ストレンジャーイン”アキバ”

搾取にあえぎ解放を求める被抑圧人民、な筈はない!!

 おれがその街に着いたのは夕方5時を少し廻った頃だった。取引先と新規ビジネスの商談をする友人に同行して山手線を降りた。何かが違う。どこかで誰かがきっと待っていてくれる…これは木枯し紋次郎だった(みんな知ってるかな紋次郎、”あっしにゃかかわりのねぇこってござんす”と言ったその後、重力の法則を全く無視した必殺楊枝飛ばしをする渡世人)。違った。誰かがおれを呼んでいるそんな気のする街だった。駅を出て人の流れに従ってにぎやかな通りに出ると、そこは若者(何故かみんなリュックを背負って、眼鏡をかけていた)と外国人と抑圧された婦女子労働者の大群が居た。

 「お願いします、お願いします」とその婦女子労働者達は大声を上げながらビラを配っていた。全員制服を強制的に着用させられているようだ。これが悪名高き「高度に発展した資本主義社会における労働者への搾取」の現状とその「解放のために連帯を求めている」闘う仲間に違いないと確信したおれは積極的にその婦女子の集団の中に入った。そして一言「解放に向けて共に闘わん!」。その婦女子労働者はにっこり笑いながらおれにビラを手渡した。そこには「メイドカフェ&バー MerryHeart リニューアルオープン致しました!是非、素敵になったMerryHeartへお帰り下さいませ。」と書かれていた。

 よく意味が分からないが、何かの暗号なんだろう、きっとこのおねいさん達は悪い資本家に搾取されているに違いない。みんな貧しいので職場の作業着しか着る事が出来ないのだ(これはある意味正解)とおれは満腔の怒りを胸にいざ闘わん、いざとおねいさんの後をついて行き、とあるお店に入ると、そこには楽しそうな人の声とおねいさん達の笑顔が…わーこれ以上はダメ、子供が読むかも、配偶者が読むかもしれん。ま、そうならないようにブログのアドレスは教えてないし、パスワードは口が裂けても言わん。が、万が一と言う事もあるのでここから1時間ほど記憶を消す。

 ということで帰り道は池袋で下車して食事をする事になった。宮交シティのアポロの泉のような所を通り抜け(田舎もんの見栄)東京芸術劇場も過ぎ、ちょっとした路地の中ほどにあった中華料理店に入った。「いらしゃい、なにする」と少々変ったオーダーの取り方をするウェイトレスに「酢豚ライス」とクールに注文。店内を見回すと外国人も食事していた。「すぷサービスね」と言ってウェイトレスが”スープ”を置いた。謎が解けた。ここは共産中国の人間がその本来の目的をカモフラージュするために経営している料理店に違いない。あの外国人の2人組みはCIAだ。ここ池袋を舞台に国際陰謀渦巻くドラマが展開されている。そういえば一人で飯食ってたおっさんは内閣調査室の人間ではないか。

 などと一人でメイド喫茶に入れなかったさびしがりのおれは、サービスのトマトの入ったスープを力なく啜るのであった。ちくしょー今度は必ず行くぞ、ブログには書かずにこっそりと…




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♪起きてても、何にもいいことないみたい…

 昨日は友人と再会を祝して居酒屋に行った(無論彼のおごりである。なぜなら僕は被雇用者で、彼が雇用者であるから当然である。別に威張ることではないが…)。その時に僕がダイエットのためウォーキングをしている事は知っているので食事前に隣の駅まで歩こうと誘ってくれた。が、しかし、遠いわ!!最短距離だという細い路地をいくつも通り抜け、ひたすらひたすら歩いてようやく隣の「ひばりが丘」まで出た。駅近くの雑居ビルに行ったら”白木屋”と”魚民”と”笑笑”の看板が出ていた。”白木屋”と”魚民”は宮崎にもあるので”笑笑”に入った。食うだけ食って(友人は飲んで)おなかがパンパンになったが、帰り道30分で結構腹ごなしになった。

 しかし昨日も思った事だが、とにかく都会の人は良く歩く。呆れるくらい良く歩く。その上我慢強い。電車の混み具合や、飲食店の順番待ちの行列など見ても、『まーようやるわ、オレには無理、諦める』と心の中でつぶやいてしまう。宮崎あたりだとどこに行くでもすぐ車、人が多いとあきらめる、こういう生活してると競争心は育たんわな(これ決して嫌味でも皮肉でもありません。『狭い日本そんなに急いでどこへ行く』という言葉があったが、どこに消えてしまったのか。都会の慌しさそれと引換にアメリカ様の言いなりじゃ割に合わんよ。ごめんまた愚痴ってしまった。)
 
 今日から本格的な仕事に入ったが、午前中は商品の在庫チェック、いわゆる棚卸である。似たような名前の商品も多く戸惑いながらも何とか終わる。午後は発注が来た商品を梱包して、発送する仕事をやる。午前中検品したのに余りにも商品の種類が多いのでどこにあるか探すだけで一苦労であった。さすがに友人は僕が探しきれない商品名を言うと「それは奥の上のほうにある」とか「ラックの上から3番目の真ん中あたり」とか、見なくてもどんぴしゃで商品のありかを言い当てる。さすがプロである。

 普段の運動不足がたたって足腰が痛い。ヤワな体になったものだ(あー愚痴っぽい、もっと気の利いた話は出来ないのか)。

 えー、暗い話題はやめにして昨日・今日とあちこちにメールを送っているのだが、みんなの反応がおもしろいと言っては悪いのだが、なかなかに微笑ましいものがある。何人かの人に「東京もんにだまされず、宮崎に帰ってこいよー(ここ懐メロ風に)」とのメールを貰ったけど、そんなに僕は騙されやすい顔をしているのだろうか。確かに根がおっとりしていて、上品でボンボンであることは否定しないが。それと明日仕事でアキバに行くとメールしたらメイド喫茶はどういう所か調査して報告せよと言う指示をM野さんから貰った。

 この指示をどうするか、ただ今鋭意検討中である。決死の覚悟で突入せよと僕の中のジャーナリスト精神が叫ぶ(いつそんなもんが出来たん?単なる興味と違います?)。また子供からは電車男は本当にいるのかという実存主義的な課題も出されている。その他にもお台場とは飯場とどう違うのか?って今時の人は飯場なんて知らないぞ!何、じゃ岡林の名曲”飯場、飯場と流れてく~、おーれーは一生流れ者…”の歌も知らないのかと頭が混乱してきたので『もう寝ます』(by吉田拓郎)。

「東京へやって来た」って、友部のパクリやー!!

 はー、やっと着いたぜ。田舎モノが粋がってはイカンという事ですね。というのも昨日の予告通り、ただ今”花の東京”からブログを発信しています。本日の10時30分発のSNAで羽田に12時過ぎ到着。機内放送では機長が「予定より早く11時52分には到着…」などと言っていたが、結局定刻よりやや遅れて無事到着。羽田からは、やはりモノレール(今は快速があるのにびっくり。浜松町まで2駅しか止まらないんだぜ、ベエビーとここはRC風にキメル)。

 浜松町からは山手線でブクロまで(ブクロと言えば池袋の事よ、ちなみに上野はノガミ、ノガミと言えばドサ健。カッコイー!麻雀放浪記!!!)ブクロから西武池袋線で保谷まで、と決めたつもりだった。途中T本さんにメールで「やっぱり都会(まち)の空気が俺には似合ってるぜ、東京流れ者よ」などとカッコつけてたら…

 そもそも友人に池袋から「13時42分の保谷行きに乗る」とメールしたのだが、同じ乗り場に33分発の各駅停車があったので確認せずに飛び乗り、「33分発に乗った」と訂正メール。折り返し了解した旨のメールが来たので安心してたら、何故か練馬でほとんどの乗客が降りた。ふーんと気にしないでいたら、車内放送で「次は終点の豊島園…」とアナウンスが。不安になりながらも一旦電車を降りて、再度友人に電話しようかと考えたが、たまたま駅員と目があったので「オラ、九州の田舎から出てきただよ、都会の電車はわかんねぇ。保谷にはどうやって行くんだっぺ」とあからさまにトーホグとエバラギ訛りで聞いたら、駅員はにこりともせず「この電車はここが終点です。保谷に行くには一度、練馬に戻って階段を下りて2番乗り場から、今なら丁度、準急に乗れます」と極めて業務的な対応をされる。

 そんなこっちゃイカンじゃないか。去年のJR西日本の事故の教訓はどうなった!民営化されて何年も経つんだろ。乗客のギャグにつきあって「そら、えらい難儀な事でんな。なんやったら一緒に行きまひょか」ぐらい言えんのか。

 と心の中で思う余裕もなく、速攻で今乗って来た電車(折り返し池袋に行くので)に乗り練馬に戻り、準急に乗り、友人にごめんメールを送り無事迎えに来てもらった次第だ。大体豊島園(としまえん)って何だよ。産廃で問題になったところかよって、それは豊島(てしま)。恒例の一人ボケ突っ込みでした。疲れで切れ味も鈍いので今日はおしまい。

 明日から首都圏の問題点を、小泉政権の腐敗を鋭くえぐるブログに注目せよって、オッサン疲れてるなら、はよ休みや!!ハイハイ。

悲しき4チャンネルステレオ+告知

懐かしき4チャンネルステレオ

 忘れないうちに昨日の続きを書こう。学生時代まではお金を出してレンタルという市場も考え方も無かったので、ひたすらレコードを買った(または先輩・後輩・友人・知人に借りた)。自分の衣食住にかけるお金を節約して(ひどい時は家賃を滞納してまで)レコードを買っていたので、所有している全てのレコードに愛着があり、1枚1枚の特徴もしっかり把握していた。またオーディオ機器も急速に品質が向上していた時代だったので、最初はラジカセで録音していたが、後輩から中古でカセットデッキを購入し、借りたレコードは片っ端からカセットに吹き込んだ。(ごめんな、CDとかMDとかなかったのよ。DATもまだの時代。せいぜいがメタルテープって、メタルテープも知らないだぁ?怒るよ!)

 僕も結構なレコードコレクターだったが、所属していたサークルが”レコード音楽研究会”だったので、更に上を行く人がごまんといた。代表的な人がK平さんといって、同じ宮崎出身ながら高3の時に鹿児島に引っ越したためあの”かごんまべん”(文字で書くとあの独特のニュァンスが消えてしまう)を流暢に使える人だった。1年上だったが2回生になってからサークルに入った人なので(サークルの上下関係は学年もあるが、いつから入っているかでBOXでの態度は違った。つまり早いもん勝ちなのだ)わりと気安く話せる先輩だった。が、始めて彼の下宿に行った時は腰を抜かした(こういう表現があるが、現実的に腰を抜かすわけが無い、と思う僕はひねくれ者だろうか)。

 なんと四畳半の部屋一杯にレコードが溢れているのだ。もちろん本箱というかラックのような物に入れてあるのだが、人一人寝れるスペース以外はレコードなのだ。また知識も物凄く知らないロックミュージシャンはいないと思えるくらいだった。そのくせステレオというかオーディオはちゃちな物で、一時期は僕の4チャンネルステレオ(こう言っても何のことか解らないだろう。幻のヒット商品、悲しき4チャンネルステレオ。巨大掲示板の2ちゃんねるとは全く関係ない)、のリアスピーカーを貸してあげたくらいだ。

 またまた話が横にそれそうになった。要するに学生時代までは必ず買っていたレコードを、社会人になってからだんだん買わなくなり、レンタルで済ますようになったということなのだ。それに伴い1枚のレコードから得られる感動や印象も薄っぺらいものになり、ちょっと気になるレコードもとりあえずレンタルしてテープにコピーして終わり。その後聴き返す事も無くまた次のレコードを借りる、その繰り返しになりいつしか音楽に対する情熱が冷めていった。(最近読んだ記事でHDDが普及してきたが、実際はHDDに録画することで安心してしまい、再生することなく次の番組を録画している人が多いと知った。何故僕達はそんなに慌てて消費しなければならないのか?これもアメリカの陰謀か?こういうのを陰謀史観という。別名被害妄想とも言う。)

 ただその中でも必ず出たレコードは買っていたミュージシャンはいたが、次にまた音楽に対して情熱がわいてくるのは鹿児島に転勤になり西駅(今は鹿児島中央駅というのか)の近くにあった小さなレコード屋さんと顔馴染みになってからだが、その話はまた改めて書きたい。ここまで書いてきたが、どうも最初書こうと考えた流れとは違った物になってしまったことに気付いた。少し時間を置いて読み直して、手を入れ直すかそのままにするか決めよう。(結局そのままアップしました)
 ところで突然ですが、明日から1ヶ月ほど宮崎を留守にします。東京の友人の会社でバイトすることになったので、明日からはこのブログ、花のお江戸は東京からアップしますので変わらぬご愛顧のほど、宜しくお願い申し上げます。

余は如何にしてレンタル主義者と成り果てたか。

Bob Marley & The Wailers
 料金半額セールだったので、久し振りに子供たちと一緒にTSUTAYAに行った。いつもは家族と一緒の時には何も借りないのだが、今日は前回来たときに入荷をチェックしていた”ボブ・マーレィ&ザ・ウェイラーズ”の”アップライジング”(写真のジャケット)を借りてしまった。

 ここ何日かの日記の中で学生時代のことを書いていた事が、頭のどこかに残っていたのだろうか。このアルバムはボブ・マーレィのラストアルバムで、この作品の発表後、彼は病のためにこの世を去る。アルバムの発表は80年だが僕が手にしたのは81年、大学を中退し失意の中で市役所の臨時に通っていた頃だ。今ではみんな忘れたかもしれないが、当時はレンタルレコード店というのがあった。まだアナログの30センチLP盤の時代で、アルバム1枚が2,500円から3,000円する時代だったがその頃はお金を出してレンタルという発想は全く無かった。せいぜい友達同士の貸し借りである。それもある程度気心の知れた人間でないと、こちらが大事にしているレコードのジャケットを汚されたり、ライナーノートがしわくちゃにされたり、ひどい時は盤に傷をつけられたりする事もあった。そのことが理由で人間関係にひびが入ったりすることもざらにあった。

 ところがそんな状況の中、いやそんな状況だからこそというべきかそれまで購入か中古の売買、または友人同士の貸し借りでしか入手できなかったレコードをビジネスとしてレンタルする会社が出てきたのだ。学生の起業の走りではなかったか。当時僕はこのレンタルという考え方が不愉快で、欲しいレコードは何としてでも買う(お金が無いなら働く、節約する、貯めるetc…)。欲しくない物は買わない。これが本当のロックファンだなどと突っ張っていた。

 本当にそのレコードが欲しければ、何としてでも買ったのだ。高校生の頃は親に参考書を買うとか、服を買うとか言って初めの頃はお金を手に入れていたが、その手の嘘はすぐにばれる。次に考えたのは昼飯代を何百円か貰い飯を抜く。ただ何も食べないともたないので、雪印のヨグールを買って昼ごはんの代わりにしていた。何故そんな物をと思うかもしれないが、何となく栄養がありそうだったのとコマーシャルが好きだったからだ。今また思い出したが、高校の同級生で髪を切るのが上手い奴がいてそいつに髪を切らせて、親には床屋に行ったと言ってお金をゲットしたこともあった(その彼は今お医者さんをやっている。もったいない話だ、ン?)

 そういう思いをしてアルバムを1枚1枚購入したので、聴き方も半端じゃなかった。買って何度か聴いても気に入らない事もある。そういうときは気に入るまで何度も何度も繰り返して聴いたり、歌詞の意味を調べたり、参加ミュージシャンにスーパースターがいないか、つまり投資したお金の価値をなんとかしてプラスにもって行こうとしたのだろう。もちろん音楽であるから当たり外れは付き物で、当時の大枚2,000円をはたいてどこを探してもにっちもさっちも行かないレコードに当ったときは大げさではなく眼の前が本当に暗くなった。

 そういう気に入らなかったレコードや、もういい加減聞き飽きてしまったレコードをどうするか。新譜レコードや、興味のわくレコードは増える一方だ。そうだ、交換すればいい。早速ミッシェルレコードカンパニー(略してMRC、何故ミッシェルかというと、その頃僕はミッシェル・ポルナレフの大ファンだったのだ)というのをでっち上げて、高校のロック好きに片っ端から声をかけた。また僕は中学校2年までN岡市に住んでいたのでそのころの友達にも手紙を出して呼びかけた。

 この方法は良かったが、いかんせん交流範囲が狭いので音楽の傾向が偏ったり、同じレコードがダブついたりする。そこで次に眼をつけたのが当時出ていた音楽雑誌。ミュージックライフはミーハーだったので音楽専科という雑誌の『レコード売ります・買いますコーナー』に投書しルートを広げたのだ。今のようにメールがあるわけでもないし、電話番号すら解らない(仮に解っても電話料金がとんでもなく高かった)ので情報交換は全て郵便、封書。しかも現物先送りだったが、これといって事故は無かった。性善説が生きていた時代だったのだ、ただしロックファンの中だけだが。

 ここまで書いてきて、ボブ・マーレィがどこかに行ってしまったことに気付いた。最初は81年という失意の時期に聴いたこのアルバムの話を中心にした音楽ブログにするつもりだったのだが、昔話に花が咲いてしまった。いかん、いかん、が今更書き直すのも大変なので今日はここまでで許して。また気が向いたらこのときの話アップしますので。

母の愛は地球を滅ぼす

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 何日か前にTSUTAYAのフリーマガジン(毎月無料でくれるDVDやCDの作品案内の小冊子)に「フライトプラン」というDVDの紹介があった。高度11,000メートルという密室の中で6歳になる娘が行方不明になる。最初は単なる迷子探しだったが、だんだん異常を来たして、ついには娘は最初から乗っていなかった?父親と一緒に病院で死んでいた?が窓に残った娘の痕跡からジョディ・フォスターの娘を守る戦いが始まる…てな紹介で(手元にその冊子が無いのであいまいな記憶からだが)結構触手が動いた。

 今日配偶者が新作半額の日と間違えて借りてきたので、夕食を取りながら見た。普段は無口な僕だが(異議なしの声はどうした!)、我が家でTVを見ているときは、しょっちゅう文句を言ってるらしい。今日もこの作品を見ながら「おい、まさかオチはシックスセンスで、実は死んでましたじゃ無いだろうな」とか「解った、オリエント急行殺人事件だ。乗客から乗組員全員がグルだ」とか喚いていたらしい。ただあまりにも限られたシチュエーションだけにすぐ謎は解けるんじゃないかと思い、それほどまじめに見て無かったのだが。

 母親役のジョディ・フォスターがだんだん偏執狂みたいになっていく所は迫力あるのだが、途中から、あれっ、ちょっと待てよと思い始めた。というのも行方不明になった娘を探すという目的のためには手段を全く選ばない、まさに今のアメリカそのものじゃないかと思えてきたのだ。

 いくつか例をあげるとあごひげを生やしたいかにもアラブ人らしき乗客に「お前が誘拐犯だ。昨日二人で娘の部屋を覗いていた」と決め付ける。明らかに予断と偏見である。ラストシーンでお互い誤解が解け、床にあったバッグをアラブ人が拾って渡すのだが「サンキュー」の一言も無い。また娘を探すために飛行機の設備を勝手に操作する。突然酸素マスクが降りてきたらまともな神経の人でもビビルって。まして電気をショートさせて機内を真っ暗にしたら心臓発作を起こす人や血管が切れて脳梗塞を起こす人や動脈瘤を持ってる人などそのショックで死んでしまいかねない。

 このほかにもとんでもない事をやらかすのだが、全て『我が子を救うため』という大義名分のため許されてしまうような描き方だ(ラストシーン近くで乗客の誰かが『すごい母親だ』みたいなことを言う)。正しく2001/9/11以降のアメリカそのものじゃないか。「テロリストとの正義の戦い」をスローガンにイラクやその他の(自らの国家利益に反する)国々に戦争を吹っかける。無理難題は押し付ける。何が「年次要望書」だ。ふざけるんじゃねぇよ!!と、またしても『世界の警察国家』アメリカに蟷螂の斧で向かっていくようなことを書いたが、誤解しないで欲しいのは僕はアメリカの文化が大好きなのだ。ただ国家としてのアメリカやアメリカ的な大国主義に反対しているのだ。

 と、ここまで書いてきてふと気がついた。この映画のネタバラシしてないよな、それだけは最低限のマナーだからな。ま、気になる人は実際にレンタルするか、ジョディ・フォスターのインタビューもリンクしておいたのでそちらを見てください。

 

先輩へのメール

 先日は不躾なコメント失礼致しました。にもかかわらず先輩のお言葉に甘えさせて頂き、メールを書いております。

さて私、drac-obのハンドルネームの通り、75年同志社大学文学部英文科入学というかDRACに入会し6年間在籍後中退という輝かしい過去を持っております。

本名は○○、九州は宮崎の出身で、今現在も宮崎に住んでいます。ちなみに以前先輩のブログにコメントしたsugarmountainは直接の後輩です。彼のブログの存在を知ったのも、20年ぶりに彼と連絡が取れたのも一重にこのブログのおかげと感謝しております(その割にはお礼の連絡が遅いとのご指摘は、その通りですとしか答えようがありませんが…)。

初めてのメールでどんなお話をすればいいか解りませんので、とりあえず私の入学時というかDRACへ入会した時の話でも展開してみたいと思います。

九州の田舎から出てきたもので右も左も解らなかったのですが、幸い私の下宿先(N井昌二郎さんが大家さんでした、当時で60歳くらい)の対面に九州人だけの下宿(大家さんはT山さんとかT島さんという名前の高校の先生でした)があり、そこに出入りするうちに『大学はサークルに入らないと駄目だ』と、今思えばあれが転落の第一歩、の声を聞き、とある土曜日に別館(同志社大学学生会館別館、なお大学当局は大学会館われわれ学生は学生会館と呼んでいました)を訪問しました。

最初は隣の下宿の友人が入っている音楽研究会(いわゆる2部音研、2部とは夜間部のこと。サークルは2部だが所属している学生はほとんど1部という特別なサークルだった)のBOX(部室のこと)に行ったのですが、たまたま鍵がかかっておりメンドクサガリの私は、”確か似たような名前のサークルがあったな”と入学時に貰ったオリテ(オリエンテーションの省略形)の資料を見て4階のレコード音楽研究会のBOXの扉を叩きました。入った瞬間”汚い所だな”と思い少しひるみましたが、入会希望の旨を話すと、ゲゲゲの鬼太郎に良く似た人が『どうする?』と角刈りでミラーグラスのサングラスをかけた人に聞き、その人が『ええんちゃうか』と答え、ようやくサークルの説明、ロック・ジャズ・ブルース・クラシック(但し当時クラシック班は活動休止中でした)のどれかの班に所属し、週一回の研究会に参加する、特典としてMレコードで2割引でレコードが買えるなどの説明を面倒臭そうに話してくれてました。

この鬼太郎によく似た人が当時商学部3回生で幹事長のY田さん、サングラスが法学部3回生で副会長のS賀さんでした。説明を受けて会員カードに現住所や帰省先、学部・学科等記入し提出するとY田さんは『おっ、また九州やで』と嫌そうな感じでS賀さんに話していました。とにかく最初の印象は感じが悪い、排他的、汚い(床にはタバコの吸殻が散乱、テーブルには焼きこげや落書き、ソファのシートは破られ中のスポンジはあちこちに飛び出ていました)、とてもじゃないが続かないだろうと思いつつ、レコード2割引は魅力だなと相反する気持ちでいました。

それでも同じ1回生の友人が出来たり、1級上の先輩達が口は悪いものの結構面倒見が良かったりして、夏休み前には毎日BOXに通うようになりました。当時不思議に思ったのは、2回生は多いのですが3回生が少なく、4回生は全くといって良いほど研究会には来ないし、BOXにも来ない、コンパにも参加しないという現状でした。

2回生の先輩に聞いたところ、以前の上級生が余りにも横暴でそれに怒った2,3回生が放逐したとの事でした。詳しいことは教えてもらえず、あまり納得できない内容でしたがさほど気にはしませんでした。それでもイブ(EVE祭、学園祭のこと)の時などには4回生の方も来られ、お名前を記憶しているのがAベさん(体格の良い方で、当時5回生。理由あって自主留年された)、Y田さん(ヨッチンと先輩方は呼んでました、何度か一緒に麻雀をした記憶があります)。4回生ではA井さん、Uナギさんという名前を覚えています。

それとこれは先輩ご存知かどうか解りませんが、多分79年くらいにBOXに居た時にDRACのOBという方が来られ(痩せ型できついメガネをかけていた印象があります)自主出版したとの事で『ワルシャワの生き残り』という冊子を持参されました。その時にDRACの先輩、松本勝男氏(音楽評論家、故人)や記憶違いでなければ山本明氏(同志社大学文学部助教授、当時)のお名前が出ましたが、悲しいかなクラシックの造詣が全く無いため話が噛み合いませんでした。

長々とくだらないことを書き綴りましたが、書いていくうちにいろいろ当時のことを思い出してきました。ご迷惑でなければまた改めてメールさせて頂ければと思います。

これから入梅の時期。お体くれぐれもご自愛下さい。奥様にも宜しくお伝え下さい。それでは失礼致します。

(注)赤の文字は説明用に後から書き加えました。
文責;drac ob

えーと、どこまで書いたんだっけ…

 さて今日は、T本さんの就職も決まったことだし、T本さんのパパが大好きなミカミカン(本来は三上寛という偉大なミュージシャンですが、ミカミカンと書くと、”美香みかん”ってな感じのほのぼのムードになるのは何故?)についての話をって、昨日の続きがあるだろ、アルツかよ!!と一人ぼけ突っ込みをかましてイントロを稼ぐ。

 というわけで(なにがというわけかよく解らないが)サークルの先輩のブログを読んでいたら、”DRACとはなんだ”という記事の所にコメントがあり、”79年度生なのでずいぶん後輩になる~”というフレーズを発見。TBされた記事からそのブログに入ると、どうも僕が良く知ってる後輩のI橋君らしい。こちらはさすがに僕の直接の後輩だけあってロックが中心のブログでネタ作りも上手いのでその時からずっと読み始めた。

 そのI橋君とは、共通の友人の結婚式で会って以来なのでざっと20年くらいはお互いに音信不通だった。彼は僕がブログを読んでることは全く知らない(当然である)。いつかチャンスをみて名乗りを上げてやろうと思っていたら意外と早くその時は来た。彼は学生時代、大の石野真子(今の人たちは知らないだろうな、かなり人気がありましたが今思えば歯の矯正をしたほうがいいお顔でした)ファンだったのですが、ブログに最近のアイドル関係の記事を中年おじさん趣味丸出しで書いたのだ。

 鬼の首を取ったように喜んだ僕は”石野真子はどうしたんですか?”といういやらしいコメントを投稿。I橋君はあせった様子で”誰?”と不安なコメント返し。その後直接メールを送って種明かしして、懐かしい話題で盛り上がりました。その時に彼から『ブログやんないんすか?』という誘いを再三受けたが、イマイチPCの知識と技術に自信が無かったので決心がつかなかった。しかし訓練校でN井先生、F田先生、K屋敷先生達にいろいろなことを教わり、また19名という少ない人数でしたが本当に打算の無い、良い人たちに巡り合えてこの縁を何とかキープできるようにという思いを込めて、このブログをスタートした次第です。(エエ話やなぁ)

 ここまででもネットを知って良かったと思える話ですが、実は昨日書こうと思った話はこれではなく、最初の先輩のブログのことです。いくら厚かましく、学生時代から『遠慮と勉強はしない』をモットーに生きて来た僕でも、サークルの先輩といえば三歩下がって師の影踏まずの気持ちでROMにしていたのだ(ROMその心は読むだけ)。ところが22日久し振りにそのブログを覗いてみたら、何と京都は修学院の家が記事になっているではないか。

 この修学院は僕が始めて京都で生活をした町で、北白川の奥の静かな奇麗な町で本当に思い入れのある町なのである。21日からそのテーマで写真と一緒に記事があったが何でも奥様のご実家でこの度相続されたようだ。懐かしさとなんともいえない感傷で思わずコメントを書き込んだ所、翌日コメント返しがあり、な、なんと記事になったお宅は僕が下宿していた所と目と鼻の先だとの事。

 また本当のDRACのOB会のお話や、暇な時にコメントではなくてメールを下さいと言って頂き大いに感動したのだ。早速、メールをと思ったがなんせ気持ちが先行してしまい、書くことがまとまらないのでゆっくり下書きしてメールしようと考えている。取りとめの無い話になってしまったが、それだけうれしかったの!ネットやってて良かったな、もしやってなければ、I橋君にも先輩にも恐らく一生関わることなかっただろうなと思い、そのことを昨日は書きたかったのだ。

 2日に渡り長々書いてメンゴ。明日からまた新たなお話で行きます。ちなみにこのお二人のブログは承諾取れたらすぐリンクします。 

こういうのがネットのいいとこだよな、part1

 どうしようか迷ったが、今日はちょっとうれしい話があるのでそのことを書く。僕がこのブログを始めた理由の一つに、それまで見るものでしかなかったブログを大学の後輩が既に始めていたことがあげられる。訓練校の時はさも昔からネットに親しんでたふりをしていたが(許せ、若気の至りだ!)、本当にハマッてしまったのはそれほど前からじゃない。せいぜい2年くらい前だ。

 なんせパソコンだけは4,5年前から持っていたが最初はダイヤルアップで接続していたのだ(今会員証で確認したら2002年7月6日に登録していた、)。遅い、ひたすら遅いダイヤルアップ、回線がすぐ混んで途中で切れてしまうダイヤルアップ。それがあるとき駅前のNフコ(匿名になってねーよ)でYahoo!のバイトの兄ちゃんに捕まって世界が変わった(ジャガーチェンジ=豹変、by山下洋輔)。3ヶ月間はADSL料金無料につられて体験入会。つないでみました。イヤー早い早い。今思えばたかだか12Mなのだが、それでも動画がストレス無く見れるのには感動した。

 そこから少しずつネットの世界に入っていったのだが、いや今思えば恥ずかしい話ばかり。いろんなPC雑誌を購入して読んだり、当時の会社の詳しい連中に聞いたり、それなりに苦労した。ブログに興味を持ち出したのは、2ちゃんで「きっこのブログ」のアドレスを知りそこから様々なブログを開拓していってからである。音楽関係、映画関係、ニュース・報道関係、果ては政治や文化、その時点で興味のあるものは何でもこいだった(あ、そうそう。懐かしのテレビ・アニメネタなんかも開拓した)。

 ある時、検索というのはどの程度答が返ってくるのだろうかと疑問がわき検索には出てこないだろうと思われる言葉を次々と入力してみた。しかしあきれるくらい何らかの回答が出て来る。もちろんこちらが期待した答ではないものがほとんどだが。その一連の無駄な行動を行っている時、大学時代のサークル名を入れてみた。それが僕のハンドルネームになっているdrac(=DRAC=ドラック)である。

 DRACというのは同志社大学レコード音楽研究会の頭文字で、僕はそこのOBという意味でこのハンドルネームをつけたのだ。さてそのDRACだが暇な方は検索すればお分かりになると思うが、全然関係ない情報が腐るほど出てくる。パソコン用語にDRACというのがあるようで、その他には自転車とか訳わからんのがいっぱい出て来た。

 その数多のデータの中にサークルの先輩(僕より8,9歳くらい年上だと思う)がやっているブログがあった。覗いてみるとクラシックと趣味の良い写真や随想が書いてあり、オレのような下世話な人間と人種が違うなって感じだった(謙遜、謙遜)。そのブログの記事の中にDRACの話が何度か書いてありそこで僕は、およそ20年ぶりにある後輩と出会うのであった。

 話が長くなってきたので今日はパート1でおしまい。なにがちょっとうれしい話かさっぱり見えなくても、耐えるのだ。この忍耐心こそがあなたを立派な職業人へと導くダビンチコードである!(なんのこっちゃ、流行の言葉使ってみただけ)

持続する意志に注目せよ(今日はマジです)

紙の爆弾
 今日書店で”紙の爆弾”の5・6月号を見つけた。先月、今月と見かけなかったので、廃刊かなと思っていたが、無事新創刊との事でなにはともあれめでたい、めでたい。”噂の真相”が2004年に休刊(実質上の廃刊)になってから今の時代に反権力の姿勢を貫くのはこの雑誌だけだと思っていたので喜びもひとしおだ。実はこの雑誌のことも卒業のプレゼンで少し触れた。例の9/11の写真のスライドの時に話した内容だ(とはいっても、早口で一気呵成に話したので何のことか解らなかったと思うが)。

 この”紙の爆弾”を出版しているのは鹿砦社という出版社。以前はプロレス関係の本や、思想史、運動史関係の本を出している所だったが、一般的にはジャニーズの暴露本で有名になった会社だ。代表取締役は松岡利康、熊本出身で僕の大学の先輩になる。とはいってもこちらが入学した年(75年)に大学5回生で雲の上の人だったので直接の面識は無い。ところが昨年の7月その松岡氏が名誉毀損で逮捕・長期拘留という「出版の自由」、「表現の自由」が蹂躙される大事件が発生したのだ。

 詳細は省くがパチンコメーカーのアルゼに対しての一連のキャンペーンが名誉毀損にあたるとの検察の判断で、仮にも出版社の社長を(証拠隠滅で逃亡するわけが無い)半年以上拘留し、その間に出版社としての活動停止を余儀なくさせた。今までの日本では「表現の自由」の侵害にに対してはほとんど全てのマスコミが協力して反対行動を取ってきたのに、『暴露本出版社』だから自業自得だといった反応で一部の新聞やテレビが報道したくらいだった。

 ここ1,2年の間でずいぶんきな臭い時代になってしまった。その時代に生きていく、生き抜いていくためにもバランス感覚は大事だし、ものの考え方や価値観はさまざまであっていいし、またそうあらねばならない。マスコミが、平たく言えばテレビが、ニュースキャスターが様々な世論をリードしていく。感情もリードされていく。そこには一般常識という大きな落とし穴が待っている。

 オレは大丈夫か、オレは正常か、オレはオレ自身であり続けられるか?

 デザインもダサいし、文体は独特で慣れるのに時間はかかるが、スキャンダリズムこそが我々に残された唯一の武器であることを理解させてくれる雑誌です。M林堂あたりなら2,3冊は在庫あると思うので、500円カンパだと思って買ってみてください。バックナンバーは全部持ってるのでいつでも貸します。

 取り急ぎ、鹿砦社、紙の爆弾の復活を断固支持します!! 

待つ男は耐える男、ではない。

 昨日あんなことを書いたせいか、今日も朝から右の脇腹が痛い。11時くらいまで布団の中でグズグズしていたが症状に変化が無いのでやけくそで起きた。不機嫌な状態で新聞を開くとさらに不機嫌になるような記事があった。我が家の新聞はローカルシェアナンバーワンのM日新聞なのだが、そこの連載コラムのKしお(朝日新聞の天声人語に当たるところ)にこう書いてあった。

 45歳で正規雇用の職を見つけることは、世界王者になるくらい難しい。

 その前にジョージフォアマンが世界チャンピオンにカムバックした時の話が書いてあり、今の雇用問題の厳しさと”格差のある社会は悪いことではない”という我が国首相発言を題材にして、今の格差は正当な競争によるものかといった問題提起であった。がしかし、右脇腹痛の僕に言わせると「いまさら」である。

 だいたい職安の求人では年齢不問になっている会社のHPを見ると、ほとんどが求人の年齢制限をしている(面接で僕が質問した企業理念について答えられなかった、おまえんとこだよ!!)。また『求人条件にかかる特記事項』のところに『*エイジフリーについて:年齢を理由に書類選考で一次試験を不合格とすることはありません』とアピールしている会社にも何社か応募したが、明確な理由は一切触れずに応募書類を返送された(ここで少し反省、もしかしたら僕の過去に問題があったのかもしれない)。

 結局、本音と建前である。お互いこんな無駄なことやめてしまえばいいのに。企業も本当に欲しい社員の年齢や条件をリアルに書けば、ひょっとしてと考えるオジサンも減るよ。こちらも履歴書書いたり職安で案内状貰う手間がかからないのだが、まあいずれにしても弱い立場なので低姿勢で言ってるが。

 それにしても体の調子は良くないわ、就職は上手く行かないわ、踏んだりけったりである。そりゃ仕事やめるほうが悪い、我慢が足りないのだなどという声も聞こえてきそうだが、あえて抗弁しない。ただ一言「たった一度の人生だ、今のままで死ぬ前に後悔しないかい」エレファントカシマシのフレーズを借りると『お前はただいま、し・あ・わ・せかい!?」(2ND ALBUMから”待つ男”)

イタイ話(痛いだけではなくイタイのだ)

 ここ2,3日偏頭痛があったり、いまいちモチベーションが上がらなかったのはやはり何かの予兆(アプリオリ)だったのか。昨夜というか今朝方から右の脇腹が痛くなり、何度かトイレに行ったが一向に良くならない。一昨年だったら、尿管結石が再発したと思い泌尿器科に直行しただろう。ところが昨年ひょんなことから僕は大腸に憩室が200以上あることが解ったので、もしかしたらまた大腸憩室炎を起こしているかも知れないと思い、以前お世話になったN部病院に行った。

 受付を済まして、血圧を測ると168/98とかなり高め。嫌な予感がする。最初は内科の先生に呼ばれて診察室に入ったが、憩室炎の話をしたらいつもの先生に代わってくれた。このY田先生は物腰が柔らかくて、人も良さそうなのだが、いかんせん、話していることが聞き取りにくい。オラァごにょごにょ言ってる奴を見ると切れちまうんだよ!と心で罵りながら、表向きはハイハイと先生の指示に従う。

 とりあえず血圧が高かったので再度測りなおしたら今度は128/85と至って問題なし。症状を説明した所、①虫垂炎(いわゆる盲腸です。メクラの腸はサベツ用語なので虫垂炎になったのだろうか?)②何らかの腸炎(昨日喰った物にあたった?)③大腸憩室炎の再発、とこの三つの可能性があるので、血液検査とレントゲンと超音波の検査をするとのことだった。

 まずは血液検査で針を刺され、試験管に3本(といっても小さい奴、血を抜いたらすぐ蓋をして振る)血を抜かれる。次はレントゲンで寝たままと背中向きと2枚取られる。最後が超音波で、以前ここで検査した時はまだ若い女の人が検査してくれて、苦しい中も一服の清涼剤って感じであったが今日は土曜日のせいかY田先生本人が検査した。したがって検査中僕は機嫌が悪かった。

 超音波の検査は腹にゼリー状のもの(触媒という奴?)を塗られそこをスキャンされるわけだが、自分のお腹の中が見えるので面白いといえば面白いし、気味が悪いといえば気味が悪い。検査しながら先生が「太りました?」と不愉快な指摘をしてきた。今年になって急に太ってきたと話すと「注意してください」って、何を注意するんだ!注意すれば太らないのか!と大声で(心の中で)叫ぶ。

 「おなかの脂肪が多くて憩室が確認できませんね」「あ、脂肪肝がありますね。脂肪肝は昔はあっても良いと言われたんですが、今は無くす様にしたほうがいいですね」と次々に先生の指摘が続く。酒もタバコも止めてこのザマかと思うと悔しくて涙が出そうになった(うそです)。

 結局、血液検査の結果から虫垂炎の可能性は無いだろうとのことだったが、一度詳しく検査しましょうと言われ、去年大腸の内視鏡検査のときの苦しさを思い出した。なんせあなた、何リットルもある下剤入りの水を一気飲みして、ほとんど水分ばかりのCACA(この英単語覚えてる?)を何度もして、その都度看護婦さんに見てもらうという、これが10代の青少年の頃だったら恥ずかしさで自殺するんじゃないかと思うくらいの経験をしたのだ。したがって先生の言葉には「あー、そーすね」と気の無い返事をし、痛みが止まったらばっくれてやると固く心に誓った。

 「とりあえず、痛み止めと炎症止めの薬を1週間分出すので様子を見て、何かあったらすぐ来なさい」と言われようやく解放される。受付で名前を呼ばれ処方箋を貰い精算する。「5,330円です」。目が点になる。隣の薬局に行き薬を貰う。「1,700円です」力なく支払う。

 結局7,030円の出費。イタイ、これはイタイですよ。ビンボーニンは病院に行ってはいかんぞ。痛くても我慢が大事。そのうち慣れる。

今日の天気のようなまとまりの無さ

 ここ何日かお天気ネタ続きですが、今日もミョウチクリンな天気だった。朝は晴れたり曇ったりで、あちこちの天気予報では20日をピークに大雨が降ると言っていたが、なんとか持ち直すかなと思っていた。ところが昼前後から天気雨のようになり(突然ですが昨日の記事の”天気頭”という言い方気になってネットで検索してみたら、あまりというよりほとんど使われていないことが判明。知らなかった人心配しなくても大丈夫です。ポピュラーな言葉ではない、はっきり言うと”ラーフル”のような物かも知れません)、一時的に土砂降りのようになり、去年の水害の二の舞にならなければいいがと心配していた。

 ところがギッチョン、夕方くらいからお日様が射してきて夜9時過ぎに久し振りにウォーキングに出たら、雲は出ていたが星も瞬いていた。こりゃ明日はいい天気になりそうだ。ただ頭の片隅に偏頭痛が残っていてやや気が重い。昨日のネタではないが、低気圧が原因の頭痛の可能性も高いが、怒り心頭の頭痛の可能性も否定できない。とにかく嫌なニュースが多すぎる。

 狂牛肉はぬけぬけと6月からまた輸入されそうだし、共謀罪や耐震偽装の問題、オリエモンじゃなかった、デブエモンでもない、タダエモンになったホリエモン事件。事件といえば小学生が連続で殺されたり、民事裁判で保険金殺人じゃないかといった判決が出たり、世の中狂ってるよ。とはいってもその狂っている社会の構成員である以上、あがき続けるしかないのだが…

 いかん、暗くなった。ここ数日気持ちが落ちこんでるせいかブログも楽しくない。こんな気持ちで書いていても読んでくれてるみんなも楽しくないだろうから、今日はパンタの”あした天気になれ”のフレーズを書いて終わろう。記憶だけに頼っているので、間違いがあるかもしれないが、その時は訂正します。

さびついた思い出に 輪投げをして 遊んでた
ガラじゃないけれど 涙に声かけて 
今 少し たったら 
どこかへ旅立とうと まるであてのない明日は俺のもの…(中略) 
こんな人生は 
だれかにくれてやらあ

By Pantax's World

雨が続いてスランプだ。

 今日も一日雨、特に夕方からは一時かなり激しく降った。梅雨入りはまだのはずだが、台風第1号の影響だろうか。1,2日の雨ならいいのだが、何日も雨が続くと僕は偏頭痛が出てきてしまう。そう、俗に言う”天気頭”というやつなのだ。いくつぐらいからそうだったか、はっきり覚えてはいないが、まだ学校に上がる前に雨空を恨めしげに見ていた事があり、その時母から「また、この子は空を見てる」と言われたのが記憶の片隅に残っている。

 湿度だけではなく低気圧や、気圧の谷が近づいてくると人間の体調はおかしくなるらしい。以前、五木寛之のエッセイを立ち読みしていたら、”ヨーロッパの人(アメリカ人ではなかったと思う)は、長距離の運転や判断力を要求される作業は、低気圧が近づいているときは避ける”というような話が出ていて、ナルホドと納得したことがある。その本の中でなぜそうなるのかという分析も書いてあったのかもしれないが、その部分はすっぽりすっかり忘れている。

 この"天気頭”は小さい頃から言葉通り頭痛の種だったが、大人になってから車で何度か追突されたことがあり、軽いムチ打ちをやってからひどくなった。一番ひどかった頃は外が晴れていても、頭痛の予感がし始めだんだん本格的に痛くなってくる。「これから雨が降る」と予告しても誰も信じてくれないが2,3時間後に本当に雨が降ってくるのである。どうせなら確実に何分後に雨が降ると解れば一種の予知能力というか、『気象予測士』といったお金が貰える職業として成立すると思うのだが、人生そこまで甘くは無い。

 ま、致命的なのは僕は15,6年前から血圧が高いと医者に言われ、それ以来ずっと降圧剤を飲んでいるので、血圧から来る頭痛もあるのだ(別段自慢するようなことではないが)。さらに僕自身の性格は温厚で滅多に怒ったりはしないのだが、他人から見ると四六時中怒っているように見えるらしい。これは人よりやや声が大きいのと、間違ったことは訂正するか指摘しないと収まらないという、少年のような純な(ピュアな)心根の持ち主だからではないかと愚考している(ほら、謙虚でしょ)。

 結局、何が言いたいかというと気圧の関係で発生する頭痛と、血圧や疲れから来る頭痛と、憤った時の頭痛、その他の頭痛と少なくとも4通りの頭痛持ちであるから、なるべく雨降りの日は続かないで欲しいというだけのことです。もちろん農家の人や、仕事上雨が降らないと困る人たちもいるので、時々はいいんだけどね、こう続くとね、梅雨でもないのにね、と愚痴っぽくなるから雨が続くのは嫌だと声を大にして言いたい。まとまりの無い内容になったが、これも雨が続いてるせいだ…頭がまた痛くなってきたから、寝よう。

雨の日の四方山話

 昨日、今日と雨が続いて折角始めたウォーキングも中断している。習慣はつけるのには時間がかかるが、無くなるのはあっという間だ。このまま雨の日が続くと、ウォーキングの時間に別のこと(大したことはしないのよ、せいぜいTVを見るか、PCを開いているか)をやってしまい、いつの間にか日にちが過ぎてすっかり忘れてしまうだろう。余談だが、我が家の上の子が3,4歳くらいの頃「すっかり忘れた」を「すっぽり忘れた」と間違えて覚えてしまい大笑いした事があった。ただ、ニュアンス的には「スッポリ」記憶が抜け落ちるようで妙に納得して、家庭内では良く使っていた。

 まあ人間思い込みや記憶違いはあって当たり前なのだが、ここ一番でその手の間違いを犯すととんだ恥をかく。僕も一応は元文学部なので言葉や言い回し、ちょっと厄介な漢字の読み等は自信を持っていたが、それでもド恥をかいたことは腐るほどある。そこで今日はその手の恥かき話をいくつかご紹介したい。まずは友達ネタから。

 学生時代、多分大学の3回生の頃だと思うがSという友人(かまやつひろしによく似ていた、豊田勇造にはほんとによく間違えられた)と書店を歩いていたら、彼がある本を指差して聞いてきた。「○○(僕の名前)、この漢字何て読むの?」見るとその本には”魑魅魍魎”と書いてあった。「あー、これチミモウリョウと読むよ」と答えたら「へぇ、オニオニオニオニかと思った」まあな、うん。しかしこの言葉をうちの下の子が歌った時はビックリした。

 ♪チミチミモウリョウ、チミモウリョウ(だったかな?)♪と車の中で何かに取り付かれたように歌い始めたのだ。「こいつ意味解って歌ってるんやろうか」心配になって聞いたら当時流行っていたアニメ「シャーマンキング」の挿入歌であった。それをきっかけにシャーマンキングを古本屋で子供のために買い始めたら、自分自身がハマッてしまい、全巻買い揃えてしまった。

 大学の4回生の頃、就職準備のために一般常識の漢字テストというのをサークルの部室(ボックスと呼んでいたが)で良くやっていた。そこでいつもおちょくられたのが工学部の連中で、特にH君はその中でもナンバーワンだった(北海道出身で背が低かったので、僕は愛情を込めてコロポックルと呼んでいたが、あれはいじめと受け取られていたのだろうか、その後25年以上音信普通である。ここで声を大にして彼に言いたい。誤解である。僕はこのような誤解を良く受ける。ま、あまり気にしないしあえてその誤解を解く努力をしないのがいけないかもしれないが)。

 「たいきばんせい」問題を出す担当者が読み上げた。「そんなん易しいやん、でけんやつあほやん」(小学生並みの発言である)などとブーイングが飛んだが、H君の書いた漢字は「晩器大成」「あほや、おまえは、バンキタイセイってなんや。お前の名前はこれからバンキや、バンキッキーや!!」こう叫んだのは、ご想像通り僕である。H君は、この日はもう一本クリーンヒットを放ってくれた。

 「今度は書き取りや、誰でも点が取れるように、まずはテンセイジンゴ、朝日新聞や」との問題に対して彼の書いた漢字は「天政神語」それを見た1年留年したS先輩。「うーん、天のまつりごとに神の言葉か、Hが書いたのでなければ、何か深い意味がありそうな言葉ではあるが…」

 この他にもUCCの上島コーヒーをカミジマコーヒーと読んだF君(彼はセンミツのFと呼ばれた。その名のとおり本当に、千に三つしかホントの話をしない男だった、大学には7年行ったが体育の単位が取れず中退した)であるとか、強烈な個性の友人が沢山いたのでこの手の話は枚挙に暇が無い。(まいきょにいとまがない、意味は自分で調べようね。)

 最後は僕自身のとっておきの恥話だが、あっ、いかん、もう2時前だ。早く寝る習慣をつけると心に誓ったばかりなのに。ということで折角の習慣が定着するために今日はおしまい。僕の話はまたいつか。

お知らせ

 ブログの画面にプラグインを2つ設置しました。一つはBGMで、僕としては”アナーキーインザUK”とか”山谷ブルース”あたりを流して、見る人をドツボに落とし込むような物を探したのですが、やはりおのずと品性が表れてしまう内容になりました。

自動的には流れないBGMです。閲覧者の好みにより、ブログにBGMを流せるようになります。プルダウンを使用していて、パネルも表示しないので非常にスッキリしていて、省スペースです。閲覧者がBGMを数曲の中から選べます。~曲の追加や改造などはご自由にどうぞっ!!また、このプラグインが更新された時にプラグインの下にメッセージを表示する仕様になってます。


それとFLASHアナログ時計で、

以前から公開している「Flashアナログ時計」。時間帯により、朝昼夕夜と4種の背景に変わるんですが、その画像を個人で変更できるようにしました。変更しない方はそのままで使用できます。変更の仕方の詳細は自分のサイト(上の「zax3249」をクリック)のカテゴリー「共有プラグイン」をご覧下さい。初心者にも変更できる・・・と思います。

というものです。そんなことより写真を何とかせいとのお叱りは重々解っていますが…。何べんやっても上手く行かないのでもうしばらくこのままでお待ち下さい。

 尚、携帯からは見られないと思うので、パソコンに触る機会があったらご覧下さい。と、ここまで書いてブログの画面を見直してみたが、いやー、似合わない、似合わない。ボレロを聴きながら自分の文章読んでたら思わず赤面してしまった。気が変わったら削除するので、それまでは”ミスマッチ”という言葉の意味を身を以って教えてると思って下さい。

予告編 三婆対傘大将

 去年の10月から夜1時間ぐらい散歩をするようにしていたが、12月の中旬からあまりに寒くて止めてしまった。いわゆるウォーキングというやつで、始めたきっかけはご多分にもれず運動不足の解消である。なんせ普段から外出する時は車、娯楽は読書か、音楽(聴いたり、見たり、わめいたり)かネットサーフィン。体を動かさないことおびただしいのである。しかもタバコをやめたせいで、やたら食べてばかりでウェストも軽くヤバイ(古っ!)状態だったのだ。

 時間帯は夜の8時プラスマイナス30分スタートだったので、早い時は7時30分くらい、遅い時は9時30分ぐらいの間を動いていた。コースは家を出て橘橋を渡り川沿いの観光ホテル街を大淀大橋まで1往復して帰るというのがいつの間にか決まったパターンになっていた。このパターンに決まるまでは、橘橋からまっすぐ北に進み街中に入ったりしていたがさまざまな雑念や誘惑が多いのでやめた。

 10月の初めはまだちょっと汗ばむくらいの日もあったが、だんだん寒くなり11月の終わりにはフード付きのトレーナー無しでは風邪を引きそうになったりした。そして12月の中旬に手袋、毛糸のキャップ、上下厚手のスポーツジャケット(みんなから先生みたいだと言われたあの紺のやつ)で完全防備して1時間歩いて帰ったあと、考えた。

 「ほわっと、あむあい、りびんぐ、ふぉー?」オレは何のために生きてるのだ、何でこんな思いをして冷たい風の中を歩かねばならないのだ、と。僕はこの間の2.5ヶ月のウォーキングとその効果を考え即座に決断した。「やめよう」。別に歩いたからといってウェストが元に戻るわけでもないし、ウォーキングの途中ですれ違うのは不思議な人ばかりだし、もういい、と投げ出してしまった。

 ウォーキングを始めたばかりの頃は、たまに若くてすらっとしたおねいさんとすれ違ったりして、いやいやこれはこれはと楽しい時もあったが、10月の半ば過ぎからは、出会うのはオジジやオババばかり。それも寒いのに半ズボン半そでのクソジジイお元気な高齢者や、鎖をはずすんじゃねえよこのくそ婆あ愛犬と一緒に散歩するお婆さん達ばかりなのだ。これじゃウォーキングの楽しみも無くなるってもんだ。

 そして5ヶ月過ぎた。その結果どうなったかというと、僕のウェストは主要な輸出品は覚醒剤と貧乏な国民、特技はニセ札作りと拉致という国の最高権力者の方のそれと大変似てきた。そのうち家族が僕の腹を見て『偉大なる首領様』とか『我が敬愛する○○○将軍(自主規制)』などと言いそうな気がしてきた。軽くヤバイ!(はいはい、本日2発目)。

 そうです。ウォーキングを再開しました。まだ数日しか経ってないが継続こそ力なりである。これからは気候もいいし(暑くなるかな、雨が多くなるかな)、まさに健康とストレス解消のためにみんな運動しような。

 近い将来の予告編。ウォーキングしているといろんな人を見かける。僕が”三婆”と名付けた3人組のオババ、傘大将とネーミングしたアポロキャップ反対向き(ツバが後ろ向いてる)、腰にトレーナーを縛りつけ、左手にこうもり傘を持って必ず川沿いを歩いている謎のオジジ。今日は全員赤いシャツで防犯灯の周りに集まり意味不明の言葉を話している家族連れに会った。彼らの謎を必ず解いてアップするぞ!

 結局謎は謎のままで終わりました。何故か?やっても無駄だからウォーキングなんか止めたんだよ!!クソ暑いのにやってられるか!こういうのを負け犬の遠吠えと言う。(2006.9.1追記)

赤か白か、といってもワインの話ではない。

 早いもので、学校が修了してから丁度1ヶ月が経過した。就職状況報告書を明日提出しなければならない。T本さんにどうするかメールで聞いたら、まだ就職が決まってないことは先生方もご存知なので提出はしないと返事が来た。今の若い者はこれだからいかんと思い、そういう問題じゃないだろ、提出物はちゃんと期日を守って出さないとダメだとメールを書いていたら、自分自身が以前卒業までに提出するよう言われていた文書作成の課題を提出していないことを思い出した。(例の社内文書ですよ。最終日に裏切って提出したK斐さん元気?)

 さて今日は母の日である。何かとマスコミにも良く取り上げられる母の日である。カーネーションを渡す日である。確かに母の日はドラマにもなるし、歌にもなる。ジョン・レノンの「マザー」、ポール・サイモンの「母と子の絆」、ロギンス&メッシーナの「ママはダンスを踊らない」、3DNの「ママトールドミー」、書いていったらキリが無い。日本の歌でも海援隊の「母に捧げるバラード」を筆頭に嫌になるくらい出てくるだろう。

 それに比べて父の日は…などと嘆く気は毛頭ない。何故なら、”今日は昨日を越えているby岡林信康”からだ。ま、前振りはそのくらいにして、僕も人の子なので今日くらいは親孝行の真似事でもしないと、と思い先日Rマンの特売で買った350円のシャツ(一度着てみたら丈がチンチクリンでとてもじゃないが着れなかった)をプレゼントとして持っていこうと思ったが、いくらなんでもこれだけじゃあんまりなので途中のお店でカーネーションを買っていった。(ちなみに僕が買った生協のお店では鉢植えにメッセージ付きで1,280円、子供たちが買ったある花屋さんではしおれかかった切り花で1,580円この違いは何?)

 下の子供は部活でいなかったので、僕と配偶者と上の子それに僕の母の4人で一緒に昼ごはんを食べに行った。場所は大島通線沿いのとんかつのH勝。ここは麦ご飯が頼めるし、漬物はおいしいし、何といってもご飯・キャベツ・味噌汁がお変わり自由なのがうれしい。いやもちろんとんかつもそこそこいけます。お店に入ったのは1時半近かったけどほとんど満杯の状態だった。

 テーブル席に案内され、何を食べるかメニューを開いた。とんかつである。もちろんロースに決まっている。ヒレなどというのは老いぼれのヨボヨボが頼む物だ。と若い頃は決め付けていたが、人生の酸いも甘いも、というかどちらかと言うと酸い方ばかりを噛んで来たオジサンはためらわずヒレカツ定食を注文、残りの3人もそれぞれ好みの定食を注文した。

 悲劇は静かな足音と共にやってきた。1膳目のご飯を食べ終え、残るカツは2切れ。2膳目のご飯は1口食べたばかり。ここでおかずとご飯のペース配分を誤った。僕の食道は細くて、食事は水分と一緒でないとうまく嚥下(飲み込むことだよ、エンゲと読むんだよ)出来ない。満腹になる直前ではあるが、このカツと麦ご飯をウーロン茶と一緒に飲み込むのはもったいない。日本人だろ、味噌汁と一緒に行ったらんかい!と思ったが味噌汁が無い。

 2,3秒の躊躇の後、僕はお店の人にお茶のポットと味噌汁のお椀を渡してお変わりをお願いしていた。受け付けてくれたのは年の頃35,6歳、ネクタイも凛々しい店長とおぼしき人だった。「お味噌汁は白味噌、赤味噌どちらに…」聞かれる言葉ももどかしく「し、しろみそっ!」と絶叫していた。待つこと1,2分、ポットとお椀が届いた。僕は飲み込みにくいのを家族の誰にも悟られないようゆっくり咀嚼していた。(いくら家族だからと言っても、弱みを見せるわけにはいかん。油断するな)心の中でそうつぶやきながら、ようやく来た味噌汁のふたを開けた。

 「あ、あかみそやっ!」思わず口をついて出てしまった。いやお店のイメージアップのための、サービス品の、お代わりの味噌汁がオーダーと違ってたからといって大騒ぎするようなことはしてないよ。別に大して怒っても無い。でも、確かに、注文する前にどちらか聞いたろ!オレは「しろみそ」と言ったろ。オーダーを受けた店長が間違えたのか、作る方が間違えたのか、オレはその謎を考えながらしょっぱいだけの赤味噌汁で残りのご飯とカツを食べた。チクショー!

物は大事にしよう、買い物はメモして行こう。

 週末恒例のA内科に注射を打ちに行ったが待合室から人は溢れているわ、駐車場は待機中の車がいるわで、にっちもさっちもどうにもブルドッグWAOH!(フォーリーブスのヒット曲、知らない人はお父さん・お母さんに聞いてみよう、そういえば近田春夫&ハルヲフォンもやってましたねって、こっちの方も知らないか!)という状態だったので銀行に行ったり、スタンドで給油したりして時間調整後もう一度アタック。何とか車を置いて受付を済ましたが、今日も週刊現代、週刊新潮、サンデー毎日を濫読する羽目になった。

 元気になる注射(昨日の話題のシャブじゃないよ)を打ちに行ったのに逆に疲れて家に帰り、ふと気がついた。トイレの消臭剤が無かった。僕は何でもかんでも臭いを誤魔化す消臭剤は要らないと考えているのだが、我が家の女子供ども妻子がうるさい。この『臭いものには蓋』という考え方は実は大変危険なのである。例えば食べものが一定期間を経過すると異臭を放つのは、これを食べると病気になるという暗黙のメッセージを送っているのだ。

 体臭にしてもそれこそがその本人を認識する、あるいはその人となりを表わす物ではないのか。何でもかんでも消臭したり、勝手な匂いをつけて無菌状態の純粋培養ではへなへなの人間になってしまうではないか。またやれ匂いだ、手洗い消毒だなどといってみんなが「清潔」でキレイな世の中というのは非常に怪しいし、危険だ。そんな事に気を取られてるうちに狂牛肉を輸入されたり、耐震偽装されたり、家電品はPSEされたり、あげくは共謀罪から消費税10%以上、最終的には憲法まであの連中の思い通りにコントロールされてしまうのが解らないのか!!!などと過去何度も熱弁を振るったが、「パパのトイレの後は臭い」という一方的な女子供ども妻子の主張が強くて、何かと立場の弱い父親は泣く泣くトイレの消臭剤を買いに行くのだ。

 ま、そんなこんなで結構トイレの消臭剤はいろいろ使ってみたが、最近はもっぱら100均に売ってるスプレー式の物を買っている。そこで疲れた体に鞭打ってDエーに買いに行った。え、何でDエーと思う人は激動の流通業界を解ってない人だ。今Dエーの3階にはちゃんと100均テナントで入ってるのよ。ちなみにRマンにも100均あるし、鹿児島が本社のスーパーTヨーにも100均あるよね。

 これでは定価で物を買うのが馬鹿らしくなるが、もっと怖いのはどうせ100均のものだからという考え方に犯されて、物を大事にしない・何かあればまた買えば良いという安易な人間になってしまうことだ。どんなに安い100均の商品でもそこにはお店の利益が乗っている。商品だから当然原価もあるし、それを作っている人達もいる。ちょっと考えてみて欲しいのだが、利益を確保する・更に利益を伸ばすという一本道の先にあるものは、より安くで材料を仕入れる・より安い人件費を求める・より短い時間でより多くの物を作らせるという”より、より”の世界が待っているのだ。

 また一つ見方を変えると、これだけの商品をここだけで売っては利益が少ない・より多くの人に、地方に、国に売ろう。その国の流通形態を破壊する?いいじゃないか安くてその国の人も助かるのだから。人体に危険な物がある?解らなかったことにしとけばいいじゃないか…と言った恐怖の連鎖が始まる可能性が高いのだ。実は卒業のプレゼンで一番言いたかったのがこの事なのだ!

 今回は妙に力が入った割には支離滅裂で中身が無いが、実は本当に怒っているのは折角100均に行ったのに、大好きなワンタンスープを買い忘れたからなのだ。普通のお店には売ってなく、100均にだけ売ってる塩味、卵味のやつがあるのだ。それを買い忘れて自分自身に怒っているのだ!!思い出したらまた頭に来た!もう寝る。

ハッパはいいけど、シャブはだめ、ぜったい!

 朝起きたら携帯にメールの着信が入っていた。寝ぼけまなこでチェックしたらmitiyamaさんからブログに初コメントが入っていた。パチパチ。えーと、このFC2ブログはコメントの()の中に0以外の数字が入っていたらコメントがあるということなので、読むときはそこをクリックして下さい。

 嬉しくなりパソコンを立ち上げて、何気なく(今、”何気に”という言い方を良くするが間違いだからね、でも使い易いのでついって気持ちも解るけど)Yahoo!のニュースを見たら、なんと元サザンのギタリスト~という文字がある。クリックして読んで見るとやっぱり、あのO森だ。

 O森隆志君は高校時代の同窓生で1,2年の頃はクラスも隣同士だったのである程度知ってるが、シャブをやっちゃあおしまいだな。夜回り先生が泣くよ。高校時代の彼はギター馬鹿で(これ誉め言葉)四六時中ギターを持ってたイメージがある。高校1年の時の学校行事で串間の小学校に泊まり、夜はキャンプファイヤーがあった。その時にギターを持ち込み司会をしたのが彼だった。彼が何を演奏したかは覚えていないが、K田君という(残念ながらクワタではない)目茶苦茶ギターの上手い奴が遠藤賢司の”カレーライス”やCCRの”プラウドメアリー”を演奏したのは良く覚えている。いやー時代だな、年がばれるなーってもうばればれですが。

 その後学園祭になるとロックバンドを組み演奏していたが、彼のバンドはいつもプールサイドつまりメインの体育館では一度もやったことが無かったのだ。まあ、あまりこういうことは言いたくないのだが、つまりその、はっきりいって下手の横好き。でも良い所もあってあまり話したことも無かったのに、なぜか僕がロック好きなことを知っていていきなり「二ールヤング好き?ハーベスト(その時の最新アルバム)1,000円で買わん?」と言ってきて、こちらがOKしたら次の朝校門の所で自転車の前駕籠にLP(当時はCDなんて無かったんだよ、30センチ角のアルバム、エルピーレコードってんだよ、だけどこっちの方がポスターや歌詞カードがでかくて色もきれいだったんだよって何を怒ってるんだ僕は)を入れて待ち構えていた。そのアルバムは僕がニールヤングに傾倒していく大きなきっかけになったのだが、それから2,3日後彼のギターが変わっていた。要するにギターを買い換えるために手持ちのレコードを売っていたのだ。

 それから何年か経ち、彼が青山でバンドをやっておりヤマハのポプコン(ポップミュージックコンテスト、チェッカーズもここ出身)でいいとこまでいったという話や、強烈なボーカリストがいるらしいなどといった噂を聞いた。

 しかしびっくりしたのは、やはり「勝手にシンドバッド」でサザンオールスターズとしてデビューした時だ。当時僕も大学の4回生で自分たちでロックのミニコミ(といっても解らないかな、いわゆる自主制作の雑誌)を作っていて、夏休みを利用して東京に1ヶ月遊びに行き、その時に新宿ロフトでインタビューしようとしたことがあった。残念ながらその時は話が流れたというか、ロフトのスケジュールが間違っていて会えなかったが今思えばどんな話をしたのかちょっと興味がある。

 まあ、そんなこともあって初期のサザンは結構好き(ファーストアルバムに入っている”別れ話は最後に”なんか今でもたまにカラオケで歌ったりする)でアルバムも3枚目まではちゃんと買ってたが、それ以降は疎遠になって熱心には聴かなかった。結局2001年にサザンを止めてソロになるがメジャーな人気は獲得できず今回の事件を起こしてしまったわけだ。

 しかしここ最近オイラと同世代の人がいろいろ事件を起こすなぁ。それだけ追い詰められてるのかな。ところで今日は本当は”アントニオ猪木は面接をピンフォール出来るか?”というタイトルで記事を書くつもりだったが最後までO森の事件の話になってしまった。猪木の件はまた今度ね。

 そうそう大事なこと忘れてた、クラスで最年少だったF瀬さん就職おめでとう、いい会社だったらオジサンにも紹介してねってもうミサカイなしです。

Dreams I had just last night...

 昨日あんなことを書いておきながら、あれからYahoo!動画でアニメ「ワイルド7 ANOTHER」を見たり、この前借りてきた本を読んだりで、結局寝付いたのは深夜2時というありさま。そのせいかしらないがとんでもない夢を見た。人間”貧すりゃ鈍す”と言うがほんとに情けない夢だった。

 その夢の中で、なんと僕はライブドア事件で逮捕された宮内元取締役(どうしてホリエモンじゃ無かったかというと、寝る前に動画ニュースで彼の顔を見ていたからだろう)に、彼の新しく作った会社で働かせてくれと頼んでおり、言うに事欠いて『給料はいくらでもいい、アパートのチラシ配りでも何でもやる』などと言ってたのだ。

 目が覚めて悔しいやら、腹が立つやら、いくら落ちぶれてもあんな腐れ外道に頭を下げてお願いしたこともそうだが、それ以上に切れたのは、そこまでお願いしながら最後まで採用の承諾を貰えなかった事だ。あー気分が悪い、今思い出しても虫唾が走る。

 というわけでいきなりの夢落ちで悪かったが、今日は午前中、学校に行き第3教室で求人検索するがぱっとせず。明日からは学校にも行けないだろうから何とかいい求人は無いか探したが、なかなか…。看護士や薬剤師はいっぱいあるが、応募するわけにも行かないしなぁ(当たり前だのクラッカー、と言っても解んないだろうな)。お昼に退出して大塚に向かうがこの時間だとまた車が止められないだろうと思い、急遽引き返し赤江ラーメンで特大ラーメンを喰う。その後食後のコーヒーと読書の誘惑に負け結局大塚行きは明日に延期する。

 とここまで打ち込んで、ふと時計を見るともう既に0時43分。いかん、これでは明日も今日の二の舞になってしまう。

 くよくよするのはもうやめさ、今日はきのうを越えている
 きのうに聞くのももうやめさ、今日を越えたあしたがある
 なんとでも云うがいいさ 良い子でいたいおりこうさん
 あんたにゃわかるまい 
 今日をのりこえて あしたに生きることなんか

 ”今日をこえて” by 岡林 信康

追伸;今日自分の携帯からこのブログを見ていたら、携帯からもコメントが送れる事が分かった。パソコンの画面とは逆で1つの記事が終わった所にコメント(0)とあるので、そこをクリックすればコメント送れますよ。ほんのついででいいんです、一度寄ってみて下さいってこれは泉谷しげるの”春夏秋冬”のフレーズだ。

LOOK AT YOURSELF! 

 今朝は早いうちから下の子が宿泊学習のことで大騒ぎしている。前の日からリュックにいろいろ準備していたのは知っていたが、どうやら出かける前に黒ゴム(髪をまとめる黒いゴム)を片方どこかに飛ばしてしまったらしい。配偶者と、下の子の言い争う声が遠くで聞こえていたが、『そんな言うなら、お父さんに買って来てもらいなさい』と一喝する声が聞こえた。

 ”もうすぐ来るな”と思いながら背中を向けていると『ねぇ、パパァ…』と例によって下の子がお願いするときの声で話しかけてきた。”聞こえない、聞こえない、聞こえない”と心の中でつぶやきながら、寝返りを打ってると『お父さんは当てにならないから、お母さんが買いに行く』と配偶者の雄叫びが聞こえた。

 その声が聞こえた瞬間、むかっと腹が立ち『オレが行く!』と叫んで立ち上がってしまった。”この野郎、言うに事欠いて当てにならないだと!”という気持ちが前面に溢れていたせいか、下の子も配偶者もちょっとひるんだようだ。『お父さんはまだ寝てたから、いいよ。私が行く』と配偶者が取り繕うように言ったが『子供が必要なものを買ってきてやるのは親の役目だ』と僕もむきになって言った所『でもお父さんは、コンビニのどこの棚に黒ゴムがあるか知ってる?』と鋭い質問。まぁ朝っぱらから女子供相手にむきになるのも大人気ないと思い(ただ我が家は女子供だけの家なので始末が悪い)、ここは配偶者に買い物の権利を譲って、花を持たせておいた。

 そんなこんなで気分の良くない目覚めだったが、午前中は何をするでもなくぼーっと過ごし、午後からはリクナビとエン・ジャパンの求人情報の検索と個人データの入力などを行った。そのエン・ジャパンのサイトに大脳生理学に基づいた得意分野分析という言わば性格分析みたいな検査が無料であったので、軽い気持ちでやってみた。結果は下記のとおり。


 drac obさんは、理想を追求し、根気強く継続し続ける努力家です。ただ、他人に厳しく、相手によっては打ち解けにくい印象を与える時もあります。
業務上の複雑なやりとりの中でも、事実に基づいて分析し、解決策を見出す事ができます。専門的で難しい事柄も苦にせず、やり遂げる事ができます。理論立てて説明する事が得意なので、後輩への指導もスムーズに行う事ができます。しかし、論理を重視するあまり、理屈っぽい印象を与える場合もあります。
こちらに表示されているキーワードは、drac obさんの特徴を一言で表したものです。
プラス面とマイナス面の言葉がありますが、自己PRの作成など、自分を表現する際にお役立て下さい。

 論理的  コミュニケーション好き  分析力  理屈っぽい

 いや笑った、笑った。大脳生理学あなどれんなー。3秒でハイ・イイエのどちらか答える形式だが、アピールポイントの文章も思い当たる所があるし、キーワードに至っては”あんた誰や、なんでオレのこと知っとるん?”と思わずパソコンに話しかけてしまったくらいだ(うそ)。ま、『コミュニケーション好き』だから、誰も読んでないかもしれないブログを毎日更新してるわけだし、『理屈っぽい』から文章もこんななんだよな。(誰に同意を求めてるんや?)

 ただこの手の質問にはこう答えるといい結果が出るというのは、ある程度すれた年齢になれば解って来ることだからあまり喜んだり、悲しんだりしないほうがいいけどね。お、もうすぐ12時、今日こそ早く寝て生活のリズムを立て直すぞ。

こうして一人また一人と巣立っていくのか。

 昨日予告したように本日午前10時半過ぎに大塚の職安に行ったが、車が多くて入れない。入り口の所で何台か停滞しており、敷地内に駐車出来そうに無かったので急遽引き返し時間をずらして行ってみたが、その都度満車状態で入れず。結局16時過ぎにやっと入れた。タッチパネルで求人検索するが、あまり良い情報は入手できず。オッと思った求人は前回ボツだった所ばかりで気が滅入る。

 結局2件分データを印刷して、持ち帰ってHPを調べる事にする。帰り道まっすぐ帰ればいいものを、ちょいと1杯のつもりで(もちろんコーヒーです、車なんだから)改装したVILLAに立ち寄る。アイスコーヒーを注文して、昨日借りた本を読もうと思ったがマンガの誘惑に負け『イリヤッド』を読み始める。ビッグコミックオリジナルに連載中で絵はあまり上手くないが、歴史の謎解きが良く出来ていて読みふけってしまう。はっと気がついたら4巻目に突入しており、これでは先日の『20世紀少年』の二の舞になってしまうと思い、急いで切り上げる。

 車に戻ると携帯にメール着信。S吉さんからで、会社での様子やK重さんがお店に来て一緒に試乗車に乗った話とかが書いてあった。その中にK重さんも月曜日から仕事とある。うーん、オラもしっかりせねば。(ここ犬夜叉の七宝ふうに)

 家に戻り今日調べた求人のHPを調べたり(職安では年齢不問となってるが、ここでは22~38歳になっとるやないか、ナメとんのか、ボケェ等と毒づきながら)、メルマガで届いた転職サイトの登録をしていたらメール着信。開いてみるとT山先生からで今日1時に面接受けたら、18時半には採用の連絡があったとの事。さっそくおめでとうメールと他のみんなに就職速報をメールする。

 ところで話は変わるが、僕は毎日ブログを1日の終わりに書くので早くで夜11時過ぎ、大抵は12時回ってから打ち込む。そのことで我が家の配偶者からクレームというほどではないが、あらぬ濡れ衣をかけられている事をここに公表し、皆さんの判断を仰ぎたい。彼女の言い分は、僕がブログを書き始めてから睡眠不足が続いているという。僕にしてみれば余りに一方的な、不当な言いがかり以外の何物でもない。『僕のブログの入力とあなたの睡眠不足にどんな因果関係があるのか?』と問いただすと、『いやその、カタカタという音が…』などとしどろもどろで話にならない。そりゃ確かに学校に居た頃は、一部の心無い人達から『入力の音がうるさい』とか『何か怒ってるんですか』とか言われたが、その後は心を入れ替えてENTERも小指で触れるくらいしか押してないのに。あー、思い切りキーボードを叩きたいよー。という所でまた明日。

音楽関係の本は圧倒的に市立図書館がいい!

 連休明けの月曜日。世間様は忙しく一日が始まっていくが、こちらは相変わらず。これではイカンと思い午後から学校に行く。第3教室を借りて、ネットで求人検索をやるがこちらも連休のせいか目新しい情報が無い。リクナビの登録が途中だったのでそちらを入力し始めたが、自己のキャリアやPR等データをかなり打ち込まないといけないのでリタイア。続きは家に帰って、以前作った職務経歴書をコピー&ペーストした。

 学校も今週の金曜日から第3教室を終日使うようになる(5月生が入所するのかな?)ため、あとは第1教室しかないけど、そこもPCの入れ替え工事が入る予定とN井先生。『大丈夫です、今週中には決めますから』と根拠のない宣言をしてしまった。しかし早く決めないと後が無いよな。自動車税の支払い通知も来てたし、何でお金の無いときに限って、あの手の請求は来るのか。全て小泉とブッシュが悪いと納得する。

 学校の後、市立図書館に行って本を物色。最近の悪いくせでちょっとハードな本を読んでいると、お口直しの音楽関係の本が読みたくなるのだ。今日は山下洋輔の『ジャズ武芸帳』、黒澤進の『日本フォーク紀』、田家秀樹の『日本のベスト・アルバム』の3冊を借りた。

 山下洋輔は知る人ぞ知るジャズピアニストであると同時に、エッセイスト兼小説家であり『ドバラダ門』は数多のSF作家でも決して書けないスケールの大きなタイムトラベル物だった。この『ジャズ武芸帳』は初期のころの『風雲ジャズ帖』やピアニストシリーズをまとめた物で、全部文庫で持ってるはずだが、どこへ行ったか解らないし、まとめて読むのも楽しいのでつい借りてしまった。

 あとの2冊は69年から74年までの日本フォークの裏方(レコード会社やイベンター等)の人達のインタビューと、68年から92年までの日本のロックとフォークのベストアルバム紹介と言った内容。今更読んでも、新しい発見は無いかも知れないが、その時代を同時代として生きて来た人間としては無視できないのよ。

 しかし今『日本のベスト・アルバム』をパラパラ開いていたら、山下久美子のアルバム写真に落書きがしてあった。こういうことをしちゃいかんよ。公共物は大事にせんと。こんなことで音楽ファンが白い眼で見られたりするんだよな。というところで本の中身も気になるし、明日こそは大塚で情報収集するために、今日の所はここまで。あそうそう、昨日コメントの書き方を説明したけど、携帯からは出来ないみたいなので、ご意見・ご希望または苦情は直接メールでお願いします。ここ最近誰もメールをくれないので、寝る前に寂しくてシクシク泣いているので、そこんとこヨロシク。

コメントお待ちしています。

 連休も最終日、疲れが溜まっていたのか眼が覚めたのはジャスト12時だった。今日はまあ良いが、明日からはきちんとした生活リズムに戻さないと社会の落伍者になるので注意しよう。

 さてこのブログもスタートして1週間以上立ち、パスワードを設定しているので旧1月生と先生がた以外は入室していないと思うが、コメントが何も無いので果たしてちゃんと読んでもらえてるのか時々心配になる。何人かの人からはメールでこのブログに対する感想や、楽しみですなどと言う嬉しい意見を貰ったりしたのだが、個別の記事に対するいろいろな意見も是非お聞かせ頂きたい。

 何度かコメント下さいと言ったことがあったが、良く考えたら具体的にコメントを送る方法を説明してなかった事に気がついた。僕自身もこのブログの機能を熟知しているわけではないので(というか知らないことの方が圧倒的に多い、いい例が携帯から送った写真の編集の仕方が解らないので、この前の北浦の道の駅の写真は斜めのままだ)取り合えず簡単にコメントを送信する方法を以下説明します。

①コメントを書きたいブログタイトル右下にある コメント(0) のところをクリック(マウスポインタが手の形になってからって、ご存知ですよね。)
②コメントフォームに必要なところを記入。
 NAME:ニックネームで結構です。空白でもOK。
 SUBJECT:コメントのタイトル、ここも空白でOK。
 MAIL,URL,PASS 全て空白でOKです。
 COMMENT:ここにコメントを記入して下さい。文字の装飾はその上にあるアイコンを利用して下さい(マウスポインタを合わせると説明が出ますって学校で習ったよね)。
 コメントを非公開にしたいときは”管理者だけに…”の所の□にチェックを入れてください。
③送信をクリック、確認画面が出ますのでもう一度チェックして問題なければ再度送信をクリックして下さい。

 文章で書くとややこしく感じるかもしれませんが、実際やってみると簡単です。みんなのコメントを楽しみにしてるのでどんどん送って下さい。ある程度このブログの使い方に慣れたら、掲示板をリンクするとかいろいろなコミュニケーションの場にしていこうと考えています。

 とりあえず皆様のコメントお待ちしています。あ、先生方からの最新就職情報なども心からお待ちしています。人生相談もウェルカムだぜ!!伊達にみんなより長く生きてはいないぜ、ベービー!(ここはキヨシロー風に読んでね)

病院の通路でも自由に喫煙できた時代があった。

 昨日の長距離ドライブの疲れもあって朝寝坊するつもりだったが、子供達の部活はあるわ、配偶者は仕事に行くわ、僕自身も薬がなくなるので病院に行かなくてはならないわと言うことで寝坊出来ず。堀川町のA木医院と言うよりA木皮膚科と言った方が通りが早い病院に9時半着。連休の合間だけあってかなりの患者さんが待っている。

 毎度の事なので、受付前の本棚と乳児用ベッドの隙間にスペースを確保し、週刊現代を読みふける。ここの病院では最長3時間待ちを経験したことがあるので待ち時間は気にならないが、本日初診の人(ボードに何か書いてるからすぐ解るのね)は、かなり怒りの形相ものすごく受付の事務の人に『後どれくらい待つんですか』などと聞いている。受付の人も手馴れたもので、下手に30分とか1時間と言うと逆にクレームになると心得ているようで『一人一人診察時間が異なるので、どれくらいとは申し上げられませんが、もし呼び出しのときに居なかったら、お名前を消しますのでまた最初からお待ち頂くことになります』と見事なマニュアル対応であった。

 なんとか2時間待ちで名前が呼ばれ、先生と話をする。首の後ろにあせもの様なブツブツが出来ていたのでそのことを聞くと『ペット飼ってます?』とカウンタークェスチョン。ハムスターなら1匹と答えると、『噛まれた事はありませんか?』と連続質問。何度か構っているときに噛まれて血が出たことがあると答えたら『drac-obさん、大変ですよ。何度も噛まれていると、ショックで血圧が一気に下がり命に関わりますよ』と脅された。ハムスターに噛まれて死ぬのは嫌なので、これからは寂しくても手の平に載せたり、布団の上でのキャッチ&リリースは止めようと心に誓った。その他にもハムスターは見た目はかわいいが、糞などで子供にアレルギーが出たりするので、常に巣箱は清潔にしておくよう注意された。

 午後からはちょっとした買い物や、昼寝などしていたが、晩御飯の後に明日返却締め切りのDVDを見ることにした。タイトルは『チェ・ゲバラ&カストロ』。去年見た(もちろんレンタルです)『モーターサイクル・ダイアリーズ』が良かったので同じ主人公の映画で、革命家になったゲバラの話だと思って借りたのだが…
 結論から言うと『モーターサイクル~』が良かった分この映画は残念至極西京極であった(by筒井康隆)。まずタイトルがサギみたいなモノで『チェ・ゲバラ&カストロ』だからチェ・ゲバラが主人公だと思うでしょ。何と本編再生したら1分後に原題が出てきて、見ると”FIDEL AND CHE"つまりフィデル・カストロが主人公。B級ホラーなんかで良く使う手ですわ。例えは古いがその昔、ブルースリーが大ブレークした時に、カンフー映画はタイトルに何でもかんでもドラゴンが付いていた事を思い出した。

 映画そのものは最初は結構面白い。特にバティスタ政権を維持するために、と言うか”未開発国”に”民主主義を根付かせるために”、アの字が付く、世界で一番嫌われている国が甘い汁を吸うためにはどんな事をするのか・してきたのか良ーくわかるシーンが続く。
 他所様の国に来て、その国民が敬愛している人物の銅像に立ちPISS(昨日出て来た単語、ちゃんと覚えているかな?)する酔っ払いのヤンキー兵士(あ、折角伏字にしたのに、国名が特定されてしまう!)や、その尻拭いに言い訳するえらいさんが、銅像の人物名すらちゃんと知らずに適当なことを言って言いくるめようとする。人々から(映画ではここでカストロがズームアップされる)矛盾を指摘されると、軍隊だか警察だかお決まりの暴力で制圧しようとする。

 いやー、書いていて今と全く変わらないじゃないか。ほんとに嫌になるな。あの国のことを書き始めるときりが無いので止めるが、映画はそこからキューバ革命に決起するカストロの人生が描かれていく。ゲバラはというと、亡命先のメキシコでカストロと意気投合して革命に参加していくのだが、非常に教条主義で冷血漢として描かれている。ボリビアで殺されるところも救いの無い描き方になっていて、かってはゲバラ日記を愛読していたオジサンは、切れかかったね。『ふざけんじゃねぇよ、このやろう…』以下非常にダーティな言葉が続いたので自主規制する。

 この映画あまりヒットしなかったようでTSUTAYAにも1本しかなかったし、歴史的な解釈の仕方も非常に偏っているので、見ないほうが良いと思います。『モーターサイクル~』の方は去年結構話題になったので、見た人も多いかもしれないが、とにかく映像が綺麗です。(ただその綺麗さの中にやりきれない南米の現実がオーバーラップして、非常に切ないんですが)こちらはオススメ。まだ見てない人は見る価値あると思うので、レンタル屋さんで見かけたら借りてみてね。

 さてこれから(0時50分)もう一本見ようかな。
 

そうだ、狂牛肉のお返しにブッシュにはカルピスを一気飲みさせろ!

 昨日は(正確に言うと一昨日)家族で延岡までドライブして、夕方疲れた状態で携帯から記事を送ったので、尻切れトンボみたいな内容でなおかつ、写真も変な方向を向いていた。修整しようとしたが、やり方が解らないので日を改めてやります。さて今朝は朝食後10時半くらいに延岡を立ち、一路高千穂に向かった。北方道路というのが出来ており、延岡の南部から自動車専用道路っぽい造りの道をひたすら進むとすぐに北方町へ。おっとこちらも悪名高い平成の大合併とやらで今では延岡市の行政区域になっている。
 余談だがこの平成の大合併のおかげで市の行政区域が広がり何かと大変そうだ。その他にも(こちらが重大だが)由緒ある地名が合体合体の妙な名前になったり、歴史的な意味合いのある地名が無くなったりしている。こういう事を”歴史の改ざん”というのだ。宮崎は新しく市に昇格したところは無かったが、お隣の鹿児島や熊本は目茶苦茶である。霧島市はさておき南さつま市なんて適当な地名のいいとこ取りとしか思えない。
 ま、僕が怒ってもしょうが無いかも知れないが、みんなもこの手のことは気をつけておいてくださいね。ちょっと油断してる間にどんどん危ない国づくりをされてますよ。(あほのPSE法や、日本全国狂牛食ってますか法、決定的なのは共謀罪とかやばいからね)

 話を戻すとあっという間に北方に入り、去年の台風で流された高千穂鉄道の鉄橋などを横目にして快適に走った。日之影をすぎて高千穂に着いたのがお昼丁度。高千穂峡に向かったが、県外車も多く駐車場は満杯。あきらめて道の駅高千穂に入る。ここも満車だったが、前の車について入っていったらすぐ出た車があり、駐車スペースを確保。
 お腹がすいていたがレストランは一杯で、待つのもしんどいのでお土産だけ買って、食事は別のところでしようと話す。お土産品を物色していると次女が遠くを見るような目付きで近寄ってきた。この手の目つきをするときは必ず何かをねだるときで、案の定買って欲しいものがあると言う。聞いてみると水筒代わりになる瓢箪とのこと。一瞬唖然として、他のものにしたらと言うが、瓢箪がだめなら草鞋か”かるい”(竹で編んだ背負う駕籠)がいいと言う。どれが中学校一年生にふさわしいか考えたが(どれもふさわしくはないよな)、結局ひょうたんにした。何故なら志賀直哉の小説を思い出したからだと言うのは嘘で、一番安かったからである。

 お土産を買った後は渋滞にならないうちに高千穂から下って行った。途中日之影の青雲橋ふもとのドライブインで遅めの昼食。僕はちゃんぽん、配偶者と次女は田舎うどん、長女はから揚げ定食(定食が何度変換しても定職になる。プーだとパソコンまで馬鹿にする)。結構おいしかったが、食事の後トイレに行った女3人が青ざめた顔で戻ってきた。理由はそう、昔懐かしい汲み取り式のトイレでビビッて用が足せなかったとのこと。こういうときにこそ父親の威厳を出さねばと思い、英語で大便はCACA,小便はPISSと言い、何故アメリカではカルピスが売れないかと言うと、CALPISがCOW PISSつまり牛のオシッコと聞こえるからだと元英文科ならではの知識を披露したら全く無視されたどころか、軽蔑のまなざしで見られてしまった。納得がいかない。
 納得がいかないが、世の中は納得のいかないことばかりだと自分を慰めてハンドルを握り続ける。帰りも北方から専用道路を使って宮崎へ向かう。

 途中日向の太平洋ドライブインで休憩。ソフトや飲み物を買って店の外に出たが、長女がなかなか出てこない。次女がしびれを切らせて呼びに行ったが、こちらもミイラ取りがミイラ状態。しばらく待つと二人して手に何か長いものを持ってようやく出て来た。持ってるものを見ると唐傘(今は無き染之助・染太郎兄弟がぐるぐる回すやつ)である。二人してどの柄がいいか選んでいて時間がかかったらしい。この二人高校生と中学生だがよくわからん、傘だけでなく瓢箪も自分用の土産として買っており、草鞋を買わなかったことをずいぶんと後悔していた。今、唐傘や瓢箪が若者の間でブレークしているのか、誰か教えて欲しい。

 帰りは10号線が例によって混雑していたが、極端に時間がかかることも無く無事帰って来れた。帰って自分のお土産は何も無いことに気がついた。父親は孤独である。

ただいま家族サービス中

北浦 下阿蘇 道の駅

テスト、テストってマイクじゃないので無駄ですが、携帯から記事を送っています。
朝10時に家を出て北浦までドライブでした。写真は下阿蘇の道の駅です。10号線は、かなり混んでいたが延岡南道路に入ってからは、新しい道路が出来ていたのでスムースでした。
今日は疲れたので以上です。

憲法記念日だというのに。

 巷ではやれ"護憲”だ、”改憲”だ、いや”創憲”だとにぎやかな憲法記念日ではあるが、また履歴書が返送されてきた。今回はその会社の代表取締役名義の挨拶文まで同封されているご丁寧さだ。

 実は今日の記事は、憲法記念日をテーマに、戦争放棄の九条についての考察とか、生存権と自己責任論を建前とした勝ち組・負け組の格差社会について、みんなに警鐘を促す理論を展開して、さすがdrac obさん、亀の甲より年の功だと思われるような内容になる予定だったが(うそ)一通の履歴書でテーマ変更となってしまった。しかし一通の履歴書と言うのは一杯のかけそばみたいで泣ける話だな。(実は最初は一通の履歴書と入力したつもりが、胃痛の履歴書と出てしまい、思わずうまいとうなってしまった)

 しかし笑い事でなく、何とかしないといかんなぁ。このブログを打つために先ほど机に向かったら、見慣れない一枚の紙切れが置いてあった。良く見ると子供の学校の毎月の学費の内訳表であった。『ゲッ、こんなにお金取るの』と思わず声に出しそうになったが、恐らくわが配偶者が『ちっとは稼いで来いよ、クソオヤジ』の熱きメッセージ込めて置いた物だろう。敵ながら天晴れなナーバス作戦だが、とりあえず、連休中は休戦してもらい、連休後から再度本格的な対就職戦線への戦略・戦術会議を開き、面接をクリアし(もう二度と経営理念なんか聞きません)晴れて一労働者として社会復帰できるよう全力で取り組むぞ!と何やらシュプレヒコールか春闘のスローガンみたいになったが、明るく前向きにやっていかんと、神経もたんよ。このブログ読んでくれてる就職未定の1月生のみんな、大変だろうけど、オジサンも何とか生き抜いてるので”笑い”を忘れずに行きましょう。

 と少しヒューマンタッチで迫ってみたが、明日から(時計の上では今日から)家族を連れて生まれ故郷の延岡市北浦町に行ってくるのでブログは一日お休みするかも。携帯から記事が送れるそうなのだが、ちゃんと出来るかやや心配です。やるだけはやってみるけど、失敗したらゴメン。
 

夏も近づく八十八夜…

 昨日に続いて今日も暑い一日だった。夕方風が冷たくなって少しは気温が下がるかと思ったが、今も汗をかきかきキーボードを叩いている。まぁつい先ほどまでカラオケで盛り上がっていたのでその余韻のせいでもあるのだが。
 
さて今日はYahoo!の動画のレイアウトが変わっていたので、お笑いのチャンネルをクリックしてみたら大好きな漫才コンビのU字工事のところにNEWの印がついていた。ラッキー新作だと思ってよく見ると、今までずっと公開していた「きのこ狩り」ではないか。それはないよな。NEWなら今まで公開してないネタを見せてくれないと。このU字工事キャッチコピーが”哀愁の栃木弁漫才”と言うだけに栃木弁と北関東ローカルの話題が面白い。以前GyaOで見たネタで茨城県にライバル心を燃やす話をしていて大いに受けた。

というのも僕自身最初の会社に居た時に、茨城県の下館市に1年住んでいたから、栃木と茨城の微妙な関係が多少は解るのだ。生まれは九州で学生時代は関西だったので、明らかに西側文化圏の人間からすると、関東は異文化の土地である。東京のような巨大都市であればまた違うのだろうが、関東ローカルの茨城・栃木は人のいい田舎モノの町というイメージが強い(もちろん、これは余所者の勝手なイメージなのだが)。例えば上野から常磐線に乗っただけでうらびれた日本酒の匂いが充満しているし、周りの人は口を開けば「だっぺ、だっぺ」と言ってる事が非常に多かったのだ。(※これはあくまで僕の個人的な体験なのでみなさんくれぐれも偏見持たないようにね。)早い話が栃木も茨城もそのダサさでは五十歩百歩なのだ。その栃木の人間が茨城だけには負けたくないという自尊心が笑いに結びつくのだ。

なんかずいぶんひどいことを書いてるようだが、本当は栃木の人も茨城の人も大好きです。なぜならこんな素晴らしい経験をしたからです。ある冬の日、下館から栃木の益子町に仕事で行こうとしたら雪が降り始めた。気にせず走っていたら前を走っていた車や、対向車がみな止まってなにか作業をしている。よく見るとタイヤに何か巻いてる。そうチェーンを装着しているのだ。ちなみに僕はその時までにチェーンを着けた事は一度も無かった。何とかなるだろと走り続けたが、雪は激しくなるし、車はタイヤがスリップして危険極まりない。もう駄目だと思い、眼の前のスタンドに車を入れ、チェーンを着けてくれるよう丁寧にお願いした。

『チェーンも付けられねえっておめ、どこがらぎた?』このような無礼な物言いに対しても、温厚な私は低姿勢のままこう答えた。『いやー、九州は宮崎なんすけど、あちらは雪降らないんですよ。なんせ冬場もみんな半袖で生活してるもんで』『へー、噂には聞いてたけど、ハワイみてだな』このような異文化交流のほのぼのした会話が行われ、チェーンを装着すると言う作業の代金として○千円ぼられた 差し上げた。余りに悔しくてもったいなくて翌日晴れてもチェーン着けたまま走っていたら、茨城人の同僚に『そんなして走ってっと、チェーン切れちまうど。このデレ助』という心からのアドバイスを貰った。このような経験は沢山したので、僕は茨城や栃木の人が大好きです!!

 気を取り直して、このほかに今お気に入りなのは博多華丸・大吉のコンビでこちらは博多弁の漫才師。最近は児玉清のモノマネで受けているが、本来の漫才を一度見て欲しい。九州人ならずとも十分楽しめると思う。僕も3本ほどしか見てないが、父と子の会話というシチュエーションで普通の会話がだんだんシュールな世界に入っていく過程は一度はまると病みつきになる。
 残念ながらこの華丸・大吉は会員しか見れないが、U字工事は無料で見れるのでこの機会に是非ご覧下さい。
 


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