話は、また今度

今日は午前中から、伯母の三回忌で延岡へ。妹の車に母と乗り込み、行きは僕の運転。当然、車中のBGMは僕が選曲。ジェイク・シマブクロの『フラガール』、ニルソンのベスト、中川イサト等をかけるが黙殺される。
お寺でお坊さんから聞いた話。こんなご時世なので、お寺にもよくオモライさんが来るらしい。夜遅くチャイムが鳴り、出ると見た事の無いおじさんがいて『昨日から何も食べてない。草むしりするから1000円おくれ』
以前も、似たような事があり、一度お金を渡すと何度も来る事を知ってるので『ここは禅宗なのでお金はない。ちょうどたく鉢で貰った林檎があるから食べなさい』と言って渡そうとすると、金じゃなきゃいらんと言って、どこかへ消えた。
昨日から飯食ってなきゃ、林檎一個だってありがたいはずだろ。
それと、墓守りしている人の話で、お墓に備えてあるビールやお酒が頻繁に盗られるので見張っていたら、現行犯を見つけた。声をかけたり、捕まえようとすると、危ないので後をつけたら病院に入って行った。聞いてみたらアルコール依存の患者だったらしい。
何だか侘しい話でした。さあ、今日はネットはやめて本読んで寝よう。
Hの話、いやホントにHの話だって
花のD大75年度生トリオという言葉がある。いや、僕が勝手に作ったのだが、早い話が某同志社大学に1975年に入学し、何らかの形で音楽にかかわり、そして30年以上の時を過ぎて、全くの偶然にネット上で再会した、僕と岐阜のTHIS BOYさんとblog「BLUES POWER」の管理人Purple_Hazeさんの3人を総称して、このように名乗っている(あ、あくまで僕が勝手に名乗ってるだけだけど)。この3人の出会いも、本当に偶然と必然がからまりあって、廻る廻る廻る因果はい〜と〜ぐ〜る〜ま〜、などと坂本九が歌いそうなインネン話があるのだが、今日はまたも、ショーゲキの再会の話を書いてみたい。
最初に書いたように僕は75年に某同志社大学に入学し、5月にDRACというサークルに入った。僕のHNの由来になっているサークルであり、残念ながら別館の崩壊と共に(もしかしたら若干後かも知れないが)消滅したらしいサークルだ。そのサークルは当時女性部員が少なく、地方出身者(とりわけ九州・四国勢が多かった。例外はホッカイドー出身のコロポックルH居くらい、関東勢なんてほとんどいなかったかな)のたまり場というか、音楽と衒学が趣味みたいな魑魅魍魎が跋扈するサークルであった。ある日のBOXでのセンパイとの会話。
当時1回生drac-ob、無邪気に「センパイ、何読んでるんですか?」
レノン風丸眼鏡で缶ピー咥えた2回生、さも鬱陶しげに「・・・ドグラ・マグラ」
「ど、どぐらまぐらってあの夢野久作の?」(当時まだ読んだことが無かった)
ロングヘアーにタバコの似合う3回生(女性)「暗いの読んでるね、レコードかけてよ」
かかったレコードはエリック・ドルフイーの豚のいななきのようなバスクラが延々と・・・。
うーん、雰囲気が伝わるだろうか。書いていて、オレは何が楽しくてあんな暗いBOXに毎日通い続け、それでも年数がたつうちにサークルのヌシみたいになり、最後は「神」と呼ばれるようになったんだろう。あれはなんだったんだ。などという話を書きたいわけではない。もっと明るい楽しい話なんだって。
いや、まどろっこしいが、実は先日書いたエントリーにPurple_Hazeさんからのコメント(あ、非公開だからオレしか分からなかったと思うけど)が来て、その中に「DRACの75年度生でHさん(女性)ってご存知ですか」という質問があった。ご存知も何も、数少ない75年度同期生でなおかつ女子部員、忘れるはずが無い。確か76年の夏合宿のとき、一緒に写った写真もあったはずだと、押入れの中をごそごそ探してメールに添付してPurple_Hazeさんに送った。そのときに止めときゃ良かったのに、昔、彼女に借金をしたエピソードも書いて、「ま、今更、時効ですよね」なんておチャラけていたのだが。
で、そのHさんだが、もう一つ思い出したことに彼女と同じ姓のやはり75年度生の男子部員もいたのだ。こいつは確か1年くらいでBOXに来なくなったので、あまり印象はないのだが結構背も高くて黙っていればまあまあイケメンだったが、残念なことに頭が悪かった。というか、騙され安い男だった。確か、新聞学科じゃなかったかな。元祖イケメンのE副なんかと一緒だったから。その彼の数少ない悲しいエピソードってのはこういう話だ。
大学の1回生の夏休みに何をするか、というのは正しくレーニンの『何をなすべきか』に匹敵する重大テーマであるが、健康なオトコの子の考えることはただひとつ、お金はやっぱりあるほうがいい(ドンドンってそりゃSTSだ)。いや、その、あれだよ、あれ。でも、アレをやるにはいろんな小道具がいる。先ずは車だ。しかし車に乗るには免許がいる。免許はタダでは取れない。ということは、かのH君もよーく理解していた。彼の計画は大津のコカコーラ工場で夏休み2ヶ月バイトする。そこで金を貯めて、教習所に行って免許を取る。免許を取ったらレンタカーを借りて、女の子をゲットして×××。彼の頭には平山みきの「真夏の出来事」がリフレインのようにこだましていた。♪かーれの口車に乗って災厄の町、わたしーはついた〜って、ちょっと歌詞が違うな。
で、H君は75年の6月終りからBOXでは全然見かけなくなった。大津の工場で7,8月の丸々2ヶ月働き続けたのだ。そうして当時のお金で20万近くの大金をゲットして9月から教習所に通い、2週間で免許を取れば、ぎりぎり9月の中旬には彼女と車でデート、悲しい出来事が起こらないように常に否認するのだ、と、多分単語が違うと思うけど、ま、そういう下心行動委員会の決定に従っていたのだ。そうして、僕は9月の後半にバリッとしたスーツ姿のH君に会った。その横にはセンミツで有名なF田君も一緒だった。「おー、H、久しぶり、どう、免許取った、彼女と上手くいった?」と僕が尋ねると、彼は悲しそうに首を振った。「え、なんで、バイトの金足らんかったん?」と畳み掛ける僕。その横でケペル先生のような満面の笑みをたたえたF田君が答えてくれた。
「いや。こいつアホなんや。2ヶ月バイトした金貰って、工場でたら、そこになんやしらん変な兄ちゃんおってな、オイデオイデってしたんやって」「へ、そうなん、で、どないした」「うん、その兄ちゃんについて行ったら、なんや大きなバンが停まっててな、そこに入れって言われたらしいわ」「なんや怪しいな、お前、H、まさかそんな車に入ったと違うヤロナ」「それが、あんた、H君の人のいいとこや。その車の中にはスーツが一杯吊るしてあって、兄ちゃんいわく、『もう大学生やったら、スーツの1着や2着もっとかなアカン。ええの選んだるわ』って」「で、スーツこうた?」「おう、こうたんやて。それで1着買って車から出ようとしたら、『兄ちゃん、そのスーツ汚れたらどうするんや。お洒落な人は同じスーツをこうとくもんや』って、また声かけられて」「まさか、2着買わされた?」「いや全部で4着、柄違いの奴買わされて、ほんまは24万くらいするけど学生さんやから20万丁度でええわって」「20万、全部?」「全部や」
僕はH君のスーツ姿をじっと見た。彼はちょっと恥ずかしそうに「ま、でも結構上等なスーツやったし、また今度バイトして免許取るわ」と小さな声で話してくれた。で、彼は学校に通いながら、またバイトにせいを出して確か1回生の終わりに免許を取り、それからは彼女とのお付き合いが忙しくなりサークルに出てくることはなくなった。しかし、ひどい奴もいるもんだが、そういうのにコロッとやられる方もどうかと思うな。
で、肝心の女性のHさんだが、サークルに入ったのは多分ほぼ一緒の頃だったな。結構普段は大人しいけど、あ、いかん、ここで妙なこと書くとまた苛められるのでちょっと自粛しておきます。しかし、不思議なもんだな、人生って。そうそう、文中に出てきたケペル先生をご存じない人もいるだろうから、最後に貼っておきます。♪エイチ、オー、ダブリュ、ハウ、ハウ、ハウ〜インディアンじゃないんっだよ、エイゴで『どして』って聞いてんだ、ケペル先生、こんばんは〜
最初に書いたように僕は75年に某同志社大学に入学し、5月にDRACというサークルに入った。僕のHNの由来になっているサークルであり、残念ながら別館の崩壊と共に(もしかしたら若干後かも知れないが)消滅したらしいサークルだ。そのサークルは当時女性部員が少なく、地方出身者(とりわけ九州・四国勢が多かった。例外はホッカイドー出身のコロポックルH居くらい、関東勢なんてほとんどいなかったかな)のたまり場というか、音楽と衒学が趣味みたいな魑魅魍魎が跋扈するサークルであった。ある日のBOXでのセンパイとの会話。
当時1回生drac-ob、無邪気に「センパイ、何読んでるんですか?」
レノン風丸眼鏡で缶ピー咥えた2回生、さも鬱陶しげに「・・・ドグラ・マグラ」
「ど、どぐらまぐらってあの夢野久作の?」(当時まだ読んだことが無かった)
ロングヘアーにタバコの似合う3回生(女性)「暗いの読んでるね、レコードかけてよ」
かかったレコードはエリック・ドルフイーの豚のいななきのようなバスクラが延々と・・・。
うーん、雰囲気が伝わるだろうか。書いていて、オレは何が楽しくてあんな暗いBOXに毎日通い続け、それでも年数がたつうちにサークルのヌシみたいになり、最後は「神」と呼ばれるようになったんだろう。あれはなんだったんだ。などという話を書きたいわけではない。もっと明るい楽しい話なんだって。
いや、まどろっこしいが、実は先日書いたエントリーにPurple_Hazeさんからのコメント(あ、非公開だからオレしか分からなかったと思うけど)が来て、その中に「DRACの75年度生でHさん(女性)ってご存知ですか」という質問があった。ご存知も何も、数少ない75年度同期生でなおかつ女子部員、忘れるはずが無い。確か76年の夏合宿のとき、一緒に写った写真もあったはずだと、押入れの中をごそごそ探してメールに添付してPurple_Hazeさんに送った。そのときに止めときゃ良かったのに、昔、彼女に借金をしたエピソードも書いて、「ま、今更、時効ですよね」なんておチャラけていたのだが。
で、そのHさんだが、もう一つ思い出したことに彼女と同じ姓のやはり75年度生の男子部員もいたのだ。こいつは確か1年くらいでBOXに来なくなったので、あまり印象はないのだが結構背も高くて黙っていればまあまあイケメンだったが、残念なことに頭が悪かった。というか、騙され安い男だった。確か、新聞学科じゃなかったかな。元祖イケメンのE副なんかと一緒だったから。その彼の数少ない悲しいエピソードってのはこういう話だ。
大学の1回生の夏休みに何をするか、というのは正しくレーニンの『何をなすべきか』に匹敵する重大テーマであるが、健康なオトコの子の考えることはただひとつ、お金はやっぱりあるほうがいい(ドンドンってそりゃSTSだ)。いや、その、あれだよ、あれ。でも、アレをやるにはいろんな小道具がいる。先ずは車だ。しかし車に乗るには免許がいる。免許はタダでは取れない。ということは、かのH君もよーく理解していた。彼の計画は大津のコカコーラ工場で夏休み2ヶ月バイトする。そこで金を貯めて、教習所に行って免許を取る。免許を取ったらレンタカーを借りて、女の子をゲットして×××。彼の頭には平山みきの「真夏の出来事」がリフレインのようにこだましていた。♪かーれの口車に乗って災厄の町、わたしーはついた〜って、ちょっと歌詞が違うな。
で、H君は75年の6月終りからBOXでは全然見かけなくなった。大津の工場で7,8月の丸々2ヶ月働き続けたのだ。そうして当時のお金で20万近くの大金をゲットして9月から教習所に通い、2週間で免許を取れば、ぎりぎり9月の中旬には彼女と車でデート、悲しい出来事が起こらないように常に否認するのだ、と、多分単語が違うと思うけど、ま、そういう下心行動委員会の決定に従っていたのだ。そうして、僕は9月の後半にバリッとしたスーツ姿のH君に会った。その横にはセンミツで有名なF田君も一緒だった。「おー、H、久しぶり、どう、免許取った、彼女と上手くいった?」と僕が尋ねると、彼は悲しそうに首を振った。「え、なんで、バイトの金足らんかったん?」と畳み掛ける僕。その横でケペル先生のような満面の笑みをたたえたF田君が答えてくれた。
「いや。こいつアホなんや。2ヶ月バイトした金貰って、工場でたら、そこになんやしらん変な兄ちゃんおってな、オイデオイデってしたんやって」「へ、そうなん、で、どないした」「うん、その兄ちゃんについて行ったら、なんや大きなバンが停まっててな、そこに入れって言われたらしいわ」「なんや怪しいな、お前、H、まさかそんな車に入ったと違うヤロナ」「それが、あんた、H君の人のいいとこや。その車の中にはスーツが一杯吊るしてあって、兄ちゃんいわく、『もう大学生やったら、スーツの1着や2着もっとかなアカン。ええの選んだるわ』って」「で、スーツこうた?」「おう、こうたんやて。それで1着買って車から出ようとしたら、『兄ちゃん、そのスーツ汚れたらどうするんや。お洒落な人は同じスーツをこうとくもんや』って、また声かけられて」「まさか、2着買わされた?」「いや全部で4着、柄違いの奴買わされて、ほんまは24万くらいするけど学生さんやから20万丁度でええわって」「20万、全部?」「全部や」
僕はH君のスーツ姿をじっと見た。彼はちょっと恥ずかしそうに「ま、でも結構上等なスーツやったし、また今度バイトして免許取るわ」と小さな声で話してくれた。で、彼は学校に通いながら、またバイトにせいを出して確か1回生の終わりに免許を取り、それからは彼女とのお付き合いが忙しくなりサークルに出てくることはなくなった。しかし、ひどい奴もいるもんだが、そういうのにコロッとやられる方もどうかと思うな。
で、肝心の女性のHさんだが、サークルに入ったのは多分ほぼ一緒の頃だったな。結構普段は大人しいけど、あ、いかん、ここで妙なこと書くとまた苛められるのでちょっと自粛しておきます。しかし、不思議なもんだな、人生って。そうそう、文中に出てきたケペル先生をご存じない人もいるだろうから、最後に貼っておきます。♪エイチ、オー、ダブリュ、ハウ、ハウ、ハウ〜インディアンじゃないんっだよ、エイゴで『どして』って聞いてんだ、ケペル先生、こんばんは〜
どうでもいいような日曜日、オチは無し
1月最後の日曜であるが、午前中から仕事で会社に出た。今更ジタバタしてもどうなるわけでもないのだが、世の中にはアリバイ的なる言葉が存在するように、やりたかないというかやってもしょうがないけど、とりあえずはやっておかないとね、一応月末で格好つけておかないとね、などと多分学生時代だったら「ナーンセンス」と一言でフンサイしたであろうシホン主義的浮世の義理を果たしたというわけだ。いや、しかしこのあたりの表現は実に気を使いますな、ご同輩って誰に言ってるんだ。大体、日曜日は朝の10時近くまでグーグー寝ているのが常で、ようやく起きたと思ったら先ずコーヒーを入れて、おもむろにテレビのスイッチを入れる。そうすると九州ローカルの番組が15分ずつあって、どちらも九州各県のいろんな風景が見られて、その中には仕事で行った場所や実際住んだこともある場所や、そんなにたくさんはないけどドライブや小旅行で行ったことのある場所などが出てきて、うんうん、と頷きながらコーヒーを飲むというのが僕の週末のささやかな楽しみなのだ。
そして10時半になると、「田舎に泊まろう」が始まる。これは本当は日曜の夜やってる番組らしいのだが民放2局の我が地元は3,4ヶ月遅れで日曜の午前中やってるのだ。ついでに、ほとんど全国的に月曜の夜9時に放送されるトレンディ・ドラマ(死語ですか?)を「ゲック」などという言い方があるそうだが、我が地元では月曜の夜9時は家政婦が見ていたり、温泉で芸者が探偵したり、とにかくやたら殺人事件が発生し、しかしながら非常に幸運なことに2時間でその事件は解決するという番組しかないのだ。いわゆる「ゲック」のドラマは土曜の午後4時に放映されるので「ドヨン」と呼ばれている、ってのはまだ人気があった頃の東国原知事のギャグだったな。
で、午前中から事務所でいろいろな雑用をこなし何とか目途が立ったのが午後2時近く。中途半端な時間だったが昼飯も食ってないし、髪の毛も伸びていたのでそれもナントカしたい。ちょっと考えて、いつもいく散髪屋さんの近くのラーメン屋で取り急ぎ昼飯を食うことにした。このところ、昼飯を食べ過ぎないように気を使っていて、例えば以前であればうどん屋に入れば『丸天うどんに卵とオアゲ入れておにぎり2個』、などというややアナーキーな注文をしていたのだが、ここ最近は『具うどんにおにぎり1個だけね、オバチャン。で、ナンボ?あ、360円』などという会話で終わるようになり、我ながら人間的成長をしてきたな、とつくづく感じる2010年であった。しかし、今日はいかんせん、お昼が2時半近かったので『豚骨ラーメン、ネギ大目、麺は普通ね』というオーディナリー・オーダーをしたものの、あっというまに麺を食べつくしてしまい小首をかしげて考える30秒という時間があったのだ。半チャーハンを頼むか、ギョーザ1皿にするか、などと考えたが実は答えは決まっていて『あ、替え玉、こっちもお願い』と小さく呟いたのは間違いない。
それで、久しぶりに替え玉頼んだら、妙に麺が固くて、しかもこの店の替え玉の売りは面と一緒にメンマやチャーシューの半端モンをたくさん乗せてくれることだったのだが、今回はやたら長めのメンマ1本と油っけのないしわしわチャーシューってかニブタが2切れ、おいおい、いくらデフレ・スパイラルのご時勢でもこりゃナイだろ、と思いながらもそのまま食べた。流石に全部食べるとブタになりそうだったので、2口分ほど残した。後で家族にこの話をしたら、残すくらいなら頼むなと大変な顰蹙を買った。しかし、食べたくないものを残すのは、ある意味の自己防衛ではないかといったら最初から替え玉なんか頼まず腹八分にしておけばいいのだと子供からもいわれた。フン、生憎オレが好きなのは村八分であって腹八分じゃねー。
パンパンになったお腹をかかえて、いつもの散髪屋に行く。しかし、どうして床屋さんの最初の会話ってのは決まりきってるんだろうか。「お、drac-obさん、今日は休み?」って大抵日曜にくるんだから休みの日に決まってるんだけど、今日は仕事してきたのでちょっとエバって「いや、朝から仕事」などと答えたが、それで会話は終わり。僕はこういうところで、親しげに会話するのが苦手というかダメなのだ。話しかけられても上の空で返事するだけなので、店主も心得たもので必要最低限のことしか聞いてこない。つまり「モミアゲをどうするか」とか「髪に油をつけるか」とか、その程度だ。テレビではジャイアンツのパレードを放映していたが、目が悪い上に最近はとんと野球に関心がなく、インタビューに答えている選手もほとんど知らないので、全然面白くない。そういえば、小林が死んだなぁ、江川事件のときはエガワルなんて言葉が流行ったな、などとぼんやり考えた。
それでも1時間ほどすると髪もさっぱりして髭の剃り跡も気持ちよくお店を出ることが出来た。車にもどって携帯を見ると着信とメールのランプが点滅している。開いてみると下の子からで「仕事はまだ終わらないか」みたいなメッセだった。多分フルモトに連れて行けというような話ではないかと思って電話したら、意外なことに「晩御飯は皆でクルクル寿司に行きたいが、どうか」という話だった。我が家は上の子が魚嫌いでお寿司を食べに行くのはあまりないのだが、今日は珍しく女3人で回転寿司モードに入ったらしい。ここで誰が金を出すんだ、などとごねるのもみっともないので分かったと返事した。しかし、先ほどラーメン食べたばかりで、お腹が減っていない。そこで僕の方から、先ずは皆でフルモトに行き小一時間くらい腹ごなししてから、寿司食べに行こうということになった。
で、行ったフルモトがゲームやDVDの種類は多いのだが、本やCDはイマイチのところだった。それでもあちこちうろうろしていたら、諸星大二郎の妖怪ハンターシリーズでまだ読んでない作品が入ったものを見つけたので200円でゲット。これで寿司屋の待ち時間が解消されると、判断したのは大正解でした。6時前だというのに、その回転寿司にはすでに待っている客がざっと20人ほど。ノートに名前を書いて、稗田礼二郎の冒険譚を読んでいたら結構早めに名前が呼ばれた。で、家族でテーブルに座ったのだが、お腹の中には1.8人分のラーメンの麺が詰まっているので、寿司が食えない。畜生、滅多に無いことなのに、無理に食べても美味しくない。やはり腹八分目にしておくべきだったか。しかし、そのお店で気が付いたが、何時の間に恵方巻きなんてのが大手を振るようになったんだろう。こんな風習なんて、無かったよな。何が悲しゅうて、毎年特定の方向向いて、巻き寿司を丸呑みしなくちゃいけないんだ。エー方、向いて食べるから、恵方巻きってのか。違うか。巻き寿司を丸々呑み込むなんて話は川端康成の「15歳の日記」にボケた祖父の話で出てきてたっけ。
えーと、何を書こうとしていたか分からなくなったし、長さも中途半端なので終わり。最近、音楽について書くのが、ちょっと億劫になってきてるな。かといって、バカ話を書く気力もイマイチ。ここ何年か2月あたりにやや鬱的気分になってしまう傾向があるけど、なんだかな、もうどうでもいいような気分だな。んじゃ、寝るか。
そして10時半になると、「田舎に泊まろう」が始まる。これは本当は日曜の夜やってる番組らしいのだが民放2局の我が地元は3,4ヶ月遅れで日曜の午前中やってるのだ。ついでに、ほとんど全国的に月曜の夜9時に放送されるトレンディ・ドラマ(死語ですか?)を「ゲック」などという言い方があるそうだが、我が地元では月曜の夜9時は家政婦が見ていたり、温泉で芸者が探偵したり、とにかくやたら殺人事件が発生し、しかしながら非常に幸運なことに2時間でその事件は解決するという番組しかないのだ。いわゆる「ゲック」のドラマは土曜の午後4時に放映されるので「ドヨン」と呼ばれている、ってのはまだ人気があった頃の東国原知事のギャグだったな。
で、午前中から事務所でいろいろな雑用をこなし何とか目途が立ったのが午後2時近く。中途半端な時間だったが昼飯も食ってないし、髪の毛も伸びていたのでそれもナントカしたい。ちょっと考えて、いつもいく散髪屋さんの近くのラーメン屋で取り急ぎ昼飯を食うことにした。このところ、昼飯を食べ過ぎないように気を使っていて、例えば以前であればうどん屋に入れば『丸天うどんに卵とオアゲ入れておにぎり2個』、などというややアナーキーな注文をしていたのだが、ここ最近は『具うどんにおにぎり1個だけね、オバチャン。で、ナンボ?あ、360円』などという会話で終わるようになり、我ながら人間的成長をしてきたな、とつくづく感じる2010年であった。しかし、今日はいかんせん、お昼が2時半近かったので『豚骨ラーメン、ネギ大目、麺は普通ね』というオーディナリー・オーダーをしたものの、あっというまに麺を食べつくしてしまい小首をかしげて考える30秒という時間があったのだ。半チャーハンを頼むか、ギョーザ1皿にするか、などと考えたが実は答えは決まっていて『あ、替え玉、こっちもお願い』と小さく呟いたのは間違いない。
それで、久しぶりに替え玉頼んだら、妙に麺が固くて、しかもこの店の替え玉の売りは面と一緒にメンマやチャーシューの半端モンをたくさん乗せてくれることだったのだが、今回はやたら長めのメンマ1本と油っけのないしわしわチャーシューってかニブタが2切れ、おいおい、いくらデフレ・スパイラルのご時勢でもこりゃナイだろ、と思いながらもそのまま食べた。流石に全部食べるとブタになりそうだったので、2口分ほど残した。後で家族にこの話をしたら、残すくらいなら頼むなと大変な顰蹙を買った。しかし、食べたくないものを残すのは、ある意味の自己防衛ではないかといったら最初から替え玉なんか頼まず腹八分にしておけばいいのだと子供からもいわれた。フン、生憎オレが好きなのは村八分であって腹八分じゃねー。
パンパンになったお腹をかかえて、いつもの散髪屋に行く。しかし、どうして床屋さんの最初の会話ってのは決まりきってるんだろうか。「お、drac-obさん、今日は休み?」って大抵日曜にくるんだから休みの日に決まってるんだけど、今日は仕事してきたのでちょっとエバって「いや、朝から仕事」などと答えたが、それで会話は終わり。僕はこういうところで、親しげに会話するのが苦手というかダメなのだ。話しかけられても上の空で返事するだけなので、店主も心得たもので必要最低限のことしか聞いてこない。つまり「モミアゲをどうするか」とか「髪に油をつけるか」とか、その程度だ。テレビではジャイアンツのパレードを放映していたが、目が悪い上に最近はとんと野球に関心がなく、インタビューに答えている選手もほとんど知らないので、全然面白くない。そういえば、小林が死んだなぁ、江川事件のときはエガワルなんて言葉が流行ったな、などとぼんやり考えた。
それでも1時間ほどすると髪もさっぱりして髭の剃り跡も気持ちよくお店を出ることが出来た。車にもどって携帯を見ると着信とメールのランプが点滅している。開いてみると下の子からで「仕事はまだ終わらないか」みたいなメッセだった。多分フルモトに連れて行けというような話ではないかと思って電話したら、意外なことに「晩御飯は皆でクルクル寿司に行きたいが、どうか」という話だった。我が家は上の子が魚嫌いでお寿司を食べに行くのはあまりないのだが、今日は珍しく女3人で回転寿司モードに入ったらしい。ここで誰が金を出すんだ、などとごねるのもみっともないので分かったと返事した。しかし、先ほどラーメン食べたばかりで、お腹が減っていない。そこで僕の方から、先ずは皆でフルモトに行き小一時間くらい腹ごなししてから、寿司食べに行こうということになった。
で、行ったフルモトがゲームやDVDの種類は多いのだが、本やCDはイマイチのところだった。それでもあちこちうろうろしていたら、諸星大二郎の妖怪ハンターシリーズでまだ読んでない作品が入ったものを見つけたので200円でゲット。これで寿司屋の待ち時間が解消されると、判断したのは大正解でした。6時前だというのに、その回転寿司にはすでに待っている客がざっと20人ほど。ノートに名前を書いて、稗田礼二郎の冒険譚を読んでいたら結構早めに名前が呼ばれた。で、家族でテーブルに座ったのだが、お腹の中には1.8人分のラーメンの麺が詰まっているので、寿司が食えない。畜生、滅多に無いことなのに、無理に食べても美味しくない。やはり腹八分目にしておくべきだったか。しかし、そのお店で気が付いたが、何時の間に恵方巻きなんてのが大手を振るようになったんだろう。こんな風習なんて、無かったよな。何が悲しゅうて、毎年特定の方向向いて、巻き寿司を丸呑みしなくちゃいけないんだ。エー方、向いて食べるから、恵方巻きってのか。違うか。巻き寿司を丸々呑み込むなんて話は川端康成の「15歳の日記」にボケた祖父の話で出てきてたっけ。
えーと、何を書こうとしていたか分からなくなったし、長さも中途半端なので終わり。最近、音楽について書くのが、ちょっと億劫になってきてるな。かといって、バカ話を書く気力もイマイチ。ここ何年か2月あたりにやや鬱的気分になってしまう傾向があるけど、なんだかな、もうどうでもいいような気分だな。んじゃ、寝るか。
能ある鷹は爪を隠すといいますが
去年の車のドアに左手の中指を挟み、大層イタイ思いをした。そのままほったらかしにしていたら、黒くなった。これもエントリーにアップした。こんなやつだ。

で、数日前明け方に布団の中で寝返りを打ったら、左手に違和感を感じた。無視してそのまま寝ていて、朝起きてみたら爪が剥がれかけていた。こんな具合だ。

触ると完全に皮膚からはがれていて勝手が悪い。えいや、と思い切り引っ張ったら無茶苦茶痛かった。爪の端っこの方はまだまだ皮膚にくっついていて、つまり身がついているわけで、それを無理に剥ごうとすると痛いのは当たり前である。朝のばたばたした時間帯だったので、ええい、クソ、背に腹は変えられん、思い切り引き千切るかと思ったら、配偶者に怒られた。横着して引き千切ったりせずに爪切で切ればいい、とのこと。そりゃそうだと思って、爪切で丁寧に切って、そこにバンドエイドというかリバテープというか、そのあれだ、ガーゼが付いた絆創膏みたいなやつを、それも1週間張ったままでいいってのを貼り付け、その上から絆創膏をぐるぐる巻いた。で、今、こうなっている。

しかし、なかなか治らないものだな。早く指が治ることを期待して、本日はフィンガー5で締めたいと思います。そうそう、シネカノン、再生法適用を申請したらしいな。ここのところ人が死ぬだけじゃなくて企業も死滅に向かってるのか、嫌な渡世だなぁ…。

で、数日前明け方に布団の中で寝返りを打ったら、左手に違和感を感じた。無視してそのまま寝ていて、朝起きてみたら爪が剥がれかけていた。こんな具合だ。

触ると完全に皮膚からはがれていて勝手が悪い。えいや、と思い切り引っ張ったら無茶苦茶痛かった。爪の端っこの方はまだまだ皮膚にくっついていて、つまり身がついているわけで、それを無理に剥ごうとすると痛いのは当たり前である。朝のばたばたした時間帯だったので、ええい、クソ、背に腹は変えられん、思い切り引き千切るかと思ったら、配偶者に怒られた。横着して引き千切ったりせずに爪切で切ればいい、とのこと。そりゃそうだと思って、爪切で丁寧に切って、そこにバンドエイドというかリバテープというか、そのあれだ、ガーゼが付いた絆創膏みたいなやつを、それも1週間張ったままでいいってのを貼り付け、その上から絆創膏をぐるぐる巻いた。で、今、こうなっている。

しかし、なかなか治らないものだな。早く指が治ることを期待して、本日はフィンガー5で締めたいと思います。そうそう、シネカノン、再生法適用を申請したらしいな。ここのところ人が死ぬだけじゃなくて企業も死滅に向かってるのか、嫌な渡世だなぁ…。


