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手短に言うと、或いはこの前見た映画の話



エリック・クラプトンを観て来た。もちろん映画である。サブタイトルが『12小節の人生』。その昔、「16小節の恋」というヒット・ナンバーがあったが、関係ないか。ところで、あのボヘラ以来、やたらとロック・ミュージシャンの映画が目につく。ジミヘンやジャニスの映画もあったし、最近ではミック・ロンソンの映画が完成したらしい。”Beside Bowie”というオリジナル・タイトルもカッコいいので、是非観たいのだが、我が街ザキミヤには来るのだろうか。なんせ『三里塚のイカロス』も来ない街なので悲しい。

ところでボヘラだが、普段はロックなんか聴いてもいない連中にやたら受けが良い。昨年末だったか、ロックバーの店番してたら同じ高校で同じ学年だった元女子、あ、そんなこと言うたらあかんのか、元女子というより立派な大人になった元高校生というのか、ま、どっちでもいいが、そのお方もやたら絶賛していた。

話を聞くと高3の時は隣のクラスだったらしいが、お互い記憶はない。相手は二人連れで、それでも話しているうちに片方は確かに高校時代に見かけたような気がした。で、何の話かと言うとボヘラである。二人連れの片方が、とにかくクィーンは良い、素晴らしい、何故高校時代に自分は聴かなかったのか、もっと早く聴いておくべきだったとか、やたら絶賛する。仕方ないのでクィーンのベストをかけ続けたが、そんなに良いのかクィーンがと、これは元若手ロック評論家を自称したワタクシ、一言申し上げたいと。

その映画のタイトルになってる「ボヘミアン・ラプソディ」だが、あれは10ccの「パリの一夜」の焼き直しやないか。確かにクィーンが出てきた時はブルース感覚とは無縁の若手が出てきたと少し驚いたが、ま、所詮はお子様ランチ。一枚目から俺たちがチャンプだなどと豪語したあたりまでは聴いたが、そのあとは、ま、どうでもいい。

かの映画も、所詮はゲイのロック歌手がエイズになって死んだという話。生きてる時に作った歌が売れただけの話やないか。と発言したら大ブーイングを食らった。ま、いいんだ、所詮はオンナ・コドモの聴くロックや。

だが、そのデンで行くとこのクラプトンの映画は、ヤク中でアル中の人妻好きが子供亡くして、ようやくシラフに戻ったという話であった。この映画を見る少し前にクラプトンの自伝を読んだのだが、それが映画の原作になっていたのか、目新しい話は何も無かった。

もっとも選曲は意外といえば意外。ヤードバーズやクリームの時代はさておきデレク&ドミノス時代は、かの名盤レイラのラストに入っているソーン・トゥリーが効果的に使われていた。何だかんだ言ってもジミヘンやデュアンと一緒に演奏しているクラプトンは生き生きしてたな。

その後のジャンキー時代は悲惨だが、田舎に引っ込んでクスリばかりやっていたクラプトンをコンサートに引きずり出したピート・タウンジェントの話は出てなくて少し不満。そのくせブラインド・フェイスは結構時間取ってたな。

バンド辞めて、ソロになってからも酒とクスリで数々のトラブルを引き起こしたが、初めて出来た男の子の存在に救われたが、その子を亡くして本当のブルースを体験したのだろう。依存していた全てのものから脱却して、今は幸せに暮らしてるというメデタシ話。何だかな〜。

ところで、この映画は毎度の相方、Y尾君と一緒に行ったのだが、今回はもう一人、I切さんという彼の同僚と三人で見ることにしていた。当日約束していた時間より結構早い時間に、I切さんから「着きましたが番号無しです」というメールが来た。意味がよく分からず、こちらは今から行きますと返信したら、「出来るだけ取りますわ」という再度イミフなメール。

とにかく待ち合わせ時間に映画館に行ったら、I切さんは既に映画館の入り口に一番で待機していた。挨拶して話をしたら、少し前に竹内まりやの映画を観に来たが、その時は全席指定番号が振られていたので今回もと考えたとのこと。まあ、それほどお客が殺到することもないでしょうと笑ったが、いやいや、そこは腐ってもクラプトン。この前見た若松プロの止めオレは総勢10人ほどの観客だったが、この日はざっと30人はいたのではないか。しかし映画を見る人が少ない。地方のこの手の映画館は赤字経営で大変だと思う。

そうそう、Y尾君は開演時間ギリギリに来て、一緒に館内に入ったのだが、開口一番に「ところで誰にカネを払えばいい?」などと聞く。映画館の入場料は映画館に払うのが当然だろうと言うと、彼は僕たちのどちらかが彼の分のチケットを買ってくれているものと思い込んでいたとのこと。

ということは、お金を払わず館内に入った訳で、これはもう大受けして、もう今更、カネなんか払うなと言ったのだが、「いや、ちゃんとカネを払わないとお前から一生言われる。ブログに書かれる」と言い残して受付に向かった。向かったは良いが、今度は中々帰ってこない。これはてっきり余罪を追及されていると思ったが、大変残念なことに上映前には戻って来た。お金を払ったから当たり前か(爆笑)。



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週末の雑用を済ませ




家に帰って自分の部屋に入ったら椎茸が沢山いた。突然段ボールならぬ突然椎茸である。先日からFB友であるG藤さんと、東京ロッカーズ以降のアングラ・ロックシーンの話をしていて、その中で凸段のホワイトマンのジャケットが出てきたので少し驚いたが、凸椎はそれ以上に驚いた。

自慢では無いが、オレは人望はない。人望はないが、もしや粘菌類には人望というのか、この場合は粘菌望というべきか、そういうものがあり、椎茸たちがオレを慕ってやって来たと考えられなくもないが、だったら新聞紙の上などでは無くて、ビーズクッションとか座布団とか、ま、そういうお客様用のスペースにいるはずなのに、何が悲しゅうて新聞紙の上だ。

その昔の笑い話で、親から新聞に載るような人になれと言われたガキが新聞紙の上に立ち上がり、どうだ、これで僕も新聞に乗ったぞと自慢するというのがあったが、うーむ、どう考えてもこれは関係無い。また、アホータローと呼ばれる我がポンニチの副総理が、新聞なんか読むのは人非人だみたいな発言をしたが、あれはアホータローが漢字を読めない悔しさを国民に当たり散らしただけに過ぎない。またその上にいるソーリー大臣も麻雀でも無いのに突然、「でんでん」などと「云々」を読んだりするので、なるほど類は友を呼ぶものだと、あ、この話もあまり関係ないか。

しかし、見れば見るほど立派な椎茸である。我が地元のザキミヤは椎茸が名産の一つで、生で良し、干して良し、出汁に取ってもいいし、その肉厚の実を煮しめや天ぷら、おでんなどにしても美味しい。随分以前の話だが、ファーザー・イン・ローが裏山の木陰に椎茸のホダ木を持っていて、その木に付いている椎茸を包丁で切り食べたことがあるが、あれは実に美味かった。考えようによっては椎茸の刺身である。

大抵の食べ物は採りたてが美味い。残り少ない人生で一度は食べてみたいのが、筍の残酷焼きという檀流クッキングで読んだ採りたてタケノコの食し方。これはタケノコの山を持っている大地主しか味わえないと思う。どんな食べ方かというと、タケノコのシーズンだから、もうすぐ来るスプリング・シーズン。

タケノコの採れる山に行き、まずは竹の落ち葉を集めて山を作る。そこに掘ったばかりのタケノコを差し込んで蒸し焼きにするというもの。さすがは美食家の檀一雄だけあって、その作り方の描写がヨダレタラタラものだった。

押入れの、こちらはリアルガチの段ボールの中を探せば文庫本が出て来る筈だが、探すのは大変なので記憶を辿ってみる。確か掘ったばかりのタケノコのお尻にドライバーで穴を開ける。その時に落ちるタケノコのクズも大事に拾っておく。そして開いた穴に醤油を注ぎ、その穴を大根を棒状に切って蓋にする。

そしてそのタケノコを落ち葉の山に斜めに入れて火をつける。頃合い見て、タケノコを取ってそれを切って食べると、これはもう至上の喜び(らしい。オレは食べた事がないので想像するしかない)。うう、書いていてヨダレがまたもや出てきた。オレの知り合いにタケノコの山を持ってるのは、後輩のマス坊しかいないので、いつかこのタケノコの残酷焼きをするから来てくださいという便りを待っているが、なんちゅうか、その、後輩にも当然、人望がないので平成も終わるというのに未だにお誘いがない。悲しい。

などと話はあらぬ方向に進んだが、まあ、よく考え無くても家族の誰かが嫌がらせの意味も込めてオレの部屋で椎茸を干したと推理。犯行時間は午後1時から3時30分の間。指紋を調べたがオレのものしかないので、多分、軍手などを付けて新聞を置いたと思われる。小さな灰色の脳細胞がクルクル回って、家にいた真犯人にお前の犯行だろうと怒鳴りつけたら、当たり前や私しか家におらんと素直に認めた。やはり配偶者の犯行であった。貰い物の椎茸を長期保存するために日に干して、そのあと冷凍するという事だった。

などと、先月は一度しか更新していないブログをアリバイ的に更新するオレであった。



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年末年始駆け足日記

 皆さま、新年明けましてウシャコダ。と、昨日の藤井君のライブの余韻が残る日曜の夜。もう2019年に入って3週間近くになるのに、今更ですが年末年始のよしなしごとをちょっと書いておく。

 一応、新年を迎えるために計画は立てたのだ。28日の仕事が終わったら、翌日は大掃除と年賀状の作成。30日は宮崎ジャズデイの実行委員が集まる餅つきに参加。31日は買い物をして家族そろってお蕎麦を食べるという計画だ。どや、文句の付け所は無いやろ。が、しかし好事魔多し。仕事が終わって連休に入ったという気のゆるみだろうか、29日は頭痛と悪寒で起きることが出来ず。終日伏したまま。天才熊楠であれば仮に二日酔いのボロボロな状態で布団から出られ無くても、自宅に来た柳田国男と議論することが出来たようだが、凡人のワタクシ、ひたすら寝るだけでした。そういや2018年は大腸腫瘍の手術から帯状疱疹、緑内障と健康面はろくなことがなかった。この1年の疲れをゆっくり癒せということかもしれんと惰眠をむさぼった。

 したがって30日も起きたのは昼前ぎりぎりで、まだ体調は良く無かったがとりあえず年賀状は片づけておきたいと思い、PCに向かう。いつもはデザインとかいろいろ考えるのだが今年はネットでざっとみて、あ、親戚関係はこれ、友人・知人はこっちと大急ぎで作り上げ印刷かけて投函しようとしたが、普段は年賀状はLINEでごまかしているバカ娘1号、2号がどうしても仕事関係で年賀状を出さないとバイヤーとか言いだしたので、購入した年賀状が足りない。近くのLソンに行ったら、もはやソールドアウトで印刷してある、ちょっと高い年賀状しか置いてないという。買おうかと思ったが、ちょい待ち、Fミマがあると思って、そちらに行ったら正解。10枚単位の年賀状がシールされて置いてある。早速必要な枚数を買って印刷して投函。

 で、大晦日や。午前中に実家に顔を出して買い物を済ませ、午後には自宅に戻って、えーと何もしなかった。あ、朝井まかての文庫本を読んだか。なんせ民放2局の超ローカルシティに住んでいるのでビーテレもろくなのやって無い。仕方ないのでラジオマンジャックを聴こうと思っていたが、晩御飯の時にお酒を少し飲んだら眠くなった。22時に久しぶりに家族全員が揃ったので年越しそばを作って食す。寝たのは22時30分を過ぎてなかったと思う。

 起きたら新年や。いや僕の部屋は東向きなので初日の出が昇るのも見えたが、そんなもん、汚点父さん、ちがうおテントさん、これも違うか、お天道さんは1年365日毎日上ってるちゅうの、何が悲しゅうて元旦だからと太陽に手を合わせなならんねん。太陽に手を合わせれば悩みは消えると昔、頭脳警察が歌っていたが、そんなことあるか。アショカ王はもういないのだ。などと新年早々から腹を立てて起きたのは10時過ぎ。12時間寝ていた。で、雑煮を食べて年賀状を見て、今年は初詣は行かないと決めていたので特にやることも無く文庫本を読み続けた。2日はジャズデイの関係もありH高本店のニューイヤーコンサートに参加。実行委員会があるのと例年セミクラのコンサートだが今年は香月さんとかジャズのメンバーが出るので、それも聴きたくて参戦。コンサートの打ち上げでミュージシャン用に準備されていた超上等の焼肉を塩昆布と一緒に食べるという贅沢。しかも最初はスパークリングワインだったのが焼津の日本酒に変わったので、これは飲む呑む。♪向こう意気なら焼津の半二~などと鼻歌歌いながら家に帰り、発作的にうどんが食べたくなりきつねうどんを作って寝た。寝たのは確か17時半くらい。3日は間違いなく二日酔いで頭痛ガンガンだと覚悟していたが、やはり飲んだ酒が上等だったおかげですっきり目覚めた。文庫本を読み終え、さて明日からどうする、どうするつったって貧乏暇なしで働くしかない。いやいや働かせて頂いているんだ。昔読んんだ山本有三の小説で「働くとははたを楽にすること」なのだと学んだではないか。路傍の石だ。自然主義だ、白樺派で行くのだ。

 などという殊勝な気持ちは4日になったら忘れていた。毎度毎度の日々が始まったが、今年は健康には十分注意していこう。Blogももっと頻繁に更新しようと思うだけでは何も始まらないが、とりあえず年末年始の雑感でした。おまけに昨日の藤井君のライブを貼っておく。



シングル・ベルの鐘が鳴る


昨夜は茜霧島のハイボールを飲みながらタイの塩焼きを食べた。今夜は冷えるので、茜霧島はお湯割にしてみたら、実に飲みやすい。赤霧島はハイボールが美味かったが、茜霧島はお湯割の方が香りも引き立って美味い事を発見した。アテはシラス豆腐と浜田商店の天ぷら、キャベツとレタスのマヨ醤。シラス豆腐はタモリ倶楽部で作り方を知り、やってみたら実にうまい。シラスは大分のもの、ネギは九条ネギをオリーブ油で炒めるというより揚げる感じで。豆腐はもちろん高岡町のふるさと豆腐。昔からの豆腐の味がして実にうまい。困るのはあまりにもうまいので他の豆腐が食べられなくなることだ。麻婆豆腐に良し、家常豆腐にも良し、もちろん味噌汁にしても美味しい。おっと忘れちゃいけない。醤油はもちろん青島のカネナ醤油。これも使い始めると他の醤油ではあかんのや。茜霧島に垂らす柚子は北川町の人が手ずから絞ってくれたものだ。金は無いが精神的には随分リッチな気分。

世間では今夜はクリスマス・イブ。ま、オレは無神論なので何とも思わないが、今夜は配偶者は友達と外出、バカ娘たちも飲み会か何かで帰って来ない。全く一人のシングル・ライフである。ストーブは赤々と燃えているしテレビも見たいものを勝手に見る。三里塚のイカロスでも見ようかな。

あと、考えたくないがサークルの後輩が本日荼毘に付された。僕が6回生の時に入学して来たので、リアルには1年間しか付き合っていない。それでもその明るいキャラクターと愛嬌のある笑顔は良く覚えている。後年、同じサークルの後輩と結婚してその報告のハガキが実家に届いた。6年前にウェブ上で再開し、バカ話を何度もしたが、そのうちに会えるだろうと思っていた。そのうちにって絶対に無いんだよな。CCRじゃないけどサムデイ・ネバー・カムスだ。彼女は良い人間だったから天国に行くだろう。オレは地獄に落ちる事は間違い無いので、この後も会う事は無さそうだ。でも、時々は思い出して学生時代のバカだった頃を懐かしく振り返ってみたい。ま、振り返ってみたらそこには何も無いのが人生だけどな。



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43年前の今日、聴いた歌。或いは、みんなありがとう。

 普段は「Webはバカと暇人のもの」などと悪態をついている悪たれ小僧、じゃないか悪たれ中高年のワタクシであるが、あ、もっと正確にいうと悪たれ前期高齢者のワタクシであるが、今日の誕生日に大勢の人からFacebookを通しておめでとうメッセージを頂き大変感謝しています。あ、ここも説明しないと誤解が生じるな。僕の友達の人数のカウントの仕方は1人、2人、あとは沢山というネイティブ・アメリカンの算数理論を採択している。したがって3人以上は何人でも「沢山」という表現になる。一応、お祝いメッセージを頂いた人にはそれぞれコメント返しをしたが、そこはそれ、もうひとつくらいお返しのメッセージじゃないが音楽をと考えた。

 1975年というのは僕が大学に入った年で、ということは今のドツボの人生が始まった最初の年で、したがってその時の誕生日のこともよく覚えている。よく覚えているがここに書くのは少しバイヤーな話もあるので、まあ、その時所属していたサークルの先輩、友人たちと誕生パーティの二次会で銀閣寺のサーカス&サーカスというライブハウスに行ったときの記憶だ。その店にはジュークボックスが置いてあって、確か50円で3曲セレクト出来たと思う。その中の1曲は二ルソンの「サーモン・フォールズ」だった。これは酔っ払った僕が先輩たちに、この後僕の下宿で二ルソンの研究会をやろうと、いややるぞと酔った勢いで暴言を吐きまくったので覚えて居る。もちろん吐きまくったのは暴言だけでなくゲロも吐きまくったが。

 えー、下品な表現をお許しください。その時のジュークボックスでかけたのか、或いはその日の京福電鉄に乗る前の喫茶店のジュークボックスでかけたのか、このあたりの記憶は定かでないが甲斐バンドの「かりそめのスウィング」を1975年のこの日に聴いたことは間違いない。甲斐バンドというと「ヒーロー」の大ヒットで、一時期は国民バンドみたいになってしまったが、このシングルが収録されている『英雄と悪漢』まではロックの激しさとフォークのセンチメンタリズムを上手く日本語の歌詞に載せて歌ういいバンドだった。「東京の冷たい壁にもたれて1メートル、君は60センチ。とても素敵さ」とか「ポップコーンを頬張って天使たちの声に耳を傾けている」とか当時10代だった僕の心の琴線に響く歌を良く歌っていた。

 この「かりそめのスウィング」はイントロのバイオリンが意表をつくが、そのあと歌われるのは当時の甲斐よしひろの孤独の叫びである。メロディも歌詞もいいと思うが、全然ヒットしなかった。これと「裏切りの街角」はたまにカラオケで歌うがノーバディ・ノウズ。ま、仕方ないかジジイの歌だから。とりあえず、今日、お祝いのメッセージをくれた皆さんありがとうございます。変わった歌だけど当時の今日、間違いなく聴いていいなと思った甲斐バンドの歌を貼っておきます。



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