2009-11

計算おかしくない?

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差額の50円に、どのような付加価値があるのか。それとも新手のデノミ粉砕闘争なのか。

DRAC興亡史 1975-1980 ようやく合宿行きました

 京都駅に集合したのは、多分夕方の4時半くらいだったと思う。無事、前期試験も終わりこれから3泊4日のサークル夏合宿に行くのだ。目的地は鳥取の浜湯山というところにある民宿で、かわとねという。で、今検索かけてみたら、まだご健在というか営業されておりました。住所も多分間違いないので、皆様方の中で鳥取に行かれる際は是非ご利用していただきたい、食事も美味しいし、宿の人は親切だし夏場はオヤツで甘いスイカを出していただいた。縁側に応接用のソファが置いてあったが、今もあるのだろうか。民宿から海に向かう道の横にスイカ畑がありそこにスプリンクラーが設置されていて、時間帯によっては突然水を噴き出し、頭から水浸しになったのも楽しい想い出だ。あれ、あの時被ったのは単なる水だよな。農薬混じってないよな。そういえば、どうもあの1回生の合宿以来、僕は大学で単位が取れず、6年通った挙句中退する羽目になった。もしかしたら、あのときの農薬に米軍の特殊部隊が使用する化学薬品が入っていたのではないだろうか、ってオマエの頭は膿んどるんと違うか!!

 のっけから、訳の分からない話で恐縮です。ええ、およそ1年ぶりのお話なもので、どこから書き出していったらいいか分からず、取り急ぎ合宿に向かうところからスタートします。文科系のサークルの合宿って何をするのか、当然1回生の僕は何も分からずただひたすら先輩方が去年の合宿はこうだった、ああだったというエピソードというか、ハッタリ半分の話を聞かされ、勝手に想像していた。S賀さんという、当時3回生で副会長をしていた先輩は、もう一人の酒豪の先輩と一緒に一つの部屋に籠もり、二人で黙々とビールを飲み、その空いたビンでボーリングが出来たなどという話や、新入生は海に浮かぶ島までクロールで行かなければならない、またそのタイムは制限があり遅れたものはメシ抜きだとか、そういう話ばかり聞いて一体何をやるのか想像しろというほうが無理だ。要するにお遊びなんだろうと高をくくっていたら、ある先輩から「オマエは何故ジャズを聞くのか」と問い詰められた1回生がいて、適当なことを答えたら鬼の4回生から取り囲まれて、延々突き上げられて、合宿終わったら二度とBOXに来なくなったサークル員もいた、などという話も聞かされ、ちょっと不安な気持ちも持ちながら僕は1回生コンビのS戸君とF田君と一緒に京都駅に集合した。

 当時のサークル員はどれくらいいたのだろうか。いいかげん怪しくなった記憶に基づいて書き記してみると、会長だったY田さん、愛媛の出身で外見はゲゲゲの鬼太郎だが弱小ブルース班を引っ張るリーダーだった。副会長のS賀さん、高知は名門高知学芸高校出身で酒好きというか、暇さえあれば飲んでる人だった。後年、この先輩は祇園のメンバーズクラブでボーイのバイトをするのだが、飲んでばかりで全然役に立たず、店の部長から「あの男はホンマにスカやった」とのありがたい称号を受ける。僕が何故その事実を知っているかと言うと、その店を首になったS賀さんの代わりのバイトとして入ることになったからだ。祇園の姥捨て山といわれたその店での百鬼夜行の話はまたそのうちに。あれ、3回生は2人だけだったっけ。印象はあまりないのだが4回生のA井さんもこの合宿には参加したな。大阪出身の温厚な方だった。

 あ、いやいや、いました3回生、しかも綺麗どころが。英文科の先輩で熊本出身のU村さん。姉御肌でキップのいい人でした。僕が2回生のときに、お金が無くて夏合宿は参加しないといったら「あなたたちがこれからのDRACを担っていかないといけないのに、お金がないからって合宿さぼっちゃダメ。お金なんか貸してあげるから行きなさい」とハッパをかけられた。しかし、この人男運のない人で、その後ある男子学生と同棲(キャー。憧れたのよ、同棲時代。オレも花の大学生になったらいつかはやるぞ、と固くココロに誓ったもののついに縁なく、最後のほうではおんぼろアパートに野郎ばっかり集まってくる同性時代を過ごしてしまった、悔しい)したものの、その人は肝硬変で亡くなってしまった。その男の人とはサークルは違っていたが、何かと話をする機会が多くて若いのに変に悟った人だった。たかが20代前半だというのに。最後は黄疸が出て目なんか末期色、そうまさに末期色とでもいいたくなるくらいの黄色い目をしていた。U村さんが無理矢理病院に押し込んだが手遅れで、結局その男の親からは随分恨まれたという話を聞いた。

 もう一人の3回生は、女子大の人でM井さんといった。笑顔が素敵で、あまり喋るほうではなかったがサークルのコンパや合宿などは欠かさず参加する人だった。この人も実に不運な人で大学を卒業して2,3年してからだろうか、ヨーロッパを旅行中バスが転落してお亡くなりになった。当時そのニュースは結構大きく扱われたが、まさかその被害者があのM井さんだとは思わなかった。その事故のあと、ご両親がM井さんの部屋を整理していたら日記が出てきて、そこに同じサークルの1年下の好きな人の名前が書いてあったそうだ。不憫に思ったご両親はその男性(当然、僕は良く知っているがここではあえて伏せる)、すでに田舎に帰って働いていたのだが、に連絡を取り、それを聞いた男性は京都まで行って花を手向けた。うーん、何だか重たい話になってしまったな。

 ええと気を取り直して、それ以外の合宿参加者を紹介しておこう。2回生では久留米、あの鮎川誠の出身校、明善高校ご出身のI上さんとNさん。I上さんは以前エントリーでも書いたが僕と同じ修学院に住んでいて、近所の畑から野菜を盗むことを1回生に仕込んだ一見真面目そうで実は腹黒悪人。Nさんも外見は背の低いポール・マッカートニーというルックスだが、大学受験のときに仲間とストリップを見に行ったら全員見事不合格だったとか、「キスって湯豆腐みたいな味がするな」とかナンパな話をさせるとぴか一の人だった。それから岡山の同じ高校出身だったO崎さんとO山さん。O崎さんは、先ほど書いた祇園の姥捨て山クラブのバイトでキッチンを担当。小さい黒板にシェフのおすすめと書いて、そこにアタリメとか湯豆腐とか味噌煮込みうどんなどと書き込み、周囲のバイト仲間から馬鹿にされていたが、店の女の人と同棲(また出てきた、時代だなぁ)を始め、そのまま大学を辞めたのではなかったか。祇園でバイトを始めてからは、サークルには全く出てこなくなった。

 このO崎さんというのは、色が白くて髪の毛もちょっと茶髪(天然でっせ、今時の染めた茶髪と違います。もしかしたら白子ではないかと思うくらい真っ白で髪の毛は赤かった)、ルックスは玉三郎みたいで結構女性ファンは多かった。しかしサークルではそんなそぶりは一切見せず、岩倉の下宿に立派なオーディオを備えており、秋になるとそこでサンタナの『キャラバン・サライ』をかけて皆で聞くのが恒例行事だった。で、この人麻雀上手いのにやたら弱い。誰かが突っ張るとすぐ降りるのだ。一度など後ろで見ていたら、親でW東がアンコなのに、リーチがかかったといって東を切り始めたときは、先輩と知りながらも後ろから頭を小突いて「あんた、何考えとるんや。こんなもん勝負や」と叫び、顰蹙をかったのは他でもない僕だ。

 そうそう、このO崎さんとはこの合宿で一緒に良く麻雀をした。これは岡山の方言というかイントネーションかもしれないが、この人「東」という牌を捨てるときに「トン」と声に出して言うのだが、アクセントが「ト」にかかっており、「トゥン」と聞こえる。こういうことはすぐに真似してからかう性格の悪い僕が真似して「トゥン」というと睨む。睨むがちっとも怖くない。また誰かがO崎さんの危険牌を切ると「ラッキー」というのだが、そのアクセントも「ラ」にかかっていて、「ラァッキー」と聞こえる。聞きようによっては、少し知恵が足りないのではないかと思われるような口調であった。当然、僕は真似をしてリーチ後に僕に対する危険牌を通したO崎さんに「ラァッキー」というと、「お前本当に憎たらしいな、1回生の癖に可愛げがない」といわれた。「ええい、うるさい、麻雀では先輩とて容赦はせんぞ」とこれはF田君の口癖を真似した、可愛げのない僕の返答でした。

 今思い出してみると、当時の2回生の先輩たちは、何故か2人組みの人たちが多かった。最近良くコメント頂くK平さんも高2まで同郷(ということは僕とも同郷なのだが)だった、いや同じ高校だったA水さんといつも一緒にいるイメージがあった。で、業務連絡ですがK平さん、75年の鳥取合宿参加してましたっけ?77年の信州のときははっきり覚えているんですが、鳥取のときはどうだったのか、参加されていたらスイマセン。

 で、このほかの2人組みというと翌年サークルの会長と会計という権力を握ったO西さんとY本さんがいた。O西さんは確か2浪していたんじゃなかったか。落着いた口調で、外見はミスター・オクレみたいに73分けで黒縁のメガネをしていて、後輩に対して妙に優しいときと非情なときとはっきり分かれる人だった。最終的には、僕たちから突き上げられてサークルを去るのだが、それは76年の終わりの話。そうそう兵庫県は姫路のご出身で実家が商店をされていたので営業用の白のマツダ・ファミリア・バンを持っていて、良く深夜のドライブに連れて行ってもらった。ルー・リードのライブやカーブド・エアのライブのカッコよさはこの人から教わったな。その大恩ある人をオレたちは放逐したのか。いや、それは彼らがサークルを私物化し、学内政治的なことからは一切距離を置いて同好会主義に陥るのを我々は危機意識と共に問題提起し自己批判を迫ったのだが、自らの反動的思想に耐え切れず脱退していったのではないか、などというややこしい話はおしまい。

 おっと、ここまで書いてきて大事な人を忘れていた。鹿児島出身で元全×闘、根っからの左巻きで、口も達者、辞めさせたサークル員は数知れず、その中には自称麻雀名人という連中を完膚なきまでに叩き潰し、二度とBOXに登場させなかったT原さんがいた。この人の悪行は「北白川ストリート・ファイティング事件」だとか「修学院騒音条例フンサイ事件、別名下宿放浪記」、「百万遍特殊工作隊襲撃物語」など沢山のネタがあるのだが、今回は合宿話なので割愛する。

 ああ、もう時間がない。このほかの登場人物は、「堺も加西も似たようなとこじゃい」といってひたすら田舎を誤魔化すS戸君、「センパーイ、あんなこといってますよ、いいんですか〜」というこびへつらい上手だったF田君。高知学芸出身でS賀さんの後輩にあたる「何ですろう」F原、そしてこの物語の語り部である、ワタクシdrac-ob。さあ、このみょーちくりんな連中が3泊4日の夏合宿でどのような活躍をするのか、話は続きます。

 あ、女子部員の紹介忘れていたっけ。えーと2回生にはおぞましき「美鈴ちゃん」こと大分出身のS本さん。1回生は、サークル入った頃はちょっと可愛いかなと思ったけど、1浪していたせいか僕を子供扱いするので嫌いになったT永さん。ほとんど喋らず、大人しいんだけど好きなバンドのことになると人格が変わったHさん。彼女の名前の漢字がどうしても読めなくて聞いたことがあった。そしたら「私、アメリカ行きたいけどあかんねん」と突然言われた。「なんで、バイトして行ったらええやん」「ううん、お金はあるけど、アメリカが入れてくれへんねん」「はぁ、なんで?」「うち、国籍中国なんや」「え、中国?台湾じゃなくて毛沢東のほうの?」「うん」。当時アメリカと中国はまだ国交が無かったのだ。時代だ。

 しかし、思い出したことをこんな風につれづれ書いていったらきりが無いな。しかしまだ旅は続く…。

これが未病ってやつですか

 昨日は週1回の病院の日だった。受付を済まして、混雑した待合室の中で週刊誌を読んでいたらすぐに名前を呼ばれた。顔を上げると初めて見るナースさんが立っていた。僕の血管は細くて、初めての人は注射をするのに手間取りブスブスと何回も刺され、挙句の果ては手のひらに針を刺されるという経験を何度もしているので、今回もちょっと覚悟した。ところが、このナースさん愛想はあんまりないけど、ゴッドハンドと言ってもいいくらい注射が上手かった。右腕のシャツをまくり、手をグーの形に握り締め肘の上辺りにゴムバンドが巻かれる。それからアルコールで消毒した後、針が入るのだが、「じゃ、刺します」という声を聞き、視線はあらぬ方向に向けていたのだが(実に気の小さい話だが、僕は注射針を刺されるところを直視することが出来ない。いや出来ないわけではないが、見ていると余計痛そうに感じるので見ないのだ)、一体何時針を刺すんだよ、何時までも待たせるんじゃねえよと、これは決して声に出して言えるはずも無く心の中の呟きなのだが、意を決して右腕を見ると、もうとっくに注射針は刺さっていた。

 え、なに、この人、ちょっと凄いんじゃねーの、などとこれも心の中で呟きながら、それでも針を抜くときはゼッタイ違和感というか軽い痛みはあるもんね、オレもこれまでの人生数多くの注射を受けてきたのは伊達や酔狂じゃないからね、そこは見逃さないよ。などと針を抜くところを身構えていたのだが、なんと全く音沙汰無く針は抜かれており、もっともそのあとなかなか血が止まらず、最後は絆創膏を張ってもらったのだが、ものの見事な名人技であった。思わず「好漢いまだ不射之射(ふしゃのしゃ)を知らぬと見える。」と中島敦の『名人伝』のフレーズが浮かんだのであった。で、いつもなら注射が終わったらさっさとお金を払って終わりなのだが、前の週に血液検査をしていたことを思い出し、大枚ウン千円を前払いしているわけだから、その結果を聞かねばの娘と化しその旨をナースさんに伝えたところ、このあと診察室に呼ぶから今しばらく待合室で待つよう言われた。

 右手を押さえながら待合室に戻ると、20代前半くらいのカップルがソファにしなだれかかっていた。いくら混雑している待合室とはいえ、ソファには十分な空きスペースがある。そんなに密着しなくても大丈夫だぞと、声をかけてやりたかったが僕と視線のあった二人は完全にカブトムシの目をしており、こりゃ何をいってもダメだなと深いため息をつきながら横の空いてる場所に座った。整形して逃亡しまくっていた外国人死体遺棄事件の容疑者の話を一心不乱に読んでいるとまた名前を呼ばれた。今度は診察室に行くと、あれは担当医というのか、ま、いつもの先生が満面の笑みをたたえてこう言った。「いやー、参ったな。あなたLDLコレステロールが一気に増えてるよ、こりゃ脳梗塞とかの方が心配だな。まさか身内に脳梗塞とか患った人いないよね」。「あの、父が脳梗塞で倒れたことがあります。もっとも死因は別の病気でしたが。あ、それと弟が脳梗塞で倒れて3年植物人間状態のまま亡くなりました」。「えー、じゃ脳梗塞の家系じゃない。よし、体質改善して治しましょう」

 で、いろいろ話を聞いたら、先ず食生活の改善と量を減らすこと、適度の運動をすること、この2点を指摘された。食生活といえば、朝は食べないし、昼は週のうち5日は麺類でしかも最近は、うどん、ラーメン、ラーメン、蕎麦、うどんのパターンで、まずいことに以前は麺類に飯をつける奴は野蛮人だという哲学を持っていたのに、いや麺類と一緒に食べるご飯の美味しさよ、満足感よ、これぞ人生の醍醐味というパターンに変わったのは何時ごろだったか。うん、間違いなくタバコを止めた2005年からだ。体験的事実論、タバコ止めると太ります。僕は56キロから78キロと一気に22キロ太りました。禁煙と肥満は関係ないとその手の学会や禁煙運動家が良くいってますが、アレはウソ。僕が体験したから間違いない。

 で、麺類とご飯のカップリングをしないときは、替え玉だとか大盛りだとか、あ、おばちゃん蕎麦湯追加ね、などという食生活をしていたのだが、これは止めなければならない。決めた。「ワイルドで行こう」じゃなかった、腹八分で行こう。一寸の虫にも五分の魂である、関係ないか。もともと僕はあまり食べるほうではなかった。どちらかというと食が細かった。それがバクバクとまるで夢を食べる動物のように大食らいになったのは、やはり2005年が契機だった。そもそも胃というのは大きさがあってないようなもので、しばらく食べずにいると小さくなり、底なしにどんどん詰め込むとそれに比例して膨張していくのだ。大食らいに慣れてしまい、僕の胃も節操なく膨らんでしまったのだろう。あまり関係ないが突然、莫大小という言葉が浮かんだ。昔漢文の時間に大きくも小さくもなるから「メリヤス」だと教わったっけ。ついでに不易流行というのも習ったが、フエキ糊はそれからとっているとは目からうろこであった。

 なんだか話がおかしくなってきたが、食生活の改善、バランスよく適量を食べるという活動方針は採択された。次の適度の運動だが、これはお安い御用だ。ゲバ棒、竹槍、ヘルメット〜ぱいーぷ爆弾、だーいーなまいと、と「戦争しか知らない子供たち」を口ずさみかけたがよくよく考えてみると、いや考えて見なくても運動違いである。以前書いたかもしれないが、僕はムーブメントの運動は大好きだがスポーツはあまり好きではない。いや女子バレーを見たり、ワールドカップの試合を見たりするのは大好きだが、自分で体を動かすのが億劫なのだ。これも以前はそんなことは全然なく、歩くことが大好きで多少距離のある道のりでも平気で歩いていたし、自転車に乗って(by高田渡)あちこちうろつくのは大好きだった。何時ごろからか、ちょっとそこまでの距離を車で行くようになり、自転車も乗らなくなった。やっぱり2005年が変化の年だったようだ。

 と、このような昨今であるが今から30年以上前は僕も若かったし、サークルの合宿の話にこれからつなげていく予定だったのだが、日曜の夕方、日が落ちかかっているこの時間帯になんだかんだ口実をつけてサボっていたウォーキングに行ってこようと思う。病院で先生に「以前は夜30分から小一時間散歩してたんですが、雨が降ったとかちょっと寒いとかで、いったん休んでしまうと続かないんですよね」と話したところ、「だってあなた人間の本能は『動くな』ですから。本来じっとして危険を避けるという本能があるんですよ。その本能に逆らってやるわけだから、相当強い精神力が要りますよ。でも頑張ってくださいね。自分の体は自分でコントロールするしかないんだから」とごもっともな説教を頂いた。さ、面倒だがとりあえず散歩してくるか。



再開宣言 もう迷わない、逃げないという固い決意を見よ

 自己批判書を書いたことがあるだろうか。いきなりな質問で恐縮だが、僕は何度かある。もちろんあんなものが通用するのは大学時代までで、社会人になってからは顛末書や始末書というものになるのだが、ま、書いてしまえばそれまでの話よ。なーんの反省もへったくれもあるものか、後は野となれ山となれすたこらさっさと逃げ出して〜、などとトラヒゲの歌でも歌ってやりたい。何の話かというと、2日連続で頭脳警察の話を書いていたら、学生時代のいろいろなことを思い出したのと、K平先輩のコメントで、随分長いこと忘れていた人たちやエピソードを思い出してしまい、そうそう「DRAC興亡史 1975-1980」の続きを書きますといってそのままだったなと思い出し、FC2の過去の記事を検索してみたら、な、な、なんと前回の興亡史は去年の11月3日に書いてそれっきりだった。僕の気分的には今年2,3つくらいのエントリーを書いた気分でいたのだが、まさか丸々1年以上空白があったとは…。

 それと、ちょっとアプリオリな出来事もいくつかあった。先日、上の子の大学の懇親会に行ったときに、全体懇談会なるものがあり、そこで学部長の挨拶だとかインターンシップがどうしたこうしたとか大学の就職状況はああだこうだという一連の話の中で、教務長という役職の先生が「将来教職につこうと考えている学生が不正行為、つまり授業に出席していないのに友人に代返を頼んだ連中がいて、その学生を全員調べて自己批判書を書かせて本人の親と指導教員の印鑑を貰ってこさせた」などという話を聞いた。出席日数稼ぎの代返というのは、やりましたな。名前を呼ばれて、声を作って返事するなんてのは初歩的なパターンで、僕が取っていた授業の出席の多くは教授が紙を配り、そこに学籍番号と名前を書いて提出するというのが多かったので、どさくさ紛れに紙を多めに取ってきておいて、授業に出る友人に渡して提出してもらうなんてことをやりました。

 しかし、悪銭身につかずといいましょうか、好事魔多しといいましょうか、いや教授もバカじゃない、そういう不正ルートがあるのは百も承知で、実はそのカードの側面に色マジックで印がついており、例えばその日は赤がついていたとして、カードの何枚かにはありえない青や黄色がついていてバレバレで単位を落とすというか、その前に説教ですな、まあ、そういうことがありました。しかし、代返しただけで自己批判書だなんて、なんていうか凄いアナクロな先生だなと思ったことがひとつと、バカの一つ覚えみたいにただただ真面目に出席していい点取る学生より、自己批判書のひとつやふたつくらい書いたことのある学生のほうが教師としては魅力のある人間になるのではないか、純粋培養だともろいぞみたいなことをアンケートに書いて、そのことを子供に話したら「もうゼッタイそういうことはせんで、書かんで」と念を押されました。そのとき以来、頭の中で自己批判書という単語がぐるぐる回っていたのだ。

 それと、このFC2ブログには拍手という機能があり、エントリーを読んだ人が共感したらそのボタンを押すことで管理人に拍手を送れるという仕組みがある。これ結構blog更新の動機付けになるのだ。ちょっと面白くなかったな、とか、どうせこんなエントリー書いても誰も読んでくれねーしな、なんて不貞腐れて、もうblogなんか止めて昔みたいに好きな音楽と本だけに時間を使おうかなどと弱気になっているときに何度この機能で励まされたことか。書いた本人には全然面白くないと思っていたエントリーに拍手がついていたりすることもあり、そういうのってまだ見ぬ人からのメッセージでネットならではの喜びなのだ。で、その拍手なのだが、先週3日くらい連続で「DRAC興亡史 1975-1980 コンテニューイングオブ合宿ストーリー」についていたことがあった。先ほど読み返して、ああら驚いた。僕はてっきり合宿前の試験の話を書いていないと思っていたのだが、そこはちゃんと書いてありました。

 というところで、本日の結論。再開します。DRAC興亡史。今度は投げ出しません。私はウソは申しませんっ!!T岡さんも読んでくれるといいけどな、また頭脳警察の話しようね。最後に心からの反省の意味を込めて、スリー・ドッグ・ナイトのこの名曲をお送りします。



幻野から遥か遠くへ 続「俺たちに明日はない」

 10.21(国際反戦デー)に発売予定だった頭脳警察のアルバム発売が遅れたのは、「歌詞カードの誤植」が原因だったらしい(NACHT MUSIK 3RDより)。アマ×ンに誤爆をしてすまなんだ、ああ、すまなんだと拳キチのおっちゃんのフレーズでお茶を濁す。で、今日の新聞を読んでいたら、なんと日本人男性の喫煙率が戦後最低になったらしい。戦後って、何時の戦後だ、応仁の乱か、などという寒いギャグは止めておく。こういうネタは細川の殿あたりに任せておけばいいのだ。あ、今ネットで調べなおしたら、「戦後最低」ではなく「過去最低」であった。それで過去って何時だよと調べてみたら、なんだ、たかが1986年以来だ。しかし、男性喫煙率が36.8%ということは、ざっと3人に1人しか喫煙者は居ないという計算になる。また天下を取った鳩山総理も「(タバコの)税収が減ったとしても健康の方が大事だ」、などとのたまっている。喫煙者にはつらい時代がやってきている。あ、僕はタバコは、もう止めて5年は過ぎて、日常生活は非喫煙者ながらも行過ぎた禁煙ファシズムとは断固闘うという姿勢をキープしている。こんなこと書くと燐さんからお小言頂くのだが、そこは頭脳警察のアルバム発売に免じて許して欲しい。

 などと訳の分からないことを書いているのは、昨日の続きでアルバム『俺たちに明日はない』の紹介、6曲目の「BRAINWASH」だ。「BRAINWASHED」なら、ジョージの遺作になるのだが、関連性はない(と思う)。ちなみに「BRAIN SALAD SURGERY」ならEL&Pで、こちらはますます関係ない。あ、ELPといってもレーザーターンテーブルの開発、販売をやっている会社の話ではない。などと、補足しなければならない時代がくるとは、あの70年代では想像もつかない時代に僕たちは生きているのだ。って、なんかこんなフレーズ昨日も書いたような気がする。いえ、『TVなんかにコケにされ K察に嘘作られ すぐに流行に乗せられて 歴史はバカが作り出す』というイントロから、『ウイルス撒いてソフト売る タバコを責めて大気汚染隠し 自分で住みにくくしてる だってだってオレ達バカだもん』という皮肉たっぷりなラス前まで、さあどっちがどっちを洗脳しているのか。しかし、ここでのパンタは「バカ」という言葉を吐き捨てるように歌っている。尚、e-daysのインタビューにタバコを旨そうに吸うパンタの写真がアップされている。

 7曲目は「ヒトを喰った話」。お、ひかりごけの話か、それとも佐川君の話か、いやいや映画の話かと思ったが、どうも近頃流行の「草食系」とか「肉食系」なんていう分類(?)のことを指しているようだ。あれは、良く分からないというか、積極的に分かりたくないというか、なんなんだ一体。草ばっかり食ってるのも嫌だし、肉ばっかり食ってるとコレステロールが溜まる。そういうときは「ヘルス・エンジェル」だ、などと話がP-Modelになりそうだ。で、おまえはどっちだ、という声が聞こえるが、しいて言えば「悪食系」というか「雑食系」だな、多分。昔から女の趣味が悪いと、いや、その、これは余計な話であった。わはは。

 曲と演奏の感じは「コミック雑誌なんか要らない」に近い。ギターもあえてチープな音を出しているし、ピアノもそれ風だ。『クサばっかり喰ってんじゃねぇ ニクを喰え サラを喰らえ ドクがおまえをまともにするさ クダばっかり巻いてんじゃねぇ メスを喰え ヒトを喰え』などと『喰えない』歌詞が延々と続く。肝心なところは全部カタカナにしてあるが、それが余計込み入った連想を促す。

 このアルバムの中でもひとつのハイライトである8曲目、「赤の女王」。最初、単純に重信房子のことかと思ったが、ことはそう単純ではなさそうだ。サウンド的にもシュールというかアヴァンギャルドなどという死語を思い出させる。リズムの展開もユニークで面白い。ギターも唸っているね。歌詞的には古くからのパンタファン、頭脳警察ファンにはニヤリとさせられるものが多い。『夢物語に枝折り挟んで 戦士の伝記を口ずさんでる 一角獣からたしなめられても 支配の鎖 引きちぎれ それが水晶の鎖としても』。一角獣?ユニコーン、T・REX、マーク・ボラン。水晶の鎖?クリスタル・ナハト、ベルリンの壁…。このあたりは、お好きな方にはたまらないPantax’s Worldである。

 駆け足になるが9曲目、「黒の図表」。イコライザーを使っているのか、ボーカルがテクノっぽい。先ほどP-Modelに触れたが、それよりもっと今風な、そうPerfumeっぽい。しかし歌詞のほうは「美術館で会った人だろ」のアンサー・ソングみたいで面白い。まあ79年、80年の歌に今更アンサー・ソングでもないだろう。途中で入るエレピはドアーズを連想させるな。あ、ドアーズも血のイメージあるよな。『淡い緑 深い緑 色とりどりの 街の賑わい おまえが望んだ世界だろ おまえが選んだ未来だろ 美術館に隠れたら 美術館に隠れたら 神の奴隷で溢れかえっていて 時間に囚われ 額に繋がれ』。

 いよいよラストナンバーの「残照」。曲調はアルバム『反逆の軌跡』に入っている「今はすべてを忘れて」を思い出した。あの曲も初めて聞いたときはパンタもこんな歌を作るのかという新鮮な驚きがあったが、驚きの度合いはこの曲のほうが上だ。まるでパンタとトシの人生の総括だ。『まだ夢を見てる奴 あきらめた奴 みんなイチから始まり またイチで終わる 声をなびかせ そよぐキミの横顔 さあ もう一度乾杯 俺たちの人生に 夜明けは遠くに消え去って はるかな友へ いま何を想う』。まさか頭脳警察を、パンタをここまで長く聞くとは思わなかった。30過ぎたら立派な大人になって、ロックなんかからは足を洗うもんだと思ってた。いや、そういう世の中の流れだと思っていた。40過ぎたら惑わないものだと思っていた…。全然話が違ったオレの人生だけど、さあもう一度乾杯、オレ(たち)の人生に。

 ボーナス・トラックで入っている「俺たちに明日はない」は、パンタのギターとトシのパーカッションだけで演奏されている(エレキも多分パンタだと思う)。まさに初期頭脳警察のサウンド。歌詞もこっちのほうがカッコイイ。そう、頭脳警察はカッコイイのだ。オマケに三里塚での頭脳警察のライブを貼っておきます。このときの若者達が「俺たちに明日はない」などと歌う日がやってくるとは…。



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