ユセフ・イスラムは、このアルバムをどう考えているのだろうか?


という疑問が突然湧いた。ユセフ・イスラム、以前はキャット・スティーヴンスという名前で活躍していたシンガー・ソングライターである。スエーデン人とギリシャ人のハーフとして生まれた彼は、最初は当然クリスチャン。ルックスが良かったのでスカウトされ、ポップスターとしてデビュー。その頃のヒット曲、「マシューアンドサン」もなかなかいい曲だが、芸能生活に疲れて結核で入院。その頃から自分で歌を作り始めて、入院中の窓越しに見た女性のために「リリー・ホワイト」を作ったなどというのは、少し出来過ぎかな。

退院してからは、お飾り人形は嫌だとギター持って自作の歌を歌い始めた。その頃には、すでに仏教徒になっていた。ファースト・アルバムの『モナ・ボーン・ジャコン』、セカンドの『ティー・フォー・ザ・ティラーマン』、そして名盤のサード、『ティーザー・アンド・ザ・ファイアー・キャット』で人気を不動のものにした。

何しろ当時、赤丸付きでチャートを急上昇していたエルトン・ジョンから一番好きなシンガーと言われていたくらいだ。4作目は仏教の十牛図からインスパイアされた『キャッチ・ブル・アット・フォー』は、ちょっと考え過ぎたんだろう。出た当初は、あまり良いとは思わなかったが、十年くらい前に買い直して聴いてみたら染みる歌が多かった。

そして、問題作というか、僕個人としては一番好きな5作目のアルバム、『フォリナー』は、全くヒットしなかった。片面全部を使って歌われる組曲異邦人は強烈でした。裏目の4曲も、リズムが黒くて歌詞もシニカルでカッコ良かったけど、セールスは大コケ。

それで、原点回帰とばかりにこのアルバムをリリース。アルバム・タイトルは、ある時、飛行機に乗っていて手元に小さな仏像とチョコレートの箱を持っていたそうだ。今、飛行機が落ちたらじぶの手に残るのはブッダとチョコレート・ボックスだと考えて、このアルバムを作ったらしい。

初期の彼の特徴である綺麗なメロディとリリシズムが満載たけど、どこかにちょっと黒い所がある。そのあとライブ・アルバムを出し売上はユニセフに寄付。アルバムに通し番号が売ってあり、僕の買ったやつは10,000番代だった。そこからシングル・カットしたのは、彼のオリジナルではなく、なぜかサム・クックの「アナザー・サタディ・ナイト」。その後も確かアルバムを数枚出し、中にはチック・コリアと共演したものもあるが、鳴かず飛ばず。

ある日、ネットで彼がイスラム教に改宗したことを知った。彼のホームページをみたら、海で溺れかけてイスラムに目覚めたなどと買いてあった。よう分からん。

ということを、ぼんやり考える平日のロックバーの店番であった。





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本日のブツ



連休中に休みが1日しか取れないバカ娘と、久しぶりにフルモト探索。いつも行くお店では無く、大学の近くの店舗に行って見た。CDは、高田渡のベルウッド時代の作品が4、5枚。迷ったが、とりあえずパス。この前、岡林が美空ひばりの歌を歌ったアルバムを買ったばかりで、そのまま渡に行くとフォークジジイになりそうな悪寒が(笑)。

ロック系のアルバムは、これもマニアックなものがあったがパス。何気にハードカバーの廉価コーナーを眺めていたら、飛び込んで来たのが井上光晴の遺作。娘の荒野の日記を以前読んだが、癌との闘病生活が奇妙なユーモアに包まれていて印象に残っていた。

手に取るとブックカバーも綺麗だし、本を包む油紙も変色無し。こりゃ万引本と違うかと訝ったが家に帰ってページをめくると、確かに人が読んだ形跡がある。更に、最後のページには新聞の切り抜きが挟まっていた。なんと、この作品のレビューである。

勝手な想像だが、この本を購入した人が何らかの事情で、手放すことになったのか。その事情は、もしかして亡くなられ、そのご家族ご遺品整理でフルモトに出したのか。

フルモトで買うCDに、ミュージシャンのサインがついてる事があり、フザケンナ、この野郎。せっかく貰ったサインを売るな、と怒った事が何度かあったが、それもこういう理由だと仕方ないか。

などと、勝手な想像ばかりするので文学部出身は世の役に立たん(笑)。





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第5回宮崎国際ジャズデイの光と影 その1

 終わった、終わった。何はともあれ無事に終わった。と、安心している場合ではない。今回のイベントの総括と来年に向けての課題を明確にせねば、などとオレが偉そうにやる必要はないのだが、とにかく今年のイベントを振り返ってみたい。

 最初に宮崎国際ジャズデイの会議に参加したのは昨年の7月30日だった。いや、その前に宮崎公立大で行われた市民講座、「ジャズとアメリカ文学」から話を始めないといけない。ん。違う、そのずっと前、第1回目の宮崎国際ジャズデイのイベントから話を始めないと収拾がつかない可能性があるか。そもそも、このイベントと関わるきっかけは高校時代からの悪友というか、毎度毎度一緒にライブに行く相方であるY尾君の人脈のせいである、いやおかげといわなくてはいけないか。あ、そのY尾君と何十年ぶりかに再会したきっかけも書いておかないとあれだな。「あれだな」って何だよ。「あれ」とか「これ」とか固有名詞を代名詞で言い始めると人はチャンジーの始まり、老化現象の始まりだというぞ。ええい面倒なので駆け足で振り返る。

 僕がこのblogでライブの話をひんぱんに書くきっかけになったのは、2007年11月9日のカルメン・マキ最強トリオの演奏を宮崎で見たおかげだ。そのライブの客席でY尾君とうん十年ぶりに再会した。そのイベントの仕掛け人の中に今回の宮崎国際ジャズデイの実行委員長であるH高さんと副委員長のM原さんがいたのだ。お二人とも高校の先輩になるのだが、その時点では僕は全くといっていいくらい面識も何もなかった。Y尾君は仕事の関係でお二人と親しくしており、それ以来H高さんのところで不定期に行われるサロン・コンサートの情報を持ってきてくれた。そのサロン・コンサートに初めていったのは西藤ヒロノブ(当時は「大信」と表記していた)とフランシス・マバッペのライブだった。カルメン・マキのライブの翌年、2008年の4月のことだ。このライブは強烈だった。アフリカはカメルーンのリズムでゴリゴリの変則リズム、しかしながらときにはビター・スィートなメロディもあり、歌も演奏も大迫力。YOU TUBEにその時のメンバーでの演奏の動画があったので貼っておく。西藤ヒロノブのギターをフューチャーした”SAWA”という曲だ。



 このような素晴らしいライブが無料で見られるので、H高さんのところであるサロン・コンサートはジャズ系のものはほとんど見に行った。もちろんワタクシは人間がゲスなのでクラシックのような高尚な音楽のコンサートの時は行かない。そんなのは年金で蔵が立つダンカイジジ・ババに任せておけばいいのだ。そのほかに印象に残ったライブはさがゆきをゲストに入れたパリャーソだとか、地元出身のドラマー、トシ永井のライブ、そうそう佐山雅弘のソロ・ピアノも良かった。などと書いているときりがないので話を急ぐ。そのサロン・コンサートの流れの中で起こった話なのか、当時は単なるサポーターだったので良く分からんが2013年に宮崎国際ジャズデイの第一回目のイベントが行われた。山下洋輔スペシャル・グループに地元の大淀小・中の吹奏楽部の子供たちが一緒のステージに立つというものだ。もっとも、その時は直前で山下氏がケガをしてピンチヒッターに立ったのが今回トリオで参加したスガダイローである。そのオープニング・セレモニーもH高さんのところで行われ、プレイベントとして地元で活躍する大西洋介さんたちの演奏があった。まあ、その時から毎年4月30日のコンサートのチケットを預かって友人・知人に売っていた。僕はワン・オブ・ゼンのサポーターだった。

 そして昨年の5月から7月にかけて宮崎公立大で行われたジャズの講座、毎週水曜日でその日は実はロック・バーの店番の日だったが、約2ヶ月はこの講座に参加するため休ませてもらった。いや、最初は10回の講座の中にウィーピング・ハープ妹尾のライブ講座があり、その日だけ休むつもりだった。ただ予定表を見たら、ニュー・ヨーク在住のサックス・プレイヤーの講座もあったので、その2つだけ参加するつもりだった。ところが、たまたま店休日だったので参加できた第1回目の講座が面白くて、最終的にはずべての講座に参加し、無事修了証も頂いた。学生時代はあれほど授業に出ず、単位は落とすもの、試験は粉砕するものという認識だったが、この講座だけは開講30分前には大教室の前で待機し、前のほうの席を確保、しっかりノートを取るという、オレもやればできる、この行動をどうして学生時代に出来なかったのか、それさえやっておけば今頃は左団扇、いやそれとも出世の派閥抗争に巻き込まれて左遷がせきの山か、などと妄想は果てしない。そうそう、この講座に毎回一番前の席に陣取りノートを取っていたのが、同じジャズデイの実行委員になる、あ、もう一つの肩書は会議の書記長であるG原さんであった。

 この時の講座の話は一度きちんと整理しておきたいと思いながらも、そのままになっている。10回の講座の内、いわゆるレクチャーが半分、残りの半分はライブ中心の講座だった。もちろんブルース・ハープの第一人者の妹尾隆一郎の講座は素晴らしかったし、その翌日にライブハウスで行われた補講、つまり追加のライブも素晴らしく打ち上げで酔っ払った僕はパンタのアルバムでの妹尾さんのハープがいかに素晴らしかったかを延々と話し嫌がられるという楽しい思い出もある(笑)。そして、Swing MASAという女性サックス・プレイヤーを知ったこともこの講座での大きな収穫であった。こちらも公立大とは別にH高さんのギャラリーで地元のピアニスト大西洋介と一緒の補講に参加した。演奏中に短歌をラジオ・アナウンサーが読み、その言葉に反応して吹きまくるサックスは強力だったし、何よりも、その短歌を作ったのは獄中の死刑囚というMCを聞いて疑問に思ったことをライブの後に聞いた。「あの短歌は元東アジア反日武装戦線の大道寺将司が作ったものではないですか」「そうです」。いやこれは驚いた。のちにFacebookなどを通じてSwing MASAさんの立ち位置などを知るのだが、素晴らしいジャズ・ミュージシャンであると同時に時代に対する危機意識を明確に持った活動家であることも分かった。そういえば、亡くなられた公立大の林学長も元連合赤軍の永田洋子の研究もされていて、何かの時に少し話を伺ったが今思えばもっと詳しく話を聞いておけば良かった。おっと、この手の話は嫌いな人も多いだろうから、もうやめておく。

 その公立大の市民講座に毎回通っていたのだが、そこで当然、宮崎国際ジャズデイの実行委員長と副委員長と顔を合わすわけだ。人間、顔を合わせば挨拶もする。世間話もする。そのうちにジャズデイの実行委員に加わらないかという話が出てきた。僕はこう見えても学生時代から漢文が得意で人生の指針は論語にあると考えている人間である(ウソだけど)。人間にはその人の器というか分相応という言葉があり、僕などがそういう大役を果たせるわけがない。固辞していたのだが、何度も誘われるうちに「義を見てせざるは勇無きなり」というではないか、「三顧の礼」を尽くされて、それを無視するのは君子にあらず。今思えば「君子はジャガーチェンジする」という言葉もあるのに、ついつい調子よく引き受けてしまったのだ。まあ「小人閑居して不善を為す」ともいうし、いっちょ市民ボランティアっちゅうやつをやらせて頂くかと思ったのだ。

 さて、それから月に1回の会議に参加するのだが、何しろ実行委員の皆さんは全て社会的立場もしっかりしていらっしゃる方ばかりで、まあルンペン・プロレタリアートなのはオレくらい(苦笑)。居心地はいいような悪いようななんとも不思議な感じだったが、それでも会議には真面目に参加した。意見を求められることも多かったが、僕の意見は果たして的を射た発言だったか今では知る由もない。会議の目的はもちろん翌年4月30日のイベントをいかにして成功させるか、そのために宮崎国際ジャズデイの認知度を高め、積極的に支持・支援してくれるサポーターをいかに結集させるか。メインの4月30日のイベント前にプレ・イベントを打ってサポーターを集めるという課題に取り組んだ、またサポーターに対してDMで積極的に案内をする、戦略的なサポーター再構築にはA川さんとSさんが担当することになった。

 プレ・イベントとして2016年11月20日には西藤ヒロノブのライブと屋上ガーデン・パーティを、2017年1月28日にはグレース・マーヤのソロ・ライブとサポーター・パーティを実施。どちらにも教育プログラムの一環として子供たち(というと怒られる学年の子たちもいるが)の演奏もあり、参加したサポーターの方に喜んでいただいたと思う。さらに本番イベントを迎える4月には写真家綾さん(この人は実名でいいと思う)の写真展とサポーターのための茶話会も実施。着々と本番に向けて動いていた。僕は、この間何をしていたかというとWebの担当ということでホームページのblogを更新したり、Facebookでイイネをくれる人たちにお礼のコメントを入れたりしていたのだが、どうもしっくりいかない。ホームページがWordpressで作られていて、そのソフトの扱いに自信がなかったことと、ま、はっきり言ってオレにはデザイン・センスなどない。いらんことをしてデータを消してしまうのではないかという不安と、ソフトのアップデートをしないと不具合があると思いながらも、やはりインターフェイスをおかしくすることが心配でなかなか手が出せなかった。またblogも自分のblogであれば読んでくれる人も想定の範囲内(これ使って見たかったんだよな、一回、笑)だが、やはり宮崎国際ジャズデイという看板の下では、なかなか僕のスタイルを通すのは難しいと、柄にもなく自粛した部分もある。まあ、今更の話だが、このあたりは来年の課題といえる。

 さて、ここから一気に話は本番前日に行く。会議の話を延々と書いていても進まない。会議は踊る、だ。あ、当日の役割分担の会議のことは書いておこう。それまでの2回のプレ・イベントでは会場整理を担当していたので本番当日も同じ役を振られた。実は、その会議の時は息を潜めて存在感を消していた。出来れば当日は無役で行きたいと思っていたのだが、各実行委員の役割をチェックしていたM崎さんが、「あれ、drac-obさんは何をやるの」と突っ込まれてしまい、泣く泣く会場整理を、いや喜んで会場整理の担当をさせてもらうことにした。会議の話をもうちょっとすると2017年になっては毎週木曜日に会議を、そして最後の週は2日会議を行ったのだ。その最後の会議の時にジャズデイ前日に行われるストリート音楽祭でチケット販売の情宣活動をやるともう一人の副委員長であるH原さんから話を聞いた。ストリート音楽祭とこのジャズデイは、以前は山下さんのグループが出演して翌日のジャズデイのPRをしたりしていたが、ここ何年かは関係が途絶えていた。今年はストリート音楽祭にスガダイロー・トリオも出ることになったので、それに併せて当日チケット売りもやるという話だった。29日はメインの実行委員は皆さん忙しく、ミュージシャンの出迎えに空港に行ったり、会場でのリハの段取りをしたりホテルへの送迎、食事の準備と大変。僕は特別役割もないので、ここは気分は若手(いや、結構トシ食ってるけど周囲がほとんど年上なので、必然的にこちらは1回生ダッシュ的な役割になるのだ。いやー、幾つになっても甘かぁねぇ)、まして情宣活動は得意中の得意。ストリート音楽祭当日は午後1時にアートセンター前のテントに集合になった。

 ストリート音楽祭というのは、毎年宮崎で行われる国際音楽祭のイベントの一つで、宮崎市内の中心である橘通りをホコ天にして、ステージも大きなものからこじんまりしたものまで複数造り、そこにプロ・アマを問わず様々なミュージシャンが1バンドあたり50分前後の演奏をする。観客は、もちろん全て無料で見られる。ジャンルもセミ・クラシックから合唱、吹奏楽、フォークにロックにジャズ、民謡まで幅広い。このイベントでは、まだ地元で活動していた宮里陽太を3年連続で見たし、大学の先輩である向井滋春も見た。以前、カルメン・マキの最強トリオで見た太田惠資も、これは多分2011年に山下洋輔と一緒に出たと思う。演奏が終わってステージを撤去している太田さんに話かけた記憶がある。そうだ、2012年は洋輔のグループに向井さんがゲストで入っていて、などと書いていくときりがないのでやめる。ただここ数年はロック系のミュージシャンが中心でジャズは少なかった気がする。もちろん「勝手にしやがれ」というバンドの存在を知ったのはこのイベントのおかげだが。ま、それはさておき、当日は午後1時に現地に着いた。そしてアートセンター前のテントを見るが、我が宮崎国際ジャズデイのテントは見当たらない。おかしいなと思いつつ、あちこちウロウロして時間をつぶすがとんと様子が分からない。副委員長のH原さんに電話しようとして気が付いた。オレはあの人の電話番号を知らん。実は宮崎国際ジャズデイのメンバーの99%はLINEでつながっている。しかしながら、ワタクシはある理由からLINEは断固拒否している。したがって実行委員会の会議連絡も通常のメールでやってもらっているのだが、皆さん細かな連絡はLINEで取りあっているので蚊帳の外にいることが多い。じゃ、LINEに入ればいいじゃないかというあなた。そういう安易さがアベ自民の独走を許しているのだ。原則は曲げたらダメ、ダメなものはダメなのだ。それを目先の権力欲しさで妥協した某政党など、どれだけ今は無様な状態か、などという話もいらんな(笑)。

 要するに30分過ぎても誰も来ないし、どうなっているか分からない。こりゃゲルニを決めて相方のY尾君と合流して焼酎呑みながら、会場をうろつこうとしかけたところにH原さん登場。どうもストリート音楽祭の実行委員との話がうまく連携されておらず、テントは午後2時から、しかも場所は一番人の流れの多いアートセンター前ではなく、中高生の吹奏楽が出る橘通り3丁目あたりに設営するらしい。その話を聞いているうちに、もう一人の実行委員であるN原さんとも合流。ついでにサポーターであるY尾君もやってきた。実は、彼にもチケット販売を手伝ってもらうつもりだったのだが、長年の付き合いでこちらの目的は鋭く見抜かれてしまい、彼はさっさと別のステージに移動した。とりあえず、実行委員3人で準備したフライヤーやポスター、チケットにお釣りなどもって3丁目に移動。しかし、そこにはソフトドリンクを売ってるテントがあるだけ。H原さんが話をしたら、そこに宮崎国際ジャズデイのテントが来ることは間違いなく、ただしアートセンターのテントと半分ずつという話だった。それでもテントを設営してもらい、ポスターを貼り、フライヤーをテーブルに並べて情宣活動は開始された。が、しかし、2時間そこで待機中チケットが売れるどころかフライヤーを手にしたのはおじさん二人。それも僕がやけくそ気味に声をかけて、キャッチセールスのテクニックで話かけて、半分強制的に受け取らしただけ。みじめな敗北であった。

 さて、一気に書き上げるつもりだったが、昨日、今日とエントリーを書いて来て、何だか話がおかしな方向に行ってる気もするし、ここで一度整理整頓しておかないとまとまらないと判断しいったん休憩。続きは近日中にカミング・スーンであることを公然と宣言する、って、そんな力入れんでもええんちゃうか。キャインキャイン。ちなみに今回は、かなりあちこちにリンク貼りました。太文字のところはクリックしてね。

ブログ記念日というのか



2006年の今日、拙blogがスタートした。この日の前に準備は出来ていたが、あえてこの日にした。今なら、さしずめ共謀罪の恐れありとして、パクられたかもしれない。な、こたーねーか。などと油断している間に、我がポンニチはますますバイヤーな国になりつつある。

さて、今日はストリート音楽祭の日でもあるが、宮崎国際ジャズデイのチケット売りを午後1時からやる予定だった。が、しかし、テントがない。手違いで1時間遅れ。ま、よくある話である。嫌がらせじゃないだけマシか。しかし、いい天気なのに客が少ない。ゴールデンウィークの初日だけに、皆さん観光かな。さ、チケット売らねばの娘だ。





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週末のロックバーで



団体客の準備中。今日は、アラン・ホールズワースの追悼でテンペストかゴングを聴こうと思っていたが、お店のコレクションには無かった。しまった、家から持ってくれば良かったと思いながら、もしかしたらソロ・アルバムがあるかもと未練タラタラでレコード棚のAのコーナーを探していたら、アティテュードのアルバムを発見。ダニー・クーチやジム・ケルトナーなどの腕達者揃いのバンドで、ジョージのダーク・ホースレーベルから出たけど、あんまり売れなかった。名人のレコードだから売れるなどという甘い考えではやっていけないロックの細道。ま、アラン・ホールズワースもレコードは売れなかったから、売れないもん同士でエエかと妥協。

しかし、今、このアルバム聴き直してみたが、何がやりたいか良く分からない。コンセプトが曖昧なまま、ミュージシャンの名前とレーベルの名前で売ろうとしたのか。ちびっとばかし、ジョージが作りそうなフレーズもあるけど、弱いなぁ。ま、それでも悪いアルバムでは無いけどね。





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