ブログ衣替えのお知らせ

 4月末から始めたこのブログですが、本来の目的である職業訓練校のみんなのためというコンセプトが曖昧になってきたような気がします。また書いている僕自身も、無理に対象を限定して書いていくのもどうなんだろうという気持ちになりつつあります。実際コメントを頂けるのも大学時代の先輩と後輩が圧倒的という現状から見て、もはやパスワードで閉鎖的にやっていっても意味がないという判断になりました。丁度季節も夏から秋に変わる時期です。ここらで思い切ってオープンなブログに変えて行こうと考えています。タイトルやレイアウトまで変えるかどうかはまだ決めていません。ま、とにかく近いうちに誰でも見ることが出来るブログに変えていくので宜しく!

 ということで今日は、ここ何日かの間に訪問した他所様のブログに書いたコメントを再録して自分でその解説を書くという掟破りの企画で行きます。まず第1弾は銀閣寺にあったお寿司屋さんのことを。

銀寿司の主人は職人気質の偏屈なオヤジだった。いつも貧乏学生で一杯で店の横の小さな待合室でマンガを読みながら、席が空くのを待っていた記憶がある。あるとき例によってマンガを読みながら待っていたら、席が空いたのだが読みかけのマンガが面白くて、そのまま持っていたらオヤジから「兄ちゃん、ここは寿司食うとこで、マンガ読むとこちゃうで」と一喝された。
銀寿司の近くには「おとくに」という居酒屋があり、ちょび髭のマスターとだべりながら日本酒を飲んだものだ。
サーカスといえば五条さんや大釜さんは元気だろうか…


 銀寿司というのはこのブログでも良く出て来るサーカス&サーカスというライブハウスを出て北に行きすぐ左折した路地の右奥にあった。暗くて小さいという印象があった。コの字型のカウンターだけのお店だったと思う。そのカウンターの中に愛想もクソもないようなオヤジが寿司を握っていたのだ。貧乏学生だったので寿司など食える身分ではなかったが、この店と町中の「富寿司」には月に1回の贅沢で(バイト代とかバクチのアブク銭が入った時)通った。美味い、不味いではなく学生の財布でもまずまず安心して食べられるという所がポイントだ。この銀閣寺周辺は学生が多い町なので(まあ、京都はほとんどそういう町ばかりだが…)、安くて美味しい飯屋が多かった。

 寿司とくれば次は焼肉である(そうかな?などと異議を唱える奴は以下読まなくて良い。不愉快なら読まなければいいのだ。単純な話だ)。焼肉も同じ銀閣寺道の、えーとこちらは哲学の小道の近くだったか「花山」という安くて美味しいお店があった。一人で定食で食べても良いし、もちろん気の会う仲間と大勢で繰り出してビールと一緒に食べるというパターンが多かった。一度サークルの仲間のF田敏雄君とパチンコか何かでアブク銭が入ったので、寿司と焼肉を一度にどちらが沢山食えるかという、今考えるとあまりに意味がなく、お金の無駄としか思えないイベントを企画して勝負した事があった。大学のある今出川から銀閣寺に向かい(今思い出した。今出川の横断歩道で1,000円札を拾い、幸先が良いと言ってネコババしたのは僕です)、銀寿司・花山とはしごして死ぬような目にあった。この馬鹿食いの競争はその後も何度か企画し、富寿司の戦いや岡山焼肉食べ放題狂喜乱舞の巻などもそのうちアップって誰もそんな話聞きたくないって!!

 えーと、話が飛んだが「おとくに」というのはその銀寿司の手前にあった居酒屋さん。まだ30代のマスターとママがやっていて、この店でししゃもやだし巻きが如何に日本酒に合うかを教わった。そういえばここで飲んだ後、件のサーカスに行き(サーカスはライブハウスだったので夜10時前はテーブルチャージが必要だった。よって余り興味のないライブの時やただバーボンが飲みたいだけの時は10時になるのを待って入っていった。たまにアンコールでライブが続いてることがあり、そういう時は”もうけモウケ”と呟きながらただでライブを見させてもらった。10時過ぎまで頑張るのは、R&B系のバンドやセッションバンド系のライブが多かった)、サーカスも1時過ぎると閉店なので、飲み足らないときはそこから元田中の朝4時までやってるサバの味噌煮が絶品の「田中」(ちょっと名前に自信がない、京福の元田中駅の近くだ)まで行った。いや若かったな、というより馬鹿だったな。

 サーカスの五条さんというのは確か77年くらいからの店のマスター。それ以前はちょっとヤクザなY田さんがマスターだったが、ま、その話はいつか書きます。この五条さんも鼻の下にちょび髭を蓄えていたが、見た感じは気の良いオジサン風。もともとはFM静岡で働いていたとか。大釜さんはライブハウスのイベンター。元機動隊という自称『学生の敵』。ただこの人のミキシングはピカイチでした。

 と、まあこんな話を書いても興味を持ってくれる人は極端に限られると思うし、もしかしたら誰も興味を示さないかもしれない。ただそれならそれで良いのである。このブログは、結局僕自身の「極私的70年代ロック史」なのだ!そうだ。もうひとつ思い出した。サーカスのすぐ近くに中華料理屋(確か店の名前が李白だったと思う。杜甫ではなかった)があった。ちゃんぽんが美味しい所だった。そこにはいつもポマードで頭を固め蝶タイをピシッと決めドスの利いた低音でオーダーを取りに来る名物ウェイターが居た。

 あるとき件のF田敏雄君が、豊田勇造に良く似た同級生のS戸勉君とその店に入り飯を食うことになった。名物ウェイターが来た。F田君「マーボドーフとチャージャンドーフ下さい」。ウェイター「どちらも豆腐ですが宜しいですか?」。F田君、自信を持って大きく「はい」。料理が運ばれてきた。F田君泣きそうな声でS戸君に「なんやこれー、どっちも豆腐やー」。S戸君「そんなゆうたやんか、さっきのオッちゃんが」

 悲しいことだが、このS戸君とF田君が僕が3回生のときのサークルの会長と副会長であった。
スポンサーサイト

Time wait for no one,if you want wait for me.

 昨日は栄光のビジネスソフト実務科1月生(どこが?)の2回目というか、正確には初めてというべきか、ま、その、いわゆる同窓会があった。T本さんが企画して、僕も連絡係として若干協力はしたが、当初は10名くらいの出席予定だったのでまずますかなと思っていたのだが…

 最初の計算違いはお世話になった先生方がどなたも参加できないとのメールが入ったことだ。金曜の夜だったので、スケジュールの調整が出来なかったみたいで、それはそれでしょうがないな、じゃ元生徒だけで盛り上がるかということで予定通りに実施を決定した。ところが土壇場で2名が会社の行事や残業で出席できず。結局待ち合わせのミスド前にはKbaeさん、Skitiさん、T本さんと僕の4人。後はMitiyama君とNtomoさんが遅れて来るのと時間が不規則な勤務のY田さんが来れそうだったら電話が来るはずとのことで予約していたお店に入る。

 考えてみれば今年の1月から4月中旬まで19名のメンバーで毎日パソコンの授業を受け、ワードやエクセルに悪戦苦闘していたのがつい昨日のようである。職業訓練校というのは所謂学校とは違い、そこに集ってくるのは年齢も社会経験も全く共通項の無い人たちばかり(唯一の共通項は全員が失業者であるという点)。パソコンを学ぶということと良い条件の仕事に就くという共通目標のために約3ヶ月間机を並べ共に学んだ。幻想であったかもしれないが連帯感というか、ちょっと言葉には出来ないがサークル活動を経験したことのある人には理解してもらえるかもしれない、独特の空気があった。

 しかしそれから約4ヶ月経過し、みんなそれぞれの仕事に就いたり何らかの生活をしていく中あの『共に学んだ』という感覚は薄らいでいく物なんだろう。なんだかんだ言っても自分の生活を守ることは大変だからな。などと考えながら、遅れてきたNtomoさんを入れると4名の美女(?)のおしゃべりを聞いていたら、頭が痛くなってきた。なんと4名中3名は今の仕事を如何に上手く辞めて訓練校に再入学できるかという方法論を語りだしたのだ。何故そんなに訓練校が良いのか聞いてみたら、Skitiさんいわく『だって前働いてるときより、学校のほうが給料が多かった』とのこと。失業給付金を給料というのはいかがなものかと思ったが、ま、毎月入ってくるから感覚としては給料か、などと納得していたが給付金は前職の給与の何パーセントしか貰えない筈だが…。このSkitiさんの意見には流石に訓練校再入学派のT本さん、Ntomoさんの二人とも『そんなハズはない、あんたは支給額と手取りの違いが解ってない!』と即否定した。

 それから話題は健康保険の話(国保に切り替えるときに失業の翌日から強制的に課金されるのは納得イカンとかいう話。特にこの件では普段風邪一つひかないSkitiさんが、訓練期間中珍しく風邪でダウンし病院に行った所、国保に切り替えてなかったためそれまでの未収金も一緒に取られて、風邪一発7万円という悲劇があったそうな。しかもその時の口座はSkitiさん本人のものではなく母上の口座で、事情を知らなかった母上は当然烈火のごとくお怒りになったという当然至極の落ちまでついていた)から国民年金の有利な支払方法、支給金がアップになった出産費用の話(この話は自らの年金を確保しようと必死にKbaeさんが後の3人に子供を沢山生むように説得していた)と取りとめもなくしかしながら悲しいかな、常に経済学に関する話題に集中していた。

 ちなみに会場は地下にあるお店で飲み放題・食べ放題で3,500円、靴を脱いで入り掘りごたつ形式で結構料理も美味しく頂けた。デザートも食べて時間も2時間過ぎたのでチェックをお願いしたら、なんと一人3,500円ではなく予約人数×3,500円とのことでブーイングの嵐になったが当然結論は覆らなかった。Y田さんは仕事で来れなくなる可能性が大だったのでしょうがないがあと一人、Mitiyam君はどうした。お店を出て電話してもメールしても反応がない。会社の勉強会だから電話も取れないのだろうと考え、先に帰るKbaeさんとNtomoさん二人と分かれてMitiyama君を喫茶店で待った。ひたすら待った。11時である。もういい、帰るとT本、Skitiそして僕の3人は『悪いのはMitiyama』を合言葉に寂しく帰るのであった、ってうそうそ。それなりに楽しかったけど、次回同窓会としてやるときはもっと多くの参加者が欲しいが、とりあえず気の会うもの同士で月一くらいは飯会やろうという話になった。

 翌日(つまり今日)、喪服を準備して友人の父君の葬儀に行った。昨日の新聞で知っていたのだが、同窓会の予定が入っていたので本日の葬儀に行くようにしたのだ。亡くなられたのは僕の父(こちらは今年で17回忌である)の高校時代の同級生の方で、そこの次男と僕が中学、高校と一緒で大学も同じ京都だったのだ(もちろん京都大学では断じてないって説明不要ですね、こりゃまた失礼しました~by植木等)。そういえばもう一人親子二代に渡る同級生がいたが彼は元気だろうか?

 その不幸のあったI君(養子に行ったので今はO君)と僕は中3の年に僕が引っ越してきたことから面識が出来たのだが、親しくなったのは高校で3年間同じクラスになってからだ。そのI君いや今はO君か、と僕ともう一人I君の3人は同じ中学校から高校に進んだので、行きは別だが帰宅する時はチャリンコでつるんで帰る事が多かった。ある日の放課後、クラスに僕たち帰宅ルートが同じ3人と後4,5人(その中に親子二代の付き合いのY君もいた)で取り留めのない話をしてだべっていた(余談だが今の人たちは『だべる』というニュアンス解るのだろうか?ま、いいか)。

 悲劇は、いや喜劇はその直後に起こった。窓から外を眺めていたO君がいきなり叫んだ。「オー、雨が降ってきた!ヤンゴチウッタツド!」傍にいた全員(いや同じローカルに住むI君を除いて)「ハア?ヤンゴチウッタツゥ?」と大きな声で復唱した後、大爆笑。調子に乗ってその言葉を文節ごとに分けて『”ヤンゴチ”というのは「矢の如く」という意味であろう。”ウッタツ”というのは接頭語の「うち」が動詞の「立つ、ここでは出立するという意味であろう」の前に付いているので、和訳すると、おお、雨が降ってきた(ここは詠嘆)矢のように早く出立しようではないかという意味だな。最期の”ド”は英語で言うlet'sの意味がある』などといやらしく解釈したのは白状するが僕である。

 ここまで書いてきて今頃彼岸の王国で僕の父とO君(いや高校時代に戻ってHARUZIと呼びたい)の父君の付き合いがまた始まると良いなと考えた、いやどうも頭で思っていることと書いていることのバランスがおかしくなってるが、本日の結論は「歳月人を待たず」ということ。タイトルの横文字はストーンズのアルバム”イッツオンリーロックンロール”からミックテイラーのギターがサンタナぽい。何はともあれ合掌。

若い奴らにゃ関係ねー話だよ、ケッ!!

 昨日の大塚まさじの国富でのライブはどうだったのか、と後悔しつつ今朝は宮崎S病院の健康管理センターに行った。予約していた「政府管掌健康保険 生活習慣病予防検診」という長い名前のいかにもご利益のありそうな検診を受ける為である。実は記憶が定かでないのだが、この「政府~」の検診の書類が4月に届いて5月中には受診したいとの返事をすぐ出したのだが、なしのつぶて。そのうちに宮崎市役所から「平成18年度 宮崎市健康検査ご案内」という通知も来て、去年は全くこの手の検査を受けてなかったので、何とかしないとイカンなと思ってるときにS病院から「遅くなりましたがいつ検診に来れますか?」という電話が入ったのだ。

 頭の中は市からの通知とごっちゃになってて、まあいいか、渡りに舟(これは残念ながらタカダワタルは釣りが好きであるという格言ではないって、誰もそんな事考えんわ!!)とばかりに23日の受診を伝えてしまった。その後すぐ宅急便で受診の手続きと問診表が届き電話で申し込んだ付加検診というのは結構なお値段がするのだなとのんきに構えていた。というのも市の検査の案内には基本健康診査が自己負担金1,000円、大腸がん検診自己負担金500円、胃がん検診同じく2,700円で全部受けても4,200円。ま歳も歳なので肝炎ウィルス検査を1,200円追加して受けるかと経費は5,000円プラスアルファと考えていたのだ。

 ところが届いた書類には11,520円のところに○が付いている。あー、これはまともに払うとそれだけ掛かるが、市が負担してくれるので5,000何ぼになるっちゅうこっちゃな、などと勝手に考えていた。(教訓Ⅰといっても加川良の歌ではない。本当に教訓Ⅰだ。勝手に思い込むのは厳禁、わからないことは聞く!!

 前日は夜9時以降は飲食不可だったので空きっ腹を抱えてセンターに行くと14~5人ほど先客がいた。検査着に着替えてレントゲンから始まり身体測定、血圧、血液検査とナースの指示通りに動かされる。血液を抜く時案の定右腕の真ん中をごしごしやられた。自慢ではないが僕の血管は細くてベテランナースもなかなか一発で針を刺すことが出来ないのだ。例によって一旦刺した針を「すいません、抜きますね」と引き抜かれる。こちらは馴れたもので「刺しにくかったら手の甲からでも良いですよ」と余裕をかます。「でも痛いですよ」と言いながらも、ためらわずに手の甲に注射針を刺しやがった!『イテーよ!!オレも人の子だ』と心の中で叫んだが、何故か聞こえなかったようだ。

 その後心電図や胃透視、腹部エコーなどなど。ま大抵の検査は経験してるので戸惑わなかったが、久し振りの胃透視だけはちょっと面食らった。僕の前に40前後のオッちゃんが受診していたのだが、検査技師の人が「仰向けです、あ、お、む、け」と何度も大声で言ってるのを聞きながら、『いい年してうつぶせも仰向けも解らんのかい、このオッサンは』などと考えていたが、いざ自分の番になってみて初めてオッちゃんの苦労が解った。検査室に入るとベッドが垂直に立っており、左右には握りが付いてるではないか。ゲップの元というか小さなサイダー菓子みたいなつぶつぶを口に入れ、水で流し込む。その後コップ一杯(1リットルという単位ですな)のバリウムを飲む。「逆手でハンドルを握ってください」とスピーカーから技師の声がする。

 逆手の反対は順手だからこう握るのだなと頭で考えてハンドルを握った所、ベッドが90度の角度になったりぐるぐる回ったり、『おー、回転ベッドや、やらしいなー』などと悠長なこと言ってられません。ベッドは回るは、そこで斜めの姿勢になれとか、ぐるりと回転しろとか、腰を浮かせとかもう何でこんな言われんといかんのかいや、責任者出て来い(by人生幸朗)と怒鳴りたくなったが、バリウムで気分が悪い。更に不幸なことに何とかが足りないのでもう一回ゲップの元を飲めと指示が出て、最後はやや朦朧として検査が終わりました。

 最期にドクターの説明があったのだが、とりあえず問題なし。肺が汚いがこれは1日40本30年間タバコを吸ってきた男の勲章だ、いや証拠だなと言われ、それでも止めたからこれからはきれいになるでしょうとイランことを言いよった。あたしゃきれましたね。タバコを吸う、吸わないはあくまで主体性を持った人間個人が決めることであって、いくらあなたが医者だからといって禁煙が善で喫煙が悪だという安易な二分法は止めるべきではないか。タバコ吸う奴は「悪の枢軸国」の国民かい!がんやいろいろな病気と喫煙との因果関係はそれほど明確にはなってないだろう。よく考えてみろ。喫煙者はがんがん減ってるのに肺がんで死ぬ人間は減らないじゃないか。排気ガスやその他の原因もたくさんあるだろ。お次は受動喫煙が原因!?馬鹿言ってんじゃないよ、お前とオレはけんかもしたけどって3年目の浮気かよ!!

 という風にタバコを止めると論理的な思考が出来ず、ヒステリックな物の言い方が増えてくる。ここ最近の世論のサディスティックな傾向は喫煙者が減ってきて、世の中のブッシュコイズミ化を阻止できなくなっているからではないかと僕は考えている。しかしタバコを止めて初めて喫煙のメリットがよく解るというのは皮肉以外の何物でもない。おっと話がとんでもない方向にそれてしまった。

 さて、検査も全て終わり書類を受付に出して精算しようとしたら当然11,520円請求された。そこで市役所からのはがきを出したところ、「うちは指定医療機関ではありませんから」との返事。何!!テメエの所はいつもそうなんだよ。5月に申し込みいれてたのに8月の後半になって連絡が来たり。そうだ。前に「痛い話」でも書いたが足の指を落とした時も労災で入院したのに25万も請求しやがって。こっちは後で返ってくるものと思って払ったら、退院の時「労災は払わなくていいんですよ、どうして払ったんですか?」とこちらを悪者扱いしやがって。あのとき精算のミスをして追求したらシカトした事務員のアンちゃんがまだ歩いていたぞ…と、もう頭の中は錯乱してバリウムで気分は悪いし、結局確認しなかったオレが悪い、悪いが二度とこの病院には来ないぞと固く心に誓いながら家路に付いた。

 それでは、さぞかし気分が悪いんだろうと思われるかもしれないが、今とてもいい気分なのである。というのもオークションで落札したCD「KUROちゃんをうたう」が今日届き、これが中古とは思えないくらいきれいなジャケットで、中身は予想していた以上にスンバラシイのである。もったいないのでじっくり聞いているのだが、まさか名曲「ハドソン・リバー」を千秋のボーカルでまた聞けるとは夢にも思わなかった。実はこのアルバムずっとライブ盤だと勝手に思い込んでいたのだ。違いました。各曲にスンバラシイ(エエ加減ひつこい、教訓2:過ぎたるは猶及ばざるが如し)ゲストミュージシャンが入ってます。

 今書いた「ハドソン・リバー」なんだけどレイジー・ヒップというその名の通りヒップなバンドがいて、僕らの第2BOXであった銀閣寺のサーカス&サーカスでよくライブを見た。タコヤキと安っさんのギターに千秋のボーカルが良くからんでジャンプナンバーも良し、バラードも良しという歌心のあるバンドだった。アナログのアルバムは確か実家の倉庫にあるはずだ。「ムーンダンシング」とこの曲は確かシングルカットしたと思うのだが、丁度パンク・ニューウェイブ全盛の頃でヒットはしなかったな。でもこのアルバムでのアレンジも良いし、何と言ってもバックコーラスとサックスで元ウシャコダの藤井君が入っているのが泣かせる。あー、いい買い物したな。天はまだ我を見捨ててないな。と思わせる今日一日でした。(教訓3:終わり良ければ全て良し)

そういえばステージには黒旗が、アナーキーなイベントだった。

 孫悟空台風も大したことがなく過ぎたが、今日は人間の記憶のいい加減さについて考えてみたい。実は2~3日前の新聞で大塚まさじが8/21に高千穂でライブをやるという記事を見た。詳しく読んで見るとワンマンライブだが同時に春一番の映画も上映すると書いてある。うーん、行きたいが高千穂は遠い。どれぐらい遠いかというと去年の台風で高千穂鉄道が運行できなくなり、未だに再建できないくらい遠いのだ(ナンノコッチャ)。ま、大塚まさじとか春一番といってもこちらの人には余りピンとこないというか、思い入れは全くないだろう(その前に世代的に全く知らないと言ったほうが正解かな)。

 大塚まさじから春一番について書いていくときりがないので、大雑把に言うとディランⅡ(””じゃないよ、”セカンド”と発声する事)という伝説的なフォークグループの中心メンバーで、いわゆる関西フォークと呼ばれる流れの中の人、春一番はその関西フォーク関係者の年に1回の野外でのコンサート(ウッドストックみたいな物って言っても今度はウッドストックを説明せんとイカンか…sigh)、えーと後はリンク先で読んでください。先を急ぐので。

 『高千穂に行きたけれど、高千穂は余りにも遠し』などとどこかで聞いたようなフレーズをつぶやきながら、今日ナニゲニ大塚まさじのHPを開いてみたら、8月の初めから九州ツアーをやっており第2弾が今日から、福岡風太氏と一緒にハルイチ(僕らは春一番のことを略してハルイチと呼んでいました。何でも省略するのは日本人の悪い癖だと忌野キヨシロー先生はおっしゃってますが…)の映画と一緒に大分でライブをやり、月曜は高千穂、そして何と火曜は国富でライブをやるとのこと。もちろんハルイチの映画付きで。そこでふと考えたのは、この前の加川良もそうだけどイベンター主催じゃないイベント(変な言い方だが)の情宣方法はもっと工夫しないとダメじゃないかなということ。

 どういうことかというと、このブログの第1回目のカンタローと下地のライブも、9月の加川良のライブも、そして今回の大塚まさじにしても僕が知ったのは全くの偶然だったということ。もちろん大塚まさじは新聞で知ったのだが、それは高千穂のホテルでライブがあるという地域のトピックとしての扱いが主だった(多分記事を書いたのは、何らかの形で関西のその手のムーブメントに関わったか、シンパシーを持っていた人ではないかと睨んでいる)。月曜高千穂で火曜国富なら宮崎縦断ツアーといってもいいくらいである。もっと上手くPR出来ないのだろうか。ただ個人でイベントなんかやってる人たちの心の中は解るような気がする。

 どう考えてもこの手のイベントで客が入って大変だったとか、場内警備が不足して消防からクレームがついたなんてことは絶対無い世界である。中途半端にメディアに載せても動員は見込めない、それどころかそのミュージシャンのことをそんなに好きではなくて、ただライブに行く機会がないのでついでに見ようかなんて人は来て欲しくない。人数は少なくても心からその音楽を、ミュージシャンを好きな人たちにだけ来て欲しいといった気持ちがどこかにあるのではないか(若い頃はこういう考え方は『革命的敗北主義だ』といって批判していたが、そうでもないということがだんだん解る年頃になってしまったな、うん)。学生時代に何度かイベントを主催したが、苦労の割りに経済的には全く報われない。ただ今新しい時代を、文化を構築しているのだという自負(一方的なもので大変はた迷惑な物ではあるが)だけでやってきた人間として、それでもやっぱりお客さんは沢山入ったほうがいいんじゃないかなと老婆心ながら考えた次第なのだ。

 ところで最初に振った『人間の記憶のいい加減さ』であるが、実はハルイチに関してである。ハルイチは79年で一度幕を下ろすのだが、その翌年同じ天王寺野外音楽堂で『ヤポネシア80』というイベントが5/4,5の二日間に渡って行われ、僕は間違いなく2日間見に行ったのだが、その時の記憶がすっかり消えていたのだ。このヤポネシアはハルイチとは全く関係がなかったのか詳しいことは解らない。ただ記憶にあるのはヤポネシアのチラシ撒きをしていたお兄ちゃんに30代後半くらいの酔っ払いのオッちゃんが「これはハルイチやろ、ちがうんかい」とからみお兄ちゃんは「ハルイチ違います、ヤポネシアです」となんだかうれしそうに答えていたシーン。このオッちゃんは困ったもんでイベント会場にも堂々と登場し、バンドの演奏に合わせて踊るのはいいのだが、どうもそれはGS時代に流行した伝説のモンキーダンスではないかというような踊りで、最初は面白がって一緒に踊っていた人たちもだんだん愛想を尽かして離れていくと、オッちゃんは一人ステージの方に向かってモンキーダンスで進んでいくという余り見たくない絵柄が展開されたのだ。

 違う違う、こんな話じゃなくてそのヤポネシア80はそれまでのハルイチとがらりと変わって当時の最新のロックバンドががんがん出ていた。はっきり覚えているのは我らがINUと何故か憂歌団。憂歌団は全然ニューウェイブではなかったが、その演奏中に親父から貰った縦じまの背広を着た町田が手を振りながらステージを横切ったのははっきり覚えている。ちなみにカンタローにこのことを聞いたが、ヤポネシアの記憶は全くないとのことだった。さてそれ以外のバンドは誰が出ていたかと思ってネットで調べてぶっ飛びました。物凄いメンバーが出てたんだ。

 アルバム「光州シティ」を出したばかりの白竜、いまやヤクザ映画の役者としてのイメージしかないが当時は在日としてのアイデンティティーをロックにしてがんがん歌ってた。なんせギターは名手ハチですよ。一説によると小室哲哉がキーボードだったらしい(あんびりーばぶる)。生活向上委員会略してセイコウイ(大きな声で言っちゃダメ)。RCのホーンセクションでもおなじみの梅津と片山を中心としたフリージャズというか人を驚かすジャズ。このときもステージから降りてきてはお客さんの耳元で2人がサックスを同時に吹くという荒業を連発し、マジで怒った客もいた。

 P-MODELは前年同志社の学園祭に呼び、関西で一つのムーブメントを作った(物凄く小さなムーブメントで、翌年女子学生の少なかった我がサークルに同志社女子高のパンク少女達が何人か入部した位のものでしたが)素晴らしいテクノポップバンド。しかしこのときのライブの印象は薄い。秋口に銀閣寺のサーカス&サーカスで見たときは、お忍びでデビッドボウイも来ていてその時の印象ははっきりあるのだが。そしてリザード。東京ロッカーズをフリクションと共に引っ張った正統派アングラロックバンド!リーダーのモモヨにインタビューできた時に「僕たちの世代は破壊のための破壊の世代と位置づけているんですが…」などと口走ったら「何を破壊するんですか、あまりに安易な世代論ではないですか!」と鋭く突っ込まれた。ずいぶん昔から活動していたので遥かに年上だと思っていたが3歳しか違ってない上に誕生日も近くて、なんだかうれしいって小娘かオレは!!

 そして、そして本当にビックリしているのがパンタ&HAL。全く記憶にないのだ。ウラワロックンロールセンターから出た80年のライブも予約してすぐ聴いたが、何故だかこのヤポネシアでのライブは全く頭の中から消えてしまっている。悪い演奏など考えられないバンドだったので、何故記憶蒸発(パンタの曲名だよ)したのかユングの本でも読んで調べてみなければなるまい。単なるボケ?うん、悲しいが否定できない所もあるな。

 このほかにも2日間のイベントだったのでノーコメンツや裸のラリーズ、村八分なんかも出てたと思うがはっきりしない。その頃の西部講堂のライブと記憶がごっちゃになってる可能性がある。ただ一つだけ、多分これから何年たっても忘れないだろうという記憶がある。それはこのイベントを一緒に見に行った、今は亡きM君との会話である。お互いにこれから先の人生がどうなっていくのかという心配より、俺達は死ぬまでロックだというマニュフェストを、僕は多分一生忘れないだろう。

臨時ニュース、臨時ニュース by Panta from"1980x"

 今日は昨日の続きでオカルト話というか、何故世の中は騙す人間と騙される人間がいるのだろう、それもとても信じられないような話でという長いテーマで書くつもりだったが、止めッ!台風が近づいてんだよ。嵐だよ。

 何といっても去年の台風の被害は凄かった。僕の住んでいるところは東西南北すべて浸水して大変だった。幸い我が家は浸水が無かったが周囲の状況からすると、奇跡といってもいいくらいだった。なんせアパートの階段を下りたら道路がプール状態で、水が引いてから周囲を回ったらコンビニがアウト、近所の食堂兼飲み屋もアウト。大きな道路を渡った向こう側は悲惨な状況だった。

 しばらく断水や停電が続くと思いペットボトルの水や乾電池、マッチ、食料品などを買いだめしていたが、人間喉元過ぎたら熱さ忘れるね。とりあえず台風の進み具合が遅いので枕元にラジオと懐中電灯とバッテリー式の蛍光灯を準備して、このところ読まないままになってた本を積み上げて、もう寝ます。この嵐が過ぎてから本来のブログに戻ります(なんだかんだ言いながら、少しわくわくしてるのは気のせいだろうか。泉谷の”野生のバラッド”が口から出て来る。♪Oh!なんてお前に伝えよう、騒ぎの好きな俺について~)。

イントロデューシングオカルトワールドその1

 早い物でお盆も過ぎてしまい、少しは秋らしくなったかと思えば、昨日は『どっかの山師』が神社に参った、参らないで終日暑苦しい話題を提供してくれた。かと思えば実家に火をつけられた人もいて大変だな。「焼肉焼いても家焼くな!」は、けだし名言である。このところ気になる人たちのブログに遊びに行きっぱなしで、これじゃイカンなと思って今PCに向かっているが、今日はあまり重いテーマで書きたくないし、かといってこの間の権力の動向を見ているとクソ頭に来ることばかり。こんな時は何も考えずに笑える本がいいと思って買ったのが、『新・トンデモ超常現象56の真相』と言う本。

 先週末に子供と本屋に行き、ナニゲニに見つけた本で得意の立ち読みを始めたら、これが面白くてやめられない。手元不如意であったが、背に腹は代えられない(何のこっちゃ)。大枚1554円を支払って購入した。内容はこの季節によく出て来るオカルト話の検証本である。僕は子供の頃から世界の七不思議とか、神話や伝説が大好きで、かといってそれらを盲目的に信じることは(ホラ、こういうときに使うんだよ、目の不自由なと言い換えたら意味が伝わらないだろ!英語ではblind faith、これも差別用語かい?それならクラプトンがクリームを解散した後にトラフィックのスティービー・ウィンウッドと一緒に結成したバンドはなんて言うんだよ!窓についてる紐を引っ張って開閉する日よけの器具のことはなんて言うんだよ!!って、オッちゃんそんなに怒らんでもええんちゃう、キャインキャイン)、しなかった。好きだけど疑いのまなざしで斜めに見る、ま、可愛げの無いクソガキだったのだ、どうだ。

 などと威張ってみても誰も誉めてくれないので、話を戻すがこの手の謎解きは面白い。一発目は青森県の戸来村にキリストの墓があるという伝説の検証で、これは諸星大二郎がマンガにもしていたのでじっくり読んで見ると、なるほど大嘘かいな。ただ単なるホラではなくてその手の話を伝説の流布として流した奴らがいたのだな、その目的は、ナルホドな。てな具合に次の伝説、次のネタの検証と一気に読ませてくれる。予言や透視なんていう超能力の検証も笑える。週刊現代がH木なんとかという、これも『山師』の超能力批判キャンペーンをやってるが、そのうち全てが明るみに出るだろう。

 しかし、この手のオカルト話は経済や宗教、特殊思想と結びつかなければ、笑い話で済むが厄介なことになるケースも多い。それとこの手の話を必要とする人々もいると言うことが大きな問題である。うーん、どうしようかな、重い話はしないつもりでスタートしたのだが、だんだんそちらに行きそうなので、今日はおしまい。また考え方や表現方法を良く考えてから続きを書くね。

中にはいやな奴だっているんだよと大声で…

 不覚だった。どうりで何度探しても、どこで探しても無いはずだ。生産中止になっていたのか。

 実は今日、ある本屋で「スローハンド」という雑誌を立ち読みしていた。この雑誌は元新譜ジャーナルの最後の編集長(雑誌をつぶした編集長と言った方が正確か?)がここ何年かで盛り上がってきた(多分NHKのBSや映画「タカダワタル的」の影響が大きいというか、団塊の世代の2007年問題にその大きな要因があると思うのだが)日本のフォークシーンを「レイドバック(死語かな?意味解る?)」というかあんまりがつがつせずに気楽に語りましょう的な展開をしている雑誌である。まあ、僕が勝手にそう位置づけているだけだが。というのも新譜ジャーナルは68年創刊の老舗のフォーク雑誌だが、残念ながら僕はライバル誌のguts(ガッツ)をよく読んでいたので余り思い入れは無い。ただ今年の3月くらいだったか創刊号にエレック時代のCDがおまけについていたのと、高田純次のインタビューがついていたので購入した。今回も元ガロの大野真澄のインタビューとかちょっと気になったが、買うまでも無いかと思い立ち読みして、さあ帰るかと思ったそのときだ。「~という理由で生産中止…」というフレーズと下の写真が眼に入った。

今はまだ人生を語らず

 吉田拓郎のCBS時代最後のアルバム「今はまだ人生を語らず」である。拓郎といえば陽水、泉谷、小室(残念ながら等のほう、髯メガネのおじいちゃんの方だよ)とフォーライフを作った(古いな)というか、今はバラエティで無知を暴露することが唯一の収入源ではないかと思われる浅田美代子と結婚していたというか、えー近畿児童達とかいう漫才師みたいなデュオと一緒にギター弾きながら歌ってたおじさんである。

 ではあるが、いろいろ批判も多いが、日本のフォークに大きな足跡を残した一人であることは間違いないだろう。ちょっと信じられないかもしれないが、数日前に書いた加川良の良きライバルといった見方をされた時期もあった(加川良には拓郎のことを歌った「2分間のバラッド」という歌があり拓郎にはその名もずばり「加川良からの手紙」という歌がある)。こういう事を書いていると話が進まないが、実は拓郎好きなのである。80年代以降はあまりピンと来ないが、エレックの頃からフォーライフの初期の頃(そういえば原田真二の才能を見抜きメジャーデビューさせたのは拓郎だったな。今をときめくハマショーも拓郎バンドのボーヤ、ドラマー、コーラスから音楽キャリアが始まったんだよな)あたりはよく聞いていた。そういえば高知で大学時代の友人の結婚式でも男4人で無伴奏で「結婚しようよ」を歌ったなって目が遠くを見てるぞ、オッサン。いかんいかん、話を戻そう。

 えー、何の話かというと、ここ何年かのうちに拓郎の再評価が行われたようで、テレビなどのメディアで見かけたりCDも紙ジャケットで再発になっていたんだが、僕が欲しかった「今はまだ人生を語らず」というアルバムだけがどこで探しても置いてないし、AMAZONやHMVの通販を見ても出ていない。もちろんレンタルにもない。おかしいなとは思っていたが、ミュージシャンサイドの考えでリリースしてないものと思い込んでいた。まさか歌詞に『問題』があって生産中止になってるとは、夢にも思わなかったのだ。

テレビはいったい誰のためのもの
見ている者はいつもつんぼさじき
気持ちの悪い政治家どもが 勝手なことばかり言い合って
時には無関心なこの僕でさえが 腹を立てたり怒ったり
そんな時 僕はバーボンを抱いている
どうせ力など無いのなら 酒の力を借りてみるのもいいさ
こうして今夜も原宿ペニーレインで 原宿ペニーレインで飲んだくれている

”ペニーレインでバーボンを” by 吉田拓郎



 さてここで質問です。上記の歌詞で生産中止にしなけらばならない理由は何か。「気持ちの悪い政治家ども」と言う表現が下品で国民の政治家に対する不信感を煽っているからと言う理由ならまだわかる。なんと「つんぼさじき」がいけないそうだ。オイヲイ。「いーかげんにせんと気ィ狂て死ぬ!by 町田町蔵」ぞ!!

 放送禁止歌(用語)については森山達也(スマン、森達也の間違い、森山はモッズのほうだ)がそのルポの中で「メディアの側の共同幻想というか過剰反応」と看破したではないか。差別語も同じではないのか。差別する意図は無くてもその言葉を使うことが、その行為そのものが差別になると言うことがあるのだろうか。ひと頃「ちびくろサンボ」が黒人差別だということで発禁になっていたことがあった。文化の破壊である。脱線するが以前我が子に「悪魔」と言う名前をつけた夫婦がいた。いったん役所がその名前で受理した物だから、「訂正勧告」があったときにその夫婦(特にだんなの方)がごねて、そこにアホなマスコミが便乗して大騒ぎになったことがあった。今、夫婦は離婚して父親が親権を持っているが子供は施設に入っているそうだ(今週の週刊新潮から、こちらも立ち読みなので細かなニュアンスに違いがあるかもしれない)。話に脈略が無いように感じられるかもしれないが、全て根は同じなのである。長いものには巻かれろ、触らぬ神にたたり無し、横断歩道みんなで渡れば怖くないってそりゃそうだ、赤信号であった。

 表現は生き物であるから、時代によっては受け入れられないこともあるだろう。ただこの手の問題(問題にすること自体がナンセンスであるのだが)は、何回経験すれば解決するのだろうか。所詮、流行り歌じゃないか、目くじら立てなくてもいい、等と言ってるのではない。このアルバムは70年代という時代を表現した素晴らしいアルバムである。再発しろ!!それが言いたい。このテーマは昔から関わってきた表現者による「表現の自由」についてである。まずは一人でも多くの人に知ってもらいたいので、取り急ぎいわゆる「放送禁止」の歌にどんな物があるかこのサイトで見てください。この続編は近いうちにまた書きます。最後に「ペニーレイン~」の中で一番お気に入りのフレーズを書いて今日は終わりにします。

みんな みんな いい奴ばかりだと
お世辞を使うのがおっくうになり
中には嫌な奴だっているんだよと
大声で叫ぶほどの勇気もなし 
とにかく誰にも会わないで 
勝手に酔っ払っちまった方が勝ちさ



 ところで「飲まなく」なった僕はどうすればいいんだろう?
「悲しいだろう、みんな同じさ。おんなじ夜を迎えてる…」

僕が使える言葉がない 組曲異邦人より

いじめっ子と炎のネコ

 sawyer先輩からコメントを頂き、その返事を書いているうちにキャット・スティーブンスのことをいろいろ思い出したのでもう少し紹介したくなった。ちょっと音楽ブログっぽくなるがお付き合い願いたい。昨日も書いたように最初はポップシンガー、アイドルシンガーとしてデビューしたのでその頃のアルバムはまるでデビッド・キャシディーかボビー・シャーマンみたいなジャケットである(わかんねーよな、この例えでは。ま、そのージャニーズ系ってことだ)。ただ曲は例えば”マシュー&サン”なんか決して悪くは無い。その前に彼の家庭について少し説明すると生粋のイギリス人ではなく確か母方がギリシャ系で家もギリシャ料理店それも結構流行っていたお店らしく小さい頃は両親に全く構って貰えなかったらしい。

 このあたりは昨日のリンク先で読んで欲しいのだが、家庭的にはかなり複雑で両親は離婚したが、仕事の関係で同じ店で働いていたというか別居はしなかったとか、よく解らないオトナの世界の話があったらしい。それでキャットさんだが、毎日同じ歌を歌い、ポスターの撮影があり、町を歩くとキャーキャー言われる生活に虚しさを感じ(ゼータク言うな、この野郎。ちったぁこちらの身にもなってみろってイカンいかん取り乱してしまった)、そんな中結核を患い長期入院してしまうのだ。その入院中に窓から見かける名前すら知らない女性のために”Lily White"というきれいなバラードを作っている。

 退院後レコード会社も変わり、スタッフも変わり、何よりキャットの音楽スタイルが大きく変わった。それまでのポップスターから自分で作詞作曲演奏するスタイル、もちろんボーカルも本人。この頃いわゆるシンガーソングライターが音楽シーンに登場しつつある時期で、昨日も書いたがエルトン・ジョンがスーパースターになる直前、最も気に入っているミュージシャンとしてキャット・スティーブンスの名前を挙げたことから、大いに注目をされるようになる(ちなみにキャットが好きなミュージシャンはあのミッシェル・ポルナレフ)。それと彼のアルバムのジャケットは3枚目まで彼が描いたイラストが使われており、このイラストが見事に彼の音楽を表現していた。

 1枚目の”Mona Bone Jakon"2枚目の”Tea For The Tillerman"と曲作りもレベルアップしてきて3枚目の”Teaser & The Fire Cat"でその才能が完全開花した。国内盤のCDにも帯に「鉄板」(つまり固くてはずれが無いという意味か?)と書いてあるが、間違いない。1曲目の”The Wind"からラストの”Peace Train"まで無駄な曲が無く正に朝の露のようなメロディと歌詞である。このキャット・スティーブンスは高校の頃S原君と言う僕が京都の修学院に住むことになる原因を作ってくれた友人に教えてもらった。余談だがS原君からはエリック・アンダーセンの”ブルーリバー”も聞かせてもらった。

 初めて”Teaser & The Fire Cat”を聞いてから、彼の音楽に興味を持ちいろいろ調べたが、当時の僕の小遣いでは一度に2枚のアルバムを買うことは出来ずどうしようか考えていたら、何と「少年は虹を渡る」という映画のサントラを彼が担当し、そこで使われている曲は1枚目、2枚目の代表曲と言うことがわかり、幸い行きつけのレコード店にも置いてあったのですぐ購入した。残念ながらそのレコードは大学に進む時に手放してしまったが、HPで調べると日本だけで発売されたレアアイテムのようだ(別にドーでも良いが)。また当時は音楽情報番組はラジオ以外ほとんどなかったが、NHKが「ヤングミュージックショー」なる洋楽番組を多分四半期に1回、いや半期に1回くらい放映していた。そこでなんとディープパープルとカップリングで放映されることがわかり、日にちは覚えていないが土曜日の午後2時からというのははっきり覚えている。

 その日は授業も上の空で(たいていそういう日が多かったことはあえて否定しないが)、昼飯も食わずチャリンコで我が家に一直線で帰った。学校にいる間中『キャットさんのライブがある』と繰り返しつぶやいていたので、何人かのクラスメートから怪訝な顔をされた記憶もはっきりある。さて家に帰りラジカセをラインでつなぎ大いに期待して見た。しかし何故かキャットのライブもパープルのライブも白黒であった(うちのテレビが壊れていたのだろうか?)。その時の演奏の中では”Tuesday's dead"をやる前に「ときどき自分でもわけの分からない、意味のよく解らない歌を作ることがある、そんな曲です」みたいなことを言ってあの印象的なギターのイントロが始まった。パープルの演奏は"スピードキング”のときイアン・ギランがいきなり笑い出してビックリしたことなんかも残っている…

 僕はいったい何を書いているのだろうか?昔話はさておき、今回ちょっと話が広がりすぎました。もう少し絞って書くべきだった。キャットの話はまた改めてアップします。”Catch Bull At Four"は印象の散漫なアルバムだったけど次の”Foreigner"は20分近い組曲になった素晴らしいアルバム。丁度今の季節にぴったり合ってます。そうそう、今回はAmazonにリンクさせてるので試聴できます。 

I LOOK,I SEE BUT I’M AMAZED.

加川良 プライベートライブイン宮崎

 注意;携帯からは動画が見れない可能性があります。 昨日は、肝心のライブのチラシをアップしてなかったので今日アップしておきます。これだけでは寂しいのでYOU TUBEで加川良の動画を探したけど残念ながら無し。しょうがないので高田渡とかいろいろ検索したけど無くて、悔し紛れに吉田拓郎と入れたら「俺たちの勲章」が出て来た。確かにTAGには吉田拓郎とあるが、何で?と思ったら答えは簡単。オープニングテーマが拓郎でした。インストナンバーなので気がつきにくいが、メロディーは完璧拓郎節。そういえばベスト盤かなにかで拓郎が歌ってるのを聴いた記憶がある。CDを探せば出てくるだろうが、めんどいのでやめた。

 ところで著作権の問題でいろいろ物議を醸してるYOU TUBEだが、検索すると面白い物にヒットするので暇な時は楽しめる。今回もう一つ紹介したいのは、このブログのタイトル”人生はさすらい”と同じタイトルの曲を作ったキャット・スティーブンスという人の動画だ。この人は最初はポップスターいわゆるアイドルスターとしてデビューしたのだが、その虚飾に満ちた生活に嫌気がさしたのとたまたま結核にかかり長期入院してしまう。退院後は自分で曲を作り、歌うシンガーソングライターとして再デビュー。70年代初頭のSSWブーム(今をときめく大エルトンもこのあたりから)で脚光を浴びた人だ。

 その彼の4枚目のアルバム”CATCH BULL AT FOUR”のオープニングナンバーが”SITTIN'"つまり”人生はさすらい”という曲なのだ。何となくタイトルが辛気臭いと思ったあなた、正解です。彼は最初はクリスチャンだったのが結核を患った頃から仏教に傾倒し、この4回目に”牛を捕まえる”と言うタイトルは十牛図の中の4番目”得牛”のことなのです。まあ、このほかにも飛行機に乗ってる時に自分が持っていたものが仏像とチョコレートだったことから"BUDDA AND CHOCOLATE BOX"なんていう傑作アルバムを出す人だったから、死ぬまで仏教徒だろうと思ってたんですが。

 何年前かな、急にキャットの音が聞きたくなりアナログではほとんど全てのアルバムを持ってたが、CDが無かったのでこの際最新の物をと思って調べたらいつの間にかイスラム教に改宗して音楽活動はほとんどしていないことが解った。ま、驚きましたねあたしゃ、キリスト教から仏教そしてイスラム。てーことは次はゾロアスターか、まさか神道ってことは無いだろうな。靖国で参拝なんかしてんじゃねーよなどと妄想が広がっていった…

 それはさておきキャットいや今はユセフ・イスラムさんになってる方のイスラム教プロパガンダ用の動画はこちらです。かっては、長髪髯もじゃの2枚目シンガーが見事にモスレムの人になっています。このビデオを初めて見つけたときはコメントが物凄くて『昔は大好きだったが、今はテロリストだ』とか『見つけたらただではおかない』といった白の人たちのコメントに対して『ざまーミロこの男は今は俺達の味方だ(HE IS ON OUR SIDE!!)』といったイスラム系の人のコメントがあったのだが、流石にどちらも削除されてました。ここから、いろいろな話の展開が出来、したがって今回のイスラエルの空爆はと言った政治ネタは今回やりません。みんなそれぞれ考えてみてちょんまげ(フルッ、ダサッ!!) 


あ、あした、天気になぁぁれ!

 先日sugarmountain氏のブログに遊びに行ったら、NHKのBSで加川良のライブをやったという情報が入った。ひと頃NHKのBSで懐かしのフォーク大全みたいな特集が良くあり、アルフィーの坂崎や役者の佐野史郎あたりが司会していたが、その手の番組に岡林と並んで加川良は絶対出なかったのでちょっとビックリした。同時に悔しさも増してきた。まあsugarmountain氏もその日は仕事で遅くなり見逃したらしいので「目出度さも中くらいなりオラが春(by一茶)」という心境である(例えがおかしくないか?)。その日は朝からくやしいくやしいと連発していたら、我が配偶者がちょべりぐ(フルッ)な情報を仕入れて来た。

 何と加川良が宮崎で単独ライブをやる!!日時は9/16(土)、場所はニューレトロクラブ、チケットはワンドリンク付きで前売り3,500円。これは必見ですよ。このブログの記念すべき第1回目の記事がカンタローと下地のライブ報告だったが、今回の加川良のライブもまた偶然が重なって知ることになったのだ。というのも我が配偶者が久し振りに大牟田から宮崎に来た学生時代の友人たちとある地鶏屋に行ったことがきっかけなのだ。マスターが弾き語りをするというそのお店で偶然チラシを見つけて貰ってきた。

 ここまで書いて加川良、加川良と大騒ぎしているのは僕一人ではないかと言う気がしてきたが、そんなことに負けるわけには行かない。ここで簡単に彼のプロフィールを紹介すると時代的には岡林のちょっと後、高田渡のマネージャーをしていた時期があって…と書いても岡林や渡の説明からしないといけないので、彼の名をあまりに有名にした”教訓1”の歌詞を一部紹介する。

 

命は一つ、人生は一回だから命を捨てないようにね。慌てるとついふらふらとね、お国のためなのと言われるとね。青くなって尻込みなさい。逃げなさい、隠れなさい。



 この後も”そうよ、あたしゃ女で結構、女の腐ったので構いませんよ(今なら女性サベツだと言って騒ぐ連中もいるかな?)”とか”死んで神様と言われるよりも生きて馬鹿だと言われましょうよね”などと辛らつかつユーモラスなフレーズが続く。こんなきな臭い世の中をもう一度笑い飛ばす歌の力は必要だ。でももっといい歌が沢山あるのよ。今CDは確か4枚ほど(作品は2桁以上あるが、市場に流通しているCDという意味だ)出ていて、どれもオススメであるがあえて1枚選べば「アウトオブマインド」を僕は選ぶ。昔LPレコードで聞いてた時は同級生のS戸君の下宿でA面を繰り返し聞いていたものだ(B面も良いけど、お気に入りの曲はA面に固まっていた)。

 ところでこのイベントどこが仕切ってるのかなと思ったら、何と個人でした。チケットの申し込みを電話でしたら、出てきたのは普通のオバチャン風な話し方の女性。今日その方の職場に行って少し話をしてきたが、年齢は僕と同じくらい(したがって、決して若いとは言えない年齢である)。HPで調べたら前日の15日は鹿児島で有山淳司(この人のアコギもカンタローと違った意味でブルースフィーリングタップリなのだ)や他のミュージシャンと一緒にライブをやるので、そっちも見たいなと話したら結構乗ってきた。どうやら若い頃から加川良のファンで東京、大阪と今でも追っかけ(本人が言ったのだ、僕は何となくしっくり来なかったが)を続けているとか、今まで日向や延岡、都城では演ったことはあるが、宮崎で演ったことは無いので『呼んでよ』と言われて、今回のライブを企画したとのことだった。

 しかし以前のカンタローのライブの時も書いたが、もっと情宣しないと人が来ないよな。今日買ったチケットの一番後ろの番号は39番、てことはまだ39人しか客がいないのか…。

 断言します。3,500円しょーもない居酒屋で飲んでしまったり、パチンコで捨てるくらいならチケット買ってください。必ず見てよかったと思うこと間違いなし。場合によっては人生観が変わります。今の国民の大多数が「金ズラ、世の中銭ズラ(by秋山ジョージ)」と考え、行動し小泉マジックにはまるなか、世の中そうじゃないってことが必ずわかるライブになります。でも必要最低限のお金は要るけど、ま、渇しても盗泉の水は飲まずって言うしね。わかるかなー!?

In the cool August moon.

20060806014019.jpg

 今日は休みだったが、朝一で子供を部活の会場に送り、その足で病院を2軒掛け持ち。一発目はA木内科で週一の注射。ここはとにかく患者さんの多い病院で本日も9時前に着いたが駐車場はほぼ満車。待合室は満室で、例のよって書架にもたれて週刊現代を読破。JR東日本が革マルに支配されてることを、何を今更などとつぶやきながら読み、細木何とかのペテン師人生をさもありなん、溝口さん恫喝に負けずに頑張って下さい、噂真の頃からファンでしたなどと考えているうちに看護婦さんに(看護士と書くのが正しいようだが、これでいいのだ。ちなみに井川遥のナース服は時代のせいもあるが太って見えてダサいのだ、などとドサクサ紛れに脱線してみる)呼ばれる。 

 『なんだ、早いじゃないの。うちの近所の何とか病院はもっと凄くて…』などと文句言わない。僕は診察無しの注射だけにしたので十何人か飛ばして処置してもらってるのだ。看護婦さんから「久し振りですね、最近見かけなかったけど、どうしてたんですか?」などと飲み屋の馴染みのオネーちゃんみたいなことを言われた。そのとき思い出した小話。ある病院の待合室で老人が別の老人に話しかけた。『最近○○さんを見ないね』『うん、どうも病気になったらしいよ。』お前ら病院に何しに来とるんじゃ!世間話か!ていうか、病気になったら家で休み、元気になったら病院で仲間と交流するというのもまた一つの理想の老後かって、違う違う。

 などといってるうちに次のN部病院にたどり着く。ここは総合病院なので診察前に血圧測定があり、156の87という数字が出た。いつものY田先生はお休みということで、別の(名前は忘れた)先生から「ちょっと血圧が高めなので、もう少しコントロールする方法を考えましょうか?ま、その前にもう一度計って見ましょう」と言われ、再度計ると126の82「いやー、全然大丈夫ですね。ただ念のため普段計れるときに血圧計って見てください。今週はこうだったくらいでいいですよ」等といわれる。この先生の話の後で血圧を測ったらまた上がっていたに違いない。

 何故なら、心の中で「全然という言葉は下に打消しや否定の意味の言葉を伴って初めて強調の意味になるんだよ。肯定的に使うのは本来間違った用法だが、そんなことも知らずに使ってる馬×(自主規制、最近細かいことに気を使うんだなこれが)が多いから、今では肯定的に使われるケースが増えただけだなんだよ、ケッ」などと毒づいていたのであった。最初の血圧が高かった理由も自分の中でははっきり理解している。その日血圧を測定したのは僕が鉄仮面と名づけている鬼の婦長さんだったからだ。この人は患者の言うことを一切聞かず常に自分のペースで物事を進めるので、周辺で悲鳴が良く聞こえる。『いてててっ』『大丈夫ですっ!』。ちょっとした悲劇である。

 そうこうする内に昼になり、なんだかんだしてるうちに眠くなり3時くらいから昼寝をして、はっと気がつくと5時前である。読むべき本も溜まっているのに惰眠をむさぼってしまったと反省しながらPCを立ち上げる(反省とやってることがあってねーぞ、オッサン。堪忍してエナ、キャインキャイン。ここ殿山泰司大先生のパクリ)。ブックマークに登録しているブログやHPをチェック。コメントを何件か書き込む。そうだ、久し振りにYahoo!動画でも見るべぇと(殿山節が抜けません)お笑いをチェックするとラッキー。U字工事の新作が2本入っている。友近のワンマン(ワンウーマン?)は途中で前見たネタがあったのでカット。

 映画と音楽のところで見たい番組が何本かあったが、ついでにチェックしたアニメの所で固まってしまった。(Yahoo!のアニメはたまに目茶苦茶面白い物がある。『ワイルド7 ANOTHER』や『魔獣戦線』なんかは面白かったな)今回は何と”妖怪人間べム”である。おー、懐かしい。♪闇にかーくれて生・き・るっ、俺達ゃ妖怪人間なのさ。人に姿を見せられぬ、獣のようなこの体~誰か止めろよー、いつまでも歌い続けるぞ、このオッサン。兄ちゃんそんな言わんと堪忍してぇな、キャインキャイン。(これはもういいか)期待して見ました。

 何と、リメイク。しかもオープニングテーマは旧作の二番煎じで(旧作の方がはるかにカッコイイ)あったが、番組中のBGMのピアノはフリージャズだ。エンディングテーマはセミアコのギターもいいがボーカルが上手すぎるっ、どっかで聞いた声だ。あー吉田美奈子、作曲は渡辺香津美、どおりでギターの謎が解けた。エンディングテーマは「8月の永遠」というタイトルで今の季節にぴったりであった。肝心のアニメの中身だが、現代にアレンジしてあるので登場人物が携帯を持っていたり、親父狩りみたいなことをしたり、まだ第1話しか見ていないので四の五の言うのはやめておくが、旧作では手の指が3本しかなかったベロがちゃんと5本あったりして所謂差別の問題なんかの影響があるのかなと思わせる点もあった。

 しかし、毎度毎度のことだが『早く人間になりたい』ので悪い妖怪と戦い人間達を守る心正しい妖怪人間達が、その外見の為に人間社会に受け入れられずに疎外されていくという大オーソドックス、天然ワンパターン尚且つ文明批判ありのお話なので、これからじっくり見させてもらおう。でも今の人間になっても、世の中が子供を平気で殺したり、子供が親を殺したり、家に火をつけたりロクな社会じゃないけどね。そうそう、旧作の頃から気になっていたのはどこの世界の話かということ。旧作は国籍不明だったのこのリメイク版は明らかに日本が舞台である。この現代日本にあの格好の3人組が出てきたら完璧浮いてしまうか、どっかのコスプレ?SM?って感じだよな。しかも、名前がべム・ベラ・ベロで苗字も無いのでアパート貸りるの難しいかな?

 いかんなあ、少しは真面目に音楽のことを書こうと某所で宣言したのだがまたおちゃらけた話になってしまった。せめてタイトルだけでも涼しげにB.イーノの”アナザーグリーンワールド”の中の”セントエルモスファイア”の一節からお送りしました。

お知らせ

 来る8月25日にビジネス実務科1月生の初めての(2回目の?)OFF会を実施します。時間や場所、予算等については既にT本さんから連絡が言ってる人もいるかもしれませんが、本日改めて私の方からメール致します。涙、ナミダの修了式からはや4ヶ月近く。希望の仕事について燃えてガンガッテル人も、不本意な職業に従事し、不満とやりきれなさから『やけっぱちのルンバ』を歌っている人も、また未だに仕事を探している人もいるでしょうが、この日だけは共に学んだ日々を語り合い、打算や駆け引きの無い会話を楽しみましょう。

 皆さん、万障繰り合わせの上是非ご参加下さい。尚、当ブログですが本来元ビジネス実務科1月生の集まる場として開設したのですが、当初の趣旨とやや外れてきた感があります。みんなの集まる場としては新たにBBSでも設置して、ブログはパスワード無しのオープンな所に引っ越す考えもあります(もちろんタイトルも変えて、場合によってはHNも変えて)。そのあたりのこともいろいろご意見お聞かせ下さい。

 取り急ぎOFF会の連絡でした。

力及ばずして倒るることを辞さない!って要は眠いのよ。

 ウワッ!やっちまったよ。8月1日からしっかり更新しようと思ってたのに、ちょっと油断しているうちに零時を回ってしまい、2日になってる。以前だったら投稿の日時を修整していたのだが、そういう姑息な真似は止めたので残念ながら2日スタートということでヨロシク(って誰に言ってんだよ!)

 えー、この自分で言って自分で否定する、哲学的には自己否定という行為はって違うだろ!一人ボケ突っ込みのスタイルは当然ながら僕のオリジナルではない。殿山泰司という役者兼フリージャズガイキチ兼エッセイスト兼アナーキスト(その他枚挙に暇が無い)がオリジナルだと思う。もう鬼籍に入ってしばらくたつので知らない人も多いだろうが、ギョロ目でつるつるのスキンヘッドで独特のだみ声、多分スクリーンで(いや現実的にはビデオかDVDだな)昭和30~40年代の映画を見たら『あー、このくそじじい」とすぐ解ると思う。

 この殿山のタイチャンがいい文章書くのよ、山下洋輔の文章スタイルや最近はあまり書いてないのかな、天才明田川や恐らくほとんどのジャズミュージシャンが書く文章のスタイルに影響を与えてると思われる。だめだ、ここまで書くだけで目がつぶれそうだ。ここから話はブライアン・イーノの3rdアルバムの中のフレーズ”in the cool August moon"とE.C,のブラック・サマー・レインに関連付けて真夏の中の涼しいひとときとはどんな時かという心に染み入るお話になるはずが…。残念。続きは明日か明後日、気分が乗ったら再開。乗らない時は新しいネタで。

プロフィール

Author:drac ob
FC2ブログへようこそ!

月別アーカイブ

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

ブロとも申請フォーム

FC2カウンター

FC2カウンター

現在の閲覧者数:

QRコード

QR

鳩時計

フリーエリア

ブログ内検索