高等教育コンソーシアム宮崎が正式名称だった

懐かしき大教室 ビデオもある

 罠に嵌った。フォールイントゥアトラップと云うやつである。昨晩、夕食時に上の子が明日大学進学の説明会が午後12時40分からM大であるから参加してくれと言って来たのだ。たまの日曜日くらいゆっくり休みたいので配偶者で良いだろうと答えると、明日は下の子も文化祭でそちらに行くと言う。中学校の文化祭で合唱や演劇を見るのもちょっとかったるいと思ったので、上の子に解ったと返事をして、この手の行事は事前にプリント貰ってるだろと言ったが、どこかにしまいこんで解らないと言う。内容を詳しく聞くがなにやら各大学の学部や学科の説明だという。そんな事ならネットですぐ解るし、志望大学の学生課に募集要項を請求すれば済む話なのだが、余計な事を言うとまた「女三国同盟」が緊急結成され、かなりな弾圧が予想されるので黙っていた。いや、正確には上の子にこう聞いてみた。「12時40分から説明があって、30分休憩してその後2時から又話があるというのは模擬授業とか公開授業ではないのか?」彼女は絶対そんな事は無いと言い張る。とにかく行けば解る話なので、その日はそれで話が終わった。

 翌日、例によって朝寝坊していたが11時前に慌てて起きた。その時僕はM大の場所をM公立大学と勘違いしており、家からだったら12時15分に出れば半につくので40分からの説明会に十分間に合うつもりでいた。簡単な昼飯を食べ、筆記用具など用意し、車の中で買ったばかりの高田渡親子のライブを聞こうとCDも用意した。家を車で出て、大通りを右折しようとして「そういえば今日は神武様(宮崎の有名な秋祭り、神武天皇のお祭り。そうだ、この日本の国は元はといえば神武天皇が舟で東征に出てそこから歴史が始まったのだ。日本のふるさとなのだ、宮崎は!!)だから帰りは車が混むな、3時過ぎといったら丁度パレードもピークだな」と子供に話しかけていた時に、とんでもない事に気がついた。M大は宮崎市の南の奥、M公立大とは正反対の場所にある。

慌てて子供に「M公立大だよな、会場は」と聞くが、彼女はいたって無関心で「M大って言ったジャン、あ、今友達からメール入った、もうM大に着いたけど人が多いって~」。能天気である。誰に似たのか全く屈託というものが無い。「おまえ、アホか、M大やったら木花やぞ、公立大と正反対や。今からかっ飛んでも間に合わんぞ、だから昨日きちんとプリント探せと言っただろ!!」父は逆上した。その剣幕に娘は押されて小さくなっている。「えーい、もう捕まるの覚悟で飛ばせ」と叫ぶと「休んだらどうだろう」と中々素晴らしい提案をしてきた。しかし、父親としてこういうときに毅然と対応し、しかるべき信頼を勝ち取らんといかんと思い「ダメだ、お父さんは休んでも良いが、お前は自分の進路の事だ、遅刻してでも行くべきだ」と宣言すると、小さくなって自分のドン臭さを責めていた。こうなりゃCDどころではなく何とか間に合うように車を飛ばした。

 大学の正門が見えたときは12時35分、ぎりぎりセーフだ。門のところから腕章を付けた人たちが誘導してくれる。正門を通り過ぎる時にちらと『模擬授業』の文字が見えた。「おまえ、模擬授業ちゃうんか、それだったらお前だけ出れば良いだろ、お父さんは出らんぞ」と言うと「父兄も参加して良いってプリントには書いてあった」と抗弁する。指定された駐車場に車を置き、キャンパス中央の受付まで走った。娘はちんたらついてくる。内心なんでオレが走らんといかんのか、そういえば中学校の時の先生が、松の木とかけて郵便配達の人と解く、その心は『はしらにゃならん』という洒落を紹介し、昔の教科書にはこういう遊び心があったと教えてくれたことを思い出した。親子で走っていると腕章を付けた男の人が「走らなくても間に合いますよ」と声をかけてくれ、受付で貰った資料を見て「この授業はこちらの会場です」と教育文化学部の校舎まで案内してくれた。

 4階の教室に行くとすでに授業は始まっていた。60歳くらいの痩せた女性の先生が手招きして教室に入れてくれた。何が悲しくて娘と古典の授業を受けなくてはならないのかと思ったが、滅多に無い機会だし一般教養の文学Kは落としたことを思い出し(古い話でスマン)背筋を伸ばして授業を受けた。余談だが以前上の子が一人で歩いているのを見たときに、女の子の癖に物凄いガニマタだと配偶者に言ったらあなたに瓜二つだと言われ、その時以来夫婦間に見えない溝が出来ている。それはさておき、教室を見渡すと男女3人のグループと女子2人の5人しか授業を受けていない。テーマは「古典を読む楽しみ」ということで女子短期大の先生が古事記、日本書紀、万葉集そして伊勢物語と話をしているが、お年のせいか迫力が感じられない。フムフムとうなずきながら聞いていると先生は「若いということは大変素晴らしいことです。これから皆さんは大学進学を真剣に考える時期が来ます。私の体験を話そうかと思いましたが、もう30年前のことですから皆さんの参考にならないと思います」

 え、30年前に大学受験?ほとんどタメじゃん。とてもそうは見えないなと思いながら、しかし、ということはオレも周りの人からはあんな風に見られているのかと思い一気に気が重くなった。それでも近松の「曽根崎心中」を題材に変体仮名や5音7音の効果、判じ物などの説明をしていく。判じ物などうちのバカ娘は知らんだろうと見ていると誰一人知らない事が解った(この段階で授業は半分過ぎていたが遅れて出席した親子や3人組の生徒達がいた)。判じ物、いわゆる「さぶろく」や「にはち」という奴である。花のお江戸の人たちはヤボを嫌い粋に徹した。従って歳を言うのも18とか16などとストレートに言わず「サブロク(=18)」とか「ニハチ(=16)」などと言ってたのである。この伝でいうとオイラの年は「ナナナナ」でじきに「ゴットウ」になると、ほくそえんでいたら先生いわく「この判じ物は若い年齢しか使いませんでした」悪かったな、ジジィでとは言わなかったが。

 そうしてるうちに時間が来たのだが、この先生よほど生徒が増えたのが嬉しかったのか(授業前の希望調査では3名しか出席予定が無かったので、資料やテキストも4人分しか準備していなかった。仕方ないので何人かで共有して資料を見たのだ)、授業で使ったテキストを希望者にやると言ったのだが、誰一人受け取らない。勿体ないので娘のテキストを「お父さんがもらうわ」と言って受け取ると娘の機嫌がジャガーチェンジした。顔を赤くして早足で教室を出るので、追いかけて「おーい、どうした」と言うと「お父さん、恥ずかしいから黙っちょってよ、授業中も大きな声で返事とかせんで。物凄く恥ずかしかったが」とクソミソである。「ひまわりっ」の健一パパの心境であった。

 まあ、子供の恥ずかしがる気持ちも解るので次の授業は別々に出る事にし、キャンパスを一人ぶらついた。以前の会社に居た頃アルバイト募集のビラ配りに来たことや、講習で来たときの事を思い出したが、毎回感じるのは今の大学は綺麗だということ。清掃が行き届いていてそれはそれで良いのだが、「純粋培養」ではないかと老婆心ながら気になるのだ。立て看1枚見かけない。キャンパスでこのイベントを手伝っている学生達もみんな小奇麗で、すれた感じがしない。そんな時代なのかなと次の模擬授業でも思った。次は「戦後日本の歴代首相のなかの小泉純一郎」というテーマを僕は選び、子供は「地域文化の研究」に行った。
懐かしき立て看 作りが甘い

 「戦後~」は公立大の教授の授業だったが参加者は高1の女の子2人、公立大の学生とその妹、サクラの僕。将来の見込み学生はたったの3人である。まあ、教授の名誉のために加えると授業始まって5分位して40過ぎのお父さん、15分位してM大の関係者2名の3人受講者が増えたが、公立大の受験者数アップを目標にやっていたとしたら大変さみしい結果ではある。

 授業は世襲議員の功罪から始まり、小泉政権の歴史をプラス面(そんなものあったのか?)とマイナス面から比較検討していく形式だった。途中テレ朝のドキュメンタリービデオが20分ほど入った。結論めいた言い方をするとコイズミ方式とは「自分の考えを貫く」と言いながら、事前の世論調査で国民の反応を予測、有識者の判断を取り入れ端的に言うと「事前の世論調査の結果如何で発言や行動を変える」というものであった。しかしつらつら考えると「事前の国民調査に基づいて行動する」ということは、とりもなおさず大多数の国民の期待・希望を具現化しただけであり、アンチ小泉とはもしかしたら「圧倒的少数派」であり、結局適度なガス抜きをさせられてるだけではないかとも考えさせられた。しかしながら嫌なものは嫌、ダメな物はダメである(どっかで聞いたフレーズだが)。はっきり言うが何でも民営化に踊らされた挙句が「耐震偽装」であり「JR西日本の事故」である。人々の心と経済がどんどん冷え込んでいてる事がまだ解らないのだろうか。

 この授業のまとめとしては政権交代のある政党システムが必要だと件の教授は話し、しかしそれが民主党かどうかは別の問題であると軽くダッキングして終わった。実はもう1コマ授業は受けられたし、工学部や農学部の校舎でも理数系の授業が受講出来たのだが、かたくなに大学は県外、志望は文系を唱えるバカ娘がしんどそうにしていたので断念した。帰り道にキャンパスの風景とそこにいる学生ボランティア、大学関係者の明るい挨拶と笑顔を見聞きしながら「挨拶と笑顔、どちらも大事だけどここは大学だよな。もっと混乱と混沌の空間であってもいいじゃないか。つまずいたって良いじゃないか、人間だもの(byせんだみつおじゃなかった相田みつお)」などと呟くオレであった。

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秘められた歴史 その1 その2はそのうち

 (お断り)本日の話は読む人によっては著しく羞恥の念を抱かせる可能性があります。「Hな話」が嫌いな方、その手の話題を嫌悪される方は決してお読みにならないで下さい。また、甚だしく「Hな話」がお好きな方、例えばハンドルネームを「山盛りの砂糖」などと称している方には、やや物足りない内容ですが、当方は職業エロ作家ではありませんので過剰な期待はおやめ下さい。と、何やら一波乱ありそうな前振りだが、大した話ではない。最近、拙ブログにコメント頂いてるguevara129さんのメールのやり取りの中で思い出した話と最近の携帯のスパムメールについて感じた事を少しばかり書いてみたい。おっと、もう一つお断りを。文中に頭脳警察の歌詞の一部をお借りしています。

 ♪あれは、何時の頃やったやろ、冬の寒い頃やった~と「ぼちぼちいこか」からパクッたが、入試情宣の頃だから2月の初めくらいだ。えーと、その入試情宣というのはその名の通り大学の入学試験を受けに来る受験生に情報を宣伝することで、別段大したことではないのだが何故かこの時期になると、「居住性最悪の低速乗り合い自動車(通称;カマボコ)」や「白黒カラーのドレスカー(別名;パトカー)」がやたらキャンパス周辺に集まってきて、「棒遊びの好きな青ガラス(職業;キドータイイン)」が通りをうろちょろし始める。かてて加えて、「歌ったり、踊ったり」する事が大好きで、常に「民主的」である事が命よりも大事である学生集団もあちこちの大学から押し寄せて来たりする、ちょっとしたお祭騒ぎの時期であった。

 僕のいたサークルにはそういうお祭騒ぎが大好きな連中と、文句を言われるのが嫌なので取り合えず参加しておこうというアリバイ的な連中とに別れていた。もちろん一切不参加という「真面目」な連中も多かったが、78年くらいから積極的に参加する連中が増えてきた。参加するメンバーは自宅から通っても良いのだが、変な人たちに絡まれたり色々ややこしい事も多いので、このブログのタイトルではないが「別館4階のBOX」に泊り込むのがほとんどだった。布団はサークルの上部団体が提供してくれるが(安い貸し布団で、僕は生まれて初めて靴を履いたまま床に就くという経験をした。薄くて寒いので当然セーターなど着たまま、場合によっては掛け布団の上にコートをかけて寝たりした)。寝具は無料だが、食事は自腹なので近くの安い定食屋や喫茶店などに行ったが、悲しいかな貧乏学生ばかりだったので、袋入りのインスタントラーメンや卵のパックを買ってきてインスタント自炊などもしていた。そういえばゆで卵のことを関西では「ニヌキ」ということもこの合宿で知った。

 この合宿というか泊り込みには、非常に寂しい事だが女子学生はいなかった。いや情宣に参加する女子学生は(一部のサークルには)もちろんいるのだが、僕たちのサークルには差し入れに来る女子学生もいなかった。今、思ったが「女子学生」ってなんか古臭いよね。女の子で良いのか。いや20歳過ぎてる人もいたので女の人か、でも立場は大学生だから「女子学生」で良いのか。と、問題を摩り替えようとしたが、どうあがいても僕たちには女っ気は皆無であった。その状態で数日間、共同生活をするのだから健康な男子学生たちが「性」への渇きを訴えるのは当然といえば当然のことである。中には女性に一切相手されないので、針路変更し当時の活動家の委員長(もちろん男である)がいいとか、○○本部の××君が良いなどと言い出す輩も登場した(実名で書いても良いのだが、まあ万が一という事もあるし、ここは武士の情けじゃ)。

 その乾ききった、ある意味殺気立ったBOXに妙に頬が上気した男がやってきた。誰かと思えば元サークル員でその後法学部のくせに文学部の活動家と一緒に活動していたM原君である。「ええもん、持ってきた」とまるで子供である。その時BOXにいたのは僕の先輩のT原さん、後輩のO原(こいつ匿名になってないな)、M原2号(先述のM原君と名前は違うのだが、イニシャルにすると同じなので、2号と付けた)といったところか。丁度、情宣の空き時間でみんな退屈していたところだが、あまりに寒いのでそれぞれ布団から首だけ出してM原君を見つめた。「これなんやと思う」とポケットから赤いカセットテープを2本取り出した。「なんや、テープか」一同気の抜けた声を上げた所、「ただのテープ違う、エロテープや」とM原君の強烈ボディブロー。全員入っていた布団から飛び起きた。僕のいたサークルはその名も「レコード音楽研究会」と言ったくらいだから、BOXに立派なオーディオセットがあった。カセットデッキは1年前に学園祭の売上で当時の最高級品を置いていた。

 えー、これから後の話は真面目に音楽研究に取り組まれていたサークルの諸先輩方には大変申し上げにくいのだが(sawyerさん、スイマセン)、かの、由緒ある、神聖な、かつてはクラシック音楽以外は一切流れなかったBOXに「例の声」が木霊したのである。カセットは2本あって、両方とも出演者というか、メインパーソナリティというのか、えーと女優、そうそう日活のポルノ女優が主人公であった。名前は、誰だったかな?宮下順子?とにかくその頃の人です。で、そのカセット2本、みんなでワアワア言いながら聞いたのだが、一本はその女優さんの歌がメインで合間に「例の声」が入っているという、まあ聞きようによっては音楽テープのイロモノといえるものだったが、どうにも解らなかったのが、もう一本のほうだった。

 いや、ドラマ仕立てになっていて恋に破れた女の人が一人でお酒を飲みに来ていて、「私を抱いて」という展開になるという、まあ、なんというかご都合主義というかそんな安易な人生でいいのか、責任者出て来いっと言いたくなるようなストーリーであった。で、あるのだが、何かおかしい。妙にセリフとセリフの合間がありすぎるのだ。聞いていて大変「間抜け」なのである。何回か聞いていたが(オイヲイ、文句言いながら結局聞いてるじゃないか)、ついにO原が世紀の発見をした。「これは、間に聞いてる人間がセリフを入れるように作ってあるのだ!!」

 言われてみれば女優が「私、さみしいの」みたいなことを行った後に「そうか、オレで良ければ相手になるぜ」みたいなことを声に出して言うと会話が成立するのだ。目からうろこの大発見であった。さあ、それからが大変だ。それぞれがいかに自分が口説き上手かアピールしようとテープ相手に話を考え、喋るのだ。一人が終わったかと思うと次が…。エンドレスである。もちろんテープの「例の声」はその都度流れるし、やってるうちに妙に興奮してきたのか絶叫するアホも出て来る。とうとう向かいのBOXからクレームが入り、大目玉を食らってしまった。それ以来僕らのサークルは「あいつらはアブナイ」とまともに相手にされなくなった。

 あれ、当初は性の商品化と現代社会の格差構造についての話だったはずだが(ウソ)、いつの間にか馬鹿な昔話で終わってしまっている。気が向いたら続編をアップしますって、このパターンばっかりだな。

 というところで、お口直しにエンケンと友部の「一本道」です。

やけっぱちのルンバがやけに響くのさ by Panta

 ここのところ寝不足が続いているので、今日こそはネットもほどほどにして、ブログの更新も止めて12時前には寝ようと決めた。決めたのだが、夜の散歩もさぼり風呂から上がり、ちょっとだけのつもりでmixi見ていたら、なんと「新町別館からの手紙」というコミュがあり懐かしき別館(こちらは本家本元の今出川にあったほう)裏手の喫茶店デュークの写真や学生会館正面のアップ写真などがあり、大いに懐かしかった。ただコメント読むと演劇関係者がほとんどで、致命的だったのは楽しそうに書いてる人たちがみんな90年代に学生生活を送ったと書いているので70年代中期の我々(guevara129さん読んでる?)とは接点が無いと判断し、スルーしたのであった。ちなみに僕たちがいた学生会館のコミュは無いか検索したが見つからず、それはそれで安心した(このあたりの心理は複雑なんです。しいて言えば全冷中過激派のスローガン『孤立を求めて、連帯を恐れず』の心境である)。 

 それで終わって寝れば良いのに、YOU TUBEで次長課長のコントを見ているうちに(昨日ブログをさぼったのはYahoo!動画でU字工事の漫才と”ゲッツ”の自虐芸人ダンディ坂野を見て笑っていたからです)、ついふらふらと魔がさして我がお気に入りの人たちの最新作はと調べたら、Tasaki。さん!!あったよ、加川良。すぎのと一緒にやってるからもしかしたらBS2の映像かもしれないので急いで見てください。こんどは遅れないように。それでは消されるのは覚悟のうえで、ここにもアップします。

 コイズミ人でなし政権からアベあかんたれ政権に移り、北では核実験だのなんだのいろいろ物騒な世の中ですが、もう一度こういう歌を口ずさんでいたいですね。ただ故高田渡の「自衛隊に入ろう」は注意しないと、今の世の中ホントの本気にされてしまう危険性も大です。えーと書きたい事はまだまだあるのだが、今日こそは早寝(といってももう1時過ぎたが)したいので、続きはまた気が向いた日に送ります。おやすみなさい。

 とここまで書いて、一度アップしたがどうしても貼りたい動画があり、また起きてPCに向かっている。パンタの89年バナナホールでのライブで曲は「朝を呼ぶ男」である。バナナホールは僕が京都を去った後の81年からの営業なので行ったことは無いが、存続問題で大変なようだ。この曲は70年代の終わりのパンタ&ハルの頃のステージでは重要な位置を占める曲だった。パンタには未発表曲に良いものが多く、以前からアルバムにまとめて出すと言っていたが、Pkoもまだだし「狼中年」である事は、ファンなら先刻承知なので首を長くして待とう。いかん、2時になる。こんどこそ、本当におやすみなさい。

これが大人の判断か?今日はショートショートで。

 今朝新聞を読んでると、本日10時からNHKで例の拓郎のつま恋の特集番組があることを知った。丁度1ヶ月前の今日、35,000人を集めて拓郎とかぐや姫が31年ぶりにコンサートをやった事は記憶に新しい。そしてそのコンサートは当日全てBSで放映され、当然の如くYOU TUBEにアップされ、当然の如く即座に削除された。僕は偶然にもその時の映像を見る事が出来て、「ペニーレインでバーボンを」を大人の判断で歌詞を変えて歌った事に対してブログで意見を書いた。さて、本日は通常のNHKである。受信料を払って無くても見る事が出来る一般放送である。NHKと拓郎の判断はいかにと大いに期待した。

 見事である。正しく大人の判断、すなわち妥協案という手があったようだ。番組の始めに今回のイベントの意義をナレーターが語り、「ステージの2曲目はこんな意外な曲だった(記憶で書いてるので、違ってるかもしれないがニュアンスを感じてください。ビデオを見直す元気が無いのだ)」というアナウンスと一緒に演奏が始まっていた。オンエアしないだろうと思っていた「ペニーレイン~」である。YOU TUBEと違って家のテレビなので映像も音声も良い。「やったな、NHKもやるときはやるね」などと、今受信料回収のオッサンが来たら思わず払ってしまいそうな勢いだった。が、しかし…

 肝心の♪テレビは一体誰のためのもの 見ているものはみんな蚊帳の外という拓郎、苦心の歌詞の言い換えは放送されなかった。いやものの見事に2番で演奏を切ったので、知らない人はそこで演奏が終わったと思ったかもしれない。まあ、ここまでがNHKの限界なのかと思いながら番組を見ていると拓郎の過去のアルバムジャケットが続けて映し出された。そしてその映像がストップしたのは「人生を語らず」のところだった。無言の抵抗か、沈黙する「団塊の世代」に対する挑発か。今のところ判断はつかない。

 つま恋『同窓会』から1ヶ月、もう酒は醒めたはずだが拓郎の歴史から抹殺されたアルバムの再発への動きはまだ無さそうだ。35,000人が結集して見せたパワーを再発にかけて欲しい物だ。それと無いものねだりを承知で言うと、拓郎のCMソング集出ないかな。「はぶあないすでい、いぇいぃえいいぇいおー、○○からー」とか「明日になれば、明日が来るのか、そいつは誰にもわからないこと」とか「お、お、おウイスキークラッシュ!!」などCMオンリーで歌われた曲に良いのが多いんだよな。

 ※追伸 29日にも今度はBS2で「つま恋」放送するらしい。幻の歌詞は登場するのか?ムッシュやみゆきに誤魔化されないようしっかり見ておこう。

希望の道を切り開け~オープンマイロード

神崎オンザロード 『幻』のデビューアルバム

 遠くで電話のベルが鳴っている。誰か、多分下の子が取ったようだ。かすかに「じゃ、お父さんに代わります」と聞こえる。ぼんやりした頭で電話を取ると、実家の母からで墓参りに連れて行ってくれと頼まれる。昨日ブログを中断して床についたのが午前2時過ぎ。それから枕元に置いてあった吾妻ひでおの「うつうつ日記」を開いてしまい、ようやく寝付いたのが3時半回っていたので眠くてしょうがない。しょうがないが、ここのところ墓参をさぼっていたのですぐに起きて実家に向かった。今年になってから休みの日も家族の誰かに予定や行事が入り、なかなかみんな揃って実家に行ったり墓参りに行ったり出来ないが、出来るうちに出来ることをしておかないとたった一度の人生だ、後悔だけはしたくない。(最近こういうフレーズが良く頭に浮かぶ。ある意味人生の秋の季節に入ったことを「小さな灰色の脳細胞」が認識し始めたのだろうか)

 今日も下の子は前から友達と約束していたからとの事で、配偶者と上の子と母とでお墓に行った。僕は小さい頃からお寺やお墓が好きで、まあお墓が好きというと語弊があるのだがお寺には付き物なのでしょうがない。お寺の広い縁側や座敷、庭を見てボケーっとすることが3歳くらいから好きだった。生まれた田舎の家のすぐ近くにお寺があり、同い年の仲の良い女の子がいたのがその原因ではないかと睨んでいる。このあたりフロイト先生に聞いてみると「幼児期の屈折したリビドーがその後の人格形成の中に…」みたいな分析になり、実は僕はトンデモナイ人間だったことが解ったりするのだが、幸いなことにフロイト学説というのは今は否定されてるらしいので、喜ばしい限りだ。おっと余計なことを書いていると昨日の二の舞になるので、さっさとお墓参りに行こう。

 山を切り開いて造られたその墓地は、「希望が丘ニュータウン」(by ハマショー)と名付けたいくらい同じような造りで、かって「同じような服を着て同じような夢を見」た人たちが永遠に休んでいる所だ。僕は上の子と前を歩き、母と配偶者は並んで話をしながら後ろからついてきていた。娘が後ろの二人の話し声を聞き、「何故、人は年を取ると大きな声で話すのか」という疑問をぶつけてきたので、年齢による身体器官の衰えだけではなく、その育ってきた家庭環境や生活環境により声の大きさはある程度決まるのだといった説明をしていた時だ。ギャーとか、アーとか言う叫び声が聞こえ、振り返ると二人が固まっていた。決して比喩ではなく、「不思議な少年」が「時間よー、止まれっ!!」と叫んだ時のように、微塵も動かない(しかし、例えが古いね。当時の太田少年も小銭寿司の社長になって立身出世じゃ、今太閤じゃと持て囃されたのも一時の夢。その後はどうしているのか、所詮はかなきは人の身なり、とここは詠嘆調で)。

 どうしたのかと近づくとようやく小さな声で「へ、へび」。その指差す方をみると共用の水場がありその排水の側溝の下に茶色に黒い縦じまの蛇の尻尾が見えた。あっという間にその姿は消えて見えなくなったが、母も配偶者もしばらくは一歩も動けない。よほど怖かったというか驚いたのだろう。配偶者にいたっては腰が抜けかかったらしい。娘にそのことを言うと、「へー、見たかったな。私は蛇の抜け殻は見た事あるけど、本物の蛇は見た事が無い」との返事。その返事に今度はこちらがビックリして、本物の蛇を見た事が無いとはどういうことだと聞いたが、本当に見たことがないらしい。宮崎なんか自然が溢れている田舎なので、蛇くらいどこでも見られるだろうと思ったがそうでもないようだ。そうこうする内にお墓につき、まだ若干興奮していた母と配偶者が話をしているのを聞いていたらとんでもない事が判明した。

 僕の亡父は蛇が死ぬほど怖かったらしい。母が父と結婚したばかりの頃に、父の実家であるT町に帰った時の事。その家は典型的な農家で家の玄関前に広い庭がある。その庭から蛇が玄関先(昔のたたき、つまり土間だ)に入ろうとしていたらしい。母は卒倒しそうになり、大声で父を呼んだが、一向に父が出て来る気配が無い。そのままにしておけないので、母は棒切れを持ち出し、死ぬ思いで蛇を追い出した。怖いの気持ちがようやく治まり、家に入り父に何故すぐ来てくれなかったか聞いたところ、「オレは蛇が一番おじい(宮崎弁で怖いの意味)」とぼそっと呟いたらしい。それを聞いた母は腹が立つやら、情けないやらで声もでなかったらしい。その話をぼんやり聞いているうちに、あることを思い出した。僕が中3の時に自転車のハンドルに巻きついた蛇は、いったい誰が追い払ったのだろうか。どう考えても父ではない。母にも聞いてみたがそのような記憶は無いとの事。とすると、僕は自分の一人の力で追い払ったのだろうか。では、何故その時の記憶が無いのだろうか?ここでまたフロイト先生が出てくるとややこしくなるので、この話はおしまい。そうそう、神崎オンザロードの話をするのだった。

 神崎オンザロードを初めて見たのは、79年の今はなきフェニックスジャズインだったと思う。この頃の記憶が曖昧だったので、ネットで調べてみたが、驚いた事にフェニックスジャズインの記録はほとんど無いというか探せなかった。普通この手のイベントは年代表みたいな記録がどこかにあるはずだが、探せない。したがって記憶を頼りに書くしかないので、間違いに気付かれたらご教示願いたい。その時のジャズインの狙いは山下洋輔だったが、たしかクロスオーバー系のミュージシャンが特集されていたと思う。今、いきなり記憶がひらめいた。神崎オンザロードは誰か女性ボーカルのバックとして登場したので、オリジナルの時間が極端に短かったのではなかったか?

 あれ、やっぱり80年だったかな。とにかくクロスオーバー系のミュージシャンとしてはタイガー大越、渡辺香津美などが出ていた。タイガーは前評判が高く、確かそのころテレビのコマーシャル音楽をやっていたと思う。あんまり吹きまくるペットではなかったのと、一人だけ空回りしてるような感じで期待はずれだった。渡辺氏は「上手い、確かにギター上手いよ、で、それが何か?(おぎやはぎ風に)」としかいえなかった。御大山下洋輔はどうだったかというと、これがよく覚えていない。夜中に仲間内で飲んで盛り上がり「これから、ヨースケがやるのは『牛乳配達おはようジャズ』か『深夜喫茶ハイミナールジャズ』か」と問題提起した馬鹿がいて、あーだこーだと酔っ払いの議論はネバーエンディングストーリーで、はっと気がついたら洋輔の演奏は終わっていたという感じだ。

 そこで神崎オンザロードなのだが、またひとつ記憶がよみがえりその時の司会が本田俊之のオヤジで(こういう言い方は失礼だが、やはりプレーヤーのほうが評論家よりエライとの判断です)簡単にプロフィール青学出身(在学中と言ったかな?)とか紹介し「とにかくこのバンドroadという言葉が好きで、もうすぐ出るファーストアルバムも”Open my road”、今日の1曲目も”Open my road”です」という雰囲気の紹介をした。メンバーにギターの天野君はいたけどゲストとして参加していたのかどうかは覚えていない。とにかく当時の音楽好きな学生が6,7人ステージに出てきたな、という印象だった。

 イントロはキーボードから始まった。ソプラノがいきなりテーマを吹く。快適なリズムとメロディ、宙に浮くような感じでテーマが繰り返される。アンサンブルがしっかりしていてドラムのリズム感も爽快だ。リーダーの神崎の音楽に対する真剣さが伝わる良い演奏だった。演奏時間は短かったがこのバンドの名前はしっかりインプットした。大学の後期授業が始まる頃、彼らのファーストが出た。ジャケットのセンスが良いなと思ったら、なんと植草甚一御大のコラージュだ。アルバム通して聞いたら抜群に良い演奏と、まあまあのものとあったが基本的に神崎君の作るメロディは変に技巧的でなくストレートに人の心を楽しませるものが多い。ちょっと嬉しい驚きはギターに山岸のオッサンがゲストで参加していた事。山岸もこの頃は色々な方向性を模索していてクロスオーバーに一番接近していた頃だ。当時のライブではアンコールに「セントトーマス」をやってずっこけた事があった。でも、なんだかんだ言ってもライブが一番なんだよね。京都には結構来たのでその都度ライブを見に行った。神崎君のトークはちょっと辛らつな物もあったが、高校時代に好きだった女の子が自分を振ってR大学の哲学科に行ったとか、ギターの天野は二枚目だ、ギターよりルックスで選んだとか、ドラムは元サザンオールスターズなんて話が多かった。

 結局このあと3枚目のレコードまで追いかけたが、その後働き始めて彼らの音楽にもすっかり遠ざかり、ここ最近アマゾンで検索してもどこで調べてもCDにすらなっていない事が解った。ただ彼のソプラノ(アルトが専門だが、たまに吹くソプラノが良いんだよな)と彼のメロディは頭の隅にいつもあったような気がする。「オープンマイロード」はもとより「キャネットランチ」「ノンモアサルサ」など名曲であり名演でもある。とここまで書いて、恒例の夜の散歩をしてシャワーも浴びて、新鮮な気持ちで検索していたら、なんと神崎ひさあきの公式サイトを見つけ最近の情報や演奏の試聴も出来た。チェックしてみるとデビューアルバムが80年だから、初めてジャズインで見たのも80年で間違いない。しかし自分のサイトに「幻のデビューアルバム」なんて書くかな。しかも神崎オンザロード名義の3作は全てアナログのまま。これは売れ行き云々ではなく、神崎本人が封印しているとしか思えない。

 実は先程まで心配していたのである。というのも2ちゃんで神崎オンザロードのスレを見つけたが、そこには「神崎のボーヤになった大学の同級生が、ボーヤになってすぐ大学を中退した」とか「ライブの途中でメンバーのミストーンを罵倒した」とか「ギターの天野は完璧にビビッていた」とかろくでもないことばかり書かれており、良いミュージシャンではあるが人間性に問題があり歴史の中に消えていったみたいな書かれ方ばかりだったのだ。確かに棘のあるものの言い方をする人だった。拾得のライブの時だったか、「お客さんでR大学の人いる?」と聞いてきたので、これは失恋ネタだと思い手を上げて「哲学科っ!」と叫んだら、目がギラリと光り「哲学科ァ?オレはR大の哲学科には恨みがある」と洒落にならない口調で自らの振られ話を披露し、最後に「オレを振るなんてバカな女よ」と吐き捨てるように言ったのは、ちょっと驚いた。そのせいか知らないが一緒にライブに行ったハタ坊やM原には「神崎も悪くないけど、アート・ペッパーのほうがええな」と土台無理な比較をされたりした(スンマヘン、ハタ坊やM原というのはサークルの後輩です)。

 しかしながら、バイオグラフィーを読むと80年代はアメリカに行っており、結構ジャズのヒット曲を書いたりして、そこそこやってたようだ。試聴したOZONICの何曲かは昔と変わらないソプラノを吹いており、ストリングスのアレンジなんかに年季を感じたけど、歌心は変わってない。でも神崎君に一言言いたいのは、過去のアナログをCDにしてくれということ。いくら気に入らない所があってもその時代を同時代として過ごして来た人間もいるし、その時代があったから今の「神崎ひさあき」がいるのではないか。このままでは「そうはイカンザキ」(ついにやってしまった。つこうたらあかん、つこうたら、ソ○カと間違われるからつこうたらあかんと思いながらも、つい手が出てしもうて、監獄に入ってもう5年ってもういい加減良いか。解るのはごく一部のキー坊ファンだけだし)

 えー、例によってまとまりのない事をダラダラと書いてきたが、結論です。表現者として高田渡が指摘した「作品はうんこ・しょんべん」は正に名言だ。一旦出してしまった物は元に戻せないし、それは受け手がどのように解釈しようと受け手の自由であり、いわゆる「誤読の自由」もあるのだ。神崎オンザロードの音楽は日本のクロスオーバーシーンに大きな足跡を残したとかいう事より、あの時代の一瞬の希望を音楽に託して表現した類まれな音楽集団であった事を再認識したい。願わくばアナログがCDになり、この閉塞した時代にもう一度”Open My Road”という希望をもたらしてくれる事を…

 ちょっとキザったらしかったので、おまけ。上田正樹とサウストウサウスの『幻』の京大西部講堂ライブ映像です。
>全くの偶然ですが、上田正樹とサウストウサウスが16年ぶりに京大の西部講堂でやったライブの映像を見つけました。NHKの衛星で放送した物で、下手糞な画像の加工をしているので大変見にくいのですが、彼らの熱さの一部は伝わると思います。(Belmie2001さんに送ったメールから抜粋)「オープニング~ファンキーペンギン」 「アイキャントターンユールーズ」「トライアリトルテンダーネス

今日は何の日?

デオダート ラプソディインブルー

 言わずと知れた「国際反戦デー」である。スタン・ハンセン・デーではない。頭脳警察が「じゅってんーにーいちー、さーんーりづか~」と「戦争しか知らない子供たち」で歌った10.21国際反戦デーである。こんなことを書いてもほとんどの人からはシカトされるだろうが一言触れておきたかったので、本日のブログの導入部にさせてもらった。導入といえば教材会社に勤めていた時に、小学校の授業は導入→展開→定着→発展の流れで進んでいると習った。つまり、まだ集中力の乏しい児童達に(小学生は児童、中学以上が生徒と言うんだよ、明智君。だから小学校には生徒会は無く児童会があるのだよ、解るかね、ワトソン君。フフフ…と何だか意味不明な言葉が次々と出てきたが、オレの人格大丈夫かなぁ)いきなり、授業を始めても覚えろというほうが無理な相談だ。従って学校の先生は「おーい、昨日のクイズヘキサゴン見たか?」みたいな、直接勉強とは関係なさそうな話題で子供たちを釣っておいて、そこからいろいろ関連付けて学習課題に入り(展開)、学んだことを覚えたかどうかテストし(定着)、さらに記憶を強化するために宿題を出す(発展)。うろ覚えだが、確かそんな内容だった。ただ良く考えてみるとこれ、何も小学校に限らず一般の社会でも通用する、ていうか、ブログなんかその通りの流れだよね。

 まあ、昔から起承転結だの序破急だの文章展開のテクニックは色々言われてるが、この導入→展開→定着→発展という流れは、人間の記憶に一番入り込みやすいなんて教わった。そこで今日は小学校の義務教育から今の日本の抱える問題点を提起し、読む人の心に鋭く突き刺さる千枚通しのような記事を書こうと思ったのだが、我が畏友(ホンマは後輩やで、それでも畏友と立てる先輩の度量の広さ、ああ、もうすぐ年末やな、今年は歳暮で蔵が立つってか…、ホントにオレの人格大丈夫だろうか?)sugarmountain君がかの「鳥肌音楽」の中で、気の会う仲間同士で一杯飲みながらあーでもない、こーでもないと駄弁りつつ聞く音楽の楽しさについて書いていた。いやもっと正確に言うと、極度に個人的な嗜好物である音楽は当然その個人の趣味、傾向、環境その他本人の属性によって聞くもの、聞かないものと選別されるが、一定程度共有した時間や感情、ものの考え方によりまたそれが更にアルコールを主成分とした飲料と密閉された空間、場合によっては紫煙空間により、本来聞くはずの無かった音楽に対して許容するばかりでなく、場合によってはそれまでの感性を全否定しって、あー書いてて頭痛くなってきた。ホントにオレの人格…これはもういいか。はい人格は破産してます。でも経済はまだ破産してないぞ。

 えー、いよいよ何を書いているか訳解らなくなってきたので、音楽話に逃避します。折角、登場していただいた「鳥肌音楽」さんなので、そこからお題を拝借して、クロスオーバーイレブンじゃなかった、クロスオーバー(フュージョン)について軽くいってみたい。

 ふと後ろを振り返るとそこには夕焼けが、おっといけねぇ、また歌の文句で誤魔化してる。振り返ってみると、僕とクロスオーバーの最初の出会いはデオダートだった。「ラプソディインブルー」というアルバムに何故興味を持ったか?当時はプログレをメインで聞いていたので、クラシックをジャズやロック風にアレンジした音楽が好きだった(バロックの楽器ばかり使ったグリフォンや、名前倒れしたエスペラントなんか今はどうしてるんだろう)。どっちかというと頭で聞いてるって感じでしたね、正直な所。ですが、このアルバムは違ってました。確かNHKのFMで初めて聞いてすぐレコードを買ったはずだ。アルバム1曲目が「サテンの夜」ご存知ムーディブルースの大名曲。ギターのジョン・トロペイ(当時はトロピアと表記していた)がメロディをチープに弾いているが、サビで一気に盛り上げる。ボーカルが無くても曲が良いといい、の典型的なパターン。次の「亡き王女のためのパヴァーヌ」はエレピが綺麗な演奏、これも曲がいいからしっとりと聞ける。

 こんな風に1曲ずつコメント書いてもしょうがないが、正直タイトル曲の「ラプソディ~」にぶっ飛んじゃったんです。ガーシュインのどちらかといえば珠を掌中で転がすようなメロディを、聞きようによっては下品極まりないラテンパワーで、えー馬鹿と恥知らずを承知で言えば(by Pantax’s World)ブギにしてしまう強引さ。驚きましたね。しばらくはこのレコードばかり聞いていた時期もあった。メンバーはスタンリー・クラークのベースにジョン・トロペイのギター、当時の売れっ子ビリー・コブハムのドラムスにデオダートのアレンジとキーボード(あんまり上手くない。どっちかというとトロイ印象を与える)。先入観無しで聞いてみることをオススメします。クロスオーバーだ、フュージョンだなんて言ってるのが、馬鹿らしくなります。サンタナの「ロータス」は正座して聞けって感じになるけど、このアルバムは昼寝しながら聞いてもOK。音楽って楽しいんだって解る。そうそう、どうせ買うならアメリカ盤がいいです。国産より3曲多いし演奏もちょっと違う。ロックファンなら「ドゥーイットアゲイン」聞いてみて。

 このデオダートの洗礼を受けてから、聞く音楽の傾向が変わったかというと、全然そんなことは無く、やっぱりロック馬鹿のまま。次にこの手の音に惹かれるのは同い年のアルト吹き神崎君率いる神埼オンザロードと出会ってからだ。ごめん、眠くてたまらん。続きはまた書きます(あーあ、鳥肌サンの悪しきパクリや)

太秦行進曲

韓国ロケ隊 夜の大淀川沿い ピンボケ

 恒例の夜の散歩をしてきた。僕のルートは大淀川の南側から橋を渡り、ホテルが並んでいる川沿いの遊歩道をゆっくり歩く(配偶者に言わせるとまっすぐ一点を見詰め、背筋をシャンと伸ばして歩いているらしい)というパターンだ。つい先程もそうやって歩いてきたのだが、いつもと比べて随分明るい。丁度プロ野球の二軍がキャンプで各ホテルに分散しているので、そのせいかと思ったがどうも様子が違う。遊歩道は川に沿って少し高い位置にあり、その下の道路との間にちょっとした芝生の通路があるのだが、どうやらそこで映画のロケをやっているらしい。配偶者の話では韓国からロケ隊が来ているとの事。上から眺めていると、ベンチに役者さんが座り、その周囲に照明やレフ板が置いてある。「哀号」とか言ったのだろうか、短い叫びを上げて一人のスタッフが照明のところへ行き角度を変えたりカバーを付けたりしている。その間はカットされてるようで、総勢20名近い人たちが手持ち無沙汰にしていた。少しして照明の角度も良くなったらしく、また撮影が再開された。道路を走っていた車もライトを消してじっと見詰めている。独特の緊張感が走る。この感じ懐かしい。学生時代のエキストラのアルバイトを思い出した。

 烏丸中学前にあったその下宿に映画研究会と僕らのサークルを掛け持ちしていたK(マージャンで言うトン、ナン、シャーの次に来る風の日本語読みと同じ。というかフォーリーブスに同じ苗字のメンバーがいた。ジャニーズの告発本を書いた人だけど…)という後輩がいた。ある日彼がどうしても行けなくなったから、代わりにバイトに行って欲しいと言われたのがきっかけだった。季節は寒い時期11月か12月くらいだったろうか。初めて一人で太秦に行き、広い脱衣場みたいな所で衣装を着替えた。周りはベテランの人が多かったが、中に同じくらいの学生風の痩せた男がいて彼が親切に色々教えてくれた。いわく「寒いから着物の下にジャージを穿いた方が良い」「腕時計、メガネは着けていてもいいけど撮影の時は必ず外す、でも忘れやすいから着けないほうがいい」「タバコやライターは無くさないように、懐深く入れておくか、置く所を決める」など、など。鬘の合わせ方や着物の着方、小物の使い方など細かなことも教えてもらったが、一番役に立ったのは、エキストラの賃金形態であった。

 今はどうなっているか知らないが、70年代末はまだ映画のエキストラは花形(?)だった。いや、つまりテレビのエキストラに比べてバイト代が良かったのだ。といっても基本的なところは一緒。9時から5時(朝はもしかしたらもっと早く、8時からだったかもしれない)までの基本給は4,000円。要するに8時間労働の時間給500円の計算である。この時給500円というのは当時の普通のバイト代、今で言う時間給800円の感覚だ。5時に終わって何も無ければチャンチャンなのだが、ところが、ギッチョン(意味は無い)プラスアルファーが本編(映画のこと)にはあるのだよ、明智君(ここ、燐さんのサイトを見た影響)。

 どういうことかというと、その痩せた彼いわく「映画界はクミアイが強いから…」、5時を1分でも過ぎたら時給1,000円が加算される。つまりロケが押して8時までかかったら、基本給4,000円+1,000円×3時間=7,000円(笑)。しかも雪が降れば『寒さ手当て』プラス1,000円。川に入れば『水手当て』プラス1,000円。炎天下の中だと『暑さ手当て』プラス1,000円。何かあればとにかくプラス1,000円という、いつもニコニコ現金払いの素敵なバイトだったのだ。さらに、その日の仕事が終わると大浴場でお風呂(もちろんタダ)、5時を過ぎればお弁当支給(上手く立ち回れば、オミヤにしてもう1,2個持って帰れた)、これらは時給以上に貧乏学生にはありがたかった。しかも映画である。女優志望の若くてきれいなオネ―チャンとパラダイス。全てテイクフリーです。なんてことは無かった。ここのところは誤解無きよう。つまり酒池肉林ではなく酒池食林であった。

 その点、ビーテレはケチ。時間外労働もほんのスズメの涙。手当なんか一切無し。ただこちらは映画に比べて比較的若くてきれいな女優さんと一緒になることがあった。だからどうしたわけでもないが、わかるでしょう。若くて名も無く金も無い男の考えることは、はい、ろくでもない事ばかりですが、そこのところは武士の情けで見逃してくれよ(ここキョン×2風に、ってこれ前も使ったな)。しかしこうやって比べてみると、映画界が斜陽になっていった理由がはっきりわかりますな。早い話が丼勘定で、ロケの時間管理も一切無し、雨が降ったらあがるのをひたすら松風なんて、ホント風に吹かれて、デラシネで生産性や計画性なんて言葉は一切聞かなかった。今考えると、正しく理想郷ではあるが、これではコケルのは当然である。

 そのバイトで味をしめ、またどういう風の吹き回しか東映のエキストラの手配師のオバチャン(今思い出してみると、どう考えてもオバアチャンと呼んだ方が正しかったと思う)とも仲良くなり、急に電話でロケに呼び出されたり、男の子10人大至急とか、なるべく太った男の子5人とかバイトの斡旋を頼まれるようにもなった。この時間帯を僕の大学ではアッセンブリックアワーといった(ウソ)。
そうこうするうちに、我がDRACのサークル員はそれぞれエキストラのバイトをするようになった。良く覚えているのは鳥肌音楽を主宰する、毎度おなじみのsugarmountain君と以前登場した豊田勇造瓜二つのS戸君やブルースの鬼マス坊たちと年末特番、岩下志麻主演「額田の大王」のエキストラに行った時のこと。結構寒くて衣装を着込んで鬘も付けたのだが、S戸君の格好が牧冬吉そっくりだったのには大笑いした。ロケがほとんど終わり、最後に大王のための巨大墓地を作るシーンで音を下さいとディレクターに言われた。要するに槌やのみの音や掛け声が欲しいらしい。丸太を宙に上げて地面に叩きつけたり「えんやー、こーら」とか適当に掛け声をあげてそれを録音するとの事だ。一度やったが迫力が無いので、もう一度となった。京都の冬の夕暮れは時代劇の衣装では寒すぎるくらいでって当たり前なのだが、加えて腹が減って力が出ない。

 冷酷なディレクターはそれでも「はい、じゃもう一度大きな音下さい」などと気楽に言ってくれる。その場にいた我がサークル員はどうしたか。やけくそ紛れに「たーなべー、フンサイ」「とーそー、しょーり」と当時揉めていた大学の移転反対のシュプレヒコールを絶叫し、丸太で地面を叩きまわった。およそ3分くらいその絶叫は続き、ディレクターは「はい、OKです。お疲れ様でしたーー」その後そのドラマに時代設定の違う音声が入っていたという苦情は聞かなかったので、大丈夫マイフレンドのようであった。

 えー、人間書いてるうちに色々思い出すもんで、このエキストラ話まだまだネタあるのでまたやります。びっぐむーびーかみんぐすーんちゅうやつやね。なお、予告として「大井川の川越え人足の顔の色はシャネルズのドーラン塗りよりも黒いか、そうでないか」と「世界の千葉真一に演技指導を受けた話(オレ、オレ)」さらに「ハタ坊謎の美人女優とビール飲みに行くアポを取る」あたりが有力候補である。追って沙汰を待て。

昨日の続きでマンガの話

 昨日は花の日曜日だったが、ここのところの疲れが取れず昼まで寝てしまった。ようやく布団から出てPCの前でごそごそやっていると、我が家の女三国同盟中2名がレ○ンに買い物に連れて行け、ツ○ヤにDVDを借りに連れて行け、100均に連れて行けとうるさい。配偶者と下の子の2人で行けば良いだろ、こちらは忙しいと断ったが聞かない。それでも配偶者は僕の携帯を貸す(ツ○ヤの半額クーポンが登録されている)という条件なら子供と2人で行くというが下の子は聞かない。あ、上の子はその様子を見ながら「ガキが…」と毒づいてる。一人でゲームをしたおそうという腹積もりらしい。あんまりやかましいので、心の中で「女子と小人は養い難し」と呟きながら(聞こえたら大変な事になるので)車に乗った。

 しかしながら、この行動が大正解だった。レ○ン(関西方面の方へ、♪ええもんやっすいのはイ○ミヤーの宮崎店です。従って庶民のお店です)で子供と二人で100均をうろついた後、配偶者が晩御飯の材料を物色する間に3階の書籍コーナーに行った。僕は前日記事に書いた「ひまわりっ」の単行本が目当てだった。探していると1巻と2巻両方あり、手に取ってよく見ると正式なタイトルは「ひまわりっ健一レジェンド」であった。「健一伝説?」少し訝り、迷ったが万一はずれだとつらいのでとりあえず1巻を購入。子供を見ると親がマンガのコーナーでうろついてるので、当然マンガの前で何を買おうか迷っている。「早く決めなさい、どうせマンガでしょう」と全く説得力の無いことを言うと「違う、小説」とエバル。良く見るとマンガのノベライゼーションである。内容は何だか「デスノート」のコピーというか真似というか、『柳の下には5,6匹どぜうはいるもんだぜ』という悪しきマンガ界、いやマンガ出版界の欲望が渦巻いているような表紙である。

 ここで娘にオリジナリティとコピーについてレクチャーするか、先ずはプラスティックスの「コピー」かクラフトワークの「ロボット」でも聞かせて、テクノポップにおける人間性の否定と模倣文化について小一時間ほど熱弁を振るうか、などと考えたりはせずに、ここはオヤジの威厳じゃと娘の本と僕の選んだマンガをレジに持って行き代金を払った。娘いわく「お、どうした、太っ腹!」。我が家では「自分のことは自分でしよう、自分の欲しい物は自分で払おう」をスローガンにしているので親が払う時は何か下心があるのではないかと子供なりに心配するようである。しかし高々マンガ本1冊で太っ腹と言われるのもな…。

 その後ツ○ヤに3人で行き、僕は何も借りる気は無かったのでCDコーナーをうろうろしていたら母子でいろいろ揉めてはいたが、ようやくレンタルするものが決まったようだ。全部で3本だったので「1本190円かける3本、概算で600円」と得意の暗算で計算し配偶者500円、娘100円という分担でお金を受け取った。レジで携帯を見せて「ハウマッチ?」と聞くと「450円」との答え。子供に100円返すと、そのやり取りをじっと見ていた娘は「お釣りを渡せ」と言い出した。「なんで?」と聞くと「おとうは、必ず誤魔化す。ママがかわいそうだから、私が預かる」と大きな声で言いやがった。たかが50円誰がちょろまかすかと頭に来たが、レジの兄ちゃんが噴き出しそうになっており、後ろのお客さんも心なしかニカニカしていて恥ずかしくなったので飛んで帰った。

 帰る車の中で、母子にお父さんのおかげで安くで借りれたから感謝しなさいと、およそ信頼とか尊敬という言葉とはかけ離れたことを言いながら、何で450円だったんだろうと考えた。分かった、第1、第3火曜のサービスは190円だが、今回は半額クーポンだから300円÷2×3本=450円。計算合うや内科医(また出ました。ここは「ないかい」を変換したら内科医が出た、ただそれだけのことです)。と、余計な話が続きましたが、このマンガほんと久し振りにお腹の底から大笑いしました。

 家に帰って早速「ひまわりっ健一レジェンド」を開き、ものの1,2分しないうちに声に出して笑っていました。タイトルの健一パパのやることといい、話すことといい、全てが憎めないというか笑わせてくれる。世代的にはこのパパと僕はかなり近いので思考回路がよくわかるのだ。余りネタをバラスとこれからこの単行本を読む人に悪いので、グッと我慢しておくが、ニコニコ笑いながらあるところに来ると急に激怒する。そのポイントというかターニングポイントが分からず周囲の人(特に主人公の娘さん)は振り回されるというパターンが多い。ネタバラシにならないようにしたいが1つだけどうしても書いておきたいのは、この健一パパが甘い物にひどくこだわる。その点を指摘されると「あんたねェ私が子供ん頃は今みたいに甘いもんなんて食べれんかったとですよ!!戦後の貧しい時代ですから!!~」と逆切れする。

 そう、そうなのだ。僕が生まれた1956年に日本はソ連(今のロシア)と国交を回復し、国連に加盟した。「もはや戦後ではない」と言われたのもこの年だ。ということは、ばりばり戦後だったわけです。砂糖は貴重品だったからチクロやサッカリンなどの人口甘味料が頻繁に出回っていた。渡辺のジュースの素を舐めると舌が真っ赤になった。プラスチックの試験管にどろどろになった寒天もどきが入っていて、竹ひごのようなもので掬ってなめるのだが、最後はいらいらして歯で噛み割って吸い込んでいた…

 やめよう、悲しくなってきた。ただこれを読んでくれた皆さんにも是非このマンガお奨めします。僕と年齢的に近い人は健一パパにシンパシーを持って、お若い方は(昭和55年生まれのくせに人生疲れたなんていってるオメーらだよ、うそうそ、堪忍キャインキャイン)それなりに世代の断絶を笑い飛ばせると思います。ここで負け惜しみを一発。確かにもはやオッサンであることを否定しないが、かのポリスも“born in the 50’s”と歌っているように、ロックンロールが誕生した黄金の50年代(西暦だよ、ショーワじゃねーよ)に生まれ、ビートルズの現役時代を知り、アフターザビートルズを知り、ロックが限りない可能性を秘めた70年代に青春を送ったおじさんたち(インクルーディングおばさんたち)を舐めてはいけないよ。仏滅、仏滅…

 そうそう、書き忘れるところだった。1巻をあっという間に読んでしまった僕は、すぐにチャリンコに乗って2巻を買いに行ったことは言うまでも無い。

仲間はずれはつらい、男もつらい。

新浜山ペンタゴン 未読

 ここ最近夜のウォーキングというか、散歩を再度習慣にしている。先月から復活したのでかれこれ1ヶ月は続いている。これくらい続くと、歩かないと何だか気持ちが悪い感じがする。ここのところ配偶者とも一緒に歩いているので、夜10時くらいになることが多いのだが、その時間帯でも結構歩いている人は多い。今日も先程外に出たのだが、いつの間にか雨が降り出しておりシトシトピッチャン程度だったので強行しようかとも考えたが、今日出会った人に風邪引きが多かったことを思い出して断念した。したがって今は大変機嫌が悪いというと大袈裟だが、何か不完全燃焼でもやもやしている。あたかも本やCDの発売日にお店に行ったのに、入荷してなかったという気分に似ている。まだ○オ○の○ワ○コ(前回の記事と付け合せると正解が分かりますってバレバレですが)に下地の新作が入ってなかった事で根にもっている。いい加減しつこい。

 さてここ2日更新をさぼっていたのだが、その間にあったことといえばセブン&Yに注文していた「きっこの日記」が入荷。10月10日が発売日で都内の書店ではフライングで店頭に出ていた(byきっこのブログ)らしいが、我が地元宮崎では影も形も無い。その代わりといっては何だが、ベンジャミン・フルフォードの『暴かれた9.11疑惑の真相』があった。ケネディ暗殺の昔からあるいわゆる謀略史観でそれなりに面白そうだったが、手当たり次第に本やCDを買っていると『暴かれた小遣い、疑惑の真相』なるスクープが我が家の壁新聞に踊り、烈火のごとく怒った女三国同盟からどのような仕打ちを受けるか考えただけでおぞましいので止めた。また芽瑠璃堂さんから小林万里子のCD本体が送られてきたが、やはりPCが上手く認識しない。それでも自宅用と車用のCDが出来たと思えば却ってありがたい話だ。

 このほかに更新をさぼっていた理由は例によってYOU TUBEで今度は懐かしのプロレスを見てしまったことが原因である。プロレスは何かの拍子に初代タイガーマスクとダイナマイト・キッドのマジソンスクエアガーデンでのタイトルマッチを見つけてしまった。すると当然検索機能を使いたくなるのが人情ってものでしょう。おかげで懐かしのBI砲を見つけてしまい、これぞ本物の『猪木ピンチだ、ババが出る(関西方面の方ごめんなさい)』だと大喜びした。しかし好きな人はいるもので、僕の大好きだったスタン・ハンセン(何故この人が好きかというと、あの恐怖のウェスタンラリアットを初めて見たときの衝撃と、その時ぼんやり聞いていたので『何?反戦?』という支離滅裂な理解の仕方をしてしまったことが挙げられる)のラリアット特集やブロディ・ベストバウト集という具合に名シーンを編集して5,6分くらいにまとめた物もあった。そう、そうもりさんザ・ファンクス対ブッチャー、シーク組の流血戦ばっちりありましたよ、残念ながら上田馬之助は探しきれなかったけど…。

 お待たせしました。プロレスといえば一緒にタッグで出てくるのがコミック、マンガですね。とりわけ70年代はロックとプロレスとマンガを語らないと立派なヒッピーと言われなかった(ウソ)。いや実はですね、mixiで知り合ったbelmie2001さんのブログに「ひまわりっ」の紹介がしてあり、面白そうなので今週の「モーニング」立ち読みしたら…。確かに面白いというか宮崎の文化(そんな大層なもんじゃないが)が上手に、くすぐりとして使われている。これは立ち読みでは申し訳ないと思い代金をちゃんと払って買ってきた(当然だ、払ってなけりゃ万引きだ)。しかし、これは予想以上の地元ネタというか宮崎市内ネタですな。今回出ていた単語は、① つがる=植物が根を張ること、根が出ること、「あん、はら、そこん木はピシャッとつがっちょっとか?」などと使う。② 一番街のミスド=宮崎市民の待ち合わせ場所ナンバーワン、今は無き「クイズ100人に聞きました」方式で宮崎市民にまち(=繁華街のこと、ちなみに憂歌団のあまりヒットしなかったシングル曲に「繁華街のはんぱ女」という歌がある)で人と待ち合わせるときどこにしますか?と聞けば100人中100人がここを指定するという、別名『宮崎のハチ公前』、③ 河川敷(大淀川の)=言わずと知れた宮崎を代表する川。大阪の淀川の略ではない。ちなみに僕の下の娘は幼稚園時代「おーよどがーわは茜色」という歌を「おーどよがーわは茜色」と歌ってしまい、一緒に歌っていた友達に違うと言われ3回やり直したが最後まで「おーどよがわ」と歌い、友達もそれ以上は訂正しなかったというその後の国語の学力を暗示するような事件があったことを知る者は少ない。

 この手のローカルネタは地元民としては面白いのだが、他の出身地の方にはどうなんだろうか。欲目かもしれないが、この作家のギャグのセンスは独特の物があると思う。少女漫画のギャグというと土田よしこか魔夜峰央(しかしどちらも古いね)という感じでドタバタかナンセンスというイメージだが(僕の勝手なイメージかもしれないが)、この人のギャグはそのどちらでもない。変な例えだがマシュマロのようにふわふわしたイメージでとらえどころが無い。まあたった一作読んだだけでよくもこんな勝手なことが書けるもんだと我ながら呆れてはいるが、そのうち単行本を入手してじっくり見てみたい。それとやはりmixiのコミュで知ったのだが、同じ宮崎は延岡市をネタにしたマンガがあるらしい。作者が延岡市出身で、あの町は○化成の企業城下町なのでそこでしか通用しないネタが結構出ているらしい。。

 例えば供給所って分かります?延岡の人でもこの言葉がすぐピンと来る方は、比較的人生の年輪を経ているというか、経験を積んでるというか、早い話がお年を召してるということです。今の若い方は恐らくご存じないと思う。スーパーマーケットというか小売流通業になるのだろうが、本来は○化成の従業員に「供給」するためのお店だったので供給所といったのだ。記憶は定かでないが、やはりその名前はまずいということになったのだろう、今は全く使われていない。まあ、そんな話より一時期は市民の8割近くが○化成の従業員ないし関連会社の従業員という都市だったので驚くことは沢山ある。社宅が沢山(これ言葉どおり、ホントニ沢山あったのだ)あり、高層アパート形式の社宅と長屋ハーモニカ住宅形式の社宅とに分かれていた。お風呂は銭湯で社宅の人はフリーパスだったが、我が家のように○化成と関わりの無い家の者は、社宅に住んでる友人に頼んでチケット(そんな良いものではない。学食の食券みたいなものだ)を買ってもらうしかなかった。

 小学校の高学年の頃、仲の良かった社宅の友達と銭湯に行くのが楽しくなり、あるとき友達がチケットを買いに行けないと言うので、僕が直接社宅の役員の人の家に行った。もちろんタダではないからお金を準備して。その家に行くと夜勤明けだったのだろうか、顔色の悪い中年の男性がぼくの顔をじろじろ見ながら「おまや見かけん顔じゃが、ホントに社宅の子け?この券は社宅にお客さんが来た時に使ってもらうために作っちょっとよ。本当はこん値段で売ることは出来んとよ。でも今度だけは良いが、持って行きない」と言った。僕は多分恥ずかしさと怒りで顔を真っ赤にしていたと思う。彼の言葉の中にあった何ともいえない排他的な感情。それと自分達はこの町では特権階級だといわんばかりの鼻につくスノビズム。もちろんガキであった僕はそんな言葉は知らなかったが、その時の彼の言葉と態度はずっと消えてなかったようだ、今まですっかり忘れていたのに。

 困った。こんな暗い話になるはずではなかったのだが。延岡市というのは僕が幼稚園から中2まで過ごした町で、工場の煙突や松林、浜川と名前はきれいだけど工場廃液でチョコレート色して臭気を放った川(延岡市の名誉のために。今はそんなことはありません。高度経済成長時代の負の遺産でした)や、あの吉永小百合も登った愛宕山(その時のブロマイドが頂上の展望台に飾ってあった)、そしてなんと「フーテンの寅さん」になる前の渥美清が「泣いてたまるか」で演じた石田先生(高千穂出身で延岡の高校を出たという設定になっていた)のいた町として、僕にとっての“ジョージアオンマイマインド”の町というか“シティオブニューオーリンズ”の町なのだ。どこかでおかしな方向に行ってしまったが、肝心の延岡ネタのマンガはまだ読んでいない。「浜山ペンタゴン」というマンガで作者は鹿嶋浩郎という人らしい。読んで面白かったらこのブログにアップします。

 そうそう、どうしてこんな話になったかというとmixiで延岡の頃の小学校と中学校のコミュがあり、あまりに懐かしく後先考えずに参加したら回りはお若い方ばかり。「55年生まれ集まれ」と書いてあるので、ほぼ同世代やとニコニコしながら読んでいくと「昭和」55年生まれのことであった。チクショー、その頃はおっちゃんは大学の6回生やったでー。あまりに口惜しかったので、自己紹介の所に「みんなのお父さん、お母さんに聞いてくれたまへ」と書いたくらいだ。だからどうしたって言われてもどうしようもないが。

夢、憂歌…

初期の憂歌団

 mixiのderiさんのところに投稿したのだが、もしかしたら「間に合うかもしれない」ので、ここにも書きます。GOOGLEに買収されたYOU TUBEに、何と憂歌団の76年のライブフィルムがアップされた。とりあえず確認できたのは「スモーキングブギ」と「たくわん」の2曲。最初に「スモーキングブギ」を見たのだが、個人が撮ったにしては、メンバーの反応が良すぎる。カンタローなど完璧カメラアイになっている。次の「たくわん」を見て謎が解けた。NHKの正月番組(もしかしたら年末番組だったかもしれない)で放映した物だ。なぜならばその番組を当時学生だった僕は帰省しており、祖父宅で見たからだ。
 明治生まれの祖父は当然このような訳の分からない薄汚い連中は認めなかった。僕が天王寺あたりにいた連中が組んだブルースバンドだといっても「天王寺あたりはこんなアンチャンがいつもうろうろしてる、ろくな奴らじゃない」と歯牙にもかけなかった。演奏の合間に木村が喋るのだが、例によって何を言ってるかよく聞き取れない。すると祖父は「こいつは×××か、昔から×××の歌謡い(うたうたい)と言って、×××には歌の上手い奴が多い」とカゲキな僕ですらビビッてしまうような事を真顔で言ったのをはっきり覚えている。その時の映像があったのでほぼ間違いないと思う。しかしまだビデオなんてなかった頃なので、どこかで再放送でもあったのだろうか。しかしNHKのフィルムだからCSやケーブルでやる筈はないし…。

 とにかく余計な詮索は止めて、今見られるうちに見てください。ここに画像を貼り付けられないようにしてあるので、タイトルをクリックして見てください。先ずは「スモーキングブギ」どうぞ。

 続いて「たくわん」。いや、しかしみんな若いね。痩せてるね。時期的には「セコハン」を録音した頃だと思うけど、花岡除いてみんながりがりだよ。しかもサーカスの様子も一部だけど映ってる。2階の座席はちょっと飛び出してあり、外側の塗装の所はかなりでこぼこというか、尖がってた。この2階の天井が低くて、客も店員も中腰で歩いてたよな。あ、だからsugarmountain君は常に1階に居たのか。それにしてもこの頃のサーカスはまだ五条さんがマスターになる前で、ちょっと「や」の字がつく自由業ぽい山田さんが店長だった頃だ。おーい、豊田勇造に瓜二つで、中山ラビにも間違われたS戸くーん、見てたらこのときの話教えてくれよ。何だか身内ネタばかりになってしまったが、本当に懐かしい映像だし、当時の憂歌団のライブを知るのに丁度良い歴史的資料なので、削除されずに残ってくれたらなぁ。思わずひょうたん島の博士が歌う「もしも僕に翼があったらな、空は僕のもの、高く高く飛ぶんだー」が、頭の中で響いてきた。

 いかん、もう寝ます。YOU TUBEにアップしてくれた「臭い飯」さん有難う。またゲリラ的動画アップお願いします。

 ※嬉しい誤算で10.14現在まで試聴できる。更に名曲「サマータイム」までアップされてます。

男の顔は履歴書、じゃ女の顔は?

小林万里子 ファーストアルバム

 先日の記事に書いたが、ネット通販で購入した小林万里子のCDだが、やはり何度やってもPCが認識しない。CDプレイヤーでは聞けるので、まあしょうがないかとは思ったが、こちらのミスがあるかもしれないと思い販売店にメールした。一応メールの対応は平日のみになっていたので、返事は早くても10日だろうと思っていたら、すぐに返信が届いた。(カッコ内は補足、担当者名は匿名)

ご連絡ありがとうございます。
下記の件(僕の送ったメールのこと)、我々もさっぱりわかりません。
各PCによってCDとの相性でしょうかね。???
すいません、納得いく説明ができなくて。
この商品はすでに500人以上の方々が購入していただきましたが、
今回のようなことは初めてです。
もちろん不良返品も一枚もありません。
当然工場製品ですので、ぜったいに不良品がないとは言い切ることは
できませんが・・・。
CD交換で解決できるのであれば、すぐにもCD本体を出荷いたしますが・・?
連絡をお待ちしています。
以上 取り急ぎ失礼してご連絡まで
芽瑠璃堂 ××(担当者名)

 丁寧な対応に驚きすぐまた返事を書き、スムーズに対応して頂いた。実はこのCDを注文した時に半分眠っていたので、間違えて二重に注文してしまったが、その時もすぐにメールで注意を促してもらい助かったのだ。この小林万里子のCDも30%offだったし、結構マニアックな品揃えがあるので、CDを買うときは是非、芽瑠璃堂さんを宜しく。別にお金を貰ってるわけではない、気は心だ。とはいえ芽瑠璃堂さん余ってるサンプルCDとかあればヨロシク、HなDVDはこっそり…と、何を言っておるのだ。そういう下品なブログではない、とは言い切れないか。えーと、そんな話はさておき、この小林万里子だが学生時代にその存在と歌を知りその後はすっかり忘れていたが、かれこれ1,2年前だろうかFM大阪のウェブサイトにK-ROCK(最初はてっきり韓国のロックと思った)伝説というコーナーがあり、そこのトップに彼女の顔写真があって驚いたことがあった。その時の印象は『まだ、いたんや』であった。しかし彼女のプロフィールを読んだり、ネットで情報を調べてみるとかなり悲惨な状況から奇跡に近いカムバックぶりであり、またK-ROCKのコーナーで聞いた「朝起きたら…」と「すんまへんのブルース」は年季を経た彼女の独特のボーカルとアドリブがズチッと腹に沁みる内容だった。

 「朝起きたら…」を初めて聞いたのは78年当時の深夜放送だったか?いや姫路出身で同じ英文科で同じサークル(彼をサークルに紹介したのは僕だが、新歓コンパで先輩に酔っぱらって絡み、とんでもない奴を入れてしまったと強く後悔したのも今は良い思い出、で、ある筈が無い。本当に酒癖の悪い男だった)にいた学友会の活動家で、普段はジャズ専門のN谷という男が「お前、これ知っとる?」といってかけたシングル盤が「まりこ」(当時はこう名乗っていた)だった。

朝起きたら、男の態度が変わってた
朝起きたら、男の態度が変わってた
「また、遊んで下さい」と、言ったら
「…ご好意は嬉しいが、遠慮します」と、言われた

  これ以上書くと、初めてこの歌を聞く時のインパクトが弱まると困るので(ウソ、そんなヤワな歌ではない、入力するのがつらいのだ)、後はここでじっくり聞いて下さい。彼女の歌は男の本質やその場しのぎの嘘を鋭くえぐり、自虐と皮肉とストレートな表現、例えば『女は便所、男の便所(便所~、え~、便所~、え~、便所~)…』といったような歌に満ち溢れている。今ひらめいた彼女のキャッチコピーは「ブルースを知った山田花子」。しかしこんな歌がえんえん19曲入ったアルバムを出すというのは神をも恐れぬ所業で、正に北朝鮮の核実験並の衝撃の極地である。なんだか書いてるうちに訳が分からなくなったが、このCDを部屋で流すことによって家族から見放されたり、周囲の人から絶縁状態になっても僕は責任を取れないのであらかじめお断りしておきます。しかし彼女の半生は凄まじいので、僕なんかのコメント抜きでここをお読み下さい。しかし「難波のジャニス・ジョップリン」は、ちと違うんで内科医(しょーもない変換ミスです、でも自分なりにミョーに受けたんです、ほんの出来心なので堪忍。ならぬ堪忍するが堪忍、仏滅、仏滅by怪僧のざらし)?下北のジャニス(金子マリお姉様)が聞いたら怒ると思うよ。

 しかし、なんだかんだ言っても人は外見で判断する(される)ことがほとんどで、僕も偉そうなことは言えない。というのも大学のサークルに入った時に、S本さんという1級上の女性の先輩がいたのだが、この人の外見が「嗚呼!!花の応援団」に出て来る「美鈴ちゃん」そっくりで(分かる人にはそれがどんなに恐ろしいかお分かりでしょう。なんせ、あの青田赤道がビビッたくらいですから)、性格はクラプトンとGハリスンが大好きという典型的なミーハーで、男ばかりの我がサークルの数少ない女子部員だったけど、ボックスの雰囲気を一気に台無しにしたり、関係のない会話にも口出しして総スカン食らって、それでもめげない不屈の精神の持ち主だった。あれ、何を書こうとしてたのかまたまた飛んでしまった。

 そうだそうだ。若いうちの姿かたち、特に顔かたちは変えようが無いが、年齢と共に顔は変わってくる。品性下劣な人間はやはり顔に出るということが言いたかったのだ。たとえば嘘つきブッシュはシャブ中の岡八郎みたいだし、最近結婚するとかしないとか話題のコンドリーザ・ライスは『わてがつくのは嘘と餅だけでっせ、しかも狂牛肉入り。それ食った男の態度が変わっとった』ってそりゃ死んでるんだろと突っ込みたくなるような、お顔ですね。翻って、我が祖国の新総理は夢見る眼差しがとても50年以上人間やってきたとは思えないような、一体何を夢見てるのだろう。「美しい国」作りかな?くわばら、くわばら、仏滅、仏滅…

もう、これが最後(多分)。ラストショー!

 昨日ああいう記事を書いて、先ほどYOU TUBEを覗いてみると、しっかり「出稼ぎブルース」がアップしてあった。また消される可能性が高いので、加川良のハープを聞きたい人は(Tasaki。さん大丈夫?今度のライブでも見れないと思いますよ)大急ぎで見てください。しかし昨日は何だったのか。単にデータをアップするのに手違いがあっただけだろうか。ただソースがBSからだったら、多分クレームつくんじゃないかとやや心配である。

 結局、ポンニチものだとすぐ消されるのではないかと愚考したので、今日は懲りもせず、懐かしのヒットポップスを動画で、しかも女の子ボーカル特集をやってみたい。何故か、70年前後のラジオ番組のことを思い出し「前田武彦と小橋玲子のヤングヤングヤング」だとか「大橋巨泉のポップスナウ」、ご存知「ゴーゴーゴーズオン、糸居ゴローのオールナイトニッポン」なんて名前が走馬灯のように頭を巡ったことと、僕が単純に可愛い女の子ボーカルが好きだという、ただそれだけの理由です。ではまず第1曲目はフランスから、シルビー・バルタン(星人はつかない、当然)で「あなたのとりこ

 いや、凄いですね。68年の映像ですが白黒です。結構おフランスはカラーになるのが遅かったのかな、僕の持ってるポルナレフのビデオ「Mad French on TV」も70年代半ばのものだけど全部白黒です。そんなことより、いや、イエイエ娘とかレナウン娘なんて言葉が浮かびますね。後半のダンスがこれまたマネキンみたいで何とも言えません。ふと思ったんですが、シルビー・バルタンてこんなにブサイクだったですかね。別の映像ですが、シルビー・バルタンとフランソワーズ・アルディ、それに御大ぺトラ・クラークが60年代のメドレーを歌う画像もあるので見てみて。江利チエミなんかの3人娘はここがオリジナル(この部分書いたときに何か違和感があったのだが、ナベプロ3人娘のことを言いたかったのだと気がついた。初代3人娘も間違いではないような気もするが、中尾ミエや園マリなんかのほうがこのビデオのイメージに近いですね。10.15追記)と分かります。続いてのナンバーは、哀愁のダッチサウンド、ショッキング・ブルーで「ビーナス」、どうぞ。

 流石にショッキング・ブルーはヒット曲も多かったので画像も結構アップされてますね。イントロのギターが印象的な「悲しき鉄道員」や「ショッキング・ユー」、「インクポット」他にも目白押しです。中には2005年のテイクの「ビーナス」もありましたが、夢を壊さないためにサイケ時代の映像でした。いやー衣装といい背景といい時代ですな。ただ60年代と違ってサウンド面はかなり良くなってますね。お次はカナダのバンド、オーシャンがお送りする「サインはピース」(残念ながらVではない)

 このバンドはこの1曲だけでしたね。ただ明るく軽快なナンバーで歌詞も”put your hand in the hand~”の繰り返しでヒッピー思想なんかに近かったんでしょうか。僕自身はこの曲とニューシーカーズの「愛するハーモニー」の曲調が近く感じられて、個人的にほのぼのする曲ですね。ピアノを効果的に使ってます。さあ、次は今回のクライマックス、ミドルオブザロードの「チピチピ天国」、じっくり映像をご覧下さい。

 いやー、両手を高く上げてクラップハンズ!ボーカルのオネーサンのミニスカ、ステージ周囲のダンサーの様子、見所一杯でしたがこの曲が71年の全欧ナンバーワンの大ヒット、当然わがポンニチでも大ヒットしたんですが、意味の無い歌です。「おかーちゃん、どこいった、あかちゃんどこいった、とおくへいっちゃた、オーイエちぴちぴチープチープ」なんじゃらほい。しかししかし、僕がこの画像をアップしたのは別の見所を発見したからです。画面右下に出て来るお兄ちゃんに注目してください。狂ったように(これサベツ語ではないよ)頭を振り乱し、この曲でどうしてそんなにのれるのか不思議です。最後のほうで長髪の女の子と一緒に映りますが、女の子のやる気の無い踊りと好対照です。そして後ろのほうでモニターに座っている男、何故にこの歌でそのガッツポーズが出る?分からん。理解不能です。でもこんな所がポップスのいいとこなんだな。そうそう、コメント欄に「この曲はいとこのピーターが作ったんだぜ」とあるのもお間抜けで笑えます。

 気を取り直してラストは大御所、シェール小母様に締めてもらいましょう。曲はもちろん「悲しきジプシー」あれ、ジプシーなんていうとサベツかな?

幻のライブ映像(Photos of Ghosts)

青島のカネナ醤油

 忘れないうちに書いておこう。昨日の、正確には今朝の3時過ぎのことだ。自分のブログをアップした後、『そうだここ2,3日YOU TUBEを見てない』とアクセスしたら、なんと飛び込んできたのが加川良の名前。しかも木村充揮、泉谷しげると一緒にどこかのホールでやってる感じで、曲名は「出稼ぎブルース」と出ていた。画像からするとごく最近の演奏のようだが、Viewsが2ということは、この映像をみたのは僕でようやく3人目ということだ。あっという間に曲が終わり、そのまま横の動画リストを見ると、木村と我が地元宮崎が生んだブルースギタリスト三宅伸治にLeyonaの3人で「おそうじオバチャン」をやってる。当然見てしまう。♪こんな、あたいも夢はある~の所をLeyonaが歌って良い感じ。見終わって我に返り、これは早速あちこちに連絡せねばと思い、その前にお気に入りに入れてしまおうと思いバックするが動画が見当たらない。あれ、と慌てて調べると、ユーザーによって削除の文字が躍っている。「おそうじオバチャン」もだ。※すいません。「オバチャン」ありました。リンクしておきますが、すぐ削除される可能性があるので、お好きな方はお早めにどうぞ。(10.11追記)

 寝惚けて夢でも見たのかと思ったが、あまりに現実感がありすぎる。しかしたった3人しか見ていない動画を削除する理由も無いから、やっぱり夢だったのかと半信半疑で先程ググッたら(この活用形も使用禁止になりそうかな?)ありました。今年の2月に木村充揮三十周年ということでライブがありBSで放送したとのこと。ゲストミュージシャンがすごいので、こちらで確認して下さい。また9月28日に再放送があったらしいので、そのビデオをゲリラ的にアップしたのだろう。ちなみに犯人はEさん(一応匿名で)。僕のお気に入りの投稿者であるが、削除される件数も多い。少し前このブログにリンクさせた動画もほとんど消されている。やはり動画のリンクは難しいというか、考えてやらないと記事が死んでしまう事を確認。ところで話は変わるが、単語の変換は文節ごとにしましょう。『ブルースギタリスト』を一括変換したら『ブルー過ぎたリスト』になり、どんなリストや!!と一人で突っ込んでしまった。

 さて今日は天気も良いし、絶好の観光日和であったが、我が家の次女が『タンプレを買いに連れて行け』と配偶者にねだっている。タンプレというとタウンみやざき(注:地元のタウン誌、関西のプガジャみたいなものってプガジャもシティロードも今は無い。アア万物は流転する)とは全く関係ない。誕生日プレゼントのことである。実は昨日次女がタンプレで欲しい物があると言って来たので、聞いてみるとブーツが欲しいなどとぬかした。「ブーツ、そんなもんゴム長で上等じゃ!アキレス月星か、月星のカラーゴム長は時代の革命児だったぞ…」と実利主義に美的センスを導入した月星の業界における貢献度と、しかしながらその後の衰退の歴史を説明し、いかに贅沢が敵であるかを教えたが母親似のため理解できないというか、はなから理解する気が無い。母子で何やら打ち合わせをしており、いつの間にか僕がアッシー役で近くのショッピングセンターに連れて行く羽目になった。やたら駐車場が広くて、オープンまでに問題の多かった、あー、面倒くさい、イオンだ。この前下地勇の新譜を入れてなかったタワーレコードがテナントで入っているイオンだ。ジャスコに就職した先輩と学生時代久し振りに卓を囲んだとき、あまりに品なく食い散らかすので「Y田さん、なんやその麻雀、ジャスコはそんな麻雀ばっかするの?まったくジャスマンやね」と言ったら「お前良くウチの衣料品のブランド名知ってるな、ジャスコの紳士服はジャスマンいうねん」と驚きの事実を知った、あのジャスコが親分のイオンである。いい加減しつこいので止める。


 そのイオンに着き、家族でメシを食ったが2階の大規模学食みたいなセルフサービスのところで、まあ水が不味いこと。女二人は父親の性格を良く知っており、買い物に同行させてもろくなことはないと考え1時間後に待ち合わせることにして、僕は懲りずにタワレコへ。ここのところ通販で買いすぎているので今日はダメだぞと心に固く誓いながらCDを眺めていると、こういうときに限って欲しい物が目に入る。あっ、越美晴のベストや♪そうよ、そうよ恋なんて、回る回る回転木馬、一時だけ楽しければそれで良いの~などと刹那的な歌詞が頭を回る。たかがCD、その時だけ楽しければそれで良いの、というわけにも行かないので気晴らしにインディーズ系のコーナーに行くとここにも欲しい物が目に付く。こういうときには煩悩を断つあのバンド名を、と探したらあった。「水中、それは苦しい」。先日、下地のニューアルバムを探しに来た時に見つけたバンド名だが、はっきり言ってイカス。ナイスですね。真実とはこんなに身近にあったのだということを分からせてくれる。今日は更に憎いバンド名を見つけた。「凛として時雨」凄すぎる。まるで自由律の俳句だ、尾崎放哉だ、種田山頭火だ。   

 こういうひとり遊びは結構好きで、いろんなことを考えていたらあっという間に一時間が過ぎ、合流の時間になった。次女は気に入ったブーツを買ってもらい得意げである。このまま帰るのも勿体無いので、青島に行こうと提案した。何しにと二人が聞くので「醤油を買いに」と断言した。ここで大多数の人が「はぁ、青島で醤油、はぁ」とまちゃまちゃ風なリアクションをしたことだろう。しかし、知ってる人は膝を叩いて「そうか、青島と言えばカネナ醤油か」と得心したであろう。そう、カネナ醤油は青島しか売っていない。僕がこの衝撃の醤油に出会ったのは、今から3年前。当時勤めていた会社で女子社員が4,5名集まってランチしていた時に「む、これは、強い大豆の香り」とおからの匂いに反応する花山大吉のように(deriさん出たよ!)呟いてからだ。早い話女の子が持ってきていた醤油を取り上げ、これはどこで売っているのか、隠すと身のためにならんぞなどと悪代官のようなことを言って聞き出したのだ。ちょっと大袈裟だが、お刺身にかけても冷奴にかけても、何にかけても素材の味を生かし美味しく頂けるのだ。以来、我が家の醤油は青島で買うことになった。

 さっきも書いたが、快晴で行楽日和の秋の一日。もう3時を回ったがこれから青島までドライブがてら買い物もいいじゃないか。カモン買い物とキー坊の歌を口ずさみながらCDをセレクトした。ここから青島まで往復小一時間。丁度アルバム1枚分の時間だ。下地の新作だと宮古島と青島ではまり過ぎというか、ちょっと青島の分が悪そうだったので止めて、CDケースを見るとドゥービィーとかブレッドとかイーグルスなんかがあり、うーんいかにもたこにも(しょーもない洒落や)ウェストコーストは当てはまり過ぎだと思い、別のCDをセレクトした。

 結論。高田渡を快適なドライブのBGMにするのは止めよう。いや最近のものはまだいいが「ごあいさつ」とか初期の物はやめておいたほうが良い。まず配偶者と喧嘩になる。敵「このあゆ、とかこいとか言う歌は何?」「まぐろにいわしのことか?魚編に若いがあゆ、里がこい。これは魚編に有と弱いだろ。だからまぐろにいわし」という会話も弾まなかった。「値上げ」を聞きながら敵が「何でなんでもかんでも値上げするのかねー」と言ったので、ケインズの経済学が如何に誤っており需要と供給のバランスの中コストリーダー的な動きをするのは、圧倒的な資本力を持った独占資本であるということを話したりすると、会話が死ぬことはもう何十回も経験しているので黙っていた。「銭がなけりゃ」になった。お互いずっと黙り込んだ。僕は早く「生活の柄」にならないかと思っていたが、それも間違いだった。♪秋は、秋からは浮浪者のままでは眠れない…。身につまされるな。

皆さん、こんばんは。裂いた医者のじゃない妻帯者のdrac-obです。

下地勇の本 今ならサイン付きもアリ
 ちょっと油断して更新をしていないうちに十五夜が過ぎ、今夜は十六夜である。昨日の十五夜はとても良い月だった。子供と一緒に空を見上げて余りに綺麗だったので思わず携帯で写してしまった。このブログに写真をアップしようと思い、先程見直したら、丸い物がきらきら光ってるだけで、およそ月らしくなかったので断念した。先輩のsawyer氏がご自身のブログに月の写真をアップしてるのでそちらをどうぞ。
 
ということで(何が『ということ』か不明だが)今日はここ最近読んだ本や聞いた音楽について書いてみたい。とか何とか言いながら、題材は決まっているのだが。僕は興味が集中する物と分散する物とあり、たとえば音楽でいうと気に入ってその人(バンド)のアルバムしか買わないとか、アルバムだけでは飽き足らず本も買い求めるというパターンと、一度マイフェイバリットになりながらも、そのまま次の出会いは何年後という割とクールなお付き合いをしてしまうものと二つに分かれてしまう。いわゆる普通というか中間というのが無い。また何が基準でそのように分かれるのか、本人も良く分からない。

 最近集中型の音楽には下地勇がある。何度かこのブログにも取り上げたし、そもそもこのブログの第一回目の話がカンタローと下地の動員数の少ないライブの記事だった。ということは彼を知ったのは今年の4月末。更に渋谷のHMVで彼のサードアルバム「開拓者」を買わなければ、4th.アルバム「また夢でもみてみるか」やミニアルバム、CDシングルを吉祥寺の中古屋さんで買うことも無かっただろう。逆に言うと、吉祥寺でこれらのアルバムを買えたのも何かの運命だったかも知れない。更にいえば、昨年うつ病をはじめとする様々な病気のせいで職を離れ、ルンペンプロレタリアートの身分だったから彼らのライブを見ることが出来たとも言える。前の会社にいた頃であれば、夕方の7時に自由な時間を持つことは全く不可能だった。ましてブルースのライブに行くと言ったら、奇人変人扱いされただろう。何となくモノは言いようとか詭弁などの声が聞こえるが、気のせいにしておこう。

 下地勇の「心のうた」は先日届いた話を書いたが、読みかけの本がありなかなかページを開くことが出来なかった。ちなみに今現在、未読で積読になってる本は河出のムック本で「中島らも」「大瀧詠一」「江口寿史」、新書で「そうだったのか手塚治虫」(これは上の子の高校の参観で授業の中に出て来て興味を持った、このネタも書くつもりで忘れていた)、雑誌類では別冊宝島や紙の爆弾、そういえば折角見つけた「天皇ごっこ」もそのままになってるし、と書いていったらキリが無く、何でこんなに無節操に本を買うのかと自分が嫌になる。「ウチにはお金が無い」といつも女3人組が口を揃えて言ってるではないか、いやいや、これも修行なのだ。修行するぞ!修行するぞ!しゅぎゅ…話が危なくなって来たので軌道修正。

 この「心のうた」は3章で構成されており第1章が少年期の話(というかインタビュー)、第2章はミュージシャン下地勇に対してのインタビュー、最後が本人によるエッセイとなっている。それぞれに興味深いのだが僕は第3章が一番印象に残った。この手のミュージシャンのエッセイというのはゴーストライターが当たり前だということは「忌野旅日記」で先刻ご承知のつもりだが、この本のエッセイは欲目かもしれないが本人が書いた(もしくは口述した)ように見える。月間のタウン誌かなにかに連載されていたのかもしれない。彼(下地勇)のものの考え方や捉え方が非常に分かりやすい形で書かれている。

 簡単に言えば、「おじぃ」や「おばぁ」に対する敬愛の念、両親に対する愛情、子供達への愛情、島の人達に対する愛情、そういった素朴な愛情に満ち溢れたエッセイである。もし彼がミュージシャンではなく一般の物書き、エッセイストであれば、多分僕は一読し世の中そんな甘くないなどといってその辺に放り投げていただろう。しかし彼の「大和の風」や「おばぁ」、「我達が生まり島」といった歌を知ってしまった今は素直に聞けるのだ。今回リリースされたアルバム「ATARAKA」に「商店(まっちゃ)のおばぁ」というコミカルな歌があるのだが、驚いたことにその歌のコンセプトはこの本のエッセイの中に既にあった。どういう内容かというと、昔から変わらなかった島の生活にもスーパーやコンビニが入ってきて、昔ながらの商店(まっちゃとは商店の意味らしい)は苦戦しているが、でも頑張れおばぁというようなメッセージである。本から引用しよう。

おばぁのお店とコンビニ、決定的な違いがあるとすれば、「会話」ではないだろうか。~略~お金が足りないときでも「あとからでいいよ」と言ってくれたのはおばぁのお店。コンビニでは一円でも足りないと買い物できない。


 これに批判することは簡単であるし、こういったセンチメンタリズムを徹底して排除したのが今の『格差社会』であろう。恐らくこれからの時代はこの格差はどんどん広がり「まっちゃのおばぁ」たちは行く場所を無くす、あるいは特定の場所に移されてぱっと見の社会にはそういう弱者は存在しないモノとして扱われるかもしれない。もっともそういった『施設』に行けるのも『格上』の連中だけで、大多数は『強制施設』行きかもしれないが。悲観的な予想しか出来ないが、彼の歌は明るく力強い。それがちょっとした喜びでもある。僕たちは敗北するかも知れないが、最後まで諦めないぞという風に感じるのは感情移入しすぎだろうか。

 彼の性格を物語るエピソードが前のアルバムのライナーにあり、それをご存じない方にどうしても知らせたい。著作権うんぬんは見逃してくれよ×2times。(ここ、キョンキョン風にって、オッサンも例えが古すぎ!!)

 彼がまだ余り売れてない頃、あるラジオ番組にライブ演奏できる機会があった。その日にちを間違えて1日早く来たというのも微笑ましいのだが、その時のトークで「彼女募集中です」とやったらしい。その日彼の奥様は旦那様の雄姿をテープに取ろうと深夜まで待機していたというのに。初日(つまり間違えてきた日)はとても元気が良くにこやかな顔で登場した下地だが、本来の演奏日である翌日は滅茶苦茶に暗い顔で現われ、ライブの前にコメントを喋らせて欲しいと頼んだ。OKが出て、いざライブの時。「どうも、妻帯者の下地です」このエピソードで僕はますます彼のファンになった。

 さて肝心のニューアルバムだが、頭に来たというか情けなかったというか地元のタワーレコードには1枚も無かった。街中と郊外と2店舗あるがそのどちらにもなくて結局AMAZONだ。アルバムの感想は試聴もしていたしGyaoでPVも見ていたが、それ以上に素晴らしい内容だった。“新しい地平を切り拓いた=開拓者”と書いた自分のコメントは間違ってなかったというか、それ以上の出来で今毎日聞いている。この記事を読んでくれた方、ぜひ聞いてみてください。近くの人はメールくれたら何とかするので宜しく。ところで今日、注文していた小林万里子のファーストが届いたがPCで聞けない。コーディックがなんたらと出るのだが、良く分からん。sugarmountain君、読んでいたら解決策を教えてくれ。

 本やCDばかり買ってないで金を稼げという鬼×の声が聞こえるが、聞かなかったことにしよう。

お知らせ

 「同志社大学学友会」資料編纂委員会代表の水野裕之さんが、本年9月末で同志社大学を退職され、このたび獺祭書房という名の古書店を開業された。いろいろ思うところはあるのだが、取り急ぎ関西方面の方は一度足を運んで売り上げに貢献していただけないでしょうか、宜しくお願いします。以下は送られてきたチラシから引用します。

<所在地>
〒602-0031 京都市上京区室町通新町上る裏築地町94 エスペラント室町1F
(地下鉄烏丸線今出川駅下車)

電話&FAX 075-431-1203
メルアド dassai@olive.plala.or.jp

<営業時間>
11時30分~20時30分
定休日:火曜日

獺(かわうそ)は、捕獲した魚を食べる前に岸辺に並べ置く習性を持つ。その様子になぞらえ、古来中国では詩作する人が机の周りに参考書籍を広げ散らすことを獺祭という。晩唐の詩人李商隠は、自らを獺祭魚と号し、広く故事を援用しつつ錯綜した時代の事蹟を詩に定着した。
以下略


知らなかった。日々勉強である。

ウシャコダ、アフリカ、ザンバ、ザンバ パートⅡ

若き日のウシャコダ(一番右が教祖様)

  最近、良くコメントを投稿してくれるderiさんから先月mixiに招待して頂いた。きっかけは加川良のライブに行ったときの世間話だったと思う。誘ってもらってすぐに、前に勤めていた会社の同僚もやってることを知り、旧交を温めることが出来たりしてなかなか良いものだと思っていた。しかしながらある人のページにコメントしたら、そこの常連さんに気に入られなかったようで3人連続で不愉快なレスを付けられた。近頃ブログが炎上したなんて話を耳にするが、こういう些細な行き違いから大事になることもあるのではと考えたりもして、mixiのようなスタイルは僕には合わないのかなとも考えた。

 確かにネットでは、求めれば溢れんばかりの情報が簡単に手に入るし、現実社会では恐らく一生顔も見ないどころか、その存在すら想像したこともない人たちと親しい友人のような会話をすることも出来る。便利な半面一歩間違うととんでもない世界になるというのは世の識者が口を揃えて言うことだ。しかし、である。今日はとても嬉しいことがあり、あーこういうのがネットの良さだなとつくづく感じたので、素直に報告したい。いつものイチビリや開き直り、照れ隠しは無しね。

 先日の記事でも書いたように、僕のお気に入りのバンドにウシャコダという千葉県のバンドがある。詳しくは前回の記事を参照して欲しい。そのウシャコダが鹿児島にそれも加川良や有山じゅんじなんかと一緒に来ることを知り、絶行かねばの娘(やっちゃったよ、辛抱効かないオヤジだ)だったのだが、法事と重なり泣く泣く諦めた。余りに口惜しかったのでブログに書き、ウシャコダリーダーの藤井師匠とベースの恵福教祖のHPにコメントを投稿した。藤井師匠、これ冗談で師匠と呼んでるのではなく彼はジェイク・シマブクロに決定的な影響を与えた(もちろん嘘です)ウクレレプレイヤー牧伸二の弟子で牧伸三を名乗れる唯一の人間なのだ、彼のHPのBBSには僕のブログを読んでくれた人が最近の京都の様子をコメントしてくれたり、また別段削除もされなかったので、良かったと思っていたのだ。

 ところが恵福教祖のブログにはその後何のコメントもつかないし、昨日だったか、久し振りにHPをのぞいてみるとブログはmixiに移動しましたとのこと。慌ててmixiに行ってみると以前のブログの記事はあったが、コメントは一新されたようだった。ちょっと残念だったが、ウシャコダのファンが沢山ついて来てるようだったので、何もコメントしなかった。そして今日、mixiから恒例のメールが届き、自分の足跡(マイページの訪問履歴)をナニゲニ見ると珍恵福のお名前が。えっ!教祖様が?我が目を疑いながらも以下のようなメッセージを送った。

件名:こんにちは、足跡見てびっくりしました。
教祖のHPを見て、mixiに参加されていることを知り、お邪魔しました。私、drac-obと申します。教祖のHPのブログに一度投稿したことがあります。 と言うのも、私19××年生まれで79年から80年にかけて京都のライブハウス(主に銀閣寺にあったサーカス&サーカス中心)でウシャコダの雄姿を何度も拝見し、アルバムも購入しました。
月日は流れ、昨年鬱病に罹り苦しんでいた時に偶然ウシャコダのサイトを知り、松戸一揆の記事などを読み、大いに勇気付けられて担当のドクターにも話し、症状が改善された経験を持っています。
今回の鹿児島でのライブに行きたかったのですが、父親の17回忌もあり断念しました。しかし元気にしていれば何時の日かまたライブは見られるだろうし、もしかするとニューアルバムも出るかもしれない、と言うことを楽しみにこのつらい浮世を渡って行こうと考えています。教祖の日記大変面白く拝見しています。ウンコダ号のお話もっとアップして頂けるとありがたいです。
それではお体、特に飲みすぎにご注意下さい(笑)。
蛇足ですが、拙ブログは下記の通りです。
「別館4階のBOXから」http://gakkan.blog64.fc2.com/

 そうなんです。今こそ明かされる事実ですが(知ってる人は知ってるけど)昨年の初めからかなり自殺念慮が激しく、このままでは本当に死んでしまうという恐怖と戦いながら3月から11月まで心療内科に通いました。うつ病とのつらい戦いをしてきたのですが、偶然ネットで知ったウシャコダの再結成のニュースとHPの存在が、自分が元気いっぱいだった70年代末のことを思い出させ、くすぶっていた心の中に薄日が射して来るようでした。丁度ジョージハリスンの“Here comes the sun”のフレーズそのものでした。あ、ちょっと照れくさいけどDRACの先輩・後輩のネット上での交流も大きな励みになりました。

 教祖様からは(何だか怪しい新興宗教みたいになってきたな)

こんにちは!とゆうよりはじめまして!!サ-カス、懐かしい ですね!先日、美空ひばり記念館でライブがあり、京都に訪れた ばかりですが、あのころのウシャコダのことが思い出されます。
よかったらこれからもマイミクで宜しくお願いします、
又どこかでお会いできるのを楽しみにしてます。
それでは、失礼します。


との返信を頂き、早速以下のように再度メッセージを送りました。

> メッセージ頂いて、ビックリ。教祖のお人柄がにじみ出ており、ひたすら感動です。かってサーカスで恵福商店の前垂れを掛け、藤井君と掛け合いをやっていた姿が浮かびました。こちらこそ、今後とも宜しくお願いします。
> 追伸;今回の出会いをブログにアップさせていただいて宜しいでしょうか?

宜しくおねがいします。恵福

 ということで、今ブログに記事をアップしている所です。あー、ネットやってて良かった。うしゃこだ、あふりか、ざんば、ざんば…(エンドレスに続く)

大きいわ、大物よ・・・

  まずは、こちらをご覧いただきたい。1976年のサントリーゴールドのCMである。


 このCMをご存知の方というと、いくら若ぶっていても(失礼)40の大台にのってらっしゃると愚考する。まだ若くて元気な野坂サンの姿が懐かしい。「中年御三家」とか「マリリンモンローノーリターン」などと口走ってしまう。例によってYOU TUBEから持ってきたのであるが、実はこの強烈なCMですら僕は思い込み違いをしていた。それは♪ソ、ソ、ソクラテスかプラトンか、ニ、ニ、ニーチェか、までは良いのだが、その後を勝手にサルトルをマルクスと思い込んでいたのだ。どうしてか、多分当時のコラムか何かに、このCMのパロディがありそれをそのまま記憶したようだ。

 それとこのCMを見直して思い出したのが♪とん、とん、とんがらしの宙返り、である。語呂は良いのだがどういう意味か。ネットで調べたが、分からない。どなたか博識な方がいらっしゃれば是非ご教示頂きたい。もう一点、これは今回初めて知ったというか、気がついたのだが、エンディングのメロディは「抱きしめたい」ですね、ビートルズの。間違いない。

 蛇足ですが、このCMの歌詞に出て来る人名で2番の『ギョエテ』はドイツの文豪ゲーテ、『シルレル』はそのゲーテとも親交のあった詩人のシラーである。『ギョエテ』なんて聞くと『チョピンとはオレのことかとショパン言い』なんて懐かしいフレーズが浮かんでくる。『字引く書なり』とか『掘った芋いじるな』なんてのもありましたな、ご同輩って、みんな引いてないかい?

 今日はこれで終わろうと思っていたが、全国のパンクファンに幻のパンクバンド、いまや芥川賞作家の町田氏が率いたINUのビデオを一発。



 わはははは、はは。音楽と動画を細工したでっち上げのPVでしたが、今度は本物。ギターは北田昌宏だし、ベースは西川成子だから80年前後の演奏だと思うが、どこで映したものか分からない。しかし、どこかで誰かがきっと待っているもんだな(ん、木枯し紋二郎紋次郎?)。



学校出てからうん十年、今じゃ by クレージーキャッツ

  ここのところ連続して、子供の授業参観などに行った。このブログを読んでくださる奇特な方々に、僕が人格破産者ではないことを証明するためにも今日は、教育問題に(あ、ここ決して駄洒落ではありません)取り組んでみよう。

 はじめに行ったのは中学校の参観。実はこの中学校に僕は2ヶ月間だけ通ったことがある。それも中3の4,5月という考えようによってはとても大事な時期だ。というのも父が春の移動で、それまで住んでいた延岡市(今年の台風で竜巻の被害があったところ、ニュースで緑ヶ丘という町の名を聞いたときは驚いた。小学校2年から中2までブイブイ言わせていた懐かしい町だったから)から宮崎市に転勤になったのだが、土地勘が無かったため父の友人が住んでいた所に家を借りた。えー、地元の人が気を悪くするといけないので、ここからは匿名にするがF城というその町(村というイメージだったな)は、周りを山に囲まれ、店は生鮮品から乾物まで何でも売ってるお店とそのすぐ近くに、よく言えばプチ、悪く言えばこれが店かよ、間口が一間しかない(若い人はこの単位名は分かるかな?知っとくとマイホームを考える時に役に立つよ)魚屋、この二つが流通関係を一気に受け持っている所だった。

 ちなみに、そのF城に住んですぐの頃、母に買い物を頼まれた。魚のすり身のフライを例の魚屋で買ってきてくれと言うのだ。お安い御用とばかり行こうとしたら、呼び止められて、このあたり(というか宮崎市は)魚のすり身の揚げた物のことを『てんぷら』と言うから気をつけろと注意された。カルチャーショックというと大袈裟だが、なんで?てんぷらと言うのは衣を付けて揚げた物のことだが、と不審な気持ちで魚屋に行き、おずおずと「てんぷら2枚」と言ったらちゃんとくれた。それと似たような経験は高校生の時、ちょっと可愛いなと思っていた女の子と子供の頃の遊びの話をしていた時だ。(もう少し気の聞いた話をしていれば、その後の青春時代は大きく変わっていた可能性は否定できんな、うむ)

 えーと、どう説明したら良いか、地面に大きくアメーバ状の図を書き、その内側にそれと相似形の図を書く。内側の図形の中に鬼の役がいて、外側と内側の間のスペースが通路になり、そこを鬼から突き出されず3周回ったら勝ち、全員突き出されたら鬼の勝ちで攻守交替となる。実際には外側の図形の更に外側に、離れ小島みたいなスペースも作り、鬼はそこには来れない。その小島を上手く使って鬼に捕まらないようにするのが、この遊びの醍醐味と言うか、コクのあるところだった。で、その遊びのことを延岡市方面、いわゆる宮崎県の北部ではズバリ「三回まわり」とストレートなネーミングだったが、生まれも育ちも宮崎市の彼女は「にくどん、はいどん」と言い張った。

 「にくどん、はいどんだぁ?はぁ?」と今ならまちゃまちゃ風に言っただろうが、アンビリーバブルな呼び名だった。第一、今は遊びの話をしていたのであって好きな食べ物とか、作曲家のことを聞いていたわけではないと、かなり理路整然と反論したら嫌われてしまった。したがって僕の青春時代は大変暗いスタートであったことをあえて、宣言しておく。この反動は大学に入った後一気に出て、と何を書かせるのだ。話が進まないではないか。えーと何の話だったか、そうそう中学校の話だった。

 中学校の参観は技術家庭だった。僕の子供は女の子だが、今は女子も男子と一緒に技術家庭を習うらしい。作業机に5,6人が1グループになり発泡スチロールの立体図形をどうやって展開図に落とし込むかをやっていた。技術家庭は普通の教室とは別の建物にあり、外から気軽にのぞき込める様になっていた。僕が着いた時は10人くらいの父兄(というか全て母親だった、後から2,3人父親が来てほっとした)がいたが、これがまた良く喋る。喋る、しゃべる、パワーシャベルである。中学生の子供達も授業中良く私語をしてると思ったが、親もそれに負けていない。何を考えているのだ。流石に教室の中に入って喋っている親はいなかったが、あれだけ親がお喋りしていたら子供も当然真似る。切れかかったが、ここで切れるとそれでなくても変わり者と見られている上に、短気・暴力的などという余りありがたくない評価を受けそうなので我慢した。子供からも「友達の前で、目立つことはするな」といつも言われている。一度、どういうところが目立つのかと聞いたら、車に乗る時にボーソーゾクのような音楽をいつもかけているからと言われた。それ以来子供の送迎の時に頭脳警察(パンク系の音ですな)をかけるのは、なるべく避けるようにした。

 その後、学級懇談が開かれた。教室に入ると役員らしき人が机をコの字型に並べていた。教壇を頭にまっすぐ机が並べられたので、手近なところに座った。するとその並べられた机には座らずにその後ろにほとんどの親が座った。後で知ったが、教壇の側に座るのは役員をやってる親だけらしい。司会進行の役員が議事を読み上げ、担任が説明する。質問を促すがほとんどない。黙って聞いていたが、「教室にエアコンが無いので暑くは無いか」とか「給食で嫌いな物を強制するのは良くないが、改善されたのか」とか、何かの聞き間違いではないかと思われるような質疑が続いた。今あらためて考えると僕も随分大人になった、いや大人しくなった。もう少し若い頃なら、「ナンセンス!!」の声も高らかに懇談会をぶち壊していただろう。

 しかし、たかだか義務教育で何が暑いからエアコンだ、『心頭滅却すれば火もまた涼し』という言葉を知らんのか。扇風機がついてるだけで上等だ(このことを配偶者に話したら、呆れられた。暑いと頭に入らないと言うから、そんなことあるかーと怒鳴ったら逆切れされた。触らぬ神にたたりなし)。嫌いな物を無理矢理でも食べようとする所に(もちろんアレルギーとかは別問題だが)、忍耐心が育っていくのだ。オレも給食を美味しいと思ったことは、悲しいかなあるが(特に揚げパンとフルーツ蜜豆が好きだった)、それでも膜の張った脱脂粉乳の一気飲みをやってゲロ吐きそうになったこと何べんもあったぞ、おかげで忍耐心は…あんまりつかなかったが、それでも意味はあったぞと声を大にして言いたい。

 ここまで書いてニュースを見たら、給食費の未払いが全国的に増えて各自治体も対応に苦慮してるらしい。生活に困ってるわけでもないのに未払いする言い分は『義務教育だから払いたくない』とか『頼んだ覚えはない』とのこと。今入力していて指先が震えた。てめーらなめてんじゃねえよ!!怒りを向ける矛先が違うだろ。結局、授業参観のときにピーチクパーチクやってる馬鹿親どもの言い分なんてこんなもんだ。こんな世間に誰がしたって、オレ自身を含む全員なんだが、今からでも遅くないから何とか良くしようぜ。『美しい国』造りより、こういう身の回りのことから正していかないとどうにもならない。

 さて、その日のハイライトは道徳の時間に子供達に書かせた親への手紙だった。担任の先生が「みなさん、武田鉄也さんはご存知ですよね。その鉄也さんのお母さんがなくなったのが××年(正確に年月日を言われた)なんですが、このことと“母に捧げるバラード”を基にしてですね…」僕は我が耳を疑った。もちろんフォークグループとしての海援隊はそれなりに評価しているつもりだし、役者としての武田鉄也も「幸福の黄色いハンカチ」以来、その能力は認めている。しかし、しかしだ。「道徳」の時間の題材に「金八先生」は無いだろう。担任の意図する所は分かるつもりだ。『親孝行したい時には親はなし』ではいけないから、今度の参観に合わせてお母さん(お父さん)に感謝の手紙を書きなさい、というところだろう。ありがたい、の、かな。もちろん我が子が書いた手紙を読んだら、心が優しくはなった。しかし、こいつは何を考えているのか「お父さん、私を生んでくれてありがとう」だって。生んだのはオレじゃない、お母さんだと帰ってから言ったら、「でもお父さんがいなかったら生まれてないから結局一緒」と丸め込まれた。これだから女は怖い。あれ、教育を語るはずだったのだが…

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