二足の草鞋というのか、とりあえずお知らせ

 宮崎国際ジャズデイのホームページにエントリーを投稿したが、どうもかってが良くわからずアップしたかった動画が貼れなかった。とりあえず、使い慣れたFC2のほうに動画をアップする。不死鳥のごとく蘇ってきたトランぺッターである。詳細はこちらのリンクをクリックしてください。

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幻の10年の話、あるいはゴッドオンリーの渦

 しかし、まあ飽きっぽいワタクシが良くも10年続いたもんだと感心している。今朝早くにデューク先輩からお祝いのメールが来た。そうなのだ、本日4月2829日旧テンタンの日こそ、拙blogがスタートした日なのだ。第1回目のエントリーは、内田勘太郎と下地勇のジョイント・ライブを見た話だった。当時は病気のため仕事が出来なくなり、いわゆる失業状態にあったのだが、職業訓練なるものを受けて社会復帰に向けて準備しているときだった。おかげで時間だけは沢山あったし、自分が病気から快復するきっかけになったのも学生時代に大好きだったバンドが、いまでも活動していることを知ったり、また学生時代に所属していたサークルの仲間の消息が少しわかり、よし、ワイも男や、もう一花咲かせたろかと思い立ったが吉日、訓練で勉強したIT知識をフルに活用し、まさかその後エロ動画で権力からにらまれることになるとは知らなかったが、数あるblogサービスの中でFC2を選んだというのは歴史の必然だったかもしれない。あの時、ライブドアなど選んでいた日には引越しが大変だったろうし、もちろんそれ以外のblogサービスを選んでいても、とっくの昔に消えていたところも数多い。お上から目を付けられながらもしぶとく生き残っているFC2はエライ、パチパチ。

 もちろん10年間、全く波風が立たなかったわけではない。楽しいことも沢山あったが、もう止めてしまおうと思ったことも何回、いや何十回もある。大体、自分の考えや思ったことをPCの画面に向かって入力して、写真を付けたり動画を貼ったりしてアップしてもいったい誰が見るんだ、誰も見てないじゃないか、ましてや全く見当はずれのコメントつけられたり、全然本意じゃないところを評価されても嬉しくはない。毎日、仕事で疲れた体を休めることもなく、端末に向かって黙々と入力していても誰も褒めてくれない。こんなことしているくらいなら早く寝たほうが心身の健康にいいと何度も思った。それでも、何とかここまで続いたのは拙blogを通して知り合った人、再会した人、消息が分かった人、そしてそれまであこがれの対象でしかなかったミュージシャンの人たちとちょっとしたやり取りが出来たりしたこと、Web上の出会いから現実の出会いにつながったなど、これらのことがあったからこそ曲がりなりにも10年続いたのだ。

 いろんな人のことを思い出すが、やはり一番は昨年遠いところに行ってしまった小林誠君だろう。最初のきっかけはサークルの後輩のblogのコメント欄で、僕のコメントを読んで、同じ大学の同期だったことを知った彼が拙blogにコメントしてきたのがきっかけだった。今調べたら2007年の10月6日のことだ。それからお互いのblogにコメントのやり取りが始まり、そこから元サーカスのバイトだったTHIS BOYさん(こちらはお元気で今だおさかんなので実名だと差し障りがある)や、高貴なお生まれでありながらロックなどという下世話な音楽にやけに詳しい、年齢不詳のスージー姫などとの交流が始まった。いや、ちょっと待て、THIS BOYさんとの出会いは塩次伸二と妹尾隆一郎のジョイント・ライブの時の話がきっかけだったかもしれん。ま、どちらにしても塩次伸二は小林君のいたライラックの先輩だったので、一緒といえば一緒だな。そうそう、小林君のいたゼミに僕のサークルの仲間が3人もいて、そのうちの1人とは一緒に小林君のライブを見た。あとの2人とは実際に顔を合わせてはいないが、いまでもメールのやり取りは続いている。僕のジャズを教えてくれた二人なので、少し頭が上がらないところはあるが。

 このblogを最初にスタートしたときはPWを付けて、僕が承認した人しか入れないようにしていたが、それも飽きたので確か2006年の9月1日からPWを外して、誰でも見られるようにした。それで思い出したが、最初は『人生はさすらい』というキャット・スティーブンスのシングル曲名をblogタイトルにしていた。今の『別館4階のBOXから』に変えたのは2006年の9月1日からだから、正確にいうとまだ10年経過してなかった(汗)。まあ、「バカと恥知らずは承知の上」がお約束のワタクシなので勘弁していただく。一番最初にエントリーを書き始めたときは、FC2の機能を使って直接入力していたのだが、ある時、長文のエントリーを書いていたら、PCが固まってしまい、あれ、ちょ、待てよ、おい、何とか言えよ、などとこちらも固まっていたら、一瞬ですべてのデータが消えたことがあった。それ以来、直接入力はやめて、まずはWordに入力し、それをコピペして貼ることを覚えた。おかげでデータが飛ぶことはなくなったが、やや面倒ではある。

 そうこうしているうちに携帯からエントリーが投稿出来ることを知った。写メを撮って、そこに気が付いたことなどを打ち込みFC2に投稿するのだ。これを覚えたときは楽しくて、ちょっとした外出や旅行などに行ったときは重宝した。この携帯からの投稿は今も続けているが、本文がPCからか携帯からは文字のポイントを見れば分かる。PCから投稿する時はローガンの人のことも考えて結構大きなポイントでアップしているが、携帯(その後はiPhone)からはポイントの設定の仕方が分からないので小さい文字のままになっている。まあ、こちらのほうが読みやすいという人もいるのであえて調整はしてない。ただ携帯やスマホから送ったエントリーは説明不足のものもあるので、時間があるときはなるべくPCで編集や追記をするようにしているが、これもなかなかできず投げ出したままのものも多い。

 今日は、拙blogの昔話を久しぶりに長文エントリーにしようかと考えたが、これからストリート音楽祭もあるので、とりあえず終わる。そうそう、なんだかんだで10年もやっているので、エントリーの傾向と対策というものが見えてきた。最後にエントリーのカテゴリとその数と内容について補足しておく。

総エントリー数1400(このエントリー含めて)
・歴史から飛び出せ~学生時代の話を中心に、まあ昔話ですな。総数203.

・時々吠えることがある~一寸の虫にも五分の魂、泣いて、泣いてたまるかよ、夢があるみたいな話も少しくらいあるか。総数130

・キック・ザ・シティ~その昔、まだ宝島が面白かった時にVOWという企画があった。VOICE OF WONDERLANDの略だが、街で見つけてた面白ネタ的な話。総数166

・TKO NIGHT LIGHT~西東京は保谷に2ヶ月ほど居候しており、その時に見た花のお江戸の話。幻のエントリーである。総数6

・My Music~そりゃなんつったってああた、そりゃ拙blogは70年代極私的ロック史なんですから、めんたんぴんどらどらばんばんばかったれ的な話。総数294

・艱難汝を玉にす~もう、オレの人生こればかり。総数30

・暗闇の人生~道なき道をがむしゃらに手探りで走ってきた、今までの話。総数128

・それでも私は~それでもオレは求め続ける、何かを、何かをの話。総数226

・滅多にない家族サービス~そのまんま東、もうこれ廃盤。総数68

・そこのけ映研、あっちいけ同プロ~映画の話。そういえば不当逮捕されたK君は元気だろうか。総数12

・臨時ニュース、臨時ニュース~多分携帯からの投稿が一番多いはず。総数123

 ということで、10年は早い、後どこまでいけるかはゴッドオンリーの渦、あ、これいいなゴッドオンリーノウズより面白いやんけ。今後ともよろしゅうおたのもうします。



意外とセクシーな女性を描くマンガ家だったっけ

 望月三起也が亡くなった。少年キングの有力作家てか、キングで読めるマンガはこの人のものしかなかった。一番最初に読んだのは「ケネディ騎士団(ナイト)」だったか、あるいは月刊キングの戦争もののマンガだったか、はっきり覚えていない。絵がダイナミックなことと登場する主人公が幼い顔をしているが、妙に主義主張が強くてユニークだったこと。「俺の旗」というタイトルだったかと思うが、熊本出身の主人公が腹に旗を巻いていて、何かあるとその旗を見て自分の行動が正しいかどうか振り返り、まあ少年マンガなのでたいていはドンパチというかチャンバラというか大喧嘩で大勝利、でもちょっと心に傷が残ったのよね的な作品が多かったと思う。サッカーファンでマンガの中に釜本が登場したり(釜本と言ってすぐピンとくるのはオヤジ世代だな、苦笑)、確かご本人もサッカーチームを持っていたのではなかったか。

 代表作は。いろいろあるがやはり「ワイルド7」が一番カッコよかった。何年か前に突然映画になったが、それは見ていない。今更なんだという感じで主人公もヒバちゃんぽく無かった。マンガが連載されているときテレビドラマになり、それは結構見ていた。OPテーマよりEDテーマが好きで♪ワイルド7、ワイルドライダー、やってきたきたつむじ風ってフレーズは今だに口に出ることがある。マンガの原作とややストーリーは違っていたが、それなりに楽しく見ていた。後年、とある事情で仕事が出来なくなり終日家にこもっている時期があり、その時にネットで「ワイルド7 another」というアニメを見て、元気づけられたこともあった。

 しかし、世の中は「ワイルド7」を必要としているが、現実は秘熊玄一郎みたいなアベシンゾーがこの国を変えようと着々と準備している。なんとも生臭い時代に、望月三起也は彼岸の国に行ってしまった。まだ77歳だったのには驚いた。合掌。



水元博子リトグラフ展のご案内

 高校の同級生がリトグラフ展を開くと案内が来た。彼女は革命家、ではなくゲージツ家で絵を描くことを生業としている。以前は結構頻繁に個展や共同展の案内を送ってくれていたが、何しろこちらが花鳥風月を解さぬ不良中高年パンクなので、展覧会とか美術館に行くとどうも落ち着かない。展覧会に行くと何故か「生は死なり、死は生なり」などと絶叫したくなるし、頭の中でくるみ割り人形が踊りだす。また美術館に行ったら行ったできれいな額をみると、何故か子供が泣いてるといいたくなったり、揚句は窓ガラスを割ってしまったり火をつけたくなる衝動が抑えられなくなる。えー、ワタクシの人格が破たんしているのか若いころからロックなどを聴きすぎた後遺症なんでしょうか。

 てなことを書いたが、実は絵を見るのは嫌いではない。ジャンルなどよくわからんが、前に見に行った伊藤若冲は良かったな。絵で圧倒させられることがあると、その時初めて思った。だったら、同級生の個展なんだから遠慮せず行けばいいじゃないかと思われるかもしれないが、いや、もちろん、今回はちゃんと行きますが、なんというか、会場のね、ハイソな雰囲気というか、ブルジョワ的雰囲気というか、ま、貧乏人の僻みといえばそれまでだが、どうもあのシーンとした雰囲気が苦手なのだ。そして、そこにあまり親しくなかった同級生などがいると、ますます気が重くなるのだ。その昔の現役パンクのころなら、そんな同級生には「おまえらと一緒にすな、このタニシ」的な言動をとっていたが、やはり歳月は人間をマルクス主義。あ、違った、丸くする。こう見えて僕も丸くなった。まず相手が嫌な奴でもちゃんと挨拶はするし、簡単な世間話に相槌を打つくらいはする。しかし、しかしだ。貴重な休日にたかが地方都市でちょっとばかり小金を持って、そろそろ年金の有効利用を考え始めたり、定年後の人生は旅行三昧で楽しもうなどと考えている諸君とはこちとら人種が違うのだ。早い話がこちらは死ぬまで働かないと生活できないルンペンプレカリアートであるからして、悠々自適の人生を送っている連中とはウマが合わないのだ。それでも暴言吐いて、さっさとゲルニするのも大人げないので、適当に話を合わせるのだが、後から自己嫌悪に陥るんだよね。『友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買ひ来て妻としたしむ』、などとつぶやきながら、もちろん花などは買わず。せいぜいヤケ酒飲んで音楽聴いて布団に潜り込むのが関の山だ。そして、いったいどうしてこんなことになったのだろうと考える。考えても詮無いことなんだけどね。

 いかん、いかん、せっかくの友人の花の個展に辛気臭い話を書いてしまった。えーと、彼女とは高校3年間同じクラスだった。田舎の中学校から進学した僕と街中の中学校から入学した彼女は、生活環境も違うし最初は接点が全くなかった。いったいいつごろから話をするようになったかというと、うーん思い出せないのだが、一つの要素としてはやはり絵というか美術がキーワードだったかもしれない。僕の父親は美術の教師だったことが、彼女と話をする一つのきっかけだったと思う。いや、共通の友人でサッカーとS&Gが大好きだったS尾君を通じて話し始めたのか。あるいはロックが好きで、そういう友人たちと雑談する中で親しくなっていったのか、今はどれが正解だったかわからない。多分、それらすべてがきっかけだったかもしれない。

 彼女との思い出というほどのものは大してないが、1つだけよく覚えているものがある。大学時代の話だが、夏休みに帰省した時に何故か頭脳警察のサードを実家に持って帰った。しかし、実家のステレオは京都の下宿に送っているので、再生装置がない。もちろん地元の大学に通っている友人や、同じように帰省してきた友人の中にオーディオを持っている人もいるが、何しろ頭脳警察である。聴く人を選ばなければならない。その時、すぐ思い出したのが彼女であった。ああ、彼女なら頭脳警察にも興味を持ってくれるんじゃないか。そう思って電話したら、今から来ても構わないという。当時はまだ車の免許を持ってなかったから、自転車に30センチのLPレコードを乗せて彼女の家に行った。何故か、ご家族の方は誰もいなくて彼女と二人だけで頭脳警察のサードを聴いた。僕は京都の話をして、彼女は東京の話をした。レコードを聴き終えて、ジャケットを見ていた彼女がこういった。「この歌の『幻想持つならヤケ酒飲んで頭の汚れを洗い落とせ』って言葉はいいね、よくわかる」。その歌とは「歴史から飛び出せ」だった。後年、パンタが出版する自伝のタイトルにもなった曲だ。初めて頭脳警察を聴いたはずなのに、さすがにアンテナが鋭いなと感心したのを覚えている。

 それだけである。大変残念ながらそれだけである。当時は多分お互い20歳前後だったと思う。その年齢の男女が同じ部屋に1時間以上いて何もなかったのか。大変残念だが、何もなかったのである。ああ、俺は臆病だったな。あの時、などという気持ちがないとは言わない。何しろ当時の彼女はとてもスリムできれいで、高校時代から男子学生の間でアイドルだったから。今?今は、いや、その、今もとても美しくきれいに年齢を重ねています、嘘だと思うなら会場にぜひお越しください。えーと、こんなんでいいんだろうか、とりあえず水元博子リトグラフ展のご案内でした。

※例によって青地の箇所にはリンクが張ってあります。原曲をお楽しみください(笑)。

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本日のクリビツ二連発



週末の夜、ぼんやりテレビを見ていた。重大ニュース100みたいなやつで、95年の函館ハイジャックをやっていた。関係者のコメントに、オウム真理教関係の事件ではないかと分かったときに、「これは普通のハイジャックではないと思った」とあり、普通のハイジャックってどんなんやと1人突っ込みしていた、その時、センチのギタリスト、我らが告井軍曹の顔がアップになった。

何と、あのハイジャック機内に告井氏は居て、加藤登紀子のツアーメンバーだったってのも少し笑ったが、何と警察に通報して、それが事件解決に貢献したらしい。まあ、驚いた。

本日、驚いた事の第2弾。Facebookに友達紹介みたいな機能がある。要するに、友達の友達は皆友達だ的な機能で、この人はお前が友達にしている人間の友達だから、もしかしたら知り合いじゃないかというおせっかい機能である。ま、それでもその機能のおかげで意外な人間の消息が分かったりして役に立つ事もある。

しかし、今日、Facebook開いたら突然、塩見孝也のどアップ。え、なんで赤軍派元議長が、あ、やはり新聞局のあいつは赤軍シンパやったのか、それとも広告研究会にいたあいつか、などと思い巡らしていた。しかし、どうにも納得しない。一体、だれが共通の友達なんだとクリックしたら、ああ、ZKさんね、納得。しかし、塩見元議長、老けたな(笑)。





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