最後までまとまらないというか本題はないが…

 油断もすきもあったもんじゃない。気がついたら、大晦日だ。この分だと明日は元日であることは九分九厘間違いない。ということは長年使ってきた2006年とか平成18年という記号(あんなもん、記号だ。人間一度に歴史を覚えきれないから勝手に区切ってるだけだ、と思ったが、地球の自転だとか1年は365日だとか太陰暦だの太陽暦だのわけのわからない単語がフラッシュバックしてきたので、ただいまの発言は暴言であったことを認めるのにやぶさかではありません。と長々と、足取りの尾のしだり尾の長々し夜を一人かもねんと饒舌の限りを尽くしているのは、実は今ネット喫茶でこれを書いてるので、タイピングの練習も兼ねてのことだ、許せ)が、本日24時をもって見事終了、打ち止め、ジ・エンド、じすいずじえんどまいふれんどである。

 えー、こういう場合普通は一年を振り返って重大ニュースかなんかやるのがパターンである。そこでいつもはへそ曲がりの僕ではあるが、ここはひとつ大人になって重大ニュースというか、今年の総括を大急ぎでやってみたい。というのも、28日にRCと古井戸の話をチラッと書いたので、本当はその続編を書くつもりだったが、うっかり更新をサボってるうちに大晦日になったので、その話は来年まで持ち越しという、壮大な続編に注目せよという予告編だけ打っておく。いや、パンタのCACAも出たことだし、続きとか続編とか、パート2というパターンはやめておこうと思ったのだが、来年はそういうことがないようにって毎年そんなことを言ったり書いたりしてませんか、あなた方はって誰に言ってるんじゃ。

 さて、気を取り直して今年の重大ニュースというか、本年の総括であるが、まずはこのブログが無事年末まで続いたことを、親愛なる同志、友人諸君に報告しておきたい(なんだか言葉遣いが違ってる、総括などという単語を使ったのが間違いだったか)。もともとは今年の1月から4月の半ばまで、職業訓練で一緒だった年の離れた友人たちへのメッセージとしてスタートしたので、当初はブログのタイトルも違っていたし、そもそもパスワードを設定していたので、閉鎖された空間であった。その中で大学時代のサークルの先輩(ネット上で知り合ったので全く面識はない)であるsawyer氏や、こちらは面識どころかよく飯や酒をおごってやったり、一人では怖くては入れない場所(どんな場所や!)を一人で行けるように厳しく指導してやったsugarmountain氏などが、ちょくちょく訪問してくれるようになった。そのうちに訓練校のみんなもそれぞれ忙しくなったみたいで一応夏の同窓会をもって、僕の中では当初のブログの役割が終わったと判断して、これからは自分の表現の場としてのブログに転換して行こうと9月からはタイトルを変え、パスワードをはずして開かれたブログにしたのだ。

 これを書いている本人は全く代わってないので8月までのエントリーと9月以降のそれとの間に違いはほとんどない。しいて言えば8月までは訓練校の友人たちの名前(もちろんイニシャルであるが)がよく出ていたことくらいか。あ、誤解してほしくないのは訓練校のみんなを相手にしないとか言うことではなくて、もっとオープンなブログにしていきたかったということです。だから、コメントはどんどん下さいね。ニシタチ(宮崎唯一の繁華街というか飲み屋街、宮崎人でここを夜歩いて知り合いに会わないやつはモグリである)であったら気軽に声をかけてね。そのときはみんなを立食パーティに招待しよう。立ち食いそば!(by ダンディ坂野 ゲッツ!)

 えー、気を取り直してその後のことですが、下手なブログも継続していけばいろいろあるもので、二十年ぶりのサークルの後輩からのコメントや、かって同時代に別館にいたguevara129さんからのコメントはびっくりすると同時にブログ継続の強力な援軍であった。またいろんなブログを見ていくうちに自分の好きなブログ、とりわけ自分では決してかけないようなブログの管理人の方々とも知り合うことが出来た。駆け足ですが、黒木燐さん、もりさん、猫だぬきさん、狸さん、dahliaさん、Tasaki。さん、佐藤澪さんその他たくさんのブロガーのみなさんありがとうございました。来年も楽しい(いやテーマによっては重いけど避けられないものもありますが)エントリー期待しています。

 それからmixiに招待してくれたderiさん、おかげさまでウシャコダの珍教祖とリザードのモモヨさんとマイミクになれました。半年前では考えられないことです。感謝しています。ほかにもたくさんの人たちからメッセージやコメントや励ましを頂いて何とか続けて来れました。来年も今年以上のパワーで懐かしの70年代ネタをアップしていくつもりです。そうそう、belmie2001さん、今日○来軒に行ったら東村アキコそっくりな人がいたけど、寄生虫じゃない帰省中なんでしょうか。ちょっとまとまりませんが皆さん良いお年を!!

 そうそう、ちょっと早いけどお年玉。今年一番気に入った韓国のユニット”Hachi&TJ”のビデオをどうぞ。これはこのブログの最初のエントリーに登場した内田カンタローのブログから失敬してきました。ハチはカルメンマキ&ORZ(by 猫だぬきさん)じゃないOZのギターだったというかRCでも一時期ギター弾いてたし、白竜バンドでもリードを、えーいきりがない、春日ハチ博文だっ!
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君が僕を知ってる by RCサクセション

 今日は更新をしないつもりだったが、昨日猫だぬきさんのブログで76年12月のRCサクセションライブアット京都府立体育館を見てしまい、不覚にも泣いてしまった。そのときに自分のブログに書こうと思ったが、時間も遅かったし明日書くことにして寝てしまった。それで今日になるのだが、最近あちこちにコメントを乱れ撃ちする癖がついてしまい、そのコメント返しを読んだり、さらにそのレスを書いたりしているとあっと言う間に「良い子はもう寝る時間」になってしまう。生まれも育ちもいい「ええとこのボン」である僕は、どこぞのおねーさん方のように零時を回ってからゴソゴソ動き回ることが出来ない…。なんか書いててとても恥ずかしくなったので止める。

 えーとそのRCの映像なのだが、まずは「スローバラード」を見て(聞いて)欲しい。画像はほとんど乱れているが、声も音も確かにRC、若き日のキヨシローである。次に「ダーリンミシン」。そして「わかってもらえるさ」である。ここでのキヨシローのMCが泣けたんです。今でこそGodなんていわれてるキヨシローだけど、シングルが数ヶ月で廃盤(アルバムもだけど)、それにも負けずに「わかってもらえるさ」と言い切る強さ。本人のインタビューなど読むとこの頃は女に養ってもらってた、いわば「人間のくず」状態だったけど、後のエレクトリックRCよりもジンとくる曲をいっぱい作っている。かといって下積み時代が最高だなんていう気はさらさら無いのだが。

 正直に言うとこの時代の頃はRCサクセションというと「僕の好きな先生」と「泥だらけの海」しか知らない。日本のフォークが四畳半フォークなどと呼ばれ、だんだん下火になっていったと言うか「ニューミュージック」などというわけのわからないものに変質していってた時期なので、積極的に聞いてはいなかったのだ。しかし、丁度76年の11月くらいだと思うが、京大の学園祭で太田裕美のミニコンサートがあり、その前座に古井戸が出た。

 えーと、だめである。やっぱり「ええとこのボン」は眠くて今日はアップできません。続きはまた書くからごめん。と、ここまで書いて何か動画を貼ろうと思ったら、とんでもないものがあった。79年の古井戸の解散コンサートにキヨシローとリンコが参加して、チャボのギターで「スローバラード」をやっていた。チャボのMCがいかにも彼らしく、RCと加奈崎芳太郎どちらも傷つかないようにアピールしている。多分消される可能性が高いので早めに見てください。それから、古井戸の演奏も貼っておきます。



年は忘れてもいいけど…

パタリロ

 昨日ブログを書いた後に妙な違和感が残った。というのも、僕が最初に書こうと思った話は延岡の思い出話とビートルズのブートレグを聴いての感想であり、結果的にどちらも書いてはいるのだが、本当に書きたかった内容は漏れていた。最近こういうことが多い。つまり頭で考えたことと行動したことにズレが生じるというか、頭で考えたことを身体が拒否するような感覚だ。以前マンガの「パタリロ」を読んでいたときに、下半身と上半身が喧嘩して、常に虐げられてきた下半身がクーデターを起こして独立し勝手気ままに暮らし始めるが、困った上半身がハンスト(早い話が飯抜き)で抵抗すると、栄養が不足して下半身がギブアップして、本来の下半身(歩いたり、上半身を支えたりする役割)として行動するようになるが、心の中ではまた機会があれば上半身に反抗してやると炎を燃やすという話だ。

 ほら、このパタリロの話も頭で要約した内容と実際文字にして入力したものとは微妙に違っているのだ。どうも上手く説明できないが、再度古いマンガのネタであるが、寄生獣に脳を支配されるとこんな感じなんだろうか。ちょっと嫌なのは現実感がやや希薄になった感じがして、これ鬱の一症状に似ているのだ。もう、完治したつもりだったが、ここのところ、いや物事悪く考えるのは止めて、前向きに行こう。何故って僕はナウでガッツで何でもチャレンジする元ヤングなんだ(こりゃ、鬱じゃなくて躁鬱かな?)。

 話がおかしくなってきたので大急ぎで昨日書き忘れたことを書いておこう。ひとつは少年時代を過ごした延岡の方言についてだ。宮崎県は南北に長い。文化圏的には西部の島津文化圏という大きなものがあるが、今回は置いといて、県都の宮崎はもともとが天領であり、言葉も「ひまわりっ!」の健一パパや、解散したが0930あたりの言葉を想像してもらうといい。ところが県北の延岡はもう少し北に行くとすぐに大分、西に行くと熊本という地理的なこともあってか、言葉が大分に近い。イントネーションやアクセントも独特だ。県北(日向、延岡周辺)の人と話すとすぐに分かる。あまり面識の無い人でも話し方で検討をつけて「あなたは県北のご出身ではないですか」と聞くと「何で判ったんですか」と尻上がりのイントネーションで返答するから笑うのに困った笑うのをこらえるのに困ったなどという経験はたくさんした。

 その延岡の方言で語尾に「~け」とつけるのは有名である(あくまで宮崎エリアでね)。「け」といっても陰○では無い(当たり前だ)。余談だが陰○のことをヘアとかアンダーヘアなどというのは本質を誤魔化した言葉狩りの一種ではないか。安易な言い換えが文化を殺していく、などといった堅い話は止めて。えーと、「け」の話でもなくて問題なのは「げな」という言葉である。文の終わりに「~げな」とつけるとこれは、噂話伝聞である。例文(あっ、デンブンとレイブンで韻を踏んでる)を披露すると「耐震偽装のアネハは本当は禿げな」とか「前総理の小泉どんも年金を未納にしちょったげな」などと使う。

 で、だ。この「げな」のつく話は当てにならない、というかかなりの確率でガセが多い(逆を言うと、ごく稀にだが真実をついていることもある)。したがって、かの地では「げなげな話はうそじゃげな」という命題が出てくる。このあたり数学の条件とか命題とか「ギャグは必ずしも真打ちならず」じゃないや「逆は必ずしも真ならず」なんてのが頭の中を旋回する。しかし、今の「ギャグは~」も、一瞬ひらめいたときは面白かったけど、いざ文章入力するととたんに面白くなくなるのは何故だろう。と、常に疑問を持つことが、向上心につながる。向上心の無い奴馬鹿だ(©夏目漱石、Dahliaさんごめんなさい、ここでも使ってしまいました)。

 てなことを、昨日は前半に入れるはずだったが、いつの間にかすっかり忘れていたのだ。それから、ビートルズの「ウルトラレアトラックス」の話を書いたんだけど、単なるCDの紹介と僕自身が聞いた感想だけ書いて終わりにしてしまった。もちろん、昨日書いたような感想を持ったのは間違いないことなのだが、一番感じたことを書き忘れていたのだ。それは、どんな演奏スタイルであれ、どんなアレンジであれ、極端に言えばギターやピアノだけの弾き語りであれ、全ての音が「ザ・ビートルズ」の音になっていたことに一番驚いたのだ。つまり、ジョンとポールのボーカルがあれば十分ビートルズの音として聞けるという発見だ。以前もちょっと書いたけど、中山康樹さんがその著書の「ジョンレノンを聴け」の中で、ジョンは天性のロックボーカリストで、ジョンの声の色気だけで聞かせるものが多いという言い方は良く分かるのだが、ポールにもそれと同じことが言える。このことに、今更ながら気がつきとっても嬉しかったのだけど、何故か昨日のエントリーを書き上げたときにどこかに置き忘れてきてしまったのだ。

 ジョンとポールが一緒に歌い、ジョージがハモる。リンゴが叩く。これで良いじゃないか。あ、リンゴは歌ったりハモったりせずにドラムに集中してね。

いやはや、人生日々勉強です

○だらけではありません

 今日はクリスマスイブだが、子供たちはショッピングセンターで友達と買い物、配偶者は風邪気味でダウンということで、しめしめ日がな一日好き放題してこましたろと思っていたら、天網恢恢疎にして洩らさずではないが、母を知人の法事に送る羽目になった。行く先は生まれ故郷ではないが4歳から中2まで過ごした延岡市、そう「浜山ペンタゴン」の町である。以前エントリーにアップした「ひまわりっ」は、かなり人気を博してるようで今年の『このマンガがすごい! 2006・オンナ版』に作者の東村アキコのインタビューがあった。片や「浜山ペンタゴン」は残念ながら地元の書店で置いてあるのを見たことが無い。したがってAMAZONで注文して読んでいるのだが、広く受け入れられるのは難しいマンガである。というのも、4コママンガで絵もあまり上手くないし、ハムスターに興味の無い人には面白くもなんとも無いだろう。ましてや、時々出てくる社宅の風景や家族の会話など、延岡の浜山アパート(旭化成の社宅)と言ってピンと来る人でないとちょっと苦しいな。

 それはさておき、朝9時過ぎに母を連れて延岡に向かった。母と子で2時間車に乗っていても会話は当然弾まない。こういうときのためにCDはあるのだとばかりにデオダートをはじめクロスオーバー(いわゆるフュージョンね)系の音楽をかけながら目的地に着いた。ちょっと休憩した後、何十年ぶりかで卒業した小学校と2年間通った中学校(小学校のすぐそばにある)の近くまで車を走らせ、写真を撮ったりもうすっかり道路も変わってしまってはいるけど、ちょっと路地を入ると昭和40年くらいのままの景色もあり久しぶりに子供の頃の記憶が甦った。せっかくなので「浜山アパート」の写真を撮り、良くマンガに出てくる公園を探しているうちに細い坂道を上がっていくと…。

 左手に高校があり、その先は松林でそこを抜けると長浜という遊泳禁止の浜が見えるはずだった。今は松林が無くてすぐ先の海が見えている。子供の頃は松林の中でよく遊び、手ごろな高さの木には登って、そこに名前をつけて遊んでいた。今でも覚えているのはちょっと高いけど登りやすい松の木があり、レッド基地と名づけていた。基地の名前の由来は「ゼロ戦隼人」だったと思う、「紫電改のタカ」や「アカツキ特攻隊」ではなかったと思う。今ふと思ったけど、僕が子供の頃はまだ結構太平洋戦争をモデルにしたマンガが多かったことに気がついた。なんせあの「鉄人28号」も鬼畜米英を殲滅するための我がダイニホンテイコクの秘密兵器だったんだ。

 本当に何十年ぶりだろうか、長浜の景色を見て俺はこんなに汚れた大人になったのに海は変わらないななどと昔の日活映画の主人公みたいなことを考え、ふっと迷ってしまいそうなときでも二人でいれば大丈夫だぜと「アンジェリーナ」を口ずさみながら、本日の過去への旅路を終了したのであった。早い話が腹が減ったのよ。昼飯は今日は天○うどんと決めていたのだ。県北に来たら昼飯は○領うどんが間違いないと自分で作った格言を唱えながら、車を走らせた。1軒目のお店の駐車場に入るとちょうど出て行く車があったので、すぐ止めて店に入ろうとすると、若いカップルが小走りで僕の前を横切った。オイヲイ、花のクリスマスイブに彼女とうどんかよ、それじゃ振られるぞと思ったが、いや待てよ、太く長くという願掛けかも知れん、若いのに見上げた奴と勝手にストーリーを作って店に入ろうとしたら、なんと10人近く並んでる。並んで待つより、もう少し先のお店に行けば空いてるだろうと思い、さらに車を走らせた。ビンゴである。駐車場は8割くらいの混みようだ。しかし、暖簾のあたりに人影が、ここも待ってる人たちがいた。

 たかがうどんで待つのも悔しいので、さっさと先に行った。ああ、このとき待てば良かった、後悔先に立たず、悪銭身につかずである(意味は無い)。だいたい僕は待つことは嫌いではない。というか積極的に好きである。人と待ち合わせるときは必ず早く行って待っている。待たされることは苦痛ではない。それどころか、待ってる間ぼーっと考え事をしたり、その辺の景色を眺めているのが大好きなのだ。しかし、しかしである。食い物屋で待つのはだめなのだ。待ってる間いらいらしてしまうので、それくらいだったら別のところに行くか、思い切って食べないほうがすっきりする。このときも短気を起こして車を走らせてしまった。国道を走りながら時計を見るとまだ1時である。日曜の午後だから、遅い昼の人も多いだろうから、どっかで時間をつぶすかと考えながら走っていると、見慣れた黄色い建物と看板が見えた。

 「本○らけ」だと思い、先週クリスマスバーゲンでCDが半額になっており、掘り出し物を見つけた記憶が甦り、ためらう間もなく車を止めた。お店に入ろうとしたときに何か雰囲気が違うなと思い、看板を良く見たら「ほ○ダフル」と書いてあった。ワンダフルなネーミングと間違いやすい黄色い看板である。確か「本○らけ」は全国ネットのはずだが、こちらはとチラシを見たら、宮崎は日向、延岡という県北2都市と鹿児島は出水、川内(センダイと読みます。カワウチではありません)、加世田とこちらも北部の3都市である。南九州県北経済活性組合ただしリサイクル専門というような組織でもあるのだろうか。お店の中でもらった会員カードを見たら、グループに北九州と福岡行橋、大分もあったから南九州限定ではないようだ。

 お店の中を覗いたが、これといったものも無く出ようと思ったときに妙なジャケットのCDを380円のコーナーで見つけた。“ULTRA RARE TRAX THE BEATLES Vol.1”というタイトルでジャケットはオレンジ色のいかにも安っぽい装丁で、ネクタイ姿のビートルズが笑っている。どうせ、どこかの国で作ったコンピレート盤だろうと思って無視しようと思ったが、なんとなく気になって裏ジャケットを見たら葉巻くわえた豚がグラサンかけてポーズ取ってる。豚の海賊盤?昔、ブートレッグで買った「バングラデシュのコンサート」の音のひどさを思い出して、棚に戻そうと思ったそのとき、“Previously unreleased”という文字が見えた。もう一度良く手にとって裏ジャケットを見ると、収録曲の詳しい情報がいろいろ書いてある。未発表曲が2曲、ほかの演奏もオリジナルのテイクとは全く違ってるようだ。失敗しても380円かと気を取り直して購入した。こちらは大当たりだった。

 さてこの後の話の展開だが、2通りあってひとつは昼飯に外装のきれいな新規オープンのラーメン屋に入ったらトンでもなく不味くて、その上餃子はでかいだけでやたらニンニクの味しかせず激怒した僕は…という毎度おなじみのカタルシス満点の大スペクタクルには全くならない、ねとねとべたべたのエセ海原雄山物語が良いか、ビートルズの話が良いか、手を挙げて多いほうの話にし、あ、圧倒的多数はビートルズだね。判った、オレも男だ、昼飯のうらみつらみはすっぱり忘れてビートルズの話に専念しよう。
TSPトレードマーク

 ひどく不味いラーメンと餃子を食べて(あ、地元の人のために言っとくけど、味覚はあくまで個人差があるので、本当かどうかは自分の舌で確かめてください。お店は日向市の国道上にある大きなドライブインで観光バスなんかも止まるし、すぐ下が海で見晴らしはとってもいいところにあるお店です。ドライブインとつながってるのですぐ分かると思います。ちなみにこのドライブインの焼きちくわは大好きです)、腹を立てながらも先ほど買ったブートレッグのCDを聞いてみるかと軽い気持ちでセットして1曲目を聞いて、それから30数分間は最高の気分でした。とりあえず曲目と情報を書いておきます。

1、 アイソーハースタンディングゼア(テイク2)
63年2月11日の「プリーズプリーズミー」セッションからジョンが歌詞を間違え、ポールがベースをミスる。
2、 ワンアフター909(テイク2)
63年3月5日の「フロムミートゥユー」セッションから。ジョンがクォリーメン時代に作った曲。アルバム「レットイットビー」の収録曲とは全く違った演奏。
3、 シーズアウーマン(テイク2)
  リードギターもピアノもオーバーダブのボーカルも無い。最後のほうでポールが笑いながら歌っている。
4、 アイムルッキングスルーユー(テイク1)
最初の「アイム~テイク1」の声は間違いなくジョージ・マーティンだと思う。あの印象的なピッキングのギターではなくアルペジオのギターとマラカスで意表をつく。
5、 イフユーブガットトラブルズ
65年10月の「ラバーソウル」セッションでの録音。リンゴがリードボーカルを取っているが、初めて聞いた曲(未発表曲)である。
6、 ハウドウユードウイット
62年の「プリーズプリーズミー」セッションからの未発表曲。2枚目のシングル用に録音されたがリリースされなかった。
7、 ペニーレイン
吉田拓郎がまだ若かった頃良くバーボンを飲みに行っていた原宿のお店、ではない。未だにCD化されていない「レアリティーズ」の録音と基本的には同じだが、こちらはモノラルミックスである。

 以下ストロベリーフィールズフォーエバー(やっぱりここでのリンゴのドラムは)革命的だ!聞いてるか小○智明!!)、フロムミートゥユー、ベサメムーチョ、フールオンザヒル(ポールのピアノの弾き語り、デモバージョンですが既に完成されています)、ペーパーバックライターと全部で12曲。びっくりするのは録音がすごくいい事。オリジナルとの違いはまだまだたくさん出てくるだろうが、今のうちからやりすぎると老後の楽しみがなくなるので、ぼちぼちやるつもりです。

 ところで、僕は全く知らなかったけどこのレーベルのCDは出た当初大変な話題になり、その影響であの「アンソロジーシリーズ」が出たらしい。詳しくはこのページを参照して欲しい。しかしこんな貴重盤が380円で棚に眠っていたんだから、本当にワンダフルな中古店でした。そういえばクリスマスイブだけど南国宮崎の海と空は抜けるように青かった。
宮崎は今日も晴れだった、クリスマスイブだというのに…


どうにでもなるラジコンブルース~

気まぐれハイウェイ シングルジャケット

 昨日書いたブログに一部事実でないところがあった。というのは自分のバースデイプレゼントにリザードのDVDをアマゾンで予約したと書いたが、実はアマゾンだと予約特典がもらえないのではないかと思い、ドタキャンしたのだ。そのため、今日昼の時間を利用して○ワーレコードに行った。○ワーレコードに行った理由はもうひとつあって、ポイントの期限が切れる寸前だったので使っておかないと無駄になると思ったからだ。時間に限りがあったので、ゆっくりCDを探している暇が無かったが、例のビートルズの「ラブ」はいまいち食指が動かず、結局購入したのは紅蜥蜴の1stシングルの「SEXUS」と越美晴の「ゴールデンベストRCAイアーズ」の2枚。紅蜥蜴は限定発売だが、何故か宮崎の○ワーレコードにはずっと(確か1年以上)残っていたので、この機会に思い切って購入した。

 CDの精算は愛想の無い店員だったが、DVDの予約はわりとお気に入りのおねーさんが接客してくれたので、とりあえず待たされたのもさほど苦にならなかった。しかし「リザードってスペル判ります?」と聞かれ「L,I,Z,A,R,D」と答えたものの、おねーさんはディスプレィに視線を貼り付けたまま動かない。「お待たせしてすいません」の一言もないし、こちらは黙って待ってるだけ。ようやく「来年の27日の発売予定ですが、それ以降の入荷でよろしいですか」と聞いてきた。それは構わないが、予約特典が欲しくてアマゾンをキャンセルしてきた旨を言うと、「メーカーに確認するので、もう少しお待ちください」とまたもや大五郎状態というか放置プレーである。僕も天命を知る年になったので、じっと我慢して待っていたが、これが天命を知る頃ではなくて、革命が大好きな頃だったら間違いなく切れていただろう。

 それからちょっとしてそのおねーさんのコメント「すいません、このメーカーあまりメジャーじゃないみたいで、電話番号載ってないので本店に問い合わせて、後ほどお電話します」と、まるで悪びれた様子も無い。悪かったな、どうせメジャーじゃないバンドのDVDだよ、でもな四半世紀前は東京ロッカーズといえば泣く子も黙る日本のパンクの先駆者で、しかもリザードといえばあのストラングラーズのジャン・ジャックが気に入ってレコードをプロデュースしたんだぞ、しかもロンドンでのライブは「彼岸の王国」というタイトルで、あの「ボーントゥビィワイルド」も演奏してるんだぞ、リーダーのモモヨはドラッグでパクられてそのときに仲間のミュージシャンが「セイブモモヨ」コンサートというフリーコンサートやったんだぞetc,といろんなことが脳裏に浮かんだが、まあ、ここで切れるのも大人気ない、見れば僕の娘といっても差し支えの無いようなおねーさんではないか、まあ大目に見てやろうとその場を後にした。もちろん予約カードに名前、フリガナ、携帯の連絡先はきちんと記入した。

 それから小一時間ほどして携帯がなった。見覚えの無い番号だったので、名前を名乗らず取った。○ワーレコードのおねーさんだった。「○○さんの携帯ですか。○ワーレコードですけど、さっきのリザードの特典ですが、ポスターと写真集です」。こらこら、何のためにフリガナを書かせたんだ。お客さんの名前の読み方間違えたら、気を悪くするだろ。それとあんたが○ワーレコードか?違うだろ。従業員だろ。名前はあるだろ、ピロリンかマリナルか知らないけど、親からもらった名前をちゃんと名乗りなさいよ、とかいろいろ注意したいところはあったが、約束していたお客さんのところに遅れそうだったので、見逃した。

 さて、その急いでる車の中で流れていたのは越美晴の「ラブステップ」であった。この曲は78年当時、出町のアパートの部屋でよく聞いた。シングルもたしか持っていたのではなかったか。ただ、レコードでも聞いたが、プロモーションビデオでよく見た。当時白黒のテレビをごみ置き場で拾って、部屋に持ち帰って叩いていたらちゃんと映るようになったので、一時的にテレビっ子になっていたのだ。関西テレビだったかチャンネルは忘れたが、今月の注目曲みたいな5分くらいの番組で、しょっちゅう流れていたのだ(余談だが河島英五の「酒と泪と男と女」も同系列の番組でしつこく流されたので、覚えてしまった。ボロの「ネグレスコホテル」もそうだったような気がするがこちらは自信が無い)。

 ちょっと可愛い女の子がピアノの弾き語りで夜のテレビ放映終了間際に毎日歌っていた。♪そうよそうよ 恋なんて 回る回る回転木馬 ひとときだけ楽しければそれでいい、という刹那的なフレーズとパーカシッブなピアノが印象的だった。声も特徴があったし、メロディもいい。テレビは白黒であまり彼女の表情とかわからなかったが、いつも買っているレコード店からポスターをもらって、部屋に貼っていた時期もあった。えーと、その、好みのタイプだったんです。歌詞も結構際どかったし、雰囲気も都会的でアイドルとして売り出されてはいたが、曲はオリジナルだったしちょっとラテンフレイバーのある感じで、そういえば八神純子(こちらは好みのタイプではありません。なんといっても「パープルタウン」のリフのところを「錯乱、錯乱」と聞き間違い、その後が「紫の煙が~」などと聞こえたので絶対この歌は春の桜を見ておかしくなったアウトオブベースの人の歌と思い込んだくらいです)と少しシンクロしていた部分もあったか。

 越美晴はその後、テクノに進み細野御大と一緒に実験的というか、ちょっとコアなファンのみが支持する音楽に行ってしまったが、このベストを改めて聞いてみてびっくり。楽曲はいいしアレンジはほとんど矢野誠だが、なんと山下達郎、吉田美奈子、坂本龍一そして大村憲一が参加しているものもある。演奏も当時のポップスにしては渋いなと思っていたら、メンツは松原正樹、後藤次利(木之内みどりとニューヨークに駆け落ちした、元サディスティックミカバンドの二代目ベーシストや!このやろ!)、小原礼(こちら初代のミカバンドのベースマン)村上ポンタ秀一、斉藤ノブなど豪華絢爛、幕の内弁当2段重ね玉露付きという雰囲気なのだ。本人はアイドル時代の曲は完璧に封印してしまったようで、このCDにも写真は一枚も載っていない。しかし、これもひとつの時代であり、今聞いても十分聞き応えのある内容である。

 と、ちょっと真面目に語ってしまったが、このベストを聞いていて自分の記憶違いを認識した。「気まぐれハイウェイ」というポップナンバーがこのアルバムに入っているのだが、僕はずっとこの曲を「ちょっとマイウェイ」のテーマソングと思い込んでいた。なんとなくオープニングにこの曲がかかっていた印象があったのだ。今回ネットで調べていたら、「ちょっとマイウェイ」のテーマはPALというグループが歌っていた。そういえば配偶者の昔のカセットにこのPALのベストがあり、そこでこのテーマ曲や挿入曲の「ラジコンブルース」(この曲のメロディラインは「ラプソディインブルー」から借用していると思っているのは僕だけだろうか)なんかを聴いた記憶がある。どうして「ちょっとマイウェイ」のテーマ曲を「気まぐれハイウェイ」と思い込んだのだろうか。ちなみに「ちょっとマイウェイ」の音楽はあの、偉大なる荒木一郎が担当している。

 というところで、今回の越美晴のベストだがゴールデンベストシリーズとして各レコード会社がタイアップしていろいろ出している。そういえば荒木一郎のベストもこのシリーズで買った。なぜかというと「ジャニスを聞きながら」と「君に捧げるほろ苦いブルース」そして「ミスターロビンソン」が入っていたからだ。結構ベスト盤も肝心の曲が入ってなかったりするが、荒木一郎とこの越美晴は大満足。ところで紅蜥蜴のシングルだけどギターがジャズっぽくてびっくり。ただこちらは歌詞カードもライナーも全く無くて真っ黒クロスケで、愛想が無いっていうか愛想を振りまくようなバンドではなかったから当然か。今日は音楽ブログみたいなお話でした。

のーもあてぃあーず、あいあむぱんくす!

 書こうか、どうしようか迷っていたが「やらぬ後悔よりやる後悔」と言うし「乗りかかった船」だから書くことにした。何の話かというと、今日が僕の誕生日なのだ。つまり生まれてからなんと半世紀も経ってしまったということなのだ。僕自身はそういう気はさらさら無いのにもう50である。40は不惑だけど、50は何だっけ。えっ、天命を知る。プリンセステンコーを知るではなくて、天の命を知るという、なんとも恐ろしい歳になるのだ。不惑どころか40から迷ってばかりで、とても天命を知るなんてことは出来そうにない。出来そうにないがしょうがない。盆暮れの付け届けをちゃんとしてないからこういう目にあう(©松村雄策)。

 思い起こせば50年前、日本もようやく立ち直りの兆しをみせ「もはや戦後ではない」などといわれ、第2次大戦の敗戦国でありながら、国連に無事加盟(なんと50年前の12月18日のこと)し、当時は東側の大国(今の人には何のことかわからないだろうが、当時は資本主義社会の西側と社会主義体制の東側という対立があった)ソ連と国交回復した年に僕は生まれたのだ。さらに僕が生まれる少し前に不思議な出来事が続いたらしい。いくら南国宮崎でも12月の半ばはかなり寒い。山の木立も紅葉の時期は過ぎ枯れ木の季節だというのに、僕が生まれた小さな家の周りには花が咲き乱れ、天上からは美しい歌声が響き渡り、母は白い象の夢を見たという、様なことは全くありませんでした。そんなのがあったらお釈迦様である。「天上天下唯我独尊」か、なんか言って生まれてきたら、そりゃ周りの人はありがたがるより、気味悪がるだろ。

 と、まあおちゃらけはほどほどにして、今日の新聞を読んでいたらアベ内閣の課題として「戦後レジームからの脱却」というのが挙げられていた。オイヲイ、いつの間にか戦後体制はアンシャンレジームになってしまったのか。誰が、いつ、どうやって決めたのか、責任者は出て来いと大声で叫びだすほどの勇気もなくて、とにかく誰にも会わないで勝手に酔っ払ちまったほうが勝ちさなどと敗北主義的なのが拓郎の悪いところだと思う。体制に飲み込まれすぎなのだ。だから未だに「ペニーレインでバーボンを」が、『今はまだ人生を語らず』が出せないんだ。と、やや八つ当たり的な話になってしまったのには理由がある。

 実は今朝、仕事に行く前に配偶者から「今日は誕生日だけど、何か食べたいものがあるか」と聞かれ、今更おでん(余談であるが、僕はおそまつ君の昔からおでんが大好きなのだ。ところでおでんに入れる芋はこちらはサトイモが圧倒的だが、京都ではほとんどジャガイモでちょっとしたカルチャーショックを受けたことがあった。今はサトイモもジャガイモもどちらも大好きというエセ平和主義者になってしまったが)とかカツカレー(子供の食べ物だね)なんていうのも恥ずかしいので「何でもいい」と言ってはみたものの、そこはそれ、魚心あれば水心、病は気からというではないか(何かちょっと違う気がするが)。まあ、それなりに僕の好きなおかずで晩飯があると思っていたのよ。ところが7時過ぎに家に帰ってみると、やたら暗い。これは電気がついてなかったという物理的な暗さと同時に家にいた子供二人の表情がとても暗かったせいだ。子供が暗いのは理由がある。下の子のテストの結果が悪かったことを、前日配偶者が怒っており、その罰としてゲームは禁止と言われていたからだ。下の子は自業自得だが、上の子はとばっちりなので、すこぶる機嫌が悪い。部屋を覗くと流石に下の子は机に向かって勉強らしきことをしていたが、上の子はふて腐れてマンガを読んでいる。「今日は何の日かな」という、およそ下心以外の何物でもない質問をしたところ、火に油というか、焼け石に水というか、「はいはいおめでとおめでと」と、全く心のこもっていないお祝いの言葉を頂いた。しかも手ぶらだ。

 まあ、しょうがない。昔から「女子と小人は養い難し」と西郷さんも言ってることだし、生まれついての大人(おとなじゃないよ、たいじんだよ)と囁かれていた僕であるから、そこのところは多めに見て、腹も減ってるので、食堂のテーブルに着いた。配偶者は仕事に行っていないので、食事の準備はテーブルの上においてあることが多いのだが、その日は、僕の誕生日という記念のその日は、テーブルにあったのはスーパーの惣菜であった。

 惣菜が悪いなどと言った覚えはないし、揚げ豆腐、肉じゃが、レタス巻き、みんな好物である。しかし、何度も言うようで恐縮だが、今日は僕の誕生日である。それが、スーパーの惣菜。揚げ豆腐、肉じゃが、レタス巻き(リプライズ)である。朝の会話は一体何だったのだと思いながら、冷蔵庫から飲み残しの安い国産ワインを出し、一人静かに誕生日の晩餐をしたのである。

 食事をしながら、だんだん自分が可愛そうになってきたが、食べているうちに腹が膨れてきて、怒りが収まってきた。うん、これぞ「衣食足りて礼節を知る」である。早い話が腹いっぱいになると、「なめとるんか、このヤロー。何が悲しゅうて、スーパーの惣菜じゃ、ぼけぇ。赤飯のひとつでも作っとかんかい」と頭の中をカッカ、カッカ巡っていた血液が隊列を組んで胃に集中してしまうので、怒りが収まり偽りの家庭の平和が構築されるのであった。

 そのような悲しい出来事があったが、mixi仲間のモモヨさん(エヘン、得意得意)の日記を読むとリザードのライブDVDが発売になると書いてあった、「バビロンロッカー」を出した直後の頃というから、京都で何度もライブを見たはずだ。アルバム収録曲はすべて名曲だらけだったが、ライブで聴くとその迫力といい、ステージパフォーマンスといい、鬼気迫るものがあった時代の映像だ。これは予約するしかないと思い、早速アマゾンで予約した。いいんだ。誕生日を家族の誰からも祝福されなくて。思い出したよ、オレはパンクスだったじゃないか。ゴッドセイブズ!!

柄じゃないけれど、誰かに声かけて

スターリン 「スターリニズム」 一度聞いたら忘れない

 やれやれ、ぼんやりしているうちに僕が学生だった70年代ではとても考えられないようなことが立て続けに起きていた。防衛庁が防衛省になるらしい。今までSFマンガなんかでは、防衛省とか国防軍、そうそうエンケン大先生の地球防衛軍なんてのもあったけど、来年からはマジで防衛省ですよ。ジエータイの海外派遣なんていったら、ウルトラ右翼とか日の丸野郎なんて言われてたのは、ついこの前みたいな気がするのだが。

 かたや教育基本法の「改正」とやらも、万年反対グループの社共(懐かしいね、こういう風に一緒くたに呼ぶのは。懐かしついでにフランスデモでもやってくれってこれ意図的洒落ではありません)の声を、そんなもん声のうちに入らんとばかりに採決して、さあ本決まり、本決まり。昔から義務教育と徴兵制は切っても切れない仲だったから、ようやく本懐を遂げたというところなんだろうか。

 基本的にこのブログは音楽ブログであり(えっ、そうだったのか。なんて言わないでね。これでも一生懸命音楽の話を書いてたつもりだから。まあ、音楽、とりわけロックやジャズを題材としてそれらにからむ、『よしなしごと』をつらつら、つらつら紀貫之とばかりに書いていたのよ。ホラホラ、時事ネタやりたくないので、この辺の言葉遊びで行数を稼いでる)、あまりダイレクトに時事的な話を書く意思も能力も無いのだが、黙っていたらあんまりなことが多かったので、今日は少しいつもと違ったトーンで、思ったことをばらばらと書いてみたい。

 そのまんま東が知事選に立候補したが、それ以外の立候補予定者の仲でこれという人もいないというか、積極的にこいつだけはなって欲しくない奴もいるので、ある面彼が真剣にこの仕事をやろうと思っているのなら、意見を聞いた上で応援しても良いかと思うようになってきた。絶対なって欲しくない奴とは、名前を書くと差しさわりがあるといけないので、個人を特定できないように書いておくが、親の七光りで知事になろうとしてる奴で、親はかの薬害エイズのときに一切知らん顔して生き延びた男だけに、その子供も当然性根は腐っているだろう。ほら、誰のことだか判らないでしょう。

 業界の旋風児というキャッチフレーズで有名な○ちゃん堂のたこ焼きのコマーシャルに出ていた、小太りな男がこの国は共産主義社会だと言ったらしい。知らなかった。一体いつ革命が起こったんだろう。こんなに「格差社会」だといって大騒ぎしているのに、一部のお金持ちの人たちが好き勝手にしているのに、共産主義社会だったんだ。明日から僕は、「コルホーズの玉ネギ畑」(by Stalin)に働きに行かないといけないのだろうか。

 書いているうちに気が重くなってきたので止めます。明日からはまた、いつものような能天気なブログに戻る予定です。でも今年は戦後史の中の大きなターニングポイントだったのでは。なし崩し的に時代が動いていくようだ。

時にはまとまりのなさが時代を象徴するのさ

フォーカス 2nd album 「悪魔の呪文」入ってまっせ!

 最近、車の中でまたラジオを聴くようになった。昨年の7月からつい先月くらいまで、思うところがあってラジオを聴いてなかったのだ(早い話が鬱病で仕事を辞めてから、メディアに対して強い拒否感があった。ひとつにはのべつ幕無しにしゃべり続けるキャスターやパーソナリティに対して嫌悪と恐怖を抱いていたせいもある)。11月過ぎくらいから、そういうことがなくなり12月は僕の誕生月(プレゼントはエブリディ、ウェルカムよって、オレはルー・大柴かっ!)で、ずいぶん精神的にもハイな感じになってきたせいか、ちょくちょく移動中にラジオのスィッチを入れることが多くなった。

 そんな中で耳障りな言葉がいくつかあったので、今日は簡単にそれらをピックアップして予告編としておこう(本編はちゃんとあるんやろうなオッサン!)。

 まず、びっくりしたのが「ハンドルキーパー」。最初聞いたときは「ゴールキーパー」から連想して、ハンドルに手を出そうとしている人をブロックするとか、その手を払いのけ鉢巻姿でハンドルを死守するという幻が浮かんだ。いったい全体何のことかと、よく聞いていると飲酒運転をしないように、飲みにいくときに予め運転する人を決めておき、その人をそう呼ぶとお上が決めたそうだ。今、間違いがないかヤフーで検索したら「ハンドルーターではありませんか」なんて出てきやがった。しかし、ベルギーやオランダで「ボブ運動」なるネーミングで始まったこの運動だがどうなることやら。ベルギーやオランダといえば昔、中学の社会科で「ベネルクス3国」なんて習ったけど、早い話十把ひとからげの扱いだったぞ。そんなところの真似なんかして大丈夫、いやいや決してサベツしてるのではありません。ベルギーといえばあの偉大なるエルキュール・ポワロ氏のお国ではありませんか。またオランダといえばダッチワイフ、じゃないダッチサウンドのショッキングブルー、カッコ良かったな!そうそう、忘れちゃならないのがフォーカスですよ。何せあなた「悪魔の呪文」ですよ。キーボードのタイス・バン・レアの額の広さとスキャットの不気味さはなんとも言えなかったって何の話だったっけ。

 そうそう、十把ひとからげを長いこと十把ひとかけらとか十把ひとかげらなんて間違えて覚えてしまったのは私です。

 えーと、そうじゃなくて「ハンドルキーパー」だけど、当たり前のことだぞ。飲みに行く時には、車で行くな。一人だけ飲ませずに運転手させるなんて可愛そうだろ。生まれつきの下戸の人なら別だけど、飲んでる連中は勝手に盛り上がって、いざ帰るときは一人に後始末させるなんて、形を変えたいじめになりかねないぞ。運転だけならまだしも、えてしてゲロファイターの介抱や、汚したところの掃除とかしらふの人間だけが損をすることが多いのだ。くそ、酒を止めてからやたら酒飲みの嫌らしい所が目に付くようになった。とにかく「ハンドルキーパー」なんてワッペンつけさせられるというのは昔学校であった「私は方言を使いました」とか「私は遅刻しました」なんて涎掛けをぶら下げてるみたいで気持ちが悪いのだ。ここのところまた改めて展開します。

 それと昨日ラジオショッピングとかを聞いていたら「タラバガニ1キロセットをなんと○千円」とかいう叫び声が耳に入った。この手の番組はアナウンサーとタッグを組んで話を盛り上げていくのだが、途中で妙なことをセールスレディが言い出した。『この新鮮な蟹が美味しいわけないですよね!』。聞き間違いだと思った。彼女もそれに気がついたのだろう、噴出しながらもう一度言った。『美味しいわけないですよね』。多分、本当に、美味しいわけがないのだろう。って、違うだろうが!美味しくないわけがないと言いたいんだろ!!二重否定を単なる否定にしたら、当然意味の打ち消しになるのは火を見るより明らかではないか!!

 ということで、最近ラジオをまた聴き始めたので、怒りのネタが増えて来そうである。今日は予告編です。本当は「テレホン人生相談におけるキャスターの変遷とキャッチコピーの歴史」とか、「小沢昭一こそ日本の正しいお父さんの心だー」とか「子供電話相談室には聞いてはいけないジャンルはあるのか、キャスターのお姉さんはリアルで可愛いのか」といった21世紀日本を鋭くえぐるエントリーになる予定であったのだが、「そのまんま東」氏が知事選に出ると知り、来年は正月早々から「そのまんま、そのまんま東をお願いします」というウグイス嬢の絶叫を聞かないといけないのかと思うとぐったり来てしまったので、今日はこっでしみゃー(これでおしまいとか言う意味の方言)。

サンダカン八番娼館 望郷 その2

サンダンス・キッドじゃない、サンダカン

 ずいぶんご無沙汰なエントリーですが、その1を書いておきながらその2を書かない、なんてのはいけません。何の話かというとEVEのお話ですよ。えっ、ご存じない。そうか、もうずいぶん前の話しだし、先月書きかけてそれっきりだからわからない人がいるかもしれない。そうだ、こういうときのために「前回までのあらすじ」というのがあったな。あれをやってみよう。

 前回までのあらすじ・・・修学院に夜毎はびこる野菜泥棒を捕まえるために僕は同級生のS戸君と一緒に先輩のI上さんの下宿に泊まりこんでいた。泥棒が出てくるのは当然夜中なので昼間は学園祭の準備で立て看を作ったり、他の大学に営業に行ったり、ディスコ用のレコードをセレクトしたり細々した雑用を捌いていた。さて夜になり、あたりを見張っているうちにだんだん腹も減ってくる。眠気覚ましにやっていたマージャンのメンバーも同様に空腹を訴えてくる。しかし、今と違ってコンビニなどない時代。買い置きのラーメンなどもなさそうだ。I上先輩は土鍋と出汁はある、肉や魚も少々ならある。しかし鍋には大根や白菜、ねぎといった野菜がないと盛り上がらない。買いに行くにも店は閉まってるが、窓から下を見ると広大な大地に自然の白菜や大根、ねぎが生えているではないか。これぞ天の助けとばかり手当たりしだいいただいたが…。早い話野菜泥棒は僕たちだったというお粗末(なんだかあらすじがずいぶん違うような気がするが、あまり細かなところは気にせず、歴史のダイナミズムを学ぶようにしよう)。

 と、まあこんな具合で学園祭前の準備期間中先輩の下宿に居候を決め込んでいたのだが、さすがに連日となると嫌がられ、お前も自分の下宿に帰れなどといわれ、それもごもっともな話とその日は自分の下宿に帰った。僕の下宿は木造二階建てで格子戸をくぐり抜け入って来ると北向きのドアがあり、そこが2階への入り口になっていた。そのドアを開けて靴を脱ぎ右手で部屋のブレーカー(2階には3部屋あり、壁にブレーカーが3つ並んでいた)のスイッチを上げようとしたら、すでに上がっていた。当時は冷蔵庫など持っていなかったし、何より貧乏学生の悲しい性で部屋を出るときは本能的にブレーカーを落としていたから、おかしいなと思いながらも階段を上がっていった。僕の部屋は階段を上がってすぐの部屋だが、鍵をしているはずのドアが少しだけ開いており、部屋の中に人の気配がする。

 泥棒かと思い恐る恐るドアを開くと、中にいた男と視線が合った。「Y尾か?」。高校の同級生だったY尾とN井が僕の部屋の万年床に寝そべっていた。何でこいつらが僕の部屋にいるのか、だいたい彼らはO分大学(すべってころんでオオイタケンという精神年齢3歳くらいの洒落にしかならない九州の地方都市ですって匿名になってないがな)の学生のはずなのに何で京都の僕の部屋にいるのか、わけが分からず僕は自分の部屋の前で茫然自失の状態だった。

 「腹が減った、何か食わせてくれ。それから風呂に入れてくれ。詳しい話はそれからだ」とY尾君。僕もはじめは驚いていたが、高校時代に馬鹿ばっかりやっていた仲間だったのでとりあえず近くの定食屋に二人を連れて行った。飯を食いながら話を聞いたが、彼らは大学の秋休み(国立大学にはそういう試験休みの期間があるらしい。あ、白いヘルメットを被った人が多かったT崎経済大学も秋休みがあったから、国公立と言うのが正しいのか?)、を利用して日本アルプスだかなんだか知らないが、山登りを決行し、それは良いのだが帰り道にお金が足りなくなり、僕が京都に住んでいることを思い出したので、とりあえず京都駅まで来たらしい。そこから公衆電話で(!これを読んでるお若いの、引いてはいけない。前の世紀では赤やピンクや青の電話機が駅や町中においてあり、10円玉や100円玉を入れると通話が出来たんだ。しかもコレクトコールと言って受信したほうにお金を負担させると言う裏技もあったのだ)僕の実家に電話して、下宿の住所を聞き京都駅から修学院までの道のりをリュックを背負ってひたすら歩いたらしい。

 下宿にようやく辿り着いたが、僕は不在。夜になっても帰ってこない。思い余った挙句、下宿の大家さんに事情を話して合鍵で僕の部屋に入れてもらったとのことだった。当時の僕はその下宿の大家さんから、しょっちゅう徹夜麻雀をやるは、髪の長い得体の知れない連中の出入りは多いは、夜中に気勢(奇声と言っても変わりはない)を上げるは、はっきり言って要注意人物と言うか下宿の平穏を乱すロクデナシと思われていたはずだから、彼らが無事に部屋に入れたことは単なる僥倖であろう。あるいは、見るからに純朴そうなN井が拝み倒したのかもしれないが、何とか雨露をしのげる場所は確保できたが、問題は食料で1円も持ってなかった彼らは僕の部屋を家捜しして、保存食のインスタントラーメンはすぐに食べつくし、本棚におつりでもらった小銭を入れてる箱を見つけて、その中の1円玉や5円玉をかき集め、食料品を買い込んだが、1日、2日と日は過ぎるものの僕は一向に帰ってこないので、下宿の大家さんからも不審がられて身動きが取れない状態だったらしい。

 「お前はいったい何をしてたんだ。大家さんもこの部屋は汚いと文句言ってたぞ」と腹が満ちてくると人はおのずと饒舌になるもので、二人は口をそろえて山登りの楽しさと、帰りに計算してお金が足りなかったときのショック、京都に辿り着いて駅から僕の下宿までの遠かった道のり、僕がいかに下宿の大家からにらまれているかといった話を延々と始めた。最初は面白がって聞いていたのだが、そのうちだんだん気分が悪くなってきた。いや話の内容ではなくて、本当に胸がむかむかしてきたのだ。そのことを二人に話すと「そういえばもう1週間以上風呂に入ってないから、その臭いが原因では…」と言い出した。確かに気が付いたらものすごい異臭がする。風呂に1週間くらい入らないというのは、風呂代節約の手段としては、もっとも安易な方法だが彼らは、体力の限りを使って山登りをして、汗まみれになりながらも風呂に入っていないから、悪臭も当然であった。

 一乗寺に、もうなくなってるだろうが雲母湯という銭湯があった。雲母と書いてキララと読むことをこの風呂屋で教わった。今は風呂付のアパート・マンションがほとんどなので、ちょっと信じられないだろうが、左京区のとりわけ一乗寺・修学院付近の銭湯はスラムというかゲットーというか、まあその長髪の小汚い貧乏学生がウンカの如く集うことで有名であった。その雲母湯に夜の7時代に行くというのは朝のラッシュの山手線に乗るようなものであった(ちと大げさかな)。とにかく壁側のシャワー付洗い場など絶対に空いておらず、中央部にまるで公園の噴水場みたいな洗い場に、それこそ芋の子を洗うが如く人間がうじゃうじゃうじゃうじゃ…(さあ、みんなで歌おう!♪単純なくせに数だけ多い、ゴキブリみたいに数だけ多い、うじゃうじゃうじゃうじゃ…by Stalin)。僕は長湯をするとのぼせてしまうというか、江戸っ子の特質で風呂は早い。これは未だに家族みんなから言われるのだが、お風呂に入るといったと思ったら上がっているという按配だ。

 したがって、髪も洗ってなるべく時間をかけたつもりだったが、熱さで目がくらみそうになったので二人に声をかけて先に上がった。扇風機に当たりながら髪を乾かして待っていたが、出てこない。久しぶりの風呂だからゆっくりしているのだろうと、待っていたがとんと上がってこない。いくらなんでも遅すぎる。のぼせて倒れたんじゃないかと心配になり、もう一度風呂に入ろうかとしていたときに二人が出てきた。びっくりした。人間ここまで色が白くなるもんだ、というか今までの黒さは何だった、しかもやつらは僕の布団で寝ていたはずだから…。考えるのはやめた。とにかく今は汚れも落としてすっきりしてるんだから、野暮は言うまい。

 その日はほかの大学に行ってる高校時代の友人なども呼んで、宴会だった。次の日は彼らが僕の大学に遊びに来るというので案内した。ちょうど学生会館のホールで映画が上映中だった。カンパ制というのが彼らには新鮮だったようで、じゃ一緒に見るかという事になり、3人分のカンパ300円を払ってホールに入った。紫の煙が漂う学生会館ホールの雰囲気は彼らも気に入ったようだった。映画が始まった。高橋洋子は可愛くて、栗原小巻がまだきれいな頃で、田中絹代は鬼気迫る演技だった。ストーリーは、貧しさのために娼婦になった女性の一代記で、第二次大戦前後の世情や当時のアジアの様子なども写していた「サンダカン八番娼館 望郷」である。当時の天草の貧しさ、その中で懸命に生きようとした主人公に時代の荒波が押し寄せそして…という映画であった。

 見終わった後、三人とも言葉がなかった。まだ19歳だった僕たちは「お金で人間を買うことがすべての不幸の原因である」みたいな結論に達して、お金が自由に使えるようになってもそんなところ(どんなところや?)に行ったらイカンゾとか、お前は今はそんなことを言ってるが、目の前に誘惑があったら真っ先に転ぶタイプやとか、なぜかお互い攻撃的になりつつも、やっぱりお金でHを買ったらあかん、あれは愛情や、最大のコミュニケーションやなどとわけの分からないことを言ってそのときの感動を心にしまったのである。ちなみに彼ら二人がその約束を守ったかどうかは知らない。僕はと言えば、あっ、しまった。もう遅い。明日も早いので、今日はこれで終わり。肝心の我がサークルのゴーゴーアンドディスコ(何度書いても恥かしいが)喫茶「王将」の話はまたいつの日にか、ご披露しよう。そうそう、その後のY尾君は銀行にN井君は学校の先生になった。飯を食わせて風呂に入れてやり、さらには帰りの旅費まで貸してやった僕は、ルンペンプロレタリアートである。世の中の不公平さを感じる。

リベンジオブオイスター或いは牡蠣でいっぱいの海

クローズドの状態 何やこれ?

 二人で牡蠣1キロは食い過ぎだった。朝から腹が痛くて、とはいってもゲ○ピーの痛さではなく、トイレに行って「考える人」のポーズをいくらとっても、実存そのものがお出にならない。どちらかと言うと便Pと言えるような状態が朝から続いた。今日家に帰って配偶者が嬉しそうにこう言った。「今、ノロウィルスが凄くはやっていて、二枚貝に一番入ってるんだって。周りの人に聞いたら、今時牡蠣を食べるのは自殺行為って言われたわ。生牡蠣だったら鉄砲(僕はこの言葉は金を持たずに博打をすることだと思っていたが、確実に当たると言う意味もあるらしい。詳しくは燐さんのブログを読んで下さい)で、酒蒸や焼き牡蠣だったら、まだマシだけど当たる可能性が高いみたい」

 いい気なもんである。彼女も僕に負けないぐらい食ってるので、あたるときは一緒のはずだが、もしかしたら先祖伝来の牡蠣当たりを封じ込めるまじないでも知ってるのかもしれない。しかし胃の辺りの膨満感と時々来る痛みは何だろう。気にしないほうがいいか。

 ということで今日は、現場活動中はさすらいのトイレ浪人状態で、今までに入ったことのないコンビニなんかにお世話になった。他人はどうだか知らないが、僕は使ったことのあるきれいなトイレでないと落ち着かないのだ。しかし、人間所詮は下水管に目鼻(by山下洋輔)であるから、背に腹は帰られないことが多い。今日もまったく初めてのトイレに入ったそのときのこと。上の写真の物体が眼に入った。トイレに入り便座に正対したときにちょうど左角のところにそれは存在した。ツェッペリンのプレゼンスのアルバムジャケットに映っているそれとは形が違うが、いったいなんだか良く分からなかった。

 人間わけの分からないものに出会うと便意も消えるらしく、僕はトイレに入ってしばらくその物体を眺めていた。壁にぴったりくっついている。よく見ると左の中央部当たりに手をかけるところがあるようだ。おそるそる、そこに手を入れ動かしてみた。開いた。どうやらキャビネットらしい。

オープンしたら、なーんだ、キャビネットか、ケッ!


 しかし、ややこしいものをトイレに置くなよ。このやろーとつぶやきながら写真を撮りトイレから出てきたら、コンビニの店員がカメラの音に気が付いたのか、不審げな目つきでじっと見られ、あせった僕は何も買わずに店を出てマッハ3で逃げたのは言うまでもない。

 最後にお知らせ。たぶん大丈夫だと思うが、ノロウィルスは潜伏期間が2,3日あるらしい。このブログの更新がないときは、七転八倒している可能性があるので、お見舞いの品(出来れば苦しんでいる夕張に連帯して、夕張メロン)や、お金などは随時受け付けますのでよろしく。


真珠の気持ち

ブルーオイスターカルト

 ここ数日、職場の周辺が騒がしい。右翼の街宣車が出没しているのだ。さすがに軍艦マーチをがんがん鳴らしてという情宣はしないが、通りに車を止めて安っぽいスピーカーから絶叫型の演説が続くので仕事の邪魔になってしょうがない。昨日も表通りが騒々しいので、また来たと思ってうんざりしていたら、いつもの人間と違い比較的聞きやすい話し声だった。あの手のアジテーションというのは不特定多数に聞いてもらうというか、受け入れてもらわないとまったく意味がないのだが、えてしてやってる連中はマイクの前で叫ぶことで自己満足しているケースが多い(このあたりあまり偉そうには言えないが)。その日のアジ担当者は話す声も、トーンもやや違っていたのでナニゲニ聞いていたら面白いことを言っていた。「…ということでぇ、私たちの郷土み、や、ざ、き県は、観光宮崎と全国にその名を知らしめていました。しかるに安藤前知事は…、と言うことで、観光宮崎がいまや、談合宮崎(だんごうみやざき)に落ちぶれてしまいました。さらに嘆かわしいのは、この大変なときにそのまんま東が知事選に立候補するということで、今度は淫行宮崎(いんこうみやざき)と呼ばれるのも時間の問題ではないかと~(以下略)」うまい!おーい元ずうとるびの山田君、座布団持ってきて~。

 カンコー、ダンゴー、インコーと見事に韻を踏んでいる。だれかラップにして歌ってくれ力道山に名前が似ている三木道山はどないだ、などと自虐的な前振りでしたが、今日は花の日曜日なのに午後から仕事が入っているのでくつろげない。しかも昼まで寝坊しようと思っていたものの、子供への電話の音で起こされそのままコーヒーを飲んでいたら、実家の母からも電話があり高鍋町のお寺まで車で連れて行ってくれと頼まれた。断るとへそを曲げてバスで行き、おかげで体調を崩したなどと言われるのも嫌だったし、ここしばらくそのお寺にも行ってない事を思い出し連れて行くことにした。ひとつには以前このブログで書いたM九州大学の移転問題の立て看でも写真にとり、ネタにしようという下心行動委員会の決定があったのだ。

 裏道を走ったおかげでスムーズに高鍋のお寺に着き、母が用を済ましている間にそのお寺の縁起をかいた立て札を読んだ。このお寺が高鍋は秋月藩の頃からの由緒がいろいろ書いてあるのだが、ひとつ気になったことは今から○○年前という書き方はこの立て札を立てたときを基にして計算しているので、それをリアルタイムで読んでいる今とタイムラグが出てくる。もちろん10数年くらいの違いだが、別に今から何年前などという表記をしなくても、事件や出来事が起きた年だけ書いておけば、読む人が勝手に計算するのにと思いながらもこれがお役所の考え方なのかとぼんやり考えていた。用が終わり帰り道にせっかく高鍋に来たので牡蠣を買って帰ろうと言う話になり、街中を走ったがお店の場所がわからず結局国道沿いの店で買うことにした。しかし、お店を探しながら繁華街や高鍋の街中を走ったが、「移転反対」の看板もポスターもとんと見かけなかった。大学周辺や、アパートにはそれ風なものがあるのではと、目を凝らしてみたが僕の注意力が散漫なのか、ついぞ見つけることが出来なかった。こんなことじゃ、やり手の理事長に良いようにされてしまうぞなどと心の中でつぶやいていた。学生諸君も高鍋の町民の皆さんももっと怒りをダイレクトに出さないと勝てないよ。などとこれは余計なお世話でした。

 で、帰り道の国道沿いでよく目にするお店に車を止めて牡蠣を買うことにした。水槽の中に大きな牡蠣がごろごろしている。「おいしそうだね、やっぱ高鍋の牡蠣?」と愛想を言うと、店番の漁師の兄ちゃん風の若い男は「いや、大分は蒲江の牡蠣」とにべもない。「え、高鍋のじゃないの?」と聞くと、確かに高鍋の牡蠣は小さくておいしいが数が少ない上に滅茶苦茶高いので、味はひけをとらない蒲江の牡蠣を置いてると話してくれた。アサリもあり、「これは国産?」と聞くと「中国産」との答え。国産を置きたいが今の時期は入らないので、仕方なく中国産を置いていると正直に教えてくれた。最初は少しがっかりして、うそでも高鍋の牡蠣とか国産のアサリと言えばもっと売れるのに、などと考えたが僕自身がとんでもない思い違いをしていることに気がついた。この兄ちゃんは産地偽装とは正反対の正直松太郎の商売をしているのだ。この汚濁にまみれた資本主義社会では珍しい一本気な商売のやり方ではないか。

 産地名をごまかして売れば確かに売りやすいだろう。しかしそうまでして売ることを追求していく結果何が生じるか。無責任とやったもの勝ちの醜い国、将来に希望の持てない腐った魚の目をした人間(©頭脳警察)が足を引っ張り合う「格差社会」とやらではないのか。愛想はないがこの兄ちゃん偉いと心の中で絶賛しながら、牡蠣1キロ1,000円なりで購入した。

 牡蠣と言えば高校時代、英語の時間に「彼は牡蠣のような人だ」という表現を習った。いわゆる”a man of~”というイディオムである。”He is a man of oyster”と言えば「彼は牡蠣のような人=牡蠣の殻のようにぴったり合って開かない=無口な人」という意味だ。ちなみに”He is a man of talent”で「彼は有能な男」と言う意味になる。はい、この“ア マン オブ なになに”という言い方しっかり覚えたかな。ここ試験出でるよって何の話だ。そういえばロックバンドでブルーオイスターカルトてのがいたがあれはどういう意味だったのか。ゴジラがジャケットのアルバムがあったような気がするが定かでない。

 えー、ということで英語の豆知識をちらりと入れたエントリーだったが、牡蠣は酒蒸と焼き牡蠣にして1キロ配偶者とふたりでバクバク食べました(こういうときは我が家の娘二人が偏食なのがうれしい、いやいや喜んではいかんのだが)。おかげで台所は海の匂いでいっぱい。そういえば僕の生まれは漁村だったので、子供の頃磯に出ると岩についた牡蠣を見つけては石で叩き割り、そのまま食べていたことを思い出した。潮味がついてとても美味しかったが、今ではとても出来ない食べ方だ。脱線ついでで申し訳ないが美味しそうな食べ方で、これだけは死ぬまでに一度食べてみたいと言うのが、筍の残酷焼きとか言うやつ。檀流クッキングに出ていた食べ方だが、京都の田舎の筍林でまず筍を掘る。その間に落ち葉をかき集めておく。掘った筍のおしりをドライバーで穴を開け、そこに醤油をどぼどぼ注ぐ。大根を切って栓にして詰め、その筍を落ち葉の焚き火の中に頭から突っ込む。しばらくして火の中から取り出しざくざく切って食べる。取り立ての筍なのでアクはないし、醤油でしっかり味がついているのでとても美味しいらしい。料亭で再現しようにも、筍山と取り立ての筍でないとこの味は出ないそうだ。うう、書いていてよだれが出てきた。サークルの後輩でマス坊というあだ名の男がいたが、彼の家が京都は相楽郡というどえらい山の中で春になると毎日筍だと愚痴っていたことを思い出した。おーい、マス坊これ読んでたら、今度の春に筍山に招待してくれ~。何のエントリーを書いていたのか良くわからなくなったけど、たまには良いよね(毎回や、という厳しい指摘は聞こえない、聞こえない。一休み、一休みって一休さんか!!)。

錯綜する午後

なんじゃこりゃ大福ではありません

 毎度おなじみ昼飯の問題である。今日は午後一番に国富町のお客さんのところに行く予定があったので、昼飯も国富町のうどん屋にした。当然頼むのは「丸天うどんとおにぎり2個」である。こちとら江戸っ子で気が短いのでメニューなんか見ている暇はないのだが、このパターンのオーダーだとまず外れがない。頼んだらすぐにお姉さんが丼と小皿を持ってきた。食べ始めると細めんで昆布のだしが効いている。うどんをすすりながら、おにぎりにかぶりつく。ときどき沢庵、しかし最近うどん屋で沢庵をおいていないところがあるが、この業界もちょっと油断すると「合理化」とか「痛みを伴った沢庵削減」とかやってるようで気が抜けない。しかしあまりうどんやおにぎりだけ見つめながら食べているのも餓鬼みたいでみっともない。まあうどんに限らず、温かい丼物を食べているときの視線のやり場というやつはちょっと困る。あまりあちこち眺めたりすると落ち着きのない、もしかしたら無銭飲食か?などと思われるのも嫌だ。かといって店内の客をじっと見ていたりすると、まだ注文が来ておらず、さりとてもう空腹の限界で今ここで食わないと3時のおやつまで持たないという必死の眦の短気そうなお兄さんと視線が合ったりするとチト河内じゃなくて、ちと困ったことになりかねない。

 こういうときにこそ壁にかかったメニューの札など見ているのが無難なんだが、その店で妙なものを見つけた。「なんじゃこら釜あげ?」思わず声に出して読んでしまった。その横にも「和風ちゃんぽん」だの「勝丼」だのけったいな名前が並んでいる。「勝丼」はすぐ横に「勝カレー」と書いてあったので、「勝」=「カツ」とすぐに分かった。隣がパチンコ屋なのでゲンを担いで「勝」という字を使っているのだろう。「和風ちゃんぽん」というのもなんとなくイメージできるが、本来ちゃんぽんとは「ちゃん」=チャイナ=中国と「ぽん」=ポンニチ=日本のごった煮というか日中合作の偉大なる麺類である。いくら昨今「右傾化」が流行しているからといって「ポンニチバランス」を多くして、息子のゲージュツに対して税金導入という大鉈を振るう某東京都知事みたいな料理にしなくてもいいと思うのだが、あなたどう思います(©筒井康隆)。

 「なんじゃこら釜あげ」はどんな釜あげか気になったので、店の人に聞いてみたら「釜あげうどんに海老天が入っている」との答えだった。たいそうな名前にしてるから何が入ってるかと期待したが、海老天では拍子抜けである。思わず「イチゴとか入ってないの?」と聞いたら「イチゴ?うどんにイチゴが入ってたら面白いね」とあっさりかわされてしまった。聞き方によっては小ばかにされたような感じである。飯を食う前だったらテーブルをひっくり返して、星一徹ごっこをしたかもしれんが(いやいや、それより主を呼べと絶叫する海原ごっこのほうが楽しいか)、腹も一杯だったので笑ってやり過ごした。衣食足りて礼節を知るとはこういうことである。食事が終わり、ようやく落ち着いて店の中を眺めると妙なものが多いことに気がついた。まず狸である。瀬戸物というか陶器の狸の人形はたまに見かけるが、本物の狸の剥製に笠をかぶらせ、徳利を持たせ直立させている。直立した足の間には「たん、たん、タヌキの金○は~」と恐らく日本の善良な児童であれば「キッコーマンの子供の歌」とともに学校の行き返りなどのときにみんなで合唱したであろう、ナニが鎮座ましましている。それはまあ、どうでもいいのだが、この店お茶やお冷はセルフサービスでクーラーボックスみたいな機械のところにコップや湯のみを持っていって注ぐのだが、すぐ横に生ビールのサーバーがあり、ご丁寧にこちらはビールなので間違うなと注意書きがしてあった。良心的なのか、ドサクサにまぎれてちょろまかそうとしているのかよく分からないお店だった。
蛍光灯が反射して見えにくいが狸です

 無事、食事も終わりお客さんとの話も終えて宮崎に戻っていたら、やたらヘリが飛んでいてうるさい。何事かと思ってラジオをつけたら元県知事がついに警察から呼び出されたようだ。任意同行だが容疑が固まり次第逮捕とのこと。やれやれ、矢島の金ちゃんも間に合わなかったかなどと考えながらその日が終わった。そういえば今日はやたらジョンの歌がオンエアされるなと思ったら、命日であった。ダブルファンタジーの曲やイマジン関係の音が立て続けに流れている。「愛と平和のジョンレノン」か、別にいいんだけど、僕の好きなジョンレノンはパラノイアと狂気の人だったが、死はすべての人格を美化する(by drac-ob)。このあたり、昔の僕ならいろいろ理屈を並べ立て、一方的な論理展開をするのだが最近人間が出来てきて「ならぬ堪忍するが堪忍、仏百までわしゃ九十九まで、雀百までロックンロール」という境地に収まっているのであえて波風は立てない。

 が、しかし。おかしいことにはおかしいと言わせてもらおうじゃないか。どうせ死ぬときは一人だ!何の話かというと、帰り道の車のラジオでジョンの命日特集のDJの発言。さすがに40代の人のリクエストが多く、「ダブルファンタジー」を出して活動再開し始めたジョンが殺されたことに憤りを感じる手紙の紹介の後このDJ氏は「みなさん、ご存じない方が多いようですが、76~77年にビートルズが再評価され、ラジオのどのチャンネルを合わせてもビートルズナンバーばっかりという時代があったんですよ」などと喋っていた。ちょっと待て、ちょうど僕が大学2~3回生の頃だけど、そんなブームあったか?76,77年といえばビージーズ全盛というかディスコサウンド全盛の頃で、今はゲーハーで見る影もないが当時は長髪で女の子のアイドルだったピーター・フランプトンとビージーズで「サージェントペッパー」なんていうわけのわからない映画だがアルバムを作った頃ではないか?

 ジョンは音沙汰なしの頃だし、ポールもウィングス時代でフィラデルフィアサウンドなんかの影響をもろ受けてた頃で、スマッシュヒットはあったけどぱっとしなかった頃だと思うが。そういえば「第二次世界大戦」というタイトルでビートルズのカバーばっかり集めたアルバムがあったな。ブライアンフェリーが「シーズリービンホーム」を歌っており、あの曲の美しさを気づかされた事を思い出した。うーん、何べん考えてもそんな「どのチャンネルでもビートルズナンバーが流れていた」という時代ではなかった、というかそこまでの時代は少なくとも戦後日本にはなかったといえるのではないか。たいしたことではないかもしれないが、こういうところから歴史の捏造は始まる気がするのだ(最後がまとまってめでたし、めでたし)。

ちょっと早いクリスマスプレゼントフォーミー!

これのBタイプを購入、うれしいな。

 入荷までに3週間かかると言われたパソコンが今日入った。うれしくて、うれしくて今いらいまくってるところです。あ、その、いじり倒してるというか触りまくってるというか、言い換えれば言い換えるほど、妙なニュアンスですが、私は「天地神明に誓って」痴漢行為はしていません。ミラーマンからサワリーマンになったというフレーズが強烈だった、スポーツ報知からのパクリです。今日はやらないといけないことが多いので、また改めてエントリーはアップします。

スマソ、今日はとことんローカルな話です。

 とうとう県知事が辞職したと思ったら、そのまんま東が「そのまんま会」という政治団体を立ち上げ、自ら代表になったらしい。「そのまんま会」などというネーミングは、正にそのまんまやないか!と突っ込んだり、そのまんまだと現状肯定すなわち談合万歳主義ではないかという疑問が湧くのだが、この手の話はさておいて、働くおじさん(©NHK)にとって昼飯の問題(©シーナマコト)は一日の大事なテーマである。とりわけ僕は朝、コーヒーしか飲まないので、昼飯はその日の貴重なエネルギー源の摂取である。それなのに、ああそれなのに毎度毎度うどんとおにぎりなどという食生活を続けているのは、富栄養化社会に対するアンチテーゼというか、栄養バランス資本主義に対するルンペンプロレタリアートの反逆の狼煙であるということは全く無くて、ただ考えるのがめんどくさいというか、安くてお腹が一杯になり、そこそこに美味しいという貧乏三位一体の原理原則が働いているからだ。

 てな事を考えながら、今日お昼過ぎに『さあこれから外回りだけどとりあえずメールをチェックしてから出かけよう』とPCの画面を見たら、見かけない名前でメールが届いていた。スパムだろうと思って削除しかけたが、良く見たら今年一緒に職業訓練校に通ったK岩君からであった。内容は僕が以前働いていた職種に関することで、事情がありそうだったので都合がつけば一緒に昼飯を食いながら話そうと返信した所、すぐ電話がありJフルで会うことにした。K岩君とは約半年振りに会うのだが、以前と違ってネクタイ姿も凛々しく、しかしながら目は落ち窪み顔色は真っ青だった。聞いてみると昼、夜かけもちで働いてるとの事。他人の仕事のアドバイスが出来る身分ではないが、このブログスタートの大きなきっかけになった元「ビジネスソフト実務科1月生」の仲間だけに、亀の甲より年の功というやつで分かる範囲で答え、最終的には自分で考えて結論を出すよう話した。人間死ぬ時は一人であるから、事を決断する時も一人で決めるのが良いのではないかというのが、僕のポリシーだ。

 堅い話が終わり、以前の仲間の話をしたが皆それぞれ忙しくなり、ほとんど連絡も取れていないらしい。僕も8月に数名で集まって食事会をした以外はメールをたまに送るくらいで、T本さんのmixiすら覗いていない。又今度集まりたいねなどと話をして別れた。職業訓練校で一緒に学んでいた頃は、不思議な友情と連帯感が漂っていたがこの熾烈なシャバに出てからは、皆それぞれの道を大変だけど歩いているんだな、などとぼんやり考えた。3時過ぎに休憩している時に、今日のことを誰かに伝えたくなり、久し振りに我が心の恋人M島さん(人妻、一児の母。あれ、二児の母だったか?要するに子持ち)にメールした。それから、ちょっと忙しくなり『ラーメン屋ののぼり』に憤ったりしていたのだが、4時過ぎに気がついたらM島さんから返信が来ていた。本人の承諾も取れているので、そのメールを引用する。

昨日から学校からの研修生が私の職場にきてます。今日その人と話す機会があっ
たので、授業での電話応対でK岩さんの部長が出てきた話しをしたら、その話先
生から聞いたぁ。と言ってました。おもしろい話は次の生徒へと引き継がれるん
ですね。今日私がK岩さんを思い出しのはちょっとした偶然!?


 「授業での電話応対」というのは、一応パソコンの技術の訓練校ではあったが、そこはそれ雇用能力を開発する事がその学校の狙いなので、就職のための電話応対の勉強としてロールプレイングの授業などもあった。その中でクレーム言う人、受ける人みたいなのがあって会社の総務に外線がかかり担当者に代わるよう言うのだが、あいにく担当者は病欠、サブの担当者は外出中、上司は社内にいるがどこにいるか分からない、責任者の部長は会議中とかいう設定だった。正直言って、それまでの経験でクレームの修羅場はいやというほど踏んでいたので、軽いジャブのようなロープレーだったが、ほかの若い人たちには結構難しく感じられたようで、敬語がおかしかったり話に一貫性が無かったりして講師の先生にその都度指摘してもらっていた。

 そうこうするうちに僕の順番が来た。相手はK岩君で、例によって僕は大人げないクレーマーと化してなんだかんだと難癖をつけた。色々理由を話して電話を終わらそうとするK岩君に、あーでもない、こーでもないと文句をつけ、クレーマーの決まり文句「お前じゃわからんから社長(この場合は部長)を出せ」と凄んだ所、会議中だったはずの部長が電話に出て来てクラスの皆大笑い。ロープレーの後でK岩君曰く「あそこで部長が出ないと、もう引っ込みがつかないでしょう。会議どころではなかった」とのコメントがまたまた受けました。

 とまあ、今日はお昼と午後のちょっとした一こまをお送りしたわけだが、本当は今日は『ラーメン屋ののぼり』に憤った話をアップするつもりだったのだ。どういうことかというと、えーと、これは全国フランチャイズかどうか知らないが(九州限定くらいじゃないかな),博多K龍というラーメン屋がある。かれこれ7,8年前にオープンした店で、当時ラーメン好きの友人曰く「丼から溢れかえるチャーシュー」が目玉と聞きすぐに行って食べてみたが、正直イマイチであった。大体博多ラーメンというのは、本来久留米ラーメンと呼ぶのが正しいのではないかと思うのだが、このあたりは博多屋台支持者から異論・反論が来るかもしれないので、曖昧に誤魔化しておく。要するにこのK龍は僕はあまり好きではない、というか積極的に嫌いである。そのお店の横を車で通った時に妙なのぼりを目にしたのだ。

 「漫画総入れ替え」とのぼりには書いてあった。「人気」とか「流行」とかの文字も見えた気がする。つまりラーメン屋のくせに味で勝負せずに、待ち時間にヒマツブシで読むマンガを総入れ替えしましたよ、ほら人気の○○の単行本も入ってますよというところで客引きしようという戦略らしい。本末転倒ではないかね。確かにラーメン屋さんとマンガは良く似合う。しかしそこで読むマンガは何時の物か分からないとか、おー、懐かしい昔流行ったよなとか、クソ、こんなとこに麺をこぼしやがってとかブツブツ言いながら読むものである。決して今流行中のハードカバーの単行本ではないのだ、とやや錯乱気味に絶叫する心だー!!(別に小沢昭一的こころを真似てるわけではありまっせん!!)

アミーゴ、たまには音楽の話でも

 時事ネタは難しい。昨日アップした安藤知事の談合疑惑だが、失職を選択すると思われていた知事が本日辞職を選んだ。一部のニュースソースでは昨日中に辞職の決心を固めていたとの事だ。思い起こせば26年前、当時の宮崎県知事だった故黒木博氏が逮捕された事件があった。その後の裁判で無罪判決が下りたが、イメージダウンは計り知れなかった。この事件を仕掛けたのがゲジ眉で、そのルックスを逆手に取り「真の悪役が日本を救う」などと豪語したE藤T美で、その二代目の息子は郵政民営化反対を表明し、圧倒的な支持を集め衆議院選挙に勝ったものの浪人生活は嫌だと泣きを入れ今回のZ民党復党グループ11名の中にいて、宮崎の恥をさらしているのは有名な話である。えー、イニシャルトークで誰のことか全く解らない話で申し訳ないが、思い切り想像力を働かして欲しい。例えばの話だが「E」の文字は漢字の「江」という文字が入るのではないかとか、「T」は「隆」、「Z」には「自」の文字が当てはまるのではないかと尋ねられたら、『何故解った!?』と大声で答えるしかないのですが。

 まあ、この手の話は僕のブログには合わないので、いつもの趣味のいい音楽の話に切り替えよう(誰も言ってくれないので自分で言うしかないが…)。昨日は見慣れない着信番号が携帯に入っていた。連絡してみると宅急便で、3~5週間待ちのはずだった鈴木勲の「BLOW UP」を届けてくれた。学生時代にクラシックファンだったF原から教えてもらったアルバムだ。ちなみにこのF原は同学年で工学部、土佐の高知の出身で「なんですろF原」と呼ばれていた。夏場は「レインボーサンダルのF原」とも。その由来は、ある日BOXで同じ土佐出身の、確か高校も同じだったのではないか、S賀先輩がF原を呼んだところ、「なんですろぅ、なんか用ですろぅ?」と答えて周囲の人間の度肝を抜いたのだ。というのも普段からあまり喋る男ではなかったが、たまに話すときは変に気取った標準語だっただけに、ネィティブの土佐弁に驚いたのだ。しかし一番驚いたのは同郷のS賀さんで、曰く「お前、なんですろぅっていつの時代の人間や?きょうびそんな言い方するのは高知でも80過ぎた爺さんくらいやで」と説明してくれて、なるほど彼は滅び行く土佐弁をこの京都の地で断固死守するために日夜健闘しているのだ、などとは誰も考えず、大いに笑いその日から彼は「なんですろF原」と呼ばれることになった。ついでに「レインボーサンダル」というのはある夏の日に彼がBOXに履いて来たサンダルの鼻緒というのか、あの足の指に引っ掛かる部分の太さと色合いとその派手さからつけられた愛称(蔑称?)である。

 この「BLOW UP」はLPレコードは持っていたが、ずいぶん長く聞いておらず今回多分10年ぶりぐらいに聞いたんじゃないかと思う。ライナーを読んだらドクタージャズの内田修さんや「スカッチはクレイモア」のいソノてルヲ氏、鹿児島のジャズフリーク中山信一郎氏(不覚にもこの人が脳梗塞で入院中とは知らなかった。早く全快する事を祈念いたします)などのコメントがあり懐かしかった。実はこのアルバムで一番気に入ってるのはオマスズのベースではなく菅野邦彦のピアノなのだ。日本のビル・エバンスなどと呼ばれていたが、もっとビタースィートなタッチで沁みるピアノを弾く。曲によっては裏方でしっかり演奏を支え、歌心のある曲では思い切り奔放に弾きまくる。ドラムのジョージ大塚もナベサダではないが「ゴキゲン」な演奏をしている。昨日は嬉しくて、下の娘の塾の迎えの車の中で大音量でかけていたら、娘から「うるさい、こんなピアノのどこがいいの」と言われ「所詮女子供にジャズは解らん!」などと聞く人が聞いたら烈火のごとく怒ってしまうようなサベツ発言をしてしまった事を自己批判します(土下座)。

 それとこのアルバムについては後日談があり、僕が大学6回生のころ(恥)帰省して地元のジャズ喫茶に行った時のこと。あれ、ジャズ喫茶じゃないか、ライブも出来るしお酒が主体の店でスペイン語で「友達」という意味の単語を店の名前にしているところで、大上瑠利子並の恰幅のいいママさんとキリギリスみたいに細く、外見は哲学者みたいなマスターがやってるお店だった。結構宮崎のジャズファンとジャズファンを装ったスノッブが集う所で、生意気盛りの僕はよく店の二人に議論を吹っかけたりしていたが、軽くダッキングされて終わりというケースがほとんどだった。一度だけローカルナショナリズムと地方で有名なお店であることの自己満足についてマスターに絡んでいたところ、どこかで地雷を踏んだらしく初めて真顔で怒られた事があった。あら、話が逸れた。そのお店で日本のピアノでは菅野邦彦が一番好きだとそこに行くたびに吹聴していたのだ。ある晩県庁に勤めていた同級生と一緒にその店に行ったときの事、たしか平日の水曜か木曜で、客は僕たち二人きりだった。

 店のママが電話を終えて僕たちのところに来て「今からジョージが来るよ、もしかしたら菅野も来るかも」と言った。ビックリして聞き返すと、ツアーの途中だかなんだか分からないがジョージ大塚が他のジャズメンとオフで宮崎に来ており、今からウナギを食べにこの店に来るとの事だった。その店にもアップライトのピアノはあったので、菅野さんが来たら「エブリシングハプンズトゥミー」をねだろうと待ち構えていた時だ。「よう!」と野太い声がしてカイゼル髯の小太りの男と痩せ気味の若そうな男が店に入ってきた。ジョージはジョージでも川口さんのほうで、一緒に来たのはベースの水橋孝さんだった。お二人は出前のウナギを黙々と食べ、その間は声をかけるのも憚れるような雰囲気だった。ようやく食べ終え、お茶を飲んでいるところをママが話しかけ、たまたま客の僕たち二人も会話に参加させてもらえた。

 一体全体どうしてジョージ大塚が川口になったのか、最後まで分からなかったが伝説の川口さんは本当に話の面白い人だった。川口さんは一滴もアルコールは口にしない。代わりにコーラを水代わりにがぶがぶ飲み。ライブの後はバケツで飲むそうだ(ほら、始まった。ジャズミュージシャン特有のホラ話だ)。ベトナムで米軍に護衛してもらいながら川で泳いだ話とか、後に本で読んだジョージ伝説のエピソードのいくつかを直接話してもらい、彼の独特な話し方と身振り手振りで全て本当の話と思ってしまうくらいの迫力だった。よく覚えているのはプロの手は、プロの手でドラムの練習のし過ぎで指が変形したとかなんとか言われ、調子に乗った僕が握手してもらい、ついでに水橋さんにも手を差し出したら「僕はまだ修行中だから」といって拒否された。その時の水橋さんの表情にいつかは自分もジョージさん以上のミュージシャンになるという決意を見たというのは、こちらの勝手な思い込みだったか。

 結局、菅野さんは宮崎には来ていないことを聞き、ジョージさんに何か叩いて下さいとお願いしたもののオーディエンスがたったの二人ではやる気が出ないのは当然で断られ、またいつかどこかのライブハウスでお会いしましょうといって別れた。それから、その店には何度か行ったが僕自身が関東や鹿児島で働いているうちに何となく疎遠になり、最近聞いた話ではもうずいぶん前にお店は閉めたそうだ。

 そんなこんなで、本日は義父の命日だったので配偶者と一緒に都城市へお墓参りに行った。行きしなの車の中で加川良の「やぁ」をかけて、このアルバムにランディ・ニューマンそっくりの曲がある(「セイルアウェイ」と「旗の下に集まろう」にクリソツなのだ)
とか、先だってのライブで演奏した歌があるとか話したがほとんど反応は無かった。やはり、あのライブの時は半分寝ていたのだ。次に下地勇の「ATARAKA」をセットし、これは宮古島の方言で歌っているからと説明しておいたのだが、2曲目くらいで「これ何語で歌ってるの?」と聞かれ、こやつは人の話を聞いていないと判断。しょうがないので「まっちゃのおばぁ」という曲における「コンビニエンスや大量流通のスーパーマーケットなどの大資本がいかに零細店舗を圧迫し、便利さ・快適さの名の下に弱者をいたぶるコイズミ・アベ連合的陰謀があり、それが日本の未来を、ウォウウォウウォウ~、いかにダメにしているか」について語ろうかと思ったが「人を見て法を説け」という先人の言葉を思い出して止めておいた。もう一つは熟年離婚と言う言葉で、まあ、これはドンと来い花の一人暮らしでネバーマインドなのだが、保険金狙いの毒殺とかされるのは嫌なので、とりあえず穏便にしておいた(何のこっちゃ?)。

 その墓参の帰り道にオープンしたばかりのGE○(これはマルであってアルファベットのオーではない)を発見し、後輩のSM氏を真似て特売のコーナーを物色。380円のところで、バグルスの「The age of plastic」とブライアン・フェリーの「In your mind」、ジョン・デンバーの「unplugged」そしてスザンヌ・ヴェガの「街角の詩」を購入。バグルスはかの大ヒット曲「ラジオスターの悲劇」が入ってる超有名なアルバム。僕は学生時代に始めてこの曲を聞いたときに♪ビデオキルズザレディオスターの部分を♪レディオキルズザレディオスターと聞き間違え、「ラジオがラシオスターを殺したというのは何かの隠喩だろうか」と考え込んだ事があった。今考えると、授業に出てなかったのでヒアリングがダメだったのだ。ブライアン・フェリーはもちろんロキシーの頃から大好きで、学園祭でやったオカマ喫茶の店の名前も「ROXY」にしたくらいだ。ソロアルバムは1枚目のが大好きで彼の選曲やアレンジのセンスの良さには驚嘆した。「ユーウォントシーミー」や「イッツマイパーティ」、「愚かなり我が恋」なんかはオリジナルより彼の歌うテイクのほうが気に入ってる。もっとも体調の悪い時に聞くとあの粘着質なボーカルのせいか悪い夢を見てしまうので注意が必要だが。

 ジョン・デンバーは悲劇の事故からもうどの位たったのだろうか。いかにも典型的なアメリカカントリーボーイといった外見と言動は好みが分かれるだろうが、フォークソングの一つの時代を作った人でもある。個人的には生まれて初めて買ったLPレコードが彼の「詩と祈りと誓い」だった。シカゴのレコードにするかずいぶん迷ったが、当時引っ越して間が無かったので「故郷に帰りたい」が入っているほうにした。おまけでビートルズの「レットイットビー」のポスターを貰ったのを覚えている。ライブ盤だろうと思って買ったのだが96年に取り直した演奏で、声がずいぶん太くなっていた。最近まで知らなかったのだが、僕の好きな「シティオブニューオーリンズ」、アーロ・ガスリーが歌ってヒットした、は彼のオリジナルだった。

 最後のスザンヌ・ヴェガは僕がいわゆる洋楽に最も離れていた時のミュージシャンでほとんどまともに聞いたことが無い。これからじっくり聞いてみようと思っている。デビューした頃は週刊誌かなんかで見かけて、リッキー・リー・ジョーンズのパクリかと勝手に決め付けていたのである。えー、どうやら何とか音楽記事っぽくなったので今日はここまで。そうだ、学園祭の話の続きはどうしようか…。 

近頃田舎に流行るもの…

Who’s Next
 気がついたらもう12月の2日である。正確に言うとあと30分ほどで3日になる。今年も気がついたら1年の終わり、油断も隙もあったもんじゃない。ブログの更新も遅れていたが、シリーズ物のEVEの話はアップするタイミングを逃してしまった(ウソです、単なる度忘れです)。まあ、ブログの更新が遅れたのには理由がある。今、日本全国で大流行している談合・贈収賄・公共工事黒い霧・県知事の犯罪のビッグウェイブがついに我が地元宮崎県でも勃発してしまいてんやわんやの大騒動だからだ。

 新聞やテレビのニュースでご存知の方も多いだろうが、福島・和歌山・宮崎と続いてきた談合問題はその後もあちこちで続いている。今隣の部屋でテレビが成田の市長の話をしていたかと思えば、奈良の数年休みまくった市の職員の配偶者がやはり談合していたと言う。正しく「談合3兄弟」状態である(やると思った、止めとけば良いのに。今年はタラコだろと陰の声が…)。さて地元宮崎の様子はニュースから引用したい。以下毎日新聞より抜粋。

宮崎県発注の設計業務を巡る官製談合事件で、建設情報コンサルタント「ヤマト設計」(東京都)に受注させるための談合を指示したとして競売入札妨害容疑で逮捕された県出納長、江藤隆容疑者(63)が県警の調べに対し、安藤忠恕(ただひろ)知事(65)から「ヤマトをよろしく」と依頼されたと供述していることがわかった。県警は安藤知事が談合を主導したとの疑いを強め、強制捜査に踏み切る方針を固めた。近く検察庁と最終的な協議に入る模様だ。事件は、早ければ週明けにも重大局面を迎える見通しとなった。
 県警は、ヤマト社側から04~05年、安藤知事の政治指南役に計約1000万円の「顧問料」が提供されていた問題について、受託収賄罪などに当たる可能性があるとみて、捜査を同時に進めてきたが、江藤出納長の供述などから談合事件での立件を先行させる方針を決めた。

 この安藤知事は以前も選挙の時に応援してくれた人間に対して当選後の処遇を確約する念書を書いたとか、書かされたとかで問題になったことがある。昔、どこかの政治家の奥さんが言ってた「脇が甘い」という奴なんだろうか。しかし3年半ほど前の知事選の時この人のライバル候補は県の出納長出身で当時の建築業界はこぞってそのライバル候補を応援していたが、まさか安藤知事本人がこういった談合疑惑に陥るとは夢にも思っていなかっただろう。しかしながら、この事件僕はもう一波乱あると読んでいる。賢明な読者の皆さんももう一度上の引用記事を読んでみて欲しい。そこに事件解決のキーワードが含まれている。

 ほら、もう気がついたでしょ。「ヤマト設計」「ヤマトをよろしく」、そう「ヤマト」といえば矢島金太郎がいるではないか。サラリーマン金太郎である。ちなみに僕はスポーツマン金太郎が好きだった。

 えーと、その、まさかいないとは思うけどマジで読んでた人がいたら御免と謝ります。しかし、こんな馬鹿なことでも書かないとやってられないのよ。なんせヤフーのトップページにも「宮崎談合」の文字が躍ってるし、やりきれません。ただね、さっきチラッと書いたけど前の選挙で安藤知事のライバル候補を押していた人たちは言葉は悪いけど「公共工事のおこぼれ」に預かろうとしていた訳でしょう。♪五十歩百歩だ、ピストル6丁とゲバ棒と何にも変わりゃしない(セクトブギウギ by 頭脳警察)なんだから、今回の談合疑惑の後また知事選があるだろうけど根本的な解決はどうなんだろうか、と無力感にとらわれそうな日々が続きます。ところでこの安藤知事についての書き方があまり手厳しくないと気がついた貴方は鋭い。いやー安藤というと渋谷の安藤組もカッコよかったし、昔の学友会の委員長にいたのよっとこれは楽屋落ちでした。

 などと呟いていたら、ウルトラシリーズの訃報が連続した。ご存知実相寺昭雄監督が29日に亡くなられた。昭和の子供たちにとってはウルトラQ,マン、セブンそしてS.R.I.怪奇大作戦などの名作で御馴染みの監督だ。そういえば「怪盗ルパンパン」という小説も書いており、出てすぐ読んだがほとんどストーリーを覚えていない。あまり小説としては頂けなかったが、ルパンとパンパン(ゴホン、最近女性の方が読んでることを知り表現には細心の注意を払っているのですが、あの、なんというかパンパンという職業のことですって説明になっとらんだろーが!)を掛け合わせていることと、そのアナーキーな文体だけは印象に残っている。先日わざわざバルセロナまで行って、ンコテロをしたことをバクロした燐さんがいみじくも「つくづく昭和は遠くなりにけり」と書いていたが、映像に続いて音楽も彼岸の国に行ってしまった。

 宮内国郎さんが27日にお亡くなりになった。ウルトラQのあのおどろおどろしい音楽。ウルトラマンの未来に明るい希望をもたらす歌を、そしてあの異質なドラマ「スペクトルマン」のテーマもこの人だ。いやはや僕たちが子供の頃に夢を与えてくれた人たちが次々と旅立っていく。ロックバンドのザ・フーじゃないが"Who's Next?"と口をついて出そうだ。

 などと辛気臭い事を書いてもガラではないので、80年代前半に働いていた会社で流行った替え歌を一発お送りしたい。当時僕は茨城県のつくば市に転勤で来ていた。仕事は教材の営業とアフターフォローだった。営業数字が悪い時は車の中で大声で歌っていた。

♪胸ーにつけーてるマークは○○(ここ社名)。自慢のトークで配布する(サンプルテストの事です)。学園都市からアポ取るために来ーたぞ、我らが配布マーン。
あと2番、3番あるのですが一部忘れていて、覚えているのは♪父親相談怖くは無いぞ、売るぞ○○(商品名)クローザーと♪無理矢理決めたらキャンセル来たぞ、それでもめげなーいマネージャー、と営業社会でのステップアップというかアシストからクローザー(いわゆるセールス)、そして営業マネージャーと立場が上になると色々苦労が絶えないのだが、それに比例して面の皮も厚くなり、多少の事では動じなくなる様を見事に衝いていた歌でした。

 話はテンで纏まらなかったけど、このお二人のご冥福を祈って合掌。

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