ばっどじゃんきーぶるーす by サウストゥサウス

 前回、植草甚一風に行こうなどと書きながら、ちっとも植草風ではなかったので今日こそはお洒落なJJ氏を真似て行こう。

 今日は、嬉しいことが2つ、正確には3つあったのでまずは、それから行こう。というのも人生にはミステリとジャズ以外に楽しいことってそうはないから(こんなフレーズあったよね)。1つ目は、このところブログの掴みネタにしていたsugarmountain君のことだが、朝一でメールが来ていた。メールが来てる事は知ってたのだが(今は携帯でチェック出来るからね、でも本当に楽しみにしているメールはじっくりPCを開いてから読みたいものだ)、今日はめずらしく日中はばたばたしていて彼のメールをきちんと読んだのは夕方、多分6時過ぎだったと思う。彼のメールには>加川良のアルバム、ブリーフ・ケースにアップしたのでそこから取り出して保存してください。
 そうなのだ。加川良の「R・O・C・K」をわざわざブリーフケースにアップして、送ってくれたのだ。『CDRにして送ろうと思ったが、自分のPCのCDドライブが不調なのでスイマセン』とのコメント付きだ。いや世知辛い世の中だが先輩後輩の絆は捨てたもんじゃないね。もちろんすぐお礼のメールを送った。それが人間関係の基本ってことは若いみんなも知っておいたほうが良い。そのサンキューメールに『ところで加川良も好きだけど、他にも好きなミュージシャンは沢山いるので、そこのとこヨロシク(笑)。』と書いた後に『(でも実は)一番好きなのは小切手です』と書くことは忘れなかった。もしかしたら来週送ってくるかな。ていうのは今ニューヨークで一番流行っている一番流行ってるジョークさ。 

 疲れたのでJJ氏はもうやめて、素に戻る。で、2つ目に嬉しかったのは先日注文していた下地勇の本が沖縄の(有)ボーダーインクから送ってきたことだ。今月の27日に5枚目のCDとシングルが出ているのだが、試聴した限りでは意欲作というか新地平を切り拓いた感じだ。Gyaoにビデオクリップが出てるので是非聞いてみて欲しい。カンタローのシタールと島袋優のギターもいいが、後半部の盛り上がりはちょっと異様な感じがするが、迫力満点だ。沖縄の「ウタキ」という言葉と桐山襲の「風のクロニクル」を思い出した。思い出しついでにAMAZONで検索したら、桐山の本は生前本人が否定していた第三書館のアンソロジーと文庫が1冊出ているだけだった。こんな所にも知の退化が表れている。ちょっと余計な話をしたが、このビデオクリップ是非見てください。僕は27日に見てすぐコメントを投稿してしまったので、そちらもついでに。アルバムは明日にでも買いに行こうって、普通アルバムが先で本はあとと思われるかもしれないが、「もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵」(byシーナマコト、残念ですが&ザロケッツではない)的活字ジャンキーとしては、表現者の言葉って興味深いのよ。特にこの本は恐らくメジャーには流れないと思ったので、恥ずかしながらサイン本を注文したのだ。

 ところで、今日は楽しいことだけかというと、トンでもハップン(ギャグが古いな、古井戸ーって寒さの極地になるのでやめます)、例によって痛い思いもしました。実は休みや法事があったので、3週間ぶりにA木内科に行ったところ、9時前だというのに駐車場は満杯。ようやく車を止めて待合室で待つこと2時間半。ま、ここまでは慣れっこでどうってことはない。先生に診てもらうのはかれこれ一ヶ月ぶりで、その間に高いお金を出して受けた健康診断のデータを持っていったら、「あー、○○さん(僕の本名)の病気にはこの検査全然意味ないです」ってがっくり。僕の場合血液の反応で治療内容も変わるらしいのだが、一般の血液検査では出て来ないデータが必要だとのこと。そこまでも、まあ譲って我慢しよう。そのあとですよ。恒例の注射。ここで下世話な話で恐縮だが、人によってはナース姿の女性に必要以上の関心とお金を払いたがるらしいが、いかがなものか。そもそも白衣というのはそんなに清潔な物ではない。昔、工学部でもないのに昼休みになると白衣を着て集団で大声を上げながら歩いている人達がいたが…話が逸れた。えーと、注射である。以前書いた気がするが、ぼくの血管は細い。大抵、初めてのナースの人は一発で血管にぶち込むことは出来ない(なんとなくヒワイだな)。この病院には2人相性の良いナースがいるのだが、今日は別の方。以前3回ほど血管に射すのを失敗して、他のナースを呼んできた方である。不安は募る。

 こういうとき、何故に予想は当たるのだろう。まず右手中ほど、おっ今日は一発でOK!腕を上げたねと内心思った途端、注射液が止まった。入らなくなっている。針を抜いた。さりげなく左手を差し出すワタクシ。針が刺さる、痛い、ちゃんと入ってない。また抜かれた。ここで僕の大人の一言。「手の甲で良いですよ」。手の甲は痛い、痛いが背に腹は変えられない…。ここもダメだった。彼女の今までのパターンだとべそをかきながら、別のナースを呼んでくるのだが、今日は引き下がらない。「最初の右手が一番良かったので、もう一度」刺された。半端ではない痛みが走り、注射のチューブに真っ赤な物が。『オレの血が逆流している』、もはや頭は何も考えられず、筒井康隆の「俺の血は他人の血」の主人公の言葉を思い出した。え、え、え、えすくれめんとー。

 ようやく相性の良いナースが来てくれて、見事一発で注射をしてくれた。そしてその足で髪を切りに行き、子供を連れて買い物に行き疲れ果てて帰ったら、加川良と下地勇だったのだ。あれ、2つ。

 はい、3つ目は「純情きらり」が本日最終回だったのですが、HDDに取っていたので夜ゆっくり見られて見事完結。これですっきりしました。もう二度とNHKの連ドラにたぶらかされることはないと、全世界に対して公然と宣言する!!(井川遥の潤んだ目は可愛かったが…)

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饒舌が終わる時君は遠くなる('75th Eve theme)

 昨日の記事をアップした途端、畏友sugaramountain氏(誉めたから加川良のCD送れよ)から、「話が纏まっておらず、詰め込みすぎ」との批判を頂いた。ごもっとも、”意余って力足らず”の典型である。”意余って力足らず”というのは在原業平と筒井康隆の共通項であり、ようやく僕もその地平まで達したと喜ぶわけには行かない。そこで今日は植草甚一風にお洒落に、軽くまとめた記事をと思っていた。丁度同じ日にもりさんのブログを読んでそのまとめ方の上手さに感動し、僕もこういう話を書けるようにならないといけないと深く反省もした。しかしついつい饒舌になってしまうのは、もって生まれた悲しい性。何とか余計な話をせずに表現できる方法はないかと探していたら、動画のクリップだけで作っているブログを見つけた。

 ツェッペリンの動画に日付を付けてアップしているだけなのに、その人のその日の出来事やものの感じ方を雄弁に物語っている。どんな具合かというと1日目が「コミュニケーションブレイクダウン」で次の日が「デイズドアンドコンフューズド」その次は…と続いていく。立派なメッセージだ。早速パクろうとスケベ心が動いた。しかし、肝心の動画が消されてしまってはどうしようもない。何のことかといえば、昨日の記事の最後に書いた拓郎の「ペニーレーンでバーボンを(大人の事情ver.)」のことだ。

 昨日、正確には27日の午前零時過ぎにそのビデオを見た。つま恋で拓郎が2曲目に「ペニーレーン~」をやったことは前に書いたが、その時の映像だ。アップした人のコメントに「聾桟敷→蚊帳の外 これは紅白狙えますね」とあった。このコメントが単に笑いを取るためのものか、意図的なものか僕には判断がつかない。したがって、ここにその動画をアップし、あとは見た人の判断に任そうと考えていた。しかし肝心の動画が無ければどうにもならない。この記事を書いたのは27日の夕方でその時にはつま恋関係の動画は全て消されていた。拓郎だけでなく、かぐや姫も、拓郎とサプライズゲストの中島みゆきも全てだ。

 もちろんBS-hiからの違法コピーであるから削除は当然のことだが、ちょっと気になった。というのは「ペニーレーン~」がいわゆる差別語のために製造中止になって久しいのだが、この曲を(広い意味では「今はまだ人生を語らず」というアルバムを)復活させるために歌詞の中の「つんぼさじき」を「蚊帳の外」と言い換えたと思うのだが(これこそ大人の事情というか配慮)、それすらダメヨと言ってる人たちがいるのではないかという不安だ。気にし過ぎかもしれないが、アップされた翌日には” This video has been removed by the user.”である。

 あまりに手回しが良いというか、遊ばせないところに「向こう側の人」の本気を感じるのだ。

 この手のトラブルには慣れっこのパンタがあるインタビューで「以前は(政治的な表現や)性的なものが厳しかったが、最近は『差別』だけが注意されてる」と言っていた。この曲の差別語うんぬんについては以前書いたので繰り返さないが、さあ、果たしてBS2での放送や、DVDではこの曲は流されるのだろうか。もしまた「削除」されるのであれば、違法は違法であるがゲリラ的にYOU TUBEに投稿した人の、その敢闘精神と運良くそれを見れたことを感謝したい。

限りないものそれは映像~

 イヤハヤ南友は、永井豪のマンガだが、本当にいやはやなんともなのが、ここ連日話題にしているYOU TUBEである。今日こそは懐かしいCMを題材に、人の記憶のあいまいさとダビンチコードもビックリのCMに隠されたメッセージの話を書くつもりだった。そしてふうと一息ついてこれからの人生をポジティブに生きていくようなネタを考えるつもりだったのだ。しかし、しかし、ああそれなのにそれなのに(どこかで聞いたようなフレーズだが)BADFINGERの動画を見つけてしまった僕を誰が責められようか。バッドフィンガーですよ、あなた。ビートルズの弟バンド(いったい世界にいくつ弟バンドがあったのか、中にはいいとこいとこだろって上手いね洒落が、いや、その赤の他人バンドだろってのも多かったけど)と言われながら、あの名曲「ウィズアウトユーニルソンバージョンより今の人はホール&オーツマライア・キャリーのほうで知ってるのかな)」や「NoMatterWhat」をはじめ数々のヒットナンバーを出しながらも、アップルレーベルを追われ、メンバーのうち2人が自殺してしまったという悲劇のバンドですよ。 

 ということで例によって、BADFINGERの動画リストを見て涙を流していたら、「Day After Day」の文字を発見。これまた思い入れの深い曲なんです。年がバレバレになるが(もう、十分バレバレではあるが、もしかしたら本当は若いのにジジィの振りをしてるのではないかと勘繰ってくれる人が…居ないわな)、中3のときシングルを買って愛聴していた曲なのだ。そもそもこの曲との馴れ初めは、当時、えーと、だから71年位か、日曜の夕方6時30分位にやっていた歌謡曲番組が引き金になっている。番組の名前も忘れてしまったのだが、確か和田アキ子が司会をしてたと思う。その中で5分間くらい洋楽の情報を提供するコーナーがあり、当時まだ若かった(当然だ)今野雄二が、受け持っていた。この人については、まあ、いろいろ意見もあるのだが、今日の所は置いといて、その今野雄二があるとき「今イギリスで大人気のビートルズの弟分…」みたいなことを行って「DayAfterDay」のPVを流した。

 バンドのカッコよさと曲の良さで一発で気に入り、「ばっどふぃんがー、悪い指とはどういう意味だろう、泥棒のことだろうか」と疑問を持ちながらも、その月の乏しい小遣いの使い道を決めたのだ。そうそう、キャットスティーブンスもこの番組で知ったのだ。考えてみると大変お世話になった番組だが、コンちゃんの評価は別ね。当然そのシングルは繰り返して聞いたが、何故かアルバムは買っていない。確か買おうと思ったが、そのアルバムに「DayAfterDay」が入ってなかったのでやめたような気がする。曖昧な記憶になるよな、もう35年も前のことだ。おっと、気を取り直して。

 YOU TUBEの楽しみ方にビデオを投稿する人の傾向を調べたり、お気に入りに入れて新作チェックをするというのもあるのだが、もっと面白いのはそのビデオを見た人たちのコメントを読んだり、自分で投稿することだ。僕はこう見えても、名門D大学の英文科出身であるから(注意深い人は、あれ、こういうときは普通は卒業と書いてあるがなどと、細かいことに気を使わないで欲しい。日本には武士の情けとか惻隠の情という美徳があるではないか)、英文のコメントも心のこもった物は自分で翻訳するようにしている。例えばLumel2006さんのこんなコメント。"Good Times those 70´s. Thanks BADFINGER. "『70年代は良かった、ありがとうバッドフィンガー』。心を打たれるではないか。短い文章の中に時代に対する思いとバンドに対する熱い愛情が感じられる。

 それに引き換えfatelvistcbさんのコメントは"Like so many of you I am a big Badfinger fan. A highlight of day was hearing one of their songs on "The Big 89" or "Super CFL" radio stations back in the early 70s in all of its monaural glory. I remember my geeky joy to capture a cassette recording of a Badfinger song off he radio. My wife and I had our ruffled shirt/velvet suit bad wedding band learn this song for our first dance. Thanks for sharing this clip and sparking so many memories."とやたら永井豪じゃなかった、長い。こういう文章を翻訳しても良いのだが(だったら、やってみろなどと無粋なことは言わない。なんでもやれば良いというものではない。日本には謙譲の美徳という優れた道徳があるではないか、と急に人格者を気取る)、先日黒木燐さん(ストラングラーズの公式サイト管理人でありながら、博覧強記のブログ”Heaven or Hell?"を展開中。僕の最も敬愛するブログライターの一人で常に社会正義を追求している。しかし怒りにまかせて書いた文章が一番面白い)にオモシロGoogle翻訳を教わったので、早速使ってみた。

 『あなたがたのそう多くのような私はBadfinger大きいファンである。 日のハイライトは「大きい89」またはモノラル栄光すべての早い70sで背部「極度のCFL」の無線局の歌のヒアリング1だった。 私は彼が無線で送ることをBadfingerの歌ことをのカセット録音を捕獲する私のgeeky喜び覚えている。 私の妻および私は私達の波立たせられたワイシャツまたはビロードのスーツの悪い結婚指輪を私達の最初ダンスのためのこの歌を学んでもらった。 このクリップを共有し、そう多くの記憶をスパークさせるためのありがとう。』

 いえいえどういたしまして、と思わず答えたくなるくらい、機械翻訳は笑える。Badfinger大きいファンてなんだよ。fatelvistcbさんの美しき青春の思い出の1ページを一瞬にしてギャグの世界にするこの力技。大いに見習わねばなるまい。ちなみに fatelvistcbさんは44歳、アメリカはNeverland Ranch にお住まいらしい。実はこの自動翻訳を使ってやってみたいが、僕の乏しい理性がやったらあかん、取ったらあかん(これは上田正樹と有山淳司か)といって止めている事に、「熱烈なファンのコメントに自動翻訳機を使って返信を書き、国際相互理解を滅茶苦茶にする」と言う物がある。

 たとえば…いややめておこう。ここで書いたことを誰かが実行してトラブルを起こした時に、共同正犯にされるとマズイ。でも『共謀罪』が成立したらもっとやばくなるんだと最後はハーフシリアスにまとめるのであった。さあ、これでじっくりYOU TUBEを見れるな。実はジム・クロウチのライブ映像なんか無いよなと思って検索したら、案の定無かった。でも良く見たらスペルを間違っていた(どこが英文科出身じゃ!)。正しいスペルで検索したら、あった、あった。おお、"Operater"が、えー"I've got a name"のモノホンライブ!!と、ここで確認のためYOU TUBEを開いたら吉田拓郎で「ペニーレインでバーボンを…大人の事情」と言うのを見つけてしまった。 

 無間地獄、この言葉が頭の中をぐるぐる回っている。いつになったらCMの話が書けるのだろうか…

話が纏まらない、これも風邪のせいなら~

 ここのところフォークがらみの話が続いているが、23日に拓郎とかぐや姫の31年ぶりのつま恋コンサートがあった。Tasaki。さんの日記にその時中島みゆきと拓郎が一緒にやってる映像がアップしてあったので、ナニゲニ眺めてるうちに当日のセットリストはないかと思い、調べた所ありました。なんと2曲目に「ペニーレインでバーボンを」をやったとの事だが、アルバム生産中止に抗議してのことなのか、単なるノスタルジー、ファンサービスなのか良く解らない。というのも、十年以上前にオフコースをバックバンドにして多分NHKだったと思うが、「男達の詩」のレコーディング風景を放映したことがあった。

 その中で過去の歌を何曲かやったが「イメージの詩」は途中で演奏をやめ『この詩には、もうリアリティを感じない』と言うような発言をした。その後しばらくは同様のことを言ってこの曲は封印していたはずだが、今回のつま恋ではしっかりやっている。まあ、それはそれで良いんだけど、あの場に結集した35,000人の団塊オジサン・オバサン達(『単純なくせに数だけ多い、ゴキブリみたいに数だけ多い、うじゃうじゃうじゃうじゃ』と歌ったのはスターリンの遠藤君です。僕は敵対する気はあんまりありません)がCD会社に抗議の声を上げればすぐ再発になるんじゃないだろうか。RCの「スローバラード」が入っていたアルバムも、長く廃盤状態だったがファンの後押しで再発になった(えらい古い話でスンマセン、今の人には信じられないかもしれないが、あのRCもレコード出せない時期があった。と言ってももうRCそのものを知らない世代が増えてきてるからな、sigh)しかし、ネット社会の便利さというか恐ろしさというか、この手の情報が(映像を含めて)すぐ手に入る、ということは情報操作なんか簡単なことだ。と、ここまで前振りしながら、実は今日のテーマ(そんないいもんか?)は、前回予告したYOU TUBEで見つけた戦慄の過去だ。

 などとおどろおどろしげに書いたが、たまたま懐かしのCMやTV番組のOPなどを見ていたら、自分の記憶と映像に違いが出て来たことに驚いた。当然記憶は灰色の小さな脳細胞(ムッシュ・ポワロだ)が勝手にアレンジ、というか自分に都合良くアレンジしている事がほとんどなので、映像を見て確認している次第なのだが、もし、ここに何らかの『意図』を持ったものがいて、映像に手を加え歴史を捏造しようとしている、ある特定の人達だけに都合の良い歴史に摩り替えている可能性が無いとは言えない。こういうのを『陰謀史観』といい、被害妄想気味に聞こえるかもしれないが、こんなこといってる人もいた程度に知っておく事も大事ではないかと思うが、良くわからん。まあ、しかし、昔のCMやTV番組を改竄してもしょうがないと言えばしょうがないが。

 と、ここまで書いて、このブログに貼り付けるビデオを取りにYOU TUBEに行ったら、オイヲイ困った、困った。小坂忠はあるわ、鈴木慶一はあるわ、鈴木茂のライブはあるわ、涙・涙のアーリータイムスストリングスバンドの「プカプカ」はあるわ…。またもや見入ってしまったのだ。そして、なんとついこの前竹内まりやのPVに旦那のタツローと一緒に出ていたセンチメンタル・シティ・ロマンスの「うちわもめ」もあり、もはや感涙に咽び、そのドサクサに細野晴臣の「HydeParkLive」も見てしまったのだ。そして、我が心の歌姫、吉田美奈子の「ろっかばいまいべいびぃ」を見つけてしまい、本日のテーマ急遽次回に延期。

 じっくり見て味わってください。彼女の独特のリズム感と表現力を。何あの服装、昔流行した「パンシロン」じゃなくて「パンタロン」?何て所は気にせず、また彼女が頭脳警察セカンドの「いとこの結婚式」でオルガンを弾いていた事も気にせず、最近は「妖怪人間べム」のテーマ曲を歌ってることは頭の片隅に残して、どうぞ。 

 

昼をUDONにするか、ラーメンにするかで家族喧嘩したけど、それは内緒。

 今日はお彼岸の中日ということで、家族そろって都城の配偶者のご先祖様のお墓参りに行って来た。『なんや、ヨメハン優先かい』という品の悪い声が聞こえてきそうだが、家庭の平穏を守るため僕の方は先日父の17回忌があったので、本日は配偶者優先というわけだ。お墓は都城市というところで、宮崎からは車で1時間ちょい。山を越えていくので、途中小さい秋でも見つけて写真をアップし、ここのところ下品なムードが漂ってるこのブログのイメージを良くしようとの心づもりだった。

 しかし、悲しいかな、宮崎は南国ということを忘れていた。木々は緑で(ここちょっと吉行淳之介の小説のタイトル風)、台風の爪あとはあちこちあるが、秋を感じる所は霊園に咲き誇っている彼岸花だけ。写真を取るのも気が引けたので、まあしゃーないかと思い、帰る途中道の駅で休憩していた時だ。トイレに行こうと車から降りると聞こえてきたのが「ミスターサマータイム」。特に何も考えず、便座に腰掛けて『猪木ピンチ』を試行していると(関西ローカルの隠語。猪木ピンチ=馬場が出る。即ちBABA…また下品になるから止めます。しかし懐かしのBI砲も遥か遠くになりにけり、ですな。ご同輩、とここは小沢昭一風に)、かすかに聞こえるピアノのマイナーな調べ。あれ、あれれ、んなまさか。"I've been so many places in my life and time~"。おいおい、レオン・ラッセルの「ア・ソング・フォー・ユー」だぜ。しかしこんな所で、レオン・ラッセルを聴くなんて。

 実は今から○年前、レオン・ラッセル宮崎に来ました。ベースとパーカッションというトリオでの演奏が初っ端。途中ソロでやるのですが、その時の1曲目がこの「ア・ソング・フォー・ユー」。いやもう、イントロのピアノ聴いただけで涙そうそうでした。髪の毛も顎鬚も真っ白で足元も少し危うかったけど、キーボードのタッチとボーカルは全然変わってませんでした。惜しむらくは「グルーピー」(カーペンターズが「スーパースター」というタイトルでヒットさせた曲です)をやってくれなかった事。脱線ついでにその時の記念のTシャツ未だに着たりするので、もうしわくちゃ。ジジィになったレオンがラストにやった「ジャンピンジャック」のカッコ良かった事。ロックは年じゃねーな。

 ととと、別にレオン・ラッセルの話からカーペンターズに飛んでポール・ウィリアムスランディ・ニューマンさらにもう一度ライ・クーダーなんて話ではないのだ。いきなりレオン翁の名曲が流れたので、動揺したがその後は「卒業写真」、「学園天国」。とにかくひっきりなしに有線(テープでは無かったと思う)から音楽が流れてくる。はっきり言って、うるさいのだ。鬱陶しいのだ。ここのところ観光地に余り行ってないので油断していたが、こういうところの有線は(テープやCDでも同じ)過剰サービスというか、無用の長物である。音(楽)が流れていないと寂しいという理由ではなく、音(楽)が流れているほうが活気がある・勢いがあるという共同幻想に陥ってるのであろう。それでは音(楽)がなければ、静まり返るか。そんなことはない。人の話し声、足音、車の音、風の声、虫の音、いろんな環境の音が聞こえてくる。目に入る景色とそこから発生する音(海の側なら波の音・汽笛の音・かもめの声、山なら~いろいろあるでしょ)それらが重なり合って、一つの記憶を作っていくのではないか。そんなところまで、どんな作為があるか知らないが、安っぽいスピーカーのひび割れた音で音楽を流すのはキチ××沙汰だ。

 今ここに書いたことは何も僕のオリジナルではなく、我がサークルの先輩に当たる山本明氏が昔何かの本に書いてあったと思い、僕も持ってるはずだが20年以上も前の本なので行方不明であるって別に威張らなくても良いが、ネットで調べた。ビックリしたと言うかうかつであったと言うか、99年にご本人はお亡くなりになっており、著作の多くも入手困難になっていた。学生時代は生意気にも「ヤマモトメイ」などと呼んで、批判もしたが(ご本人の前ではない。念の為)その後何冊か本を読み、ナルホドと今度は手の平を返し評価もした。そういえば最近名前を聞かないなと思っていたが…。

 とここまでは23日土曜日の夜にアップするつもりだったが、例によってYOU TUBEを冷やかしてるうちに、あっと気がつけば深夜3時。いけねぇいけねぇ今度は自分の実家の墓参りに行く筈だったと気がつき保存してそのまま寝てしまった。それで話が彼岸の中日と少しずれたイントロになっているが、勘弁してください。YOU TUBEネタは次回。

作品はウンコ・小便だ!

 今、ナニゲニYOU TUBEを見ていたら、高田渡のビデオがここ1両日中に一気にアップされていた。esse7119さんという自称61歳の方がまとめて10本以上、高石ともやや、なぎら健壱などのゆかりのビデオもある。YOU TUBEは著作権の問題で大変かもしれないが、こういう情報の共有はありがたい。クレームがついて削除になる前に一番印象的なビデオをここに残しておく。筑紫哲也が進行役で出ているのでニュース23の特別プログラムかもしれない。ガガガSP批判らしき物もあるが、流石はお洒落な人だけにソフィスティケイテッドされた表現に包んである。理屈は良いか、とにかく見て下さい。そうそう、最後に一言高田渡の15アンペアのアパートの家賃が5万8千円。うちより高いやないか、意外に高田渡金持ちだったんだ。『あんたの家が、ビンボーなだけだ』との声が聞こえるが、気のせいか…。あと、もう一つ。作品はウンコ・小便、このどこが不適切な表現なんだ!!真実そのものだ。



 

サスケの話(オチはラストにあります)

解体予定のいせや

 昨日ブログに記事を書き終えて、さあ寝ようと床についたとたんに書き忘れていたことを思い出した。「いせや」が今月の25日で解体のため、しばらく営業を中止するらしい。解体の話は以前から出ていたが、今度は間違いないようだ。詳しくは毎日新聞のここを読んで欲しいのだが、あの木造の重厚な建築物が取り壊されるのは何とも惜しい。僕は今年の6月にたった1回お店に入っただけだが、それでもあの何とも言われぬ空間を味わえたことは、大いに自慢に思っている。『勿体無い』とはこういうときに使う言葉である。

 「いせや」とくれば、高田渡が付き物だが、先日久し振りにDVDの『タカダワタル的』を見ていたら、「いせや」のシーンで「シューマイ、ハナー」のお兄ちゃんが出ていて嬉しかった。ほんの昨年の話だから、そのお店の人が出ていて何の不思議も無いのだが、そこはそれ、良くTVカメラの前でカニみたいにVサインするアホがいるが、何のことは無い、それと同じ心境である。ところでこのDVDは昨年オンセールになってすぐ購入したので、特典ディスクが付いている。スズナリ・ライブの完全版と映画にならなかった、いわゆる未発表映像である。このもう一枚のディスクを初めて見たのだが、意外な発見というか、今更な驚きの発見が2点あった。

 この『タカダワタル的』を買った頃は心身ともに弱っており、精神的にはどん底に近い物があった。「何だか良い人はどんどん死んでいくな、生き残ってるのにロクな奴はいないな。あー空しい」と毎日考えていたのだから、鬱になるのも当然だ。その話は置いといて、映画になった方のディスクを見たら、それだけで胸が一杯になって、もう一枚のディスクは見る気にならなかった。本当に面白い本なんかを読んでるときに経験したことがありません?早く終わりを知りたい、でも終わるのが勿体無い、この時間が永遠に続かないだろうか…という白昼夢みたいな心理です(ちょっと違う気がしないでもないが)。まあ、そんなことを考える奴に生産的な人間は先ずいないし、『お国』のためにならん人間だから総殲滅せよ、と今のアッカンベー新総理あたりは言いそうだが、おっとっとまた話が逸れた。

 そのもう一枚のディスクを見ていたら、スズナリライブのアンコールで「くつが一足あったなら」と言う曲をやっていた。♪あいりーんぐっない、あいりーんぐっない、ぐっなーいあいりーん~、あれ、これはライ・クーダーが『チキン・スキン・ミュージック(我が偉大なるシモネタ好きのsugarmountain君のブログ名ではない)』でやってた曲だ。慌てて解説を読むとタラス・シェフチェンコという農奴出身の詩人の詩で曲はレッドベリーになっている。そういえばまだ聴いてはいないのだが、高田渡が息子の漣と共演したアルバムでもマリア・エレナをやってるようなので(息子の漣のソロだが)、ライ・クーダーが好きだったんだろうか。そうやって考えてみると高田渡とライ・クーダーというのはどちらも温故知新の人であると乱暴に言い切ってしまえるような気がしてきた。話は飛ぶが”タラス・シェフチェンコ くつが一足あったなら”で検索してたら、『またれい。』と言う所にヒットした。面白かったので読んで見て下さい。

 この高田渡とライ・クーダーのシンクロが第一の驚きだった。第二の驚きは、このディスクの最後の高田渡インタビュー映像である。田川律や中川五郎などとこの映画に関することや、これからのライブ(丁度亡くなる1ヶ月前のインタビューだ)の予定なんかを話していた。この最後の最後のほうで高田渡が寝てしまうのだが、夢うつつの中で「まだ死なないよ」と呟いている。そのあと「ちょっとゴメンナサイ、横になります」と言った所で映像が終わっている。最初見たときは聞き間違えたかと思った。この1ヶ月後には本当に彼岸の国に行ってしまったのだ。

 このブログを書くために間違いがあるといけないので、そのインタビューの所をもう一度見直したが、間違いなく「まだ死なない」と言ってる。そういう風に編集したのかもしれないが、ちょっと、来たね。いかんいかん、また辛気臭い発想になりそうだ。人はいつか死ぬもの。死は単なる無であり、余計な装飾は必要ない。白土三平も「光あるところに影あり」と言ってるではないか。気を取り直して、次は景気良くロックで行こう。「はろー、とーきょーじゃんきーず」のフリクションでいくか、「客電落として頂戴」のリザードでいくか。それとも「1,2,3,4」のSSか、心して待て!(って誰も待ってねーよ、オッサン) 

鬼哭啾々な話

「ばんそうこう」を何と呼ぶか?分布図

 
 今日Yahoo!のトピックスを見ていたら面白そうな記事があった。「出身地でわかるばんそうこう」という毎日新聞の記事だ。以前から疑問に思っていた「リバテープ」がいつの間にか「バンドエイド」になり、時には「カットバン」という謄写版(今時の人は知らないよね。トウシャバンと読んで下さい。ま、手描きコピーみたいなもんですって違うだろ!)みたいな名前で呼ばれたりするのは何故か。恐らく「コピー」のことを「ゼロックスする」とか「ティッシュ」のことを「クリネックス」とか「スコッティー」と呼んだりするパターンだろうと思ってはいたが、東京女子大の篠崎晃一教授が約10年前に調べたデータを基に興味深い記事が書かれていた。

 うーん、『神頼み篠沢教授に千点』とは、大違いだ(これまた古い事を、『ウッシッシ』の大橋巨泉が『クイズダービー』をやってた頃の話だ。)。詳細はここを読んでもらうとして、その前に「ばんそうこう」が正しいの?オレずっと「ばんそうこ」と思ってたけど…。そこで調べてみた所(調べなくても当然のことながら)「ばんそうこう」は「絆創膏」であり、「膏」は「病膏肓に入る」の「コウ」だから、当然「ばんそうこう」なのである。脱線ついでに「病膏肓に入る」を初め「ヤマイコウコウニハイル」と読んでいたため、検索に出て来ず「ヤマイコウモウニハイル」だったかと思って調べたら、「コウモウ」は間違いの上に「イル」を「ハイル」と呼んでいたので、余計訳が分からなくなった。

 なんだかやたらカギカッコが多くて読みにくいが、早い話が自分の無知を暴露しただけだ(ボーロと読むなよ、暴露はバクロだぞ)。この手の自分だけ標準語と思っていた間違いは結構あるな。あるいは所変われば意味も変わると言うパターン。関西と言うか京都に初めて住んだ時に、相手のことを「自分」と言うのに面食らった。例えば「君、どこ行くの」が「自分どこ行くん」になる。九州男児としては「自分」はあくまで「自分」であるから、この文章は「私はどこへ行くのでしょう?」という少し危ない人の言葉になる。また、この記事にも出ているが、アイスコーヒーのことをレイコー(冷コーと喫茶店に書いてあったのを確かに見た)と呼んだり、コールコーヒーと呼んだりしたのも、やや目が点になる思いだった。

 レイコーが『冷コー』なのでコールコーヒーは間違いなく『凍るコーヒー(凍るほど冷たいコーヒー)』と思い込んでいたらCOLD COFFEEの略でコールコーヒーと知った時はぶっ飛んだ。同じく季節メニューの冷やし中華もあちこちで呼び名が違う。僕はこれが大好物で、山下洋輔が「空飛ぶ冷やし中華」を出したらすぐ購入し、早速サークル内で全冷中過激派を名乗った。この手の話は好きな連中も多くて、「冷やし中華は本来どうあるべきか(冷やし中華のレーゾンデートルについて、山下主席の指導の下、論文を書こう)」とか「具にハムを載せるのは走資派だ。真に人民と連帯するにはチャーシューしかない」とか「紅ショーガの赤は被抑圧人民の血の色だ」などと馬鹿なことばかり言っていたので、その時の主要メンバーは全員留年した。話が逸れたが、この冷やし中華も九州では冷やしラーメンと呼ぶところが多かったと思う。ところが関西では圧倒的にレーメンなのである。冷メンと書いてあるところが多かった。冷麺と書くと京城冷麺や涼拌麺(りゃんぱんめん)のイメージだが冷メンと書いてあると、ガラスの丼にでかい氷のブロックが浮いて酸味の利いたスープの中に佇む中華麺のイメージである。ついでだがレーメンはO将(貧乏学生時代大変お世話になった大衆中華の店だが、あえて批判させてもらう。錦糸玉子が味が無くてゴムのようだった)や生協はだめ。出町の、今は多分無いだろうが、「京風ラーメン」と書いた看板の横の細い看板を上がっていくお店、くそっ店の名前が出て来ない、が最高だった。

 ちなみにかのF田敏雄君は春の合宿に行く前に、僕と一緒にその店でレーメンを食べ腹を壊した。その時の彼の名言は『春先のレーメンは当たる』。

 えー、馬鹿話ばかりになってきたので最後に音楽ネタを。ビートルズのパロディバンドというと世代によってラトルズとかバッドボーイズとか出て来るが、広くお茶の間にも親しまれたのが、ビートルズをひっくり返して『ずうとるび』とやった連中だ。ご存知、笑点の座布団係山田君がリーダーで「みかん色の恋」なんてスマッシュヒットもあったし、エレックから出したアルバムが今一気に再発になっている。そのずうとるびではなく、カタカナのズートルビーを連想した貴方。あなたはいくら誤魔化そうとしても確実に深夜放送ファンである。懐かしいな、水虫の唄…。

夏の思い出 過ぎ去った過去の日々

恐怖の頭脳改革 歯痛ではない

 先日の加川良のライブはまだまだあちこちに余韻を残しているようで、Tasaki。さんは今日もその話を書いている。僕とは全く違った意味で、加川良に対する深い愛情が伺えるので良かったら、こちらを覗いて欲しい。また御大のHPには早速宮崎ライブのセットリストがBBSに書き込まれてあり、僕も曲名を間違えていたのがあったので参考にさせてもらった。

 ということで今日は1年ぶりに歯医者に行った(話が繋がってないよ、オッサン。ええやん、黙ってたらわからんって、解るわ!!)。実は4,5日前から上の右奥の親知らずに違和感があり、指で触ってるうちに穴が開いたと言うか、歯が欠けてしまった。もちろんムシバである。昔からハ・メ・××と言うように…止めよう。下ネタ話はsugarmountain氏が喜ぶだけだ。えー、要するに子供の頃から歯が弱かったというか、虫歯が多かったのだ。夏休みとかは大抵歯医者に通って、折角の解放された気分も十分味わうことも無く、憂鬱な歯医者通いに費やしていたのだから、多少は人格形成上にその反動が出てもおかしくは無いだろう(こらこら、自己の破産した人格を虫歯のせいにしたらアカンデェー)。

 歯医者通いといえば、今でもはっきり覚えているのは中1の夏休みに歯医者の待合室で持参したジョン・バカンの『39階段』を読んでいたら先輩に声をかけられた。ここで笑い話を一発、ジョン・バカンの39階段が出て来ず、『ジョン・ル・カレの13階段』と検索してどうもおかしいとようやく気が付いた僕って何(これはもういいか)。言い訳させてもらえれば、ジョン・バカンもジョン・ル・カレもスパイ小説作家で年代的にも近い。しかしル・カレのほうは『寒い国から来たスパイ』が有名だ。ちなみにここのところ良くこのブログに登場するF田敏雄君(某大学文学部社会福祉学科に7年通って中退、中退理由は体育の単位が最後まで取れなかったから、つまり1回も取れなかったのだ)は『寒い国から来たスパイ』のことを『寒いから来たスパイ』と言い間違えて、『ほな、暑かったらどないするねん!!』と突っ込まれていた微笑ましいエピソードを私は一生忘れないだろう(って、オッサンあんたもあんまり変わらんで!)

 なんでまたそんなものを読んでいたかというと、小学校の図書館でシャーロック・ホームズと出会ってからというもの探偵小説が大好きになり、中学校で初めて創元推理文庫なる出版社を知り、読みたい本はいっぱいあったが自分の小遣いで買えたのが『39階段』だったのだろう。それとその歯医者は『サザエさん』と『意地悪ばあさん』しか置いてなく、しかもぼろぼろで読むに耐えなかったのでマイブックを持参したのだろう。今の若い人は待合室に長谷川町子の漫画(この場合は漢字の漫画だな)しか置いていないということに驚きを禁じえないであろうが、70年前後のガキ相手の病院(この他は耳鼻科や小児科、それと眼科だろう。思い出した!延岡のH眼科、今は結構でかくなってコンタクトなんか扱ってるおまえんとこだよ!仮性近視にメガネかけさせたら余計眼が悪くなるだろ!おかげで小4からメガネで、つけられたあだ名がメガネ猿と四つの目だ!チクショー、このメガネのせいでオレの性格悪くなったもんね。社会人になって、イメージ変えようと思ってすぐコンタクトにしたら鹿児島勤務になり、櫻島の灰が降るから痛くて着けてられないじゃないか、責任者出て来い!!)

 えー、話が全然進まないが、その先輩が「おっ、お前何読んでるんだ」と声をかけて来た。「あ、はい39階段っていう…」と答えると、聞き取れなかったのか先輩は「おー、夏にぴったりだな。やっぱこの季節は怪談だな、おまえ治療の間、その本貸せ!」。無理矢理文庫は取り上げられ、それでも『カイダン違い』であることを説明しようとしたが、愛想もクソも無いナースに呼ばれてしまった。

 初期のEL&P(まことに残念なことにELTとは別人28号である)でおなじみのモノフォニックシンセサイザーのような音がようやく終わり、金属のコップで口を漱ぎ、やや涙目になりながら待合室に戻った。先輩は一心不乱に本を読んでいた。僕の気配に気が付くと「おまや、なめちょんね(=てめぇ、舐めてるな)。これのどこが怪談か」。「え、いや、その…」、歯はイタイは訳の解らない因縁をつけられるは踏んだり蹴ったりである。それから先輩の治療が始まるまでの間、僕は歯のうずきと戦いながら、いかに先輩の誤解を解くか必死にアピールした。(心の底では、勝手に早とちりしたのはそっちだろうがと思いつつ、中学の先輩といえば毛が生えてるかどうかで大きな違いって、しまった。ついにやった、シモネータだ)

 お互いにとって大変喜ばしいお知らせ。この話は続きません。

ストームブリンガー加川良 初ライブイン宮崎

 いや予想通りというか、予想以上に楽しく感動的なライブでした。昨日は鹿児島で大熱演してるはずだから、コンデションはどうかなと心配していたのですが、いらんお世話でした。ということで加川良初ライブIN宮崎のレポートです。

 昼間は父の17回忌があり、まだ若いお坊さんから『最近心から“ありがとう”と言ったことがありますか?』と人間関係の本質を鋭くえぐる質問を受け、『うーん、“ありがとう”といえば水前寺清子!』と苦し紛れの連想ゲームなどをしていたので、ライブ会場に向かったのは、開場時間の5分ほど前。一緒に行く友人夫婦にメールすると既に会場前で人の列が出来てるとの事。流石は良さん、宮崎初だけに熱狂的マニアが殺到してると思い、大急ぎで会場へ。途中、加川良の何たるかを一切理解していない配偶者(昨日のブログ参照のこと)が、白髪頭のカップルやリュックを背負った電車男風の人を見かけると「あの人も加川良に行くのと違う?」と人の不安を煽るようなことばかり言うので、無視してひたすら歩いた。

 会場は有名な割烹の店の横の路地からすぐの所にあった。1階に本日のライブの案内があり、間違いなく加川良の名前がある。2階に上がり、チケットを渡して中に入ると思ったより広くて良い感じ。元はディスコだったとの事で、どおりで天井にミラーボールがあったり、BOX席があったりとその名残がある。ステージの最前席には既に10人くらいの客がいて、その後ろに友人夫婦がいた。実はこの会場で加川良仲間のTasaki。さんを探すつもりだった。

 彼はYahoo!Daysに加川良のコミュニティを開いており、僕はそこの記念すべき2番目の会員なのだ(総員2名というのは小さな問題だ、この際無視すべきだろう)。お互い書き込みでしか相手のことを知らないので、その印象を>私は白髪頭でひょろょとした男です。たぶんGパンGジャンで行くと思います(by Tasaki。さん)。>私は外見は頭脳警察のパンタにクリソツと言われたことは、残念ながら、全くありません。ちょっとパンクで態度のでかい「さだまさし」がいたら、それは、おそらく、私(by drac ob)。という風に実に謙虚な自己紹介をお互いし合っていた。

 席に着きそれとなくあたりを見回すと、ステージ最前の椅子に座った人がそれっぽい。声をかけるとビンゴ。立って握手して話をしたが、背の高い人でちょっとビックリ。延岡の牧師さんだが、若い頃はマル××というところで、ブイブイ言わせていたらしい。「赤ヘルというとブント・・・」とすぐ反応した僕のことを「お宅も昔は…」と人聞きの悪いことを言い始めたので慌てて「いやー今日楽しみですね、それじゃまた後で」とスルーする。

 最初はステージから真正面で前から2番目くらいのテーブルにいたのだが、丸椅子で落ち着かないので右手のBOX席に移動。スピーカーの前だったので心配だったが、ミキサーが上手な人でライブの間全く気にならなかった。7時少し前に今回のライブの主催者である渡辺さんがMC。なんと愛知や大阪、埼玉あたりからも駆けつけたファンがいるらしい。イベント慣れしていない初々しいMCで、最後に「良さん!」と呼ぶのだが、まだ準備が出来てない様子。7時を10分ほど回って、ようやく加川良御大登場。

 思ったより小柄な人だなという印象。「縁があって呼んで貰って感謝」的な喋りがあり、1曲目。ぼーっと聞いてしまう。2曲目『高知』が始まり、アア、イマオレハかがわりょうヲキイテイルノダと実感が一気に湧いた。客層が白髪頭のオッサンと二の腕が凛々しい元おねーさん(10年以上前は美人だっただろうな、その頃会いたかったな)方の膀胱状態を心配して2部構成でやると御大。とにかくトークが軽妙でどこからが冗談でどこまでがガチの話か煙にまかれる。虚実皮膜とはこういうことだと納得。

 1部はフォークソングをやるが、実は自分はフォークソングが大嫌いだ、みんなは好きなのかと問いかけ、客が拍手すると「そうか、オレと合わんな」。これでまた一同爆笑。僕は以前読んだインタビューで『ライブでリクエスト聞くと3,4枚目までのアルバムの曲が多くて、やっぱり聞く側は70年代の加川良を期待してると思うと気が重くなる』みたいなことを言ってたので、半分マジかなと聞いていたら…。「去年くらいに解った、オレはフォークソングが嫌いなのではなくて、それを歌う人たちが嫌いなのだと」。いや一筋縄ではいかないお人である。1部は今は亡き高田渡にトリビュートということで『生活の柄』を歌い出すが、途中で歌詞が途切れる。すると最前列の10人くらいのグループ(Tasaki。さん達のグループ)が先導して歌い正しく『フォークソングのコンサート』っぽくなる。
1部で印象的だったのは次の歌。これはコメントを控えて記しておきたい。

悲しいのは病気になった女です。病気になった女より悲しいのは捨てられた女です。捨てられた女よりもっと悲しいのは天涯孤独な女です。天涯孤独な女よりもっと悲しいのは死んだ女です。死んだ女よりもっと悲しいのは…忘れられた女です。 


 休憩中にトイレに行き、そのついでにお店の中を見渡すとDJブースみたいな所があり、そこに『ユーズド2』のCDがある。前から欲しかったのですぐに購入。加川良のCDはデビュー作から4枚目までは入手可能だが、それ以降は廃盤になったり中には未CDの物もあり、オークションなんかではとんでもない金額が付くことが多い。話は逸れるが、廃盤になってるCDに本人のサインが付いてるからと本来の単価の10倍近い金額で売りに出すとか、やたら廃盤・入手困難の文字を煽って不当に高く売ろうとする連中がいる。ミュージシャンが好意でしたサインを商品として流通させる無神経な連中、こういう連中とはともに天を戴かずである。

 ま、こんなことばかり言ってるのでいつも貧乏している。高度に発展した資本主義では(また出ましたな)欲しい人がいるから売る、例え商品が非人道的なものであっても法で規制されてない限り(法の裏をかける限り)売るのは自由であり、それでお金を儲けて何が悪い?お金を儲けるのはワルイコトですか?(by目と耳が大きくて話し方に落ち着きのない、えーと『限りなく透明に近いブルー』を書いた作家と同じ苗字の人って長くて回りくどいし、第一例えが古いな。せめてマンガ『龍』を書いた人と同じ苗字って、こちらも例えが古いか)。という声も聞こえる。はっきり言おう。悪い。その悪さを自覚した上で『俺は手を汚す』という精神なら大いに結構。いつでも手を差し伸ばしたい。昔の言葉で言えば『共に闘わん』というやつである。ところで今思い出した。昔の会社の上司だったT岡さん、『俺は手を汚す』返して下さい。アピールしたから時効は中断したことを公然と宣言するって何興奮してんだよオッサン。

 ちょっと脱線しすぎた。ステージには白のTシャツ姿の御大。2部の開始である。宮崎の初ライブのせいかやたら誉めてくれる。今日の会場もライブハウスというより立派なホールだとか、音響装置が素晴らしいとか、自分の周りの歌い手達(謙遜して?コジキと言ってましたが)も宮崎来たがってる連中多いのでPRしておくとか。大いに笑ったのが来週は井上陽水が来るんじゃないか、再来週は高田渡が来るかもという所だ。僕としてはついでに西岡恭蔵にも声をかけといてくれと言いたかったが。

 ところでこの日は僕たち夫婦と友人夫婦の4人で一緒にライブを見ていたのだが、2部の途中からどうも隣に座ってる配偶者の様子がおかしい。ふと見てみると目をつぶっている。感動してるのか?いや違う退屈してるのだ。知らない曲だらけで、しかもアコギだけのライブなのでつまらないのだろう。だから予習でCD聞いておくように言ったのに『辛気臭い』とか『貧乏臭い』とか言って聞かなかったのである。まあ、多感な10代から20代前半までに聞かないと、なかなか入り込めない世界かもしれないが。しかし、今回のライブの情報を持ってきた功績により見逃すことにした。 
 さて2部は一気に加川良ワールド全開であった。どの曲も素晴らしかったのだが(おっと彼のギターの表現力も素晴らしかったことを書いておこう。ピックを曲ごとに変え、チューニングも丁寧にやる姿は感動的ですらあった)個人的に印象に残ったのは、『ONE』、『コスモス』、『枚方のあきちゃん』そして長いギターのイントロ、ハミング。ん、このメロディはもしかして、そうだ『あした天気になあれ』だ。思わず大きく拍手して叫んでしまった。大好きな曲だが、ずっとトム・ウェイツの『Ol’55』のコピーではないかとの疑念が晴れなかった。生で聞いて確信した。あれは『アウトオブマインド』のアレンジがあまりに似てるのだ。トム・ウェイツではなくエリック・アンダーセンが歌ってるバージョンと。

 今回のライブでビックリしたのはまっさらな新曲を披露してくれたことだ。『教訓1』と名付けられたその曲は、自衛隊のイラク派遣だとか集団的自衛権だとか憲法改正などと何かときな臭い現代政治世相をユーモアのオブラートで包んだ本当の意味での反戦フォークソングではないだろうか(ここの部分加川良御大への愛情を込めたお返し)。

 時間も12時半近くになり(この手のフレーズはもういいか)最後の曲が終わった。物凄い拍手でアンコールをとなりかけると、御大「お互いもう大人なんだから、無駄なことは止めましょう。それでなくてもお互い時間がないんだから」。要するにお仕着せのアンコールの要請と不必要なミュージシャンサイドの演出は止めましょうという事。「さてアンコールにはどんな曲が…」と言ったとたんに会場から「マッチ一本」とか「あの娘と長崎」、「下宿屋」などの野太い声が掛かる。ここでも御大いわく「私語はやめよう、決めるのオレや」。

 ♪マッチ一本~と歌い始めた。『流行歌』である。sawyer先輩を思い出した(直接の面識は無いのだが)。息子さんの結婚式のスピーチにこの歌のフレーズを借用し、先方の親には不評だったが来賓の何人かに素晴らしいスピーチだった、加川良をご存知なんですねと言われ、解る人には解るのだ的なお洒落な話だ。そして本当のラストナンバーが『君におやすみ』。本当に加川良のステージが終わったのだ。

 この日僕は沖縄から来た友人とその後会う予定だったが、連絡が取れずそのまま4人でカラオケボックスに行った。フォークの良さを理解出来ない配偶者に荒木一郎の「ジャニスを聴きながら」、友部正人の「一本道」上田正樹と有山淳司の「あこがれの北新地」吉田拓郎の「人生を語らず」そしてもちろん加川良の「教訓1」を絶叫したことは微笑ましいエピソードとして語り継がれるであろう(誰からや、オッサン。石川セリの「遠い海の記憶」を歌いかけてキーが合わなくて投げ出したやないか!)

ウシャコダ!アフリカ!ザンバ・ザンバ!!

ウシャコダ 幻のファースト ”土一揆”

 『月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。』とは奥の細道の冒頭だが、本当に月日のたつのは早く、加川良の宮崎ライブは、いよいよ明日である。どんなライブになるか解らないが、素晴らしい物になることは間違いない。たまたまこのライブの情報を入手したのが配偶者だったので、明日は配偶者と友達夫婦の4人で行くことになった。どうやって行くかを今、配偶者が友人の配偶者と電話で打ち合わせていたが、急に声が小さくなった。どうしたのかと思っていると『実は、ここだけの話だけど、私は加川良と西岡恭蔵と高田渡と大塚まさじの歌の区別がつかないのよ』この瞬間あたしゃぁ切れました。カッチャンだかガッチャンだか知らねーが、ジャニーズのジャリタレの名前を覚える暇があったら、日本のフォークをロックを切り拓いてきた先人達の業績を学習しろ!みたいなことを言うと、我が家の女3人が団結してどんな悲惨な目に合うか解らないので、心の中で大きく叫んだだけにした。ま、今日のところはこれくらいにしといてやる(byめだか師匠)

 しかしながら、本当は今日鹿児島のライブにも行きたかったのだ。鹿児島はT-BONEの20周年記念ライブが今現在行われているはずである。台風の影響がなければ、ではあるが。初めのうちは、鹿児島遠征を考えていたのだが、明日が父の17回忌なので万一間に合わなかったら拙いので、泣く泣く諦めた。しかし、この鹿児島でのライブ、メンバーが凄い。加川良はもちろん、カモン有山の有山じゅんじ、ブルースの近藤房之助、今更元ルースターズなんていうのは失礼か花田裕之ほか錚々たるメンバーが出るのだが、僕が一番見たかったのは今名前をあげた中にはない。僕が一番見たかったのは、そう、カ、カ、カ、カモナ、ウシャコダである。

 そのバンドの名前を知ったのは、銀閣寺のサーカスでバイトをしていた我らがS戸君(サークル77年度幹事長)からだった。『おい、お前ウシャコダてしっとうや?メチャおもろいバンドやで』(S戸君は播州加西市出身だが、このころ我々の間では「博多っ子純情」がちょっとしたブームで、エセ博多弁が流行していた。ちなみに昨日登場したF田敏雄君とS戸君は一時北白川の伊藤荘と言うところに住んでおり、その体型から伊藤養豚場一派と呼ばれていた。またF田君の当時の名言としては『男とラーメンは九州ぜよ』というCMのコピーがあった。しかしながら”~ぜよ”という言い方は柳ジョージの『酔って候』を聞かなくても土佐弁であることは明白であり、九州出身の僕には耳障りが悪く何度も修正したが、最後まで直らなかった)

 79年位だったと思う。『サラ金ブルースていう曲をやるんやけど、歌詞が泣かせてなー、♪雪だるまさん、雪だるまさん、もう追いかけて来ないで下さいとか、とにかく面白いから今度来たら絶対見に来いよ』と言われたのを覚えている。しかしS戸君はかの『天下一家の会』にハマッテしまい、サラ金に30万借金があったから感情移入出来たのであって、僕は関係…なくはなかった。2回生の時レコードを買いすぎて、どうにも家賃が払えない。それでなくても普段から徹マンはするは、夜中に酒を飲んで大騒ぎするは、完璧に大家さんからにらまれており、バイトの金も入る予定がない。えいっ!背に腹は変えられん。学生ローン(当時はそういってました)に金を借りに行こう。しかし一人では心配だから、そうだ経済学部のS戸に付いて来て貰おう。と考えて、ある冬の日二人でおっかなそうなビルに入った。口頭で金利の説明を受け、契約書を熟読し(これはS戸君の仕事)、記名・押印したら応対したダブルのスーツのオッサン、おもむろに尻ポケットから分厚い札入れを出し、そこからピッ、ピッ、ピッと3枚の万札を抜いて手渡してくれた。

 今思い出しても口惜しいが、その時も余りに情けなくて二人で飲みに行った(サラ金で借金して酒を飲みに行く、完璧に愚者の行為である)。ま、そんな話はどうでも良いのだが、そのとき初めてウシャコダの名前を知り、それから数ヵ月後についにライブを見た。いや、驚いた。笑いと馬鹿テクというのは関西のブルース系、R&B系のバンドのお家芸だが、彼らのライブパフォーマンスは全く引けを取らない。それどころか、もっちゃりした関西弁ではなく、千葉県出身であることを高らかに宣言するそのおおらかさ。一発で気に入りました。78年ヤマハのイースト・ウェスト最優秀グランプリは伊達ではなかった(藤井君はグランプリ取ったバンドは落ちぶれるとインタビューで答えているが)。

 初めて見たステージでは、まずそのコスチュームというか、衣装に驚いた。ベースは八百屋さん辺りが良くしてる前垂れ(『お買い物には恵福商店をヨロシク』とコメントしてたが京都でチバのお店の宣伝されてもな~と思って聞いていた)、他のメンバーもおよそ都会的という言葉から遥かに遠い世界に旅に出て行くような、あえて差別的な言葉を使わせてもらうと、千葉のドン百姓、水呑み百姓スタイルである。はっきり覚えてないが全員裸足だったような(ギターの中村君は間違いなく裸足だった)気がする。喋りはボーカルの藤井君が中心だが、メンバーそれぞれが要所でからむというパターン。大人しかったのはドラムの井野君だけ(彼は同い年だと知り、更に親近感が増した)。とにかくギターを放り投げて交換するは、肩車してその上でギターを引かせるは、騎馬戦は始まるはもう目茶苦茶(当然これは大絶賛しているのです)。

 そのくせ演奏はしっかり聞かせる。「カモナウシャコダ」や「何年たっても」、「キン作カッポレ」などの代表曲はその頃既に演奏していたと思う。そしてもう一人のギター菅野君がしみじみ歌う「サラ金ブルース」。それまで大騒ぎしていたお客さんも一転しんみり。中には感極まって大泣きする人、そんなやつは当然誰もいなかった。いや1時間半くらいのライブだったが大満足しました。それ以来ライブスケジュールをチェックしサーカス以外にも拾得や磔磔まで見に行って盛り上がっていた。

 何時頃のライブか覚えていないが、夏のサーカスサーカスにサークルの仲間4,5人で見に行った時に、藤井君が「ザンバ」という遊びを教えてくれた。これはステージで藤井君が右手を上げて(丁度”ハイルヒットラー”というか”宣誓、われわれは~”のように)、「ザンバ」と叫ぶとそれを受けた客もすぐ右手を上げて「ザンバ」と返すというものだ。何回かリハーサルをやって『じゃこれから本番ね』と彼が言って『ザンバ!』と叫んだ。何となくこちらを見てるかなと思ったが、『オレこう見えてもロック班のリーダーね。ミニコミもやってるし、この前なんかパンタをインタビューしたけんね』という態度で見ていた僕は当然反応しなかった。ワンテンポ遅れて僕の仲間の一人が『ザンバ』と返したら『君じゃないよ、その横の、そう、その縞のシャツ着てる人』とやや不機嫌そうな藤井君の声。当てられたのは僕だった。慌てて、『ザンバ』と返したがテレが入っていたので盛り上がらない。いや、あの時は悪いことをしたな。一緒に行った仲間(良く考えたら全員後輩だったから、5回生か6回生の頃だ)からも、「オッサンはノリが悪い」と散々怒られてしまった。

 そしてその年の冬の拾得、そうだ6回生のT原さんがいたからオレはまだ5回生だ(オイヲイ、オッサンそれって目くそ鼻くそを笑うって言うやつでっせ、お宅のサークルって留年研究会か!)。ウシャコダ例によって大奮闘だったが、気のせいかやや大人しい気がした。アンコールが終わって通常ならそれでジ・エンドなんだが、こちらもイマイチ物足りない。丁度その時もサークルの仲間4,5人で行っており、夏のザンバ祭り(今勝手にネーミングしたが)に参加したメンバーもいた。僕は絶叫した。『ウシャコダ、アフリカ、ザンバ、ザンバ』絶叫しながらテーブルを叩き、足踏みした。すぐにザンバ祭りに参加したメンバーが乗ってきた。拾得の他の客はこの人たちは何者だろうかという目でやや遠巻きに見ている。

 僕たちの絶叫は延々と続いた。僕は夏のサーカスでの借りを返すために絶叫し、手を叩き足踏みを続けた。サークルの仲間もそれに続いてくれた。5分ほどして藤井君たちの顔が見えた。アンコールのアンコールだ。今度はジャンプするぜ!…白い、黒いは関係ないさ、とにかく乗らなきゃ、乗れば都さ~いつもニコニコウシャコダ、いつもホガラカウシャコダ、いつもパワーだウシャコダ…byカモナウシャコダ
ウシャコダ メンバー

 最後はちょっとセンチな青春小説風になったが(どこが)、今ウシャコダで入手しやすい2nd「パワフルサラダ」をチェックしようとHMVのページを開いたら、ユーザー同時購入がバッファロースプリングフィールドとニールヤング。ん?同じ傾向のミュージシャンが吉田美奈子、沢田研二、上戸彩(!!)どー考えても違うよな。このウシャコダですが、1984年に一度解散したがここ最近また活動を始めて、地元松戸市では世直しを期待されるまでになっています。次の選挙に出るのか?まだまだこのバンドの話は尽きないので、また日を改めて書きます。 

ジ・エンド・オブ”病気自慢「自然気胸編」”

アスペクトインジャズ テーマ曲入り

 昨日の鹿は市役所職員の懸命の捜査にも拘らず、再度包囲網を突破し、その姿をくらましたようだ。今日のニュースには朝早くから探索に駆り出される市の職員らの姿が映っていた。その姿をあざ笑うかのように鹿は林から飛び出し、どこかへと去っていった。『流石に鹿だけにシカトか』この不用意な発言が本来楽しいはずの夕餉の場を凍らせた。あせった僕は止せば良いのに『じ、じゃあ、鹿が好きなミュージシャンは誰だか知ってるか』と家族に質問を投げかけた。当然返事は無い。『ナベサダ、サックスプレイヤーの渡辺貞夫だ』自分で振って自分で答える、寂しい展開である。『何で?』ようやく合いの手が入った。ここだ、このタイミングだ!すかさず言った。『その心はマイディアライフ』。僕以外の家族全員が頭の上から疑問符を浮かべていた。『だから、その、昔、渡辺貞夫の”マイディアライフ”というラジオ番組があって、で、そのディアと鹿のディアを引っ掛けて…。あ、知ってる。鹿のdeerは複数形もdeerで変わらないっての、いや、その、何って言われても、所謂、豆知識で…』

 このような展開が予想されたので、家族で夕食中に鹿のニュースがあったが、ずっと黙っていた。しかし懐かしいな、ナベサダのマイディアライフ。確か日曜日の夜やってたFM番組だったような・・・。それと夜のジャズ番組と言えば油井正一の”アスペクトインジャズ”。昔、下宿で徹マンしていると、どこからとも無く聞こえてくる”プレリュードインEマイナー”。『おっ、もうこんな時間か』、『今トップは誰だ』、『ちょっと腹も減ってきたので屋台のラーメンに行くか』みたいな会話を交わして、修学院時代は後に『天天有』になる屋台のお店に、出町・烏中前時代はご存知油ギトギト、ネギ大盛の『天下一品』に繰り出したものだ。それと余計な話だが、この徹マンのメンバーに大抵参加しており、1回生の頃からサークルのジャズ班の牽引役だったF田敏雄君は、あるコンパの時に、このアスペクトインジャズの最初のトークを真似たのは良いが『みなさん、こんばんわ。アブライショウイチです』と言ってしまい、無知を暴露した。彼はこのほかにもUCCコーヒーをカミジマコーヒーと思い込んでいた(カミジマならKCCだろうがという当然の突込みがその場にいた全員から、先輩後輩を問わずありました)。えー、話がまた逸れてきたので強引に昨日の続きに戻ります。

 鹿児島で入院したその病院は名前は覚えていないが、場所は国道3号線沿いの草牟田あたりにあった。今でこそいろいろお店なども出来ているが、当時は周囲に眺める物がほとんど何も無かったので、ぼんやり3号線を走る車を眺めて、あの車は高速に乗って熊本に行くのか、それとも宮崎だろうか、いやいや一気に福岡まで行くのではないかなどと取りとめも無いことを考えたりしていた。とにかく安静にしてベッドに居るしかないので、入院生活はすぐに退屈してしまった。本が読みたくて元・気胸患者の部下に推理小説を何冊か買ってきてくれと頼んだら(僕としては早川のポケミスか創元推理文庫みたいなものを頼んだつもりだったが)、買ってきてくれたのは佐野洋の短編集を何冊か。悪いが好みじゃないのよ。それでも読むものが無くて全部読んだが、プロットも何も覚えていない。

 あまりに退屈していたので、ときどき会社からかかって来る仕事の電話が楽しみになった。当時は携帯など無かったので、電話はナースステーションからの呼び出しである(良く考えたら、今の病院も建前上は携帯禁止なのでナースステーションからの呼び出しはあるわけだ)。呼ばれたら大きな声で返事をすることを刷り込まれていたので、『ハイ』と二つ返事でナースステーションに向かっていたら、婦長さんに怒られた。『貴方はこの病気の自覚が無い。安静と言ったら安静です。どうしても動かないといけない時は車椅子で動きなさい。その時はナースを呼びなさい』。とは言うものの、車椅子なんかかったるいし(この見解は後年180度変わる。詳しくは『痛い話』で)、ナースを一々呼ぶのもめんどくさい。その場は適当に返事をしたが」、その後も懲りずに呼び出し→返事→ダッシュを繰り返した。

 そういえば入院して4,5日目だったか、上司がパートさんと一緒に見舞いに来てくれた。そのパートさんとは良く本の話とかしていたのでF・フォーサイスの「悪魔の選択」を差し入れてもらい大いに助かった。また真っ赤なバラの花も持ってきてくれて活けてくれたのだが、これが僕の居たフロアの患者さんの話題になった。つまり『あん、わけしん、みまいんきたとがもってきた…、あら、できちょる…、ほじゃねぇと…』=意訳~あの若い人に見舞いに来た人が(花を)持ってきたが、どうやらあの二人は出来てるな~と言うことをドア越しにもう70は近いオババ達が喋っているのだ。ちなみにそのとき僕は29歳、見舞いに来たパートさんは40過ぎで社会人の娘さんが居た(実はこの娘さんが美人だったが、残念ながら一切接点が無かった)。しかしみなさんホントに退屈な入院生活なので、日々の変化、特に真っ赤なバラは大いに好奇心を煽ったようだ。

 1週間経過して、再度精密検査。少しだが肺が膨らんでいる。ドクターいわく『この調子だったら、オペしなくても後1週間くらいで退院出来るんじゃないかな』。嬉しかった。書き忘れたが、入院中は投薬くらいで点滴もほとんどなかった(と思う、何しろ印象に無いのだ)。あとはひがな安静なので、本を読むか外を眺めるか。タバコは入院前に上司に没収されていたが、なんやかんや口実をつけて部下を呼び出し、タバコ買いのパシリをさせたが、やはり空気が漏れるせいだろうか、おいしいとは感じなかった。その頃はまだ喫煙室とか無かったので、通路の灰皿のところでモクを吸っていたら、例によって婦長さんに見つかり怒られた。『貴方は何の病気で入院してるんですか!!先生に言ってすぐ手術にしてもらいますよ!!』。すぐあやまった。昔から孔子が好きで、特に

過(あやま)てば則(すなわ)ち改(あらた)むるに憚(はばか)ること勿(なか)れ。

を人生のモットーにしているので、心から謝った(嘘である。そんな殊勝な心がけであれば、もっと人生が変わっていたはずだ。sigh)

 それから日に日に肺が膨らんでいく感じ(これは深呼吸した時に解る、空気が漏れずに全て入ってくる嬉しさは経験した人でないと解らないだろう)がして、レントゲンでも確実に良くなっている事が解り、ついにドクターから家で大人しくしている事を条件に退院の許可が出た。ついでに入浴の許可も出て、ほぼ2週間ぶりに体と髪を洗った。初めは泡が立たず困ったが、何回も洗っていくうちにようやく何とかシャボンが立ってきてきれいになった。風呂も嬉しかった。しかし何といっても嬉しかったのは、身体の自由であり、退院したらすぐアパートに帰り、ステレオをガンガン流しながら、さつま白波のオンザロックとハイライトをむさぼったのは言うまでもない。

 この病気は結構再発率が高く、その後一度再発したがすぐに安静にしたので入院はしなくても良かった。ただここで得た経験をしっかり学習しておけば、その後の不健全な病気のオンパレードは防げたのではないかと思うが、学習能力がなかったんだよな。もしこれを読んでる30代の人が居たら、声を大にして言いたい。いつまでも若いと思ったら大間違いだぞ!!

コンティニューイングオブ”病気自慢「自然気胸編」”

Who Killed the Bambi?(鹿つながり)

 いやはや我が地元宮崎もやってくれるもので、少し前に書いたM九州大学の移転話が全国ネットのニュースになったなと思っていたら、今日は鹿が河川敷に出てきて市役所職員や警察官の包囲網を突破し、本日19時現在行方がわからないと言う大笑いのニュースがあった。鹿もちろん野生(?)である。いや誰かが飼っていたのか、その手の話は出なかったな。今朝、河川敷を散歩している人が発見したらしいが『犬を放し飼いしてるかと思って良く見たら、角があるから鹿と解った』という微笑ましいコメントが宮崎の人間らしい。また地元のTVのアナウンサーが近くの人に「今までこの辺りで鹿を見かけましたか?」という痴れ者的質問をし、相手の人が「いやー、初めてです」と真面目に答えてるのも大いに笑えた。

 いくら田舎でも奈○(自主規制、シカ公園で有名な所ってバレバレですな)じゃねーんだから鹿なんか見かけねーよなどと心の中で毒づきながら、あと猪と蝶が出れば、イノシカチョウかと考えていた。またまた脱線するが”イノシカチョウ”を変換したら”伊野氏課長”と出て、これはこれで大笑いした(ナンノコッチャ、こんなことばかり書いてるから、オッサンの文はダラダラなげーんだよ。兄ちゃん堪忍やでー、キャインキャイン)。えー、気を取り直して昨日の続き。そうそう医者からいきなり入院と言われたところからだった。

 何故入院しなければいけないかと、聞いたときのドクターの説明は簡単明瞭だった。要するに左側の肺に穴があいており、丁度自転車のタイヤがパンクしたのと同じ状態になっている。穴からほんの少しずつ空気が漏れて、それが肺を圧迫して今の痛みになっている。これを直すには安静にして様子をみるしかない。自然に回復しない時は、左の脇の下にメスを入れてそこから針金状の金具で肺を引っ張り回復させるしかないと聞いただけで痛そうな話をした。何故肺に穴が空いたのかと聞いてみたが、この病気の原因ははっきりしないが、若くてやせた男の人が罹り易いと言われた。

 説明を聞いて解ったような解らないような、とにかく入院は避けられないことがおぼろげながら解って来たが、ここ熊本には出張で来ているのでいろいろ不都合があり、とりあえず鹿児島に帰らせてくれと頼んだら「貴方はこの病気を舐めている。初めての人は、大の男でも痛みで失神してしまうことがある!」と散々脅された。しかしこんなことで怯むわけには行かない。鹿児島に帰らねば、何故ならその頃好きな人がいたのよ、鹿児島に(真に残念ながら今の配偶者ではない)。まあ、なんとか、手八丁・口八丁でお願いした所、交通手段はタクシーとJR(つまり歩くなということ)、万一JRに乗っている時に痛みを感じたら、速やかに車掌を呼びこの手紙を渡すこと(手紙にはこの患者が苦痛を感じたら最寄の駅に止めてすぐに病院に運ぶことと書いてあった)等を条件に許可してもらった。鹿児島に帰ったら手土産のレントゲン写真を持って即座に専門病院に行くこと、その後レントゲン写真は当病院まで必ず返却することとかいろいろ注意事項の追加はあったが何とか解放してもらった。

 幸い電車の中では痛みもなく、無事鹿児島に戻りその足で専門病院に行った。熊本の病院からの紹介状とレントゲン写真を渡して、診て貰ったがその段階ではまだ穴は大きくなっていないとのこと。本来は入院するほうが良いが、今その病院のベッドに空きが無いので、とりあえず1週間ほど自宅で療養し再度検査をして手術するかどうか決めましょうと言われた。「ラッキー」心の中の声である。当時の僕はヘビースモーカーでヘビードリンカーであった。入院などしたら酒もタバコも禁止されるだろうから、これは非常に嬉しい診断であった。ホクホクしながら会社に戻り上司に報告した所、上司がその時鹿児島営業所にいた全員を集めて聞いた。

 「ということだがdrac ob君は自宅待機させたほうが良いか、どこか別の病院に行って入院させたほうが良いか、みんなどう思う?」。こういう時に普段の態度がものを言うのである(あれ、どこかで見かけたような…)。結果はどうだったか。全員一致で強制入院という結論であった。僕は昔から多数決というのは数の横暴であって、決してベストな解決ではないと思っているのだが、いみじくも今回それがまた証明された。しかしいわば業務命令みたいなものなので、どこか病院を探さないといけない。はてと考えていたら、一人の男がニコニコして目の前に立っている。あっ!こいつはそういえば以前気胸を患ったことがあると言ってたが・・・。

 元・気胸患者の部下に、ここは間違いないという国道3号線沿いの病院を紹介された。正確に言うと連行された。何が間違いないかというと、呼吸器科の専門であるということと、近くに何も遊ぶ所が無くて、その上ここの入院患者はドピンクの入院着なので、無断外出は一発でばれるというまるで矯正施設みたいな病院である。診察室でドクターにこの間の事情を話し、即入院が決まった。しかし治療方針としては、やはり1週間ほど安静にして様子を見て穴の塞がり方が悪ければオペということになった。看護婦さん(看護士が正しいのだろうが、女性の場合はどうしても看護婦さんと呼んでしまう)に病室に連れて行ってもらうと、相部屋の人は70近いおじいさんで、鹿児島弁がきつくてほとんど話が出来ない。何とか聞き役になって、それでも半分くらいは意味が分からない(鹿児島人以外の人は侮ってはならない。みなさんが知っているのはNHKナイズされたヤング鹿児島弁である。ネイティブで60歳過ぎた人の鹿児島弁は最早フォーリンランゲイジである)。しかもこのおじいさんも、当然肺の病気な訳でちょっと話しているとタンが絡んで咳き込み、今にも死にそうな状態になるので、落ち着いて話すことは出来なかった。

 熊本から帰って荷物の整理も出来ないまま入院になったのでベッドで読む本すらない。この病院は入院患者の平均年齢が楽勝で60歳を越してると思われる。何故か?週刊誌もマンガ雑誌も所謂ヒマツブシ読みものが、地元ローカル新聞以外は、全く無いからだ。トッショリは字を読まんのかーと心の中で絶叫する悲しいワタクシであった。続く…

 まだ終わらん。書いてて辛気臭くなってきたが、乗りかかった舟だ(どこが?)。とにかく自然気胸編は次回で完結させよう。本当はこの他に、「痛さ最高尿管結石編」や「えっ、何時の間に急性肝炎、それも2年連続で編」、「ノーバディノウズATL編」、「君はホルター心電図をつけたことがあるか不整脈編」、「いきなり脱水症状3日間点滴のみ急性腸炎編」、「憩室という言葉を初めて知った大腸憩室炎編」、「長いお付き合い高血圧編」。極めつけは「依存症から鬱病への劇的変換、自殺念慮からの生還編」などがカミングスーンの予定だったが、ホントに辛気臭くてたまらなくなってきたので、これらのお話はまた機会を見てお伝えしよう。しかし、良く生き延びてきたなオレも。

病気自慢「自然気胸編」

ブログと関係ないけど”炎”

 ここ何日か世間が騒々しい。やれ9.11メモリアルだの、親王誕生だの、新総裁だの鬱陶しいにぎやかな話が続いている。もちろん9.11で被害に合われた方々にはお気の毒にと言うしかないが、実は『米国の自作自演なのだ』というベンジャミン・フルフォードの記事は面白く、普段は立ち読みしかしないのだが、ついアサ芸を買ってしまった。久し振りにアサ芸をじっくり読んで見ると、結構硬派の記事が多いのに驚く。連載陣も二宮清純、泉谷しげる、高田文夫、なぎら健壱となかなかの個性派ぞろい。最も岩井志麻子の「エロい報告書」は頂けんがと思ったが、良く良く考えるとこれは週刊新潮の「黒い報告書」のパロディではないかと思い、それはそれなりに笑えて来た。そういえば今は亡き「噂の真相」に「黒い報告書」を書いているのは、実は岩井志麻子本人だという記事があったように思うが、自信は無い。

 親王誕生についてはこれから起こるであろうマスコミの狂想曲と、それに便乗したがる圧倒的多数の「善良なる国民」の行動を想像しただけで頭が痛い。個人的にはピンク・フロイドが再度売れるのではないかと考えた。その心は『ユージン、斧に気をつけろ』である。余り面白くない?そうか。まあ、今項目にあげたような事に対して一つ一つ自分の考えを書いていくことがブログの醍醐味なのかもしれないが、根がひねくれものの僕は、その手の話は一切触れずに目一杯個人的なことを書こうと思った。

 で、何が良いかと考えていた時に、ふと『どんな物を食べているか言ってみたまえ。君がどんな人であるかを言いあててみせよう』という食通ブリア・サヴァランの言葉が浮かんだ。しかしながら食べ物の話は京都貧乏学生シリーズのネタとして今後展開するつもりだったので、それに似た話題、そうだ病気の話はどうだろうと考えた。何故食べ物から病気と連想したかというと、最近話題の成人病生活習慣病のほとんどが食生活が原因だと良く言われているからである。ここで余談だが初めて就職した会社の新人研修(今から何十年前だよ!ちゃんと歴史年表で調べてから書けよオッサン)で講師役の役員から「病気という物はありません。体が病になる病体という状態(ここ意図的な洒落ではない)はありますが…。病気というのはその名の通り病は気から、つまり気のせいです」というスーパーオカルティックな話を聞き目が点になったことがあった。要は、『お前らは若いんだからちょっとぐらい腹や頭が痛くても我慢して働け、会社休んだり病院行ったりしてんじゃねえぞ、オラ!』ということなんだろうと理解した。いや高度に発展した資本主義社会は厳しいなとつくづく感じた。しかしながらこの元ネタがある将棋指しの発言か何かだと知り、流石に勝負に生きる人は違うなとコロッと態度を変えた僕って何(by三田誠広)。

 さて話はなかなか進まないが(確かこのフレーズ「エミールと探偵たち」の中にあったよな)、本日は記念すべき我が病歴シリーズ第一弾!『自然気胸』について、その始まりから多分完治までを書いていくことにする。

 その頃、1986年位だと思うが僕は鹿児島に住んでおり、月に1週間から2週間は宮崎か熊本に出張していた。その日は熊本出張初日で、事務所で張り切って仕事をしていた。当時の仕事は内勤でパートさんやアルバイトの管理や指導が主だった。夕方6時くらいから何となく心臓の辺りがおかしかった。何と言うか痛いのだ。鈍痛という奴だ。当時の僕の仕事上のモットーは「自分が一生懸命に働いていたら、周りの人も自ずと真面目にやるだろう」というピューリタンか二宮尊徳かという位の純粋な物だった。早い話が人に教えるような技術を持たなかったので、態度で示せ、率先炊飯ジャー!(ここオヤジギャグです)としゃかりきにやっていたのである。アルバイト生の終業が21時だったので、それまでは何とも無い振りをしていたのだが、バイトさんが帰った後すぐに傍にいた社員に「心臓が痛い、ちょっとソファで休ませてくれ」と断り横になった。

 こういう時に普段の態度がものを言うのである。僕は事務所にいた社員全員から「またまた、ふざけないで下さいよ。もうすぐ営業の人たちが帰ってくるから邪魔になります」と全く相手にされなかった。悲しい。悲しいが痛みは止まらない。しょうがないのでそのまま宿泊先の社員寮に帰ることにした。もちろん缶ビール0.5リットルは忘れずに購入した。寮に帰って横になってビールを飲んでいると痛みも弱まった感じがして、いつの間にか寝てしまった。翌朝目が覚めると、痛みがやや左側、つまり左のアバラのあたりに痛みが移動しているではないか。多分、知らないうちに胸を打つか何かしたのだろうと思い、心臓病ではないなと安心して「朝が来ます。そよ風も吹きます~」(byアグネス・チャン)などと鼻歌を唄いながら、その時は御気楽に考え会社に出かけた。

 会社で午前中の仕事を済ませ昼飯を取っていると、今度はだんだん呼吸が苦しい感じがしてきた。息を吸ったり吐いたりすると左胸が痛い。痛いからといって息をしない訳にはいかず、はて困ったと考えていたら、すぐ近くに内科の良い先生がいると教わり、午後一番早速訪問した。流石に良い先生だけあって無駄なことは一言も言わない。それどころか病名はおろか、レントゲン写真を見ながら少し考え込み。『○○病院の紹介状を書くので、すぐそこに行ってください。そうそう、タクシーで行くようにネ』。○○病院というのは郵便局が逓信局と言われていたころからある立派な病院だ。確か熊本逓信病院といったと思い今ネットで調べたら名前が変わっていた。

 言われたとおりに、その病院に紹介状を持ってタクシーで行った(実はタクシー代がもったいないから会社の車で行くと言ったら『ダメです。何があるか解らないので必ずタクシーで行きなさい』ときつく言われ、当時はまだ独身貴族だったので素直にタクシーで行った)。かなり大きな病院で最初に既往症とかいろいろ聞かれ、先生の問診がありその後またレントゲンを取った。かれこれ1時間以上経ち、ようやく名前を呼ばれ診察室に入ったところ、ドクターから開口一番『何時からにします?』。『ハァ、何のことでしょうか?』『入院ですよ、入院』

 ドクターの言う『ニュウイン』が『入院』であることを理解するのに何秒か掛かった。何で、ホワイ?と頭の中は疑問符が渦巻くのであった。というところで長くなったので続きはまた明日。しかし、オレ何でこう話がダラダラ長くなるのかな。7,8行くらいのピシッとした文でブログを締めてみたいぜ。

別館4階のBOXで聞いた音楽

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 今年の6月にこのサンタナの「ロータスの伝説」がオリジナルジャケットで再発になると聞いたとき学生時代のサークルに入った直後のことを思い出した。当時のサークルのBOXは学生会館の別館の4階にあり、黄色いドアがその入り口だった。ドアを開くと中央に四角いテーブルが2個直列に並べてあり、その周りにパイプ椅子が置いてあり、大抵気難しそうな先輩が2~3人レコードを聞きながらタバコを吸っていた。机の周囲、つまり入り口以外の三方の壁際には薄汚れた古い長椅子が置いてあり、何らかの理由で徹夜した(試験勉強という殊勝な人間は少なかった、ほとんどが麻雀)と思しき人間が寝ていたり、ほんとに暇な人間は寝そべったままクッション部分のスポンジをちぎっては床にばら撒くという不毛な作業に熱中していた。

 入って左側には黒板(これは教室にあるような大きなもの、小会議の時などに使った)、正面には窓があり、その上に時計と1週間の行事予定の黒板(各研究会のスケジュールやテーマが記入してあった)。そして右側のところに上下2段になったレコード棚、ガラスの引き違いの扉のついた大きな物で、そこに各サークル員が自分が聞きたいレコードや、人に聞かせたいレコード、また研究会に使うレコードなどを無造作に突っ込んでいた。ほぼ1週間のローテーションでレコードは入れ替わり、当時は下宿先にオーディオ装置を持っていない人間も多かったので、結構新譜もそこで目にすることが出来た。

 サークルに入ったばかりの頃は、自分の聞きたいレコードを持っていっても先輩がいるとなかなか自由に音楽をかけるということが出来なかった。1級上の先輩でT原さんという方がおり、薩摩隼人で人見知りや物怖じを全くしない人だったが(本人いわく『遠慮と勉強はせん』)、それでも1回生の初めの頃はBOXで自由にしゃべることが出来なかったらしい。あるときそのT原さんがBOXに来てみると2,3人の先輩が珍しくロックのレコードを聞いていた。雰囲気は悪く無さそうだったので、「ドアーズですか、ドアーズいいっすよね」と話しかけたところ、その中の一人の先輩がT原さんを睨みながら「こんなもん、洒落やシャレ」と吐き捨てるように言って、即座にレコードをジャズに変えたそうです。あー、コワ。ま、こんな雰囲気が当時の僕がいたサークルには毎日漂っていた。

 持ってきたレコードをかけるのにも何らかの理論武装というか、ウンチクみたいなことを披瀝してでないと何時誰から、どんな突っ込みを受けるかわからないと言う所があった。しかし、これは単なる韜晦というか、人一倍人見知りする(外見のいかつさからはとても想像できなかったが)性格の人が多かったからだというのは後になって解った。しかしこんな雰囲気のBOXだったので新入生が定着しないこと夥しく、特に女性の入会希望者はBOXに来てほとんど口を開かないまま二度と来ないなんてケースも多かった。そうするとそのとき対応した男性部員同士でお前が悪いと罵りあうのだが、だったら普段からもっと愛想良くしてろよと内心思ったものだ。今考えてみてもホント排他的なサークルで「来る者は拒まず、去る者は追わず」という僕の執着心の無さはここで育てられたと言っても間違いではない。

 さて無駄話はこれくらいにして、このアルバム、75年春のBOXで一番良くかかったレコードではないかと思う。当時のサークルでの力関係は①ジャズ、②ブルース、③ロックという順番で、たまにロックのレコードをかけていると後から来た先輩が「何聞いてんだ1回生は、そんなもんやめろ!お前達もマイルスとかコルトレーン聞けよ」等といって勝手にレコードを変えられることも良くあった。しかし、そんな中でサンタナだけは否定する人がいないどころか前年の74年にはかなりの人間が京都会館のコンサートに行ったとのこと(今、アルバムのブックレットで調べたら74年7月5日に京都でのコンサートが行われている)。余談だが経済学部のN先輩は席についてすぐタバコに火をつけ警備員に怒られたそうです。学生会館ホールでの癖が抜けてなかったと言うか、困ったもんだ。

 このアルバムは3枚目に入っている「君に捧げるサンバ」からラストの「ネシャブールの出来事」までが圧巻。もちろんどの演奏も素晴らしいのだが、当時ヨーロッパのプログレッシブロックばかり聞いていた僕にはとても新鮮に響いた。別の表現をするとそれまでは頭の中で観念的に聞いていた音楽から官能的な、感情の赴くがままのインプロビゼイション中心の音楽の気持ち良さを教えてくれたアルバムであるとも言える。更にこのアルバムに思い入れが深いのは故松本勝男氏がライナーを書かれており、この方がサークルのOBであるということを当時の先輩から教わり、『そうか、じゃ上手く行けばオレもロック批評家位にはなれるかも』と勝手に思い込み3年後にミニコミを始めるきっかけになったからだ。残念ながらというか、当然というかそのミニコミは見事3号雑誌でつぶれてしまい、その後関わった別のミニコミも解散、その時の残党が81年くらい(僕が京都を去った後)に今で言うインディーズ系のレコード会社になったが、これもシングル1枚か2枚出してポシャッたはずだ。

 今回の再発されたCDにも松本氏のライナーが初っ端に掲載されている。当時の表現がラジカルであれば受けるといった風潮には一切耳を貸さなかったんじゃないかなと思える内容(正直75年当時はえらいぬるい文章だなと失礼な感想を持ったことを告白しておくが)。しかし今読み直すと民族的、宗教的アプローチなど、なるほどと思うところ大で、できればもう少しスペースを取ってカルロス・サンタナ論として書いて欲しかったと思う次第。

※再度ブックレットを確認したところ掲載されていたのは、74年ではなく73年のツアースケジュールだった。よって先輩方が結集したのは74年の12月11日の京都公演だと思われます。サンタナの公式サイトで確認したので間違いないと思うが。

イナゴの日

 今朝は長女の絶叫で目が覚めた。「ぎゃー、あの、、○ッタ、イナ×、自転車、ウワー、遅刻するー!!」何を言ってるか聞き取れない。配偶者が金切り声で、「お父さんに頼みなさい」。これははっきり聞こえた。また何か忘れ物か、何なんだろうか、と思いながら起きると、高1の長女が半べそで玄関に立っている。訳を聞いてみると自転車にイナゴが張り付いていて、何をやっても動かない、自転車に乗れないから遅刻するというようなことを聞き全身の力が抜ける。「自転車にイナゴって、払えば逃げるだろう。それとも坊ちゃんの布団のようにびっしり自転車全体に張り付いてるのか」等と言うがとにかく自転車の所に来てくれと請願されたので、行くだけは行って見た。

 確かに前輪の躯体のところに一匹イナゴが張り付いている。そういえば僕が中学3年生の時、引っ越した先が古い農家の家で横に馬小屋(!)があり、自転車はそこに置いていた。通学初日に自転車の所に行くとハンドルが動いている。それも左右2箇所共だ。これが大学時代なら二日酔いか悪い薬のやりすぎで(冗談ですよ、冗談)ブットンデいることが原因となるのだが、当時はまだ坊主頭の中3生。神に誓って悪いことはしていない。何だろうと思いハンドルに眼を近づけたら、腰が抜けそうになった。蛇だった。蛇が2匹丁度左右のハンドルの所に巻きついて、鎌首を持ち上げていたのでハンドルが動いてるように見えたのだ。

 今、キーボードを打っていても、マイマザーイズランニング(母が走る、その心は関西弁でオカンが走る)の状態になってしまった。どうやって、その蛇を追っ払ったかは記憶に無い。もしかしたら父親か母親に泣きついたかもしれないが、僕の両親は一切子供に構わない方針だったので、多分『自力でやれ』かなんか言われたと思う。とにかく死ぬ思いで、蛇を追い払い、学校に行ったがしばらくは自転車に乗るのが怖かった。余談になるがその農家は築50年は過ぎていた家で屋根裏に6畳と4.5畳の二間あるような古い大きな家だった。蛇も出た。大きなミミズ(カンタロウミミズと呼んでいたが、こいつはボトルネックのギターは弾かなかった)もしょっちゅう出現した。クモやムカデも千客万来という有様だった。

 ある冬の日風呂に入ろうとして、大きな木の蓋を開いた。忘れていたが風呂は当然五右衛門風呂である。すると風呂釜と壁の間のモルタルの所に何かくねくね動く物がある。長さは15~20センチくらいだ。僕は当時からド近眼だったので、それが何か解らずメガネをかけて見た(既にその頃はいろいろなことに慣れっこになっていたので、『またミミズか』てな反応だったと思う)。大ムカデだった。不貞腐れてそのまま入浴していたら刺されて大変な事になっていただろう(そのまま入るわけないやろ、オッサン。嘘ついたらあかんでぇ。キャインキャイン)。しかしそういう環境だったので、結構鍛えられた。何しろ同級生の女の子に蛇が怖いと言ったら鼻の先で笑われたのだ。

 それはさておき、娘の方だった。イナゴを追い払い自転車を渡すと、重たそうなカバンを積んで半べそ状態で学校に向かった。今から行っても遅刻だな。理由は何と言うのだろうか、まさかイナゴを理由にする訳にもイカンだろうと考えると笑いたくなった。夜帰ってきて、本人に何と言ったか聞いたら『どうせイナゴと言っても許してもらえないから、ひたすら謝った』等と言っていた。そんな話をしていたせいか、子供が高校の、あれは何というのか、ビラで良いのか、えーと、学級通信とか言うやつや図書館便りみたいな、所謂フロム学校当局トウ両親というか学費負担者という形式のわら半紙を何枚か持ってきて読んでおいてくれと言う。

 この手の学校関係は配偶者に任せていたのだが、高校になってからは娘の進学先が僕の母校であったという単なる偶然の一致にも拘らず、窓口は僕のほうにスライドされつつある。仕方が無いので図書館便りを読んだが、1学期に図書館に納入された本と著者名が羅列してあるだけでぱっとしない。書いてあることは、例によって今のうちにいろんな本を読んでおこう、読みたい本はリクエストして下さいというような旧態依然とした広報活動である。そういえばやはり高校の時クラスの後ろの壁に読みたい本のリクエストみたいなのが張ってあり、みんな好き勝手なことを書いていた。僕はSFやミステリ関係のものを書いたと思うが、いまだにはっきり覚えているのは、「ノストラダムスの諸世紀」なんて書いたことだ。ゲーテのファウストを読んだからというとカッコもつくが、実は水木しげるの「悪魔くん」か、何かの影響である。隣の席のS原君はさすが、その後ドクターになったくらいの賢い人だったので辻邦生の「背教者ユリアヌス」なんかをリクエストしていたのだから、同じ授業を受けてもこうも違うものかと感心した記憶がある。

 などと古い事を思い出しながら、今度は担任の先生が書いた学級通信を読んでいると、やたら自分たちの学校に誇りを持てとか、この学校の精神は『自主自律』だとか書いてあった。そうそう。自主・自律、確か校歌にもそんなフレーズがあったなどと考えていたら、余計なことまで思い出した。実は高校3年生の時に文化祭を『自主管理』しようとして、見事に失敗し、生活指導の先生に嫌味たっぷりに絞られたことがあったのだ。その時の先生のセリフは「今までうちの学校で自主管理なんてやろうとした奴にろくな奴はおらん。過去何人かそういう馬鹿がいたが、みんな人生躓いてるぞ!!」。その時は「ふざけるんじゃねえよ」などと思っていたが、今になってみるとやはり先生、見る目があったね。しかし本人が懲りてないから困ったもんだ。アハハ。

 ここまで書いて先程の「同じ授業を受けてもこうも違う」というところを訂正しなければならないことに気が付いた。同じ授業は受けていたかもしれないが、やってることが全く違ってたんだ。『自主管理』なんか考える暇があったら、公式のひとつでも覚えていれば人生が違っていたかもしれんな。ま、今更言ってもな~。そうそう、ここのところは長女に絶対見られないようにしないと、それでなくてもオヤジとしての威厳が無いからな…。

名は体を表わすってホント?

 僕がブログを始めるきっかけになったsugarmountain氏の「鳥肌音楽」は音楽好きな人が沢山集まっているサイトである。記事のほかにコメント欄や彼のお気に入りのブログを眺めるのが、最近の楽しみの一つになっていた。そこで知ったブログに「今はまだ人生を語らず」というのがあり、前にこのアルバムの生産が中止になっているという記事を書いたこともあり、どういう内容か気になっていたブログであった。最近になって記事を読んで見ると、あまり肩肘張らず(必要以上に専門的過ぎないと言うこと)管理人さんの音楽に対する愛情が伺えるブログだったので過去の記事もぽつぽつ読むようにしていた。

 1年半以上継続されているので、どんなテーマを作ってやってるのかも興味があった。すると日本の各県ごとの歌の旅みたいな特集をやっており、大変興味深く読ませてもらった。まあ47都道府県あるので大変そうだなと思いつつ、そこはそれ、やはり我が郷土の宮崎が気になるではないか(若い頃はローカルナショナリズムナンセンス!等と言っておったが丸くなったもんじゃ、ゴホゴホ。とざーとらしく咳き込む)。気負いこんで我が宮崎県のページを見ると、な、なんとデュークエイセスの「フェニックスハネムーン」である(涙)。はー、やはり他県の人からは「新婚旅行のメッカ」と言われたバブル遥か以前の黄金の宮崎観光時代のイメージしかないのか。そういえば保谷にいるときに見た「ガイアの夜明け」でも宮崎観光のダメさ加減しか映ってなかったななどと力無く呟く始末であった。そこで宮崎を題材にした歌は他にもある旨を書いてコメントしたが、じゃあ代わりにどんな歌があるかと考えたら、山本コータローの「岬めぐり」か小坂恭子の「思い出枕」位しかその時は浮かばなかった。

 しかし、ほとんど演歌としか思えない「思い出枕」やキヨシロータイマーズから「あいつは偽善者」と歌われたコータローしか出てこないのではあんまりだなと思いながらも、最近のヒット曲って知らないからどうしても自分自身が中・高生だった頃のフォークやロックを思い出していたらありました。まずは”ジャックと豆の木”。歌いだしは♪いつか故郷を捨てて一人旅に出たぼく~みたいな感じだった。確か71年位の中ヒットだったように思うが曲のタイトルが出てこない。こういうときネットの検索能力が頼りになると思い調べるが、メンバーが鎌田大悟(ボーカル、ギター)、有川秀人(ボーカル、ギター)、千葉孝之(ボーカル、ギター)、川上一貴(ベース)の4人編成でシングルとアルバムを出していることくらいしか解らない。それでもあちこち調べてみると「二十才の手紙」というのがその曲ではないかと思えて来た。作詞中山大三郎、作曲鎌田大悟という組み合わせである。そう、あの「人生いろいろ」の故中山大先生のペンになる曲である。

 それからこちらもフォークデュオの”ニッチモ&サッチモ”。こちらはうれしい誤算でなんと20年ぶりに音楽活動を再開し、ブログを始めていらっしゃいました。僕は勝手に「早すぎた南九州のあのねのね」とかネーミングしていたのだが、「ポクポク子馬」や「ケの歌」、「茶わん虫の歌」等の知る人ぞ知るヒット曲があったのだ。しかし、その中で一番気に入っており、未だにそのフレーズ(♪長崎かーらふーねに乗って神戸に着いた、ポクポク子馬ってところ)が口をついて出る「ポクポク子馬」は音盤が無いようだ。そしてこの”ニッチモ&サッチモ”の作詞・作曲にやはりあのグレート中山大三郎先生がいる。そういえば「ケのうた」のイントロのところで『僕の田舎の鹿児島では名詞が動詞のように変化して…』みたいなフレーズが入ったが、中山大先生は宮崎県都城市(旧高崎町)出身だがそこは島津家発祥の地でもある。それと僕は勝手に”ニッチモ&サッチモ”は宮崎のグループと思い込んでいたが先程のブログをザーッと見たら福岡かなという気がしてきたが、もし違ってたらごめんなさい。

 フォーク系の話が出れば、ロックはどうしたと言いたくなるのが人情ではあるが、この頃の宮崎のロックシーン(そんな物は無かったけど)は悲惨であった。フォークはギター1本で出来るが、ロックは電気を使うし機材は高いし、その前にライブやるようなスペースも限られていたと思う。70年代前半に宮崎のロックシーンを飾ったのは地元大学のレッド・ツベルクリン(赤いツベルクリンだから陽性反応だな)とディープ・バイブル(もしかしたら物凄く深い意味があったのかもしれないが名前を聞いた瞬間目が点になり記憶が飛んだ)の二大巨頭であった。これ以上この二つのバンドについての記憶も情報もない。しかし物凄い名前だと思っていたが、大学に進んでから関西のシーンを知ったらこの程度はまだまだかわいい物だとわかった。

 ヴァギナ・ファックである。だるま食堂である。激突モモンガ・パートIIである。何がって、バンド名なのだ。INUを結成する前の町田君のバンド名も「腐れ○○○」であった。誰がカバやねんロックンロールショーなど可愛いものだ。しかしヴァギナ・ファックは中川五郎&イサト、永井充男といった腕達者ぞろいだったし、ダルショク(だるま食堂を略して)は関西ハードロックシーンの老舗バンド。モモンガや誰カバも8・8ロックデイで賞を取った実力者である(嘘かホントか知らないが誰カバがグランプリを取ったとき審査員の中で唯一、渋谷陽一だけが反対したらしい)。しかしもうちょっとマシな名前は無かったのかな。

 最近知ったバンド名で同じような感想を持ったのは「穴奴隷」である。最初は「侮れ!」をアナグラムにして作ったのかと思ったが、どうも違うようで、一番ビビッタのはこのバンドガールズパンクバンドらしい。まだ音は聞いたことが無い。多分CDも買わないと思う。

 注;今回記憶だけで書いているところがあるため、歌詞や人名に間違いがあるかもしれませんが、何分昔のことなのでご容赦下さい。また間違いはご指摘頂ければ、確認の上で訂正致します。

 2010年6月13日 追記 随分前のエントリーなのにblog拍手がついていて、嬉しくなってチェックしていたところ、文中にリンクを張ってる「ニッチモ&サッチモ」さんは、僕がここで書いている「ニッチモ&サッチモ」とは全くの別人28号でした。いや、随分前に気が付いていたのだが、面倒でそのままにしておいたのだ。いけない事だったと思います。反省します。しかし、このエントリー書いてたかだか4年ですが、「ポクポク仔馬」も「ケの歌」もYOU TUBEで聞けます。もっともジャックと豆の木だけは、まだアップされないな。それと、関西ロックシーンでブラインドエキスプレスの音源が近々アップされるらしい。乞うご期待。

今日までのあらゆる「反対闘争」の歴史は敗北の歴史である。

 9月に入り、心なしか朝・晩の風が心地よくなってきた。「秋来ぬと目にはさやかに~」という有名な短歌の心持である。ところで僕は長いことこの短歌を「あききぬとめにはさやかに~」と読んでいたが、今何回変換しても”秋着ぬ”とか”秋絹”になってしまい”来ぬ”に変わってくれない。もしかしたら「こぬ」と読むのではと思い変換したら一発で出た。「来る」はカ行変格活用(何故かとっさに出て来た。他にもサ変とか五段活用とかあったな、確か)だから、「こ、き、く、くる、くれ、こよ」だから「こぬ」が正しいのかと目からうろこになりかけたが、乏しい記憶の中で現代語のカ変と古語のカ変は違うのではないかという疑問が湧き上がり、ついネットで「秋来ぬと~」の歌を調べていたらここに来てしまった。

 ぼんやりそのページを読んでいたら今度は「誰が風を見たでせう?あなたも僕も見やしない~」の詩に目が止まり、おっ、これは昔懐かしき野球漫画の「黒い秘密兵器」のなかで消える魔球の謎をライバルが解く時に出て来た詩ではないかと興味が移り、あの漫画の主人公は椿三十郎だったか、いやそれは時代劇の主人公の名前ではなかったかと混乱の度合いを深めていき、最早収拾がつかなくなって来た。などと書きながら、今度は「黒い秘密兵器」で検索して大事なことを思い出した。魔球ではない。秘密の秘の字を使う秘球であった。光る秘球が打たれたから、魔の飛球を開発したのか(確か魔の秘球がボールが消えてしまう巨人の星で言う大リーグボール2号だったと思う)、それとも別のストーリーの中だったかは、もう曖昧になっている。ただやたら「誰が風を見たでしょう~」(漫画の中では当然新仮名遣いである、旧仮名遣いだったら戦前だ)の詩がカッコよかったことを覚えている。

 とここまで書いて、何の話を書くのだったか解らなくなってきたので良く考えてみたら、今日はリニューアルしてまだ2回目の話なので地元ネタでもやろうと思っていたことをなんとか思い出した。しかし30年以上も前の学生時代のことは手に取るように思い出すのに、つい今しがたのことを忘れるというのは危険信号だ。クワバラ、クワバラ(こんな言葉も使わないよな、今時は。もちろん桑原茂一では、残念ながら、ない)。

 えー、僕が住んでいるのは九州は宮崎と言う所で、気候温暖・風光明媚で人情紙風船じゃなかった、人情豊かな良い所です。これは事実なんだけど、ただここ最近今までの宮崎では考えられないような事件や問題があちこちで発生しており、なんとなく嫌な感じなのだ。ついこの前は川の土手で談笑していた高校生が刺殺されるとか、生後10ヶ月の赤ちゃんがいじめ殺された事件とかちょっと今までののんびりした宮崎では想像出来ないような事件が続いている。かつては陸の孤島と言われ、冴えない教師のうらなり君が飛ばされてくるようなのんびりした所だったが(オッサン、いつの話や。そりゃ夏目漱石の「坊ちゃん」だろ!)変われば変わる物だ。やはりコイズミ・ブッシュのやったもん勝ち絶対資本主義の産物なんだろうか。という話は置いといて、今日は地元で最近突発的に発生した大学移転問題を扱ってみたい。

 僕はどういう思考回路なのか「移転」と聞くとすぐ「反対」とか「阻止」という言葉が出て来る。いやー、教育って怖いですね。これも学生時代に「大学移転問題」に取り組み、本来の授業をまともに受けなかったおかげせいだと思うのだが、僕の話はさておき、ここ宮崎は高鍋町という所にM九州大学という学校があり、そこが都城市という所に移転するとの発表があった。大学側の理由はこれからの少子化の時代に大学を倒産させないために立地条件が良く、学生を募集しやすい所に移すという理論である。

 理事会と都城市長はGO,GOであるが、40年近くキャンパスを無償提供してきた高鍋町は町議会、アパート・下宿の大家さん達、商店街の人達そして学生は大反対、移転を白紙に戻せと言うわけである。このM九州大学は園芸系の大学では西日本でも結構名前が通ってるようで、学生の9割が県外生である。かたや都城市は以前M産業経営大学の確か経済学部キャンパスがあったのだが、何年か前に宮崎市に撤退されその空いたキャンパスが遊んでいるという状況だったのだ。高鍋町としては約40年間の実績があるし、都城市とすれば少し前にも大学の誘致を失敗(というか市長判断で断った?らしい)しているので今度こそはと必死である。

 どちらに大義があるか、それぞれの言い分もあるだろう。この前のオリンピックの候補地の件で東京と福岡が争ったが、それに近い構図が何となく見えるのはうがちすぎだろうか。しかし所詮は宮崎というド・ローカルの中でのパイの取り合いではないか?ある意味での住民エゴかもしれない。まあ、このあとどうなるのかは結果が見えてる気がしないでもないが、注視して行こうと思っている。ただ一つ言えるのは大学理事会、都城市、高鍋町とこの3者の姿はよく写るのだが、肝心の学生が見えない。自治会なんてもう無いのかな?大学のHP見たらサークルとかはあるようだが、アピールとかしてないのだろうか。もし集会や反対運動のやり方が解らなかったら教えるんだがって、こらこら何を言ってるのだ。ゴホン、訂正します。もうカタギですからワルイコトはしません。ちなみに本日のタイトルはスターリンの「先天性労働者」をパクっています。

さらば「人生はさすらい」

 今日からブログを全面リニューアルした。4/29から職業訓練校で一緒だったみんなに向けて始めたブログだったが、余りにも片道通行が多く、また僕のブログテーマが偏った物が多かったので、今月からタイトルも「人生はさすらい」ではなく「別館4階のBOXから」と変えて、新たにスタートを切ることにした。それに伴いパスワードを外し、テンプレートも変え、今までの記事にカテゴリを付け、単なるお飾りだったBGMのプラグインを外したりして今までのイメージを一掃したつもりだがどうだろうか。

 記事をカテゴリに分類してみると意外なことが解った。全90タイトル中、一番多かった記事は「それでも私は」にまとめてある身辺雑記的なもので17タイトル。本来の目標にしていた音楽モノの「My Music」は12タイトル。ただこれは学生時代のイベントのことなどは「歴史から飛び出せ」のほうにまとめたので実際はもっと多いと思う。映画やDVDをネタにしたものは「そこのけ映研、あっちいけ同プロ」にまとめたがたったの2本しかなかった。

 おっと今日初めてこのブログを見てくれる人が居るかもしれないので、簡単にご挨拶をしておきます。ホントはプロフィールに書かないといけないけどまだそこまで手が回らないのだ。HNはdrac obです。”ドラコブ”ではなく”ドラック オービー”と読んで下さい。これは僕が学生時代に所属していたサークル(同志社大学レコード音楽研究会=DRAC)のOBであることから付けたHNです。これからボチボチいろんなことをアップしていこうと思ってるので宜しくお願いします。

 それから今まで読んでくれてた元ビジネスソフト科のみんな、またそのうちネタとして書かせて頂きますので、これまでどおりにごひいきに。とりあえず今日は簡単に終わります。それじゃね。

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