痛い話

 4月も今日で終わりだが、宮崎S病院(旧K南病院)に勤務中のY田さんは元気で頑張っているだろうか。ひと頃は泣きのメールが良く来ていたが、と言うことで今日は痛い話をしてみたい。アメリカンジョークで”オレの盲腸の話は聞いたかい?”と言うのがあるそうで、その心はとかく病気や怪我の話は大げさに吹聴するものだと言う心らしいが、まぁお付き合い願いたい。

 自慢するわけではないが、若い頃から結構痛い目にあってる。ちょっとここでは話せないような痛い話もあるのだが、単純に痛い病気や怪我も他人に自慢できるぐらいやってる。いくつか話すとまず20代の頃「自然気胸」というのをやった。これは肺に穴が開く病気で、タイヤがパンクするのを連想してもらうと解り易い。息をするたびに肺から空気が漏れてその空気が肺を圧迫して痛みを誘うのである。丁度熊本に出張中で前日から心臓の辺りや、左胸のところが痛くて近所の病院に行ったら、すぐ大きな病院に回された。レントゲンやいろいろな検査をした後、医者から病名を告げられ「いつからにしますか?」。つまり入院をいつからするかということだ。

 当時は鹿児島に住んでおり、熊本では入院のしようが無いと話すがなかなか納得してくれず、必死で説得したところ「この病気は初めての人は痛さで失神することもあるので、万一痛みが出てきたらすぐに車掌に話して電車を止めてもらい、最寄の病院に急行すること」という約束をして、更に電車の車掌に渡す手紙まで書いてもらった。運良く痛みの発作は起こらず、鹿児島に帰り2週間ほど入院した。僕の場合は絶対安静にして治ったが、万一治らなかったときは左胸をメスで切り開き、そこに針金状のものを入れて肺を引っ張るという手術をしなければならなかったそうだ。聞いただけでも痛そうでしょう。

 他には「尿管結石」といってこれも七転八倒する痛い病気をやりました。その他にも…と続けていたらきりが無いので本日のメーンイベント2年前の4/30の出来事を話しましょう。

 当時僕は不動産管理会社に勤務しており、その日の午後担当していた貸家の点検に向かった。その貸家はもともとその不動産会社の会長が今のオーナーに販売した経緯があり、不手際があると直接上のほうに行くので、結構気を使っていた物件だった。1週間ほど前にもオーナーが現地に来て(せっかくの日曜日だってのに)、一緒に点検しリフォーム工事の打ち合わせをしたばかりだった。その時に庭先に鉄の塊(縦50cm、横30cm、幅15cm位)が放置してあったのを見つけ、工事のときに撤去処分するよう頼まれていたのだ。軽い気持ちで承諾して、取引先の業者についでのときに撤去しておくよう頼んだのだが、重機を使わないと出来ないと断られてしまった。

 業者の返事に頭にきていた僕は、貸家に着くや否や、その放置物を動かそうとしてみた。動かない。両手で全力で動かそうとしてみた。動かない。”やっぱり重機じゃないと無理か…”そう思いながら反対側の玄関に行こうとした瞬間!ズシンという鈍い音がした。

何が起こったか解らなかったが、見ると僕の右足の靴の上にその鉄の塊が乗っていた。その瞬間は痛くも何とも無かったが、じわじわ痛さが増してきた。手で持ち上げることは到底無理なのだが、何度も何度も持ち上げようとしたり、棒でも突っ込んでテコの原理で持ち上げようとするが肝心の棒などどこにも無い。

 いよいよ切羽詰って右足を両手で抱きかかえるようにして、無理矢理引き抜いた。えらく痛かったが、この時は血豆でも作ったか、最悪骨にひびが入ったくらいだと思っていた。いずれにしても歩けないし、車はマニュアルで運転出来ない。みっともないと思ったが会社に連絡して迎えに来てもらった。嫌な予感がしたのは、迎えの車に乗るときに足がドアに触れただけで、飛び上がるような激痛が走ったことだ。車が路地から通りに出た所で救急車が来た。会社の女の子が連絡していたのだ。”大げさだな”と思ったがせっかくなので、傷を見てもらうことにして靴下を脱いだ。

 親指の第一関節が完全につぶれていて骨が見えていた。生まれて始めてサイレンを鳴らした救急車で病院に運ばれた。車の振動があるたびに無意識にうめいていた。運び込まれたのは宮崎S病院だった。外来の看護婦さんが綺麗な人(ワタナベさんと言った、我ながらよく覚えているな)だったのと、診てくれたドクターから「今何かしたいことは」と聞かれ、「タバコを吸いたい」と言ったら「タバコは血管を広げるので怪我には一番よくない、この機会に禁煙しなさい」と言われた事が強く印象に残っている。またそのとき、足の指の第一関節から先は切断するが走れるようにもなるから心配するなとも言われた。

 その日は夕方から手術になり、半身麻酔をかけられ、自分の骨が削られる音を聞いた。「骨身を削ると言うが、ほんとに今骨を削ってるな」と考えたのと「注意一秒、怪我一生」と言う言葉がエンドレスで頭に響いていた。その後これも生まれて初めての経験で車椅子生活を送り、いかにバリアフリーが有難いかを実感した。結局このときの怪我で5月いっぱい入院生活を送るのだが、そこで起こったいろんな事はまた別の機会にお話したい。長々とお付き合いアリガトゴザマシター。

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だけどクサるのはやめとこう…

勘太郎のサイン
 実は4/28にこの記事を書き始めたが、眠くなり中断。翌日は写真のファイルが大きすぎて上手く行かず断念。本日ようやく取り掛かっている次第。記念すべきブログの最初の話だが、まずは4/27の内田勘太郎&下地勇「風の十字路」のライブレポートをお送りしたい。

 僕が内田勘太郎を初めて見たのは今から31年前の12/20、何故はっきり覚えているかと言うとその前日が誕生日で当時所属していたサークルの仲間と大騒ぎし、やや二日酔いの頭で以前から約束していた「憂歌団」のライブを磔磔に見に行ったからだ。デビューアルバムを出した直後の「憂歌団」のライブは凄かった。木村のボーカルはシャウトや絶叫という次元を超えて凄まじいものがあったし、勘太郎のギターは独特のボトルネック奏法にやや演歌の香りがする日本人のブルースを演奏していた。どちらかと言うと当時はアンチ・ブルース派だった僕も完璧にノックアウトされ、その日から会う人ごとに「憂歌団」のライブを勧めた位だ。京都に居た頃は、ライブハウスや野音で彼らの演奏を聴き、サークルの部室ではレコードをかけまくるという日々であった。

 その後働き始めてからは、ビデオを見たりアルバムを聴いたりで、宮崎にはチョコチョコ来ていたがなかなかライブを見るチャンスはなかった。また僕自身も積極的に情報を集めることをしなくなったので、たまに入る情報は”ゲゲゲの鬼太郎”のテーマソングを歌ったとか、映画のサントラ(”月はどっちに出ている”等)をやったと言うことくらいで90年代末には無期限活動中止(実質的な解散?)になってしまった。その後ソロアルバムを何枚かタワーレコードで見かけたが、なんとなく買いそびれていた。

 さて今回のライブだが本当に単なる偶然から、その存在を知った。と言うのは、たまたま4/24に通帳の記帳をしに宮交シティに行った時エスカレーターのところに小さなポスターがあるのに気が付いたおかげだ。『あれ、カンタローやん』と何故か関西弁になりつつ、そのポスターを見ると4/27に宮古島出身の下地勇とのジョイントコンサートをここ宮交シティの紫陽花ホールで行う事が書かれていた。今までだったら仕事でまず見られなかっただろうが、何故か今は時間だけは自由に使えるので即チケット購入を決意。

 ただチケットを買いに行った時に、ずいぶん余ってるなと感じたことと、チケットの通しナンバーが000013番だったことに激しい不安を持った。『前売りで13枚しか売れてない=1500人入るホールで客13人?』その日偶然会ったロックファンの友達から、客のがらがらなライブに入ってそこから出るにも出られず、かといって眼を上げるとミュージシャンと視線が合ってしまいずっと下を向いていたこと2時間のつらい体験の話を聞き、これはヤバイと思い友人知人にライブを誘うが、今日明日の話でみんな予定が入っている。やっと1人その日福岡に日帰り出張する友人とアポが取れ、運命の日を迎えた…

 開演時間の18:00に行くとホールの前に2,3人のお客さん。寒いっと思いその横をすり抜けて書店に入る。友人は18:30ぎりぎりになるとの事だったので20分位時間をつぶし、再度ホールの前に来てみるとスタッフが青ざめた顔で右往左往している。『もしかしたらチケット払い戻しでライブ中止?』不安がよぎる。18:30丁度に友人と合流し、入場したが一瞬どこで演奏するか解らなくなる。と言うのもホールを半分に仕切っていてライブ会場にはその仕切りについてる小さいドアから入るようになっていた。ようやく会場に入るとアコギが2台と椅子が2脚、正面向かって左右対称においてある。客席はパイプ椅子をざっと60人分用意してあり、客は半分くらいの入り。やたら客電(天井照明)が明るく、ピンスポットがステージに向けられているが余り意味がない。

 パラパラと拍手がしたのでその方向を向くとカンタローと下地氏が手を振りながらステージに向かって来た。カンタロー痩せたなというのが第一印象だった。『今日はおぐらでチキン南蛮食べてきた』というMCで始まったライブは予想通り感動モノだった。初めて聴いた下地勇の宮古島方言の歌は、意味は解らないが熱く伝わるものがあった。しかし沖縄の方言の中でもわずか千人位しかその意味が分からないという方言で詞を書いて歌うと言うのはそうとうオリジナリティに自信がないと出来ないことだなと考える。

 前半下地の歌中心で、途中勘太郎のソロ、下地のソロそして後半がまた下地の歌中心と言うステージだったがあっという間の90分であった。おかしかったのはやはり客の入りが少ないのと、そのせいでノリが余りよくないのを2人とも気にしていたようでアンコールのとき『アンコールもらえて良かったです、来なかったらどうしようと二人で話していました』と下地氏がコメント。一同苦笑でした。

 ライブが終わりCDを買おうとしていたら、勘太郎・下地の両氏が来てサインしてもらえるとの事。HPでチェックしていたトリオのアルバムと名器Chakiを一人で演奏しているアルバムの2枚を購入。その際に勘太郎氏と直接話が出来た。カンタローから『drac obさんとはどっかで会った事ないかな』と多分にリップサービス気味の言葉を貰ったが『まぁ、どこにでもありそうな顔です』と答える。最後に『これに懲りずにまた来てや』と言われ固く握手。もちろん次はもっと早く情報をゲットし最大動員かけて行きます!!

 とまぁ取りとめのない話ですが、これから少しずついろいろな話をアップしていくので皆さんコメントよろしく。ちなみに今回のタイトルは「憂歌団」の”嫌んなった”と言う曲からでその後に”陽の目を見るかも、このオレだって…”と続きます。”陽の目!”を早く見たいよー!



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