランⅡ きのうの思い出に別れをつげるんだもの(’72年作品)

 2.3日前からのどが少し痛かった。鼻が詰まったり、痰がからんだりすることもあった。風邪の初期症状というやつである。今日は早く寝て明日に備えようと思ったが、昨日の出来事でどうしても書き記しておきたいことがあったので簡潔に行ってみよう。実はmixi仲間のレインさんのこのエントリーを読んで感じたことでもあるのだ。

 昨日は久しぶりの土曜休日だったので9時くらいまで寝坊してしまった。もっとも毎週土曜日は病院の日なので、休みだといって昼まで寝ているわけにはいかない。何度かこの日記にも書いたことがあるが、このかかりつけの病院はとにかく午前中は患者が多い。というのも、午前中はATLの専門の先生が診てくれるので、キャリアの人たちが殺到するというわけだ。9時半くらいに病院に着いたが、駐車場は満杯である。一度駐車場内に入ったが空いてるスペースはなかったので、道路に出て他の車の邪魔にならないよう脇に寄せてフラッシャーをつけて待機した。毎度毎度の慣れっこなのでCDを流しながら持参した文庫本を開いた。すると、すぐ後ろから1台の車がやってきて、僕の車を追い越して駐車場の敷地内に入っていった。運転者の顔を見ると、毎週土曜日に顔を見かける同年輩くらいの男だ。内心、バーカめ、駐車場はいっぱいだから無駄な足掻きだと思っていたら、病院から親子連れが駐車場に向かって歩いてきた。

 診察が終わったので、帰るところだろう。今日はついてるな、5分も待たずにすんだと思い文庫本を置いて、ハンドルに手をかけたときだ。僕を追い越していった男が、病院から出てきた母親にクラクションを鳴らし、視線があったら会釈などしておる。ん、ん、どういうことだ。あの合図は「今から出るなら、そこに入れていいですね」的なニュアンスがあったが、まさか先に待っていた僕をすっ飛ばして車を止めようという腹ではないだろうな。そんなはずはないだろう。彼は以前、待合室で看護婦さんと話していたときに県庁勤めをしていると喋っていた。仮にも公僕である。知事も変わったばかりで人心一新、いや官民一体となって郷土宮崎を伸ばしていかねばならない大事な時期だ。その大事な時期に、順番待ちを抜かしてズルするようなことがあるはずがない。談合体質は選挙で粉砕されたはずだ。などと思いながらも、万一のことを考えて、僕は運転席の男にガンを飛ばし続けた。すると奴は姑息にも全くこちらのほうを見ずに、車を入れおった。位置的には丁度対面になるので、僕の車のほうを見ずに運転することは理にかなわない。というか、意識して見ないようにしないと、目に入る位置に僕はいたのだ。

 奴が車から降りて病院に向かおうとしたとき、頭に来た僕は軽くクラクションを鳴らした(大きな音で鳴らすと病室の患者さんに迷惑だろ。それくらいの理性はあったのよ)。すると奴はまるでその音に急かされるかのように早足で病院に入っていった。えー、なにこれー、ちょー信じられないんだけどぉ、などと今時の言葉で文句を言ったが、誰もいない駐車場にそれは空しくこだましていった。しかし、あっという間のことだったが思い出しているうちにだんだんむかついてきた。何かの間違いというか、彼が滅茶苦茶粗忽な男で、僕の車の存在に気がつかなかったのではないかとも考えてみた。何回考えなおしても無理だった。百歩譲って僕の車が、患者を運んできてその帰りを待っていると判断したのかとも考えた(この病院の込み具合は周知のことなので、ベテランの父母はその手をよく使う。駐車場で所在なげに子供や母親の帰りを待っている哀愁のパパ族の姿はよく見かけるというか、この病院の冬の風物詩であるって、こらこら、話を作ったらあかんがな)。それにしても彼が車を駐車場に入れるときに僕の車に気がつくはずだし、あえて視線を外し続けたところに彼の悪意を感じた。

 順番を飛ばされることは、結構ある話なのでそれだけでは大して怒る気にならなかったが、それから15分ほどの間に3台の車が来てそのうちの2台は僕の車を追い越して無理に駐車場内に停めて(当然、他人の車の前であり、先に治療を終えた人は車が出せなくなる)ぬけぬけと病院に入っていった。1台だけが僕の車の後ろに停めて、駐車場が空くのを待った。それからすぐ病院から人が出てきて、駐車場が空いたので僕は車を停めて待合室に入った。待合室では僕の番を飛ばしたサーバント(召使じゃ、全ての公務員はservant=召使だろっとやや逆上気味です)を探した。いた。僕と目が会うと週刊現代で顔を隠しやがった。それから彼の名前が呼ばれるまで、僕はじっと彼をにらみ続けた。その間彼はずっと週刊誌で顔を隠し続けていた。彼も僕と同じくらいの年齢だから多分子供もいるだろう。教育や躾もするだろう。しかし少なくとも公共ルールを守れとは子供にいえないだろうな、などと考えていた。

 しかし、ふと我に返ったときに、今の世の中というのは彼のようなはしっこい人間のほうを評価していないか。俗に要領がいいという言葉がある。僕は全く正反対な人間でいつも配偶者から怒られている。例えば、ちょっと車を動かすときもすぐシートベルトをしないと気がすまない。無理な割り込みはしない。道は譲る。スーパーなどでお一人様3個までなどと書いてあると、4個とることは出来ないなど、など。世渡りが下手とかいう単語も我が配偶者の口からよく出てくる。つまり、僕は要領の悪い教条主義者らしいのだ。でもこれはしょうがない。なんといっても子供の頃から口癖は「清廉潔白」とか「渇しても盗泉の水は飲まず」とか「艱難汝を珠にす」などといって育ってきた人間なのだ。要領が悪かろうと人として大切なものは墨守するのだ。ちなみに僕は不倫という言葉が大嫌いだ。不倫とは人にあらずと宣言しているのと同じだ。浮気はいいさ、誰にでもある(って、何を正当化しようとしているのだ)。ただ不倫はいかんよ、全ての若き野郎ども(byモット・ザ・フープル)よ、全ての年老いたパンクス(by INU)よ。

 結局、僕の注射の番が来て診察室に入ろうとしたら、ズルい割り込み野郎が入れ替わりに出てきた。ハン、ズルして結局診察が終わる時間は変わらねーじゃないか。ちゃんとお天道様は見てるんだよ、こういうのを「天網恢恢疎にして洩らさず」っていうんだよ。でも我が家は、父親がこんなだから子供が可哀想だな。世渡りべただから家族には大変迷惑をかけていると反省することしきりです。でも配偶者のmixi参加については断固拒否するぞ!!言論の自由をしからずんば死を!だ。いや、そこまで深刻な話ではないと思うが…。

ちょっとマジにリザード・ライブ!!

リザード ロックンロール・ウォーリアーズ Live’80

 うれしい誤算だった。27日発売予定で、先月予約を申し込んだときには『発売日以降の入荷になります』と店員さんに言われていたリザードのDVDが、26日に手に入った。丁度、会社の人間と現場回りをしていたので、注文商品入荷の電話を貰うや否やイ○ンの中にあるタ○ーレコードに直行した。電話をくれたのは前回エントリーで接客マナーのまずさを指摘したおねーさんだったが、僕も男である、九州男児は昔のことをネチネチ言ったりせずに満面の笑みをたたえてお店のカウンターに行った。カウンターには「音楽は売ってるけど愛想とサービスは売ってないよ」とでも言いたげなカリフラワー頭のアンチャン店員だったが、リザードのDVDが手に入るという喜びの前では些細な問題でしかなかった。勢いよく予約のカードを渡すと、後ろから商品を出してきてジャケットを提示した。「こちらの商品からで間違いないですか?」ちょっとニホンゴ違うような気がしたが、マイクを持ったモモヨのジャケットに気を取られていた僕は「はい」と素直に返事した。

 あとはおなじみのマニュアルトークでレシートは袋に入れておくとか何とか言って、封をした袋を渡そうとするので僕は「予約特典があるはずだよ。それが欲しくてアマゾンにしなかったんだから」と前回の予約を受け付けたおねーさんなら知っていたはずのことを言った。予約カードとPCを見比べたアンチャン店員は「少々お待ちください」といってベルを鳴らして別の店員を呼んだ。二人でなにやら言い合っている。その間に僕の後ろにお客さんが並んだが、応対しない。なにやら「お前聞いただろ」とか「いや、知りません」とか罪の擦り合いをしているようだ。僕も人を待たせているので気にはなるが、せっかくの特典だけにちゃんとしてもらわないとわざわざここで予約した意味がなくなる。「オマーラ、いい加減にしろよ」光線を二人に向けて、「すいませんね、でもこれはちょっと譲れない件なので、ご理解のほど宜しく」光線を後ろの客に向けた。

 そうこうするうちに、3人目の店員が来て僕の後ろのお客さんの精算はしたが、肝心の予約特典が出てこない。いつの間にか言い合いをしていた店員はどこかに行き、カリフラワーがしきりにポスター置き場を調べている。5分ほどして、先ほど消えたと思っていた店員がニコニコしながら現れた。手には小さめのポスターを持っている。上のめくれかかったところにLIZARDの文字が見えた。「お待たせしてすいません」とカリフラワーが頭を下げてポスターを手渡してくれた。それから1時間以上してからだ。またもや携帯がなり、番号を見るとタ○ーレコードからだ。

 「先ほどリザードのDVDを受け取りに来られた○○さんですね。私、タ○ーレコードです」。こらこら、この前注意したろう。オレの苗字の読み方は予約カードにちゃんとフリガナ書いてるから間違うなよ。それとあなたがタ○ーレコードじゃないでしょ。一介の従業員でしょ。そりゃちょっと若くて可愛いのは認めるけれど、などとどさくさに紛れてオジサン趣味丸出しの発言をしてしまったが、お金も払って商品も受け取ったのに何の用だろうと思い話を聞いた。すると「すいません、今予約商品の特典のポスターが届きました。いつ取りに来られますか」などと言い出した。ちょっと驚いて「いやポスターはさっき貰いましたよ」というと「えっ、ちょっと待って…、何、渡したの、あったの…」。オイヲイうちわの話は電話を保留にしてやるか、電話を切ってからやるもんだろ。と苦々しく思ったが、それ以上に早くDVDを手に入れた喜びが勝っていたので「もう一枚くれるなら、貰いに行くけど」というと「いや、あの、もうお持ちでしたら…」としどろもどろになっていった。ついでに図に乗って「捨てたりせずに持っておいたら、半年もしないうちにプレミアムがついてお宝になるよ。ヤフーのオークションに出したらウン万円は固い!!」などというと「ホントですか」などと乗ってきた。後は適当なことを言って電話を終えたが、一体どういうことかよく分らない。お店にプロモート用のポスターがあったのでそれを特典としてくれたんだろうか。

 さて、その夜腰をすえて見ました。80年の鳥取でのリザードライブ。どういういきさつでこの映像が残っていたのか分らないが、予想に反していや予想をはるかに超えて映像がはっきりしているし、音もいい。当時はまだビデオが普及してない頃だから、テレビ局かその関係者が映したのだろうか、ほとんど画面はぶれないしアップの画面も十分見れる。最初に何回か画面にノイズが入るが、それもいかにも当時のパンクっぽくて、チープな感じがしていい。時代的には2ndアルバムの「バビロンロッカー」を録音した直後ということでメンバーはモモヨ(Vo)、ワカ(B)、ベル(Ds)、キタガワ(G)の四人。当たり前のことだが、みんな若い。モモヨのパフォーマンスはパントマイム風で思ったほど客を煽ったり、動き回ったりはしない。しかし何よりも一番驚いたのは、リザードといえばシンセサイザーの音というか,キーボードの音が頭に浮かぶが、ここでの演奏はギターバンドの音だということ。

 よくよく考えてみれば、「バビロンロッカー」録音中にキーボードのコーは確か家業を継ぐためにバンドを辞めており、アルバムにはゲストミュージシャンとして参加していたのだ。僕が京都でライブをよく見ていた頃も、後半はキーボード不在のバンドだったがCDになって聞いていたのが78~80年の録音のものばかりだったので、リザード=キーボードがメインという誤ったイメージを刷り込んでいたようだ。しかし、このキタガワの中近東サウンドともいえるような音は独特で耳に残る。それとワカのベースはこんなに歌うベースだったとは…。モモヨのMCも「金芝河の死刑判決」とか「光州シティ」、「カンボジア」、「アフガン」などと当時の時代背景を思い出させる単語が続く。しかしこの人は詩人だなと思ったのは水俣病のことを歌った「サ・カ・ナ」の中のフレーズだ。この「サ・カ・ナ」はバンドにとって、モモヨにとって重要な曲だったようで、何度もレコーディングされているしDUBにもしている。しかも基本の歌詞はあるが、途中からは即興で作ったフレーズを歌い上げるといった構成になっている。「水俣の海にキラメク死神が踊る」とか「煌く海で死神が踊る」「オレタチミライ」といったフレーズには参った。

 ライブはどういうわけか2部構成で、最初の30分ほどは黒いコートを着てモモヨが歌い、後からはノースリーブのTシャツになり1時間ちょっと演奏していた。曲も重なるものがあるが、演奏のパターンが変わっており楽しめる。しかしワカとベルのリズムセクションは強烈だ。そういえばいつのライブだったか。演奏中にモモヨがワカの首を後ろから絞めてあわやということがあったり、いきなりモモヨが「リザードは解散します」といってステージから降りてしまい、残りのメンバーで演奏を続けたことがあった。懐かしいな、と過去の思いに浸っていたが、ちょっと待った。今この時代にリザードのDVDを出すのは単なる懐古趣味ではないだろう。かって東京ロッカーズと呼ばれた一連のムーブメントがあった。それは今のJ-POPなどという毒にも薬にもならない(いや、思考停止というか特殊な洗脳の要素を持っているものもあるので、毒の役割を果たしているかもしれないが)、音楽とは違った流れであった。いや、過去形で書くのは間違っている。フリクションもまだ活動しているし、リザードもモモヨが活動している限り存続している。まだまだ終わってはいなかったのだ…。

 このDVDでは演奏曲のタイトルが英語で字幕として出てくる。「バビロンロッカー」にも収録されていた曲で、当時のライブでもオープニングに演奏されたりした重要な曲に「まっぷたつ」という曲がある。その英語のタイトルは”Baby Hit Yourself”である。カッコイイ。歌いだしのフレーズは「ある朝目覚めて君はビックリ!見るもの全てがゆがんで見える。それもそのはず君の目玉にゃ、ゆがんだレンズがはめ込まれてる~愛だなんて言葉に吐き気もよおし、変化を思えばめまいがするぜ、それも全てはこいつのせいさ、ゆがんだレンズが君をコントロール~どこかの誰がほくそ笑んでる、どこかの誰かがニヤリと笑う…」

 オレの目玉には、ゆがんだレンズが嵌っていないか?君の目玉には…。

注;文中では一人のミュージシャンとしてモモヨと敬称を省略して表記しました。

シーズソーデリケート

 頭を低くして嵐が過ぎるのを待った。「ストームブリンガー」というタイトルのパープルのアルバムがあったけど地味だったな、とかバッドフィンガーの「ノーマターホワット」は「嵐の恋」という邦題がついていたななどと考えながら、ひたすら耐えた。何がって、配偶者のmixi入れろ攻撃ですよ。昨日はいろいろと、なだめたりすかしたりあの手この手で敵の興味をmixi以外にひきつけようと思い、「mixiやる前にもっとネットのことを知らないと無理だ。文書入力が出来ないだろうし、そうそう、そんなのよりヤフー動画で吉本見るか?Gyaoは映画がいっぱいあるぞ。Biglobeも「プリズナーNo.6」とか「キャプテンスカーレット」なんて懐かしいのがある。そうだ、you tube、全世界の動画が見放題、どうでぃシャチョー」などと最後のほうはタイマーズの「ロックン仁義」みたいなことを言って気をそらせて、今度の日曜日にネットを開放してやるといってたぶらかした。

 今朝何も言わなかったし、夜帰っても何も言わないので3日たったら忘れる鳥頭バンザイと心の中で会心のスマイルを、ただし表面上は「鳥インフルエンザにも困ったもんだ、東知事も大変だな」みたいなことを言って悟られないようにしていた。が、「今日、美容室に行ったら、お店の男の子が『mixiって知ってますか?ボクやってるんですよ』なんて言うのよ」などと言ってきた。バカヤロー、人の苦労を知らずにしょーもない世間話しやがって、いい若い者がmixiやっててどうする(このあたりやや誤爆であるが)、またぶり返したぞ、と身構えた。「私も『知ってるよ、主人がやってるけど招待してくれんとよ』と言ったら、その子が親切で『えー、そうですか。じゃボクが招待しましょうか。携帯でも出来ますよ』って言うっちゃわー」。

 メロスは激怒した。あの無知なる若者にゲバかけずにいられようか、いやいや失礼。取り乱しました。しかし、イラン事をいう奴もいるもんだと思いながら、僕は瞬時に敵の弱点を撃ちぬいた。「携帯なんかでやったらパケット費が大変、すぐウン万の世界。上の子真似する。下の子欲しがる。我が家の経済パンク、一家は離散して上州新田郡の寂しい村(コガラシモンジローだよ、知ってっか若者よ!)に行くことになるぞ」沈黙が数秒続いた。「だよねー、今パパの携帯代だけでも大変なのに、そうそう、あーた、いい加減PCから携帯に送るのやめてよ。今月もとんでもない請求が来てるよ…」。いかん、こちらも墓穴を掘ったが、携帯代で怒られるくらいなんのその。このままmixi話が流れれば御の字だ。ということで我が家のmixi騒動は週末にもつれ込みそうです。なんとか振り切って真の自由を勝ち取るその日まで、一時このブログを中止します。

 などと、ちょっと安田講堂の自由放送みたいなことを書いたが、いえいえ、隙を見て更新しますよ。平穏無事な人生より、オレは多少弾圧があったほうが燃えるのだ、と強がりを言っておく。それと前回のエントリーでは多くの方にご心配やご迷惑をおかけしました。オレのブログなんかどうせ誰も読んでねーやと、すぐいじける性格なのだが前回の反響は大変嬉しかった。僕のブログにはカウンターを設置してないので、どれくらいの人が訪問してくれているか一切分らないし、分析?解析?なんてことは当然出来ないのでコメントくれた人=読んでくれてる人という認識なのだ。カウンターなんか無料だしアクセス解析も無料で出来るんだからやればいいという考えもあるだろうが、僕は今のところ付けようとは思わない。何故か?アチーブメントテストで育った、旧課程の国立一期校・二期校世代ですよ(結局私立の文系だったけど…。ごめんね役立たずの文学部でって誰に謝っているんだ!)。偏差値エイジですよ。○○人来訪なんてデータ見たら上昇志向の欲望が渦巻いて、受け狙いになるのは明らか。それじゃいかん。仮にも学生時代は大学の移転に反対し、キョーイクのテーコクシュギテキ再編を許すなとか、ツクバ・チューキョーシン路線断固粉砕などと言っていた人間として、数値至上主義に陥ることは断固拒否する、などと妙に力が入った。脱線ついでに僕のいた大学の法学部自治会の連中のキョーイク奪還闘争というのは良く分らなかった。『教育を教授のものから学生のものへ』とか言ってたけど、学生が教授に教えられるのはマージャンの技術くらいじゃないのかと疑問に感じてたが、まあこの話はいいか。

 てなことで、なにがてなことか分らないが、昨日仕事で移動中にほとんど入ったことのないGE●を見つけたので、ちょいと寄ってしまった。昼飯の後の腹ごなしだからと言い訳して15分間で中古CDを物色していたら、佐野元春の「No Damage」が380円、ハービー・ハンコックの2枚組み「The New Standard」が580円であり、えいっとばかりに買ってしまった。ほらほら、こういう話を配偶者がmixi始めたら書きにくくなるわけよ。それでなくてもCDを買いすぎだとか、小遣いの入手ルートが怪しいとかイタイ腹を、いや、痛くもない腹を探られるのだ。今月は月末にリザードのDVDときっこの新しい日記が届くのをいかに誤魔化すかを、いやいやこれは内緒の話だった。そのほかにもウシャコダの、おっとっとっと、もうマジでやばい。話を佐野君に戻そう。

 佐野元春とは同い年で丁度1学年彼が先輩になる。最初に彼の存在を知ったのはダウンタウンブギウギバンドがダウンタウンファイティングブギウギバンドと名前を変えて「ファイティング‘80」というテレビ番組をやっていたときだ。この番組にはRCやパンタ&HALやアナーキーや、つまり70年代末から80年代にかけて日本のロックシーンに影響を与えたバンドやミュージシャンがライブを見せる番組だったが、そこに佐野元春は準レギュラー的な感じて登場していた。痩せた身体で、メロディから外れるのも気にせずシャウトする姿は最初は好きになれなかった。というか積極的に嫌いで「なんだ、こいつ。スプリングスティーンのパクリやん」とサークルの後輩連中に言っていたのを覚えている。しかし、「アンジェリーナ」を何度も聞いているうちにだんだん快感になってきたし「フッと迷ってしまいそうなときでも、二人でいれば大丈夫だぜ」というフレーズはかっこよかったし、くさいフレーズではあったが、意外と実戦では効果的って、何の話だ!!
 えー、話がそれてきたので元に戻すと、佐野元春は年齢が同じだけに気にはなっていたが、どうもこの人真面目にロックやってるというか、頭のいい人のロックだなと思えて、なんとなく敬遠していた。たとえは変だが、ボストンのトム・シュルツみたいなイメージが強かった。ただこの「No Damage」を何十年ぶりかに聞いてみてびっくり。全曲歌える。よく知っている。曲の並べ方もLPレコード時代はA面にあたる「Boy’s Life Side」、B面の「Girl’s Life Side」とうまく構成されているし、曲間がなくてほぼノンストップで流れる音楽が快適である。アナログ時代に作られたデジタルアルバムとでも言おうか、こんな良い曲作っていたんだと再認識させられた。ボーカルも演奏も若いなぁ、あのときぼーくも若かった~。というところで気が向いたら続きを書きます。今日はこれでおやすみです。

えーと、たくみな文章は難しい件についてー by副部長

 困った。朝起きたら~男の態度が変わってたって、オレが男だ。そうじゃない。朝起きたら、配偶者がいきなり「私もmixiがしたいから、招待して」と言い始めた。何でいきなりそんなことを言い出したのか良く分らないが、昨日珍しく文書を打つからwordを立ち上げてくれと言われ、古いほうのノートを開き使わせた。そのときから、ちょっと様子がおかしく、珍しくハイテンションだったのが気にはなっていたのだが。以前ならともかく、今僕のmixiのページには、このブログもリンクさせているので、配偶者がmixiを始めたら、このブログはばればれである。それでなくても、我が家の出来事をネタをブログに書いてることはゼッタイの秘密で、以前チラッとそういう話をしたらマジで怒っていた。そういう精神の許容範囲の狭い人間がmixiやネットのバーチャルな社会に参加するとろくなことはない。火を見るより明らかだ。

 それ以上に困るのは、僕のストレス発散というか、この不毛なる現代社会に対するレジスタンスであるこのブログが非常に書きにくくなるし、言論弾圧というか、「本当のことなんか言えなーい、言えば殺される」というRCの「言論の自由」を毎日歌い続けなくてはならなくなる。困るのだ。配偶者がこのブログを読むと、自分がネタにされてることも怒るだろうが、我が家のバカ娘たちにもチクルだろう。配偶者一人の攻撃は耐えられても、女三人が束になってわめき始めたら、僕の人格は間違いなく崩壊する。また女三人が束になったら、どんなに力もちでも折ることは出来ない、ん、これはちょっとたとえが違うか。しかし敵の出方を知らないと対応が出来ないと思って、何故今更mixiをやりたいと思ったのか聞いてみた。答えは簡単で僕の様子が楽しそうだということと、友達もやっていて面白いと言ってるという返事だった。(この友達には心当たりがある。HNは書きませんが、○○さん、嫁をそそのかすのは止めて下さい。夜、外で遊ぶ分には何も言いませんが、僕のささやかな楽しみを奪うことは止めてください)

 ということで、僕のネット人生において最大のピンチが近づいているので、ブログの更新も隙を見て、短い時間でアップせねばならない。というのも、mixiやブログは僕にとって、人生を見直すための訓練というか、仏陀がサトリを開くまでの苦行みたいなものだということで煙にまいてるので、あまり楽しそうにPCに向かってるわけに行かないし、このブログは今の狂った社会に対する警鐘として書いてることになってるので(こらこら、笑っちゃいかんよ、たまーにだけど、そう思えなくもないことを書いてないこともないでしょう、ああ日本語の二重否定は難しい)その日こんなテーマで書いたというアリバイ作りを続け、敵のほとぼりが醒めるのを松風作戦なのだ。なーに、どうせ3日も立てば忘れてるさ、鳥頭、バードヘッド。しかしご夫婦でmixiやってるとか、ブログやってる人とかたまにいるけど、分らないな。びよんどまいこんぷりへんしょん、私の理解を超えているという奴だ。

 それで、今日の時事ネタ。ジジィネタといったほうが良いかも知れないが、そのまんま知事のネタを。すでに新聞、テレビなどでご存知かと思いますが、副知事が東国原知事の当選に対して「あずま知事」と言って失笑を買っていた。しかし、失笑じゃ済まないというか、そこまで無関心になれるものかな。あるいは、そこまでして認めたくないのかな。この副知事、賄賂の容疑でパクラレた安藤前知事が、女性の副知事をということで鳴り物入りで宮崎に来た人だが、やったことといったら県民体操なるものを作り、毎日午後3時になると、県庁の放送で流し、県の職員全員が体操するシステム(システムっていうのか、こんなの。まさしく苦行じゃないのか)ぐらいである。

 また、敗れた候補者たちのコメントも未練たらたらというか、現状分析すら出来ておらず、「ゲイノージンの人気に負けた」などと満天下に恥の上塗りをさらしている。議会のえらいさんたちは、足元をすくってやろうと虎視眈々だ。その中で、僕は直接は見聞きしてないのだが、マユゲがゲジゲジで「真の悪役」と自称していた元国会議員、えーと、たくみに人心を惑わす男だったが、それで彼の息子も国会議員になり、「郵政民営化なんか認められるか」と啖呵をきって所属政党を飛び出したのはいいが、すぐに「○○党でないと議員の仕事が出来ない」などとおよそ無所属や○○党以外の議員は仕事をしていないかのような発言を平気でする厚顔無恥で、踏み絵を踏んで○○党に復党したのだが、えーと、たくみに文章を書いていたつもりだが、おかしくなったのでもう一度はじめから。

 とにかくゲジマユでガングロ(ここでいうグロは色ではなく、エロ・グロ・ナンセンスのほうです)、「良い国を子供に渡したのか、お前は」と宮崎県人でないと分りにくいギャグを入れてしまったが、要するに元国会議員の爺さんがねちねち文句つけたそうで、たまたま車のラジオで聞いていたら、その元議員の選挙区の人たちから圧倒的にブーイングのメールが届いており、とりあえず安心したという話です。おっと、落ちも何にもないけど、このブログの更新はあくまで僕の精神修行であり、決して楽しいものではないというデモンストレーションをしないといけないので、終わります。誤字や書き間違いや、文章上のミスは許してね、それと今回のネタは特定の議員の名前がえーと、たくみに分らないように書いたので、その点も許してちょんまげ。

そのまんま東知事誕生!

 先ほど、今回の知事はどうなるかというエントリーをアップして、頭が痛いので少し休もうかと思いながらも、ニュースをチェックしたら「そのまんま東氏が初当選」との記事が時事通信に出ていた。21時01分だ。驚いた。これから少しテレビで分析を見てみる。ああ驚いた。

アリスは大統領、じゃ県知事は誰?

アリスのベスト チンペイやベーヤンはメンバーではありません

 今日は花の日曜日だというのに、浮世の義理でちょっぴり仕事、おまけに朝から雨というややブルーなスタートだった。ここ何年かの日曜日の過ごし方はいろいろなパターンがあるものの、基本的にラーメンをお昼に食べてドンタクの一日をコトホグようにしている。したがって昼がラーメンでないとなんとなく落ち着かない。まあ蕎麦でもいいし、どうしても無理ならうどんでもいいが、いやあんかけ焼きそばでも苦しゅうない。と、書いてきてある共通項に気がついた。それは全て麺類ではないか、という真実の声だ。ご飯類はなんとなく日曜の昼食べると損したような気がする。このあたり分析すると、ご飯=日常、麺類=非日常となってハレとケの関係など面白そうだが、先ほどから頭痛が続いているのでこれ以上は考えない。

 ということで今日は午後3時近くにあんかけ焼きそばを食べた。このあんかけ焼きそばというのは九州以外の人にはやや伝わりにくいかも知れない。ソースで炒めた屋台風の焼きそばではなく、中華のあんをどろりとかけた焼きそばである。結構当たりはずれがあるが、今日のお店は地元でもちょっと有名なチェーン店(ほら、今時「愛の貧乏大脱出」とか言うテレビ番組の看板を掲げてるあの店です。ちなみに今日の新聞で叩かれた「あるある大辞典」とか言う番組はこちらではオンエアされておりません。いえ、驚くほどのことではなく、よくあることなんです。なんといっても民放が2局しかなくて、学生時代に親が送ってきた荷物に入っていたローカル新聞のテレビ欄を見た友人が『お前のところ凄いな、新聞の半分がテレビの今日の見どころ欄やないか』と半分あきれて半分真顔で言ったことを僕は忘れない。あれから30年以上たったが未だに民放は2局だ。僕はテレビ見ないし、基本的に嫌いなのでどうでもいいが、この状況が日本全国同じだと信じている娘2人の将来が心配だ)で食べたので、中に入っている筍や牡蠣や夏草冬虫まで最後までしっかり頂いた。

 空腹が収まったので、選挙の投票に行った。僕の住んでる町の投票所は近くの公民館で、小さな神社と同じ場所にある。車から降りると、雨の中、新聞の出口調査だろうかボードとペンを持った女性が立っていた。今日の選挙は宮崎の新しい知事を決める選挙ということで、結構注目を集めていたようだが、投票所に入ると僕以外に投票に来ていたのはお婆さんが一人。受付や選管の人など、スタッフは10名近くいるのに、主人公の投票者は2人である。午後の遅い時間だからかとも思ったが、そうでもなさそうだ。宮崎の悪しき県民性、口は出すが手は出さないというか、誰がなっても一緒やっちゃがというニヒリズムを気取ってるようだが単なる無知、無関心という一面が出たのでは、と考える。投票を済ませて、出口調査の記者に何か聞かれると嫌だなと思い、来ていたウィンドブレーカーのフードを立てて外に出たら、全く無視された。それはそれで、ちと寂しいと思いながらもこちらから声をかけるのも変なので、さっさと車に乗って家に帰った。

 家に帰ると、配偶者と下の子が台所のテーブル一面に何か広げて熱心にやっている。おそるおそる覗いてみるとテストのやり直しで、下の子が英語や数学でおよそ悪魔も涙を流すであろう点数を取っており、配偶者逆上、娘開き直り続いて泣き落としという1学期に最低2回は行われる我が家の年中行事である。触らぬ神にたたりなしとおまじないを呟きながら、自分のPCの前に座っていると、目の前に「方程式」だの「ともなって変わる二つの量」だの確かに義務教育時代、あれは確かマッカーサーがコーンパイプをくわえて飛行場に降りた頃だからっと、ウソ、ウソそんな大昔じゃない、万博の頃の話って十分昔じゃ!!と、錯乱してしまう。早い話が配偶者が子育ては夫婦の協力が必要などとどこで仕入れたか知らんが、やたら耳障りだけは良く、そのくせ自分はヒステリックに起こっても良くて、僕がやや感情的になるとそういうところがいかん、とか人間の器が小さいとかいちいち腹の立つことばかり…すいません、洒落にならなくなったのでやめます。

 まあ、とにかく数学のプリントの解き方を娘に教えたりしているうちに、こちとらの頭も痛くなってきて、風呂に入って夕飯を食べて、とりあえず今日一日ご苦労さんとさっさと寝てしまおうと思ったけど、気になる知事選の結果も見なくちゃと今アリバイ的に日記をアップしているところです。あと3時間後には結果は決まってるでしょうが、どうなるかな。この雨で投票率は下がっただろうけど、誰に味方したか。少なくとも「独自の戦い」をしている候補者の目はないだろうが。そのまんま知事という恐らく名前だけ見たら冗談としか思えない、ただ今回の選挙でもっともしっかりした公約と意見発表をしたことで地元の人間に見直された、彼の雄姿が見ることが出来るか。それとも無難に川村候補か、まさか親の七光りのあの男ってことはないだろうな。

 いかん、考えてるとマジで頭痛くなってきた。それでは3時間後を楽しみに。

疲れてるからちょっと短めに、今日の出来事

 来週から新しく営業回りするための名刺が必要になり、今日DE○DE○(ディーイーマル×2と読んで下さい。最後の○をアルファベットのオーと受け止められると、はい正解になってしまいます)で用紙を選んでいたときのこと。アイボリーがいいか、オーソドックスにホワイトか、紙の厚さはスリムタイプか厚めか、120枚入りがいいか思い切って250枚入りか、あれこれ迷っていると「LANケーブルって何?」と声をかけられた。振り向くと茶髪でいかにも「YO,YO」とか「アゲ、アゲ」とか言いそうなクソ生意気そうなアンチャンが二人立っていた。聞き間違いかと思って目で訴えると、再度「LANケーブルってなんすか?」と今度はバカモノ用語のやや丁寧後を使って聞いてきた。

 知らん顔すればいいのだが、昔から教えたがりというか関西弁で言うイチビリな性格なので、ランケーブルとは、かっての名優クラーク・ゲーブルがまだ下積みだった頃、監督からパシリとしてよくこき使われていたことがあった。ところが後に大俳優になるだけあって、何か頼まれてもやることが遅い。何か持って来いといわれてもテレテレ歩いてることが多かったので『走れ!ゲーブル。走れ!』から来た『ラン!ケーブル』と、ここまで書いてあまりのあほらしさに嫌になった。物事はリアリズムをよしとすべきだ。社会主義的リアリズムでいこう。

 正しいランケーブルの説明をしたところ、二人組みは「あ、そーすか。それで、どの辺に置いてあるんすか?」とまた聞いてきた。「えーと、確かこの店にはPC関連の消耗品は向こうのコーナーの…」と言いかけて、ふと我に帰り、「ところでオレ、ここの店員じゃないんだけど」と話すと、「あ、そーすか」と言ってどこかへ消えていった。ネクタイ締めてたから店の店員に間違えられたのかとも思ったが、この店のスタッフはみんなノーネクタイのユニフォームだからそうでもなさそうだ。よく分らないが僕はしばしば、入ったお店の店員に間違われて尋ねられることある。リサイクルショップ、100均、文房具店、レンタルビデオ店、スーパー、ありとあらゆるところで間違われて売り場や商品や売れ筋や付属品などについて尋ねられる。割とおせっかいなところもあるので、つい知ってることやこっちのほうがいいのではみたいな返事をしてしまうので、相手もどんどん聞いてきて、いよいよ質問が連続して答えられなくなってから、実は自分も客であると言う説明をすると、ほとんどの人がもっと早く言えみたいな感じで去っていくのだが。これは一体なんだろう。高度に発展した資本主義社会では人間は個に分断され疎外されていく、しかしながら人間とは本来「能力に応じて教え、欲望に応じて学ぶ」べき知的存在であるから、いかん社会主義リアリズムが利きすぎた。まあ、いいように解釈するとお店の風景にすぐなじんでしまうのだろう。僕を知ってる人は分ると思うが、人なつこいタイプとは正反対である。見た目だけは石部金吉みたいで、そうそうシーナアンザロケッツの鮎川みたいなタイプである(ウソつけと言う声が聞こえるが、いいんだよ、わかりゃしねぇんだから)

 そんなことがあって、夜家に帰り着いたらテレビで丁度、金平糖の製造シーンを映していた。止せばいいのに「金平糖は特殊な鍋みたいな器具を火の上でぐるぐる回しながら作るんだ。特殊技能だったので金平糖の職人は高給取りで、鍋を背中にあちこち気ままに旅をしていたらしい」などと所詮「美味しんぼ」で仕入れた知識の受け売りをしていたところ、配偶者と長女は僕を完全にシカトするという我が家における知識のいびつな分配関係が起こり、それに対して激怒した僕が「人が丁寧に教えてやってるのに無視するとは良い度胸だ。そうか、お前たちは金平糖については何でも知ってるのだな。それでは何故金平糖のトゲトゲは出来るのか。具体的に説明してみろ。但し200字以内、句読点含む、テキスト持ち込み不可っ!手書きノートのみ可っ!」などとビシッと心の中で言った。人によっては心の中で言わずに、声に出して言ったほうがいいと思うかもしれないが、男はじっと我慢して耐えるのが美学であると「仁義なき戦い」や「子連れ狼」で学習した世代は、言わないのだ。

 ところでその金平糖だが、我が配偶者はいきなり「キンピラトウっ食べたい」などと口走った。いや確かに金平と書いて「キンピラ」と読むけど、画面で見るのはトゲトゲのお菓子だから「コンペイトウ」だろ。でも「カネヒラ」と読まないだけまだマシか。「カネヒラ」だとオレンジに毒を注射されそうだからって、長い割には分りにくい話でスマソ。ちょっと疲れてるのよ。昼間は昼間で終日PCの画面を見ての資料作成で、夜は夜でとあるルートから加川良の音源を入手しCDを6枚作り聞きまくってるので、やや寝不足です。今度の休みにゆっくり休憩して、この前の加川良発言についてまとめてみるつもり。あたい、ひまわり、日の当たるほうしか向かないの、そうそう、宮崎人は「ひまわりっ」の3巻出たから買って読むようにネ。15日発売だったけどやっぱり田舎は17日にならないと入らなかったわ。あたい、コスモス…。いかん、本当におかしくなってきた。

マッチ一本でしんせいに火をつけて

 元○○○派でありながら、今は立派に牧師をなさってるTasaki。さんのブログで、僕も大好きな加川良のエントリーがあり、その中で「歌い手は歌い手。政治的な発言はするべきじゃないと思ってます」との発言があった。なるほど、良さんはジャクソン・ブラウンみたいな立場をよしとはしないのかと思い、うーんと考えてしまった。ちょっと違うような気がするのだが、皮肉屋というか本心を素直に明かさない加川良ならではの表現ではないかとも思い、未だに考えがまとまらない。

 ちょうどそのときに、配偶者から仕事の関係で「あなたにとって優しさとはなにか」というテーマでコメントを書いてくれといわれたので書いてみた。青臭い内容ではあるが、今思っていることをまとめてみた。

       あなたにとって優しさとは何か

優しさとは何か。優しさとは一般的に美徳とされているようだが、果たして本当にそうであろうか。安易な優しさは、単なるお情けであり物理的な「お恵み」に過ぎないケースが多々あるのではないか。近年の地震や災害の被災地に送られる圧倒的な物量の善意をどう処分するか頭を悩まし、最終的にはその類のものは一切拒否するという自治体がニュースになったことがあった。そこまで行かなくても優しさは使い方によっては、人を傷つける鋭利な刃物にもなる。相手のために良かれと思ってやったことが、逆に相手の自尊心を傷つけてしまい、人間関係がおかしくなってしまうことは、現在のストレス社会の中では容易に起こりうることである。何故このようなことが起こるのか。先ほどの被災地の例などは、メディアでニュースが流されたときに、相手が良く見えていない状態で、一方的な情報を鵜呑みにしたときに起こるようだ。また、自分自身にゆとりが出来て、経済的にも時間的にもちょっと余裕が出来てきたので、何か「他人のためになることがしたい」という、確かにその動機そのものは決して間違ってはいないのだが、上からものを言うというか、相手を一段低く見ての優しさは誤解を招くケースが多いように思われる。しかしながら、どのような誤解があろうとも、優しさのある家庭、地域、社会、国家、世界というものを理想としながら、日々忘れてしまいがちな他者への優しさを胸に反芻しながら生活していく自分でありたい。なぜならば、他者への優しさを理解できない人間とは、結局自分自身に対しても優しくなれない人間であり、それは即ち他人の間違いを認めない、それどころか他人が自分と違う価値観を持っていたら、一切許さない妥協なき格差社会とやらを信奉する人ではないかと思うからだ。『君は君のことが好きでありますように、僕は僕のことが好きでありますように』、こんな優しさを持って生きていきたい。

 知事選も今度の日曜日。どうなるか、どう変わるか。どう変わらないのか。加川良の発言については、考えがまとまったらアップする予定です。まとまらなかったら、なかったということで、そのあたりはお互い大人ということで…。

イッツソーイージートゥフォーリンラブ、あれ?違った

「風をあつめて」は入ってません ゆでめんが麺つながりなんで

 昨日インスタントラーメンのエントリーを書いたが、インスタント関連で今日また思わぬ発見をした。というのも、今日の夕飯がやや物足りず、視線が食卓をさまよっていたのだが、そこに「どん兵衛きつね」が飛び込んできた(ちょっと待て、その一杯がメタボルぞ!という声がどこかで聞こえた気がする)。家人が止める隙を与えず、身柄を確保し無理やりセロファンを引きちぎり、もどかしげにカップのふたを開けスープを取り、袋をあけ、粉をばら撒きマホービンのお湯(と思った)を一気呵成にかけた。ぶっかけというやつである。なんだか取り様によっては「ワイセツ」な用語がちりばめられており、欲求不満ではないかという説もあるが構わず話を進める。

 メシを途中で止められると腹が立つので、家人の邪魔が入らぬように一連の動作を流れる水のようにやったのが大きな間違いで、マホービンの中のお湯は昼沸かしたものであった。気持ちだけ湯気が立ったが、どん兵衛のカップは冷たいままだった。このまま蓋をして5分待とうが冷たさはさらに進化するだけで、「冷やしきつねうどんただし麺のみ皿うどん風」が出来るのは火を見るより明らかだ。家人に馬鹿にされるのも悔しいので、そのまま食ってやろうかとも考えたが、ちょっと待て。このカップの中身をアルミ鍋に入れてガスにかければ何とかなるのではないかと思いやってみた。

 結果、麺に透明感が出てしこしこした感じもプラスされて、『おお見せかけの看板だけの讃岐うどん(このニュアンスが分るだろうか。チェーン店風のうどん屋で、やたら店構えが大きくてメニューがファミレスのそれみたいに大きく、店員がみんな「こちらお決まりでしょうか」などと、マニュアル語を喋り、テメーラから「こちら」呼ばわりされる筋合いはないっ!しかもオレは一人だから、取りようによっては複数形と思わせる「こちら」という言い方はするな!と異議申し立てはしたいが、とにかく腹が減ってるし時間もないので注文して食ってみたら、意外と本場讃岐うどんぽくて結構満足して、そんな自分にちょっと嫌気がさした午後1時半という感じです)』というようなテイストで結構美味しかった。というか、毎度毎度のどん兵衛がとても新鮮に頂けた。どん兵衛きつねに付きもののアゲというかお稲荷さんというか、あの黄土色したアブラゲ(余談だが、吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」の中で一番好きな話がアブラゲというニックネームで困っていたクラスメートを主人公の友人が助けてやり、何も出来なかった主人公が自己批判、とは児童文学では使わん用語だが、するところだ。いえ、単なるアブラゲつながり)も、心なしかいつものより1.5倍くらいの大きさでとっても味が染みてジューシーだった。カマボコもいつもはぺらぺらで天井の明かりに透かすと♪真っ赤―に流ーれるボクの血潮、都知事だって、予報士だって、絵描きだって、みんなみんな生きているんだ、ファミリーなんだーとややタイムリーさを欠いた歌を口ずさんでしまうほど薄いのだが、本日の一枚は噛み応えというか、えーと歯ごたえというのか、そいつがあり「あら、カマボコってオトトから出来てるの?」などとカマトトの語源をちらりと披瀝して、家族の賞賛を得ようとしたときには既に食卓には僕一人しかいなかった午後8時という現実があるのだ(ちょっと昭和軽薄体風でした)。

 ということで、カップ麺をそのままお湯を注がず、鍋で作ると新たな味になるという体験をしたのだ。しかし、今考えるとアブラゲやカマボコが大きくなったのは単に水を吸ってふやけただけかも知れない。でも、いいじゃないか、その分じっくり味が染みて、おでんみたいなものと思えば。また週末の夕飯のメインデッシュがカップ麺で良いのかという問題提起もあるが、今回は却下する。白竜も「暮らしの貧しさは心の貧しさではない」と名曲シンパラムの中で言っている(guevarra129さん、ありがとう。「光州シティ」聞いています)。

 というわけで、何がというわけでか良く分らないが、行きがかり上カップ麺について今日はちょっと書いておこう。カップ麺のパイオニアはなんといってもカップヌードルだろう。1971年カップヌードル発売。そのきっかけはやはり安藤百福氏で「インスタントラーメンを国際食に」というスローガンのもと、叡智を絞り開発したらしい(The story of Cup Noodleより)。インスタントラーメンをカップに入れフォークで食べる。しかも海老や卵といった具(かやくといったほうがいいのか。またまた余談だが、京都で生活し始めた頃食堂で食べてみたいがちょっと怖くて頼めないメニューがあった。ご想像の通り「かやくごはん」である。パイプ爆弾やダイナマイトは知っていたが、流石は魔界都市京都、「火薬ご飯」なるものがあるとは、と身構えておりました)も、入っている。

 カップヌードルの開発の苦労話は日清のHPでじっくり見てもらうとして、この面妖な食べ物が流通していった経路に「ヤングおー!おー!」という関西ローカルの番組がある。若き頃の仁鶴、三枝が司会を務め、ザ・パンダなどが人気を博した。この番組の公開録画を見に行くとカップヌードルがもらえるとのことで、F田敏雄君から見に行こうと何度か誘われたが、ついに行くことがなかった。今思えばもったいないことをした。カップヌードルはコマーシャルもお洒落だった。ちょっとまえのNO BOARDERも東西冷戦後の新時代構築みたいな感じで良かったし、今のFREEDOMというイメージCMもいい。CMソングも印象的なものが多かった。なんといってもまだ売れない頃の浜田省吾が「風を感じて」を歌い、彼自身にとってはじめてのヒットとなった(それが彼にとって良かったのか、悪かったのか、この曲が彼のアルバムでどのような扱いを受けているかを見るとすぐに分る)。

 またまた無駄話だが、あるとき宮崎のライブも出来る小さなお店で、そこにいたフォークシンガーの連中に「風を集めて」をリクエストしたら、「イッツソーイージー、走り出せーよ~」と歌いだした。こいつらはっぴぃえんどとハマショーの区別もついとらんと思って、その後延々と説教してやった。あの頃は僕も若かった。いつごろかというと頭脳警察のセカンドがアナログで再発になった頃だ。そうそう、その説教のときに頭脳警察を知ってるかと聞いたら知らなかったので、「ロックは英語か日本語か」という論争がかって内田ユーヤさんとはっぴぃの間であったが、そうだ、フラワートラベリングバンドは知ってるだろう、何これも知らない?お前らナニ聞いてきたんだよといった説教も交えながら、パンタはユーヤさんに近い立場なのにデビューしたときから日本語であったという豆知識も教えてやったが、ありがたがってる様子はなかった。

 まあまあ、話をカップ麺に戻すと少し大げさだが、カップヌードルの登場で日本人の食生活は大きく変わったのではないか。最近、若い人がどこでもしゃがんでモノを食べてるといって怒っているPTA関係の人もいるが、何を隠そうカップヌードルを立ったまま、フォークで食べるのがお洒落だなんて思ってませんでした?お母さんがたも若い頃は…。

カップヌードルのヒットに気をよくした日清はカップライスというものも作って売り出したが、これは人気がなかった。発泡スチロールの容器の中に真空パックした米と別袋に具が入っており、はっきり覚えてないが、そのコメを容器に入れ熱湯をかけて3分待ち、その後お湯を捨てて具と混ぜるのではなかったか。コメはぱさぱさしてるし、作るのに手間は掛かるし、バリエーションもピラフとお茶漬けくらいだったか。お茶漬け味は僕はわりと好きで食べてるほうだったが、周りの友人たちには大不評だった。1年もしないうちに市場から消えたような気がする。そういえば、カップヌードルの自動販売機ってあったよね。今も高速のサービスエリアの自販機にあるのだろうか。コインを入れて取り出して、上のセロファンを破り、所定のスペースに置いて、ボタンを押すとお湯が出るというやつ。まだコンビニがなかった頃はこのカップヌードルの自販機は重宝した。今と違っておつりを返却する機能がなかったので、きっかり120円持っていかないと買えないのが難点だった。このあたり山上たつひこが喜劇新思想体系でマンガにしている。その自販機で大失敗した経験を最後に書いておこう。

 これも修学院時代だが、今は一乗寺の名店になってる天○有というラーメン屋さんは30年以上前は屋台のラーメン屋さんだった。修学院離宮前のバス停から東に入っていくとちょっと坂になっていて道がカーブしているところがあった。そこに日曜以外毎日お店を出していた。夕方の7時くらいから深夜の3時までがおよその目途の営業時間で、徹マン(マージャンである、よからぬ連想はしない!)の途中に良く食べに行ったものだ。あるとき下宿の友達と一緒に屋台のラーメンを食べたのだが、なんだかいまいちお腹が満足しない。ラーメンを食ったせいで逆に胃が刺激されて、もうちょっと何か食べたいという気になってしまった。その屋台の丁度対面(トイメンと呼んでください。マージャン風に)に小さなお店があって、そこにカップヌードルの自販機があった。季節は丁度今頃、寒い夜だった。

 一緒にいた友人に「ちょい、小腹がすいたからカップヌードル食うわ」といってコインを投入した。ごっとんと音がして、白地に赤文字のボディが見えた。かがんで取り出し、そのまま所定の場所に置いた。ボタンを押して、そばにいた友人にしょうもない話をしていたときだ。急に右足に激痛が走った。何事かっと見ると右足にお湯が飛び散っている。カップヌードルに入っていくべきお湯が、何故か僕の右足方向に飛び散ってきたのだ。冬の寒さですぐに熱さを感じなかったようだ。「アーチーチ、アーチチ。燃えているんだろうか」などという歌は当時は知らなかったから、極普通に「あちち、あちい」と飛び跳ねた。お湯の勢いが衰え、こちらもようやく落ち着いて原因を調べたら、僕が横着して上のセロファンを破らなかったため、本来カップの中に入る給湯口が、ずれて外にお湯が飛び出してきたようだ。今ならPL法でごねまくって、天下の日清に一矢を報いるのだが、当時はそんな知恵もないし、なによりカップヌードルが食べられないことのほうがショックだった。

 全くお湯が入っていなければ、下宿に持ち帰り食べることも出来るのだが、先ほどあわてて動かしたので上のほうが破れてほんの少しお湯が入っている。途方にくれていると、一緒にいた友人が、「もう一回置きなおしてボタン押したら、お湯出るで」と教えてくれた。僕はてっきり「1カップヌードル=1回お湯配当」と思い込んでいたのだ。言われたままやってみると、出た。出たが、今度は出すぎて溢れている。容器を取り出そうと手を入れたが、「あちち、あちち」の二の舞であった。そのとき食べたカップヌードルは大変アメリカンな味であった。後日談であるが、カップヌードルの自販機からお湯がパクれると知った僕は、それ以降ちょくちょくその店にお湯を拝借に行っていたが、あるときからお湯が出なくなりこういう内容の張り紙が貼ってあった。「お湯はお一人様一回分でお願いします」。

インスタントラーメン、もう食べあきた by 古井戸

シーナ&ロケット 真空パック ラーメンの袋ではない

 ちょっと前のニュースだが、インスタントラーメンを発明した日清食品創業者会長、安藤百福さんがお亡くなりになった。享年96歳というから大往生である。しかも4日の新年会には元気な姿を見せ、役員との昼食会にはチキンラーメンに角餅を入れる恒例の「雑煮」をおいしそうに食べていたという(1/6産経新聞より)。ということで今日は20世紀の食文化に革命をもたらせたインスタントラーメンについて書いてみたい。もちろんBGMは「インスタントラーメン by古井戸」である。大塚愛の「ラーメン3分間クッキング」でも良いが、この歌の中の「と、と、と、と、、、、豚骨、塩ラーメン」のところが上手くリズムに乗り切れず、毎回子供たちから小ばかにされているので、出来れば古井戸でお願いしたいっ!!(何リキ入れてんだよ、オッサン!)

 日清のチキンラーメンは1958年8月25日に販売開始され、したがって8・25は「チキンラーメン誕生の日」とされている。残念ながら僕は既にこの汚濁の世に生を受けていた。このチキンラーメンの登場はいろんな意味で当時センセーショナルだったようだ(生まれてはいてもまだ幼かったのでリアルタイムにその当時の様子を知ってるわけではない、と言い訳して少しでも若く見られようとする姑息なdrac-obであった)。まず「シナソバ」とか「中華そば」という呼び名から「ラーメン」という名称を浸透させた。つまり当時はラーメンもそばの仲間というか一変種として認識されていた、ということか。しかしなんといっても万人に愛され、受け入れられたのは丼に入れて「お湯を注いで3分待つだけ、全てが解決、インスタントドリーム」(販売機で愛を買ったよby リザード)という手軽さだろう。もっとも丼は蓋付きでないと勝手が悪い。横着して週刊誌なんぞを乗せると、湯気で表紙がボコボコになる経験をしたことのある男の人は多いだろう。もっともそういうときに乗せる週刊誌はもうお役御免になった週間プレイボーイあたりなので惜しくはないはずだが(と、当時の男の子ならではのネタをちらり)。

 自分自身の食生活で振り返ってみると、恐らく生まれて最初に食べたインスタントラーメンはやはりチキンラーメンだったと思う。ただ当時は即席ラーメンという呼称が多かったような気がする。子供たちには大人気の食べ物だったが、よく親から「即席ばかり食べてるとバカになる」といわれた。そのときは「なにをいってやんでぇ、こちとら江戸っ子でぃ。つるつるっといくのが粋なんで、御免なすって」などとは言わないが、それなりに言い訳して親の言うことを聞かなかった。したがってこんなアホな大人になってしまった。「親の意見となすびの花は千にひとつの無駄もない」という奴である。まあ、今更いっても「後悔先に立たず」「立つ鳥あとを濁さず」である。ちょっと違うか。あのチキンラーメンはお湯をかけて食べるのも美味しかったが、そのままボリボリ食べるのは、さらに愉快・痛快・奇奇怪怪の怪物くん的快感があった。ただ塩分が多かったので食べてるうちに唇がしわしわになってしまうのが難点だったが。その点をベビースターラーメンはしっかり考え、量的にも味的にもコドモのオヤツとしては丁度良いものだった、と話がそれた。

 インスタントラーメンの消費をアップさせたひとつの要因にオバQの小池さんの存在があるのではないか。もじゃもじゃ頭にメガネでいつも丼を手に持ちラーメンを食べている。ポパイのウィンピーみたいなキャラクターだった。シャランQの歌にも登場した。ただマンガのストーリー上では特に役割はなかったような気がする。「お出かけですかー」のレレレのおじさんみたいな役だったようだが、この辺はちょっと自信がない。

 さてチキンラーメンでラーメンの味を知った僕が次に食べたのは、チャルメラか出前一丁かといいたいが、なんせ出身は南九州である。九州人のインスタントラーメンといえばそう、住尾のアベックラーメンである。あのドン・ガバチョの声優であった故藤村有弘がCMをしていた。藤村さんお得意のインチキ外国語を使い、キャラクターごとに衣装も変えていた。今でも覚えているのは、南方の○○というと語弊があるというか、ややこしいことになるので、歌で誤魔化すと♪私のラバさん酋長の娘~色は黒いが南洋じゃ美人って、しまった酋長とか色は黒いの方がやばいのか、まあこの際どうでもいいが、そういうイメージのカッコをして「アフダカドンドコ、アベックラーメン」と言ったり、こちらは問題なさそうだな、チャイナ服を着て「とん、なん、しゃー、ぺー、アベックラーメン」などと言ってたり、とにかくインチキな外国語をインチキなアクセントとイントネーションでやるので大好きなCMだった。このときの刷り込みの原理で東西南北より、東・南・西・北に興味を示し、学生時代に「オレが野上のドサ健でぃ」とばかりにマージャンに狂ってしまったのも「三つ子の魂百まで」のいい見本であろう。

 このアベックラーメンは京都の学生時代に熊本出身の後輩から1箱貰って飢えを凌いだこともある。似たようなタイプの棒状ラーメンで味のマルタイの屋台ラーメンもある。ところで先ほど住尾のアベックラーメンと書いたが、アベックラーメンが出た当初はそういうネーミングだった。後年近所のスーパーなんかで買うと五木のアベックラーメンになってるので(九州以外の人、ごめんなさいね。スミオだとかイツキだとか、全くローカルなメーカーの名前ばかりで。でも日清や明星などの食味帝国主義に対して、地域の味を墨守するローカルナショナリズムは応援したいのよ)、僕はてっきり住尾という弱小メーカーが五木という大手メーカー(九州で、ですよ、だってうどんにそばにちゃんぽんまで出してるのよ、五木は)に吸収されたと思い込んでいたのだが、今ネットで調べたら五木の初代が住尾さんなんですね。いや日々勉強だ。

 さて、アベックラーメンのあとに明星チャルメラが登場し「木の実スパイス」なる調味料が別袋で付いているということにショックを受けたり、「あーらよ」の掛け声で出前一丁を食べ、そのときに「ごまラー油」の香りに立ちくらみを覚えたりした(どんな食生活を送っていたんだ!!)。そのあとに登場して一世を風靡したのは、ご存知サッポロ一番シリーズである。まず味噌ラーメンというものに驚いた。味噌とくれば「汁」か「漬け」くらいしか連想できなかったのに、なんとラーメンとの合体である。これは驚いた。初めて食べたときは味が濃く感じてあまり美味しいとは思わなかったが、だんだん慣れてくるとウマイと思い始め、今でも時々無性に食べたくなることがある。特に野菜と一緒に煮込んで仕上げに生卵を落とすと極楽である(いや、このエントリー書いてるうちにだんだん情けなくなってきた。見栄でもいいからもうちょっとリッチなものをネタにすべきだったが、仕方がない。このままいくしかない)。サッポロ一番は塩もしょうゆもそこそこいけた。しかし九州人はなんと言っても豚骨である。アベックラーメンもいいのだが、九州以外の地では売ってるところが限定される。

 そんな悩みを持っていた京都時代に、「男とラーメンは九州ぜっ!」のキャッチフレーズと当時プレイコミックに連載中の博多っ子純情のキャラクターをCMに起用したハウスのうまかっちゃんが鮮烈なデビューを飾った。そうロックが肥大化して身動きが取れなくなり、単なる金儲けの手段として使われていた時代につばをかけ突然登場したパンクロックのようなインパクトがあったのだ。ちょっと褒めすぎかもしれないが、うまかっちゃんのCMで一番好きだったのはシーナ&ロケットの鮎川さんが出た奴で「博多んもんな横道者青竹割ってへこいかく」という奴だった。シーナ&ロケットもアルファからで出てきたときはYMOなんかの協力もあり、ニューウェイブのバンドとして見られたところもあるので、先ほどのパンク云々のたとえもあながち間違いではないのではないか。

 と、まあ駆け足でインスタントラーメンの歴史を見てきたが(当然ごく一部です。しかもかなり偏見に満ちているのは承知の上)、僕が例えば四国出身だったら、関西出身だったら、関東だったら、東北だったら…どこだろうとその土地ならではのインスタントラーメンはあったのではないだろうか(思いいれもね)。今回は袋麺のことしか書かなかったが、あの革命的なカップヌードルの登場以降のカップ麺の歴史に触れ始めたらこのエントリーは終わらないだろう。続きを書くかどうかは別にして、これだけ熱く書けるというのはやはり、インスタントラーメンの持つ魔力だろう。このチープでそのくせちょっとハッピーになる食べ物に感謝。そして安藤百福さんのご冥福を祈って合掌。

一点突破全面展開って習ったんだよ!

 突然こんなことを書くと人格を疑われるかも知れないが、僕は視野が狭いと良く言われる。今日も会社の駐車場を車で出ようとしていたら、右側から大きなトラックが入ってこようとしてクラクションを鳴らされた。この野郎と思って、運転席をにらみつけると妙に運転者がヘラヘラしていた。狭い出入り口なので、バックして道を譲るか先に出てしまうか、瞬時に考え出ようと判断した。アクセルを踏んでハンドルを左に切ろうとしたら、目の前をチャリが横切った。あと少しで跳ね飛ばすところだったが、チャリを運転していた女の子は知らん顔して通り過ぎた。『くそったれが、お前みたいな奴がおるから事故が減らんのじゃ』と自分の前方不注意は棚に上げて、心の中で毒づきながら走っていると携帯がなった。ハンズフリーのマイクで受信すると、会社のおっちゃんであった。「さっき駐車場のところでクラクション鳴らして合図したっちゃけど、なんか急いじょったと?」、トラックを運転してたのはそのおっちゃんだった。どおりでへらへらにこにこしていたはずだ。

 この程度のことはしょっちゅうで、未だに家族全員から責められることがある。それは今から10年程前のこと、理由は良く覚えていないが配偶者と平日の昼間書類の受け渡しをする必要が出来て、当時宮崎市の中心部で勤務していた僕は分りやすい本屋さんのところを待ち合わせ場所に指定し、万一そこに行けないときはもう一箇所別の待ち合わせ場所まで決めていたのだ。このあたり物事に慎重な僕の性格が良く現れていると思う。そのころ僕は内勤営業だったので昼休み外出できる時間が限られており、また子供たちも小さくて配偶者が連れて歩いているうちに指定の時間に間に合わないこともあるだろうと考え、そのときは、遠い本屋さんではなく手近なお店で待つという風に次善の策を準備していたのだ。

 さて、その当日事務所から出ようとしたときに外線が掛かり、そういうときに限って誰も電話に出れないというお決まりのパターンで、ようやく事務所を出たときは予定よりだいぶ時間が過ぎていた。早足で歩いて、交差点に出た。信号は赤だったが待ち合わせの本屋さんは目の前だ。目を凝らしてじっと見つめたが、本屋さんの前にそれらしき人影はない。もう一箇所のほうで待ってるのかなと思ったが念のため信号が青になるや否や本屋に直行してみた。やはり配偶者たちはいなかったので、くるりと方向転換してもう一箇所の待ち合わせに指定していたお店に向かった。ところで、僕を知ってる人は納得すると思うが、僕は大変姿勢がいい。立って歩く姿はまさしく直立不動(不動はおかしいか、歩いてるわけだし。ま、それくらいシャンとしてるということだ)。また歩くときは真っ直ぐ前を見つめて歩く。ふらふらよそ見したり、きょろきょろしたりすることがない。このあたりは流石に「もはや戦後ではない=まだまだ戦争の名残が残ってたよ」世代の教育の賜物だと思うのだが、そんなことはないという異論・反論も多いのでここでは問題にしない。この歩くときの姿勢の良さと常に一点を見つめるという「巨人の星」か「タイガーマスク」かといった視線のおかげで視野が狭いのかもしれないが…。

 要するに歩いてるときも余裕がないのだ。A地点からB地点(©恋のボンチシート)まで行くときは必ず一直線というか最短距離を行く人間なのだ。良く「道のり」と「距離」というが、てれてれ道なりに歩いた時に要する長さが「道のり」。A地点からB地点までを直線で結んでその長さを測ったものが「距離」である。僕の場合常に「距離」を意識した歩き方というか人生の生き方である。うん、こうやって考えてみると単に気が短くて心にゆとりがないだけではないかという気がしてきたが、いまさらこの歩みを変えるわけにはいかないので、このままGO ALL THE WAY(byラズベリーズ)である。

 ちょっと話がそれたが、結局もう一箇所の待ち合わせ場所にも配偶者はいなかった。何か用事でも出来て来れなくなったのだろう。しかしそれならそれで電話の1本でもすればいいのにと内心カッカカッカしながら会社に戻った。今なら携帯ですぐ呼び出すかメールすれば済むことだが、たかだか10年前くらいでも携帯はそれほどポピュラーではなかった、いや、オレが携帯なんか嫌いだといって持たなかったのも理由の一つではあるが。で、配偶者たちは何をしていたか。待ち合わせの場所には来なかったのか、というと来ていたらしいのだ。しかも僕の姿をすぐに見つけて安心しきっていたらしい。ところが気がつかなかったのだ、僕は。

 その夜帰ったときに僕は怒っていた。なんで来れないなら来れないで電話のひとつでもしないのかということを話すや否や、大魔神の逆襲が始まった。真相はこうであった。僕が会社から出て、信号のところで待っていたとき、配偶者と子供二人は近くのビルの2階の喫茶店の窓から見ていたらしい。僕が信号待ちしているのを確認してすぐ下に降りて、道路を挟んで対角線上にいたらしい。母子3人で僕のほうを見ていたから、当然僕は気がつくものと思っていたら、本屋から出てきた僕は彼女たちに一瞥もくれず反対方向にどんどん歩いていったらしい。驚いた母子は必死で追いかけた。しかし普段から歩くのが早い上に、時間を気にして早足で歩いていた僕との距離は開く一方。

 思い余った配偶者は最後の手段に出た。上の子に大声で僕のことを呼ばせたのだ。「パパー、パパー、待ってーーー」と当時幼稚園の年長だった娘の絶叫は昼下がりのビジネス街にこだました。通りを歩いていたビジネスマンやOLは何事かとばかりに母子を見つめ続けた。しかし、第二目的地に一直線に向かっていた僕の耳には何も聞こえない。僕の姿はどんどん遠くなってついには見えなくなった。その僕の後姿を見て、母子はいつか自分たちは捨てられるのではないかというトラウマを負った。

 と、まあ、これくらい視野が狭い(らしい)。しかし本人に一向に自覚がないので困ったものだ。ところで、何が言いたくてこの話をアップしたのか良く分らなくなってきた。このあたりが集中すると全てを忘れてしまう僕のいいところだ。誰もほめてくれないので、自分でほめるしかないが、そうそう、思い出した。今度の宮崎の知事選についてとんでもないことがあって、きっこのブログにも大々的に書かれていた。そのことと今の宮崎の地元の状況についてエントリーを書こうと思っていたのだが、毎回時事ネタは上手くいかないので今日のところはやめとこう。ひとついえるのは、意外とそのまんま東がマジでやってるし、公約(なにがマニフェストだ、破っても平気な顔しているのが前の総理じゃないか)にも具体的な数値を上げてアピールしている。まあ、僕としては親の七光り男が知事にならなければ今回はOKだと思ってるが、どうなるだろう。ところで知事候補は5人立候補してるけど、もう一人の人は良く分らんな。選挙運動もしてないようだし、宮崎と接点ないような気がするのだが。河野孔明さんのパターンだろうかって、地元でも選挙マニアのおじさんじゃないと知らないような名前出してるんじゃねーよ。反省して次回からはもっとマシなエントリーをアップすることを、有権者の皆様にお約束いたします。(声を大にして)私はウソは申しません!!

口は災いの元、ドライブでもなどと口走ったため

美味しかった鍋焼きうどん 泡が立ってます

 この連休は寒かった。日差しはまだ暖かいのだが、とにかく風が冷たく南国宮崎の山間部にも雪が降ったようだ。しかし、本格的に寒くなるのは2月になって巨人軍がキャンプに来てからだ。2月に入ると時にはコートでも着ようかという日が何日かはある。こんなことを書くともっと寒い地域の人からは人生舐めとるんかと怒られそうだが、僕も京都の冬の寒さは良く知ってるし、茨城の下館に住んでいるときは生まれて始めて水道管が凍るという体験もした。そうそう、走っている車のフロントガラスが徐々に凍りつくところを見たこともある。

 またまた、話が大きいんだからという声が聞こえてきそうだが断じてネタではない。あれは丁度30年前の77年の今時分のことだった。当時鳥取の大学に通っていた友人(S良君)と東京の大学に通っていた友人(S藤君)と僕の3人で冬休みが終わり、大学に戻るのにS良君の車で京都まで行こうという計画を立てた。京都、鳥取間というのは意外に車でも移動できる距離であるし、S藤君は京都から新幹線で東京に戻れるし、僕は京都直行で大変ありがたい提案だったので1も2もなく賛成した。ただ車が、僕の記憶ではスズキのフロンテ、S良君の記憶ではホンダN360というどっちにしても軽自動車だったので、全て陸送では持たないだろう(免許は僕以外の2名しか持っていなかった)との判断で、広島まではフェリーで行き、そこから中国縦貫道路で京都まで行こうと考えた。

 行きはお日様の日差しが暖かく、細島(日向市といって宮崎市から北に50キロくらいの距離にある港)のフェリー乗り場まであっという間だった。フェリーに乗るときちょっとスリルがあった。というのも港からフェリーに車を移動させるのに、板みたいなものを船に引っ掛けてあり、その上を前向きの車と後ろ向きの車と交互に船に入れ込む手配になっていた。もちろん車の所有者が運転して乗せるのである。つまり細い板の上の一本道を前向きに進む車は良いが、バックで進まないといけない車もあり、僕たちの車はバックの方だった。免許の無い僕は、その怖さが分らなかったが、今考えると左か右に切りすぎたら海の中である。なんども言うが板切れみたいな渡しの上を走るのである。

 S良君は窓から身を乗り出し、反対側はS藤君がしっかり見て何とかフェリーに乗り込んだ。しかし行きにその形で良かったのだ。逆だったら着いたときにバックで降りないといけないから、そちらのほうがスリル満点であったろう。フェリーが出たのが午後2時くらいだったか、もっと夕方近かったか、とにかくまだ陽はあった。運転者は2人なので、免許を持たない僕は気楽に自販機で広島名産のワンカップの日本酒を飲み、いい気持ちで酔っ払っていた。広島に着いたのは夜の11時くらい、もう夜中だった。誰一人広島に来たことは無く、地図も持ってなかったが国道を走れば高速に乗れるだろうとたかをくくっていた。高速に乗る前にセンターラインが良く分らず、中央分離帯に激突しそうになりながら、なんとか無事中国縦貫道路に乗れた。

 もう午前零時は完全に過ぎ、外は風も強く車内も凍えるように寒い。助手席に乗っていた僕はS良君に当然の如く暖房を、ヒーターを入れるように頼んだ。彼の返事はシンプルだった。「そんな贅沢なもんは無い」。耳を疑った。冷房のついてない車は当時それほど珍しくは無かったが、暖房は全ての車についているものと思っていたので(当たり前である)、「ふざけてないでさっさと暖房を入れろ」と今度はやや強い口調で言った。返ってきた言葉はさらにシンプルで「無いものは無い」だった。いや、人間持たない者は強いな、ということは世の中で一番強いのは自称ルンペンプロレタリアートの僕のような人間だななどと当時は全く思わなかったが、暖房が無いということに頭の理解がついていかなかった。多分この時点ですでに寒さで頭がやられていたのだろう。

 なぜ暖房がついていないかをS良君は、彼なりに説明した。もとから故障していたので安くで車を買うことが出来たが、お金の余裕が無かったので修理はしなかった。それでも別段不自由は感じなかった、みたいな説明だったと思う。確かに宮崎で走る分には、暖房が無くても我慢できなくは無いかもしれないが、ここは広島である。しかも高速を通って京都まで夜間走るという計画だ。無謀としか言いようが無い。しかし着るものを着こんで、下半身にはコートなどを巻きつけて何とか暖をとりながら走った。あまりの寒さに震えながら、それでもなんだかんだ喋りながら走っていると、フロントガラスに妙なものが見えて来た。最初は小さな点みたいな物がだんだん蜘蛛の巣状に広がってきて、えーとある程度昭和の時代の記憶が多い人なら分ってもらえるかも知れないが、テレビドラマの「コンバット」のオープニングテーマのときに(スターリン、ビック・モロー、アイアム、リック・ジェイスンのナレーションの後のところ)ヘルメットの部分に銃弾が何発も当たり、それが広がっていくシーンがあったでしょ、あの感じですっていっても分りにくいだろうな。レンタルビデオ店で1本借りて見て下さい。

 回りくどいわりに的確さに欠けるたとえで申し訳ない。しかし、最初それを見たときは驚いた。氷の結晶がフロントガラスに発生し始めたのだ。根っからの文科系の僕ではあるが、乏しい理科的知識を動員して原因を考えると、360CCの狭い車両に男3人が乗って話しているので、車内に大量の二酸化炭素が発生、それがフロントガラス越しに外のマイナス気温の空気に触れ、まず空気中の水分がフロントガラスに付きそれが急速に冷やされることで、現在進行形で氷の結晶が出来たということと違うか!どや!!と、慣れないことだけに力が入ったがここで、ひとつエセ科学を粉砕しておく。なにやら「水は何でもかんでもスーパースターよ」みたいな書物で、水に「美しい言葉!!」をかけるときれいな結晶が出来、「汚い言葉」をかけるときちゃない結晶が出来るとかいう連中がいるらしいが、この広島行きの車内では、およそここには書けないような罵詈雑言の嵐が飛び交った。そりゃそうだろ。当然あるはずの暖房が無く、歯の根が合わないくらい寒い思いをしていたのだ。誰かを呪わずして、恨みが晴れるわけが無い。

 しかして、そのダーティトークが跋扈する車内のフロントガラスに出来た氷の結晶は本当に美しく、見事な結晶であった。「こういう写真なんかでみたことあるな、なんとかなんきちとかいう随筆家、確か夏目漱石の弟子の…」「あー、高田浩吉」「そりゃ高田美和のオヤジだろ」「寺田ヒロオだっ」「それはスポーツマン金太郎」「寺田寅彦だ、トラヒコッ」はっきりとは覚えてないがこのような不毛かつ無内容な会話が続いているうちに恐ろしい事態が発生した。な、なんとその氷の結晶がフロントガラス全体に広がってきて前が見えなくなり始めたのだ。デフにして風を送るが、外の気温と対して違わない冷風のため全く結晶は溶けない。どうする、アイフルなどといってる余裕は無かった。しかも当時はそんなCMは放映されてなかった。

 苦肉の策で思いついたのが、ライターであぶるという手段だった。苦し紛れで炎を近づけてみると、なんと、結晶が溶けるではないか、うっすら水状になるではないか。即座にワイパーでふき取るが、いかんせんすぐまた凍りつく。こんな寒い場所で使うたとえではないが「焼け石に水」状態なのだ。しかし、この100円ライター、チルチルミチル、幸せの青い鳥作戦は結構正解で、フロントガラスに半径10センチくらいの透明なスペースを作り、そこから外を見ながら一路京都に向かったのだ。今考えたら、途中のパーキングで車を止めて、日が昇ってから改めて走ればいいものを、若いというのは一直線というか、考えが無いものである(それはお前らだけだという声が無くは無いが)。

 ところで自慢話をするわけではないが、「三国志」で曹操が水が無くて苦しんでいる軍団に「もう少し走れば梅園があり、そこで梅を好きなだけ取って咽を癒せ」と話しかけ、全軍がその言葉につばを飲み難所を突破したというくだりがあるが、この寒中突破の苦行中(こんなもの苦行以外の何物でもないな、今思うと)に、「今はつらいかもしれないが、これがいい思い出になって後で笑って話せるようになるんだ」などと一体何を考えてそんなことを言ったか趣旨が分らないが、とにかくそう言い続けて車内の気持ちをプラスに向けたのだ。後日、このときの話をするとお互い笑って話せるようになったのは事実だが。

 とまあ、こういう経験をしたことを思い出したのだが、実は今日書くつもりのエントリーはちょっと違っていた。今日は寒かったが日和が良かったので、日南海岸を久しぶりに配偶者と二人でドライブし、日南の「鍋焼きうどん」を食べてきたのだが、車内でのCDの選曲は注意しろという教訓話をアップするつもりだったのだ。というのも、以前同じルートを走っていたときに高田渡をかけて、夫婦間の空気が悪くなったことがあったので、今日は気を使った。気を使って小林万里子のCDをかけたのだが、その何曲目かに『男ばっかり、ええ目して。女は川で洗濯か!女は川で洗濯か!』というフレーズがあった。無意識に「そうや、女は川で洗濯や!」と思わずつぶやいてしまったのだ。えー、これは僕の本心ではなく、天国の西郷さんが「女子と小人は…」などとおっしゃってるので、っておんなじ落ちを使うな!!という教訓でもありました。

男とラーメンは九州たい又はキャンディーズ慕情

 「drac-ob君、キャンディーズば、見に行こうや」、熊本出身のT中君がそう言って来た。75年の確か6月くらいのことだった。T中君は僕の隣の下宿の人だ。彼の下宿は1階に高校の先生をしている大家さんが住んでおり、宮崎出身の女傑という言葉がぴったり来る大家さんだった。御歳50歳位だったか、生涯独身で下宿人と一緒にマージャンしたりする男顔負けの気風のいい人で、2階を下宿屋にしていたが九州出身の男しか入居させなかった。おかげでその下宿に行くといつも博多弁、熊本弁、長崎弁、佐賀弁に宮崎弁が飛び交っており、一瞬今どこにいるのか判らなくなる不思議な空間だった。

 しかし、最近でこそハナワ(先日配偶者がテレビを見ながらいきなり『埴輪が、埴輪が』と言い出したので、何かの祟りかそれともテレビで何か歴史モノでもやってるかと思って覗いたらバラエティで、ベースを持った角男が仁王立ちしていた。は、な、わ、だ)や、「がばいばあちゃん」などでやや脚光をあびている佐賀県だが、かっては九州の人間でもその所在地を地図上に明確に示せないというか、化け猫と福沢諭吉以外に何かあるのかと言われたくらいのド○○であった(九州人同士の無用な摩擦を避けるため、「田」という字と「とねり」という字を自粛しました。気配り、気配り)。

 その下宿にも不幸な佐賀県出身の男がいた。T永君といって黒縁のメガネで背がやや低く小太りの愛嬌のある体型の上、下宿の新歓コンパ(隣の下宿生の僕もそこの大家さんの招きで参加していた。その大家さんと知り合ったいきさつは前のエントリーで書いたとおりだ)のときに「僕は京都で生活する間もずっと佐賀弁を忘れとうなかです」と言い切った生粋の佐賀人で、周りの連中からは愛嬌をこめて名前でヒトミちゃんと呼ばれていた。あるときT中君と僕と他の2~3人でヒトミちゃんをからかっていたときだ。その下宿は机とたたみ1畳分のベッドと押入れが備え付けで、3畳くらいの狭い部屋だった。その狭い部屋に大の男が6人くらいでふざけあっていたのだから、若さのなせる業だったのだろう。とにかく「佐賀は田舎だ」と(福岡や熊本はともかく、佐賀と大して変わらない田舎の宮崎出身の僕が言うのもなんだが)ヒトミちゃんをからかっていたら、ふてくされてしまった彼が急に「モーニング」とか叫んで布団を引っかぶってベッドに寝てしまった。からかっていた僕たちはびっくりして「ヒトミちゃん、モーニングって今は夜中や。何わけのわからんこと言うとるん?」とこちらは覚えたての関西弁を流暢に駆使していると思い込んでる九州人(オレだよ、オレ。悪かったな)が聞いた。他の連中もヒトミちゃんの説明を聞こうと悪ふざけを止めていた。

 「『モーニング』やら言うとらんよ。『もうにゅ』って言うた。『もうにゅ』ちゅうとは『もう寝よう』という意味の佐賀弁たい。あんたたちももう大学生やけん、馬鹿な真似は止めて自分の部屋に帰らんね」とヒトミちゃん。一瞬静かになったが、「なーん言うとるか、きさんは(こういうニュアンスだったけど、燐さん久留米弁も同じ?)」とかなんとか福岡の男が言うや否や全員でヒトミちゃんをフクロにしたのは言うまでもない。そのときにひときわ凶暴だったのが熊本出身で、準硬式野球部に所属していたT中君であった。それ以来彼とは仲良くしておこうと僕は心に誓っていたのだ。ところでまた脱線するが、T中君の野球の技術はかなりのものであったらしく、野球部の先生からしょっちゅう同好会の準硬式を止めて硬式をやれと勧められていたらしい。ただ高校時代に甲子園を目指して野球漬けだったのと、やはり大学の野球部は練習が厳しくレギュラーになるにはその中でさらに熾烈な競争があるからといってその誘いを断っていた。

 あるとき、まだ大学に入ってすぐだから5月の連休前だったか、僕の大学はグラウンドがないことで有名で、体育の野球などはキャンパスの真向かいにある御所で授業があった。今はどうかしらないが当時同好会だった準硬式野球部も御所のグラウンドで練習をしていた。いくら上手いとはいっても1回生だったT中君はバットをその練習場に持っていくのが毎日の仕事だった。ところがその日T中君はどうしても避けられない用があり、練習に行けなくなった。そのことは先輩に連絡しておけばたいしたことではないが、問題は練習用のバットの大部分を彼が下宿に置いていたことだ。バットが足りないと練習に支障が出る。そうなると次の練習のときに体育会特有のリンチでボコボコにされる(ウソです。体育会というのはそういうイメージだよなという文化系の人間の偏見です)。それは困るので代わりにバットを御所まで運んでくれと僕に頼んできた。「嫌だ」と断って僕がボコボコにされるのは、そのほうが嫌だったので(ここもウソです、マジで取らないでね)自転車でバットケースごと御所まで運んだ。

 ご存知の方はご存知でしょうが、京都御所は広い。練習場の場所は聞いていたが、どうもそれらしい場所に行けない。時間は過ぎていくし困っていると、向こう側から自転車に乗った警官が来た。渡りに船だ、場所を聞こうと思って近づくと、向こうも自転車を止めてこちらを凝視している。お断りしておくがこの頃の僕は、オマワリに対してなんら敵意や反感など持っておらず、それどころか「今日もニホンに平和が来るのは駐在さんのおかげです」などとご飯のときは手を合わせていたくらいウブだった(いやー、明らかにウソと分かりますな、ま、ここまでウブではなかったが田舎の純朴な青少年だったのである程度こういうところもあったかもな)。

 警官に近づき「すいません、○○というグラウンドに行きたいんですけど…」とにこやかに聞くと、相手はいきなり僕の自転車のハンドルを掴み、「何しに行くの、何持ってるの、君何回生?学部は」などと速射砲のように聞いてきた。どうやらバットを見てどこかのセクトのゲバ訓(ゲバルトの訓練の略)とでも思ったらしい。一体全体バット5,6本で何が出来る、またゲバ訓やるような奴がオマワリに道を聞くかと後で考えるとアホくさい話だが、そのときの相手の目つきは真剣だし僕は僕で親切なおまわりさんだなと思っていたから世話が無い。結局、同好会の練習にバットを持っていくということを理解してもらいグラウンドまでの道を教えてもらったが、しきりに名前や学部、学年などを聞きたがるし学生証を見せろなどと言うのでいい加減うっとうしくなり、場所は分かったから一人で行くといってハンドルの手を振り切った。流石に文句は言ってこなかったが、最後まで一定の距離を保ちながらついてくる姿には不気味なものを感じた。

 下宿に帰って、T中君にその話をすると大いに受けた。「石でん、投げつけたら良かったい」などと体育会系にしてはカゲキなことを言った。それから少し日にちがたって、キャンディーズのライブに誘われたのだ。場所は京都S大学のキャンパス、フリーコンサートだったか、T中君がおごってくれたのか忘れてしまったがお金を払った記憶は無い。もしかしたらこのときのバット運びの駄賃で招待してくれたのか、今は確かめる術も無い。

 さて、そのコンサートの当日は、開演時間より1時間は早く電車に乗った。当時は京福電鉄であった叡電である。小さな小さな電車ではあるが、当時のキャンディーズの人気は凄くむさくるしい野郎どもが鈴なりの状態で乗っていた。二軒茶屋の駅で降りてそこからS大のキャンパスに向かうのだが、結構な坂道で距離もあった。その長い道を黙々とヤローどもが歩いているのだ。当時の流行の長髪(ロンゲなどというものではない。ただ長いだけ、下手すると臭いことが多かった。なんせヒッピームーブメントの名残があった頃だから)もいれば、スポーツ刈りの体操のお兄さんみたいなのもいるし、とにかく女の子の姿はまったく見かけない。みんな押し黙って坂道を歩いていたので、見た人は不気味だったに違いない。

 キャンパスに入る坂を上っていると左右に学ランを来たアンちゃんたちが手を後ろに組み等間隔で並んでいる。会場警備の応援団や体育会系のちょっと怖そうなアンちゃんたちである。広場みたいなところに仮設ステージが作られており、その前の地面に座り込んで開演を待った。客の入りは多分千人は軽く超していたのではないか。下手すると二千人くらい入っていたかもしれない。陽はすっかり落ちて、周囲の大学の建物の明かりも消えて、通路の防犯灯とステージを照らす照明だけがまぶしかった。開演時間を過ぎたが、一向に始まる様子が無い。たいていこの手のライブでは前座が出て客を盛り上げるものだが、どういうわけかそのコンサートには全く前座が無かった。こうなると我慢が出来ない男の子たちである。いやヤローどもである。あちこちから「まだかー」「えー加減にせーよ」「ランちゃんを出せー」「キャンディーズ」など口々にわめき始めた。

 警備をしているのは当時ガラが悪いことで有名だった京都S大学の応援団(今はどうか知りませんが、当時は「嗚呼、花の応援団」を地で行く雰囲気でした)をはじめとする体育会系の連中である。一部の客と小競り合いが始まった。僕のそばにいた7,8人くらいのグループも警備の応援団員に「いつになったら始まるんじゃ、ボケェ」などと文句を言い始め、それを受けた応援団員が「文句あるならこっち来いや、前へ出て来いや」とか「嫌なら帰れ、このドアホ」とか口げんかが始まった。あちこちで怒声が聞こえ始めたとき、会場のスピーカーがこう言った。「あー、ただいま一部の客が暴徒と化してる様子です。空手部の○○主将、部員を前に集合させて下さい。柔道部の××主将はステージの西側の…」。反乱分子を力で抑え込もうという狙いらしい。流石に文句を言ってた連中も少しおとなしくなったり、なかにはブチ切れてしまい「こんなコンサート見れるか」といって帰った連中もいた。

 会場の雰囲気が一気に悪くなったそのとき、ステージに一人の痩せた背の高い男が出てきた。「みなさーん、こんばんは!!元あのねのねの清水国明でーす」。京都S大学が生んだ、フォークグループというかお笑いコンビというか、当時単位を取るために活動を休止して大学に戻っていたあのねのねの国明がこのすさんだ雰囲気を変えるために飛び入りでステージに上がってきたのだ。今でこそ、ブックオ○のCMかアウトドアのレポーターとしてのイメージしかないが、当時の清水国明はまだまだナンセンスな面白さを持っていた。自分は大学5回生だが、単位を取るために日夜頑張っているとか、キャンディーズはみんな良い子だからこのステージを盛り上げてくれとか15分くらいトークで場をつないだ。あのねのねの曲は歌わなかった。「流転の歌」でも聞きたかったが、ギターすら持ってなかったようだ。

 国明が下がって、なんとなくもうすぐキャンディーズが出てくるといった予感めいたものが会場に広がったそのとき、誰かが「あっ、キャンディーズがいた」と叫んだ。見ると真っ暗だったステージの横にある建物の5階あたりの部屋に明かりがついており、こちらを見ている人影があった。「あそこ、キャンディーズの控え室ちゃうか」とか「今、ランちゃんと目がおうたで」とか「わっ、スーちゃんが見えた」「ミキちゃん今パンツ履いてるとこやで」とか妄想というのは恐ろしいというか、集団催眠、トランス状態とはこういう状態かと思われる狂気の叫びがあちこちから聞こえた。それからちょっとするとバンドの音が響き始めて、ステージに3人の女の子がダッシュで飛び出してきた。

 「私たちキャンディーズでーす」とかなんとか言ったかと思うと、いきなりメドレーで歌い始め、長時間待たされた客は狂喜乱舞というか最早パニックといえるような集団ヒステリー状況であった。横を見るとあの「肥後モッコス」のT中君も目が飛んでいる。僕は正直言うとその時点ではあまりキャンディーズに興味は無かった。彼女たちの良さが分かったのはテレビの「見ごろ、食べごろ、笑いごろ」を見始めてからだ。その頃の僕は、アグネス・チャンとか西崎みどりのアルバムを良く買って、いやそんなことはどうでもいい。とにかく熱狂的なライブは1時間も無かった。30分くらいのものではなかったか。それでもショーアップされたステージは見ていて十分楽しめた。

 コンサートが終わった後、まるで去勢された牛のような男どもがとぼとぼ坂道を下って電車の駅まで歩いていく姿は、難民収容所を出て強制労働に赴く奴隷のように見えたに違いない。と、ここまで書いてきて何か忘れているような気がしてならない。そうだ、本当は76年の古井戸のライブの話につながるはずだったのに、いつの間にかキャンディーズだけの話で終わってしまった。続きはまた今度というわけで、足掛け2年にわたる大長編青春物語はまだまだ続くのだった。

所詮、小吉の幸せだけど、そんなものよ人生なんて

恵比寿様 コインがのせてある

 今日は仕事始めであった。とはいえ、朝礼をして全員で初詣に行って、この年末年始の間にあった雑件を処理して終わったので、昼には帰宅した。年末年始の休暇というのは、大晦日までは結構ゆっくり日にちが過ぎるが、年が明けるとあっという間に出勤日になるような気がするが、あなたどう思いますか(これ、前も使ったな、進歩がないといわれそうだが、こういうのを毎回繰り返していくことで芸は磨かれ、偉大なるマンネリなどと…誰も評価しないわな、罠、罠、罠―に落ちそうって昔ヒットしたよね)。初詣といえば宮崎市は圧倒的に宮崎神宮に参拝する人が多いのだが、僕の会社は一ツ葉の稲荷神社にお参りした。商売繁盛、笹もってこいってやつだ。或いは♪コンコン、コンコン鳴くのはキツネか狸(by加川良)のお稲荷さんである。

 この手のイベントというか、風習は面倒でたしか去年はどこにも初詣に行かず、家族には「武蔵も『神仏を尊んで、神仏を恃まず』と言ってるではないか」と煙に巻いて、例によって家族全員から顰蹙を買った話は本題とは関係ないので止めます。したがってこの一ツ葉の稲荷神社も来たのは多分10年ぶりいやそれ以上に間はあいてるだろう。宮崎神宮ほど人も多くなく、車を止めるとすぐ境内に入れるので、参拝するのに時間がかからない。本殿にお参りした後、隣の恵比寿様も拝んでおみくじも買って無事イベント終了であった。そこで引いたおみくじが招き猫の、あれはなんというのか、携帯ストラップにくっついてるような小さな人形みたいなのが袋に入っていてかわいらしかったのと、やはり昨年の態度は一家の課長じゃない、家長としては大人気ない態度であったから、ここはひとつ家族もこの神社に連れてきて参拝させ、そのあとイ○ンのショッピングセンターでも連れて行けば、所詮女・子供のこと、他愛なく喜ぶだろうと、いえいえ、僕が思ったのではなく天国の西郷さんがそう言えと…、こういうことを書いているといつか中ピ連の人がピンクのヘルメット被ってやってきてって、今時の人はそもそも中ピ連そのものを知らないな。

 えーと、例によって話が進まないので強引に進めると、昼食後に雨はぱらついていたが、家族を連れて初詣に行き、えべっさん、このアクセントのほうが親しみを感じる、の銅像にさわり(ほら、身体の同じところに触るとご利益があるというじゃないですか。上の子はえべっさんの頭を撫でて、賢くなるよう祈ってたようだ。僕も頭を撫でたが、それは決して髪の毛が増えて欲しいなどということではない。自慢ではないが僕は小さい頃から額が広い、いわゆるハイブロウだったのだ。今更デコが出ていることなど気にしてない。カシコイ人はみんな額は広いなどと書き続けていると痛くも無い腹を探られそうなので、ここは飛ばして読んでください。でもどうせご利益があるのなら下腹部を、こらこら何を書いているのだ)、その足でショッピングセンターに行ったが、まあ人の多いこと。雨降りの休みはどこも行くところが無いのか、帰省客は大部分帰っただろうが、かなりな人ごみでした。例によって僕はタ○レコの店舗に入って固まっていたけど、配偶者と子供たちは適当に買い物を楽しんだようだ。
招き猫のミニチュアが入っていたおみくじ

 ということで、今日の日記は終わろうと思ったが、おっといけねーここ何日かで嬉しいことがあったので、続けて書いておこう。というのも昨日昼くらいにメールチェックをしていたら、佐藤澪さんからメールが届いてるのを見つけてびっくりした。読んでみると内容は僕が年末のエントリーでブログを通じて知り合った人の中に澪さんのお名前を入れていたことに対するお礼であった。以前「またれい。」がコメントを受け付けていたときに、高田渡のことや「いせや解体」のことでコメントしたことがあり、そのときこちらのURLを貼り付けてはいたが、まさか読んでもらってるとは夢にも思わなかった。びっくりしたのと嬉しかったのですぐ返事を書いた。

 それと、僕のHNにしているDRAC(『D大学レコード音楽研究会』の頭文字から来ている名前で「ドラック」と発音します。「ク」のところは決して濁らないようにご注意ください)の後輩連中と連続して連絡がついて、懐かしい声を聞いたりメールを貰ったりして、一気に20年間のブランクが雲散霧消しそうな勢いである。以前コメント貰ったchaさんとは、本当はご主人の声も聞きたかったのだが(ご主人は僕が5回生のときの1回生、sugarmountain氏はご主人の同期生、奥さんのchaさんは僕が6回生のときの1回生である。5回生、6回生めったに聞けない学年であるが、決して大学院に行っていたわけではない。どんなもんじゃい©カメダ長男)、夜長いこと話してしまった。DRACの関係者の近況であるが、ちょっとここには書けないようなネタもあった。裏が取れてまた書けるタイミングがあればアップするかもしれない。

 またsugarmountain氏は例によって、例の如く先輩を先輩と思わないというか、元文学部の癖に「長幼の序」という奥ゆかしい礼節も知らないような対応であったが、お互い結構濃い音楽関係でありながらも、「drac-obさんがこんな音楽聴いてるとは夢にも思いませんでしたわ」などという会話も交わしながら、近いうちに会おうというような話もした。このほかにメールをくれたK君(以前『フォーリーブスに彼と同姓同名の人がいる、漢字はちょっと違うけど。』と書いた彼です)や、S堂君などの情報は大変ありがたくこれからのネットコミュニケーションに大いに役立たせてもらおうと考えている次第です。

 と、ここまで書いて大変なことを思い出した。76年の古井戸ライブアット京都大学フューチャーリング太田裕美の話の続編を書いてなかった。しかもその話を書くときに75年のキャンディーズ(!!)ライブアット京都産業大学スペシャルMC元あのねのね清水国明の話もアップしようと頭の中では、大長編のネタがあったのに、ああ、もう寝る時間だ。さてこの続編はどうなるか、乞うご期待!!(このパターンも去年使ったような…。いやいやこの繰り返しが偉大なるマンネリ、ステアウェイトゥ人生幸朗であるって何のこっちゃ)


今年はこういう軽いタッチのエントリーを入れてみよう

悲しいとき~今更古いネタをアップされたとき~

 今日ちょっと目にとまったニュース。BARKSの音楽ニュースでこういうのがあった。以下引用。

聴いていると悲しくなる曲トップ10
1月2日5時11分配信 BARKS

英国の音楽と生理心理学の専門家が、悲しい曲を聴いたときの身体の反応を分析。その結果をもとに悲しくなるトラック・トップ10を発表した。

ハリー・ウィッチェル博士によると、人は悲しいメロディを聴くと心拍数が下がり、ため息を多く吐くという。逆にアップテンポな曲を聴いたときは、楽しい思いに浸り、呼吸も激しくなるという。

ウィッチェル博士が発表した悲しい曲トップ10は以下の通り。

1.ヴァーヴ「The Drugs Don't Work」
2.ロビー・ウィリアムス「Angels」
3.エルトン・ジョン「Sorry Seems To Be The Hardest Word」
4.ホイットニー・ヒューストン「I Will Always Love You」
5.シニード・オコナー「Nothing Compares 2 U」
6.ウィル・ヤング「Leave Right Now」
7.エルヴィス・プレスリー「Are You Lonesome Tonight?」
8.クリスティーナ・アギレラ「Beautiful」
9.ジェイムス・ブラント「Goodbye My Lover」
10.レディオヘッド「Fake Plastic Trees」

博士によると、これとは逆に聴いていて最もハッピーになるのはリリー・アレンの「LDN」、元気がわいてくるのはブラーの「Song 2」だという。

Ako Suzuki, London



 読んだ後の感想。「ふーん、で?わざわざ心理学のセンセエから教わらなくてもそんなことはとっくに解ってたことだけど」。

 各楽曲に対するコメントはありません。僕はパッフェルヴェルのカノンを聞いたら悲しくなります。「悲しいとき~、心理学の先生に悲しい曲を聞かされたとき~」(ちょっと古すぎるかな)。あなたにとって悲しい曲は何ですか? 

2007年のごあいさつ

 お正月である。謹賀新年である。今は「あけおめ」とか「ことよろ」などと略して言うらしいが良く分からん。その伝でいけば謹賀新年は「きんしん」でありその後に「憎悪」とか「相姦」などとつい続けて言ってしまいそうで、こちらはあまりめでたくは無い。まあいいか。とりあえず、皆さん明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。などと、しおらしくスタートしたが昨年末から、元日にかけての記録を本年第一弾にしたい。

 毎年年末は実家に家族総出で泊まりに行き、年越しそばを食べて翌日一緒に雑煮を食って年始を祝うというのが我が家のここ十年以上の習慣になっている。今年は配偶者の調子が悪く年末いっぱいまで大掃除や片付けなどをしていたら、風邪がぶり返したらしく動けなくなってしまった。実家で毎年恒例の嫁対姑の「仁義なき戦い 宮崎死闘編」が見れないと年を越した気がしないのだが(ウソです。たいていのダンナは嫁と姑の争いに対しては永世中立国スイスの立場を堅持しておくしか方法はなく、無責任に「やれやれ」などと囃そうものなら、突如米ソの合体が起こり永世中立国の平和はもろくも崩れ去るという歴史の教訓は何度も体験しました)、しょうがないので子供二人と一緒に実家に向かった。配偶者は一人でのんびり年越しであるが、こちらは昭和一桁と平成生まれに囲まれて落ち着かないことはなはだしい。

 そういう事情があって、またブログの更新もしてなかったので昨年末のエントリーに書いたように、インターネット喫茶に逃避していた1時間51分というわけだ。ブログのエントリーも無事アップして、夕方実家に戻ると我が家の娘二人の機嫌が悪い。普段家事の手伝いなどしたことが無いので、母から(彼女たちからすると祖母だが)叱られっぱなしだったらしい。我が家では鬼畜米英のイデオロギーである「民主主義」とか「男女同権」などといって、食器を洗ったりご飯を炊いたり買い物に行くのはたいてい僕の仕事なのだが、流石に実家では美しい日本の正しい風習である「男尊女卑」、「男子厨房に入るべからず」といった言葉が飛び交う(ここ、ギャグですから、マジにならないようにおねげーしますだ。オラ男の人も女の人も同じ人間(ひと)だと思ってますだ。「話してもわからない、論理だった思考が出来ない」なんて思っても口に出しては、いや、あわわわ。決して女の人を「サベツ」する気持ちはねえだよ。所詮「女子と小人は養いがたし」なんてオラ思ってねえだよ、けだし西郷さんは名言を残したなどと心の底から思って、いやいや、オラが言ったのではねえだよ。オラの口に神様が降りてきて…)。

 まあ、そんなこんながあったので娘二人は大変機嫌が悪かった。流石に母も孫たちに言い過ぎたと思ったのか、話題を変えて風呂が沸いたから入れと言ってきた。上の娘から入ろうとすると「お父さんが一番じゃが」とまた余計なことを言い出した。「なんでね。男の人も女の人も平等って習ったが!」と下の娘。また一波乱起こりそうなときに上の娘が言った。「お父さんが最初に入るとお湯が汚れる」、このセリフに全員が黙って納得したって、オレはオモライクンかっ!

 とにかく風呂も入り終え、晩御飯も終わり家族で紅白を…見るわけもなく、子供たちは2階でゲームを、僕は一人本を読み、「ゆく年くる年」の鐘の音と同時にそばを皆で食べて無事年を越したのであった。それから寝ようとしたが普段と違う枕のためなかなか寝付けず、しょうがないのでテレビをつけたら、猿回しじゃなかった、ダサマサシでもないさだまさしが深夜放送スタイルで喋ったり、はがきを読んだり歌を歌ったりする番組をやっていた。最近パンタが「オレは裏さだまさしかもしれない」などと発言したのを読み、なるほどそういう見方が出来なくは無いなと思いながら見ていたら、さだの話し方が誰かの話し方に似ていることに気がついた。誰だ、誰だ、誰だと思わずガッチャマンの歌を口ずさみながら考えていたら、ハッとひらめいた。「おぎやはぎ」の「やはぎ」の喋り方だ。

 我ながら良いところに気がついたなと思いつつ番組を見ていたら、昔僕がさだまさしに似ていると言われたことを思い出して、だんだん不愉快になってきた。自分のことを美男子と思ったことは一度も無いが、さだまさしといわれたときには心底がっくり来た(いやルックスじゃなくて彼の歌う一連の歌、たとえば「精霊流し」とか「無縁坂」とか「海は死にますか、山は死にますか」とかいう歌が嫌いでして。特に「海は~」については確か元全冷中の誰かが「死ぬ。海も死ぬ、山も死ぬ。形あるものは全て死ぬ。それが仏の教えだっ!」と明確に論破した文章を読んで快哉を叫んだことがあった)。顔については「ひげの無い山本晋也(ほとんど病気というフレーズを流行させた映画監督)」ともいわれた。こちらは「トゥナイト」という今は無き深夜番組を見ていたときに確かに似ているなと思ったこともあった。どっちにしてもいい男ではないが、「かまやつひろし」や「豊田勇造」にクリソツだったS戸君よりはマシであろう。そうそう、75年くらいに髪が肩まであった頃は上田正樹に似ているといわれたこともあったってこのネタはもういいか。

 さだまさしが何か歌ってる間に眠気が来てようやく寝付いた。翌朝は雨というか天気が崩れると聞いていたが、朝日がさしこみ初日の出は拝めたようだ。10時過ぎくらいに遅い朝食、お雑煮をたべお屠蘇を飲みぐたぐたしているうちに妹夫婦が男の子二人を連れて年始に来た。こちらは小学生の遊び盛りの男の子なので騒々しくてたまらない。早速2階に避難しようとしたら妹が1枚のディスクをくれた。すっかり忘れていたが先日NHKのBSで放映されたニルソンの録画を頼んでいたのだ。こちとら30年以上NHKの不払いを貫徹しているので、我が家ではBSは映らないのだ。ところで、その受信料だが昨年末、初めて払った。別に告発うんぬんという脅しに屈したわけではない。民放のテレビのあまりにひどいのに比べて、まだNHKのほうがバランス感覚の取れた番組をやることがあるというか、これ以上秤量攻めでお国のための番組ばかりにされたら困ると思い、カンパのつもりで払ったのだ。したがって口座引き落としにはしていない。異議があるときはいつでも不払いに戻るつもりだ。ところでNHKとの受信契約はしていないはずだが、手続きはどうしたのだろう。回収の担当者が三文判を買って、適当に作ったのであろうか。このあたり1月にまた集金に来るはずなので、こちらの虫の居所が悪かったらオラオラと突っ込んでやるつもりだ。

 話がそれたが、毎度のことなので気にしない、気にしない、一休み、一休み(©一休さん)。お正月にはつきもののお年玉交換会も無事終わり、子供を連れて家に帰ると配偶者の血色がいい。一日寝て好き勝手していたので体調がよくなったのであろう。こちらは新年のコメントを書くためにPCに向かったが、ニルソンのDVDがあったと思い早速セットしたら、「クラシック・ロイヤルシート」なる番組が出てきた。あれ、と思っ見ていると「孤高のソプラノ ビルギット・ニルソンの生涯」とタイトルが浮かんできた。「ハリー・ニルソンじゃなくてビルギット・ニルソン、こりゃまた失礼しました~」と頭の中の植木等がズッコケたが、僕は自分の見間違いを棚に上げて再度不払いを始めようかと一瞬真剣に考えたのだ。音楽関係ではこのあとパンタの「CACA」のDVDを見たが、こちらは大正解。アルバムで聞いたときにはコンパクトにまとまっていた曲が生き物になって、つまり新たな生命を得てグイグイ迫ってきた。やっぱりパンタはライブだ。56歳でこの迫力である。僕もまだまだ老け込むわけにはいかない。

 それから、年末にDRACの後輩から貰ったメールに書いてあった友人・後輩諸君に寒中見舞いを書いてポストに投函した。あとは彼らがはがきを読んで返事を出してくれるのを楽しみにしようと思っていたのだが、同級だったN谷君(グリコ森永事件のキツネ目の男にクリソツ、一時南九州では「あいつが怪人21面相だったらしい」というデマが飛び交った。といっても僕と鹿児島に住んでた先輩の間だけだが)にはちょっと話がしたくなり電話をした。20年ぶりくらいだったので最初は「誰や、お前は」みたいな反応だったが、一言二言言葉を交わすうちにすぐに学生時代の間柄に戻った。驚いたのは僕がブログをやってることを既に知っていた。sugarmountain君のブログで知ったらしいが、だったらコメントのひとつでも書いて来いと思ったが、まあそういうところがDRAC流なのだと納得した。

 えー、年が変わっても相変わらず下らないことを書いてしまったが、今年もマイペースで更新していきます。皆さん暖かい気持ちで応援してください。年の始まりだからと気負ってマニフェストを書くなんて柄じゃないし、第一そんなものが続くはずも無いので、ぼちぼちいこか!!カモンねーちゃんドウザ○○○ウィズミー!!

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