雨降りだからジャズでも聴こう

などと別段、植草甚一を気取った訳ではなく、久しぶりに登場する毎度の相方ことY尾君から先月メールで本日のレコード・コンサートに誘われていたのだ。レコード・コンサートなど令和の今では完全に死語だと思うが、さらに恐ろしいことに真空管アンプでレコードを鳴らすという、これはもはや令和どころか平成も、いやいや下手すると昭和もバブル以降の人には言葉の意味が通じないかもしれん(笑)。「そもそも真空管って何ですか」という質問のある人は、この先読んでも仕方ないぞ。
話を戻すと,地元の市立図書館の毎月のイベントに、えーと毎月じゃないな、隔月くらいのペースで真空管アンプ愛好家の人たちがジャズやクラシック、さらにはロック、昭和歌謡などのレコードを特集する無料イベントがあるのだ。このサークルに以前、宮崎国際ジャズデイのボランティアをしていた頃にお世話になったB東さんがいらっしゃる。毎年、4月30日に山下洋輔を呼んで地元の小中学生とセッションする一大イベントなのだが、初めてそのボランティアをやった年の打ち上げの席。目の前に山下洋輔がいるが、僕は少し緊張してしまい何も話をすることが出来なかった。
ウソコケ、お前のように口から先に生まれてきたような奴が、そんな緊張なんかするか、そんなタマか、という声も聞こえるが、しかし、しかしだ。思い出してみれば、遥か彼方の10代後半に、山下洋輔の「コンバット・ツアー」というタイトルのエッセイを読んで脳天やられ、その勢いでレコード聴いたら、さっぱりわからん。わからんが何やら物凄く怒っているとか、何か言いたいのだ、俺は自由に好きなように演奏するのだ、というのはアホのワタクシにも強力に伝わって来た。当時は筒井康隆も乱読していたし、殿山タイチャンも読みまくっていたが、そこに、かてて加えて(ブンガク的表現、昭和テンノーは造詣がなかったらしい)、山下洋輔のエッセイ・シリーズがドシャメシャ、グガンバタバタと乱入して来たのだ。そしてトドメは、あの『空飛ぶ冷やし中華』である。即座に全冷中過激派関西支部を名乗ったのは我ながらアッバレ。
などという時代から、崇拝に近い今風にいうとほとんど神的存在だった山下洋輔が目の前にいてもとても話なんか出来ない。その僕の様子を見てB東さんは、「せっかくだから話をしたら」と僕を洋輔さんの前に連れて行って紹介してくれた。そして「若い頃から憧れていたので緊張して話が出来ません」とカチカチになってる僕を「なーに言ってんだよ」と優しく背中を押してくれた山下洋輔さんの手の温かさは今でも覚えている。そこから堰を切ったように話始めたかというと、やはり緊張はそう簡単には溶けず、それでもいろいろな話をさせてもらった。
しかし人間、慣れとはおそろしいもので(笑)、その2年後、つまりボランティア3年目には、厚かましくも山下御大の前で元全冷中過激派としてアジ演説をやらしてもらった(爆笑)。
話が完全に逸れたが、まあそういう訳で(どんな訳や)、本日は祝日でもあるが、雨なのでゆっくりジャズのレコードを聴くべえと市立図書館にやって来たのだ。この真空管アンプでレコードを聴くイベント、これまでフルハウスになったのは、少なくとも僕が参加した回には無かったし、今日は結構な雨だし、ジャズなんて今時流行らないから席は空いてるだろうと思ったのは赤坂、浅草、浅はかであった。まず駐車場が空いてない。ウロウロしてやっと停めるスペース見つけて、傘をさして歩いて行った。Y尾君に電話したが電源を切ってある。時計を見ると開始時間スレスレ。慌てて2階に上がって扉を開けた。
何と、ほぼ満席。空いてる席は最前列と最後方しかない。あんまり前だと、せっかくの音が後ろに飛んで行ってしまうので、最後方の椅子に座った。入る時にもらったプログラムで、最初はデイブ・ブルーベックで2曲。うーん、せっかく真空管アンプで聴くのにイージー・リスニングかと心の中で毒づいたが、その後が、何と嬉しや、初期の山下トリオの西ドイツ録音、次は森山カルテットに武田カルテットと山下洋輔絡みの選曲。よく見ると選曲担当はB東さんだった。49年前に洋輔のクレイを聴いてぶっ飛んだというエピソードが微笑ましい。
しかし不満はある。せっかくのレコード、山下洋輔トリオも森山威男カルテットも5分で演奏切るのは蛇の生殺しや〜。最後までちゃんと聴かせて〜な。後の方のケニーなんとかやキース・エマーソンちゃうか、ジャレットか、そんなんとかハービーなんかかけんでええから、などというとまあいかんのかもしれんが楽しさも中くらいなり、オラが春という感じであった。
そうそう武田和命、このレコード持ってるハズなんだが、どこに行ったか分からない。しかし雨の日に武田コルトレーンのサックスがココロに染みた。ところで国仲勝男は、まだ沖縄の御嶽にいるのか、誰か知らんか。
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