attack on wild crow~駆逐してやる、この世から1羽残らず!!

 帰り道に烏に襲われた。自転車に乗っていつものように自宅に帰る途中だった。交通量が多いわりに点滅のみの信号があり、そこの手前をのんびり移動しているときだった。やたら烏の鳴き声がうるさいなと思っていたら、突然、後頭部に衝撃が走った。何かが、どんと当たった感触があった。そして、臭かった。思わず頭を触ったが、別にケガをして居るわけではなかった。一瞬、何が起こったか分からなかったが、自分の目の前の電線上に烏が止まってこちらを見ていた。烏が頭に当たったのか?意味が分からず、少し混乱した。その間、烏の鳴き声がやかましく足元を見ると数メートル先に烏がいる。地面の上をスキップしている様な感じだ。自転車だし近寄ったら逃げるだろうとペダルを踏んだが、近寄っても逃げない。ギャーギャー叫ぶだけだ。その時、殺気を感じた。電線にいた烏がまっすぐ僕のほうに向かってくる。思わず首をすくめ頭を低くした。烏は僕の真横を通って空中でUターンした。再度、ホバリング状態でこちらを攻撃する準備をして居る。地面にいた烏は、そのままふてぶてしく地面をホップしている。再度、烏の攻撃が来た。思いきり頭を下げたら、その上を掠めていく。横で並走している車の運転手が目を丸くしてこちらを見ている。何故、烏に狙われているか分からないが、明らかにこちらに攻撃の意思がある。傘でも手元にあれば、それを振り回すのだが自転車に身体一つなので武器が何もない。そこから自宅まではすぐなので、とりあえず自宅に向けて自転車を漕いだ。烏の鳴き声と追いかけてくるのは感じていたが、攻撃はしてこない。何とか家に帰りついた。

 バカ娘1号が休みで家にいたので、今、烏に襲撃されたと話をしたら、信用しない。普段から父親はウソつきだと刷り込まれているのだ。しかし、こちらの声の様子と、念のため後頭部を見てもらったらケガはしていないが、確かに何かがぶつかったような感じがあるという。その話をしている間も、窓の外には烏がやたら大きな声で鳴き喚いている。確かに烏の鳴き声が異常だというのは、バカ娘1号にも分かったようだ。部屋に戻って烏の襲撃というキーワードでググったようだ。すると今の時期、特に5月から6月は連中の繁殖期でつがいで巣作りに専念するらしい。その巣作りの最中に彼らのテリトリーを犯したり、巣のほうを見たりするとオスの烏が攻撃してくるらしい。しかも嘴などという強烈な武器をもちながらも畜生の浅ましさか、人間の後頭部に身体をぶつけるという行動を取るらしい。どうしたらいいかという対処方法も調べてくれた。一番いいのは、巣の周辺に近寄らないこと。それでもどうしても巣の付近を通るときはヘルメットや帽子をかぶって頭をガードして傘などをもっておくと安心らしい。

 決めた。明日からの通勤はヘルメット被って金属バットを持って行くぞ。K察に何か言われても烏の攻撃から身を守るためだと主張する。お前の場合は烏は烏でも青ガラスがあいてじゃないか、などという元ボーリョク学生がいるかもしれないが、そういう笑い話じゃなく、マジで今日は烏にビビった話。



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この恐るべき格差社会



本日は、『進撃の巨人』の発売日である。実は昨日、もしかしたらと思って近くの書店を覗いたが、もちろん発売日は9日なので置いてない。当たり前だのクラッカーである。そして、




本日の昼休みにファミマに行った。無かった。見間違いかもしれ無いと思い、しばらくコミックの背表紙を見続けたが無いものは無い。無い袖は振れない。諦めた。






夕方、セブンイレブンに寄って見た。何と、そこには売るほど置いてあった。いや、よく考えてみたら売っていたんだ、あれは。






結論、コンビニ業界も格差社会である。ファミマにあれば、Tポイントがついたのに、残念。しかし、この小難しいストーリーのマンガを今の子供達は理解しながら読んでいるのだろうか。だとしたら、末恐ろしい。




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振り返ってみたら、そこには何もなかった

 今年ももうすぐ終わる。毎年、大晦日の夜には一年の反省と拙blogの読者にお礼の言葉を残すのだが、今日はそんな気分にならない。何しろいろんなことがあった1年だった。個人的には病気や体調不良が続いた。社会的には、もう思いだしたくもないような「忖度」に、強弁に開き直りにどさくさまぎれで何でもやったろというABのアホのおかげでこの国はめちゃくちゃである。心あるミュージシャンも沢山亡くなった。それでも僕は生きている。まだもう少しはこちらの世界にいると思うので、力はないがあがき続けて行こう。今年最後の曲はと考えたが、クラプトンのアルバムの中で多分一番人気がないと思うが、僕が大学に入った年にリリースされたアルバムの中のこの曲を選んだ。皆さん、良いお年を。



買ったら聴く、買ったら読む



しかし、重なる時は重なるものだ。今日、仕事から帰って自分の部屋に入ると小さな紙箱が置いてあった。昔懐かしの郵便小包みたいな感じだ。僕が学生の頃は今ほど流通が盛んではなく、宅急便など無かった。あったのは丸通、つまり日本通運のトラックによる配送。九州から自転車やステレオを修学院の下宿に送ってもらったのだが、今の宅急便と違って荷物の積み下ろしは自分でしないといけない。ステレオはコンポではなく、昔の家具調ステレオなのででかくて重い。同じ下宿に住んでた予備校生に手伝ってもらって、漸く部屋に収めた時は汗ダクになっていた。

そのほかに大きな荷物を送る方法として、「チッキ」というものがあった。どんな漢字を当てるのか知らないが、今のJR、昔の国鉄がやっていた配送方法である。これも冬用の布団を実家からチッキで送ってもらったのだが、このチッキ、フロム・ステーション・トゥ・ステーションという仕組み。あ、ボウイのアルバムにもステーション・トゥ・ステーションてのがあったが、あれはチッキの事を歌っていたのか。な、はずはないか。しかし、京都駅に届いた冬用の布団をどうやって修学院まで持って帰ったのか、記憶は定かでは無いが、多分、シータク使ったんだろうな。

えー、本日のエントリーは日本における物流革命についてではなく、頼んでいた本やCDが溜まっててきたら、う、う、どうしようかな(by 村八分)、という話。ついこの前、近くの書店で朝日新書の『阿久悠と松本隆』を、祥伝社新書で『憂国論』を買って読み始めたところに、本日届いたブツは『渋松対談』の赤盤、青盤。そして『アックスマンのジャズ』である。

渋松対談は、今は単なる娯楽誌になってしまったロッキング・オンの名物連載。僕が大学に入る年の2月だったと思うが、地元の書店のマガジン・ラックに、当時は隔月刊だったロッキング・オンがたった1冊だけ置いてあった。ジミー・ペイジが表紙だったが、何となく寒々しい写真と雑誌そのもののあまりの薄さに引いてしまい、一旦、手に取ってみたもののパラパラめくってすぐに元の場所に戻した。

そのまま、別の本を買って店を出ようとしたのだが、どうも後ろ髪を引かれる思いがして、確か定価も280円くらいだったので、つまらなくても惜しくは無いくらいの気持ちで買った。それから何年かは、熱心な愛読者になったしロッキング・オンを意識した訳では無いが自分達でミニコミも始めた。ミニコミのメンバーの1人がロッキング・オンに出来たばかりの自分達のミニコミを送ったら、しばらくして編集長の渋谷陽一から手紙が届いた。

内容は『左翼小児症的な表現には抵抗があるが、目指している方向性にはシンパシーを感じる。ロッキング・オンも頑張るので君たちも頑張って欲しい』みたいな内容だった。

たかが学生のミニコミに、当時は既に隔月刊ではなく、それなりに立派な雑誌になっていたロッキング・オンの、それも編集長から届いた手紙なので、僕たち、マーマレードのメンバーは少し興奮した。

しかし、当時から口も性格も悪かった僕は、その手紙の中に誤字を見つけて『渋谷陽一も漢字を知らんな、ま、大学を中退するようなやつだから学が無いのも仕方ないな』などと言っていた。人を呪わば穴二つ、天に向かって吐いた唾は自分に戻る。その後、僕は大学に6年通いながらも最後は中退するという未来にまだ気がついてなかった。

対談相手の松村雄策は、最初に買ったロッキング・オンに『アビーロードからの裏通り』という連載を書いていた。正直に言うと僕は松村の連載が読みたくてずっとロッキング・オンを買っていた。夜中に全く意味は無いが昔のレコードを聴いたり、本を読む時間が無いと自分の人格を維持できないというところは、あ、オレも一緒や、と大いに喜んだ。彼のエッセイも小説も読んだし、何しろ磔磔にライブに来た時は見に行ったくらい好きだった。アルバムもアナログだけではなくCDになったものも購入した。もちろん、今は全て廃盤だが。

その松村雄策、脳梗塞で倒れて今は不自由な身体で活動している事を知り、今回の2冊購入になったのだが、うーむ、積読にしてはならない。買った本は読むし、買ったCDはしっかり聴くのだ、と自分を鼓舞する。



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江戸の仇を長崎で、いやファミマの仇をローソンで



昨日は、というか正確には本日の午前3時近くまで店番。本来なら朝寝を決め込む週末だが、病院の定期健診を受けるために朝早くからゲラップ、スタンダップ、ドンギブアップザファイ。当然、これはボブ・マーレーの名曲を歌っている。まあ朝早くからとはいえ、午前9時半まで寝てた。それがどうした。オレはその気になれば休みの日は昼過ぎまで、もっと具体的に言うとほとんど夕方と言える16時くらいまで寝ていられるぞ、はぁはぁ。と、一体何に対して、誰に対して怒っているかよくわからんが、とにかく本人としては早朝と言えるくらいの時間に病院に行ったのだ。

地元では名医と有名な病院なので、待ち時間も長く精算から薬局での薬の受け取りまで終わったら昼近かった。喉が渇いたのとトイレにも行きたかったのですぐ側にあるセブンイレブンに潜入。コンビニに入ったら、これはほとんどみんなそうすると思うのだがマガジン・ラックをチェック。すると『進撃の巨人』の最新作があるではないか。すぐに手に取りレジまで行きかけて立ち止まった。先日のファミマで恥をかいたローソンの20円引きチケットがまだ手元にある。これが残り一冊であれば、たかが20円を惜しむことは無いが、なんせ本日発売。資本の論理として、当然、沢山売って沢山儲けようという思想であるからして、在庫は腐るほどある。

先程、たかが20円と考えたが、されど20円である。『されど我らが日々』である。どこに消えた柴田翔、大昔に芥川賞取ってからとんと名前を聞かんぞ。しかし、平成のお子達に柴田翔といっても話は通じないな。などと考えながら、セブンイレブンを出て、近くのローソンに行った。すると、恐ろしい事にマガジン・ラックには『進撃の巨人』が一冊しかない。売れてるな、ガサス、などと呟きつつ手に取ってみたが、何かおかしい。既視感がある。表紙に見覚えがある。よく見ると最新作では無い。一つ前のやつだ。おのれ、慌て者にバックナンバー買わせて、『これじゃ無かったです、最新作を買うつもりだったんです』という客に、『ビニール破ったらダメです、交換出来ません。』などと昔のビニ本書店の店員みたいなことを言う気だな、このやろ。あ、お断りしておきますが僕はビニ本買ったことはありません。あれが好きだったのは関東から出向で来て、鹿児島の支店長をしていた、おっとあぶねー。個人名を書くところだった。

そのローソンをプンスカ怒りながら出て家に帰った。そこでセブンイレブンとローソンの資本力の差が最新作の入荷量に影響するのではないか、という日本経済新聞あたりに投稿するようなエントリーを書こうとしたが、ちょっと待て。社会主義的リアリズムを追求するオレとしては、ローソン一軒で判断するのはいかん。もう一軒調査だ。自宅近くのローソンに行くと、ありました。『進撃の巨人 24巻』、すぐに手に取りレジへ。さらに20円引きのチケットも使いゲット。

さて、これからじっくり読むのだが、その前に腹が減ったのでうまかっちゃん辛子高菜味を作る。今日のエントリーは教訓が沢山入っているのでみんな読んでや。



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