アイスタンドアローン by Al Cooper

 ※人間の存在の本質に関わるテーマですが、この手の話が嫌いな人と、今ものを食べている人はなるべく後から読んで下さい。

 リチャード・キンブル、職業医師、正しかるべき正義も時として盲いる(メシイル、と読みます。その通りに入力しても出てきません。しょうがないので”め○ら”と入力して変換しても”盲”という字が出てこない。サベツ用語だとか何とか言って勝手に自粛しとるんかい、このボケコンピュータは!!とのっけから怒ってしまった、いけないオジサンです)ことがある・・・。と、つい今は昔大ヒットした『逃亡者』の導入部をパクってしまった、1日遅れのブログですが、いや毎日暑いですね。死人が出る暑さだから嫌になってしまう。ま、お天気の話はさておき。昨日は、取引先のS木さんが保谷の事務所にわざわざ来られた。今、僕がやっている商品発送の仕事を今後は宮崎から行うことになり、ご挨拶かたがた来訪され、”お元気で”と”そのうち宮崎に行きますから”みたいな話を某君としたあと何やら商談らしきことをしていたが、僕は在庫の棚卸で忙しく詳しいことは解らなかった。

 実は先日アップした東京国際ブックフェアはS木さんの会社が招待券をくれたので、僕がそのおこぼれに預かれたのである。当日はブースの案内図もあったので、誰かお客さんがいたらブースの中に入ってみようと思っていたのだが、溢れんばかりの人の流れの中S木さんの会社のブースは静まりかえり、一人でも入ったらすごく目立つ状態だったので、必殺あかの他人の術でブースの横を通り、その時にちらりとS木さんらしき人を眺めたしだい。したがって昨日初めて某君に紹介してもらい、顔と名前が一致したわけだ。某君との話もひと段落つき、それでは飯でもという典型的な日本のビジネスマナーに則り、夕方の保谷の駅前に3人で出た。

 一軒目は前回行った時店長が新規就任したばかりで、名刺交換したら割引券が貰えるという(勿論某君はしっかり名刺交換し500円割引券をゲットしていた。こういうところが山師やはり経営者である)、社員の意欲向上と売上アップの”二兎を追いつつ二兎共得るぞ”的な居酒屋に入った。それぞれ好きなものを頼みながらS木さんの会社の業務内容とかを聞いたが、へーそうなんですかといった気の抜けた相槌しか打てなかった(早い話がああいうところでは馬鹿話は出来てもまじめな話はなかなか、ねって誰に同意を求めてるんじゃオッサン)。ビールにワインでそこそこ盛り上がったが、本格的になったのは2軒目から。S木さんは横浜から通っているということで、帰るのは大変だからビジネスホテルに泊まってもらおうと話しあい、保谷にはビジネスは無いので隣の大泉学園に行って探すことになった。わざわざ電車で隣町に行くというのは、やはりこちらならではの行動パターンだろう。

 大泉には旨い焼き鳥屋がある、オレに任せろ、黙ってオレについて来い(ここで大松博文と名前が出て来た人は間違いなく、生まれてから現在に至るまでが長ーーーい人である)とばかりに某先生に案内されたが、入ったらかなりガラガラなお店。どうも目的のお店はその隣だったらしいが、入ったものはしょうがない。早速注文したが、意外や意外、鳥刺しや枝豆、トマト出てくるもの全て美味しかった。特にこのトマトが旨かった。僕は確実に3切れ以上胃にぶち込んだ。注文した本人(本人の名誉のためにあえて名前は秘す)は一切れも食べてないとか言っていたが、あまり気にすることではない。そのお店でビジネスホテルのことを聞いたが、大泉にもビジネスは無く反対方向のひばりが丘ならあるとのことで、じゃもうこの際保谷のマンションで雑魚寝だと決まり本格的に飲むことになった(僕はお付き合いだけ)。

 さてここで大きな問題にぶち当たった。僕は5月末からずっと(途中6日間だけ宮崎に帰ったが)保谷のマンションで某君と一緒に一種の合宿生活を送っている。そのマンションはもともとがファミリータイプの3LDKである。トイレは当然シャワートイレ(ウォシュレットというのはTOTOの商品名だからNHKでは言えない筈だが…、どんな言いかえをしているのかちょっと聞いてみたい)である。であるが、僕は正しい日本男児として小をするときは立ってやっている(別段力説するところではないが)。然るに某君もS木さんもトイレでは小をするときも座ってやっているとのこと。S木さんの会社は30代、40代(S木氏本人)、50代と3人男の人がおり、社内規定で小をするときは全員座ってすると決まっている(ウソ、ウソ、3人だけで取り決めたルールらしい)。しかしながらその50代のオヤジは本人は座ってやってると言ってるが、彼の使用後にトイレに入るとあちこちに飛沫が飛び散っており絶対立ってやってるとS木氏は怒るのだ。

 ここまで書いてふと大事なことに気がついた。今は当たり前のように洋風便座を使っているが、以前は当然トイレは和式だったのだ。では初めて洋風便座に直面した日本人は、正しい座り方で用を足すことが出来たであろうか(この場合、男は大が条件とする)?この命題を若き頃の小林信彦はある有名な文学者と徹底討論している。お暇な方は『パパは神様じゃない』という本で調べてみてください。文庫で出てます。僕としてはその本の中で『何故洋風便座には蓋があるのか?』という問いに対して『ティーポットに蓋があるのと同じ理屈だから』というところや、蓋を開けずに男だけがトイレを汚さず用を足せる『注入位』という話に大笑いしてしまった。とここまで書いて(おいおい、今使ったフレーズだぜ。)ナニゲニ小林信彦のことをネットで調べたら『パパは神様じゃない』は絶版になってました。ただBOOK OFFなんかで見かけることがあるので、もし見かけたら買って読んで見てください。損はさせません。ちなみに『つむじ曲がりの世界地図』もオススメのエッセイです。

 話がもこみちじゃなかった横道にそれたが(こういうことを言うから娘からオヤジギャグは寒いとか言われて嫌われるのだ、オッサン学習せーや)、今回のテーマは”男なら立ってやれ”である。あの一定の高さから流れる液体の描く線を放物線というのだ。これは物理の試験にも出てきたから間違いない!また思いっきり立って放つ開放感、これこそが良くぞ男に生まれけり、男児の本懐とは正にこのことだ。某社長に言わせると『するのはいいけど、掃除が大変だ』などと言っているが、人間が小さい、小さい。トゥーリトル、トゥースモールというやつである。しかしその日の話の中では2対1で数の暴力に屈した。こういうのを民主主義の吐き違えという。しかも座ってやる方が音もしないし上品だという誤った結論が導かれたことは、『私の在任中には消費税は上げません』と言って外堀を埋めていったコイズミ的過ちであると言っても過言ではない、と何がなんだか混乱してきたので今日は終わる。ゲッ、もう2時20分だ。明日は日曜返上でピッキングだー!!

 最後にこのタイトルは『オレは孤立してる』と訳すのが正しいが、僕的には『オレは一人でも立ってやる』と言う風に解釈したいっていい加減しつこいな。
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吉祥寺ぶらり日記

いせや 店内

 昨日、予定していた仕事が早めに終わったので吉祥寺の「いせや」に焼き鳥を食べに行こうと誘われた。勿論”異議なしっ!!”である。こちらに来て初めてバスに乗ったが、地元宮崎と違い、前乗りで運転手に目的地を告げて料金先払いと言うシステム。整理番号券を取り、降りる時に料金を払う地元システム(やはり大都会では乗り逃げする奴が多いのだろうか?これも一種の偏見かな)からするとちょっと妙な気分だったが、”ドゥーインローマ、アズザローマンズドゥー”早い話が『郷に入っては郷に従え』と心の中で呟きながら乗車させて頂く。

 考えてみると、今まで何度か東京に滞在しているがバスの移動は初めてだった。青梅街道に出るまでは片道一車線の細くて、踏切の多い道を走るので心配だった。30分ほどして吉祥寺に到着。街の雰囲気にどこか70年代の風を感じる。某君の案内で駅周辺を散策。ハーモニカ横丁と言う看板を見つけ覗くと、そこには戦後焼け跡闇市の世界が広がっていた(ウソ)。ちょうど6時過ぎで人手の多い時間帯だったが、ぼちぼち歩いていくうちにガードが見えてきて、白い煙がたなびいている。どこか美味しそうな匂いが、あったーーー!「いせや」だーーー!

 赤信号を待ってる間に気持ちははやり、昨日の記事にアップした写真を撮影。立ち飲みしているオヤジも沢山いてウキウキしてくる。入り口から「2人だけど2階いい?」と某君が聞くが、あっさりNG。満席状態のようで、「こりゃ出直すか?」と僕。その声が聞こえたのか、入り口で一人で飲んでた30過ぎの男の人が「詰めましょうか?」と席を譲ってくれた。なんとか席を確保し、ビールと適当につまみを頼む。僕は普段は飲まないのだが(昔は浴びるほど飲んでいた。このあたりのことは又改めて…)この日ばかりは、タカダワタルの霊が降りてきたのか、ビールが進んだ。枝豆とか、生野菜といった前座が終わり、いよいよ焼き鳥を注文。「塩?タレ?」と聞かれ、「タレ」と答える。ここで『焼き鳥は塩だろ』と通ぶる若者に一言。塩はオジサン達にとってその名の通り塩分取りすぎになるの!血圧が上がるの!成人病(今は生活習慣病と言うのか、どおりで小学生もかかるはずだってそれが世の中狂ってる証拠だぜ)の原因になるので極力塩分は控えめ、よって焼き鳥もタレ。ただこのタレが良くあるような甘ったるいタレではなく、醤油の味がぴりりと聞いた大人の味だった。

 食った、食った、食いました。めちゃくちゃ美味しいというわけではないが、料理一品一品に味がしみていて、周りの雰囲気も香辛料として美味しく頂けた。ちょっと落ち着いてから、中を見回すと結構若くて可愛いオネーサンたちもいる。家族連れも、仕事帰りの人もコンパの学生も、そして吉祥寺文化人的な髭や雪駄履きのおっさん達も、様々な人々が結集して、思い思いに飲み、食い、語りあっている。どこかで見た風景だと記憶を辿ると、20代の時に行った返還前の香港の屋台の雰囲気とそっくりだった。厨房の中を見ると大勢の若い人達が焼き鳥を焼いたり、ビールやウーロン茶の栓を抜いたり、一瞬たりともじっとしていない。時々「シューマイ、ハナー」とか「水割り、ハナー」とか叫んでいる。”ハナ”とは何だろうか?ハリアップの意味だろうか?ハンナァと歌えば甲斐バンドの”杏奈”に聞こえなくも無いが、ここで甲斐バンドは関係がなさそうだ。

 えてしてこういう場ではお店の人に『はなって何のこと?』などと聞いて、それを薀蓄のネタにするいやらしい人間が多いが、こういう場では、符丁というか職場スラングというかその関係者でなければ解らない専門用語はあって当たり前であるし、それを今日来たばかりの人間が意味を知ろうとしたり、ましてやどこかで使おうなどと考えるのはみっともないこと夥しい。という僕の美学でそのまま謎として置いておく。そうこうする内にトイレに行きたくなり、見当つけて入ってみるとこれは又ものすごい。トイレのペーパーホルダーが針金、それもぶっとい針金が天井から下がっていて、そのL字になってるあたりにペーパーが刺さっている。和式の、大をするときは一段上がってやる旧式のトイレである。

 ちゃんとロック(押しボタン式)して入ったのだが、用を足してる最中にノックされあっという間にドアが開けられた。みんなが飲食してるところで思い切りトイレのドアを開ける奴はどんな奴だとにらみつけて出てきたら、ネクタイ姿の気の弱そうなオッチャンが「すいません」と誤ってきた。客の人数の割りにトイレが狭いし汚いのはどういうわけだろう。その後可愛いオネーチャンがそのトイレに行き顔を真っ赤にして「私には出来ません!」と絶叫して店を出て行ったが気持ちはよく解る。1時間ほどいてお店を出たが、その間人の出入りはひっきりなし。入り口で何人かかたまると「お客さん、何人?」と店の人が聞き、空いてれば案内、空いてなければ待たせるという非常に明快なシステムであったが、ちょっと気の小さい人は自分から声も出せず、店の人もその姿に気づかずそのまま放置されると言う大都会の人間砂漠状況を何度も見た。

 食うだけ食って、お店を出たがせっかくなので2階も冷やかしてみた。1階もにぎやかだったが、2階はそれに輪をかけたような状態。ただし1階は男の店員と僕に向かって「お待たせ、お兄ちゃん」と平気で言えるオババしかいなかったが、2階はそれなりに若いオネーチャンがいた。チラシをもらったがそこに”ご商談、ご接待、名刺交換会…”と書いてあったのにはびっくりした。あそこで商談や、名刺交換は無理だろう。

 おなかも一杯になり幸せな気分で駅に向かったが、体全身に焼き鳥の煙が染み付いたようだった。ただ決していやな気持ちにはならなかった。帰り道に中古CD屋さんを見つけナニゲニ(はい、もうみんな慣れたね)入ったら、下地勇の4thAlbumの「また夢でも見てみるか」とシングルCDが2枚入手できた。どちらも未開封だが、サンプル盤だった。嬉しかった気持ちが少し暗くなった。それでも楽しかった吉祥寺、また日を改めて来てみよう。

酔っ払いの話のようにまとまり無く。

オコゼの薄造り

 今朝のブログの記事は眠くてしょうがなかったので、何の話かよく解らなかったと思う。実は3日連続で食べ物の話なのだが、その前に昨日の記憶を辿る事から始めよう。

 そもそも宮崎からS藤君が保谷に来る所から話は始まるのだ。このS藤君は僕の高校時代からの友人で、大学卒業と同時に高校時代からの(正確には中学の頃からだったか?)彼女と結婚し、プリンターで有名なCノンという会社に勤め、その後宮崎に戻って奥様の実家の測量会社を経営しているやり手の人物である。お子さんも大変優秀で上の二人は東京で大学院と大学に通っている。下の子供も水泳の能力はずば抜けていて、コーチから県の記録更新も夢ではないと言われているが、父親譲りの『努力嫌い、練習嫌い』がその夢を夢のままで終わらせそうだという事を聞いた。DNAとはかくも残酷なものである。母親のほうに似ればまだ救いはあったのだろうが。

 そのS藤君がせっかく出てくるのだからということで、もう一人高校時代のクラスメートのN原君と僕と、我が雇用主で毎度飲酒してはブログのネタを提供してくれる某君の4人で渋谷でご飯を食べて、70年代の雰囲気を色濃く残しているお店になだれ込もうという計画が決まった。待ち合わせは7時に渋谷の南口改札前と決まった(N原君とは事前にメールで約束していた)。こういうところが花の東京なのである。待ち合わせは一番街のミスド前とはちょっと違うのだ(って、宮崎の人じゃないと解らん喩えであるが)。

 その南口の改札に着く前、N原君から5~10分くらい遅れると連絡があった。彼は携帯を持たない主義なので公衆電話からわざわざ電話してきたのだ。当然待った。10分待ったが来ない。某君の携帯に再度電話があり、どうももう少し遅れそうだとのこと。せっかちなS藤君は改札を出て外で待っている。また公衆電話から連絡が入り、どうも待ち合わせの南口の位置が食い違ってるようだ。何度か某君とやりとりして判明したことがあった。N原君は新宿の南口にいた。いくら待っても会えないはずだ。

 ようやく全員合流出来たのは8時近かった。食事をするところを決めてなかったので、とりあえず東急プラザの9階に行く(なんてカッコつけてるが金魚のフンでくっついていっただけ、ああた右も左もわからんとこで迷子になったらどうします?)。何を食うか意見が分かれたがショウウインドウの鰹のたたきが美味しそうだったので、”活魚関西料理”と謳ってあった『味の田や』というところに入る。和服の女性が接客してくれ、とりあえずタタキやちょっとしたものを注文していたら、今日はオコゼのいいのが入っていると言われた。

 えー、この食事会は某君の会社の経費で落ちることをリサーチしていた僕は流れに任せた。他の3人は即座にそれを食わせろと言わんばかりの勢いである。そこに大きな皿に生きてるオコゼ(昨日の記事の写真を参照)を、この道30年てな感じのオジサンが持ってきた。曰くオコゼは豊後水道産が一番、ほかはぐんと落ちる。またオコゼは飛行機に酔うので一度えさを吐かせてから空輸するのだなどと薀蓄をたれる。身は薄造りにして、皮の所は唐揚げに、最後に残った頭は味噌汁にすると力強く宣言して下がった。

 根が貧乏性で物事を素直に取れない僕は、今のオコゼはデモ用で実際は古いオコゼを使うに違いない等と言ったが、みなさん立派な大人になっており全く無視した、などと書けると良いのだが、所詮は僕の友人たちである。そうだそうだ、さっきの親父は調子が良すぎるなどとお店の雰囲気を考えずに盛り上がった。流石に出てくる料理すべて上品で美味しかったが、鰹のタタキが絶品であった。オコゼは美味しかったが、オジサンがあまりにも上手いだろ、美味しいだろ、絶品だろという割にはフーンてな味だった。ところでそのオジサンと話している時に、我々が宮崎人だと言ったとたん『うちにも延岡の子がいるんですよ、今日は休みだけど』などと口を挟む。こんな時はどんな反応をすればいいのかがよく解らない。

 「それがどうした」、などというと喧嘩を売ってるようだし、「へー」と言った後「いや延岡も旭化成の景気が悪くてね、そうそう、今度の大合併で北浦や北方も延岡市になったんですよ」などと話しても、盛り上がるわけは無い。結論、あの手のお店では必要以上の営業トークはいらない。

 なんだかんだ言いながらその店を出て、某君が是非紹介したい(S藤君は以前も行った事があるらしいが)というGRANDFATHER'Sに乱入する。金曜日の10時前だったので(だったのにと言うべきかよく解らないが)ほとんど満員。WAITING SEATと書かれている入り口の狭いテーブルに4人座った。周囲を見回すと、各テーブルにはペンダント型の照明が下がっていて、壁はすべて木製、紫の煙漂う中でロックがかなりなボリュームで響いている。書き忘れたが、地下へ急な階段を下りていくところがBASEMENTというかSHELTERと言う感じで入る前から期待感は高かった。いや、しかし懐かしいですな。この雰囲気。確かに70年代のロック喫茶やジャズ喫茶はこんな感じでした。ウェイターに注文するのにもステレオの音に声がかき消されてしまうのだ(そうなんです。このお店はアナログのLPレコードのなかの1曲だけかけ続けている、えー、解りにくいかな、つまりプレーヤーが2台以上セットされていて1曲かけたら次のレコードの中の1曲をかける、また…という風にエンドレスでロックのヒット曲や有名な曲が流れ続けているという僕にしてみたら『天国に一番近い島』状態なのだ)。

 頼んだボトルがジンだったので僕以外の3人は完璧に酔っ払っていて、話がかみ合ってるのか、かみ合ってないのかよく解らないが、ちょっとした将来の計画などを話した。実はここである人間がとんでもない事を言い出すのだが、本人の名誉と家庭の安定のために伏せることにする。この店でカーリー・サイモンやスティーリー・ダン、ディラン、S&Gなんかをいい気持ちで聞くうちにN原君は終電があるので帰ることになった。彼のこの判断は『その時歴史は動いた』並に正しい判断であった。その後3人で店を出たら12時をとっくに回っていた。S藤君は「ホテルのチェックインをしないと…あー、娘から携帯に電話が入っていた。また明日怒られる、あー」と嘆きの言葉を連発し、片や某君は「ラーメン食おう、怪しい店に行こう、タクシーでぶっ飛んでいこう」とこの世のものとは思われない発言を連発していた。

 結局タクシーで新宿に行き、カマが客引きしている危険地帯を突破し、S藤君は執拗なT地君の誘いから隙を見て脱出。僕は帰るにも帰れないのでこの後、歌舞伎町のスナックにつき合わされ、ハングルが乱れ飛ぶ通りを抜けて居酒屋に入り、ぐずる某君をスナックのママと二人で説得してやっとタクシーに乗せ保谷へ向かった(実はこの間の話が大変面白く、お酒は身を滅ぼすという教訓になるのだが、あまりブログには書かないで欲しいと言われているので、次の機会にする)。

 帰りのタクシーに乗ってる間、運転手が信号待ちのたびに地図を開いていることに一抹の不安を持ちながら、夜明け前の空を眺めていた。ある交差点でついに恐れていたことを運転手が聞いてきた。「お客さんここからどう行けばいいんですか?」オレに聞くなー。田舎から出てきたんじゃ、知らんぞーと絶叫したかったが、つい都会人のふりをして「こう行って、ああ行って」と今までの乏しい記憶を辿りながら、しかしそのような素振りは一切見せず、かといってホントに帰れるか不安になりながらも、無事保谷駅が近づいてきて今朝のブログに繋がるのだ。

また午前様かよ、それも素面で。

 今日は昨日の予告編のとおり、79年のP-Modelのコンサート企画の続編を書くつもりだった。が、夜8時47分シャワーを浴びて出てきたら携帯が鳴っている。出ると友人からで、今日は取引先と6時から会食だったが、早く終わり物足りないので付き合えとのことだった。「アホぬかせ、オレはこれからブログを書いて、PFMのDVDを見て寝るんじゃ」と言いたかったが、悲しいかな守ってくれる組合もない零細アルバイトとしては、雇用主の声は天の声、二つ返事で飛んでいきました(本音は、またブログのネタが拾える事を期待して)。

 出る前に携帯を見たらM野サンから近況を知らせるメールが届いていた。前に来たメールで電話での聞き間違いで失敗したことが書いてあったが、今回もまたちょっとしたミスをした模様。”気にすることはないぜ、みんなデタラメ”って言うのは遠藤ミチロウの歌の文句だが、ホント、そんなこと気にすることじゃない。ただ確認と復唱する癖がつけば解決するって。てなことは書かなかったが、返事のメールを打ったりしてたので友人と合流したのは9時をとっくに回っていた。

 前回行った韓国料理はやめておこうと言うことで、保谷の駅近くでスナックのあるところをうろついた。雑居ビルで飲み屋さんが10数件入っているところがあったが、看板といい、店の名前といい戦後焼け跡闇市派かと言いたくなるような感じだったのでパス。駅の歩道橋近くに1軒だけポツンとあったPUBに入った。

 結局ここで2時前まで飲んで(僕は健康的にウーロン茶と麦茶、でもチャンポンしたから二日酔いに…、なる筈がない)、歌い、お店の人たちと大いに盛り上がったのだが、友人が頼むからブログには書かないでくれと懇願するので、真に残念ながら割愛する。ただ次のエピソードは大丈夫だろう。

 昨日のブログでレコードコンサートのことを少し書いたが、多分今の人たちに言っても想像がつかないだろうなと考えていた。いまやみんな自宅にちょっとしたオーディオ機器(CDプレイヤーやMD、ラジカセなんか使っているのかな?)はあるし、外出する時も携帯や、ミュージックプレイヤー、iPodなんかで『個人』として音楽を楽しんでいる。しかしながら70年代後半では、自宅にオーディオはあっても下宿先やアパートにステレオなどを持っている人は決して多くはなかった。僕が所属していたサークルに入ってくる人の動機に「大音量で周りを気にせず音楽が聞きたい」と言った声も多かったのだ。

 それはさておき、そのお店で21歳の女の子と友人の会話で「今までプレーヤーがなかったのでアナログのレコードが聴けなかったけど、今日注文していたプレーヤーが届いてやっと聴けるようになった」と言った友人に対して、女の子が不思議そうな顔をしていた。多分プレーヤーと言う言葉が解らないのだろうと思い「蓄音機のことだよ」と右手をぐるぐる回すしぐさをしながら僕が解説した。「あー、蓄音機。知ってます。こう手で回して、レコードの上にものを落として聴くやつでしょ」と言うので、こいつマジだと思った僕が「蓄音機って冗談だよ、ステレオのプレーヤーって解らない?」と聞いた。

 「知ってます。昔、白と黒のブチの犬が耳を傾けて聞いてた音の出る機械ですよね」って、それが蓄音機じゃい!お前はビクターの回しモンかと突っ込もうかと思ったが、その後の話を聞いていると本当にステレオプレーヤーの存在を知らないし、理解できてないようだったので止めた。その時に昨日のレコードコンサートの話が解る人はある程度の年齢以上の人だったなと少し反省した次第でした。

 あー、やっぱり面白くないな。せっかく面白いネタと言うか友人の失敗談があるのだが、ま、今日はやめとこ。明日はちゃんとP-Modelのコンサートに至るまでの話、アップします(多分)。毎日の更新を形式として残すために、このブログの投稿時間を本当の日付より1日遅くしています(6月9日22時31分)。

酒とニンニクと国際交流と…

 今朝起きたのは10時30分である。立派に朝寝坊だが、前日の記事にも書いたように寝たのは午前3時30分くらい、しかも最初の3時間はソファの上で寝ていたのだ。予兆はあった。6/2に取引先の接待に出かけた友人がその日帰って来ず、翌朝チャイムとともに帰宅、いわゆる”朝帰り”である。あちこちに怪我はしてるし、メガネや鍵を入れていたバッグをなくし、ようやくマンションの入り口にはたどり着いたがオートロックのエントランスの所で力尽きそのまま寝込んでしまったらしい(土曜の朝である。何人かの入居者が彼の倒れている姿を見たに違いない。それを放置されたままというのは都会の人間の冷たさというより、彼がこのマンションでどのような評価をもらっているかを如実に物語っている。人間こうはなりたくないものである)。とにかく呂律は回らないわ、体はふらふらしてるわ、言ってる事は要領を得ないわで相手をするのも面倒だったのですぐ寝てもらった。間の悪いことにその日は彼の奥さんが来る日で(彼は今まで住んでいたマンションを事務所兼商品倉庫にして奥さん・子供は別のマンションに住まわせている。世間ではこういう状態を別居というが、本人は家族関係が新鮮でいいと楽天的というか能天気である)、10時過ぎに来られて僕がPCの前にいるのを見て驚いていた。もっと驚いていたのは旦那さんが布団に包まってうなっていたのを見たときだ。

 いったいどういうことかと目で訴えてきたのでここは男同士の友情、「彼は疲れて寝ているのであって、決して朝帰りで二日酔いなんかではない」ということを説明しようとしたが、生来の口下手のため上手くいえない。どうにも気まずかったので、昨日の記事のように”大泉学園”までの長く苦しい旅が始まったのだ。いや、この年で朝帰りする友人も友人だが、その苦しむ姿を見て即座に現実を理解する奥さんも奥さんである。今までに何度と無くこのような修羅場が繰り返されたのであろう。と、酒を飲まなくなった僕は気楽に考えていた。

 朝帰りの男はそれでも夕方から元気を取り戻し、晩飯を食いに行こうと誘われた。近くに美味しい韓国料理店があるというのだ。7時30分くらいにその店に着いた。まだ新しくて(今年の1月にオープンしたとのこと)従業員もみんな韓国の方で、片言の日本語で熱心に説明してくれる。テーブル席と座敷とあり、掘り炬燵形式の座敷に座った。お客は他に2組でどちらも家族連れ、小さい子供連れであった。ふざけすぎたのか小さい子の一人が掘り炬燵に頭から突っ込んでしまった。ウェイターのお兄さんは「哀号」と叫ぶやすぐ飛んで行ってケアしていた。こういう対応も気持ちが良かったし、何といっても給仕してくれる女性が目がキツメの美人で、その上料理も美味しかったので言う事なしだった。友人としゃべりながら食べているうちに、僕の配偶者に友人が電話して元気でやってる旨話したのだが、この状況を間違えて伝えたらしく、下の子からこんなメールが来た。

件名;ざけてんヂャねぇヨ
M子(下の子の名前)だけどぉ、ちょ母が言ってたんですけど若い女といっしょてホント~。おめ~いい気になってんじゃね~!自分の頭かくにんしてからはしゃぐんだな…以下略


我が家は僕以外は女3人組で普段はお互い仲が悪いくせに、こういう時だけは一致団結する。

 そうこうする内に10時30分も過ぎ、そろそろ帰ってブログをと思っていたら友人がこの店のママさん(美人、もういいか。いい加減しつこい)に近くの飲み屋を紹介してもらいそこに行くことになった。最初は次の店にママさんが電話してくれると言ってたのだが、友人の名前が呼びにくかったのでそのまま一緒に連れて行ってくれた。いかにも場末のスナックで入ると同時に60過ぎのオジジとオババが興味深そうに目を向けてきた。

 そのうちカラオケが始まり、飲まない僕は適当にオジジ、オババの世代にあわせて荒木一郎などを歌っていたのだが、オババがやたらと絡んでくる。友人はこういう人の相手が得意なので任せていると、オババがやたら馬鹿、馬鹿言い始めると隣のオジジが激怒して「馬鹿という人間が馬鹿だ」と至極当たり前だがおよそ成人した大人が言う言葉では無い様な事を言い始めた。一旦は収まったのだが、30分もしないうちにオババが店のマスターが止めるのも聞かず、再度馬鹿馬鹿言い始めついにプッツンした(死語、もはや死語か)オジジがオババの胸倉を掴んで「てめぇは出て行け」とか「もういっぺん言ってみろ、お前がどんな人間か知らないが、人には言って良いことと悪いことがある」などとちょっとした修羅場が始まった。

 店のマスターが何とか間を取り持ち(友人もかなりフォローした)、やっとオジジは帰ったが、どう考えてもこのオババがイカン。暴言壁のある危険人物と見た。ただ店のマスターもましてやママは何も言えない所を見るとよっぽどお金持ちか危ない関係か(これは無いな)。1時回っていい加減帰りたくなり、その旨を友人に伝えると、焼肉屋のママさんがまだ来てないとか訳のわからない事を言い出した。マスターが気を利かせてさっきの韓国料理店に電話するようママに指示した。「もうあの店終わってるからママいないと思うよ」

 「コンバンワ」来た。韓国美人だ(いい加減くどい)。美人のママさんと「哀号」のお兄さん(この人は本当にママさんのお兄さんとのこと、そういえば顔が良く似ていて美男、美女である)、それに居酒屋を経営しているという鹿児島出身のおっさん、この3人と合流して大いに盛り上がる。ママさんが隣に座っていろいろ話しかけてくるのだが、日本語が片言なのと時々韓国語が混じるのでうまく話が続かない。名前を聞かれたので教えると「drac-obさんは××か?」と聞く。聞き取れないので何度か聞きなおすと、あちらの言葉で「drac-obさんは私たちの国の人か?」と聞いていたようだ。確かに僕の本名はあちらの人の苗字に一部使われている。「遠い先祖はどうかわからんが、とりあえず違うと思う」と答えたらさびしそうな顔をしていた。しまった。そうだソウルは明洞の生まれだぐらい言っておけばもてたかも知れんと思ったが後の祭りであった。

 「朝鮮語と韓国語は違うの、ねぇねぇ」おい、まだあの暴言オババがいたぞ。流石にマスターがすぐ間に入り、オババが家に帰るよう諭した。1時間くらい一緒に歌い、話し、楽しい時間をすごしたが、友人の酔い方がかなりひどくママさんからも「モウカエタホウガイイ、アルキダメヨ、タクシ、タクシ」と小声で言われる始末。僕がタクシーで帰るというと断固歩いて帰ると言い張るので、仕方なく歩いて店を出た。帰り道は彼しか知らないのだ。

 信号を渡って歩き出すと二人乗りの族のバイクがブイブイ言いながら反対方向から走ってきた。それをじっと見つめていた友人が一言。「やっつけるぞ」勘弁してくれ。やっつけられることはあっても、やっつけることは無理だと何回も説明して納得させた。歩いて10分位してまた友人が叫んだ。「この道はおかしい。こんなまっすぐな道は無い」まっすぐな道でさびしいという種田山頭火の句があったがそんな悠長なことは言ってられない。ここまで来て道が違ってたら泣くに泣けない。何とか記憶をたどり、あちこち彷徨ったが人間に備わっている帰巣本能のおかげで3時前には部屋に着いた。布団を引いて友人を寝かして、僕はブログを入力した。終わって寝ようとしたら、友人が僕の布団の上で寝ている。意識はもう無い。仕方ない。ソファで寝るか。

 以上が昨日のブログを入力中に予告した真実である。実はもっと凄まじい話があるのだが、書いているうちにこちらの気分が悪くなってきたのでもうやめる。この日友人はソフトボールの練習に11時から出かけたが気分が悪いと言って5分で帰ってきた。賢明な行動だったと思う。花の日曜日、すがすがしい気分でソフトボールの練習をしている場所に、酒とニンニクの臭いをばら撒きに行くことは決して賞賛される行為ではないのだから。

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