振り返ってみたら落ち葉のコンチェルト

大銀杏 銀杏は残念ながらない

※今回のエントリーはなるべく食事時間の前後を

避けてお読み頂くと嬉しいです。

 
 僕は以前から外回りが多い仕事だったので、結構あちこちでWCを使う。いきなりなんだと思われかもしれないが、結構大事な問題である。良くビジネス本にWCの状態で流行る店、流行らない店が決まるとか、売上を上げるにはWCの掃除を一生懸命にやればいいとかまるでオカルトか新興宗教の教祖みたいなことが書いてあるが、あながちウソではない。もちろん例外はあるが、例えばコンビニのWCが汚かったら、その店には二度と行かないだろう。しかし、いかにお店の人が気をつけていても、ンコテロリストみたいな奴は必ずいて、普段はきれいなWCだから安心して入ったところ惨劇を見てしまい、しかしながらのっぴきならぬ状態だったので背に腹は変えられない、出物腫れ物ところ構わず、切捨て御免とばかりに用を済ませ、すがすがしい顔で出てきたところ洗面所に妙に赤ら顔の妙齢の異性の人がいて、すれ違いザマに個室に入られ「ん、え、ぐが」と言った声なき声が聞こえ、「それはぼくぢゃないよ」と心の中で呟きながらも、この無実の罪を晴らすにはリチャード・キンブル以上の苦労と努力が必要だから、見て見ぬ振りして出てきてしまった、ある日の午後と言う経験が誰しもあるだろう。ああ、しんど。

 まあ、僕も今となっては時効だろうからここに書くが、鹿児島の川○市の原子力発電所の見学に行ったとき反原発の狼煙をどこかで上げねばならぬと思いながらも、有効な方法が見つからぬままWCに入り和風便座に「考える人」のポーズで座っているうちに、『そうだ、これを流さずに出てやろう。他人のンコを流す時の惨めな気持ちをここの職員に植え付け、今後WCに入るたび他人のンコ恐怖症になり、ひいては原子力発電に対しての見解が変わるかも知れない。これこそ旧態依然の反対運動に一石を投ずる運動になるかもしれん』などと、これこそ正に牽強付会というかgoing down理論をでっち上げ実践したのだ。何でまたそんなところでンコしていたかというと、当時○州電力のアゴアシツアーで数千円払うだけで鹿児島への1泊二日ツアー、豪華ホテル、移動バス内ビール飲み放題付きという奴に浮世の義理で家族4人参加した事があったのよ。若気の至りだ、許してくれ。しかしアンチの姿勢は貫徹したぞ(オッサン、それはウンチの姿勢の間違いではないんか!堪忍、カンニン)。

 とまあ、のっけからしょうも無い話ではあるが、今日は写真付きで簡潔なエントリーを心がけてるので、あと少しだけ。この写真は僕がよくWCを利用する公園に生えているイチョウの木。南国宮崎もようやく秋の気配から冬に向けて衣装替えというところ。反対側が神社なので立派な木が多いが、このイチョウは夏は木陰を作ってくれ、この季節は見事な落ち葉を見せてくれる。ああ、一服の清涼剤のようだ。前半の話は何だったのか良く解らないが、次こそはEVEの話です。SM君乞うご期待。ちなみにいきなりンコの話を書いたのは、このブログとこのブログのせいです。決して僕の資質とは関係ありません。おっとっと、音楽ブログらしく(どこが!)最後は反原発と言えばこの人ジャクソン・ブラウンの"Runnin' on Empty"をお口直しにどうぞ。
スポンサーサイト

エブリシング・ハプンズ・トゥー・ミー

鈴木 勲 ”blow up
 
 昨日は仕事が終わる頃から、少し寒気がしたのでいつもより早めに風邪薬を飲んで寝た。そのせいか朝までぐっすり眠ってしまい、気がついたら携帯が鳴り響いていた。宅急便だった。昨日AMAZONから「ご注文の発送」メールがあったばかりだったので、今までの経験則から届くのは早くて月曜の午前中と思っていたがなんと翌日到着。これは初めてのことだ。届いたのは配偶者が眼に良いと言ってるカ○スとかいう健康食品だった。同時に注文した鈴木勲の「blow up」は限定品のせいか3~5週間待ちなので「CACA」と同じく、自分にとってのクリスマスプレゼントと考えるしかない。その電話ですっかり目が覚めてしまい、昨日サボったブログの更新をしようと思っていたら、また電話がなった。大学の1年先輩のT原さんだ。この人はメールを送っても返事が来ないわ、忘れた頃にほんの1行くらいの返事がくるわでコミュニケーションに相当問題がある人だ。また気が短いので待つ事が出来ない(生まれながらの短気に年寄りの短気が加算されてるので始末が悪い)。今日も呼び出し音が4.5回鳴ったら切れてしまった。

 慌ててかけ直すと、声が大きい上に後ろで音楽が流れているため聞き取りにくい。最初の話は僕が1ヶ月以上前にこういう男を知らないかとメールしたことの返事に対するエクスキューズだった(解りにくいな。つまり僕が先輩であるT原さんにある男の事を尋ねたメールを送った。例によって返事が無いのですっかり忘れていたら、突然「局のI崎ではないですか」というメールが来て、何の話だろうと考え、ようやく『あ、あいつI崎か、うん、その可能性大だな』と思い、ありがとうのメール送った所、また返事が無かったといういきさつがあるのだ)。「うん、間違いない。俺より1年下だったけどアイツ浪人してたから、年は一緒や。それでT寮におったし、局で~」などと一人でまくしたてる。その間も後ろで音楽が流れているが、どうやらイーグルスのベストのようだ。「ところで、昔ピンクレディーが『ホテルカリフォルニア』ライブで歌ってたな」といきなり言われたので、つい「そうそう、♪遊びにお出でよ、ホテルカリフォルニア~だったっけ」と答えると、「そうだそうだ。でもあの歌詞がどうして『遊びにお出でよ』になるんかな。洒落か、マジか、勝手に作ったのか?」などと今更30年近く前のことを言われても困るのだが、学生時代の先輩・後輩という関係は結構あとあとまでその力関係は続くのだ。

 「よう、解らんけど、勝手に作ったんと違う?あんな重たい歌詞をそのまま歌っても受けんやろ」と相手すると、このオッサンの暴走は留まる所を知らず、最近聞きなおしてるがイーグルスはいい、サンタナもいい、ロータスのCD聞いたか(聞いた、聞いた。ブログにも書いた)。最近は若い女の子にクラプトンを教えてるとこやなどと支離滅裂な話になった。挙句の果てには「いや、しかし日曜の朝からビール飲みながらイーグルスやクラプトン聞くと最高やね」などと言い出した。朝っぱらから飲んどるぞ、このオッサン。この人今単身赴任で福岡にいるのでやりたい放題やってるようだ。しかも職場が大学なので、大方今の何も知らない女子学生にあること無い事喋りまくってるに違いない。例えばこうだ。「クラプトンも昔は下手でな、あんまり下手やからワシ言うたったんや。『おまえのギターはブルース(=魂)がない』って。そしたら落ちこんでナ。クスリやら酒やらにハマって演奏できんようになった。こら、あかん思って鼻の大きいギター弾きに『あんじょうしたらんかい』言うて、それでやったのが『レインボーコンサート』や」

 これくらいのことは平気で言うのが僕のサークルの先輩である。たまたまお隣の鹿児島出身だったのでサークルに入った当初から親しくしてもらったが、この人からはろくなことは教わらなかった。最初に教わったのは麻雀と試験の問題の答え方だった。試験の答え方なら真面目ないい先輩じゃないかというのは大きな間違いで、この人が入学した74年は大学の学費問題で試験が中止になり全教科レポートに切り替えられた年だ。従ってレポートを書いて出せば最低点はもらえて、単位はゲット出来た幸運な年である。良く「試験なんか、三味、三味(シャミ、シャミ)。あること無い事書い取ったら何とかなる。最低『可』で通る」。この言葉を真に受け、一切勉強せず麻雀道とロックに専念したおかげで1回生の時取れた単位は5単位だった。えーと保険理論と宗教学だけ。まあ、この2教科はそんなに勉強しなくても単位がもらえるのだが。そうそう、僕自身の名誉の為に付け加えると、宗教学は問題が2問あって1問目は宗教の分類に関するシビアな問題で、これは試験前に情報を入手して勉強したところが出た。2問目がレポートで「あなたにとって宗教とは何か」というテーマだった。以前ちらっと書いたが、このテーマに対して”God is the concept by which we measure our pain”とジョンの「God」のフレーズを書き、所詮神は苦痛の度合いを計るために人間が作り上げた概念に過ぎないなどと今考えると罰当たりな事を延々と書き、後期試験は試験日を間違えて受けなかったにも関わらず、『優』で通ったのは日頃からシャミを鍛えたおかげであろう。

 しかしこの人は逃げ足だけは早かった人で、昔北白川で一緒に飲んで帰る途中(良く考えたら当時T原さんは下鴨に住んでいたから、帰り道は反対のはずだが一緒に修学院方向に歩いていたのは、例によって家に帰るのが嫌で後輩のところに泊まり、あわよくばそこの下宿の連中を麻雀でカモろうという下心があったにちがいない。この人の『下心行動委員会』と『下半身実行委員会』は暴れん坊将軍並であった)路上駐車していたトラックを見つけた。酔った勢いでT原さんが運転席に上るとドアがロックされてなく、二人して運転席で「べいびうぃあぼーんとぅらん」とか「ぼ~~~んとぅびぃ~わ~~あ~ぃる」等と喚きながら騒いでいると(クラクションも鳴らしたような希ガス…)、「ドロボー」という声が聞こえた。自分たちが言われているとは微塵も思わず「T原さん、ドロボーらしいで」「そら、捕まえんとあかんな」などと喋りながら、車から降りると物凄い勢いでこちらに駈けて来る人影が見える。「ドロボー、そいつら捕まえろ!!」と叫んでいる。

 あ、俺たちがドロボーと間違われてるんだと状況判断し、ふと横を見るとT原氏はマッハ3(ガメラ並みのスピード)で逃げ出し、影も形も見えない。こりゃヤバイ。僕も逃げ出したが何しろ飲んだ後で息がすぐ上る。追いつかれた上に転んで、追いかけてきた相手が馬乗りになった。「お前かドロボーは」と相手の剣幕は凄い。こちらも訳が分からず「ドロボーちゃいます、学生です!!」と叫んだ所、「なんや、学生か」とこちらが拍子抜けするくらい簡単に釈放してくれた。息を整えて事情を聞いたら相手の人も飲んだ帰りで、通りを歩いていたら先のほうで騒ぎ声が聞こえる。近づいて見るとトラックに乗った酔っ払い(僕らのことです)が騒いでいる。その周りで別のヨッパライが「ドロボー、ドロボー」と囃している。するといきなり逃げ出した人影(ポケモンではなく僕たちです)が見えたので思わず追いかけたという次第。要するにヨッパライのワルフザケだった。転んだ時に膝を打ったり、手をすりむいたりしていて(その時は酔ってたので気がつかなかったが、次の日にナキを見た)とぼとぼ歩いていたら、通りのベンチに腰掛けたT原さんがタバコを吸いながら一言。「おう、遅かったな」

 こういうオッサンです。しかしながら結構真面目な面もあり、75年当時D大学の自治会を握っていた党派の活動家でもありました。ヘルメットに白衣を着てデモしてるときに挨拶したら「ああいうときは知らん顔していていい」と怒られた事もありました。そうそう、その党派が運動的に行き詰った時にT原さんも抜けたのだが、その時の人身御供に差し出されたことがありました。その日T原さんが殊勝な顔をして、「文連(文化団体連盟の略。僕の所属していたサークルはこの傘下にあった)の○○がお前と話をしたいと言ってる。悪いが付き合ってくれ」と話しかけてきた。文連の○○さんは当時の党派のえらいさんだったのでちょっと嫌な感じだったが、T原さんも一緒だろうと思ったので「いいっすよ」と安請け合いしてしまった。そうこうする内に髪の長いB上という鉄仮面みたいな女の人が僕を呼びに来た。良く歴史にIFは無いというが、このB上さんがもっと綺麗なおねーさんだったら僕のその後の学生生活は大きく変わっていただろう(ここ、その時歴史は動いた風に読んで下さい)。

 B上さんが何の用だろうと思いながら、文連本部について行くと○○さんが腕組みして一人でそこにいた。気がついたら鉄仮面もいない。誰もいない。おもむろに○○さんが口を開いた。「drac-ob君、君会議でいろいろ発言しているらしいね。ひとつDRACの立場ではなく、文連の立場でこれから発言してくれないかな」。しまった、嵌められた。これからオルグが始まるなと気がついたときは遅かった。それから2時間くらい、いやもっとだったか。必死に僕には出来ませんということを手を変え品を変えアピールした。もちろん、彼らの行ってる事で正しいと思うことはその旨を言ったし、理解できないところは正直に話した。今考えるとこれが良くなかったみたいで、この手の話のときはシカトするか、私にはわかりません、理解不能です的対応が一番だとその後知ったが、その頃はまだピカピカの1回生だったので一々反応していたのだ。結局また改めて話をしようということでその場は終わった。BOXに戻るとT原さんが一人でいて一言「すまんな、無理に入らなくてもいいから」と言ってくれた。まあ、結論から言うとその後何度か○○さんから党派へのお誘いはあったが、丁重にお断りを続け、ある時は芸術至上主義者になり、またある時は無関心なニヒルを装いなんとか切り抜けた。もしその時根負けして、そこに入っていたら77年で僕の学生生活は終わっていたかもしれない。

 いや、なかなか難しいな。この手の話はもう少し総括をしっかりしてアップしよう。僕にはまだまだ書くネタがあるし、伝えたい事も一杯ある。えー、先輩の話から少し風向きが変わってしまったけど、このT原さんもF田敏雄君同様いろんなエピソードがあるので、また登場すると思います。宜しく。

え、マジ?どうしたの一体?

 熱心なパンタファンはもうとっくにご存知かもしれませんが、ずいぶん昔から出る出る、出す出すと言いながらもう当面は無理だよな、どうせ狼中年だからなどと心の底で思っていたことを自己批判します。今年のクリスマスイブが待ち遠しい。こんなに首を長くして待つイブは何十年ぶりだろうか。あ、すいません、実は今日はブログ更新はお休みして、明日懐かしのテレビ番組をネタにしようかと思っていたら、先程HMVからメールでパンタの新作「CACA」(意味はずいぶん前のエントリーで書いたので繰り返しません。ウ○コのことだなんてそんな品のないことはこのブログには無縁です)が何と12/24に発売予定と連絡あり、これは、これこそが「り・り・り・り・・・臨時ニュース」だと思い大急ぎでエントリーをアップしている所です。

 今年になってパンタは凄い。立て続けにCDを出してます。ただ残念なのはオリジナルアルバムが出てない事。まあ、それは来年のお楽しみということで、今年はパンタ&ハルのライブ、慶一とやったPkoのライブ、それから2曲だけだったけど、ソロの頃の貴重なURC(アングラフォークじゃないよ、ウラワロックンロールセンターだよ、学生時代ここのライブのラインナップがいつも気になっていた)のライブと最後の最後にフン詰まり気味に、ウンチクリスマスにあわせて未発表音源集の「CACA」が出るとは。どんな曲が入っているかは、このサイトが予測しているので興味のある方はどうぞ。個人的にはパンタにインタビューした時にシングルカットを勧めた「フライデイズフライト」と「じゃじゃ馬アニー」、「夕陽のマラガ 」あたりが入っていて欲しいが…。

 しかしこの活動意欲の源はなんだろう。事務所が変わって売り上げアップしないとまずいとか言うことじゃないだろうから。やっぱり今の日本の状況に対して50過ぎたオジサンたちが頑張らないとというか全共闘世代の総括なのかな。かつてのカゲキなイメージは薄れて「制服向上委員会」での活動は、今の若い人に受け入れられるための戦術かもしれないが、僕個人としては「何もそこまでしなくても」という感じだったし、中川五郎とデュエットしたのもイマイチピンと来なかったけど。「CACA」に収録される楽曲は『ナタでぶったぎる』頃のパンタの曲なので大いに期待します。

 頭がお休みモードの中でのエントリーなのでまとまっていません。とにかくこの喜びをブログに残して、圧倒的に少数だとは思うけど同好の士とこの喜びを分かちあいたくてアップしたのでご容赦を。

壁ー囚人6号の犯罪(スイマセン、パクリです)

プリズナーNo.6 僕らはみんな囚人だ!

 いやー、ビックリしました。みんな嫌いなんだね、小○智明。この前アップしたエントリーに当ブログ開設以来のコメント、TBの反応があり、「腐ってもビートルズ」なんてコメント返ししたけど、よく読んでみると多くの方が小○智明の悪口(批判と書くべきかもしれない)を書いてる。しかし僕が普段使わない『気』を使って(ちなみに僕の学生時代のポリシーは「遠慮と勉強はしない」だった)、せっかく伏字にしてるのに、猫だぬきさんもsugarmountain氏(お前、このHNはスペルが長いので略してSM氏ではダメかな?一度検討してくれ、君の趣味を色濃く反映していると思うが)も実名で『小倉智明』って書くから凄いな。わざわざ小○智明としてあるから、読んだ人は○の中に当てはまるのは、「山」かな、「原」かな、「田」かなといろいろ考えて、まるで連想ゲームのように楽しめると思っていたのだが、ああも簡単に小倉智明と見破られるとは夢にも思わなかった(オイヲイ、脳波は大丈夫か?)。ちなみに最後に書いた「小○といえばエージか一郎だ」というのは、皆さんご存知音楽評論家「小倉エージ」氏、彼はエリック・アンダーセンのライナーに泣けることを書いたので大抵のことは多めに見ている、しかし何回考えても神竜剛次の最後は合点がいかん、流全次郎に事を託してもせいぜいが個人テロでしか勝利できんだろというより敗北するだろってこれは雁屋哲のほうだった。だったら京極さんと海原雄山はどうなるという声もあるが、それは置いといて…。

 などと話は一体どこに行くのかと読むものを不安に落とし込むいつものパターンだが、今日は久し振りに恥ずかしい話を書くつもりだ。これは決して「恥ずかしい」思いを「久し振り」にしたという事ではなくて、「恥ずかしい」思いはしょっちゅうしているのだが、ブログにアップするのが「久し振り」というだけの話だ。どんな話かというと、実は昨日BIGLOBEのメルマガを見ていたら「プリズナーNo.6」という文字と「無料」という文字が見えた。「プリズナーNo.6」。このカルトな番組を僕は残念ながら、リアルタイムで見た覚えが無い。調べてみると69年3月からNHKで放送されていたらしいので、当時小6から中1の頃であまり娯楽番組は無かったから見ていてもおかしくないのだが、全く記憶に無い。高校に入って、以前このブログに登場した熱狂的ミステリファンでロマンチストのS原君が「お前も知ってるだろ、すごく面白かったよな」などと言うのを生返事で誤魔化していた思い出がある。

 これはいい機会なので早速見ようとログインしたら丁度第1話から第4話までが、画面に出て来た。迷うことなく第1話をクリックすると、15分という表示が出た。何せ60年代のドラマなので15分の1話完結シリーズと勝手に思い込んだ。ちょっと短いなとは思ったが、第1話のスリリングな展開とこれからどうなるんだという期待感で一気に第4話まで見てしまった。この番組はかなりの人気番組なのでご存知の方がほとんどだと思うが、あえて説明すると秘密諜報員(シークレットエージェントマンですよ、もはや東西の緊張がなくなったので死語に近いけど)だった主人公が辞職した所、「村」という名の不思議なコミュニティに拉致され、そこで彼の情報を喋らそうとするNo.2と手に汗握る頭脳戦、心理戦を戦うという、まあ大雑把に言うとそんな話だ。

 画面はカラーだが、時代が時代なのでセットが「タイムトンネル」みたいでちゃちというか、摩訶不思議な感じだが、L字型のコードレスホンや指紋の認識システムなど現代文化を先取りしている所も多い。60年代から見た21世紀社会という見方をしても楽しいかもしれない(時代背景が21世紀かどうかは知らないが、近未来という設定である事は間違いないと思う)。先ず第1話で主人公が拉致され(南の島に行こうとしていたのがトランクに投げ入れた写真で解る)、「村」に連れて行かれ、その村では個人の名前も番号で呼ばれ自由が制限された監視社会である事の説明がストーリーを通して語られる。あっという間に15分は過ぎ、そのまま第2話に突入したがその途中からおかしなことに気がついた。会話の途中の音声が途切れるのである。すぐにピーンと来た。「サベツ語」狩りだな、いや自主規制というやつか。

 聞こえなかった音声の箇所に「基地外」とか「転換」という言葉を代入するとストーリーが繋がるので、そういうことかと気にしなったが、更に吹き替えだった番組がいきなり(番組の途中ですよ)字幕に変わったり、ようやく字幕のペースに馴れたと思ったらまた吹き替えになったり、せわしない事この上ない。それでも4話ぶっ続けで見て、まだ次が見たかったがもう夜も遅かったのでお楽しみは明日(キンローをカンシャする日)だと思いPCを切ろうとしたその時、「全17話」という文字と「30日間2,856円」という文字が飛び込んできた。よーく目を凝らしてみるとビデオオンデマンド方式というのかお金を出して30日間視聴できるシステムのようだ。じゃさっきのは有料放送?何の手続きもしてないのに、コノヤロー新手のワンクリック詐欺かと激怒しかかったが、「冒頭15分無料視聴」だったのだ。

 つまり番組のダイジェストを僕は手に汗握って見ていたのだ。また今調べて解ったのは僕はてっきり第1話から4話までの連続したエピソードと思い込んでいたが、実際は1,4,5,6話の順で見ていたようだ。第2話では脱出に成功しビッグベンの鐘の音を聞くがそれがおかしいと感じたNo.6は~。チクショー気になるじゃないか。全部見せろ。Yahoo!やGyaoのようにちゃんと無料で見せろ!!と、怒ったが誰が悪いわけでもない。気がつかなかった僕が悪いのだ。しかし流石は製作後約40年経った今でも根強いファンがいる番組だけあって、15分のダイジェストでも十分楽しめたし、ストーリー的に納得できる物だった。いやこの言い方は語弊があるか。ストーリー的にはまるで安部公房の小説のような存在の不確かさ、曖昧さ、人間存在のもろさなどが浮き出される話だ。あんまり書くとネタバレ的になるのでやめるが、今の世の中の監視社会、「未来は綺麗に(by P-Model)」的な管理社会をものの見事に先取りしている。日付のトリックは「ドグラマグラ」の手法と同じだったがこちらのほうが映像だけに抵抗無く受け入れられた。

 ここまで来たら、レンタルするかどうかして全部見ないと気が治まらない。しかし69年(本国イギリスでは67年)のドラマでこれだけ質の高い物があったなんて驚きだ。ん、67年リンゴがそのロックドラミングの革命を起こした時期ではないか。小○智明のバカヤロー、リンゴの母国は当時こんなすごいドラマ作ってたんだぞ、その後「りんご、すったー」なんてしょーもない洒落を言ってチューハイのCMにも出たけど…もはや錯乱して何を言ってるかわからなくなってきた。ところでEVEの話の続編は?

ビートルズも、教えてくれた

 今朝方、仕事に行く準備をしていたら隣の部屋でテレビの音がする。何気なく聞いていたら今日はビートルズの「新作」が全世界で一斉発売される日などと言ってる。昨日買った「おやじロック」なるアナクロ雑誌にもジョージ・マーティン親子の話が出ていたので少し聞き耳を立てていた。すると「ハードデイズナイト」の印象的なギター音の後、リンゴの「ジ・エンド」に入る前のドラムソロが聞こえ、そこから♪げっばぁっくとぅふぇやわんすびろん~と「ゲットバック」に繋がり、ふーんこういう仕掛けなのかとぼんやり聞いていると、このキャスターがとんでもない事をいい始めた。『リンゴ・スターってドラムソロしないんですよね』。相方のキャスター『あまり上手くない?』。メインキャスター『あまり上手くない(断定的に)』。あたしゃ、切れました。リンゴの偉大さを知りもせず、雰囲気一発でものいいやがって。リンゴは上手いドラマーだったし、技術的にも中期の録音(例えば「ストロベリーフィールズフォーエバー」など)は、ロックドラミングの革命であったといえる。

 こういうのが一番頭に来るのだ。小○智明、テメーのことだ。世代的にはビートルズを同時期に聴いていただろうが、好きではなかったんだな。それは、人それぞれの趣味というか、感性の問題だから構わないが、公共の電波を使って勝手な事ぬかしてんじゃねーよ。それから横にいる名前は知らないが、かってスーツを中に放り投げてたテメー。『あまり上手くない?』何だその合いの手は!!知らなければ語るな!!上手い下手って何を基準に言ってるのか、誰と比較してるのか?この手の毎朝やってるワイドショーは、『一億総○痴』の根源である。常に正義の味方を気取って、断片的なニュースをかき集め、見ている人間の耳障りのいいことばかり言って、挙句の果ては思考停止だ。問題提起など出来ないし、次から次に扇情して一点に集中させない。彼らが政治を語り、世界情勢を語り、教育を語る。それを見ている人間はいつの間にか何かを刷り込まれていく…。

 別に小○智明が嫌いだから言ってるのではない(少しはあるけど)。ずいぶん昔の事だが、ラジオで「とことん気になる11時」という面白い情報番組をやってた頃は良く聞いていたし、巨泉の番組でアンカーマンとしてコメント言ってるころは結構気に入っていた。ま、どうでもいいけど。

 しかし、ビートルズのこの手のやり方はアンソロジーシリーズあたりからかな。ボジョレヌーボーじゃ無いけど全世界同時に発売、メディアに乗せるのも決まった時間から。「フリーアズアバード」がビートルズの新曲として出るという話があったのは何時ごろか。その日僕は仕事でお隣の鹿児島県に行っており、夜帰りの長距離ドライブのさなかにニッポン放送のDJの紹介で聞いた。あのスローというかミディアムテンポの不思議なイントロと、メロディがあるのか良く解らないジョンの声。DJが「出来たばかりのゆりかもめに乗って~」なんて話をしていたのを覚えている。「フリーアズアバード」は全くいいと思わなかったが、アンソロジーシリーズは新たな発見が多く、楽しめた。「レットイットビーネイキッド」は、フィル・スペクターじゃなくジョージ・マーティンが担当してたらこんな音になっただろうという意味で良かった。ただ、今度の「新作」はどうなんだろう。

 こんなことを書きながらも多分DVD付きで買ってしまうんだろう。いやだ、いやだ。ビートルズでロックにやられたとは思わないが、やっぱり絶対零度のバンドだった。彼らが今のロックシーンの礎を築いたという事に異論を挟む人は少ないだろう。ちょっと話がボケてしまったけど、中学校2年の時にビートルズが解散したという、ぎりぎりセーフの世代として、「レットイットビー」が「エルピー」と聞こえLPレコードの歌なのかと思った世代として、Let it be の意味が”Let there be light.”の構文を高校で習って初めて意味が分かって嬉しかった世代の一人として、今日の小○発言は許せなかったのよ。小○といえば、エージか一郎でいいのだ。ところでEVEの話は次回。

サンダカン八番娼館 望郷 その1

 11月はEVE期間だからというわけでもないが、学園祭の頃の思い出話を続けてみたい。ところでD大の学園祭はEVE祭というが、悪名高いT辺町キャンパス(以前、移転反対を戦っていた故M原君から聞いた話だが、ある時移転してしまったキャンパスで反逆の狼煙をあげようを合言葉にかつての活動家が結集してT辺町キャンパスで焼肉バーベキューを決行した。しかしそのあまりに美しくかつ広いキャンパスを目の当たりにして、やや萎縮してしまいキャンパスの隅っこでビール飲みながら焼肉をつまんでいるうちに、誰と無く『実はオレはそんなに移転には反対してなかったんや』などと今更それはないやろ発言が続き、すっかり座がしらけてしまったという悲しい話を聞いたことがあった)の学園祭はADAM祭というらしい。アダムとイブということか。Guevara129さん、どう思う?でも確かアダムの骨からイブは作られたハズだから(このあたり橋本先生の宗教学の試験を、ジョンレノンのGODの歌詞で誤魔化して単位を取った人間としては大した記憶力だと自画自賛しておこう)、イブがあってアダムというのはおかしいのでは…などと中退者がごねても仕方が無いのだが。

 さて僕の入学した75年の学園祭はゴーゴー喫茶&ディスコ(入力していて顔が赤くなるのは何故?)とやらをやる事になっていた。レコードを流すだけでは能が無いので、K都大学のバンドが入ることになった。このバンドのボーカルが僕の高校時代の同級生のお兄さんのA部さんで、たまたま同じ修学院に住んでおり、高校の同窓会の連絡で知り合うことになった。最初A部さんの下宿に行ったときは随分警戒されたが、弟さんのことを話すとすぐに打ち解けてくれて、ご飯も食べさせてもらったこともあった。その一宿一飯の恩義もあり、サークルの先輩にA部さんとギターの人を紹介して簡単なリハーサル(アンプ無しで演奏してもらった)の上で、学園祭の契約バンドになった次第だ。学園祭前の1週間はなんだかんだ雑用があり、当時サークルの学園祭の委員長を久留米出身のI上さんがやっていた。この人はぶっきらぼうな人だったが、慣れるとメシを食わせてくれたり(やたら人からメシ食わせて貰ってるな、しかし今は1回生の時の話だからね。先輩になると金もないのに良くメシ食わせたものだよ、なあsugarmountain君)、一緒に麻雀をしたり、時にはレコードを貸してもらったりした。麻雀は弱かったが、変態的な「りー、つも、ちーとい、ドラ×2」というハネマンが得意技だった(知らない人には何のことか解らないだろうが、麻雀好きであればすぐ解ると思う)。

 実際、学園祭の前にどんな準備をしていたか、ライブを企画した時ははっきり覚えているのだが、このディスコ(75,76年と2年連続やった。何といっても「サタデーナイトフィーバー」の時代というか、その前の「ハッスル」や「ソウルドラキュラ」、「ザッツザウェイ」なんかが大ブームの頃だ。そうそうメイドインジャパンの物では「セクシーバスストップ」をミニスカートの浅野ゆう子が歌っていた。♪いーつものジュークボックスかけてねって、ジュークボックスなんか今どこにあるんだ。大英博物館か!)を企画した時の事はほとんど覚えていない。しかし、学園祭前の1週間は研究会も中止して夜結構遅くまでBOXで準備とかやっていた。夜、その日の準備を終わらせて、叡電(京福電鉄の比叡山線)で洛北方面の友人・先輩と帰る頃は疲れと空腹で却ってハイテンションになり、ひとりで下宿に帰ってもつまらないのでメシも目当てだったが、まだまだバカ騒ぎしたかったので、よくI上さんの下宿に泊めてもらった。

 修学院離宮のその下宿はすぐ裏手が学校(中学校?)、眼の前は畑で昼間はともかく、夜は閑静な所であった。そんなところで集まって麻雀したり、メシを食ったり(I上さんは九州男児のくせに下戸でコップ一杯のビールですぐに真っ赤になった)大騒ぎしていたのだから、周りの真面目な下宿生にはいい迷惑だったろう。また、このI上さんは見かけによらず、料理が上手でちょっとした物はすぐ作ってくれた。チーズトーストなどこの人のおかげで味を覚えたといってもいい。しかしながら、何と言っても我がサークルの先輩である。ある夜、「今日は鍋を食わせてやるから、野菜を調達して来い」と僕とその時一緒にいた同級生のS戸君に命じた。時間は夜11時過ぎくらい。当時はコンビニなど無く、その時間空いてるのは北白川のローソン(あ、ローソンはコンビニか。しかし当時は精肉も扱ってたし、深夜スーパーというイメージだった)くらいのものだった。「どこでこうてくるんですか?」と僕が聞くと「すぐそこに自然に生えてる大根とかあるやろ」と窓の外を指差す。

 なんでぇ、そういうことかと合点承知の助(しかし表現が古いね、焼津の半次が言いそうなフレーズだ)、とばかりに立ち上がり外に出た僕だったが、相方のS戸君の様子がおかしい。どうしたと聞くと、自分の家は農家で畑の野菜を取られるのは一番腹が立つ、その自分がこんな事をしていいのかと心の中で葛藤しているとのこと。しゃーないやっちゃな、将来ある有能な若者が深夜3人も腹を空かせているのだ。野菜さんも食べられて本望だろう。農家の人も安易に農協に野菜を流して汚濁にまみれた資本主義の走狗になるより、我らの大義のために消化されるほうがいいに決まっている、などとオルグを試みたがマジで嫌がってる。仕方が無いので「オレが手を汚す、お前は見張りをやっとけ」と男気を出して、大根、白菜、ネギなどを徴収した。「これも全て悪い先輩のいいつけや、かんにんな」と免罪の言葉を呟きながら野菜泥棒は部屋に戻った。

 I上さんの作ってくれた鍋はごった煮みたいだったが大変美味しく頂けた。僕もI上さんもバクバク食べた。匂いにつられて他の部屋の下宿生もやってきて、みんなで美味しく頂いた。いや、一人箸をつけない男がいた。S戸君だ。鍋もあらかた食い尽くして、じゃ残った汁に御飯を入れておじやにしようかなどと話していると、S戸君は正座をしてI上さんに向かってこういった。「I上さん、もうこれからこういうことは止めて下さい。他のいいつけは何でもします。でも畑の野菜はかんにんして下さい。農家の人は野菜を作るのに大変な苦労をしているんです。オレはそれを知ってるから、今日やった事オレ自身が許せないんです。ほんま、これからはやらんと言うて下さい。お願いします」。普段は冗談ばかり言ってるS戸君だが、このときは真剣だった。コンマ5秒ぐらい沈黙の時間が続いた。そして、僕とI上さんは大爆笑した。「何、お前マジ?泣いとるんとちがう?わははは、ぎゃははは」我ながらひどい先輩と同級生だったと思う。流石に温厚で「かまやつひろし」に似ていた、いや「豊田勇造」と瓜二つのS戸君も怒った。

 怒ったそのセリフや姿がおかしくて、僕とI上さんはえんえんと笑い続けた。しかし、今思い出してもひどい話である。しかし、このときの野菜のたたりはしつこくS戸君を襲い、叡電の定期の偽造がばれて罰金を食らったり、当時各大学で問題になったネズミ講(T下一家の会)に引っ掛かって大変な目に合うのだがそれは後年の事。そんなこんなで学園祭前は良くI上さんの下宿で強制合宿みたいな事(早い話が金のない僕らが食事目当てで泊まるだけのことだが)をしていたが、ある日流石にI上さんから「今日はお前自分の下宿に帰れ、EVEもあと3日後だ」と言われ、しばらくぶりで自分の下宿に帰った。僕の下宿は木造の2階建ての長屋風の建物で、1階のところに電気のブレーカーがあった。当時冷蔵庫など持ってなかったので(共同の大きな冷蔵庫があった)、外出する時は必ずブレーカーを落とすのだが、帰ったその日ブレーカーは上がったままになっていた。「おかしいな」と思い階段を上がり、2階の最初の部屋が僕の部屋だが、しっかりカギをかけたはずのドアが少し開いている。「まさか、前の頭に線が入った奴が…」。そんなことはありえないのだが、世の中に『絶対』ということはない。怖る怖る戸を開くと部屋の中で寝そべっている男と目が合った。

 えー、話が例によって進まないが続きはその2でお送りします。このエントリーのタイトルはどういう意味か次回謎が明かされます。部屋にいたのは一体誰か、そしてEVEのディスコはどうなるのか。乞うご期待!!

れっついーとらんちとぅげざー!

チャンポンダマンボ ボケボケロックもよろしく

 ここのところ連日昼飯レポートが続いている。というより、僕は昼はうどんしか食ってないのではないかという疑惑を招きかねない内容になっている。そこで今日は、全く違う物を食べるのだ、と固く心に誓って午前中の仕事を済ませた。丁度11時50分くらいに出先での仕事にけりがつき、そこから事務所に帰るのに20分くらいかかりそうだった。よし、早メシにして空いてるお店に潜り込もうと思い、思考回路からうどんを削除しインスピレーションを張り巡らせた。出て来た答えは「チャンポンダマンボ」!!長崎ちゃんぽんリ○ガーハットである。イ○ローハットじゃないよ(間違う奴はいねーだろ!!)。

 どういう思考回路だとお叱りを受けそうだが、これにはちゃんと理由がある。人間は快感原則に従って行動する動物である、ということだ。つまり少し前、たまたま昼飯の時間を外してしまい、もうすぐ3時のおやつの時間と云うころに飯屋を探したらこのチャンポン屋さんしかなく、内心何が悲しゅうてフランチャイズの店で食わねばならんのだと愚痴りながら入ったところ、丁度開店何周年かで皿うどん2人前のオミヤを頂いたのだ。『ラッキー晩飯代が浮いた』と、小躍りして帰ったのだが、その皿うどんは配偶者と二番目の子供が食べてしまい、僕の口には入らなかった。文句を言ったら、早く食べないほうがイカンと二人に逆切れされた。みなさんどう思います?

 まあ、そんな話はさておき、今日もおみやがあるかな、まだかな学○のおばちゃんと取り様によっては、女性サベツと職業サベツをむき出しにした歌など口ずさみながら店内に入った。その途端一気に重く、苦しい雰囲気が僕の周りに漂った。なんと、このお店、今日からダン○ップゴルフトーナメントが開かれる、明るい宮崎のお昼時にジョン・コルトレーンをかけていたのだ。オイヲイ真昼間からズージャかよと思いながらも、有線みたいだから次は軽快な音楽がかかるだろうと思っていたら、ジェリー・マリガンのバリトンサックスだ。まさか3曲続けてそんな事は無いよなと思っていたら、聞こえてきたのはマイルスの「アガルタの凱歌」。真昼間から聞けるかいっ!!一気に気持ちは深夜喫茶か、「しぁんくれーる」の夜である。

 その空気の中で、このお店は新聞とか読む物が無いので周囲を見渡すと、対面に座っている30前後のカップルは出会い系で知り合った隠微な関係のように思える。食うもの食ってこれからどこへ行こうとしているのか、お前ら人の道を踏みはずすなよ 、浮気は良いけどフリンは倫理を無くすということだぞ、決して文化じゃないぞと妙にコーフンしたのは、鶴公のオールナイトニッポンで刷り込まれたサックスの音色のせいだ。艶めかしいサックスの音からの良からぬ連想である。だから真昼間からヘビーなジャズなどかけてはイカンと言ったのだ。せいぜいポール・ウィナースとかピアノトリオでもかけてりゃいいのだ。と心の中で呟いているとあっという間に一日が過ぎて、もう次の日の昼飯の時間になっていた。

 次の日の昼飯は何かというと、『てんぷらうどんにたぬきをかけておにぎり2個』などと豊○うどんの受付のオバチャンに力無く言ってる僕の姿があった。ここで訂正とお詫びを一発。先日のエントリーで宮崎市南部の競合するうどん店の話を書いたが、一方が豊○うどんで片方が○兆うどんと書いてしまった。ごめんなさい。○長うどんでした。○兆うどんはO島通線(イニシャルになってない!)沿いにあるお店でした。うどん業界各位に対して謹んでお詫びと訂正を致します。しかし、流石は老舗(コレを『ローホ』と読んだ元ロック班のリーダーT井君は元気だろうか。一緒にツェッペリンの「ザ・ソング・リメイン・ザ・セイム」を見に行ったな。そうだ、この手のネタでは御馴染みのF田敏雄君は廉価盤を『ケンカバン』と読んで、『レコードが安くなるとミュージシャンがケンカするのでケンカバン』と訳の解らないことを言っていた)、豊○うどんでは「天カス」ではなく「たぬき」と呼ばせているが、早い話が天ぷらを揚げたときに出来るダマである。ああいうものは、取り放題にしていただけると大変うれしいのだが、タダだからといってかけすぎると美味しくなくなる。油っぽくなって気分が悪くなるから、注意したほうがいい。

 などと最後は教訓めいた話になったが、このエントリーを書き始めてはや3日経ってしまった。ちなみに今日のお昼はラーメンの大盛でした。あれ、毎日麺類だ。でも、ちゃんぽん、うどん、ラーメンとバリエーションは豊かだな。来週は蕎麦とにゅうめんを入れよう、そうそうビーフンも捨てがたいな。

カスはSKA(スカ)

 今日は朝一番で、M九州大学が移転の地として選んでいるM城市に行って来た。といっても、反対運動に共鳴して「不当な移転を許さないぞぉ!」などとシュプレヒコールを上げに行ったのではない。頼まれてもいないのにそんな事をしたら、アホである。また、頼まれたからといって、後先考えずに行動するのもポスト団塊の世代として誉められたことではない。そういえば、最近はこの”ポスト~”という言い方余り耳にしないが廃れたのかと思ったが、良く考えてみると(別に良く考えなくても)、ポストコイズミなんて言い方はよくしていたと思い前言を撤回したいと思う。

 なんだか訳が分からないイントロだが、実は今日も昼飯はうどん屋に入ったのだ。ここのところ、何故かうどん屋さんなのだ。地元の方はすぐ解ると思うが、M城市から、あーめんどくさい、都城から宮崎に国道269号線で走ると、途中に田野というところがある。ちょっと前は田野町という独立した行政区域だったのに、あの悪名高い「平成の大合併」で宮崎に吸収された(田野の人は怒らないで欲しい。合併などと言った所で、こういう見方をしている人がほとんどなのだ)。その田野で丁度お昼を回ったので、同行したおじさんが美味しいと言ったうどん屋に入った。

 パチンコ屋に隣接した所だが、内装は比較的綺麗でまだ築浅の印象を受けた。中に入ると大きな自販機があり、さすがパチンコ屋と一蓮托生のことだけあって、1万円札でもお釣りが出るようになっている。♪板垣退助のひゃ、っく、えん、さっつ。などと鼻歌を歌いながら、自販機のメニューとにらめっこした。まず、まる天うどん、つまりうどんの上に魚のすり身の揚げたもので尚且つ円形を維持しているものを載せたうどんと(何か、しつこい説明だな)おにぎり2個。これは譲れないのだ。うどんにはイナリという人が圧倒的に多い。タモリも以前オールナイトニッポンで『イナリが無くてうどんが食えるか!』などと啖呵をきっていた。しかしだ。イナリは結構当たりはずれがある。全体的に宮崎は南国だからか味付けが甘くて濃い。イナリも単体で渋茶と一緒に食するのは良いが、うどんと一緒だとちょっと重いのだ。たとえて言えば、ブラックサバスを聞いた後グランドファンクを聞くようなものだ。といっても例えが良く解らんと言われそうだが。

 ま、このあたりはいろんな意見があるだろうが、たとえて言えば山水画のような性格の僕としては、うどんにおにぎり2個がシンプルイズベストのお昼なのだ。しかし今日はそこで終わらずに、自販機のちょっと見慣れない言葉にクラクラッと来てしまった。♪誘惑光線、クラッ(by 早見優)である。なんとそこには「トッピング」なる言葉が書いてあった。「このやろう、てめぇ、ピザ屋じゃねえんだよ、うどん屋風情がきどってんじゃねえよ」と、内心の嬉しさを誤魔化すために悪態をつきながら、心はまる天にどんな具(あくまで具である。トッピングなんてこじゃれた言い方は性に合わないのである)をあわせたら、海原雄山が納得するうどんになるか考えた。考えたが雄山なら「ううぬ、うどんにまる天だけならすっきりしているものを、余計な具を載せて愚鈍な(ここうどんと愚鈍の洒落です)味にするとは、何といううろんなやつだ」と怒られそうなので、頭の中から消した。

 エビ天をいれるのはリッチだが、少しブルジョワ的ではないか。とろろ昆布は美味しいが最後の汁をすする時薄い繊維みたいになる所が切ない。肉は持っての外だ。雄山ではないが、味がにごる。ううむ、こうして考えてみると、以外にまる天にあう具は少ない。まさかゴボ天とか角天などを頼むと親子丼に卵をかけてくれというようなものだし…。というようなことをフル回転で考えていたら、はっと目を引くものがあった。『天かす30円』である。うん、いかにも金額が庶民的である。チロルチョコと同じ単価というのがいい。またエビ天は成金趣味だが、まる天の横に申し訳無さそうに天かすが小山を作って、それに汁がだんだん滲みて平らになるプロセスは人生のはかなさを象徴しているようだ。と欣喜雀躍しながら食券を買い、カウンターに持っていった。もうひとつ嬉しかったのは、これは宮崎のうどん屋では定番であるが漬物が取り放題は当然だが、バリエーションがタクワン、キュウリ、コンブと3パターンあったのだ。

 ♪立て、飢えたる者よ、今ーぞ日は近し~と思わずインターナショナルが口から出てしまうほど嬉しかった僕は、そのうどんをもちろんおにぎりと共に最後の一滴まで飲み干して、充実したお昼を終えた。

 今日はこれでおしまいで、珍しくいい話だなと思っていたのだが、何か引っ掛かる所があり家に帰ってから一日の行動の反省をしていた時ひらめいた。『天かす30円』、天かす、かす、かす。ちょっと待て。『かす』なら『カス』だからタダだろうが。天ぷらを作ったときの『カス』だろうが。そういえば山上たつひこの「湯の花親子」の中に「揚げ玉などと気取るな、天ぷらのカスが」と怒る話があった。しかししょっちゅうたぬきうどんを食べてしまうのは、安いけど天ぷらうどん(こちらはもちろんエビ天である)を食った気になるからだというオチがあった。そうだ、その通りだが一瞬だが得した気分になったのは不覚であった。今後このような表示を見たら「お前んとこは、何かい。カスを売るんか。カスで金儲けするんか」と怒るべきだと反省した次第である。たかが、うどんのことで大人気ないなどと言ってはいけない。何故なら、僕はパンクなのだ。パンクとは世間一般でカスといわれている。つまり同病相哀れむ、いや違う。虐げられた天カスを解放するために…

グッバイ プラスティックエイジ!

 先週はずいぶん更新をサボったので、今週はしっかり更新しようと思い、昨日も少し記事をwordに書いておいたのだが、今日とてもうれしい事があったので内容を急遽入れ替え、特別版「臨時ニュース」をお送りする。実は、ここにときどきコメントをくれるderiさんのお誘いで9月からmixiをやっているが、そこで伝説のパンクロッカー、リザードのモモヨさんとマイミクになれたのだ。ちなみに僕のマイミクは8人だがそのうちの2人がミュージシャン(もう一人はご存知ウシャコダの珍恵福教祖)という打率2割5分の成績である。そんなことはどうでもいいが、モモヨさんのサイトでmixiを始めた事はずいぶん前に知ってはいたが、多分リアル社会での知り合いしかマイミクにはしていないだろうと勝手に決め付けていて、検索すらしていなかったのだ。

 それが、つい昨日Momoyo The LIZARD氏のページに辿りつき、いろんな人たちの足跡を読んでいるうちに自分自身もアピールしたくなり、とうとうコメントを書いてしまった。内容は四半世紀前にミニコミのインタビューをさせてもらったときの(僕の一方的な思い込みの)エピソードだったのだが、マイミクお願いしますとダメ元で書いたところ今日のお昼過ぎにOKの返事を頂いたのだ。その時間は丁度営業の現場に移動する途中で、電波の入りの悪いうどん屋(また、うどん屋かい!!しかもおにぎり2個付けて)だったが、モモヨさんのマイミクOKの返事と知り、大袈裟でなく天にも昇る心境だった。しかし、つい昨日まではモモヨと呼び捨てで書いていたのに、こうなると手の平を反した様に「さん」付けになるから、人間は面白い。

 僕とモモヨさんの出会いは、78年の確か5月か6月くらいだったと思う。今調べたら78年の5月2日、磔磔での「紅蜥蜴」ライブが最初だ。何故覚えているかというと、この時に美人が多い事で有名なH女学院の女の子とひょんなことで知り合う機会があり、丁度パンタ&ハルが磔磔でライブをやるので一緒に行こうと誘ったのだ。しかしながら、5月7日のライブを勘違いして5月2日と伝えてしまい、2日の日に慌てて電話したが彼女はいなかった。これはてっきり、一人で磔磔に行ったに違いないと思い込んだ僕は、ええとこのお嬢があんな紫煙モクモク、ガラの悪い不良ロック中・少年がたむろする所に一人で居ては心細い思いをしているに違いない。プガジャ(ライブスケジュールが載っていたミニコミ)で調べたらその日はよりによって、若い女をたぶらかしてさらっていくという噂の「紅蜥蜴」の関西初ライブではないか。ここはチャージ代が勿体無いとか言ってる場合ではない。ここで彼女を窮地から救って白馬の騎士になるのだ、とばかりに磔磔に急行した。

 磔磔に着いてみると、なにやら化粧をしてクネクネしたボーカルが怪しいサウンドと共に歌ったり踊ったりしている。しかし僕の目と耳は彼女を探して百万里、ハードなサウンドも客の叫び声も一切耳に入らなかった。「探しても探しても一人」などと山頭火か尾崎放哉の自由律俳句めいたフレーズが浮かんだ。いない、どこを探してもいない。一体どこに行ったのだろうという気持ちと一度ここに来たが間違いに気がついて帰ったんだろうという安心感と不思議な気持ちが、ないまぜになってようやく少し落ち着いたところで、折角来たんだから「紅蜥蜴」の演奏も聴いてみようという気になった。しかしもうライブは終わりかけで「いつもかわいいあの子は電話で話中~」というフレーズが印象的な曲と、ライブのラストにモモヨさんが「あ・り・が・と・う」と不思議なリズムと区切り方で挨拶した所くらいしか記憶に残らなかった。

 今、考えてみると勿体無い話である。丁度「紅蜥蜴」と「リザード」の二つの名前で活動していたバンドの移行期間だったので、もっと真面目に見ておくべきだった。次にモモヨさんと会うのは79年4月のアルバム「東京ロッカーズ」である。フリクションのレックの巻き舌の「ハロートーキョージャンキーズ」の挨拶で始まるこの怒涛のライブ盤は、それまでパンクはロンドンかニューヨークのものというイメージでしかなかった日本のシーンをひっくり返した。僕らもぶっ飛んだ。はっきり言ってしまうと、この年から僕たちがサークルでライブを企画するようになったのはこのアルバムのおかげである。単なる音楽ファンから行動する、思考するロックファンへ、もっと言えばパンクロックファンに変化(change)したのである。このアルバムには「ロボットラブ」と「レクイエム」の2曲が入っているが、「紅蜥蜴」時代の音とは全く変わったといえる。

 その後、ストラングラーズのJJバーネルがプロデュースした1stは、マニアに熱狂的に受け入れられた。そして、79年の冬くらいから(正確にはもっと前からかもしれないが)関西のパンクバンドと東京ロッカーズのバンドが2組ずつとか3組ずつ演奏するスタイルのライブ(ギグなんて言ってたな)が、京都を中心として関西一円でスタートした。そうそうZIGZAGというハードロックバンドがいて結構政治力が強かったので、ZIGZAGツアーの名前で数バンドを引き連れて関東遠征しようとしたが、他のバンドのマネージャーからクレームがついてZURUZURUツアーと名前が変わったなんていうこともあった。このあたりの話は連続射殺魔のマネージャーをやっていたN部君と故M原君(僕のサークルの1年後輩だが、いいやつだった)からいろいろ聞かされた。オフレコだがあるパンクバンドのボーカルはサングラスを外すと渥美清に似ているなんて話をしていたら、その本人が楽屋から出て来て「こんばんわ」と礼儀正しく挨拶され、必死で笑いをかみ殺したのも懐かしい思い出だ。

 いかん、まただらだら話が続きそうなので、もう少し内容をまとめてこの後の話は書きます。取り急ぎ駆け足でつづると、79年末から80年にかけては、関西にツアーがあるたび駆けつけたと思う。アルバム「バビロンロッカー」は大好きだった。次の「ジムノペディア」は正直良く解らなかった。そうこうする内に僕も社会人になり、ちょっとロックから離れたが、85年の「彼岸の王国」はリザードのロンドンライブだと知り、当時親しくしていた鹿児島のレコード店で予約した。商品が届き受け取りに行ったとき「悲願じゃないんだ」と店の人に言われ「彼岸ですよ」とハタで聞いてると何だか良く解らない会話をしたことを覚えている。

 あれから20年以上経過し、今僕はCDで「ライブアットS-KENスタジオ」と「TOKYO ROCKERS '79 LIVE」を良く聞いている。そして、信じられないがMomoyoさんとまた会えた。今度は多分こう言うだろう。「僕たちの世代は破壊しきれなかった世代ですよね」と。ちなみにMomoyoさんは僕より3歳年上で誕生日も3日違いである(それがどーした、といわれるとどーもしませんとしかいえないが)。

午後の殺意またはマーダーケースインザヌードルショップ

PFM 「甦る世界」 イタリア版にはこの曲入ってません。

 本当に久し振りに今朝は小雨がちらついていた。ここのところ全く雨が降らず、大淀川の水かさも低いままで、農家の人たちは大変だっただろう。前日の夜が暖かくて月も見えなかったから、もしかしたら降るかなとは思っていたが、何とか地面を湿らせてくれたようだ。この季節特有の冷たい雨ではなく優しく霧のような雨で、眺めているうちにPFMの「甦る世界」のフレーズが浮かんだ。”Outside my windows in the courtyards of the world,the gentle rain was falling~”ピート・シンフィールドの詩が美しく、メロディは更に美しい。前半の静の部分から、後半シンセサイザーが一気に曲をドラマチックに盛り上げていく部分が大好きだ。思えば高校生の頃、このアルバムを購入した後すぐにシングルも買った。シングルもアルバムと同じテイクの演奏だったが、B面に「ハンスの馬車」という当時は日本では未発表だった曲のイタリアでのライブ演奏が入っていたからだ。

 などとちょっとばかし、それ風の音楽話に入るかと思わせておきながら、今日の天気が朝ほんのちょっぴり雨が降っただけで、その後は一滴も降らずまるで騙されたようにこの話もジャガーチェンジ(豹変)する。僕は、朝コーヒーを飲むくらいで食事は取らない。本当は取ったほうが良いのだろうが、時間ぎりぎりまで寝てるのでコーヒーを飲むくらいしか余裕が無いのだ。これが旅行に行ったり、入院したりするとしっかり朝飯を取らないと気がすまないのだから、我ながら良く解らん。解らんことは無くて、自分が寝坊助なのを認めたくないだけだ。それはさておき、朝は食事をしないのでお昼の食事は非常に重要になる。特に今は配偶者が仕事で夜いない事が週に半分以上あり、従って晩御飯を簡単に済ましてしまう事が多いので、余計昼御飯は大事になる。つまり、お昼の食事で一日の栄養のバランスを取らないといけないのだ。

 そのことは十分解ってはいるのだが、どうしても好きな物を食べてしまう事が多い。今日は、午後1時に来客がありその処理をしていたので、昼を取る時間が2時過ぎになってしまった。この時間になると、食事をするのも限られてくる。食堂やラーメン屋さんなんかは休憩時間になって暖簾をしまっていることも多い。かといって喫茶店なんかに入ると、マンガや週刊誌の誘惑に負けて時間がかかりそうなので、こういうときは庶民の味方、うどん屋に行くのが正解だ。宮崎はうどんが美味しいというのは、知る人ぞ知る事実だ。かの長嶋さんも宮崎に来ると必ず「釜揚げうどん」を食べる。市役所前のあの愛想の無い有名店だ。どうして宮崎のうどんが美味しいのか?ウソか本当か知らないが、ある人からこんな話を聞いた。太平洋戦争が終わって、兵隊として外地に出征していた人達が各地に帰り始めた頃の話だ。四国では農家の次男坊、三男坊が溢れ農業を始めようにも長男が土地を相続してしまうと、もともと土地が狭いため働く場所がない。宮崎は人口のわりに土地が遊んでいた。そこで四国の人たちがこぞって九州は宮崎に移植し始めた。四国の人たちは我慢強く、根性があったので(この話をしてくれた人曰く)宮崎の一等地は次々と四国勢に買い占められていった。

 その四国の人たちのソウルフードといえばうどんである。四国では「うどんは別腹」といって24時間365日うどんを摂取しないと人格が崩壊するらしい(こらこら、そういうものの言い方がサベツを助長するんと違うんかい!かんにん、かんにん、キャインキャイン)。まあ、要するに戦後の土地不足の中、のんびりした宮崎人は四国から来た人たちとの経済競争に敗れたが、うどん文化を吸収した、コレすなわちグレシャムの法則で悪貨は良貨を駆逐するという事だ。いやいや、それは違うな。えーと世界史なんかで良く出てきたけど、ある民族が他の民族を武力で制圧しても文化は制圧されず、却って混沌の中から新しい文化が生まれるみたいな話だろう。脱線ついでだが、宮崎県の真ん中に川南町というところがある。ここは「宮崎の合衆国」と宣言しているが、別に狂牛肉を主な産物にしているわけではない。やたら土地がだだっ広く、しかしながらそこを開拓する人がおらず、全国から移民を募ったのだ。その世界中から移民がやってくる様をジミー・ペイジが「移民の歌」としてツェッペリンで演奏したのは有名な話だ(ウソ、ウソ)。

 例によって話がおかしな方向に行き始めたが、「ひるめしの問題」(byシーナ誠)である。うどんを食うのは良いがどっちに行こうかちょっと迷った。というのも、会社の近くにあるうどんやは2軒隣接しており、どちらも地元では有名なお店なのである。1軒はかの文豪川端康成が「天ぷらうどんを頼んだらこんなのが来ました」といって魚のすり身を揚げたものを見せた所、地元の案内役の人はこともなげに「宮崎ではそれ(魚のすり身の揚げたもの)を天ぷらというんです」と開き直ったというか、お前そんな言い方はないだろう、『すいませんねぇ、世間一般的に天ぷらうどんといえばうどんにエビ天が乗ったものを想像しますよね。ただここ宮崎ではそういう場合は“エビ天うどん”といわないとダメなんですよ。』くらいは言えよと思わず突っ込みたくなるようなエピソードが残っている豊○うどん(別名三○茶屋)か、そのすぐ西に店舗があり去年火事を出したが不屈の精神でカムバックした○長うどんである。ちなみにこの○にはどちらも同じ文字が入る。ヒントは『ラッキーを日本語にすると』である。

 えーと、また無駄な話を書いたがこの2店、地元では味の面では圧倒的に○兆うどんである。何せ12時30分すぎでも長蛇の列が途切れない。豊○うどんはその点、2~3歩負けている、いや決して味が悪いわけではない。ただすぐ隣に同じうどん屋があり、そこのほうが美味しいと思われているのでつらいだろうなと余計な心配をしているだけだ。ちなみに県外の人のために解説しておくと、この店もともとは同じ店でした。店の名前になっている豊○さんという人が本妻に継がしたお店が豊○うどん、オメカケさんに継がしたのが○兆うどんである。しかしながらというか、当然至極西京極(by筒井康隆)というべきか美味しいのは後者である。まあ、味覚などというのは個人差があって当然なので逆の意見の人も多いだろうが。

 それで、僕がどちらに行ったかというとこれが豊○うどんなのである。理由はこの時間確実に空いていること、スポーツ新聞が4紙以上あること、という2点からである。予想通りお客さんは店内に四分くらいの入りだったので、水が飲みやすいようにクーラーポットの近くの席に座った。新聞は所定のところに無かったので、誰かが持っていってるのであろう。席についてうどんとおにぎりを食べながら(炭水化物の化け物ですが、若き日の坂田明は父親のトラックの仕事の手伝いをしている時お昼は必ずうどんと丼飯のセットだったと「私と冷やし中華の出会い」の中で書いている。いや、別にどうということは無いのだが)、目はしっかり新聞を探していた。お客が読み終えたら頂こうという腹積もりである。

 ところで男の人がほとんどだと思うが、食事中に新聞や雑誌を読む人がいる。非常にみっともないが、実は僕もその一人なのだ。18の年に家を出て、京都で一人暮らしを始めてから10年以上は一人で食事をしていたせいか、または本来の貧乏性かわからないが、飯を食いながら新聞や雑誌を眺め、ぶつぶつ文句を言うのが食事時のささやかな喜びになってしまった。あるとき、多分28,9の頃だと思うが宮崎駅近くのOホテルでランチしていた時の話だ。そのレストランは中華料理屋だったが、ランチタイムには多楽福(タラフク)セットといって、麺類と丼モノがセットで800円(やや記憶が曖昧だが)で食べれた。高いと批判が出るかもしれないが、海鮮そばや天津麺など麺類もそこそこ美味しかったし、何といってもマーボ丼や中華丼などの御飯類も丼一杯の単品メニューとしても十分なボリュームを持っていたのだ。A,B,Cとコースがありそれぞれ麺類と丼モノが組み合わされており、今日はどのコースで行こうかと考えるのも食事前の楽しみだった。それとこのレストランには新聞が2種置いてあり、もともとホテルのレストランなので、新聞の数はたっぷりあって必ず読めるというのも楽しみの一つだった。

 ある昼下がり、例によってセットメニューを頼み、麺、メシ、スープ、麺、麺、メシ、スープのパターンで「えぐりこむように食うべし」(by丹下段平)さらに読むべしを実践していると、隣の席の50過ぎくらいの立派な身なりの紳士が話しかけてきた。「いやー、これ全部食べれるの?若いなぁ」。突然の事で誰に話しかけているのか解らず、手に持っていた割り箸が一瞬止まった。すぐに自分自身に話しかけていることが解り、話し方やそのイントネーションから県外から来たビジネスマンと判断した。「体調が悪い時は残してしまうので、完食(こんな言葉はないのだろうが)できるかどうかが健康のバロメータなんですよ」と、僕は観光宮崎の印象を損なわないように笑顔で答えた。「そう、私なんかではもう無理だな。ところで食事中に新聞読むのは止めた方が良いよ」。うるさいオヤジだなと思いながらも、笑顔で(カンコーミヤザキ、地元に金落とせ、と心で呟きながら)「あ、そうですよね。みっともないですね」と答えると、彼は「いや食事中に活字を読むと本来胃に回るべき血液が脳に回ってしまい、消化に良くない。食事中は胃に血液が全部行くほうが良いんだ。また読みながら食べても頭に入らないよ」などと言ってまだ何か言いたそうな顔をしていた。

 貴重な昼休みをこんな説教オヤジに捕まったらかなわんと思い、その後は一切彼のほうを向かず、麺、メシ、スープ、メシ、麺、メシ、スープとややリズムを乱しながらも、一心不乱に食べた。説教オヤジが伝票を持って立ち去るや否や新聞を開き、バブル経済真っ盛りの記事をまた読み始めたのであった。えー、話が全く時系列ではなく混乱しそうだが、これくらい僕は食事時に活字を読むのが好きなのだ。そしてうどん屋に話は戻るが、僕の右隣にいたオジサンが席を立って出ようとした時に、ちらと新聞が見えた。よし、と思って取ろうとすると、その隣にいたアンチャンがさっさと持っていってしまった。チクショー、タッチの差と思いながら店内を見渡すと、一番奥のテーブルに一人で新聞を読みながら食べている男がいた。しかも右肘でもう一部新聞を抑えている。それを見た瞬間、怒り心頭に発した。

 新聞の不当独占反対、二部占有許すまじ、断固糾弾などの言葉が脳裏をよぎった。かすかにだが、殺意が芽生えた。しかし、と冷静になりもう一度奴の態度をみてみると、手に持った新聞は汚れ具合といい、折れ曲がり方といい間違いなくこの店の新聞であろう。しかし肘でおさえているのは今しがた折り曲げたばかりで、うどんの汁などもかかっておらずきれいそうだ。なんだ、自分で買ってきた新聞を読む前に、店の新聞を読んでいるのかと一気にクールダウンした。そうか、そういうことなら解らないでもない。自分で買ったものはなるべく汚したくないという心境は理解できる。そう判断した僕は再度新聞を求めて目で店内をさまよったが、悲しいかなそれぞれ読んでいる人たちのうどんの量やおにぎり、イナリの減り具合から今回は無理と判断し、一気にうどんをすすりこみ、タクワンを齧って次回の汚名挽回を誓うのであった。

 全て食べ終わりお冷などを飲んでいると、肘新聞男が食器を持って出口に向かった(ここはセルフの店で食べた後は自分で返却口まで持っていくのだ)。ナニゲニ見ると新聞は片手にまとめて持っている。ん、ん、ン?と目で追いかけると奴は食器返却口にトレイを置くとそのまま新聞を2紙ともその下のコーナーに投げ込んだ。ということは、どちらも店の新聞だ。今度は明確に殺意が浮かんだ。オレの貴重な食事時の楽しみを邪魔しやがって。しかも肘でおさえるなど姑息な手段を使いおって。ブチコロシタロカと思い睨みつけていると、先程の新聞を取ろうとしているオッサンがいた。僕は殺意を抑えて、もう一部の新聞を確保するために早足で移動した。


アウトオブザブロークンマインド 後編

大淀川の対岸から見たホテルと今宵の月
  この前は中途半端に話が終わってしまった。僕のブログの特徴と言えばそれっきりなのだが、若い頃からパンタのファンだったせいか、いろんな話の予告やイントロばかりで、なかなか本編が始まらないというか、そもそも何の話だったのか良く解らないものが多い。この前はガリキリ半年ビラ1年の話だったが(本当にそうだったか?)、実はメインテーマはまだまだこれからのお話なのだ。日にちが空いてしまったので、どこからつないでいけば良いか良く解らないのだ。

 などと昨日書いてそのまま寝てしまった。今日(7日)は先程、夜の散歩(by RCサクセション)をしてきたのだが寒波が襲来したせいか11月の宮崎らしからぬ寒さだった。いつもはTシャツの上に長袖シャツを着て出かけるのだが、今日はその上にフード付きのトレーナーを着込んで出かけた。大淀川の橋の上を歩いているとその格好でも寒かった。橋を渡り、川沿いの遊歩道を歩いていると、正面に月が見えてその右側にオリオン座が綺麗に見えた。三ツ星は最初見づらかったが、目が慣れるに従ってその姿を現わし始めた。

「これが俺たちの世界、隠しきれない世界、宿命の三ツ星はオリオン、瞬いている事だろう…」と歌が口をついて出たが、あまりに寒くて上手く口が開かない。カッコつけてる場合ではなく、本当に風邪を引きそうだったので、ほうほうのていで家に帰った。教訓、寒い日の散歩はもっと早い時間帯にすべし。しかし、京都の秋はもっと寒かったな。特にあの映画の日は、などといって無理矢理話をつなげる。

M徳館前でのビラ配りはランチタイムがメインだったが、各授業の休み時間なども行った。しかしながら確実に大勢に配布出来るのはランチタイムだったので、その間は「1回生ダッシュ」と先輩から号令がかかりメシも後回しで、みんな結構真面目に配ったように思う。前にも書いたが映画の入場料はカンパ制なので、前売券の販売などはなかったが、それでも入場者を確保するために普段はさぼってばかりいる専門の授業にも出て、クラスの連中にもPRした。しかしロックに意識的な連中は既に「ウッドストック」は見ており、もっと他の映画は無いのかと無茶を言うし、僕が所属していた英文科はクラス50人中40人が女性という今考えると「はらいそ」とか「天国に一番近い島」などの言葉が脳裏をよぎるが、僕は授業にほとんど出ないイケナイ学生だったので自ずと親しくしてくれる女の子も決まっていて、彼女らはロックと言えば上田正樹やファニカン(もう解散してたが)、あるいは我がD大の誇るウェストロードブルースバンドみたいな純国産がお好きであった。

 と、ここまで書いてまた寝てしまい1日過ぎた。このところ夜の散歩の時間が、10時過ぎだったので終わって汗を流すと、すぐに12時。それからあちこち御馴染みのサイトをうろついてるとすぐに2時を過ぎてしまい翌朝きついというパターンだった。そこで、今日から散歩は夕食が終わるとすぐ、時間にすると8時半くらいから始めた。一人でぼんやり大淀川の橋を渡っていると前方に半月が見えて、思わず口元から”Burn down the mission~”とエルトン・ジョンの「布教本部を焼き落とせ」のフレーズが出て来た。昨日は「オリオン頌歌」を口ずさんでいたが、今日はエルトンで次は自然と「だにえるとらべりんとぅないとおなぷれいん、あいきゃんしざれっらいとうへでぃんふぉすぺぇえん~」と名曲「ダニエル」のフレーズが出て来た。何でだろうと考えていたら、夜空の合間を点滅等をつけたジェット機が音も無く、闇に溶けて行くのが見えたからだった(ここ、ちょっと城達也のジェットストリームぽくね?オッサン無理して若者用語つこてもアカンデ!!)。

 そして帰り道、橋の途中で振り返ってみた観光ホテルの夜景と月の風景画綺麗で思わず、携帯で写したが画素数が少ないので、ちょっとぼんやりしている。ただ雰囲気はわかってもらえるのではないかと思っている。今日の散歩道も寒かった。京都の秋はもっと寒かった。あー、やっと話が元に戻った。映画上映の当日は朝一番から集合がかけられたが、平日で当然授業のある者も多く、上映時間とその日出席しないとまずい授業の確認があったが、こういうとき1回生はほとんど意見を聞いてもらえない。まあ文化系のサークルだったので、怖い先輩もそれほどおらず、結局この手のイベントが好きな奴が受け付けやお金の保管、その他もろもろの雑用をやる事になった。僕?僕は当然「お祭好き、騒ぎの好きな男」だったので指名されるまでも無く、朝から最終まで付き合うことにした。正直な話、この映画の上映前の準備の大変さは良く覚えているのだが、上映当日の事はほとんど覚えていない。予想より1回目の上映に人が入り、その売上で購入予定のツィーターがかなり良いランクの物が買えそうだと会計担当のY本さんがその端正な顔をニヒルにゆがめて笑っていた事くらいだ。

そして上映が無事終わり、片付けもすんでBOXには1年先輩で女性のS本さん(以前書いたと思うが「嗚呼、花の応援団」に出て来る美鈴ちゃんに良く似ていて、いや外見がブサイクだ等というのはまだマシな話で、とにかくこの人性格が悪くて99.9%のサークル員から嫌われていた)、同級生のE副君(こいつが二枚目で静岡出身のええとこのボン、ナンパさせたら仕掛けて仕損じなしの必殺ナンパ人で大変お世話になったのだが、FM○岡放送関係に就職したと聞いてからその後の消息は知らない。後年リクルート事件で彼の名を見て驚いたが、単にリクルートの創業者と同姓だっただけだってイニシャルになってないやんけ!)と僕の3人が何故かBOXに残ってしまった。確か会計のY本さんがどうしても用事があって、お金を預かれないので副会計のS本さんが残っていたと思う。はっきり覚えていないが、ちょっとまとまったお金だったのでS本さんの女子寮まで僕とE副で送るという事になっていたと思う。もちろんE副は女子寮に何らかの意図を持って接近しようとしていたようだし、僕はもしかするとそれは大変な幸運をもたらす事かもしれないと本能的に悟っていたので、この「ザ・ガードマン」役を請け負ったと思う。

3人で階段を下りて別館の中庭に来てから、僕はBOXのカギを預ける守衛さんの所に行き2人は先に行ってるものと思っていたが、何故か中庭のところにいた。しかもちょっと様子がおかしい。E 副が両手を広げてS本さんの前に立ち、その手の先にはスキンヘッドの背の高い男がいた。ぱっと見たときはE副たちがふざけて通せんぼをしているかと思った。E副とS本さんが左右に動くとスキンヘッドもそれにあわせて動く。「おまえら、ナニしとん?」と僕が声をかけるや否やE副が「○○(僕の本名)、そいつを捕まえろ!」と叫んだ。なんだか解らないが、ふざけてるんだろうと思いスキンヘッドを後ろから羽交い絞めした。その途端、脱兎の如く(余談だが、毎度御馴染みのF田敏雄君はこの「脱兎の如く」の意味をよく理解しておらず、「今から脱兎の如く眠る」などと使い心ある人たちから顰蹙を買っていた。しかし不幸な事に工学部出身のH居クンなどこの使い方が正しいと思いクラスで使い、「品のある表現だ」と言われたらしい。そこから話を広げて、工学部は字が読めなくても大丈夫らしい、というとんでもないデマを広めたのは僕です)、彼ら二人は走り出した。僕は『今度は鬼ごっこかやれやれ』と思っているとスキンヘッドが僕の胸元を掴んでこう呟いた。

 「おま、おま、おまえ、なんでオレに女くれなかった、なんでくれなかったなんで…」壊れたプレイヤーのように際限なく呟きながら、僕の胸元を持ち上げる。その時気がついた。僕は身長175だが、当時はヒールのサンダル(恥っ!ほら、昔流行ったでしょ、ポックリみたいな奴。ロンドンブーツは風を通さないけどサンダルは通気性が良いから履いてましたって今更言い訳するな!!)を履いていたから185くらいあったはずだが、目の位置が同じ、つまりオレよりはるかに背が高く、目が完璧に飛んでいました。それから頭にマジックで線を引いたような、孫悟空の緊箍児 ( きんこじ )みたいなものが目に入った。このスキンヘッドが喋る事、目の異様さ、頭の線、これらを総合して僕の小さな灰色の脳細胞はフル回転する暇も無く結論を出した。「ガイキチだ、基地の外に居る人だ。アウトオブベースいやアウトオブブロークンマインドの人だ」。最後のフレーズはこのブログを書くためにでっち上げた言葉だが、尋常な人ではないことが即座に理解できた。

 右腕がぶぅんという感じで振り回されてきた。両手で防御したが、今度は左手が飛んでくる。転びながらも何とか逆襲をとサンダルのヒールの部分で回し蹴りをお見舞いした所手ごたえあり。「うぅ」か、なんか言いながらスキンヘッドがうずくまった。僕は義経もかくやといわんばかりの、三段跳びで別館の正門のほうに逃げ出した。烏丸通に出るとE副の姿は見えないが、S本さんが半べそでおたおたしていた。「ナニしとるん、はよ逃げぇや!!」と叫び後ろを見るとスキンヘッドが追いかけてくる。既に夕暮れ時で人影もまばらだ。とにかく逃げないとと思いながらも、S本さんの身の上より苦労して集めた売上金が惜しい。人間こういうときに本性が出るが、ブサイクなS本さんは人身御供に差し上げても構わないが、新品のツィーターが手に入らないとみんなに迷惑だ、しかし金庫はS本さんが握り締めている。とコンマ5秒で状況判断をして、S本さんの手を握りながら駆け出した。丁度タクシーが来たのですぐに止め、行く先も告げず早く出すようせかした。

 車のミラーでスキンヘッドの口惜しそうな顔を見て、少し安心して女子寮まで走った。最初は恐怖で二人とも口が聞けなかったが、落ち着いてきて話を聞くとE副と二人で中庭の花壇を通り過ぎようとした時にスキンヘッドがいきなり「おんな、おんな」みたいな事を言いながら近寄ってきたらしい。様子がおかしかったのでE副が庇っていた所に僕が運悪く声をかけたようだ。しかしE副の判断は素晴らしいが別館を出た所で「脱兎の如く」一人だけ逃げて行ったようだ。あいつが居なければ、僕の独力で女子大の寮の厚き扉は開けられないななどと未練なことを考えてはいたが、とにかく無事にお金も(ついでに)S本さんも送り届ける事が出来そうだ。寮の前でタクシーは止まった。車から降りて、いやあ今日は大変だったですねなどと他愛ない会話をしていたら、川の土手のほうでスーッとタクシーが止まった。「まさか」と二人同時に行った途端、目が点になった。スキンヘッドが睨みつけながら降りて来た。「逃げろー」、僕は絶叫した。S本さんは今度は腰を抜かさず、すぐに寮の門をくぐり安全は確保された。次はオレだ。必死で走った。途中サンダルの踵が折れて、足を挫きそうになった。それでもひたすら走った。舗装道路の上を何度か転びながら走った。

 「るるー、道なき道をがむしゃらに手探りで走ってきた、今まで。暗くて何も見えなかった。涙で何も見えなかった。何回と無く転びよじれ流され、頭からつま先まで汚れきってしまった…」と、今になってみれば丁度「暗闇の人生」の歌詞どおりの状況だったのだが、そのときはそんなゆとりは、当然無かった。土手の上を何度も後ろを振り返りスキンヘッドの影を確認しながら、走った。逃げた。「ザ、ヒュージティブ。リチャード・キンブル、職業医師。正しかるべき正義も時として盲入ることがある。彼は身に覚えの無い妻殺しの刑で~」なつかしのTVドラマ「逃亡者」のナレーションが頭の中でぐるぐる回っていた。途中で空のタクシーが通りかかり何とか修学院の下宿までたどり着いた。サンダルは片方の踵が切れて使えないものになっていた。お気に入りのベルボトムのブルージーンズ(恥っ、そんな時代だったの♪ベルボトムブルース、ユーメイクミクライ~)は何か所か穴が空いており、まことに残念ながらその年75年にはまだパンクは始まっていなかった。あのジーンズを穿いていればオレが京都で最初のパンクやと威張れたものだが(良く考えてみるとベルボトムを穿くパンクはおらんな)。

 散々な目にあった、余計なタクシー代は使うは、サンダルやジーンズを買うお金も必要になるしとこんな経済面の心配をするゆとりはなかった。まだ心臓がバクバクいっており、何とか落ち着くためにライ・クーダーの「天国からの夢」をかけた。心地よいアコースティックの音に全身が溶け出したように感じた時に、また緊張が走った。コン、コン。狐の鳴き声ではない。ドアをノックする音だ。「だ、誰」とやや怯えた声で聞くと「Y岡や」と同じ下宿の仲間の声。ふーっとため息をしてカギを開け、Y岡さんを部屋に入れた。「なんや、凄い事になってるな」彼はにっこり笑いながら僕のサンダルとジーンズを指さした。  この話は後日談がある。かのスキンヘッドは、僕は知らなかったが当時の別館では知る人ぞ知る名物男だった。いつもは大人しくて別館1階の学生食堂で、女子学生だけのテーブルを見つけるとそこにうどんを丼ごとぶちまけ四つんばいになって食べるという奇癖のある男だが、過去暴力沙汰などは起こした事は無いらしい。頭の線は、以前脳の手術をしたときの傷跡だという(しかし、ロボトミーでもしたのだろうか。見事に1周、線が回っていた)。このちょっとした事件が彼の保護者の耳に入ったらしく、それから彼を見かけなくなった。

 一方、僕は得意満面であった。身を挺してサークルの売上とブサイクとはいえ女子部員の貞操を守ったのだから。「死んでもラッパを離しませんでした」の木口小平(しかし例えが古いな、みんなついて来れるかな?)なみに大絶賛されると思い込んでBOXに行った所が…。例のF田敏雄君がにやにやしながら1級上のO西さん(いかん、この人も発音したら名前がばれる)と一緒に「お前、アホやな。何でS本サンを捨てて逃げんかったんや。金よりS本さんがいなくなるほうがみんなのしあわせや」などと無茶苦茶言われた。さあ、しかし解らないのが男女の仲というやつで、このときS本さんをボロカスに言っていたO西さんとS本さんが付き合い始めるのであった。なお、O西さんは翌年権謀術策の限りを尽くして、サークルの幹事長になるのだが、そのあまりにワンマン体制、人のえり好みの激しさを糾弾され、サークルを放逐されるのだ。その最先端に居たのがナニを隠そう、この僕なのだ。こういうのを「江戸の敵を長崎で」と言うのだが「回る因果は糸車」という言葉もあるようにO西さんの最後の罠に見事ハマって僕は77年度の幹事長の座を逃すのであった。

 あー、疲れた。もう寝ます。

アウトオブザウィークエンド

都市の暮らしの民俗学① 都市とふるさと

 日曜日の新聞は読書欄を読むのが楽しみだ。僕が読んでる地元紙は、日曜の読書欄は両面見開きで話題作の紹介、東京と宮崎のベストセラーの比較、各地方の出版社の本の紹介などがある。毎週このページを読んで、色々な書籍(普段読んでるものとは違った種類)の存在を知り、欲しいなー、読みたいなーと悶々とするのが僕の週末のひそかな楽しみである(変態か!?)。

 今日、気になった本の1つは「昭和30年代 良い時代か」という惹句が目を引いた小林雅一氏の紹介記事。新谷尚紀、岩本道弥という方が編集しており、「都市の暮らしの民俗学① 都市とふるさと」というタイトルで吉川弘文館から2,940円で出ている本だ(しかし、CDならこの金額で高いと感じないのだが、本だと物凄く高い気がするのは何故だろう。普段いかに新古書店で買い物をしているかがばれてしまう)。昭和30年代と言うのは僕自身が生まれ育った年代だし、ここのところ「3丁目の夕日」を初めとした昭和レトロブーム(きっかけはウルトラマンなどの円谷プロの再評価だった気がする、あるいはアメリカT映画の)で、書店に行くとどこでもその手のコーナーがあり、同時代人の僕としては、必ず手を取りその中に事実誤認のところがあれば「何考えとんねん、このボケェ。ちゃんと調べてから本出さんかい!」とか「こんな本作っとるから、お前んとこの本は売れんのや!!」あるいは「A加減にせんかい!!輪転機に砂ぶち撒けたろかっ!(by 呉智英)」などと心の中で大いに毒づき、日頃のストレスを発散させるのであった。

 と、それはさておき、今回の紹介記事でなるほどと思わずうなってしまったのは

「少年犯罪の凶悪化」や「自殺三万人の時代」など暗いイメージの現代社会と対比して語られる昭和30年代は果たしてそんなに幸せな時代であったのか?

  という問題提起である。まだ読んだ事の無い本なので、紹介文を鵜呑みにするのはどうかと思うが、民俗学(普段の僕たちの生活には縁もゆかりも無さそうだが、こういうところをおろそかにしていると権力者に足元をすくわれるのだ。いや権力者面して近づいてくればまだ対処の仕方もあるのだが)が明らかにしようとするのは、こうした事実に対する誤認(例;青少年による殺人や自殺は現在よりも昭和30年代の方がずっと多かったことや「猟奇的な凶悪事件」の数や種類は今も昔も大して変わらない等)である。そのことが何故大切かと言うと

過去へのあこがれによる事実誤認を基に、少年の「心の荒廃」や「公徳心の欠如」が声高に叫ばれ、それを正すべく『道徳教育』(カギカッコはdrac-ob)の強化が政策課題に上げられ、情緒的な現状認識が日本社会の行方を左右し始めている、

そのように危ない時代に僕らは生きているのだ。

 このあたりのことは少し考えればすぐ解ってもらえると思う。現在わが国の最高権力者は僕とほぼ同世代と言って良いくらいの人だ。その彼は最近やたら教育云々と言っている。「ゆとり教育」はダメで、憲法は『改正』せねばならず、核議論は大いにすべきだと。理想は「バックトゥザ戦前」と言わんばかりである。しかしながら何時の時代でも、若者とは「公徳心」が「欠如」している物で、良い例がどこかの国の首都の知事さんでお若い頃「太陽族」と称して湘南あたりで何をしていたか、障子にナニを突き刺していたのか言ってみろ!!…失礼しました。そんなに昔が良いと言ってるようじゃ孔子あたりから勉強しなおすしかないんじゃないか。礼節をしっかり身に付けてきてから政治してもらおうじゃねーか。「渇しても盗泉の水は飲まず」と言うし「李下に冠を正さず」とも言うぞ!!

 えーと、ちょっとばかり似合わない話を書いてしまったが、この本は図書館で借りてでも読んでみようと思う。ここのところネットばかりやっていて、まともな本を読んでないので少し頭を鍛えないといかんな。先週読んだのは「浜山ペンタゴン」だけなので、気をつけよう。ところでその記事の下に「人気の1冊」というコーナーがあって、「きっこの日記」が取り上げられていた。僕もネットで注文して、今毎週末の病院の待合室で少しずつ読んでいる。オリジナルはブログで既読なのだが、改まって活字で読むとまた違った印象がある。しかしこの本HPと同じ形式で作っているので左から右に活字を読むという、やや刺激的な本でもある。ちなみに宮崎の本屋さんにはまだ入っていないようだ。ネットのおかげでタイムリーにモノが入ってくるが、もし以前のようにネットを毛嫌いしていたら未だに読めなかったことになる。情報格差はこんな所にも来ているのだ。ま、そんな事はどうでも良いが、(岩)氏が書いた紹介文は別段、目新しい事は無くお次は「各地の本」で沖縄の共同店とはなんだ、「まっちゃのおばぁ(by 下地勇)」に関連する話ではないかと頭の9割くらいは次の記事に行ってた時に、クリーンヒットが出ました。

 そのまま引用する。

ちなみに本の取り寄せを頼んだ書店の店員は「きっこ?“松岡きっこ”ですか?」と言った。

作っちゃいけないよ、(岩)さん。今時“松岡きっこ”知ってるほうがオカシイ。彼女の名前を知ってるのは、巨泉の金曜イレブンを知ってる世代でしょう。試しにその辺の若い子に聞いてみたら?しかしもしこの話が事実なら、この書店の店員さん相当な切れ者かも知れんな。発売前から、いや正確には去年の耐震偽装問題の頃から、書籍化すればベストセラー間違い無しのブログの本を今頃注文するマスコミ人をおちょくると言うか、ネタの提供をしてやろうという遊び心が「松岡きっこ」になったのではないか。と、これは少し深読みかな。僕も「きっこの日記」をギャグにしようと思った事はあったが、流石に「松岡きっこ」は無理だろうと思っていた。では僕の考えたものはナンだったのか。怒らないでね。それは日本全国に同時代的に流行したある替え歌♪きっこーまんの子供、子供、子供、きっこまんの子供きっこま××…失礼しました。ウルトラマンバージョンもあります。♪ウルトラマンの子供、子供、子供~A加減にせい!!こりゃまた失礼しました。


アウトオブブロークンマインド 前編

RCAブルースの古典 ウィスキーヘッドウーマンがお気に入り
 
 早い物で「10月はたそがれの国」(by レイ・ブラッドベリ、ここちゃんと書いとかないと、この人厳しい)などといってるうちに、すでに11月。「11月はかわたれの国」とはだれも言ってないと思うので大丈夫だろう。なんの話だと思っているあなた。あなたの高校では古文の授業を削って何か他の授業をしていた恐れがある。大至急出身校に問い合わせて、自分の卒業単位は足りていたか確認したほうが良い。などと珍しくタイムリーな話題を導入に持ってきたが、教育ネタではない。(蛇足ですが「たそがれ」とは「誰そ彼」で夕暮れ時、「かわたれ」は「彼は誰」明け方の薄暗い時間帯を指す言葉。もっとも元々「かわたれ」は明けも夕もどちらにも使っていたのだが、「たそがれ」と対比して明け方オンリーに使うようになった。「たそがれ」と言えば「横浜」と地名を連想したあなた。しかもその後に「ホテルの小部屋」まで連想したあなた。あなたの精神年齢は確実に演歌オヤジです)

 とまあ、古文の豆知識(by 桜塚やっくん)を披瀝したが、南国宮崎も流石に11月になると風も少しひんやりして秋らしくなる。この時期はあちこちで学園祭が行われ、その年の元気の良いバンドやミュージシャンが活躍する時期だ。またそのように派手ではないが、各大学でいろいろな研究内容を発表したり、無料で市民参加が出来るセミナーがあったりするいわば文武両道の季節とも言えるのではないか。さて我が身を振り返ってみると、75年に大学に入り、初めての学園祭シーズンに実にとんでもない経験をした。今日はその思い出話を書いていこう(なんだかんだ言って昔話ばかりじゃないかと非難する事無かれ。いにしえより「古きを尋ねて新しきを知る」と言うではないか。四字熟語で温故知新である。実は、何を隠そうこの言葉、ガキの頃「う○こちしん」と誤読して人前で喋れなかった記憶がある。物事は正しく学ばねばならないという教訓である)

 僕のいた大学は学園祭の期間が異常に長く、確か9月の半ばから、10月と11月は間違いなくEVE期間といって、いろいろなイベントや研究発表が行われた。もちろんその会場や、開催に関する様々な手続きは学園祭実行委員会(略称;EVE実)を通して行わねばならなかった。このEVE実には様々な学生が関与していたが、当然大学の自治会関係者のヘゲモニーが圧倒的だった。僕の所属していたサークルは夏休みに合宿(という名の強制コンパ、麻雀、討論、乱暴、狼藉、打ち上げ花火の水平撃ち特訓、修羅場パーティ但しほとんど男子学生のみetc…)を行いそこで、EVE期間中の計画を立てるのが常であった。僕自身その年はまだペーペーの1回生だったので、先輩方の話にただ頷くだけであった。結局10月に映画を、11月のEVEにゴーゴー喫茶(しかし、古いね。死語だ)をやる事が決定した。映画は「ウッドストック」を上映する事になった。

 今はどうなっているか知らないが、当時学生が映画を上映しようと考えたらフィルムをレンタルしてくれる会社に連絡して、希望の作品、日時、金額等を交渉して借りてくる、というのが一般的だった。当時、その手のフィルムレンタル会社は関西に何社かあったように記憶しているが、学園祭シーズンになると東京の会社がDMを送ってくることがあった。そして、その内容を見ると品数も種類もレンタル単価も圧倒的に地元の会社より優れたものが多かったように思う。特にロック関係の映画は当時、種類も少なかったので別のサークルが同じ映画を企画しているなどと言う情報が入ると急遽ストーリーモノの映画の上映に切り替えたりした事もあった。それにしても、当時の映画上映と言うのは僕たちがたむろしていた別館のすぐ隣にある学生会館(大学当局は必ず『大学会館』と呼んだり書いたりしていたが、心ある学生達はあれはガッカンなのだと譲らなかった。まあ、そのどちらも今は無くなってしまったそうだが)のホールでカンパ制で上映されていた。カンパ制だからいくらでも良い。つまり1円で映画を見る事だって可能だ。中にはその1円を払うのが惜しくて「レポだ」と言ってタダで入る奴もいた。ホールは千人規模のしっかりしたものだったが、何せ入ってくるのはインテリヤクザを気取ってるのがほとんどだったので、タバコの煙はもくもく上がるわ、缶コーヒーの転がる音がするわ、マナーは最低だったが、そこには何か不思議な連帯感があったような気がする。

 映画の上映日程が決まり、フィルムの交渉などは1年上の先輩達が中心になってやっていたが、我々1回生は何をしていたか。もちろん単純肉体労働及び営業活動である。公称2万人の学生のいる大学だったので、不特定多数にアピールするには原始的ではあるが看板とビラ配布が大事な広告媒体であった。しかし、この看板作りは多少大工仕事の上手い奴が指図してやるとすぐ出来るのだが、表側の文字と配色やレイアウトは美的センスが必要で、悲しい事にそれを持ち合わせているサークル員は女の子と上手くやってるので、看板作りなどには参加せず、アリか奴隷のように看板作りをやっているのは、こういってしまうと身も蓋もないが女の子とは縁が無いと言うと言いすぎなので、縁が薄い連中がほとんどだった。幸か不幸か僕はその一人であったというか、積極的に関わる一人だった(口の悪い連中はワンアンドオンリーといっていたが、そんな事は無い。たびたびこのブログに登場する「せんみつのF田」君やカンニングがばれて留年したS戸君などは良き協力者だった。おお類は友を呼ぶ)

 いまでも思い出すのは、我がDRACのタテカンは常に黄色の背景色に黒の太文字のワンパターンだった。ひと頃、♪黄色と黒は勇気のしるし、24時間戦えますか?→出来ません!などと歌われ、黄色に黒目立つじゃないかと思われそうだが、再度言います。看板はセンス。美的センスの無い奴が作るとブザマだった。しかし、とにかくサブロク(判じ物の一種ですね。三尺×六尺、建築用語で言う900ミリ×1800ミリ)のベニヤを4枚縦に並べて作るものだから、目立つには目立った。ビラはガリを切り(今の人に理解できるだろうか。しょうがを切るのではなく、油紙の用紙に鉄筆で文字を書き、謄写版で印刷するのだ。何?言葉が解らない?「イミダス」か「現代用語の基礎知識」の「死語」のコーナーで調べてくれ!!)、シャツの手首を真っ青にしながら刷った。文化団体連盟という上部組織があり、そこのBOXには輪転機があったが何せ順番待ちだったので、大抵は自分達のBOXで刷りまくった。BGMはRCAが出した「ブルースの古典」という企画モノでワークソングを聞きながら、ひたすら印刷をした。

 印刷をしたら次はビラ配りである。キャンパスで一番人通りの多いM徳館の前で、配るのである。ここはビラ配りのメッカというか、D大の原宿、表参道と呼ばれたところで(ウソ)数多の人たちがビラを配っていた。最初何も知らずにこの場所にいたら、やたら髪が短く青春ドラマの悩み多き若者みたいな連中がビラを配っているのに遭遇した。ナニゲニ眺めていると、いきなり、そうたとえて言えば公園の噴水の周囲にいた鳩が一斉に飛び立つような感じで、ビラを投げ散らかして逃げ出す光景が見られた。唖然としてると、そこに赤いヘルメットに白衣を着て、手には角材を持ってる人たちが駆け込んできて、逃げていく青春ドラマを追いかけていった。当時のD大の自治会をおさえていたセクトと日本××党の青年同盟の学内自治をめぐる権力闘争であった。どう見ても正しいのはヘルメットだなと思っていたら、その半年後くらいにある暗いBOXで「中国××党との党派闘争をやるのか、否か」とわけの分からないことを言われ、何とか反論して逃げた甘い青春の1ページが…ちょっと脱線した。このあたりの話は後日に譲って、軌道修正する。

 とにかく人通りは多いので、次々にビラを撒こうとするがなかなか上手く受け取ってくれない。ビラ配りは先日アップした「入試情宣」でも散々やったが、これにはちょっとしたコツがあって歩いてくる人の進行をさえぎるような形で渡そうとしても無理である。気の短い奴なら「ケンカ売っとんのか!!」という話になりかねない。コツは歩いてくる人が自分の目の前を通り過ぎるその瞬間に差し出すと(心持ちやや後方から差し出す形)反射的に受け取る可能性が高いのである。このバックハンド方式を発見して以来僕は他のサークル員にビラ配布では圧倒的な差をつけたものだ(得意、得意)。しかしこの時に、身に付けた技術の『ガリキリ』と『ビラ配り』は実社会ではほとんど役に立たなかった。既に時代は青焼き(これも説明がめんどくさいけど、建築図面なんかで青っぽいのあるでしょ。あれ薬品につけて焼くから青焼きというんです。だから年配の人になると未だにコピーする事を「ちょっと焼いてきて」などと使うし、甚だしいのは「これゼ○ックスしといて」とか「リ○ピーする」などと活用する人が…もはや居ないよな!?)ちなみに専門の言語学で習った「狼に育てられたアマラとカマラ」の話はセールストークで使えて重宝した。こんなことならもっと真面目に授業を受けておくべきだった。

 えー、何時までたっても「アウトオブブロークンマインド」の話になりませんが、物事には順序と言う物があって、映画上映当日まで話が行き着かないのだ。とりあえず今日のところはここまで。続編にて身の毛もよだつ恐怖話をアップするのでお楽しみに。そうそう、このブログには数少ない女子学生が登場します、予告よ、予告。 

プロフィール

drac ob

Author:drac ob
FC2ブログへようこそ!

月別アーカイブ

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

ブロとも申請フォーム

FC2カウンター

FC2カウンター

現在の閲覧者数:

QRコード

QR

鳩時計

フリーエリア

ブログ内検索